[座談]このような社会、このような政治を私は望む①
金大鎬 (キム・デホ)社会デザイン研究所所長。著書に『盧武鉉以降』『進歩と保守を越えて』など。
白承憲 (ペク・スンホン)「民主社会のための弁護士の会」会長。弁護士。総選挙市民連帯スポークスマン歴任。
周大煥(チュ・デファン)「社会民主主義連帯」共同代表。著書に『大韓民国を思索する』など。
金鍾曄 (キム・ジュンヨプ)韓神大社会学科教授。著書に『連帯と熱狂』、編著に『87年体制論』など。
今年だけでも龍山(ヨンサン)惨事、盧武鉉前大統領の逝去、パートタイマー法の論議、メディア法騒動、双龍(サンヨン)自動車事態など大きな事件が続きましたが、李明博政権発足後、最大の事件は、やはり昨年のろうそく抗争だといえます。ろうそく抗争は、一方では、李明博政権の攻撃的な新自由主義政策と上層階級偏向的な政策、無理な成長主義などを、大衆がある程度制御した事例です。ですが、大衆がいくら進歩的に行動し現政権の誤った政策の一部を防いだとしても、そのような大衆のエネルギーや試みが進歩改革陣営のビジョンと出会う時、より一層意味ある政治的結果を勝ち取ることができるのだという気がします。大統領選挙や総選挙の前後にかなり出された「進歩の再構成」の議論が、具体性を帯びて発展するべきだということです。ですから、まず進歩改革陣営の自己反省に関連した話から始めてはどうかと思います。
韓国社会の土壌と進歩の省察
もう一つは、今、金大鎬先生が、公共の無能と個人の有能さや旺盛さを対比されましたが、私はその問題を、民主主義の定着過程において、正当な公共的合意にもとづく秩序の効率性と個人の能力をつないでいく作業が遅滞したために起きたものだと思います。ですから、個人の有能さと公共の無能さを単純に対比するのではなく、公共の問題と個人の問題が出会う地点がどこであるのかを深く掘り下げるべきだと思います。
金鍾曄 金大鎬所長が公共の無能さと個人の有能さの問題を提起したのは、それを正すためにゲームの法則をきちんと立てるべきだという理由からのようです。ですから、緊急に必要なのは法や制度をきちんと確立するということでしょうが、それとともに法と慣行の乖離を克服することも重要な問題だと思います。事実、現在、韓国社会の法は非常に厳格なために「ひっかけようとすればみなひっかかる」といっても過言ではありません。ですが、慣行に対して法を押し付ければみな怒ります。法と慣行の乖離をきちんと解決するべきであって、単にゲームの規則を樹立するだけでは解決できない側面もあるようです。
では次に盧武鉉政権を具体的に評価し、代案的なビジョンの方に議論をつなげてみたいと思います。盧武鉉政権の時期に何が成功し何が失敗したのか、その過程で進歩改革陣営は何をするべきだったのでしょうか。
盧武鉉政権の功罪と進歩改革陣営
金大鎬 盧武鉉政権の核心的な価値は、何といっても原則と常識が通じる社会を作るということでした。それが意味するところは、第一に既存の法制度を守る遵法ないし正常化であり、第二に既得権集団の利益と要求を反映した法的・制度的な不正を廃止するということでした。そして第三に、韓国社会の変化が早いので、環境とシステム、リーダーシップの間に衝突が生じるのですが、この衝突を解決することでした。
ですが、盧武鉉政権が最も重視したのは、実際には第一のものだったと見るべきでしょう。実際この部分では相当な成果を上げました。脱権威主義、反則や特権の打破などが代表的です。ですが、問題はそれを達成してみると、法的・制度的な不正の問題が浮上します。そのうちの一つが公職選挙法の問題や憲法問題です。これが政権の後半になって大連合政権や改憲の試みとして見られました。もちろんそれをきちんと正すことはできませんでした。もう一つは環境とシステム、リーダーシップの衝突によって生じる問題に対処することですが、それもやはり修正できませんでした。実際に、青年失業者の問題、中小企業の問題、自営業の問題、パートタイマー問題のようなものは、盧武鉉政権スタート前の政権引継委員会の時は、それほど重く扱われなかったと理解しています。政権がスタートしてからしばらくしてそれが急激に大きくなりました。そのような点で盧武鉉政権は、社会変化にともなう新しい要求に迅速かつ正確に対応できなかったと見るべきです。そのうえ新たな改革課題の解決に、盧武鉉政権の4大国政原理のようなものは符合しない側面がありました。
マスコミの問題も取り上げないわけにはいきません。盧武鉉政権は事実、保守的なマスコミにも進歩的なマスコミにも過度に低く見られました。進歩の方は盧武鉉政権を左派新自由主義、似非政治運動と考えたでしょう。もちろんそのように見られる素地も明確にありました。ですが、実際以上に、進歩/保守のマスコミ、知識人社会によって、低く見られていたと思います。
