北朝鮮の3次核試験と朝鮮半島非核化平和体制の展望
徐載晶(ソ・ジェジョン) アメリカのジョンズ・ホプキンス大学国際大学院教授。参与連帯平和軍縮センターの諮問委員および大統領諮問政策企画委員会統一外交分科委員を歴任。主な著書に『韓米同盟は永久化するか』、『朝鮮半島の選択』などがある。 jsuh8@jhu.edu
※本稿は2013年2月15日、参与連帯平和軍縮センターが開催した討論会で発表した原稿を、その後の状況展開をまで含めて修正・補完したものである。原稿の修正によい意見をくださった討論会の参加者と洪錫律(ホン・ソクリュル)誠信女子大学校教授に感謝する。
北朝鮮は2013年2月12日午前、3次核試験を強行した北朝鮮の‘nuclear weapon test’を韓国では「核実験」と翻訳し、北朝鮮では「核試験」と呼んでいる。カン・ホジェは科学的な見地からこの中で「核試験」がより適切だと指摘する。本稿ではカン・ホジェの指摘に従って「核試験」という用語を用いる。実験は理論や仮説の検証のためのものであり、試験は検証された理論を覚えた程度を確認することである。核武器の根拠となる理論はすでに検証されたものであるから、北朝鮮が施行することはこの理論を実際化しうる能力を確認することである。従って試験なのである。カン・ホジェ、「北朝鮮は「核試験」、韓国は「核実験」…用語の異る訳は?」、プレシアン、2013.2.28。。その後、朝鮮半島は激浪に包まれた。まもなく始まった韓米連合軍事訓練でオバマ行政部は前例なくB-2戦略戦爆機などを動員し、国際連合では北朝鮮に対する国際制裁を強化した。韓国では政府も北朝鮮の核試験に強力に対応しただけでなく、有力の政治家が韓国の独自核武装論を公開的に主張するなど、雰囲気は険しくなった。北朝鮮はこれにもっと強硬に反発しながらアメリカ本土に対する核先制打撃を語ったり、停戦協定はもちろん、南北不可侵合意なども白紙化すると宣言した。朝鮮半島で停戦状態を維持する制度と通路がすべて取り除かれた一触即発の危険な状況となったのである。これで朝鮮半島非核化に向かった航海は、大きな岩礁に座礁することとなったばかりでなく、軍事的衝突が起こる可能性も排除できぬ最大の危機状況を迎えた。
その後、4月中旬に入ってアメリカが予定されていた大陸間弾道ミサイル(ICBM)の試験発射を延期し、ジョン・ケリー(John Kerry)国務長官がアジア歴訪で対話の可能性を示唆しながら、多少鎮静の局面に入りはした。中国も武大偉6者会談特使をアメリカに派遣して対話の可能性を積極的に模索し始めたし、ロシアも対話と外交へと立ち戻るべきだと促している。ところが、南・北の間に開城工業団地を挟んだ強対強の対峙がもう一つの火種となっている。北朝鮮が延坪島事件にも閉まらなかった開城工業団地の通行を制限したことに続けて勤労者撤収の措置をとり、これに韓国政府も人員撤収を断行、開城工業団地は実質的閉鎖の状態にまで達した。向後、韓国とアメリカおよび北朝鮮の対応によって新たな対話の機会が作られることもあり得るが、状況がより悪化する可能性も排除できない。朝鮮半島は非核化と平和を置いて深刻なる分かれ道に立っているのである。
本稿では北朝鮮が3次核試験を強行することとなった原因と、その後、3~4月の朝鮮半島の安保状況が最悪の危機に至ることとなった理由を分析する。特に北朝鮮と韓・米両国の軍事安保的相互作用が危機をもたらす過程に注目する。それから2節では最近の状況に対する分析を、去る20年の経験と比較しながら、北朝鮮と韓・米両国の関係に対して下せる結論を見い出してみる。最後にこういう分析に基づいて朝鮮半島危機の解決策は「朝鮮半島非核化平和体制」にあることを提示しよう。
1. 北朝鮮の3次核試験と韓米軍事同盟
北朝鮮はなぜ核武器を開発するか。最近となって北朝鮮はなぜ核の脅威を極端化するか。この問いに対して四つほどの説明があるビクター・チャは北朝鮮が大量殺傷武器を開発する理由を「勲章」、「盾」および「刀」に譬えたことがある。つまり、象徴的価値、防御的道具、攻撃用武器の三つの理由を提示したのである。この他にもいくつかの説明が付け加えられるべきであろう。Victor Cha, “North Korea’s Weapons of Mass Destruction: Badges, Shields or Swords?”, Political Science Quarterly, Vol.117, No.2(2002), 209∼30頁。 。一つ目、北朝鮮の核武器を軍事手段として見なす説明である。二つ目、北朝鮮の核武器は政治的手段だという主張である。三つ目、北朝鮮の核武器は協商の道具だという主張である。四つ目は北朝鮮の核武器を象徴的表象として見なす立場である。
一つ目、軍事的道具という説明は核武器が攻勢的道具という主張と、防御的道具という主張へと分かれる。前者は対南軍事優位を確保するための手段であり、赤化統一という究極的目的を達成するため核脅威を振り回しているという主張であるこのことは北朝鮮が労働新聞などメディアで公開的に宣言した主張である。逆説的に韓国国防部と軍関連の人士たちがこういう主張を繰り返している。。これに比べて後者は北朝鮮が戦略的守勢から生存のための最後の手段として核武器を開発するという説明である。こういう主張は北朝鮮のそのような目的設定と政策の推進が外部との相互関係なしに「主体的」になされるという仮定を前提としている。従って、こういう説明はなぜ3次核試験が2013年2月になされて、3~4月に北朝鮮の核脅威が前例なく高調されたかに対する説得力が足りない。以下で指摘するように、北朝鮮の行為、特に核武器と関わる活動はアメリカおよび韓国との戦略的相互作用を考慮しなくてはと説明しにくい。
二つ目、核武器を北朝鮮の国内政治的力学として説明することは、蓋然性はあってもその根拠が弱い。特に金正恩(キ厶・ジョンウン)国防委員会第1委員長の政権掌握が脆弱だとか、内部に強硬派と穏健派との間の葛藤があるといった物証は提示されていない。また、外部への脅威を政権安定に利用することはできるが、なぜ核脅威という極端的手段を用いるのか、なぜその時点が2013年なのか明確な根拠がない。北朝鮮の内的動因だけで北朝鮮の核活動を説明することは、一つ目の説明と同じ限界を露呈する。
三つ目、外部との協商用という説明はその協商の目的が経済的支援を得るためのレバレッジという主張と、アメリカとの関係正常化と平和条約締結を圧迫する手段という主張へと分かれる。この説明は北朝鮮と外部との相互作用に注目するという点で、上記の二つの説明よりは進んだものである。だが、核武器が経済支援と交換するためのものだという主張は等価性でも合わないし、去る20年の経験とも食い違うCharles Kartman, Robert Carlin, and Joel S. Wit, A History of KEDO: 1994-2006(Stanford: Center for International Security and Cooperation 2012)およびJoel S. Wit and Jenny Town, “How to Talk Kim Jong Un Off the Ledge: Is John Kerry Ready to Deal with North Korea?”, Foreign Policy, April 12. 2013. 。政治的協商の手段という主張は、北朝鮮がアメリカとの関係正常化と平和協定の締結を外交の目標として掲げたという事実には符合するが、平和協定の締結のため核先制攻撃で脅かすということは論理的に一貫していない。
