[文学評論]白楽晴リアリズム論の現在性と問題性
1、はじめに
『創作と批評』(以下『創批』)は2000年代以降の文学論を先導できていない。「分断体制論」「東アジア論」「87年体制論」など威勢のいい「創批言説」のなかで、名実ともに創批の文学言説らしきものを確認することは容易ではない。その原因が『創批』にあるのか「文学」自体にあるのかを判断する見識は私にはない。つまりこれは、『創批』でない他のどこかで、主導的な文学論を創り出しているなどということとは無関係である。『創批』の過去の歴史を振り返った時、現在、文学論の弱化がより一層明確に確認できるということである。部外者のこのような印象が事実ならば、「民族文学」の拠点であった『創批』としては、ずいぶんと面倒なことではないかと思う。
このことについて考えるためには、やはり白楽晴(ペク・ナクチョン)にまず視線を向けることになるだろう。過去のある時期、『創批』を代表する民族文学論を確立した当事者であり、また分断体制論という代表的な創批言説の創案者だからである。特に分断体制論が提案された後に、『創批』独自の文学論が明確に提示されることがなかったという点で見るならば、文学論弱化の一次的理由は白楽晴にある可能性が高い。のみならず、白楽晴の足跡は『創批』の長い歴史のほとんど大部分にまたがるので、白楽晴を迂回して『創批』の問題にアプローチすることは難しい。最近になって白楽晴自らが比較的積極的に文学批評の現場に介入している事情を勘案する時、白楽晴を通じて考えれば、『創批』文学論の現住所をさらに正確に計測できる可能性もそれだけ高いように思われる。
だからといって『創批』独自の文学論がまったくなかったというわけではない。90年代の間、熾烈におこなわれたリアリズム/モダニズム論議を主導したのが『創批』であった。いわゆるモダニティ言説と結びつき、きわめて真剣かつ熱意のこもった文学論が語られた。そしてリアリズム/モダニズムの解消論が提起され、モダニズムに対する誤解の是正を促す問題提起もあった。このような状況で『創批』もまた新しい文学論の確立のために多様な努力を傾注した。だが実際に創作される作品の様相は、既存の『創批』の文学論にさほど友好的な方向ではなかった。そのために『創批』文学論自体が、明らかな傾向性を示すことができずにいるのであり、比較的現在までこのような様相は続いている。このような脈絡を考慮しながら、白楽晴の文学論をもう一度振り返ってみよう。その特性と変貌の過程を確認するために、民族文学論に対する概括的な議論から始めたいと思う。
2、特異な「文学主義」――民族文学論と分断体制論の文学論
「民族文学」は明らかに60~70年代の民族運動の産物である。それは民族史学や民族経済論などとともに民族運動を牽引した主要動力であった。だがその根本において見ようとするなら、民族文学論は他の民族運動と区別される特異な位置にある。民族経済論が自主的自立経済を指向し、民族史学が自主性の実現される時代を追求する時、そこには到来すべき未来に備える現在の企画が作用する。反面、民族文学論は「民族的なもの=文学的なもの」に根拠する。民族史学や民族経済論において確認される「先進に追いつき、あるいは追い越す」という念願が、民族文学論では相対的に稀薄である。
これは、韓国文学の全般的様相が後進的でないということではなく、韓国文学の中にすでに「民族文学」の凡例が存在するということである。それは韓龍雲(ハン・ヨンウン)の文学的成就が、カフカ(F. Kafka)やカミュ(A. Camus)より先進的であるという評価に端的に見られる。 白楽晴「民族文学概念の確立のために」『民族文学と世界文学Ⅰ』(創作と批評社、1978)134~36頁。以下、白楽晴の論文は筆者の名前を省略する。 民族文学は、現在を変革して新しい未来を作ることによって獲得されるというよりは、「具体的現実」を直視し、創造的に対応するところに登場する。民族史学や民族経済論とは異なり、民族文学論はつねに顕在的な作業でなければならない。到達すべき目標がないわけではないが、民族文学はその道程において持続的に生産されなければならない。したがって、文学それ自体が民族的先進性と世界的同時代性の実現を可能にするのであり、そのような文学の名が「民族文学」であるにすぎないのである。 この論文で民族文学論を本格的に扱うことは難しい。筆者なりの基本認識だけを示すことにしたい。
民族文学は民族の多様な活動領域の一つだが、私たち民族が自主性の実現に耐えられるほどの資格をすでに備えていることを保証する役割も果たす。民族文学を通じて、民族的現実に内在する先進・後進的な多様性の側面をきちんと分別する認識能力も備えられることになる。これは民族的課題の実現にも必要だが、課題を達成した後にも必要な資質である。したがって民族文学の創造性は、そのたびに実現されなければならない。民族文学は他のさらに高尚な何物かに服務する手段ではありえず、他の懸案の緊急性のために猶予される性質のものでもない。
このような脈絡において、民族文学を単に「民族の」文学に置き換えることはできない。民族文学が「民族」に帰属するのは当然だが、民族文学の「文学(的創造性)」が民族(的現実)を規制することもある。後日、白楽晴自らが、自身を「かなり頑固な文学主義者」 白楽晴・黄鍾淵対談「何が韓国文学の価値なのか」、『白楽晴会話録5』(創批、2007)239頁。 であると語る理由もここにある。このように見る時、民族文学の「文学」は民族という制約を越えることもある。民族的活動および現実の一部ではあるが、単にそれに還元されない。これまで多様な民族文学論が存在したが、大部分は「正解主義」に帰結してしまったと批判しながら、 「文学とは何か再び問う」『創作と批評』(2008年冬号)19頁。 白楽晴自身の民族文学論は正解主義とは異なると主張する理由も、このあたりに見出すことができそうである。
