창작과 비평

〔対話〕 世界を知る力、東アジア共同体の道: 寺島実郎・白永瑞 對話①

対話

 

 

 

白永瑞(ペク・ヨンソ)延世大国学研究院長。同大史学科教授。『創作と批評』編集主幹。著書に『東アジアの帰還』『東アジアの地域秩序』(共著)など。
寺島実郎(てらしま・じつろう)三井物産戦略研究所会長。(財)日本総合研究所会長。多摩大学学長。著書に『世界を知る力』など。

寺島実郎は韓国ではさほど知られていないが、現在、日本で最も活動的で影響力のある代表的な知識人である。昨年夏、民主党が政権を取って以降、鳩山総理の「長年の友人で外交政策のブレーン」(『朝日新聞』2009年12月8日)としてマスコミの寵児になっている。また彼の著書『世界を知る力』は2010年1月に初版が出たが、3月末現在で13刷・15万部を突破したベストセラーである。
彼は産官学の境界を行き来する活動領域を持つ独特の経歴の持ち主である。総合商社・三井物産の戦略研究所会長であり、(財)日本総合研究所会長として公共政策の分析活動をするかたわら、多摩大学の学長でもある。またテレビやラジオ放送にしばしば出演し、時事問題に対して発言しながら旺盛な執筆活動も継続している。
私の周辺の日本の知識人は彼が視野の広い知識人として、アメリカをよく知っていながらも批判的な見解を持つ人物と口をそろえる。日本で長年刊行されている批判的月刊誌『世界』編集長の岡本厚は、彼の主張が学者や言論人でなく、ビジネス経験にもとづいた実物感覚から出ているところに強みがあるという。アメリカや中国などに精通した彼の立場は、『世界』誌の新たな変化を象徴する。『世界』誌で政治学者の坂本義和(本誌2009年冬号で紹介)とは互いに違う立場に立つが、彼とともに大きな位置を占めており、彼が毎月連載しているコラム「脳力のレッスン」は、2010年5月号で97回目を迎えている。
政権交代をなしとげた日本の民主党が、新たな韓日関係の道を開き、東アジアの平和と共生の時代を創り出せるか、『創作と批評』の読者とともに点検するために、彼との対談を準備した。事前に日本語で作成された質問書を送り、それにもとづいて対話が日本語で進められた。(白永瑞)

白永瑞   先生は後発帝国主義国家として「列強の一翼を担う一等国」の夢を追い、アジアで覇権を追求した日本の近代史を批判的にふりかえり、当時の世界史における日本の役割を自覚し、アジアの視線に胸中で共鳴する指導者が存在しないことを遺憾に思うと書かれたことがあります。日本の近代史をアジアの中で総括する必要性を提起した先生の主張に私は共感します。私もやはり「時間との競争」に追われた日本をはじめとする東アジアの近代史を批判的にふりかえり、「二重の周辺の視角」を持とうと主張したことがあります(『朝日新聞』2010年3月19日付コラム)。日韓併合100周年である2010年を迎え、これまでの100年の日本史に対する見解を、韓国の読者に対して簡単に語ることから対談を始めたいと思います。

