창작과 비평

現代詩と近代性、そして大衆の生

特集 | 私たちの時代の文学/言説が問うもの

 

 
 
 

白樂晴(ペク・ラクチョン)paiknc@snu.ac.kr
文学評論家、ソウル大名誉教授。近著に『どこが中道で、なぜ変革なのか』『統一時代の韓国文学の価値』『白樂晴対話録』(全5巻)など。

 
 
 

1. 言語の実験、文学の実験

 

  文学の政治性に対する議論が最近活発である。特に陳恩英(チン・ウニョン)の「感覚的なものの分配: 2000年代の詩について」(『創作と批評』2008年冬号)を契機に一層活気を増した感があり、2000年代の韓国文学における一つの流れを形成した、新たな語法の詩と、その政治的可能性が集中して議論されている。

   陳恩英の論文が一つの契機を作ったのには、いろいろな理由があるだろう。論文自体をみるならば、まず彼女自身が注目される新鋭詩人のひとりとして、率直な個人的悩みを出発点として、同時代の多くの詩人の問題意識を代弁したためだろう。

 

社会参加と参与詩との間における分裂、これは創作の過程でつねに私を困らせた問題である。私はこの堪え難さこそが、多くの詩人が真の感情と自らの独特の音調で新たな歌を探し求めようとする時に体験する必然的な過程であろうと信じたい。(69頁)

 

 

このような悩みにともなう省察を、彼女はランシエールの著書『感性の分割』  ジャック ランシエール(オ・ユンソン訳)『感性の分割――美学と政治』(図書出版b、2008)。原著 Jacques Rancière, Le partage du sensible : esthétique et politique(2000)は参照できず、訳者まえがきや用語解説、著者インタビュー、スラヴォイ・ジジェクのあとがきが掲載された英訳本The Politics of Aesthetics(tr. Gabriel Rockhill, Continuum, 2004)を主に参考にした。以降、本書を引用する時はPAと略称して韓国語訳のページ数も併記する。ただし、翻訳は韓国語訳を参考にするものの、英訳本を根拠に相当部分に修正を加えた。   を紹介する形で論を進めるが、数多くの文献の中で自身の論旨にぴたりと合った1冊を取り上げ、その内容をすっきり整理していることもまた、この論文の魅力であり、侮れない努力すら伺える大きな部分であった。「美学」や「感性」という訳語の問題点に対する認識も正確である。たとえば本のタイトルも「感覚的なものの分配――感性論と政治」と読む時、その「言葉自体にすでに彼女の問題意識と結論が圧縮的に表現されている」(71頁)という点がわかる。   ただし、より一層正確な理解のためには、le sensibleが「感知された(および感知可能な)もの」を意味し、「感覚的なもの」の通常の意味とは区別されることを付け加える必要がある。esthétiqueを「感性論」と訳すこともやはり、aisthesisが理性(logos)に対比される感性(pathos)ではなく、感覚的経験を通じた知覚作用をも含むという点でぴたりとした翻訳ではない。しかし、陳恩英自身がそうしたように、本稿でもこのような点を前提にしたまま既訳の用語も混用した。

   しかし、陳恩英の問題提起が重要なのは、何よりも、ランシエールの「感性的芸術体制」において強調される「感覚的なものの自律性」が、モダニズム理論家がしばしば掲げる「芸術の自律性」と異なるという事実を、彼女が明確に認識しているためである。 私が見るところ、姜桂淑「「詩の政治性」を語る時、問うべきことなど」(『文学と社会』2009年秋号)もランシエールの「自律性」の概念を一面的に理解した例である。この論文はサルトルの参与文学論とランシエールの美学の政治性議論を対比し、いろいろ繊細な分別を示して、思考の端緒を提供するが、結局「詩は芸術としてつねに自律の領域にあり」(388頁)、ただ「解釈」を通じて政治的地平に移されるだけであるという、多少粗雑な――ある点では詩と散文に対するサルトルの両極端の認識を継承する――二分法で締めくくっている。    「ランシエールの観点によれば、ある作品が伝統と決別し、冒険的な実験を試みたという事実だけで、新たな感性的分配に参加したということはできない。換言すれば、美学的・感性的体制においては、試みられるすべての新たな実験が感性的特異性を持っているわけではない。芸術の政治的潜在性は(……)芸術の自律性ではなく、感性的経験の自律性によって規定される」(77頁)。  この点は、ランシエールが『美学における居心地の悪さ』のような後続作業でも繰り返し強調する、彼の核心的な論旨である(ジャック ランシエール(チュ・ヒョンイル訳)『美学における居心地の悪さ』(インガンサラン、2008/原題 Malaise dans l'esthetique、2004)。たとえば、「この〔美学的-感性的〕体制の中で、芸術はそれが同時に非芸術、すなわち芸術でない他のものである限り芸術」であり、「一言でいって芸術の美的〔-感性的〕自律性は、その他律性の他の名前にすぎない」と言い切る(70頁および113頁/英訳本 Jacques Rancière, Aesthetics and Its Discontents, Polity Press 2009, 36頁および69頁)。本書における引用文もやはり英訳本を参考に引用者が手を入れた。 そして「人生と政治が実験されない限り、文学は実験されることはない」(84頁)という、なかなかもって耐えがたい結論に到達するのである。

   読者としては、そのような実験が、陳恩英自身や同時代の詩人たちの文学において、どれほど遂行されているかを、具体的な作品をめぐって語ってくれれば、という物足りなさを感じるだろう。しかし、創作者の立場からは、自身や同僚の作業に対する評価が憚られる面もあっただろうし、中途半端な作品論が論の流れを乱すこともあるので、作品論がなかった点は恨むべきではない。実際にその作業は評論家の役割だが、私自身はこの分野にあまり詳しくないので、本稿の論旨が要求する範囲の中で断片的な記述にとどめたい。

  陳恩英自身の詩は「意味の可読性を意図的に放棄し否定して奇妙さを極端化」(82頁)する流れの一部でもあるものの、極端な例ではないようである。最初の詩集の表題作「七つの単語からなる辞典」(『七つの単語からなる辞典』文学と知性社、2003)だけを見ても、その言葉の解釈が常識人の意表を突いているは明らかだが、それなりの讒言的な可読性は充分にある。しかも「資本主義」と「文学」の項目を見ると、詩の政治性に対する詩人の苦悩が、ランシエールとの出会いよりもはるかに前から進んでいたことが分かる。

 

資本主義
さまざまな暗闇、あるいは
海の底にあいた百万キロの暗いトンネル
――ここをどのように一人で歩いて通るか?