そうすると結局、「民族文学」は、「民族」と「文学」のどちらか一方に帰着しない、緊張を内包した概念として理解できそうである。「民族文学」が論争的概念であり、したがって限定的に有効な概念であるというのは、 「民族文学概念の確立のために」125頁;「序章―民族文学、世界文学、韓国文学」『統一時代韓国文学の価値』(創批、2006)21~22頁;「2000年代の韓国文学のための断想」、同書191~92頁など。 「民族文学」自らの用途廃棄の可否よりは、「民族」と「文学」との間の緊張に充ちた関係設定の形を再確立する作業を意味する。分断体制論の展開が逆説的に示すように、民族文学論の「民族」は「発展を内包した連続性」を帯びながら分断体制論に転化した。その過程で「民族」は「韓民族と韓半島の住民」へと含意が変わった。民族文学論の社会(?)言説への転換は比較的成功したといえようが、 拙稿「分断体制論と東アジア論」『アジア研究』52冊4号、63~65頁;「統一運動と文学」『民族文学の新段階』(創作と批評社、1990)129~30頁参照。 「民族」(分断体制論)と別れた「文学」の位置はいまだ曖昧である。
民族文学の一側面(「民族」)が分断体制論に転化したとすれば、民族文学以降の文学は「分断体制克服に寄与する文学」になって当然である。最初から分断体制論の問題意識が向かうのは、「「民族」概念よりは、全地球的な現実認識であり、それにともなう局地的行動の必要性」であって、 「2000年代の韓国文学のための断想」193頁。 「韓民族と韓半島の住民の場合、分断体制克服という中間項の比重が決定的であると確認すること」であった。分断体制論は「世界体制、分断体制、韓国または北朝鮮の体制」という三つの異なる次元を内包したものであり、南北の住民と政府の作用も繊細に考慮すべき「多元高次方程式」に近い。 「分断体制克服の運動の日常化のために」『揺れる分断体制』(創作と批評社、1998)18~26頁。 したがって「分断体制克服に寄与する文学」もまた多元高次性に照応する文学でなければならない。
韓国だけでも三つの次元の体制が作用し、それに照応して多様な問題と路線が存在しうる。分断体制克服の運動の日常化を主張する当時の白楽晴は、「階級言説」「生態系(環境)問題」「女性運動」などを主として論じ、その後もまた生態系保存、性差別撤廃、全地球次元の貧困解消、資本主義の反文学性への抵抗などを通じて、文学言説の多元化現象を指摘した。 「分断体制克服の運動の日常化のために」36~52頁;「2000年代の韓国文学のための断想」193頁。 ここに性的少数者、ディアスポラ、移住労働者などを追加することができ、そこにまた少なからぬ項目を加えてもいいだろう。今後もさらに増えそうな問題項目の前で白楽晴が主張するのは、分断体制克服の運動を中心とする相互連帯の必要性であった。
多元化された言説が分断体制の制約を受けるのは明らかだが、分断体制論がそのすべてを統合することはできない。白楽晴も当初、分断体制克服の運動が異なる他の運動を指導する上位路線であるとか、他の運動を一つの路線に統合する運動であると主張したわけではない。分断体制において分断克服(民族問題)の比重が相対的に高いと認識することはあっても、他の問題の相対的な独自性と自律性を否定することはない。要するに規模と比重の差があるにすぎず、それは「諸」運動として存在するのを認めることである。したがって「分断体制克服の運動」とは、特定の時空間のなかで多様な「諸」運動が収斂(あるいは上昇)し、作用する場を意味するのである。
たとえば「分断体制とは何か」という問いに、体系的に答える「総整理」的な説明はどこにもないという点も、あらかじめ明らかにしなければならない。力量の有無を越えて、そのような形の「正解探し」から脱する必要があるということが、分断体制論を展開する意図の一部だからである。これは分断体制の問題に限ったことでもないが、分断克服の正解を持っていると考える人の意識自体が、すでに分断体制によっておおいに歪曲されていることを痛切に悟り、自己探求と自己刷新の遂行を厭わないことこそが、この問題の鍵であると信じる。 『揺れる分断体制』8~9頁。
分断体制論も正解主義とは距離をおく。むしろ「正解探し」の弊害が発展的に解消する方向に分断体制論が位置する。分断体制論が正解主義に陥らずにいることができたのは、「韓国社会」に分析の単位を固定させずに、「世界体制・分断体制・韓国」という位相を分別したためである。ここから「世界体制を基本単位として理解するものの、世界体制およびその中の数多くの下位体制のうち、どのようなものを一次的な対象とするのかを、そのたびに新たに決めるべきだという洞察」を得ることができ、「中間項として「韓半島中心」の視角の重要性を強調」できるようになった。 「民族文学論・分断体制論・近代克服論」『揺れる分断体制』123~24頁。 したがって分断体制克服運動とは、明確な実体的路線を指示するというよりは、「そのたびに新たに決めるべき洞察」にもとづいた運動である。
分断体制論は先に見たように、民族史および民族経済などと民族文学が結ぶ独特の関係と類似している。私たち民族には民族的課題を実現する能力がある――そのことを保証する役割を担うのが民族文学であり、同時にそのような能力を備えた民族的な主体形成を可能にする場が民族文学でもあった。民族文学の先進性とは、すなわち「民族文学の成立に必須的にともなう自己認識と自己分裂克服の作業」 「民族文学概念の確立のために」135頁。を意味するものだった。民族文学が遂行する民族的課題は、つねに現在のなかで達成されなければならず、そうしてこそ「すべての」民族的課題が達成できる根拠と能力を、「民族」が備えることができるからである。このような脈絡において分断体制論は民族文学論の延長線上にある。
