分断体制―いかに理解すべきか
周大煥 昨日、夢陽・呂運亨(ヨ・ウニョン)先生記念討論会があり行ってみましたが、社会民主主義というビジョンは、本来、大韓民国建国当時からも統一と密接に関連していました。また過去だけがそうだったわけでなく、今後も社会民主主義の福祉国家に進むならば、私たちは完全に一段階跳躍するということですが、この跳躍の契機を統一と結びつけるのはとても自然なことです。
ですが、私は実は分断体制論にはあまり賛成していません。分断体制はすでに崩壊したと考えています。例をあげるならば、南北間の力関係が2対1、3対1、10対1の違いでも分離体制は維持され得ます。ですが、20対1、30対1、100対1ほどになってしまえば成り立ちません。今「北風」〔北の脅威を政治的に利用すること〕というものが全く韓国社会に受け入れられていないのは、すでに分断体制が崩壊したということだと思います。ですから、分断体制論自体には賛成しませんが、どうであれ、社会民主主義のような代案を掲げようというのであれば、韓国という国を一段階引き上げる、そのようなビジョンと統一のビジョンを同時に進めるべきだという考えには積極的に賛成します。
金大鎬 OECD諸国とさまざまな指標を比較してみると、韓国は対GDP比で福祉予算がかなり少なく国防予算が高いんです。そして韓国の若い男性には徴兵による2年の空白があります。個人の自己啓発にとても大きな足かせです。なのに、分断体制があまりにも内面化されて、私たちも意識できない側面があるようです。私は国家ビジョンを作って戦略を立てるという時、これを意識することと意識できないことには大きい違いがあると思います。たとえば、北朝鮮は韓国のように土地を私的に所有しません。私は北朝鮮の持つ、いくつもない強力な点というか、民族的資産の一つが土地制度であると思います。この部分を合理的に管理した時、国家連合をしようと統一しようと、韓国社会がこれまで不動産のために病んでいた慢性的な病を相当緩和できるでしょう。そのようなことが、結局、国家ビジョンと関連してみる時、途方もなく大きな変化の要素になるのではないでしょうか?
最近、ディードス(DDoS)攻撃でインターネットの接続障害があった時、国家情報院がそれを北朝鮮の仕業であるとし、かなり古い記憶を甦らせて、私たちが分断国家であるということをあらためて思い知らされました(笑)。以前はそのようなことを社会的抑圧として大きく活用したでしょう。今回はそうなりませんでしたが、まだ韓国は、そのような変化の要素を無視できない分断国家であるということを痛感したケースだと思います。ですから、もう一度、国家ビジョンと関連して、あるいは進歩改革運動と関連して、私たちが分断国家であるという意識を持ち、それによって歪曲されたものを徹底的に認識し、北朝鮮の変化の要素を考慮することがきわめて重要だと思います。韓国の財政の健全さと関連しても同じです。そうしてはじめて、有事の際に私たちが莫大な財政を北朝鮮再建のために注ぎ込むことができるのではないでしょうか? 分断は相変らずいくら強調してもしすぎることはない問題のようです。
白承憲 同じ話ですが、分断体制の問題点のうち最も深刻なのは、問題が厳格に存在しているのに、それが古くなり当然視されて鈍感になるという点でしょう。私たち国民、特に朝鮮戦争を体験したことのない人々には、分断の現実が冷戦的に管理されていたものが、ある時点から交流協力政策を通じて管理されるようになりました。国民多数が本人と関係なく、いかなる形であっても、分断が管理されてきたと感じているのですから、現実に鈍感になるようです。しかし明らかなのは、いまや交流協力政策では管理されておらず、その過程が逆転した時、過去のように冷戦的ではあるけれどもリスクは調節されうるのだと考えることはきわめて危険だということです。今、交流協力の基調は崩れていますが、冷戦秩序が復元されることはない時期にあって、ですから、政治・軍事的にも文化・意識的にもきわめて危ない地点にあるのではないのかと思います。
