창작과 비평

[巻頭言] 革新と連合を通して大統領選挙の勝利に向けて進んでいこう

2012年 夏号(通卷156号)


李南周

4・11総選挙の結果が多くの国民を失望させた。去年ソウル市長補欠選挙での朴元淳候補の勝利によってかなり高まっていた2013年体制の出帆に対する期待も、冷静な現実を前にして調整が不可避となった。今回の総選挙の結果を野党側の敗北としてみることは難しいという意見も一部はある。セヌリ党(与党)が過半数を超える議席を確保することにはなったが、野党側としては過去の総選挙に比べれば、今回の成績は良好であり、総得票数においても与党に負けてないと自らを慰安させているようにみえる。今回の総選挙で国民は野党を捨てたのではなく、新たなチャンスを与えてくれたともいえる。大統領選挙の勝利を通して2013年体制を切り開いていく可能性は依然として残っている。

しかし、野党側が目標を大きく下回る成績表をもらったことは厳然たる現実であり、これは何といっても現場で選挙戦を戦った野党側の責任である。2010年の地方選挙以後の政治的な流れや李明博政府の度重なる失政を考慮すれば、野党側はよりいっそう良い成績を上げなければならなかった。これからはいつよりも自分たちの問題を真摯に省察し、自らの実践を通して国民の期待に応えられる変化を作り出す「以身作則(身をもって模範を示す―訳者注)」の姿勢が必要である。

ところが、現在野党側の政党らは変化の努力どころか、民心とはかけ離れた動きを見せており、大統領選挙での勝利を経て2013年体制の活路を作っていくことを求める人々の憂慮を招いている。民主統合党は総選挙以降新しい指導部を構成する過程において、総選挙での失敗の原因に対して骨を削るくらいの反省もしないまま、派閥争いを急いで伏せようとする動きを見せただけでなく、新たな派閥争いを招く素地も残している。これから開かれる全党大会、大統領選候補の選出過程において一新した姿勢を見せなければ、未来はないであろう。

統合進歩党の状況はより深刻である。問題の発端は比例代表の選出過程で発生した手続き上の誤謬と不正行為の疑惑に対する責任をどう果たすかであった。ところが、これらが合理的に解決されるのではなく、政派闘争へと展開されることによって、内部の痼疾的な弊習が露わになった。もっと深刻になる前に露わになったのが幸いだとすれば幸いだともいえる。この危機の克服においても、全構成員が他人のせいにするのではなく、まず自分自身の過誤を振り返り、責任をとる姿勢が必要である。統合進歩党自らが現実を直視し、生まれ変わらなければ、韓国の進歩政治において真の主体として生き残ることは難しいかもしれない。

統合進歩党事態に端的にみられるように、野党側の政党らが総選挙で失敗した理由は、口では新しい政治や時代を語っているが、内容的にも、人選においても古い枠から脱していないからである。2007年の大統領選と2008年の総選挙における凄惨な敗北の主な責任者である政治主体らが、真正の自己革新もしないまま、新しい時代を切り開くと言っているのは、羊頭を掲げて狗肉を売ること(表面と内容とがくいちがうこと―訳者注)と何ら変わらない。国民は今回の総選挙で野党側の政党に対し、李明博政府を牽制するための役割は与えられるが、権力を任せるほどの信頼は与えがたいと判断したのである。野党側が授権勢力として認められるために革新と連合という二輪が必要なのは常識であるが、野党側は今や革新なしには選挙連帯すらやり直しがたい苦境に立たされているのである。

革新はまさに内部既得権との闘いであり、合理的手続きと真摯な公論を通して新しい政治的エネルギーを作り上げていく過程である。自分自身との闘いであるからこそ決して容易ではないであろう。民主党と民主労働党は、昨年のソウル市長補欠選挙においてみられた無所属の突風に危機意識を持つようになり、他の政治勢力との統合によって突破口を開こうとしたが、革新の課題は依然として後回しにされていた。総選挙の失敗と現在の野党側政党らの混乱状態は、このような限界がそのまま露わになったものである。

それらによって、野党側の連合も大きな挑戦に直面している。総選挙の失敗以後、連合政治の無用論まで提起されたが、野党側の政党らが明確なイシューやビジョンを作り出していない状況の中で、首都圏において善戦できた要因は連合していたからだというのが客観的な評価といえよう。ところが、現在、連合の一軸である統合進歩党が政党の運営に深刻な欠陥を見せており、連合政治に対する懐疑論が増幅される可能性が高い。保守言論が統合進歩党事態を野党側連合の正当性を否定するところに活用しているのは、それなりの政略によることかもしれないが、連合政治の危機それ自体を保守言論がもたらしたとはいえない。

野党側の連合は特定の政党のみを対象としたものではない。進歩政治に希望をかけていた人たちも、韓国の政治を変化させ、新しい時代を切り開いていくところに欠かせない動力である。それだけではなく、「安哲秀現象」にみられるように、既存の政党に対しては距離を置いているものの、変化に対する強烈な熱望と実践力を持つ改革的浮動層も一緒に参加できなければならない。大統領選の勝利に必要な連合は、他でもなく彼らの理解やニーズまでを代弁する政策を作り、彼らが参加する政治空間を作っていくことである。

革新と連合という二輪を駆動させる作業を政党のみに任せることはできない。今だからこそ市民政治の知恵を発揮する時である。2008年の総選挙における惨憺たる敗北によって野党側の政党が無力化された時、歴史を前進させたのはキャンドル抗争を通して見せてくれた市民の力であり、連合政治という活路を開いた市民政治の力であった。政党の革新を促進し、既得権の恣意的結合ではなく、革新された主体の高い水準の連合を導き出し、大統領選の勝利を勝ち取るためには、覚醒した市民の監視と参加がいつよりも重要である。谷が深いほど、山も高いのである。現在の試練を克服し、より大きな希望を作り出したいと、読者の皆様とともに固く誓う。

