韓国社会の矛盾と2013年体制
金基元(キム・キウォン)放送通信大学教授。著書としては『経済学ポータルサイト』、『財閥改革は終わったのか』、『アメリカ軍政の経済構造』などがある。kwkim@knou.ac.kr
1. 韓国は先進国か
一人当たりの所得や産業構造の面で見れば、韓国はすでに先進国の隊列に加わった。何をデタラメ言ってるのか、という人も多いだろう。保守派はもっと国民にハッパをかけようとして、先進国論を否定する。先進国と言われたければ、一人当たりのGDPが少なくとも3~4万ドルにならなければならないと主張する。その反面、進歩派は進歩派なりに、韓国のような問題だらけの国に対して、どうして先進国という耳ざわりのいい言葉を適用できるのかと思うだろう。しかし、自虐的すぎるのはよそう。
2011年韓国の一人当たりの名目GDPは2万4000ドルだが、購買力でみれば、3万2000ドルである。同じ購買力基準(purchasing power parity)で、私たちが一般的に先進国とみなす国々と比較してみよう。米国とスウェーデンはそれぞれ4万8000ドル、4万1000ドルで、私たちよりかなり高い。だが、ドイツ、英国、フランス、日本は、それぞれ3万8000ドル、3万6000ドル、3万5000ドル、3万4000ドルで、少し高いだけである。また、スペイン、イタリア、ニュージーランドは、それぞれ3万1000ドル、3万ドル、2万8000ドルで、私たちよりむしろ低い。
この間の圧縮的高度成長により、一人当たりの所得面では韓国の世界的位相は飛躍的に向上したのだ。実際、先進国で生活する人々の話を聞いてみると、韓国の消費水準が彼らに比べて特に劣っていることはない。電化製品のアフター・サービス、きれいな公共トイレ、インターネット・サービス等、消費者の観点でヨーロッパよりずっと進んだ部分も広がっている。産業構造の面でも、韓国は先頭グループに属する。半導体メモリー、携帯電話、自動車、造船、鉄鋼、石油化学等の主要な製造業の生産で、韓国はほぼ5位以内の世界市場占有率を確保している。それで、200余りの国家の中でG20に進入したのである。
だが、暮らしの質はGDPだけでは決まらない。犯罪率、交通事故率、公害、老後の安定、社会的葛藤、文化水準、政治的自由等、様々な要因が作用する。GDP以外にこうした面の状況もよくなってこそ、国民が幸せで「望ましい」先進国になるのだ。例えば米国は、一人当たりのGDPは高いが、人口比での囚人数は他の先進国の5倍ほどになるので、望ましい先進国とは言えない。韓国も一人当たりのGDPの面では先進国のレベルだが、相対的な生活の質では多くの問題を抱えている。望ましい先進国ではなく、問題だらけの先進国というわけだ。
韓国では今後も経済成長が不可欠である。「道人」の生活を追求できない一般大衆に、豊かさを増幅させる成長を度外視せよというのは無理な要求である。また、20世紀初頭のアルゼンチンのように、先進国の隊列に加わったが脱落した事例を見ても、現実に安住することはできない。経済が沈滞し続ければ、2012年現在の失業率が大恐慌期の米国レベルの25%まで上がったスペインのように、危機的状況に直面することもありうる。
財閥―輸出主導の成長モデルから、例えば中小・中堅企業―内需―南北協力主導の成長モデルへ移行していくとか、とにかく新しい成長モデルも必要である。福祉を強化する場合も、道徳的弛緩を招きうる福祉よりも家族、教育、雇用面において成長親和的な福祉に力点を置かねばならない。
しかし、成長万能主義の時代が終わったという点も悟らねばならない。韓国も他の先進国のように、低成長または中成長段階に入ったのである。1960~80年代に享受した8~9%の経済成長率は3~5%に下落した。高い成長率で他の社会問題を隠し通せなくなったのだ。資本面では産業構造が成熟したので新たな成長産業を見つけるのが困難になり、労働面では高齢化が急速に進んでいるからである。
したがって、成長を無視はしないが、今後は総体的な生活の質の問題を綿密に検討する時期になったわけである。人が暮らす世の中はどこでも、心配事のない所はないが、世界最高水準の自殺率が示すように、望ましい先進社会へ進むために、是正すべき韓国社会の矛盾は深刻な状態にある。その矛盾は、経済的・政治的・文化的次元で多様な形で存在するが、経済的矛盾を中心にみると、「しんどさ、無念さ、不安」という3つのキーワードに要約できる。
