「開かれた問い」中国の浮上
特輯 | 再び東アジアを語る
ハンギョレ新聞北京特派員。「見上げたら空に二つの太陽が浮んでいる。」小説家の村上春樹の表現で言うと、今われわれが住んでいるこの世界はこうではなかろうか。いつの間にかアメリカと中国という強大国が、二つの太陽のように立ちはだかっており、世界はどこへ向うか一寸の先も弁えにくくなったというふうに。
2011年1月19日(韓国時間の1月20日)、アメリカのワシントンで米中首脳会談が終わった。世界秩序を組み直す、この「世紀の会談」に対し短期的にはいろんな評価があり得るし、アメリカの圧力と両国の国内事情のせいで中国が相当譲ったかのようにも見える。しかし一歩離れて見ると、両国は世界の主なイッシュを前例では見られないほど、包括的に議論したし、以前よりずっと深くて具体的な議論の末、世界秩序の方向を提示したものといえる。アメリカと中国が同等に〔平起平坐〕の世界を議論する両極体制の時代がやってきたのである。ソ連と東欧社会主義の国々が崩れて冷戦が終わり、「歴史の終末」が来てから、アメリカの一極支配体制が永遠であろうと騒いでいた西欧の期待は20年も経たぬうちに崩れた。
中国の浮上、または復興という歴史の流れが世界をどこへと導いていくのか。中国の浮上は米・中の衝突へと繋がるのかという質問に対し、一部では中国は現在の世界化と貿易構造から大きな利益を得る側だから秩序に挑む必要がないし、ただ西欧主導の既存の国家システムで発言権を強化する方へと適応していくことと予測する。
しかしもう一方ではそのような薔薇色の展望に反駁する。現在では両国の協力と葛藤が共存し、互いに極端的な衝突は望んでいないが、これから中国の国力が大きくなるほど、アメリカの利益と衝突することが次第に多くなり、やむを得ず既存の最強大国と挑戦者との間に覇権を巡った一戦が繰り広げられるしかないということである。第一次世界大戦が起る直前まで、独逸はイギリスの二番目の輸出市場であったし、イギリスは独逸の最大市場であって、両国は現在の米中関係のように緊密に依存し合っていたが、戦争は避けられなかったという歴史もこれを証明する。
だが、10~20年後、米中関係がどのような姿で、世界はどのような影響を受けることとなるかは、数多くの答えが可能な「開かれた質問」である。これから相当の期間、アメリカと中国の競争は熾烈に繰り広げられるだろうが、その過程で関わった国家と人々がどのような戦略と態度で対応するかによって悲劇的な結末となることもあり得るし、ハッピーエンドとなることもできる。われわれに必要なのは、中国の浮上がもたらしてくる変化を真面目に思い、われわれの態度を点検し代案を探す作業である。朝鮮半島が地球の反対側へ移っていかない限り、中国崛起の最も強力な影響圈に位置した韓国にとってこの質問は切実な課題である。
予想より早まった中国の浮上
2011年1月、胡錦濤国家主席のアメリカ訪問は、32年前の鄧小平が事実上、中国の最高指導者としては始めてアメリカを訪問した当時とは鮮やかな対照を成す。1978年12月、中国共産党11期中央委員会3次全体会議で反対派を押さえて改革開放路線を確定した鄧小平は、1979年1月、アメリカを訪問しジミー・カーターアメリカ大統領と首脳会談を行なった。「竹のカーテン」を越えて始めて世界舞台に出た中国指導者は、資本主義の象徴であるコカ・コーラ本社とボーイング工場を訪問し、テキサスのロデオ競技場を訪れてカウボーイ帽子を振いながらアメリカ人の歓迎を受けた。鄧小平は米中の和解を通じて中国の経済発展にぜひとも必要な安定的米中関係という収穫を得た。軍事安保の面で両国はソ連に向かい合う冷戦の同志として緊密な関係を持った。それから32年後、中国とアメリカは「敵なのか友なのか」わからぬライバルとなった。1978年、アメリカと中国の経済力の格差は17倍であったが、今は約2.5倍(2010年のGDPでアメリカは約14兆6千億ドル、中国は約5兆9千億ドル)に縮まった。最近中国は殲-20ステルス戦闘機の飛行テストと航空母艦、対艦弾道ミサイルの東風-21Dの開発など、急速な軍事現代化を通じて第2次世界大戦以来、どの国も挑めなかったアメリカの軍事的覇権にも挑戦状を出す有様である。中国の浮上が露となった去年、中国とアメリカは国際舞台で新たな位相を巡って「新冷戦」と呼ばれるほど激しい葛藤を醸し出した。
