창작과 비평

韓国の中産層を考え直す

2012年 春号(通卷155号)

 

論壇と現場

 

 

具海根(ク・ヘクン) ハワイ大学(アメリカ)の社会学教授。国内で刊行された著書として『韓国労働階級の形成』などがある。
hagenkoo@hawaii.edu


 

*本論文は、筆者が2010年にソウル大学(韓国)の奎章閣(キュジャンガク)国際韓国学センターの招聘研究員として滞在していた際に行った調査及び研究の結果を中心に論じたものである。


 


中産層の危機が韓国社会の重要な社会問題として台頭し始めたのはかなり以前からのことだ。1990年代末の通貨危機、さらには最近の世界的な経済不況までも重なり、韓国の中産層が消滅、もしくは没落しつつあるという認識は、政界やマスコミ界だけでなく学界においても多くの研究者が共感しているところであり、既に研究や論議なども行われている。 申光榮(シン・クァンヨン)『韓国の階級と不平等』、乙酉文化社 2004; 兪八武(ユ・パルム)•金源東(キム・ウォンドン)•朴慶淑(パク・キョンスク) 『中産層の没落と階級の両極化』、小花 2005; 洪斗承(ホン・デュホン) 『韓国の中産層』、ソウル大学出版部 2005; 韓国社会学界 編『岐路に立たされた中産層:現実診断と復元の課題』、インガンサラン 2008。 しかし、このような社会的な関心にも関わらず、これまでの中産層に対する論議はその殆んどが形式的なものにとどまっていたのではないかというのが筆者の個人的な見解である。なぜならば、その殆んどの論議が中産層を固定的な性質の集団として見做したまま、その集団に属している人々の数の減少だけに注目し、集団の内部構成や社会的性格の変化に関する深刻な論議は殆んど行われていないからである。

多くの社会学者が強調しているように、中産層は決して一定の客観的指標によって容易に定義できる集団ではなく、その社会の全体的な脈絡によって、その意味と性格が異なってくるのである。経済的なレベルから見れば、現在の韓国の中産層の平均所得や生活水準などは過去と比較しても決して低いわけではなく、また所得分配の規模においても2009年度、全体の世帯数の67%が中産層に属していると集計された。 統計庁「KOSIS 2009年4/4分期及び年間家計動向」。統計庁の中産層規定は、全国二人以上の非農家世帯の中位所得の50%~150%に至る所得に該当する世帯比重を意味する。より体系的な最近の分析によると、中産層の比率は2003年度の60.4%から2009年度には55.5%へと下降している 。 サムソン経済研究所『韓国の中産層の変化と経済社会的結果』(2010)。ここでの分析においても統計庁と似通った中産層に対する定義を使用している。確かに、このような統計の結果は過去数年間の韓国中産層の縮小を物語ってはいるが、現在も韓国では中産層が厚い層を形成しており、多くの人々が自らそこに属していると信じている。

だからといって韓国の中産層に深刻な変化がないわけではない。韓国の中産層は明らかに瓦解、且つ没落へと向かっている。しかし、それは多くの中産層の家庭が、単に経済状態が悪化して下層へと向かっているという意味ではない。韓国の中産層は単なる量的な縮小だけでなく、重大な質的変化を迎えているのだ。韓国の中産層は過去の経済開発時代に存在していた比較的に同質的で流動的な社会階層から、徐々に内部的に分化しながら社会移動の通路が遮断された階層集団へと変貌しており、それと同時に社会的安定勢力でなく挫折感と不安の高まった政治的に予測不可能な社会勢力へと変貌しつつある。

従って、韓国の中産層の危機を明確に把握するためには、グローバル時代における彼らの経済的・社会的・文化的な脈略を分析し、今の時代における中産層の意味とは果して何か、今一度考え直すべきではないだろうか。本稿の目的は、筆者が2010年と2011年の夏、韓国での観察と非公式深層面接を通して得た資料に基づいて韓国の中産層の変化を包括的な角度により分析することにある。

 

1. 経済開発時代の韓国の中産層

 

中産層の変化を明確に把握するためには、その形成過程を考察する必要がある。一つの社会階層/階級は歴史的な産物だからである。周知の通り、韓国の中産層は1960~80年代に形成された経済発展の産物である。当時の急速な産業化は多くの管理職や専門職、そして事務職に従事する人々を生み出し、それと同時に都市の自営業者も増加することによって自然と中産層の中枢が形成された。

