창작과 비평

[座談] このような社会、このような政治を私は望む②

 [座談]  ①

 


保守と進歩の談合構造?

 
 
金大鎬 さきほど周大煥代表が、省察の方法として国民の目で見ようとおっしゃいましたが、進歩改革の人々のことも国民の目で見ればデモ勢力として映ります。これは悪い意味があるだけではありません。デモ内容を見れば、法を守ってきちんとやろうというものがあり、生存権闘争のためのものがあり、利益集団が自らの取り分を要求するものがあります。80年代から90年代初期までは、これらがすべての面で、進歩、改革、民主主義を発展させる力として作用したと思います。ですが、時間が流れ、国民の目には、相当数のデモ勢力が、初めは奪われた自分の取り分を獲得しようとする側でしたが、いつの間にか他人の取り分を奪う存在として映り始めました。進歩と改革と民主を前面にかかげた集団が、いまや余剰と地代を受け取る者となったり、その幇助者の一部になったりしたのです。そのような点が、進歩の主力部隊にはよく見えないけれども、中小企業やパートタイマー、青年失業者の目で見ればよく見えるのです。


もう一つは、私たちは民主主義を前面にかかげたじゃないですか。民主主義の核心は分権と自立、対話と妥協といったものですが、なかでも分権と自立は、力強い利益集団が自らと関連する価値生産集団を搾取する危険もあります。国民の立場では、財閥と保守利益集団に搾取され、その次に大企業労組のような進歩利益集団にも搾取されるようになったのです。私は2007年と2008年に国民は充分に相応の選択を行ったと思います。国民の目で見る時は、盧武鉉に象徴される改革勢力と、民主労働党、進歩新党、市民社会団体に代表される進歩勢力は、みなデモ勢力であり、大きな違いはありません。彼らはみな世の中が変わったことを知らず、国民の考える進歩と改革の新しい方向をよく理解できていない勢力のように映りました。ですから、前回の大統領選挙と総選挙で、デモ勢力とは全く異なる面を一度前面に出してみようと考えたと見るべきです。ですが、相当数の進歩改革支持者は、国民があまりにも気後れして、このような現象が広がったと考えているようです(笑)。

 
金鍾曄 公的利益を侵食して私的利益を享有する主要集団が保守勢力だったのですが、進歩改革勢力もそこに下位パートナーとして参入し、ある意味でそこに共生する談合構造を作り出したということでしょうか。社会運動に献身してきた進歩陣営の人々が、そこまで準備していたとは考えられませんし、労働者集団の中でも一部を除けばそうすることは難しかったと思います。もちろん、その一部の労働者集団の影響力がとても大きいことが問題なのですが、とにかく私は、進歩陣営のビジョンにある種の脆弱さがあったのでないかという気がします。

 

周大煥 さまざまな面があるでしょうね。国民が感じるところでは、今、すぐに痛いところを処方するスタイルで接近せず、一般的な話だけを繰り返す形だったと思います。これは政治家だけがうまくやって解決できることではありません。金大鎬所長もおっしゃいましたが、国民はみな同じではないかと考えるんです。進歩を叫ぶ人々は、政党だけでなく、他の二つの勢力によっても代表されています。一つは現代(ヒョンデ)自動車をはじめとする巨大労働組合です。これがストライキするというニュースがテレビに一度出てきてしまえば、民主労働党でも誰がいくら努力しても効果がありません。その努力や成果がある日いっぺんに吹き飛んでしまいます。もう一つは、いわゆる「在野」を自称する方々がカジュアルな韓服を着て出てきてデモを続けることです。国民は、この方たちがブレーキ作用をするという面でその価値を認めることはありますが、格別にビジョンがない人々で、信じて任せるほどの人々ではないと見るんです。ブレーキというのはハンドルやエンジンとは役割が全く違うのです。

 

金鍾曄 盧武鉉政権の評価の中で、進歩改革陣営の問題にまでなりましたが、評価問題について整理してみたいと思います。盧武鉉大統領の悲劇的な逝去が重要な契機なので、そのような面はありますが、盧武鉉政権に対する大衆の評価は劇的な転換を示しているようです。盧大統領逝去後の情緒を見ると、多くの人々が2002年の心情に戻ったのではないかと思います。「あの人に私たちがかけた夢があった」――そのような気持ちを思い出したんです。そして盧大統領が失敗しようがしまいが、彼の意図に一貫性があったことを認知するようになったようです。

 

