韓国文學に開かれた未来を : 現段階における小説批評の争点と課題
特集 | 2010年代の韓国文學のために 2
韓基煜(ハン・キウク) englhkwn@inje.ac.kr
文學評論家、仁濟大学校英文科教授。主な評論に「文學の新しさはどこから来るか」、「世界文學の双方向生とアメリカマイノリティー文學の活力」、「文學の新しさとリアリズムの問題」などがある。
はじめに 時間の表象として「2000年代文學」が終ったことは確かであるが、「2010年代文學」と称しうるものが始まったかは未知数である。2000年代の詩は既存の抒情詩の慣れた語法からの脱皮を課題として、芸術的更新を活発に図ったし、後半期には「文學と政治」の議論を主導しながら創意的な活力を得たりもした。小説もまた、詩のジャンルと同じような自己刷新の努力はあったものの、時代現実から距離を置く傾向が主導しながら、具体的な生から力を得る小説ジャンル特有の活力を遺憾なく示すことはできなかったと思う。たとえ「2000年代小説」より闊達な新しい性向の小説が現在、生産されていても、韓国小説の将来を懐疑する激しい声に埋もれてその存在感を現わせずにいるようである。「2010年代文學」を論じるに先立って、韓国小説に対するこの頃の暗い展望がどこから始まったか、そのような展望がどれほど妥当なのかを見てみる必要があるのである。
韓国文學(の将来)を暗く考える理由は、いくつかあり得る。実際、1990年代以来、韓国文學は危機でない時が稀れであった。いわゆる「本格文學」はテレビと映画、インターネットとスマートフォンなどのメディアの発達によって、その存在基盤が無くなるという悲観論が優勢になったり、ジャンル文學と大衆文學に読者を奪われて結局、少数のマニアの関心事へと転落するだろうという予測が出回ったりもした。電子本(e-book)の登場で、紙本印刷基盤の文學は衰えるしかないという主張もあった。大衆文化の拡散と媒体環境の変化が大きな影響を及ぼしながら、文學の社会的位置が以前より不安定で、その存在方式が流動的に変わったことは確かである。しかし文學外部から渡来するこのような危機が、韓国文學に決定的な打撃を与えたとは言いにくい。これらの危機はだいたい誇張されたりもしたし、韓国文學の対応力も強かなものがあったのだ。
より本質的な危機は文學内部から生じるものであった。例えば文學特有の方式でわれわれの時代における生の新しい面貌と、核心的な問題が取り上げられるかと問う際、ぶつかり合える危機がそれである。「近代文學の終焉」論が席巻して以来、少なくない批評家たちがこの問いに対して暗鬱な展望を出したと思われる。彼らはそのような問いを自己課題として見なしていた「近代文學」というものそのものが終わったし、全く異なる種類の文學─「近代文學以後の文學」─が始まったと主張し、そのような課題と突き放せない長編小説の将来に対しても懐疑的である。正確にどれほど多くの批評家たちがこのような展望を持っているか確認できる方法はないが、2000年代の小説批評において鮮やかな主張を繰り広げた金永贊(キ厶・ヨンチャン)と金亨中(キ厶・ヒョンジュン)を含めた相当数の批評家たちがこれに当て嵌まると判断される。
近代文學の終焉論以後、韓国文學は資本主義市場の商品化要求に段々露骨的に追い立てられる一方、文學内的にも深刻なる変化と混乱に遭っているのだから、なまじいな楽観的展望を出しておく階梯ではないということは確かである。しかしもう一方では、このような不利な与件のなかでも多数の小説家と詩人が芸術的な自己刷新の奮闘を止めないでいるし、そのおかげで韓国文學が強かな成果と活力を示していることもまた、否認できぬ事実である。金永贊と金亨中の評論を中心に韓国小説に対する暗い展望の持った虚実を捉えてみようとする本稿の趣旨は、だからこそ彼らの悲観的な展望を楽観的な展望をもって対応するという意味であるよりは、不利な与件のなかでも韓国文學の希望の根拠を見い出そうとする批評的な努力を諦めることはできないという意味に近い。
断絶論的な文学史認識の問題
金永贊は「近代文學の終焉」を確信し、自分の確信したところを明らかにしておく必要があるといったふうに、「われわれに必要なことは近代文學に向った憂鬱の態度を胸の片隅で捨てないながらも、また一方でそれの死を哀悼し、死の以後、続くべき新しい生の姿を模索すること」 金永贊、「終りから眺めた韓国近代文學」、『批評の憂鬱』、文藝中央、2011、33頁。以下、この評論からの引用は頁数のみを記す。 だと力説する。「近代文學」というものが死んだとしたら、彼の主張通り、謹んで哀悼することが正しいかも知れないが、生きているならば生者の前で泣き悲しむかのようなことではなかろうか。とにかく一次的に問い詰めてみるべきことは、「近代文學」というものが本当に死んだのか、それとも生きているかを判別することであろう。
面倒なことは「近代文學」が何を指し示すのかは、文學の伝統によって、それから個別の評者によって異なるという点である。金永贊が拠り所としているのは、柄谷行人の「近代文學」概念であるが、終焉論を受け入れる他の評者たちと同じく、彼もまた、「近代文學の終焉と、それ以後の文學」という構図を綿密に検討しないまま、韓国文學に殆んどそのまま当て嵌めている。日本人と韓国人の近代経験が異なる分、彼らの成し遂げた「近代文學」も相当異なるはずだが、その違いに対する考慮はない。 筆者は柄谷の「近代文學の終焉と、それ以後の文學」というフレームの妥当性に疑問を提起しながら、それが「「分断体制の克服」としての統一を始め、近代適応・近代克服の二重課題が残っているわれわれの状況には明らかに合わない。わが文學を「近代的」文學と「脱近代的」文學という二つの傾向で分けることができるならば、その両者は柄谷の設定したものとは性格が異なるし、それほど断絶的でもあり得ない。多くの優れた作品が両者の境界に置かれたり、両者の属性を同時に持っているからである」と論評したことがある。拙稿「文學の新しさはどこから来るか」、『創作と批評』2008年冬号、47頁。 金永贊の論法に異なる点があるならば、「哀悼」という用語の使用から感じられるように、「近代文學」の死をすぐさま既定事実化して、「近代文學」と「それ以後の文學」を断絶させようとする意志が取り分け強いということである。