しかし、韓国の中産層はこのような経済的な変化だけによって形成されたわけではなかった。あらゆる意味で中産層は言説の産物とも言えよう。中産層は伝統的な社会学概念である中間階級とは違い、相反する利害関係を反映した階級の概念というよりは、経済発展による生活水準の向上と生活様式の変化を表す非マルクス主義的概念と言えるだろう。韓国における中産層という概念の登場は朴正熙(パク・ジョンヒ)政権の経済発展至上主義と関連しており、所謂「中産層社会」の達成により政権の正当性を確保しようとした軍事政権の戦略と深く関連している。

だからといって、中産層の概念が単に政治的な動機だけによって生まれたわけでもない。韓国の経済発展は現実的に多くの国民の生活水準を向上させ、自分の経済的な位置が親の世代、そして過去の自分の位置とは全く違っているということを実感させた。中産層はこのような個人的な階層上昇の体験と熱望を代弁してくれる概念であった。

このように中産層は経済が発展していく社会において重要な社会的意味を持つ。1980年代まで韓国の中産層は、経済的な位置の似通った多様な集団によって構成されており、身分の上昇を切望する多くの庶民にとって中間層及び主流層への進入が可能な社会的移動の通路が提供されている、比較的開かれた階層であった。朴正熙政権時代に多くの国民が「豊かな暮らしを」というスローガンのもと、誰もが中産層になれるという希望を抱き、それは一種の社会契約(social contract)として作用した。そして、この暗黙の契約は社会的な安定を図り、全国民が経済発展のために自ら努めるという結果をもたらした。

ここで注目すべきは、中産層がこのように社会的・政治的安定勢力としての位置を占めるための最も重要な前提が、開かれた集団でなければならないという点である。即ち、中産層への進入が比較的容易であり、同時に社会的な上昇移動の機会が多くの構成員に開かれていなければならないのである。その条件が1970~80年代の韓国には存在した。経済成長によって多くの人々が中産層へと進入できた。そして中産層の構成員となってからは時間の経過と共に職場で年功序列に従って昇進し、年収も上がり、マイホームも手に入れ、さらにはマンションの価格も上昇しながら、比較的充実した中産層の暮らしを満喫することができたのである。要するに、開発時代の中産層は比較的に同質的で流動的な開かれた社会階層として存在しており、このような階級的な性格が韓国の中産層を社会統合的でありながらも安定的な集団と見做すことのできる根拠であった。

 

2. 中産層の内部分化

 

韓国は1960年代以降、高度の経済発展を達成しながらも比較的に平等な所得分配が維持されていた。しかし、所得分配とは別に、資産、特に不動産においての不平等さが急速に増加し、1980年代に至っては不動産の所有による「富」の集中が現われ始めた。そして、このように形成された富裕層は、ソウルの江南(カンナム)地域を中心に新たな消費形態と余暇生活を作り出し、徐々に社会的・空間的に差別化された階層集団が登場することとなった。

しかし1980年代まで韓国の富裕層とその他の中産層の間の社会的格差はそれ程深刻なレベルではなかった。それには二つの理由が挙げられる。一つ目は、富裕層が登場したには違いないが、まだ閉鎖的な集団を形成していたわけではなく、その他の中流層の人々にも経済的な条件が揃いさえすれば、幾らでも富裕層へと進入できる通路が開かれていた。二つ目は、1980年代まで韓国の中産層は主に経済的な資産だけが他の階層と大きな隔たりのある集団であった。そして、そのような経済的な隔たりが社会的・文化的な面での隔たりまでも作り出すことはできなく、特権的な機会構造を所有することもできなかった。

その重要な要因の一つに所謂「発展国家」の役割があった。朴正熙政権時代から維持されてきた輸入統制、為替管理法、海外旅行禁止、教育平準化、家庭教師禁止などの一連の権威主義的な政策は、経済的な資源が消費や教育の機会へと転換するのを遮断していたからである。しかし、全斗煥(ジョン・デュファン)政権以降、市場自律化が始まり、1990年代に入っては、韓国経済が世界資本主義の体制へと編入されることにより韓国の階級/階層構造にも重要な変化が現われ始めた。

