分斷體制論と日韓市民社會 : 『どこが中道でなぜ変革なのか』を読んで
木宮正史(キミヤ・タダシ) 東京大学 大学院総合文化研究科 教授。地域文化研究専攻。著書に 『韓國: 民主化と經濟發展のダイナミズム』などがある。
1. 分断体制論について
著者白樂晴の「分断体制論」は、厳密な意味で社会科学的な概念とは言えないかもしれない。それがどのような帰結をもたらすのか、何らかの因果関係を説明しようとする概念であるというよりも、朝鮮半島の置かれた分断という状況と関連する多様な現象を総括して説明しようとする概念であるからだ。一方で、いろいろな現象にはそれぞれ関連性があるという当たり前のことを言っているに過ぎないのではないかという批判もあるだろうし、他方で、余りにも、多様で複雑な現象の原因を分断体制に求めすぎるのではないかという批判もあるだろう。実際に、分断体制論とは何かという質問に対して、その定義は「~である」という明確な形で、著者自身も示しているとは言い難い。既存の視点、例えば、「統一至上主義的な民族主義的視角」、「韓国内部の民衆革命に執着する民衆的・階級的な視角」「韓国のよりいっそうの先進化を通した北朝鮮に対する吸収統一」「分断固定化を容認する立場」との違いを明確にしたうえで1、 白樂晴(青柳純一訳)「日本語版への序文」『朝鮮半島の平和と統一:分断体制の解体期にあたって』岩波書店、2008年、pp.ⅹⅷ~ⅹⅹ. 分断体制それ自体の力学が分断体制を克服する力を生み出しているというダイナミズムに注目するものである。評者は政治学者であり、韓国の政治学者との知的交流の機会が多いが、白樂晴の分断体制論が、政治学者の間では真摯に議論されているとは言い難いという印象を持つ。
にもかかわらず、評者は白樂晴の分断体制論に魅力を感じる。それは、朝鮮半島を研究対象とする者にとって、南北分断が韓国社会を、そして北朝鮮社会をどれほど強力に規定してきたか、そして現在も規定し続けているのかは再論の余地がないからだ。ともすれば、分断体制論は、韓国および朝鮮半島の特殊性を重視するものであるように受けとめられる。しかし、分断体制論は、朝鮮半島のみに閉じられた概念ではなく、世界的な広がりを持つ概念である。著者は、朝鮮半島の分断を、ドイツ、ベトナム、イエメンの分断と統一と比較し、その異同を明らかにすることによって、朝鮮半島の分断過程の特徴と統一の条件に関する議論の説得力を飛躍的に増大させた。 白樂晴 『どこが中道で、どうして變革なのか』創批 2008, pp.63~65.
また、評者が韓国・朝鮮半島研究に取り組むようになったきっかけは、冷戦体制下、南北分断体制下という強力な制約条件の中、朴正熙さらには全斗煥という「軍事独裁政権」の下で、1960年代以降、韓国が急速な経済発展を達成し、アジアNIESとしての地位を獲得したのはなぜなのかという問題関心であった。そして、それを、当時、注目を集めていた、ウォーラースティンの「世界体制論」に基づいて分析しようとした。その後、評者は、韓国・朝鮮半島の地域研究に次第に特化することで、こうした「世界体制論」に基づく視点をそれほど意識しなくなった。にもかかわらず、朝鮮半島が置かれたグローバルな冷戦体制、そして、急激な経済発展を許容した資本主義世界経済、この2つを複合した世界体制の構造をどのように把握するのかという知的でエキサイティング(exciting)な作業を、韓国および朝鮮半島に視点を置いて行なうという学問的な目標を忘れたことはなかった。 こうした研究成果の一部は、 拙著 『朴正熙政府の選択』 マニタス 2008を参照されたい。 著者が提示した分断体制論は、朝鮮半島の分断や統一をめぐる既存の議論とはスケールにおいて異なる、しかも、大国中心ではない朝鮮半島という「周辺部からの視点」で、現代世界の構造を理解するためのアプローチを提示したという点で、評者にとっては常に意識せざるを得ないものであった。 