창작과 비평

李明博政府の統治危機 : 民主的ガバナンスとの不調和

特集 | 李明博時代の折り返し地点、ガバナンスの危機

 



李南周(イ・ナンジュ)  lee87@skhu.ac.kr
聖公会大学教授、政治学。著書に『中国市民社会の形成と特徴』『東アジアの地域秩序』(共著)、編著に『二重課題論』(創批言説叢書1)などがある
 
 
 

1.天安艦政局、エピソードではない典型的な事例

 

「北朝鮮は自らの行為に責任を取ることになるだろう。北朝鮮に責任を問うため、断固たる措置を取る。今、この瞬間より北朝鮮の船舶は、「南北海運合意書」において許可された我々の海域の如何なる海上交通路も利用することはできない。交流協力のための海上通路が、これ以上武力挑発に利用されることは許されない。南北間の交易と交流も中断されるだろう。(…) これより、大韓民国は北朝鮮の如何なる挑発も許さず、積極的な抑制原則を堅持する。今後、我々の領海、領空、領土を武力侵犯した場合は、即座に自衛権を発動する。」


 2010年5月24日、戦争記念館にて李明博(イ・ミョンバク)大統領が直接朗読した国民向け談話の一部である。これは、1988年の盧泰愚(ノ・テウ)大統領の7・7宣言以来、対話と協力を拡大してきた南北関係の基本方針を全面的に再検討するという宣言である。休戦体制という不安定な平和状態に置かれた韓半島(朝鮮半島)の状況を考慮すると、準戦時体制の宣言に他ならない。分断体制に内在する根源的な敵対関係が再び表面化した瞬間でもある。常に軍事衝突の可能性があるということが確認された以上、株が暴落し、外国為替市場が動揺するのは当然の結果であろう。 国民向け談話発表の翌日である5月25日のウォンドルの為替レートは前日比35.5ウォン高の1250.0ウォンで取引きを終え、総合株価指数(KOSPI)は前日比44.10ポイント下落した1560.83で取引きを終えた。北朝鮮の「全軍戦闘態勢突入」という知らせに、一時為替レートは1270ウォンまで急騰し、総合株価指数は前日比72.25ポイント暴落するなどパニック状態に陥った。株式市場と外国為替市場は、北朝鮮の戦闘態勢突入という知らせが誤報であったことが確認され、韓国政府も制裁措置の実行には慎重な態度を取るということで、ようやく正常化したが、それまで看過していた分断体制の潜在的な爆発力を今一度確認させる例であった。

大韓民国の憲法は国家の安全と公共秩序が脅かされた場合、国家元首に緊急措置が発動できる権限を与えている。しかし5月24日は緊急措置が必要であり、国会の集会も待てないような緊急な状況ではなかった。にも関わらず、国家の存亡に重大な影響を及ぼしかねない決定が適切な審議も熟考もなく戦争記念館で一方的に発表されたのである。このような状況自体が国家ガバナンスの危機であり、李明博政府のもとで進行している民主主義の後退の中でも最も深刻な事態と言えよう。幸いにも、6月2日に行われた地方選挙での与党の惨敗により、韓半島は一触即発の危機からひとまずは脱出した。直ちに軍事衝突とつながる可能性の高い対北拡声器宣伝放送の再開などの措置を見合わせたからである。これは分断体制の制約を乗り越えることがそう簡単ではないということの確認でもあった。地方選挙で躍進した進歩改革勢力も選挙の成果を固めることに一層努力を傾けた。特に、進歩改革的な候補者たちが地方政府、地方議会、地方教育などの領域に多数進出したため、地方ガバナンスが主要議題として取り上げられた。 最近、ガバナンス(governance)は、「協治」とも翻訳されており、国家と市民社会が協力する新たな、そして規範的に望ましい統治類型を意味する場合が多い。けれども、厳密的に言えば、ガバナンスとは統治、管理などを意味する価値中立的な用語である。UNや世界銀行では「グット・ガバナンス」(good governance)という用語で望ましいガバナンスの類型を示している。最近、地方レベルのガバナンスに対する論議は「グット・ガバナンス」若しくは社会変化を反映する「新たなガバナンス」(new governance)に対する探索と言えよう。だが、ここで注意すべき点がある。まず、良きガバナンスは国家の役割を縮小させようとする新自由主義的な傾向とも親密な面があるため、韓国社会の実情に合った良きガバナンスとは何かについて現実と密着した理論的・実践的な熟考が必要である。また、現在国家ガバナンスの危機が深化しているため、果たしてその問題と切り離して地方政府のガバナンスについて論議できるかどうかという問題もある。本稿は国家ガバナンスの危機の本質と克服方向に焦点を合わせて論を展開し、最終的に、このような問題意識が地方の新たなガバナンスに対する模索に如何なる意味を持つのかを整理したいと思う。   ならば、5月20日の民軍合同調査団の発表と5月24日の李明博大統領の国民向け談話により最高潮に至った天安艦政局は、今となっては過去のエピソードに過ぎないのであろうか。天安艦政局は忘れて、新たなガバナンスに向けて進めばそれでいいのであろうか。

