창작과 비평

天安艦事件が見せてくれた韓国民主主義の現在と未来

2012年 秋号(通卷157号)

 

 

徐載晶(ソ・ジェジョン):アメリカ・ジョンズホプキンス大学国際大学院教授、著書として『韓米同盟は永久化するのか』などがある。jsuh8@jhu.edu

南兌鉉(ナム・テヒョン):アメリカ・ソールズベリー大学政治学科教授。著書として『英語階級社会』などがある。txnam@salisbury.edu

 

 

 

韓国の民主主義は、重要な岐路に立っている。1987年、民主化が始まり、1998年、野党の金大中氏が大統領に当選することで、平和的かつ水平的な政権交代が成し遂げられた。そして、再び2008年に政権が変わり、民主主義の手続きが根付いたことを証明した。しかし、2012年、大統領選挙を目の前にしている今、韓国における民主主義に新しい型が必要とする主張が支持を得ている 。 白楽晴『2013年体制作り』チャンビ、2012年。 新しい時代の要求、すなわち、経済民主主義、普遍的福祉、南北関係の改善、マイノリティの保護など、実質的な発展を成し遂げなければならない時期の要求である。そのためには、政治体制においても質的に跳躍すべきである。こうした状況の中において、天安艦事件は、我々に韓国の民主主義がどこまで来ているか、どこへ向かって行くべきかを区別できる良い基準であるといえる。

天安艦事件は、民主主義の問題であり、分断の問題でもある。なせなら、天安艦沈没以後、国家と市民社会がみせてくれた姿は、韓国の民主主義の限界と可能性を見せてくれたからである。一方においては、分断体制の折半という領域で「手続き的民主主義」を獲得できたとしても、これは構造的な限界を持つ「奇形的な民主主義」である事実が明確にあらわれたこととなる。それと同時に、こうした分断体制の限界を乗り越える原動力は市民社会にあり、市民社会の力量が、今はその限界と力の争いができる程度に成熟したという事実も確認することができた。

1987年以後、選挙制度を中心とした「手続き的民主主義」の面において、目立つ成果があったにもかかわらず、天安艦事件は、南北問題が未だに頑固たる聖域として残っていることを明確にみせてくれた。その聖域において、民主主義の手続きと原則が、酷く傷つけられたため、科学的根拠に反する「爆沈説」が政府の公式的な立場となれたといえよう。その過程において、行政部は立法部を徹底的に排除した。国会は特別委員会を構成したが、実質的な活動をさせることなく解散させ、行政部に対する監視と牽制の機能を自ら諦めることとなった。以後、天安艦と関連した一連の裁判で、司法部も独立的機構としての役割をきちんと遂行できなかった。国家機構間における権力均衡と相互牽制が崩れた中、行政部は、「爆沈説」に合理的疑惑を提起する市民に、「従北主義者」というレッテルを貼って、公権力を使い、意思表現の自由という憲法上の権利を制限した 。 李明博大統領、第91次インターネットラジオ演説(2012.5.28)。これについては、次の記事を参照。ソ・ジェジョン「MBの危険な「従北勢力」発言」、ギョンヒャン新聞、2012年6月3日付。すなわち、天安艦をめぐる政局は、分断体制の下において、国家安保という名目で民主主義が総体的に傷つけられたかもしれないことを明確に見せてくれた。

なお、天安艦をめぐる政局は、上記のような限界と同時に、ポジティブ的な可能性も見せてくれた。すなわち、市民社会の意識と力量が昔とは明確に異なるほど成長しており、政府からの「北風」が、以前と同じようには効かなくなったことである。地方選挙を15日の前にして、天安艦が北朝鮮の魚雷によって爆沈されたという公式発表が出た。続いて南北関係を全面的に中断するという5・24措置が取られるなど、安保危機感を極大化する措置が相次いだ。にもかかわらず、有権者は過去の投票形態とは異なり、野党に勝利を与えた。保守言論を始め多くのマスコミからも様々な攻撃を受けたが、国民の三分の二は、政府の「爆沈説」を信頼しないほど、成熟した意識を見せてくれた 。 ソウル大学校平和統一研究院における「統一意識調査」の結果によると、天安艦沈没原因に対する政府の発表を信頼するという応答者の比率は、2010年は32.4%で、2011年は33.6%に過ぎなかった。康元澤(カン・ウォンテク)「次期大統領選と対北政策」、ソウル大学校平和統一研究院・学術シンポジウム「2011統一意識調査発表:統一意識と統一準備」資料集、104頁。とりわけ、参与連帯と「平和と統一を開く人々」のような市民運動団体は、報告書の発表を行うなど、政府に対する監視及び牽制の役割を果たした。また、この活動は国際社会にまで広げられ、UN安全保障理事会が韓国政府の調査結果に疑問を提起する公式書簡を送ることもあった。

