창작과 비평

〔対話〕 20代の話題、聞いてみた?: 若者世代の文化と政治 ①

対話


キム・サグァ/チョン・ダヘ/ハン・ユニョン/チョン・ソヨン

 

 


キム・サグァ / チョン・ソヨン / ハン・ユニョン / チョン・ダヘ (左から)

 

キム・サグァ 小説家。創作と批評新人賞でデビュー。長篇小説『ミナ』『草が横になる』など。
ハン・ユニョン   ネット評論家、著書に『キーボード・ウォリアー戦闘日誌2000-2009』『ニューライト使用後記』など。
チョン・ダヘ 延世大第47代総学生会長当選者。史学科在学中。
チョン・ソヨン 季刊『創作と批評』編集記者。

チョン・ソヨン(司会) こんにちは、私は季刊『創作と批評』編集記者のチョン・ソヨンと申します。今号の「対話」のコーナーは、「20代の若者世代の文化と政治」というテーマを準備しました。これまで20代という集団に対して、「保守化した」「シニカルだ」というような価値評価が多くなされています。


ですが、当の20代は自らを語る機会にさほど多く恵まれていなかったようです。今日は小説家のキム・サグァさん、ネット評論家として活躍中のハン・ユニョンさん、延世大第47代総学生会長当選者のチョン・ダヘさんと、このように20代の3人を迎えていろいろと語って頂こうと思います。私も20代です(笑)。きちんとした正解でなくても率直な話をやりとりし、この場を通じて発展的な指向を見出せたらと思います。ひとまず各自、自己紹介をして頂けるでしょうか。どのようなお仕事をされているか、また20代としてのご自身のアイデンティティ、もう少し具体化するならば、政治的アイデンティティを形成することになった契機を含め、おっしゃって頂ければと思います。

 

 

20代、自分はどのように自己形成したか

 

キム・サグァ 私は小説家と呼ばれているキム・サグァです。個人的には小説家というよりは、物書きと呼ばれたくて、さまざまな分野の物を書くことに関心があります。私のアイデンティティ形成に大きな影響を及ぼした出来事が何かと言われれば、まずはIMFの金融危機(1998)を挙げることができるでしょうが、それは今になって振り返れば、そのような気がするようでもあります。個人的に最も大きく政治的覚醒を起こしたのは高校を中退したことだと思います。親が政治的に保守的な方ではないので、私も同様に進歩的な指向を持って育ちましたが、韓国現代史や政治的な問題に対して具体的には何も知りませんでした。簡単に言えば、光州(クァンジュ)民主化抗争がとても重要な事件であるということは知っていますが、それが何年に起きたことか知らずに全体的な枠が分からないようなありさまです。テレビで『第5共和国』のようなドラマが放映されて、光州(クァンジュ)事件がこのようなときに起こったのだと知ったような次第です。そのようななかで高校の時「脱学校の集まり」というものができて、韓国の公教育の実態が正しくないと思い、自ら学校をやめる子供たちが出てきて、そこに関心のある友人が私に、それと関連したオルタナティブ教育の雑誌を教えてくれました。それが始まりでした。それ以前にも、自分が受けた教育に対して批判的な見解はありましたが、実際にそのような運動をする人がいるということを発見すると、そのように違う道もあるんだなあという気がしました。それで大きな恐れや迷いなしに学校をやめられたようです。それとともに、そこにあるオルタナティブ学校関連の友人と出会うことになり、自然に進歩的な懸案を考えるようになりました。それとともに、以前持っていた曖昧な印象が具体的になってきて、進歩政党や反戦運動のようなことに関心を持つようになりました。

チョン・ソヨン 高校中退という個人的な出来事が、社会的な次元のイシューに転換する契機になったようです。韓国社会ではやはり最も深刻な問題の1つが教育のようです。ハン・ユニョンさん、どうぞ。

