国家主義の克服と朝鮮半島における国家改造事業: 東アジア言説の現実性と普遍性を高めるために
特輯 | 再び東アジアを語る
白楽晴(ペク・ナクチョン)paiknc@snu.ac.kr
文学評論家、ソウル大学名誉教授。近著に『どこが中道でなぜ変革なのか』『統一時代の韓国文学の価値』『白楽晴会話録』(全五巻)などがある。
本稿は二つの部分に分かれる。前半部は、「2050年の東アジア:国家主義を超えて」をテーマにしてソウルで開かれた第3回東アジア平和フォーラム(2011年11月5~7日)の初日の基調講演の原稿を多少添削しながら、新たな内容を脚注で追加したものである。後半部をなす「追記」は、その後の事態の進展を勘案して2011年初めの時点で新たに整理したものである。
フォーラム後半月もたたない朝鮮半島では、延坪島砲撃事件という朝鮮戦争後で最大規模の南北間の武力衝突が勃発した。これにより、朝鮮半島の分断が東アジアの平和にいかに脅威的な要素であるか、あらためて実感すると同時に、ともすれば「国家主義の克服」という論議が悠長に聞こえがち面もある。だが、問題提起で言及した分断国家に特有な悪性国家主義が、危機に直面して一層猛威をふるっているのが目前の現実ともいえよう。国家主義がこうした状況であればあるほど、国家および国家主義に対する長期的かつグローバルな省察を、局地的な状況に対する点検と結びつけて進める学習が切実に必要とされる。
私の発表が朝鮮半島問題を中心にすえるのも、韓国側の基調報告者として自らの局地的状況に忠実であろうと考えての選択だった。同時に、それは「朝鮮半島中心主義」とは全く異なる意味で、朝鮮半島における国家改造事業が「国家主義を超えた東アジア」の建設に核心的だという認識に基づいている。朝鮮半島が世界全体でも一様な比重を占めると主張するのは無理だろう。しかし、資本主義近代に対する「適応と克服の二重課題」の一モデルとして、朝鮮半島の事業が地球的レベルでも切実な関心事になりうるという認識は有効だと信じる。これについては、「追記」において再び言及するだろう。
1.国家と国家主義
国家主義を超えていく最も確かな方法は国家をなくす道である。しかし、これは論理として明晰なだけで、実際に国家の廃棄が近い将来に実現することは難しいと見るべきだろう。 東アジア平和フォーラム実行委員会が掲げた「趣旨文」は、国家自体の廃棄をめざしておらず、「2050年東アジアの共生社会が可能なために、国家主義と資本主義をどのように克服できるのかについての問題提起から地域現場の実験と挑戦を学び、国家主義を超えていける国家を構想してみる場」(資料集『2050年の東アジア:国家主義を超えて』、東アジア平和フォーラム委員会、2010年11月、5頁)を提案したのも、そのためだろう。だが、国家の消滅以前でも国家主義が緩和された国家を構想し、実現する作業が重要だという立場は本稿の論旨と一致するが、国家をそのままにして「国家主義を超えうる」という発想ならば、国家主義の問題への根本的省察には達しえないと思う。 グローバル化とともに国境の障壁が揺らぎ、国民国家の存在が危うくなっている面はあるが、これは資本主義世界体制の新たな局面において国家の性格や機能に一定の変化が起きている現象と理解すべきである。資本のグローバル化が決して国家の廃棄、または消滅をもたらしえないことは<国家間体制>(inter-state system)を資本主義世界経済に必須の条件の一つと見るウォーラーステインや、資本主義体制を「資本=ネーション=国家」の結合体と見る柄谷行人らが繰り返し強調する事実である。国家と国家主義を同時に超えていく問題は、資本主義世界体制の根本的な変革という長期的課題の一環としてのみ説得力をもつ もちろん、資本主義世界体制の変革も国家廃棄の必要条件ではあれ、十分条件ではない。資本主義以前にも国家があったように、資本主義以後にも現存の国家とは異なる形態の国家、およびそれに沿った国家主義が存在しないという法はない。国家による統治ではない民衆の自治が保障される未来社会をどのように建設するかは最大の時代的課題の一つであるが、その論議は本稿の範囲を逸脱している。。