しかし詳しく見てみると、中国崛起の相当なところはアメリカの衰退、西欧の衰退から始まっていることがわかる。中国はだいたい2040~50年頃からアメリカを追い越し、強大国として声を上げる計画を立てて力を貯めていた。2020年まで全面的な小康社會 小康とは『禮記』の「禮運」篇から由来した言葉で、平和で非常に豊かな理想社会である「大同」より、一段階低い状態を指す。鄧小平は1979年の中日首脳会談で「小康社会」を中国の目標として提示した。その後、2002年の16次中国共産党全国代表会議で「2020年全面的小康社会建設」を標榜しながら、「経済がより発展し、民主化はより完全となり、科学と教育はより進歩し、文化はより繁栄し、社会はより均整が取れて、人民の生活はより豊かとなる社会」として説明したことがある。の建設、2040年まで共同富裕の実現という目標を掲げた。それまで貧富の格差と政治システム、不正腐敗、人権など社会安定を脅かす国内の問題をある程度解消し、アメリカに劣らぬ富を築けば、アメリカと本格的に競争する世界主導国家として名乗りを上げることができるという戦略であった。だが、アメリカがブッシュ行政部の無理なアフガニスタン・イラク戦争の泥沼に落ち、経済力の急速な衰退を経ることによって、中国もまた、準備が整っていないまま世界舞台で急浮上することとなった。アメリカ式の世界秩序が揺れる中、中国式の世界秩序は現れない、国際秩序のアノミー状態が世界を不安定にした。
西欧世界では中国社会内部の深刻な問題と不満が、中国の浮上を挫けさせるだろうという展望が相変わらずも出ている。去年12月、筆者は中国の変化を見てみる特集記事を準備しながら、深圳と廣州など、珠江三角州の一帯と、南京と無錫など長江三角州、重慶などを回りながら取材した。政府関係者から農民工、労働運動家まで多様な人々に会いながら、中国が巨大な変化の岐路に立っていることが確認できた。1978年以後、30年間推し進められた先富論式の開発は、中国全域で夥しい副作用を齎して社会を脅かしている。貧富の格差と富の集中、土地開発に依存する成長と強制撤去を巡った憤り、不正腐敗、環境破壊、農民工と、都市と農村の格差のような問題を放っておく場合、もうこれ以上は体制を保ち得ないという危機感が指導部の間でも公然と出ている。特に中国の若い農民工たちはもうこれ以上2等国民扱いに耐えようとしないし、農民にも都市人にもなれない境遇に憤りと挫折を感じていた。
しかしこのような古びた問題が何の変化もなしに中国を押え付けているとばかり思っていたら、それもまた誤算であるということが見い出せた。中国政府は今年、成長から分配へ、輸出から内需への転換を掲げて「12·5経済規劃」を始めたが、これは去る30年間の高速成長の深刻な副作用である貧富格差と、労働集約的産業中心の輸出を主とする成長モデル、都市と農村の間、地域間の発展の格差などを解消するに焦点を合わせている。もちろん政府主導の計画でこれら深刻な矛盾を何年の内に解決することは難しいだろうが、少なくとも中国は問題を診断して動いており、変化の波は所々で素早く現れている。
より重要なことは中国人が現在の体制をどう思っているかであるが、筆者が取材中に感じた個人的で暫定的な結論は、彼らが共産党官僚機構の不正腐敗や社会の不公正を深刻に思いながらも、現在の比較的安定した体制と経済成長を導いていく共産党の統治に対しては「制限された合法性」を与えているようであるということだ。体制の改善を望みながらも、現体制を覆そうとする試みは社会多数の声ではないのである。
そういう意味で西欧の学界で長い間流行った、中国が高速成長の副作用である社会矛盾のため爆発し、途中で強大国への浮上は挫けられるだろうという予測の実現可能性は低くなったといえる。中国共産党は社会的不満が体制打破への要求として高まらないうちに、当面の問題をある程度解決し緩和させるべき「時間との競争」を繰り広げなければならないだろうが、それに完全に失敗しない限り、中国の浮上は一回的な現象ではなく、歴史の潮流として維持されるだろう。