国際的に見ると、7月末の韓米軍事訓練をめぐる葛藤が韓半島内の葛藤を超え、韓国と中国、米国と中国の軍事的葛藤にまで広がり、天安艦沈没事件のあおりを受けている。国内的には、万が一地方選挙で与党が勝利していたら、冷戦守旧勢力のヘゲモニーが強化され、韓半島において軍事衝突が発生するなど、事態が一層深刻化したであろう。 このような危険性がよく現われている代表的な例が『中央日報』の2010年5月24日付けに掲載されたキム・ジン論説委員の「国民が三日間さえ耐えれば」という社説であろう。 そういった可能性が現実化されることはなかったが、地方選挙で与党が負けたとは言え、そのような流れの勢いが無くなったわけではない。彼らの影響力を弱化させない限り、韓国社会をアップグレードしようという発想は空想に過ぎないだろう。従って、天安艦政局はもう過去のことと見過ごした瞬間、我が社会の最も本質的な問題に背を向けることになるのである。天安艦沈没事件以降、韓国社会で展開された様相は、選挙を控えて発生したエピソードの一つではなく、我が社会の根本的な問題を露にした事例として見なすべきである。真の政治とは、その過程において表面化した問題を直視し、それに立ち向かうことであろう。

 

2. 「例外状態」を呼び起こす

 

天安艦沈没事件は、地方選挙を控え「北風」論争を呼び起こした。しかし、天安艦政局を選挙時期の政治行為である「北風」フレームとしてだけ見つめるならば、事態の本質を見逃してしまうことになろう。天安艦政局においての与党と冷戦守旧勢力の行動は、一種の「例外状態」を呼び起こそうとする一連の動きであった。即ち、天安艦政局は単純な選挙に対する対応ではなく、新たな政治状況を作り出そうとする試みとして解釈されるべきであろう。

ジョルジョ・アガンベン(Giogio Agamben)は、西欧の民主主義の中に、緊急状態または非常事態のような、法的秩序を守るために法律の効力を停止させなければならないアポリアが内在しており、今日このような例外状態が徐々に例外的な措置に代わって統治手段として登場しただけでなく、法秩序を構成するパラダイムとしての本性さえ露にしていると主張する。 ジョルジョ・アガベン『例外状態』、金杭(キム・ハン)訳、セムルキョル、2009、24頁。 西欧の民主主義において、例外状態が常例となる事態が展開しているという彼の分析は、一部の読者に戸惑いを感じさせるかもしれないが、全体主義の登場から近年のブッシュ政権の「テロとの戦い」に至るまで、自由民主主義的な秩序の中で絶え間なく例外状態が生じた事を思い起こすと、彼の主張が近代民主主義の本質的な一面を鋭く捉えていると思われる。

韓半島は、彼の例外状態に対する説明が最も上手く適用された例と言えよう。特にアガベンの引用した「民主主義のためならば、如何なる犠牲も大きいとは言えない。ゆえに、民主主義自体の一時的な犠牲など、非常に些細なものに過ぎないのだ」というクリントンL. ロシター(C.L. Rossiter)の発言は、韓国の政治史の核心を突いていよう。 前掲書、27頁。 その理由は、言うまでもなく、韓国が「分断体制」という内戦的な状況に置かれており、そのような例外状態を背景に国家権力が誕生し、作動しているからである。1987年の民主化以降、韓国の例外状態を空間的・時間的に一定の境界の中に押し込めて、例外状態から正常状態への移行が成功したという認識が我々の中で広がっている。このような認識が李明博政府の発足後から揺らぎ始めたが、だからと言って法秩序が中断されるような事態にまで発展すると考えた人は殆んどいないだろう。ところが、天安艦政局が準戦時状態宣布にまで至りながら、法秩序の効力自体が問題となる状況にまで陥った。

天安艦沈没の原因をめぐる真実論争は未だに続いており、この事件が韓半島や北東アジアの未来に影響を与える限り、真実をめぐる論争も終わることはないだろう。しかし、天安艦政局のもう一つの本質的な問題は、権力関係が「真実」を構成する過程に及ぼす影響力である。天安艦の沈没と共に一般人には近づくことのできない軍事施設、そして海という暗黙の世界に相応しい数多くの謎が浮上した。真実が客観的に存在するのではなく、特定人物の利益により解釈され構成された結果と思われる、真実に対するポストモダン的な説明が適用されるに相応しい現場であった。それ以降の事態の展開も真実を明らかにする過程というよりは、ポストモダン的な説明の正当性を証明するかのように進行していった。 天安艦沈没事件に対する調査の問題点は、次の著書によくまとめられている。姜泰浩(カン・テホ)編『哨戒艦「天安」を問う:疑問と争点』、創批、2010。特に調査過程の問題点は權赫哲(グォン・ヒョクチョル)、鄭鉉坤(ジョン・ヒョンゴン)の論文を参照。