柄谷がカントの永久平和論から出発して構想した<世界共和国>(柄谷行人『世界共和国へ』岩波書店、2007年)も大同小異の話である。著者自身も最近のインタビューで、「カントがいう諸国家連合は、本来、平和論ではなく、市民革命を世界同時的なものにするために構想された。……カントの『永久平和』という理念は、国家と資本の揚棄を意味します」(「平和の実現こそが世界革命」『世界』2010年10月号、124頁)と述べている。「国家と資本の揚棄」ないし止揚という長期的課題が、依然として問題になるのである。
そういう場合、今後も相当期間存続する国家を改造する事業は、どのような意味をもつだろうか。改良と革命を厳格に区別する立場ならば、国家に反対するとか、最小限でも国家を迂回する方法に固執するはずであり、国家改造論を国家主義に対する改良主義的な投降の一形態とみなすだろう。しかし、一切の改良論が革命の成功に脅威となる革命前夜の切迫した状況でもない限り、こうした教条的二分法は、改革はもちろん革命の役にも立つことができない。国家に関連しても、当面国家を消滅させる妙案がないのであれば、国家の性格にどのような変化を起こすことが国家主義の克服に有利なのかを、具体的に検討する姿勢が必要である。それゆえ、協同組合や地域通貨という代案を追求する柄谷も(前掲インタビュー、126頁)、社会民主主義が代案ではないが、社会民主主義者がそうした代案の実現に有利な立法をしてくれることを要望している。
2.分断された朝鮮半島の国家と国家主義
国家および国家主義の問題に関連して、朝鮮半島は特に関心をひくに値する事例である。同族同士が南北に分かれて準戦時状態で対峙している一対の分断国家は、平和国家に対する拒否が体質と化した安保国家にならざるをえない。彼らの国家主義は民族主義の全面的な支持が得られないために、むしろ一層悪性を帯び、抑圧的になる。民族の統一をめざす本来の民族主義を弱体化させ、分断国家の国家主義と結合した新たな民族主義をつくり出すために、あらゆる象徴操作と扇動をいとわなくなるのだ。
他方、まさにそうした理由により、分断国家の国家主義はとりわけ脆弱性を帯びてもいる。分断国家の自己否定に当たる統一を目標に掲げることでのみ、自らが宣布した領土に対する国家主権を主張できるからである。しかも、当初の国土分断は米・ソ対立の結果だったし、朝鮮戦争後に分断が一種の「体制」へと固まるのに世界的な冷戦体制が大きく作用しただけに、東西冷戦が終息した今日の世界では分断体制の自生力も深刻な挑戦に苦しまざるをえない。いわゆる<揺らぐ分断体制>の時期に入ったのである。
ところで、国家主義に関する限り、統一国家の樹立も完全な解答にはなりがたい。民族主義とひときわ自然に結びついた国家主義が成立することで、分断国家に特有の奇形性を除去することに役立つとしても、国家主義と民族主義の結合という現代世界の慢性的問題を解決できないのはもちろんである。しかも、今日の地球規模の現実において朝鮮半島が単一型の国民国家として統一されるのは、つまり資本主義世界体制の<国家間体制>に今日の韓国よりはるかに強化された競争者が出現することを意味するため、これは日本や中国、そして東アジアの国々で国家主義を克服しようとする市民の努力に甚大な打撃を与えざるを得ない。
幸か不幸か、朝鮮半島でそうした統一が実現する可能性は極めて希薄である。戦争を通じた統一国家の樹立は言うまでもなく、北の<急変事態>にあたって韓国が北朝鮮を併合する統一が実現することも難しくなっている。近来、韓国政府が対北強硬路線をとって米国もまた相当部分でこれに同調する中で、一部ではそうしたシナリオへの期待が高まったのは事実である。しかし、北の政権自体の持久力がどの程度かという問題はさておいても、中国の大々的な支援が続き、日・韓・米などの資本主義国家でさえ北の崩壊や極端な混乱が自分らの利益にも合致しないという判断が無視できない力をもつ以上、朝鮮半島における単一国家の早急な成立は期待しがたいであろう。
