東アジア と分断韓国、現場経験といくつかの断想
論壇と現場
李鐘奭(イ・ジョンソク)
世宗研究所主席研究委員。第32代統一部長官歴任。著書として『朝鮮労働党研究』『分断時代の統一学』『新しく書いた現代北朝鮮の理解』『北朝鮮―中国関係:1945~2000』などがある。
*この論文の初稿に対し、貴重なコメントをしてくださったチャンビの編集委員会に感謝の気持ちを申し上げたい。
私は、職場をやめて大学院に進学しようと決心した頃、東北亜政治学を勉強しようと思った。東北亜政治が何であるか頭の中できちんと描くことができなかった時代だったが、勉強をしていくうちに、東北亜の政治について勉強するためには、韓国の政治について知っておかなければならないと思うようになった。また、韓国政治を勉強していくうちに、韓国の分断のことを理解しないで韓国政治を論じることが、いかに「虚構的」であるかを感じた。それで、私は、北朝鮮と南北関係を研究するようになった。その後の20年間、東アジア 東アジアを範疇化すれば、広い意味の東アジアは中国、日本、韓国、北朝鮮、モンゴル、ロシア、台湾、ASEAN10カ国と、区域外に位置しているアメリカを含むと考えられる。他方、狭い意味としての東アジアは、ASEAN10カ国を除外した中国と日本、韓国、北朝鮮、アメリカが力動的な関係を持つ東北亜地域を示す。筆者は、広い意味としての東アジアを、その範疇として見なす(拙稿、「「東アジア研究」の現状と課題」『世宗政策研究』世宗研究所、2011年6月)。しかし、この論文では、必要に応じて東北亜と東アジアを混用している。の研究の必要性を感じながらも、足りない学問的素養のため研究領域を北朝鮮―中国関係以上に拡張できないでいた。
しかし、統一外交安保の分野においての公職生活が、再び私を東北亜に導いた。「参与政府」は、引受委の時から国家安保戦略を作り、朝鮮半島の平和定着と平和繁栄が緊密に連動しているという認識を持っていた。それで、朝鮮半島の平和定着と平和繁栄の東北亜実現を主要国政課題として掲げた。政策を推進する過程において、部分的には試行錯誤もあったし不足している点もあったが、公職生活 筆者は、2003年から2006年までの4年間、「大統領職引受委員」、国家安全保障会議(NSC)次長、統一部の長官として在職した。をしている間、北朝鮮の核問題、米韓関係、中韓関係、日韓歴史問題などを主要課題として取り上げながら、こうした政策の方向が正当であったことを深く感じていた。
連動する東北亜、要求される新しい戦略
白永瑞(ベク・ヨンソ)の言葉通り 、白永瑞(ベク・ヨンソ)「連動する東アジア、問題としての朝鮮半島」『創作と批評』2011年春号、チャンビ、16頁。 東北亜(東アジア)は緊密に連動している。現象的に表れたその連動の姿は、「潜水艦事件」(天安艦事件)や「中国脅威」論が沖縄での米軍基地移転反対運動を弱化させているように 、前掲、白永瑞(ベク・ヨンソ)27~28頁。 ガヴァン・マコーマック(Gavan McCormack)「小さい島、大きい問題」『創作と批評』2011年春号、チャンビ、64頁。 大概、否定的である。未だに冷戦の残滓が、様々な所で、この連動を否定的に描写するように強要している。しかし、冷戦の解体は、この連動のエネルギーを、葛藤や対立から平和と協力に換えられる可能性として担保された。
例えば、分断体制の克服に向かう韓国・北朝鮮の努力がその成果を実るたびに、それは、東アジアの様々な所において、和解と協力の波長を引き起こす。逆に、東アジアにおいての平和増進は、軍事的に対置だけでなく政治、理念、経済などにおいて、対決的・対立的な側面が最も大きい南北関係を改善するのにポジティヴな影響を及ぼす。東アジアにおける協力と統合の努力が、この地域の諸般価値と秩序が一定に共存し、ひいては受け入れられる雰囲気を作ることで、南北間における対立的・対決的な要素も相対的に緩和されるチャンスを迎えられる 。前掲、イ・ジョンソク、32頁。 分断韓国と東アジアの連動が、冷戦回帰的相互作用になるか、もしくは、協力と共同体志向へ力を発揮できるかは、未知数である。しかし、それが、そのまま放置される案件ではなく、我々が戦力的に選択すべき問題である点は明らかである。
朝鮮半島の平和と東北亜の平和繁栄を同時に考えなくては我々の未来がないと考えるようになったきっかけは、他ならぬ、冷戦の解体とともに訪れた中国の成長である。経済分野だけを見ても、中国の成長が我々の生活をどのように変化させていくのかは、容易に理解できる。
2008年末の基準で東北亜の主要国家間の交易関係をみると、韓国の輸出対象国ベスト3は、域内国家である中国・アメリカ・日本であり、日本も輸出対象国ベスト3は、中国・アメリカ・韓国である。中国にとって輸出対象国は、アメリカ・日本・韓国が、1・2・5位である。地理的に東北亜の外に存在するが、東北亜国家と言えるアメリカの輸入対象国の1・4・7位は、中国・日本・韓国であった 。前掲、イ・ジョンソク、28頁。 このように、東北亜の域内国家間の経済交流は、凄まじい活力を見せている。このような交流の活力は、経済を超え社会・文化・人的交流においても同様の状況である。