文学
道に迷い、凶家で寝つくとき
遠くから白熱電球のように輝くカエルの鳴き声
――「七つの単語からなる辞典」2連・3連

 

    同じ詩集の「詩」や次の詩集の「アンソロジー」(『私たちは毎日毎日』文学と知性社、2008)のような作品でも、詩に対する著者の考えや感じを読むにあたって、越えがたい絶対的な壁はない。また後者において、自分の中にいる5人の詩人のうち、既存の公認された類型のどれにも属しない「いい加減なやつ」について、著者はひそやかな自負心を吐露する。

 

最後の人はいい加減
下手な詩一行を軸に、世界が 不慣れぬ自転をはじめる
――「アンソロジー」最後の2行

 

    だが、彼女の詩がはたして世界の「不自然な自転」をどれほど始めているのか? 私としては簡単に答えられない問いだが、「水の中で」「私の友人」(『私たちは毎日毎日』)などの魅力的な作品を読む時、彼女が単純な言語実験に安住しない「文学の実験」を真剣におこなっているという信頼感が持てる。

  可読性を一層明確に否定して脚光を浴びた最近の例として、『奇談』(文学と知性社、2008)の金経株(キム・ギョンジュ)と『小説を書こう』(民音社、2009)のキム・オンがあげられるだろう。特に後者の詩集が私の注目を引いたが、「キム・オン詩集使用説明書」という副題のついた申亨澈(シン・ヒョンチョル)の解説が、この難解な詩の再吟味を助ける、立派な顧客サービスを提供した。解説は「この本は言葉を通じてではなく、言葉に対して何かをしようとする本」   申亨澈「ヒステリーラジオチャンネル――キム・オン詩集使用説明書」、キム・オン詩集『小説を書こう』167頁、強調は原文。   であることを強調するが、言語に対する既存の考えをひっくり返す発言自体は、「100人の民衆」を放棄し「1人の科学者」を動かせという命令であれ、「出来事の詩学」であれ(166頁および190頁)、今となってはさほど新しいものはない。要は正常な母語使用からの「全面的に意図的な逸脱」(168頁)が、どのような言語を産み、どのような文学を産んだかということであろう。

  とにかく、キム・オンの「文学の14の楽しみ」を、詩または文学を論じる陳恩英の作品と比較してみれば、キム・オンの言語実験の方がはるかに「過激な」ものであることが実感できる。

 

何の意味もない数字を言えるということ
苦痛に蛇足をつけることができるということ
寝る前に小便をして唾を吐くことができるということ
泡がおきるということ、ゴミを捨てないということ
においのする友人と家を一緒に使うということ
踏まれては[?]歩き、息をしては[?]話し、ようやく忍耐力を育てること
そうすることができるということ、小便を我慢するように
大便をもよおした小娘の表情を理解するということ
真っ赤になるということ、赤黒くなるということ、このことの違いを
天秤にかけてみるということ、目盛りをつけて遊ぶという事実
シーソーゲームするように、愛が先か、人が先か
単語一つにも敏感な思想をすべて許さねばなければならないこと
そうすることができるということ、せっかくよくなろうとしているのに
ここで始めて、あそこで終わるということ
あるいは(……)
――「文学の14の楽しみ」部分

 

ここでは、陳恩英のように、奇抜ではあるが讒言的な意味に満ちた詩論を展開する意志が――まったくないとは限らないかもしれないが――はるかに微弱である。むしろ、申亨澈が「美しい文章」をめぐって使った表現を借りれば、「詩人の意図ではなく、言葉自身が詩をひっぱっていく」(183頁)という印象を与えるほど、「詩論」に対する読者の観念とかけ離れた言葉が続く。もちろん、これが通念をひっくり返そうとする「意図」さえ忘れたまま、本当に「言葉自身が詩をひっぱっていった」作品なのかは論議の余地がある。とにかく、この詩だけを見ても無意味な言語遊戯では決してなく、言葉が物語を産む妙味とともに、思考を促す妙味を提供する。特に、そのすぐ後に出ている、少し短い問答型の詩「あなたは」とともに読む時、今日の私たちの社会や文学に対する、詩人の傲然とした辛辣な批判意識が作動していることが確認できる。

