창작과 비평

〔対話〕 権力交代を越え、韓国社会の再編へ―2013年体制の展望と課題 ①

 

 

鄭泰仁 - 朴昌起 - 李南周 - 金基元
 
 

鄭泰仁(チョン・テイン)「新たな社会を開く研究院」院長。青瓦台国民経済秘書官歴任。著書に『真面目なものが生き残る、経済の隠れた法則』など。

朴昌起(パク・チャンギ)(株)エノプス代表。「希望製作所」理事。(株)パックスネット(証券情報インターネット企業)創立。
李南周(イ・ナムジュ)聖公会大教授。政治学。本誌編集委員。著書に『中国市民社会の形成と特徴』『東アジアの地域秩序』(共著)など。
金基元(キム・ギウォン) 韓国放送通信大経済学科教授
。著書に『経済学ポータル』『財閥改革は終わったのか』など。

 

 

李南周(司会) 今号の「対話」の主題は、最近、進歩改革陣営を中心に議論されている2013年体制の展望と課題です。一言でいって、世の中を大きく変える願を立てようというものですが、単に権力交代にとどまらず、韓国社会を一段階アップグレードするビジョンだという意味で、「2013年体制」という概念を使っているのだと思います。もちろん、2013年体制にどのような内容を盛り込むかは、これから本格的に議論しなければなりません。先日のソウル市長補欠選挙も、結果はよかったのですが、選挙の過程を見ると、そのような新たなビジョンが具体的に有権者に提示されたとは思えません。2013年以降、韓国社会がどのような方向に変わるべきかについて、議論を誘発したいという趣旨で、この議論の場を準備しました。

今日、参加して下さった方は、進歩改革的な経済政策に関して数多くの論文を発表された韓国放送通信大経済学科の金基元先生、盧武鉉政権の東北アジア時代委員会で活動し、それ以降、韓国経済の方向に関する数多くの論争に参加してこられた「新たな社会を開く研究院」院長の鄭泰仁先生、また、『創作と批評』の読者には少し馴染みがないかもしれませんが、情報通信関連の仕事をしてこられて、最近、エネルギー関連の事業をしながら、韓国社会の発展方向について提言されている(株)エノプス社長の朴昌起さんです。

まず、李明博(イ・ミョンバク)政権のスタートをどう評価するべきか、1987年以降、民主化がなぜさらに進展せず、退行的な過程を体験しなければならなかったのか、うかがいたいと思います。

 

 

1987年以降の韓国社会の変化

 

金基元 87年体制は不安定な過渡期的な体制だったので、退行も簡単に起きるのではないか思います。過渡期的な体制というのは、1987年に、朴正煕(パク・チョンヒ)政権以来の開発独裁体制がひとまず解体はしたものの、その後、新たに先進的な体制が定着しなかったということです。その原因は、一言でいって、韓国の発展が圧縮的だったからです。西欧では、長い資本主義発展の過程において、重商主義、古典的自由主義、福祉主義、市場万能主義の順で発展してきたとすれば、私たちは開発独裁体制から、政治的独裁はある程度なくなりましたが、開発体制という重商主義が残存しており、それと自由主義、福祉主義、市場万能主義が角逐している状態です。このなかで李明博政権が4大河川事業のような重商主義政策を、また他方で、富裕層減税のような市場万能主義を貫徹しながら、退行が現れているのだと思います。

力学関係の側面では、87年体制からの進展が阻まれている要因を、大きく3つに分けて考えることができます。1つは、韓国内部の保守勢力が強固な反面、進歩改革勢力は分裂しているという点であり、他の1つは、87年以降、動揺してはいるものの、南北朝鮮の分断状況が相変わらずあり、その敵対的な緊張関係が、自由主義的改革、福祉主義的進歩を難しくしているということです。もう1つは市場万能主義でしょう。90年代末のIMF事態以降、グローバルスタンダードを云々しながら広がった市場万能主義のイデオロギーが、韓国内にも大きな影響を及ぼしていますが、私は、これは根本的な問題ではないと思います。韓国はアメリカの植民地でもありませんし、中国やヨーロッパを見ても、市場万能主義でその社会が動いているわけではありませんから。