事件の当初は誰も沈没の原因を容易に判断することはできなかった。青瓦臺(チョンワデ)も例外ではなかった。ところが、いつからかその原因を北朝鮮の攻撃と規定し、調査活動もそういった方向へと傾いていく傾向が見られた。そしてこのような主張が朝鮮日報などの保守傾向のマスコミにより拡大再生されながら事態の進行を支配した。朝鮮日報は3月30日付けの朝刊に脱北者の主張を引用しながら、北朝鮮の海上狙撃部隊が運営している「人間魚雷」による攻撃可能性を取り上げ、3月31日付けの一面には、沈没前後に北朝鮮の潜水艇の動きが確認されたと報道した。4月2日、金泰榮(キム・テヨン)国防長官は「魚雷の可能性の方が実質的だと思われる」と発言した。趙甲濟(ジョ・カップジェ)『月刊朝鮮』前編集長は、4月5日の「 趙甲濟 ドットコム」サイトに「大統領とは「予断」をする位置」と論評を書き、4月8日の国民行動本部が主催した「天安艦事態関連緊急講演会」では、「北朝鮮の魚雷による撃沈の可能性は90%」と断言した。李明博政府に関しては、南北首脳会談に対する未練のため、天安艦沈没に中途半端な対応をしていると批判した。 安秀燦(アン・スチャン)「切実な思いで、南北全面戦を」『ハンギョレ21』、2010.4.16(第806号)。 結局、政府の態度も変化し、北朝鮮の攻撃以外のその他の可能性は排除され、多くの疑問に対する合理的な問題提起は根も葉もないデマとして扱われながら、法律的弾圧までも試みられた。天安艦沈没に対する政府の態度は徐々に客観的証拠よりは、予定された目的、即ち例外状態を生み出そうとする目的に導かれ変化し始めたのである。

しかし、その過程は平坦ではなかった。北朝鮮の犯行という前提で調査を推し進めてはいたが、それを確証し、例外状態を呼び起こすべき証拠は発見できなかったのである。ところが、合同調査団は5月15日、魚雷プロペラ(推進機)の破片を回収しながら天安艦沈没の原因を北朝鮮の攻撃として規定する、謂わば「決定的証拠」を確保した。それ以来、状況は再び緊迫に展開し始めた。李明博大統領は「韓国には国運がある。決定的な証拠が発見されるに違いないから見守ってみよう」と不安を紛らわしていたが、その大統領の「国運論」が結果的には的中したという裏話を報道するマスコミもあった(『中央日報』2010.5.28)。北朝鮮の攻撃という予断により状況を導きはしたものの、事件の真実が確信できなかった状態において、その不安感を埋めてくれるのは「国運」のような迷信的な信念しかなかったのであろう。

しかし、5月15日に回収された「決定的な証拠物」も決定的なものにはならなかった。政府は証拠物に対する徹底的な分析と評価よりも、それを予定された目的に活用することに気を取られていた。 証拠物を分析可能な場所へと移して関連分析を行い、報告書を作成し、印刷するまでに至る一連の過程を証拠物が回収されてから僅か五日後の中間発表までに終わらせるのは不可能に近かった。適切な選択は、新たな証拠物に対する徹底的な分析のために中間発表を先延ばしにするか、または中間発表という言葉通り、中間発表として終わらせるべきであった。しかし彼らの選択は、そのどちらでもない天安艦沈没に対する事実上の最終結論を下したものであった。その結果、中間報告書は数多くの基礎的なミスと疑問点を残した。 調査が「最終的」に完了していないにも関わらず、合同調査団の共同団長であるパク・ジョンイ中将を大将へと昇進させ、さらに1軍団長へと栄転させた。昇進はともかく、最終報告が完了していない状況で役職を転任させるのは真実を究明しようという誠実な態度とは距離のある行動である。さらに、特別な理由も明らかにせず、最終報告書の発表日が7月下旬、8月6日と、続けて先延ばしになっているという事実も合同調査団の調査の混乱を物語っていよう。   例外状態を呼び起こそうとする勢力にとって、このような問題は全く問題とならず、結局、李明博大統領の5月24日の国民向け談話によって、その目的は達成されたかと思われる。

