[書評]社会人文学、学術の社会的疎通を語る
書評: 権ボドゥレほか『知識の現場 言説の風景』ハンギル社、2012年
「社会人文学」は、ここ最近流行りの新たな「ブランド」である。創批が主管する「社会人文学評論賞」がすでに二度の受賞者を輩出し、韓国学分野を代表する研究所(延世大学校国学研究院)も研究課題や研究叢書の名称として社会人文学を使用している。社会人文学という名だけでも、そのコンセプトが推し量れるように、社会人文学は人文学の社会性と批判的アイデンティティを回復しようという特定の学術的傾向を指す。その具体的内実と志向性は一言で簡単に言えるようなものではないが、社会人文学というタイトルが脚光を浴びる背景には、人文学の位相と動向にたいする反省を要請する昨今の社会的・歴史的状況がある。
人文学の社会的・学術的位相は、かなり以前から大きく動揺している。さまざまなオルタナティブや実験的試みがなされてきたが、現時点では、「ヒーリング・治療・癒し」を冠した人文学が最も大衆的な地位を得ている。そもそも人文学にこのような機能がなかったわけでもないので、突然そうなったわけではない。それだけ生が乾き切って、世知辛い世の中になったということであって、こういった要請にきちんと応えることができるのであれば、充分にやりがいのある仕事となる。しかし「ヒーリング・治療・癒し」など、どう考えても事後的位置から湧き出る現象である。雑駁に言えば、旅立つ恐ろしさで躊躇する者たちの心を落ち着かせ、背中を押してあげることに近い。そのせいだろうか、すでに展開されている状況への対症療法的な努力に偏りがちで、診断・処方・予防の好循環構造を作りだすことの方が根本的な課題であるという確認は、往々にして忘却される。
「社会人文学」という新語が大きな共鳴を伴わせる脈絡も、これと無関係ではない。人文学はそもそも社会的性格をもつという設定に立ち戻り、その社会とのコミュニケーションや相互作用のありよう、実践的介入に軸を見出そうという学術的傾向がまさに社会人文学だからである(5-8頁)。しかし、「社会」と冠しているからといって、多々ある人文学のうちの一つに分類するといった理解の仕方は適切ではない。「社会(性)」とは、人文学とは切り離せない本来性として認識されるがゆえに、実際、「社会人文学」はまさに人文学と等置の関係にあるからである(社会人文学叢書1『社会人文学とは何か』ハンギル社、2011年)。この基本的立場を出発点とするなら、社会人文学としての韓国人文学が形成されてきた歴史と現在を検討する作業は、自然な手続きである。学術の制度と言説を中軸とした『韓国人文学の形成』(社会人文学叢書2、ハンギル社、2011年)を引き継いで『知識の現場と言説の風景』(以下、『知識・言説』)が三番目の成果として世に問われた。同書はサブタイトル「雑誌に見る人文学」からわかるように、学術と社会言説の相関性を、雑誌-メディアに焦点を当てて検討している。
『知識・言説』は三つのパートに分かれている。グローバル化を時代的条件として知識とメディアの変動を扱った第1部、1950~70年代を中心に社会人文学と雑誌の関連構造を解明した第2部、そして80年代の民主化以降に登場した多様な分野の進歩的学術誌を子細に検討した第3部である。目次だけでも社会人文学と雑誌・学術誌の関連性をマクロな観点から見渡すのに充分である。多様で豊かな議論がいたるところでなされているが、「雑誌に見る人文学」というテーマに鑑みれば、第2部こそ本書の幹線であると見てよいだろう。全4編の論文を収めた第2部の各論文は、それぞれ個性的で特徴的であるが、その基調には一つの系譜がはっきりと確認できる。50~70年代を社会人文学という観点から再構成した結果、登場する雑誌の系譜は『思想界』→『青脈』→『創作と批評』である。結局、この系譜が浮き彫りにするのは、社会人文学的志向を明確にもつ学術的傾向を社会的言説へと転換し、同時にその言説が学術的傾向を再駆動・強化する運動過程である。その過程で民族主義・近代化言説はもちろんのこと、民族・民衆文学論(205-219頁、275-283頁)と、韓国史の認識構造(238-260頁)が創出されたのだから、これは母胎であり養育の場でもある。さらに第3部に登場する文学・歴史・哲学分野の進歩的学術史の世代的再生産を可能にした下地にもなったのである。
『知識・言説』の筆者のほとんどは既に学界に少なからぬ名声をとどろかせてきた若手研究者である。それだけに、ひとつひとつの論文が緻密かつ整然としている。しかしながら一読した後の全般的な印象は、あえて言ってしまうと「既視感」に近いものを感じざるをえない。本書の企画意図からすれば不可避ではあろうが、新たな問題提起よりも、不明瞭な状態を少しでも明瞭にして示すことに力点を置いたようである。第3部で進歩的学術誌の物足りない現在を乗り越える未来があまり予感されないのも、同様に残念である。第1部にあるように「グローバル化」が社会人文学も共有せざるを得ない時代的条件であるならば、「社会」をどう規定するのかについてもまた更新の対象とされるべきであろう。何より、かつて、そして現在に至るまで現実的にも学術的にも深い影響関係にある「米国・日本・北朝鮮(・中国)」が社会人文学の成立にどのように作用したのかも気になる。引用や脚注ではなく、学問の構造に内在化された経路と現象を照射する作業は避けがたい課題である。社会人文学が見せてくれるであろう次の成果がどのようなものなのか、胸躍る気持で期待させてくれる所以でもある。
翻訳:金友子
季刊 創作と批評 2012年 冬号(通卷158号)
2012年 12月1日 発行
発行 株式会社 創批
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