著者自身は「周辺部の視点」という言葉を使っているわけではないが、「韓半島的視角」を強調していることは、評者の「周辺部の視点」ということにつながるのではないかと考える。 分断体制論は、現実を客観的に分析するための狭義の社会科学的な概念ではなく、分断体制それ自体の力学が分断体制を克服する力学を生み出していくという意味で、政策論や運動論をも含む非常に動態的な「生命力を持つ」概念であると理解するべきであろう。
以下、分断体制論が提示し、また、それをめぐって韓国で展開されている論争点をとりあげて議論を進めることにしたい。
2. 対北朝鮮認識と対北朝鮮政策
第一に、対北朝鮮認識とそれに基づく対北朝鮮政策である。著者は「同じ民族として北朝鮮に対して寛容すぎる」対北朝鮮宥和主義者ではない。北朝鮮に対しては、むしろ徹頭徹尾、リアリストである。それは、韓国の対北朝鮮政策について論じる時、北朝鮮の対応如何によって左右されることのない一貫性を強調するからだ。北朝鮮の変化を「期待」するような安易な楽観論を排除する。 北朝鮮が、中国やベトナムのように改革開放政策に踏み切ることに対して、著者は非常に慎重な姿勢を示す。白樂晴, 2008, pp.147~148.
評者は、日米韓を横断した対北朝鮮強硬論が共有する前提として、北朝鮮に対する強硬な圧力行使によって北朝鮮が屈服し変化するという楽観論が前提としてあるのではないかと考える。こうした議論は、北朝鮮が自ら過去を「悔い改め」核を放棄することが前提条件であり、そうすることによって北朝鮮に対する利益供与が可能になることを示すことで、北朝鮮を「説得」できると考えているようだ。ところで、こうした考え方は、ある意味では北朝鮮の「善意」に期待するものである。対北朝鮮強硬論が北朝鮮の「善意」に期待せざるを得ないというのは一見逆説的のように思えるが、日米韓の対北朝鮮強硬論者の議論には、常にこうした「楽観論」が見え隠れする。
こうした「楽観論」と著者の分断体制論とは全く異なる。北朝鮮の政治指導者の意図に問題の全責任を帰するのではなく、むしろ、そうした選択を帰結させる分断体制という構造それ自体を問題にするからである。もちろん、金正日自身も分断体制を構成する重要な一行為者であることには違いないが、分断体制を構成するその他の行為者の選択にも批判的な目を向ける。特に、結果として北朝鮮の核開発を促した米国の対北朝鮮無視もしくは強硬政策に批判を向ける。 白樂晴, 2008, p.127. ある特定の行為者の選択だけに全責任を帰するのではなく、核と関係正常化をめぐる米朝間の相互不信が、分断体制の構造から帰結されるものであり、そうした構造それ自体を変革することなしには解決されないと見る。そして、そうした分断体制の構造変革のために、著者は、韓国の市民社会を韓国政府とは区別された独立した行為者として設定し、その役割に期待をかける。 白樂晴, 2008, pp.138~139.
北朝鮮の選択は、特異な体制、特異な指導者による予測不可能なものではなく、それが構成要素として形成される分断体制によって制約されていることを前提とすると、核開発という選択を許容し促すような体制の構造的条件をいかに除去していくのか、もしくは、そうした体制それ自体をいかに変革していくのかが問われなければならないのであって、そのために、韓国政府や韓国の市民社会が担わなければならない役割は十分にある。したがって、たとえ、北朝鮮が「通米封南」戦略によって、核問題は米朝間の問題であり南北間の問題ではないという論理を掲げているとは言え、それに対して、韓国政府が過剰に反応して、核開発を南北の和解協力の前提条件に掲げる必要はないということになる。 白樂晴, 2008, p.50.