もう一つ目立つことは、「近代文學」と「それ以後の文學」の分岐点に対して他の評者たちよりずっと、具体的な仮説を作り出したという点である。例えば、彼は「近代文學の終焉」の社会経済的背景として「IMF外国為替危機以後、急速に新自由主義的な市場全体主義体制へと再編された韓国社会の構造的変化」(22頁)を挙げているが、その理由については次のように述べる。
20世紀中、近代文學の活力を保証し、それの影響力が持続できる条件を提供したものは、逆説的にもまさにその不完全な近代化であった。従って「低開発の近代」が終焉を告げた際、具体的に言うならば、IMF外国為替危機以後、市場全体主義体制が大衆意識を含めた韓国社会のすべての領域を植民地化することで「不完全な近代化」の終息を告げた際、韓国社会で近代文學の可能性の条件は、すでに(文學(者)自身の意志とは関係なく)社会の内部で焼尽されていっていたと見なすことが正しいだろう。(31頁)
引用で金永贊は韓国文学史の時代区分を新たに定立しようとする、一種の巨大談論を繰り広げている。韓国近代化の始発点から現在に至る期間中、最も決定的な分岐点が1997年のIMF外国為替危機だという彼の主張は、言わば「97年体制論」としても特別に過激な形態に当たる。IMF外国為替危機を前後にして、韓国の社会経済的な土台と文學の可能性の条件が本質的に変わるということ、つまり「「終焉」として名付けられた韓国文学史の断絶と文学的形質の変化」(19頁)が起るというものである。この断絶論は近代文學の終りを、柄谷が念頭に置いていた「リアリズムの終焉」ではなく、「近代に対する美的反応として(広義の)モダニズムの終焉」(23頁)として提示しながら、70~80年代の文學は勿論のこと、90年代の文學までをも「近代文學」として括りしめて、それと「それ以後の文學」との本質的な違いを強調する。
IMF外国為替危機を分岐点とするこの断絶論は、2000年代の文學を唯一無二の主人公として立たせるには好都合かも知れないが、無理な断絶による深刻な問題を引き起す。まず、97年体制論がそうであるように、IMF外国為替危機以後の変化─金永贊の表現では「新自由主義的な市場全体主義体制」─を全一化・絶対化することによって醸し出される無理がある。例えば、「IMF外国為替危機以後、市場全体主義体制が大衆意識を含めた韓国社会のすべての領域を植民化」したことが事実であるならば、今後、意味ある社会運動や文學運動は可能でないだろう。引用に続くくだりで金永贊は「近代文學が育った土台として社会全体を一つに括り出す疏通と共感のネットワークは失われた」(32~33頁)と診断するが、もしそうだとしたら、何ヵ月の間、数百万の市民がオン・オフラインのネットワークを通じて疏通しながら自発的に参加した2008年のキャンドル・デモは如何に可能であったのか。植民化の進展を否認するのではなく、IMF外国為替危機以後にも「大衆意識を含めた韓国社会のすべての領域」が植民化したわけではないということである。そして、より重要な点は敗北主義の談論でない以上、植民化に向かい合う主体たちの行為を大事にすべきだということである。
IMF外国為替危機が民生に直撃弾を与えて、それを切っ掛けに韓国史の流れに重要な「変化」があったことは事実である。しかし重要な変化としては、87年民主抗争以後の変化をより根本的に見なすことが、妥当な時代認識である。このような「87年体制」論の観点からはIMF外国為替危機以後の時代は同質的なものではなく、民主主義と市場経済との力の均衡が曲がりなりにも保たれていた金大中(キ厶・デジュン)・廬武鉉(ノ・ムヒョン)時代と、民主主義が急速に崩れながら市場万能主義が横行し、法と常識が踏み躙られる李明博(イ・ミョンバク)時代とを区分することが可能となる。李明博時代が「87年体制」の末期局面に当たるという認識があってこそ、「87年体制」を克服する変革のロードマップが可能となるわけだから、IMF以後の変化にも注目して当たり前である。 97年体制論は朝鮮半島次元の重大な変化を論じ得ない限界を持っているということも指摘しておくべきであろう。すなわち、97年の危機を克服する過程で、朝鮮半島次元で画期的な6․15時代が開かれたが、李明博政府が始まってからそれらの成就が一つずつ崩れながら天安艦事件以後の危機局面を迎えたし、それが87年体制の末期局面とかみ合っているという事実が全く考慮できない。ここで「6․15時代」を取り上げるからといって「6․15時代の文學」を主張するのではないことを、明らかにしておく。筆者は「6․15時代の文學」という発想を提示したが(拙稿「韓国文學の新しい現実読み」、『創作と批評』2006年夏号、1節「新しい現実と時期区分の問題」)、自己批判を通じて立場を修正した(拙稿「文學の新しさはどこから来るか」、『創作と批評』2008年秋号、3節「文學と時代的課題」)。なのにその後でも評者たちが筆者を挙げながら「6․15時代の文學」を批判することは納得しにくい。金永贊、前掲評論、17頁;オ・チャンウン、「分断ディアスポラと民族文學」、『実践文學』2010年冬号、77頁参照。