『中国が世界を支配するならば』(When China Rules the World)の著者、マーティン・ジャック(Martin Jacques)は「私はこれから中国共産党がもっと開放されるし、共産党体制がこれからも維持されるはずだと思っている」と述べる。「共産党は非常に成功的に統治してきた政治体制であり、これから50年内にこれに取って代わる政治体制が登場するとは思えない。従って中国の未来を予測するならば、現在の体制が段々開放されていく方であり、根本的な(体制)変化が現れる方ではなかろう。」 ハンギョレインタビュー「米・中の力の移動、取り返しは付かない…西欧の物差しに拘らないで」、2011.1.6。
しかし一方で中国共産党はこのような不安な状況が現体制の場を破らないように、富強な国家としての自信感と民族主義を通じて統治の正当性を確保しようとしている。また民衆の間ではこのような政府宣伝の効果に加えて、変った中国の位相に対する自負心、現実に対する不満足が入り交じって下からの民族主義的熱望も高まっている。これは中国の外交が攻勢的に変ることに益々大きな影響力を及ぼしている。
攻勢的外交の内部要因
2010年は中国外交史で独特で問題的な一年として記録されるだろう。金融危機以後、中国は急激に大きくなった経済力に似合うように戦略的影響力の範囲を広め、東アジアから南米、アフリカにまで拡張された経済的利権と資源、エネルギー補給路などを自ら保護しようという意図から強力な「力の外交」を試みた。特に中国はアジア・太平洋地域でアメリカの勢力圏をもっと押し出して、自分の影響力を広めようと試みた。
このような流れの中で中国が東南アジアの国々と領有権紛争を繰り広げている南中国海を核心利益の範囲へと含めさせたと伝わる一方、ここでの中国の海軍活動が増えた。日本が尖閣列島(中国名は釣魚島)の海上で自国の海洋警察隊巡視船と衝突した中国の漁船を捕まえて、船長を日本国内法に従って処理すると発表するやいなや、中国は日本との高位級対話の断絶、稀土類の日本輸出の中断など強力なカードを活用した。結局、日本は船長釈放で「降服」した。中国軍部は韓米の西海連合軍事訓練に対して異例的に前面に出て強く反発したし、人民解放軍の訓練の場面を相次いで公開したりもした。
緊張した周辺国家の間では「中国脅威論」と「力の外交」に対する反感が取り留めようもなく拡散されたし、アメリカはそのような不安と反発を利用して素早くアジアにおける影響力を回復した。
このような中国の外交は、去る30年間、見せなかった面貌である。1978年の改革解放以後、中国は軍事的・経済的にアメリカに挑戦するには実力が足りないのを痛感して、常に平和を掲げながら経済成長に力を集中する韜光養晦(実力を隠して力を育てる)の戦略を駆使した。もちろん中国はすでに強大国への浮上を予想し、長い間準備してきた。2005~2006年、中国共産党の中央政治局委員たちは著名な学者たちの講演と、数回の集団学習を通して15~20世紀強大国の興亡史を研究した。その内容は2006年中国中央テレビ(CCTV)の12部作ドキュメンタリー「大國崛起」として放送されて、中国人に強大国の浮上を前もって「予習」させた。
中国の外交は胡錦濤主席を中心に一糸乱れずの政策決定と指示に従って動いているように見えるが、内部的には前例のないように多様な声が反映されている。中国の浮上と外交政策を巡って百家争鳴のような論争が繰り広げられており、彼らの激しい競争のなかで状況によってある一方の主張が力を得て外交政策を導いていく状況が現れている。
デイビッド・シャムボー(David Shambaugh)ジョージ・ワシントン大教授は、中国内部の外交政策論争には中華主義に基づいた強力な民族主義から現実主義、大国外交、アジア第1外交、選択的多者主義、グローバリズムまで多様なスペクトルが存在すると分析する。 David Shambaugh, “Coping with a conflicted China,” The Washington Quaterly, Winter 2011. この中で民族主義の噴出が西方世界と周辺国の注目を浴びている。民族主義陣営は内部的に多様な勢力があるが、だいたいアメリカ中心の国際機構などを不信し、西欧とアメリカの中国包囲戦略を疑ういくつかの個人と組織の連合として見なせる。彼らは去る30年間、改革開放を通じて資本主義が復活することによって中国の社会統合が犠牲となったし、中国の主権に対して妥協があったし、和平演變(西欧が共産党の統治を弱めるため中国の平和的変化を促すこと)が国内の最大の脅威だと見なす。彼らは国際的共同機構とシステムは不公平であり、中国の対米外交は余りに意気地なしと指摘しながら、米中関係を戦略的同伴者として見ることは幻想であると主張する。