とにかく、国民に今でも感動的なのは、盧武鉉大統領が大統領選挙の時に約束した「反則と特権のない世の中作り」でしたが、それがポジティブなビジョンではなかったという気がします。反則と特権をなくして、どのような世の中を作るというのかが曖昧です。そして、反則と特権をなくすことが、国民の暮らし向きをよくすることとつながるのだと提示されることもありませんで」でし国政運営とが同様の面があったようです。ネガティブ・キャンペーン、そ出発するとしても、それがポジティブなビジョンに流れるようにするべきだったのですが、そのようにはできませんでした。

 

金大鎬 盧武鉉大統領の核心的な価値は、原則と常識が通じる世の中で、反則と特権を打破することでした。特に日和見主義、権威主義、地域主義の打破――これらはみな原則と常識に含まれる話です。国民はなぜ2006年に背を向けて、盧大統領の逝去後にまた爆発したのでしょうか。おかしなことではありません。李明博政権になってからは無原則と非常識が大半を占めます。盧武鉉政権の時は反則、特権、日和見主義、権威主義が「警官」の顔色を見て暗い夜道や裏路地をさまよう不良少年の身分になりました。ですが、李明博政権になって、この裏路地のチンピラたちが一度にどっと出てきて、前職警官を、護民官を打ち殺したんです。だから民心が爆発したのです。ですが、それ以前はなぜ背を向けたかといえば、人々は反則と特権のない世の中を基本と考えたのです。それを基本にして法的・制度的な不正を含む総体的な構造改革を要求したのですが、盧武鉉政権とデモ勢力はこれにきちんと答えられませんでした。今も同じではないでしょうか。ただ李明博政権と保守連合の無能さと反動性が出現して、反射利益を享受している面はありますが。

 

金鍾曄 ビジョンがあってこそ、大変で苦しくても人々はついて行けるのですから、それを具体化することが必要でしょう。金大鎬所長の主張に照らしてみても、今回は追悼する民心が爆発しましたが、代案的なビジョンが提示されなければ、またその熱気が枯れてしまうのではないかと思います。ですから、代案的で大衆的な共感が得られるビジョン、すでに話が出たように、私たちの社会構成員の指向と特徴に合った、そのようなビジョンがどのようにすれば準備できるのか、その点についてお話し頂けるでしょうか。
 

韓国で社会民主主義のプロジェクトは可能か

 
周大煥 私は社会民主主義と福祉国家――この2つのキーワードで活動しています。そして、これが現在の野党、あるいは進歩改革陣営の主要なビジョンとして位置付けられてこそ、国民に希望を与え信頼を得ることができると思います。今、韓国人は、途方もない競争や個人に与えられた無限責任に疲れています。いまや連帯の社会と共同体的な価値の復活を願っています。ヨーロッパの先進諸国を羨望のまなざしで眺めています。私が強調したいのは、韓国が世界史の最先端を歩いていないということを、知識人らが明確に認識すべきだということです。韓国という国もそうですが、また韓国の進歩であれ保守であれ、先進社会を遅まきながら追撃しているところです。私たちが後発者の利益を享受できるという有利な点もありますが、一方では私たちの思い通りにビジョンを作り出せないということもあります。どういうことかというと、金大鎬所長は普段「公平主義」ということをおっしゃいますが、私は実はそのような話はナンセンスではないかと思うのです(笑)。今、進歩陣営内でもチョー・ヒヨン先生やソン・ソクチュン先生のような方々が、それぞれ創造的な名称をつけたビジョンや路線をかかげています。ですが、このようにしていては商売にならないと思います。公信力のあるブランド一つだけで行くべきです。韓国の土壌に適用するならば、内容は結局、韓国化せざるを得ませんが、世界的に公信力があって歴史的に検証された旗を掲げるべきです。韓国の学者らがよく、世界の一流左派知識人の真似をしたがるからかもしれませんが、社会民主主義は古いもの、昔のものであるといいます。そんな時、私はもどかしく思います。私たちが今、社会民主主義を古いものとして捨て去ってしまえる立場いるのかということです。

 

金鍾曄 指向されるところを単刀直入に「社会民主主義」「福祉国家」であるとおっしゃいました。社会民主主義が古いものではないとおっしゃいましたが、周大煥代表の著書を読んでみると、社会民主主義の根源を韓国社会の内部から見出そうとされているようです。たとえば農地改革を実行した人が李承晩政権の初代農林部長官・曹奉岩(チョ・ボンアム)であるという点を強調して、そのような観点で大韓民国の建国初期から社会民主主義の根源が存在したとお考えのようです。結局のところ、社会民主主義というブランドが簡明かつ公信力があると評価するだけでなく、その内容を韓国的な土壌に根付かせようとしているように思われます。