本稿は、天安艦事件をめぐる一連の事態を通じ、韓国の民主主義の限界と可能性を分析する。民軍合同調査団(以下、合調団)の報告書の矛盾を指摘したり、天安艦の民没原因を糾明したりすることではなく 、これに対しては、ソ・ジェジョン、イ・スンホン「決定的な証拠、決定的な疑問:天安艦民軍合同調査団の報告について」『創作と批評』2010年秋号参照。この事件をめぐる一連の論争を通じ、韓国における民主主義の現住所を再確認する。また、このような確認の過程において、2013年以後、韓国の民主主義が、より発展していける可能性と課題を考えてみたい。

 

1.天安艦事件にあらわれた政府内における非民主主義

 

国防部は、2010年3月31日、合調団を82名で構成したが、4月12日に73名として再編成した。連合軍事訓練の途中で発生した軍の事故であるため、国防部が調査を主導すべきという名分があったかもしれないが、軍が当事者である事件を軍が調査するという点において、その出発から限界があったといえよう。事件の性格上、国防部から独立した機構か、司法部、立法部、もしくは民間主導において調査が行われるべきだったにもかかわらず、国防部がこれを主導したこと自体が、調査の不透明と客観性を制約した。調査主体の独立性が保障されなかったことは、調査結果に対する信頼度を落としただけでなく、国家安保と関連した思案に対しては、未だに秘密主義の保護の中で、民主的な監視・監督が行われていないことが明らかとなった。

もちろん、調査団に民間人を参加させたことは、軍の透明性を高めた一つの措置であった。しかも、最初の合調団の82名の中、民間人は6名だけだったのに対し、再編成後、その数が27名に増えたことは、内部における民主主義をアピールするのに大きく寄与したとみられる 。 報告書は、最初82名中の17名が「官」、6名が「民」と明記しているが、再編成の後、何名が官であるかは明らかにされていない。したがって、「民間人」の27名中の大半は、国策研究機関で勤務する「官」であるとみられ、造船所や大学に勤務する4~6名だけが民間人であると推定されるが、その正確な数は把握できない。大韓民国国防部合同調査結果報告書:天安艦被撃事件(2010年9月10日)、38~42頁。以下、報告書引用は、本文に頁数だけ表示する。ただし、「民間専門家」が国立科学捜査研究院や国立海洋調査院などの国立研究機関であったり、サムソン重工業や現代重工業のように国防部の受注を受けたりする関係にある点は、彼らの独立性が相対的に制限されていた可能性はある。忠南大と蔚山大の教授のような学界や国会で推薦された委員だけが、相対的に軍から自由であると考えると実質的に独立している民間人は少数であったと考えられる。外国から派遣された専門家の24名は、基本的に軍ないしは官であるとみなすべきで、支援要員98名中の82名が軍人であった事実を考えると、合調団の大半が軍や国家の影響力の下にいる専門家として構成されたことがわかる。これは、合調団の独立性を阻害し、軍の透明性を高めるのにも役に立たない構造的な限界をみせてくれる。

この構造的な限界が、合調団の調査過程にどのように影響を及ぼしたのかがわかる事例がある。まず、合調団の各分科で報告したデータが、合調団で出した結論と相反している点である。たとえば、科学捜査分科の証拠物採取チームは、海底及び海域艦体から集めた証拠物を分析した後、「天安艦事件に使用された魚雷の破片だと断定できる金属は識別できなかった」という結論を出している(120頁)。また生存者及び遺体に関する検査結果、「火傷、破片傷、貫通傷はなかった」と報告し、「遺体の大半は…外傷による死亡の可能性は少なく、情況上溺死したと推定された」とした(132頁)。それだけでなく、近接爆発の時、衝撃波と爆発の音により聴覚障害の患者が多数発見されるはずだが、そのような患者はなかったとしている。近接爆発時にできる破損部位の熱損傷もなく(77頁)、爆発位置にできる花模様の破空も残っていなかった(84頁)という。すなわち、近接爆発の時、当然残されるべき破片、破空、衝撃波の痕跡、熱損傷の中、どれも残っていなかったと科学捜査分科は報告している。この分科のデータは、明らかに魚雷の近接爆発の可能性を否認していることとなる。

また艦艇構造/管理分科の船体衝撃解釈チームの分析結果も、魚雷爆発説と背馳される。このチームは、天安艦の破壊経緯を工学的シミュレーションとして再現し、その結果を報告書の155頁から172頁まで羅列している。ここで注目すべきところは、天安艦の艦首と艦尾とを全部見せてくれるシミュレーションの中で、天安艦が両分されたものは、見せてくれないという事実である。すなわち、船体衝撃解釈チームは、シミュレーションを通じ、バブル効果で、天安艦が艦首と艦尾の二つに分裂しなかったことを立証している。また、シミュレーションは、バブル効果があったとしたら、天安艦のカスタービン室の中央が切断されるはずという点を見せてくれることで、実際、天安艦の破損形態(ガスタービン室の中央は正常であり、その前後の部分が切断)は、バブル効果で説明できないことを立証している。すなわち、様々なチームから報告されたデータが、魚雷のような爆発物の近接爆発がなかったことを強く示唆しているにもかかわらず、このようなデータは、何の理由からか、魚雷の近接爆発説を跡付けるものとなってしまう。報告書では、その理由が合調団内の非民主性にあったのではないかという疑わしい箇所がいくつか発見できる。