とはいっても、民族文学論と分断体制論の文学論には決定的な違いがある。規範的意味において民族文学が一つの同質的文学である反面、分断体制の克服に寄与する文学は多様な「諸」文学だからである。分断体制論における「民族」の含意が「韓民族および韓半島の住民」に変貌したように、分断体制を規定する複合的な位相によって、文学は「諸」文学へと多元化されざるを得ない。分断克服は分断体制の克服ではないという言明によく見られるように、それぞれの「諸」運動と「諸」文学は、独自の時刻表を独自に作成しているために、統一的な同一性に帰結することはない。ただ「そのたびに新たに決められるべき洞察」によって、相対的な比重と優先性が区別されるにすぎない。 「洞察」であれ「比重と優先性」であれ、人々の間に共有可能な「正解」があるのか、あるいは多様な「諸正解」が共存するのかは検討すべき問題である。この点に照らしてみるならば、白楽晴が「正解主義」を拒否する立場と、さきに言った「多元高次方程式」の比喩は相反するところがある。いくら「多元高次」であっても、それが「方程式」であるならば、解があるはずである。私の考えでは、方程式よりは「関数」の方がいいのではないかと思う。ただ、関数ならば一定の原理性を内包することになるが、この問題は私のレベルでは手に負えない。本稿の最後に政治原理と関連づけて二、三の讒言を残すにとどめたいと思う。 「民族文学」という用語が相変らず有効な時もあり、「民衆」や「近代克服」という接頭語を使わずに、単に「文学」ということがふさわしい場合もあるという白楽晴の説明 「序章―民族文学、世界文学、韓国文学」20頁。 も、このような脈絡において理解できる。
このように、分断体制論の文学論が「諸」文学を容認する態度から出発するという時、 結果的に「近代(性)の経験」を容認する立場となる。 、「文学とは何か、ふたたび問う」というのは、「諸」文学が共存する状況を、なんらの加減もせず文学的現実として受け入れなければならない状況において、文学に対する問いを今一度定立する作業になる。したがって「「分断体制克服の文学」という別個のジャンルを設定し、「文学とは何か」という問いにもう一つの拙速な正解を供給する行為」 「文学とは何か再び問う」40頁。 とは基本的に無関係である。民族文学論―分断体制論の脈絡において、この問いはリアリズムの問題を避けて通ることができない。「文学」が「民族」と発展的に別れたという時も、依然として残る、鍵のような問題がリアリズムである。リアリズムとは、どちらか一つの民族の文学に限定されることのない言説だからである。 「2000年代の韓国文学のための断想」194頁;「民族文学論とリアリズム論」『統一時代韓国文学の価値』359頁など。
3、「均衡感覚」――リアリズムの他の名前
これまでの議論で白楽晴のリアリズム論の二つの側面が浮き彫りとなった。一つは写実主義とリアリズムを区分するもので、もう一つはそのように区分されたリアリズム論のなかで、ふたたびそれらを区分することである。これまで白楽晴が展開してきたリアリズム論とは、この二つを課題とするものだった。 白楽晴リアリズム論の性格に関しては、キム・ヨンヒ「真理と二重の課題」;キム・ミョンファン「リアリズム、人間解放と真理実現の歴史的戦い」、ソル・ジュンギュ・キム・ミョンファン編『地球化時代の英文学』(創批、2004)参照。 だが、このような事情に対する白楽晴自身の陳述は多少複雑である。彼によれば、自らはルカーチ(G. Lukacs)のような「リアリズムの主唱者」ではない。リアリズムは「写実主義とモダニズムとポストモダニズムがそれぞれ異なった形でおろそかにする、文学における円満な現実認識と現実対応」を喚起するために援用した論争的概念であるというのである。とするならば、「リアリズムを主として主張するよりは、リアリズムを主題としながら、時にそれを放置する」立場に近い。 「何が韓国文学の価値か」246~47頁。
「リアリズム」というものも、白楽晴にとっては、適切な瞬間に適切な方式で放棄することもできる「方便」である。リアリズムでなくてもかまわないということである。ただ、リアリズムが方便だとするならば、そこにはリアリズムを通じて喚起しようとした、リアリズムは捨てても、捨てることはできない何かがあるという意味が含まれている。それが何であるかを考えることが、白楽晴のリアリズム論の核心に近付く近道であろう。 以下の内容は、2010年11月刊行予定の拙稿、On national literature and the division system, <i>Inter-Asia Cultural Studies</i> 11(4)の「truth and ethics of realism」を再整理したものである。
2004年に裵琇亜(ペ・スア)の作品をめぐって繰り広げられた議論のなかで、金永賛(キム・ヨンチャン)が白楽晴の小説読法に対して批評しながら、「人物と出来事の客観的な「再現」」「物語の発掘」「「経験的事実」の具体性」などを根拠に、白楽晴の批評が「リアリズム的読法」にとらわれていると指摘したことがある。ここに「〔白楽晴が設定した――引用者〕その「小説的」という基準も、リアリズム的再現という規範の領域内で作動するものである」 金永賛「韓国文学の諸症状、あるいはリアリズムという読法」『創作と批評』(2004年秋号)275、281頁。 という結論的陳述を加えて読めば、その趣旨がさらに明らかになる。だが金永賛のこのような評価は多少不適切であろう。これは白楽晴自身、回答形式の評論で「再現」が重要な参照点の一つであったとしても、芸術性の核心として設定することはないと明かした部分や、「新進評論家らがリアリズム論に対する粗雑な議論を平気でやっている」と言った部分 「「創批的読法」と私の小説読法」『創作と批評』(2004年冬号)262、268頁(『統一時代韓国文学の価値』に収録)。 を通じて確認できる。