ここで、新しい変数といえるのは、中国との協力であろう。韓国経済の場合、中国が世界市場のもう一つの軸として浮上し、対中の依存度が飛躍的に高くなった。現在の中国は、韓国の最も重要な経済的パートナーとなり、これで既存の米韓同盟の中心という対外戦力までも変化を避けられないようになった。
<表1>韓国における中国、アメリカ、日本に対する輸出入の比率推移韓国貿易協会の貿易統計(www.kita.net)国家別輸出入、IMF, Direction of Trade Statistics Yearbook, 1990~2010の資料を基準に作成。
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1990 |
1995 |
2000 |
2005 |
2010 |
2010年 輸出入額 |
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輸出 |
アメリカ |
29.7% |
19.3% |
21.8% |
14.5% |
10.7% |
498億ドル |
日本 |
19.4% |
13.6% |
11.8% |
8.4% |
6% |
281億ドル |
|
中国 |
0.9% |
7.3% |
10.7% (4.5%) |
21.8% (4.6%) |
25% (4.4%) |
1168億ドル |
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輸入 |
アメリカ |
24.2% |
25.4% |
18.2% |
11.7% |
9.5% |
404億ドル |
日本 |
26.5% |
24.1% |
19.8% |
18.5% |
15.1% |
643億ドル |
|
中国 |
3.1% |
5.5% |
7.9% (10.3%) |
14.8% (11.6%) |
16.8% (10%) |
716億ドル |
*( )の中は、中国の全体における輸出入に対比した対韓輸出入の比率
<表1>からわかるように、貿易国家である韓国 2010年、韓国の貿易依存度は、85%に達した。の対中輸出依存度は、2005年に21.8%であって、2010年には25%に達し、アメリカ、日本、ヨーロッパに関する輸出を合わせた規模よりも大きかった。脱冷戦の初期である1990年対米輸出が29.7%であったのに対して、対中輸出は0.9%に過ぎなかったとの事実と比較すれば、中韓の経済関係がいかに急激に発展したかについてわかる。
日本の事情も大きく異なっていない。1998年、日本の総輸出において、中国に対する輸出が占めた比率は、5.1%であったのに対して、2010年には、その比率が19.3%に伸びた。対中輸出は、同じ時期の13.1%から22.1%に伸びた。これは、日本の対米貿易の総量のほぼ2倍に当たるものである。
1990年代の初め、韓国経済は、交易相手国が不公正行為をしたと判断できたら対象を考えず無差別報復が可能であるアメリカの「スーパー301条(super301)」の威力の前において、怯えた過去がある。ところが、現在の韓国経済は、中国に対する依存度が1990年代の初めの頃のアメリカに対する依存度に相当している。この比率は、早い速度で高くなっている。しかも、中国は1990年代から韓国にとって最大の黒字市場になっている。
中韓の経済関係に内在している両国間の交易不均等性は、韓国経済における対中の脆弱性を倍加している。中国は、韓国によって最大の輸出市場である反面、中国にとって韓国は5位という輸出市場に過ぎない。この10年間、中国における対韓輸出の比率は、全体輸出の4.5%前後にとどまっている。これは、韓国における対中輸出の比率の6分の1に過ぎないということだ。まさに、この不均衡が、この韓国という国を、中国の経済状況のみならず、対内外の政策の面においても、最も敏感に影響を受ける国にさせている。
単純な比較ではあるが、中韓、日中、米中間の交易における増大趨勢は、東北亜が、中国と韓・米・日が対立する同盟秩序だげでは維持することが難しいという点をよく示している。急速に増加する経済的交流と協力、そして、社会的・文化的交流を跡付けするためには、それに合った東北亜の新しい秩序が必要だ。もちろん、その秩序は、東北亜の国家の平和と共同繁栄を保障していなければならない。
特に、中国経済に対する依存が非常的に深まりつつある韓国は、この経済的な不均衡性を正しくする方法を見つけ、かつ、中国との有機的な関係の増大を前提にした新しい対外戦力の構造を考えなければならない状況にある。ところが、韓国が、中韓の経済関係における構造的脆弱性をすぐに克服する特別な方法はない。だとしたら、米韓同盟と中韓協力を調和した形で配置できる東北亜における多者協力の構図を考えるために、より積極的・主導的に考えるべきである。それは、保守と進歩を超える生存の問題であろう。結局、東北亜における平和繁栄は、朝鮮半島における平和繁栄の拡大から出てくるという認識に基づいて、朝鮮半島の平和定着と東北亜の平和繁栄を同時に追求する戦略が切実に必要となってくる。
しかし、現在、韓国を含んだ東アジアの主要国家は、中国の成長が東アジアの情勢に及ぼす影響を直視できないため、したがってこれに適切に対応できていないという実状を持っている。何よりも、「成長する今日の中国」に対応することに、積極的にはなれないのであろう。すなわち、中国の成長を、主に挑戦と脅威として見るだけで、中国が東アジアにおいて肯定的な影響を及ぼす道を探すことには、怠慢であるとことがわかる。
