[座談] このような社会、このような政治を私は望む②
もう一つは、私たちは民主主義を前面にかかげたじゃないですか。民主主義の核心は分権と自立、対話と妥協といったものですが、なかでも分権と自立は、力強い利益集団が自らと関連する価値生産集団を搾取する危険もあります。国民の立場では、財閥と保守利益集団に搾取され、その次に大企業労組のような進歩利益集団にも搾取されるようになったのです。私は2007年と2008年に国民は充分に相応の選択を行ったと思います。国民の目で見る時は、盧武鉉に象徴される改革勢力と、民主労働党、進歩新党、市民社会団体に代表される進歩勢力は、みなデモ勢力であり、大きな違いはありません。彼らはみな世の中が変わったことを知らず、国民の考える進歩と改革の新しい方向をよく理解できていない勢力のように映りました。ですから、前回の大統領選挙と総選挙で、デモ勢力とは全く異なる面を一度前面に出してみようと考えたと見るべきです。ですが、相当数の進歩改革支持者は、国民があまりにも気後れして、このような現象が広がったと考えているようです(笑)。
韓国で社会民主主義のプロジェクトは可能か
金鍾曄 指向されるところを単刀直入に「社会民主主義」「福祉国家」であるとおっしゃいました。社会民主主義が古いものではないとおっしゃいましたが、周大煥代表の著書を読んでみると、社会民主主義の根源を韓国社会の内部から見出そうとされているようです。たとえば農地改革を実行した人が李承晩政権の初代農林部長官・曹奉岩(チョ・ボンアム)であるという点を強調して、そのような観点で大韓民国の建国初期から社会民主主義の根源が存在したとお考えのようです。結局のところ、社会民主主義というブランドが簡明かつ公信力があると評価するだけでなく、その内容を韓国的な土壌に根付かせようとしているように思われます。
私も社会民主主義プロジェクトの具体的な政策が作動するかしないかという問題よりは、韓国社会の強力な平等主義が社会民主主義と通底するという点に注目すべきだと思います。ですが、韓国における平等主義は、周代表が強調する農地改革だけでなく、植民地や戦争にもその根源を置いています。私たちの平等主義は灰燼のうえに形成されたという面も大きいということです。このような平等主義は社会的な連帯感を総体的に破壊したうえに成立したものだと思います。私はこのような現象を「連帯なき平等主義」と命名したことがありますが、そのような意味で韓国社会では、社会民主主義のための一つの土壌が準備される過程が、もう一つの土壌である連帯感が破壊される過程と同時であったということでしょう。そのうえ南北朝鮮の分断体制の形成のなかで、韓国には途方もなく右翼偏向的な社会が形成されました。そして分断体制下の反共主義的な国家はひとことで「人をだめにする」ものであったために、社会の構成員は公共的に問題を解決するよりは個人的に適応しようとする性格の方が優勢です。ですから、私は、社会民主主義の文化的な土壌がそのように豊富なわけではないと思います。
周大煥 そうですね。なにしろ税金をあまり出そうとしませんから……それが最も難しい問題だと思います(笑)。それが一番大きな障壁です。ですが、私はそれも楽観しています。私がよく聞く話に「あなたはスウェーデンの話をよくしますが、スウェーデンと韓国は完全に異なる国だ。だから、スウェーデンのような福祉国家モデルは韓国に導入できない」というものがあります。ですが、私は考え方が少し違います。これまでの30年を見てみましょう。30年前の今日、私たちが享受しているこれほど豊かで自由な社会を想像できたでしょうか。もちろん李明博政権になってかなり後退していますが、それでもこれほどの国に自分が暮らすだろうとは考えられませんでした。同様に今後30年後に韓国がどのようになるかは誰も大言壮語できないと思います。韓国ほど変化が激しい国で、国民が今日、福祉国家を望んでいるのに税金を出さないからといって、明日も同じだろうと断定することはできないと思います。
さきほど社会民主主義に言及されましたが、周大煥代表のおっしゃる社会民主主義の理念の有用性は、それを理論的に定式化する活動としてだけでなく、それが改革進歩的な価値観に対する社会的同意の拡大に寄与するかという点で評価されるでしょう。そのような意味で具体的な政治社会的な現実をめぐって語る時、私たちみなが低いレベルの連帯、低いレベルの同意に対する訓練が必要だと思います。これまで改革進歩陣営で痛切に省察してきたことの一つは、小さな違いを越えて政策レベルで合意することに無能だったということです。この点について相当数の国民の反感が存在するようです。低いレベルの同意にもとづく実事事是的な共同の努力が、労働現場や汝矣島(ヨイド)の政治の現場などでどれほど具現してきたかは疑問でしょう。私が属している法曹の領域も例外ではないという点で自省する部分でもあります。