   充分な議論のためには、さらに多くの作品を引用しながら分析するべきだろう。本稿の性格上、その作業を省略するが、詳しく論じたい作品の一つが「焼身」である。  読者の便宜のために全文を引用する。「彼は座ったまま事件になる形を選んだ。/顔が空気を抱きながら回る。輪郭は皮膚をひっかき散らす。火がつく瞬間//その場の空気がすべて吸い込まれていく、口の中で発見される事件。/せいぜいいくつかの単語の奇怪な組合せ。たとえば/過度な自信に苦しめられる男が見る、鳥の鬱蒼とした林の声。//一つずつ増えていく煙にそって/蛇の容貌をそろえ、その四方がこの場で止まり、あの場で飛ぶ。//透明な日を過ぎ//さあ、やつらがやってくる。彼が空気を、/ガスと発音する瞬間にも、それは炸裂せずに/ただ燃え上がる。//燃える頭蓋骨の中をのぞきみる者の自分の視線と誇大妄想。狭い頭蓋骨の内部の煮え立つ脳は//事件になる前にもそうだったし、座ったまま事件を犯した後も/彼はその形の考えに固執する。彼は動かない。/彼は彼自身の苦痛を座った場で遂行した。//空気が彼を助けてくれた。」(『小説を書こう』128~29頁) 申亨澈の解説は「多少不親切な形で、この詩は「焼身」という出来事と、「言葉」あるいは「文章」をつなぎ、この焼身を、詩作の隠喩として読ませている」(187頁)という点を強調するが、作品の一面を鋭く貫いた洞察であることは明らかである。私自身はしかし、この詩が「焼身」という出来事自体を独特の言語でとらえた点――写実主義的に模写したのではなく言語で具現した点――をさらに評価したい。私たちの社会において、焼身自殺はひとまず政治的抵抗の意味を帯びるのが常だが、キム・オンはそのたびに「烈士」を語る態度と距離があり、申亨澈の言うとおり「特有の無情なスタイル」(同頁)を駆使する。しかし、シニシズムとも関係がなく、その衝撃的な瞬間を出来事化することに成功する。「言葉」がそれなりの役割をする好例といえる。

 

   最近の韓国の詩壇において、難解な実験詩がいつの間にか1つの流行をなしてしまったという憂慮は、それなりに根拠がないわけではない。だが、真摯かつ意味ある言語実験を遂行する詩人は、陳恩英やキム・オンなどにとどまるわけではないこともまた明らかである。私自身はそのような作品に広く接することができず、個別的な事例の文学的達成度をはかる能力も不充分である。しかし、たとえば金杏淑(キム・ヘンスク)の『思春期』(文学と知性社、2003)や『別れの能力』(文学と知性社、2007)のような詩集は、キム・オンの『小説を書こう』に劣らず難解さに多大な努力を費やしながらも、ある点では言葉の運びに対して、より一層純粋に没頭した結果であるという感じを与える。
 
  このような詩人に接していると、山寺の禅場に落ち着き勇猛精進する禅僧の姿が思い浮かぶ。俗人の目に、彼らは、世事についてわれ関せずを決め込み、無為徒食する集団のように見えるだろうし、実際に彼らの中に外見だけはそのような「ばち当たり坊主」もいなくはないだろう。だが、彼らの行為があるために、仏家の衆生済度の事業が可能になるのであり、そのような意味で一種の特攻隊の任務をはたしているのである。ただ、大きな悟りが、世俗の現場で、大衆の言語で、衆生と疎通する能力を伴うものであるならば、このような「大乗」の道のために、より円満な勉強の必要性も否めないだろう。

 

2. モダニズムとモダニティ

 

  芸術の特攻隊員が、ただちに政治実験の前衛部隊に出たケースも珍しくない。陳恩英の問題提起から出発し、まさにそのような事例を西欧文学史に求めたのが李章旭(イ・ジャンウク)である(「詩、政治、そして性愛学」、『創作と批評』2009年春号)。彼はこの作業を、現代芸術における「新しさという逆説」に対する検討とともに進めているが、2つとも「文学の自律的領域が世界と出会う接合地点に対する問い」(297頁)につなげている。この時、文学の自律性をめぐって、「自律性を神話化する、いわゆる芸術至上主義的な態度は稚気満々だが、反対に人生/政治の内部に還元されることのない、この「剰余」、あるいは「不純物」こそが、まさに文学の価値」(311頁)であるという彼の主張は、表現を別にしただけで、ランシエールや陳恩英の論旨につづいており、芸術の「自律性」は「半自律性」(semi-autonomy)として再定立されるべきだというF・ジェイムソンの主張とも基本的に一致する。    Fredric Jameson, A Singular Modernity:Essay on the Ontology of the Present (Verso 2002), p.160.

李章旭は「人生と芸術の関連性が極度に一致した(あるいは一致させようとした)例」(304頁)を主として20世紀の西洋に求める。ボルシェビキ革命直後のロシアのレフ(Lef、芸術左翼戦線)、社会主義リアリズムが官制化される前の初期形態としての唯物論美学、マリネッティ(F. Marinetti)などのイタリア未来派、20世紀中盤フランスの『テル・ケル』(Tel Quel)誌の集団や「国際状況主義」の集団など、その事例は豊富かつ多様である。    マヤコフスキー(V. Mayakovsky)など、ロシアのケースに対するはるかに忠実な議論としては、李章旭『革命とモダニズム――ロシアの詩と美学』(ランダムハウス中央、2005)を参照。本書で著者の批評的な趣味は、アフマートヴァ(A. Akhmatova)、パステルナーク(B. Pasternak)、ブロツキイ(I. Brodsky)などの多様な「抒情詩」を合わせたくらいに、その包容度が大きいことが確認できる。   しかし、李章旭の指摘通り「人生の実験と文学的実験の一致に対する前衛の企画が破綻を迎えたのはロシアだけの現象でない」(307頁)。

これに対して李章旭は、「だが、この経験を失敗の事例と言えるだろうか? この事例からある種の暗示と熱気を感じるということは、もうひとつの問題ではないのか? 火を見るより明らかな答を提示することはできないが、そのようにできないことから一歩出られるものが、やはり文学ではないか?」と問いながら、「正解のない問いを続けること、それが文学である」(310頁)という命題へと進む。この命題自体は充分共感に値する。しかし、このような妥当な命題とそれらの事例から感じる「ある種の暗示と熱気」を口実に、失敗の厳しさを直視する作業を回避している面もありはしないだろうか?

