창작과 비평

[座談]このような社会、このような政治を私は望む①

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金大鎬 (キム・デホ)社会デザイン研究所所長。著書に『盧武鉉以降』『進歩と保守を越えて』など。

白承憲 (ペク・スンホン)「民主社会のための弁護士の会」会長。弁護士。総選挙市民連帯スポークスマン歴任。

周大煥(チュ・デファン)「社会民主主義連帯」共同代表。著書に『大韓民国を思索する』など。

金鍾曄 (キム・ジュンヨプ)韓神大社会学科教授。著書に『連帯と熱狂』、編著に『87年体制論』など。

 

 

とき:2009年 7月 21日
ところ:メディア創批

 

 

金鍾曄(司会) お忙しいところ、このようにお集まり下さりありがとうございます。今日、議論して頂くのは「このような社会、このような政治を私は望む」という主題ですが、あえて「私は」というのを入れたのは、社会的・政治的ビジョンを語るにあたって、自分から出発して自分を賭して議論したいという意味が含まれています。また他方で、そのようなビジョンについて語る時、どうしても現在の李明博政権が取っている政策が、背景として議論されざるを得ないでしょう。現在、民主主義が深刻に後退している現象をどのように制御し克服できるかという問題が、社会的・政治的なビジョンとつながる時、ビジョンの具体性や実感が大きくなるだろうと思います。

 

今年だけでも龍山(ヨンサン)惨事、盧武鉉前大統領の逝去、パートタイマー法の論議、メディア法騒動、双龍(サンヨン)自動車事態など大きな事件が続きましたが、李明博政権発足後、最大の事件は、やはり昨年のろうそく抗争だといえます。ろうそく抗争は、一方では、李明博政権の攻撃的な新自由主義政策と上層階級偏向的な政策、無理な成長主義などを、大衆がある程度制御した事例です。ですが、大衆がいくら進歩的に行動し現政権の誤った政策の一部を防いだとしても、そのような大衆のエネルギーや試みが進歩改革陣営のビジョンと出会う時、より一層意味ある政治的結果を勝ち取ることができるのだという気がします。大統領選挙や総選挙の前後にかなり出された「進歩の再構成」の議論が、具体性を帯びて発展するべきだということです。ですから、まず進歩改革陣営の自己反省に関連した話から始めてはどうかと思います。

 

 

韓国社会の土壌と進歩の省察 

金大鎬 私は、進歩だけでなく保守も、韓国社会をどこに導くべきか迷っていると思います。端的にはパートタイマーの問題で与野党が争っていますが、初期において副作用が少しあっても、その方向でずっと行けばうまく行くだろうという印象を与える解決策がどちらにもありません。青年失業者の問題、自営業の問題、ベンチャー中小企業の問題、教育問題、首都圏と地方の格差の問題など、多くの問題で同様のことがいえます。昔はこうではありませんでした。権威主義政権を民主政権に変え、その後、労働運動や民主改革勢力の力を強化すれば、いい社会が到来するだろうという信頼がありました。事実、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、過去に私たちが進むべき道だと考えたさまざまな原則を守りました。分権と自立、対話と妥協のような4大国政原理がそれです。金大中迷っていデると思)政権が行った「民主主義と共生する市場経済」「生産的福祉」というレールをそのまま走りました。ですが、現在の韓国社会は、私たちが夢見たそのような社会に近づいているという印象がありません。盧武鉉政権が提出した「ビジョン、盧〳盧」を見ても、あの調子で行けば、盧〳盧年頃には先進国のレベルに到達するという感じがしません。ハンナラ党のビジョンを見ても、民主労働党や進歩新党のも到達見ても同様です。そのような点で大韓民国は路頭に迷っているといえます。路頭に迷っているの頭に盧武鉉政権は最初の心がけに比べてきちんとした成果を出せず、進歩陣営は安普請の家のようになを見て。路に、盧武が、の大統領選挙と、盧武〸、の総選挙で惨敗し、また盧武鉉大統領の悲劇的な死を招いといだと思います。

 

 白承憲 議論が続く前に、まず用語を少し整理したいと思います。過去の時期を回顧するこれまでの議論で、「進歩」陣営の省察の地点と、「進歩改革」陣営というさらに広い意味で包括した時の省察の地点が混同されているような印象を受けました。事実、前政権が終わる頃には、進歩陣営も改革陣営もともに挫折感を抱いたのではないのかと思います。つまり、自由主義勢力あるいは合理的な保守勢力といえる人々が限界に直面しただけでなく、自由主義以上の進歩を主張する人々も、同じように挫折を体験したということです。ですから、ともに省察する部分がある一方で、別途に回顧する部分があると思います。別途に回顧するならば、政権を直接担当した盧武鉉政権、そして彼を囲む穏健保守、または自由主義的政党は、社会を一段階高めて導くビジョンを提示し、その同意を得ることに成功できなかったのです。またその理想を追求した周大煥代表を含めて、進歩政党の路線を取った人たちも、進歩政党が成長し自由主義政党のオールタナティブとして選択されるべく運動することに失敗したという点で共通していると思います。
 