2. しんどさ、無念さ、不安
「しんどさ」とは生産過程で生じる問題である。生産過程には、一方で財貨とサービスを生産する過程と、他方でその生産に投入される労働力を生産していく過程が含まれる。韓国人の生活は、こうした2つの生産過程内で「ゆり籠から墓場まで」しんどい。
まず他人より優れているように見える労働力を生産しようとして、幼い時から地獄のような受験競争に苦しむ。実際、こうした高い教育熱が排出する大量の優秀な労働力が、わが国の経済成長を牽引した。しかし、過度な受験競争のせいで人格の涵養や創意力とはかけ離れた、受験技術を中心にした教育が続いている。そして、公教育が崩壊する中で、軍備競争と同様、浪費的な私教育[塾や予備校などの学校外教育]が繁盛している。その上、先進国を模倣した成長が終わりつつある今日の韓国では、創意力を抑圧する教育が経済成長にとっても弊害となるほどになった。
80%という世界的にも高い大学進学率でみるように、教育上のしんどさは全国民的なしんどさである。無理に大学へ行く必要があるのか、と疑問な生徒も誰もが大学へ行くので生徒自身もしんどいし、父母もしんどい。下層の家庭は言うまでもなく、中産層の家庭も子供の教育を支えようとして生活が逼迫し、家族の楽しさなど捨て去ってしまう。「雁家族[母子を海外留学させ、韓国内の父が仕送りする家族]」という現象が、どこか他の国に見られるだろうか。
大学に入ってもロマンを享有して大志を育てることがだんだん難しくなっている。大卒者が増えた反面、彼ら好みの「いい仕事」は大幅に減り、大学が就職予備校に変貌しているからだ。こうして学生は、スペック(性能)を上げて学歴ロンダリングし、各種の公務員試験を準備するのに忙しい。
就職してもしんどさは続く。韓国の労働時間は過去に比べて多少減りはしたが2010年現在、年2200時間ほどでOECDの平均1750時間に比べて、約450時間長い。また、年をとっても休めずに働く老人の比率はやはり極めて高い。2009年現在、65歳以上の老人雇用率は30%で、OECDの平均9%の3倍以上である。産業災害による死亡者の比率もOECD内の最高レベルで、他の先進国の3倍に達する。
「無念さ」は第一次分配過程の問題、つまり市場での所得分配が社会的価値の創出への寄与に見あって公平なものになっていないことへの無念さである。財閥巨大企業が独占的に中小・中堅企業を不当に抑圧する市場構造のせいで、財閥巨大企業は肥太するのに反し、中小・中堅企業は辛うじてしのいでいる。納品単価を底値まで下げ、中小・中堅企業の技術を奪い、リベートを強要し、財閥トップの親戚が事業領域に侵犯するので、欧米式の公正な競争であれ、日本式の温情主義的な同伴成長であれ、いずれにも属せないあり様である。
こうして中小・中堅企業が大企業へと成長するケースは、奇跡に近い例外に属する。彼らの間に超えがたい分断の壁があるわけだ。1993年、6万近い中小製造業のうち、10年後の2003年に従業員が500人以上の大企業に成長した事例はわずか8件に過ぎないという事実が、これを雄弁に物語る。また1990年代以後、経済の要に該当する中堅企業(従業員200~499人)の比重は減った反面、零細企業(従業員10~19人)と小企業(従業員20~49人)の比重は大きく増え、両極分解が進んでいる。
企業間のこうした無念さとともに、労働者間にも不公平な待遇という無念さが存在する。公務員と公企業の従業員の待遇は一部の民間巨大企業には及ばないが、他の先進国に比べれば相対的にいい方である。だから、誇張された表現とはいえ、「神が下さった職場」云々の話まで出るのだ。似たような能力を有する人々の間で、職業の安定性が高い場合には所得水準が低いと公平というものだが、87年体制で強まった官僚および公共部門の勢力のため、こうした歪曲が発生している。