確かに、核問題に関する「通米封南」戦略に関する韓国社会の苛立ちが、核問題を南北関係の枠組みにおいても議論しようとする李明博政権による「非核開放3000」構想を生み出したことは否定できない。北朝鮮自体が米国の核の脅威にさらされていることを理解したとしても、また、日韓が米国の「核の傘」によって「守られている」とは言っても、北朝鮮の核の脅威認識に関して、核保有国である米国と核非保有国である日韓との間には違いがあるのは当然であり、したがって、北朝鮮の核問題を北朝鮮の主張通り米朝関係の枠組みに任せておくべきではないと、評者自身は考える。その意味で、北朝鮮の核を南北間の問題にしようとする李明博政権の姿勢は当然だと考える。問題は、それを前提条件として北朝鮮を開放政策に誘導し、協力してやるという発想の方ではないか。そうではなく、北朝鮮の核がなぜ、どのような意味で韓国にとって脅威になりうるのかを北朝鮮に対して明確に示し、なぜ、それを南北間の問題にしなければならないのかを南北協議の場での議題にすることこそが重要だと考える。
この点、北朝鮮認識に関しては徹底してリアリズムに基づくにもかかわらず、北朝鮮の核問題に対してどのように取り組むのかに関する著者の立場は必ずしも明確ではないという印象を受ける。一方で、それを過小評価する見方にも与しないが、他方で、何らかの明確な代替的な政策案を提示しているわけでもない。北朝鮮に核開発を選択させるような分断体制の諸要因をできるだけ除去したうえで、北朝鮮の戦略的決断を待つということのようである。この問題に関して、日韓の市民社会が何らかの形で協力しうる可能性もあるように思われる。特に、オバマ大統領による「核なき世界」を目指す政治的意思の表明も見られる中で、韓国の政府、そして市民社会が、北朝鮮の核開発を含めた核の問題にいかに取り組むのか、より明確な考察と実践が要請されるはずだ。
3. 市民参加型統一と変革的中道主義について
第二に、分断体制論の特徴は、韓国の民主化、民主主義と分断体制との関連を非常に重視しているという点である。1987年の6月民主化抗争を契機として、それ以後、政治的民主化が達成され、そうした民主化された政治体制の下で、北方政策、そして対北朝鮮包容政策が達成されたのであって、民主化という問題はもはや解決されたのだという見方が朝鮮半島の内外から見ると一般的であるように思われる。にもかかわらず、著者は韓国の政治体制が分断体制を構成する重要な一要素であり、分断体制によって、韓国の民主主義も制約を受けざるを得ないと主張する。金大中・盧武鉉政権の対北朝鮮包容政策によって、南北の和解協力に関して相当程度の合意が形成されたかに思われたが、李明博政権への政権交代によって対北朝鮮包容政策の再検討が進むことで、韓国の国内政治における「南南葛藤」が激しくなった。 白樂晴, 2008, p.76.
但し、評者が見る限り、対北朝鮮政策に関して韓国が選択し得る選択の幅は言われるほど広いとは考えられない。にもかかわらず、なぜ、対北朝鮮をめぐる政策論争が、韓国の民主主義と関連付けて考えなければならないのか。換言すれば、対北朝鮮政策をめぐる対立が、韓国国内のイデオロギー対立によって必要以上に増幅されるのは、韓国の国家や社会の利益にとって必ずしも好ましくないのではないかという問題提起が常に評者の念頭には置かれていた。
こうした問題提起に対して、著者はどのように回答するだろうか。一方で、著者は、韓国の国内政治をめぐるイデオロギー的対立が対北朝鮮政策をめぐる対立と関連付けられなければならないと考えていることは疑いない。「統一至上主義的な民族主義的視角」とは自らの考えを区別していることからもうかがわれる。統一のためには国内対立には蓋をして大同団結するべきだという考えではなく、韓国社会に存在する種々の抑圧や差別が、分断体制に起因しているのであり、それを自覚的に克服していくことが分断体制の変革につながるという立場である。 白樂晴, 2008, pp.20~24. 著者にとって1987年以降の韓国の民主化はもちろん重要な意義を持つものではあるが、絶え間なく追求される民主化の一局面でしかなく、その後に民主化運動が統一運動へと関心を向けるようになったのかは、両者が不可分の関係であったことを示していると見る。民主化を契機とする1987年体制が南北分断を決定づけた1953年体制の一局面であったという著者の評価 白樂晴, 2008, p.165. は興味深い。他方で、「韓国内部の民衆革命に執着する民衆的・階級的な視角」にも与しないという立場を明確にすることで、韓国社会の亀裂を絶対化することもしない。むしろ、自らの思想を「中道」と位置づけることは、現在進行する、韓国社会のイデオロギー的亀裂があくまで相対的なものであり、妥協可能なものであるはずだという立場に立つ。 白樂晴, 2008, p.55.