ビジョンと関連して、統一した大規模の民族国家というビジョンだけでは少し足りないようです。私たちの社会が分断問題に関心を持ち、その解決を模索するためには、統一過程へのビジョンが同時に提示されるべきですが、改革進歩陣営のなかに、これに関する議論や省察の一定の空白状態があるという点が憂慮されます。
金鍾曄 『創作と批評』誌がその点について着実に議論し、社会的にはある程度、意識の喚起になったようです。周大煥代表がおっしゃったことと立場は少し違いますが、『創作と批評』誌も分断体制が変化しつづけてきたと考えています。分断体制が動揺期を経て、6・15南北首脳会談の時期から解体期に突入したと考えています。ですが、解体期だからといって、その解体が短期間のうちに終わるわけではなく―。
周大煥 その部分については考えがかなり違います。私はそれが6・15宣言のようなものによって崩壊したわけではないと思います。そういうことでいえば、7・4共同声明もあったじゃないですか。その後もそのようなことがかなりありました。結局は対峙が対峙らしく存在する時に意味があるということでしょう。今はそのような状況ではありません。分断体制論が現実の認識にはたして役に立つか? 一時は役に立ったので多くの識者が関心を持つ言説でしたが、今、現実の認識に役立っているかについては疑問です。
金鍾曄 充分に可能な問題提起ですが、私が6・15共同宣言の話をしたのは、大変重要な契機だったからなのであって、その出来事一つで分断体制が解体し始めたというわけではありません。おっしゃられたように南北のGDPの差だけを見ても非対称的な形に変わりました。ですが、GDPに100倍の違いがあるからといって南北関係が100対1の関係ではないと思います。個人的に現在の分断体制は、地政学的な状況などを考慮する時、1と2分の1体制程度になるのではないだろ南北思います。非対称性が大きくなったとはいえ企し始めが存在することによって韓国社会が深刻な機会の制限にさらされており、敵対的な共生に由来する矛盾は相変らず再生産されていると思います。
また、周代表も統一ビジョンの話をされましたが、そのために南北の統合のための履行経路についての議論が必要でしょう。『創作と批評』誌はそのことと関連して国家連合を提起してきました。国家連合の段階を強調するのは、分断を克服した形での国家が統一された韓国であるというような、当為論的あるいは民族主義的に固定させずに、多様な形の政治共同体の中で可能な道を長期的に模索するためです。そのことと関連して、私は北朝鮮が社会主義で運営されてきたので、周代表が主張する社会民主主義も共通分母を見出す根拠言説として価値があると思います。もちろん北朝鮮が独自の自生力を備える一方で、長い履行の過程において、南北が未来の体制を互いに調整していかなければなりませんが。
白承憲 国家保安法の例をあげて、一つ話をしてみたいと思います。国家保安法廃止の運動はとても古いもので、冷戦秩序の産物であるという指摘は廃止論拠の一つでした。そして国家保安法が廃止されれば、私たちの刑事司法体制を正常化できると主張してきました。しかし、国家保安法が廃止された後の刑事司法秩序を検討してみると、実は韓国刑法自体にすでに相当な冷戦的秩序が反映されており、国家保安法の廃止を通じて刑事法がある程度正常化することはあっても、冷戦的な刑事法秩序を完全になくすことはできないという点が指摘されました。にもかかわらず、刑法自体の改革問題はこれ以上進捗することもなく、議論もされませんでした。国家保安法が、廃止どころか、その改正さえあり得ないような状況において、その後の問題を現実的に議論できる条件にはならなかったのです。これは国家保安法による被害者が減ったからといって変わる問題ではありません。分断も同じようなことではないかと思います。南北の経済規模が100対1になるとしても、分断体制自体が克服されなければ、その後の発展と進歩は真剣に想像され得ないのです。分断問題の固定化は、南北どちらか一方ではなく、ともに完全に正常な社会への発展経路を模索するのに重大な障害となっています。