ここで私たちは、作品の真理をきちんと語るために、科学的真実とのその関係が正しく確立されなければならないという、もう一つの要求に逢着する。これはすなわち「リアリズム」の問題とも直結する。さきに私たちは「現実の正確な反映」というルカーチの表現が、作品の本質に対する解明としては不充分なところがあると考えたが、本質に忠実な作品の一特徴に「現実の正確な反映」が陥るということではない。科学の真実よりも高い次元の真理を実現するならば、当然のことながら前者を包容するべきである。でなければ、科学と対等でありながら相反する真理――実際には非科学的な非真理――にすぎないものになるだろう。 「作品・実践・真理」『民族文学の新たな段階』337頁。
この部分だけを見ても、白楽晴のリアリズム論が、再現への強迫にとらわれていないことを確認することはさほど難しくない。やはり再現=反映論の立場は、再現対象=現実の先次性を回避することは困難であり、それによって一種の形而上学に陥らざるを得ない。引用文で確認できるように、これはまた「科学と文学(芸術)」の関係論でもあり、真理観とも関連を結んでいる。特に「有無・是非」の次元で確立される西洋哲学の伝統的な真理観に向かう批判的対応であった。
白楽晴のリアリズム論は、近代的科学の成就と意義を否定することもせず、その絶対的優位性を認めることもない。それを包容するところに文学(芸術)の場を用意する。かと言って「科学の真実」より一層高い位相にある「芸術(文学)の真理」が確実に何物かであると、具体的に明示できているわけではない。むしろ「芸術を通じて具現される真理」を検討することによって、到達することになる結果は「困惑」である。
とにかく、私たちの困惑は、何らかの物を探し出すように、問いへの正解を発見することによって消滅するものではないということは明らかである。むしろ問い自体を、もう少し正しく遂行する道を探すことによって、困惑が平穏に変わるかもしれないのである。(……)すなわち、一方でそれは根源的な真理を、認識の正確性でなく、私たちが絶えず問うべき「道」として――人間が勝手に作る通路でもないが、同時に「道を整える」人間の実践と別個に存在することもない「道」として――把握してきた、私たちの東洋的伝統に合致するものであり、他の一方で、最高の芸術において私たちの得る喜びが、単に「審美的」快楽や個人的な感動ではなく、まさに「真理」を悟り「道」に達する瞬間とも比肩できる場合があることを想起するのである。 「作品・実践・真理」374頁。
だとすれば、明らかに驚くべきことだが、私としては白楽晴が語った意味で「私たちの東洋的伝統」というものがあるということには容易に同意しがたい。ただ「芸術の真理」は、正解の探索に没頭するよりは、問いを投げて進む過程自体であるとひとまず理解するならば、これに対して文学の外側であらかじめ設定された正解を、文学を通じて確認したり貫徹させたりしようとする「正解主義」であると批判するのは不適切であろうし、「自らの主張だけが正解であると確信する態度」 孫禎秀「真に問うべきだったこと」『創作と批評』(2009年春号)317頁。 であると非難するのも適切でない。
正解なき問いを遂行する過程であるという主張を受け入れるとしても、その問いに応じた回答が存在しないのであれば、その道の適正性、あるいは真理性をどう確認できるのか疑問である。極端な相対主義や不可知論に傾倒せずに、それが可能なのか気になる。推測するに、「真理は~である」という正解を持たない状態でならば、結局「真理のあらわれ」、あるいは「真理の成就」を待ったり備えたりする「態度」に対する言及が、言明可能な最大値であろう。その次の段階とは、実際のところ神秘体験のようなものだからである。
芸術の真理を探求しながら、終局には問い自体を磨いていく道であるという比喩に達したのも、このような脈絡において理解できる。ポストモダニズム、あるいは脱構築の攻撃からリアリズムを守るためにも、「芸術への根源的問い」あるいは「詩の境地」が何であるかまず問い、そうした後に、それがどのように小説における典型性および再現の問題を提起するのか探求すべきであるという主張 「ロレンス小説の典型性再論」『創作と批評』(1992年夏号)90~91頁。も、同様の趣旨であろう。「真の創作の瞬間には、究極の宗教的境地とたがわぬ悟りを作品の中に実現させることが、芸術の持つ一種の神通力」であり、「芸術における真理のあらわれ」であるという陳述 「民族文学の新たな分岐点で」『民族文学と世界文学Ⅱ』(創作と批評社、1985)73~74頁。 においては、はるかに克明にみられる。
このような態度は伝統的な修養論と類似して見えるが、ただその核心となる「本体論」が見当たらない修養論 「存在論なき倫理学」を髣髴とするかもしれない。白楽晴のリアリズム論が文学論としての地位を超過し、「精神」あるいは「態度」を指向する性格が明確であるという指摘は、おおよそ批判的な論拠として何度か提起された(陳正石、黄鍾淵など)。どのように生きるのが正しいのか、正解(永遠の真理)がないことを前提にするからといって、どのように生きていくのが良かったり正しかったりするのか探求することを中断すべきだというわけではない。美的モダニティ論であれ、モダニズム擁護論であれ、「正解がないこと」と「正解の探求」という、この二つの難題の統合を根本的課題としないことが白楽晴の基本認識であろう。白楽晴が部分的妥当性だけを認める究極的な理由もここにある。 