中国国内の左派知識人の根拠地として知られた北京大学街の書店、烏有之鄕(ユートピアという意味)のサイトと、この書店で毎週土曜日に開かれる講座がこのような主張を代弁しており、実際にも相当なる影響力を行使する。『ノー(NO)と言える中国』、『中国は機嫌が悪い(中國不高興、韓国語版のタイトルは「アングリーチャイナ」)』などへと繋がるベストセラー評論書もこのような傾向を代弁する。釣魚島(尖閣列島)を巡った日本との葛藤、米航空母艦の西海進入と韓米軍事訓練に対してインターネットで拡散される反日・反米・反韓世論を見ると、彼らの声が少なくとも中国の若い世代の中で相当な波及力を持っていることが確認できる。
このような民族主義的世論の影響力強化とともに、2010年の中国外交で軍部強硬派の声が前面に浮上したことも特徴である。天安艦沈没事件以後、韓米が西海で合同軍事訓練を続け、米航空母艦のジョージ・ワシントン号を西海に進入させようとしたことに対して、中国軍の高位将軍たちが先立って公式的に反対の声を上げたことは、異例的に軍が外交の前面に出た事例であった。
それと共に去る1月11日、ロバート・ゲーツ米国防長官の中国訪問中に、四川省成都で中国が開発したステルス戦闘機のゼン-20の飛行テストが始めて実施されて、これは中国の言論とインターネットを通して直ぐ様公開された。飛行テストの数時間後、北京人民大会堂で胡錦濤国家主席に会ったゲーツ国防長官は、胡主席がその飛行テストに対してまだ報告を受けていなかったかのように見えたと記者たちに語った。ゲーツ長官は外交儀典を破ってまで敏感な面談内容の一部を公開したわけである。アメリカ式の解釈に従うと、中国の文民指導部が胡主席の訪米を控えて米中和解に力を入れる状況で、このような雰囲気を不快に思った軍部が胡主席に報告せず飛行テストを強行したということであり、これは中国内の強硬派と文民指導部との間に外交政策を巡って激しい葛藤が繰り広げられているという脈絡である。これに対し中国専門家たちは党が軍を支配する体制で、共産党中央軍事委員会の主席である胡錦濤が戦略的に重要な案件に対して報告を受けなかった可能性はないし、アメリカがこのような葛藤説を流布することで中国軍部に対する不満と牽制を示そうとしたものと見なす。
中国の経済力が大きくなり、軍事分野の現代化が早く進むにつれて韜光養晦の外交に対する軍部強硬派の不満が高まる流れは、確かに存在するものと思われる。彼らは民族主義世論の強力な支援ももらっている。2012年、胡錦濤から習近平への権力承継を控えて中央政治局常務委員など、集団指導体制で有利な位置を占めるための激しい権力競争が事実上、始まっており、世論の動向に敏感となった指導部が外交分野で強硬策を選択する可能性が高くなった状況も噛み合っている。
しかし中国国内でも2010年の「力の外交」によって念を入れて築き上げてきた韜光養晦の成果が揺らいだという反省が出てきている。戴秉國国務院国務委員は2010年12月6日、中国外交部ホームページに異例的に「平和的発展路線を堅持しよう」というタイトルの長文を発表した。戴国務委員は「中国がアメリカに代って世界覇権を主導するという話もあるが、それは神話」としながら「われわれは覇権を追い求めないし、この地域(東アジア)内で他の国と覇権を争わないし、共同覇権であれ「モンロー主義」であれ追求しない」と明かした。
中国専門家たちはたとえ公開はされなかったものの、中国指導部内で去年の末、中国の強硬な外交が周辺国家の反感を強めさせて、特にアメリカはこれを利用してアジアにおける影響力を回復し、中国周辺で軍事同盟を強化するなど、逆効果が大きかったという議論が繰り広げられたと語る。それ以来、中国は胡錦濤国家主席のアメリカ訪問を控えて、外交と経済的な側面でアメリカに大幅に譲歩し、米中の和解を優先視する態度を取った。