たとえば、科学捜査分科は、HMX,RDX,TNTのような爆薬成分を検出したが、この爆薬の原産地は明らかにしていない。報告書は、「国立科学捜査研究所でアメリカ、フランス、カナダ、韓国の爆薬成分と採取物で検出された爆薬における同位元素の分析を通じた化学的指紋検査を実施し、爆薬成分の原産地を判断しようとしたが、具体的に明らかにすることは制限された」と、自らその限界を認めている(117頁)。誰が、何を、どのように、なぜ、「制限」したかは明らかにされていないが、調査チームの活動と報告に内外的な制限が加わったことを示唆していることであろう。

その中で、少なくとも内的な制限があったことは、報告書の他の部分においてもわかる。報告書は、図3-6-23から28まで、一連の資料においてシミュレーションの結果を任意的に、艦首と艦尾の部分で切断し見せながら、シミュレーションの結果として、天安艦がこのように切断できるという錯視効果を起こしている。シミュレーションの結果を魚雷のバブル効果に絶妙に当てはめたのである。科学的に施行されたものとして見られるシミュレーションの結果の数々、バブル効果を否定する図3-6-14から22とは全く異なるものであった。この二つのグループの図は、合調団の中で客観的に分析を行った専門家たちと、分析の結果を「爆沈」として誘導しようとする専門家たちがいて、後者が合調団を主導したことを強く示唆している。

こうした疑惑は、いわゆる「吸着物」分析で、より具体的にあらわれる。合調団は、天安艦の船体と魚雷推進隊から採取した白い粉末の固まりが「アルミニウム酸化物と水分」だとし、その根拠として、図3-5-11と12を提示する。ところが、問題は、エネルギー分光分析(EDS)とX線回折分析(XRD)から出たこの二つの物質のデータ自体は正確であるが、その解釈が歪曲されたということだ。すなわち、同じ「吸着物質」を分析した安東大のジョン・ギヨン教授とカナダ・マニトバ大学のヤン・パンソク博士も、同じデータを得たし、その他の分析も追加してこれがアルミニウム硫酸塩水化物系列だと、後で確認したことがあるからであった。合調団の専門家もこの事実を知っていたが 、KBS「追跡60分」、「疑問の天安艦、論争は終わったのか?」2010年11月17日。このデータは、合調団の誰かによって、アルミニウム酸化物の根拠として誤用され、その上、模擬爆発実験から出たと主張された捏造データが追加されることによって、爆発過程で生成された「吸着物」として結論づけられた(図3参照) 。報告書附録V-5-2は、模擬爆発実験で出てきた吸着物のエネルギー分光分析の結果として、アルミニウム酸化物のシグナルを見せるべきであるが、図からは、アルミニウム硫酸塩水化物のシグナルと共に表示されている。艦隊及び魚雷推進体から出た「吸着物」の分析結果と同じように捏造しないと、ありえない結果である。詳細な内容は、イ・スンホン「科学の良心、天安艦を追跡する」チャンビ、2010年、113~115頁。吸着物が爆発の結果物であるという解釈を合調団内において主導的に引っ張った人がいるという内部証言までもある 。 黄俊晧(ファン・ジュンホ)「ソ・ジェジョン、イ・スンホン、「天安艦合調団に、捏造を主導した人物がいた」」プレシアン、2012年4月3日。

結論的に、国防部が関係している事件を、国防部が主導して調査したため、その結果に対する信頼度は落ちるしかないという構造である。報告書と内部証言などを総合する際、実際に合調団の調査は、内部における非民主性によって、客観的かつ公正的に行われていなかったと考えられる。すなわち、天安艦事件の調査過程は、一つ、軍に対する文民統制という民主主義の大原則から外れ、二つ、合調団の独立性と内部の民主性を守れなかったという側面から民主主義を傷つけたと考えられる。

 

2.天安艦事件にあらわれた韓国民主主義の限界

 

大韓民国の憲法は、国家権力の濫用から国民の自由と権利を保護するために、国家の機能を立法・行政・司法から分立し、牽制と均衡を成し遂げる権力分立制度を採択している。たとえば、行政部の権力濫用を防ぐために、議会は国政監査などを通じて行政部を牽制できる。しかし、現実的に韓国は、大統領に権力が集中しており、行政部の勢力が強く、立法部と司法部の牽制機能が不十分である。しかも、天安艦事件当時の18代国会は、ハンナラ党が圧倒的多数を占めており、与党としての政府牽制の機能すらも諦めた状態であった。このような現象は、分断体制下の南北関係や安保領域において明らかになったものであるが、李明博政府の下で、韓国民主主義が後退した時期に、より赤裸々にあらわれたといえる。天安艦をめぐる政局が、まさにこのことを劇的に見せている。
三権分立と関連して明らかになったのは、事件の真相糾明や以後の措置を取るのに国会がほぼ完璧に排除されたという事実である。文正仁(ムン・ジョンイン)が指摘したように、「三権分立の観点において、行政部の発表は折半の真実」である 。 ファン・ハンヨル、イ・ギョンテ、グォン・ウソン「ムン・ジョンイン教授インタビュー②「北、金正日が事故の際には、国防委の体制で動くこと」」オマイニュース、2010年6月14日。 とりわけ、国家安保に影響を与える重大な思案であり、様々な疑惑が提起される状況において、本格的に調査し、その結果を発表しなければならない立法部が排除されたことは、三権分立という民主的原則であり、憲法的な原則にはずれることである。