ハン・ユニョン 私はいわゆる「ネット評論家」です。実際にインターネットで政治参加をして政治を学んだというか、そのようなケースです。インターネットが活性化し始めた頃には高校生でしたが、掲示板でさまざまなものを見て、アンチ<朝鮮日報>運動に参加し、康俊晩(カン・ジュンマン)や陳重権(チン・ジュングォン)が書いたものを読んで、そのような形で自然に政治に関心を持つようになりました。私が最近まとめの作業をしている本も、タイトルはまだ決まっていませんが、『アンチ<朝鮮日報>運動史』のようなものですが、これはここ10年ほどの話です。ですがその話をすると、当時の政治的事件を説明するために、はるか過去にさかのぼることになります。そのように韓国政治や現代史全般へと関心が拡がりつづけました。

20代について語る時、IMFのことに触れるでしょう。ですがIMFを20代が共有するほどの出来事として選ぶのは、多少断片的な批評のような感じがします。救済金融の出来事それ自体が重要というよりは、その前後で韓国社会がどのように変わったかの方が重要です。また私は28歳ですから20代の中でも年を取っている方ですが、中2の時にIMFを体験したのでよく分かりません。大学の先生もこう言います。講義をしていて、自分たちにはIMFがとても近い過去として記憶されているのに、学生たちはよく分からないと言うんだそうです。何年に起きたのかも知りません。言い換えればIMF以前の韓国社会を記憶できない状況なので、20代前半のような場合には、このような競争的なルールによって世の中が回っているのを当然のように考えるのだと思います。

チョン・ダヘ  私も申し上げます。高校の時まで私は地方の一般高校で熱心に勉強する平凡な学生でした。少し違った点があったとすれば、父が教会をやっています。一般的な教会をしていて、全斗煥(チョン・ドゥファン)の護憲措置以降に民衆教会になりました。それとともに進歩的な価値を追求する活動をして、年末には「民衆とともにするクリスマス礼拝」のようなものを開きました。記憶をふりかえれば、何が何だかも知らずに集会のようなものにずいぶんと出かけたと思います。小さいとき、富平(プピョン)で駐韓米軍の部隊移転運動が起こった時、集会の行列の後で風船を持って追いかけていた記憶もあります。そのように見聞きして考えたことが、私のアイデンティティ形成の基本を準備したようです。

2006年に大学に入って眺めた光景はとても衝撃的でした。ちょうど入学したら学校で学費が12%も上がり、4月末から5月初には平沢(ピョンテク)の米軍基地の事態が起こりました。国家が弱者に加える暴力とか、一方で米国という強者に無気力な政府の姿とか、あるいは住民を孤立させたまま行政執行だといって小学校を壊したけれど、テレビのニュースでは「平和に鎮圧された」と何気なく言っているのを見て、私が生きている社会が、歴史の本で読んだ、過去の理不尽な世の中と同じじゃないかということをずいぶんと感じるようになりました。

 

「20代世代」言説、問題あり

 

キム・サグァ  私が20代という世代規定を初めて体験したのは「88万ウォン世代」という言葉が出る前です。デビューするころですが、文壇で20代作家が出始めて、似たような言説がありました。私はまったくナンセンスだと思いました。それがナンセンスでない話になるためには、本当に20代だけの独自のアイデンティティを持った作家が多く出てくるべきですが、まったくそのようにはなっていません。私たちはじっとしているのに、上で何か規定して、見下して分析するために名付けたものだと感じました。あるいは人を年齢で判断する韓国社会特有のよくない習性のためであるとか、また一方でどうにかこの人たちを用途別にうまく商品化して売りさばこうとしているように見えて、疑ってしまいました。そうするうちに『88万ウォン世代』という本が出たことを知りました。本書についてはよかったと思いますが、それとは別に、本書で語られている20代言説が、現在ではかなり俗流化されているようです。