周大煥 進歩陣営も改革陣営もそれぞれ省察が必要な状況ですが、私はその省察の方法論として「あらゆるものを国民の目で見よう」と整理して、同時に私たちがそうすべき時代的な環境として、民主主義を考え直すようになりました。私には人生のとても重要な時期を捧げた独自の路線がありました。私はそれを「労働党路線」と言っていますが、つまり1987年から独自の進歩政党を作って、それを理念政党でなく労働党のような大衆政党として作っていこうというものでした。そうして自由主義政党を越え、韓国の政治を保守-進歩の両軸に作り変えていこうというプロジェクトですが、昨年それをあきらめました。そして十数年の人生を捧げた民主労働党も離党しました。それをあきらめ失敗を認めてからいろいろなことを考えるようになり、ですからかなり自己反省もしましたが、その基本は「国民の立場で見る」ということです。同じ進歩陣営の立場から互いを赦してしまえば、すべての行動にみな理由があり、みな理解できるだけのことはあります。ですが、国民はどのように見るか?――それが重要です。国民の目で見よう。ですから、私は「太陽系の外に出てこそ太陽系がきちんと見える」ということをかなり言いました。

 

金鍾曄 長く身を捧げられた戦略を放棄されたわけですが、そのように太陽系の外に出てご覧になった太陽系の姿はどのようなものでしたか?

 

周大煥 なによりも、進歩陣営が自らの立つ場所である韓国がどのような社会であるかをさらに深く考えるようになりました。私なりに表現するならば、韓国は本当に個人主義の強い社会ですが、そのような点に階級が形成されなかった背景もあったのだろうと思います。この間「牛馬の鈴の音(ウォナンソリ)」という映画を見ましたが、とても重要な映画だと思いました。なぜならば、それが大韓民国60年の歴史を撮影した映画だからです。主人公の老夫婦の人生と大韓民国の歴史が一致しています。二人が結婚したのは大韓民国政府が樹立された年でした。そして小作農の息子として生まれた男性は、8年の間、農家の下働きをして農地改革で自営農になりますが、結婚すると独立自営農として新しい人生がスタートします。韓国という国はまさに自営農の国、その自営農が自分だけを信じて自分だけの努力で子供を九人も育てた、そのような国だったということです。ですから、階級意識であるとか、そのようなものを見出すことがかなり難しいのです。今後、階級が形成されるのかどうか分かりませんが、今のところは形成されていない社会であり、ですから、そのような韓国人の文化、あるいは韓国社会に合った政治戦略を練る必要があるだろうと思います。ですが、ひとこと付け加えるならば、平等な自営農の国は崩壊しています。不公平な資本主義国になっています。ですから社会民主主義の福祉国家のビジョンが要求されるのです。

 

金鍾曄 新しいビジョンを整理するために、まず韓国社会の文化的な特徴に合った形の進歩的理念を模索するべきですが、その糸口を、解放後の韓国社会が自営農の国として出発したことに置かれているようです。韓国社会には平等主義と自力更正の意志の強い文化が支配的であり、そこに肯定的なエネルギーがあるということのようです。これに比べて、金大鎬所長は、つねに利益集団の私的な利益追求と集団間の相互不信のようなものを克服することが重要だとおっしゃられました。

 

金大鎬 私は、ある種の福祉国家モデルを設定する時、利益集団が短期的かつ狭小な利益を追求するか、あるいは長期的で包括的な利益を追求するかが、かなり重要な地点だと思います。韓国は一般的な自由主義国家よりはるかに短期的で狭小な利益を追求していると思います。たとえば正規職とパートタイマーの問題や大学の専任教員と非常勤講師の問題は、自由主義福祉国家には存在しません。私はそれが、他の国々の人々の性格が私たちよりいいからというわけではないと思います。基本的に利益集団を規律する、秩序を作る公共性の問題だと思います。私たちの社会では、政治や政府を含む公共性が自らの役割を果たせないために、個人や集団が自らの利益を激しく追求することがあまりにも当然になってしまっているのです。韓国でそれがよく見られるのは、公共性の方はかなり無能であるのに比べ、個人や集団の方はかなり有能だからだと思います。ですから、私は、この問題の解決法は、道徳的な説得や、盧武鉉大統領のように指導者が模範を示すよりは、公共性をきちんと立て直すところにあると思います。特にゲームの規則、ひとことで言って法と制度をきちんと立て直し、それをきちんと執行することだと思います。ここで法と制度は、李明博氏や李会昌氏の言うような法や制度ではありません。市民社会、あるいは国民多数の総意と常識が作った法治を意味します。