2010年4月28日、国会は、「天安艦沈没事件の真相調査特別委員会」(特委)の構成案を通過させた後、「吸着物」の成分分析を再実験した。しかし、それは制限的な成果であっただけで 、全国言論労働組合・民主言論実践委員会声明「国会天安艦特委跛行?言論も跛行!」2010年7月1日。特委の活動のおかげで、天安艦の艦隊と魚雷推進体から採取された「吸着物」を直接分析できた科学者は、ジョン・ギヨンとヤン・パンソクである。この二人は、独立的な別個の分析を通じて、この物質が、アルミニウムの酸化物ではないと立証した。これらの研究結果のおかげで、合調団の主張が間違っていることは、疑いの余地がないと明らかにできた。これから国政調査などを通じて明らかになるべきことは、合調団の誰が、なぜ、この物質をアルミニウムの酸化物であると主張したかということである。最近、キム・グァンソプなども、合調団の主張が間違ったと指摘し、こうした調査の必要性が高く認識されている。ただし、キム・グァンソプの主張の中で、先行研究や実験の結果が伴わない、可能性だけを言及している部分は、追加の研究が必要だと考えられる。姜泰浩(カン・テホ)「天安艦号1番文字の燃焼可否、すべて間違った」ハンギョレ、2012年6月22日付。 ハンナラ党と政府の非協力的な態度のためきちんとその活動ができなかった。特委の構成は4月28日に決定されたが、ハンナラ党が委員のリストを提出していなかったため、5月24日まで会議が開かれなかったこともある。また、公式活動時限が6月27日までだったため、実際の活動機関は、わずか一カ月だけのようなものだった。この期間における公式会議は4回だけ開かれ、しかも5月28日と6月25日の全体会議は、ハンナラ党議員と国防部などの政府側の不参加によって、有名無実になってしまったこともある。結局特委は、5月24日と6月11日、ただ2回の会議を開かれた後、解散となった 。 国会事務処第290~291回、国会(臨時会)「天安艦沈没事件真相調査特別委員会会議録」1~4号、2010年5月24日~6月25日。国会議員の20名で構成された特委が、活動は一カ月間、全体会議は2回だけ。これは、哨戒艦が沈没し、軍人の46名が死亡しただけでなく、南北関係の全面的な中断をもたらした5・24措置の原因となった事件であるにもかかわらず、あまりにも乏しい国会の記録である。

国家安保と関連している思案に行政部が優位を占めることは例外とはいえないが、議会がこの程度で無力になってしまったことは、他の民主主義国家では起きないことであろう。たとえば、アメリカでは、1975年と1976年の議会で「超党的な処置委員会」を構成し、FBIとCIAの情報収集と工作活動が法に違反していないのか広範囲の調査を広げ、報告書14巻を発表し、改善措置を勧告した。また、1989年、船員47名が死亡したアイオワ号の爆発事故においても、海軍における自らの調査に満足できない議会が聴聞会を開催し、議会傘下の会計監査院が海軍調査団の調査結果を再調査するようにした 。 この方式は、天安艦事件の処理方式に多くの示唆を与えている。ソク・グァンフン「天安艦、米・アイオワ号の爆発事故のねつ造と同じ」プレシアン、2010年6月9日。9・11以後にもアメリカは、2002年11月、「超党的な9・11委員会」を構成し、事態を防止できなかった理由などを、ほぼ2年近く強固に調査したこともある。

他方、韓国では、安保思案、とりわけ北朝鮮が関連している(もしくは関連していたと疑われる)思案で国会が独立的に役割を遂行した事例は、ほぼない。その理由は、政府組織における構造的問題と現代史の問題としても説明できるが、二つとも分断体制に帰結されるという点においては、分断は韓国の民主主義を制限する構造的束縛といえる。