天安艦沈没の調査過程には幾つかの分岐点が存在したが、その度に政府の選択は真実への厳正で偽りのない接近よりは、北朝鮮の魚雷攻撃であるというフレームを強化することであった。 真実を発見するにおける正確性(accuracy)と真実を発言するにおける真情性(sincerity)は、英国の哲学者バーナード・ウィリアムスが真実の価値に対するポストモダン式の懐疑論を批判すると同時に、決して自明でない真実に到達するために必ず必要な徳目として挙げたものであるが、天安艦事件の調査は、この二つの徳目がどちらも欠如されたものであった。(Bernard Williams、<i>Truth and Truthfulness: An Essay in Genealogy</i>、 Princeton University Press、2002) その選択の背景には地方選挙に対する政治的計算も作用されたであろうが、事態の深刻性は違った側面、即ち例外状態を作り出そうという意図にあった。このような事態の本質がよく表われている例が5月25日の国民行動本部が主催した「天安艦爆破犯、金正日(キム・ジョンイル) 糾弾国民決起大会」での趙甲濟の演説内容である。彼は5月24日の大統領の談話に関連して、「少し遅れた感はあるが、昨日李明博大統領が事実上韓半島の状況を準戦時状態と規定した」と肯定的に評価し、続けて「では、残された問題は何か。それは韓国内の「赤(左派)」だ。韓国の「赤」をどうするかである」と、矛先を韓国内の「左派」へと向けた。例外状態の創出と国内統治との連関性、そして彼らの真の目的が露になったのである。  例外状態がなぜ重要な意味を持つかを一言で要約した「例外状態の中で世俗の権威体制の持つ秘密は全て露になる」(金杭『話す口と食べる口』、セムルキョル、2009、82頁)という表現をここにも適用できよう。 国家がこのような動きに完全に包囲されたのが5月24日の事態の本質である。

国民は6・2地方選挙を通してこのような意図を投票により審判し、その動きに歯止めをかけた。しかし事態が解決したわけではない。なぜなら、例外状態の創出を通してしか統治のできない集団が猶も我々の運命を左右できるほどの影響力を持っており、こういった試みはこれからも繰り返されることが予想できるからだ。彼らが例外状態に頼るしかない理由は歴史的側面から容易に説明できよう。内戦と分断という例外状態は、彼らの誕生秘密が、権力の源の隠れているところにあるからだ。しかし、民主化がかなり長期間発展したにも関わらず、例外状態を呼び起こそうという試みが繰り返されている状況を理解するためには、李明博政府の発足以来、表面化した「保守的」統治と民主的ガバナンス間の不調和、そしてそこから始まった国家ガバナンスの危機へと目を向ける必要がある。

 

3. 保守的統治の危機

 

新たな、若しくは望ましいガバナンスに関する論議とは、どのような形であろうがガバナンスが安定的に作動していることを前提に、それを一層発展させるためのものである。ここで注意すべきは、ガバナンスが先験的に与えられるものではなく、それ自体が問題となる場合が多いという点である。特に統治の正当性が、神や自然の摂理のような超越的な存在によって与えられるものではなく、市民、人民などの新たな主体の同意によって与えられるという認識の拡大した近代に至っては、こういった問題は一層複雑な様相を呈し始めている。    チャールズ・テイラー(Charles Taylor)は経済、公論の場、人民主権に対する新たな社会的想像により近代的な秩序が構成されたと主張したが、社会的実践はこのような新たな社会的想像から直ちに帰納されるわけではないという点も強調した。特に人民主権という社会的想像が形成されたとしても、このような想像が簡単に合意された制度的意味を発見できた米国と、そうではないフランスの例を比較し、それが新たな秩序を作り出す過程は非常に多様であり、複雑であるという点を説明した。チャールズ・テイラー『近代の社会的想像』、イ・サンギル訳、イウム、2010、第8章。 ここでの統治、言い換えれば人民主権の原理から出発する民主的ガバナンスは、超越的な真理の一方的な伝達や観察ではなく、非統治者との複雑な相互作用を意味するからである。フーコーも「国家の統治化」(governmentalization of the state)を近代性の重要な要素の一つと見ている。それは、君主の権力とそれ以外の違った形の権力の間に線を引き、君主の権力強化だけを目的としたマキャベリ式の統治とは異なった、国家内において多様な形の権力間の連続性(国家の統治と社会内の家族に対する統治、修道院長の修道院に対する統治など、相互間の連続性)を考慮する「統治の技術」(the art of government)が発展する過程である。 Michel Foucault、<i>Security, Territory, Population </i>(Lectures at the Collge de France)、Picador、 2007。ここで統治(government)は人々の行為に対する規律を意味するもので、国民ではなく家族、地域共同体、宗教など、多様な領域から現われる現象である。この講演でフーコーは近代に国家が統治の中心として登場する過程を追跡している。   ここで国家は、健康と安泰を保障し幸福を増進させるべき住民(population)、そして自己調節の法則に従った経済(過去には家族内の問題又は家族の管理と見なされた)を統治の対象及び目的としながら、統治が単に法の適用ではなく、人と物事に直接介入する多様な戦術でありゲームであるという事実を強調した。その過程は決して平坦なものではなく、多くの紆余曲折を伴うということを16世紀以降の西欧の歴史は物語ってくれる。