最後に核武器が国際的位相を高めてくれるとか、北朝鮮政権の「尊厳」を誇示する象徴物という「劇場国家」的説明も説得力が弱い。核拡散防止条約(NPT)体制の内で核保有国家として認められる国家の位相なら知らないが、NPT体制の外で核武器を保有することは国際秩序の「異端児」としての位相のみを深化する。北朝鮮の内部的に他の国家と同じく数多くの象徴操作がなされているが、敢えて核武器を動員しなければならない理由も明確に提示されていないでいる。そしてこのような文化的説明は核脅威の時点がなぜ2013年なのかに対する具体的解明とならない。
まとめてみると、既存の説明は北朝鮮の核活動を北朝鮮の内的要因(軍事的、国内政治的、または文化的)に限って認識する限界を持っていたり、相互作用に注目をしても、その性格を正確に把握できていない。本稿では北朝鮮の3次核試験と2013年春における核脅威の過程を分析しながら、北朝鮮と韓・米両国の軍事安保的相互関係に注目する。少なくとも北朝鮮の核活動は北朝鮮の内的動因だけで突き動かされるというよりは、アメリカおよび韓国の行為に対する反作用という側面が強い。すなわち、北朝鮮はアメリカの主導で国際連合の対北朝鮮制裁が強化されることに核試験で対応し、引き続き3月から始まった韓米軍事訓練が自分の安保を脅かすと見なして、これに対して最大限強硬に反発したのである。国際政治学で言う抑制政策の典型的な姿であるが、これを客観化して正確に理解できないため、南·北とアメリカは互いの行動が相手の安保不安を深める安保ジレンマの悪循環から脱せずにいる。
今回の3次核試験は李明博(イ・ミョンバク)政府とオバマ1期行政部が去る4年間、確固たる共助のなかで押し進めてきた「戦略的忍耐」に対する対応であった。また、2012年4月の北朝鮮のロケット発射試み以後、外交が失踪され悪化の一途をたどった北米関係の論理的帰着点でもある。「戦略的忍耐」は三つの軸を中心になされていた。①核抑制力と在来式の軍事力を用いた軍事的圧迫の強化 ②国際連合の制裁を中心とした封鎖 ③「急変事態」を想定した低強度戦争がそれであるこれに対する詳しい論議は、拙稿「アメリカの東アジア戦略と対北朝鮮政策:多層的複合的相互依存とその対応」、『明日を開く歴史』2012年冬号、74~93頁参照。 。つまり、北朝鮮の大量殺傷武器の能力にまず軍事的に対応し、制裁を通して北朝鮮が大量殺傷武器を製造する経済的能力を封鎖・弱化させて、「急変事態」を切っ掛けに根源的な政治的解決を図るといったものである。オバマ行政部は軍事的圧力と経済封鎖という道具を使ったという点でブッシュ行政部と変わらないが、国際主義の枠のなかで北朝鮮に対する制裁と圧迫を強化したことが特徴である。次の節で指摘するように、このような政策は過去のアメリカ政府の対北朝鮮政策より強度が高いものであった。
しかし、このような圧迫に対応して北朝鮮は軍事力も強化したし、経済的に反騰の転機を作り、政治的にも内部体制を鞏固化した紙面の都合上、本稿では北朝鮮の政治・経済状況に対して論議しない。だが、金正恩第1委員長への権力移譲と労働党および国家機構の正常化がなされているということに、それほど異議はないことと見える。経済的には大型発電所の建設が完工され、製鉄および化学工業の取り替えが完了されながら、消費財および濃縮産業の発展へとつながる姿を示している。 。特に大量殺傷武器能力の伸張が目につく。北朝鮮は国際連合安保理が議長声明で北朝鮮の人工衛星の発射を糾弾すると、核試験をもって対応し、決議1874号が採択されると、「新たに抽出されるプルトニウム全量を武器化」すると宣言した。安保理決議2087号に対応しては3次核試験を断行し、核武器の「小型化・軽量化・多種化」を宣言した。また、射距離が3千~4千kmとなると推定される舞水端ミサイルを2007年公開したことに続いて、2012年には大陸間弾道弾と推定されるKN-08新型弾道ミサイルを公開した。「戦略的忍耐」に対応して北朝鮮は長距離核ミサイルを確保したかも知れないということである北朝鮮の「小型化・軽量化」主張を検証できる方法はないし、舞水端ミサイルとKN-8ミサイルの射距離と正確度も確認されたことはないが、北朝鮮の核・ミサイル能力が拡大・発展されていることは否めない。 。北朝鮮はすでに2012年10月、国防委員会の声明で「アメリカ本土にまで命中打撃圏に入れている」と、このような可能性を示唆したことがある。
顧みると、2012年2月29日、北米合意がなされた頃までは、北朝鮮の大量殺傷武器の能力がこれほど成長することを外交的に防ぐ可能性があった。当時、グリン・デイビス(Glyn Davies)対北朝鮮政策大使と金桂寛(キ厶・ゲグァン)外務省第1副長官の北京会談で非常に重大な合意がなされた。北朝鮮は北米対話の雰囲気を造成するため、△長距離ミサイルの発射 △核試験 △ウラニウム濃縮活動を含めた寧邊核活動に対する猶予(moratorium)に合意した。また、寧邊ウラニウム濃縮活動の猶予を検証しモニターして、5MW原子炉と関連施設の不能措置を確認するための国際原子力機関(IAEA)の査察チームの復帰にも合意した。
この絶好の機会は去る4月の北朝鮮の光明星発射試み以後、霧散された。アメリカはこれを長距離ミサイルの発射として規定し、2・29合意を北朝鮮が違反したと反発、国際連合安保理でこれを「強力に糾弾」し、制裁対象を拡大する議長声明の採択を主導した。北朝鮮はこれを「正当な衛生発射の権利を侵害する敵対行為」として規定し、2・29合意に「これ以上拘束されないこと」を宣言した。これで北朝鮮の核活動と長距離ミサイルの発射を猶予させ得る合意は、わずか二ヶ月を越えずに破綻した。国際連合安保理の議長声明はかえって北朝鮮を核武装とミサイル発射へと追い立てる逆効果を産んだのである。