民間巨大企業の正規職と非正規職(および中小・中堅企業の労働者)の間でも不当な格差が存在する。「同一労働、同一賃金」の原則が作動しないのだ。能力や勤続年数のような個人的特性を除外して、民間巨大企業の正規職はおよそ20%の賃金をより多くもらうと推定される。それで、2005年韓国で賃金上位10%の平均は下位10%の平均の4.5倍で、その差は北欧の2.2~2.6倍はもちろん、OECD平均の3.4倍よりもはるかに大きい。
労働能力による合理的な格差については人々も納得するが、運とか「バック」や組織力による格差については、無念さを感じざるをえない。自動車工場で右側の車輪を装着する正規職と、左側の車輪を装着する非正規職の間にも途方もなく大きな差別が存在するに至った。裁判所が不法と判定することでこうした露骨な事例は減っているが、業務を区別して不当な格差を隠蔽する形に変わっただけだ。
1987年民主化以前、ホワイトカラーとブルーカラーの間に越えがたい身分的差別が存在した。その二つは名刺や食堂まで違っていた。87年体制ではそうした差別は弱まり、代わって巨大企業の正規職と非正規職(および中小・中堅企業の労働者)間の身分的差別がひどくなった。しんどくて危険な仕事は、主に非正規職が担当する。働く空間が異なる場合には、そうした差別を見過ごすこともあろうが、一緒に働く正規職と非正規職の間の差別は耐えがたいことだろう。このため、近年噴出している労使葛藤の多くは非正規職の問題だった。
零細自営業者もまた、非正規職ほどではないにしても、無念さあるいはイライラを感じているだろう。大企業が横丁の零細商店を見下し、大企業の正規職が労働貴族のようにふるまっているからだ。零細自営業者は資本家と労働者の両面の性格をもつが、その両面であらゆる無念の境地に立たされているわけだ。そして、過去に比べて減りはしたが、相変わらず続く投機と腐敗による不労所得もまた、大衆の剥奪感を呼び起こしている。
「不安」は第二次分配過程、つまり再分配(福祉)の問題である。以前の高成長段階では、成長自体が福祉問題を隠蔽した。国民の生活水準が全般的に急激に向上していったことで、未来に対する期待が不安を圧倒していたわけだ。だが、高成長段階が終わって中成長、低成長段階に入っていく姿を見せながら、それに見あう社会安全網の不備が不安を拡散させているのだ。
核家族化によって家族福祉が解体し、それに代わる社会福祉の不備による老人層の不安が、特に深刻な社会問題を引き起こしている。子供の面倒を見たせいで貯蓄した財産はとるに足らない反面、年金制度はまだ不十分な状態にとどまっている。だから2010年末、韓国の老人の貧困率(中位所得の半分以下)は47%で、OECD平均の17%の3倍に近くになり、韓国全体の人口貧困率の14%の3倍を超える。独り暮らしの老人の場合はもっと深刻で、貧困率は77%に達する。そのため、老人の自殺率は若者の3倍を超えて、OECD平均の5倍に達し、20年前に比べると5倍以上に急増したのだ。
子供の将来への不安と児童福祉の不備で、合計出産率は世界最低水準である1.2名ほどである。双龍自動車や韓進重工業等で構造調整に反対する決死闘争が起きたのも、北欧の福祉国家とは異なり、失業手当制度と再就職支援制度が不備という不安要素が影響を及ぼしたのだ。つまり、福祉への渇望は貧困層に限らず、中産層にまで幅広く表れている。中産層もいつ下層に転落するかわからない不安を抱えているからだ。
ところで、しんどさ、無念さ、不安は経済的次元からのみ発生するわけではない。南北の緊張関係のせいでしんどい兵営生活をしなければならず、宗教的・良心的兵役拒否者は監獄行である。李明博政権下で進められた民主主義の後退により、ミネルバ事件[2008年秋のリーマン破綻など、ネット上での経済予測が的確なあまり、社会的混乱を招いたとして論客名称・ミネルバが逮捕された]のような不当逮捕も発生し、「有銭無罪、無銭有罪」という言葉通り、検察と裁判所による不当な処遇もよく目にする。また、進歩改革勢力は保守・守旧マスコミによって不当な中傷や謀略を被ることもよくある。
そして、格差が拡大して福祉が弱まり、治安が悪化してマンションを好み、高級マンションでは二重三重の安全装置が作られる。金持ちも不安なのである。狂牛病のようなことで食べ物に不安を感じ、子供たちが学校でいじめられるか、暴力に苦しめられるかと不安に感じる。金大中、盧武鉉政権の「太陽政策」を捨て去った李明博政権の「雨風政策」により、南北関係もまた延坪島砲撃事件のような準戦時事態まで発生し、国民全体が不安に震えざるをえなくなった。