勢力連合とリーダーシップ構築の課題
金鍾曄 みなさん分断問題の重要性には共感されていますが、各自の提示する政治的・社会的ビジョンが、分断の現実やその克服とどのようにつながるかは、まだ充分に発展していない状態のようです。『創作と批評』誌も自ら分断体制の克服を、さらに肯定的な社会体制ビジョンとつなげる作業を行ってきましたが、もう少し研究が必要だと思います。とにかく、これまで議論されたビジョンだけにしても、数人の知識人や活動家が確定できることではなく、多様なビジョンとそれに関する政策を大衆の中で練り直す過程が必要でしょう。その過程で同時に検討するべきなのが、勢力連合の問題ではないかと思います。
現在は李明博大統領があまりにもだめなので、反・李明博戦線が強まっていますが、少し時間がたてば保守勢力もポスト李明博のリーダーシップを前面に掲げて、反・李明博戦線を弱めようとするでしょう。ですから、より一層、韓国社会の底流にある、地域的・世代的・階層的な亀裂の中で、いかにして勢力連合を達成するべきであり、彼らとどのように政治的・社会的ビジョンをともに呼吸するべきかが重要な問題ではないだろうかと思います。
金大鎬 盧武鉉政権の期間に進歩連合の分裂がありましたが、私はこのことが以前と違った非常に特徴的な現象だったと思います。軍事独裁政権に対抗した民主化運動において、今のハンナラ党勢力の中で一部と進歩連合が協力したように、福祉国家を作る初期の段階では自由主義勢力と左派ないし社会主義勢力が力を合わせることがあります。金大中政権のもとではある程度そうなっていたようです。ですが、その後は分かれます。たとえば制限された福祉財政を持ち、その財政で公共部門を育てて福祉国家に進もうとする勢力があり、それをバウチャー(voucher、政府が福祉サービス受恵者に支給する購買クーポン)の形に分けて消費者の選択権を強化し、供給者競争を強化して、福祉財政の効率性を高めようとする勢力があります。当然、前者は後者を、市場主義、競争主義、新自由主義であると批判する素地があります。そのような点で盧武鉉政権における進歩の分裂も、もしかしたら必然であり、発展の過程として考えるべきだと思います。私は進歩連合の分裂より、意識しようが意識しまいが、自分が乗っている政策のプラットホームが、韓国社会できちんと作動するかを緻密に、実事求是的に認識していないようで心配です。今日、周大煥代表は韓国的な風土を勘案するべきだといいましたが、それは進歩連合が自らの政策プラットホームや政策パッケージを徹底的に点検していないということです。ですから、現在、進歩の方に切実に必要なのは、自分の立っている政策プラットホームの作動の可能性を実事求是的に認識することであるという気がします。
第二に、進歩と改革を合わせても、保守に比べて圧倒的に不利だということです。ですから、保守を支持している数百万名をこちらに連れてこなければならないのですが、私は進歩がその部分に対してあまり真剣に悩んでいないように思えます。進歩連合や昨日の勇士らのなかに、また一つになれば機会がやってくるだろうと考えている人々がまだいますが、私は2007年や2008年に選択した人々は決して愚かな大衆ではなかったと思います。そのような点で、私たちが、進歩的市場主義、進歩的競争主義、進歩的自由主義をきちんと設計して大衆に接近するべきであって、結局、そこで成否が分かれるのではないだろうかと思います。
