창작과 비평

[書評]東アジア史の新たな段階を示す画期的な成果 : 柳鏞泰・朴晉雨・朴泰均 『一緒に読む東アジアの近現代史』

宮嶋博史 / 成均館(ソンギュンガン)大学 東アジア学術院 教授   miyajimah@skku.edu

 

 
 

 

今回、創批から刊行された『一緒に読む東アジアの近現代史』(全2巻)は、東アジア史に関するこれまでの論議を一段階引き上げたという意味において、韓国の史学界における大きな成果と言えよう。 普段、東アジア史に興味を持ち、実際に東アジア史の執筆に携わったことのある評者も本書から多くのことを学び、また共に論議したい問題も豊富であることに喜びを感じながら読み終えた。 2巻に及ぶ本書を限られた紙面において検討することは不可能であるため、本稿では、本書において提議された東アジア史の必要性、及びその具体的な構想などの問題に限って論じることにしたい。

本書にて著者たちは、東アジア史を「地域史」として規定し、その意味において次のような見解を示している。「東アジア各国は、自国史と世界史の二分法による歴史教育を通して国民の歴史記憶を再生産させてきた。しかし、世界史におけるヨーロッパ中心主義も、自国史における自国中心主義も欧州をモデルとした国民国家樹立を歴史の到達点と見なしているという点で同様である。(ヨーロッパ中心主義の核心である進化論に立脚した文明史観を受け入れた結果、)東アジア民族はお互いを無視し、蔑むといった自己疎外現象に陥っていると言えよう。」(第1巻18~19頁)このような矛盾から抜け出すためには、自国史と世界史を従来とは異なった原理に立脚して叙述することが望ましく、そのための第一歩として東アジア史という地域史の叙述が必要、且つ意義のあることだというのが彼らの主張である。特に東アジアは、他の地域に比べ、早くに国家が形成されただけでなく、華夷意識が支配的だったため、自国中心の歴史が長い間受け継がれ、歴史認識に対する対立も深刻化しているという判断から執筆に至ったと明らかにしている。

このような著者たちの見解は画期的なものであり、今後、東アジア史を構想する際に、是非とも参照とすべき問題提議だと思われる。即ち、これまで歴史学を支配してきた欧州的な文明史観を克服し、新たな原理に立脚した歴史叙述を見つけるために東アジア史が構想されるべきという主張は、従来のフレームに対する批判意識なく、一国の歴史を単純に東アジア地域へと拡大させるといった叙述方法に対する根本的な批判として的を得た指摘であると思われる。勿論、彼らの主張が本書の中でどの程度実現されているかというのは別問題であり、それに関しては後述したいと思う。

本書の特徴としては次の三つが挙げられる。一つ目は韓・中・日の三国の歴史を均等に扱っているだけでなく、東アジア地域を伸縮的に把握することにより、比較と関連性の面において深みのある内容となっている点である。各国の内部に存在する少数民族など、少数の人々への注目も高く評価したい。

二つ目は、近現代史を主な内容としながらも、それ以前の時期を単なる前提ではなく近現代史と有機的な関連性をなすものとして把握することにより、「厚みのある」叙述となっている点である。特に、伝統社会における「文」と「武」の対比や、地域内の交易網の存在などのような近現代史と直結する問題を詳細に述べている点も注目される。

三つ目は、題目の「一緒に読む」という言葉に象徴されている全体構想上の特徴である。 「一緒に」という言葉には二つの意味が含まれていると言う。その一つは「各章のテーマを地域、国家、民衆の三つのレベルで一緒に読めるという、本書の特徴を示そう」という意味であり、もう一つは、「韓国人の書いた東アジア史が国境を超えて一緒に読めるように」配慮したという意味である(第1巻8頁)。特に本書は、時代別に各章が東アジアという地域レベル、各国家レベル、民衆レベルといった三つの層に分かれて構成されている。このような構成は本書の特徴であり、そこに著者たちの並々ならぬ努力を窺うことができる。しかし、その一方で、この統一的な構想ゆえに、見落としてしまった部分も多くあると思われる。
本書の意義は、この他にもあるが、限られた紙面の関係上、今後、著者たちと共に論議してみたい点について簡略に触れたい。

まず、本書の最大の目標として挙げられた文明史観に代わる新たなフレームとは何であり、そのフレームによる一環した叙述がどこまで行われているかという問題である。このような問題意識については評者も全面的に同感であり、そのフレームを探し求めている状態である。それだけに、本書に対する期待も大きかったが、その新たなフレームの内容が明確でないように思われて残念である。その理由の一つは、思想史に関する記述が殆んど見られないからではないだろうか。本書は、基本的に政治と経済を中心に、事実を重視する叙述方法を選択しており、近代に対する懐疑、批判、抵抗などを表した多くの思想家は、彼らの思惟が現実化されなかったという理由のために、比較的に注目されていないように思われる。しかし、新たなフレームを模索するためには、このような思想の水脈を見つけ出し、発掘する作業が必須であるだけに、今後、一緒に考えていきたい課題の一つである。

もう一つ指摘したいことは、社会に関する視覚が弱いという点である。社会構造の問題や、所謂社会史的な視覚が弱いということは、恐らく本書の構成自体が、長期的な時間の中で社会変化の過程を捉えるのに適当でないからであろう。このような問題を解決するためには、統一的な構成を基本としながらも、ジェンダー問題を含む家族史問題、人口問題などの重要なテーマに関する独立的な項目を設け、集中的に記述するといった融通性も必要ではないかと思われる。

最後に、是非とも実現されるべき課題として、特に中国及び日本の研究者との本書に対する討論の場が設けられるべきであると指摘したい。このような画期的な書籍が、なぜ韓国で最初に登場したのかを考えると、一層切実にそう望まれる。

 

 

翻訳: 申銀兒(シン・ウンア)

季刊 創作と批評 2011年 夏号(通卷152号)
2011年 6月1日 発行

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