この変化がはっきりと現われる切っ掛けとなったのが、1997~98年の通貨危機である。周知の通り、この通貨危機は韓国の中産層と労働者層の生活条件と生活様式を丸ごと変えてしまう切っ掛けとなった。大規模な失業事態、早期退職、不渡り、倒産などが発生し、その後施行された産業改変と企業の構造調整は労働者層だけでなく、管理職やホワイトカラー労働者の職業環境をも根本的に変えてしまった。終身雇用(生涯の職場)という伝統的な職業概念が消滅し、多くの労働者が正規雇用から非正規雇用へと降下してしまった。殆んどの大企業は、労働柔軟性政策に従って、中間層の管理職を減らしたり、又はアウトソーシング、臨時職へと切り替えたりした。

それに伴い、自営業者は経済的な不況による市場状況の悪化にも関わらず増加したが、それすらも大企業の浸透と過剰競争の中で倒産の確立が高くなる一方であった。自営業は、大企業の名誉退職者や早期退職者などが退職金を投資して開業し、その失敗により生活資金までも失ってしまい、結局は中産層から落ちてしまう通路となってしまったのである。

このような全ての変化は安定的で上向志向的であった中産層の物的基盤を損なわせ、過去中産層の中心に位置していた多くの管理職、ホワイトカラー、自営業者をどん底に突き落としてしまう結果をもたらした。彼らは表面的には今も以前のような暮らしを維持し、自らを中産層に位置していると慰めているかもしれないが、不安的な生活条件と見通しの立たない未来は、彼らから過去のような中産層の安定感と楽観性を奪ってしまったことだけは間違いない。

ここで重要な点は、通貨危機やそれ以降の産業構造調整が全ての人々に否定的な影響を与えたわけではないという事実である。通貨危機は多くの人々に失業、早期退職、倒産などの打撃を与えたが、資産を十分に所有していた一部の人々には硬直した資金市場と価格の暴騰した不動産市場への投資により、一層資産を増加させる絶好の機会を与えることとなった。従って通貨危機によって貧富の差が拡大し、機会構造の不平等も深化したと言えよう。

一方、通貨危機以降進められた産業改革と新自由主義的な企業の構造調整は、賃金労働者間の雇用形態と所得の格差を拡大させた。多くの多国籍企業が韓国に進出し、外資系の企業と韓国企業の合作会社も増え、韓国の大企業の海外進出も活発になるにつれて高級技術者の需要も増加した。他の先進資本主義国家と同様に韓国のグローバル企業が求める人材は、専門技術を保有しており英語を流暢にこなす海外経験や国際的な感覚を備えた人材であった。彼らは、他の専門職や管理職とは全く違った待遇を受けた。さらに米国型の経営方法を取り入れた多くの企業は多様な形の経営システムと能力別の年俸制度の導入により、同じ組織内においても勝者と敗者が区別されるという現象を生み出した。

従って、韓国の経済的な不平等は二つの要因によって両極化の傾向へと進んできたと言えよう。一つは過去の高速経済発展時代の政治経済的な要因であり、もう一つは最近のグローバル化の過程において作動している新自由主義的な要因である。前者が中産層の中で富裕層と一般中産層を分離させる役割を果したとするなら、後者は中産層の労働者(管理職・専門職・ホワイトカラー)の中で勝者と敗者の分化を促す役割を果したと言えよう。ところが、このように勝者として浮上した人々は、実は違った集団ではなく、2~3世代を経た同じ集団出身である可能性が高い。なぜなら、産業化時代に富裕層に進出した家庭の子供や孫は、よりよい教育、文化的機会を通して現在の世界化時代に新たなエリートとして浮上しているからである。両親の階級的資本が子供の生活機会(life chance)を決定するという事実は今さら驚くべきことではないが、両親の経済的資本(economic capital)が、その子供の時代には主に文化的資本(cultural capital)へと転換し、階級的機会を増大させているという事実は非常に興味深い。

即ち、現在の韓国社会の階級的不平等構造を理解するためには、産業化時代から世界化時代にかけて世代間に起こった階級力学を分析する必要があり、経済的な面だけでなく、社会的・文化的分野において進行した階級分化の過程をも同時に考慮すべきであろう。現在、韓国の階級構造に現われている両極化現象は単に経済的分配過程により発生したわけでなく、経済的不平等が社会的・文化的不平等と重なり合うことにより、一層強化され構造化されたのである。