たとえば、韓・米・日は、中国が、軍事力を伸長していくこと、そして、外交的な位相を高めていくことを見ている。また、現段階の中国の経済力と人口規模に相応しい軍事力と外交的位相を認め、これに適当する役割と義務を付加しようとする努力の代わりに、脅威増加という次元において接近する傾向が強い。もしかしたら、これらの国々は、すでに超強大国に入った有力な国際行為者としての中国と冷戦時代の好転国家で後進国家である中国に間で、後者の中国を見たがる意図的な錯視現象に陥っているのかもしれない。
こうした錯視現象は、二つの点において危険である。一つは、現実において中国の国際的な位相と対内外的な政策透写能力を間違えて把握することで、対中関係において失敗を繰り返すことになることだ。もう一つは、中国が自身の成長に相応しい国際社会における義務と役割を果たしていけるチャンスをはく奪することで、最も危険な超強大国になることを放置している結果を生むかもしれないことである。結局、韓国が、自ら錯視症状を除去し、中国の位相と役割を正当に受け取る際に、中国の成長は東アジアの平和と協力に肯定的に寄与できるのであろう。
東北亜の多者協力のための韓国の努力
中国の成長により、東北亜の多者協力秩序の必要性は、より大きく浮上している。それがなくても、冷戦時代の陣営間の対決構造において、残酷な被害があった朝鮮半島の立場では、冷戦秩序の克服は、最も切実な課題であったといえる。実際に、歴代の韓国政府は、世界において冷戦秩序が解体され始めた時期から、東北亜の多者間協力秩序の創出に積極的に関心を見せており、域内において多者安保協力秩序の論議を公論化するのに主導的であった。
盧泰愚(ノ・テウ)大統領は、1988年10月に、韓国・北朝鮮、アメリカ、日本、中国、ソ連などが参加し、米ソ対立緩和、日ソ間の領土紛争の解決、中ソ和解、韓国・北朝鮮の平和と安定維持など、地域安保問題を論議する東北亜平和協議会の創設を提案し、1994年5月、ASEAN地域フォーラム(ARF)において、韓国政府は、東北亜多者安保対話(NEASED)を公式的に提案したこともある。国民の政府出帆の準備期間である1998年2月には、金鐘泌(キム・ジョンプィル)、当時自民連の名誉総裁が、中国の江沢民国家主席に、金大中(キム・デジュン)当選者の親書を渡し、1975年のヘルシンキ宣言のように、「東北亜の平和と安定のための6カ国宣言」をしようとする構想を伝えたこともある。もちろん、こうした韓国政府の構想は、当時、当事国の積極的な支持を得ることはできなかった。にもかかわらず、こうした努力は、東北亜の多者協力秩序が韓国の国益にそれほど必要であるという認識が20年前から共有されてきたことをよく示してくれる 。 拙稿「東北亜多者安保協力と韓国の選択」『情勢と政策』5月号、世宗研究所、2008年、13頁。
東北亜の多者安保論議が本格化したのは、2005年頃からであった。2005年9月、北朝鮮核問題の解決のために集まった6カ国会談の参加国は、第4次会談の共同声明において、「6カ国が、東北亜における安保協力増進のための方案と手段を模索することに合意」した。続いて、2005年11月17日開催された米韓正常会談及び協力のメカニズムを発展させるために、共同に努力することに合意」した。この二つの合意を通じて、東北亜の当事国の間において、多者安保問題が最初に議題化された。これは、この間、東北亜の多者間の安保対話に対して、比較的消極的だったアメリカの立場が転換したことを示してくれた。この二つの合意は、韓国政府が、米韓同盟の発展とともに東北亜の多者安保体制の構築を国家戦力として推進する基盤を提供した点においても、重要な意味を持つ。こうした一連の変化の中において、6カ国会談の参加国は、東北亜の平和・安保体制の形成を論議する実務グループを設置することにした(2007年2・13合意) 。 前掲、イ・ジョンソク、13頁。
他方、「参与政府」は、東北亜多者安保の前提といえる朝鮮半島の平和体制構築を国政課題としながら、その実現のために、「長征」をスタートした。しかし、北朝鮮の核問題のため、国際社会において実戦的に擬制化するきっかけを作らずにいた。そうした中、第4次の6カ国会談開催の直前である2005年7月中旬、アメリカが北朝鮮の核放棄を前提に、朝鮮半島における平和体制の樹立問題を、具体的に論議する意向があることを韓国側に伝えてきた。これに対し、韓国政府は、アメリカの提案を歓迎し、これを擬制化するために積極的に動いた。
この時に政府は、朝鮮半島の問題があまりにも国際化することを懸念しながらも、北朝鮮における核問題の進展と並行して朝鮮半島の平和を増進させ、北朝鮮の核解決と朝鮮半島の平和体制の構築を機能的に連結させるためには、この問題に対して積極的な立場を見せることが重要であると判断した。それで、政府は、7月下旬に、6カ国会談の韓国代表団が守るべき平和体制の関連指針を準備した。ここで、平和体制に関する論議が、第4次の6カ国会談において提議されれば、その必要性に共感し、積極的に対応するようになる。そして、具体的な協議は、6カ国会談よりは当事国間において別途の協議の枠で進めるという方向にした。