このように南北双方がそれぞれ悪性の国家主義に苦しめられながら――もちろんその程度や具体的内容は異にするが――、分断国家を統一国家に取り替える道が封鎖された状況で、国家主義の克服を志向する市民はどうすべきなのか。
当面する前方がよく見えないため、平和国家、緑色国家、市民国家のような長期的目標が一層魅力的に思われてくる。こうした長期的目標の追求自体は決して悪いことではない。しかし、こうした目標を分断という現実の中でいかに推進し、実現するかについての具体的な方案が伴わなければ、分断体制が卓越して産出する安保理念や軍事文化、競争論理、成長至上主義などに対抗する力を発揮するのは難しい。だが、こうした苦境こそが、分断国家という特殊状況の産物であると同時に、資本主義世界経済の<国家間体制>の中で生きる市民勢力の典型的な苦境ではないだろうか。
3.朝鮮半島の国家改造と東アジアでの国家主義克服
実は、韓国と北朝鮮の間では、恒久的な分断でもなく早急な統一でもない、漸進的な国家改造方案について原則的な合意が達成されている。2000年6月、金大中大統領と金正日国防委員長が発表した6・15共同宣言第二項の南北連合、ないしは<低い段階の連邦>についての合意が、それである。合意文自体は極めて曖昧で抽象的だが、とにかく朝鮮半島の統一は漸進的であるだけでなく、中間段階を経て行うという原則だけは明らかである。そして、<低い段階の連邦>という北側の表現が含まれたことで論争の素地は残ったが、実際には連邦はおろか、連合に対しても消極的な北側当局の態度――および客観的な立場――から見ると、合意文の重心は連合制の側に傾いており、いざ実現される場合、それは国家連合の中でも<低い段階の連合>から始まる公算が大きい。
そうせざるをえないのは、ヨーロッパ連合(EU)でも今も完全な国家連合には達していない面が多いが、南北が連合してEUレベルの住民移動の自由や貨幣統合を施行するだろうとは期待しがたい。北側が断固反対するのはもちろん、南側でも国民多数の支持を得るのは難しいからである。結局、6・15共同宣言第二項は、2007年[第2回南北首脳会談時]の10・4宣言で決まった各種の交流・接触・協議事業が次第に活性化し、増大していくある時点で、その実現が宣言されるという極めて緩慢で、独特の過程を踏むことになると思われる。
緩慢なのは必ずしもいいことではない。不利な点の一つは、あまりにゆっくりと進めたら、統合の推進力を失ってしまいかねないという点だろう。だが、朝鮮半島ではそういう危険はあまりない。すでに確立された国民国家が集まって統一するか、しないかと悩みながら進めるEUとは異なり、朝鮮半島では長い歳月を単一国家として生きてきた民族が他意によって分断された後、究極的再統一の原則に住民が合意しているので、たとえ緩やかな国家連合であっても、成立の瞬間から再統合の過程は不退転の大勢を形成することになるはずだ。
さらに重要な点は、緩慢で段階的な統一であるため、特別な権限がない一般市民が介入する余地が確保されるという点である。そして、こうした空間は南北連合が宣言される瞬間から、さらに拡張されて活発になるのは明らかである。まさにそのゆえに、国家連合を経由する朝鮮半島の漸進的・段階的な統一過程は、国家が自己権力を維持するのに都合いい方向で自己改造を主導するよりも、民衆が参加して新たな国家機構の建設および進化の時間表を決め、内容も決定していく<市民国家的>志向性を帯びる事業になる。
もちろん、民衆がどのような形で参加をするかが鍵である。統一過程に民族主義的な動力が少なからず投入されることは不可避であり、また当然でもある。しかし、市民参加・民衆参加が実現される過程であるなら、<一民族一国家>の理念よりも朝鮮半島の住民の生活上の欲求が優先視されざるをえず、統一だけでなく人権と環境、平和、性差別の撤廃、経済的格差の解消など、多様な「市民的」議題が民族主義的議題と競いあうようになるだろう。しかもこの過程は、2005年北京での六者会談で合意した朝鮮半島の非核化、関連国間の関係正常化、朝鮮半島および東北アジアの平和体制の構築など、多様な国際的議題の進展とかみ合っている。それだけにより困難な過程であると同時に、成果が出はじめれば、朝鮮半島に局限されない地域的・世界的意義をもつことになるはずだ。
