「韓半島危機管理2.0」のための提言
金鍾大(キ厶ゾデ)
『ディフェンス21+』編集長。大統領府国防補佐官室行政官。国防相政策補佐官を歴任。著書に『盧武鉉、時代の敷居を超える』などがある。jdkim2010@naver.com
1.序論:なぜ危機管理なのか
韓(朝鮮)半島の安全保障(以下、安保と略)の現状は穏やかではない。2010年の天安艦沈没と延坪島砲撃事件についで、今年10月には(板門店の)臨津閣で南北両軍が交戦の一歩直前までいく危険な状況が展開された。陸海双方で局地的な交戦の危険性が非常に高まり、GPS(全地球測位システム)の攪乱事態やハッカーを動員したサイバー戦争も進行中である。さらに、北朝鮮が核とミサイルの開発を加速化させ、今後の韓半島情勢に破局を招きかねない致命的危機が生じる公算が高まっている。
外部からは、アジア太平洋上で米国と中国の軍事的対峙が強まっている。現在の米・中葛藤は強大国間の本格的な覇権争いの水準ではないにしても、韓半島情勢に衝撃を与えうる強力な外部効果であるのは明らかだ。特に、天安艦事件と延坪島事件が起きた2010年の場合、韓国政府の危機管理は米・中対峙局面に影響を与えあい、限りなく相互作用を及ぼす様相を呈した。さらに最近、思いがけず噴出した東北アジア国家での民族主義への回帰とその延長線上で展開された領土紛争も、私たちにはやはり潜在的な危機要因といえる。
だが、最も致命的かつ危険な危機要因は私たちの内部から噴出している。まさに大統領選挙政局での北方限界線(NLL)をめぐる論争である。ここには二つの極端な考え方がある。第一は、国際海洋条約や国内法である領海及び接触水域に関する法律が厳然と存在するにもかかわらず、NLLで設定した西北海域は韓国の「管轄水域」という既存の定義を超えて韓国の「領海」だと主張する右派の極端な考え方である。この主張は領土問題を引き起こして国家主義イデオロギーを強化しようとする扇動的な主張に他ならず、次期政権では北朝鮮のみならず中国とも対立するような危険な状況を招きかねない。その反対には、NLLの存在自体を認めない左派の極端な考え方がある。たとえ国際法的にはNLLの論拠が脆弱であっても、南北基本合意書でNLLを不可侵境界線と認めた南北関係の現実を度外視するならば、これもまた西北海域の安定に深刻な否定的影響を与えるとともに、韓国社会内部に極めて深刻な混乱を招くだろう。紛争を防ぐとの趣旨で設定された不可侵境界線が、相手を排除して物理的衝突を誘発し、社会内部の葛藤を煽る紛争ラインになったという事実からも、韓半島の危機管理はその目的と手段、方法が非常に屈折し、歪曲しているのがわかる。本稿で“危機”(crisis)とは、某種の軍事的事件によって国家に相当な損失をもたらす危険がある瞬間、またはヤマ場を意味するもので、“危機管理”(crisis management)とはそうした瞬間やヤマ場を効果的に管理し、国家の核心的な価値や利益が保護されるようにする一連の過程を意味する。
1962年キューバ(ミサイル)危機は、核戦争の脅威に直面したケネディ政権が情報力・外交力・軍事力を効果的に配合し、危機を統制して平和裏に事態を解決した成功例としてあげられる。反対に、1999年6月に延坪島NLL付近では南北双方の当事者も交戦する意思がなく、交戦が始まる状況でもなかったが、北朝鮮艦艇6隻が撃破されて少なくとも100名が死傷するという事件が起きた。当時、メディアは北の軍人が30名程度死傷したものと報道したが、第2艦隊司令部自らが分析した結果、死傷者100名以上と推定されるほど、前例なき熾烈な交戦だった。今日のNLL論争の起源になった、第一次延坪海戦として知られるこの交戦の発生から3年後、切歯扼腕した北朝鮮が報復攻撃を敢行して韓国艦艇を撃沈し、6名が戦死する第二次延坪海戦が発生した。一時は「生命の海、平和の海」だった西北海域が天安艦沈没と延坪島砲撃を経た今日、南北両軍が決戦を準備する「死の海」、世界で最も危険な水域へと急変した。その結果、北朝鮮の軍事力を制圧しようとする軍事政策が危機管理と同一視され、韓半島安定のメカニズムは明らかに弱体化している。