このような側面から見た場合、韓国社会はよりよいガバナンスを作り出すための土台としての民主的ガバナンスの形成自体が問題視される状況であると言えよう。建国以来、形式的には近代的な意味での統治を目指してきたと言っているが、実際には繰り返される緊急事態を通してしか国家の統治を維持することはできなかった。その典型的な例が国家保安法という「裏面憲法」である。1987年6月抗争以降、ようやくこのような状態から抜け出すことできた。いつでも例外状態を作り出すことのできる根源として作用している分断体制が克服されたわけではないが、民主化と南北関係の進展に伴って、表面的には韓国の政治が例外状態の制約から徐々に自由になり始めた。権力を獲得するための政党間の競争が制度化し、人権保障においても多くの進展が見られた。それに伴い、政治的な事柄とは、利益葛藤を政党政治のような合法的な競争、特に政策競争を通して解決してゆく過程だという認識が広がった。

しかし、民主化の進展にも関わらず、例外状態の中で非常識的に形成及び構造化された勢力は決定的には弱化することなく、猶も社会全般に多大な影響力を与えてきた。彼らは本質的に民主的ガバナンスとは調和不可能な勢力であり、彼らにとって民主的ガバナンスの発展は自己存在に対する否定に変わりなかった。民主化は、冷戦守旧的保守勢力の影響力を低下させ、彼らが民主的ガバナンスと和解する方向へと革新する機会でもあった。しかし分断体制のもと形成された韓国社会の「保守勢力」には、こういった革新能力が不足していた。「失った10年」というスローガンが物語っているように、既存の政府に対する彼らの批判は、政策に対する批判を超え、事実上民主的ガバナンス自体を全面的に否定する方法で行われてきた。その結果、保守の革新は進まず、却って冷戦守旧勢力のヘゲモニーが強化される様相さえ見られた。盧泰愚政権以降進められた対話協力政策を後戻しするかのような対北政策も、分断体制-例外状態-韓国型保守の内的連関性を示している代表的な例である。

このような状況のもと誕生した李明博政府の統治方法は退行的な様相を呈するしかないだろう。 現政権の発足当時、その性格をどう規定するかをおいて多くの主張が見られた。その中でも李明博政府を韓国での新保守主義勢力の登場の合図と解釈する見解が多かった。これらの解釈は部分的には妥当であるが、分断体制のもと形成された特殊な政府文化と政府構造を考慮せず、西欧において形成された理念的な枠内でだけ李明博政府の性格を説明するには無理があろう。形態的な側面から言えば、ある原則に従っているというよりは、特定集団の利益のためなら如何なる主義も手段も取り入れる柔軟性と思いっきりのよさを見せる李明博政府と「保守勢力」を、何々「主義」という枠内で説明しようとすることは理論の乱用とも言えよう。経済政策の面を見ても、修辞的には新保守主義に依存する傾向が強く、減税政策を強行したりもしたが、左翼政府と批判された前政権よりも企業に対してはるかに露骨的な干渉を行っている場合も多い。 国民を説得するための手順や努力を無駄なことと判断し、反対する人々の声を公論の場から排除しようとしてきた。マスコミ統制は、批判的な知識人に対する排除から芸能人の放送出演に影響を与えるほどに執拗に行われた。さらに、民間人から与党の政治家に至るまで、政治的必要に従って、不法的な査察までも行っている。大統領候補の道徳性という問題が取り上げられた2008年度の大統領選挙の過程において、このような兆候は既に現われていた。しかし、改革政府に疲れを感じていた国民にとって「747」(7%の経済成長、国民所得4万ドル、世界7大経済大国)のような大胆な実績主義の公約はかなり魅力的であり、そのおかげで保守陣営は大統領選挙と総選挙で圧倒的な勝利を得ることができた。この結果には、民主主義に対する楽観的な認識の拡散も多少の影響を与えたであろう。

しかし李明博政府の発足以後の統治形態は、民主化時代に形成された国民の民主的感受性と正面衝突するものであり、キャンド集会及び盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の逝去に対する大々的な追悼などを通して国民的警告が繰り返された。にも関わらず、彼らの統治形態には全く変化が見られなかった。一時的に省察、反省する姿を見せたりもしたが、これは危機を乗り越えるためのその場凌ぎに他ならなかった。例えば、天安艦政局のクライマックス近くの5月11日、李明博大統領はキャンドル集会に関する報告書作成を関連政府機関に支持したのが、その主な趣旨はキャンドル集会当時、政府に対する批判が憶測とデマであったことを明らかにさせることであった。一言で言えば、根拠のないデマに振り回されたというのがキャンドル集会に対する彼らの見解であった。