寺島実郎   この質問状にもそういった問題意識があふれていて感銘を受けたんですが、日本にとって韓半島の問題というのは非常に重いんです。歴史を遡ってみれば、いかに日本が韓国の文化・文明に影響を受けてきたのかわかります。韓国は日本にとってユーラシア大陸の文明・文化をつなぐ回廊のような役割を果たしてきたところです。それゆえにさまざまな歴史的出来事が日本と韓半島の間で繰り広げられてきたわけで、非常に複雑な思いで過去を振り返らなければなりません。特に今年は日韓併合100年という年です。私は日本近代史に対してある種の厳しい目線をもっています。あれはあれでよかったんだというふうには思わないし、非常に残念な思いで日本近代史を振り返っている立場なんですね。日本近代史は二重構造を抱えています。いまさら私が言うことではないですが、当時、日本自身が欧米列強の植民地にされてしまう緊張感のなかで開国・維新を迎え、明治維新を実現し、そこからひたすら「富国強兵」で国を富ませ強くさせないといけなかった。1840年のアヘン戦争以降の中国の展開を横目で見ていた日本は、中国のように欧米の植民地にされてしまうのではないかという大変な緊張感のなかで開国し明治維新を迎えたわけです。そうして「富国強兵」でだんだんと自信をつけてきて1894~95年の日清戦争を迎え、それまであらゆる意味で日本の文化・文明にもっとも大きな影響を与えてきた中国(清国)に対して勝利を収め舞い上がった高揚感に包まれます。そこから20世紀にさしかかっていく、つまり19世紀から20世紀に転換していくとき、日本もアジアの一翼を占める国ということでアジアが欧米列強の植民地にされていくことに対して深く共鳴し、シンパシーをもつわけです。ところが、これは私がつくった言葉ですが「親しむアジア」という意味の「親亜」という立場、つまり日本もアジアのなかのひとつの国であるという意識を持ちつつも次第に自分の立ち位置を見失っていき、「侵すアジア」、つまり自分自身が模倣の路線で欧米列強の植民地化と同様にアジアの国々を侵す「侵亜」の方向に反転していく二重構造を抱えてしまう。この二重構造こそ悩ましいテーマであり、日本近代史を深い省察の視線で捉えなければいけません。1885年(明治18年)に福沢諭吉が「脱亜論」を書きます。この文章で福沢諭吉は、日本は隣国の開明を待って、ここで隣国とは中国や韓国ですが、ともにアジアを起こす余裕はない、むしろ欧米列強に重点を置いて欧州を模倣し国の舵を取らなければいけない、そのためにはアジアから脱していくべきであるという強い問題意識を展開します。そして皮肉にも福沢が「脱亜論」を書いたその同じ年に樽井藤吉という人が『大東合邦論』を書きます。これは一種の「アジア主義」の典型的な本で、アジアを連携し、今でいう「アジア共同体」というようなものをつくり、アジアが結束して欧米に向き合っていかなければいけないと説いています。要するに福沢と樽井のこれら二つの問題意識が、縄を編むように、バイオリズムのように交錯して出てくるのが日本のアジアとの関わり方です。ざっくり言うと、欧米との関係がギクシャクしてまずくなってくると日本は突然アジアの一員だと言い始め、まさに戦時期がそうだったのですが、大東亜共栄圏というようなことを言い出し、日本をリーダーとしたアジアの結束という目線でアジア回帰を起こします。ところが戦争に負けて、1964年の東京オリンピックの年に高坂正堯氏が「海洋国家日本の構想」という論文を書きます。私はこれを戦後版「脱亜論」と思っているんですが、つまり大東亜共栄圏の夢破れたのち、1951年にサンフランシスコ講和条約、日米安保条約を結び、東西冷戦の時代にアメリカとの連携で西側諸国にコミットする形で舵取りし始めるのです。1955年にインドネシアでバンドン会議が行われましたが、アメリカとの協調を軸にしながらもアジアに一歩帰ったというのがバンドン会議での日本の趣旨でした。その後、高坂正堯の論文が出てくる。ここで日本はアジアにこだわって複雑なアジアとの関係にもたもたするよりも七つの海を広くとって、いわば通商国家、海洋国家として世界の七つの海へと展開していく国家路線を取ったほうがいいという新しい意味での「脱亜論」、アジア離れが唱えられたんです。こういったバイオリズムを繰り返しながら日本という国はアジアの国々と向き合ってきたと言ってもいいんだろうと思うんです。日本近代史の底流に常に流れていたのは「脱亜論」で、欧米との関係がまずくなるとアジアに帰るというロジックがここにあります。アジア主義という言葉がバイオリズムのようによみがえってくる、そういう力学のなかをおそらく日本は生きてきたのだと思うんです。