結局、しんどさ、無念さ、不安は、わが社会の総体的矛盾の産物なのである。ただ、こうした矛盾をどれほど深刻に認識し、またどういう点に解決法を求めるかは人々の価値観と利害関係によって異なる。そうした違いが「進歩―保守」「改革―守旧」「南北の平和協力―南北の緊張対決」という3つの次元の主要な対立戦線を作り出している。
進歩か保守か、という理念的対立を越えて統合へと進むべきだという言葉をよく聞く、しかし、真の統合とは違いによる対
立を無条件隠してしまうことで可能なのではない。それは、既存の支配秩序を温存させようという意図に過ぎないのだ。お互いの対立点と正誤を明らかにし、両立可能な対立と解消すべき対立を区分しなければならない。そうした点で、韓国社会の対立戦線を確認することは望ましい先進社会へと進んでいくために必要不可欠な課題である。
3. 韓国社会の三次元的な対立戦線
政治をするならまず何をするか、という弟子の質問に、孔子は「必ずや名を正さんか。……名が正しからざれば、則ち言したがわず。言したがわざれば、事成らず」[必也正名乎…名不正則言不順 言不順則事不成]と答えた。今日の韓国の現実をみても、これに該当するケースが少なくない。
財閥の概念をめぐる混乱により、財閥改革の原則と方向性が右往左往している。親北とか従北とかいう曖昧な用語を動員した思想攻勢は、理性的な対話を不可能にしている。新自由主義というレッテル貼りは、市場の意義と限界を正しく認識できなくする。厳密な定義もなしに漠然たる感覚だけでよく使われる進歩―保守、改革―守旧のような用語も同じ状況にある。
進歩という語を解釈すれば、前進して進むというのだから、退歩がその反対語と思われる。保守という語を解釈すれば、何かを守るというのだから、変えること、つまり革新のような語がその反対語といえる。だが、こうした定義は一見そのようだが、現実に適応すると、すぐに困難に直面する。
前進するとは一体何か、という問題である。生産技術の進歩のようなものは理解しやすい。だが、兵器技術の発展を進歩というのには引っかかる。そして、家族間の情緒的な絆を弱める、女性の社会進出の増加が進歩かどうか。また、保守が守ろうとするのは一体何かを明らかにしてこそ、その概念が現実適合性をもつ。日本や欧米の辞典を引いてみても、同様に混乱している。したがって、既存の定義の核心を合理的に発展させても、実践的な目的意識を前提にした新たな概念定義が必要である。
まず、「進歩=左派」「保守=右派」という等式から出発してみよう。南北が対峙する韓国では、左派といえば北朝鮮の体制に憧れる「アカ」を連想させる。そのため、多くの進歩派は左派という用語の使用を避ける。そうかと思えば、左派を自負する一部の進歩派は、むしろ北朝鮮の体制に対して激しく批判する。その反面、保守派は進歩派をアカと同一視しようとして左派という用語を好む。南北の対峙状況で、「進歩=左派」という概念の複雑さを物語っている。
南北の敵対関係が解消されれば、左派という用語をはるかに自由に使えるだろうが、それ以前は左派という用語の使用をある程度自制せざるをえない状況である。ただ、西欧の用語法における左派は、韓国では進歩派に該当し、右派は保守派に該当するという点を認めねばならない。西欧で社会民主党のように左派政党と称されるものが、韓国では進歩派であり、キリスト教民主党のような右派政党は保守派である。
近代社会で進歩派(左派)と保守派(右派)の区分は、経済活動を調節する基本的な両軸である「市場」と「国家」の相対的な量に関するものだ。進歩派は市場より国家をより好み、保守派はその反対である。国家が資源配分に積極的に介入し、税金をたくさん取ってそれで福祉を強化しようというのが進歩派であり、その反対に税金と福祉の支出を減らそうというのが保守派である。