火を見るより明らかな答を求めるわけではない。しかし、「人生と文学の純然たる一致という、もうひとつ理想主義の産物」(305頁)という点で、これらの企画の失敗は、李章旭が自ら強調したことのある「リアリズム」――写実主義でなく、「理想主義の反対となる現実主義」としてのリアリズム――の失敗だったことを否認することは難しい。

 

   すでに詩人は、この世界に含まれている自分自身を、要するに、その「廃虚」に内属している自分自身を凝視する。それは「美しい霊魂」(ヘーゲル)の「堕落」を自らに対して容認することであり、はなはだしくは、それを要請することですらある。この「堕落」は、自らの人生がこの世界に対して外部的な存在ではないという自明な事実を凝視することで、これをもって世界の堕落を越える「詩」を発生させるための条件である。これは危険なリアリズムであろう。だが、これはひょっとして、不可避のリアリズムではないだろうか?(302~303頁)

 

彼ら理想主義者は、政治の世界に飛び込むことを辞さなかったという点で、「堕落」を無視しなかったと言える。だが、「人生と芸術の関連性が極度に一致」しえない世の中において、(李章旭が注意深く括弧付きで注意書きを書いたように)「一致させようと思った」彼らは、結局、「詩」を発生させる基本条件にまったくもって忠実であったとはいえない。たとえるならば、座禅を通じて一定の境地に達したとして、ただちに経世の事業に飛び込んだ僧侶のように、破局を約束したようなことになった。私たちは彼らの熱気と部分的な成就に充分な敬意を表しながらも――また誰もが完全な成功を収められないことが世の中の道理であることを認めながらも――それが事業の失敗であると同時に、円満な勉強の失敗である点を、深く掘り下げて考える必要があるのである。

   近代芸術において、人生と芸術の関係をきちんと省察しようとするならば、もう少し視野を広げてみる必要がある。李章旭の取り扱う事例が偏っているのは、紙面の制約も明らかにあっただろう。しかし、「現代芸術」と「モダニティ」のような概念の用法を見れば、もうひとつの要因も作用したようである。彼が検討の対象とした「現代芸術」や、陳恩英を引用しながら言及した「モダニズム」、コンパニョン(A. Compagnon)がいう「(美的)モダニティ」は大同小異のものであり、その相異なる用語自体が紛らわしいということはない(李章旭、297頁および300頁)。しかし、もう一方の引用対象者であるマーシャル・バーマンの「モダニティ」だけを見ても、その外延は一層広く、 バーマンは、第1章をゲーテの『ファウスト』論からはじめ、第2章でマルクスの『共産党宣言』を論じ、「近代化」(modernization)を論じた後に、第3章のボードレール論へと進む。ペテルブルグのモダニズムを扱った第4章の議論には、20世紀の前衛の他に、プーシキン、ゴーゴリ、チェルヌイシェフスキー、ドストエフスキーなどが登場する。本書の副題を「近代性の経験」ではなく「現代性の経験」と翻訳することが妥当かどうかは疑問である。Marshall Berman, All That Is Solid Melts Into Air:The Experience of Modernity (Verso 1983)。   もし「モダニティ」を「近代」または「近代性」と翻訳するならば、大々的な視角調整が必要になる。特に近代を世界史における資本主義の時代と理解する場合、その内部の比較的新しい時期としての「現代」と、「現代以前の近代」の間にどのような断絶や連続性があるのかについて、細心の検討がかなり重要になるのである。 「近代」に対する私自身の認識と「モダニティ」という英語の翻訳に付随する混乱については、拙著『韓半島式統一、現在進行形』(創作と批評社、2006)246~47頁を参照のこと。

   近代(モダニティ)の進行の過程で――さらに芸術分野に注目する時――ボードレール(C. Baudelaire)が一つの「起源として定礎された」(301頁)点は相当な説得力を持つ。しかし、「現代」でも「現代以前」でも、ともに資本主義近代としての共通性を持っている点を無視し、ボードレール以前にも、例の「現代芸術」的な特性を示す事例が豊富に存在するという事実を軽視することになれば、金洙暎(キム・スヨン)の「全身」を引き合いに出した李章旭の「性愛学」が円満になることは困難である。


今日の異質な詩的傾向は、どのようなものが、あの隠喩的な「全身」に照応するものかをめぐって競合する。どのような詩が自らの生を離れ、頭の中の仮想を創案することに留まっているのか、どのようなものが、そのものとして一種の自己慰安に安住しているのか、どのようなものが、自分の「身体」の外部に完成された枠組の反復に留まっているのかを相互に照明する。(313頁)

 

   これは全面的に同感できる主張である。ただし、この時の「競合」がきちんと作動するためには、その参加範囲が特定の「モダニティ」の概念、「現代芸術」の概念を基準に制限されてはならない。厳然として近代の共同産物であるあらゆる「異質な詩的傾向」が、それこそ自由に自らの役割を主張し競合できる、開かれた広場が必要であろう。

 

 3.   「美学的―感性的芸術体制」と近代芸術 

 

ランシエールの3つ「芸術体制」――プラトンに代表される「倫理的体制」(ethical regime)とアリストテレスが初めて理論化した「詩学的―再現的体制」(poetic-representative regime)、また近代(または現代)特有の「美学的―感性的体制」(aesthetic regime)――に関しては、陳恩英の紹介(前掲論文、72~80頁)を出発点としてもいいだろう。だが、『感性の分割〔感覚的なものの分配〕』において、これらの芸術体制を説明する部分は、「芸術体制について、またモダニティ概念の欠点について」(Artistic Regimes and the Shortcomings of the Notion of Modernity)となっている。芸術体制論がただちにモダニティの議論につながるのである。