過去3年間、李明博政府の統治は被治者の理性に合わせて統治行為を考案したり、若しくは統治に合わせて被治者の理性を規律しようという意志などは全くなく、ひたすら私的権力と利益の強化と満足だけを目指してきた。このような統治行為が「それなりに紀綱が維持されていた独裁であった朴正熙(パク・ジョンヒ)時代よりも遥かに過去の、ある意味ではアフリカの一部の新生国の「泥棒国家(kleptocracy)」に近い李承晩(イ・スンマン)と自由党時代を連想させる面がある」という評価は、決して大げさではないだろう。 白樂晴(べク・ナッチョン)「過去百年を振り返り、新たな基盤をつくる2010年へと」『創批週刊論評』、2009.12.30。 近代的な統治性とかけ離れているだけでなく、法的・形式的構造との不調和によって再び統治性の危機へと向かうしかない様相を呈している。即ち、民主主義の後退は国民の権利を侵すだけでなく、政治的危機がガバナンス自体の危機へと陥るのを食い止める装置を崩壊し、周期的に統治者を苦境へと追い込んでいるのである。冷戦守旧勢力にとって天安艦事件が重要な意味を持つ理由は、まさにそのような統治形態と民主的ガバナンスの間の不調和を例外状態の創出により解決できると考えているからである。権威主義時代のレパートリーを総動員する統治形態には例外状態が打ってつけなのである。しかし、それさえも失敗に終わった時に残されたものは自らが崩壊したガバナンス、即ち国政運営体制自体の危機だ。 既に権力主義的なガバナンスへと戻ることは時代錯誤であることは明らかになったが、だからと言って、保守的統治には民主的ガバナンスを受け入れ、発展させようとする意志も能力もないということが問題なのだ。このジレンマを解決できない限り、政府与党の6・2地方選挙での敗北や、7・28再・補欠選挙での勝利などは、現在のガバナンスの危機を癒すに何の役にも立たなく、このような危機は残りの任期の間、一層深化するしかないだろう。このような事態に我々は如何に対処すべきだろうか。

 

4. 民主的ガバナンスの復元と質的深化

 

ガバナンスの危機を克服する一つの方法として、保守勢力が李明博政府の逆走を防ぎ、統治形態を変化させるという方法がある。ガバナンスの本質が統治であるため、統治を行う人々を変化させるのが一番の早道であろう。6・2地方選挙後、保守勢力からも政府の統治方法に変化を求める声が上がっているが、現在のガバナンスの危機を克服するには不十分である。なぜなら、それは保守勢力が民主的ガバナンスとの不調和をもたらしてきた冷戦守旧勢力のヘゲモニーを変化させるためというよりは、自分らのヘゲモニーを維持するための努力の一環である場合が殆んどだからだ。 地方選挙以降、朝鮮日報、中央日報、東亜日報は、一斉に李明博政府に疎通をしようという努力が足りないと批判したが、自らが韓国社会において疎通を邪魔する主要要因となっているという自己省察は全く見られない。 これらの批判は、李明博政府と距離を置くことにより、現政府の政治的危機が自分らの危機へと転移することを防ぐための行為であるだけで、保守の省察と改革の切っ掛けにはなり難いであろう。   勿論、保守勢力内にも合理的な保守を目指している勢力がないわけではない。けれども主観的な希望に反して、彼らには冷戦守旧勢力に立ち向かうだけのパワーも意志もないため、政治的イメージの改善以上の意味は持ち得ない。従って、彼らは保守勢力内で影響力を高めるためにも、結局冷戦守旧勢力に依存するしかない悪循環に陥る可能性が高いのである。

影響力という面から見ると、現在、最も有力な次期大統領候補と言われている朴槿惠(パク・クンヘ)前ハンナラ党代表に、冷戦守旧の影響下から抜け出し保守的価値と民主的ガバナンスを調和させる可能性を見い出すことができるかもしれない。近頃、朴槿惠が福祉政策を前面的に押し出すと、進歩陣営の議題までも占領されるのではないかと懸念する人々もいる。歴史的に見ると、福祉が進歩派の占有物であるわけでもなく、保守派だからと言って福祉を強化できないわけでもない。しかし、やはりその場合も、冷戦守旧的なヘゲモニーを克服できるかということが問題である。朴槿惠は原則を重視するというイメージを作り上げることはできたが、政治的な性向においては、冷戦守旧勢力との親和的な様子が窺われるからだ。朴槿惠が大統領選挙へと進む過程において、冷戦守旧勢力との断絶を決心しない限り、実質的な政治形態は李明博政府と然程変わらないだろう。民主的ガバナンスと結合しない福祉政策もまた施恵的で一時的なお零れに過ぎないのである。

保守勢力の内部からは保守的な統治と民主的ガバナンス間の不調和を克服できない状況において、結局は国民の力で冷戦守旧勢力の影響力を弱化させガバナンスの危機が一層爆発的な状況へと向かうのを食い止めるしかない。総選挙と大統領選挙が同時に行われる2012年に民主的ガバナンスを復元し、それを質的に一層深化させる転換点を作り出した時、根本的な変化は可能となるだろう。今回の6・2地方選挙でその一歩を踏み出したと言える。進歩改革勢力は無力感から抜け出して自信を取り戻しつつあり、2012年度にも保守勢力が再び政権を握るだろうという敗北感からも脱することができた。地方で進歩改革陣営が代案勢力として成長できる多様な実践空間も確保した。