李南周 韓国社会で主として克服されるべき問題として、地球レベルでの市場万能主義があり、国内的なレベルで見ると保守・冷戦的な秩序があるようです。この2つの課題をどのように配合するかという問題が、進歩改革勢力の進路に関する様々な論争を誘発しています。金基元さんのお話しは、グローバル市場万能主義があるとしても、対応の仕方によって調節できる反面、南北関係で派生する保守優位の勢力関係と理念の地形が、87年体制を発展的に牽引できない、さらに重要な原因になっていると理解できるでしょう。

鄭泰仁 私は少し考えが違います。ジニ係数(階層間所得分布の不均衡程度を現わす数値―編集者)のような格差指標や他の経済指標を見ると、もっともよかった時期が1985~95年です。この時期に格差が減り、所得などすべての面で格差が減りました。それは1987年の影響だったと思います。全社会的に労働組合が結成され、分配に対する要求が強く噴出しました。そのような流れが急激に挫折するのが1995年で、その象徴的な出来事が金泳三(キム・ヨンサム)政権の「世界化(グローバリゼーション)宣言」です。ですが、官僚はすでに80年代以来、新自由主義に傾倒していました。それは政策としては別に見られませんが、1995年からの金融市場開放が大きな影響を及ぼし、IMF金融危機を引き起こしました。事実、指標の上で見れば、国民政府(金大中政権、1998~2003)と参与政府(盧武鉉政権、2003~2008)の時のジニ係数が悪化する傾向は特に違いがありません。市場所得ジニ係数はほぼ同じ速度で悪くなりましたが、国民政府と参与政府では、税金を通じた福祉によって、租税後ジニ係数、つまり可処分所得ジニ係数は緩和される傾向を示します。そして李明博政権になって格差が拡がりました。このように経済政策が市場原理主義の末期に焦点化されていたので、経済がそのような方向に流れたのだと思います。進歩勢力の力が弱かったからだという話もありますが、政策基調自体がそうだったのだと思います。
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市場万能主義に影響を受けたのは国民も同じだと思いますが、教育投機と不動産投機に熱を上げたのは90年代中盤からでした。その時から韓国は、無限競争社会に入ったということを自覚し、自分一人で生き残らなければならないという認識が強くなりました。2000年代初に、ついに「お金持ちになりましょう」のようなスローガンが広く流行すると、このような雰囲気は2008年の総選挙で頂点に達しました。特別目的高校、ニュータウン構想をハンナラ党と民主党が同時に掲げ、そのような候補を国民が選んだという事実は、生活の中にまで市場原理主義が浸透したということの傍証でしょう。それが李明博政権を生んだのだと思います。現在、李明博政権は危機にありますが、これはアメリカの金融危機が核心的な原因です。アメリカ式システム、市場万能主義、生態などの様々な問題が同時に拡がっています。この危機は簡単に克服されないでしょうが、私たちがこのような時代の変化をどのように反映し、どのような社会を作るかが、2013年体制の主要な内容になるだろうと思います。
金基元 鄭先生のお話しの中で、事実関係よりも解釈の部分を見るならば、80年代中盤から90年代中盤まで所得分配が改善される傾向は、労働圏の強化とともに高蓄積が起きた時期なので可能だったのでしょう。それが過剰蓄積にまでなったのがIMF事態を引き起こした内部的な要因です。ここに無分別な開放という対外的要因が結びついたのですが、そのような高蓄積の中では労働力に対する需要が急激に増えるので、自然に賃金が上昇して分配状態がよくなります。ですが、金融市場開放のために突然状況が悪化したわけではないと思います。金融市場の無分別な開放がIMF事態を引き起こした要因ではありますが、よく考えてみると、IMF事態は結局、資本主義の恐慌状態じゃないですか。恐慌というのはそれ以前の過剰蓄積を調整することであって、その過程では市場で高賃金状態が調整されることで分配構造が悪くなります。まずIMF事態の直後に分配状態が急激に悪くなりますが、その後は相対的にさほど大きく悪くなってはいません。しかも福祉政策による可処分所得の分配はほとんど一定で、むしろ改善される傾向も示していて、10年間の民主政権が積極的に市場万能主義政策をとったので、李明博政権で何かが急激に変わったと考えるのは難しいと思います。

