창작과 비평

啓蒙の限界と大衆知性の展開―3・11以後の日本における知識社会の地形変化

2012年 夏号(通卷156号)


論壇と現場

 

 

金杭(キム・ハン)延世大学国学研究院HK教授。著書に『語る口と食べる口』、訳書に『三島由紀夫対東大全共闘1969~2000』『近代の超克論』『例外状態』『政治神学』などがある。ssanai73@gmail.com


 

 

1.

 

「虚をつかれた」。日本を代表する批判的知識人の高橋哲哉は近著で福島原発事故を耳にした時の心情をこのように表現した 。 高橋哲哉『犠牲のシステム――福島・沖縄』集英社、2012年、18頁。これは何を意味するのだろうか? 彼は次のように語る。「研究者として私は…中略…日本の戦前・戦中の『靖国』のシステムを典型とする国家と犠牲の問題を考察してきた。しかしながら原発についてはそれが巨大なリスクを伴ったシステムであることを知ってはいたが、また特に広島・長崎の惨禍を知っている日本国民の一人として疑問を感じて批判してはきたが、原発そのものをテーマにして追求することはなかった。虚をつかれた感じだった。あぁ、放心していたという感覚、何よりもまずこの感覚があったことは否定できない」 。 同上、17-18頁。

常識的に考えれば、哲学研究者である著者が原発問題を扱う必要性はないようにも思われる。しかし著者は放心し、虚をつかれたと感じた。おそらくこの幾分か唐突な感覚こそ、日本の知識界が3・11後に共有する実感なのだろう。政治学、社会学、哲学、文学、歴史学など、さまざまな分野の知識人が、自身の分野とは一見関係なさそうな原発問題については、思考がストップしてしまったことを嘆く。その理由は、敗戦後の日本で推進された原発政策がエネルギーや環境の次元で弊害をもたらすことに留まらず、まさに日本の戦争責任と連動する戦後国家の欺瞞的な歩みが凝縮された問題領域にあるからである。

日本における原子力開発と原子炉建設は、端的に言って、戦後のパワーポリティクスのなかで誕生したものだった。岸信介にとって「平和利用」という造語は、鉄の鎧の上にまとった衣に過ぎなかった。とにかく第二次世界大戦で東条英機内閣の閣僚を歴任し、A級戦犯として逮捕された岸のこの発言、そして広島と長崎が受けた被害については言い募りつつも、東アジア諸国に対する加害の歴史からは目をそむける日本が、岸のこの発言を許していたことを、東アジアの民衆はどう考えるだろうか? 山本義隆『福島の原発事故をめぐって』みすず書房、2011年、12頁。(韓国語訳『福島、日本の核発電の真実』イム・ギョンテク訳、東アジア、2011年)

山本義隆が問題視している岸の発言とは、次のようなものである。「〔核の〕平和的利用と軍事的利用など紙一重の違いしかない。(……)平和的利用とは、どう言っても、何かあればこれを軍事的目的に使用できないという意味ではない」 。 同上、12頁。これは1959年の日本の参議院予算審議会での発言であるが、1954年から推進されてきた日本の原発政策が、結局は潜在的に核兵器の保有能力を育てるためであったことを語る一節である。

敗戦直後から展開された日本の復興政策とそれをめぐる言説が、戦争責任を徹底的に忘却した上でのものであったことは、もはや語る必要もない。軍の統帥権を持っていた天皇を法的に免責しただけでなく、多くの文化人が自発的に裕仁を軍国主義者に脅されたか弱い君主として表象した。また、A級戦犯の岸信介が紆余曲折の末に首相になったことからもわかるように、15年間のアジア・太平洋戦争の遂行の中心的役割をしていた軍部・官僚・財界のほとんどの人物が手傷も負わずに戦後日本のメインストリームを形成したこともまた、よく知られた事実である。

この流れのなかで冷戦の対立を背景に敗戦後の日本はいともたやすく戦前の国家の位相を回復していった。1954年に国会に提出された原子力関連予算、翌年に成立した原子力基本法は、このような戦前の既得権勢力が国家位相を回復するための試みの中軸となる政策だった。広島と長崎に投下された原子力爆弾の威力は、国際政治を核開発競争へと駆り立て、敗戦後の復興の道を模索していた日本の主流勢力は潜在的にでも核兵器の保有能力を持つことが国家位相の回復に必須だと考えたのである。すなわち原子力発電所建設政策は、戦争責任の忘却と、揺らぎのない富国強兵路線の維持を企てていた日本の主流勢力の、戦後復興プログラムだったというわけだ。

