창작과 비평

"2013年体制"を準備しよう  

 

白楽晴(ペク・ナクチョン)paiknc@snu.ac.kr

文学評論家、ソウル大学名誉教授。近著に『どこが中道でなぜ変革なのか』『統一時代の韓国文学の価値』『白楽晴会話録』(全五巻)などがある。

[本稿は、『実践文学』2011年夏号(102号)に掲載された論文の全文訳であり、日本の読者のために筆者の了解を得て原注以外にも訳注を加えた:編集者]

 

 

 

1.はじめに

 

 

本稿は、去る3月10日江原道にある「韓国DMZ南北朝鮮を分かつ非武装地帯(demilitarized zone)-訳注。平和・生命の園」において、市民平和フォーラム(共同代表:李承煥・李庸瑄・鄭鉉栢)の主催で開かれた「2011年平和と統一のための市民活動家大会」の基調報告として作成された。その後、若干修正を加えた原稿を知人の一部と共有して助言を得た。この度活字化の機会を得て、この間の情勢変化を勘案しながら様々な助言を参考にして大幅に修正した。同時に、脚注をつけて書き言葉に変え、多少論文に近い形にしようとした。発表当初の討論に参加された方々、その後助言してくれた方々、大会を主管して基調報告を任せてくれた市民平和フォーラムおよび準備委員会の方々、立派な場所を準備して参加者を温かく迎えてくれた鄭聖憲「韓国DMZ平和・生命の園」理事長など、皆さんに厚い感謝の意を表する。「平和を考えてみよ、市民運動が大きく変わって見えるはず!」というテーマで開かれた同大会が異色だったのは、平和運動家や統一運動家だけではない「市民活動家」の多数が平和と統一をテーマにして集まったという点である。それは朝鮮半島の住民の当面する時代的課題が「分断体制の克服」であり、これを実現する朝鮮半島式の統一過程は「市民参加型」になるだろう前掲書『朝鮮半島の平和と統一』、第3章「2007年南北首脳会談後の市民参加型統一」などを参照 -訳注。と主張してきた私としては極めて歓迎すべきことだった。


分断体制論の概念がすべて自明なわけではないので、本稿でも若干の説明を時々加えるが、単なる分断克服ではなく分断体制の克服である。つまり、いかなる統一であってもとにかく統一してみようというのではなく、市民が積極的に参加して南北双方の私たちの暮らしを圧迫している現存の分断体制下よりもはるかに良い暮らしを実現しようというのが基本的趣旨である。そのため、各分野の市民運動が即平和運動となり、統一運動となる必要が切実に求められている。また逆に、平和運動や統一運動も市民運動を兼ねざるをえなくなったと言える。韓国市民社会および市民運動のこうした進化は「変革的中道主義」、すなわち分断体制の変革のために幅広い勢力が中道に結集する路線の成否を左右するだろう。 これは、世称「中道勢力」の票を得て選挙に勝とうとする戦略と、本質上異なる発想であるのはもちろんである。分断体制の変革と連係した韓国社会の総体的な改革を実現するために、左右の極端な単純思考を克服すべきだというもので、既存の社会運動路線それぞれの換骨奪胎過程を意味する主張でもある。この「変革的中道主義」については、拙著『朝鮮半島式統一、現在進行形』チャンビ、2006年、第4章67~69頁、および同書の邦訳『朝鮮半島の平和と統一』(青柳純一訳、岩波書店、2008年)第2章「分断体制の解体と変革的中道主義」を参照。
本来、大会の基調報告を準備した際のタイトルは「2011年の朝鮮半島情勢と2012年韓国の選択」であった。しかしその後、2011年と12年の話をする前に2013年以後を描いてみる手順を踏むことにして「2013年体制の準備」を本稿のテーマにした。今日、私たちに何よりも必要なのは"願" "願"は仏教用語で原語のままとし、以下大きな"願"は"大願"、小さな"願"は"小願"という訳語に統一した -訳注。を大きくたてることだと信じているので、目前の現実よりも一歩先の話から始めようと思う。たとえ2012年の選択が重要とはいえ、その年の二大選挙(総選挙と大統領選挙)にあまりにも論議が集中して私たちが目標とする選挙後の生活に関する思考が制約され、時期尚早の政治工学的な論議に埋没しては厄介だからである。
李明博政権3年余りにして、国民はすっかり疲れ果ててしまった。それで、今より少しでも楽になればという気持がかなり広がっている。李明博でさえなければ誰でもいいとか、野党が政権を奪還して少しは安心して暮らせたらという巷の声も聞こえてくる。人情の常とはいえ、そんな"小願"では再度の狼狽を味わいかねない。実際、李明博政権の登場自体、私たちの"願"があまりに小さく、"願"とは言いかねたがゆえに起きたのではないか。正義や倫理、民主主義、統一などには関心を示さず、もう少しカネを稼ぐとか、韓国だけで豊かな国に追いつけたら満足だと多くの人々が考え、それが即、人生の「成功」であるかのように浮ついていたのだ。その結果、その"小願"ですら達成できない失敗が大多数の国民の生活の現実となった。
当然の話だが、2013年について語るとはいえ、2011年と12年に私たちがなすべき事を疎かにしようというわけでは決してない。"大願"をたてるということは、壮大な設計図だけを提示して今なすべきことをいい加減にするという態度ではない。大きな"誓願"上掲③と同じく仏教用語で、「本願」と同意語だが、原語のままとした -訳注。をたてた人であればあるほど、「小を以って大を成す」ことに心血を注ぐものである。今年と来年、私たちの実践が誠意にあふれて、賢い選択をするためにも「2013年以後」から考えてくるという逆の手順を踏むのも、そうした意味である。
本稿の校正を終える頃、ちょうど4月27日の補欠選挙 2011年4月27日に行われた国会議員補欠選挙と江原道知事選挙で、与党ハンナラ党は野党間の協力と福島原発事故の影響もあって敗北した -訳注。を通じて民心の動向をある程度確認することができた。選挙結果については後にあらためて言及するが、"2013年体制"が決して空虚な構想ではなく、それを準備する作業も一層切実に必要だという点が明白になったのである。

 

 

2.なぜ2013年"体制"なのか

 

 

いずれにせよ、李明博大統領は2013年2月に退場する。たとえ後任がハンナラ党から選ばれるにしても、「ポスト李明博」時代が始まる。まして野党が勝利すれば、再度の政権交代が実現する。だが、そうなっても単に「失われた5年」を飛び越え、それ以前の状態に戻っていくことで満足はできないのである。

 

・87年体制克服のために国民の底力を発揮すべき時期

 