このように金永贊の断絶論は韓国(文學)史の時代区分を正しく設定したかの問題もあるが、より深刻な問題は社会経済的土台の変化に従った、ただ一つの決定的な「断絶」と、それによる「構造的変化」のみを強調するだけで、主体の行為と結合して生じる歴史的事件、それからその事件が作り出す市民社会の変化とリズムは考慮しないという点である。金永贊自身が2000年代小説の特徴として一貫して強調してきた「脱内面の想像力」と「矮小で諦念的な主体」というものも、このような固着的な時代認識と構造主義文学観の反映である面がある。その結果は自縄自縛の苦境として現れる。70~80年代の民主化闘争期の文學は勿論のこと、87年民主抗争以後の90年代文學も、「近代文學」という名のもとで死の宣告を受けるし、申京淑(シン・ギョンスク)と孔善玉(ゴン・ソンオク)を始め、中堅作家たちの優れた近作も、2000代の「生きている」文學の目録から除外すべきであり、2000年代に登壇した若い作家たちの小説もまた、金永贊自身が規定した特徴に当て嵌まらない限り、同じような運命に遭わされることとなる。断絶を固執すればするほど、われわれの時代における韓国文學の可溶資産は減るしかない境遇であるが、金永贊批評の「憂鬱」はここから始まったものかも知れない。
金永贊の主張通り、2000年代の少なくない小説が「脱内面の想像力」と「諦念的な主体」という特徴的な面貌を示したことは事実である。しかしそのような特徴を、2000年代小説文學の真正なるアイデンティティを検証する認識票のように使っては困る。2000年代に生産された色んな傾向の小説のなかで、そのような特徴を持っていない作品も多いだけでなく、却ってそのような特徴が弱いからこそ、優れた作品である可能性が高いのである。それにそのような特徴は固定された実体ではなく、歴史的な流れに沿って変わるしかない。このように部分的で可変的な特徴に基づいて2000年以後の小説と、以前の小説を確然と区分する「断絶」の境界を設定することは、本末転倒ではなかろうか。
新しい文學の端緒を探すことは、このような「断絶」の境界を払い除けて、私心なく作品に対するところから出発するしかない。「近代文學」かどうかを問う次元に縛られないで、作品一つ一つの真価を評価することに焦点を合わせようということである。「朴玟奎(バク・ミンギュ)の小説を読んで、よく正統文學の反対側に立っている、ある文學だと言うんじゃありませんか。ところが、むしろ逆にそれこそ正統により近い文學じゃないかという話しもできると思います。一つのスタイルで一つの所に留まらないで、実験を止めない態度や精神の側面からですよ。正統は溜まっているわけではないですからね」 グォンヨソン・朴玟奎の対談中の金永贊の発言、「匠の精神で、冒険者のエネルギーで」、『文藝中央』2011年春号、506頁。と語る際、金永贊自身がすでにそのような批評を行っているのではないか。
長編小説の未来はないか
大多数の批評家たちは、長編小説の活性化の可否が韓国文學の未来を条件付ける重要な変数となるだろうと考えている。評者によってはこれを決定的な変数として数えたりもする。実際、2007年夏號の『創作と批評』の特集「韓国長編小説の未来を開こう」が相当な呼応を得たことは、長編小説ジャンルの「低開発」状態が韓国文學の発展を制約する重大な要因だという、幅広い共感があったからこそであろう。これらの議論を切っ掛けに、短編を主とする文學制度と慣行が多く改善され、文學雑誌の長編連載が増えた。また、ウェブジンとブログを含めた多様なメディアに連載機会が増えながら、長編小説のブームが起り始めた。すでに何人かの中堅作家のみでなく、相当数の新鋭作家も長編を連載することが現実である。
しかしこのような見かけ上の膨張と好況が実りある発展へと帰結するという保障はない。確かなことは、「創造的な長編小説の時代」を実現することが難しい分、それが成功する場合には韓国文学史に新たな場が開かれるということである。韓国長編小説の未来に対する金永贊と金亨中の懐疑的な展望を検討しながら、希望の根拠は果たしてないか見てみよう。
まず常識的な事柄から見てみよう。最近の何年間、長編小説は急に増えたが、よい作品の数は以前も今現在も同じだという指摘がある。冷静に事態を分析すると、意外の結果ではない。文學制度と環境が短編から長編を主とするものへと変わったとしても、小説家たちの、長編を書く能力がわずか何年のうちに飛躍的によくなることはあり得ないからである。それに長編を書く準備の整っていない作家たちまで連載に引き回されながら、長編小説の平均的な質的水準は却って低くなったかも知れない。なので「韓国文學が望んで止まなかった素敵な長編小説は、相変わらずその行方が分からない」という金亨中の発言 金亨中、「長編小説の敵:最近の長編小説に対する断想」、『文學と社会』2011年春号、253頁。以下、この評論からの引用は頁数のみを記す。は、外形的な好況の裏面における相変わらずの貧困を突いている意味がある。だが、時宜にかなった論評だとは言いにくい。現在における批評の課題は量的膨張の虚実を指摘しながら、長編小説の実りある発展に必要なものは何なのかを熟考することではなかろうか。そのためには、「韓国文學が望んで止まなかった素敵な長編小説」とは何なのかに対する議論があるべきである。