であるといえよう。だが、修養論であるならば、修養の過程を経て獲得される「徳性」があるはずである。そしてこれまでの議論と続けていうならば、この徳性がリアリズム論と関連性を持つということでなければならない。白楽晴は1960年代に市民文学論を提案した時から、レイモンド・ウィリアムス(R. Williams)の口を借りて、リアリズムの本質的要件としてそのような徳性を提示したことがある。その要旨は「リアリズムの本質を、社会と人間を見るある種の「円熟した観点」と、それに伴う「均衡」として把握」 「市民文学論」『民族文学と世界文学Ⅰ』25頁。「このような業績にともなう均衡こそ、おそらくその業績に関する最も重要な事実であろう。(……)18世紀以来、小説の発達史は、根本的にこのような円熟した立場に達するための探検であった」。 したというものだった。もしこのような態度が「あくまでも創造性が先で、実事求是・至公無私が先にあり、「再現」はそれにともなう成果であることを忌憚なく認めるリアリズム」 「ロレンス小説の典型性再論」91頁。 に続くものであるならば、創造性であれ、至公無私の党派性であれ、その要諦は基本的に「均衡感覚」と分けて考えることはできないだろう。
小説はだませない。……
ほとんどすべての他の媒体はだますことができる。(……)詩やドラマでは、庭をきれいに掃いて、人間の言葉が勝手に飛び回るようにする。だが小説では、常に雄猫が一匹いて、白い鳩が用心しなければ襲われてしまう。そして間違って踏めば滑ってしまうバナナの皮があり、塀の内側のどこかに便所があるということもみな知っている。これらすべてのものが均衡の維持に助力する。 「ロレンスと再現および(仮想)現実の問題」『内と外』創刊号(1996)295頁。
ならばこの引用文は、にもかかわらず、リアリズムはなぜ(長篇)小説を優先視せざるを得ないのかに対する返答として読むこともできる。何よりも「小説はだませない」からである。このような小説の「無自欺性」によって、小説の場は乱雑なのである。この乱雑さが結果的に均衡に到達させる。したがって均衡は無自欺、あるいは至公無私の他の名前である。このように見ると、白楽晴のリアリズム論の真理観において、正当化の問題は、結局、修養論に帰着する。換言すれば、認識論的な問題が倫理(道徳)学にもとづいて決定する方式のように感じられる。もちろん、認識論と倫理学の分離不可能性を強調することはリアリズム論の核心的な前言かもしれないが、上の引用文のように、リアリズム論の無自欺性に立てば、「雄猫、バナナの皮、便所」を含む庭なので、白い鳩が思いのままに飛び回ることができなくなる。
このような態度は、70~80年代を経て成長した民衆運動、あるいは民衆文学論にもとづいて、民族文学論が民衆文学論に代替されるべきという主張が登場する時の状況を連想させる。白楽晴は「覚醒した労働者の目」で書かれた「本格的な長篇文学」がいまだ登場していない状態なので、これは「単に「労働文学」の不在を意味するというよりは、次元の高い民衆運動の欠如にともなう、本格的な長篇文学の不在を物語るもの」であると考えた。「同時代の歴史の総体的真実を要求する長篇小説」の不在は、文学の限界であり、同時に民衆力量の限界であるがゆえに、本格的な長篇小説の出現は「広範囲な国民大衆による民主化運動・統一運動の連帯性を強化」する方向と軌をともにするという認識の産物であった。 「民衆・民族文学の新たな段階」『民族文学の新たな段階』37~38頁。 また一方で、民衆的民族文学の世界観、あるいは美学的見解の確立を強調する金芝河(キム・ジハ)の立論に対抗し、具体的な労働現実の認識から出発する逆方向を提示することもあった。これが本格的な長篇小説を可能にする「定石」だからである。
至公無私であれ、均衡感覚であれ、白楽晴リアリズム論の修養と徳性が実質的に強調するところは、結果的に現実のリアリティーは、自分が見て分かるところを超過して存在する(単に量的な比較をいうわけではないが、歪曲はつねに現実を縮小するゆえに)という事実の受諾である。ロレンスの比喩を通じて強調されたように、リアリズム小説の創造性を通じて具現された「現実」は、自分が見て分かる現実それ自体でなく、創造的な実践の結果である。だが「正解主義」を拒否するリアリズム論ならば、「真理の値」はその時その時に内在的に確認できるものであって、 「内在的」とは、すなわち「整合論的」ということである。ただその次元が個人なのか社会なのかによって理解の仕方が変わるだろう。 時空間を超越して持続するものとして受け入れることは難しい。あわせて、その「真理の値」も、結局は創造的な現実認識を経て獲得される「均衡感(覚)」自体にあるのであって、別に他のところに存在するはずもないのである。
4、「だからとても遠くに、むやみに行くことはやめよう」――白楽晴リアリズム論の現在
リアリズムという名を捨てても残る白楽晴リアリズム論の基底には、このような「均衡感」が横たわっている。この均衡感は実際のところ民族文学論に持続的に確認できるものである。たとえば民族文学論の場合ならば、「自らの民族内部で意識的に、または無意識的に、植民地統治に迎合する勢力を識別し批判して、さらには自らの心霊のなかから封建精神や買弁意識を選り分けて克服する、高度な知的・情緒的鍛練が要求される」と表現される。分断体制論では、三つ次元の規定力がもたらす複雑さをきちんと分別する一方で、「意識自体がすでに分断体制によって大いに歪曲されていることを痛切に悟り、自己探求と自己刷新の遂行を厭ってはいけない」という主張となる。合わせて同じ脈絡でリアリズム文学論では、先に見たように、現実の客観的認識あるいは再現に偏らない、至公無私の創造性が強調される。 「民族文学概念の確立のために」135頁;『揺れる分断体制』9頁;「ロレンス小説の典型性再論」91頁など。