韓国の両極化現象において経済的な面での変化はこれまで比較的多く研究されてきたが、社会的・文化的分野での変化は十分な分析が行われていないと思われる。従って、本稿ではその過程について、消費と教育に現われた階級的な側面を中心に論じてみたい。

 

3. 消費主義と階級の区別

 

現代社会において階級/階層の区別は経済的所有だけで決定されるのではなく消費形態によっても左右される。消費は現代人が自分自身のアイデンティディーと階級的な位置を確認するにおいて最も重要な要素である。特に中産層にとっては何よりも大きな意味をなしている。なぜならば、中産層の構成員は職業が多様であり、生産分野よりはサービス関係の従事者が多く、職業上の地位ではなく消費のレベルと消費方法を通して自らの階級的位置を誇示し確認しようとするからである。

ところが、韓国社会は1980年代以降、この消費領域において大きな変化を迎えた。1960~70年代の韓国は消費よりも貯蓄中心の社会であった。国民の平均所得が低かったという理由もあるが、先述したように朴正熙政権の徹底した通貨政策と輸入抑制政策が重要な役割を果していたと言えよう。しかし、1980年以降、全斗煥政権時代から貿易自由化が始まり、1988年のオリンピックを機に全般的な生活水準の向上と伴って輸入贅沢品の消費が著しく増加した。さらに1987年以降の政治的な民主化は、多方面において過去の権威主義時代の拘束を弱化させ、消費生活にも自由化の風が吹き始めた。最も大きな変化は1997年の通貨危機以降、韓国市場の世界経済への統合によって起こった。過去には厳しく統制されていた高級贅沢品が自由に輸入され、海外旅行も本格化し、1990年代初頭からは海外ブランド品の売上げも急速に伸びはじめた。

このように韓国の消費が徐々に世界化・高級化・多様化されるにつれて富裕層と一般の中産層の消費形態においてもはっきりと差が生じ始めた。富裕層は高級贅沢品だけでなく、いわゆるウェルビーイングなライフスタイルをも享有できるようになった。お金さえあれば他人よりも健康にいい物を食べ、快適な住居地域できれいな水と空気を味わい、先進医療を受けることができるのである。それだけではない。高度に発展した整形技術とエステにより外見さえも管理できるようになった。2000年代の韓国の消費文化は、ブランド品消費やウェルビーイングの追及、外見至上主義などがその特徴と言えよう。では、一体なぜこのような現象が起こり、それが韓国の階層構造、特に中産層の性格にどのような影響を与えているのか、具体的に分析してみる必要があろう。

なぜこのような消費主義(consumerism)が韓国社会に広がっているのかを把握するためには、先ず世界資本主義の市場経済の性格を考えなければならない。勿論、消費主義は後期資本主義の核心的要素であり、韓国だけに見られる現象ではない。21世紀の先進資本主義の生産体制は、過去のフォード主義的な大量生産から付加価値の高い製品生産に集中する体制へと移っており、有名ブランド製品やウェルビーイング製品、そして高級サービス生産に最新技術が積極的に活用されている。この高級製品の主要な顧客としてアジアの新興中産層が浮上している。従って、このようなブランド品消費は韓国だけでなく、日本、中国、香港、台湾などの東アジア全地域において見られる現象と言えよう。 Radha Chada and Paul Husband, The Cult of the Luxury Brand: Inside Asia’s Love Affair with Luxury, London: Nicholas Brealey International 2006。

しかし、他の東アジア社会よりも韓国で高級消費文化が一般化している理由は大きく二つに分けられる。一つは国家の経済政策であり、もう一方は激しい身分競争である。先ず経済政策の面から見ると、1990年代末以降、急速に進められた世界化政策が韓国経済を世界資本主義市場へと深く統合させ、それは韓国社会が新自由主義的な思考と消費主義を無防備状態で取り入れる結果をもたらした。さらに2000年代半ばには消費市場の活性化のためにクレジットカードの使用を促し、各家庭の消費水準を一層高める結果となった。