国家安全保障会議(NSC)常任委員会は、別途のフォーラムにおいて、平和協定の締結のための論議が展開されるとき、韓国の立場では、次のような二つの原則を守らなければならないという指針を作った。まず、一つ目は、駐韓米軍の撤退問題は、論議の中において除外されるべきであること。駐韓米軍の駐屯は、根本的に米韓の両者間の案件であり、米朝関係が正常化になれば、もっとそのようになっていくためである。二つ目は、平和協定後、「休戦線」から「南北韓境界線」に変わる分断線は、南北が共同に管理しなければならないこと。平和協定は、朝鮮戦争が成立した駐韓UN軍司令部の公式的な解体を意味する。したがって、停戦線としての休戦線が消滅した状況になれば、南北の境界線を韓国軍と北朝鮮軍が管理することは当然のことである。政府は、この二つの原則が守られる限り、韓国の参加を前提とした平和体制論議の形式に関しては、大きく拘束されないという立場を樹立した 。 イ・ジョンソク 「朝鮮半島における平和体制の再構築論議、争点と代案の模索」『世宗政策研究』第4巻1号、世宗研究所、2008年、13~14頁。
こうした政府の立場の下で、平和体制関連論議の公論化に向けて積極的に臨んだ結果、9・19共同声明の第4項において、「朝鮮半島の停戦体制を終息し平和体制を構築するための別途のフォーラムを作り協議する」とした合意事項を明記することができたのである。
均衡者論と旧秩序の「受恵者」らの攻撃
中国の成長という新しい東北亜の情勢変化は、韓国の国家戦略が同盟構造において東北亜の多者協力秩序に転換すべきであるとの主張を、「当為」から、生存や繁栄のための「必然的路線」に変えた。これからのs韓国が、東北亜において米韓同盟と中韓協力とを均衡的に思考しながら平和共栄の協力構造を作ることは、すでにイデオロギーの問題ではなく、生存の問題になったことを意味する。
しかし、米韓同盟を宗教的な信念のように考えながら生きてきた人々にとっては、これは、このまま受け入れ難い深刻な挑戦として認識されているようだ。事実上、朝鮮半島の平和と繁栄という最高の国益実現のために米韓同盟を結んだが、この60年間深化してきた依存的な同盟関係は、心理的に多くの人々においては、米韓同盟を目的それ自体として認識させた側面があった。しかも、冷戦と米韓同盟という旧秩序の「受恵者」として生きてきた既得権層に、多者協力の構図は気に食わないことであろう。彼らは、変化した情勢と国益に合わせて、均衡外交を実現しなければならないという現実を無視している。ひいては、自身の既得権を守るために、均衡外交を主張する人々を、容赦なく反米勢力として罵倒し、事実上、国家利益に害を与えている。
2005年、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が作った「東北亜均衡者論」について、これらの批判も同じ文脈で理解することができる。盧大統領が東北亜均衡者論を提議したことは、新しい情勢に対応するためのものであった。盧大統領は、2005年の初め、一連の演説において、韓国が東北亜の「勢力均衡者」もしくは「均衡者」の役割をしていきたいと意思を明確にした。彼は、3月8日、空軍士官学校の卒業式において、次のように話した。
これから、我が軍は、朝鮮半島だけでなく、東北亜の平和繁栄を守ることを目標とします。東北アジアの勢力均衡者として、この地域の平和を強く守っていくつもりです。このために、東北アジアの安保協力構造を率先して作り、米韓同盟の土台の上において、周辺国とより緊密な協力を強化していくつもりです。
上記の発言は、主に軍事的な側面を強調しているが、3月22日の陸軍3士官学校での言葉は、盧大統領の東北亜の均衡者論が、平和繁栄の東北亜に向かった総合的な国家戦略の言説であることを示している。
我が大韓民国は、東北アジアにおいて伝統的な(歴史のある)平和勢力です。歴史ができて以来、周辺国を侵略したり、他人に害を与えたりしたことがありません。我々こそ、平和を堂々と語る資格があると思います。これから、我々は、朝鮮半島だけでなく、東北アジアの平和と繁栄のための均衡者の役割をしていきます。問い詰めることは問い詰めて、協力することは協力しながら、主権国家としての当然な権限と責任を果たしていきます。これから、我々がどんな選択をするかによって、東北アジアの勢力地図は変わっていくと思います。
東北アジアにおいて、平和について語られるという歴史的・道徳的な正統性の上で、韓国の成長能力と変化する情勢に合わせて、今、この地域に、切実に必要となっている平和と共同繁栄を実現するため、均衡者の役割をして行かなければならない。こうした盧大統領の言葉は、現実において、我々ができることから実現していかなければならないが、主に、未来志向的に当為的な方向を言及したものであった。今すぐに具体的な計画を立てて実現するような政策の範疇にあるものではなく、韓国の力量の伸長によって同時に追求すべき東北亜での外交安保的な方向を提示したことであった。
しかし、当時、旧秩序のノスタルジアから離れられなかった既得権層からは、「韓国の外交安保の第1軸が米韓同盟であるのに、これを破棄するということなのか」、「韓国が、何の能力があって、米中間の均衡者になれるのか」などの激しい批判があった。ある人々は、古典的な勢力均衡理論までに取り上げ、問題を提起したこともある。