   ランシエールがモダニティ概念の「欠陥」を語るのは、それが美学的―感性的芸術体制の特性に注目するのでなく、「古いものから新しいものへ」、「再現から非再現、または反再現へ」のような、順次的履行の概念を前面にかかげるためである(PA 24頁、韓国語訳31頁)。彼はこのような単純化にともなうモダニズムの理念こそ、近代的芸術体制の不可避の混乱を除去すべく発明された「防壁」であると釘を刺す。 “Against this modern disorder, a rampart has been invented. This rampart is called modernism.” (Aesthetics and Its Discontents, 68頁。韓国語訳114頁)もちろんこのとき彼が批判するのはモダニズム芸術それ自体でなく「芸術の自律性を守ろうとするが、その自律性の他の名前である他律性を受け入れることを拒否する」(同頁)芸術理念である。この点でも彼は「理念としてのモダニズム」をモダニストの実際の活動と区別したジェイムソンと一致しており(A Singular Modernity, Part II ‘Modernism as Ideology’)、ルカーチのモダニズム批判(Georg Lukács, The Meaning of Contemporary Realism, 1962, 第1章‘The Ideology of Modernism’)との接点が発見される。   したがって、モダニズムが単純化されたこのような「モダニティ」と断絶したと自負する「ポストモダニズム」もやはり、美学的―感性的芸術体制の近代的性格を糊塗していることから見て、「モダン/ポストモダン」間の「断絶」を否定する。  “There is no postmodern rupture.”(Aesthetics and Its Discontents 36頁、42頁にも同じ文章が出てくる。韓国語訳70頁および78頁)。この点ではジェイムソンとの違いがはっきり感じられる。

    だが、ランシエール自身の「モダニティ」が「近代」と「現代」のどちらに近いかは明らかでない。一方で彼は、バルザックを含むいわゆる写実主義の小説家に多くの議論を割くことによって、「ボードレール以降の現代芸術」という現代主義的な限定を超越するかと思えば、他の一方で、モダニティを、18世紀後半以後、カントやシラーなどの美学論において、「感性的芸術体制」の理論的基礎が樹立された後と設定し、マラルメ(S. Mallarmé)になって、ようやく意識的な芸術企画として確立されたとも考える。やはり「現代芸術」に偏っている印象を与えるのである。写実主義に対する彼の発言はとにかく意味深長だが、韓国内の議論ではさほど注目されることがないようである。この部分をもう少し詳しく検討することによって、「近代」の性格をめぐる混乱の整理に一助できるだろうと考える。

  モダニズムのモダニティ概念を批判するところで、ランシエールは「再現的芸術体制」からの離脱が、再現の拒否を意味しないことを明らかにする。


ミメシスの外への跳躍は、決して形象的再現に対する拒否ではない。そればかりか、そのような跳躍の出発点は、しばしば写実主義(realism)と呼ばれてきたが、写実主義は決して類似への重視(valorization of resemblance)を意味するのではなく、類似の機能を規定していた諸構造の破壊を意味するのである。したがって小説的写実主義は何よりも再現の位階(描写に対する物語の優位や、素材間の位階秩序のようなもの)の転覆(……)を意味するのである。(PA 24頁、韓国語訳32頁)

 

したがって、ランシエールが美学的―感性的体制の事例を、フローベールだけでなくバルザックやユーゴー、はなはだしきは17世紀初頭の『ドンキホーテ』に求めているのは当然である。  同書32頁(韓国語訳43頁)および Jacques Rancière, The Flesh of Words:The Politics of Writing, tr. Charlotte Mandell, Stanford University Press 2004 (原著はLa chair des mots:Politiques de de l'écriture, 1998)、第2部第2章‘Balzac and the Island of the Book’。『ドンキホーテ』については後者の第2部第1章‘The Body of the Letter:Bible, Epic, Novel’、および第3部第1章‘Althusser, Don Quixote, and the Stage of the Text’を参照のこと。   しかし、『ドンキホーテ』やバルザックの『村の司祭』(Le Curé de village)に関する議論が、主として「文学性」に対する理論的検討のために断片的に進められるばかりか、  ランシエールのlittérarité(英語ではliterarity)が「文学性」と翻訳され、「文学を文学として成立させる固有の芸術的本質」を連想させるという問題が生ずる。しかし、The Politics of Aestheticsの英訳者の用語解説(87頁)が強調するように、ランシエールが意味するところはそれとほとんど正反対である。それは再現的芸術体制において芸術と芸術でないものの間――文学においてならば、「純文芸」と「非文学」との間――の差別や位階秩序を崩し、文字によるあらゆる生産物が自由に流通する「民主的体制」を指すのである。だからといって、この単語を「文字性」と翻訳するわけにはいかないが、「芸術の自律性」の理念を強化する概念として誤用されてはならないだろう。  写実主義が「類似(すなわち模写の正確性)の重視」に還元されえないことを明示した部分でも、「再現的体制」の位階秩序を転覆した点が主として強調され、近代の到来とともに芸術において写実的再現が格別な意味を持つようになった点に対する認識は不充分であるように思える。

   韓国の評壇では、「類似の重視」に還元されないrealismを指称するために「写実主義」ではなく、「リアリズム」または「現実主義」という別途の用語を好んで用いてきた。このようなリアリズム文学の意義を古典主義と比べて論じた私自身の発言を、少し長いが引用してみる。


   ジャンルの混合現象とともに、リアリズム文学に至って消滅しかかっている、もう一つの古典的区別は、いわゆるスタイル(文体・様式)の分離原則である。(……)これもやはり単純な様式上の問題ではない。変化する歴史、すなわち以前と変わった世界や以前と変わった人間の世界認識の産物である。その結果は、先に論じたアリストテレス詩学の命題自体に一定の修正を加えるほど、途方もないといえば途方もない。つまり文学は、実際に起きたことよりも、起きる蓋然性の高いことを語るという大原則だけはそのまま残るとしても、「起きるかもしれないこと」の定立において、実際に起きたこと、起きていること、起きざるを得ず、起きても当然なことに対する事実的な認識 ――― アリストテレスの表現を借りるならば「歴史家」の認識 ――― が、まったく新しい比重を占めるようになるのである。写実主義の写実性が持つ本質的意義は、まさにこのような歴史認識・世界認識の転換に求めるべきであろう。 「リアリズムについて」『民族文学と世界文学Ⅱ』創作と批評社、1985、372頁。