白永瑞   まるで日本近代史の講義を聞いているようです(笑)。そろそろ日韓併合の話に入りましょうか。

寺島実郎   そこで日韓併合という問題を考えてみます。1910年、その頃のことを今調べていて、書き始めようと思っていますがね。1894~95年に日本が日清戦争に勝って、日本が今まで抱いていた中国に対する劣等感が優越感に転換します。そこから反転したように中国に対してまさに侵略という言葉にふさわしい問題意識を持ち始めるんですね。ところが、このとき日本の判断にとって非常に重要なインパクトを与えたのが、実はアメリカの動きなんです。1898年にアメリカは米西戦争というスペインとの戦争に勝ち、プエルトルコを領有したり、フィリピンをほとんど領有するような形でアジアに進出してきた。グアム島とフィリピンに進出してきたんです。つまりアメリカが本格的にアジアに進出してきたわけです。中国がイギリスをはじめとした欧州の列強にボロボロに蝕まれていた頃、いよいよアメリカが1898年、つまり20世紀にさしかかるころに本格的にアジアへと動き始め、中国にも登場してくるわけです。要するに遅れてきた植民地帝国としてのアメリカがアジアに出てきたタイミングと、日本が日清戦争に勝って中国に本格的に侵略し始めたタイミングが同時化したというのが20世紀の日米関係の悲劇の始まりであるといえると思います。そこで日韓併合における日本のモティベーションに大変なインパクトを与えたのが、実はアメリカの「ハワイ併合」です。これは非常に悩ましい話です。調べてみて非常に興味深いのは、当時の日本の指導部の認識には、アメリカがハワイでやったことが下絵になっているということです。その下絵とは日韓併合の下絵です、閔妃暗殺なども含め。日露戦争のあと日本が韓国に対してひたひたと野望を高めていくなかで、アメリカのハワイに対するやり方が併合の下絵になったと言えるでしょう。1998年にアメリカは、クーデターを起こしてハワイの王政を転覆させたことに対して、上下両院が決議、これはレゾリューション(resolution)ですが、謝罪決議をしました。そのとき私はワシントンにいましたが、謝罪決議をしたからといってハワイを独立させてひとつの王国として認めるわけではないんですが、100年経ったところで「謝罪」決議をした。その謝罪決議ではただ単に「ごめんなさい」と謝るだけでなく、どういう文脈で誰が責任を持ってクーデターを起こしたのかということまですべてレポートにまとめたんです。これはある意味でアメリカの誠実さともいえるんですがね。要するに日韓併合の複雑さというのは、正当化しようというのではないですが、ロシアのロマノフ王朝のアジアに対する野心も含め19世紀末から20世紀初頭の世界史の潮流を見たとき、韓国はその地政学的な位置も含めてまことに不幸にしてその力学がぶつかったところとなったんです。ここで刺激的なことを言うつもりはないんですが、仮に私が19世紀末から20世紀初頭の日本の政治的リーダーだったとしたらそういう判断を下せたか、アメリカがフィリピンを領有してアジアに出てきている、ハワイを併合するという動きのなかで、日本がアジアの側に立って「大東合邦論」のようにアジアと手を携えながら欧米と向き合っていくというシナリオを描いたとしても、日本が先頭をきっているという意識を抑えてアジアと同じ目線に立って連携していくというストーリーを描けただろうかと考えたときに、それははなはだ難しかったのではないかと思うんです。つまり民族のエネルギーが日清戦争、日露戦争に勝つことで湧き上がり燃え上がっているときに、たとえば日比谷の焼きうち事件などが起こるなかで、国民の舞い上がっている意識を抑えながら日韓併合を避け、韓国の自立を図り、自立した韓国との連携でアジアに安定した力を培っていくというストーリーを描けるだけの見識あるリーダーに、もし自分がそこに立っていたとしたらなり得ただろうかと思うわけです。もしかしたらベルサイユ講和会議にいたるプロセスのなかで、より新しいアジアの局面が生まれ出てきてさまざまな民族自立の動きなどが視界に入っていたら、そういうものの捉え方を持ち得たかもしれません。けれども19世紀から20世紀への転換点、渦巻きのような潮流に巻き込まれているなかで、自分が韓国の人間として生まれていたらまた違ったかもしれませんが、それぞれが自分たちの民族のバイオリズムやダイナミズムを背負いながらものの見方や考え方を築いているとき、もちろん日韓併合を正当化する気はまったくありませんが、そういう歴史の行きがかりのなかで韓半島の人にしてみればまことに不幸な歴史の力学のなかで、こういうことが生まれたんだと思わずにはいられないのです。韓半島で自分たちの将来に自覚を深めた人たちが歴史をつくっていく局面を迎えざるを得なくなったようにね。日本人として日本の背負った歴史に対してため息混じりに深い省察をするのも必要だけれど、自分自身が責任者としてその場にいたときにどれだけのことができただろうかと自問自答すると、日韓併合はやむを得なかったという気はないですが、まことに不幸な力学のなかで、ああいうことになってしまったんだなと思わずにはいられません。これが私の正直な気持ちです。