白承憲 現在、私たちの政治的な地形の上で、選挙の局面で実際的な競争を可能にするためには、政権勢力に対する批判、反対勢力が一定部分連帯する必要が提起されますが、制度的には勝者独占の構造が、地方自治体から大統領選挙まで一貫して貫徹されているという問題があります。進歩改革陣営の政治綱領や政策が似ていて、人物面でも疎通が可能な部分があったとしても、現在の制度では連帯が容易ではありません。これらの選挙協力や候補単一化の問題などには、その戦線を追求したり強制する要素と、それに躊躇したり反対するように仕向ける要素がつねに混在しています。李明博政権に対する反感が高まって大衆的反感が爆発する時期には追求する要素が高まり、小康局面に入れば躊躇して、既存の政党構造通りに流れるという様相が繰り返されてきました。蔚山(ウルサン)北区の補欠選挙を除いて、これまでの2年間、この部分でソウル市教育監の選挙と京畿道(キョンギド)教育監の選挙という2つの例がありました。前者の例は、大衆運動の爆発期にも政治勢力の間の充分な議論と、節度があり計画性のある対応、また市民社会との結合が弱ければ選挙結果は敗北に終わるということを示した反面、京畿道教育監の選挙はそれと対比できる要素をかなり示したと思います。
それを見て、意味ある連帯を可能にするためには、次の3点が準備されるべきだという気がします。第一は、政策レベルで最低限の共同ビジョンと異なった意見の処理方向が同時に議論されるべきであり、第二は、司会者も言及されたように、勢力連合、選挙連合、政策連合の枠組を形成する作業が必要です。そして最後に、具体的な選挙時期の作動原則、つまりルールの合意です。公正なルールが前提にされるべきです。このように複雑にさまざまな条件が満たされるべきなのは、いくら反・李明博戦線の正当性が強調されても、現実的に進歩改革勢力の中の分派の恒久的な統合が成立しない以上、彼らの間の利害調整が必要だからです。この連合において多数党は現実に比べて過度に譲歩するのではないかという疑問を持ち、少数党は連合が多数党の競争力強化に帰結するだけで、鮮明性の維持や独自政党としての発展にとって障害になるだけではないかと考え、不安に思わざるを得ないからです。このような問題を克服するためには、政党だけに任せておいてはだめで、知識人社会や市民社会運動もやはり各自の立場によって直接・間接の関与と介入、後援と批判を進める必要があります。
周大煥 私が、代案であり、かつ私たちの勢力内の葛藤を治癒する方法として提出したのが、世界観と政治哲学としての社会民主主義です。既存の進歩、NL(民族解放)、PD(人民民主主義)のような旧進歩勢力を革新するとどうなるのでしょうか。それが社会民主主義なのです。それと対をなしながら、改革陣営でも革新するべきだと思います。ケインズ(J.M. Keynes)は革陣党院で労働党員ではありませんでした。どういうことかというと、革陣営で陣営でも現在の韓国社会の課題、特に韓国が先進国の入口におり、アメリカ型先進国かヨーロッパ型先進国かという岐路に立っているという事実を確実に認識して、民主化闘争期の情緒や考え方から脱皮すべきだということです。国民が格差社会のために最悪の状況であると感じている時、改革陣営は生活の問題にこれといって関心のない集団であるかのように映るような旧態を脱するべきだと思います。そうしてこそ両者の接近が可能です。
そして結局は、同じ政党になることが避けられないと思います。それには韓国の制度的問題もあり歴史的背景もあります。アメリカやイギリスや小選挙区制を実施する国々を見るとすべて二大政党制です。韓国も基本的には60年間、二大政党制をとってきました。ですから、一言でいってアメリカの民主党か、イギリスの労働党か、という択一の問題なわけですが、イギリスの労働党がさまざまな社会条件で不可能ならば、アメリカの民主党のような単一政党に進むことが望ましく、必然的にそれしか方法がないと思います。ですが、そのように進む時、コンテンツが問題だと思うんです。つまり、現代的な政治理念と豊富な未来ビジョンを持った「社会主義+自由主義」の政党を作って、地域主義の保守政党にすぎない韓国の民主党に取って代わるしかないと思います。