そうだとしても、朝鮮半島の分断体制の克服が、すぐに世界体制の変革へとつながるかは疑問である。それでも、米国を含む全世界の国家主義勢力から、朝鮮半島の緊張というこの上もなく甘い果実を奪いとれることは確実である。さらに、東アジアの隣人との緊張関係を新たにうみ出す確率が低い――いや、もしかしたら市民中心的国家改造の一モデルを提示しうる――朝鮮半島の国家機構の出現により、東アジアにおいて国家主義を超える事業に一層弾みがつくだろう。
例えば、日本が北朝鮮(または統一韓国)の脅威を口実にして平和憲法を廃棄するとか、憲法9条を維持しながらも日米同盟や周辺の兵営国家に依存して自らの軍事的負担を軽減する<代替軍国主義>(坂本義和)路線を歩むのは難しくならざるをえない。いや、単に平和国家を標榜するのでなく、「脱亜入欧(を継いだ脱亜入米)」をやめて東アジアへと真に帰還し、東アジア地域の平和体制と地域連帯の建設に実質的に寄与する平和国家になる道も、その時初めて開かれるかもしれない。
中国に対する影響も少なくないだろう。中国は朝鮮半島の安定を政策目標の第一にしてきたが、朝鮮半島の安定が統一ベトナムとは質的に異なる市民参加的な国家機構の誕生を通じて確保される場合、自らの大国主義に固執するのはより難しくなるだろう。また、そうした国家改造事業が順調に進められるだけでも、両岸[対台湾]関係やチベット問題ではるかに柔軟で、創意的な解決策を模索する可能性が高まるのではないかと思う。
国家主義の抜本的な清算は、ある一つの国家や地域だけでは実現できないし、そうした意味で<世界同時革命>を要するという命題は、十分に納得しうるものだ。しかし、柄谷が言う、カント的平和としての<世界同時革命>は言うまでもなく、トロッキストが夢みる<同時革命>にしても、そうした規模の変革が、文字通りに同じ日の同時刻に世界各地で起きるはずはない。一定の時間帯にわたってともに起きるなら「同時的」変化だと理解すべきであり、このためには長期にわたる多様で、初めは散発的な準備過程が必要なのは明らかである。そうした準備には、既存の個別国家がそれぞれ与えられた現実にあわせ、国家主義の克服に最大限有利な国家改造を進める事業が含まれなければならないだろう。また、その事業に伴って促進すべき地域レベルでの平和志向的で、市民参加的な地域共同体の形成も疎かにしてはならないだろう。
4.結びに代えて
李明博政権下の韓国では、6・15共同宣言がほとんど無視される事態が相次いでくり広げられてきた。世界の永久平和は言うまでもなく、南北連合や東アジアの平和体制すら夢物語と聞こえかねない現実である。しかし、李明博政権も6・15共同宣言を公式的に廃棄することはできないし、特に2010年前半期に「北朝鮮の魚雷による天安艦爆沈」説を掲げて南北交流を全面的に断絶しようとした政府の試みは、国内政治でも国際舞台でも難関に直面してしまった。
その上、朝鮮半島問題の解決は国家主義を超えた東アジアの建設に必須ではあっても、国家主義を克服する動力は朝鮮半島だけから出てくるわけではない。今日世界各地で、坂本氏がいつも強調する、国境を超越した「連帯」 坂本義和「東アジア共生社会の条件」、資料集『2050年の東アジア:国家主義を超えて』、38~39頁。 が多様な市民運動という形で次第に大きな勢力へと成長しており、朝鮮半島がそうした連帯の流れを妨げ続けるならば、全世界的な圧力がこの地に集まる日が来るに違いない。
韓国内でも世界的、地域的、そして朝鮮半島全体の市民連帯を妨げる政権、および分断体制の既得権勢力に対する民衆の圧力はすでに逆らいがたいレベルに達したように思われる。政府自らが水路を切り開いてやるにせよ、やらないにせよ、南北の和解と再統合という大きな流れが遠からず再開されるのは確実である。それが単なる政権交代や南北関係の復元にとどまることなく、東アジアおよび世界レベルにおける国家主義の克服に貢献する国家改造事業へとつなげていけるように、朝鮮半島の民衆の自己教育と国境を超越した市民連帯が着実に進展することを念願する。