しかし、消費とは結局のところ当事者が決定すべきことで個人個人の動機が重要なわけであるが、そのような面で身分競争が重要な要因となっている。消費を通した身分競争において韓国的な特徴は、経済的な余裕のある階層だけでなく余裕のない階層の人々までも同様の情熱を持ってその競争に参加しているという点である。殆んどの家庭が当然のごとく自動車を所有しており、ブランド品を持っていない若い女性たちは偽ブランド品でもいいから買おうとむきになっている。さらに休暇シーズンには他人に引けをとらないように有名なリゾートにでも行こうと必死になっている様子などは、まさに韓国的な身分競争の一貫と言えよう。

このように身分競争が激しい理由は、韓国人が比較的レベルの高い平等意識を持っているからである。 これは近代に入って両班(ヤンバン)制度と地主階級が没落し、韓国戦争(朝鮮戦争)を経て、社会が平準化される過程において形成された意識と言えよう。さらなる理由は、最近の経済発展において登場した富裕層が伝統的な上流階級の文化を消化できないまま、主に可視的な消費を通してだけ自分自身の身分を誇示しようとするところにある。 現在、韓国社会での階級構造が次第に固着化されているのは事実であるが、多くの人々は依然として上流層の文化的優位や伝統性を受け入れることができず、家計破綻の危険にも関わらず消費による身分競争に参加しているのである。

従って、韓国人の消費水準は一層高まり、それに伴って家計にも無理が生じている。まさにこのような点が中産層の崩壊の重要な要因なのである。即ち、多くの中産層の家庭が雇用と所得の面で不安的な状態であるにも関わらず消費水準は上昇し続けているため、当然家計の負債額も増加し、未来に備えることのできない状態に陥るのである。 金賢美(キム・ヒョンミ)「中産層の欲望と不安の高まり」、『創作と批評』2011年 秋号、38~54頁。その結果が他でもない中産層内での地位下降傾向である。これは、過去には中産層に属していた多くの家庭がもはや安定的な中産層に留まることができず下降することを意味する。逆に、資産を十分に所有している家庭では様々な高級化された消費行為を通して、より優位な経済的地位を誇示し新たな生活様式を発展させ、一般の中産層家庭との階級的な格差を拡げようとしているのである。

これと関連した重要な事実は、1980年代以降、ソウルの江南地域が新たな富裕層の住居地域として浮上しながら新たな中産層の消費文化を代弁しているという点である。勿論、江南の住民が全て裕福なわけでなく、江北(カンブク)地域にも富裕層は多いが、江南の重要性は(少なくとも核心的な江南地域の場合)住民の消費形態やライフスタイルが、そして教育環境やその他の文化施設が他の地域とは明確に差別化されているというところにある。そのような意味で、江南の登場はまさに中産層の内部での分化を象徴的に示している現象と言えるだろう。

 

4. 教育の世界化と機会構造

 

消費領域で現われた階級分化よりも重要な問題は教育分野で深化している階級不平等の問題である。どんな社会でも、階級/階層と教育機会は密接な関係を持っている。けれども、韓国社会における特異性は1960~80年代の高度成長期を通して、教育機会が比較的平等に提供されてきたという点である。これは歴史的な激変を体験しながら形成された韓国人の強力な平等意識と、過去の軍事政権が自らの正当性を確保するために追求した教育平準化政策によってもたらされた面が大きい。

しかし、経済発展に伴って増大した階級不平等は教育競争の構図を変え始めた。我が子によりよい教育機会を与えたいというのは全ての親たちの願いであり、経済的な余裕のある人々が他人よりも優れた教育機会を求めるのは人間として当然の欲求であろう。しかし、その欲求がどのように発現されるかは、その社会の制度的・階級的環境によって異なってくる。

1980年代以降、韓国社会に現われた教育機会の構図の変化には大きく分けて二つの傾向が見られる。一つは私教育市場の膨張と階層化、もう一つは教育市場の世界化である。勿論、これらの現象は階級構造の変化と深く関わっている。

1980年代の私教育市場の膨張は、一般的に軍事政権が推進した中学・高校の平準化政策の副産物だという見解がなされているが、私教育は平準化政策以前にも存在しており、元々朴正熙政権が過激な政策を打ち出した動機自体は当時盛んに行われた家庭教師を抑制するためであった。しかし、結果的に平準化政策が歪んだ私教育市場を育成したという事実は否定できないだろう。その最も大きな理由は1980年代に生じた階層間の格差であり、その経済的な格差が教育競争へと繋がっているからである。1980年代以降に登場した富裕層が江南の所謂「第8学群(学校群)」地域を中心に住まいを構えることによって、その地域一帯に新興の一流高校と江北地域から移転した名門一流高校が集結し、それと同時に有名な名門予備校なども続々と姿を現した。