2013年に"体制"という用語をあえて付け加える理由がそこにある。1987年の6月抗争によって韓国社会が一大転換を成し遂げたことを"87年体制"という概念で表現するように、2013年以後の世の中もまた別個の"体制"と呼べるほど、もう一度大きく変えてみようというのだ。この場合の"体制"とは、英語のsystemよりは体系性が劣るregimeに該当するはずで、"2013年体制"という呼称は他のものに代えられるかもしれない。例えば、そうした転換を可能にした2012年の二大選挙を重視して"2012年体制"と呼ぶこともできるし、2013年以後の変化が短時日でより画期的な事件を生みだす場合、その事件に基づいて名前がつくられるかもしれない。タイトルの"2013年体制"にクォーテーション・マークをつけたのは、そうした可変性を念頭においたからである。
今日私たちが生きている時代を"97年体制"と規定する立場もあるにはある。1997年IMF(金融)危機を契機にして、87年体制が新自由主義の支配する新たな体制に転換したというのだ。その論争に本格的に介入するつもりはない。ただ、私自身はいくつかの理由で97年体制論に同意しないことを表明し、先に進もうと思う。 この論争に関するもう少し詳しい検討は、金鍾曄編『87年体制論:民主化後の韓国社会の認識と新たな展望』(チャンビ、2009年)の編者序章「87年体制論にあたって」を参照。97年体制論者の中にはあえて1987年6月の画期的性格を認めない人もいるが、観念的進歩主義に熱中するあまり、国民多数の熱望と参加によって勝ちとられた生活上の変化に無感覚になった端的な例ではないかと思う。実は、金大中・盧武鉉政権と李明博政権が大同小異の新自由主義体制だという発想自体も、こうした疑いがなくはない。 何よりも私は、「新自由主義」はこの30年間韓国を含めた現代世界の性格を規定してきたキーワードの一つではあるが、1997年IMF危機後の韓国の現実を糾明する場合ですら不十分な点が多い概念だと考える。「新自由主義の本格化」と言うならば、1998年以後に準備されていた各種の福祉政策が後退し、市場万能主義のイデオロギーが民主主義の言説すら圧倒するようになった2008年以後により適した表現である。とはいえ、その李明博時代の韓国でさえ、新自由主義の全面的な支配よりはあらゆる反自由主義的な旧態が共に復活している特異な社会というべきである。したがって、反民主的かつ反自由主義的であり、南北対決的だった軍事独裁政権を崩壊させた87年体制が、初期の建設的なエネルギーを使い果たしたまま、その末期的局面にまだケリをつけられずにいるというのが、より妥当な解釈だと思う。そして、1987年に6月抗争と7~8月労働者大闘争全斗煥軍事政権の退陣を決定づけて大統領直接選挙の実施を確約させた1987年6月の民主抗争につぎ、7~8月には労働者のストライキ闘争が韓国史上かつてなかった規模で続発した -訳注。を展開し、IMF危機という国家的な危機にもかかわらず、2000年の南北首脳会談を通じて韓国経済と民主主義の持続的発展を確保した、韓国民の底力がもう一度発揮される時が到来したと信じている。  1997年と2000年の関係について、拙著『どこが中道で、なぜ変革なのか』(チャンビ、2009年:邦訳を準備中)第13章「2009年分断現実の一省察」で、次のように述懐したことがある。「IMF危機を契機にして韓国社会は『新自由主義による庶民経済の破綻』を一度経験しました。その状況に対応する一つの方式は、今日李明博政権が推進するのと似た政策だったでしょう。庶民生活の破綻に知らん顔して新自由主義を熱情的に受け入れながら、それによる民心の離反には軍事政権式の『法秩序の確立』と金泳三政権の対北強硬路線の継承によって対応する方式です。もちろん、当時すでに10年の民主化過程を経た私たち国民には通じるはずのない政策だったでしょう。だがとにかく、そうした可能性を想像してみることで、金大中政権下でわが国民が実際に選択した道、すなわちIMF危機を契機にして吸収統一の夢を諦めて公安政局を自制し、南北の和解・協力と朝鮮半島の平和定着によって韓国経済の新たな活路を求めようとした道が、民主主義と経済発展のためにもどれほど賢明な選択だったかを実感できるのです」(278~279頁)。

 

・南北が共有する"2013年体制"の可能性

 