政府構造の面において、韓国は、第2共和国期を除いては大統領制を維持している。大統領制においても、大統領が法律案提出権、国家緊急権、憲法改正案提案権、国民投票不議権を持っているだけでなく、憲法裁判所における所長・裁判官の任命、最高裁判所長・最高裁判事の任命、広範囲における赦免権の行使など、立法部と司法部の権力を超える「超権力的大統領制」を採択している 。 ジョン・ジョンウク「韓国大統領制の成功を実現させるための運営モデル」『ソウル大学校法学』第43巻第3号、266頁。 また、各部の長官が、国会議員と兼職ができ、制度的・実質的に行政部と立法部の間に、牽制とバランスが取られていない。このようにまでなったことには、議員内閣制を採択した制憲議会の憲法初案が大統領制にいきなり変更した理由や、第3共和国・維新憲法、第5共和国が登場した理由などもかみ合わさっているが、分断がその構造的原因となっている。すなわち、大統領制は、分断という特殊な状況において、社会安定を維持し安保を守るために必須だという名分の下で、持続的に強化されてきたのである。

分断体制の下において、立法部の独立性が侵害されてきた歴史は、1948年の制憲議会から始まる。制憲議会は、1948年9月22日、大韓民国の法律の第3号として、反民族行為処罰法を制定、反民族行為特別調査委員会(反民特委)を構成した。行政部の反対と妨害及び親日勢力の特委委員暗殺陰謀などで活動が厳しくなっていた中、「国会フラクション事件」があり瓦解した。決定的な承認も客観的な物証もないのに 、 朴元淳(パク・ウォンスン)「国会フラクション事件、事実であるか」『歴史批評』1989年秋号、228頁。 国会議員の13名が、南労党の工作員であるという容疑で実刑を受けたこの事件は、以後国会議員にとってトラウマとして残る。以後、朝鮮戦争中にあった国軍による民間人虐殺事件においても、国会が調査を広げたが、失敗し上手く行かなかった場合もあった 。 ジョン・ガプセン「1960年国会「良民虐殺事件調査特別委員会」資料」『ジェノサイド研究1』2007年2月、253頁。

国会が、ある程度相対的に独立性を維持できた時期に、このような事件が発生したことを考えてみると、大統領の権力が強化された維新体制と第5共和国を経て、国会議員の被害意識がいかに深まったかが推測できる。すなわち、北朝鮮や安保に関連している思案を、間違って触れると、苦労だけするかスパイとして追われ処罰を受けるかという内面的な自己検閲機制を固着化し、これが今回の天安艦事件においては、議会の無力さとしてあらわれたと推定できる。

2011年6月28日、国会の「人士聴聞特別委員会」における趙庸換(ジョ・ヨンファン)憲法裁判所裁判官候補者に対する人士聴聞会は、国会が安保問題において、単純に無力であることだけでなく、安保攻勢の場となっていることを示唆している。この聴聞会で趙候補者は、天安艦事件に対して「北朝鮮が犯した可能性が非常に高い」と答えた。自由先進党の朴宜映(パク・ソンヨン)議員が「北朝鮮の仕業と確信できないということか」と追窮すると、「政府発表を受け入れるが、直接見ていないため、確信という表現は適切ではない」と答弁した 。 キム・ギヒョン「ジョ・ヨンファン憲裁・裁判官候補者・人士聴聞会答弁論争」『東亜日報』2011年6月29日付。その発言のため、憲法裁判官の選出案が、歴史上初めて国会の本議会において否決された。長い間、自らの声をあげることができなかった国会が、民主化以後5・18光州聴聞会と過去史委員会などで、部分的であるが独自性を獲得してきたが、しかし、天安艦事件のせいで、その独自性が再び傷つけられたことである。

このような民主主義の後退は国家と市民の関係においてもあらわれる。天安艦沈没の直後、政府は、事件の発生時間や沈没位置に対して、何度も変更して発表し、確認もしないまま事故原因を予断して発表するなど、自ら信頼を落とした。市民と言論が、こうした問題点に合理的な質問を提起すれば、誠実に答弁し国民と疎通しようとしたのではなく、国家権力を行使し質問自体を封鎖しようとした 。 KBSの「9時ニュース」は、2010年4月7日、韓主浩(ハン・ジュホ)准尉が、「第3の浮標」で亡くなったと報道した。国防部は、すぐに否認声明を出し、KBSに訂正の報道を要求した。その後、KBSが訂正報道を出し、そのニュース映像は削除された。海軍本部は、8社の新聞社を相手に、言論仲裁申請をしたが、放送通信委員会は、「追跡60分・天安艦」の放送に重懲戒を下した。政府は、疑惑の可能性自体を封鎖するため、名誉毀損訴訟という合法的な道具を利用し、一方では査察と背後圧力を行使した 。 国防部長官は、朴善源(パク・ソンウォン)を虚偽事実流布の容疑で、合同参謀本部は、李正姫(イ・ジョンヒ)委員を名誉毀損の容疑で、海軍は、申祥喆(シン・サンチョル)を電気通信基本法違反の容疑で、それぞれ告訴した。また、警察は、疑惑を提起する内容のチラシを配布した大学生を連行、逮捕状を出した。保守団体であるライトコリア、拉北者家族会、6・25南侵被害遺族会は、金容沃(キム・ヨンオク)を国家保安法違反などの疑いで、インターネットで疑惑について書き込みをした12名を電気通信基本法違反の容疑で、また、ライトコリアと枯葉剤戦友会は、参与連帯と「平和と統一を開く人々」を名誉毀損と国家保安法の違反などの容疑で告発した。 その結果、「国家の団結を図る求心力としての政府の役割が揺れた」だけでなく 、 宋旻淳(ソン・ミンスン)「天安艦、国家安保を考えながら」2010年4月30日。 http://blog.naver.com/songminsoon/50087490819 国家が公権力を動員し、表現の自由と良心の自由を制限するという「反民主主義的な行為」としてあらわれた。