金鍾曄 今、盧武鉉政権に対して、保守マスコミだけでなく進歩陣営もまた片寄った評価をしたという話をされましたが、社会経済的な問題にきちんと対応できなかったことについては、盧武鉉政権としても耳が痛い部分があると思います。現在の李明博政権のように、国民全体の利益に反しながらも、露骨に支持層の利益を保護することはしないとしても、支持層のために何かをしようとする努力が、盧武鉉政権に足りなかったのも事実ではないかと思います。
他方で、保守マスコミだけでなく、盧武鉉政権、また進歩陣営ですら、民主主義を狭小に理解したのが問題だったという気もします。民主主義を手続的なものに限定するならば、民主政府10年間の民主主義はきちんと作動したのです。民主主義を限定されたものと理解する限り、食事中に食欲を感じるのは難しいように、民主主義に対する欲求も弱まったでしょう。民主主義に対する広く深い思考が必要でしたが、そこでの核心は社会経済的な民主主義だったと思います。この点については左派もだいぶ批判していましたが、民主労働党は大統領選挙で「民主主義が達成されて暮らし向きはよくなりましたか?」などというスローガンを出していました。このようなスローガンが意図とは異なって、右派的な煽動と共鳴するところもありましたが、その底辺には民主主義に対する狭小な理解があったと思います。
周大煥 盧武鉉政権は福祉予算を急速に増やしたのをはじめ、さまざまな努力をしましたが、結果的にこの政権の期間に貧富の差はむしろ拡大しました。それは貧富の格差の拡大の速度に政府の対策が追いつけなかったということになるでしょう。私が見るところ、当時、ウリ党をはじめとする政治家たちは格差社会の深刻さを認知できず、相変らず民主化運動の時期の思考の習慣にどっぷり浸かっていたのではないかと思います。現実の把握は公務員よりも下手だったようです。今でも民主党の中に「民主連帯」という団体があります。80年代に自分たちが好んで使った言葉をそのまま使っているのですが、今、暮らし向きがあまりよくなく苦痛を受けている国民がそれを見る時、あの人たちはなんて突飛なことを言っているのだろうかと感じるんです。ですから、私は、自由主義者らが本当にそのような部分で反省し、自己革新をするべきだと思います。自由主義というものも時代状況によって内容を刷新していくべきですから。
金鍾曄 改革陣営が過去の思考習慣にどっぷり浸かっているように、進歩陣営もそのような面があります。たとえば、進歩陣営は過度に労働者中心主義的な面があると思います。実際に労働市場の状況を見ると、自営業者と無給家族従事者がかなり多いと思います。資本主義化がかならずしもプロレタリア化の方に進むのではなく、脱プロレタリア化することもあるダイナミックな過程ですが、それが資本蓄積にさらに有利な場合も多いのです。そのような状況において、民主労総と大企業労働者を中心に大衆政党運動を行うのは困難ではないかと思います。パートタイマー問題に対する政策開発も遅れただけでなく、比重が相対的に大きな非経済活動人口や自営業者、無給家族従事者の問題に対しては特別な政策的ビジョンがありません。進歩陣営は、盧武鉉政権が新自由主義を標榜していると批判しましたが、自らは狭小な意味での労働者を越える、包括的で明確な民生対策を提示できなかったようです。
周大煥 そうですね。ですから、私は盧武鉉政権に対して批判していますが、実際に私たちもそのように批判するほどの立場であったかどうか分かりません。そのような部分では国民の目に映るビジョンが鮮明ではありませんでした。そして進歩陣営もやはり何か昔の話をする集団のように見えたでしょう。内容も内容ですが、最も決定的なのは、自らの持つ「正しいこと/正しくないこと」の基準を国民に教えようとする姿勢がよくなかったと思います。
白承憲 盧武鉉政権について省察する時、私は政府と支持層の関係を見るべきだと思います。盧武鉉を大統領にした社会的条件と大統領・盧武鉉の具体的な政策基調の間には一定の緊張関係がありました。そのような緊張関係がある程度は避けられないでしょうが、問題はそれが大統領在職期間に拡大しつづけたということです。その緊張関係が、政治的反対勢力はもちろん、大統領当選に寄与した支持者らとの間にも存在したために、在任期間中、力強く政策を遂行できなかった面もあります。後者、つまり本来の支持層との内的な緊張関係は、退任後も相当の間、影響を及ぼしました。具体的には、検察のきわめて非正常的な圧迫捜査に対する進歩改革陣営の無視として現れ、また私たちの社会、特に知識人社会が、盧武鉉政権に対する省察作業、すなわち長所・短所を区別し、何かが不充分だったとすれば、それを繰り返さないようにする評価をほとんど進めることができなかった点にも見られます。
そして盧大統領の逝去後は評価が急激に逆転しました。歴史的な制約や条件を無視した評価が既存の否定的な視角を繰り返し、民主勢力内部の不信を強める面があったとすれば、盧武鉉政権に対する肯定的な再評価が、在任期間のすべての政策に対する無批判的な擁護となる場合、それもまた盧武鉉政権の歴史的意味に対する不正確な思考を生み、実際に政治的な分裂を引き起こすおそれがあります。