朴昌起 87年体制は、私たちが、世界で類例のない経済発展と民主主義を同時に達成した体制だと思います。IMF金融危機を体験しましたが、自らこれを克服し、国民所得2万ドル時代をもたらし、世界15位の経済大国になったんです。ですが、国民はそれほど幸せになったようには思えません。ともによい暮らしをする社会ではなく、利権集団だけがよい暮らしをしている社会、過度に競争に追われる社会、生まれた条件によって運命が決定される硬直した社会になったのではないかと思います。お二人がおっしゃった、グローバリゼーションと金融自由化が市場原理主義を招き入れ、多様な問題の根源になっているというのは、ほとんど全世界的な現象でしょう。だから私たちは、簡単に避けて通ることはできなかっただろうと思います。李明博政権が誕生した理由について、私は民主政権10年間の実情がより大きく影響を及ぼしたと思います。盧武鉉政権の末期に民心が背を向けた理由の1つが、貧富格差がさらに深刻になったということでした。それ以前は、OECD国家のうち貧困層の比率は平均よりも下でしたが、この時にずいぶんと上昇しました。

 

民主政権10年と李明博政権が残したもの

 

鄭泰仁 盧武鉉大統領が新時代の長男かと思っていましたが、よく考えてみると旧時代の末っ子だったという表現の方が正確だろうと思います。グローバルシステムの傾向と民主政権の指向が不整合だったのでしょう。実際に全世界的な圧力にかなり押されました。その時と今がどう違うかというと、今はグローバルシステムの圧力が減り、むしろ混乱が生じて、どのような方向にも進みうるという点でしょう。グローバルシステムの圧力を避けて新たな典型を作ることもでき、競争一辺倒でなく、ともに生きる方法も可能だということに国民的な共感も集まっているので、2013年体制で民主的・進歩的な価値が具現されうる条件がととのっていると思います。もちろん長い間、混乱と危機が続けば反対の可能性もあります。民主政権10年の情勢よりは、むしろさらに有利な条件でもありえます。

李南周 地球的なレベルの変化が新たなビジョンの模索に有利に作用するという点は重要な指摘だと思います。ですが、国民が社会的不平等を深刻な問題として受け入れた2007~08年当時、どうしてその問題をさらに積極的に提起する勢力ではなく、李明博政権という、その問題の解決とはほど遠い側を支持したのかという点は、解明が必要だろうと思います。ここに今後、進歩改革勢力がどのような方向に進むべきかという問題に対する解答の鍵が隠れているかもしれないと思います。抽象的な進歩的価値だけを掲げても、うまくいく問題ではないということです。