それにしても北朝鮮は去年7月中旬の時点では6者会談の再開意思を公開的に示した。朴義春(バク・ウィチュン)外務相は7月14日プノンペンで開催されたアセアン地域安保フォーラム外務長官会議に参席、ハオ・ナムホン(Hor Namhong)カンボジア外務長官と会った席で、6者会談を再開する準備ができていると言ったのである。しかし、北朝鮮が公開的に6者会談の再開可能性に触れたのは、その時が最後であった。その後、「金日成(キ厶・イルソン)銅像を壊す集い」の銅像破壊の試みを摘発した北朝鮮は20日、外務省スポークスマンの声明でこの試みに「アメリカが深く介入」したと主張しながら警戒を高め始めた。7月29日、国防委員会のスポークスマンはこの試みを「国家政治テロ(terror)」と規定して、「核抑制力を含んだ自衛的軍事力全般を絶え間なく強化」すると強硬な立場を闡明した。二日後、外務省もスポークスマン談話で「アメリカの敵対視政策には核抑制力の強化で対処」するとして、このような立場を再確認した北朝鮮はこれを単なる銅像破壊の企みではなく、自国内部に騒擾を生じさせて外部の介入を誘導する低強度戦争シナリオと見なして強く反発したことと思われる。詳しい内容は前掲拙稿を参照。。
梗塞しだした北朝鮮の立場は8月、多少留保的な姿へとしばらく緩和された。8月中旬、米ホワイトハウス国家安全保障会議と中央情報局官吏の秘密訪北がその契機であったことと推定されるゾスンホ・イスンホン、「ホワイトハウス人士、8月極秘訪北…米大統領選挙関連の取引?」、東亜日報、2012.11.29。国防委員会は2012年10月9日発表した声明で「最近われわれと公式および非公式席上で会ったことのあるアメリカ国家安全保障会議と中央情報局の重鎮政策作成者たちも、アメリカの対朝鮮敵対視政策はないと言った」として、8月秘密会同の内容を示唆した。 。その後、10月に発表された国防委員会の声明に照らしてみると、当時アメリカの官吏たちが「アメリカの敵対視政策」に関する北朝鮮の憂慮を払拭させようとしたのではなかろうかと推測できる。秘密会同後、8月31日外務省が発表した備忘録は、核武装強化という道を選択したのではなく、平和的解決の道もまだ開かれていると述べながら、7月末より緩和された立場を示しているからである。この備忘録は「核問題解決の基本障碍はアメリカの対朝鮮敵対視政策」と指摘しながら、アメリカに「二つの道」を提示した。すなわち、「対朝鮮敵対視政策」を中断して北朝鮮と平和の関係を建設するか、敵対視政策を維持して北朝鮮の核能力が「現代化し拡張」される道を選択せよということであった。
「二つの道」の可能性を開いておいた北朝鮮の立場は、10月7日、韓・米両国の政府が「ミサイル指針」を改正、韓国がミサイル射距離を800kmまで延長して、北朝鮮全域を射程圏に入れることで急変した。新しいミサイル政策宣言を発表した直後の10月9日、北朝鮮の国防委員会はこのミサイル宣言がアメリカの対北朝鮮敵対視政策を確認してくれたとしながら、「反米大決戦」を掲げ始めた。「二つの道」の中でアメリカが敵対視政策を選択したのだから、北朝鮮も「軍事的備え態勢をあらゆる手段で強化」するということである。「アメリカ本土にまで命中打撃圏に入れている」としながら「核には核で、ミサイルにはミサイルで対応するすべての準備が整っている」と乗り出した。
「二つの道」のなかで平和的解決の道が次第に閉まる状況で、韓国やアメリカは外交力を発揮してこの道を蘇らせる代わりに、むしろ軍事的措置を強化した。韓・米両国軍は10月24日、第44次韓米安保協議会議(SCM)で北朝鮮のすべての脅威に対する全方位対応態勢を構築することに合意、軍事的対応を強化する措置を選択した。また12月12日、北朝鮮の銀河3号(光明星3号を搭載した推進体)発射に対応して国際連合安保理決議2087号を採択、北朝鮮に対する制裁対象を拡大した。
北朝鮮の外務省は国際連合安保理が決議2087号を採択するやいなや、その翌日である1月23日、「核抑制力を含んだ自衛的な軍事力を質量的に拡大強化する任意の物理的対応措置」をとると声明を発表した。24日には国防委員会が「アメリカを狙っ」て「われわれが進める高い水準の核試験」を宣言、核試験が差し迫ったことを示唆した。北朝鮮が3次核試験を敢行する兆しが見える状況で、韓国とアメリカは外交的に緊張緩和を模索するよりは、軍の警戒体制を強化し3月始めに予定された軍事訓練の準備に取り掛かった。国際連合が制裁決議を採択した後、圧迫が加重される状況で北朝鮮は結局、2月12日、3次核試験を敢行した。
以上で見てみたように、北朝鮮の3次核試験は国際連合の制裁決議に直接的に対応したことであるが、去る1年間、北朝鮮と韓・米の関係が悪化したことがその背景である。それでも2・29合意やアメリカの秘密訪北などの対話試みが関係の急速な悪化を遅らせはしたが、国際制裁とこれに対する反発という構図を転換させるには力不足であった。核試験を断行した主体は北朝鮮だから一次的な責任は北朝鮮にあるが、北朝鮮は韓国およびアメリカと相互作用する関係のなかで政策的選択を行う。そういう点で北朝鮮が打診した対話の可能性を韓・米が無視してずっと強硬政策を選択したことは、北朝鮮が3次核試験を選択するに戦略的相互作用として働いたといえよう北朝鮮の対話提議がいわゆる「偽装平和攻勢」であった場合も排除できない。しかし、北朝鮮の対話提議を受け入れなかったので、北朝鮮の真正性を確認する機会そのものを失ったわけだ。 。
2. 3次核試験以後の緊張の激化
3次核試験以後、朝鮮半島は急激に緊張が上昇、戦争の可能性をまで憂慮しなければならない状況へとエスカレートした。外交の失踪と国際連合の制裁が3次核試験へと帰結したならば、対北朝鮮軍事力示威を通じた抑制力の確保は、北朝鮮の強硬対応を招いた。その結果は前例のない軍事的緊張の激化であった。韓米連合軍事訓練が実施されていた3月と4月の間、韓国とアメリカの軍事的措置がそれに相応する北朝鮮の軍事的対応を招き、北朝鮮の軍事的措置は韓・米の軍事的対応を産む相互作用が朝鮮半島の危機を高調させたからである。
3月1日、鷲練習が始まってアメリカの増員軍兵力がアメリカ本土と太平洋地域、日本などから韓国へ出発すると、7日、北朝鮮の外務省スポークスマンは声明を発表、アメリカの軍事訓練に対応してアメリカに対する「核先制打撃の権利」を行使すると闡明した。北朝鮮の最高司令部が5日、キーリゾルブ練習が始まる11日から停戦協定を白紙化すると宣言したことに続いて、8日には北朝鮮の祖国平和統一委員会が韓国の鷲練習参与に対応して「不可侵に関する合意と非核化共同宣言を白紙化」すると宣言した。引き続きキーリゾルブ練習が始まった翌日の12日、金正恩第1委員長が西海の最先端に位置した月乃島防御隊を視察した。彼はここで「敵たちを(…)すべて火のるつぼに叩き付けろ」と強硬発言をし、砲作戦の規定で打撃順次と鎮圧密度を韓・米両軍の最近動向に対応して調整するのと同時に、海上作戦の規定も「侵犯する際は強力な照準撃破」をすることへと強化した。