南北両軍が対峙する戦場は、脳の統制を受けない自律神経と同じで、政治権力がこれを統制するのには限界がある。だから、政治権力が南北の軍事力の属性を把握して統制手段を準備し、危機発生時に効果的に管理する力量を発揮しないなら、いかに立派な対北政策を準備するといっても目標を達成するのは困難だろう。こうした観点から本稿では、現在の韓半島の危機構造を概観した後、この間の韓国の危機管理の問題点を分析し、ついで代案的な危機管理の方向を「危機管理2.0」レベルで扱うだろう。最後に結論に代えて、「危機管理2.0」を具現するための課題を紹介したいと思う。
2.2013年韓半島危機の地形
いかなる国家や政府であれ、自らが経験する危機は地球上に存在しなかった極めて特別なものだと認識する傾向がある。だがチャールズ・ハーマン(Charles F. Hermann)は、大部分の危機発生と展開のタイプを一般化し、私たちが直面する危機もその一般的タイプの一つに属する点を示唆している。彼は強度(低強度/高強度)、予測可能性(予見された/予期されない)、対応時間(切迫した/余裕ある)という三つの軸で国際政治における危機を類型化した。Charles F. Hermann, “International Crisis as a Situation Variable”, International Politics and Foreign Policy, New York: The Free Press, 1968, 409~421頁。これに従って韓半島の危機構造を描写すれば、次の通りである。
第一に、危機の強度を基準にして最も高い位置にあるのは戦略的脅威である。これは米中間の軍事的対決や北朝鮮の核とミサイルのような、私たちの軍事的対応の範囲を超越した最上位の脅威である。軍事的に防備できない高強度の危機は、政治力と外交力で補完することによって事前にその脅威を管理しなければならない。その下位には、韓半島の戦域レベルの作戦的水準の脅威として在来式戦争の可能性が位置している。今日は朝鮮戦争当時のように、北朝鮮が戦車で釜山まで押し寄せてくるような大規模な全面戦争が起きる可能性は薄らいだ。だが、今でも南北両軍は在来式第二世代の武器体系による大規模地上軍の交戦モデルを固守しているため、備えざるを得ない脅威である。最下位には、韓半島全体への危機にはならないが、短時間に発生して特定範囲に限定した戦術的レベルの脅威がある。たとえ小規模でも心理的打撃は大きく、起きる可能性も高い。
第二に、危機の予測可能性という面で、私たちの直観と常識を超えた天安艦沈没のような非常に驚くべき事件が起きる反面、それから8か月後に起きた延坪島砲撃のように十分予見され、警告を受けた事件もある。今後韓半島の危機は、予想可能で防備しうるタイプよりは、既存の固定観念が崩れる“常識の背反”になる可能性が高い。在来式の戦争遂行能力で劣勢にある北朝鮮は、私たちが予測して防備しうる領域を超え、意表をつく軍事戦術で自らの劣勢を挽回しようとするだろう。また、大規模な常備軍で陸海域を包囲して空域を統制する伝統的な安保領域を超えた非軍事的手段で、社会の核心的基盤を崩壊させたり、マヒさせたりする新たな脅威も出現している。この場合、軍事力の比較というのは無意味であり、境界線も重要ではない。2006年、NGOに過ぎないヒズボラが中東最強の軍隊であるイスラエルの空軍と陸軍を完全に制圧したのも、非軍事的手段(サイバー戦争)と軍事的手段(無人航空機)を適切に配合する、極めて「見慣れぬ」戦争技術を駆使したからである。想像もできなかったイスラエル軍の敗戦を注視した戦争学者のピーター・シンガー(Peter Singer)は、「世界の戦争技術は平等化された」と宣言した。ピーター・シンガー『ハイテク戦争』、権ヨングン訳、チアン、2011年、372~375頁。当時のヒズボラのサイバー戦争能力の相当部分はイランが提供したものだが、既に北朝鮮はイランと軍事技術を交流している。最近、北朝鮮はヒズボラの戦争遂行方式を自ら内在化させたハイブリット戦争技術を準備したと思われる。