しかし、懸念される面もある。最も大きな問題は、地方選挙の勝利に決定的な役割を果した「反MB・反ハンナラ党連合」の(団結の)緩みである。地方選挙で、ある程度は李明博政府の逆走を防ぐ条件が満たされたと判断されれば、反MB連合に対する共感帯が縮小し、政府に対する牽制心理が薄れるのは避けられない。今回の7・28再・補欠選挙の結果からもそのような傾向が窺われる。しかし中期的に見ると、先述したように李明博政府のガバナンスの危機がそう簡単には克服できないであろうし、却って悪化する可能性が高いため、反MB連合の客観的な必要性が低下することはないだろう。問題は進歩改革勢力内に反MB連合に対する共感帯を縮小させる認識が拡大し、政治的目標を達成させるための共同戦線が弱化されることである。もう少し具体的に考えて見よう。

まず、反MB連合の政治的な成果が特定の勢力だけに集中されるであろうという認識は猶も存在する。しかし、今回の地方選挙は、政治連合を通して進歩勢力の政治的進出を促進することができるということを確認する切っ掛けとなった。政治連合が進歩勢力に不利であるという考え方はただの被害妄想に過ぎなかったのである。

次に、反MB連合を進歩的な価値と対立させようとする傾向も少なくない。特に韓国政治が「進歩-保守」という構図で再編されることを望んでいる人々に、このような傾向がかなり強く見られる。彼らにとって冷戦守旧勢力を清算し、民主的ガバナンスを復元しようという政治的目標は満足できず、それゆえに進歩勢力が民主党のような「保守的な」政治勢力と連合することは無意味だと思っている。却って民主党がハンナラ党と結合し、保守的なイメージを明確にした方が、韓国政治が保守-進歩という構図へと変化するのに有利だと判断したりもするのだ。 金相奉(キム・サンボン)「朴槿惠と民主党、会うべきだ」『ル・モンド・ディプロマティーク韓国語版』、2007年7月号。   しかし、それは分断体制のもと形成された韓国社会での保守が如何なる性格を帯びているかを完全に無視した現実認識であり、進歩政治が拡大されるよりは、縮小される結果をもたらすことになるだろう。冷戦守旧的ヘゲモニーと民主党の結合は冷戦守旧勢力のヘゲモニー、悪の保守勢力の支配力を強化するだけである。韓国の政治が、保守-進歩という構図で再編されることを、そして進歩政治の空間が拡張されることを望むならば、韓国政治においての冷戦守旧勢力の影響力を縮小させた方が早いだろう。そして、それは韓半島で例外状態を作動させる根源である分断体制を克服する課題と共に進められた時に実現可能となるのである。進歩政治の影響力を高めるのも、このような政治課題をより徹底的に一環して推進する過程において成し遂げることができよう。今回、光州(クァンジュ)南区の国会議員補欠選挙で民主労働党が善戦したのも、反MBという政治的地平において進歩性を強調する試みが成功したからである。

最後に、反MB連合が未来志向的で積極的なアイデンティティーを拡散させるには適切なスローガンだではないという認識も少なくない。このような指摘にも一理はあるが、全面的に肯定はできない。反MBという政治選択の基準が設けられ、有権者がそれをもとに選択すること自体が、そこに一つの政治的価値と志向が込められているという事実を物語っている。反MBの流れを作り出している政治的志向と望みを、より明確で肯定的な概念と価値へと集約するための努力が必要なのは確かであるが、それが反MBという政治的空間と離れてはならない。このような地平から離れた価値と政策は、下から形成される政治的力動性と共鳴を引き起こすことは難しいだろう。現在、反MBという政治的な流れは、民主的ガバナンスの復元と質的深化と言えよう。民主的ガバナンスの復元は我が社会において冷戦守旧勢力のヘゲモニーを解体させ、政府の責任の強化や人権保障、市民参加の増大などの民主主義の核心的な制度を強化することである。そして、それを質的に深化させるということは、民主主義が市場と競争万能論理から抜け出し、連帯、持続可能性、心身の健康という価値を保障する社会を作り出すということである。

我々が懸念すべきもう一つの問題は、反MB連合の難易度が高くなる可能性だ。これは、現行の選挙制度とも関連した問題である。 ハンナラ党が分裂するか、又は次回の選挙でMB清算を掲げた指導部が前面に出る場合を仮定してみよう。この場合、反MBという政治目標はもはや大きな意味を持たない。しかし、そのような状況は反MB連合が成功的に作動した場合にだけ現われる現象であり、もし、そうなれば反MB連合の成果をもとに民主的ガバナンスの復元と質的深化という方向を具体化できる新たな政治目標を示すことはそれ程難しくないだろう。   今回の地方選挙は政治連合がなされたため、比較的有利な条件のもと行われた。広域自治団体から基礎自治団体まで広範囲において選挙が行われた上に、2006年の地方選挙で進歩改革勢力が惨敗したため進歩改革勢力内の多くの政党が相補的な連合を実現できる空間が開かれていた。逆に、比例代表制と小選挙区制の地域代表制が結合した総選挙や決選投票制のない大統領選挙では、政治連合が制限されるしかない。勿論、選挙制度を連合政治が活性化できる方向へと改革したり、連合に共感する政党同士が統合するという方法で問題を解決することもできる。しかし、既得権勢力の反発と政党間のアイデンティティーの相違により、このような方案の実現可能性は低く、現行の選挙制度と政党構造のもとで2012年の選挙が行われる可能性が高い。