追記:2011年の初めに
冒頭に述べたように、東アジア平和フォーラムのソウル会議後に起きた南北関係の最大の悪材料は延坪島砲撃事件だった。会議当時でも「世界の永久平和は言うまでもなく、南北連合や東アジアの平和体制すら夢物語と聞こえかねない現実」だったが、延坪島事件後はさらにそうである。実際、停戦体制の管理すら危うくなった状況なのだ。それでも、「政府自らが水路を切り開いてやるにせよ、やらないにせよ、南北の和解と再統合という大きな流れが遠からず再開されるのは確実である」と述べた当時の結論を、今も固守できるのだろうか。ともあれ、関連するあらゆる理論的・実践的な問題に対し、もう一度徹底的に点検するいい機会である。
<危機の根源は分断体制、その固着期への復帰はない>
2010年の危機があらためて教えてくれた初歩的な事実は、分断こそが朝鮮半島の平和に対する根源的な脅威という点である。また、朝鮮戦争は休戦で終わっただけで、いまだに平和協定がないという点、さらに現存の停戦体制は一方的に引かれた北方限界線(NLL)という致命的な弱点を抱えているという点 この問題に関し、故李泳禧先生の先駆的な整理作業(「『北方限界線』は合法的な軍事境界線なのか?――1999年6月15日西海上の南北海軍衝突の背景の総合的研究」『統一時論』1999年夏号)は、延坪島事件の直後に彼が他界したことであらためて脚光を浴びた。 、などを想起させてくれた。事実、朝鮮半島の分断は誰も否認できない事実にもかかわらず、この間多くの人々が、特に進歩的な知識人を自負する相当数の人々が、まるで韓国が分断国でないかのように考え、暮らしてきた 私はこれを「後天性分断認識欠乏症候群」だと皮肉った(拙著『どこが中道で、どうして変革なのか』、チャンビ、2009年、19頁および271~272頁)。「後天性免疫欠乏症候群」(AIDS: Acquired Immunity Deficiency Syndrome)にかこつけて英語の略字を作れば、ADADS(Acquired Division-Awareness Deficiency Syndrome)とでもいえよう。。これは、分断の現実が一種の「体制」として固まった結果の一部であるが、どんな意味であれ、一つの体制が成立すれば、その中に生きる人々が歴史的・社会的に造成された、その体制の特殊な現実をまるで自然なことの如く考えるように慣らされやすいのだ。
しかし、南北の対決が激化するといって分断体制が再び安定した状態に戻っていくことは決してない。むしろ分断体制の固着期には見られなかった衝突と突出行為が頻発する末期的局面が一層実感されるだけである。二度にわたる北の核実験がそうであるように、延坪島砲撃事件も北としては持ちこたえられない既存状況(status quo)を打破しようとする勝負手に該当し、そうした意味の「挑発」は現状克服の別の道が開かれない限り、持続されるはずである。
まさに、その「別の道」を提示したのが2000年の6・15南北共同宣言(およびその実践綱領に該当する2007年の10・4首脳宣言)であり、2005年北京での六者会談における9・19共同声明と2007年に後続した合意である。この道が2008年以来再び塞がれてしまったのには様々な原因があるだろうが、新たに成立した李明博政権が内心で北朝鮮の崩壊を待ちながら、対北強硬路線を採択したことが大きな要因であることは否認できない。しかし、これもまた単に韓国内部の問題ではなく、分断体制がもたらす特権を守ろうとする勢力の身悶えに該当するという認識が肝要である。とにかく、北が核実験と軍事的挑発によって分断体制を再び安定化させられないように、韓国社会におけるこうした逆走行も国内の混乱と朝鮮半島および東アジアの不安定さを加重させるだけで、分断体制が固着化していた「昔の良き日々」への逆戻りはできない。