高橋哲哉の「虚をつかれた」という言葉は、まさにこの歴史の過程への無感覚を表している。原子力発電所が単なるエネルギー政策の一環として建設されたのではなく、日本という国家体制の根源的問題性を凝縮する、怪奇な複合建築物であることに気付かなかったということである。3・11以後の日本の知識界を見る時、この感覚を確認しておくことは、もう少し広いコンテクストで日本の知識社会の地形変化を跡付けるための出発点となる。この感覚は、結局のところ戦後民主主義をリードしてきた批判的知識人の啓蒙が限界を迎えていることを教えてくれると同時に、知識人と大衆の乖離および位階化を基礎として形成された日本の知識社会が、いわゆる「大衆知性」の展開をつうじて徐々に変化の兆しを見せていることの表れでもあるからだ。以下ではこの啓蒙の限界と大衆知性の展開を検討していこう。

 

2.

 

3・11以降に多くの関連書籍が出版され、そのほとんどが原子力発電所は明治維新の後の近代国家日本の本質を凝縮した建築物であるとの認識を共有している。もちろん全てがそれに気づけなかったことを反省しているわけではないが、原発問題がエネルギー政策や環境問題に限られたものであるとか、人類の文明の傲慢さに対する自然の警告などといった抽象的水準で議論されてはならないということは、ある程度知識界の常識でもある。原発問題は究極的には歴史と政治と国家と資本主義の問題であることを、日本の批判的知識界は共有しているのである。

3・11直後に出版された開沼博の『「フクシマ」論――原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、2011年)は、このような認識をよく見せてくれる本である。本書は3・11以前に東京大学大学院情報学環(情報学分野の学際研究教育機関)課程に提出された修士論文をもとにしている。著者は本書で原発ムラ・フクシマがいかに誕生したのかを明らかにすることで、敗戦後の日本の高度経済成長に巣食う黒いコネクションの実態を告発する。「原子力マフィア」とも言える国会議員、地域の有力者、土建族、これらをまとめ上げる国家官僚は、自らの利益をかたくなに守ると同時に、敗戦後の日本が国際社会で戦前のような地位を回復すべく努力するという自負心まで持っていた。この政治-経済的利害関係とねじれた歴史意識がフクシマの原発村ムラを誕生させ、これはつまるところ近代国家日本に内在する根源的暴力性の凝縮であるということが、本書の主張である。したがって、フクシマ原発事態に対する批判は、平和憲法および教育基本法とともに戦後民主主義の一つの軸を形成していた「非核三原則」(核を持たない、作らない、持ち込ませない)が、原発の建設によって骨抜きにされたという点に縮小されない。すなわち、自衛隊の存在が平和憲法を実質的に無力なものにしているのと同様、原発が非核三原則を空洞化させたという批判が重要なのではない。むしろ重要なのは、戦後民主主義を擁護してきた批判的知識人が、憲法や非核三原則という原理的スローガンに固執して倫理的に正しい批判を繰り返すその裏面で、その批判をあざ笑うかのように原発の建設によって主流勢力は自らの歴史観と国家観を実現してきたという事実である。よって、3・11は敗戦後の批判的知識人の倫理的批判がどれほど表層的で無力だったのかを語っているのである。「虚をつかれた」という告白は、自らの無力さへの翻然たる気付きだったのである。

これは戦後民主主義を支えてきた批判的知識人の啓蒙が、根源的な限界を露わにしたことを示す標識でもある。丸山真男に代表される敗戦後日本の批判的知識人は、先に述べた戦争責任の忘却と旧体制の復活に抵抗しつつ、敗戦後日本が真の民主主義国家となるためには個々の市民が啓蒙された意識を持たねばならないと説いてきた。以後、もちろん内容も価値観も方向性もそれぞれではあるが、日本の批判的知識人は民主主義体制の外延を拡大し、精神的な深みを得るために積極的に議論の場〔公論場〕を形成した。戦後日本で花開いた批判的雑誌のテーマ設定能力は、このような知識人らの努力を背景にしている。

しかし3・11以後、このような啓蒙は限界を見せた。3・11直後に出版された『思想としての3・11』(河出書房新社、2011年)は、これを証明してくれる。本書には日本の知識界を代表する思想家や評論家が寄稿している。吉本隆明、鶴見俊輔、加藤典洋など、名だたる筆者が参加しており、原稿ごとにトーンは違うが、それぞれが3・11をどう受け止めたのかを提示している。しかしながら、本書への評価については――インターネット上の情報なので限界はあるだろうが――顕著な点がある。もちろん、本自体に対しては好評も酷評もあるが、酷評した評者のほとんどが、本書があまりにも既存の出版界の定石どおりに作られている点を批判している、日本の出版界では、何か事態が起こったら著名な評論家に短い原稿を依頼し、一か月後には本を出すということがよくある。特に「何々としての何々」といったタイトルの本は、現実の事態を知識界が専有する典型的なやり方だ。否定的な評価のほとんどは、本書が3・11という未曽有の事態に向き合っても、既存の出版界と評論界の慣行のままに「インスタント本」を出したということ、そしてそれをまるで出版界と評論界の任務だと錯覚しているということを批判の論点としている。