要するに厳正な現実認識は、それとして追求されるべき一方で、そのような認識主体の「自己認識」がそれに劣らず必須であるということが、白楽晴リアリズム論の要諦である。こうして白楽晴のリアリズム論は、認識論的偏向から距離をおくことで、「正解主義」への傾斜も阻むことができた。同時に、現実から主体の(無)意識の内部へと退却することで引き起こされる、主観の恣意性や閉鎖性も否定する。換言すれば、現実認識と自己認識が相互に作用することで形成される、その中間領域のどこかに、それもつねに流動する状態にある、そのどこかに「真理」が出現するに過ぎない。したがって形而上学化の誘惑にも対抗することができた。
この数年間、白楽晴が文学現場に積極的に介入する基本視角も、リアリズム論に基盤をおいたものだった。ただ分断体制論以降の文学論は、「諸」文学の存在を認めるなかで展開するという点で、細心の注意が必要である。白楽晴が写実主義とリアリズムを区分しない慣行を空虚なものと考える最大の理由は、 「文学が何か再び問う」20頁。 「リアリズムに対するコード化された認識」が、自らのリアリズム論に対する誤解に帰結するところにあるのであろうが、その裏面には、そのようなコード化自体が、逆説的にも「リアリズム/モダニズム」という例の二分法を再生産する一方、その対立を「モダニズム―ポストモダニズム」という、もう一つの対立構図のなかに解消してしまうことに対する不満もあるだろう。
白楽晴は、二分法の副作用から少しでも脱しようとして、モダニズム的な小説に注目しているのかもしれない。自らの批評に対する金明仁(キム・ミョンイン)の批判をめぐって、むしろ金明仁の批評が「〈創批〉固有の読法」にふさわしいとした言及も、脈絡をともにしたものだろう。金明仁や金永賛とやりとりしたその議論で、小説的技法と文学的装置に対する繊細できめ細かな分析がやりとりされたが、何よりも白楽晴が、裵琇亜をめぐって「真性モダニスト」と評した部分に注目する必要がある。これは「作家的体質の自然な発現であり、全身を投じた探求としてのモダニズム小説」という意味で、単純な技法や装置の動員ではなく、体質的・生理的モダニストであるという評価である。 「「創批的読法」と私の小説読法」260~61頁。
ここまでくると、現在の韓国文学でモダニズムは、すでに生の日常のなかで自活力を備えたまま生成しているという認定である。モダニズムが生理的次元で遂行される領域においてすら分断体制が包括するのであれば、分断体制克服に寄与する文学からモダニズム文学を排除する視角こそが、現実を冷遇した観念論にすぎないであろう。分断体制論の文学論が、「諸」文学を容認するところから出発せざるを得ないと考える理由もここにある。真性モダニストであるという時、白楽晴の評価が向かう地点は、他人や外部の視線にもかかわらず、生(作品)を動かす作家(話者)の性格であろう。俗っぽくいえば、「そのようになったからそのように生きるだけだ」という態度である。だが、この態度はややもすると他人の視線を意識しない「クールな」自然さにとどまらず、他人の視線さえないところへと、その作家-話者の生を導いてしまう可能性もまた少なくない。作家自身をめぐって考えれば、そのような視線の有無によって変わるものは何もないという点で、さらに問題的であろう。だから、うまく進みはしても、やたらと進みすぎてもいけないのである。
それは、裵琇亜の作品に対して白楽晴が「話者であれ著者であれ、何かに閉じ込められているのは明らかだ」と診断する時に指摘する地点でもある。だからといって、モダニズム自体を克服しろという忠告として拡大解釈するのは適切ではない。「その問題点の個人的・社会的根元を糾明しようとする姿勢が望ましい」というのは、そのような根元の糾明過程を成功的に形象化したにもかかわらず、「なりゆきにまかせて生きる」ことが持続可能なものとして帰結されるならば、それで充分と理解する方が穏当である。「根元」に対する注文自体がリアリズム的な要求であることは明らかだが、互いに異質であるといっても、それらが共存すべき「諸」文学であるならば、異なる「諸」文学のそれぞれが、互いにその価値と正当性を立証することは避けられない。「閉じ込められること」を指摘するのは常識的な要求である。この常識は、最低限の均衡感覚から出てくる。白楽晴が依然としてリアリズムを擁護する立場を堅持していたとしても、「リアリズム/モダニズム」、あるいは「近代/脱近代」という二分法的な対立構図に立脚していては、このような白楽晴リアリズム論の「均衡感」を捕えることは困難である。
このような二分法的な歪曲に制約されない時、「円満さ」「現代詩とモダニティ、そして大衆の人生」『創作と批評』(2009年冬号)22~29頁。 という言葉を通じて、文学の政治性議論に介入する、その均衡感覚を今一度目撃することになる。白楽晴は難解な言語実験に精進する詩人を禅僧や特攻隊にたとえる。言語実験に邁進する文学とは、通常、美的自律性を擁護するモダニズムと親和性が強い。だがそのような実験性自体は問題視しない。白楽晴は文学における禅僧と特攻隊が必要な存在であることを否定しない。つまり分断体制論の「諸」文学として認めている。しかしこれと関連して「自律性を神話化する、いわゆる芸術至上主義的な態度」でもなく、「生/政治の内部に還元されることのない、この「余剰」、あるいは「不純物」が、まさに文学の価値」であるとする李章旭(イ・ジャンウク)の主張は、リアリズムの均衡感覚とは距離があり、前衛運動の少なからぬ諸事例は「円満な学習の失敗」であるとも考えられる。