この問題を論ずる前に、現在の長編小説の活性化が文學の内的な要求によるものではなく、出版市場の要求に突き動かされたという視角を先に見てみる必要がある。例えば、金永贊は「長編小説の活性化は外部によって強いられた人為的な活性化」だと断言しながら、「今の韓国小説は長編の活性化を代価にして市場全体主義システムの真ん中に追い出されている最中」だと論評する。 金永贊、「文學の後に来るもの」、『批評の憂鬱』、35頁。以下、この評論からの引用は頁数のみを記す。 金亨中もまた、同じような見解を遠回しに示す。 金亨中は許允溍(ホ・ユンジン)の論文から特定のくだりを引用した後に、「長編小説のルネサンスは事実においては出版資本の要求に応じたものであって、韓国文學の創造的な活性化に役に立ったものではないというのが、許允溍の診断」(251~52頁)だと解釈するが、この解釈には自分の診断も載せられているようである。許允溍、「信頼と永遠:韓国長編小説の可能性」、『子音と母音』2010年冬号、862頁参照。 ところが、長編小説の活性化こそ、韓国文學における長年の宿題であったこと、だからこそ、2007年の『創作と批評』特集で多数の作家たちが小説文學を長編を主として再編する必要性を披瀝したことを考え合わせると、昨今の長編小説のブームは韓国文學の「内」(作家と批評家と読者)と「外」(出版市場)との要求が噛み合った結果に近い。従って、その結果に対する責任は出版市場にのみあるのではなく、作家と批評家、読者にもあると見なすべきだ。特に批評家の責任は重大である。長編小説の活性化を切っ掛けに市場の影響力が拡大した分、文學の商品化を警戒し、その芸術性を守ってあげる批評のことが何より重要となるからである。
長編小説が近代文学における最高のジャンルだということに大きな異見はないが、問題はこの際の「近代文学」の概念が評者ごと異なりうるということである。先に触れたように、金永贊の場合、「近代文学」とは「不完全な近代化」を条件とし、その土台は「社会全体を一つに括り出す疎通と共感のネットワーク」である。彼の断絶論はIMF外国為替危機以後、そのような「近代文学」の条件と土台が崩れたというものであり、だからこそ彼は「今の韓国小説はある意味ではそのような近代的ノベル(novel)に求められる資質そのものを、そもそも自分の遺伝子として持っていない、むしろ最初から顔をそむけ、拒否した文学」(38頁)だと断言する。付け加えれば、長編の叙事を可能とたらしめるものは、「世界に対する主体の態度としての対決の自意識」であるが、「2000年代の文学は、世界と対決しない文学」だということである(39頁)。同じような脈絡から「文学と政治」の議論においても「ただいま韓国小説に政治はない」(44頁)と結論を下す。文学の政治性が議論できるためには、「主体を脅かす外部現実に対する強烈な対他意識」が必要であるが、2000年代の韓国小説はそのような意識に欠けているということである(45頁)。 筆者の考えは違う。支配体制のイデオロギーに逆らう、新しい男女関係に焦点を合わせて小説の政治性を論じた拙稿「文学の新しさと小説の政治性:ファン・ジョンウン、キ厶・サグァ、朴玟奎の恋物語」、『創作と批評』2010年秋号参照。
金永贊によると、2000年代韓国小説の難局は、それが自己内部で長編叙事と政治性に必須的な要件を徹底的に欠如した状態で、「外によって」長編の活性化を強いられたときに生ずる。このような難局ではとうてい楽観的な展望がありそうもないが、彼は一つの可能性を残している。それはすでに取り返しのつかないように長編の道へ踏み入った韓国小説が、自己内部の「欠如」を裏切って、それを超える道である。
小説がそもそも市場のジャンルであったということは、それが市場と資本の子という事実だけでなく、公共的な疎通と共感のネットワークのなかで転がりぶつかりながら自分自身を実現してきたということを意味するものでもある。だからこそ、もしかしたらこの騒がしい長編の時代が、韓国小説がその外との意味ある交通と衝突を通じて、最近の矮小な「文学性」を超えて文学性の実践的な再構成へと進んでいける望外の機会を与えてくれるかも知れないという期待を持つこととなる。(…) キ厶・ヨンスを始め、私たちのよく知っている何人かの作家は言うまでもないが、最近頭角を現している新人たちの小説からも、まだ荒らくて未熟ではあるものの、ポスト-IMF時代の韓国小説が忘れてきた不和と対決の自意識が、少しずつ構造的・意識的制約に逆らって何とか育っているということがわかる。これもまた、長編の道に立たされた韓国小説に対する慎ましい楽観を手放さないべき理由である。(49頁)
終始一貫して断言調の否定的な議論であったに比べて、結論は以外と楽観的である。しかしこの結論が覚束ないのは、先の彼の断絶論と2000年代小説の「欠如」─そして、それと離せない「脱内面の想像力」と、「矮小で諦念的な主体」という規定─の根拠に対する反省が共に成されていないからである。前の文ではIMF外国為替危機以後、「近代文学が育った土台として社会全体を一つに括り出す疎通と共感のネットワークは失われた」としたが、ここではそのようなネットワークが生きて働いているかのように陳述している。もしかしてこのようなネットワークが回復されながら、ポスト-IMF時代が終り、新しい時代が開かれる可能性を想定しているのか知りたい。とにかく「慎ましい楽観」は彼の提示した議論からは、その根拠を見い出しにくいし、「私たちのよく知っている何人かの作家たち」や「最近頭角を現している新人たち」が誰を指し示すのか定かでないので、容易に共感はできない。