白永瑞   先生が何を言わんとされているのかよく分かりますが、それはまた、論議の余地がなくもありません。特に韓国人の歴史理解とは距離がありますが、韓国人でない当時日本人の間にも、そのような対外膨張の道を歩くのではなく、違った道を主張した流れもあったということに注目する必要があるんじゃないでしょうか? 日露戦争当時、大日本主義と小日本主義(すなわち小国主義)の議論がありました。大国主義に批判的なこの流れが自由民権運動や大正デモクラシーの形態を取りながら続きました。もちろんこれは「未発の契機」でした。この問題をさらに議論したいのですが時間がありませんので、現実の中で韓日間の歴史認識をめぐる争点に対して意見をお聞きしたいと思います。先生の話を聞いていて思ったんですが、アメリカのハワイ併合に対する謝罪決議のように、韓国と日本の歴史認識の問題を解決するために日本政府の「謝罪」は可能だと思いますか? 日韓併合100周年というこの年に、これは深い意味を投げかけると思うのですが。

寺島実郎    韓国の方々から見ると確かにそう思いますよね。しかし、なぜ私がさきほどハワイ併合を話題にしたかというと、アメリカは両下上院で理非曲直を正す謝罪をけじめとしてつけたけれども、だからといって政治的にハワイの独立を図るとか、認める方向にいくわけではありません。あくまでアメリカの州のひとつとしてハワイを位置づけているんです。そういう意味合いでみると、アメリカは言葉の上では謝罪したけれども、ハワイの自立や独立について配慮しているわけでも、自治州として認める方向で思考しているわけでもないんです。そのあたりの話はとても微妙です。どれがいいのか、ハワイの人自身が独立を望むのかどうか、もちろん現実にハワイの自立・独立を求めている人たちもいますが、それが大きなマジョリティになっていないという問題があります。結局この問題はそのなかにいる人間の自立・自尊をかけた闘いや問題意識にかかっていて、そのなかで歴史は動いていく。その枠のなかで満足していれば、アメリカからの独立も何も実現しないだろうというしかないんです。アメリカがやっていることが歴史的に正当でやむを得ないという考え方は決して取れないけれども、それを弾き返していくのはそれぞれその地に生きている人の問題意識によるのです。そのあたりの問題は非常に難しいと思います。

白永瑞  日韓併合100周年の今年、日本と韓国の知識人の間で新しい宣言を準備していると聞いています。両国の歴史認識の問題を解決するためにどのような活動をするか、また重要な問題意識として1995年の「村山談話」、すなわち最初に日本政府の村山富市総理が植民地支配と「侵略」を認め、それに対して謝罪したことを越えた、より高レベルの宣言ができるのではないかということについて、民主党と政府の動きを韓国では注視しています。このことを踏まえたときに初めて、日韓の未来的な関係が築けると思うのですが、先生のお考えはいかがですか?