さらに、"2013年体制"は87年体制とも異なるレベルの成果を達成できる。つまり、1953年停戦体制の成立後初めて南北が共有する時代区分を実現する可能性を有しているのだ。休戦後の韓国現代史に大きな画をなした4・19と5・16  1960年李承晩政権を退陣させた4・19学生革命と、その後の張勉政権を翌年打倒した朴正熙ら軍人による5・16軍事クーデターをさす -訳注。、10月維新  1972年10月、当時の朴正熙大統領は戒厳令を発して独裁政権を樹立した --訳注。、5・18民主抗争  1980年5月、朴正熙暗殺後に実権を握った軍人の全斗煥に対して光州市民が抵抗した民主抗争で、公式には200人前後、非公式では約2000人が犠牲になったといわれる -訳注。、6月抗争、そしてIMF危機などは、すべて韓国社会に局限された事件であった。  まさにその点こそ1987年6月抗争の決定的な限界であることを、私は抗争10周年を記念する席で強調した。「六月抗争が韓国史においていかに画期的な事件だったにせよ、分断された朝鮮半島の半分に限定されていた分だけ、その『画期的』な性格もまた限られたものになるという点を想起することが、抗争の意味を浮き彫りにするためにも必要である。その限界を正確に認識できない擁護論は正当な実践的対応を生み出せないだろうし、おそかれはやかれ、抗争の意義自体を否定する論理の前で力を失うことになるだろう」(李順愛他訳『朝鮮半島統一論――揺らぐ分断体制』、クレイン、2001年、第十章「六月民主抗争の歴史的意義と十周年の意味」、232頁)。 もちろん、いずれも南北関係や朝鮮半島の情勢に大きな影響を及ぼしはしたが、そのために北朝鮮社会の時代区分まで変わってしまうほどではなかった。他方、2000年の6・15南北共同宣言は南北を通じて"6・15時代"を切り開いたといえる素地が充分にある。しかし、それは多分に宣言的な意味であり、今後実現すべき課題を負わせたという意味であり、南北双方で大多数の住民の生活の現実が一挙に変わったわけではない。双方が共有する時代区分法と、南北それぞれの内部の現実に適した区分法の間にある隙間は依然として残されたのである。
しかし今や、6・15時代の宿題をこれ以上先延ばしすることはできなくなった。6・15共同宣言を無視して生きてきたわずか3年余りの間に、朝鮮半島は人が暮らすにはあまりにも危険な空間になり、韓国の民主主義は無残にも後退した。かなり好調だと豪語する韓国の経済も、庶民の犠牲の上に一部の大企業を肥やしながら、厚顔無恥な環境破壊と公営企業および家計の負債増大によって支えられているのだ。こうした現状を打開するためにも、6・15時代の宿題の実行如何が、2013年体制の成立に必須となる。6・15共同宣言後に私たちが追求してきたし、2005年北京での9・19共同声明  北朝鮮の核問題をめぐる第4回6カ国会議の席上、朝鮮半島の平和体制に関する基本的な枠組に日本を含む全参加国が合意して発表した共同声明 -訳注。と2007年10・4南北首脳宣言  韓国の盧武鉉大統領と北朝鮮の金正日国防委員長の両首脳が平壌で会談し、発表した宣言 -訳注。によって見え始めてきた朝鮮半島に平和体制をつくることが、2013年以後の核心的な課題になるのである。
単に、朝鮮半島で戦争の危険性を取り除くだけではない。いずれの国の国民であれ、戦争は残酷で平和は貴重であるが、分断体制下では平和は特別な意味がある。双方の既得権層が相手を敵視しながらも、その敵対関係による緊張と戦争の脅威によって自らの反民主的な特権を維持する名分が絶えず供給される体制、それが分断体制なのである。まさしくそのために、韓国市民の民主的力量が1987年の6月抗争や1998年の水平的な政権交代  1997年12月第15代大統領選挙で勝利した国民会議の金大中候補は、翌98年2月軍事政権の流れをくむハンナラ党政権に代わって大統領に就任した -訳注。で噴出するたびに分断体制の全体が揺さぶられ、平和に向けた積極的な努力が不可避となった。そして、6・15共同宣言によって南北の和解と協力の道が大きく開かれた時、韓国内の守旧勢力は必死の反撃を試みたのだ。不幸にも、彼らの反撃は2007年大統領選挙と2008年総選挙  2007年12月第17代大統領選挙では李明博現大統領が圧勝し、翌2008年4月の総選挙でも与党ハンナラ党が勝利した -訳注。を通じて、分断体制の克服運動に甚大な打撃を与えることに成功した。だが、分断体制を再び安定化させることはできず、"先進化体制"を成立させることもできなかった。  2008年が「先進化元年」になりえないという主張としては、前掲『87年体制論』に収録された拙稿「先進化言説と87年体制」を参照。 とにかく、守旧勢力は2012年にも大衆を幻惑して選挙に勝利し、国家的な混乱が加重しても自らの私益を図り続けるためにあらゆる手段を動員するだろう。
これに対して、私たちはスローガンや理想としての平和ではなく、朝鮮半島の現実が切実に要求する平和体制の樹立を設計して国民を説得できなければならない。この時に留意すべき点は、朝鮮半島における平和は漸進的・段階的な統一過程の進展と直結しているという事実である。換言すれば、あまりに急速で全面的な統一を追求しても平和の脅威になるが、統一を考えずに平和だけを語っても平和は達成できないのである。
しばしば平和体制の構成要素として、朝鮮戦争の当事者による平和協定、そして米・朝、日・朝の国交樹立があげられる。また、これに先行あるいは随伴する条件として朝鮮半島の非核化が指摘される。だが、平和体制の成立に決定的に重要な非核化という、この難題を平和協定の締結と経済支援だけでは解決できない、朝鮮半島特有の事情を見逃してはならない。つまり、「北が完全な非核化に同意しようとすれば、いわゆる体制保障に対する北の要求がある程度満たされなければならない。だが、平和協定の締結と米・朝の国交回復、そして大規模な経済援助が行われたとしても、韓国の存在自体が脅威として残らざるを得ない事情」があるからだ。そのため、「朝鮮半島の再統合過程を比較的安定的に管理する国家連合という装置が準備されていく時、北の政権としては初めて非核化の決断を下し、自己改革の冒険を敢行すべき――たとえ完全に安心できないにしても――それなりの条件が満たされるはず」  拙稿「包容政策2.0に向けて」『創作と批評』2010年春号、92頁。である。
2013年以後の朝鮮半島が、6・15時代の再稼動を起点にして9・19共同声明の履行と南北連合の建設過程に入って行くなら、南北が共有する2013年体制の成立も可能になるだろう。  亡くなった徐東晩教授は2008年がそういう年になることを期待したが(徐東晩「南北がともに創る"2008年体制"」『創作と批評』2007年春号;徐東晩著作集『北朝鮮研究』、チャンビ、2010年、406~427頁に再録)、2007~08年の韓国社会は末期的な混乱に陥っていた87年体制を克服すべき実力をもてなかった。2012~13年の課題であり、挑戦としてもちこされたのだ。 もちろん南北連合は終着点ではない。ただ、分断体制の克服過程が不退転の境地に立ち至ったという点で決定的である。その後も相変わらず不確実性に満ちた冒険の過程になるだろうが、今のように主に庶民が圧迫されて苦しむ代わりに、南北双方の支配層が民衆のエネルギーに適応するためにハラハラする時代になるだろう。

 

 

3.平和体制、福祉国家、公正・公平社会

 

 

平和体制の構築と南北連合の建設が"2013年体制"の核心議題になるだろうという点は、最近韓国政治のホットな争点として浮上した福祉問題との相関性を考えても実感できる。福祉問題が争点化されたのは、私たちの社会がそれなりに発展した証拠として歓迎すべきことである。そして、全面的ないし普遍的な福祉を主張する人々が、大体その本格的な実現が始まる時期を2013年とみる点で、福祉が2013年体制の主要な議題として設定された情勢である。

福祉論議に本格的に介入することは本稿の目標ではない。2013年以後を設計する基本姿勢を検討しようというだけなので、福祉国家論が南北連合の建設を通じた朝鮮半島全体の問題解決を避ける場合、机上の空論に陥りやすい点を強調したいと思う。分断の現実を忘れた福祉国家論は、李明博政権の先進化論や北朝鮮の強盛大国進入論  韓国の李明博政権は「先進国」への進入を目標とし、北朝鮮の金正日政権は2012年に「強盛大国」への進入を目標とする -訳注。と同じく、分断体制の維持論へと帰着しがちなので、それらの言説と同様、成功の可能性は乏しいとみなければならない。

 

・平和など他の主要議題と結合した福祉論議を

 