金大鎬 進歩が歴史の主導権をどのように握るかということと関連して考慮すべき基本的な変化の要素があります。嶺南・湖南〔慶尚道と全羅道〕という地域対立の構造もありますが、それよりとにかく投票すれば進歩改革の側に25~30%、保守も基本的に35%は持っていきます。結局、その中間が問題でしょう。ここで私は党派性を明確にする必要があると思います。進歩は違った見方をすれば、それぞれ店を開いているのに、問題は店に客がいくらも来ないということです。そのうえ最も重要な顧客を迎える店がありません。さきほども申し上げましたが、ベンチャー中小企業や専門職や青年勢力、挑戦する非既得権勢力、ホワイトカラー、会社でいえば、管理技術職、企業エリートらの利害と要求を代弁する政党がありませんか。ですから、その部分に対する党派性を明確にする政党が存在するべきだと思います。
また一方で実力がなければなりません。経済・金融の運用能力とスケールの大きな国家デザイン能力がなければなりません。ですが、私たちは事実、それが苦手です。経済と関連して、実力のある集団に変わらなければならず、他方ではあちらで清渓川(チョンゲチョン)開発やバス中央車線制のようなことを議論するように、私たちにも何かそのようなものがなければなりません。人々の期待に答えられるようなことです。これは公正と公平の領域ではありません。文字通りデザインの領域ですが、ここでも実力ある姿を示すべきです。もう一つは魅力的な存在になるべきです。人々は実際に、盧大統領が自分のことを「バカ盧武鉉」であると言っていて魅力を感じていたのです。魅力は党派性の領域でも科学性の領域でもありません。それ自体として引かれるようなものであるべきで、私が見る時、韓国の進歩勢力は盧武鉉以後にこの魅力を完全に欠落させているようです。これから魅力を確保してこそ、数百万の有権者を進歩と改革の側に引き込むことができるだろうと思います。
最後に申し上げたいのは、韓国社会の激しい分裂と対立が簡単に解決できないということです。一緒にやればいいのに誰がそれを理解できないのでしょうか。民主労働党と進歩新党がそうでしたし、盧武鉉政権のもとでも協力して達成できたものがあまりありません。繰り返しになりますが、韓国の正規職とパートタイマーの関係も、大学の専任教員と非常勤講師の関係も普通ではありません。双龍(サンヨン)自動車の事態に見るように、塗装工場という巨大な爆発物タンクに数百人が籠城して、おまえも死んで自分も死ぬというような闘争をしている国も、韓国以外には見当たらないでしょう。使用者側と政府は労組に対して、苦痛を分担し堪えれば、数年のうちに大宇(テウ)自動車のように復職できるという確信を植え付けるべきだったのですが、残念ながら、頭の痛い労組をこの機会に完全に整理してしまおうという形で対応してしまいました。それだけ妥協、折衝、合意が難しいということです。結局は分裂と対立を一度に越えることはできません。ですから、白承憲会長のおっしゃるように、それを認めた状態で互いに協力する技術を習得すべき段階なのです。そのときの核心はゲームの規則です。いいゲーム規則は熱心にやれば少数が多数になることがあるという、そのようなものです。ですが、私たちの社会のゲーム規則は大部分そうではありません。ですから、まず公正で公平なゲーム規則を作ることが鍵だと思います。
金鍾曄 みなさんがおっしゃられた内容の中に、互いにつながる部分がかなりあると思います。白承憲会長がおっしゃった、異なった意見を処理し協同する能力は、進歩改革陣営が練習するだけでなく、自分たちが問題解決集団であることを大衆に提示することにおいても重要だと思います。周大煥代表はアメリカの民主党のような政党が必要だとおっしゃいましたが、ならば今の韓国の民主党はもう少し左の方に進むべきであり、進歩政党はもう少し右の方に行くべきです。内部の違いは党内の論争グループとして競争するべきであって、進歩政党の分裂のように分派主義的では困ります。また金大鎬所長がおっしゃるように、そのような政党が、現在、左右の間にいる30%ほどと思われる流動的な集団を受け入れるような、勢力連合を構築するべきでしょう。私はこの3つの議論をうまく整合することが必要だと思います。