 

だからといって、「再現」または「現実反映」それ自体を芸術の本分として設定することに同調するわけではない。 同書の「モダニズム論議に付して」のうち、「リアリズム論における「現実反映」の問題」(443~46頁)、および拙稿「ロレンスと再現および(仮想)現実の問題」、『内と外』1996年下半期号を参照のこと。    真理の世界が事実や現象から隔離されたのではなく、個別的な事実がただちに一般的真実を取り込むことができるという、このような認識こそ、むしろ「美学的―感性的芸術体制」の属性といえ、ランシエールの強調する新しい芸術の「民主的」性格と符合する。

     ランシエールが、リアリズム論という特定の言説にどれほど精通しているかを、ここで考えてみようというわけではない。ただ、韓国でのリアリズム議論をきちんと再確認して考える時、ランシエールの芸術体制論の重要な洞察をそれとして収斂しながら、近代芸術の展開過程に対して、はるかに円満な理解が可能になるのではないかということを考えてみようというのである。たとえば、彼が便宜的に論じるセルバンテスであるとか、(私が読んだ範囲では)別に関心を見せないシェークスピアのような近代初期の作家こそ、リアリズム文学の巨匠であると同時に、美学的―感性的芸術体制における転換に決定的な役割をした芸術家であるという点を、まっとうに認識するのに有利な観点が、そのようなリアリズム論である。同時にブレイクやワーズワースの詩、 ワーズワースが代表する近代(現代?)抒情詩の「革命」について、ランシエールがThe Flesh of Words第1部第1章で長く議論しているのは事実である。しかし、ここでも古代の詩学において独自の地位がなかった「抒情詩人の自我」の誕生が持つ政治的意味に主たる関心を向け、(広義の)リアリズム文学の成就としてワーズワースの詩の持つ意味にはさほど注目しない。ヤン・チャンニョルとの最近のインタビュー(ヤン・チャンニョル「ジャック ランシエール インタビュー――「文学性」から「文学の政治」まで」『文学と社会』2009年春号)において、彼は『抒情民謡集』(Lyrical Ballads)の1800年版序文に言及し、「詩が非凡な人物の精神状態だけを対象とするのではなく、農夫や平凡な人間の脳裏をかすめるものも、やはり詩の主題になりうるといいました」(445頁)といって、やはりジャンル間の位階の崩壊という面に焦点を置く。しかし英国詩におけるワーズワースは、それに先立つシェークスピアなど16、17世紀の詩劇の作家たち(およびジョン・ダンJohn Donneのような抒情詩人)がそうであったし、20世紀初頭にT・S・エリオットなどがまたそうであったように、詩の言語を、同時代人が実際に使っている口語に近い言葉に刷新したという点が、「位階の破壊」に劣らず重要である(拙稿「詩と民衆言語――ワーズワースの『抒情民謡集』序文を中心に」、『民族文学と世界文学Ⅰ』創作と批評社、1978、および「現代イギリス詩に対する主体的接近のひとつの試み――「感受性の分裂」再論」、『現代文学を見る視角』ソル、1991を参照。)   また小説でバルザックばかりでなく、スタンダール、ディケンズ、ドストエフスキー、トルストイなどの文学が、そのような成就の脈絡にあり、フローベールやマラルメに至って、そのうちのある部分――通常のリアリズム論で見過ごされやすい部分――がより一層尖鋭になるが、同時にその分野の「特攻隊作戦」において矮小化された面もあるという認識が可能になるのである。

   このようなリアリズム論は、同時に近代に対する「適応と克服の二重課題」という観点につながる。資本主義近代の中で最近の「現代性」に過度に執着するモダニズムは、強烈な近代克服の意志を誇示するが、実際に意図しただけの克服を達成できないのみならず、多くの場合、過去の芸術よりはるかにたやすく資本主義消費文化に編入されるが、これが前時代の大家たち――または20世紀になってもトーマス・マン(Thomas Mann)やロレンス(D. H. Lawrence)のような「より前衛的でない」作家たち――が示した「二重課題」に対する一層円熟した接近と無関係ではないだろうということである。

   ここで3つの芸術体制というランシエールの分類法自体をまた見てみる必要がある。彼自身が繰り返し強調するように、「再現的芸術体制」と「美学的―感性的芸術体制」の間に厳格な断絶はない。 先に参照したPA24頁、およびヤン・チャンニョルとのインタビュー450~51頁。    だが、「ミメシス」をジャンルと様式および素材にともなう厳格な位階秩序の詩学――アリストテレスの詩学に始まるが、実は近代の新古典主義になってさらに厳格に適用される詩学――という意味での「再現的体制」(representative regimeまたはmimetic regime)と規定することによって、一般的な意味でのミメシス(mimesis)ないし再現が、すべての芸術体制に共存するという事実が見えにくくなる。「再現的体制」の問題点が新古典主義的な規範問題として矮小化されるのである 。そのうえ、ミメシスの認識論的機能を芸術性の基準にしないとしても、再現の認識機能を受け入れる芸術論が、古代・中世・近代の作品にあまねく適用できるという点も、きちんと検討されていない。

    そのような点で「倫理的体制」の議論もやはり多分に一面的である。プラトンがその理想的な共和国において詩人を排除したのは、芸術に対する倫理の優位を設定したことは明らかである。しかし、プラトンが詩の独自的領域に無感覚だったわけではない。「イオン」(Ion)編で詩人の「インスピレーション」ないし「狂気」を説明したのが、後日、ロマン主義の天才論をむしろ育てたことなどにも見られるように、彼は詩特有の技術や性能があることを認め、ただ教育的に望ましくないものと排斥したにすぎない。そして、このように排斥の基準になったのが、まさに「ミメシス」の真実性の問題である。換言すれば、プラトンの「倫理的体制」とアリストテレスの「詩学的―再現的体制」の間にも、無視できない連続性が存在するのである。