 

白承憲 法曹界にいる私がすべき話を代わりにして下さいました(笑)。各社会が直面している条件の違いは、実際には綿密かつ繊細に、全体だけでなく部分的にも見るべきだと思います。ですが、それがややもすると私たちの国民性として語られることには警戒すべきではないかと思います。ある社会の特徴は歴史的経験が制度として出現し、その制度がまた国民の性格を形成して、それがまた歴史に影響を与えるというフィードバック過程によるものですが、国民性というものは固定した条件として理解され、そのようなダイナミズムを無視する危険性があります。

もう一つは、今、金大鎬先生が、公共の無能と個人の有能さや旺盛さを対比されましたが、私はその問題を、民主主義の定着過程において、正当な公共的合意にもとづく秩序の効率性と個人の能力をつないでいく作業が遅滞したために起きたものだと思います。ですから、個人の有能さと公共の無能さを単純に対比するのではなく、公共の問題と個人の問題が出会う地点がどこであるのかを深く掘り下げるべきだと思います。

金鍾曄 金大鎬所長が公共の無能さと個人の有能さの問題を提起したのは、それを正すためにゲームの法則をきちんと立てるべきだという理由からのようです。ですから、緊急に必要なのは法や制度をきちんと確立するということでしょうが、それとともに法と慣行の乖離を克服することも重要な問題だと思います。事実、現在、韓国社会の法は非常に厳格なために「ひっかけようとすればみなひっかかる」といっても過言ではありません。ですが、慣行に対して法を押し付ければみな怒ります。法と慣行の乖離をきちんと解決するべきであって、単にゲームの規則を樹立するだけでは解決できない側面もあるようです。

では次に盧武鉉政権を具体的に評価し、代案的なビジョンの方に議論をつなげてみたいと思います。盧武鉉政権の時期に何が成功し何が失敗したのか、その過程で進歩改革陣営は何をするべきだったのでしょうか。

 

 

盧武鉉政権の功罪と進歩改革陣営

金大鎬 盧武鉉政権の核心的な価値は、何といっても原則と常識が通じる社会を作るということでした。それが意味するところは、第一に既存の法制度を守る遵法ないし正常化であり、第二に既得権集団の利益と要求を反映した法的・制度的な不正を廃止するということでした。そして第三に、韓国社会の変化が早いので、環境とシステム、リーダーシップの間に衝突が生じるのですが、この衝突を解決することでした。

ですが、盧武鉉政権が最も重視したのは、実際には第一のものだったと見るべきでしょう。実際この部分では相当な成果を上げました。脱権威主義、反則や特権の打破などが代表的です。ですが、問題はそれを達成してみると、法的・制度的な不正の問題が浮上します。そのうちの一つが公職選挙法の問題や憲法問題です。これが政権の後半になって大連合政権や改憲の試みとして見られました。もちろんそれをきちんと正すことはできませんでした。もう一つは環境とシステム、リーダーシップの衝突によって生じる問題に対処することですが、それもやはり修正できませんでした。実際に、青年失業者の問題、中小企業の問題、自営業の問題、パートタイマー問題のようなものは、盧武鉉政権スタート前の政権引継委員会の時は、それほど重く扱われなかったと理解しています。政権がスタートしてからしばらくしてそれが急激に大きくなりました。そのような点で盧武鉉政権は、社会変化にともなう新しい要求に迅速かつ正確に対応できなかったと見るべきです。そのうえ新たな改革課題の解決に、盧武鉉政権の4大国政原理のようなものは符合しない側面がありました。

マスコミの問題も取り上げないわけにはいきません。盧武鉉政権は事実、保守的なマスコミにも進歩的なマスコミにも過度に低く見られました。進歩の方は盧武鉉政権を左派新自由主義、似非政治運動と考えたでしょう。もちろんそのように見られる素地も明確にありました。ですが、実際以上に、進歩/保守のマスコミ、知識人社会によって、低く見られていたと思います。

金鍾曄 今、盧武鉉政権に対して、保守マスコミだけでなく進歩陣営もまた片寄った評価をしたという話をされましたが、社会経済的な問題にきちんと対応できなかったことについては、盧武鉉政権としても耳が痛い部分があると思います。現在の李明博政権のように、国民全体の利益に反しながらも、露骨に支持層の利益を保護することはしないとしても、支持層のために何かをしようとする努力が、盧武鉉政権に足りなかったのも事実ではないかと思います。