韓国が均衡者になるということは、世界を相手にすることではなく、我々の生存(生活)の基盤である朝鮮半島を中心とした東北亜において、列強間の葛藤関係を克服させ、協力と平和を求めるのに、その中心的な役割をするということである。東北亜の交差地点に位置し、艱難の侵略を外部から受けてきた我が民族としては、たとえ、その力量が足りないとしても、生存と地域の平和のため、均衡的な役割をするという想いを抱き、これを約束することが自然であることにも関わらず、当時の均衡者論は、大半の言論と知識人によって反米と空威張りとして罵倒された。
だから、「参与政府」の対処も、大概防除的であった。その時の政府は、我々が話す均衡者の革新は、歴史的に域内において覇権的葛藤を繰り広げた経験があり、そのために、朝鮮半島に大きな打撃を与えたことがある日中間に、均衡的役割をすることであると答弁した。事実上、それから6ヶ月後である2005年9月には、中韓両国の政府は、均衡者論にしつこく反米を疑わせる保守言論に堂々と立ち向かうことができず、アメリカと東北亜の他の国家間において、韓国が遂行できる均衡者の役割については、できるだけ言及を避けた。
当時、政府でこの問題を担当していた人として、こうした攻勢に対して適切に対処できなかったことに対して、責任を感じる。特に、時代的な流れを正確に読み、韓国の生存繁栄戦力の方向を冷静に提示した盧大統領の計画を、そのまま貫徹させなかったことが、心に残っている。
今、振り返ってみると、均衡者論を批判する人々に対しての返答は、より簡明であるべきであった。我々の能力範囲内で、案件によって、時には日中、米中、日米中の間において、韓国が中心を取って均衡点を見つけようと努力していくことであると答え、いくら、批判論者の攻勢が強かったにしても、決然とした態度で対処すべきだったと思う。この頃、この問題を考えると、「案件によって、範囲と水準を調節しながら、アメリカなどの域外国家を入れたり(6カ国会談、APECなど)、外したりしながら(ASEAN+3、アジア通貨基金構想など)、東アジアの地域連帯を次第に強化していく知恵が求められる」 白楽晴「東アジア共同体と朝鮮半島、そして日韓連帯」『世界』岩波書店、2010年5月号、59頁。この論文は、『世界』の依頼で執筆し、日本語で翻訳され掲載された。その後、筆者が補完し韓国においても、掲載された。「「東アジア共同体」構想と朝鮮半島」『歴史批評』2010年秋号、参照:編集者注。 という白楽晴(ベク・ナクチョン)の意見を取り入れることが正解であると思われる。
たとえ、東北亜の均衡者論が、「参与政府」時代だけに提議され、保守と進歩が共有する言説として発展できなかったとしても、その問題意識は正当であり、今になってより切実な課題となっていると考える。したがって、朝鮮半島の平和と東北亜の平和繁栄を実現していくのに、韓国が均衡者としての役割を果たすことは、我々が発展させていかなければならない命題であると考える。
中国の成長と東アジア共同体推進の限界
多くの人々が、東アジアの平和と連帯を主張し、その最終目標として東アジア共同体の形成を訴える。しかし、東アジア共同体に関するこうした力強い主張は、巨大中国の存在の前では力を失ってしまう。地理的に東南アジアを含み、東アジアに位置している国々(アメリカ、ロシアを除く)の人口の60%以上が中国の公民である。また、近いうちに中国は、東アジアの経済においてもその程度の比率を占有するかもしれないという点においても、白永瑞の憂慮通り、「100年前の中国の没落で東アジアの秩序が不安定になっていたなら、今度は中国の超強大国化が構造的に不安定性を増幅させる」 。 前掲、白永瑞、21頁。 巨大中国の前で、我々は、東アジアの共同体が実際に可能なのか、もしくは正しいのか、または、もっとゆったりとした協力体として満足すべきなのか、という質問に問われるようになる。
19世紀半ばまでには、中国中心の「華夷秩序」として表現できる「朝貢秩序」が、一定程度、東アジアにおいて安定をもたらしていた。しかし、それが根本的に不平等な国家関係を前提に作動したことを思い出したら、国家間、そして国家を超えた域内市民、民衆が平等で平和な人生を志向する東アジア論の観点において、再び浮上した巨大中国の存在が心配になることは当然のことである。
この悩みについて白楽晴は、東アジアにおいて「中国とその他」の間の非対称的な関係として象徴される域内国家間の不均衡のために、EUのような相対的に強固なる共同体形成が難しい状態である点を認め、東アジアにおける地域的紐帯を形成するために、より大胆で創意的に接近すべきであると強調する。すなわち、国家が基本単位として連合する共同体が不可能であるという事実を、逆に地域住民を中心に接近するチャンスとして考えていこうとすることである。もちろん、国家のことを考えないわけではないが、国家が連合することで、安保・経済・文化など様々な分野の紐帯を一挙に強化していく代わり、分野ごとに地域の現実に最も符合し、住民の生活上の利益に充実した形態と水準の協力関係を多元的に具現していこうということである 。 前掲、白楽晴、57頁。