福祉言説の現実性を高めるために平和言説と結合すべき必要性を、多くの人々は認めている。しかし、そうした認識は財政調達のために相当なレベルの国防費の縮減が必要だろうという計算を超え、戦争の危険が常存してこれを口実に守旧勢力が優勢な状況では、福祉拡大のための政治的エネルギーは生まれにくいという事実にまで達しなければならない。南北対決の状況下では、社会民主主義者でさえ「親北左派」と攻撃されるのがオチで、福祉社会を推進すべき人々や集団が様々な分野で似たような攻勢に悩まされる中では、勢力の効果的な結集が不可能だからである。実際に福祉の拡大は逆に分断体制の克服のための市民の力量の増大をもたらすので、守旧勢力の攻撃は一層激しくなって多角的に展開されることになる。分断の現実に対する冷徹な認識が欠如した福祉国家論は、その闘いで勝利するのは難しい。そうでなくとも、社会のあらゆる有利な高地を先占しているのが守旧勢力であり、分断の現実を悪用することに熟達した彼らに、「後天性分断認識欠乏症候群」  「後天性分断認識欠乏症候群」とは、韓国が分断国家でないかのように思って生きる人、特に進歩的知識人を自負する人々を皮肉った語で、「後天性免疫欠乏症候群」(AIDS:Acquired Immunity Deficiency Syndrome)に引っかけて英文略語をつくれば、ADADS(Acquired Division-Awareness Deficiency Syndrome)となる(『創作と批評』2011年春号、105頁を参照)-訳注。にかかった福祉言説で対峙する場合、どちらに勝算があるかは言うまでもない。
一部では、昨年6・2地方選挙  2010年6月の統一地方選挙で、与党ハンナラ党は天安艦事件を機に対北強硬路線を鮮明にしたが、国民の支持を得られず敗北した。その際、四大河川の開発工事への賛否をめぐる論争とともに、学校給食を全面的に無償にするか一部にとどめるかという問題も主要争点の一つとして論議された -訳注。で有権者の多数が全面的な無償給食を選択したことを普遍的な福祉を支持する民心だと解釈している。だが、2010年の無償給食論争はもう少し綿密に分析する必要がある。第一に、「四大河川事業を中断するだけで小・中学校の無償給食の費用が出せる」という認識のおかげで、財政調達の問題は大きな争点にはならなかった。第二に、無償給食は学校給食という特定分野では「全面」福祉に当たるが、社会全体では「選別的」福祉に当たる面もなくはなかった。つまり、全面福祉対選別福祉と鮮明な線が引かれたわけではなかった。さらに重要な点は――これが第三に検討すべき事項だが――、タダ飯は貧乏人の子どもにだけ食わせればいいという反対派の論理が、かえって「貧乏な家の子どもだからと、他人の顔色をうかがいながら食べなければならないのか」という怒りを刺激した面がある。食事、それも子どもたちが食べるご飯でケチくさいことを言う、という共感帯が刺激されたのである。その上、「無償給食」は厳密に言えば「親環境の無償給食」であり、義務教育の当然の一部という論理まで加勢した。つまり、6・2選挙時の無償給食論争は他の様々な争点とうまく結合して必勝カードになったのだ。そうした配合もなしに、全面福祉自体が今後も同じ威力を発揮するかどうかは未知数である。
したがって、福祉を2013年体制の重要な内容とはするが、その実現のためには財政、経済成長、公正・公平、効率など多様な問題とうまく結合した設計が必要である。中でも、財政問題は福祉論議に必ずついて回るものであり、次の政権は現政権が急激に増大させた国家および公企業の負債を背負い込む運命にあるため、冷徹な計算が一層切実である。対北戦略強化を名分にして外国から高価な武器を購入する費用を含めて国防費を大幅に減らす特段の措置も必要であろうし、適正な経済成長を通じて税収や国富を増やす戦略も伴わなければならないだろう。

 

・福祉国家モデルに含めるべきこと

 

福祉国家論の基本的趣旨が、すぐに福祉を全面化することよりも国家モデルを「福祉国家型」へと転換しようというものなら、一層他の国家的・社会的目標と結合した福祉モデルを設計しなければならない。例えば、既存の生産と消費の方式を生態親和的に転換する「親環境福祉国家」モデルでなければならず、同時に「性平等を志向する福祉国家」モデルにならねばならない。また、福祉国家であるが国家の役割を最小化して協同組合や市民団体、そして福祉の受恵者個々人の能動的参加が極大化する「民主的福祉社会」を志向すべきだろう。
さらに、2013年以後進展する南北関係とどのように調和させるのかに関し、「汎朝鮮半島的な設計」が緊要である。例えば、スウェーデン・モデルが韓国に適合するという点を説得しようとする場合、韓国がスウェーデン・モデルを志向する時、南北連合の同伴者となる北朝鮮はどういうモデルを目指すべきかを提示できなければならない。南北がともにスウェーデン式(あるいは他のある先進国型)福祉国家になりうるというのは、国家連合段階を経ずにすぐに統一できるという話と同様、幻想的に聞こえる。その代案として、韓国はスウェーデン・モデルを志向し、北朝鮮は中国またはベトナム式の改革・開放へ進めばいいという主張もある。  現実において――寡聞にして知らないが――北の中国式改革・開放を期待する既存の包容政策の主唱者らは韓国の国家モデルの転換に関心が低く、韓国の社会民主主義的な変化を追求する福祉論者らには北朝鮮の変化に対する真剣な論議を見つけがたい。しかし、両者が相手の主張に好意的であるのは事実で、北の中国式改革と南のスウェーデン式変化が並行するというシナリオに対する深刻な問題提起はないようだ。 しかし、これもその程度は若干落ちるとはいえ、幻想的な二つのシナリオが同時に実現するという、また別の幻想ではなかろうか。反面、北がどうなろうと私たちは関係ないし、韓国だけで福祉国家をつくることが可能だという考えが「後天性分断認識欠乏症候群」の表現であり、すでに指摘した通り、それもまた別の幻想である。
南北連合において、それぞれがどんな性格の福祉制度をもつのかについては、私もその答はない。だが、段階的に分断体制を克服するという世界史に類例のない実験の一部であるため、福祉制度もまたいかなる前例とも区別される創意的なものにならねばならず、またそうなるしかないだろう。南北が異なる内容ながらも互いに参照して調節し、朝鮮半島の実情にあう混合型モデルを作っていかねばならないのである。そのために、2013年体制に緊要な福祉問題に福祉根本主義で接近してはならず、与えられた現実と現実の変化を絶えず注視しながら、精巧な設計を持続的に整えていかねばならない。
これは朝鮮半島的な視角だけでなく、東アジア的な視角にまで拡大する能力が要求されることでもある。南北がともに進む2013年体制ならば、当然6・15共同宣言とともに9・19共同声明の復元状態を意味するし、これは経済の低迷により相互依存と交流・協力が着実に増大している東アジアの地域協力を一層緊密で円滑なものにするだろう。この間、李明博政権が米・韓同盟に一方的に、それもあらゆる無理を重ねて依存したため、東アジアの連帯形成の過程で韓国政府の能動的役割はほぼ消えてしまった。2013年体制の形成はそうした役割――および民間レベルの画期的な交流拡大――を当然伴うだろうし、朝鮮半島の国家モデルを転換する作業もまた、そうした地域連帯を形成する脈絡の中で進められるだろう。