ハン・ユニョン 私は20代が共通に体験した出来事をどのように規定できるか、きちんとした答が思い浮びません。もちろん共通経験は重要な問題でしょう。以前はみな一緒に読んだ文学作品や社会科学の書籍、また映画のようなものがありましたが、現在の20代はそのようなものがないのではないかといわれます。その通りではありますが、共通的なものがないという断定は、実は非常に観念的です。何であっても、どのようなやり方であっても、存在するはずですが、そのようなもの探し出すのが批評の役割でしょう。現在はよく考えてみても、私の同じ年頃の男性が共有できるのは、日本のアニメーション『エヴァンゲリオン』のようなもの以外に見当たりません。20代が同じ20代を見つめるに際しても、あまりに規定がなされておらず、とにかく20代の世代言説というのは未知の領域というか、そのような感じです。

チョン・ダヘ 後輩たちと『88万ウォン世代』や『大韓民国20代、絶望のトライアングルを越えて』のような本をかなり読んでいます。現在の大学生に対して他の世代がかなり批判しています。以前のように街頭に出ることもせず、集団化されてもおらず、見方によっては変だなと思うこともあります。それほど勉強していても就職できず、みな一様に公務員試験の勉強ばかりして、職場に入っても仕事ができないと言われ……、このようなことなどで見えなくなっている20代の脈絡を、この本は現在の経済的状況に合わせて説明してくれたと思います。明確に現在の20代は以前の世代と異なった特殊性がありますが、いくつかの先入観で単純化されてしまうならば、20代の持つ他の可能性さえも埋没させられてしまうようで残念です。

チョン・ソヨン 過度な世代言説に対して、みなさん共通して拒否感を表明していらっしゃいますが、ならば、そのような言説はどのような形で形成されるのでしょうか?

ハン・ユニョン  私の場合は、「20代」や「世代論」というキーワードで原稿依頼がきます。そうすると、私はむしろそのような規定を裏切るものを書きます。20代と多文化主義に関する原稿依頼がくれば、20代がどれほど多文化主義と無関係かを書きます。どういうことかというと、世代言説は韓国社会で動員されつづけてきたものですが、おおよそは社会問題が解決されないので、若者たちは何か違っているのではないかと考える、漠然とした期待を投射する手段として機能してきたものです。ですが、現在の20代論は、そのような次元もあるでしょうが、逆に社会問題を転嫁する機制になっています。たとえば、私たちの親の世代の場合は経済問題を転嫁します。おまえたちが目線を低くしないから、外国人労働者が100万人なのだと考えます。386世代〔80年代の学生運動世代〕は、おまえたちが運動をしないから、李明博(イ・ミョンバク)政権がこのざまだといいます。20代がすべての問題を背負っているかのようですが、これ自体が、私たちの社会のさまざまな問題をどのように解決するのかについて悩むこともせず、漠然と世代論から始めているのではないかという気がかなりします。運動しろといいながらも、何をするべきか、自分たちもよく分かっていないだろうということです。「青年イグナイト(ignite=火をつける)」という団体があって、そこで質問をしたところ、意外に運動が必要だと答えた20代が結構いたといいます。ですが問題は、それがどのような運動になるべきか、彼らもまったく予想できないんです。それは上の世代が見る時も同じだと思います。20代に投射されているさまざまな批判が、現在の政治自体の無気力から出ているのではないかと思います。

チョン・ダヘ  20代の政治意識がどうなのかと聞かれれば、現在の30~40代に比べて20代がどうかと聞いているのか、以前の20代に比べて現在の20代について説明しろといっているのか曖昧です。表面的には前者のようですが、本質的は後者の場合が多いようです。80年代の20代に比べれば、それはずいぶん変わっているでしょう。社会に対する関心もあの時に比べれば弱くなったと思いますが、そこまで非政治的であるとは思いません。以前のようにすべての政治問題に関心を持って行動しないのは事実ですが、行動しなければ関心がないということにはなりません。また集団的な行動形態がずいぶん少なくなりましたが、一方では少数が集まって絶えず行動していると思います。矛盾しているようですが、一方では政治的な問題に関心を持つ余裕がないのも事実です。生活が忙しすぎて就職に対するプレッシャーも相当なものです。ある友人は、ときどき政治問題に関心を持つのは贅沢なのではないかと思うといっています。