白楽晴は、EUのような共同体を作る可能性が低い状態において、何も考えず「東アジア同志」だけ叫ぶこともできないという現実を直視する。したがって、案件による範囲と水準が異なる地域連帯を強化し、国家レベルの協力水準を高めていくと同時に、国境線と必ずしも一致していない空間においての紐帯形成を積極的に推進する必要性が切実であると力説する 。 前掲、白楽晴、59頁。こうした彼の主張は、東アジア共同体へ進んでいくのに、国家単位の協力と統合に劣らない各級単位での協力と統合を通して、域内巨大国家もしくは強大国の国家主義の跋扈を防ぎ、平等であり調和なる東アジアを建設していこうという意味として解釈できる。
すでに、白楽晴の提案に入っているアイディアであるが、これを筆者なりに、より具体化させてみると、東アジア各国の市民社会の発達と市民(社会)間の連帯と協力、様々なネットワークの強化が必要となってくる。巨大中国の存在や経済大国の日本が存在する東アジアにおいて、位階的秩序を拒否した新しい協力と多様な地域共同体の創出のためには、既存の国民国家とともに、新たな東アジアを導く市民らが作り出す力に注目する必要がある。東アジアにおいて、各国の市民社会間のネットワーキングは、既存の国民国家の位階的構図を拒み、東アジアの内部の不平等を解消するのに重要な動力になり得る。したがって、域内の市民社会が独自的に、もしくは交流と連帯を通じて作り出す「市民の力」が、個別の国民国家の権力を牽制する戦略的可能性に注目し、現在の個別国家の権力に比べて未発達の状態であるこの力の拡大を図る必要があろう 。 拙稿「「東アジア研究」の現状と課題」(43~44頁)において筆者は、「市民の力」をソフトパワー、すなわち、軟性権力とした。しかし、この用語が基本的に国家のハードパワーを補完するために出てきた点において適切ではないと判断し、「市民の力」を訂正した。問題点を指摘してくださった『創作と批評』の編集委員会に感謝を申し上げたい。
一方、東アジア共同体に向かう道において、巨大中国が障害物にならなく、平等と平和繁栄の共同主体として出ていくためには、上記のようなソフトウェア的な方法論とともに、根本的にどんな巨大国家も、東アジアの共同体において覇権的な行動を起こし難い構造を作るハードウェア的な方法も考えるべきである。
この場合、まず、考えられるのはアメリカの役割である。白永瑞は、「中国を牽制するために、アメリカに頼ろうとすることは短見」 前掲、白永瑞、21頁。 であるとした。しかし、アメリカは、完全なる東アジア国家ではないが、東アジアの戦略的な利害当事者として「域外にある域内国家」といえる 。 こうした筆者の主張の根拠については、前掲、イ・ジョンソク、12~13頁。 したがって、アメリカの力と経済力が東アジアと相互作用とすることは、外部者であるアメリカをこの地域に呼び入れることではなく、特殊な域内国家としてのアメリカが正当なる役割をするものとして見なすべきである。問題は、東アジア共同体の形成に、アメリカの力がポジティヴ的に働くかどうかであろう。これは、東アジアの国家の主体的力量が、より成熟で、東アジア共同体がアメリカの国益と符合され時、ある程度、可能になるのではないかと考えられる。しかし、その場合にも、超強大国としてのアメリカが世界戦略レベルにおいて東アジアを裁断する危険性は、常に警戒すべきである。
他方、より本質的に、東アジアの構成員を地理的な側面を考慮しながら、一定に拡大する方案も検討する価値があろう。すなわち、東アジアと隣接していながら、11億5千万人の人口(2010年基準)を保有し、成長潜在力も大きいインドを一定に東アジアの秩序に包括させて行けば、巨大中国の存在が与える負担を一定に相殺させながら、共同繁栄を享受するチャンスを捉えるできるかもしれない。もちろん、この場合、そうでないとしても、広大なる東アジアが、より広い地域と人口、人種を含むことになり、共同体形成がより難しくなるという反論が出てくる可能性がある。その上、現在、日本政府がアメリカと歩調を合わせながら、中国との覇権的競争線上において、インドを東アジアの範疇に入れようと主張していることも、この問題が簡単ではないことを示唆している。しかし、こうした問題点を直視しながら、我々が東アジア共同体を案件とレベルに合わせ、弾力的な範囲を持つこととして想定するのであれば、場合によってはインドを東アジア的範疇において思考することも、長期的に考慮すべき価値があると思われる。
分担体制の克服と複合国家論
歴代の韓国政府が、大概、東北亜多者協力構造の形成に主導的に出ていたこととほぼ同じ文脈において、分担体制の克服を望んできた韓国の知識人らは、先駆的に東アジアの平和と連帯を主張してきた。孫歌が「近来、東アジアに関する根本的な思考を導いたのも、まさに韓国の思想家」 孫歌「民衆視覚と民衆連帯」『創作と批評』2011年春号、チャンビ、83頁。孫歌は、「彼らはもう東アジアの各地域の理論生産に効果的な参照体系を提供してきた」と評価する。 と評価する程、白楽晴、崔元植(チェ・ウォンシク)、白永瑞などの韓国の学者らは、分断体制に対する研究を乗り越えて、東アジアの平和と共同体に対する最も包括的で本質的な接近を先導的に遂行してきた。もちろん、詳細内容と視点においては、多少差異があるが、大概、彼らは分断体制の解消が、朝鮮半島のレベルにおいての問題解決を乗り越え、東アジアの平和と連帯、ひいては東アジアの共同体の形成にも肯定的な影響を及ぼすという確信を持っている。彼らは、この確信の中において、東アジアの各国家もしくは地域が持っている異質的な要素の間の共存と統合にも、参考モデルになれる分断体制の解消方案を意識的に模索してきたことに見える。