    もちろん、ある倫理的命題を前面にかかげて芸術を抑圧し追放するのは、それが陳腐な道徳主義の表現であれ、「社会主義リアリズム」であれ、ナチの「民族社会主義」のようなその時その時の政治的正答を強要するものであれ、受け入れられないことである。ひいては「芸術作品の負担なき楽しみ」を標榜し、反対に「非人間的なもの」または「崇高なもの」を前面にかかげた、現代の一層巧妙な倫理的芸術論もまた――ランシエールが『美学における居心地の悪さ』において、「倫理への旋回」というタイトルで鋭く分析しているように(‘The Ethical Turn of Aesthetics and Politics’, Aesthetics and Its Discontents)――警戒するべきである。しかし、倫理的衝動それ自体は、人間のすべての言行にしみついており、芸術の「効用」もまた程度の問題であり、その良し悪しの問題にすぎず、実際の作品においては決して除去できない要因である。

   もちろん、このような倫理的次元と現実的効用は、「芸術の自律性」ではない「感覚体験の自律性」にもとづく芸術が生まれつき内蔵しているものだというのがランシエールの主張である。したがって、それを喚起することが、彼の「美学的―感性的芸術体制」概念に対する批判にはならない。ただ、芸術作品はおそらく太古の昔から倫理的で再現的でありながら、美的(=感覚体験的)でもあっただろうという点が、ランシエール的な分類法の図式的適用において見過ごされるべきではないと思うのである。

 

4. 詩的なものと大衆の人生――結論にかえて

 

ランシエールに対するきわめて限られた読書を土台に、彼の芸術体制論を批判的に検討してみたのは、韓国詩の現場に戻ってくるためであった。先端の言語実験を敢行する一群の詩人たちを禅僧になぞらえもしたが、大衆に対する不信と、時には軽蔑さえをも含む一種のエリート主義を感じることになるのが、「美学的―感性的芸術体制」に対する排他的な支持と無関係でないかもしれないからである。座禅の修行を通じて、一つのものをきれいに大事にする〔独善其身〕こともたいしたものだが、窮極には衆生の心がすなわち仏の心であり、成仏と済衆が2つではないことを忘却し、自分だけが正しいという「独善」に流れては困るように、「感覚的なものの配分」を変える詩的な突破が、必ずや難解な言語だけで成り立つのだと固執してはならない。さらに大衆が感動し慰安を感じる芸術を基本的に排除する態度は警戒するべきである。  もちろん、「感動」もさまざまな質のものがあり、「慰安」も同じである。特に後者の場合、大衆の現実順応をあおる機能を問題視するのは当然である。しかし、これに関しても、フランコ・モレッティは――私として同意できない立場だが――ハーピー(Harpy:上半身は女で、翼や尾、足の爪は鳥だが、ギリシャ神話で死んだ人間の魂を冥土に連れていく)に駆られる霊魂が不可避の運命を受け入れるように、悲劇的な現実を受け入れさせる「現実原則」を代表するのが文学であると主張する(Franco Moretti, Signs Taken for Wonders, tr. Susan Fischer et al., Verso 1983, 第1章 ‘The Soul and the Harpy:Reflections on the Aims and Methods of Literary Historiography’)。

   とにかく、李章旭が提案した異質な詩的傾向の間の競合を活性化するためにも、一見自然な感動を提供すると思われる詩を最初から除外してはならず、そのような詩もまた感覚体験の特異性を具現するものでないかということを、個別に判別することが重要である。

    たとえば鄭芝溶(チョン・ジヨン)の「郷愁」を見てみよう。タイトルの通り郷愁という自然な情緒を喚起するうえに、自然な土俗的言語で書かれており、歌の歌詞としても知られた作品である。だが、これを「古い抒情」として簡単に除外してしまうならば、「全身」の詩に向けた「競合」を事前に制約することになるだろう。むしろ、この詩においてこそ、誰もが簡単に読んでいるが、決して誰もが書くことはできない、難作の詩ではないかと思う。この点は同じ愛唱曲の歌詞である李殷相(イ・ウンサン)の「帰りたい」に比べる時に実感できる。幼い時、故郷の平和な海を「夢にも忘れようか」と懐かしがり、「帰りたい、ああ、帰りたい」と訴える作品とは、一つ一つの表現の具体性も格が違うが、「そこはよもや夢にも忘れようか」と繰り返す「私」の情緒自体が、質において異なるのである。

 

土で育った私の心
真っ青な空の色がなつかしい
無心に撃った矢を探して
草叢の露に裾を濡らしたところ 閔暎(ミン・ヨン)/崔元植(チェ・ウォンシク)/崔斗錫(チェ・トゥソク) 編 『韓国現代表詩選I』増補版、創作と批評社、1993、89~91頁

 

最初から「離郷」を夢見た自我を――鄭芝溶の他の詩「故郷」の表現によれば、「心は自分の故郷を持たず/遠い港にながれる雲」である、そのような複合性を――「郷愁」を歌うなかでも意識している。その後につづく次のような部分を懐かしみ、次の連で幼い妹がほとんど伝説的な容貌を得る反面、妻に対する情緒はまったく異なる。

 

伝説の海に踊る夜の波のように
黒いおさげをなびかせる幼い妹と
何の感情も持たず、かわいいわけでもない
いつも素足の妻が
熱い陽射しを背に受けて、落ち穂を拾っていたところ
 

 

複合的で微妙なほどである。その時代の慣習にならって結婚した新知識人男性の大多数のように妻に何の感情も持っていないが、相当数の場合とは異なり、本妻を捨てたり捨てようとしたりする態度とは距離がある。むしろ「落ち穂を拾ったところ」という場所を媒介に、妻もまた「郷愁」の対象に位置する。「郷愁」がこのように的確で生き生きした言語の駆使で、常套的な感情の枠組を打破するのは、著者が「無心に撃った矢」のように異郷をめぐって洗練されたモダニストの見識を獲得した点も重要に作用しただろう。