3月18日、韓国を訪問したアシュトン・カーター(Ashton Carter)アメリカ国防部副長官が「B-52戦略爆撃機が19日、朝鮮半島で飛行訓練する予定」と言うと、20日北朝鮮の外務省スポークスマンは「戦略爆撃機が朝鮮半島に再び出撃するならば、敵対勢力は強力な軍事的対応を免れ得ないことになる」と対応した。実際に3月25日、グアムのアンダーセン空軍基地で出発したB-52戦爆機が江原道まで飛んできて、模擬爆弾を投下する爆撃練習を実施すると、その翌日の26日、北朝鮮は戦略ロケット軍部隊と長距離砲兵部隊を含めたすべての野戦砲兵軍集団を1号戦闘勤務態勢に進入させた。そして27日、南北連結軍通信線8回線をすべて遮断した。軍事的緊張が最高潮に達したのは、B-2戦略爆撃機2台がアメリカ本土のミズーリホワイトマン空軍基地を出発して、空中給油を受けながら飛行、群山沖の直島射撃場に訓練弾8個を投下した3月28日であった。相手のレーダーに捉えられないので、軍事作戦で一番先に出動して敵軍の対応力を初期に無力化するB-2ステルス機が出撃すると、金正恩第1委員長はその日の夜、直ちに最高司令部の会議を招集した。ここで彼は戦略ミサイルの射撃待機状態に入ることを指示する「ミサイル技術準備空挺計画書」に最終署名したこととして知られている。北朝鮮の朝鮮中央通信は異例的にこのことを迅速に伝えながら、北朝鮮のミサイルがアメリカ本土とハワイ、グアムなどを打撃する経路を示す地図を公開したりもした。
以上で見てみたように、北朝鮮の「脅威」と行為は、韓・米との戦略的相互関係のなかで理解され得る金寛鎮(キ厶・グァンジン)国防長官はB-2ステルス爆撃機など米軍の最先端武器が最近朝鮮半島の上空で訓練を進めたことに対して、「キーリゾルブ訓練とは別途に、有事の際、韓米連合戦力の優位を見せることによって北朝鮮の挑発を抑止するという意味」と言った。同じく北朝鮮は核脅威を極大化することで韓・米を抑止しようとする。キ厶・ユデ、「金寛鎮「開城工業団地、万が一の事態の時は軍事措置」」、ニュース1、2013.4.3。 。韓・米両国が抑止のため軍事力を誇示したように、北朝鮮は韓・米両国を抑止するため軍事力を誇示したのである。だが、過去の韓米軍事練習の時とは違って北朝鮮が今回は前例なく強硬に対応しながら、緊張状態を最高潮へと高めた理由は何か。3次核試験以後、韓・米当局が北朝鮮に対する圧迫を前例なく強化したという点と、北朝鮮の自信感が高まったということが最悪の組み合わせをなしたためである北朝鮮の自信感は先述した政治的・経済的安定化と核およびミサイル能力の成長(またはそうだと信ずること)から始まったと思われる。労働党中央委員会政治局が2013年2月、決定書で「造成された厳重たる情勢に対処して(…)強度の高い全面対決戦」を繰り広げるとすでに宣言したことに照らしてみると、3~4月の「強度の高い」対応は予定された手順であった。その具体的内容と水位は韓・米の行為に照応して決定されたものである。。特徴的な点は以前のブッシュ行政部が一方主義的軍事力の使用を試みたならば、オバマ行政部は国際連合と同盟を重んじる国際主義的面貌を示しているということである。だが、オバマ行政部もまた、結局経済制裁と軍事的手段を用いるという点でブッシュ行政部と変わらないし、国際社会を動員することでもう少し洗練された姿を見せただけである。
このような視角から、北朝鮮の3次核試験に対応して通過された国際連合安保理の決議2094号が以前の決議と違って国際連合憲章7章を制裁措置の根拠として明示したため、北朝鮮の危機意識を高めたというマンスロープの主張に注目する必要がある決議2094号が国際連合憲章7章を始めて適用したというマンスロープの主張は、事実とは違う。国際連合安保理決議1718号と1874号も国際連合憲章7章を適用したからである。だが、彼の主張は北朝鮮の危機意識をある程度、反映したものであり得るという点で注目に値する。Alexandre Mansourov, “North Korea: Turning in the Wrong Direction”, 38 North, April 10, 2013.。国際連合憲章7章の「平和に対する脅威、平和の違反および侵略行為に対応した行動」はよく知られているように、国際平和に脅威となる場合に国際社会が介入できるように定めた条項である。戦争と平和に関する最も核心的な章といえる7章のなかでも、41条と42条は各国家が取れる具体的な措置を取り上げている。41条は主に非軍事的措置であって、経済関係の部分的ないし全面的中断、鉄道および海上、航空、郵便、電話、ラジオなど通信・交通の中断と外交関係の断絶などを許容する。42条は「このような措置が足りない時や、足りないと立証されたと安全保障理事会が判断する場合、安保理は国際平和と安保を維持したり回復するため、必要な陸・海・空軍の行動を取ることができる」と軍事力の使用を明示している。
決議2094号は国際連合憲章7章を根拠として提示して、41条に依拠する措置を取るようにした。41条を言及したことは、満足できるような結果が出ない場合、軍事的措置が取れるという暗黙的な圧迫であり、軍事的措置を正当化する重要な根拠として働く。それにこのような安保理の決議が韓米連合軍事訓練が始まってから一週間ぶりである2013年3月8日通過したという事実は、北朝鮮の脅威認識を最高潮へと引き上げたと思われる。そして、この決議に入っているいわゆる「トリガー(引金)条項」が、国際連合安保理が軍事的行動を許容しうる根拠となるという事実を、北朝鮮が注目していたかも知れない決議2087号は「追加発射や核試験があるならば、重大な措置(significant action)を取ること」と追加措置の可能性を開いておいたし、決議2094号にも「追加的な重大な措置」を取ることにするトリガー条項が入った。これに比べて1718号や1874号は「追加的措置が必要ならば、追加的決定が求められること」と、追加的措置を制限した。。
オバマ行政部は任期の始めからこれまで北朝鮮に対する国際連合の圧力を持続的に強化してきた。2009年4月には「朝鮮人民共和国の2009年4月5日(現地時間)発射を糾弾」する安保理議長声明のみを採択したが、北朝鮮の2次核試験があった後の6月12日には安保理決議1874号をもって圧迫の水位を高めた。安保理決議1874号は以前の決議1718号より金融制裁の範囲と強度も増大し、船舶に対する公海上の検索など、ブッシュ行政部が一方的に取ったり、試みた措置を国際連合の次元で採択したという点で注目に値する。2013年3月7日採択された安保理決議2094号には公海上で北朝鮮の船舶が検索を拒否する場合、国際連合会員国はその船舶の入港を拒否するように義務化し、禁止品目の積載が疑われる航空機の離着陸および領空通過の不許可を促すなど、北朝鮮を外部世界と断絶させる強い措置が含まれた。オバマ行政部の自由主義的国際主義が実質的にはブッシュ行政部の現実主義的一方主義より北朝鮮に対する制裁と圧力を強化した側面があるのだ。