寺島実郎   正直に言って民主党政権が100年目の謝罪をすべきだとは思いません。もちろん日本側が責任を問われなければいけないような事件が100年前に起こったということに対する正しい歴史認識は必要だと思います。しかし、消極的なことについてあのときの事件はどちら側に責任があったのかということを問いかけていくときりがありません。歴史の小さな局面を持ち出して、あの時の責任は誰が問うべきかという議論を繰り返すこと、仮に私が今の日本の指導者だとして、いわゆる謝罪という類のことを繰り返すこと、先生のおっしゃった「村山談話」を越えた謝罪のようなものを韓半島の人が期待しているという類のことを、日本側が政治問題として展開することはいかがなものかと私は思いますね。

対話をする場で、この問題についてさらに長く話すことができず残念だったが、実はこの歴史認識の問題は、単に過去の問題だけでなく、現在の日本の現実問題であるからより一層重要である。事実、政権交代後、アジアを重視する民主党政権に対する韓国人の期待は大きかったが、最近、問題となった日本の小学校教科書の「独島/竹島」記述問題や自治相の植民地の必然性発言で、韓国では民主党政権に失望する雰囲気が少なくない。このような現象は、連立政権や官僚制の問題が表面化したのか、あるいは外国人参政権問題や京都の朝鮮人民族学校に対する「在特会」(在日特権を許さない市民の会)の攻撃(2009年12月初)に見られる普通の市民の新たな動き――ある者はそれを「下からのファシズム運動」の端緒になる可能性と考えている――を意識したものかを問う内容が、事前に送った質問紙には入っていた。しかし、これらの問題についてはさらに議論が続けることができなかった。

歴史認識の問題に続く2つ目の主題は、彼の独特の発想である「親米入亜」と東アジア共同体だった。日本がアメリカを重視するのか、あるいはアジアを重視するのかが、二者択一の問題でなく同時進行しなければならない方向であるという彼の主張は示唆するところが大きい。現在の民主党政権の外交路線も、少なくとも表面的な修辞を見れば、ひとまずこの方向を選んでいるように見える。日米関係と関連して、彼はかなり以前からアメリカに対する「過剰依存・過剰期待の関係から大人の関係へと高めていくべき」であるとか、「国際社会の中での日本が立つ位置を自立自尊の方向に持って行くこと」を主張した。そしてその核心として駐日米軍基地問題を「明治期の日本の悲願であった条約改正にも比べられるほどの「正気と自尊の回帰」」と語ったこともある。だが実際に民主党政権が「アメリカとの対等な関係」を主張し、現在の沖縄の駐日米軍基地の移転問題を持ち出すと、すぐに日本は大きな世論分裂に直面することとなった。日米の軍事同盟に変更を加える議論に極端な拒否反応を示す人々が少なくないのが日本の現実である。彼はこのような反対世論に対して「メディアを含む日本のインテリの表情に根強く存在する「奴顔」」と皮肉ったことがある。彼が主張する新しい日米関係は、経済では協力関係を深化し(日米自由貿易協定)、安全保障では日米の軍事協力関係の継続を前提にしながらも「駐日米軍基地のない安保」および対外「非核軽武装経済国家」の機軸を守る戦略を推進することである。そして、彼のいう「入亜」においてアジアは多分に中国を意識したものである。彼は日本の貿易構造を分析し、「日本が対米貿易で飯を食うのはもう昔の話。すでに大中華圏を中核とするアジアとの貿易で飯を食う時代に入っている」としながら、中国をはじめとするアジアを重視しようという。そして彼は「日米中トライアングル」を重視する。

白永瑞  では次の質問に移りたいと思います。先生の「親米入亜」という発想は非常に面白いと思いました。韓国においてもアジア国家戦略のなかでアメリカや中国との関係は大切です。先生の本を読んでこのアイデアを発見したとき、本当に面白いアイデアで、また、意味の深い問題意識を持っていると思いました。一方で、これはある意味で理想的な発想ではないかとも思いました。ですが、今の日本の現実を考えると、これは理想ではなく現実の問題になっています。たとえば論争の只中にある沖縄の米軍基地問題に関して先生のご意見をお聞かせください。5月までに新しい基地の移転先が決まると思いますか?