もちろん、本書の冒頭を飾る佐々木中は次のように述べて、このような習わしを批判する。「今、最悪の事態の中で最も悲惨な状況に置かれた人々を、強いて言えば『ネタ』にして『利用』し、語ることを私たちが強いられているとすれば、その事実をいかに考えるべきでしょうか?(……)たとえばこの震災を話にした小説が次々と出版されたり、『9.11から3.11へ』などいった題目で、思想・批評ゲームが繰り広げられることになるのかもしれません。『さぁ、お祭りだ。一大イベント、ゲームの始まりだ。お題は大震災と原発事故だ。はい、一番頭がいいのは誰?』とね」 。 『思想としての3・11』尹汝一訳、グリンビー、2012年、45-46頁。佐々木がここで言うイベントやゲームとは、実際、戦後民主主義を支えてきた批判的知識人が典型的に繰り広げてきた論壇活動である。敗戦後の日本の批判的知識人は、大手出版社と連携して形成した「議論の場」を、経済面でも儲けの場となる知識社会として形成してきたのであり、政治-経済-文化の領域における様々な事態はすべて「何々としての何々」という形式のなかで「消費」されてきたのである。もちろん、批判的知識人の活動を貶めたいわけではない。大切なのは、佐々木が指摘するように、敗戦後に形成された日本の知識社会の文法が「イベントやゲーム」というかたちで冷静に評価されている点である。そのように冷笑する佐々木の言説でさえ、未だその文法が作りだした書籍に組み入れられて表出されるところは、この上ないアイロニーではあるが。

だからこそ高橋哲哉と在日朝鮮人の大御所作家である高史明が交わした対話は、意味深長である。「日本のあり方そのものが疑問視されている」とのタイトルが付けられた対談で高橋は、日本という国家体制のみならずその国家体制を批判してきた知識のあり方も再検討されねばならないと主張する 。 高橋哲哉・高史明 対談「日本のありようがまるごと問われている」『世界』2011年8月号。これは「虚をつかれた」知識人としての自己反省から一歩進んで、知識生産の形式とメカニズムが、それがどれだけ批判的だと主張したところで、結局は原発事故を放置した責任から免れ得ないことを告白することだといえる。それは単に原発の根源的暴力性を認知できない知性の怠慢を反省することとは違う。むしろ問題は、批判的知識のあり方が根深いところで近代的な科学的合理主義と世界観を共有していたことを直視することであり、今後そのパラダイムから生まれた知識社会の権威的で真理独占的なシステムをどのように変形させていくのかを突き詰めることである。現在、日本の「知識界」で、果たしてこの意味での変形の試みがあるのかは、筆者の知るところではない。ただ、このような知識社会の権威的な性格と真理を独占するシステムを批判し解体するための動きは、知識界の外で展開されている。それはまさに、インターネットでやりとりし、自発的に知識を生産し流通させることで、国家や資本そして科学が権威的に独占してきた真理を不信の沼へと突き落とした、一連の「大衆知性」的活動である。

 

3.

 

3・11以後、東京電力と原発マフィアたちは、原発の再稼働のために必死になっている。東京電力は日本の三大広告主であり、原子力研究を主導する主な大学に巨額の研究費を支援する「スーパー甲」〔契約を交わす両者(甲乙)のうち、甲の圧倒的優位を示す言葉〕である。よって原発擁護派は東京電力の全幅的な支援をバックにメディアを中心として原発の安全性をいまだに説いて回っているのが実情である。しかしこの努力はなかなか実を結ばないばかりか、2012年3月26日現在で全原発54基のうち稼働しているのは1基のみで、5月5日現在では全原発が稼働を中断する予定である。ところで原発擁護派の努力が無駄に終わった理由は、先に述べた批判的知識人の力というよりは、市民運動およびインターネット空間の「非専門家」が市民に情報や知識を積極的に提供したからである、現在もしているからである。すなわち、啓蒙するオピニオンリーダーとしての知識界ではなく、ゲリラ的知識の流通が巨大なシステムに立ち向かっているのである。今、日本で展開されている「大衆知性」は、まさにこのゲリラ的知識生産活動である。数えきれないほど多くの事例のうち幾つかではあるが紹介してみよう。