一方、北朝鮮の人工衛星発射は国際法を違反することではないので、以前、アメリカ政府はこれを国際的な問題としなかったし、2006年7月15日、国際連合安保理の決議1695号が採択される前まではミサイル発射に対する制裁もなかった1998年8月31日、光明星1号(北朝鮮はその推進体を「白頭山」と命名)を発射した当時、アメリカなどはこの推進体を大浦洞1号と命名しミサイルとして規定したものの、国際連合の制裁を加えなかった。しかし、2005年6者会談の途中、BDA金融制裁が賦課され、2006年6~7月に「勇敢な盾」と「環太平洋海軍連合訓練」が実施されると、北朝鮮は2006年7月5日、ミサイル7基を連続発射し、北朝鮮外務省は「われわれを標的とした大規模の軍事練習」に対応した「軍事訓練の一環」として発射したとしながら「このロケットがミサイルであることを公式的に認めた。これに対応してアメリカと日本の主導で北朝鮮の「ミサイル発射を糾弾」する国際連合安保理の決議1695号が7月15日採択され、それに反発した北朝鮮は10月8日、1次核試験を断行した。当時、アメリカと北朝鮮の敵対的相互作用については、拙稿「北朝鮮の武力示威だけが問題なのか」、プレシアン、2006.7.7参照。。それに比べてオバマ行政部は人工衛星の発射を国際連合に上程、制裁を推し進めたという点で、ブッシュ行政部よりもっと強硬な対北朝鮮政策を駆使したのである。それでも2009年4月と2012年4月には中国などの反対で北朝鮮の「発射を糾弾」するという安保理議長声明のみを発表したが、2013年1月22日には安保理決議2087号を採択して圧迫を強化した宇宙技術委員会だけでなく、東邦銀行と金龍貿易(朝鮮鉱業公社の別称)、土城技術貿易会社、延下機械連合企業所なども制裁対象として規定された。人工衛星の発射と直接的に関連のある宇宙技術委員会のみでなく、延下機械連合企業所のように多様な工作機械を製造して北朝鮮産業の全般的な現代化に核心的役割をする企業が制裁対象に選定されたことが目につく。。2012年12月のロケット発射が人工衛星を軌道に載せておくためのことであったのは否認しないながらも、この発射が過去の安保理決議(1718号と1874号)を違反したという理由で、また異る制裁決議を採択したのである2012年2・29合意で北朝鮮は「長距離ミサイルの発射(…)に対する猶予」に合意した。北朝鮮は2012年4月に発射した人工衛星は「長距離ミサイル」でないから、この合意を違反したものではないにも関わらず、アメリカがこの合意を尊重しなかったと主張する。。北朝鮮はもう人工衛星を発射しても過去の安保理決議を違反したこととなるため、追加的経済制裁を受ける世界唯一の国家となった。
北朝鮮に対する圧迫は人権の側面でも進められた。国際連合安保理で経済制裁の決議案が論議されるのと同時に、ジュネーヴに位置した国際連合人権理事会では2013年3月14日、北朝鮮人権決議案が提出されて21日通過した。この決議は北朝鮮政権の人権蹂躙に対する調査委員会の設立など、前例なく強力な内容を含んでいるし、特に調査委員会が北朝鮮の人権蹂躙が「反人道的犯罪」に当たるかの可否を糾明するようにしたという点で重要である。最近となって、政権による「反人道的犯罪」は国際社会の「保護のための責任」(R2P)を発動させて、国際社会の軍事的介入を正当化しているからである「保護する責任」(responsibility to protect)は2001年「介入と国家主権に関する国際委員会」が導入した原則であり、2005年国際連合世界首脳会談で採択され2009年国際連合総会で追認された。だが、まだ国際法の地位は獲得しないでいるし、その正確な定義と適用の範囲、介入方式と手続きなどで多くの論難がある。Philip Cunliffe, ed. Critical Perspectives on the Responsibility to Protect: Interrogating Theory and Practice(New York: Routledge 2011)およびCristina G. Badescu, Humanitarian Intervention and the Responsibility to Protect: Security and Human Rights(New York: Routledge 2011).。例えば、2011年3月17日、国際連合安保理は決議1973号を採択、リビア市民を保護するため「必要なすべての措置」を許容し、18日リビア政府がこの決議を遵守すると発表したにも関わらず、19日フランスの空襲を筆頭にして多国籍軍の軍事介入がなされた。引き続き北大西洋条約機構の軍事作戦へと拡大され、フランスとイギリスなどの特殊部隊の地上作戦へと続きながら結局カダフィ政権の崩壊を招いた。従って、北朝鮮人権決議案の採択は北朝鮮の立場では軍事的介入を憂慮しなければならないもう一つの理由となったわけである。
このように国際的制裁を強化して軍事的追加措置の可能性を開いておく国際連合の決議が採択されるのとほとんど同時に、キーリゾルブおよび鷲練習が進行されたという事実は、北朝鮮の危機意識を最高潮に引き上げたことであろう。そして、その訓練の強度が前例なく高かったという点も働いただろう。2013年の訓練にはB-2戦略爆撃機がアメリカ本土から直接飛んできたのを始め、日本の沖縄普天間基地に配置された垂直離着陸輸送機のオスプリーが初めて動員されたジョン・アラン、「韓米海兵隊の上陸訓練にオーストラリア戦闘兵力が初参加」、連合ニュース、2013.4.20。。また、オーストラリア軍戦闘兵力がこの訓練に参加、国際連合司令部の会員国が戦闘兵力としては初めて韓米連合野外機動訓練に参加したりもした。 オバマ行政部の対北朝鮮政策は自由主義的国際主義の枠のなかで経済制裁と軍事的圧迫を強化したものであったし、その範囲と強度はむしろブッシュ行政部の際よりもっと広くて強くなった。このことが北朝鮮が過去より強く反発した外的条件として働いた。
3. 軍事力、経済制裁および非政治的交流協力を超えて
去る20年余りの経験は明確な教訓をくれる。軍事的圧迫や経済制裁のような強硬策は、朝鮮半島の非核化と平和に逆行する結果を産むということである。これに反して対話と交流は少なくとも北朝鮮の核プログラム凍結および不能化に成功するなど、非核化と平和に寄与したAlexander Vorontsov, “War and Peace on the Korean Peninsula”, 38 North(Washington, DC:2013). 。しかし、平和の問題を後回しにして非核化に優先順位を置いたこれまでの協商と合意も、非核化と平和体制を完成するまでには行けなかった。
ブッシュ行政部が取った軍事的圧迫政策は、北朝鮮の核プログラムを軍事化する決定的契機を提供した拙稿「アメリカの軍事戦略の変化と韓米同盟」、『創作と批評』2004年秋号、330~51頁。 。また、先に指摘したように、オバマ行政部と李明博政府が一緒に押し進めた制裁政策は、北朝鮮の大量殺傷武器の能力を拡張・発展させる結果をもたらしてきた拙稿「アメリカの東アジア戦略と対北朝鮮政策」、74~93頁。。制裁政策を国際化した国際連合決議1695号の直後、北朝鮮は1次核試験を断行したし、国際的制裁を強化する国際連合の措置に対応して2次・3次核試験を実施した。経済制裁が施行された去る5年余りの間、北朝鮮はプルトニウムを武器化し、新しいウラニウム濃縮施設を設置した。そして軽水炉建設に着手して完工に向かって走っている。
