李明博時代、民主的「法治」と道徳性の危機
特集 | 3大危機を乗り越え、3大危機論を乗り越えて
韓神大学社会学科教授。著書に『連帯と熱狂』『エミール・デュルケームのために』など、編著に『87年体制論』(創批言説叢書 2)などがある。
1. 3大危機論の意義と限界
金大中(キム・デジュン)元大統領は、逝去前の2008年11月27日、姜基甲(カン・ギガプ) 民主労働党代表との面談の際、李明博(イ・ミョンバク)政府の下で民主・民生・南北関係の全てが危機にさらされていると指摘し、「3大危機論」を初めて説いた。以後、彼は、機会あるごとに3大危機の深刻性とそれに対抗する必要性を主張した。人々が日常的に接している事態に対して直感的に訴えかけた、大物政治家の3大危機論は、李明博政府を把握する核心的なフレームとして受け入れられている。しかし、3大危機論は、危機の様相を捉えてはいるが、その構造を解明してはおらず、2008年の冬から 2009年初頭の政情と深く関連している面があると言えよう。
南北関係を例に取ってみよう。2008年と2009年初頭の李明博政府は、キャンドル抗争による統治の危機を克服するために、韓国社会内部の冷戦勢力を結集させようと努めた。観光客射殺事件をきっかけに金剛山観光の中断、開城公団の拡大の防止、米朝会話の牽制など、あらゆる冷戦的政策を繰り広げ、2009年の春、第3次北朝鮮核問題危機の原因の一つとなった。金大中元大統領の南北関係危機論は、このような政情を反映している。しかし、昨年の下半期から、李明博政府は南北間の会話を徐々に回復し、首脳会談のための秘密接触を試み、今年に入っては、大統領が直接、年内の南北首脳会談の可能性に触れた。ブッシュ政府の末期には、米朝関係が対決局面から転換の兆しがみえ、オバマ政府の発足により状況が一層肯定的になったことを考え合わせると、これまでに李明博政府がもたらした南北関係の停滞により、韓半島(朝鮮半島)住民のよりよい生活への前進の機会と時間をすり減らしてしまった点は残念であるが、最近の事態を見る限り、2000年の 6•15首脳会談をきっかけに解体期に入った分断体制を再安定化させようとする試みは成功できないということを証明してくれる。李明博政府さえも民主政府時代に敷かれたレールから長期間外れることはできないのだ。
それ以外の面にも三大危機論には政情的な部分が見受けられる。キャンドル抗争により中断されていた大運河事業が4大河川事業として再び本格化したのは、昨年の6月8日に22兆ウォンの予算をかけた4大河川事業計画が公式発表されてからだ。恐らく金大中元大統領が2009年の下半期の状況を目撃していたら、彼は国土・環境の危機までも追加して4大危機と主張したかもしれない。
民生危機においても、李明博政府の性格を把握するためのフレームとして適切であるかどうか、問う必要があるだろう。李明博政府の下で、中間層と下層の生活が一層苦しくなったのは確かな事実である。経済成長においても、公言した7%はもとより、参与政府時代にも遥かに劣っている。しかし、そのような経済的な低迷の原因の一部は米国発の金融危機という外的要因にあり、一部は、通貨危機以降、民主政府の10年間持続してきた新自由主義的な構造調整の産物でもある。非正規職化、雇用のない成長、そして経済的両極化の責任を李明博政府にだけ問い詰めるのは問題があろう。龍山(ヨンサン)惨事を始め、今も進行中のソウルのニュータウン事業による撤去民問題においても李明博大統領がソウル市長時代に始めたことではあるが、当時中央政府であった参与政府も責任を免れない面もあろう。勿論、李明博政府の経済政策には重大な問題がある。雇用効果も大きくなく、大規模な環境破壊を呼び起こす4大河川事業は現在の経済問題解決とは程遠い。そのような意味において、李明博政府の無能と近視眼、そして我執を批判することはできるけれども、民生危機が李明博政府の‘下で’起き、一層深刻化しているとして、これが李明博政府の引き起こした中心危機とは言いがたい。
けれども、危機の内容に対する具体的な分析に関しては、3大危機論に対して異議を唱えることはできても、「危機」という規定自体が間違っているわけでない。李明博政府の1年目はキャンドル抗争でも証明されたように、国家と市民の間に非常な対立局面が形成され、2年目には龍山惨事を始め、盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の悲劇的な逝去などにより集合的な哀悼と憂鬱な雰囲気が広がった。昨年の春以降は、メディア法、4大河川事業、そして世宗市をめぐる論争などが、全ての社会的論議を吸収し、このような政治的混乱の中で、苦しい経済状況に置かされた殆んどの家計が希望を見つけることなど不可能であった。李明博政府は、親庶民政策というメディアイベントを繰り広げているが、当の庶民たちは龍山で殺され、今年の冬も数多くのニュータウンから撤去を強いられている。このような状況に抵抗したり、抵抗の潜在力を持つと見なされた人々は、旧習によりいち早く復帰した公安機関に苦しめられている。このような過程にて、さほど民主的とは言えない実定法さえも不公平に適用され、古典的な自由権さえも脅かされている状況である。南北関係が停滞し、経済的苦痛も加重してはいるが、実は3大危機のうち、民主主義の危機が最も著しいと言えるだろう。