2012年5月、李明博大統領が、ラジオ演説で天安艦事件に疑惑を提起する市民を、「彼ら(北朝鮮)の主張をそのまま繰り返す我々内部の従北勢力」としたことは、こうした「反民主主義的な姿」の頂点といえる。なぜなら、このような発言は、大韓民国の法治主義原理を傷つけ、憲法的な原則を違背しているからである。もし、北朝鮮の「主張をそのまま繰り返す」市民がいれば、国家保安法の違反であるが、検察は天安艦事件と関連している国家保安法の告発などについては、すべて「容疑がない」と却下している。にもかかわらず、行政部の首長である大統領が「従北主義」云々することは、法治主義の原理を傷つけることであり、憲法にも明示された無罪推定の原則を違背したことになる。また、司法部が天安艦と関連して、国家保安法違反判決を下すことができない状況において、行政部の首班が、不特定多数の市民を「従北勢力」という国家保安法の違反者として規定することは、三権分立の民主的原則を壊したことでもある 。 これに関する詳細な議論は、ソ・ジェジョン「MBの危険な「従北勢力」発言」、ギョンヒャン新聞、2012年6月3日を参照。

 

3.天安艦事件からみた韓国民主主義の現住所

 

今まで考察してきたように、天安艦事件は民主主義の退行と限界を見せてくれたが、同時に、民主化の発展も見せてくれた。韓国政府は、事件以後、一連の対応を通して、南北間緊張を盛り上げ、安保政局を醸し出そうとしたが、結果はそのような意図とは大いに異なった。市民社会と一部のマスコミは、政府の説明に対する疑いと反論を問いかけ、これを制圧しようとする政府の努力があったにもかかわらず、大半の一般市民は、政府の首長に懐疑的な反応をみせた。すなわち、天安艦事態は、逆説的ではあるが、韓国の民主主義がここまで成熟できたことも証明してくれたのである。

2010年5月20日、合調団は、天安艦沈没が北朝鮮の仕業と主張する報告書を発表し、その4日後に、「北朝鮮の軍事挑発」を忌憚するという李明博大統領の談話文を出した。これと同時に政府は、天安艦追悼の募金イベントを始め、安保と軍の重要性を強調するなど、この事件を安保と直結させた。こうした政府の努力は、市民が政府発表を大体受け入れることしかできない状況を作り出しているように見えた。過去の場合、政府発表は、一旦既定事実として受け入れる場合が多かった。もし疑いの余地があるとしても、政府の主張を覆すことができる情報を持っている団体が少なく、あるとしてもこのような団体が一般市民と疎通するのに、その力量が足りなかったのである。

しかし、今回の天安艦事件は違った。政府の主張に重要な質問を問いかけることで、政府の説明がいかに弱いものであるかをみせてくれた代表的なNGOとして、「参与連帯」を挙げられる。天安艦沈没のため慌ただしかった政局において参与連帯は、NGOの中で初めて軍の捜査方式が閉鎖的であるという非難を公式論評に掲載することを始め、政府の対応の問題を一々問いただした 。 参与連帯論評「大統領の支持も通じない軍の機密主義」2010年4月2日;「天安艦真相調査、もっと厚くなる秘密のテント」2010年4月19日;「天安艦密室調査、独占情報の誤乱用、度を超えた」2010年5月12日;「情報公開は義務であるが、ショーではない」2010年6月1日。 また、国防部が沈没時間すらもきちんと把握できていないことを指摘し 、 参与連帯論評「軍の解明資料、事件発生の時間がバラバラ」2010年4月2日。 水中のバブルジェットによる爆発が妥当であるか、北朝鮮の魚雷であるか、魚雷による攻撃であるか、北朝鮮にそのような潜水艇が実在するのか、あるとしたら、浸透可能だったのかなど、重要な疑問を提起した 。 参与連帯天安艦イシューレポート1「天安艦沈没原因の調査結果が残した8つの疑問点」2010年5月25日。 彼らは、公論化のため様々な討論会を主催し、大衆の関心を引きだした 。 参与連帯緊急座談会「天安艦沈没と軍事機密」2012年4月6日;討論会「天安艦参事関連、政府の情報統制と言論報道の問題点」2010年4月13日;緊急討論会「天安艦事件調査結果に対する討論会」2010年5月23日;討論会「天安艦1周年:天安艦真実と民主主義、そして朝鮮半島の平和」2011年3月24日。 また、「民主社会のための弁護士の会」とともに、情報公開請求を提起し、この請求が拒否されると市民1160名の代わりに、「天安艦関連の情報公開拒否処分の取り消し」を要求する行政訴訟を提起したりもした。ひいては、沈没直後、国際社会が、韓国政府の発表だけに全面的に頼っていた時、政府の調査に疑問を提起する手紙をUN安全保障理事会の会員国に送った 。 参与連帯 “The PSPD’s Stance on the Naval Vessel Cheonan Sinking,” 2010.6.1. 他方、注目すべきことは、参与連帯に対する政府の対応が、制限的であったことである。事態の重さからみて、政府は以前のように直接的に暴力手段を使うこともできたが、民主化以前のやり方のような弾圧を加えることはしなかった 。 しかし、政府が弾圧をかけなかったわけではない。ただし、その方法が異なっていただけであった。国務総理が、国会で参与連帯のことを「どの国の国民であるか疑わしい」と批判し、マスコミは匿名の政府関係者の言葉を引用して、参与連帯の活動を「利敵行為」とした。これに合わせて、一部の右翼団体は、参与連帯の前でデモ行為を行うなど、一方では、利敵行為と虚偽事実流布などの疑いで告発、検察が捜査に着手するようにした。参与連帯の関係者は、このような圧迫に「驚異と恐怖を感じる」までと発言した。イ・ジョンファン「利敵行為?国際的な恥さらしを、誰がさせているのか?」メディア今日、2010年6月14日。 それほど、NGOが活動できる政治的な空間が拡大されたことであった。