江南の一部地域の不動産価格の著しい上昇は、高級な教育施設(公/私教育施設を含む)の密集によるものだという事実は既に周知のことで、所謂「江南の教育ママ」もしくは「デチドン (大峙洞)の教育ママ」達の教育戦略は現在の韓国の富裕層の教育方法を代弁する階級戦略として広く受け止められている。 Park, So Jin. “Education Manager Mothers: South Korea’s Neoliberal Transformation,” Korea Journal 47 (3), 2007, 186~213頁; パク・ソジン「「自己管理」と「家族管理」時代の不安な暮らし」、『経済と社会』2009年 秋号、12~39頁。このような江南地域の高い不動産価格は不可侵の障壁となっており、中・下流層の家庭は近づくことさえもできないという事実もまた周知のことである。私教育が公教育を圧倒している韓国の教育市場に現われたこのような教育競争が、まさに中産層の両極化現象を深化させる要因として作用しているのである。

ところが、1990年代半ば以降、韓国の教育市場には、より大きな変化が起こっている。それは教育の世界化及びグローバル化である。韓国の教育のグローバル化はあらゆる形で現われているが、最も目に付くのは英語の比重の増加と、それを機に現われた教育機会の世界化である。第二次世界大戦以降、英語は韓国社会で常に重要な存在であったが、1996年に金泳三(キム・ヨンサム)政府が世界化政策を発表して以来、特にその翌年通貨危機が発生して以来その重要性は驚異的に高まった。

現在、英語は就職競争の中で絶対的に必要な基本資格であり、単なる外国語の実力としての評価を超え、個人の知的・文化的能力を評価する基準となっている。英語ができる人とできない人は大学入試や就職競争、そして職場内での昇進において大きな差がついてしまう。一言で言えば、21世紀の韓国社会の文化的な両極化現象は「デジタルデバイド」(digital divide、情報格差)よりも「英語デバイド」によって表出しているのである。ところが、注目すべき点は、この英語教育というものが最もお金のかかる分野であり、ゆえに階層間の格差が一層はっきりと現われるという事実である。幼い頃からネイティブ先生に英語を教わり、親と頻繁に海外旅行を体験している学生と、学校で教科書中心の教育を受けた学生との実力に雲泥の差が出るのは当然のことであろう。従って、「英語デバイド」がそのまま「階級デバイド」を意味することになるのだ。

英語の重要性が高まり、韓国経済がグローバル化されるにつれて教育市場のグローバル化も進んだ。これは外国の教育システムの韓国市場への浸透を意味するわけでもあるが、韓国では主に海外留学という形で現われた。小学生と中学生の留学の急増に伴って「やもめ家族」という超国家的な家族形態が登場し、全世界の英語圏国家へと留学に行く韓国の様子が外国のマスコミの注目を浴びたりもした。現在、米国の大学に留学している韓国人留学生が中国、インドに次いで多いという事実は、英語の実力とアメリカ教育が韓国社会の中で成功するためには如何に重要であるかを物語っていよう。

このような現象が意味しているのは、韓国の教育競争がもはや国内においてではなく、世界の教育市場において行われているという事実である。教育競争が世界化するということは、それだけ教育機会の分配が階級的な資本によって決定付けられるということを意味する。例えば、経済的な余裕のある家庭では、国内の一流大学に進学できる可能性が低い場合早期に留学させ、それに相応する、もしくはそれ以上の高学歴を獲得することもできる。このように世界化は教育の機会や戦略という面において、階層間の社会的格差を拡げる役割を果している。教育競争の世界化は過去よりも多様な教育戦略を要求しており、そのような戦略は各家庭の資本に頼るしかないため、階級再生産を強化させているのである。 趙恩(ジョ・ウン)「世界化の先端に立たされた韓国の家族」、『経済と社会』、2004年 冬号、148~71頁。グローバル化された機会構造は、経済的資本を所有した集団とそうでない集団の格差を拡げ、社会移動の障壁を一層高くするであろう。

 