金基元 朴社長は、民主政権10年の失敗が李明博政権の登場を招いたとおっしゃいました。2つの政権が期待に大きく及ばなかったとは言えるでしょうが、やや度の過ぎた酷評ではないかと思います。かなり世論に叩かれた住宅価格の問題をみても、その時期にイギリスやスペインのような他の先進国では住宅価格がさらに上がりました。功過をきちんと評価する必要があります。ただ、2つの民主政権は、87年体制の成果と限界を合わせ持っていますが、限界をきちんと克服できなかったということには同意します。そのために国民が李明博政権に期待をかけたのですが、それもやはり失敗しますから、ソウル市長補欠選挙のような結果が出たのでしょう。87年体制の成果は、独裁を克服して労働圏が認められるようになったことです。87年体制の矛盾は、経済レベルで見れば、不安、不満、疲労という3つのキーワードで説明できそうです。今日、韓国は、購買力基準の1人あたりGDPが3万ドルで、イタリアやニュージーランドと同様の水準です。このように先進国の水準ですが、不安で不満があって疲労しているということ、これが87年体制の問題です。ですが、それは、他の見方をすれば、87年体制を、望ましい2013年体制へと変化させる原動力になりうると思います。不安という要素を見てみると、過去の高度成長段階では成長自体が福祉問題を緩和あるいは隠蔽してきました。資本と労働が成熟し産業構造が先進国型に到達して高齢化が進展し、中成長段階または低成長段階に進入しましたが、これに見合った福祉システムはいまだ備わっていないんです。子供の養育や失業や老後に対する不安がそのような現象です。

不安が福祉、つまり再分配(二次分配)の問題ならば、不満は一次分配の問題です。市場所得の不公平に対する不満です。大企業と中小企業の間の不公平な競争に対する不満、一方で公共部門を含む大企業の正規職と、他の一方で非正規職、あるいは中小企業勤労者との間の不当な格差、つまり同一労働―同一賃金が適用されないことに対する不満でしょう。また、腐敗と投機による不労所得が、過去よりは減ったものの、相変らず続いている状況に対する不満があります。次に、疲労の問題を見ると、生産と再生産において、先進国追跡型の成長モデルが87年以降まで持続していますが、それによって過度な入試競争、長時間労働、老年労働が続きます。韓国は老年層の労働比率と自殺率が圧倒的に高い数値で出ています。このような現象が疲労をもたらします。これが87年体制の問題であり、民主政権も克服できなかった問題でしょう。これについて李明博政権に期待して、失望した状態ではないかと思います。

鄭泰仁 主体の側面から、今、87年体制の矛盾を見ると、まず政党や労働組合などの様々な組織の関係がヨーロッパとは違って分断されました。政権を変え、自分たちの考えを実践できないので、事実上、民主労組の金属労組や現代自動車労組は、自らの利益を追求する指向が強くなりました。これらに対する国民の信頼度が落ちています。古典的な形の主体が韓国社会で失敗したということです。ただ、市民社会は世界で一番強いようです。アジアだけで比較しても、日本の市民社会は地域共同体にあまりにも密着していて中央に影響力がなく、中国は最初から市民社会が存在しません。アメリカやヨーロッパでも韓国のように市民社会が躍動的なケースは珍しいようです。もちろん民主化が進展するにつれて、共同の問題をともに解決する方向に行くべきですが、これまでは民主化がむしろ個人的な解決の方に、各自「私は競争で勝つ」という信頼を持たせたら、李明博政権が出てきて、それが現在、崩壊しているのだと思います。具体的で現実的なビジョンを提示すれば国民は受け入れるだろうと思います。2013年体制が、今は、進歩的価値、共同の解決の方向に向かう可能性の方が高いと思います。

 

不完全な民主化と市場権力の強化

 

李南周 87年体制の進展を阻んだ部分が、相変らず2013年体制の足を引っ張ることもありうると思います。87年体制以来の変化を形成した力は、下からの圧力と政権の掌握を通じて得られました。もちろん国会でも一定の動力が生じました。特に民主政権の10年がそうでした。ですが、社会の理念的・社会的・経済的資源が、分断体制のもとで形成された既得権層に、絶対的に有利に分配された状況は、根本的に改善されず、そのことが様々な改革の試みを挫折させた重要な原因だったと思います。このように韓国的な脈絡を強調する理由は、このような社会的な力、ないし資源の不均等分配という問題を克服できなければ、2013年体制も挫折する可能性が大きいと思うからです。