また勢力連合と関連して、統計が示すことがいくつかあるようです。嶺南・湖南の人口減少で既存の地域の亀裂は弱まっているように思えます。ですが、その弱化とともに、過密になった首都圏から首都圏中心主義が形成され、「首都圏」対「地方」という新しい地域構図が生じています。世代的な亀裂の場合、20代の保守化に見られるように一貫性が弱くなっているようです。これに比べて階層的な亀裂の方がはるかに重要になりました。現在、階層的な亀裂は、政治的な指向と逆につながる場合が多いですが、このような問題の解決を含め、いまや勢力連合において首都圏と階層亀裂に注目する必要があります。労働者中心主義から脱皮し、自営業者や失業者を多数含む非経済活動人口、青年失業者を支持者にすると同時に、自らの知識や技術、能力に自信があって競争的なホワイトカラー層の価値観と結びつく社会的ビジョンが重要であると思います。そのような集団を捉えるようになるためには、ビジョンや政策に加えて、リーダーシップ、あるいはさきほど話された魅力のような問題が重要になるでしょう。
白承憲 リーダーシップの部分で魅力についてお話しされましたが、私はリーダー個人の魅力だけでなく、進歩改革勢力にも魅力があるべきだと思います。個人でも集団でも魅力は重要ですが、リーダー個人の魅力を強調していると、リーダーシップ輩出の個別性と偶発性をあらかじめ前提することになります。今でも政治領域以外において成功の神話を持った人々がまったくいないわけではありませんが、はたしてその分野の神話が政治領域の神話につながるかについて、すでにいくつか手痛い失敗を経験したではありませんか。そのような意味でむしろ真剣に悩むべきなのは、リーダーシップの構築過程についての合意です。口頭で行う合意というよりは、一個人が最初に参加者の状態からリーダーシップ構造をのぼっていく過程が一挙に成立することは容易でないことを認め、そのリーダーシップの推薦および検証の過程を、綿密に、できれば完璧にすることで、どのような人になろうと、その勢力の中心人物として立てるようにするべきでしょう。
周大煥 魅力ということでいえば、朴槿恵(パク・クネ)氏のような人がいませんが(笑)、それはひっくり返そうとすれば一日でひっくり返るものですからね。ですから、私は人物の問題をさほど大きくは考えません。現在の国民は、特定の人物を何も考えずに信じて従うほど純真でもありません。
中道主義の戦略と新たな思想・理念の提起
金鍾曄 時がくれば、どのような方法でも人物が出てくるだろうと考えて先送りするのではなく、リーダーシップの問題を着実に提起することが必要です。白承憲会長のおっしゃるように、リーダーシップより重要なのは勢力連合の問題です。これと関連して、世代や階層のような要因を深く検討すると同時に、彼らを包摂する路線を提起することも重要だと思います。『創作と批評』誌はこれと関連して「変革的中道主義」を主張してきました。それは、分断体制という状況を考慮すれば、朝鮮半島レベルの大きな変革を成し遂げる課題と、韓国社会の民主主義の拡張・深化が結びつくべきですが、そのとき私たちは、中道的なものの方がむしろより変革的であると考えるからです。たとえ私益追求的で賎民的であっても、財閥―保守マスコミ―ハンナラ党―ニューライトと関連する韓国社会の保守ブロックの資源は、そのように無視できるレベルではありません。彼らの抵抗を越えるためには、中間層はもちろん、合理的な保守主義者までをも包摂する、幅広い中道主義が必要な状況であると思います。金大鎬所長も著書で「戦闘的中道主義」という言葉を使われましたが、どうお考えでしょうか。
金大鎬 おっしゃられた内容に大きく共感します。国民は自由、開放、豊かさ、平等、安定、福祉をすべて要求します。この諸価値が共生的に結びつくためには、中心に正義が存在するべきです。鳥は左右の翼で飛びますが、翼は胴体についています。胴体が公正、公平と自制、寛容を体化してこそ、はじめて右には自由と開放が、左には平等と福祉が、力強く羽ばたきながら偉大な国に向かって飛翔するのではないでしょうか?