5. 変質する中産層の意味

 

現在、韓国社会において両極化が進んでいるという主張は、多くの人々が体験的に感じていることでもあろう。問題は、この両極化とは具体的に何を意味しているかということだ。それは韓国社会がマルクス主義的な意味で有産者と無産者の二つの階級に分かれているという主張でもなく、又は中産層が減少し続けて社会的な中間地帯が消滅してしまうという予測でもない。広い意味での中産層は現在、韓国社会に間違いなく存在しており、今後も存在するであろう。しかし、問題はその中産層の社会的意味が過去の経済発展期に存在していた中産層とは根本的に違うという点である。韓国の中産層はもはや社会的な緩衝地帯や社会的な移動通路としての役割を果すことはできず、その代わりに深刻な階級内での競争と相対的剥奪感の拡大した社会的空間(social space)へと変貌している。

現在、韓国の階級構造内で最も重要な分界線は、もはや労働者階級と中産層との区別ではなく、上流中産層と大衆(庶民)中産層との区別へと移動している。その根拠は現在の韓国の階級構造において重要な進入障壁、即ち社会的移動の障壁が、どの地点に位置しているかによって違う。筆者の見解では、その進入障壁は労働者層から中産層へと進入する地点ではなく、中下流中産層から所謂「江南の富裕層」に代表されるような上流中産層へと侵入する地点に高くそびえていると思われる。このような進入障壁は経済的な所有によって一次的に決定されるものであり、その他にも生活様式や教育機会、そして社会的連結網などの違いによって、さらに高くなりつつある。

このように中産層が内部において分化及び異質化されることにより、その意味は非常に曖昧になってしまったと言えよう。現在、韓国で中産層とは、果して誰を指すのかという問いに答えることはそう容易ではない。勿論、中間階層の中間に位置し、比較的経済的に安定を保っている人々をその階層の代表とみなすべきであろう。しかし彼らの重要な準拠集団(レファレンスグループ)は自分の上位に位置している富裕層であり、彼らとの比較を通して、自らを中産層と認めることができない場合が多いのである。 それよりも下位に位置している不安定な中産層などは言うまでもないだろう。

2011年の夏、ソウルの様々な中産層の家庭との深層面接を通して気付いたことは、客観的に中産層に属している多くの人々が外見的には中産層の生活様式を保ちながらも、内部では自らの中産層の位置を疑っており、上流中産層と比較によりかなりの相対的剥奪感を抱いているという事実であった。又、ある人は、客観的には間違いなく中産層であるにも関わらず、自らが中産層であることを否定していたのが、その理由は現在の韓国社会で中産層に属するためには「金持ち」と言われるほどの資産がなければならないということであった。即ち、「中産層」の意味が上向き調整され、実際には「上流中産層」だけが中産層と言えるということらしい。

要するに、現在の韓国社会で中間階層は単に消滅しているだけでなく、重要な内部分化を起こしながら瓦解しつつあるのだ。従って、経済発展期に登場した中産層という概念は、もはや21世紀の新自由主義的世界化時代には有用な社会学的概念として見なすことはできないのである。ならば、それに代わるべき新たな概念とは何か、それが今後の韓国の社会学者達が熟考すべき重要な課題なのである。

 

6. 両極化の政治的な含意

 

では、内部的に分化してしまった不安定な中間階層が韓国社会の発展にどのような影響を及ぼすであろうか。この問いに対する正確な答えには、より体系的な研究を要するであろうが、取り合えずは暫定的な見解を述べておきたいと思う。

先ず指摘できることは、現在の韓国の中間階層が、以前の中産層の果していた社会統合と安定化の役割をもはや果すことはできないということである。中産層は一つの単一的な社会勢力を構築する代わりに、其々の内部集団の階層的な利害関係と政治的・社会的性向に従って、お互いに違った行動を取る可能性が高くなった。このような変化が最もよく現われていたのが、最近行われた一連の地方選挙である。特に 2011年のソウル市長選挙は多くのマスコミで指摘されたように、階級投票的な傾向が濃かった。裕福な地域とそうでない地域の投票傾向の違いがはっきりと現われていたからである。