長編小説の未来に対する金永贊の「慎ましい楽観」がどれほど説得力のあるかは、最近の小説に対する彼の議論の的確性と直結される。李起昊(イ・ギホ)と片惠英(ピョン・ヘヨン)の長編を含めて、最近の多くの小説が「抽象的なアレゴリーに閉じこもっている」(41頁)という評は、あまりに断定的な批判ではあるが、共感できないわけではない。2000年代の若い作家たちの短編から「設定だけ変えて続けられる発想と文法の反復」のメカニズムを「自己消費的・自己充足的な自律性」であると批判する場合や、韓裕周(ハン・ユジュ)の小説が極端的に示す最近の小説の傾向について、「相互テクスト性の反復的な遊戯のなかで、現実との緊張と不和は、一つの「ポーズ」や言語内部で慣習的に消費される発話として解消されてしまう」(47頁)と評する際の果断さは繊細で鋭い。だが、残念であったり覚束ないところも少なくない。まず、長編小説の可能性の可否を論ずる評論で、最近の作品のなかで批評的争点となった申京淑(シン・ギョンスク)の『母をお願い』(2008)と、朴玟奎の『亡き王女のためのパブァーヌ』(2009)に対する言及がないということがそうである。前者は「近代文学」として分類されて、最初から除外したものかも知れないが、後者は自分が2000年代小説の代表的な作家として数える作家の新作長編であるだけに、必ず論じあげるべきテクストではなかろうか。
他の評論では、朴玟奎の『ピンポン』(2006)を取り上げるが、重要な長編小説として対するよりは、SFを活用した小説の例として、それから「無力な悲観の抽象化戦略」をうまく示す作品として論ずるだけである。彼はいきなり宇宙を持ち出す朴玟奎式の話法を「今ここの生に対する無力な悲観の表現」だと見なしながら、「『ピンポン』の、あの宇宙論的戦略から暗示されるそのような無力な悲観は作品全体を支配しているが、地球を初めから「アンインストール」するという結末の発想も、その中で何とかやってみる可能性を最初から自ら遮断してしまう、極端的な受動性の表現だという点でその悲観と触れ合っているもの」と結論を下す。 金永贊、「韓国小説のジャンル文学的想像力」、『批評の憂鬱』、55頁。 ところが、彼が論拠として引用したくだり 「どうしろということなのか?//ところで要するに、そんな銀河がまた千億個ほど集まっているということよ。この宇宙にはね。どう、どうでもいい…そんな気しない? 何が? 地球のようなものなのよ… そこでどのように生きるにせよ… いや、そんなの本当にありはあるのか? この地球や…言わば…われわれといったものなのよ//本当に…どうしろということなのか?」朴玟奎、『ピンポン』、創批、2006、169~70頁。と、 さらに作品全体で「モッ」と「モアイ」の「無力なる悲観」のみを強調することは、核心を逃すことである。彼らがそのような「無力なる悲観」を切っ掛けとして一種の禅問答式修練─自分を限りなく下げる、仏教の「下心」に当たる修行─を行う面があるということこそ、注目すべきところではなかろうか。要するに、彼が2000年代小説の「諦念的な主体」という像に執着しなかったならば、全く異なる解釈を出しておいた公算が大きいということである。
長編小説とジャンル文学
金亨中の議論は最近の長編小説の活性化に対する機知に富んだ報告で始まるが、次第に「長編小説はまだ可能なのか」(256頁)という問いに焦点を合わせる。彼の見い出す答えは一つのように否定的である。ところで彼が自分の主張を裏付けるため取り上げる西欧の作者と学者─レイモンド・カーヴァー(Raymond Carver)、エーリヒ・アウエルバッハ(Erich Auerbach)、フランコ・モレッティ(Franco Moretti)、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)など─の見解は、長編小説を論ずる際参照するに値するが、決定的な典拠とはなれない。例えば、「長編小説はわれわれが生きている世界が意味あるという前提を受け入れる時にだけ、始めて存在理由が持てるジャンル」という趣旨の発言をしたカーヴァーは、20世紀後半のアメリカ短編小説における代表的な作家であり、彼の発言から見当がつくように長編を書かなかった。しかし同時代の作家のなかには、カーヴァーとは違って優れた長編を書いてアメリカ文学に大きな成就をもたらした小説家─生存作家だけ挙げても、トマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)、コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy)、ドン・デリーロ(Don DeLillo)、トニ・モリスン(Toni Morrison)、ジョイス・キャロル・オーツ(Joyce Carol Oates)、フィリップ・ロス(Philip Roth)など─は数多い。従ってカーヴァーの問題発言は、当の自分が長編を書かなかった理由にはなれても、彼の同時代に長編小説が不可能だということを立証する根拠とはなれないのである。
勿論、カーヴァーと同時代の作家たちの長編に対して、金亨中は自分の考える「真」の長編小説には当たらないと我を張ることもできよう。 『文学と社会』2011年春号の特集「21世紀長編小説の現住所」に金亨中の論文と一緒に載せられたイ厶・ギョンギュの「歴史の終焉、それから指示対象体の帰還:21世紀アメリカ小説と破局のナラティヴ」は、金亨中評論の論旨と対照的である。2000年以後、ロス、デリーロ、マッカーシーなどのアメリカ長編小説がわれわれの時代における核心の争点に対する小説的探求を止めていないという、この評論の全体的な論旨には同感するが、筆者は現在のアメリカ文学における活力の相当な部分は、マイノリティー文学へと移っていったと判断する。これと関わる議論としては拙稿「世界文学の双方向性とアメリカマイノリティー文学の活力」、『創作と批評』2008年春号参照。 実際、彼はモレッティの「ブリコラージュ」議論を借用して、モダニズムの代表的長編として数えられるプルースト(Marcel Proust)の『失われた時を求めて』、あるいはジェイムズ・ジョイス(James Joyce)の『ユリシーズ』や『若き芸術家の肖像』を「有機的で自己完結的なジャンルだというよりは、一種の「ブリコラージュ」」であると主張する。さらに「世界がもうこれ以上有機的で因果的な認知の対象となれず、社会の総体的な眺望はもうこれ以上不可能であるほど、曖昧で破片的な時、長編小説を書くことは不可能であったり、ブリコラージュとなったり、それとも存在しない仮想の総体性を世界に投射する、見込みのない作業となってしまう」(256頁)と主張する。