最近の大学総学生会では、全般的に学外の懸案よりは学内の福祉の方に関心が高いと思います。私たち総学生会で今回、少し変わっているといえば変わっているし、当然のことだとも思いますが、これまで提起されなかった懸案の学費、住居、食事代、就職などを核心の公約としてかかげました。なので別名「生存権学生会」ともいいますが(笑)、そのような「基本権」について、これまで一度も正面から問題提起したことがなく、学費が高いということだけを言って、学費以外の懸案については学内外で発言したことがどれほどあったかを反省し、積極的にこのような点について発言していこうと思っています。学費の問題は当然のことで、それ以外の懸案についても、単に福祉次元だけで解決しようしたり、むやみに対政府闘争をするのではなく、自ら代案を模索してみようと悩んでいます。20代を代弁する学生会、そのなかで20代の政治勢力化にも悩む総学生会になるべきだと考えています。それは結局、学生運動を見る観点の変化から出てくるものでしょう。

 

最近、大学で起こっていること

 

 

チョン・ソヨン ですが、80~90年代の学生運動をした方たちに会ってみると、彼らが私たちを他者化していることもありますが、反対に私たちが彼らを他者化している面もあるようです。たとえば「運動圏」の硬直性や厳粛主義のような表象がそのような例でしょうが、上の世代は「私たちも面白かった、つまらなければどうして学生運動をしただろうか」といいます。現在、私たちに重要と思われる問題を考えていくならば、自らの世代の問題を社会の進歩と結びつけられる、最初の世代になれるだろうと思います。現在はその過渡期だという気もします。

ハン・ユニョン たとえばキム・ヨンミン先生のような方の論理は、386世代は20代の時に闘争をしていてもこのように無力な状況に陥っているのに、おまえたちのように若い時からそのような状況で、これからどうするのかというものですが、そのようにはならないだろうと思います。むしろ社会に進出して考えが変わることもあります。きっかけは残っていると思います。彼らは大学の時に運動して、大学の教員になることを標準的な人生として設定し、それに合わせて考えているようですが、そのような人生の答えについて考え方が異なるからです。現在のように世知辛い世の中では、むしろ会社に入って何年かつとめて、離職や退職をした後で政治に対して悩み始めることもあるのではないでしょうか? ときどきブログを見ていると、実際にそのように一歩遅れて政治に関心を持つようになった人たちも多いように思います。

チョン・ソヨン  ユニョンさんの感じる大学社会の実感はどうですか? 学校にずいぶん通われたと聞いています。入学した2001年に比べて、2010年はまた違うのではないかと思います。

ハン・ユニョン   大学にまだ通っています(笑)。現在は休学中ですが、とにかく大学社会の変化は学年の低い学生ほど、ますますひどくなっているようです。もう1年生のときから「戦闘準備」をしてきているといえますが、初めから就職やそれに有利な方に転科するつもりで入学する人もいるようです。

チョン・ダヘ   今年2010年から多くの学校がまた学科制に変わります。以前は広域学部制にすれば政府から大学に支援金が入りました。だからみな広域学部制にしたのですが、ずいぶんと問題が多いので、学校が立ち上がって学科制にまた戻しています。