全ての問題を一度に解決する方案などはないだろう。けれども、反MB連合、特に冷戦守旧勢力の清算と民主的ガバナンスの復元及び質的深化という客観的な必要性が存在し、それに対する共感帯が維持されれば、突破口は見つかるだろう。連合公認候補、共同政府構成などの方法もある。構造が直ちに結果を決定付ける政治はあり得なく、構造に内在する可能性を具現することが政治主体者の責任である。民主党の場合は、既得権に安住せず、連合の成果が進歩改革勢力にも共有できる方案を積極的に提示する必要があろう。さらに、少数政党も民主的ガバナンスの復元と質的深化という政治地平において自らの役割を見つけ、それを強化するために努力すべきである。その過程において相互信頼を築き上げることができれば、次回の選挙では、一層目的意識の明確な連合を実現することができるだろう。それを通して2012年を冷戦守旧勢力の清算、そして民主的ガバナンスの復元と深化の新たな転換点とすべきである。

 

5. 国家ガバナンスと地方ガバナンス

 

現在、我々の前には、国家ガバナンスの危機を克服し、民主的ガバナンスを発展させるという課題と、地方レベルでの新たなガバナンスを作り出すという課題が同時に存在する。国家ガバナンスの危機のもと、地方において新たなガバナンスを作り出すことは容易ではないだろう。中央集権的な性格の濃い韓国では一層そうであろう。勿論、地方ガバナンスと関連する全ての論議を国家ガバナンスの問題と結びつけ、地方の自立性を無視し、地方を植民地化することは避けるべきである。しかし、地方ガバナンスが国家ガバナンスの危機とは関係がないといった感じで論議を進めることはできない。 国家ガバナンスが地方ガバナンスを支配することなく、両レベルでのガバナンスを関連した課題で考えてゆく知恵が必要である。ここで強調したいことは、国家ガバナンスに対する考慮が、地方ガバナンスの重要性を新たなレベルで照らし出し、その動力を強化できるという点である。
まず、国家ガバナンスとの連関性を考えた時、地方の新たなガバナンスを成功的に作り出す戦略をもうけることが出来る。当分の間、国家ガバナンスが不安定で地方ガバナンスに制約的に作用することが確実な現状において、地方の新たなガバナンスのための努力に選択と集中が必要だ。4大河川事業の問題にしても、国家レベルでの政策変化がないかぎり地方政府は中央政府とこの問題をめぐる長い消耗戦へと陥る可能性は猶も存在する。従って、地方レベルでは欲を出し過ぎるより、核心的な政策目標を定め、それに向かって力を集中させる必要がある。教育と環境が力を集中すべき優先的な領域と言えよう。

次に、地方レベルでの新たなガバナンスが単に地方に限られた問題を解決するのではなく、国家レベルでの新たなガバナンスのモデルを作り出す過程の一つと見なすべきである。これは、進歩改革勢力が代案勢力として成長してゆく過程ともなり得るだろう。このように地方ガバナンスの政治地平を広げることによって地方ガバナンスと関連した新たな論議が、名望家中心の展示行政へと転落したり、部分的な利害関係の衝突により暗礁に乗り上げるような事態を防ぐことでき、下からのより積極的な参加を促すことができるだろう。

最後に、新たなガバナンスが統治方法の変化だけでなく、地方レベルでの民主主義の深化に如何に寄与するかを考える必要がある。新たなガバナンスの特徴として民官協治が強調されているが、このようなガバナンスが長期的且つ効果的に作動するためには、「民」の力量が強化されなければならない。また、地域へと下るほど、冷戦守旧的勢力の影響力は大きく、改革も困難であることが現実だが、このような状況を改善する努力が並行されなければ、ガバナンスの論議が存在する地域の健全な力量を消耗させる結果をもたらす可能性もある。従って、地域では、新たなガバナンスを如何に作り出すかだけでなく、新たなガバナンスを「民」の力量を強化するのに如何に役に立てるかについて考えることも同時進行すべきである。

このような変化が国家ガバナンスの危機を克服し、民主的ガバナンスを発展させるための努力と結合するならば、2012年には国家レベルは勿論のこと、地方レベルでも我が社会の民主主義の進化と分断体制の克服のための画期的な転換点を作り出すことができるだろう。 (*)

 

 

〔翻訳〕=申銀兒

季刊 創作と批評 2010年 秋号(通卷149号)
2010年 9月1日 発行
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