金基元 87年体制の持つ政治・社会的な問題は、民主化が不完全だったという点でしょう。過去には独裁政権が韓国社会のすべての勢力を牽制しましたが、最上位の独裁権力が失墜していくと、財閥、マスコミ、検察のような新たな中間権力が登場します。これに対する民主的な牽制装置が備わっていないんです。一方で巨大企業の労組も労働者内の特権集団として浮上している点が、不完全な民主化の一側面でしょう。また他の側面では、地域主義の政党体制が存続し、階級・階層政党がそこまで発達しなかったために、政党の代表性の問題が解決していません。韓国労総や民主労組はどの政党が代弁するのか、未組織労働者や自営業者はいったい誰が代弁するのか、このような問題があるんです。また南北関係における87年体制の矛盾は、太陽政策〔金大中政権の対北朝鮮融和政策。盧武鉉政権にも引き継がれた〕があったものの安定的ではなく、李明博政権になって簡単に「風雨政策」へと回帰することになったのです。太陽政策の成果が経済的な側面に限定されており、政治・軍事的側面では目標が達成されていない状況です。このような87年体制の矛盾を民主政権が克服しようと努力しましたが、充分な成果を上げられなかったという点が、2013年体制について真剣に考える、私たちに与えられた宿題であると思います。

朴昌起 過去10年を見ると、IMF金融危機以降、韓国企業の力がかなり強くなりました。IMF金融危機の直後に、韓国証券市場の時価総額は300兆ウォンにまで落ちましたが、現在は1000兆ウォンにまで上がっています。そして国際競争力がかなり高くなり、負債比率は大幅に低下しました。このように生産される付加価値の量が莫大なので先進国になったんでしょう。ですが、集団化された10パーセントの少数が個別的な90パーセントの多数を搾取する構造が固定化しました。財閥、官僚、高賃金労働組合のような少数集団が多数の公益を侵害するということです。特に財閥の支配株主が支配権を悪用し、会社に損失を負わせて、自らの利益を引き出します。便法的な相続や秘密資金作りのような違法な財テクが盧武鉉政権期にもかなりありましたが、その理由の1つが三星(サムスン)の便法相続を盧武鉉政権が事実上認めたためだと思います。そして大企業の労組や全教組で過度に自らの利益を貫徹しようとする努力が、非正規職を増加させた1つの理由だと思います。財閥は市場万能主義イデオロギーを利用し、大企業の労組は進歩や平等のようなイデオロギーで自らの集団利益を合理化しました。官僚集団、ジャーナリスト、法曹人、医療関係者のようなエリート集団も、過度に自らの利益を追求する傾向に流れました。大学の授業料が非常に高くなったのは、大学教員の集団利己主義も影響を及ぼしたと思います。このようにそれぞれのセクターで、既得権を確保した利権集団の力が強くなる傾向をきちんと観察するべきです。

鄭泰仁 民主化を達成して独裁を打倒することが、国家の弱体化として結果することもありえます。国家の弱体化は、一方では市民権の強化ですが、同時に市場権力の強化でもあります。象徴的な出来事がいくつかあります。そのうち国家が、財閥と政策をめぐって戦って初めて敗北した、1988年の金利論争がありました。通貨量の増加か抑制かをめぐって財閥と綱引きをした趙淳(チョ・スン)副総理が、金利自由化だといって金利問題から後退し、賃金の抑制に合意します。93年頃に金泳三大統領が高位官僚を三星の研修院に送るようなこともありました。このような出来事からわかるように、市場権力がきわめて強くなりました。韓国民にとって、三星は、金妍児(キム・ヨナ)のような国家代表選手でしょう。このような面が、87年体制が進歩的な価値や共同の社会へと進んでいない重要な要因です。

 

東アジア、新たな戦略的拠点

 