このウラニウム濃縮施設が北朝鮮が主張する通りに軽水炉用の低濃縮ウラニウム(LEU)生産に利用されるならば、毎年2トン程の低濃縮ウラニウムが作れるが、武器級高濃縮ウラニウム(HEU)生産に使用されるなら毎年、武器級高濃縮ウラニウム30~40kgが作れることと予測されているSiegfried S. Hecker, “Redefining Denuclearization in North Korea”, Bulletin of the Atomic Scientists, December 20, 2010.。2012年からは毎年核武器1~2基が作れる高濃縮ウラニウムを生産しうるということである。軽水炉まで完工されて核武器の製作に転用されるならば、北朝鮮は2015年からは毎年核武器が10基生産できるし、2016年まで核武器を最大25基まで追加で作り出せることと予測されているDavid Albright and Christina Walrond, North Korea's Estimated Stocks of Plutonium and Weapon-Grade Uranium, 2012(Washington, DC: Institute for Science and International Security).。非核を掲げた制裁政策の結果物は、北朝鮮の核能力の伸張であった。北朝鮮は懸命にウラニウム濃縮施設を稼働し、軽水炉を建設しているが、これを凍結するどころか、北朝鮮の核活動を監視・確認さえできていないのが制裁政策の現実である。
制裁を強化した国際連合安保理の措置が2次・3次核試験の直接的契機となったように、韓国とアメリカが3~4月、軍事力で戦争抑止力を誇示しようとしたことは、北朝鮮の強力な軍事的示威を呼び起こした。韓・米と北朝鮮のこのような軍事力示威が相互上昇作用を引き起こしながら、結局、開城工業団地まで巻き添えを食って実質的閉鎖状態となったのと同然である。軍事力示威で相互間抑止効果を発揮して戦争が起らなかったと主張できるかも知れないが、3~4月の経験は軍事力示威で維持される戦争抑止は決して平和でないことを劇的に見せてくれたガルトゥング(J. Galtung)は「肯定的平和」(positive peace)と「否定的平和」(negative peace)を区別する。戦争抑止状態である朝鮮半島は否定的平和に当たると言えよう。。
これに反してジュネーヴ合意と6者会談が示したように、外交と合意は朝鮮半島の非核化と平和に寄与したところが大きい。ジュネーヴ合意は1994年から2002年まで北朝鮮の核プログラムを凍結させた。また、2003年から始まった6者会談はバンコデルタアジア(BDA)に対する金融制裁のために進展を見せないでいたが、BDA問題が解決された2007年から2008年の間に核プログラムを凍結させただけでなく、これを不能化し、核活動に対する全面的申告にまで進むことに成功した。
北朝鮮は1979年、寧邊で5MW実験用原子炉を建設し始めて、1986年完工し稼働を開始した以下は拙稿「北朝鮮「核開発」、現在的過去の貸借対照」、プレシアン、2012.9.27から再引用。。1981年には寧邊から北西側に約30km離れた泰川で200MWの原子炉建設に着工し、1986年には再び寧邊で50MWの原子炉を建て始めた。北朝鮮はこの工事を1996年まで終える予定であったが、結果的に完工できなかった。1994年締結されたジュネーヴ基本合意に従って実験用原子炉の運転と原子炉建設が凍結されたためである。
朝鮮半島非核化の観点からこの原子炉建設凍結は、事実、実験用原子炉運転凍結よりもずっと重要である。北朝鮮が建設中の原子炉を完工して稼働したならば、夥しい量の武器級プルトニウムを生産したはずだからである1993年アメリカ情報当局は北朝鮮が核施設を稼働すると、2000年まで核武器60~100基が作れる核物質を保有することと推算した。Joel S. Wit and Jenny Town, “Dealing with the Kims”, Foreign Policy, February 21, 2012.。アメリカの議会研究所(Congressional Research Service)は中央情報局を引用しながら、この二つの原子炉が完工されたならば、年間275kgのプルトニウムが生産できたはずだと推定するMary Beth Nikitin, North Korea's Nuclear Weapons: Technical Issues, CRS Report for Congress.(Washington, DC: Congressional Research Service, 2012), 7頁.。これはおおよそ核武器25~40基が作れる分量である。この原子炉らが1998年から稼働されたと仮定しても、守旧言論で「失われた10年」と呼ぶ1998~2007年の間、北朝鮮は武器級プルトニウムを2750kg生産したのであろう。「失われた10年」は実際には北朝鮮が核武器250基~400基が作れる機会を失ってしまった10年であった。ジュネーヴ合意は北朝鮮がこのようなプルトニウム製造能力を確保できないようにすることに決定的寄与をしたのである。そして、6者会談はこのプルトニウム生産施設を不能化し廃棄する手順を踏んでいた。
北朝鮮と合意を成したおかげで非核化においてものすごい進展をなしただけでなく、合意を成すための協商過程も朝鮮半島の平和に重要な寄与をした。外交が活発に進みながら、協商がなされる間は北朝鮮がミサイル発射や核試験のような挑発的行為を自制したからである。このことはブッシュ行政部に勤めた保守的な学者も認める。1984年から2011年まで北朝鮮の挑発と協商の相関関係を研究したビクター・チャ教授は、「去る27年間、北朝鮮はアメリカが参与した協商の途中で挑発を繰り広げたことがただの一度もなかった」と議会で証言したことがあるVictor D. Cha, Testimony before United States House of Representatives, Committee on Foreign Affairs, Washington, DC, 2011.。
去る20年間における対北朝鮮政策の性格と道具および結果この表は去る20年間試みられた対北朝鮮非核化政策の性格とその結果を図式的に整理したものである。複合的な現実を単純化する危険があり、特に1998年から2007年までは韓国政府が「日ざし政策」という関与政策を試みた時期のなかで、アメリカの政策と食い違ったところを正確に反映できていない。だが、北朝鮮の核政策はアメリカの対北朝鮮政策に強く対応していて、ブッシュ行政部が始まった後、ケリー次官補が訪北した2002年からジュネーヴ合意は崩れ始めた。この際から対北朝鮮政策の本質的性格は軍事的圧迫だと言っても過言ではなさそうだ。また、2003年から始まった6者会談は、2005年9・19共同宣言という記念碑的成果を出したが、それと同時にBDA問題で実質的効力を得ることはできなかった。結局BDA問題が解決された2008年から短い期間ではあったが、不能化と申告において多くの進展を遂げた。