寺島実郎   私が「親米入亜」と言い続けている意味を申し上げます。日本と韓国は戦後の冷戦期に西側の一翼を占める形でアメリカとの協力関係をベースに戦後の安定した時期を経過し、復興成長という経済的な豊かさを実現してきました。このことは正しく評価しなければいけないと思います。少なくとも冷戦が終わるまでのメカニズムとして日米安保条約などが有効に機能してきたことは非常に評価できます。しかし冷戦が終わって20年が経ち、戦争が終わってから65年が経った今、そろそろ冷戦後のアジアに関して新しい構想が必要というか、アメリカに過剰に依存したり期待したりする枠組みのなかから脱却していかなければいけないと思うのです。反米や嫌米でないアメリカとの関係を大事に踏み固めながらも、一方でアジアで新しい展開をつくるために、アジアとの重層的関係をつくることがこれからの日本にとってとても重要だと思います。アジアは日本にとって大きくふたつに分かれますが、日本にとって、東南アジアとのアジアという関係と、一番大事な韓国・中国という近隣の国々との関係は質的に異なります。先日ジャカルタのASEANの事務局に行ってきたんですが、バンドン会議以降の日本を見てもわかるとおり、日本は東南アジアの国々とのある種の信頼関係を回復するうえで具体的なステップを踏んできました。ですが肝心の中国と韓国において、先生のおっしゃる微妙な空気の違い、わだかまりがあることは事実なんです。いくら日韓関係が大事だとか、日中関係が大切だとエールを交換し合っても、言葉とは裏腹に、腹のなかで互いに最後のところでどうしても打ち解けないものがある。去年の11月に北京大学に行って講演したときも、さきほどの謝罪ということに近い質問がどうしても出てくるわけです。

白永瑞  それは一般的な韓国・中国民衆の気持ちですよ。

寺島実郎   ええ、気持ちですよね。彼らが日本に対していまだに底知れぬ不信感を持っていることがよくわかります。たとえば私は日米安保に関してアメリカは日本における基地を段階的に縮小し地域協定を改定すること、そうして日本は主体的自立性を回復すべきことを主張しています。そういう私の主張を目にした学生から面白い質問が出てくるんです。いわゆる「ビンのフタ論」ですが、日本からアメリカが基地をたたんで出て行ってしまったら実は中国は不安だというのです。どういう意味かというと日本軍国主義を抑えつけるビンのフタとして米軍が有効な役割を果たしているので、アメリカがいなくなったら実は中国は一番不安に慄くというわけです。日本軍国主義の復活を抑えるフタとしてアメリカが機能しているんだから、近隣の問題意識にも配慮していただきたいという意見を言うのです。