今号の特輯「再び長編小説を語る」は、2007年夏号の特輯「韓国の長編小説の未来を開こう」の後続企画として最近発刊された作品を対象とし、長編文学の現状と未来を点検する。韓基煜の「岐路に立っている長編小説」は、最近出された長編小説関連の批評に対する批判的考察を試みる。2010年代を長編小説の「機会」と「危機」が重なり合っている時代と把握し、多様な批評的観点を集め、入念な再検討を行っている。生産的論争の珍しい最近の評壇に新鮮な刺激となることを期待する。白智延の「長編小説の現在と家族叙事の可能性」は、世界の危うい境界を想像し、描き出す長編小説の本来の可能性を探求する論文である。特に今日変化する状況に置かれている家族叙事と成長叙事の現状をチョン・ミョングァン、崔真英、金異設の小説に注目して点検する。許允溍の「憤怒と驚異」は、裵明勳と具竝模の長編小説を対象にして現代の「幻想文学論」を展開する。新しい時代に相応しい小説論の再構成に有益な参照となれる論文である。金仝洙の「美しいものの消失あるいは消えるものの美しさ」は、フランスの作家ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)をテキストにして長編小説の現代的可能性に注目したものである。ウエルベック特有の「悲観的リアリズム」と「黙示録的想像力」がどのように近代と脱近代の論争的領域へ浸透していくかを詳細に明らかにしている。

特輯に関連する読み物が「文学評論」欄を飾っている。曺淵正の「あなたの恋を諦めるな」という愛を否定し、冷笑する時代的雰囲気の中で申京淑と韓江の小説が「愛を構築し、生を再発明」する風景を再構成する。陳恩英と王曉明の論文は、2011年冬号の特輯「東アジア地域文学は可能であるか」を引き継いでいる。陳恩英は、去る2月、上海で開かれた東アジア文学討論会の内容を繊細な省察とともに整理しており、王曉明の「六分天下」は、「ブログ文学」「厳粛文学」「新資本主義文学」等の多様な経路が競争する今日の中国文学の版図を批判的に素描する。

今号の「作家探索」の主人公は、長編小説『レガート』を出版した中堅小説家の権汝宣である。文学評論家のシム・チンギョンとのインタビューで、権汝宣は自身の長編小説を堂々とした「後日談文学」として位置付ける。それが通常の後日談の俗論レベルを超え、未来を指示していることはもちろんである。

「創作」欄も例年と同じく豊富である。「詩」欄には元老から新進作家まで網羅されており、「短編小説」欄を飾ってくれた作家の面々も華やかである。また連載を始めるチョン・イヒョンの新作長編に関心を寄せざるを得ない。

「対話」では、2013年体制論を提起して注目を浴びた本誌の編集員である白楽晴と、参与政府の総理を歴任し、今回国会議員に当選されて現実政治へ復帰した李海瓚、政・官界の豊富な経験をもとに現実政治に対する鋭い論評を披露する尹汝雋等の重量感のある人士らが、韓国政治の現住所と未来について論じる。読者の皆様は、総選挙以後久しぶりに与野党間の数的なバランスのとれた19代国会の運営、年末の大統領選の展望、2013年体制の行方等の重要な諸問題に対する卓見に接することができると思われる。

「論壇と現場」も注目に値する論文によって構成されている。金基元の「韓国社会の矛盾と2013年体制」は、量的な成長にもかかわらず、生活の質が悪化する韓国社会の問題を「疲れ、悔しさ、不安」というキーワードで分析する。このような現実を克服し、2013年体制へ進んでいくために進歩、改革、平和という複合的課題を追求するビジョンと戦略を立てようと提案する。金杭の「啓蒙の限界と大衆知性の展開」は、福島原発事故以後、日本の知識社会が見せた省察の限界を指摘しながら、市民の自発的な対応や実践の中から大衆知性の新たな可能性を打診する。ガヴァン・ マコーマック(Gavan McCormack)の「光明星3号発射以後」は、北朝鮮の衛星発射が引き起こした波紋の裏を取り出し、朝鮮半島問題の本質を明らかにしている。是々非々を鋭く判別する分析が興味深いだけでなく、北朝鮮の核と宇宙プログラムの問題が南北関係及び日朝・米朝関係の正常化とともに解決されるべきだという主張にも首肯するようになる。「寸評」欄は、訳書の比重が大きい点が多少残念だが、多様で緊要な内容がその弱点を解消してくれる。短い分量であるのにかかわらず、現時代の流れを読み取るところに多大なご協力を贈ってくださった執筆者の皆様にお礼を申し上げたい。

夏号から本誌の編集委員に一部変化がある。都鍾煥詩人が国会に進出するようになって編集委員を辞退し、その座を金思寅詩人が埋める。都鍾煥詩人の健闘を祈るとともに、金思寅詩人の合流を歓迎する。本誌が制定した社会人文学評論賞の公募が2回目を迎え、新しい主人公を探している。多くの方々のご関心とご参加をお願いしたい。韓国社会の激動は続いている。このような激動の時代を生きる読者の皆様が本誌を通して、希望を持ち、励まされることを祈る。

 

翻訳:李正連(イ・ジョンヨン)

季刊 創作と批評 2012年 夏号(通卷156号)
2012年 6月1日 発行

 

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