しかし、協商と交流を中心とした関与政策も非核化という目標を達成するには足りなかった。非核化と平和の問題を分離して平和問題を後回しにしたせいで、危機が発生する余地を常に開いておいていたからである。ジュネーヴ合意も「非核化朝鮮半島の平和と安全」を、6者会談も「朝鮮半島の永久的平和体制」を言及したが、実行では非核化の後回しにされたのが現実である。その結果、ジュネーヴ合意もブッシュ行政部が「先制攻撃ドクトリン」を採択して脅威を感じた北朝鮮の反発で崩壊したし、6者会談も国際連合の制裁をもって圧迫するオバマ行政部に対して危機感を抱いた北朝鮮が反発しながら霧散した。朝鮮半島平和の問題が解決されなければ、非核化問題も完全に解決されることは難しいのである。同時に朝鮮半島の非核化が成される前までは、常に不安要素が存在するので平和の問題が解決され得ない。つまり、非核化と平和のためには、もうこれ以上二つの問題の連関性と政治性が無視できぬ状況にまで達したのである。また、本稿で明らかにしたように北朝鮮と韓・米は相互敵対的依存関係のなかで非核化と平和の問題で相互敵対性を再生産する分断体制を構成している。このような条件で「朝鮮半島非核化平和」は動揺する分断体制を非敵対的相互依存へと収斂できる枠でもある。
「非核化=平和」というパラダイムの転換は、これまでの通念を覆して考えるところから出発すべきだ。まず、軍事力の行使、軍事的圧迫および制裁などを強調する現実主義は、これまで北朝鮮の核能力をかえって強化させたという歴史的経験を受け入れるべきである。また、北朝鮮が非核化をするともらえる対価を提示することで、北朝鮮の優先的行動が誘引できるといった機能主義の限界も認める必要がある。これからは現実主義と機能主義を超えて、平和が北朝鮮の核武装を解除しうるという平和主義を苦悶する時になったのである。北朝鮮がこれまで自分の核武装を正当化した根拠は、アメリカの核脅威と敵対政策に対する「抑制力」であった。従って、平和を提示してその根拠を崩すことが、北朝鮮の核武装を解除する最も根源的な解決策であり得る。非核化を遂げて平和を享受しようとのみ言うのではなく、平和体制と非核化をコインの両面として見なそうということである。平和のない非核化はあり得ないし、非核化のない平和も不可能である。
このようなパラダイムの転換は理想主義ではなく、最も現実的な、もしかすると唯一の現実的提案であるかも知れない。まずオバマ行政部でヒラリー・クリントン国務長官もこれと類似した提案をしたことがあるヒラリー・クリントン長官は北朝鮮が核を諦めると、△米・北修交△平和協定の締結△経済支援をするという提案を2009年2月13日、7月23日と11月21日など全部で三回に渡って表明した。ジョン・セヒョンは「その都度、「非核・開放・3000」を掲げながら北朝鮮の先非核化を要求した李明博政府の反対で結局、進展が見られなかった」と指摘する。結局、対話協商のトラックは国際制裁トラックに主導権を奪われ、オバマ1期対北朝鮮政策の基調から無くなった。ジョン・セヒョン、「5月の韓米首脳会談、「朴槿恵(バク・グンへ)解法」を提示せよ」、プレシアン、2013.4.21。。また、北朝鮮もこのような可能性を排除していない。北朝鮮の祖国統一平和委員会と外務省および国防委員会は、口を揃えてこれから「朝鮮半島の非核化を論議する対話はないはず」と宣言したが、「これから朝鮮半島と地域の平和と安定を保障するための対話はあっても」という前提を置いている。つまり、北朝鮮は今だ平和と安定に対する対話の可能性は開いておいている「朝鮮外務省、国際連合安保理の決議に対する声明発表」、朝鮮新報、2013.1.23。。それのみでなく、言葉では核武器を諦めないと言うものの、核武器放棄の可能性を制度化してもいる。北朝鮮が4月1日、最高人民会議で制定した「自衛的核保有国の地位をより鞏固にすることについて」という法は、一方では核武器の保有を制度化することであるが、第1項で「朝鮮民主主義人民共和国の核武器は、わが共和国に対するアメリカの持続的に加増される敵対視政策と核脅威に対処して、やむを得ず備えることとなった正当な防衛手段」と規定、「敵対視政策と核脅威」が除去されると核武器の根拠も無くなると闡明しているからである同時にこの法は「敵対的な核保有国との敵対関係が解消されるに沿って、相互尊重と平等の原則から核伝播防止と核物質の安全な管理のための国際的な努力に協調する」として、アメリカとの敵対関係が解消されないと核拡散防止に協調しまいという脅威も含めている。。北朝鮮は対外的に核脅威を振り回しながら決して核を諦めないといった修辞を使っているが、制度的には「非核化=平和」の可能性を作っておいているのである。
従って、北朝鮮が公式的に開いておいている「平和と安定を保障するための対話」という機会の窓に、朝鮮半島の非核化というアジェンダを入れよという主張に注目する必要がある。鄭旭湜(ジョン・ウクシク)は南・北・米・中が参与する4者朝鮮半島平和フォーラムで停戦体制を平和体制へと転換するための論議をしようと提案したことがある。この提案で注目すべきところは「非核化と平和協定を互いに分離されたものだとか、時間的な先後の問題ではなく、「融合」の対象として見よう」という発想の転換を試みているという点である。彼は具体的に「平和協定に北朝鮮の核廃棄対象、方法、時限を明示すること」を検討してみようと提案する鄭旭湜、「北朝鮮「重要な結論」、核実験以上であるかも...」、プレシアン、2013.2.4。。
彼の提案をもっと発展させて平和協定に朝鮮半島非核地帯化を融合することがより望ましいかも知れないハルベリンもこれと類似した提案をしたことがある。Morton H. Halperin, “How to Resolve the North Korean Nuclear Crisis”, Keynote address at Conference “South Korea and the U.S. Pivot to Asia”, Woodrow Wilson International Center for Scholars, Washington, DC, April 3, 2013. http://www.wilsoncenter.org/sites/default/files/mortonhalperinspeech.pdf (accessed on April 4, 2013).。すなわち、北朝鮮の核廃棄だけでなく、核武器保有国家らが朝鮮半島に核武器を使用したり、使用脅威を行わないという保障まで追加することが真正な意味での朝鮮半島非核化だからである。