私も社会民主主義プロジェクトの具体的な政策が作動するかしないかという問題よりは、韓国社会の強力な平等主義が社会民主主義と通底するという点に注目すべきだと思います。ですが、韓国における平等主義は、周代表が強調する農地改革だけでなく、植民地や戦争にもその根源を置いています。私たちの平等主義は灰燼のうえに形成されたという面も大きいということです。このような平等主義は社会的な連帯感を総体的に破壊したうえに成立したものだと思います。私はこのような現象を「連帯なき平等主義」と命名したことがありますが、そのような意味で韓国社会では、社会民主主義のための一つの土壌が準備される過程が、もう一つの土壌である連帯感が破壊される過程と同時であったということでしょう。そのうえ南北朝鮮の分断体制の形成のなかで、韓国には途方もなく右翼偏向的な社会が形成されました。そして分断体制下の反共主義的な国家はひとことで「人をだめにする」ものであったために、社会の構成員は公共的に問題を解決するよりは個人的に適応しようとする性格の方が優勢です。ですから、私は、社会民主主義の文化的な土壌がそのように豊富なわけではないと思います。

周大煥 そうですね。なにしろ税金をあまり出そうとしませんから……それが最も難しい問題だと思います(笑)。それが一番大きな障壁です。ですが、私はそれも楽観しています。私がよく聞く話に「あなたはスウェーデンの話をよくしますが、スウェーデンと韓国は完全に異なる国だ。だから、スウェーデンのような福祉国家モデルは韓国に導入できない」というものがあります。ですが、私は考え方が少し違います。これまでの30年を見てみましょう。30年前の今日、私たちが享受しているこれほど豊かで自由な社会を想像できたでしょうか。もちろん李明博政権になってかなり後退していますが、それでもこれほどの国に自分が暮らすだろうとは考えられませんでした。同様に今後30年後に韓国がどのようになるかは誰も大言壮語できないと思います。韓国ほど変化が激しい国で、国民が今日、福祉国家を望んでいるのに税金を出さないからといって、明日も同じだろうと断定することはできないと思います。

白承憲 私は国民に支持される進歩改革の議論をする時、まず2つの条件を前提にするべきだと思います。第一に、進歩と改革を合わせても、それよりはるかに強固な保守陣営が存在するということでり、第二に、改革と進歩陣営のなかで、議論の上では可能なレベルの同意が、現実には簡単に成り立たないさまざまな事情があるということです。この2つの条件を前提にしてこそ、むしろ共感を拡げていくことができるだろうと思います。

さきほど社会民主主義に言及されましたが、周大煥代表のおっしゃる社会民主主義の理念の有用性は、それを理論的に定式化する活動としてだけでなく、それが改革進歩的な価値観に対する社会的同意の拡大に寄与するかという点で評価されるでしょう。そのような意味で具体的な政治社会的な現実をめぐって語る時、私たちみなが低いレベルの連帯、低いレベルの同意に対する訓練が必要だと思います。これまで改革進歩陣営で痛切に省察してきたことの一つは、小さな違いを越えて政策レベルで合意することに無能だったということです。この点について相当数の国民の反感が存在するようです。低いレベルの同意にもとづく実事事是的な共同の努力が、労働現場や汝矣島(ヨイド)の政治の現場などでどれほど具現してきたかは疑問でしょう。私が属している法曹の領域も例外ではないという点で自省する部分でもあります。

金大鎬 私は、社会民主主義的な福祉を追求するにしても、これまでに蓄積された経験を参考にするべきだと思います。換言するならば、韓国は現在、ケインズ主義的な旧福祉国家の解決法と、「社会投資国家」として定式化された新福祉国家的な解決法がともに必要だと思います。サッチャーとレーガンが福祉国家を破壊したといいますが、当時の公的支出が、イギリスの場合には80年代中ずっとGDP17%レベルを維持しました。アメリカは13%レベルを維持しました。韓国は2003年現在、退職金の部分を取り出せば5.7%にしかなりません。私たちの公的社会支出は、サッチャーとレーガンが新自由主義でそれを削っていた時に比べても、その3分の1程度にしかならないんです。当然、公的社会支出を増やすべきです。また福祉後発国として、先進国の経験を教訓に、福祉支出の社会投資的な要素にも注目するべきです。青年、失業者、児童に対して投資を拡大するべきだということです。