その体表的な代案が、白楽晴が提唱した市民参加型の南北連合であり、それが東アジア的空間と共有を試みながら発展していることが複合国家論といえる。白楽晴は、単純な地理的分断の解消を乗り越え、分断体制の克服を通じた統一時代のために、既存の抱擁政策を進化論的に発展させた「抱擁政策2.0」を掲げた。抱擁政策2.0の核心内容は、分断体制の克服に向かう市民参加の画期的強化と南北連合建設に向けた意識的な実践である 。 白楽晴「「抱擁政策2.0」を向かって」『創作と批評』チャンビ、2010年春号。
白楽晴にとって分断体制の克服は、すなわち統一の過程において国家主義を克服することである。彼は朝鮮半島で国家改造の作業を意味する分断体制の克服が「国家主義を超えた東アジア建設に核心的」 白楽晴「国家主義の克服と朝鮮半島における国家改造作業」『創作と批評』2011年春号、チャンビ、96頁。 とみている。彼は、「南北に分けられた準戦時状態に対置している一つの双である分断国家は、平和国家に対する拒否が体質化した安保国家」であり、これらの国家主義は「民族主義の絶対的な支持を受けられないために、むしろより悪性で抑圧的」 前掲、白楽晴、98頁。 だとみている。
もちろん、統一国家の成立過程において、国家主義と民族主義が自然と結合するとしても、今日、世界各地において発生しているこの二つの結合が帰結する痼疾的な問題を避けられないと考えられる。
ここで白楽晴は、国家主義を克服し、統一の道へ進んでいく方法として、2000年の南北首脳が、6・15共同宣言第2項で合意した連合提案、すなわち、「低い段階の連邦提案」に注目する。彼は、南北が合意したこの連合提案に対して「緩慢で段階的な統一のために、特別な権限がない一般市民らが介入する空間が確保される点」に注目し、こうした統一過程は、「民衆が参与し新しい国家機構の建設及び進化の時間表を決定し、内容も決定していく「市民国家的」志向性を帯びる作業になる」とみている。そして、このような市民参加型の統一国家の形成は、朝鮮半島の住民の生活上欲求を優先視できない「市民的」議題らが、統一過程において不可避的に表れる民族主義的動力による民族主義的な議題と競争できるように作ったものであると予想する。彼は、この過程が様々な国際的な議題と噛み合えるようになった際に、統一国家として進む朝鮮半島の過程において進展が成し遂げれば、それは朝鮮半島に局限されない地域的・世界的な意義を持っていると展望する 。 前掲、白楽晴、101~102頁。すなわち、市民中心の国家改造を通して登場した朝鮮半島の国家機構の出現は、東アジアにおいて国家主義を乗り越える作業においてもポジティヴ的な影響を及ぼすだろうとみていることである。
ところが、白楽晴の国家主義克服に対する穿鑿は、他方においては、朝鮮半島が強力な民族主義を掲げて統一する場合、これが中国と日本の国家主義を刺激して、様々な地域共同体の成立可能性を低くさせるという反面的な恐れも盛り込んでいる。同時に、朝鮮半島型の解放的な複合国家の形態が出現するとしたら、まさにそれが東アジア連合につながっていたり、中国もしくは日本の連邦国家化を誘導する可能性は少なかったりしても、チベットや新疆、または沖縄が、より忠実なる自治権を持つ地域へ進化する解決法を触発させ、中国本土と台湾の関係においても、国家連合に近接した解決策を探すのに役立てることであろうと期待している 。 白楽晴「東アジア共同体と朝鮮半島、そして日韓連帯」61頁。
結局、白楽晴によって市民参加型の南北連合は、分担体制の克服の解放だけでなく、ひいては、東アジアの協力と連帯の新しい枠を提供する拡散性の代案である。その拡散の媒介は、複合国家論である。彼は、「国家よりは人を中心、人々が集まって生きる「社会」を中心として朝鮮半島の現実をみよう」とし、統一後の国家形態に「単一型の国民国家を最終目標として、事前に設定せず、国家連合、連邦制など、刻々段階的な現実に相応しい機構を朝鮮半島住民の多数の実益を基準として創案しよう」 白楽晴『朝鮮半島式統一、現在進行形』チャンビ、2006年、83頁。 とし、複合国家論を提示した。
複合国家論は、冷戦の遺物である分担体制の克服と脱冷戦の結果物である東アジアの協力と連帯を媒介する概念として提示されたといえるが、これに対する理論的な発展は、主に、白永瑞が試みている。白永瑞は、複合国家の概念を東アジアに拡大適用しながら、これを「国民国家への適応と克服の二重課題を同時に遂行すること」 前掲、白永瑞、30頁。 と規定する。ここで、彼が描写したがる複合国家とは、国民国家の中心と周辺的少数者が、有機的に共存し、さらに国民国家を乗り越える結合体であるようだ。そのために彼は、「朝鮮半島で実験中である複合国家」を「独特にも国家間の結合であり、国民国家の自己転換というもう一つの様相を兼ねる」 前掲、白永瑞、29頁。こととみている。このような視点で、分断の克服は、単純に連合国家の実現に可能なものではなく、北朝鮮が少数者的な周辺部にならないし、さらに、我々の生活の中に根を下ろした分断が産んだ弊害が解消する際、ようやくその価値を発揮することになる。