第三に、危機対応の時間面で、発生の可能性を十分に予測して対応する余裕があるケースがある一方、何の警告もなく突然生じて統制が難しいケースもある。1999年第一次延坪海戦は、同年6月6日に始まった武力示威が15日実際の交戦に至るまで9日かかった。だが、最近の西海[韓国西部の海、つまり黄海東沿岸部]紛争をみると、南北双方の戦闘部隊が各々ソウルと平壌の政策決定を待たずに、現場で即時対応する構造へと指揮統制が転換した。有事に際し、政策決定の速度を短縮する速い指揮体系が出現したのだ。北朝鮮の金正恩第一秘書は西海司令部を訪問して指揮権を現場指揮官に全面委任する発言をし、李明博大統領もまた同様のメッセージを軍に伝えている。迅速な軍事的対応で相手を制圧しようとする南北双方の政治権力が、重要な軍事的決定を現場指揮官に大幅に委任して速度戦での勝利を追求しているためである。
このように、韓半島危機のタイプが局地性、非予測性、迅速性という方向に発展しているのは、危機管理の行為者たる政府の合理性の毀損を意味する。軍隊が遂行する軍事行動は、政治権力が合理的に設定した目標に従属すべきであるが、軍隊がそうした政治的目的の範囲を超える突出行動を敢行する場合、これを統制できる手段や方法がすべて弱体化する現象はまさに合理性が崩壊するケースである。最近、西北海域で軍が「自衛権の行使」の要件を大幅に緩和し、上部の指示なしですぐに軍事行動をとるようにしたのは、危機管理に新たな課題を投げかけている。
3.危機管理1.5の時代:機械的かつ主観なき思考
金大中政権の発足以前、大統領府には危機管理という概念自体が存在せず、駐韓米軍と米国政府にほぼ依存していた。この頃を「危機管理1.0の時代」と呼んでもいいだろう。この頃までの大統領府は、秘書室で全般的な安保状況を把握して判断を下すほどの手段を全くもっていなかったし、ただ大統領警護室が情報機関、軍部隊との通信を通じて概略的な情報を把握するだけだった。その主たる目的も危機管理ではなくてクーデターの防止、つまり転覆対応任務に限られていた。大統領府秘書室が大統領の危機管理のための初歩的な手段を備えはじめた金大中政権の半ばから現在まで、安保状況への管理が可能な方向で状況室が補完されつづける「危機管理1.5の時代」を切り開いたと言える。しかし、この時も危機管理という概念自体はその重要性と独自性が認められず、大部分の危機管理が失敗した過渡期とみるのが妥当である。
今まで私たちは、南北両政府が各自の国家利益を極大化するための合理的行為者という観点から、南北関係の諸現象を理解する傾向がある。こうした観点では、西海の安保危機は譲歩できない国家利益を具現するために南北双方の政治権力の意志が衝突する現象だと理解される。だが、こうした理解の仕方は大きな網で大きな魚だけを捕まえ、海中のすべてを知っていると言うのと同じである。海中には大きな魚だけでなく小さな生物もいるので、小さな網も投げてこそ正確な事情がわかりうる。韓半島の危機に対する新たな理解は、「組織行動形態的視角」と「政府政治の視角」という小さな網を必要とする。キューバ危機時における米ソの意志決定の形態を、「合理的行為者モデル」「組織行動形態モデル」「政府政治モデル」と分析したグレハム・アリソンの著作、『決定のエッセンス』は韓半島の危機分析と、その解法に示唆する点がかなり大きい。北朝鮮という存在自体が危機発生の原因のすべてとみる態度から脱し、韓国内の危機管理組織の行動形態と政府官僚集団内の政治的要因を網羅した政策決定論の視角に従って危機が悪化した原因を分析するのだ。韓国の危機管理の非合理性を理解しようとすれば、シュタインブルーナー(J. Steinbruner)が設定した認識モデルに、その道を尋ねるのが適切だと思われる。シュタインブルーナーによれば、危機に際し、政策決定者の認識には三つのタイプがある。John D. Steinbruner, The Cybernetic Theory of Decision, Princeton, NJ & Guilford, Surry: Princeton University Press, 1976.