今、韓国は中道の役割が非常に大きいと思います。中道は既存の左派的価値と右派的価値の単純な折衝ではなく、これを一段階高める統一でなければなりません。端的にいって、福祉に関しても、中道は既存の進歩よりはるかに強く主張できます。なぜなら確実に市場と競争を活性化させるためでしょう。また福祉を強化するために、市場に対しても、現在、保守よりはるかに前向きに進むことができます。とにかく左派より左派的価値をさらによく具現し、右派より右派的価値をさらによく具現してこそ、真の中道であると思います。そうしてこそ左右二つの戦線に耐えられる大衆的な支持勢力と戦闘性が確保できます。そのような点で中道が真の進歩主義であると言えます。これは韓国では未開拓の分野です。「新大陸」であると表現してもかまわないと思います。
周大煥 金大鎬所長がかなり独自の解釈をしましたが、私は何度もその話を聞いて論評したことがあります。今日も同じことを感じますが、金所長はやはり正解を語りたがっているようです(笑)。ですが、政治は正解を語るものではありません。正解というものは、歴史が流れれば、結局そのように進むことになるのです。左に行ったり右に行ったり屈曲を体験しているようですが、結局、一つの道に進むことになるんです。そのとき左だ右だ、あるいは進歩だ保守だという人々は、自分の考えをはっきりさせるべきです。一貫した哲学を語るべきだということです。ですから変革的中道主義に対する私の解釈は少し違います。
右派的価値と進歩的価値を合わせれば中道になるわけではないと私は思います。中道は本来、仏様の教えから出た用語ではないでしょうか? ここで「中道」というのは「正しい長さ」という意味です。ならば、進歩、または変革の道に進むけれども、正しく進むことが変革的中道主義ではないでしょうか? 私が考えるのは、まさに政治哲学としての社会ならば、、すでに形成されている社会出た用しての社会ならば、ではなく、政治哲学としての社会ならば、が、本来、変革的中道主義であるということを自ら一度語ってみたいです(笑)。
金鍾曄 いい話がたくさん出たので、さらに続けたいのですが、時間の関係上、まとめに入らなければなりません。最後に一言ずつおっしゃって頂ければと思います。
白承憲 もう一度、冒頭の話題に戻って、進歩改革陣営の自己反省について話したいと思います。省察をするには力も必要です。昨年のろうそくデモや今年の盧大統領逝去以降の追悼の熱気は、改革進歩陣営の省察に必要な力を感じさせたと思います。もしそういう共同の体験がなかったならば、敗北主義から相当の間、抜け出すことができなかったでしょうし、肯定的な省察を妨げたでしょう。ですが、これも行き過ぎれば反省の必要性に鈍感になります。特に共同の誤りに対して自分の責任逃れをするような、アリバイを作ることになるおそれがあります。過去に対する省察と今後の模索において、みな自分を含めた全体に対する考慮が伴うべきでしょう。
周大煥 87年体制論についても話したかったのですが、時間になりました。私は実は87年体制論にそれほど賛成していません。私は何でも簡単に賛成しないんです(笑)。私は87年以降が民主化の過渡期であると考えてきました。ですから、もう終わっていると考えています。2002年、あるいは2007年には終わっていたと思います。いずれにせよ短期に終わる過渡期だったので1つの体制であると言えそうです。20年は長い歴史から見れば何でもありません。私は韓国がこれまで開発独裁で正常な資本主義社会になったのだと思います。私が常に「普通の資本主義国」と話していた状態のことです。よく保守の側では産業化と民主化が成就し、先進化の段階が到来したと言っています。私は彼らの表現にそのまま従うことはありませんが、民主化の過渡期は終わっていると思います。ここで重要なのは韓国の資本主義の持続的な発展という現象です。それとともに福祉国家の物質的条件こそが最も重要ですが、それが形成されたのです。そして同時に資本主義の矛盾が爆発的に出てきています。今後の方向の模索において、私たちはこの事実をさらに深く掘り下げるべきです。