以下は、このような危機状況をより分析的に解明するための鍵として、民主的法治国家の概念を導入する。まず、民主的な法治国家の系譜を論理的に再構成し(2節)、現在の危機を、社会の重大な成就である民主的法治国家が崩れ落ちる状況と関連して考察する(3節)。そして、そのような政治的退行の下に道徳的危機が横たわっていることを明らかにする(4節)。さらに、このような危機を克服できる道徳的資源を探してみたいと思う(5節)。
2. 民主的法治国家の形成と経路
現在、韓国社会の民主主義が危機にさらされているという事実について、少なくとも進歩改革陣営内では幅広い合意がなされている。にも関わらず、そのような雰囲気が、具体的にどの段階でどのように進行しているのかは、経験的な例証が提示されるだけの場合が多い。危機の素材に対する理論的な作業が十分でないために、幾つかの事例を根拠に現政府をファシズムの初期形態と見なすべきだという意見が飛び出したりもした。また、李明博政府への闘争を、民主大連合に従ってすべきか、反新自由主義前線に従ってすべきかという論争も起きた。そのような状況下で、最近、最も争点として浮上している「李明博式法治」が民主主義の危機と如何なる内的関連性を持つかといった問題においては、明瞭な論議がなされていない。従って、李明博政府の下で進行している民主主義の危機を解明すべき基準を設けるためには、法と政治権力の発達、及び相互浸透を論理的に再構成する必要がある。
このような発達史の再構成には、膨大な論議を必要とするが、現在の論議に必要なレベルで簡潔に提示してみると、①法による支配から②法の支配(法治国家)へと、そして③民主的法治国家への移行と規定することが出来る。ホッブス(T. Hobbes)を通して理論的な表現を獲得する(絶対主義)国家は、主権者の手に暴力を集中させることにより社会的平和を成し遂げる。例外的な権力を持つ主権者も法的統治を施行することになるが、それは法的支配が、より安定した支配をもたらすためである。法的支配は、予測可能性と平等な待遇を与え、それにより臣民の協力を得る可能性を増大させる。それは、法のない自然状態において最高の権力を持つ統治者は、法的状況の下でも最高の権力を振るうことができ、被治者にとっても予測可能性や同等な待遇という点において、自然状態よりも、よい状態を確保できるからである。しかし、ホッブス的な契約状況の下で構成された法的統治の中で主権者は、なおも例外的なパワーを持つ。彼は、法を樹立し、廃止する権限だけでなく、一時的に法を停止させる権限をも握っている。しかし、慎重な統治者ならば、このような例外状態を主権者の慈悲という形で、又は赦免という形で最小化することにより暴君と呼ばれるのを避けようとするだろう。 カール・シュミット(Carl Schmitt)やジョルジョ・アガンベン(Giorgio Agamben )は、このような主権者による例外状態樹立が民主的法治国家段階においても発生することを指摘する。しかし、例外状態の概念史は、このような法の滞留が社会状態でない自然状態に基づいたものであることを示している。例外状態は社会状態の外部である国際関係や戦争、若しくは社会状態が解体された内戦と関連したものか、喩え虚構的であろうとそのような状態を装って形成されるものである。詳細な論議は、アガンベン『例外状態』、キム・ハン訳、セムルキョル、2009、参照。
法による支配の下、統治者は、組織された社会成員に挑戦を受け、その結果、両者が一定の妥協に至り、その成果が制度化、法制化されると、我々は、法が統治者と市民を統制する法治国家、つまり、法の支配状況に到達するのである。法の支配の下では、政府は市民の私的主導権が作動する生活の一定領域において、「法に反して、法から逸脱して、法を超えて」介入することはできない。
しかし、この場合、法の発生と適用の脈略は、依然として市民の意志と結びついていない。法の形成と適用が、市民の民主的意志を取り入れて行われ、その意志から正当性が引き出されて始めて、ルソー(J.-J. Rousseau)によって理論的に表現され、フランス革命を通して具現された民主的法治国家となる。この段階で、市民は法の受信者であるだけでなく、著者でもあるため、立法過程に参加できる制度的手続きが形成され、法の適用過程において民主的に形成された世論によって影響を与えることができる。正当性の根源が市民の公論と民主的意志に帰属することによって、民主的意志を確認する手続きもまた、法制化される。普遍的で平等な選挙権や政党結成の自由の法的保障は、その代表的な例と言えよう。
このような民主的な法治国家は、民主的福祉国家を予備する。民主的福祉国家への発展は、階級構造に根付いた社会内の権力関係を法的に規制することを意味する。労働3権の法制化、不当な解雇禁止や社会的安全網の形成はそのような過程の基本的な例である。こうして、民主的法治国家が、統治者や統治者と繋がった官僚制的国家機構の権力行使を統制するように、民主的福祉国家は、資本蓄積の中で危険にさらされた平凡な市民の生活を保護し、資本と労働する市民の不均衡な権力関係において、均衡軸の役割を果すのである。