白永瑞のこうした叙述は、既存の国家もしくは体制統合の構想として提起された複合国家論を統合国家(体制)内部の改革にまで、明らかに拡大することとして一定に不変的地域統合理論を志向している。複合国家論を朝鮮半島中心主義として誤解している視点に対する対応的な側面もあるように見える彼の試みは、複合国家に対する認識の地平を広げることに寄与し、東アジア研究に必須な域内統合と連帯を実践的に盛り込む理論的枠組を提示したものとして評価される。しかし、多少、論議が規範志向的に構成されており、理論の不変化という試みにより市民参加型の南北連合を意味した初期の複合国家の明確性が、ある程度希釈された感じも受ける。
南北連合論の現実的な悩みと未来
白楽晴も確信するように、南北連合は、南北の統合過程において、北朝鮮の体制に関するリスクが相対的に少ない方法である 。 白楽晴『どこが中道で、どうして変革なのか』チャンビ、2009年、205頁。 彼の言葉通りに、南北対置状況を前提に、体制を維持させようとした際、米・北朝鮮間の敵対関係が清算され、南北交流が活発されればされるほど、北朝鮮体制に加わるリストは、より大きくなるだろう。したがって、北朝鮮の当局も、次第に南北連合が「統一過程の莫大な爆発性と危険負担を管理する一つの装置」であることを認識するようになる。筆者も北朝鮮が1990年代に入り、すでに南北間の求心力的な作用が、大きい連邦制よりは、この求心力を一定にコントロールできる連合に関心を持ち始め」 、 イ・ジョンソク『分断時代の統一学』ハンウルアカデミー、1998年、129~131頁。その延長線で6・15共同宣言第2項目に合意したとみている。
南北連合とその前提となる北朝鮮体制に対する安全保障は、我々が朝鮮半島において、平和的で漸進的な統一を追求する場合、ほぼ唯一の現実的な代案である。とりわけ、北朝鮮体制に対する安全保障は、平和統一以前に南北間の緊張緩和と東アジアの平和繁栄のため、我々が相手にする北朝鮮は、「主権的実体としての北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」である。道徳的な基準で、北朝鮮の政権をみていると、もっとも否定的であるが、平和を実現するために、我々は、北朝鮮の政権が運用する北朝鮮体制と共存を追求しないとならない。そして、この共存の基礎は、体制安全保障である。我々は、ブッシュ政権の前半期と李明博(イ・ミョンバク)の対北政策を通して、「主権的な実体としての北朝鮮」と「道徳的規準として判断する北朝鮮」を区別できない感性的な対北強硬政策とが、どのようにして南北間の衝突を起こし、また、朝鮮半島と東北亜細亜の平和と安定を危険にさらしてきたかを見てきた。
北朝鮮体制に対する安全保障は、このように平和と統一の過程において、重要な前提であり、北朝鮮もこれを望むことしかできない構造であるにも関わらず、我々は、未だに一つのディレンマを抱えている。北朝鮮体制の安全保障問題について、北朝鮮が今は我々の認識と対照的な行動と慣性を見せている。常識的に考える時、北朝鮮は、内部資源が枯渇され、外交的に孤立状態にあったために、名目上としても、外部の経済的支援と体制安全保障を国家の最大目標とし、その方向へ動かなければならない。そして、この目標達成の外的な環境を作るために、自ら好転性を減少させ、より柔和的に対応しなければならない。
しかし、南北関係や北朝鮮核会談において北朝鮮が見せている態度は、こうした客観的な自己条件に対応することではなく、むしろより攻勢的である。こうした態度は、多くの人から、北朝鮮が持つ客観的な条件の実体と体制安全保障の要求の真意を疑わせる。自家撞着のように感じられるこうした行動は、この間、繰り広げてきた攻勢的な対外戦略の慣性が残っており、その上、体制安全保障のため、守勢的な物乞い外交よりは、攻勢的な挑発行為を混ぜた行動がより効果的だという信頼が錯綜され表れることにみえる。
このような事情であるため、我々は、体制安全保障こそが、現段階の北朝鮮問題を解決するのに革新であり、南北連合がこうした点においても効率的であると判断しているが、実際、北朝鮮の行為は、自身の客観的な状況を否定しているようにみえる。そして、結果的に、こうした主体の客観的状況と実際の行動の間の不調和が、北朝鮮の体制安全保障の必要性という言説の説得力を弱化させ、南北連合論を未だに未来志向点にとどまらせている。
結局、論理と事実証明という長い回路を経てきた北朝鮮体制保障論の合理性は、北朝鮮の時代錯誤的な行動として、未だに本格的な実践のところまでに至っていない感じである。したがって、北朝鮮体制保障論を下においた南北連合論が、実践的に光を見るためには、韓国での実践運動に劣らない、その一つの軸である北朝鮮の指導部の姿勢の変化が、最も重要な時点になってきたといえよう。
翻訳: 朴 貞蘭
季刊 創作と批評 2011年 夏号(通卷152号)
2011年 6月1日 発行
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