金亨中のこのような主張に無理があると指摘することは容易い。例えば、彼が取り上げるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)や、プルーストとジョイスの小説が19世紀のリアリズム小説と全く異なるのは事実であるが、だからといって彼らの長編を「ブリコラージュ」という別個のジャンルとして取り扱い、真なる長編小説ではないと見なすことは、長編小説の独特な伸縮性と消化力を無視する発想だからである。それにバルザック(H. Balzac)とディケンズ(C. Dickens)、トルストイ(L. Tolstoy)のような、19世紀西欧の小説家たちの長編小説がいわゆる「19世紀事実主義」という通念に符合しない面が多いということも考慮すべきである。つまり、「事実主義」という用語が暗示するように、彼らの小説が透明に与えられる客観世界を充実に再現する純真な方式に留まったと考えることは誤算である。彼らはモダニズムの時代に比べては浅かろうが、曖昧で破片的な様相を示すことでは同じである世界と自我の真実を問うことに、事実主義を有用に活用する一方、その限界もすでに認識していた。要するに、普通「19世紀事実主義」というレッテルの付いた19世紀長編小説の最上の作品は、すでに近代の果てまで届いた、あるいはその向こうを見た芸術である。 アメリカ文学における最高の傑作として数えられるハーマン・メルヴィル(Herman Melville)の『白鯨』(Moby-Dick、1851)は、「19世紀事実主義」という狭い範疇ではとうてい収められないが、もう一方でその秀でた事実主義を抜きにしては正当に評価できない作品である。この作品の世界はモダニズム小説の場合に劣らず曖昧で破片化しているが、その芸術的力はそのような現実世界の変化に富んだ姿を生々しく現す一方、近代世界体制の暗い真実と不可解な地点を、様々な叙事様式を動員して最後まで追い詰めるところから出る。この小説の様式に対する評者たちの見解は、事実主義からポストモダニズムに至るまで、実に多様であるが、それがシェイクスピア文学の豊かな遺産と、アメリカ的生に対する鋭い経験的感覚および深みのある省察が結び付けられた産物だということには大抵同意する。われわれの時代におけるアメリカ文学の傑作として数えられるマッカーシーの『ブラッド・メリディアン』(Blood Meridian、1985)は、メルヴィルの『白鯨』(そしてシェイクスピア文学)と、アメリカモダニズムの代表作家であるフォークナーの文学的遺産を受け継いだという評価を受ける。Harold Bloom, Ed., Cormac McCarthy: Bloom’s Modern Critical Views, New Edition, New York: Bloom’s Literary Criticism 2009, 1~8頁参照。要するにアメリカ長編小説の歴史では金亨中式の「断絶」を設定しにくいということである。
金亨中がこのような主張をするところには、モダニズム時代に至って「主体たちが経験する知覚方式の変化や感受性の変化」があったし、そのような変化と相まって「ある新しい創作様式の登場、あるいはあるジャンルの誕生や断絶的進化」という意味深げな事件が起ったと考えるからである(258頁)。言うなれば長編小説がモダニズムの時期にブリコラージュへと進化する「断絶」が起るという発想であるが、興味深いことは金永贊にとって韓国文学史における断絶の瞬間が(広義の)モダニズムの後に来るのであれば、金亨中にとって世界文学史─実は「西欧文学史」─の断絶の瞬間は、(狭義の)モダニズムの渡来と共に来るということである。
金亨中式断絶論の問題を根本から検討するためには、西欧の近代文学芸術におけるモダニズムとリアリズムの対決構図を再論する必要がある。だが、ここでは彼の断絶論が韓国文学の地形に適用される際、金永贊の場合と同じように自縄自縛の苦境を自ら招くという点のみ指摘しておく。彼の構図に従うと、西欧のモダニズム小説のように、「社会の総体的眺望が不可能なほど、曖昧で破片的」な世界を示す作品は、長編小説というより一種の「ブリコラージュ」となる。逆に社会の総体的な眺望が可能であるほど、有機的で因果的な場合には芸術的に有効ではない旧時代の古い─例えば、19世紀の事実主義小説のような─長編小説となってしまうわけだから、われわれの時代に長編らしい長編が生存する可能性は非常に稀薄である。だから金亨中が最近の長編のなかで特に注目に値する作品として数えるものがないのも、もしかしたら当然な結果である。
金亨中は長編小説の例というより、長編の分量ではあるが、「長編らしくない長編」の例として李章旭(イ・ジャンウク)の『カロの愉快な悪魔たち』(2005)と、尹成姬(ユン・ソンヒ)の『見物人たち』(2010)を取り上げる。李章旭の小説について、事件が「総計六個の面を持った立方体の形像」で構成された「一種の立体派小説」(259頁)であると評するのは、説得力がある。推理小説の要素を活用するが、だからといって既存の推理小説「ジャンル」とは違って、線形的な物語構成と平面的な世界観を解体する効果が際立つからである。李箱(イ・サン)の「建築無限六面角体」で同じような発想が見い出せるが、以前の韓国小説では見られなかった新しい試みと言えよう。これで「立体派小説」という新しい「ジャンル」が発明されたかはもう少し見守るべきであろうが、李章旭の長編に継いで最近出版されたチェ・ゼフンの『七つの猫の目』(2011)も「立体派小説」として分類できよう。彼は尹成姬の『見物人たち』についても「無限小説」あるいは「キルト小説」という新しいジャンルの名称を提案するが、作品の叙事方式に似合う名ではある。