ハン・ユニョン   現在の大学生の政治的破片化には学部制の影響も大きかったと思います。学科の先輩・後輩の関係がみななくなってしまったんです。2001年、02年ころから、みなが集まれる空間がなくなりました。今、講師をしている先輩たちの話を聞くと、以前は学科ごとにそれ自体がサークルだったと言っていました。ですが現在は、学科の部屋に行くと互いに名前を言って挨拶しなければなりません。このような状況なので学校に一人で通っている人もずいぶん多いようです。そのような形で原子化されることが変化の核心のようです。政治意識と関連して、以前に比べ政治に関心がなくなったことは事実ですが、それをどのように見るべきかが問題でしょう。自分の人生の悩みがすなわち政治的な問題であると設定する枠組が消えたと感じるのは20代だけではないようです。民主化以降、自分の人生の問題規定に政治が必要だと考える意識の形成に失敗したのでしょう。すべての学生が、自分が入学した時に運動圏は終わっていたと言っています。私が入学した2001年も学生運動は滅びていく過程でしたが、あの時はどうするべきかよく分かりませんでした。政治闘争をするべきか、学費闘争をするのか。当時は学費闘争がそれ自体で政治であるという考えを持てなかったのでしょう。学費闘争を通じて学生たちの信望を得て、学生会活動をして、その次に政治へと拡げていこうと考えたんでしょう。生活と政治が乖離する状況において異なる対応をできず、また共通の話題もありません。基本的にコミュニティがなければ発展は不可能ですが、コミュニティ自体が崩壊してしまった状況ではないかと思います。現在、残っているのはインターネット上の趣味コミュニティしかありません。

キム・サグァ  私の場合は芸術大学なので一般大学とは少し違いました。うちの学校の学生はまず就職しようとサークルを作ったり、いいレポートを書いていい成績を取ろうとする人はほとんどいませんでした。私は映画科に入りましたが、授業で強調していたのは美学的完成度の重要性でした。私の印象では政治的であることを過度に嫌がっているようでした。ふりかえってみれば、大部分の先生が学生に言っていたのは、「君が伝達しようとする内容が何であれ、形式的に完成度をもって表現すれば、それがいい作品だ」ということです。最初は私もそれに同意しました。ですが時間が経つほど、何か変だという気がしました。なので誰も内容について討論しないんです。授業時間にも常にそれが「どのように」うまくいったのか、スタイルだけについて討論します。直接的に政治的色彩を帯びることを少しダブー視する雰囲気がありました。一度かなり観念的なものを書いたのですが、先生が何を書いているんだと言うので、米国のイラク侵攻を批判するものだと言ったら、ずいぶんと当惑されました。それで、むしろ反発するつもりで、なおさらそのような色彩の強い小説を書こうと決心したようなところがあります。
ですが、政権変わり、ロウソク集会と学科存立の問題があいまって、学生が政治的に覚醒しました。これまで政治的な問題を芸術の形式として論じた経験がなかったためか、このような懸案にどのように対処するべきか、ずいぶんと悩んだり挫折したりする姿も見えました。80年代の民衆芸術でやったことを繰り返す人もいました。政治的な関心を過度に持つのを恐れていたというべきでしょうか? 自分の作品が政治的に見えることがよくないと感じるんです。個人的にはみな政治的な問題に不満を持っていますが、それを作品として表現せずに、一人で心にしまっておく傾向が強いようです。

チョン・ダヘ 学校によって問題が違うでしょう。うちの学校で最近大きな論議の的になっているのは学生食堂の値段です。食堂が改装されて、2500ウォンから3000ウォンだった定食が4200ウォンから4800ウォンくらいに上がりました。ある友人はインテリアがきれいになったと喜んでいます。学外で食べれば7、8千ウォンのメニューくらいにはなるからです。ですが、それで生活できるかが問題です。そこで売っていた安いメニューがなくなって、その下の階にある食堂に行ってラーメンを食べなければならない現実が存在するんです。新入生が入ってきて共同体を形成する瞬間にもそのような問題が出てきます。ある友人は学科室に愛情を持っていますが、後輩たちに食事をおごる金がなく、きまり悪いからといって出てきません。会長団に入ってみたらどうかと言っても金がないから負担になってできないといいます。ある学生は親に1か月に100万ウォンずつ小遣をもらい、ファミリーレストランに行って友人に食事をおごっているんですけど(笑)。