 

・より基本的なことと公正・公平問題

 

さて、2013年体制の設計には南北連合とか、福祉国家とか、東アジア共同体という壮大なビジョンよりも、はるかに基本的で、ともすれば初歩的ともいえる問題を含めるべきである。人間の社会生活で基本になるものを蘇らせる時代にしなければならないのである。例えば、大統領をはじめとする高位公職者や指導的な政治家はとんでもない嘘をついてはならないということ。もちろん、政治家すべてが聖人君子になれとか、国政の運営を完全に公開しろという話ではない。ただあまりにも頻繁に、あまりにも見えすいた嘘をつくとか、あまりにも簡単に言葉を変えては困るのだ。それでは社会がまともに動かないし、正常な言語生活さえ脅かされる。  私自身は2007年大統領選挙の直前に、「大韓民国を嘘つき共和国にすることはできません」というタイトルの記者会見に参加したし、李明博政権の進行を見守りながら「常識と人間的羞恥を回復する」ことや、「常識と教養の回復」を重ねて注文した(2007年12月17日各界人士33人の声明「大韓民国を嘘つき共和国にすることはできません」;拙稿「この100年を振り返り、新たな局面をつくる2010年に」、チャンビ週刊論評、2009年12月30日、http://weekly.changbi.com/411;「2010年の試練を踏まえ常識と教養の回復を」、チャンビ週刊論評、2010年12月30日、http://weekly.changbi.com/504、邦訳「常識と教養を回復する2011年を」『世界』2011年3月号、67~71頁)。 ともあれよく考えれば、それは福祉の毀損であり、政治的・経済的効率の墜落であり、平和と安定を阻害する要因でもある。その上、「四大河川の蘇生」とか「公正な人事」などは言葉で終わる話ではない。実際、常識を超えた反則と私益追求の行為が大々的に行われているのである。
こうした「基本的なことの回復」を2013年体制においてどのように具現するかは、現実に対する正確な分析と大衆の情緒を勘案した戦略的な選択を必要とする。その本格的な探求は私よりも準備が充分な人々に任せ、まずは思い浮かぶことを簡単に指摘すれば、国政目標レベルでは、前述した福祉問題との結合を提議した「公正・公平」という議題が、その中でも浮上するのではないかと思う。李明博政権の公正社会論  2010年8月15日の記念辞にあたり、李明博大統領は政権後半期の国政運営の中核的価値として「公正社会の実現」を掲げたが、その実態をめぐって国民から厳しく批判されている -訳注。も、結果的には特有の国語の混乱現象の一部になってしまったから問題であって、それ自体は韓国社会に切実に必要であり、国民が望むことに迎合したのは明らかである。これに対して金大鎬社会デザイン研究所所長は、「『格差の解消』に劣らず、いや、それ以上に重要な時代的イシューながらも、言説世界ではまともな待遇を受けられなかった『公正』という価値を、大統領の口からとはいえ政治・社会的イシューとしたのは幸いなことである」と一応評価した上で、「『公正』と『公平』を汚染させたのではないかと心配になる」と述べた。  金大鎬「『公正』と『公平』を汚染させるのではないかと気になる――李明博大統領の8・15祝辞をみて」社会デザイン研究所ホームページ、2010年8月17日(http://www.socialdesign.kr/news/articleView.html?idxno=6181)。 彼は「公正性(機会、条件、出発点の平等)」と「公平性(競争結果の合理的な不平等、特権・特恵の適正化)」を区別し、両者を同時に追求するが、特に進歩勢力が疎かにしてきた後者を強調すべきことを主張してきた。この公正と公平の正確な概念に関しては多様な見解が可能だろう。だが、大衆運動と現実政治のスローガンとしては、公正・公平・正直・正義などをすべて包括する一つの表現を選択する必要があるだろう。たとえ汚染したとはいえ、大統領のおかげで広く伝播した「公正社会」を専有しつづけるのか、あるいは「公平社会」とか他の用語を代案として使うのか、これもまた「選手」が衆智を集めて決定すべきことである。
要は、福祉言説だけではまともに受容しがたい時代的な課題を検討しなければならないという点である。例えば、盧武鉉大統領が力説した「原則と常識が通じる社会、特権と反則が通じない社会」は今も、いや、李明博政権を経た今こそ一層国民的な渇望の対象である。ただこの場合も、「競争社会の止揚」とか、「非正規雇用の根絶」のような観念的なスローガンではなく、韓国社会の具体的な不公正・不公平・不透明の構造に対応する精巧な処方箋が必要だろう。  これもまた金大鎬の持論(例えば、「進歩派の執権、そう難しくはない!」、社会デザイン研究所ホームページ、2010年12月23日、http://www.socialdesign.kr/news/articleView.html?idxno=6264)である。彼とは別途に金鍾曄も「過剰競争と過小競争の二重構造」を指摘しながら、「どこに競争を導入し、どんな競争を緩和すべきかを計る知恵深さ」を注文している(金鍾曄「進歩・保守の言説と競争の二重構造」、チャンビ週刊論評、2009年11月18日、http://weekly.changbi.com/312)。 検察をはじめとする放送通信委員会、国家人権委員会、中央選挙管理委員会など、政権からの独立が生命である国家機関の公共性を回復することも、公正・公平の名の下で実現すべき課題である。  その中で最も至急かつ困難な課題が検察の改革であるようだ。これに関し、第12回公正社会フォーラム(2011年4月15日)における徐輔鶴教授の発表「検察の現住所と法治主義の危機」を参照(http://www.socialdesign.kr/news/articleView.html?idxno=6344)。

 

・環境問題の様々なレベル

 