第一は、日常的な機械的思考(grooved thinking)である。このタイプの場合、ある問題が発生すると樹立された手順、つまり標準行動手順(SOP)に従って自動的に意思決定がなされ、もはや創造的に悩むまいとする傾向がある。このために危機が悪化したケースが、1999年第一次延坪海戦である。これは当初、南北双方に交戦の意志がなかったのでいくらでも平和的な解決が可能だったし、小型高速艇で十分に防御可能だったので、北朝鮮艦艇の武力示威が繰り広げられた6月6日から9日までは、これといった交戦の兆しはなかった。ところが、6月13日国防省と合同参謀会議が「大型艦艇による防御」を大統領府に建議し、兵力を該当海域に出動させると、事態は急速に悪化した。戦闘能力がない輸送艦(LST)と救助艦(ATS)をNLL線上に並列するように措置するや、これに驚いた北朝鮮が魚雷艇を出動させて軍事的緊張が急激に高まり、6月15日北朝鮮の魚雷艇から韓国の大型艦艇を守るため、韓国が船体を衝突させる攻撃を敢行するや、北が応戦して交戦が始ったのだ。興味深いのは、大型艦艇による防御という国防部の決定に、現場指揮官である第二艦隊司令官が反発したという点である。第1次延坪海戦で、専門性に欠ける合同参謀会議が海軍に不適切な干渉をしたという海軍の視角は、わが国の合同制度の失敗として認識される傾向がある。これについては、金成萬『天安艦と延坪島』、尚志P&I、2011年、146~156頁。当時、国防省の決定は陸軍中心の合同参謀会議が海上の状況の特殊性を無視したまま、まるで陸上の軍事境界線を防御するやり方で軍事作戦を無理に適用したことに発した。戦闘能力がない大型艦艇がNLL上に並べば、まるで韓国が海上境界線を包囲する意志を誇示するように見えるはずという単純な認識が作用した結果である。陸軍一色の合同参謀会議が地上軍の標準行動手順を海上で機械的に適用し、危機管理に悪影響を与えたのだ。当時、大統領府は国防省と合同参謀会議の決定に統制力を何ら発揮できず、事態が悪化するままに袖手傍観する無能力を露呈した。
2002年6月27日の第二次延坪海戦も、やはり現場指揮官の統制から外れて「以前通りに」第二艦隊所属の高速艇2隻が北朝鮮の警備艇に接近し、奇襲された事件である。当時、海軍の高速艇が何らの戦闘隊形も維持しないまま接敵水域で北朝鮮の警備艇の目と鼻の先まで接近し、自ら標的になったのは理由を問わず処罰されるべき事案だった。その上、当時は国連司令部の停戦時交戦規則で規定した自衛権の行使要件の四つをすべて満たす状況であり、近接遮断機動は考慮しがたい代案だった。しかし、合同参謀会議は「北朝鮮の艦艇と3㎞以上の距離を置くべし」と既に指示した第二艦隊司令官を無視し、第二艦隊状況室を通じて戦闘部隊に近接機動を直接命令する行動をとった。正常な指揮系統が作動せず、非専門家による不当な干渉と不適切な指示がなされたため大惨事につながったのである。メディアに知られていない、これに関する証言は、第2艦隊司令官を歴任した朴正聖予備役提督が筆者に直接証言したものである。この日、交戦発生の間、大統領府はワールドカップ最終日の祝祭ムードで全職員が庁舎近くで昼の会食をしており、主要な責任者に事件の深刻さは報告されず、状況室もまともに稼働しなかった。事件の発生直後、国政状況室が調査に着手したが、それも不十分で結果を秘書室長に会わずに報告して調査を終結させた。その後に展開された責任論争で、保守勢力は大統領府が「発砲するな」と言って軍事作戦に干渉したのが問題だと主張したが、むしろ交戦に無関心なまま介入しなかった責任があるとみる方が正確だろう。当時、大統領府は自らが西海交戦の事態を積極的に管理すべき当事者であるとの認識すらなく、交戦に関する事項は「国防省がうまくやるだろう」という、機械的かつ日常的な思考から脱せなかったという点が明らかになった。