チョン・ソヨン  分離政策のような感じです。

チョン・ダヘ   学校では顧客満足度、サービス、品質向上を前面にかかげて多様化と高級化に対する要求があるとしながら、3か所の食堂のうち1か所だけをそのまま維持し、残りの2か所は差別化という名目で高級化するんです。一部の学生はそのことにとても怒っています。

ハン・ユニョン 階級という言葉こそ使っていませんが、現在の20代の大学生が階級問題を最も明瞭に知覚しているでしょう。80年代だけを見ても大学進学率は30%程度でしたが、現在は80%を超えるでしょう。当時は農村出身の学生でも、ひとまず入学さえすれば、学生間でだいたい似たような水準で生活しましたし、卒業後も似たような条件で就職できました。言ってみれば大学内で平等主義と民衆主義が具現されていましたが、現在は同じ大学、同じ学科に通っていても違います。ソウルの学生と地方の学生に分かれたり、ソウルでも、もちろん江南(カンナム)〔ソウル市南部地域〕の出身が最も条件がいいんです。この地域は家庭教師の仕事も親が互いの紹介で用意するので、簡単に仕事が入りますが、地方の学生は斡旋業者に紹介料を取られて、ようやく仕事が入ります。ですが、江南の場合を除けば、地方からきた学生の方が逆説的に裕福な場合も多いんです。学費とソウルの住居費用があまりにも高いので、地方では暮らし向きのいい家庭だけ子供をソウルの学校にやることができます。そのような友人はまた自分たち同士で集まります。

今、家庭教師の話をしましたが、その家庭教師の仕事さえ、それを得ることができるのは一部の学校に限られているようです。大多数の学校の大多数の学生はコンビニやスーパーのようなところで身を粉にしてバイトするしかありません。

チョン・ダヘ   私は外国語でもずいぶん格差を感じます。たとえば国際学部の学生を見ると、だいたい5、6年くらい外国で生活して来た友人も多いです。だから基本的な考え方もずいぶん違います。一食の食事代として適切な金額がどれほどか、学生を対象に調査したことがありますが、国際学部では1万ウォンくらいでした。また受けた教育も違うという感じがします。私の場合、地方の一般高校で平凡に勉強しましたし、英語は中学校の時に初めて習った程度ですが、彼らの中には3か国語を駆使する人もいます(笑)。高校の時に月300万ウォンの予備校に通っていた人もいます。休みになると外国に行くのが自然だったり、交換学生の経験を必須のように考えている場合も多いです。

チョン・ソヨン  階級問題を日常的に先鋭に感じているという点は充分分かりました。20代の中で互いに異なる階級同士、問題を共有できないという点は本当に問題ですが、それを不可避の条件として受け入れるべきだと考えるのか、あるいは、どのような方法で解決策を模索しているのか気になります。

キム・サグァ  20代のなかで他の階級と互いに話が通じないという問題は、まず行くところが違うので、ある意味では当然の結果です。以前、学費の高い英語の学校に1、2か月ほど通ってみましたが、学生の世界が本当に違います。週末に何をしたかと聞くと、スキーをしてきたといいますし、今後の計画を聞くと、留学や海外語学研修の準備中だといいます。そのような人々が集まって話しているわけですから、貧しい家の出身者がそこに割り込めば、まったく対話にならないんです(笑)。

ハン・ユニョン   20代だけがそうなのではなく、その親もそうなんです。標準があるようです。このくらいの就職をして、このくらいの結婚をして、このくらいに子供を産まなければならないというような基準が、子供らに圧力をかけています。親と子供の世代が似たようなパターンで生きなければならない社会になってきました。
チョン・ダヘ 以前は「階級間交流」といえるような場がありました。勉強会やサークルのように、生活の中で出会える空間があったとすれば、現在は生活が互いにかなり違います。授業が終わるとバイトで忙しく、同じ空間にとどまっている時間があまりありません。そうしていると生活や意識がますます変わります。金持ちの友人は学校が終わってもやることが多いようです。少なくとも英語の学校には行きます。そうでない友人は、一週間にバイトを4つも5つもやっているので余裕がないんです。互いに異なる階層同士、出会って疎通して、共同の何かを作り上げるきっかけが確かに減っているようです。

 

おまえの親を搾取しろ?