ただ市場と国家がある比率以上ならば保守で、それ以下ならば進歩という、式に区別されるわけではない。進歩という名前がつく政党だけが進歩派政党であるわけもない。他の理念や政派に比べた相対的な概念である。民主統合党がセヌリ党よりは進歩的で、統合進歩党よりは保守的という式に分けられるわけだ。国家で検討するなら、今日資本主義の中で北欧が最も進歩的な国家である反面、米国はヨーロッパより保守的な国家である。そして、米国内で民主党が共和党よりは進歩的である。
さらに「進歩―保守」を、近代社会を超えて人類社会全般に適用すればどうなるか。進歩派は社会的弱者を代弁して社会連帯(共生)、経済的平等、分配、民主制、政治的自由を強調するのに反し、保守派は社会的強者を代弁して自己責任(競争)、経済的自由、成長、効率性、政治的秩序を強調する。人間本性で検討するなら、進歩派は母性と陰に近く、保守派は父性と陽に近い。母親はできの悪い子供をより慈しむ反面、父親はできのいい子供を偏愛しやすい。
「進歩―保守」をわが社会のしんどさ、無念さ、不安、と関連させてみると、まず進歩派はこうした問題を保守派よりも相対的に深刻に受けとめる。そして、人間性を重視する教育と労働時間の短縮を強調し、不安を解消するための福祉拡大に積極的である。反面、保守派は教育と産業において競争力を重視し、福祉拡大に伴う個人の道徳的な緩みを憂慮する。
個人と社会が健全に発展しようとすれば、進歩的論理と保守的論理のバランスがよくなければならない。韓国で進歩派と保守派は相手を悪と規定する傾向が強い。だが、両者は善悪ではなく、調和のとれたバランスを達成すべき関係にあり、それがまさに陰と陽の調和である。健康な人間の状態を表す「陰陽和平の人」という言葉もあるではないか。
進歩と保守、どちらか一方に傾けば、個人や社会が病む。活力を失って崩壊した旧ソ連および東欧の体制は、進歩派の論理の極端な事例である。反対に両極化がひどくなり、金融危機が発生した今日の資本主義は、市場万能主義という過度な保守派の論理が支配した結果である。
ところで、韓国社会では進歩と保守という区分とは別に、「改革と守旧」という区分も強調される必要がある。改革派は近代社会の両軸である市場と国家の質を高めようとする勢力であり、守旧派はこれに反対する勢力だ。市場の質を高めるというのは市場の透明性と公正競争を発展させることであり、国家の質を高めるというのは国家の民主制と効率性を高めることを意味する。進歩―保守を横軸にとるなら、改革―守旧は縦軸にとれる。ただ、マルクスの土台―上部構造の概念が空間的比喩だったように、ここで量と質という性格が異なる区分を同一グラフ上でX軸とY軸に設定するのも、説明の便宜のための比喩だ。
近代社会を超えて人類社会全般に対して改革―守旧を規定するなら、事実と理性に立脚して効率性と民主性のすべてを害する社会システム、例えば腐敗や特権構造のようなものを打破しようとする勢力が改革派であり、守旧派はこれに抵抗する勢力である。朝鮮時代の趙光祖や金玉均のような勢力は、そうした意味で改革派に属するわけである。
多くの欧米先進国でも、国際関係ではイラク侵攻でみるように、守旧的な帝国主義の行動様式が存在する。だが、彼らの自国内では、市場と国家の質という改革―守旧の問題は相対的にあまり深刻ではない。これと異なり、後進国はもちろん、韓国も守旧派を撃退して改革を推進してこそ、望ましい先進国へと向かうことができる。選挙の争点が主に税金と福祉支出の問題である欧米先進国と、そうではない韓国を比較してみよう。1987年以後、独裁体制が崩壊して民主体制が登場したが、李明博政権の逆行で見るように、民主体制の基盤はまだ不完全である。官僚や公企業の非効率性は以前に比べて改善されてはいるが、正すべき部分が多い。そして、財閥体制の弊害と労働市場の分断構造は深刻なレベルに達している。こうしたことが無念さを生んでいるわけだ。
韓国社会で、進歩と改革を結合して推進しなければならない。そして、守旧を撃退する改革の課題のために、改革的進歩と改革的保守勢力が力を合わせねばならない。例えば、デンマークやオランダで最も発展した姿を示しており、EU全体が推奨する労働の柔軟・安定性(flexicurity=flexibility+security)を見てみよう。韓国もまた、しんどさ、無念さ、不安から脱け出そうとすれば、こうした柔軟・安定性の導入が必要だが、雇用の柔軟性と所得の安定性とは、それぞれ労働市場の改革と進歩的な福祉拡大を意味する。もちろん、柔軟・安定性は国ごとに具体的な姿は変わりうる。例えば、韓国で雇用は全体的にそれほど硬直していなかった。中小企業と非正規職については過度に柔軟な側面もある。したがって、全体的な柔軟性を高めることより、大企業正規職の雇用の硬直性を正し、労働市場の分断構造を克服することに焦点を合わせねばならない。