金大鎬 ギリシャやローマの遺跡地を見ると、廃虚の上に柱がいくつか立っているじゃないですか。今、私たちの進歩の思想・理念の姿は、あのような廃虚に似ていると思います。残った柱は、たとえば私たちが学んだ体系、つまりマルクスやレーニンやクラムシなどですが、屋根は吹き飛んでしまい、柱にあたるものだけがいくつか残りました。たとえば、アメリカに対する非常に複雑な感情、資本主義や市場主義に対しても大きな反感が残りました。また北朝鮮に対しても、労組に対しても、80年代的な考え、漠然とした親和感が残っているということです。柱だけがいくつか残っている思想・理念体系を再建築するべきですが、このことができずにいます。
また最も重要なのは、霊的な廃虚ではないだろうと思います。思想・理念というものは基本的に科学の領域ですが、私が見るところ、霊的な問題もあるようです。たとえば私たちが以前、最も好んで歌っていた歌で「愛も名誉も名前も残さず、一生歩いて行こう」と言っていました。これは私が見る時、霊的かつ宗教的な情緒のある歌です。ですが、最近、汝矣島(ヨイド)で見てみると、このような気風が一つもありません。犠牲や献身のようなものが全くありません。みな乞食化していると思います。ですから霊的な疲弊のことを言っているのです。今、進歩連合の支離滅裂になった姿は、マルクス・レーニン主義の破綻におとらず、聖書や仏典や中国の古典に見られる、深い人文学的な内面空白、ないし霊的な価値の不在とも密接に関連していると思います。私はこの部分に特に注目するべきだと思います。
金鍾曄 人文学と霊性についての強調に同意します。ですが、私は、学生運動の「あなたのための行進曲」が、市民の「憲法第1条」という歌に変わるような発展もあったと思います。もっと話したいことがたくさんあるのですが、そろそろ終わりにする時間になったようです。今日の座談はかなり論争的な雰囲気で行われるだろうと予想しましたが、思ったより互いの議論が収斂していくような部分もかなりありました。進歩改革陣営の全般に中道主義についての新たな評価がなされており、実事求是的な作風が育っているためであるという判断です。そのことが、『創作と批評』誌が強調しつづけてきた、分断体制克服のための朝鮮半島的な実践の地平につながるならば、より一層生産的になると思います。
また周大煥代表が最後に87年体制論に言及して下さいましたが、実は今日の議論でその問題を扱えなかったのは司会者の未熟さのためでした。さらに議論したい気持ちですが、そうできずに残念です。ただ私は、87年体制を、民主主義プロジェクトと自由主義プロジェクトが互いに対立し競争して、相互に膠着状態にある体制であると考えており、そのような意味で単純な過渡期ではないと考えています。ですから、87年体制は「民主化の過渡期」であり、すでに終結したのだという周代表とは意見が違うということを申し上げておきたいと思います。今日の私たちの議論で、金大鎬所長が主張されていた進歩的自由主義と、それの持つ説得力の源泉、またそのような立場と社会民主主義の結合の必要性を力説した周大煥代表の見解は、むしろ87年体制論の中でさらにうまく解明できると思います。また87年体制は、分断体制との複合的な関連を中心的な主題とし、その点でも私たちの議論と深くつながります。最後に、民主化、または民主主義が、社会民主主義と内的につながるだけでなく、そのようなつながりなくしては、社会民主主義が現実的な力を持つことは難しいのではないかと思います。ですから、私は、社会民主主義者が民主化の問題に対してさらに深く悩んでくれたらと思います。周大煥代表が87年体制論のことに言及され、私のまとめの発言が長くなり、新たな論点を投げかける形になりましたが、このような問題に対して議論する機会が次回また来ること祈りながら、これくらいで終わりにしたいと思います。長時間、熱心に議論をして下さったみなさんに深く感謝申し上げます。(*)
訳=渡辺直紀
季刊 創作と批評 2009年 秋号(通卷145号)
2009年9月1日 発行
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