こうしたことを前提として、著者が自らの政治的立場を「変革的中道主義」と位置づけることにどのような意味があるのだろうか。韓国においては李明博政権の登場以後、一方で、世界金融恐慌に伴う新自由主義的な市場万能主義に対する反省にもかかわらず、従来以上に積極的にグローバリゼーションに対応し、国際競争力を育成し「競争に勝ち抜く」という姿勢をよりいっそう強化しているように思われる。これには、韓国国内政治における「進歩から保守へ」という政治変動が決定的に作用している。こうした前提に基づき、「進んだ韓国」が「遅れた北朝鮮」を吸収しなければならないが、そのためにも、南北の同質化、均衡的発展というよりも、むしろ、北朝鮮を吸収するためにも韓国の先進化がよりいっそう重要だという主張が、韓国の内外において説得力を増しつつあるように思われる。それが望ましいかどうかは別として、最もリアリティのあるシナリオであり、また、そうした状況に備える必要はあると、評者も考える。しかし、著者はそうした可能性が望ましくなく、しかも回避するべきだと考える。著者が現在格闘する最大の論敵は、韓国国内におけるこうした思考である。
では、なぜ、著者はこうした思考と格闘しようとするのか。単なる政治闘争のためでないのはもちろんである。著者にとって、そうした「進んだ韓国が遅れた北朝鮮を吸収統一する」という発想自体、そして、それが伴う、南北朝鮮社会の予想される変化が、統一は達成されるかもしれないが、分断体制の変革に寄与しないどころか、却って南北統一下において分断体制がよりいっそう強化されることになると危惧しているからだ。著者にとって分断体制の克服は、統一の達成とイコールなのではなく、分断体制が帰結させた南北朝鮮それぞれの抑圧や差別などの非民主的な体制を是正することであるからだ。それが「変革的」であるということの意味だ。 白樂晴, 2008, pp.91~92.