<転換点としての天安艦事件と「第三の当事者」の責任>
ともあれ、今は南北当局者の接触も珍しく、大部分の民間交流はわが政府が遮断してしまった状態である。こうした状況で、韓国の民間社会が南北問題を解決する「第三の当事者」と自認してきた役割が消失したのではないかという憂慮も出ている。しかし、「第三の当事者」の役割が単に民間人も交流、協力、または政治協議に参加するという意味ではなく――こういう領域に局限するというなら、民間社会が双方の当局者と対等な当事者になるというのは欲深であり、誇大妄想に近い――、分断体制をよりよい体制に変えるためのあらゆる国内改革と国際連帯の事業に対する市民参加を含むと言う場合、南北の民間交流の一時的な断絶が致命的な役割の喪失にはなりえない。いや、南北双方の当局が朝鮮半島問題で主導権を喪失し、特に韓国の当局が建設的な役割を自ら放棄して問題解決への妨害者役をする状況ならば、憲法上は国の主人であり、現実的にも選挙で政権を交代できる権限を持つ「第三の当事者」の重要性は、いつの時よりも高まったと言うことができる。
2010年に南北関係が悪化した経緯を顧みると、その点がさらに明らかになる。決定的な契機は3月の天安艦事件だった。その前にも緊張はしていたが、戦争の危険を感じるほどではなく、むしろ南北首脳会談の話が広まるほどの雰囲気だった。私自身も2010年初めの朝鮮半島情勢をして、「紆余曲折を経ながらも対話局面に入っており、朝鮮半島は包容政策が再稼動する時期を迎えた状況にある。李明博大統領でさえ、自らが今年中に南北首脳会談の実現を公然と予想する局面である」 拙稿「“包容政策2.0”に向けて」『創作と批評』2010年春号、75頁。 と、多分に楽観的な展望を発表した。これは、執権集団の真剣さの不足や無能さを十分に勘案できなかった軽率な発言だったが、天安艦事件がなければ、「今年中に南北首脳会談」云々が突出発言で終わったにせよ、公然たる敵対関係への転換にはなりにくかっただろう。ともあれ、そうした相対的な宥和局面で、北側が天安艦に対する魚雷攻撃を敢行するとか、反対に、南側が初めからこの事件を操作した自作劇を演じたならば、それはどちらの場合であれ、私のような人間は自らの安易な現実認識に対し、極めて悲痛な自己反省をすべきである。しかし、1964年ベトナム戦争拡大の契機になったトンキン湾事件のような緻密な自作劇ではなく、ある種の事件・事故を収拾する過程に様々な要因が複合的に作用し、国防省の調査が真相とは異なる方向へ走りだしたのならば、 こうした可能性を考慮せざるをえなくする様々な論拠については姜泰浩編『天安艦を問う』[チャンビ、2010年]に数多く提示されている。中でも、3月26日事件発生から5月20日中間発表にいたる間の真相調査の流れを細かく時期別に分析した文章として鄭鉉坤「天安艦事件の流れと反転」を参照。 これは分断体制に内在する危険性を反芻する理由にはなっても、天安艦の沈没がなくても、2010年の南北関係は必然的に破綻する運命にあったと断定することはできない。
いずれにせよ、天安艦問題がどのように解決されるかによって、国内政治と南北関係、さらに東アジア全体の情勢は大きく異なってくるだろう。ここでも、「第三当事者」(である韓国の民間社会)の役割が期待され、実際にその役割なしには真相の究明は期待しがたい実情である。
天安艦事件の真相はどうかによって、延坪島事件に対する理解と対応する姿勢も全く異なってくる。これに関連して私は昨年末『チャンビ週刊論評』 「2010年の試練を踏まえ、常識と教養の回復を」『チャンビ週刊論評』(weekly.changbi.com)、2010.12.30.この文章の英訳は、The Asia-Pacific Journal: Japan Focusに2011年1月10日付けで掲載された (Reflections on Korea in 2010: Trials and Prospects of Recovery of Common Sense in 2011.)。