法は、政治権力に支えられている強制力の体系であると同時に、権利の体系という二重性を持っている。従って、このような発達過程は権利体系の発達によって言い換えることもできる。法治国家、民主的法治国家、民主的福祉国家は、マーシャル(T.H. Marshall)の提示した自由権、参政権、社会権の制度化とそれぞれ対応すると言えよう。ここで指摘すべき点は、マーシャルが単純な進化的過程として提示し、同一平面上に配置した権利のうち、参政権は例外的な重要性を持っているということである。法制化以前にも自由を制度化する力は、政治的参与を権利として自任する態度から生じるという点で、それは全ての権利の根本的な土台であると言える。 参政権は、それに先立って制度化された古典的な自由権さえも根拠づける原理である。自由権は、その正当化原理を自然権理論に求めた。しかし、参詣権の登場と共に、自由権は自然権に依存する必要なく、社会内部から構成される。決定に影響を受ける者と決定に参与する者の一致を要求する参政権から見ると、私的自主権を確保する自由権は、社会成員の決定能力を形成する土台として保護されるべきである。 従って、参政権と繋がる民主的法治国家の理念がなくては、如何なる権利の制度化も規範的な土台を喪失することとなる。そのような意味において、民主的法治国家は、決定的な指標と言え、そこからの後退は社会的危機を構成する。後退は、蓄積された社会発展成果の解体であり、民主的福祉国家という未来の喪失でもあるからだ。 ここで論議される民主的法治国家や民主的福祉国家の概念に対して二つの批判が起きるかもしれない。まず、これらの概念が特定の国家を経験的な準拠としていると批判できるだろう。しかし、民主的法治国家や民主的福祉国家は、現実の社会を参照しているが、基本的に法と政治権力の作動論理を指す。例えば、民主的福祉国家は、現実的に存在する北欧の福祉国家などと同一視するのではなく、民主的法治国家に媒介された「人民のための(for the people)」政治の展開を意味する。次に、一国的モデルという批判もあるかもしれない。確かに国家という名称がついてはいるが、このような概念は国家の範疇以上の政治共同体に適用可能である。例えば、欧州連合は国家の範疇を超越しているが、その構成論理は民主的法治国家や民主的福祉国家の概念に照らし合わせ、分析し批判できよう。
3. 民主的法治国家からの退行
再構成された発達史が経験的な歴史と一対一で対応するわけでないが、それを我が国の近現代史、特に民主化以降の歴史を特定の角度から照らすサーチライトとすることができるだろう。民主的な法治国家の理念から見れば、植民地時代は、民主主義の主体である人民自体を形成し主権を回復しようとした「人民の」(of the people)闘争史であったと言えよう。けれども、植民地解放以降も、分断体制が樹立し、統一的な人民は形成されなかった。世界史的な冷戦を内戦として内在化した分断体制は、一種の例外状態の一般化、又は長期的例外状態と言えよう。韓国で、反共主義は、この例外状態の理念であったと見なすことができ、幾度かの改憲を経た憲政史において、国家保安法は「裏の憲法」として例外状態を支えた。こうして韓国政府は世界的成果を基盤に、理念的には民主的法治国家を目標として出発したが、実現する過程において持続的な障害に直面した。実際の統治の経験的レベルから見ると、韓国社会は、発達史的に再構成した段階が交錯した様相を呈し、時には社会状態以前の自然状態において現われる原始的支配へと退行したりもした。
それにも関わらず、少なくとも1987年の民主化以降、「人民による」(by the people)政治、即ち、民主的法治国家を目指した過程は、比較的一貫性を持って発展した。民主化は、分断体制自体を揺さぶり、このような揺さぶりは、世界史的な冷戦の解体により一層加速化されたが、これは、韓国においては分断体制が強制してきた抑圧的な社会統合力の弱体化として、北朝鮮においては、体制統合の急速的な弱体化として現われた。 以下の論議においても社会学の理論において一般的に受け入れられている社会統合(social integration)と体系統合(system integration)の区別を活用する。前者は社会が解体されず、一つの総体として維持される統合性が社会文化的価値や規範に依存する場合である。後者は、個人の具体的相互作用の脈略を超え、自立化されたシステムによって社会の統合性を維持する場合を指す。例えば、市場経済や国家行政体制、軍事的組織などは、具体的な行為者の価値と規範に基づいた同意ではなく、それが成し遂げた投入-産出の調節能力に依存する。分断体制の動揺と関連して言うならば、その動揺が韓国では社会統合レベルで亀裂をもたらしたとすると、北朝鮮では社会統合レベルよりも生活用品の供給や燃料の供給など、体系統合のレベルで亀裂が生じたと言えよう。どちらのレベルの方が大きな亀裂の要因であろうが、片方で生じた亀裂は長期的にはもう一方の統合レベルの亀裂を呼び起こすであろう。 