まず、「原発御用学者リスト」がある。これは東京大学工学部、東京工大原子炉工学部、原子力安全委員会などに所属している教授のリストをインターネット空間に掲載し、東京電力から受け取った研究費の情報などを暴露する活動である。現在、インターネットでは数十種のリストが出回っており、小学生でも原発御用学者五人組を諳んじることができるという(2012年2月、延世大学国学研究院国際ワークショップでの池上善彦の発言)。また、あるネットユーザーが作った「原子力ムラの相関図」には、原子力マフィアの組織図が非常に細かく図示されていて、原発の建設と稼働がいかなる政治-経済的メカニズムによってなされてきたのかが一目瞭然にわかる 。 この「リスト」と「相関図」は次のサイトで閲覧できる。http://www47.atwiki.jp/goyo-gakusha/pages/13.html; http://ameblo.jp/ijokcom/image-11199702943-11866194370.html.

このような暴露的知識のほかにも、注目すべき動きとして「計測運動」がある。2011年4月21日、千葉県の「母乳調査・母子支援ネットワーク」による調査の結果、母乳から放射性ヨウ素が検出されたことが発表された。また同月、福島県内の小学校のホームページに掲載されていた一日の放射線空間線量の数値が県教育委員の圧力で掲載中止となる事件があった。このころからインターネットでガイガーカウンターを購入し計測した数値がインターネットに掲載され始める。ガイガーカウンターでの計測の仕方と放射線量の理解のために関東地域のあちこちで自主学習会が満員になり、多くの組織が形成され、放射線数値が随時インターネットに掲載されるようになった 。 http://new.atmc.jp/。このサイトでは日本全域の放射線数値を知ることができる。文部科学省のデータを基礎として各地域で計測された数値と比較分析している。

これらの動きは個人が放射線量を計測することによって政府やメディアの発表の信憑性を問い、自ら判断するためである。これは国家としては最も警戒すべき流れに違いない。チェルノブイリ事故の時に個人のガイガーカウンター使用が禁止されたという事実を思い起こせば、科学知識の権威的位階化と真理の独占体制が国家にとってどれほど重要なのかがわかる。じっさいに「流言飛語」(日本の文脈ではこの言葉は関東大震災での朝鮮人大虐殺を想起させるため、それほど使われない)という用語を使って個人の計測結果をインターネットに掲載することを自制するよう促すくらいだから、国家や資本や科学機関が感じる恐怖がいかなるものか推し量ることができる。

この動きは、計測運動に留まらず、市民が国家の安全基準を信じずに国際的な原子力資本反対運動へと歩みを進める流れを作りだした。ある計測グループのスローガンは「自分で考え、自分で勉強し、自分で計測し、自分を守る」であるが、これは政府やメディアの発表をそのまま受け入れる受動的主体ではなく、自分の安全を自分で確保しようとする「自然状態」の個人の出現と考えられる。しかしこの動きを報道したのは、日本のメディアではなくアメリカのメディアだった 。 Hiroko Tabuchi, “Citizens’ Testing Finds 20 Hot Spots Around Tokyo,” New York Times, October 14, 2011.こういった状況において、大衆知性の発信者は国家やメディアに対する不信だけでなく、批判的知識界にさえ不信を向けている。すなわち、批判的で公正な意見や報道をリードしてきたメディア・出版界・知識人のネットワークまでも知識の権威的位階システムと見做されているのである。

その意味で、3・11は「支配体制と批判的知識人」という戦後日本の対立構造そのものを揺るがす事態である。戦後日本の知識が何をしてきたのか、「虚をつかれたまま」再検討し、ショックを受けたいわゆる「知識界」を横目にインターネット空間を中心として新たな知識の組織化がなされているからである。これは体系的組織化というよりはドゥルーズ=ガタリの言うところの「リゾーム型」知識の生成だと言える。この知識生産のありようは、原発御用学者の系譜化や計測運動に限られた現象ではなく、数多く出版された3・11を省察する書籍が、依然と同じコンテクストで受けとめられてはいないところからも確認できる(日本で「識者」といえば大学-メディア-出版界のコネクションによって権威を維持してきた)。もちろん、今なお知識界を支えるシステムは強固ではあるが、もはや知識社会の方は確実に大衆知性の流れに逆らえない。限界が明らかになった戦後民主主義的啓蒙と大衆知性との間で、今後日本の知識社会がどのように変化していくのか、持続的に観察していく必要があるだろう。

 

翻訳:金友子

 


季刊 創作と批評 2012年 夏号(通卷156号)
2012年 6月1日 発行

 

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