ですが、社会民主主義的なビジョンの限界がここで出てきます。端的にいって、韓国で貧困児童や青少年に対して国家が教育費や社会投資をするとしましょう。すると、どのようなことが起こるでしょうか? おそらく公務員試験をはじめとする各種試験の底辺が拡大してしまうでしょう。イギリスやスウェーデンのような国ではこのようなことは発生しません。公務員という職業が享受する特権がさほど大きくないからです。社会投資は結局、労働供給関連の解決法です。良質の労働力になる機会をより多くの人々に提供しているんです。ですが、韓国は、労働需要領域である大企業、公企業、政府、大学、専門職の世界がきわめて不合理かつ不健全な構造です。中小企業に入社するか、大企業や公企業に入社するかによって、ひとりの運命が変わるのです。ヨーロッパやアメリカはそうではありません。ヨーロッパの進歩や社会民主主義は、実際に労働供給に関連する解決法だけに専心すればいいのですが、韓国はこれに加えて労働需要と関連した解決法、つまり市場政策まで合わせて検討しなければならないんです。私が「公平国家」を主張する理由はこのためです。

 

公正と公平―同じであるべきは同じに、違いを持たせるべきは持たせ

 

金鍾曄 金大鎬所長の公平国家論についてあまりよく知らない読者もいるかもしれません。私の理解が正しいならば、公平国家論は、国家の優先的な責務を、社会生活のゲーム規則を確立することと考えて、その規則が人間の創意と情熱、協同を引き出せるように、機会の公正さと結果、ないし補償の公平性を備えるべきだというものです。この点が今、韓国社会の核心的な課題であるとお考えのようですが、もう少し脈絡化し説明しながら、議論を続けて頂ければと思います。

金大鎬 私は、東西古今を問わず、ある社会の成長と統合の基本は、ゲーム規則、あるいは社会的な賞罰体系であると思います。一言でいって、享受できる人は享受できるようにし、配慮すべき人には配慮し、同じであるべきことは同じにし、違いを持たせるべきことは違いを持たせるということです。現代国家の賞罰体系の核心は、競争機会と条件ないしスタートラインの平等である「公正」と、競争結果の合理的な不平等である「公平」を具現することです。公正が競争の入口を管理する基準であるとすれば、公平はその出口を管理する基準です。公平が問題視するのは勝者独占の現実でもあり、さほど寄与しない者があまりにも多く享受する現実でもあり、社会的弱者や敗者があまりにも少なく配慮される現実です。これまでの韓国の民主化運動と進歩運動は、同じであるべきものを同じにすることには努力を傾けて前者独占が、違いを持たせるべきことがどのような条件でどれくらい異なるべきかについては、ほとんど関心を傾けてきませんでした。ただ「団結すれば力が生じ、闘争すれば勝ち取る」という信念で動いてきました。もちろん公平の問題を検討しないのは保守も同じでした。彼らは単に、有能な私的存在の自由保障と結果に対する承服だけを強調してきただけです。進歩も保守もともに公平の問題について検討しなかった結果が、今、韓国社会が直面している途方もなく大きく不合理な格差です。

にもかかわらず、公平国家が、人々、特に社会的弱者の期待と感動を引き起こすことは難しいと思います。公平国家は中国の韓非子の思想と一脈相通じますが、2000年もの間、韓非子が儒家によって「斯文乱賊」扱いされてきた理由があります。ですが、歴史的に成功した君主は、表面では孔子と孟子を評価しても、心のうちでは例外なく韓非子思想を体化していたと思います。つまり、公平国家は、共和主義や社会民主主義のような、少し暖かくて格好いい思想の中に内蔵されるべき核心価値、ないしは哲学であるということです。

公平国家の観点から見た時、進歩改革勢力の党派性は明確です。私は韓国社会の物質的生産力を先導し体現する集団、すなわちベンチャー中小企業家やホワイトカラーのように、各種の競争制限障壁によりかかろうとしない、健康な専門職や青年世代の利害と要求を代弁する政党がはたして存在するのか聞いてみたいです。ハンナラ党ではありません。彼らは基本的に財閥、大企業側ですから。民主党でもなく民主労働党でもありません。ですから、物質的・文化的生産力を先導し体現する存在を代弁する政党がないということです。いやしくも進歩改革勢力を自認するならば、このような集団や、最も劣悪な環境にあるいわゆる「3非」階層―非経済活動人口、非正規職(パートタイマー)、非賃金労働者から支持を得るべきです。アメリカのオバマの支持層はそうなっているようです。ですが、韓国の政党にはこのような階層を代弁するところがありません。そのような点で巨大な政治空間が空いたままの状態です。私はまさに彼らが、盧武鉉に投票したり李明博に投票したりしながら浮動して、現在は空の巨大な雨雲となって浮動しているのだと思います。とにかくこのような層の利害と要求を代弁しようとするなら、右派の特技である市場主義政策と左派の特技である国家主義、ないし社会民主主義的な解決法を結合させるべきだと思います。大雑把に言えば「左派新自由主義2.0」または「右派社会民主主義1.0」のような解決法を作り出せば、巨大な民心の雨を、私たちの方に降らせることができるということです。