だが、韓国の進歩―保守と改革―守旧は錯綜した姿を見せ、進歩派イコール改革派ではない。張夏準教授や巨大企業労組の一部進歩派は、財閥体制と労働市場の改革を拒否、あるいは避けるという守旧的な行動様式を示す。主体思想派もまた、福祉拡大を主張する点で進歩派に属すると言えるが、北朝鮮体制の改革と開放に反対する守旧派である。比例代表の選出を巡って民主主義を毀損した統合進歩党の行動様式もまた守旧的である。その反面、保守派内でも国家と市場経済の改革に積極的な改革的保守派が存在しうる。例えば、セヌリ党内の少数の刷新派が志向するものは、これに近い。
進歩と保守を超えて常識が通じる社会を作ろう、とよく主張される。進歩派と保守派の極端な対立に対する疲労感の表れである。同時にこれは、進歩―保守という区分とは別に、常識が通じる社会を作るための改革の必要性を表す言葉でもある。したがって、韓国社会で進歩―保守の対立点を進歩側に一定程度移動させ、相互間に適切なバランスをとる一方、改革―守旧間では守旧を打破して改革へと進まねばならない。それが歴史発展である。
改革―守旧とともに、韓国社会で特殊に表れる、また別の対立戦線は分断矛盾に由来する。「南北の平和協力―南北の緊張対決」という対立戦線がまさにそれである。金大中・盧武鉉政権の太陽政策と、李明博政権の雨風政策が、それぞれを代表している。
この対立戦線は、進歩―保守および改革―守旧の対立戦線とそのまま重なりはしない。図で見るように、Z軸という新たな対立軸が必要なのだ。南北の平和協力に賛同する保守派がいるかと思えば、守旧派である主体思想派もまた、南北の平和協力に積極的だからである。
そして、X軸とY軸、それぞれ多様な強度の分布が存在するように、Z軸内でも立場は様々に異なる。Z軸の緊張対決側には、タンクで平壌へと北進統一すべし、という極端な立場があるかと思えば、まさかそこまで行かなくても「通中封北」を云々して北朝鮮を孤立させようとする李明博政権もある。平和協力の側にも、南北統合の速度をめぐって見解の違いがありうる。
X軸、Y軸、Z軸は、韓国社会の主要な対立戦線を容易に把握するための、一種の理念型(ideal type:ウェーバー社会学における方法概念で、特定の観点から社会現象の本質的・特徴的側面を抽出、論理的理想像として構成した型)の分析ツールである。当然、現実はこれより複雑である。例えば、極端な進歩や極端な守旧的傾向を帯びるものは独立した軸としてきちんと表現できない。それでも3つの軸を設定したのは、「進歩―改革―平和」「保守―守旧―対決」という恒等式が成立しない、韓国のもつれた矛盾構造を明らかにするためだ。
韓国ではこの間の圧縮型の高度成長過程で、保守派の論理があまりにも優勢だった。同時に、近代化の歴史が短く、分断体制下にあったために、進歩派であれ保守派であれ、客観的事実を無視して非合理的な主張をするケースが少なくなかった。その上、分断矛盾は保守派内で改革的保守派の代わりに、守旧的保守派が勢いを得て、進歩派の中でも守旧的進歩派が存在する基盤となった。要するに、「保守論理への偏重」「進歩派/保守派の非合理性」「南北の緊張対決」という三重の問題点を抱えているわけだ。
そのため、韓国が北欧のような望ましい先進社会に進もうとするなら、一方で進歩―保守のバランスのために、X軸で見る場合、韓国社会をもっと左側へ移していく、つまり福祉を拡大する進歩政策が要求される。他方、Y軸とZ軸では、それぞれ上方へ移していく改革と南北平和協力が必要である。そのようにまずは座標を移した後、進歩派と保守派が互いに政権を交代しながら、生産的に競争していけばいいのだ。
4. 2013年体制に向けて