李南周 2013年体制のビジョンの方に話を移したいと思います。国内システムも重要ですが、韓国社会の変化が東北アジア、朝鮮半島レベルの規定を受けるという点についても真剣に考える必要があると思います。鄭先生が最近、世界的レベルにおける肯定的な変化が、民主的・進歩的価値の実現に貢献するという期待を表明されましたが、これを活用する重要な契機として、東アジアの協力に注目する必要があると思います。これがまた韓国内部の改革の糸口を提供することもあるでしょう。
鄭泰仁 東アジア時代が到来するという話が10年前から出ていました。その時は日本を念頭においてのことでしたが、その後、東アジア時代という話題があたかも現実とかけ離れたもののように言われるようになり、今回の金融危機を経て、G2体制、つまり中国が過去の日本のようにはならないだろうということが確認されたわけです。G2体制を通じて、韓国が、アメリカと中国の間でいかなる位置を占めるかが重要になりました。盧武鉉政権当時、東北アジア時代委員会の構想は、中間者の役割を果たそうということでした。盧大統領の表現通りに言うならば、東北アジアの均衡者でした。それが今、さらに重要な時代になりました。

朴昌起 2008年から全世界的に多くの分野で変化が起きていますが、その1つが供給不足の時代から需要不足の時代に変わったことです。人類の歴史では概して供給が不足しました。だから物を作りさえすれば消費される、供給が需要を創り出すという法則もありました。ですが、20世紀末からは生産能力の過剰時代が到来します。その理由の1つは中国が大規模生産をできるようになったためです。問題は、ヨーロッパやアメリカが財政赤字と貿易赤字を甘受しながらも、それを消費しながら均衡が取れていたのですが、その均衡がもはや崩壊したということです。アメリカとヨーロッパが老齢化して消費が減ります。今回の金融危機の核心的な原因の1つもこれだと思います。新たな時代、つまり需要不足時代を解決する力量を持った国が、今後、世界経済を牽引する強国になるでしょう。

その点で韓国は、3つの面で有利な条件を持っていると思います。最初に、需要を作り出す余地が大きいことです。庶民層、貧困層に対する福祉を強化して消費を増やすことができます。アメリカやヨーロッパなどの先進国は、すでに国民所得が4~5万ドルほどですが、私たちは2万ドル水準ですから、庶民層に仕事を与えて福祉を与えれば消費が増え、所得も10年以内に3~4万ドルほどになると思います。2つ目に、中国が世界最大の消費増加国になりました。地理的・経験的・文化的に近い私たちにとても大きなチャンスが訪れたのです。3つ目は北朝鮮の存在です。北朝鮮の1人あたり国民所得は600~700ドル程度だと思いますが、南北経済交流が活発になれば10~20年内にその10倍を越える1万ドルくらいになるのは可能だと思います。私たちに技術とノウハウ、資本があるからです。もちろん戦略をきちんと立てるべきで、国民的な同意がなければならないでしょう。需要を積極的に創り出す戦略で、経済成長を通じて税金をさらに集め、福祉財源を準備するのが望ましいと思います。

李南周 東アジアが地球的な資本主義拡張の舞台になるのか、あるいは新たな成長モデルを作り出すのかという問題が、相変らず提起されると思います。たとえば南北経済協力について、新自由主義を北朝鮮にまで拡張するのかという指摘もありましたが、他の経路が可能かと問うてみようということです。

鄭泰仁 今は、過去の東北アジア時代委員会の構想が実現されうる条件がかなり備わっています。たとえば、金融危機に対処する金融協力構想、チェンマイ協定(Chiang Mai Initiative)の拡大、これに各国間通貨スワップまで加わっています。一段階進んで、共同外貨準備高管理になると、事実上、アジア通貨基金の前の段階まで行くんです。東アジア地域の外貨準備高は4兆ドルを超えます。2兆ドル程度なら充分に危機を防ぐことができ、残り2兆ドルを領域内格差の縮小に使用できます。朴社長のおっしゃった需要創出が、戦後ヨーロッパの復興に大きな役割を果たしましたが、東アジアの未開発地域に共同基金を使って領域内格差を解決しようというビジョンならば、中国や日本も受け入れるでしょう。ここまでは国家間で充分に合意できると思いますが、エネルギー・生態問題は少し難しいでしょう。中国が経済発展のためにエネルギーを確保し、生態問題は無視する戦略で行くだろうからです。国家同士で解決できないならば、市民社会が率先しなければなりません。各国の市民が自国の政府に圧力を加えるんです。エネルギー・生態問題では、今、アジアが最も後進的ですから、ヨーロッパよりさらに積極的に行くべきです。