参与連帯のようなNGOの政治的力量の成長は、言論の自由と密接な関係がある。NGOのメッセージが、大衆に効果的に伝えるためには、言論の自由なる報道がもっとも重要である。今回の天安艦事件をみると、マスコミの中の保守側の言論は、「爆沈説」を政府よりも先に主導したが、一部は、政府の圧力から相当な程度の独立性と自由を行使できた。たとえば、KBSの「追跡60分」は、自らの実験と分析に基づき、魚雷爆発で残されたはずの酸化物が抽出されていなかった事実を明らかにした。また、オンラインマスコミであるプレシアンは、真相報道の機能に加え、政府の「管理」が行き届いていないという長点のおかげで、天安艦事件の真相糾明において、大きな役割を果たすことができた。プレシアンは、科学者らの証拠に基づいた異見を絶えず報道することで、読者が、政府が出した科学の仮面を剥がせるように手伝った 。 ソ・ジェジョン「バブル効果はなかった」プレシアン、2010年5月27日;ファン・ジュンホ「米・物理学者「魚雷が爆発したなら「1番」という文字は燃えてしまっている」」プレシアン、2010年5月31日;ファン・ジュンホ「天安艦調査、これ以上科学という名前を汚すな」プレシアン、2010年6月7日。 「吸着物」疑惑、魚雷爆発の有無など、専門的な知識がなければわかりにくい点を、わかりやすく紹介することで、政府の説明に大衆が質問を問いかけるようにした。その他にも、『ハンギョレ21』とMBCの「ニュースデスク」においても、政府の発表に関連している様々な疑惑を取り上げた。このような成果は、権力層から相当な牽制があった状況で行われたため、より価値のあることといえる。「追跡60分」の例をあげると、親政府性向の高位の人士が、報道の内容をおいて、放送の制作過程に持続的に干渉し 、 ジョ・ヒョンホ「教養プログラムにキム・ユンオク女史を美化しているシーンを入れるように指示」メディア今日、2012年3月27日。しかも放映自体が不透明になることもあった 。チェ・ウンハ「追跡60分、「天安艦」編、放送されない可能性も…「怒りが喉まで」」プレシアン、2010年11月17日。それだけでなく、放送が流れた後、放送通信委員会は、疑問を提起した報道に対し「不明確な内容を放送」したという理由で、「警告」という重懲戒を下したのである 。 ジョ・ヒョンホ「5 公式、追跡60分、天安艦懲戒」メディア今日、2011年1月6日;「放通審議会<追跡60分>「天安艦」編に重懲戒を下した」ギョンヒャン新聞、2011年1月6日。

NGOの活動と独立的言論に劣らないほど重要なことは、市民意識の成長であった。政府の様々な努力にも関わらず、市民たちは安保政局に押し流されなかった。政府発表の信頼度を測定した世論調査によると、沈没があった2010年には、政府発表に対し「全面的に信頼する」もしくは「信頼する方である」と答えた人は、わずかに32.4%であった。一方、「まったく信頼しない」もしくは「信頼しない方である」とした人は、35.8%に至った。このような数値が、2011年の調査においても、ほぼ同様にあらわれた(33.6%対35.1%) 前景、カン・ウォンテク「次期大統領選と対北政策」104頁。点は、特に注目すべきである。ヨンピョン島事件で、北朝鮮の砲撃で死傷者が発生し、政府の安保論理が大衆に大きな説得力を持っていそうな局面であったにもかかわらず、市民は依然として政府の説明に対する疑いを持っていた。