白永瑞  韓国と同じですね、そういう人がいますよ。

寺島実郎   ええ、おそらく韓国でもそうかと思います。その背景には、中国の場合、南京虐殺とか従軍慰安婦に対する憤怒、私たちからするとまことに切ない、私たちが生きている時代ではない日本がそういう形で近隣の国々に対して大きな問題を起こしていたことに対する深い悲しみを共有します。共有するけれども、またその話かという感もある。もちろん「気持ち」を持っている日本人が多いのも事実ですが、実際には互いにわだかまりを残したまま、表面的に日中友好とか日韓友好とか言い続けている空気が漂っています。わかりやすく言うと、現実問題として「相互不信」が存在しているんです。相互不信が存在しているということを前提にどうやって前に進んでいくかを考えるべきで、相互不信をなくそうと言ってみたところで本音のところでは難しい。たとえば日本人の多くが、中国が経済的・軍事的に強大になることに対して大変な警戒心を持っています。中国もまた日本が軍国主義のようなものを復活してきたら困るという本音を持っているはずです。韓国の人たちも日本に対して深い警戒心と過去の歴史、わだかまりを持っているはずです。日本人のなかにも、韓国経済が去年から頑張ってV字型回復をして力をつけてきていることに敏感になっている人がいるし、UAEの原子力プロジェクトで韓国と競い合って負けたことに対する屈折したナショナリズムのような、ある種の反発のようなものを持っている人々がいるんです。つまり全員が喜んでいるわけではない。私が言いたいのは、相互不信が存在するのに相互不信はないんだとごまかすのではなく、相互不信を前提にしながらも前に踏み出す方法はないのかということです。私はそれを「段階的接近法」と言っています。「親米入亜」につながる話ですが、今日、日・中・韓のあいだで東アジア共同体などというきれいごとの言葉が飛び交っていますが、EUのような共同体が明日にもできるかもしれないと本気で考えている人がいたらそれはほとんど愚か者です。なぜなら根っこのところに相互不信があるからです。しかしながらここでよく考えなければいけないのは、欧州のEUもその出発点は相互不信だったんです。フランスとドイツの間の抑えきれない相互不信が、逆にエネルギーになってEUというものに段階的に近づいていった。そういう思惑からフランスとドイツの間のコミュニケーションが始まった。「石炭と鉄鋼の共同体」のようなところから話が始まり、それが段階的に積み上がって、いまや27か国体制になり、誰しも信じなかったユーロという共通の通貨までが、もちろん参加していない国々もまだあるけれども、段階的に欧州の仕組みのなかで出来ていったんです。東アジア共同体もビジョンや絵空事、きれいごとだけではだめなんです。歴史を背負っていたら相互不信はぬぐえないし、韓国の人に日本に対する不信感を持つべきではないと言ってみたところで何も始まりません。歴史が心の底に染み込んでいるし、憎しみさえ抱いている人もいるでしょう。中国にも日本に対してそういう気持ちを抱いている人はいるはずです。世代が変わって、日本も戦後生まれが80%を超えています。私が先ほど9割と申し上げたのは、終戦当時20歳以下だった人、子どもだった人たちを含めたら、日本人の9割以上が戦争自体への記憶がない人たちで、今はそういう時代です。韓国も同様でしょう。戦後という時代が65年も過ぎた現在においては、相互不信はあるけれども、この際互いにプラスになること行うべきです。たとえば大学同士の交流を深めるために単位の相互認定に向けて新しい協定もそうですし、金融連携、環境エネルギー問題における連携、FTA的なアプローチなどです。

白永瑞  機能的な接近ですね。この問題と関連して中国をどう理解するかという問題があります。日本では中国威嚇論もだいぶ影響が大きいようです。特に右翼はこの点をとても強調して、民主党政権に親米か親中かを選択するように圧迫しているのではないかと思います。これに比べて先生は、中国本土だけでない大中華圏というネットワークに着目し、中華民族がそれぞれの役割を分担する形で大中華圏を形成するというシナリオを実行することによって、中国は他の社会主義国家ではできなかった繁栄を手に入れると考えています。私は大中華圏というネットワークが政治安保、経済、文化の3つの水準で互いに不均等発展していると思います。ですがそれが強大で中央集中的な中華人民共和国を動力として作動していると考える見解もあります。ですから、私はそのネットワークが制度化されるならば、連邦制(federation)や国家連合(confederation)のような緩やかな結合体でなければならならず、そうではなければ問題だと考えます。日本の中国威嚇論と関連して、中国の規模が日本や韓国より大きいということを踏まえたうえで先生の中国観をお伺いしたいと思います。