このように、分断体制の揺れによって、韓国社会は、民主的法治国家へと、さらには民主的福祉国家へと発展する多くの機会を得たが、分断体制は依然として厳然たる制約要因として横たわっている。 ここで詳細に述べることはできないが、我々の社会の経験を説明するためには、民主的法治国家及び民主的福祉国家と分断体制との関連性を考察する必要がある。この関連性を考察する際、分断体制を韓国社会の民主的法治国家と民主的福祉国家の発展を限定する経験的要因でだけ分析するのは幅の狭いアプローチであろう。民主的法治国家と民主的福祉国家は、前述したように、国家以上の政治共同体にも適用され、そのような意味において分断体制が志向する新たな政治共同体の内的構成方法とも関連している。例えば、分断体制論が分断克服の核心段階として設定している国家連合や、それ以上の発達形態においても政治権力と法の作動論理は民主的法治国家の理念に基づいて構成されるべきであろう。 それ故に、新たに開かれた機会を捕らえ、活用するための実践的な負担は決して軽くはない。
李明博政府の下で起こっている現象は、分断体制の制約が非常に弱体化された状況においても一定の影響力を持って作動するという事実がよく現われている。実際、保守勢力の中核は、依然として分断体制の既得権を固守しようとする冷戦型保守であり、当選するために公約した経済的約束を守る能力のない李明博政府は、統治の安定化のために彼らを中心パートナーとして選択した。 韓国社会の保守層の中には「合理的な保守」といえる集団がある。しかし、ニューライト勢力や、保守メディアでも分かるように能動化された保守層は冷戦型と言えよう。彼らが社会において握っているヘゲモニー的能力は、分断体制の揺れによって決定的に傷を負い、長期的には維持不可能と思われる。 それでも統治が維持されているのは、それが、社会成員多数の同意と協力を必要条件とはしていないからである。仮に多数が政府の統治に反対したとしても、有効に結集することはできないだろうし、選挙と選挙の間に民主的意志が投入される適当な装置がなければ、社会内の少数集団をパートナーにしても統治は維持できる。発達した官僚機構を制御し活用できればなおさらのことだ。李明博政府は、財閥や保守メディアなどを中心パートナーとして露骨で不公平な物質的メリットを与え、また、減税などを通して上流層の資産階級全般へと外延を拡大した。さらには、批判的なメディアを無力化したり孤立させたりして、選択的な法の適用により政権に抵抗的な集団を積極的に統制した。こうして民主化以降、発達した民主的法治国家は、逆に法治国家を経て、法による支配へと急速に退行した。 このような退行を今少し明瞭にするために若干の分析枠を導入してみたい。単純化のために、全体の社会成員を中下層集団xと上層集団 yに分類する。そして二つの集団間の経済的分配状況をD(x,y)、政治的自由と権利の制度化レベルと配分状況をL(x, y)と表記して見よう。例えば、D(4, 6)がD(5, 5)へと変化した場合、民主的福祉国家への前進、D(3, 7)へと変化した場合、民主的福祉国家からの後退と定義できよう。政治的自由の場合、L(4, 4)がL(5, 5)へと変化すれば、それは自由の拡大と制度化を意味し、L(3, 3)へと変化した場合、民主的法治国家の法治国家への退行と言える。なぜなら、一般的に民主的法治国家が法治国家より高いレベルの自由の制度化として現われるからである。しかし、万が一L(4, 4)がL(3, 5)若しくはL(2, 6)へと変化するならば、それは法による支配への退行と言える。法治国家は統治者と市民集団が同等に法の適用を受ける一方で、法による支配はそのような同等性が崩れるためである。
このような法による支配への退行は、検警の法の適用と執行においての選択性・自意性によく現われている。検警は、李明博政府に負担となる事件、例えば大統領選挙前のBBK事件や曉星(ヒョソン)秘密資金事件、韓相律(ハン・サンユル)ゲートなどに対しては、手抜き捜査と無容疑処理で一貫した。これにひきかえ、盧武鉉前大統領を始め、政府に抗議する市民には、苛酷な捜査を進めた。1600人余りのキャンドルデモに参加した市民に対する起訴及び略式起訴、ミネルバの拘束、鄭淵珠(ジョン・ヨンジュ)前社長の背任容疑、<PD手帳>事件、全教組の時局宣言事件など、数え切れないほどである。 このような事件に対して無罪判決が相次いだ理由は、検察が如何に無理な起訴を乱発したかを明らかにしている。裁判所の判決と関連して保守メディアは執拗に裁判官たちに圧力を加えており、判決をイデオロギー的な葛藤として捉えようとする発言を続けている。申暎澈(シン・ヨンチョル)最高裁判官の裁判介入事件に対して沈黙したことを想起すると、保守メディアの態度は、厚かましいとさえ感じるだけでなく、現在の事案に関しても呆れるかぎりである。民主的な社会では、誰でも裁判所を批判できる。社会的世論の波が裁判所の扉を叩くのは当然のことだ。法の適用が機械的な過程でない限り、裁判官もまた消極的な立法者の役割を受け持ち、それ故に、世論の真空状態の中にはいられないからである。しかし、事案が憲法と法律の進歩的、若しくは保守的な解釈の問題でなく、鄭淵珠前社長のように裁判所の仲裁に従って下された決定を背任と見るべきかという問題や、容疑事実の公表を日常茶飯事のように行う検察のプライバシー保護という呆れた理由で隠蔽された捜査記録公開を命令すること、又は、 姜基甲議員の事例のような公務執行妨害罪や、公用物損壊罪などの問題ならば、それらに関連して裁判官に社会的世論を批判的に読み取り、判決に反映させる消極的な立法者の姿を期待することは愚かなことだ。そのような問題は法律と蓄積された判例に従って容易に解決できるものであって、理念的なスペクトラムが介入できる事案ではない。