このように李章旭と尹成姬の長編に対する金亨中の論評から、彼の優れた批評感覚が確認できるが、二つの作品を「長編と短編が分量の違い以外で異なる、意味のある差を示さない」例として追い立てていくのは残念である。例えば、『見物人たち』のような作品の際立った特徴が「物語の無限増殖、物語の永遠なるブリコラージュが可能だという点」(260頁)であるとしても、そのような「物語の無限増殖」の原理を美学的にまともに示すためには、短編では限界があるし、長編であるべきではなかろうか。もう一方、これらの作品が「ジャンル化した長編」なのだから、「総体的ジャンルを指向するジャンル」─よく使う表現では「本格長編小説」─におけるほど、必ず長編であるべき必然性は少ない。 「本格文学対ジャンル文学」の対比より、「総体的ジャンルを指向する長編小説と、ジャンル化した長編小説」の対比が一層生産的であるという見解については、白楽晴(ベク․ナクチョン)、「文学とは何なのかを問い直すこと」、『創作と批評』2008年冬号、33頁参照。 微妙な問題はどの程度まで「ジャンル化」される際、ジャンル文学だと言えるかである。二人の作家の長編はその境界に近いのだが、ジャンル文学の方だと判断する。ただし、彼らの多様な短編はその作家のジャンル的創造力と関連があるが、別途に見てみるべきだという考えである。実際、討論に値する問題が多いが、金亨中が「短編小説は何で、長編小説は何なのか。いや、3Dとスマートフォンの時代に小説は何なのか。原点から問い直すべき質問である」(261頁)と結論を下す時は、虚脱の感じさえする。
長・短編のジャンル小説の浮上は、2000年代文学が成し遂げた重要な成果であった。次第に多様となるジャンル文学の活気は、長編小説の相対的な不振と対比される面がなくもない。また、先述した李章旭と尹成姬の小説のように、ジャンル文学の秀作は長編小説とジャンル小説との境界に対する美学的質問を内蔵するに決まっている。だが、ジャンル文学の発展を長編小説の「欠如」や「不可能」の代価で成されるものだと考えては困る。金永贊がジャンル文学を見る基本的な視角がそうであるように、金亨中が「無限小説」あるいは「キルト小説」という新しいジャンルの入り口に金衍洙(キ厶・ヨンス)の長編『君が誰であれ、いくら寂しくても』(2007)を含ませたこと(259頁)も、そのような発想の結果であるかに見える。この小説が歴史的あるいは時代的真実に対する総体的眺望は不可能だということを示した点から、長編小説というよりはブリコラージュとして、そして「曖昧で破片的」な砕けた現実が続いているから「キルト小説」として見なすのである。このような分類を誘い出したところには、曖昧で破片化した世界に対する作者の立場が見えながら、真実追求の力が落ちて芸術的緊張が緩む面もあるからだと思われる。 「歴史小説」ジャンルにより近いキ厶・ヨンスの『夜は歌う』(2008)も同じような限界を持っている。申亨澈(シン・ヒョンチョル)は長編の本質を「倫理学的想像力」から見い出し、それに基づいてこの小説を2000年代最高の長編のなかの一つとして論じたことがあるが、彼の評論のなかでは珍しく共感しにくい議論だと思える。申亨澈、「「倫理学的想像力」で書き、「叙事倫理学」で読むこと:長編小説の本質と役割に対する断想」、『文学ドンネ』2010年春号参照。 だが、破片化した現実と、その複雑な連関を探査するなかでも、歴史的真実の問題を全面に掲げた作品を「ジャンル」小説として分類することは、どうしても無理だと思う。
韓国小説に開かれた未来を
先に検討したように、韓国小説の可能性に対する金永贊と金亨中の懐疑的な展望は、相当なところ、断絶論的な文学史の認識から始まっている。柄谷の概念を借りて言うならば、「近代文学」の終りを、前者は「(広義の)モダニズムの終焉」に、後者は「リアリズムの終焉」に設定する違いはあるものの、実際の批評では類似した立場として現われる。二つの終焉「以後の文学」は、西欧文学の議論ではそれぞれ「ポストモダニズム」と「モダニズム」に当たるが、両者の違いは本質的な違いというよりは、大きな流れのなかの注目に値する変化に近いので、二人の批評家が共有するところが多いということは別に可笑しくない。
問題はこのような断絶論的認識では2010年代韓国小説の可能性を実際以上に懐疑するしかないだけでなく、2000年代文学の成就も釣り合いを取って見ることが難しいという点である。例えば、彼らは皆、長編小説のブーム以後に出版された『母をお願い』と『亡き王女のためのパブァーヌ』を議論の対象に含めなかったが、このような勘定の仕方では2000年代韓国小説の成績表は実際よりずっとみすぼらしくなるほかはない。2010年代小説の議論でこのような断絶論とは不必要な規制となる可能性が高い。
しかし彼らの断絶論はわれわれの時代には長編小説が不可能だという、意図された主張を立証することはできなくても、如何にしたら断絶の脅威を超えうるかに対する豊かな暗示を与えてくれる。金永贊は「近代文学」(そしてそれの典型的形式としての長編小説)の社会的土台を「社会全体を一つに括り出す疎通と共感のネットワーク」で提示したが、「社会全体を一つに括り出す」という曖昧な語句を動員しながら、これが失われると近代文学も終り長編小説も不可能となるといったふうな議論はやり過ぎであるが、どのような方式であれ一つの社会を連結してくれる最小限の「疎通と共感のネットワーク」なしに長編らしい長編を期待しにくいのも事実である。従って、この時代の批評家ならこのようなネットワークを守るためにも奮闘すべきだ。