他方で、保守マスコミだけでなく、盧武鉉政権、また進歩陣営ですら、民主主義を狭小に理解したのが問題だったという気もします。民主主義を手続的なものに限定するならば、民主政府10年間の民主主義はきちんと作動したのです。民主主義を限定されたものと理解する限り、食事中に食欲を感じるのは難しいように、民主主義に対する欲求も弱まったでしょう。民主主義に対する広く深い思考が必要でしたが、そこでの核心は社会経済的な民主主義だったと思います。この点については左派もだいぶ批判していましたが、民主労働党は大統領選挙で「民主主義が達成されて暮らし向きはよくなりましたか?」などというスローガンを出していました。このようなスローガンが意図とは異なって、右派的な煽動と共鳴するところもありましたが、その底辺には民主主義に対する狭小な理解があったと思います。

周大煥 盧武鉉政権は福祉予算を急速に増やしたのをはじめ、さまざまな努力をしましたが、結果的にこの政権の期間に貧富の差はむしろ拡大しました。それは貧富の格差の拡大の速度に政府の対策が追いつけなかったということになるでしょう。私が見るところ、当時、ウリ党をはじめとする政治家たちは格差社会の深刻さを認知できず、相変らず民主化運動の時期の思考の習慣にどっぷり浸かっていたのではないかと思います。現実の把握は公務員よりも下手だったようです。今でも民主党の中に「民主連帯」という団体があります。80年代に自分たちが好んで使った言葉をそのまま使っているのですが、今、暮らし向きがあまりよくなく苦痛を受けている国民がそれを見る時、あの人たちはなんて突飛なことを言っているのだろうかと感じるんです。ですから、私は、自由主義者らが本当にそのような部分で反省し、自己革新をするべきだと思います。自由主義というものも時代状況によって内容を刷新していくべきですから。

金鍾曄 改革陣営が過去の思考習慣にどっぷり浸かっているように、進歩陣営もそのような面があります。たとえば、進歩陣営は過度に労働者中心主義的な面があると思います。実際に労働市場の状況を見ると、自営業者と無給家族従事者がかなり多いと思います。資本主義化がかならずしもプロレタリア化の方に進むのではなく、脱プロレタリア化することもあるダイナミックな過程ですが、それが資本蓄積にさらに有利な場合も多いのです。そのような状況において、民主労総と大企業労働者を中心に大衆政党運動を行うのは困難ではないかと思います。パートタイマー問題に対する政策開発も遅れただけでなく、比重が相対的に大きな非経済活動人口や自営業者、無給家族従事者の問題に対しては特別な政策的ビジョンがありません。進歩陣営は、盧武鉉政権が新自由主義を標榜していると批判しましたが、自らは狭小な意味での労働者を越える、包括的で明確な民生対策を提示できなかったようです。

周大煥 そうですね。ですから、私は盧武鉉政権に対して批判していますが、実際に私たちもそのように批判するほどの立場であったかどうか分かりません。そのような部分では国民の目に映るビジョンが鮮明ではありませんでした。そして進歩陣営もやはり何か昔の話をする集団のように見えたでしょう。内容も内容ですが、最も決定的なのは、自らの持つ「正しいこと/正しくないこと」の基準を国民に教えようとする姿勢がよくなかったと思います。

白承憲 盧武鉉政権について省察する時、私は政府と支持層の関係を見るべきだと思います。盧武鉉を大統領にした社会的条件と大統領・盧武鉉の具体的な政策基調の間には一定の緊張関係がありました。そのような緊張関係がある程度は避けられないでしょうが、問題はそれが大統領在職期間に拡大しつづけたということです。その緊張関係が、政治的反対勢力はもちろん、大統領当選に寄与した支持者らとの間にも存在したために、在任期間中、力強く政策を遂行できなかった面もあります。後者、つまり本来の支持層との内的な緊張関係は、退任後も相当の間、影響を及ぼしました。具体的には、検察のきわめて非正常的な圧迫捜査に対する進歩改革陣営の無視として現れ、また私たちの社会、特に知識人社会が、盧武鉉政権に対する省察作業、すなわち長所・短所を区別し、何かが不充分だったとすれば、それを繰り返さないようにする評価をほとんど進めることができなかった点にも見られます。

そして盧大統領の逝去後は評価が急激に逆転しました。歴史的な制約や条件を無視した評価が既存の否定的な視角を繰り返し、民主勢力内部の不信を強める面があったとすれば、盧武鉉政権に対する肯定的な再評価が、在任期間のすべての政策に対する無批判的な擁護となる場合、それもまた盧武鉉政権の歴史的意味に対する不正確な思考を生み、実際に政治的な分裂を引き起こすおそれがあります。