 

中国の浮上、危機かチャンスか

 

李南周 戦後ヨーロッパの復興がアメリカのマーシャルプランで可能だったとすれば、アジアはひとまず自らの金でできる条件にあり、金融危機の克服にこの路線で行くならば、アジアが新たな世界経済発展のエンジンの機能を果たすと思います。私もエネルギー・生態問題はかなり難しいと思います。肯定的な面を1つ見るならば、中国でも生態問題の解決なしでは成長が持続不可能であるという点をすでに認識していて、国家的な課題として対応しようとしています。必要が発明の母になるかもしれないという期待ができそうです。

鄭泰仁 今、EUが危機を迎えています。根本的な原因は、領域内格差を解消しないまま単一通貨を使っているためです。東アジアでも協力を強化するためには領域内格差を解消することがきわめて重要です。中国は自国の内陸の問題を先に考えるでしょうが、北朝鮮やモンゴルや東南アジアの発展が同じように重要だという点で合意するでしょう。以前は中国の役割拡大にアメリカが積極的に反対し、日本がこれに同調して先頭に立つという形でしたが、今は日本が消極的で、むしろ李明博政権がそれを阻む役割をしており、かなり時代に逆行しています。

金基元 中国との関係が87年体制の問題を解決する決定的な突破口になりうるか、これは少し疑問です。中国との関係をどのように結んでも、87年体制の不安、不満、疲労を解決できないでしょう。私は、中国が87年体制克服の決定的な鍵であるというよりは、同伴発展の対象だと思います。東アジアの同伴発展というレベルで、中国との関係を牽引するべきでしょうが、反面、日本に対してはかなり冷遇しているのではないのかと思います(笑)。韓日FTAも前の政権のときに中断しました。環境やエネルギー問題に対する東アジアレベルの対応という面でも、日本がこの分野で先んじているので協力できるでしょうし、北朝鮮を望ましい改革・開放の道に進むように誘導するという時にも日本との共同努力が必要ですが、ずいぶんと日本を疎かにしていると思います。あまりにも中国の力が強大になっているので、対等なレベルで協力するためにも、日本との関係を今よりは強くするべきではないかと思います。

鄭泰仁 ヨーロッパ合衆国(USE)建設の議論は、ほぼ100年という歴史があります。レーニンが1915年にそれに関する論文を書いたと思いますが、これに比べて東アジアの議論の歴史は30年ほどに過ぎません。新たな東アジアシステムの運営原理、いかなる社会を指向するのかについての討論が活発になるのは、非常に重要だと思います。EUの形成当時に戻ってみると、アメリカの立場では、ソ連を牽制するための共同体として、ヨーロッパ共同体の成立を援助しましたが、東アジアはこれに比べて条件がさほどよくありません。アメリカの立場では主要敵ともいえる中国が共同体の中にいますから、どうにかして牽制しようとするでしょう。アメリカを説得して圧力を緩和させる政策をとるべきです。もう1つ、中国もやはり危険な存在だと思います。このことは金先生のおっしゃることとも通じますが、日本の重要性が高まります。ロシアや東南アジアも有力な勢力になりえます。中国もアメリカも、どちらの覇権も望まない国々の連合とでもいいましょうか。ロシア、韓国、北朝鮮、日本、東南アジアまでつなぐ連合を形成するのも、明らかに重要な戦略です。これは東北アジア時代委員会の時とは違います。あの時は中国が今ほど大きくありませんでしたから。

 

対話 ②