金亨中の議論から暗示されることは、時代的真実の追求の問題と長編小説との間の切っても切れない関係である。近代科学技術が発達しながら専門化が深化するにつれて、科学的・実証的認識は高まるが、世界が段々より「曖昧で破片的」へと変わっていくことは事実である。絶え間なく変化しながら複雑な様相を呈する近代世界の核心的真実を捕らえるためには、具体的な現実に対する鋭い事実的認識が必要であるが、それのみでは限界がある。長編小説は胎動する時から、例えば、セルバンテス(M. Cervantes)の『ドン・キホーテ』(Don Quixote)から、近代世界の核心的真実の追求を主な芸術的動力としてきたし、19世紀のリアリズムを経ながら事実主義的認識を味方にしてそのような真実の追求を続けてきた。科学技術は驚くほど発展したが、専門化と資本主義市場体制の支配力が一層強化された結果、一つの社会の歴史であれ、一個人の生であれ、激しく破片化した現代に至っても近代世界の核心的真実を捕らえようとする長編小説の努力は続いてきた。 イム・ギョンギュが「歴史の終焉」談論と関連した21世紀アメリカ小説の試みを高く評価しながら、「最初から小説に与えられた社会的課題が「真理の問題」と連関されていること」(280頁)を指摘するのも、長編小説の本質に対する指摘にほかならない。イム・ギョンギュ、前掲評論参照。
逆に言うと、その問題に対する熱情的な関心を手放す瞬間、よい長編小説を書くことは難しくなるという意味でもある。ところが、この言葉を長編小説がそのような真実追求を通じて、正しい答えを探し、その答えを通じて「社会の総体的眺望」のようなものを提示すべきだという意味で理解しては困る。むしろそのような真実追求の結果として正解を提示しているという感じがする瞬間、長編小説としての魅力は半減されるに決まっている。白楽晴(ベク․ナクチョン)の用語を借りるならば、長編小説こそ「正解主義」を受け入れない最高の文学形式である。 白樂晴のリアリズム論の特徴を「正解主義」に対する警戒として見なし、彼のリアリズムを構成する要目を緻密に論じた論文としては、柳浚弼、「白樂晴リアリズム論の現在性と問題性」、『創作と批評』2010年秋号参照。 あらゆる種類の「正解主義」が今日、長編を書きにくくしており、その魅力を奪っていくが、「正解主義」の最新版や完結版は時代的真実/真理のようなものはないという予断であると言える。なぜならば、この正解は時代現実と個人の生を貫く核心的な真実が何かを、最初から問わせもしないようにするからである。
時代現実の問題を言及すると、巨大談論を思い浮かべやすい。だが、ここで長編小説が取り上げるものは、あくまでも個々人の具体的生が先であるという点を強調したい。ところで、唯一無二の単独者としてその個人の生、その個人が他者と結ぶ関係、周りの自然や事物と結ぶ関係の真実に対して根本的な問いを進めていくと、それが時代現実に対する問いに至らざるを得ないということである。言い換えると、出発点は一個人の生の真実を取り扱う「小さい物語」であるが、いつの間にかそれは世界と時代現実の「大きな物語」に巻き込まれざるを得ない。この点で長編小説は歴史としばらくの間別居はできても、完全に離婚することはできない形式であり、この形式に文学の歴史的・認識論的機能が大きく依存する。
例えば、申京淑の『離れ部屋』(1995)が1970~80年代の韓国社会を理解する上で、月並みな歴史・社会科学書籍より、より有用であるだけでなく、そのような書籍が提供できないその時代特有の面貌と雰囲気を生々しく示せるのもこのためである。話者がその時代の「大きな物語」を先に念頭に置いて、「小さい物語」を構成し配置するやり方で作品を書いたならば、このような長編が可能であったろうか。創作に対する省察と一個人の生の真実を問う問いを原動力にして進めた結果、「小さい物語」がいつの間にか時代の核心的な真実を問う質問へとなってしまうのである。このような特徴は、たとえ『離れ部屋』の場合よりは少ないが、『母をお願い』でも見い出せる。『亡き王女のためのパブァーヌ』の場合も同じである。 この作品に対する議論としては、白樂晴、「われわれの時代における韓国文学の活力と貧困」、『創作と批評』2010年冬号、35~45頁および拙稿「文学の新しさと小説の政治性」、409~10頁参照。筆者が反転を内蔵した「Writer’s Cut」に触れなかったことの問題点に対する彼の批判は正当だと思われるが、それほど高く評価するかについては疑問がある。 断絶論的立場に陥らなければ、スタイルと話法の懸隔たる違いにも関わらず、二つの長編が共有するところは少なくない。具体的な個々人の真実な関係を追い求める熱情が時代の性格そのものを問題とする長編小説特有の面貌を共有しているので、二つの作品ともわれわれの時代の長編目録から除くことはできないのである。その他にもここで論じることはできないが、孔善玉(ゴン・ソンオク)のような中堅作家たちと黃貞殷(ファン・ジョンウン)と金愛爛(キ厶・エラン)のような新鋭作家たちの長編も強かな成就だと考える。これにジャンル小説の成功作と多数の秀でた短編を付け加えると、韓国小説の現在の資産は一層豊かとなる。2010年代には短編と長編が適切に一団となりながら、時代のリズムと活力が染み込んだ創意的な小説が多く出ることを望む。
翻訳:辛承模
季刊 創作と批評 2011年 夏号(通卷152号)
2011年 6月1日 発行
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