中国外交で民族主義と軍部の影響力が強くなっていることは事実であるが、これを中国外交の中心であると断定することはできない。現在、中国外交政策の中心グループは現実主義勢力であるが、彼ら内部も攻勢的現実主義、防御的現実主義、強硬現実主義、穏健現実主義などと分かれている。強硬現実主義は綜合国力の強化、特に軍事と経済的強化を強調し、穏健現実主義は外交と文化的力量を強調する。
中国の浮上と役割に対する内部論争が活発に繰り広げられている状況で、中国自らも未来に対して単一なアイデンティティを持っているわけではない。数多くの論争を通じて中国の未来が作られるだろうし、この点から中国の浮上にいかに外部が対応するかもまた、重要な変数である。
去年の一年間、中国の「力の外交」が及ぼした波長を再び見てみると、中国脅威論を強調する外部の声が中国国内で民族主義的強硬論に力を添える悪循環が目撃できる。中国外交が民族主義と軍事的強硬主義へと進むのか、それとも既存の現実主義中心の路線を維持するかは、中国内部の力学関係とアメリカおよび周辺国家の外交政策が複雑に噛み合いながら決定されるだろう。このような点から周辺国家は中国脅威論が自己充足的な予言へと変わることを警戒しなければならない。
米中関係の変化のなかの東北アジアと朝鮮半島
2011年1月、オバマと胡錦濤との首脳会談は、2010年、最悪の葛藤へと走った米中関係を、競争と協力が共存する以前の軌道へと取り戻そうとする試みであった。しかし両強大国の間の強い戦略的不信が一回の首脳会談で無くなるわけにはいかない。中国はアメリカの力が弱まるにつれて、ライバルである中国の浮上を封鎖しに出ることと疑い、アメリカは中国の経済力および軍事的急成長と民族主義がどう表出されるか心配している。中国の代表的な米中関係専門家である金燦榮人民大学国際関係学院副院長は、米中関係が段々複雑となり、難しくなっていると見る。首脳会談以後、2011年上半期の米中関係は比較的安定するだろうが、長期的には両国は「共同の利益のために一緒に住むが、毎日争う夫婦のように大変な関係となるはず」と彼は予想した。彼は「過去の米中の間の問題は、3Tと呼ばれる台湾(Taiwan)、チベット(Tibet)、貿易(Trade)問題であったが、これが解決されないまま東アジアの主導権を巡った競争、中国の軍事現代化を巡った葛藤、経済的競争が新しい葛藤要素として登場した」と警告する。 ハンギョレインタビュー「米中関係、やや安定するだろうが、毎日争う夫婦のように大変であろう」、2011.1.17。
その戦略的競争の真ん中に朝鮮半島が置かれている。2010年の天安艦事件と「金正恩(キ厶・ジョンウン)後継体制」の登場、北朝鮮の延坪島砲撃とウラニウム濃縮施設の公開を経ながら、朝鮮半島問題は冷戦構図の復活を越えて北朝鮮の崩壊、熱戦の可能性まで含めた米中の間の核心イッシュとして登場した。アメリカは北朝鮮が直接的な脅威となるとしながら、強力対応する態勢を示しており、中国はアメリカが北朝鮮を言い訳に韓国および日本と同盟を強化しながら中国を牽制しようとしているという疑惑を膨らましている。アメリカと中国との覇権競争で朝鮮半島および東アジアが最も激しい戦線となっているということだ。
胡錦濤主席のアメリカ訪問の初日である1月18日、バラク・オバマ大統領はホワイトハウスの私的晩餐テーブルで胡主席に向って警告の言葉を渡したことと知られた。『ニューヨーク・タイムズ』の報道を見ると、オバマ大統領は当時、胡主席に「中国が北朝鮮にプレッシャーをかけてくれないならば、アメリカは北朝鮮の脅威を防ぐため、米軍の再配置と防御的姿勢の変化、東北アジアでの軍事訓練の強化などの長期的な措置を取るしかない」という趣旨の発言をしたという。 “U.S. Warning to China Sends Ripples to the Koreas,” New York Times, 2011.1.20. それ以来、中国は首脳会談で北朝鮮のウラニウム濃縮プログラム(UEP)に対して、始めて公式的に憂慮を示すなど、以前よりアメリカと韓国の主張をより受容する態度を示した。