 

チョン・ソヨン 大学内でかなり憂鬱な現実が広がっているようですが、今度は家族の内部に目を向けてみたいと思います。現在の20代は兄弟が1人いるか、自分の1人だけだったりするので、昔より親の支援が集中するといいます。だから過剰投資や過度な期待が生じるといいます。それで家族内では独占的な地位を持つようになるんですが、社会ではそうではありません。過度な期待が家庭内で20代に負担や、ひどい場合は罪悪感を生んでいるようです。このような点についてご意見をお願いします。

キム・サグァ  私の印象ではこの話は少し変だと思います。韓国において親世代の過度な期待と過剰投資はかなり以前からありました。以前は子供が5人いれば1人だけ大学をやって残りは工場にやり、大学に行く兄弟を支援していたとすれば、現在は多くの子供を産むよりは初めから1人だけ産んで、集中投資することが効果的と考えるようになったんでしょう。

チョン・ソヨン 様相が違うだけで、本来、過剰投資があったということですね。

キム・サグァ その通りです。以前はいい結果を出していたのですが、ますます投資対比効果が減って、現在はそのような戦略が瓦解しているような感じです。貧しい家庭で1人に集中投資しても、普通の暮らし向きの家庭の1人に付いていくことすら難しくなっている状況において、この概念が崩壊しているようです。

ハン・ユニョン この問題は現在の20代の親の世代である50代の特徴と考えられるでしょう。まず学閥に対する被害意識があります。自分が親の支援を受けられずに学校に行けなかったので、人生もうまくいかなかったと考えるんです。だから自分の子供に途方もない投資をして、いい学校に行かせたはいいんですが、最近はいい学校を出ても仕事がありません。親は納得行かない状況です。自分は三流大学を出ていても、現在、年俸5000万ウォンくらいはもらえているのに、子供は一流大学に行ってもどうしてだめなのか、途方もない格差です。
チョン・ダヘ 教育熱を通じて社会的に階層移動してきましたが、現在はそれが不可能な構造なのではないでしょうか。社会的に安定した働き口を保障してくれない以上、この格差は小さくならずにさらに深刻化しそうです。一方で最近の20代は、状況自体が親を意識せざるを得なくなっていますが、これは経済的な独立が不可能なところに原因を求められるでしょう。現実的に現在の経済構造では20代の若者は自立できません。端的にいえば20年前も今も家庭教師のアルバイト代はまったく同じです。ですが、年間1000万ウォン近くになる学費を出さなければならず、家を買うということは想像すらできない状況ですから、親を意識しないということは不可能です。それだけ乖離が生じると思います。

チョン・ソヨン できればおまえの親を搾取しろ、そういうことも言われました(笑)。

ハン・ユニョン  それはなかなか手腕ある態度です。親に寄生する能力のある人は、親が決めた門限を守って、買い物する時も母親と一緒に行って服を買ってもらうなど、賢く実践しています――

チョン・ダヘ   経済的に自立できる学生とそうではない学生の生き方は明確に違います。私は学費と生活費をほとんどアルバイトでまかなう方です。ですから親は、子供が大学をいつ卒業しようが、どこに就職しようが、認めざるを得ず、どうであれ自分の人生をきちんと歩んでいくだろうと考えるだけです。ですが、子供の大学の学費が会社で4年間出れば、4年で必ず卒業するように望みます。小遣いを与えながら、後できちんとしたところに就職することを望みます。