平和体制、福祉国家、公正・公平な社会などで、2013年体制のすべての主要課題を網羅することはできない。ただ、政治および運動のスローガンは限定された数でこそ威力があるために取捨選択が不可避であり、何を掲げるかは討論すべき事案である。例えば、教育問題は幅広い意味の福祉に含めることもできるが、2013年体制の中の教育に関する別途の具体的な設計が何らかの形であれ、提示されねばならないだろう。また、性差別の撤廃は平和と福祉、公平の言説とすべてつながるが、それ自体を「三大課題」あるいは「四大課題」の一つに浮上させるべきだという論理も可能である。
環境問題も同様である。私自身は、既存の生活様式を親環境的で生命尊重的なものに変える「生態転換」こそが、私たちの未来の設計で核心を成しており、前述した「基本的なこと」に直結すると考えている。だが、2013年体制の主要スローガンとして掲げるにはあまりにも長期的であり、汎人類的な目標ではないかと思う。ただ、それは遠大な課業であると同時に、今すぐ節約・節制し、配慮する生活態度から始めるべき性格のものであるため、平和や福祉、公正・公平などのあらゆる懸案にそうした認識が含まれねばならず、環境問題が政党の政綱・政策で占める比重は画期的に拡大されるべきであろう。
環境問題が短期・中期・長期にわたる様々な課題と結合していることを実感させてくれたのが、去る3月11日、日本の東北地方の大地震と津波による福島第一原子力発電所の事故である。日本政府の公式判定でもチェルノブイリと同じくレベル7の事故に該当する、この惨事から日本人と韓国人、そして世界がいかなる教訓を実際に得るのかを見守る必要がある。だが、今日の人類が後世の安寧には知らん顔して目前の便利さを追求し、無謀かつ無責任に生きていることを、気候変動よりもはるかに衝撃的に示したのが今回の原発事故である。同時に気候変動に対処する場合と同じく、今すぐ腕まくりしても解決には長久な時間がかかる問題である。何よりもそれは、私たち人間がいかに生きるかに関して近代の世界体制が提示し、陰に陽に強要してきたものとは異なる解答を探すことである。同時に、エネルギーの節約と親環境エネルギーへの政策優先順位の変更など、各種の中・短期事業をすぐに始めることが求められてもいる。
目前の課題としては原発の安全性の問題がある。これは技術的な能力だけでなく、関係機関の信頼性と責任性、そして情報の透明な公開など、民主主義および公正・公平原則に直結する問題である。その上、韓国では平和の議題との連結が格別であり、北との対決追求が様々な面から見て危険千万であり、狭い国土に多くの原子力発電所を建てながら、軍事力がちょっと優勢だと「一戦辞さず」を叫ぶ人々の無謀さは呆れてモノも言えない。
大きく見れば、これら全てが常識と教養および人間的羞恥の回復という問題に立ち戻る。そして、それが政権交代や政治主導の努力だけではできないことは明白である。問題は、数人の人々の無教養と非常識、そして不道徳でのみ起きることではなく、国民多数の生命軽視の習性と正義感の不足、そして歪んだ欲望に根ざしている点にある。一日や二日で正せることではなく、世の中と自らを同時に変えていく努力を各自の生活で着実に進める必要がある。とはいえ、社会の雰囲気が一新されて初めて多くの人々がきちんと始められることなので、とにかく2013年(または2012年)の決定的転換を夢見ざるを得ない。幸いにも、そうした転換に必要な骨身にしみる反省をする機会がこの3年間あまりにも多かった。その点で、私たちは李明博時代に感謝すべきかもしれない。

 

 

4.2010年末~11年初の朝鮮半島情勢

 

 

2011・12年に関する論議を後回しにしたが、実は、今年の朝鮮半島情勢と韓国の現実について、すでに直接・間接的に色々な話をしてきたわけである。朝鮮半島の平和体制を含む新たな現実に対する渇望が一層切実さを増したのも、昨年来の南北関係が休戦後最悪になり、それによって韓国の守旧勢力の非常識が極に達したからである。最近は朝鮮半島の緊張緩和のための米・中・北などの先制的な試みに韓国政府は徐々に引きずられている情勢ではあるが、2013年以前に画期的転換が起こるのは難しいという認識が依然不可避なようである。

 

・分断体制の末期的局面にある南北

 

昨今の朝鮮半島情勢に対する詳細な診断は省略する。ただ重ねて強調すべき点は、南北対決が先鋭化して戦争再発の気運さえ漂うにせよ、分断体制が再び固定化し、安定化する現実ではない。それとは反対に、分断体制は今や正しい克服の道が求められない限り、誰も安全には管理できない末期的局面に至っている。これはまた、単に南北関係の悪化のみならず、南北双方の内部でそれぞれ退化現象を生んでいると言える。
統一に冷淡な人々は、「統一しなくても俺たちだけでいい暮らしができればいいんであって、無理に統一しようと苦労する必要などあるのか」とよく言う。もっともらしい話である。いい暮らしというのがどういうものかは分からないが、統一しなくてもいい暮らしができるというならわざわざ統一問題で心を痛める必要はなかろう。問題はそれが可能か、ということだ。統一もせず、統一問題でまじめに悩むことなく生きようとしたら私たちの生活はどういうものになるのか、それをはっきりと示したのが2008年以来の歳月ではないのか。もちろん、この期間にいつの時代よりもいい暮らしができたと自慢する人もいる。だが、大多数の民衆は韓国社会が分断体制の克服過程から脱線し、逆走するたびに、まさに今のように日々切迫していき、殺伐として落ち着かず、憤りが爆発する生活をしていかねばならないと悟ったのである。
北朝鮮社会もまた分断体制の末期現象が表れているようだ。核兵器の開発だけとっても、北の当局は米国の敵対政策をその名分に掲げており、またそれは安保論理では全く理智に合わないとは言えず、大きく見れば、揺らぐ分断体制の枠内で政権と体制を守ろうとする必死の勝負手に当たる。ただ問題は、軍事強国化では隆盛な国をつくれないという点である。むしろ、民生と人権の改善をより困難にしがちである。北が誇る自主性のレベルでも、中国依存が深まったこの2~3年間は後退と規定せざるを得ない。権力の継承方式として、三代世襲を選んだのもその社会の危機意識を反映していると言えよう。ただ、それは韓国社会が非難の声を強めるほど何か突然の堕落現象ではない。分断体制下で正常な社会主義国家としての発展が難しいという点は以前から予見されたことであり、北の「王朝的」性格が次第に強まってきた現実が三代世襲構図の公開で劇的に表出したのである。それ自体だけみれば、こうした性格の社会で最高指導者が年老いて健康に不安がある場合、後継者を決定して党の態勢を整備するのは、それなりに分断現実の管理に有利な面もあるだろう。少なくても現実の安全な管理を最優先の目標とする場合、そうした可能性に対するまじめで、実用的な検討を省略できないだろう。

 

・天安艦事件と分断体制特有の責任転嫁

 