韓国社会がX軸で左側へ、Y軸とZ軸で上方へ座標移動することはそう簡単ではない。そのため、1987年民主化以後25年経ってもしんどさ、無念さ、不安の中にあり、1987年体制を克服できないでいるのだ。いや、克服どころか、李明博政権下ではむしろ状況がより悪化する後退現象まで現れたのだ。
こうした現象は、図式的な資本―労働の階級矛盾や米帝国主義の抑圧という民族矛盾には還元できない。今日、韓国社会では社会主義を現実的な代案として想定できない上に、しんどさなどの問題は、根源的には資本―労働の矛盾と関連がなくはないが、職業的には資本の違いや労働者間の矛盾から生じている。また、米国の存在が制約条件ではあるが、それと無関係に南北関係を太陽政策の側に動かすこともでき、雨風政策の側へ動かすこともできるのだ。
資本の支配や米国を一応論外とすれば、進歩・改革・平和協力を阻む主たる勢力は何か。まず李明博時代のように、大統領と国会が保守・守旧・対決派によって掌握されれば、進歩・改革・平和協力が決定的に難しくなることが確認できた。1987年の民主化で大統領が権力を帝王のように独占していた時代は終わったが、それでも大統領と国会の影響力を軽視できないのだ。
そして、大統領の独裁権力が弱まった反面、寡頭的支配勢力が新たに登場した。財閥、巨大新聞、官僚、検察等がまさにそれである。サムスンを筆頭とする財閥は資金力を基にして政界、官界、マスコミ、放送界、学界のような社会の指導層に影響力を及ぼす。巨大新聞は大衆の考えを左右し、官僚は蓄積された実務知識で政策を左右し、検察は国家の主要な暴力機関となった。こうした寡頭組織は理念的に偏向している。相互間および大衆からの牽制がまともに働かない。ここに韓国社会の問題がある。
のみならず、各種の特殊利益集団が公共の利益に反する行動をとる。金大中政権下で医薬分業と関連して起きた医師の集団行動が、その代表的な事例だ。経済民主化に大きな役割を果たした労組も、次第に特殊利益集団の姿を示している。組織率60~70%に達する北欧の労組が公共の利益を忠実に反映するのとは異なり、10%程度の組織率である韓国の労組、特に巨大労組は自らの利益に埋没しているのだ。非正規職を自らの雇用の安全弁としており、非正規の問題解決に真剣ではなく、企業福祉が相対的に優越しているので社会福祉の向上に無関心である。ひどい場合、労組指導部が関わる各種の汚職さえ起きている。
では、こうした保守・守旧・対決勢力という障害物をどのように突破できるだろうか。市民意識の成長を基盤にすべきだろうが、当面のカギは政治指導部の変化をもたらす選挙が握っている。進歩・改革・平和を志向する勢力が政治指導部に入って、財閥、保守・守旧メディア、検察、官僚の寡頭体制を正し、さらに巨大労組を含めた特殊利益集団も牽制しなければならない。
韓国社会を支配する寡頭的保守・守旧勢力と対決することは並みの困難さではない。金大中・盧武鉉政権も、すべてここで失敗した。真剣さと力量をきちんともてず、国民大衆の支持を引き出すのが難しかったからだ。その上、巨大労組を含めて、大衆の暮らしと遊離した一部の進歩的知識人は、2013年体制に進んでいく上で支援勢力になるどころか、むしろ障害物として作用する可能性がなくはない。労働の柔軟・安定性を受け入れようとしない彼らの姿勢を見よ。
こうした厳しい条件下で、2012年4月の総選挙ですら保守・守旧勢力の勝利に帰結した。補欠選挙が行われれば、今後の議席構成が変化することもあろうが、現状では国会と大統領ともに進歩・改革勢力が掌握して福祉、経済民主化、平和協力の2013年体制を作っていくことは難しくなった。したがって、2013年体制の代わりに2018年体制を待ちながら、その間しんどさ、無念さ、不安を抱えて生きていかねばならぬ境地かもしれない。
だが、機動戦によって独裁体制を民主体制へと一挙に変革させた87年体制とは異なり、2013年体制作りは主要拠点を一つずつ獲得していく陣地戦である。最高司令部のみ攻撃するのではなく、寡頭的支配勢力が占める様々な拠点を奪還せねばならないからだ。したがって、総選挙で負けたとしても大統領選挙で勝利すれば、2013年体制に一歩一歩進んでいくことができる。