    まったく異なる情緒だが、可読性の高い詩の、もうひとつの例をあげてみよう。

 

アヘンを買いに夜道を歩く
みぞれの降る百里の山道
昼間は酒幕の離れに隠れ寝て
疲れればおかみさんを呼び花札を打つ
くやしくも愚かに死んだ
色あせた主人の写真の下で
淫蕩な戯言で女を笑わせれば
風は裏山の木の枝に吹き来てかたまり
飢え死にした少年の怨鬼のように泣く
いま残ったのは無力な両手の拳だけ
すいとん汁一杯で腹を満たすとき
女は身上話を語り
私たちはおかしなことにやたらと笑いが出る

 

申庚林「雪道」の全文である。比喩といえば「風は(……)飢え死にした少年の怨鬼のように泣く」という直喩一つだけのこの叙述文も、「誰もが書くことができないいい詩」なのか? ならば、どうしてそうなのか?

このような「やさしい」詩であるほど、そのような問いに答えることは難しい。ただ、この詩に含まれた多くの物語を想像し、それがどれほど圧縮的に提示されたかを説明する作業がおそらく必要だろう。換言するならば、「競合」における脱落の是非を分ける基準として、詩人がどのような言語を使ったかに劣らず、どのような言語の使用を抑制したのかも含まれるべきだろうということである。ここで個人的な所感をもって批評作業の代わりをするならば、「雪道」が『創作と批評』の1970年秋号に「あの日」「罷場」などとともに掲載されたのを初めて読んだ時、私は言葉では表現しようのない感動を受けた。この詩が成就した「再現」が生き生きしていた点もあり、再現された内容の「倫理的」な含意も加勢していただろう。同時に――その時はもちろんこのような用語を使わなかったが――誰もが簡単に理解できる言語だけを使って、このような感動を与えたこと自体が、「言語の実験」であり、「文学の実験」に近づいていたのである。

「郷愁」や「雪道」のように読みやすい詩と、「意味の可読性を意図的に放棄」した前衛的な詩の間には、さまざまな種類の中間的事例があるだろう。  朴瑩浚(パク・ヒョンジュン)は、「われわれの時代の「詩的なもの」、そして記憶」(『創作と批評』2007年秋号)で、張錫南(チャン・ソクナム)、高炯烈(コ・ヒョンニョル)、金思寅(キム・サイン)らをそのような事例として論じたことがある。私自身はひとりの詩の世界の中に、誰もが簡単に読めるの『萬人譜』の物語詩と禅僧の難解な言語を網羅している、高銀の初期『萬人譜』の世界に特に注目してきた。   また、キム・オンが、詩に対する通念を破る詩という意味で「小説」を書こうと言ったが、「詩的なもの」を追求する過程においては、通念上でも小説ジャンルに属しながら、はなはだしくは大衆的感動を喚起したりもする作品も、「全身」の履行に向けた競合対象として含ませるべきだろう。

最後に、「政治的なもの」に対して一言付け加えたい。詩人には個人的な政治参加よりは作品の政治性の方が核心問題であり、作品は人々の感性を変えることによって最も本質的な政治参加を遂行するということは正しい。そしてこの点でも、ランシエールが通常の意味の政治は「治安」(la police、英語のpolice)にあたり、真の意味の「政治」(la politique、英語のpolitics)は芸術を通じてであれ、他の方法であれ、「感知可能なものの配分」を再調整する作業であると指摘したのは傾聴に値する。 このような区別は、李章旭が援用したシャンタル・ムッフェ(Chantal Mouffe)の「政治」(politics)と「政治的なもの」(the political)の対応(李章旭、300頁・注6)と相通じる。前者がランシエールの「治安」、後者が彼の「政治」にあたるわけである。   しかし、「治安」――もちろんこれはランシエールのいう治安であり、いわゆる制度圏政治だけではない、あらゆる政治行為を意味する――に対する苦悩が欠如した「政治」への関心というものは、無関心と無責任に対する一種のアリバイとして機能する憂慮がなくはない。ランシエール自身も「政治」とともに「政治的なもの」(le politique、英語のthe political)という単語をほとんど同意語として使いながらも、後者を治安と政治の接点を示す言葉として使ったりもするが(PA、用語解説89頁)、そうであるとしても、近代国家の経営を他より模範的におこなってきた国家の1つであるフランスの知識人であるがゆえに、「治安」に対する介入をあまり重視しなかったのかもしれない。しかし、第三世界や南北分断体制の変革過程にある韓国の場合、治安の領域がきわめて不安定であり、「感覚的なものの分配」に直接的な影響を及ぼす。近例として「龍山(ヨンサン)惨事」〔ソウルの龍山で2009年1月20日、再開発をめぐる抗議運動のなか、強制鎮圧の過程で5人の撤去民と1人の警察官が死亡した事件〕だけを見ても、私たちの社会において「感知可能なもの」の構造に対する根本的な反省を促す事態であると同時に、警察権や司法権のような治安行為に若干の介入があるかないかによって、人々の生に途方もない違いが広がる現場ではないだろうか。

もちろん、政治的なものに対する関心を、作家が生活ではどのように実験し、作品ではどのように具現するかについて決まった答はなく、創作のためにどのような生活をするべきだと強要するのは百害あって一利なしである。この部分でも各自自らのやり方で激しい実験をおこなうのが望ましいのである。ただ、自分なりに熾烈だったために、すぐ正解を見つけたのだと考えるならば、文学をもうひとつの観念の枠組に閉じ込める結果となる。特攻隊の勇猛は尊重するが、大衆とともにする、もう少し多様な勉強と事業を怠ってはならないだろう。

 

 

訳=渡辺直紀

季刊 創作と批評 2009年 冬号(通卷146号)
2009年 12月1日 発行
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