このような退行は、先程も指摘したように、韓国社会が深刻な危機に直面していることを証明しており、何よりも民主的法治国家を復元することが核心課題であることを物語っている。87年体制を通して、民主的法治国家が発展してゆく過程においても民主的福祉国家の発展は足踏み状態であった。そういった点だけを排他的に強調することにより、李明博政府と民主政府の10年間の違いを副次的なものとして把握しようとする人々がいる。けれども、民主的法治国家の発展が民主的福祉国家への道を保障するわけではないと言っても、前者が維持されてこそ、後者への道が開かれていると言えるのである。逆に民主的法治国家からの退行は、民主的福祉国家への道を遮断してしまう。だからこそ、進歩陣営の一部に現われている、達成できなかった民主的福祉国家の観点から民主的法治国家の虚構性を暴露するといった態度から脱皮し、民主的法治国家の復元という課題に向けて連帯する努力が必要なのである。
4. 漸層する道徳的頽落の危険
民主的法治国家の復元が重要である理由は、単にそれが政治的危機に限られたものではなく、道徳的な危機とも結びついているからである。筆者は、法による統治への退行が、少なくとも、次の二つの道徳的危機と関連していると思う。一つは、法による支配への退行を誘発する李明博大統領と執権勢力の道徳的危機であり、もう一つは、そのような統治集団の道徳的危機が引き起こす社会的レベルでの道徳的退行の危険である。
まず最初に、問題を把握するために、我々が採択している大統領制の意味をもう一度考えてみよう。純粋な大統領制、つまり、有権者が大統領を直接選出する制度下にて、大統領の権力は非常に大きいため、「帝王的な大統領」という表現がよく使われる。しかし、大統領は、帝王的というよりも、世俗的で一時的な君主に過ぎない。伝統社会での君主制は、常に継承の危機に直面する。大統領制民主主義とは、この継承の危機をむしろ、制度の肯定的な条件へと転換した形だと言えよう。即ち血統による継承を、市民による選出へと変えることにより、前者の不安定性を手順化された民主的意志が実現できる「空いた空間」へと転換する。このような変形にも関わらず、大統領制は、制度的な実行を決定権者の人格的統一性、つまり、一人統治と連係する装置であるという点で君主制の属性を維持する。このような大統領制において、民主主義の作動は、大統領の知的・道徳的指導力、さらには教養とまで関わってくる。従って、メディアやゴシップ記事などにより、浮き彫りになった李明博大統領の姿は、標準的な社会科学で捉えるよりも、遥かに民主主義の作動と深く関わっている。 身近な例を挙げれば、民主化以降、全ての大統領は一種のメガプロジェクトを試みた。盧泰愚(ノ・テウ)大統領は北方政策を、金泳三(キム・ヨンサム)大統領はOECD加入と金融解放を、金大中大統領は南北首脳会談を、盧武鉉大統領は地域均衡発展と韓米FTAを、そして李明博大統領は4大河川事業を進めた。メガプロジェクトの試み自体もそうであるが、それがどのような種類のものであり、どの程度政策的精巧さや一貫性があるかは大統領の知的判断力、そして教養レベルと深く関連している。
選挙運動期間に既に表面化した前科の経歴や数多くの疑惑など、李明博候補は大統領になるには、重大な欠点を抱えていた。ところが、盧武鉉政府に大きく失望していた上に、分配を成長の遠回りとして体験してきた社会成員にとって、李明博候補の経済成長の経歴は、彼の欠点を隠してしまうほど魅力的であったようだ。画期的な経済成長の具体的な方法を問う記者たちに、「事業をしたことのある者にはノウハウがある」と語った彼に、そのような秘策などは実は全くなかったということが執権後、間もなく明らかになった。「問題はあるが、成長を成し遂げることができれば」という大衆の期待が裏切られ、残ったのは彼の欠点が引き起こした道徳的危機であった。
或る者は、公約に対する期待が裏切られることは、常にあったことだと言うかも知れない。けれども、単に公約の不履行の問題ではなく、今も、彼が欠点を徐々に増やしているということが問題なのである。特に、注目すべきは、よく指摘される彼の言動であり、特に「明らかな嘘」であると問題となった拳銃脅迫事件の話は非常に兆候的である。昨年の12月1日、国賓訪問中のショーヨム・ラースローハンガリー大統領を招待した晩餐会で、彼は自分の体験した拳銃脅迫事件について語ったが、それは「嘘」騒動を引き起こした。 余り説得力のない靑瓦臺(チョンワデ)の言い訳のように、それが誤って伝わった内容でないならば、彼の言ったことをどう受け止めればいいのだろうか。