朝鮮半島を巡った米中の間の葛藤は東アジアを巡った二大強国の戦略的再調整という、より大きい画の一部である。中国が経済成長に合わせて戦略的影響力の範囲を広めようとするにつれて、去る30年間東アジアで維持されてきたアメリカと中国の現状維持モデルが揺らいでいる。過去における中国の海上戦略防御線は台湾辺りで留まっていたが、貿易路とエネルギー輸送路など利益範囲が拡大するにつれて、最近中国は海上影響力の範囲を西太平洋と南中国海の方へと拡張しようとするのである。
天安艦沈没と北朝鮮の延坪島砲撃以来、韓米連合軍事訓練と米航空母艦の西海訓練の参加を巡った神経戦は、東アジア・西太平洋の勢力範囲を巡った新たな葛藤構図を示している。
中国の軍事専門家たちはアメリカが冷戦時期の産物である「島の輪」(island chain)を利用して、海上では日本からインドまで、陸上ではインドから中央アジアに及ぶ「C字型包囲網」で中国を閉じ込めようとすると主張する。「島の輪」は第2次世界大戦以後、ジョン・ダレス米国務長官が首唱した戦略で、日本-沖縄-台湾-フィリピン-オーストラリアへと繋がる輪を利用して、ソ連と中国など社会主義陣営を封鎖しようとする計画であった。冷戦以後、この戦略は韓国と日本を中心とした第1輪から、ハワイ群島を中心とする第3輪にまで細分化されて中国抑制に焦点が合わせられたし、最近アメリカは中国の海軍力を第1輪の中に閉じ込めようとしているというのが専門家たちの分析である。
中国の戦略的影響圈の拡大への試みに向かい合って、アメリカは2010年の一年間、非常に賢い戦術を通して、ブッシュ行政部が中東に集中するため中国に任しておいたかのような東アジアにおける影響力を短時間で回復した。経済的に衰えたアメリカは中国脅威論を利用して安保と軍事力でアジア秩序を再び主導しようとする。しかしすでにアジアの国々は経済が中国に依存することとなった状況で、安保と軍事的側面はアメリカに依存する戦略的分裂状態に陥ってしまった。このような分裂状態が長期的に維持されることは難しい。アジアの国々が輸出の10~20%以上を中国に依存しているということも重要な要素であるが、それよりは長期的にアメリカの衰退と中国の浮上という趨勢を取り返すことは難しいからである。
東アジアで米中の角逐戦が段々激しくならざるを得ない構図は、この地域の国々に大きな波長を予告している。オバマ大統領は2012年、再任のための大統領選挙再挑戦を控えて中国に対する圧迫を強化しながら、「中国に言うべきことは言う大統領」の面貌を見せるという構想を明らかにしている。彼は特に北朝鮮の問題を主な争点として提起しながら、中国が北朝鮮を圧迫しないなら、アジア地域で韓国および日本と軍事同盟を強化し、より多くの韓米・米日連合訓練を行なうと警告している。しかしアメリカがこのような戦略を続けると、中国はアメリカの包囲戦略に対する疑惑をもっと膨らますだろう。特に中国も2012年が権力交替期なので、軍部と民族主義勢力など、内部の強硬な声を無視しにくい。アメリカと中国が国内政治的要求のため再び葛藤の時期へと入る場合、アメリカとの同盟強化は勿論のこと、日本とも軍事的関係を強化している韓国は難局に処されることとなるだろう。
最近会った中国専門家たちは韓米同盟中心の韓国外交政策に非常に批判的であった。中国外交部傘下外交学院の蘇浩教授は、韓国の「韓米同盟絶対化」と韓日軍事協力の強化を特に憂慮した。 ハンギョレインタビュー「朝鮮半島の平和が両国協力の基礎… 中・米、共通部分は合意を成し遂げるはず」、2011.1.19。 彼は「中国は韓米日が3国軍事同盟体制へと進むことを望まない。韓国は中国を狙う意思がなく北朝鮮のみを狙ったものと考えても、アメリカと日本は明らかに中国を狙おうとする意図がある。結果的に韓米日同盟が中国と北朝鮮を狙う状況なのだが、これは冷戦構造の復活でありこれからの朝鮮半島の平和と安定に絶対的に不利である。韓国が日本と本当に同盟関係を結ぶなら、韓中の間の戦略的同伴者関係の基礎は崩れ、韓中関係は破壊されるはず」だと強調した。それから「韓国がアメリカと関係を強化してこそ安保が保障されるといったふうに絶対化すると、東北アジア全体に利しない状況となる」と付け加えた。