金大鎬 私は、社会民主主義的な福祉を追求するにしても、これまでに蓄積された経験を参考にするべきだと思います。換言するならば、韓国は現在、ケインズ主義的な旧福祉国家の解決法と、「社会投資国家」として定式化された新福祉国家的な解決法がともに必要だと思います。サッチャーとレーガンが福祉国家を破壊したといいますが、当時の公的支出が、イギリスの場合には80年代中ずっとGDP17%レベルを維持しました。アメリカは13%レベルを維持しました。韓国は2003年現在、退職金の部分を取り出せば5.7%にしかなりません。私たちの公的社会支出は、サッチャーとレーガンが新自由主義でそれを削っていた時に比べても、その3分の1程度にしかならないんです。当然、公的社会支出を増やすべきです。また福祉後発国として、先進国の経験を教訓に、福祉支出の社会投資的な要素にも注目するべきです。青年、失業者、児童に対して投資を拡大するべきだということです。
ですが、社会民主主義的なビジョンの限界がここで出てきます。端的にいって、韓国で貧困児童や青少年に対して国家が教育費や社会投資をするとしましょう。すると、どのようなことが起こるでしょうか? おそらく公務員試験をはじめとする各種試験の底辺が拡大してしまうでしょう。イギリスやスウェーデンのような国ではこのようなことは発生しません。公務員という職業が享受する特権がさほど大きくないからです。社会投資は結局、労働供給関連の解決法です。良質の労働力になる機会をより多くの人々に提供しているんです。ですが、韓国は、労働需要領域である大企業、公企業、政府、大学、専門職の世界がきわめて不合理かつ不健全な構造です。中小企業に入社するか、大企業や公企業に入社するかによって、ひとりの運命が変わるのです。ヨーロッパやアメリカはそうではありません。ヨーロッパの進歩や社会民主主義は、実際に労働供給に関連する解決法だけに専心すればいいのですが、韓国はこれに加えて労働需要と関連した解決法、つまり市場政策まで合わせて検討しなければならないんです。私が「公平国家」を主張する理由はこのためです。
公正と公平―同じであるべきは同じに、違いを持たせるべきは持たせ
金鍾曄 金大鎬所長の公平国家論についてあまりよく知らない読者もいるかもしれません。私の理解が正しいならば、公平国家論は、国家の優先的な責務を、社会生活のゲーム規則を確立することと考えて、その規則が人間の創意と情熱、協同を引き出せるように、機会の公正さと結果、ないし補償の公平性を備えるべきだというものです。この点が今、韓国社会の核心的な課題であるとお考えのようですが、もう少し脈絡化し説明しながら、議論を続けて頂ければと思います。
金大鎬 私は、東西古今を問わず、ある社会の成長と統合の基本は、ゲーム規則、あるいは社会的な賞罰体系であると思います。一言でいって、享受できる人は享受できるようにし、配慮すべき人には配慮し、同じであるべきことは同じにし、違いを持たせるべきことは違いを持たせるということです。現代国家の賞罰体系の核心は、競争機会と条件ないしスタートラインの平等である「公正」と、競争結果の合理的な不平等である「公平」を具現することです。公正が競争の入口を管理する基準であるとすれば、公平はその出口を管理する基準です。公平が問題視するのは勝者独占の現実でもあり、さほど寄与しない者があまりにも多く享受する現実でもあり、社会的弱者や敗者があまりにも少なく配慮される現実です。これまでの韓国の民主化運動と進歩運動は、同じであるべきものを同じにすることには努力を傾けて前者独占が、違いを持たせるべきことがどのような条件でどれくらい異なるべきかについては、ほとんど関心を傾けてきませんでした。ただ「団結すれば力が生じ、闘争すれば勝ち取る」という信念で動いてきました。もちろん公平の問題を検討しないのは保守も同じでした。彼らは単に、有能な私的存在の自由保障と結果に対する承服だけを強調してきただけです。進歩も保守もともに公平の問題について検討しなかった結果が、今、韓国社会が直面している途方もなく大きく不合理な格差です。
にもかかわらず、公平国家が、人々、特に社会的弱者の期待と感動を引き起こすことは難しいと思います。公平国家は中国の韓非子の思想と一脈相通じますが、2000年もの間、韓非子が儒家によって「斯文乱賊」扱いされてきた理由があります。ですが、歴史的に成功した君主は、表面では孔子と孟子を評価しても、心のうちでは例外なく韓非子思想を体化していたと思います。つまり、公平国家は、共和主義や社会民主主義のような、少し暖かくて格好いい思想の中に内蔵されるべき核心価値、ないしは哲学であるということです。