歴代大統領の中で、「嘘」が問題となったのは、李明博大統領一人だけではない。しかし、過去の大統領の発言において、嘘が問題となったのは、殆んどが、意志の非一貫性や、隠蔽又は歪曲された事実の暴露に関連したものであった。そして、後者の場合、初めから隠蔽と歪曲のため、可能な限りの権力者たちが動員されるわけであって、李明博大統領のように証言と目撃者に囲まれて隠蔽や歪曲がほぼ不可能な事実と関連したものではなかった。彼が嘘をついたのが事実ならば、それは政治的目的ではなく、隠蔽や歪曲の成功を前提としたものでもなく、意志の非一貫性が表出したものでもない。この特殊な事件話の出現を説明するものは、彼が公的領域と私的ビジネスを区別できないという事実、そして、ただ具体的に自分の目の前にいる他者との会話をそれらしく進めていくだけで、その向こうに存在する一般的な他者、若しくは公的視線を全く意識できないという事実である。普通、嘘をつく主体は真実を隠したり歪曲したりして、自分の意図について弁解すようとするが、そのような事実自体が、公的な視線を前提として意識しているということを証明している。しかし、李明博大統領の態度にはこのような前提とそれに対する意識が働いているようには思えない。 自分自身が窮地に追い込まれると、相手の望む話をし、以後の検証は、その時にまたそれなりにうまく逃れようといった風の態度はこれ以外にも見られる。キャンドル抗争に直面した際は、牛肉輸入開放を謝罪し、キャンドル抗争が衰えると、キャンドル市民を弾圧したり、また、大運河を4大河川事業へと変えて進めたりする事実は代表的な例である。さらに<大統領との対談>に出演して参与政府の水質管理の報告書の内容を歪曲して紹介した例も同じである。
統治権者のこのような態度は、官僚集団の中へと広がっていき、公的文化の頽落へとつながる。 そのような例として、今年の1月11日に政府が発表した「世宗市開発方案」(修正案)を挙げることができよう。『ハンギョレ』によると、修正案には相当な歪曲と嘘が存在する。政府は修正案を発表しながら、世宗市の目標人口を「原案は17万人、修正案は50万人」だと明らかにした。しかし、原案の世宗市の目標人口は「行政中心複合都市開発計画」(行政都市建設庁)にも出ているように50万人である。開発計画でこれを修正した事実がないのに政府は修正案を勝手に33万人も減らして発表した。このように目標人口を減らしため、雇用人口も原案は8万4000人余りと、修正案の雇用人口24万6000人の3分の1に過ぎない。こようなことが容易に行われるのは、統治者の行動や態度が公職文化を歪めているからである。この他にも各種の法律を違反しつつ進められている4大河川事業も同じ例と言えよう。 このような頽落が民主的法治国家を支える道徳の危機へと結びついていくのは、民主的法治国家の発展が、一般的な他者、又は公的視線の形成過程でもあるからだ。民主化以降、韓国社会は重大な個人的損失さえも覚悟の上で内部の腐敗を訴えた数多くの内部告発者、腐敗を監視する市民団体、独立性を守ろうとする記者、不偏不党の歴史学者と裁判官、そして良心的な科学者と公務員により道徳的自己浄化を行い、関連制度を改善してきた。それと共に全ての社会成員が公的視線を意識しながら行動するようになり、そのような行動により発生する個人的損失は減少し、公的に還流された利益は増大する善循環へと移行してきた。
このように民主的法治国家の進展と共に構築された文化的下部構造が、大統領と官僚機構の道徳的頽落により、一瞬のうちに解体されるわけではない。後述するが、キャンドル抗争の中で「憲法第1条」を大きく叫び、戦闘警察車に不法駐車の張り紙を貼った市民たちの行動は民主的法治国家を支える公的文化が無視できないほどに成熟しているという事実を証明している。しかし、民主的法治国家の文化的土台が十分なほどしっかりしているわけではない。民主的法治国家の経験よりも遥かに長期間にわたって、韓国社会の成員は民主的法治国家に満たない体制の下で生活し、それ故に、そのような体制の下で形成された習俗は未だ清算されていない。統治者と国家官僚機構の退行、保守派内での冷戦的集団の強化と保守メディアの世論の支配、経済的生活機会の悪化などが古くからの習俗を呼び戻し、民主化以降、ようやく成長した公的文化の頽落を招く危険性は常に存在する。