冷戦構図の一方の軸を崩した1992年の韓中国交当時における中国の戦略的計算と、これに対する韓米の間の暗黙的同意の主な内容は、中国が韓米同盟と駐韓米軍の駐屯を歴史から始められた現実として理解し、その代わりに中国は韓国が日本と少なくとも適当な距離を維持しながら、東北アジアで中国と日本との間で釣り合いを取ってくれることを期待したものと知られている。
しかしアメリカと中国の競争が長期的に段々熾烈となっていく状況で、韓国はこの流れに逆らって一方的にアメリカを中心とした外交政策を推し進めている。韓国政府は韓米同盟中心の外交政策とともに、対中外交の予算拡大と人力増員などの措置で韓中関係も強化できると期待する。だが、中国は東北アジア全体の戦略的再調整という枠の中で現在の韓米・韓中関係を捉えているため、このような弥縫策で韓中関係を改善することは難しいというのは明らかである。
中国脅威論を超えて真摯なる苦悶を
2010年を過ぎながら韓国と中国の心理的距離は以前は想像しにくいほど遠くなった。中国が強硬な外交を試みたことが確かに一つの要因であるが、韓米同盟中心のプリズムで世界を眺める韓国政府と保守言論の態度も大きな影響を及ぼした。
それと共に、過去の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府が地政学的環境の根本的変化に対応して「均衡者論」を掲げて、アメリカと中国との間で釣り合いを取ろうとした試みも、アメリカとの関係を台無しにした政策として烙印を押され廃棄処分された。韓国保守勢力のこのような動きに対して李三星(イ・サンソン)教授は、「アメリカ発中国脅威論が1990年代後半以後、韓国で殆んど無批判的に受容され始めた」としながら、「2000年代に入って韓中の間の貿易規模がアメリカ、日本との貿易を追い越しながら政治軍事次元の韓米同盟体制の内面的崩壊に対する憂慮がそれとなく増加し(…)韓米FTAの締結に広範な既得権を持った韓国の企業家層と政治圏、それから政府権力がアメリカとのより緊密な経済的・政治軍事的一体化の必要性を強調するため「中国脅威論」を助長する傾向も無くはなかった」と指摘する。 李三星、『東アジアの戦争と平和』、ハンギル社、2009、219~20頁。
李教授はまた、「中国が富強となると膨張主義となって朝鮮半島の未来に脅威となるという主張は、韓国の運命に最も致命的であった19世紀の歴史的事実と明白に矛盾するもの」であり、中国の明・清交替期にまともに備えなくて朝鮮に丙子胡亂と三田渡の屈辱、そして数多くの百姓たちの血と涙を強いたことは、中華秩序という既存の権力体系に対する盲目的献身、そして新しい勢力の登場に対する過度な無関心と他者化の結果であったと強調する。現実を見ると、韓国経済はすでに中国と同じ船に乗っている。2010年1~11月の韓中の交易額は1648億ドルで、韓国全体の交易額(7837億ドル)の21%に達した。対米(10.2%)、対日(10.4%)交易額を合わせたものより多い。韓国の対中国輸出の比重も24.9%に達する。だが、経済的一面は我々の処した現実の氷山の一角である。アメリカの衰退と中国の崛起という歴史的流れはずっと大きな課題である。韓国政府と保守勢力は韓米同盟の強化、韓米日の戦略共助の強化、反中感情でこれを突破しようとするが、その中で韓中関係は引き続き悪化するだろう。
重要な課題はわれわれが如何に中国の浮上に備え、対応するかに対する真摯な模索である。第2次世界大戦後、60年を過ぎて冷戦構図から完全に脱していないまま、アメリカとの関係を軸に政治・経済・社会を構成してきた韓国が中国の浮上という歴史的現象に適応するためには、数多い分野で心理的で実際的な調整が必要である。韓国社会はそれを長い間回避してきた。
特に李明博政府は「中国-北朝鮮」を敵対視し、北朝鮮とのすべての関係を自ら絶つことで、朝鮮半島問題をアメリカと中国が左右するようにする構図を自分で作った。北朝鮮の不安定性が大きくなっている状況で、北朝鮮とのすべての関係を断絶し、アメリカ一辺倒の政策、中国との距離を置く政策は、朝鮮半島の未来を強大国に任せてしまう危険極まり無いことである。