周大煥 そのような政党や政治勢力が、言ってみればアメリカの民主党のようなものになるでしょう。盧武鉉大統領が最後に研究して遺稿に書き残した「進歩主義研究」という主題がありますが、その進歩主義がアメリカではリベラルです。リベラルを韓国語に翻訳する時、「自由主義者」とすれば意味が変わるので、悩んだ末に学者が「進歩主義者」と翻訳したようです。晩年の盧大統領が勉強した進歩主義とは何か。私はそれを「大西洋を渡った社会民主主義」であると規定し。リベラ私はこれが一つの接点になるだろうと思います。言ってみれば哲学的には自由主義主義」金大鎬所長がお話しになった、市場に重点を置く人々と福祉国家に重点を置く人々が出会える接点になるだろうというものです。ですから、それを進歩主義といおうと何といおうと、私たちがよく口にする社会主義と自由主義という2つの大きな政治思想が、今の状況でもしかしたら政治的に力を合わせることができるかもしれないという考え方です。

金鍾曄 お二人は互いにかなり違うと思っていましたが、突然仲が良くなられたようです(笑)。

周大煥 それは政治戦略的にそうなのです。もちろん私たちの社会のビジョンという点で話をするならば、実際にかなり違うと思います(笑)。顧客が希望するならば、同じ食堂でラーメンとジャージャー麺を一緒に売ることもできます。国民が希望し大衆が希望するならば、アメリカの民主党のような「自由主義+社会主義」の政党を作って、保守主義に対抗することもできるということです。

金大鎬 韓国社会では、福祉主義だけでは支持率が35%や40%を越えることは難しいと思います。ですから、福祉主義を基本にすると同時に、市場主義ないし競争主義を合理的にきちんとさせることを強調する時に、過半数の支持率が出てくると思います。そのような点で優先順位において若干、差があり得ます。

金鍾曄 私も公正と公平という価値が韓国社会において重要だと思います。韓国社会がそのような感受性の弱い社会だからということもありますが、金大鎬所長もおっしゃるように、一方に過小競争と過小市場があって膨大な地代受取層が存在し、他方に過剰競争と過剰市場があって多数が激しい苦痛を受けている実情ですので、競争と市場を効率化・均等化して再調整することが必要だと思います。ですが、公平という言葉が価値領域を越え、具体的な政策として実行されるとなると、容易でない問題にぶつかります。公平というのは結局、バランスの問題ですから、そのバランスが正確かどうかという問題が提起されることもあり、社会的な相互比較の領域にくると判定がかなり難しいこともあります。またさまざまな過程を経てこのようなものになったのに、そのような経過を無視して現在を基準にし、公平の尺度だけをあてられるのかという抗議も出てくるでしょう。勢力の結集に関しても難しい問題が提起されます。金大鎬所長は公正と公平を掲げて右派の既得権者とも左派の既得権者とも戦う必要を語られていますが、それは左右を問わず強者と闘争するということで、それによって政治的に孤立する可能性も大きいでしょう。公正と公平はきわめて必要な価値で、また周大煥代表の主張する社会民主主義の土台にもなりますが、政策として具現するのは決して簡単ではないようです。

他方で、私はどのようなビジョンであっても、分断体制を克服するプログラムにつながる必要があるという考えです。なぜならば、冷戦は終わってしまったではないかと反問する人もいますが、韓国社会では相変らず、分断体制に由来する保守的な価値観や制度が、民主主義の発展や進歩改革勢力の発展の障害となっており、保守層ですら合理的集団が形成されにくくなっているためです。また、分断体制をきちんと管理し、一歩進んで少しずつ克服していくことが、韓国はもちろん、朝鮮半島でいかなる社会を作るべきかという問題においても、幅広い自由と機会を提供すると思います。韓国社会にあまりにもNL(民族解放)系統の過剰な民族主義的言説が旺盛で、分断体制自体のもつさまざまな矛盾や問題から、分断体制克服のエネルギーを引き出す言説がさほど広がりを見せない面もありますが、この点についてどうお考えですか?