第二は、曖昧な主観的思考(uncommitted thinking)であり、高位の意思決定者が信念を持たずに、一群の補佐官の言葉に従って右往左往するケースである。李明博政権の危機管理の行動形態こそ、これに該当する。天安艦事件に関する民軍合同調査団の調査結果の発表の4日後に出された5.24措置は、韓米連合軍の西海海上訓練を実施して北朝鮮に向けた拡声器放送を再開するなど、高強度な軍事的防備策を鮮明にした。だが同年8月、11月に予定されたソウルでのG20首脳会議を前に、李明博大統領は「中国と北朝鮮を刺激するな」と指示し、米国の航空母艦を動員する西海海上訓練を電撃的にキャンセルした。何度も西海に航空母艦を送ろうという米国に訓練中止を通報したため、ジョージ・ワシントン号は西海に出航しては二回も戻るという事態が生じた。万一西海で韓米連合の海上訓練を行うならば、胡錦涛主席はG20首脳会議に参加しないと通報してきたからである。拙稿「特ダネ:ジョージ・ワシントン号の西海への展開挫折の内幕」、『D&D Focus』2011年11月号。北朝鮮向けの拡声器放送の再開留保も、やはり「万一心理戦の再開に対応して北朝鮮が攻撃を敢行した時の防備策は何か」というウォルター・シャープ韓米連合司令官の問題提起に、答弁に窮した大統領府と国防省が自ら取り消した結果だった。5.24措置の核心目標は西海での北朝鮮の挑発をこれ以上許さないというものだったが、その目標と手段、方法の合理性が崩壊した結果こそ、延坪島砲撃事件が起きた背景という点に注目する必要がある。
状況によって何度も変わり、方向を予測しがたいこうした行動形態は選挙とも深い関連がある。2012年4月の総選挙を控えた3月初め、李明博政権は脱北者の強制送還、済州島海軍基地の強行、国防長官の延坪島訪問によって北朝鮮問題を一挙に浮き彫りにし、対北強硬措置と従北論争[北朝鮮従属派への弾圧]を通じて恐怖心と葛藤を醸成した。だが、いざ選挙後に北朝鮮のミサイル発射と「特別行動宣言」などで危機がさらに高まると、今度は何の反応もなく物静かに無視してやり過ごした。これは総選挙で与党が勝利し、北朝鮮の変数に執着する理由がなくなったからである。最近、大統領選挙の政局でNLL論争が過熱するや、李明博大統領は秘密裏に延坪島を訪問したのに続き、臨津閣での脱北者団体のビラまき支援まで行った。しかし、北朝鮮が横穴陣地の砲門を開くなど戦闘準備をとるや、ビラまきをやめさせる措置をとった。事前に南北間の衝突が起きうる可能性を綿密に分析して備えることをせずに、いざ危機が高まる兆しがみえると、慌てて政策を変更したのだ。このように性急に政策決定した後、自らそれを取り消すという悪循環が政権期間中続き、北朝鮮に韓国の対北強硬策は、実は音だけ大きなホラに過ぎないと認識させ、危機管理に否定的影響を招いた点は深刻な問題にちがいない。ふだん安保の利益を最大化(maximizing)させる危機管理政策を樹立せずに、最高決定権者に最初に認識された最もそれらしくて適当な(satisfying)選択をした後、いざ危機が発生すると、その時点になって自らの決定をひっくり返すパターンを繰り返したのである。
第三は、最も望ましい思考として理路整然たる理論的思考(theoretical thinking)である。これは一貫性と安定性のある信頼の体系(belief system)をもって、初心通りに意思決定する態度である。2013年に新政権が韓半島の危機管理に臨む態度は、まさにこれでなければならない。そうしようと思えば、危機管理の意思決定において、いくつかの改善された認識が必要である。