日本語訳は『世界』2011年3月号に掲載された。で、天安艦事件が「北朝鮮の仕業である」(A説)と「北朝鮮の仕業ではない」(B説)という二つの仮設を立て、どちらが正しいかによって、北の政権の形態や韓国軍の対応に関し、それぞれどういう結論が導きだされるかを検討したことがある。もちろん、A説とB説のどちらが真実に合致するかは、ひとえに科学的に究明すべきことであり、そこに政治的考慮や折衷案が入りこむ余地はない。だが、いまだに科学界が合意した結論がない状態で、二つの可能性をともに検討してみることは意味のある作業である。要約すれば、どちらの仮説が正しいかによって、北の政権が単に好戦的なのにとどまらず、天安艦の攻撃で延坪島よりはるかに戦果を挙げた時には白を切るのに汲々とする理解不能な政権なのか、あるいは延坪島では明らかに停戦協定に違反した危険な政権だが、それなりに予測可能な分別をもった集団なのか、によって異なってくる。また、韓国政府と軍の場合も、天安艦への攻撃を経ながらも延坪島への砲撃に無防備状態でまたやられた呆れはてた集団なのか、あるいは初動対応は不十分だったが、北の砲撃計画に対する8月の無線傍受による報告 「北の挑発の徴候、3カ月前から傍受さる」『毎日経済』2010年12月2日。「国家情報院をはじめとする情報当局は、北の延坪島への武力挑発の3カ月前の去る8月から無線傍受を通じて西海五島に対する北の挑発の徴候を把握していたものと1日発表した。元世勲国家情報院長はこの日の国会情報委の全体会議に出席し、『去る8月、無線傍受を通じて西海五島に対する大規模な攻撃計画を確認しなかったのか』という一部議員の質問に対し、『そうした分析をした』と答えたと情報委の幹事である民主党の崔ジェソン議員が伝えた」。を黙殺したこと自体は起こりうるレベルのミスだったのか、によって全く異なる判断が出るだろう。
<天安艦事件以後の米国、中国、そして韓国社会>
こうした推論を朝鮮半島問題の他の主体についても適応してみよう。例えば米国政府の場合、初めは天安艦沈没と北の関連を否認したが、ある時点から仮説Aの強力な支持者に変わった。これが何か確固たる情報を握ったためなのか、あるいは中国を牽制して韓国や日本から具体的な実利を得るために韓国政府の調査結果に眼をつぶって強硬姿勢に転じたのか、を分かつ根拠になる。
中国の場合も、天安艦の沈没が北の仕業であることを知りながらも、無条件同盟国をかばうのならば国際社会の非難を浴びても仕方ないが、北の仕業でないならば、その事実を中国もまた知らないはずはなく、韓国政府がそんな中国に対し、「責任ある大国」らしく行動せよと、訓戒調で発言する場合、中国政府としてはどんなに笑止千万だろうか。当面は「冷静と自制」を勧めて大様に対しながらも、別の機会に(同年12月の中国人の不法漁労取締まり事件が起きた場合)はるかに強力に反撃しても驚くことではないし、延坪島砲撃のような北側の明白な挑発行為に対する韓・米の糾弾、ないし憂慮表明の要求さえ、耳の裏で聞く素振りをしたのだろう 中国共産党の機関紙『人民日報』の国際専門誌『環球時報』は12月23日の社説を通じ、延坪島事件以後の韓国が繰り返す軍事訓練を批判しながら、「中国はこの間穏便に韓国に諭してきたが、韓国が気ままに行動して朝鮮半島の平和と安定を脅かすならば、中国は相応する行動を示すべきである」と主張した(『Views and News』2010.12.24.)。。これは当面の韓中関係問題だけではない。朝鮮半島の非核化を進めようとすれば、とにかく中国の適切な対北圧力を含めた「責任ある強国」らしい役割が必須である。だがこれは、(2005年)9・19共同声明当時にも見たように、韓国が米国だけでなく北朝鮮および中国とも信頼関係を結んで能動的な寄与をする場合、中国が時には北朝鮮に圧力をかけたりもする仲裁者の役割を担ってこそ可能になる。韓国が米国をカサにして中国に対し「北朝鮮を強く圧迫してあれこれさせるようにしろ」と責めたて、中国が素直に応じると信じるのは虚妄な夢に過ぎない。