実は、分断体制が極めて厄介な理由の一つは南北それぞれが相手(北の場合は主に米国)に責任転嫁して自己省察・批判を封じる仕組みを内在している点である。その事例は南北それぞれ無数にあるが、昨年3月南で起きた天安艦事件はその典型である。  天安艦事件をめぐる論考としては、白楽晴「常識と教養を回復する2011年を」(『世界』2011年3月号)を参照 -訳注。 当局と大手マスコミは批判者がはじめから北朝鮮擁護に回っていると責めたてるのはいつもの手だが、そこまではいかなくても、批判者が天安艦沈没の「真相」を明らかにしないで「疑惑の提起」ばかりしているというのだ。しかし、政府によるデタラメ・歪曲・虚偽の発表と各種の国民を欺瞞する行為の真相は、既に明らかになっただけでも無数にある。それに対する責任をきちんと問い、法治を正しく立てさえするだけでも残りの真相が明らかになる確率は何倍も増すのである。実際、こうした法治毀損と国家機構の紊乱こそ、真の保守主義者ならば先頭に立って糾弾してしかるべきである。
それでもこうしたことがきちんと問題にされないのはなぜか?政府が「やれるもんならやってみろ」とふんばるのが最も大きな理由であり、韓国の自称保守主義者の中に真に合理的で原則のある保守主義者が稀なのがもう一つの理由である。だが、国民はとにかく北の体制が悪い体制であり、北の当局は韓国政府よりはるかに悪い集団であるという認識をもっているためである。しかし、その認識が妥当だとしても、南で起こるすべての悪いことを北の仕業と断ずるのはとんでもない論理の飛躍である。こうしたデタラメな論理に囚われている限り、私たちに向上はない。  最近の農協インターネット破損事件が北朝鮮の仕業だったという検察発表も、私たちの向上を妨げる役割を十分に果たしているようだ。もちろん、私は事件の真相に関して一家言あるはずもないが、検察発表の信憑性については進歩系のマスコミはさておき、『東亜日報』ですら疑問を提起する状況(「"農協のハッカー"は北の仕業、専門家が見る検察発表の疑問点」『東亜日報』2011年5月4日A2面)である。こうした発表の最も深刻な後遺症は、今や真実を究明して私たち内部で必要な問責をしようとする努力が実質的に中断されるという事実である。軍や国家も防げない北朝鮮の攻撃にあった農協側の責任は大幅に軽減され、北朝鮮ではない他の犯人が犯した可能性に対する一切の調査が不必要になる。いや、万一北朝鮮を擁護する行為に問われる可能性さえ心配しなければならない。こういう風土では、今後他の類似事件が起きたとしても、北朝鮮さえ悪く言えば、他の努力は不必要になりうる。 韓国がそれでも北朝鮮よりいい社会になったのは、私たちがそうした論理に囚われずに向上しようと思っていたからである。責任転嫁が習性化した分断体制の中でも、私たち南の悪い点から正そうとした市民が4・19と5・18、6月抗争を起こして血を流して戦ったおかげである。
分断体制とは、南北が互いに敵対的で断絶した社会でありながらも同一の"体制"と言えるほど双方の既得権勢力が共生関係にあり、双方が悪い点を互いに似たものにしながら再生産される構造である。同時に、厳密な意味での社会体制ではなく、世界体制が朝鮮半島を中心に作動する局地的現実に該当するものであり、当初から南北分断を主導した現存の世界体制の覇権国を含めた数多くの外国勢力が介入して引き回してきた、多少緩やかな意味の"体制"である。  韓国および朝鮮半島に関連する三つの異なるレベルの"体制"に関しては、前掲『朝鮮半島統一論――揺らぐ分断体制』の第一章「分断体制克服運動の日常化のために」、29~32頁を参照。 それゆえ、朝鮮半島で起こった色々な不幸な事態に対し、分断体制の様々な主体がそれぞれどの程度ずつ責任を負わねばならないかを正確により分けることは難しい。とはいえ、北の人民の惨状に対して北の当局が第一次的な責任を負わねばならないように、私たち南の市民は李明博政権の成立以来、6・15共同宣言と10・4宣言など最高責任者の合意を実質的に否定し、南北関係を後退させた韓国政府の重大な責任に目をつぶることはできない。天安艦事件に対する政府の発表が信じられないものであるなら一層そうである。同時に、こういう政府を生み出し、こういう事態を防げなかった南の国民の責任もまた軽くない。私自身は朝鮮半島の問題解決にあたり、南の民間社会が南北当局に対して「第三当事者」として参加すべきだと主張してきた。  例えば、前掲『どこが中道で、なぜ変革か』第7章「北の核実験以後:南北関係の"第3当事者"としての韓国民間社会の役割」を参照。 そうした自負心を守ろうとするなら、2012年韓国の選択を私たちの緊要な課題としないわけにはいかない。

 

 

5.2012年韓国の選択と2011年の課題

 

 

2012年が特別なのは、国会議員の総選挙と大統領選挙が相次いで行われる年だからである。まして、大統領選挙にわずか8カ月先立って総選挙が行われる。したがって、総選挙の勝利が大統領選挙の勝利のためにも決定的に重要だろうという分析を既に大勢の人が行っている。  李海瓚元総理もそのうちの一人である(李相敦・金皓起の対話「李海瓚元総理に会う」『京郷新聞』2011年4月25日、第5面参照)。 かつて一度の選挙敗北が国民の牽制心理を刺激し、次の選挙では逆に有利に働くことも少なくなかったが、二つの選挙の間が短い場合――2007年大統領選挙直後の2008年総選挙がそうであったように――、牽制よりは安定した国政運営に民心が傾くのが普通である。その上、李明博政権とハンナラ党支配の国会4年を経ても、総選挙で彼らを懲らしめられない野党ならば、唯一大統領だけは自分の側から選んでほしいと国民に訴える面目はつぶれるのではなかろうか。実際に、2010年6・2地方選挙から今年4・27補欠選挙への流れを見れば、野党がやり方によっては次の総選挙での圧勝も望める状況が近づいている。

 

・人物を変えただけの「ポスト李明博」への期待は再度の「あまりに"小願"」

 