4.安保の合理性の具現:危機管理2.0の方向
まず目標の合理性である。新政権の合理的な安保目標は、既存の国連司令部の停戦時交戦規則と国連憲章が定めた自衛権の概念に忠実でありながらも、低強度の危機が高強度の危機に広がる連結環を遮断するために多様な手段を駆使できる、有能な政府になることである。ここでの有能さとは、「強圧」と「取引」の戦術を適切に配合できることを指す。北朝鮮の“断崖戦術”には断固として対処できる強圧的手段を準備するが、これを活用した時により大きな危機に発展する確率が50%を越えてはならない。他方では、北朝鮮が進もうとする危険な断崖の傍にはなだらかな丘がある点を認識させるように案内するかけ引き、または協議手段を準備すべきである。金スヨン「北の挑発を防ぐ新たな鍵、“極端的戦略”」、『D&D Focus』2011年3月号。北朝鮮をなだらかな丘に誘導する手段は北朝鮮の面子を立ててやることでもある。キューバ危機当時、米国がヨーロッバに配置した中距離核ミサイルを撤収してフルシチョフの面子を立てたのは、まさにその例である。このため、国家最高の戦略的頭脳を大統領周辺に結集させて強力な危機管理コントロール能力を発揮し、軍事的手段だけでなく政治的・外交的・経済的手段を合わせうるようにコントロール・タワーを再構築すべきである。
その次は、手段の合理性である。政府は局地的な危機に適した小規模な対応手段があっても、不必要に大型武器または過度な戦略を投入して「斧で蚊をとる」失敗を繰り返してきた。前述した第一次延坪海戦のケースが、まさに手段の非合理性に該当する例である。北朝鮮の魚雷攻撃によって天安艦事件が発生したというなら、同じ脈絡でその原因を再評価しうる。白翎島付近は大清島、延坪島とは異なり、北朝鮮の海岸砲(長射程砲)、警備艇、地対艦ミサイル(シルクワーム)、潜水艇の脅威がすべて重なりあう、唯一の海域である。この海域の作戦上の特性を考慮するなら、有事の際に備えて隠している小型の高速艇が最も合理的な対応手段であるにもかかわらず、比較的大型の艦艇である哨戒艦を投入し、さらに接敵水域を最低速度で機動して自らを脅威にさらした。これは到底作戦とはいえない非正常な動きであった。天安艦事件の一週間前の2010年3月19日、海軍第二艦隊司令官出身の予備役提督が金泰栄国防相に、核心戦略を接敵地域に前進配置した当時の「NLL防備計画」がいかに間違ったものか、直接説明したという証言もある。これもまた、朴正聖予備役提督が筆者に直接証言した内容である。当時朴提督は、「ただちに白翎島付近の哨戒艦を20~30㎞後方に引け。北の海岸砲の一斉射撃が問題ではない。NLLに北の船が何隻残っているかが、どうしてそんなに大きな問題か。食糧難の北は、絶対にそんなに大きな戦(砲撃戦)を行いはしない。万一するなら、隠密裏のやり方を選ぶだろう」と金泰榮大臣に直言した。
軍事的手段自体も非合理性を内包する瞬間、危機につながるが、軍事的手段以外に外交力・情報力・経済力による手段を活用可能な目録に整列させて、これを配合して融合した危機管理の技術を大統領府は確保しているべきである。