寺島実郎   あまりにも中国が強大になるならば、逆の意味において日韓の連携が重要になるだろうし、ASEANを巻き込んでいくことも重要になるでしょう。ASEANは明らかに中国の南下、つまり中国の南への影響力の拡大を歓迎するのと同時に警戒しているところがあります。もちろんインドの存在もあります。そういうなかでASEAN+3、6で行くのかという議論はありますが、私は段階的に中国の強大化を、逆に言えばアジアのネットワーク型の仕組みのなかで制御していく必要があると思っています。そういう意味で日韓の連携は大事です。先週の金曜日(4月16日)に日・中・韓の大学の関係者が集まって、議論をして痛感したことなんですが、韓国の代表は非常によくしゃべります。黙っていないんです。発言時間の3分の2は韓国の代表が話したと思いますよ。その次に中国の代表が話します。日本の代表は、私がその場にいてよかったと思うぐらい発言が少なかった。日本の代表はずっと黙っている。サイレントです。最後のところで少し発言するというスタンスです。今「キャンパス・アジア構想」というものを進めようとしていますが、この言葉をつくってきたのも韓国なんです。その言葉を使うべきだと提案してきたんです。いい言葉なので私は賛成しました。なぜなら、日・中・韓の連携という構想が現れている言葉よりも「キャンパス・アジア」は視界が広いんです。今後ASEANの国々やインドを取り込んで各国の大学が連携を深めていくとき、「キャンパス・アジア」というコンセプトは広がりがあって大変よい、そういう文脈において日本の一人の委員として支持すると言ったんです。そうしてほとんどの人が賛成し韓国が提案した「キャンパス・アジア」という言葉が採用されました。つまり、日・中・韓の力学がこのように微妙な形で機能していくことが大事で、日・中という二国間より日・中・韓の力学がこれから非常に意味を持ってきます。これは日本にとってもプラスになります。私が今こだわって主張していることがあるので申し上げます。冷戦時代の世界観というのはネオ・ポリティカルにものを考える世界観でした。東と西が角を突き合わせていて陰謀が繰り広げられているようなね。しかし、これからはネットワークで世界を考えないといけない。韓国も韓国を基点とする狙いを実現するネットワークをどう「緩やかに」つくっていくのかが大事です。緩やかなネットワーク型の戦略・企画力がとても大事になります。日本も韓国や中国と敵対し合うのではなく、日本にとって望ましい形で韓国と力を合わせていくシナリオが重要になります。あいつは俺の敵か味方かという分け方ではなく、その時々の局面において「やわらかく、しなやかに」自分たちの戦略のなかで大いにプラスになってくれる存在に相手を変えていくことがとても大事です。このことは中国と韓国の関係においても言えます。韓国にとっても日本はさまざまな意味において必要なんです。日本にとっても韓国は大事です。中国やASEANと向き合ったり、アジア太平洋の力学を作るうえでです。韓国は日本のネットワークのなかにあるパートナーだと思うぐらいの発想が必要です。それが「親米入亜」で、アメリカをアジアから孤立させない役割を韓国と日本は果たさなければいけません。なぜならアメリカとは今まで同盟国として付き合ってきたからです。アメリカという国は「モンロー主義」というけれど、つまりうまくいかなくなると無責任にいなくなる傾向があります。そういうアメリカに対してアジアに責任があるから関与させる役割が必要で、それが韓国と日本です。

事実、彼のいう「親米入亜」を具体化できるプロジェクトの一つが東アジア共同体である。また、それは鳩山政権の友愛外交の思想とも通じる。だが彼はここまでの対話で、韓・中・日の協力関係で韓国の役割と韓・日の協力を特に強調しているのが注目される。だが彼がこれまで書いてきた評論や対話で受けた印象は、彼の「日・米・中トライアングル」の構図の中で韓半島の役割がないがしろにされているということである。韓国ないし南北朝鮮が日・米・中より小さいからといって、それをないがしろに扱えば、親米入亜も米・中・日トライアングルもうまく維持できず、東アジアの平和も到来しないと考える。日・米・中トライアングル論が、韓半島が分断されたまま、それぞれ中国とアメリカの影響下におかれているのを放置する、そして日・米・中三者の勢力均衡を維持することによって日本の繁栄を守って行こうとする思考枠に見える危険がなくはない。ここから脱却しようとするならば、韓半島問題に対するもう少し明確な立場が必要だろうという意味で質問を続けた。