もちろん、大統領選挙に勝つ展望はそう明るくはない。保守・守旧・対決勢力が総選勝利の気勢を上げており、広報や組織および資金面で圧倒的に優勢だからだ。しかし、進歩・改革・平和勢力が真剣さとビジョン、戦略面で大衆のエネルギーを結集できるなら、勝利の可能性は開かれている。
特に、大衆のしんどさ、無念さ、不安を減らすためのビジョン面で、進歩・改革・平和勢力は、保守・守旧・対決勢力と明らかな違いを示しうる。例えば、しんどさに関連して進歩的教育長が革新的学校政策のようなものを掲げ、無念さに関連して、財閥および労働市場を改革する具体案を提示し、不安に関連して、成長親和的な福祉と開城工業団地の大幅な拡大を主張しうる。
そして、安保問題は元来、保守・守旧・対決勢力の議題だが、天安艦の真相究明のように、むしろ平和を提唱しながら、保守・守旧・対決勢力の盲点を突きうる議題もなくはない。要するに、進歩・改革・平和を抽象的な理念としてではなく、説得力ある具体的政策として、大衆が肌で感じうるようにする努力が必要だろう。
陣地戦は機動戦に比べ、時間と質がはるかにかかる。また、盧武鉉政権下で大統領と国会を進歩・改革・平和勢力が掌握しても、大いに意味ある成果を出せなかったことを想起すれば、何とか大統領一人掌握して、何でまともにできるのか、という疑念が生じる面もある。だが、2012年の大統領選挙までも保守・守旧・対決勢力が掌握した時の惨憺たる結果は、決して軽くは考えられない。
また、過去の過ちから学んだこともあり、李明博政権の失政から市民意識が向上したのなら、盧武鉉政権の時とは事情が変わりうる。そして、総選敗北という制約条件は、大統領選挙で勝利したとしても、進歩・改革・平和の議題に対する選択と集中を強いる。それで、盧武鉉政権のように無理な欲を出す可能性が弱まり、むしろ意味のある実質的成果を助けることもできる。
ブラジルのルーラ前大統領は、あれこれ色々やって人気を得たのではなく、ボウサ・ファミリア(Bolsa Familia:生活扶助政策)という貧困家庭対策だけで勝負した。同様に、韓国の次期大統領は核心的な進歩・改革・平和議題の一部を成功させただけで、2013年体制の成立を認めさせうるのではないか。
さらに、進歩・改革・平和は相互補完性をもつため、一部の議題をきちんと遂行しただけで波及的効果が高まりうる。例えば、平和協力の進展は、非合理的な守旧勢力を弱体化させ、進歩と改革の触媒として作用する。逆に、進歩と改革の強化もまた、非合理的な対決勢力を弱体化させて平和協力に肯定的影響を及ぼす。思想攻勢の威力が過去に比べて弱まった点を想起しよう。そして、福祉主義的進歩は労働者の実質賃金の格差を緩和させ、資本市場と労働市場の不公正さを弱めさせうる。例えば、巨大企業の法人税や巨大企業の正規職の所得税を増やして教育などの社会福祉を強化すれば、労働者間の実質的生活水準の格差が狭まる。そうすれば、中小・中堅企業の労働者の勤続年数が伸びて、熟練とそれによる企業競争力が向上し、そして巨大企業との交渉力が高まって、納品単価の底値割れは難しくなるだろう。第二次分配過程における福祉の増大が第一次分配過程の改革を誘導するのだ。
逆に、市場と国家の自由主義的改革は福祉拡大に有利である。財閥改革は財閥の社会的支配力を牽制して、福祉財源を拡大するための増税を容易にする。また、国家機構の効率性と民主性が向上すれば、福祉支出の増大に対する国民的同意を獲得するのも容易になる。ギリシャのように、不正腐敗の問題が深刻になれば、福祉が持続不可能になる反面、北欧のような信頼性透明社会では、福祉と成長がいい循環を達成して福祉が持続可能になるのだ。
要するに、一人当たりの所得の面では先進国レベルに達したが、生活の質を悪化させるしんどさ、無念さ、不安が爆発寸前の韓国社会は進歩・改革・平和を通じてこうした矛盾を減らすべき時点に達している。とはいえ、保守・守旧・対決勢力の抵抗は容易ではない。進歩・改革・平和勢力が真剣さ、ビジョン、戦略をまともにもつなら2013年体制の成立は可能だろうが、そうでないと、2018年体制さえ、あるいは難しくなるかもしれないのだ。
翻訳: 青柳純一
季刊 創作と批評 2012年 夏号(通卷156号)
2012年 6月1日 発行
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