最後に、手順と規範の合理性である。李明博政権で西海軍事情勢が急激に悪化した最も決定的な契機は、2009年1月北朝鮮の総参謀部が「対南全面対決態勢の宣言」を発表し、これへの対応で韓国国防省が2月新たな「NLL防備計画」を樹立したことである。国連司令部交戦規則に提示された「比例性の原則」に従い、今まで制限的軍事力で西北海域を防衛していた計画を大幅に修正し、地上に配置された自走砲、空軍のKF―16、F―15K戦闘機、大型水上艦の艦砲で、初期に北朝鮮を制圧するというのが新しい計画の核心である。『朝鮮日報』2009年2月16日。この計画がマスコミに登場するや、北朝鮮は海岸砲と後方の長射程砲を100門以上増強し、西海での戦闘機出撃回数を6倍に増やすなど、決戦のための準備態勢に転換した。国防省の「NLL防備計画」は、同年1月統一省と外務省が反対して通過できなかったが、国防省は他省庁の反対を避けて2月に大統領に単独で報告し、採択したのである。重要な軍事政策について政府レベルのコントロールが効かず、大統領府の外交・安保参謀ですら、その深刻さを認識できないうちに電撃的に実行されたのである。
このように、南北関係を軍が過度に主導して悪化した西北海域の軍事情勢は、2009年11月の大清海戦をへて、翌年に天安艦事件、延坪島事件が発生して絶頂に達する。西北海域の自然的・軍事的特性への考慮なしに、国防省が強圧的な軍事政策を貫徹して政府レベルの統制から離脱し、危機管理と国家安保に致命的な結果を招いた非常に悪い前例である。
海上危機に専門性のない、陸軍中心の合同参謀会議が作戦に過度に干渉して危機を悪化させた、二度にわたる延坪海戦も手順の問題点を露にした。大統領府と合同参謀会議がすべきは紛争を統制するガイドラインを提示することだが、延坪海戦の場合には現場指揮官が決定すべき艦艇の具体的な機動状態と動員すべき武器体系まで合同参謀会議が干渉し、意見が衝突して指揮系統に葛藤が生じた。これが危機管理の全過程を非合理的に変質させ、危機を鎮めるどころか、むしろ拡大させたのである。
危機管理の過程は、政治権力から現場指揮官に至るまで責任と権限の合法性と正当性が保障されるべきである。韓半島の危機に対する国家レベルの目標と指針が定められたら、軍事的活動の目的はこれに符合するように統制され、管理されなければならない。
5.結論:国家主権と市民主権の価値の確立
これまで見てきた危機管理の失敗例は、政治権力と軍事指導者間の適切な意志疎通の方式と標準行動手順の不在、相互対立的な政策集団間の競争が招いたものである。しかし、こうした問題点を管理しうる国家レベルの規範とシステムが欠如していた点は早急に改善すべきだろう。
韓国は危機管理の方向と手順、規範を総合的に規定した「危機管理基本法」のような体系がなく、伝統的な安保(戦争)、災難、社会の核心的インフラ保護という三領域を軸にした包括的な安保政策だけを表明している。また李明博政権の大統領府は、盧武鉉政権時代に包括安保の概念で設計された国家安全保障会議(NSC)事務局と常任委員会、危機管理センターを電撃的に解体した後、大統領府では伝統的な安保問題だけを管理し、残りの分野は該当する省庁に業務を移管して総合的かつ包括的な危機管理を不可能にした。その結果、国家非常事態(忠武事態)、民防衛事態、統合防衛事態、災難事態、テロ事態など、機能が類似して重複する危機管理システムが何らの有機的な関連性もなく、勝手に運営されている。このまま放置されれば、危機管理政策の発展どころか、既存の組織と機能を維持するのも難しい状況である。市民に安全という公共財産を提供すべき安保ガバナンスとして、極めて無責任な行動形態と言わざるをえない。だから、危機管理政策と執行機構に対する大々的な整備を行うべきだろうが、それには二つの構造的要因を考慮すべきである。