朝鮮半島では北朝鮮が核武器を保有しており、アメリカが拡張抑制という方式で核武器の使用を制度化しているので、北朝鮮の核廃棄は最小限アメリカの核不使用の公約と噛み合わないと対称性をなすことができない同じく北朝鮮の核減縮とアメリカの核減縮を取り替えようという北朝鮮の「核軍縮」主張も、対称性から外れる。だが、この協商の過程で必要ならば暫定的に北朝鮮の地位を「可逆的核放棄国」にしようという提案は検討するに値する。キ厶・チグァン、「北朝鮮に「可逆的核放棄国」の地位を付与しよう」、統一ニュース、2013.1.28。。また、北・米の核対立は未だ続いている戦争状態に根源的な理由があるわけだから、朝鮮半島非核地帯化は朝鮮半島平和体制と結合される時、始めて安定性を獲得するであろう。従って、具体的には南・北・米・中が4者会談で北・米平和条約+南・北非核平和宣言+中・米非核平和保障宣言を同時締結する「2+2+2」が一つの方法となれるシン・ゾンデはこれと同じように「北朝鮮核問題の解決、南北関係の進展、朝鮮半島の平和協定という(…)三輪を同時に駆動させて解決を模索する一種の「三輪戦略」が必要である」と主張する。シン・ゾンデ、「北朝鮮の危機攻勢と南北関係」、『朝鮮半島フォーカス』2013年5・6月号。。このすべてを包括する枠が「朝鮮半島非核平和条約」、これを成し遂げる過程が「信頼プロセス」、これに基づいて東北アジア平和協力体制を作ることが「ソウルプロセス」の内容となりうる。
こういう非核平和体制を発展させるために必要な前提条件は、朝鮮人民共和国という政治的実体を認めることであるジュネーヴ合意以前に北・米代表団は1994年6月11日「互いの主権を相互尊重し内政に干渉しない」という原則に合意したし、2000年の北・米共同宣言でも「相互主権を尊重し、内政不干渉の原則」を再確認したことがある。当然な話だが、協商のため国家の実体を認定するということは、既存政権の正当性認定や政策支持とは全く異なる。甚だしくは、戦争宣布さえも相手国家の実体を認めた上でなされる行為である。。北朝鮮が大韓民国やアメリカ合衆国の実体を認めない限り、外交と協商が不可能なのと同じく、韓・米も朝鮮人民共和国の実体を認定しなくては非核化平和体制のための対話が不可能である韓国と北朝鮮は南北基本合意書1章1条で「互いに相手の体制を認定し尊重する」と明示した。基本合意書は双方の総理が署名した後、条約締結権者である大韓民国大統領と朝鮮民主主義人民共和国主席の最終裁可を経た。また、鄭元植(ジョン・ウォンシク)総理が国会本会議に参席して報告したし、大統領の裁可文書を国務総理と全国務委員が副書する手続きを完了した。北朝鮮では党中央委員会全員会議で延亨默(ヨン・ヒョンムク)総理が報告し、中央人民委員会と最高人民会議常設会議連合会議を招集してこれを承認したし、金日成主席がこれを最終的に裁可した。韓国と北朝鮮がこのような手続きを踏んだのに比べて、北朝鮮とアメリカは主権相互尊重を宣言の水準でのみ認めて、合意や協定の水準にまで発展させることができなかった。。「北朝鮮崩壊論」や「レジームチェンジ(regime change)論」が北朝鮮の危機意識を刺激した根本的理由という点で、主権尊重と内政不干渉という原則は現時点でより重要だと言えよう。過去、このような原則らが宣言の水準で闡明されただけで制度化されなかったため危機が繰り返された経験は、このような原則らを条約の形で制度化すべき必要性を示唆する関係正常化がなされなかったので制度化に失敗したのか、制度化がなされなくて関係正常化を成し遂げることができなかったのか、分離して評価することは容易くない。平和体制の定着も戦争当事国の終戦宣言から始まって、究極的に平和協定の締結まで漸進的に成され得るし、北・米の関係改善もアメリカ、または北朝鮮の高位官吏(または最高統治者)の相互訪問、連絡事務所の開設、外交関係の締結など順順となされ得る。従って、両者を段階的に結合していくことが可能である。その反面、これまで漸進的方法が失敗したから最高水準で制度化を先にすべきだという主張を排斥する根拠もない。。ただ、たとえ朝鮮半島非核平和条約を締結するにしても、南北分断という特殊な状況を考慮してこのような制度が統一のための過程だと明示する必要があるだろう。
最後に指摘するくだりは、朝鮮半島の非核化は統一のための必須条件だという点である。北朝鮮が核武器を保有している条件では、いかなる方式の統一も展望することが不可能である。一つ目、軍事的手段の統一は韓国戦争以後、南北が共に非現実的方案だと認めているが、北朝鮮が核武器を保有している限りはなお理にかなっていない。二つ目、北朝鮮が核武器を保有する限り、平和的統一も実現しにくい。アメリカと中国、ロシア、日本のどの国家も統一朝鮮半島が核国家となることを支持・協調しないことだからである。従って、朝鮮半島の非核化は統一のためでも必ず成就させるべき必用条件である。
金鐘曄(キ厶・ジョンヨプ)は開城工業団地の撤収など、2013年春の一連の事態を「分断体制がより深く動揺して」いる徴候として診断する金鐘曄、「より深く揺れる分断体制と包容政策2.0」、ハンギョレ、2013.4.30。。敵対的相互依存性が弱化されながら分断体制が相互依存のない敵対の強化へと進んでいるということだ。朝鮮半島の緊張を高める現局面の分断体制の動揺は、非核化を置いて北と韓・米が競う尖鋭な敵対の結果物である。従って、非核化平和体制を発展させることは、敵対の緩和を通じて分断体制の動揺を非敵対的相互依存で解消できる構造を作ることである。平和的統一はこのような制度を作ることと共に成されるであろう。
朝鮮半島非核平和条約という結果物は、国家間締結と批准で成就され得るが、それが市民社会の排除を意味するわけではない。むしろ現在各国の政府が非核化と平和へ進まない状況で、彼らを突き動かせる勢力は市民社会が唯一だと言えよう。従って、市民社会が自国政府と国民を説得して、朝鮮半島の非核化と平和がコインの両面のような不可分の関係だという認識を広めさせ、国家を突き動かす力を集めていくべきである。また、各国の市民社会の超国家的連帯を通じて国家間の疎通を手伝うべきであろう。このような市民社会の活動は分断体制の動揺が非核平和体制へと解消されるように仕向ける力でありながら、朝鮮半島非核平和体制が敵対もなく、相互依存もない分断の永久化へ行くことを防ぐ力となるだろう。それだけでなく、南北をつなぐ市民社会の活動は、分断体制の動揺が非敵対的相互依存へ収斂されるようにする内容物となるだろう。
失敗が確認された軍事的圧迫や経済制裁に未練を持つことは、非科学的であるだけでなく、状況を悪化させる明白は敗着である。今は対話の可能性を生かすべき時だ。4ヵ国朝鮮半島平和フォーラムで「朝鮮半島非核化平和体制」を論議し、このための方法を模索することが現在の危機を脱する唯一の出口と思われる。4ヵ国がこの出口を見い出していくように突き動かす力を持った主体は、市民社会しかない。
翻訳:辛承模
2013年 6月1日 発行
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