李章旭の説明のように、「「廃虚」に内属している自己自身を凝視」する詩人が、「「堕落」を自らに容認」し、このような堕落を通じて「「詩」を発生させるための条件」が用意されるならば、その時の「詩」は「生と芸術の関連性が極度に一致した」場に誕生するのである。多少複雑で情熱のこもった説明だが、私としては「生/政治と文学の一致」という不可能性を実験する場において真の詩が生じるという趣旨として理解できる。「詩的なもの=革命的なもの」という古い命題とさほど異なるようには感じられない。
白楽晴は、李章旭が参照し、ランシエール(J. Rancière)と陳恩英(チン・ウニョン)が提示する芸術(体制)論が、近代の時間のなかで比較的現在に近い「現代性」に偏っているという事実を問題視する。このような偏向は、均衡感に基盤を置いた円満な学習と事業にとって障害になるからである。写実主義の意義は単に類似していることへの重視ではなく、類似していることの機能を規定した構造の破壊にあるというランシエールの主張に対して、白楽晴は「近代の到来とともに芸術において写実的再現が格別な意味を持つようになった点に対する認識は不充分のように見える」と指摘する。これは「韓国におけるリアリズム論議をきちんと再確認し、深く掘り下げる時」「近代芸術の展開過程に対して、はるかに円満な理解が可能」であるという提案でもある。 「現代詩とモダニティ、そして大衆の人生」27~31頁。 やはりここでも程度が過ぎてはいけないのである。
李章旭が金洙暎(キム・スヨン)の口を借りて「全身」に照応する詩的傾向が競合する場を設定する時、そこに鄭芝溶(チョン・ジヨン)や申庚林(シン・ギョンニム)などの成就が含まれるべきという提案も、白楽晴にとっては当然のことである。ここにはモダニズム詩の難解性と前衛性に対する白楽晴の認識が反映されている。これは特にT・S・エリオットの「感受性の分裂」の議論に典型的にみられる視角である。白楽晴によれば、「感受性の分裂」は、英詩の歴史に対する画期的性格を帯びる一方、シェークスピアなどの成就が近代長篇小説の成果に継承されるという認識を準備し、ひいては近代長篇小説の読法が現代詩解釈にまで適用可能にした概念である。 「現代英詩に対する主体的接近のある試み」『現代文学を見る視角』(ソル出版社、1996)参照。
これはリアリズムの成就にもとづくモダニズムの再解釈だが、特にエリオットの詩作の作業と関連して、「感受性の分裂」は「「思考と感情の統一」に劣らず重要なのが、同時代の「日常言語からあまりに遠く離れていくことのない詩語」」であるという事実を確認させる。この点を喚起するのは、最近の先端の言語実験を敢行する詩人の作業に対して、「大衆に対する不信と、時に軽蔑すら含む一種のエリート主義を感じることになるのは、「美学的―感性的な芸術体制」に対する排他的支持と無関係ではないようだ」と推察しているからである。反面、白楽晴が「感受性の分裂」の議論を通じて到達した結論とは、「〔シェークスピアの――引用者〕大衆性と、これに必ずやともなう単純性、またこの単純性を通俗性から救い出す大局的な現実理解や民衆文化にもとづく楽天性――このようなものが、現代の詩人の目標としてもはるかに強調されるだろう」という点であった。 「現代英詩に対する主体的接近のある試み」146頁;「現代詩とモダニティ、そして大衆の生」32~33頁;「モダニズムに関して」『民族文学と世界文学Ⅱ』419頁。
このような視角は例の「二重課題論」とも符合する。革命的であるほど前衛的なモダニズムが、強烈な「暗示と熱気」を示したことは明らかだが、実質的な効果を達成したのかは疑問であり、一層無力にも消費文化に吸収されてしまった反面、むしろさほど前衛的でない作家が一層円熟した成就を示したという判断のためである。これはランシエールのいう「治安」と「政治」の関係に対する問いにつながる。「治安」の苦悩のない「政治」への過度の傾斜は、無関心と無責任に帰結するのが常だという憂慮は、二重課題論的な視角が適用された結果である。 「現代詩とモダニティ、そして大衆の生」30、36~37頁。
文学の政治性に関する議論が続いている状況であるから、どのように生産的な成果を産むかはいまだ不確かである。しかし大部分の議論が依拠している理論的な偏向や美学的自律性の論議自体の根源を勘案する時、若い作家や批評家にとって、白楽晴のリアリズム論が生産的な資産として援用される場面を目撃することは難しい。そこに難解な言語実験で綴られる詩壇の様相を重ねてみれば、それは一層明らかであろう。このような脈絡において、韓国の詩の場合、主として金洙暎が論理的・歴史的な拠点として浮上することもまた自然のように思われる。だが私としては最近進められているこのような論議に対して、いくばくかの違和感を払拭しがたいのである。
李章旭が提示した事例もそうであり、特に金洙暎がそうであったが、当時の詩は、あるいは文学は、本当に偉大なものだったという感覚がいまさらながら鮮明である。創作の自由がまさに言論の自由を喚起し、ひいてはそれと同一視されうる時代に、金洙暎は生きていたのである。若干の誇張が許されるならば、それは詩人が直接的に憲法次元の問題と相対する時代であった。それだけ浅薄なものだったし、それだけ後れたものでもあったが、逆説的にそれだけ文学が偉大なものでありえた。金洙暎が「〔詩人が――引用者〕愛するのは「不可能」である」、「言ってみれば真の詩人とは先天的な革命家」(「詩の「ニューフロンティア」」)という言葉を、自信をもって明言できた理由でもある。99%の自由は自由ではなく、100%の自由だけが自由であると信じ、世の中に向かって不可能を要求するのが詩人であるならば、その不可能を可能な分だけでも現実のものとするのは誰の役割なのか。それは詩人が関するところではないといって、そのことさえ知らないふりをするほど、もしかしたら文学は偉大だったのかもしれない。