脅威が権威主義政府の下で形成された旧習から来るのだけではない。通貨危機以降、進行した新自由主義化もまた、道徳的危機を誘発する危険要素である。新自由主義は経済構造を再構成する理論的な言説であるだけでなく、日常的な実践に入り込み、それを解釈する意味資源となるパワーを持っている。新自由主義は、体系統合の言説であるだけでなく、社会統合の言説として働くことにより行為者の動機と態度を縛りつけようとしているのである。通貨危機以降、韓国社会に流行した数多くの自己啓発書は、こういった点をよく表している。そのような書籍は、個人に自らを企業と見なし、自己経営の主体になることを進め、自分の俗物性を認める自己配慮の主体になることを進めてきた。非常に低いレベルの連帯の文化までも枯れ尽くしてしまうこのような新自由主義的な自我テクニックは、通貨危機以降進められたリストラ、非正規職化、そして自営業化の中で、不安的な個人の中に深く染み込んだ。 ミシェル・フーコー(Michel Foucault)の自我テクニックの概念を活用し、新自由主義の文化の浸透様相を詳細に考察した著書として、ソ・ドンジンの『自由の意志、自己開発の意志』(ドルベゲ、2009)が参照できる。一つ指摘したいのは、フーコーの自我テクニックが単に新自由主義的なものに限定されていない多様な様式があり、そのため、進歩的な形態を取る可能性もあるという点だ。そういった見方をすれば、自由と自我を結びつける自我テクニックに対しての問題意識がないという事実は進歩改革陣営にとって重大な弱みである。日常的な局面で応用可能なこのようなテクニックを、恐らく生態主義だけが一部開発したと言えよう。「何をすべきか。」に答えると同時にそれを個人の自由の行使と結び付けられる自我テクニックの開発がなければ、社会的連帯感と公的文化は力動性と推進力を得られないだろう。 実際、資産と負債の殆どが不動産に縛られている人々にとって、財テクは切実な課題である。品格のある職が徐々に減少してゆく社会において、スペック積みに忙しい大学生、そしてそのような大学生の子を持つ親に「金持ちパパ」「貧乏パパ」といった流行語や、不良年金制度によって老後を脅かされている人々にとって「10億作りプロジェクト」などはセイレーンの誘惑に過ぎない。このように克服の望みのない適応、適応を超え適応強迫へと導く新自由主義的な社会統合は、人々の問題を解決はおろか、集合的で政治的な問題解決に背を向けせることにより、民主的法治国家の道徳的支援を侵食し、民主的福祉国家へと進む力を弱体化させるだけである。けれども、そのような体制の脅威を自我テクニックを通して防御するようにたきつける文化が現在の我々の社会にかなりの影響力を与えていることは否定できない。
5. キャンドルで振り返る道徳的省察
現在の部分日食を終わらせることのできる力は何であろうか。そのために我々ができることは何であろうか。このような問題を見つめなおすためには、かつて数多くの市民と知識人の心を引き付けたキャンドル抗争へと振り返る必要がある。キャンドル抗争が社会の道徳的配置様相と潜在力を示してくれるからである。
バリー・ワインゲスト(Barry R. Weingast)の指摘のように、民主主義体制において選挙と選挙の間に市民が直接統治をするためには、多くの市民の価値合意と集合行動が必要だ。 B.R. Weingast, “The Political Foundations of Democracy and the Rule of Law,” The American Political Science Review Vol. 91(2)、1997、245~63頁参照。 この二つの条件は、多元的で複雑な社会では、容易く満たせないが、キャンドル抗争はその条件を満たすことができた。一つ目の条件が満たされた理由は、まず、李明博政府の思考の狭さと浅はかさに大衆が失望していたところに、米国産牛肉開放の強行が、一種の道徳的最低線に触れたためであり、もう一つは、民主的法治国家の形成と共に、放送領域の独立性が拡大され、批判的なメディアが形成されることにより公論の場が一定のレベルの健全さを回復した点、そして情報化が啓蒙を組織する力量を補強したことによって保守メディアのヘゲモニーが制約されたためであった。二つ目の条件は、かなり困難な古典的ジレンマを解決しなければならない。いわゆる「只乗り」と言われる問題が介入するからである。公的に価値のある結果を得るために社会成員の多数が参加した時、個人的に最も合理的なのは自分を除いた多数が協同し、自分はその協同から抜け出すことだ。その時、自分は費用を全く支払わずに価値のある結果を享有することができる。 しかし、全ての人々が個人的に合理的な行動をとれば、公的に価値のある結果は生まれない。制裁力を備えた中心的権威のない脱中心化された集合行動という状況の中で「只乗り」問題を解決するのは非常に難しいことだ。
しかし、キャンドル抗争では、このような集合的協同に内包されたジレンマがスピーディーに解決されたのであるが、その理由は、短期的な個人の利害関係を一定程度超えた道徳的態度が働いたためであった。このような態度を筆者は伝統的な道徳哲学の範疇を援用し三つに区別できると思われる。一つ目は、日常的カント主義である。この範疇に属するものの多数が、協同して多数に利益のあることであれば、それを行う道徳的な態度をとる。従って結果による産出の有無や他者の参加を行為選択の主要変数として扱わない。 二つ目は功利主義である。彼らは、公共善意の増進を目指す。しかし結果志向的であるため、少数の参加により結果を得ることができそうになければ協同しない。三つ目は公正性主義である。彼らは、公正(fairness)であることを望むため、他者の協同に「只乗り」をしない。そういった意味で他者の参加を重要な条件として扱う。 この場合、どの程度の多数が参加した時に自分も参加しなければならないかという道徳的圧力を感じるかは経験的問題である。けれども殆どの人々が参加してから参加するというなら、それは公正性主義者というよりは機会主義者と言えよう。