北朝鮮問題と関わって李明博政府は金正一(キ厶・ジョンイル)国防委員長の健康悪化と金正恩(キ厶・ジョンウン)後継体制の不安定性、深刻な経済状況を考慮する際、もう少し圧迫すれば北朝鮮は崩壊し、韓国中心の吸収統一が可能であろうという前提のもと対北政策を取ってきた。しかしこれは中国の戦略的利害を考慮しない構想である。中国は少なくともこれから数十年間、持続的な経済成長を成し遂げてこそ国内問題が解決でき、安定的な統治と完全な強大国化が実現できる。従ってその間に北朝鮮の崩壊や朝鮮半島での衝突で中国の経済発展が打撃を受ける状況を絶対に受け入れようとしないだろう。長期的に時間がかかり、複雑な外交が必要な「朝鮮半島非核化」は倦まず弛まず推し進めることにして、北朝鮮を改革開放へと導きながら「正常国家」として作るという政策を、2009年10月の溫家寶総理の訪北と、2010年の金正一委員長の二回に渡る訪中を通して明らかに宣言したところである。
こういう状況で韓国がアメリカおよび日本と関係を強化し、北朝鮮と壁を作り、中国と距離を置くなら、東北アジアで冷戦的対立は鞏固となり、平和体制の定着はより遠くなるだろう。このような悪循環から脱するためには中国の浮上を認め、管理する東アジア多者安保の枠、または多者協力体を構築すべきだという議論が提起されている。中国の浮上という現実を冷徹に認める一方、それが周辺国に脅威となったり、地域秩序が力で無理に再編されないように制御できる現実的装置が必要だということである。
ヨーロッパのヘルシンキ宣言(1975)のように、東アジアで国家間関係を正常化し、域内の問題を平和的に解決する枠を作ろうという要求は、2000年代の初めから提起されたが、ずっと持ち越されてきた。6者会談をこのような方向へと発展させるべきだという議論も、会談そのものが空転しつづけながら失踪された。もちろんこのような東北アジアの多者安保の枠が構築されるためには、東北アジアにおけるアメリカの同盟構造も再調整されるべきである。アメリカと中国、そして東アジアの国々の間でこういう合意が成されるならば、米中の間の戦略的不信と緊張を大幅に下げて、東アジアが中国の浮上に適応しながらも中国が無理な要求をする際、それが牽制できる最も効果的な枠となるだろう。
王緝思北京大国際関係学院長は「韓国と北朝鮮を排除した強大国協議体の構想は現実的に不可能である。東北アジア安保構想にはアメリカ、中国、日本、ロシア、韓国、北朝鮮など、6者会談のメンバーが含まれるべきである。まず、関連国の当事者たちが共同声明を発表し、このような協約が実行できるメカニズムとレジームを作って協約の実行を保証すべきである」と提案する。 厶ン・ジョンイン、『中国の明日を問う』、三星経済研究所、2010、133頁。
朴繁洵(バク・ボンスン)三星経済研究所研究専門委員も、アジア経済共同体を通じて中国の成長を積極的に利用し、中国との共存の道を探すべきだと強調する。「中国の傲慢さと覇権を牽制するためアメリカに依存するということは、下策に過ぎない。東アジアは否応なしに世界経済環境の変化のなかで経済成長のためには中国を利用するしかない。むしろ忘れてしまった共同体の夢を積極的に蘇らして、東アジアが協力を拡大し、中国を全体のなかの一つ、つまり「n分の1」にして牽制すべきである。」 朴繁洵、「隣のやくざ、または善きサマリア人」、『エコノミーインサイト』2011年1月号、66頁。
現在の状況から見ると、アメリカと中国両方とも戦争や極端的衝突による共滅を望まない。中国の浮上が世界に齎してくる結果は前もって定まったものではなく、アメリカと中国を始め、韓国と日本などの周辺国、世界の主要関連国がどう対応するかによって大きく違ってくることもあり得る。従って韓国政府と社会が中国の浮上をもうすぐ無くなる一時的な現象ではない歴史の現実として受け入れて、朝鮮半島および東北アジアの平和と未来を熟慮し、均衡の取れた対応策を設けようとする意志も重要な変数である。
去年、韓国の既得権層と保守層を中心に、中国に対する非難と不満が高まる間、一方では中国と頭ごなしに対立することは韓国の未来を脅かすだろうという自覚、中国と如何に共存するかに対する省察も深まった。しかし未だ政府がこれを賢く受け入れ、政策として受け入れようとする意志を示していない。歴史を真摯に苦悶しないと、歴史の審判を受けることとなるのが歴史の法則ではなかろうか。
翻訳:辛承模(シン・スンモ)
季刊 創作と批評 2011年 春号(通卷151号)
2011年 3月1日 発行
発行 株式会社 創批