現在の韓国社会において、最も確固たる階級意識を持っているのは恐らく江南地域の富裕層であろう。それは、過去数年間、多くの選挙を通して彼らが保守政党の候補や保守的な社会政策へ投じた大量の票が物語っている。一方、一般の中産層はまだ曖昧で流動的な傾向を見せながらも、若者層の急速な進歩化が目立つことが特徴と言える。このような傾向は単に世代の違いだけでなく、階級的な経験によっても生じている。50代以上の中産層の人々は、過去の経済発展期に中産層に進入し、安定的な位置を占めているのに反して、40代未満の若者層はそのような経済成長の恩恵を受けておらず、却って世界化と新自由主義的な構造調整の中で経済的な不安と挫折感を痛烈に味わっているのである。当然、後者は「富益富貧益貧(富める者は益々富み、貧しい者は益々貧しくなる)」を促す経済体制に批判的であり、職業安定と社会的福祉の拡大を要求せざる得ない。逆に前者は、過去の中産層的な幻想を捨てきれず、経済成長や不動産市場の活性化のような成長中心の政策が過去のような中産層的な暮らしを回復してくれるものと信じている傾向が見られる。

しかし、韓国経済が競争一辺倒、そして勝者独占の形として進化し続け、貧富の差が益々激しくなっていけば、中産層の不満と挫折感は一層進化するであろうし、それと同時に新たな経済体制や社会制度を要求する彼らの政治的反乱も予想される。ただ問題は、そのような彼らの要求を代弁し、組織化できるような政党が果して存在するかどうか、ということである。

そのような意味で、中間階層と労働者階級の関係を振り返ってみる必要があるのだが、前述したように、現在の新自由主義的な資本経済では中間階層と労働者層の階級的な差はかなり小さくなっている。なぜなら、どちらの階層も就職に対する不安と共に、徐々に増加しつつある再生産(教育、医療、レジャーなど)費用への負担に苦しんでおり、また同時に社会的な安全網の不在による不安も感じているからである。これは、論理的には両階層が同じ政党や社会運動へと結合する可能性もあるということであるが、労働組合運動や進歩政党などの現況を見る限り、その可能性はそれ程高くないと思われる。

韓国社会の両極化と中産層の質的な変化は、単に新たな政治的反応を発生させること以上に社会構造全般に深刻な影響を与えている。本稿では主に中産層における変化に焦点を当ててみたが、その変化は結局、韓国の階級構造の再構造化もしくは強固化という意味と繋がっている。即ち、比較的流動的であった過去の中間階層が、少数の上流中産層と一般中産層に両分されることによって、社会的移動性に障壁が生じ、両階層の生活様式及び世界観、そして階級再生産の機会条件も大きく変化しているという意味である。

ところが、興味深いのは、この両極化が単に経済的に余裕のない人々だけではなく、余裕のある人々にも不安と挫折感を与えているという事実である。比較的富裕層と言える家庭さえも不安を抱いている理由は、彼らの階級的な優位が主に物質的な所有と消費競争に留まっており、本当の意味での上流層文化へと発展していないからであろう。韓国の上流層文化は極めて物質主義的であり、利己主義的であり、西欧模倣的である。彼らは自分自身の階級的位置を文化的に確立させるのではなく、経済力の誇示と私教育市場での戦略的な投資を通して競争で優位を占めることにより階級再生産を図ろうとしている。しかし、平等意識が依然として強く存在している韓国社会において、彼らは絶えず競争と直面するしかないのである。世界化の流れの中で多様になった消費と教育市場への財政的・精神的投資の増加、そして激しい競争を通して手に掴んだ優位な立場さえ長く維持することはできないという不安感、これらは常に彼らを脅かすであろう。

このような観点からして、韓国の中産層の危機は決して一つの階層だけの問題ではなく、社会全体の問題であり、根本的には不平等構造の問題である。これらを解決するためには、崩れ落ちてしまった中産層の底辺を引き上げる努力だけでなく、社会全体的に不平等を減らし、社会福祉を増進させる政策が要求される。それと同時に社会的価値の中心が経済成長と無限競争から非物質主義的、共同体的、そして全人類的な関心事へと移動できるよう、文化的転換が行われなければならない。共に生きてゆく社会が、経済的に余裕のある人々にも、そうでない人々にも暮しやすい社会であるという事実に早く気付くべきである。

 

翻訳: 申銀児

季刊 創作と批評 2012年 春号(通卷155号)
2012年 3月1日 発行

 

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