このような道徳的な態度をキャンドル抗争に照らし合わせてみたい。米国産の牛肉輸入開放に抗議しながら最初にデモを組織した青少年たちはカント主義と言えよう。彼らが、全ての面で一貫したカント主義とは言えないが、特定の争点に対して結果の産出や他者の参加とは関係なく正しいことをしようとした。 彼らの行動は追加的に、他のカント主義者を集める結果となった。そして、それが一定の社会的反響を呼び起こすと、そのような結集が政府の行動に影響を与えることができると判断した功利主義者たちが、そして、その次に「只乗り」に羞恥心を感じる公正性主義者たちが参加したと言えよう。 キャンド抗争の後退もまた、同じような論理で説明できよう。 このような観点からして、キャンドル抗争は高いレベルの持続的で創意的、そして道徳的な動員の産物であると同時に、そのような道徳的な性向が我々の社会に広範囲な大衆的基盤を備えているということをみせてくれた。
道徳的態度は、状況によって変わる利害関心よりも遥かに長期的な社会化の結果であり、それだけに安定性を持っている。そのような意味で、先程指摘した三つの道徳的態度の拡散と表出は、民主的法治国家の下で形成された民主主義的選好と道徳的発達の成果と言えよう。キャンドル抗争に参加した人々は、入試に苦しむ青少年、職場探しのためのスペック積みに忙しい大学生、経済的苦痛の中で低賃金や家賃、教育費、老後を心配する一般市民たちであった。彼らは、私的な生活の苦しみのために、むしろ個人的な合理性を追求する状況に適応すべきであるが、民主的法治国家で成長し、生活しながら、公的生活に自分自身を一定程度は投入する意志を持った存在に育ったと言えよう。キャンドル抗争は、このような公的文化が、権威主義政府時代から受け継がれた習俗と新自由主義的文化の変動に対抗する潜在力を持っており、制約された機会構造が変化すれば、充分に解決できるという可能性を示してくれた。
それにもかかわらず、このような道徳的性向の分布には弱点が存在する。政府の政策を統制するのに有効な集合行動を可能にするためには、一定の数以上のカント主義者と彼らのバトンを功利主義者へと渡せる道徳的リレーの条件(例えば、メディアよりもソウル広場のような高い可視性)が確保されなければならない。これらの条件は経験的であるだけに常に確保されるわけではなく、破壊されることもある。現に、李明博政府は、このような経験的条件を破壊するのに力を注いだ。集会を積極的に統制し、保守的市民団体を動員してメディアを弾圧することにより、功利主義者たちに政府から望ましい結果を引き出すには限界があるということを認識させ、彼らの離脱を誘導した。 そして参加数が減少すると、公正性主義者たちの「只乗り」に対する負担はなくなり、その結果、孤立したカント主義者たちを、李明博政府はあらゆる手段を動員して弾圧した。
このように潜在状態へと後退した市民たちは、自らの選好と道徳的態度を現実化する出口を補欠選挙という狭い機会の中で求めた。しかし、今後、遥かに拡大された政治的出口である地方選挙を目の前に控えている。キャンドル抗争において表面化した市民たちの欲求が、それを満たす政治的代案と結びつけば、民主的法治国家の頽落という政治的危機をかなりのレベルで食い止めることができ、政治的機会構造の変化に従って、道徳的危機も或る程度は防げるだろう。そのような意味で、現在論議されている政治連合は決定的な重要性を持っている。
しかし、道徳的危機の防御に止まらず、それを克服する方向を見つけることも非常に重要な問題である。なぜなら、民主的法治国家を守りながら、それを民主的福祉国家へと導くための最も堅固な陣地は、市民的な道徳の強化であるからだ。よく考えて見ると、キャンドル抗争を導いた力は、民主的法治国家の主権意識と啓蒙化された自己利益が連係したものであった。複雑な社会的過程を経由し、その利益が結局自分自身に戻ってくるだけに、近視眼から抜け出せる教養と道徳的判断力が要請される。確かに、キャンドル抗争は、このような判断力が発展したことを証明している。けれども、それもやはり自己利益と結びついたものであり、それ故に、自分の存在自体を扶養している社会的連帯性に充分に敏感ではない。このような連帯性に鈍感な者は、自分の成功が、意図したことであろうがなかろうが、より多くの社会的資源を活用し、その一部は簒奪したおかげだということに気付かず、他者の失敗が、人間的な弱点だけでなく、社会構造という歯車に引き潰された結果であるということにも気付かない。しかし、このような社会的な連帯にまでも道徳的洞察が拡大されるならば、我々は民主的福祉国家を目指し、しっかりとした一歩を踏み出すことができるだろう。民主的法治国家が民主的福祉国家を予備するが、民主的福祉国家の発展は、民主的法治国家を一層強化する。民主主義とは、ペダルを回さなければ立っていられない自転車のようなものだからだ。民主的法治国家を守るために我々はペダルを回し、一歩ずつ前進しなければならない。(*)
季刊 創作と批評 2010年 春号(通卷147号)