さて、第18代大統領選挙は李明博大統領の退任を前提にした選挙である。そこで、李明博政権の初期から大統領と一定の距離を置いて時には衝突もして世論の高い支持率を維持してきた朴槿恵前代表が、ハンナラ党の候補となる公算が大である。彼女の人気は単に先代[両親である朴正熙と陸英修]の後光のおかげだとか、李明博大統領の教養不足と政治的信用のなさからくる反射利益に過ぎないという一部の評価も全面的には首肯しがたい。むしろ並外れたセンスと経験豊富な政治家という見方が有力であり、早くから福祉国家を主張してきたので全面的福祉をめぐる与野党間の論争をわき目に最大の受恵者になる可能性がなくはない。「亡国的ポピュリズム」でも「反福祉主義者」でもない中道的な福祉論者として、その上少なくても約束した範囲の福祉だけは確実に実行する「原則と信頼の政治家」として自らを印象づけうるのである。
しかし、たとえ様々な美徳や長所をもっているにしても、私たち国民が朴槿恵政権を李明博政権の代案として選ぶなら、2007年に次いで再び「あまりに"小願"」をかけた格好となるだろう。本当に2013年に世の中を大きく変えるというならば、李明博政権との単純な距離の維持ではなく、その暴走に対する骨身にしみる省察と憤怒を表出すべきであり、南北が共有する2013年体制を自らの既得権に対する最大の脅威とみなす勢力を制御できなければならない。また、「いい暮らしをしよう」というスローガンの下で人間らしい生の試みがあちこちで踏みにじられた時代とその延長線上での施しの福祉を超え、質的に異なる「いい人生」に対する設計がなければならない。単に、「李某などよりは朴某がはるかにいい」という調子では、一時は部分的な改善があるにせよ、結局は現体制の混乱がさらに続くほかないだろう。
問題は野党勢力であり、そうした"誓願"とビジョンがあるのかという点である。その上、大統領選挙の性格上ビジョンだけでなく人物がいるのかという問いが続くわけである。とはいえ、人物不在論は一方で冷静な現実認識の表現ではあっても、他方では相変わらず"小願"にとどまる――全泰壱烈士の表現を借りれば、「希望するものが少ない」人々に共通する弱点を脱皮できない  「人々に共通する弱点は希望が少ないということである」(『ある青年労働者の夢』、トルベゲ、1983年、170頁)。改訂版『全泰壱評伝』(趙英来著、トルベゲ、2001年)の該当ページは確認できなかった。――惰性的な発想である。各自が最大限の情熱と勉強によって世の中を変える事業を起こすよりは、誰か「人物」が登場して解決してくれるのを望む心情が作用しているのである。
2008年のロウソク・デモ  2008年春~夏、米国からの輸入牛肉をめぐる問題で携帯メールなどを通じて自然発生的に高揚した高校生など若者を中心にデモおよび集会が催された -訳注。や最近のエジプトの市民革命に見られるように、今はむしろ指導者に縛られることなく大衆自らが力を発揮する時代である。そして、こうした事件を可能にした「ソーシャル・ネットワーク・サービス」は、今後一年ないし一年半の間にもう一度見違えるように発達して広がるだろう。もちろん大衆デモとは異なり、選挙では候補者が必須である。だが、2012年がいかなる選挙とも異なって世の中を大きく変える転換点に当たるというならば、重要な点は多くの市民が志を立てて覇気を奮い立たせることであり、候補には新しい人物が出ることもあるし、既成の人物が成長してなることもある。

 

・4・27補欠選挙と連合政冶の未来

 

そうした点で、2012年に大統領選挙よりも総選挙が先にあるというのは野党にとって幸運といえば幸運である。野党勢力全体を率いる人物が総選前に浮上すればより望ましいが、そうならない状態でも総選候補が連帯と連合の力で、そして"2013年体制"に向けた共通の政策構想を掲げて勝負する貴重な機会をもつだろうからだ。
同じ論理で、今年4月の補欠選挙は総選勝利に備える価値ある機会だった。共同政権の構成というテコが作動する大統領選挙よりも、国会議員を一人ずつ選ぶ総選挙の場合に連合政冶はより難しく、数議席にもならない補欠選挙ではさらに難しいのが定説である。だから、補欠選挙における連合はあえて断念して単一統合政党の結成に尽力すべきだという論理も出たが、小さな隙間でも最大限埋めていこうとする誠心誠意の大切さを確認できたのが今回の野党勢力の勝利である。選挙を通じて李明博政権の審判を可能にする「一対一の対決構図」を求める民心はいつの時よりも明白であり、同時に有権者が単一化の過程なり、選ばれた候補の人物も冷厳に判断していることが示された。
したがって、連合政冶も一層の進化なしには1年後の総選挙をうまく勝利できないだろう。その最善の経路が「統合」(=単一野党の建設)なのか、「連合」(=部分的統合を経ながら、結局は複数野党間の連帯)なのか、という論議ももっと行う必要がある。ただし、「連合はうまく行かないので統合以外にない」という断定や、「今回とにかく多党連合の効果がなくはなかったので、次もこういう調子でやればいい」という安易な考えを超えた論議にしなければならない。そして、統合しようと連合しようと、あらゆる政党が独断主義と覇権主義に振り回されない自己革新を遂げなければならない。
何よりも重要なことは、2013年以後どういう世の中のために連合政冶をすべきなのか、に対する広範な国民的共感を形成することである。そうした共感が人々の心の中を熱くする状況ならば、その念願を達成できる方法は何でもよいという寛大な心情が根づくことであり、小集団の利益のために唯一の経路にひたすら固執する政治家の立地は狭まるだろう。

 

・"心田を耕す"  仏教用語で曹洞宗の「定義」では、心が一切法・一切功徳を生じることから、田が百穀を生育することに喩えて心田という。本来の自己とは心田そのものであり、心地ともいう(『正法眼蔵』「面授」巻より)-訳注。勉強と世の中を変える事業を同時に

 

2012年韓国の選択は、南はもちろん朝鮮半島全体のために、さらにフクシマ以後新しい道を模索している日本を含む東アジア全体のために決定的に重要である。だからと言って、2011年を選挙準備のためにのみ送っていては、選挙の勝利さえ難しいだろう。
市民運動の多様な現場で働いてきた活動家には、この点をあらためて強調するまでもない。市民運動の日常的な努力が蓄積された基盤の上での選挙の勝利だけが世の中を変えうるはずだが、選挙まで待てない仕事があまりにも多いのだ。今も双龍自動車の解雇された労働者の死が相次いでおり、三星電子労働者は労災の認定も得られないまま死亡したり、重病に苦しんでいる。いや、まともに暮らせるという階層の子女や老人も自殺率が高く、いわゆる「まともな暮らし」の空虚さを証言している。四大河川も死にゆく生命の一部であり、そこに依存して生きてきた多くの生霊の虐殺がどういう因果応報で戻ってくるのかと思うだけでもぞっとする。「浸出水」[口蹄疫にかかって埋めた動物の死体から出てくる液体で、梅雨時に再び問題化している] による環境災害の可能性は、最近他の事件によって忘れられた感じだが、人間が勝手に密集させて飼育し、勝手に大量虐殺処分した獣の怨魂が安らかに昇天できるのか見守る必要がある。
まあ、こんなに国中がめちゃくちゃでも、まずは自分の食べ物があって自分の家の価格が少しでも上がれば後はどうなってもいい、この国にそんなに批判があるなら北に行って暮らしたらいい、といった調子で暮らしていたら各自の心までも荒廃してしまうものだ。こうした荒廃した"心田"から独裁政治や不公正な社会が生じ、ともすると獣の代わりに人間が大量に殺処分される戦争が起きたり、大規模な災害に見舞われたりもする。それゆえ、"心田を耕す"勉強と世の中を変える事業、市民社会の各分野で日々の問題を解決する作業と朝鮮半島に平和体制を設計して南北連合を準備する作業を、同時に進めていかねばならない。"市民参加型統一過程"とは、まさにそういうものなのである。

 

日本語文翻訳:青柳純一