反面、美学的・芸術的自律性と政治性を、今、このように議論する背景には、逆説的にも、文学をするということが憲法的水準に達することを固辞し、詩、あるいは文学という枠を脱してこそ、作家の声が世の中にやっと聞こえるという、文学の矮小性に対する認識が横たわっている。表現の自由、言論の自由は、インターネットなど、他のメディアの現実的懸案となって久しく、よって詩(文学)が競合しながら共存するメディア環境に対する綿密な反省がなければ、金洙暎と重ねて進められる文学の政治性の議論には、否応なくある種の欺瞞が作用しやすいのではないかと思える。
まさにこの地点において切実に要求されるのが、客観的現実の厳しさを尊重する写実主義的な規律をおろそかにせず、その認識過程に対する自己認識がともに作用する「リアリズムの均衡感覚」なのかもしれない。もしこの均衡感覚が受容されるならば、美学的自律性を出発とする問題設定の仕方が変化することもありうる。詩が、あるいは文学が、さほど偉大なものでもない時代が、金洙暎の時代からいかなる過程を経て変貌してきた結果なのかを検討せねばならず、その過程で文学が得たものと失ったものは何かを認識するべきであろう。それは西欧の現代芸術の事例が代置できるものではなく、あるいは金洙暎が代置できるものでもない。「治安」と「政治」を相互排除的な関係で簡単に区分できないという反問が窮極的に要求するのは、このようなことであろう。
5、おわりに
これまでリアリズム論を中心に白楽晴の文学論について見てきた。私としては直接的な論評なく、ひとまず彼の議論をよく聞いてみようと考えた。走馬看山のスタイルで要領を得ない読みであったが、少なからぬ曲折のなかでも、白楽晴が一貫した立場を堅持してきたことは充分に感知された。その一貫性に対して率直に「うんざりする」ほどであった。白楽晴は最初から現在まで頑固な文学主義者であり、その文学主義は正解主義を始終一貫して警戒してきた。当初、白楽晴にとって文学とはそのようなものであった。
この文学主義者は、文学がそれほど偉大なものであることを自ら証明してきた。そのように文学を守ってきたし、今後もそうするだろう。現在でも文学が相変らず偉大なものであるならば、そのことに白楽晴が寄与したところは多大であることに同意できる。文学は偉大なものであるから、文学よりさらに偉大なものがあるならば、文学はそれに従うべきだという「正解主義」に対抗し、また一方で、文学のための文学といいながら、別にたいしたことのない水準へと文学を下降させる傾向に対しても抵抗した。
一つ疑問が残る。文学が偉大であると一貫して信じるならば、意味の転倒現象が出てくるのではないだろうかという疑問である。つまり偉大でなければ文学でないという信頼の転倒のようなものである。私にとっては、分断体制論がそれ自体として民族文学論を直接的に継承した文学論であると理解できる。分断体制論が白楽晴の文学論であるならば、そこには必ずやリアリズム論が内包されなければならない。直接取り上げて論じることはしなかったが、「変革的中道主義」は分断体制論のリアリズム論として把握できる。分断体制論の文学論とは実質のないものかもしれない。文学が偉大であるという信念のために、白楽晴の文学論も偉大なものであるということになったが、だからといって当の文学が偉大になったのかについて、断定することは容易ではない。
他に残った問題についてさらに言及したい。それはいわゆる白楽晴が強調する「知恵」の問題である。白楽晴は、「芸術的真理」は「科学的真理」に還元されないと考えて「知恵の時代」を提唱した。ここで「知恵」とは、近代科学的な知識が代表する近代的知識の性格と限界を示すために選択された用語だが、知恵の時代とは科学(的知識)を冷遇しては知恵を獲得できない時代であるという点で、科学を単に否定するものではない。そのような点で知恵とは、科学的知識が人間の生に役立つように寄与するように調節し制約する能力であり、また科学的知識を生成する歴史的・文化的基盤として理解できる。このように見ようとするならば、白楽晴には一貫した思惟方式が存在している。まずそれは、顕著な形態や実体的規定を付与する時にもたらされる、固定化の危険を拒否しようとする態度である。私が「均衡感覚」と言ったものは、考えてみれば「知恵」でもある。だが、いったいこの知恵はどこにあり、それが知恵なのか知恵でないかをどのように識別できるか気がかりである。
私の推察では、その知恵は「心」のなかにあるのかもしれない。先に言及した修養論と徳性論を通じてそのように推察できる。もしそうであるならば、その「心」が自らの心にとどまらず、世の中に向かって何かを主張し始める時、その「真理の値」はどのように手に入れることができるのだろうか。正解主義ではないのだから、結局、整合論的な均衡状態が、その真理の値にならざるをえないだろう。分断体制論の「諸」文学のように、一つの単一な原理に同一化されない異質な存在(群)が共存するのだから、各存在の心が知恵の均衡感を維持するために動員する天秤は、それぞれ異ならざるを得ないだろう。だから知恵は心だけにあるものであってはならず、「制度=知恵」でもなければならないのである。
互いに異なる天秤で均衡を作る「心」は、それぞれ異なった価値を指向するものであろうし、そのような価値が写実の世界をなすのであれば、その世界は政治的自由主義とその制度的表現としての立憲民主制を排除することは困難である。白楽晴のリアリズムの均衡感が、今、この時点で文学の政治性に取り組むスタイルは、制度(化)と密接に関連しなければならない。「治安」と「政治」の安易な区分を憂慮する二重課題論的な視角が、積極的に考慮しなければならない問題は、まさにこのようなものであろうと考える。
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