著者は、そうした担い手として、国家の役割に期待することはもちろんだが、それ以上に、韓国の市民社会の役割に期待をかける。韓国の市民社会を6者協議以外の第7番目の行為者として、南北関係における南北政府以外の第3番目の行為者として、それぞれ位置づける。 白樂晴, 2008, p.139. 政府にばかり期待できないから市民社会に期待をかけるしかないという発想が皆無だとは言えないが、分断体制の制約を受け形成され、市民社会の健全な発達が抑圧されてきたので、分断体制を変革する担い手になるべきであるし、なることができるということだと思われる。もちろん、韓国社会には分断体制の受益者も依然として多いが、そこには、独裁体制に対して民主化を達成し、さらに、経済危機も克服してきた韓国社会の力に対する信頼がある。評者は、日本の市民社会を構成する一員として、日本の市民社会に対して、こうした希望と信頼を持ちたいと思う。しかし、残念ながらそこまでの信頼を市民社会に求めることには躊躇がある。むしろ、東アジアという国家の利益が尖鋭にぶつかる場において、まず、国家間の利害調整をいかに平和的に進めるのか、そうした国家間関係への信頼がまず先行されなければならないのではないかと考える。評者のこうした問題意識は「保守的」すぎるだろうか。
4. 日本の対するメッセージ
最後に、日本に対する本書のメッセージをどのように受け止めたらよいのかを考えて、しめくくりたい。評者にとって最も気になるのは、拉致問題に起因する、日本社会における対北朝鮮認識である。韓国社会以上に、日本社会においては「北朝鮮=悪者」イメージが定着してしまっている。ちょうど、冷戦最盛期の韓国を彷彿させる感さえあるし、場合によっては、第二次世界大戦中の日本社会の一端さえ追体験できるかもわからない。それだけ、拉致問題というイムパクトが大きかったと言えるかもしれない。しかし、拉致家族の深い悲しみが、そうした犯罪を犯した北朝鮮の国家体制の体制崩壊しか解決方法はないという対北朝鮮最強硬論と直結し、それがマスコミを通して対北朝鮮強硬世論を形成し、政治的にも「正論」として受け入れられ、ある意味で自己完結している。しかし、現実に、問題は解決するどころか、むしろ、解決の糸口さえ見つからない。換言すれば、拉致問題を強調すればするほど問題解決の進展が見えなくなるという悪循環に陥っている。
評者は、なぜこうした問題が起こったのか、その原因を特定の行為者だけに帰するのではなく、それを取り巻く構造、即ち分断体制と関連付けて考えることによって、実は、問題解決の進展の糸口がつかめるのではないかと考える。 著者は日本の雑誌『世界』とのインタビューで、拉致問題に関して、一方で、「このような事件を前にして日本社会が衝撃を受け、怒ることをわれわれ韓国人も深く理解し、被害者の悲しみに同情しなければならないと思う」と答えながら、他方で、拉致問題に直面した日本社会の対応が、9・11テロ以後の米国社会の対応と類似していることを指摘し、人間的な共感を獲得することに必ずしも成功していないという見解を披歴する。さらに、拉致問題の解決のために経済制裁を強化するべきだという強硬論が、問題解決に対して逆効果になるのではないかという懸念を表明する。白樂晴,2008,pp.26~29.評者は、拉致問題に関する著者のこうした見解にほぼ全面的に同意する。ただ、拉致問題に関連して北朝鮮に対して強硬一辺倒の政策を選択するべきだという見方は、政府が主導し利用している側面もあるが、それ以上に、「素朴な」ナショナリズムや「勧善懲悪」感情などに支えられた情緒的な日本の市民社会を担い手とすると考える。その意味で、市民社会や市民運動の役割に期待する著者の見方とは異なり、対北朝鮮政策に関しては、合理的な国益観に基づく国家の論理の方が問題解決に有利に働くと考える。こうした点において、著者とは見解を異にする。 韓国では、日本人拉致問題に関して関心が低いことは否定できない。ただ、翻って考えれば、日本社会において、南北分断やそれに起因する南北離散家族の問題に対してはそれ以上に関心は低い。民族が違うから当然ではないかという批判もあるだろう。しかし、両者はともに分断体制下において、相互の自由な交流がほぼ閉ざされる状況で発生したという点で、共通性を持つ。分断体制は、そうした意味で、朝鮮半島に限定されるものではなく、日本も含む、少なくとも東アジアという地域において成立しているものであるということになる。そうして考えると、拉致問題の解決も、分断体制の克服の一環として取り組まれてこそ、初めて展望が開けてくるのではないか。日韓の国家だけでなく、市民社会の交流には、特に、1990年代以降目を見張るものがある。こうした日韓の市民社会交流が質量ともに充実することが、分断体制の克服のためにどのような寄与を果たしうるのか。こうした「財産」をいかに有効に活用していけるのか。分断体制論は、こうした魅力的な知的プロジェクトの可能性を切り開くものである。(*)
2009年 12月1日 発行
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