第一に、国家主権の問題である。わが国は憲法と法律が標榜する国家の核心機能である危機管理が米国と融合している。大統領の意志が軍をはじめとする様々な機能に伝達される前に、米国の判断が中間に介入する奇形的な依存体制が形成されている状況である。極端にいえば、韓国独自の危機管理は不可能であり、韓米同盟による危機管理のみが可能であると評価される。だが、2015年に戦時作戦権が転換して韓半島の平和体制構築の議論が本格化するなら、こうした危機管理体制は大幅に改善されるべきである。まず、危機管理のもう一つの主体が停戦協定を管掌する国連司令部に設定されており、今後韓半島の平和体制の議論が軌道にのれば、国連司令部の存廃問題が検討されるのは確実である。そうすると、よかれ悪しかれ、韓半島の平和体制の当事者として私たち自らが危機管理できる自主的な力量を持つために投資と研究、システム構築に力を入れねばならず、同盟はただ補助的手段として活用すべきである。だが、最近の韓国社会は同盟を手段ではなく、目的として認識する傾向がある。また、停戦委員会と中立国監視委員会に象徴される国連司令部体制での危機管理後、南北関係が発展するに従って韓半島の危機管理の核心メカニズムは何であるべきかに対する判断をあらかじめ準備せねばならない。南北基本合意書では南北軍事共同委員会を提示している。韓国は北朝鮮との経済共同体、または経済連合を実現していくとともに、南北の危機管理体制に対する青写真も準備すべきである。
第二に、市民主権の問題である。韓国の国防には、文民統制の規範を具現できる「国防基本法」が存在していない。その結果、国防政策に対する政府レベルおよび国会によるコントロールの手続が極めて不十分であり、国防政策の責任性と透明性が保障されておらず、国防省が恣意的な危機管理を遂行しているかのように見えるほどである。例えば主要作戦計画、軍人定員の策定、中期国防計画など核心分野において、他の省庁とは異なり、国防省だけ例外的に、政府の統制から逸脱する超法規的な特権が認められている。重大な軍事計画を樹立してもあえて大統領府に報告する必要がなく、国防相に委任された事項として処理され、政治権力はこれをまともに監督できない。中期国防計画は財政当局の予備的な妥当性の調査と審議手続を省略しており、軍人定員は閣議や行政安全省の審議なしに、国防大臣が大統領の承認を得て決定すれば、それまでである。こうした軍事制度の歪曲は、サミュエル・ハンチントン(Samuel P. Huntington)が指摘した“主観的文民統制”の特徴である。サミュエル・ハンチントン『軍人と国家』、許南成・金国憲・李春根訳、韓国海洋戦略研究所、2011年、109~132頁。軍事政策が民主政府の統制を逸脱したもので、これは過去の日本軍国主義あるいはヒトラー治下のドイツ軍などにみられる現象である。これを正して、法と制度による“客観的文民統制”を具現すべきである。そうした体制こそ、国家の危機管理目標と指針に軍事行動の目的が隷属する危機管理体制が可能になる。文民の政治権力に国防が自発的に隷属する国防体制にすべきであり、国防運営のあらゆる領域で専門性と職業主義を貫徹しなければならない。
こうした二つの主権の観点で、大統領の術としての危機管理がもつ独自性と重要性を強調する必要がある。だが、今まで民主・平和勢力でさえ、安保危機は南北関係が改善されれば、自然に解決するという調子の安易な考え方に安住し、この問題に積極的にならない傾向があった。その結果、安保への不安が南北関係発展の成果をむしろ蚕食するのを茫然自失の状態で見守り、より創造的かつ発展的な代案を出すことを怠る情緒的障害が生じたのではないか、という反省と省察を行うべき時である。
翻訳: 青柳純一
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