公平国家の観点から見た時、進歩改革勢力の党派性は明確です。私は韓国社会の物質的生産力を先導し体現する集団、すなわちベンチャー中小企業家やホワイトカラーのように、各種の競争制限障壁によりかかろうとしない、健康な専門職や青年世代の利害と要求を代弁する政党がはたして存在するのか聞いてみたいです。ハンナラ党ではありません。彼らは基本的に財閥、大企業側ですから。民主党でもなく民主労働党でもありません。ですから、物質的・文化的生産力を先導し体現する存在を代弁する政党がないということです。いやしくも進歩改革勢力を自認するならば、このような集団や、最も劣悪な環境にあるいわゆる「3非」階層―非経済活動人口、非正規職(パートタイマー)、非賃金労働者から支持を得るべきです。アメリカのオバマの支持層はそうなっているようです。ですが、韓国の政党にはこのような階層を代弁するところがありません。そのような点で巨大な政治空間が空いたままの状態です。私はまさに彼らが、盧武鉉に投票したり李明博に投票したりしながら浮動して、現在は空の巨大な雨雲となって浮動しているのだと思います。とにかくこのような層の利害と要求を代弁しようとするなら、右派の特技である市場主義政策と左派の特技である国家主義、ないし社会民主主義的な解決法を結合させるべきだと思います。大雑把に言えば「左派新自由主義2.0」または「右派社会民主主義1.0」のような解決法を作り出せば、巨大な民心の雨を、私たちの方に降らせることができるということです。
周大煥 そのような政党や政治勢力が、言ってみればアメリカの民主党のようなものになるでしょう。盧武鉉大統領が最後に研究して遺稿に書き残した「進歩主義研究」という主題がありますが、その進歩主義がアメリカではリベラルです。リベラルを韓国語に翻訳する時、「自由主義者」とすれば意味が変わるので、悩んだ末に学者が「進歩主義者」と翻訳したようです。晩年の盧大統領が勉強した進歩主義とは何か。私はそれを「大西洋を渡った社会民主主義」であると規定し。リベラ私はこれが一つの接点になるだろうと思います。言ってみれば哲学的には自由主義主義」金大鎬所長がお話しになった、市場に重点を置く人々と福祉国家に重点を置く人々が出会える接点になるだろうというものです。ですから、それを進歩主義といおうと何といおうと、私たちがよく口にする社会主義と自由主義という2つの大きな政治思想が、今の状況でもしかしたら政治的に力を合わせることができるかもしれないという考え方です。
金鍾曄 お二人は互いにかなり違うと思っていましたが、突然仲が良くなられたようです(笑)。
周大煥 それは政治戦略的にそうなのです。もちろん私たちの社会のビジョンという点で話をするならば、実際にかなり違うと思います(笑)。顧客が希望するならば、同じ食堂でラーメンとジャージャー麺を一緒に売ることもできます。国民が希望し大衆が希望するならば、アメリカの民主党のような「自由主義+社会主義」の政党を作って、保守主義に対抗することもできるということです。
金大鎬 韓国社会では、福祉主義だけでは支持率が35%や40%を越えることは難しいと思います。ですから、福祉主義を基本にすると同時に、市場主義ないし競争主義を合理的にきちんとさせることを強調する時に、過半数の支持率が出てくると思います。そのような点で優先順位において若干、差があり得ます。
金鍾曄 私も公正と公平という価値が韓国社会において重要だと思います。韓国社会がそのような感受性の弱い社会だからということもありますが、金大鎬所長もおっしゃるように、一方に過小競争と過小市場があって膨大な地代受取層が存在し、他方に過剰競争と過剰市場があって多数が激しい苦痛を受けている実情ですので、競争と市場を効率化・均等化して再調整することが必要だと思います。ですが、公平という言葉が価値領域を越え、具体的な政策として実行されるとなると、容易でない問題にぶつかります。公平というのは結局、バランスの問題ですから、そのバランスが正確かどうかという問題が提起されることもあり、社会的な相互比較の領域にくると判定がかなり難しいこともあります。またさまざまな過程を経てこのようなものになったのに、そのような経過を無視して現在を基準にし、公平の尺度だけをあてられるのかという抗議も出てくるでしょう。勢力の結集に関しても難しい問題が提起されます。金大鎬所長は公正と公平を掲げて右派の既得権者とも左派の既得権者とも戦う必要を語られていますが、それは左右を問わず強者と闘争するということで、それによって政治的に孤立する可能性も大きいでしょう。公正と公平はきわめて必要な価値で、また周大煥代表の主張する社会民主主義の土台にもなりますが、政策として具現するのは決して簡単ではないようです。
他方で、私はどのようなビジョンであっても、分断体制を克服するプログラムにつながる必要があるという考えです。なぜならば、冷戦は終わってしまったではないかと反問する人もいますが、韓国社会では相変らず、分断体制に由来する保守的な価値観や制度が、民主主義の発展や進歩改革勢力の発展の障害となっており、保守層ですら合理的集団が形成されにくくなっているためです。また、分断体制をきちんと管理し、一歩進んで少しずつ克服していくことが、韓国はもちろん、朝鮮半島でいかなる社会を作るべきかという問題においても、幅広い自由と機会を提供すると思います。韓国社会にあまりにもNL(民族解放)系統の過剰な民族主義的言説が旺盛で、分断体制自体のもつさまざまな矛盾や問題から、分断体制克服のエネルギーを引き出す言説がさほど広がりを見せない面もありますが、この点についてどうお考えですか?