これは結局2010年6月、地方選挙で与党の惨敗につながっていった。安保政局が選挙に役立たない程度だけでなく逆風となった 。カン・ウォンテク「天安艦事件は、地方選挙の変数であったか?」東アジア研究院(EAI)オピニアンレヴュー1、2010年6月22日。多くの人々(69.3%)が、天安艦事態の背後に政治的意図があるとみなした。民主党支持者の大半(90.3%)が、こうした疑いを持っていただけでなく、ハンナラ党支持者のほぼ半分の人(41.2%)も同じ考えだった。投票時に、天安艦事件に影響された人は、与野の両方、半分にならない(それぞれ40.1%、48.2%)。しかも、天安艦事件で支持候補を変えなかった人が大半(70%)であり、変えた人も与党から野党に変えた人(12.7%)が、その反対(2.4%)より、圧倒的多かった。すなわち、天安艦発の北風が逆風に変わったことは、それほど韓国の民主主義が成長したことを、逆説にみせているといえる。

 

4.残された課題、そして韓国における民主主義の未来

 

結局、天安艦事態は韓国の民主主義の限界と可能性をそのまま反映している。したがって、天安艦問題の解決は、韓国における民主主義の発展とともに行われることであるし、それこそが、2013年体制を開く核心カテゴリーの一つであるといえる。合調団報告書の中で、捏造されたことが明らかであるデータに関する聴聞会や国政調査は、民主主義の回復のための固い踏み石となる。それだけでなく、韓国の民主主義が安保領域に拡大され、分断構造の束縛から離れる重要な一歩となると考えられる。天安艦発の北風が、以前のように韓国の政治を揺らすことができなかった事実は、韓国の民主主義がそれほど成熟したことを反映していることでもあるが、残された課題が何かということも示してくれる。その課題は、他ならぬ南北間における緊張緩和が、より成熟した民主主義発展のために、必ず必要だということであろう。

一つ、南北対立は、東北アジアにおける国際政治の緊張の原因である。これは、韓国の安保危機を呼び起こし、民主主義を制限する。天安艦事件とヨンピョン島事件につながる南北間緊張の高まりの中で、アメリカが2010年末、核航空母艦のジョージ・ワシントン号を西海に送ったことがその例であるといえよう。アメリカの艦隊派遣は、北朝鮮と中国に脅威として認識され、海軍力増加などの軍事的な対応を呼び起こした。この中、日本の大衆は、沖縄における米海兵隊基地の県外移転に対する反対をやめ、日本の政治圏においては、平和憲法を修正しようとする動きもその弾みを受けている。このような地域安保の緊張は、韓国の安保と民主主義に対する構造的圧力として作用する。

二つ、南北の緊張は、国家保安法を正当化する。市民の基本的な自由、すなわち思考と良心の自由を処罰する法が存在する以上、民主主義はいつまでも退歩できる構造的欠陥がある。2012年1月、写真作家のパク・ジョングンが、北朝鮮を嘲ようとする意図で、北朝鮮の「わが民族同士」というツイッター内容を再度ツイットーしたが、このために国家保安法の違反容疑で拘束させられたことが、その端的な事例である。北朝鮮が関連している理由だけで、市民の表現の自由を制限できる法的土台の上で、民主主義が健全に発展することは不可能である。

三つ、南北の緊張は、法的な個人の自由であるだけでなく社会全体の健全な討論と意識の成長を妨げる。南北の緊張が、社会的意識を抑圧する例は容易に探すことができる。われわれは、友だちという意味の「トンム」という言葉をよく使わない。北朝鮮で愛用される言葉であるため、韓国社会においては禁じられた言葉である。また、社会主義であるとか共産主義であるとかという言葉に、否定的な反応を示す場合が多い。実際にすべての資本主義社会は、社会主義や共産主義において主唱する制度を導入し、修正しながら発展してきた。韓国も例外ではない。しかし、韓国社会におけるアレルギー的な反応は、これらの制度が与える理論的・実際的貢献を体系的に研究し、公開的に論議することを遮断してきた。

本稿では、天安艦事態を通じて、韓国の民主主義が直面した限界と、その間積み重ねてきた力量を考えてみた。韓国国内における民主主義の問題は、韓国だけの問題ではない。北朝鮮の政治的な安静と経済的な発展、これに基づいた国際社会との交流と緊張緩和がなければ、韓国だけの民主主義は不完全であるだけでなく、いつまでも深刻な脅威状態に陥る危険性があることだ。2013年、韓国社会では、新しい政治・社会のパラダイムが登場する可能性が大きい。しかし、どんなに国内で変化があったとしても、南北緊張の緩和と分断体制の解消が達成できなければ、構造的な限界を乗り越えることができないことを忘れてはならない。

 

翻訳: 朴貞蘭

季刊 創作と批評 2012年 秋号(通卷157号)
2012年 9月1日 発行

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