ともあれ、「天安艦に加えて延坪島まで」という当局側の仮説は、南北双方で国家主義の威勢を遺憾なく高めてしまった。北は当初から「先軍政治」を標榜してきたのでそうだとしても、天安艦事件以後の南の国防当局や主流社会の行動形態は、国家主義と軍事文化の大々的な強化を生んでいる。我々も先軍政治をすれば、という欲望の噴出ではないかと疑うほどの形勢である。ともあれ、分断体制こそが国家主義、それも悪性の分断国家主義の絶えざる源泉であり、分断体制の解消や少なくとも緩和なしには、韓国社会が後進性と野蛮性を脱皮できないことを実感させられる。
<分断体制の克服作業の普遍的次元>
したがって、分断体制の克服は国家主義の克服へと進む道においても1つの先決課題である。同時に、朝鮮半島により平和的で市民参加的な複合国家が建設されるといっても、それはどこまでも国家改造事業であって、国家が衰えて無くなり、「人間に対する統治ではない、物に対する管理」に没頭する政府が成立する状態ではない。したがって、改造された国家とはいえ国家、つまり人民に対する合法的暴力の独占権を有する統治機構が存在する限り、人民より国家を優先視する国家主義が根絶されないだろうというのも事実である。そのため、朝鮮半島における国家改造事業が、結局は国家間体制を骨幹とする近代世界体制に順応し、究極的に投降する路線と違わないという批判も可能である。とはいえ、そうした危険を十分に意識し、近代に適応はしても近代の克服のための適応、克服の努力と結合した適応という「二重課題」を遂行する道はないのか?
今日、朝鮮半島の緊迫した状況で、こうした質問はのんびりしているようにも聞こえうる。だが、韓国に暮らす我々が当面する戦争の危険に苦しめられ、分断体制の末期局面のあらゆる惨状を目にしているために、分断体制の克服を先決課題にせざるをえないという論理だけでは、「朝鮮半島中心主義」の嫌疑を免れがたく、東アジア的、さらに地球的規模の連帯に訴えるにも限界がある。我々の事情があまりにも忙しく、人類レベルの根本的問題はひとまず除けておいて朝鮮半島問題に没頭せざるをえないというのではなく、近代世界体制により効果的に適応しながら、近代自体の克服に決定的に寄与する我々の当面課題こそ、すべての近代人に要求される「二重課題」の一典型であることを主張しなければならないのである。
まず中国、日本のような東アジア隣国の事例を引いて、二重課題論の適切性を検証できなければならない。例えば「中国的特性をもった社会主義」路線は、たとえ表現は異なっても現代中国なりの「二重課題」路線だと言えるが、果たしてその近代適応が適切で、効果的なものなのか、正しい方向への克服の努力とうまく結合したものなのかを、具体的事案に即して点検してみるべきだろう。日本の場合は、一時ファシズムを通じた「近代の超克」の試みを除いては克服よりも適応に重きをおいてきたわけだが、日本社会の「近代以後(=ポストモダン)」に対する論議が再燃している現代においても、依然として「脱亜論」的な近代主義の延長線上で、西洋知識人の時代区分法を踏襲しているのではないか。そう見ると、適応自体にも深刻な問題が続出しているのではないか、やはり具体的に論議してみる必要がある。
最後に、二重課題論が近代性の根拠地と称するヨーロッパと米国にも該当するか、という質問を省略することはできない。もちろん本稿で扱うにはあまりにも大きな問題だが、例えば彼らが近代性の本拠地たる位置を占めたこと自体が、近代適応のみならず近代克服のためにも、誰にも劣らず豊富な精神的・運動的資産を創出してきたためでなかったか、考察してみるべきである。同時に、ヨーロッパよりさらに遠慮会釈なく近代化の道を突っ走って、ついに近代世界体制の覇権国になった米国の場合、近代克服の努力が相対的に乏しいため、次の段階の人類文明への転換過程で、その蓄積された物質的・精神的次元に見合った役割を果たしていけるか、不透明な状態ではないかについての省察も要求される。
翻訳・靑柳純一
季刊 創作と批評 2011年 春号(通卷151号)
2011年 3月1日 発行
発行 株式会社 創批
413-756, Korea