〔対話〕 非対称的韓中関係と東アジア連帯
白永瑞(ペク・ヨンソ) 延世大国学研究院長、同大史学科教授。本誌編集主幹。著書に『東アジアの帰還』、『東アジアの地域秩序』(共著)、『台湾を見る目』(共編)など。
孫歌(そん・か/Sun Ge) 中国社会科学院文学研究所教授。著書に『アジアという思惟空間』、『竹内好という問い』、『思想が生きていく方法』など。
白永瑞 今号の「対話」の特集は、中国社会科学院の孫歌さんが韓国を訪問し1か月半ほど滞在する機会に、韓国と中国の知識人が互いをどのように認識しているのかを探り、読者らに紹介しようと企画したものです。この対話を通じて、韓中間の互恵的な関係を形成する場を模索できればと期待します。特に領土と歴史問題で地域内葛藤が深刻化する状況において、北朝鮮の第3次核実験以降、朝鮮半島の緊張まで重なり、東アジア全体がいつになく深刻な危機に瀕している局面で、この対話が危機状況を克服し、平和な東アジアの実現に韓中の知識人がいかに小さな役割であっても遂行していく方向を、真剣に検討できる場になればと思います。
まず、韓国の読者に孫歌さんについて簡単に紹介する必要がありそうです。この場では韓国語に翻訳・出版された孫歌さんのご著書を中心に見てみましょうか。孫歌さんのイメージには大きく2つの特徴があります。1つは中国知識人の中ではめずらしく東アジア言説の主唱者であるということです。これが最初に紹介された『アジアという思惟空間』(創作と批評社、2000)によくあらわれています。もう1つは、日本の中国文学研究者であり東アジア論者である竹内好の専門家だという点です(『竹内好という問い』グリーンビー、2006)。しかし私はこの2つの特徴以外に、東アジアを横断する「社会人文学」の実現者という性格に特に注目します。細分化した学問の枠組みによって深刻に分化した限界を越えて、分科を越えた学問的な研究や論文の執筆と、現場の実践経験とつなごうとする努力が大切だとお考えになっています。これについてはすでに他の誌面で別の対談をしたことがあります(「新自由主義時代の学問の召命と社会人文学」、『東方学志』159集、2012)。なので、特定の学問の専門家とみるよりは、批評家の役割を遂行している孫歌さんを私はとても重視します。どういうことかというと、日常生活の「出来事」の中から思想の資源をすくい出す人という意味です。孫歌さんの表現で言えば、「一回だけの性質の出来事」を「思想史的な出来事」に切り替えるという特徴になるでしょう。現実について発言するよりも現実認識について発言するということです。ですが、孫歌さんは独特の思惟の細かさを持っていて、聞いてすぐに理解することは困難ですが、きらりと光る洞察力があります。この点は最近刊行された尹汝一(ユン・ヨイル)さんとの対談集『思想をつなぐ』(トルペゲ、2013)や著書『思想が生きていく方法』(トルペゲ、2013)によくあらわれています。
私の長い友人でもある孫歌さんとの対話を準備しながら、私自身の東アジア論を省察する機会にもなるので、軽い緊張と興奮を感じていました。本格的な対話の前に、進め方から提案します。読者のために、できれば具体的な出来事を通じて認識の問題に移る形で議論しますが、各自の体験については率直に話したいと思います。つまり自らをかけて対話しようということです。
孫歌 白永瑞さんのお話しを聞くと、私も緊張し、興奮もします。私の考えはまだ完全には体系化されていません。先生のような対話の相手を探すのは中国でも容易なことではありませんので、今回の機会を通じて私の思考を一歩でも発展させたいと思います。
現場で感じた朝鮮半島の危機と韓中の相互認識
白永瑞 今回の韓国での滞在期間は長いものではありませんが、多くの韓国の知識人や学生とお会いになったかと思います。何度か講演に招待され、お会いになった人々を通じて受けた印象はどのようなものでしょうか。特に孫歌さんの思惟、ひいては中国について彼らが持つ認識をどのように評価するか、具体例をあげてお話し下さい。また、少し長めに韓国に滞在しながら接した、韓国人の生活や人文学の環境についての体感はどのようなものだったでしょうか。偶然にも今、朝鮮半島が戦争直前の状況に置かれています。一部の外国人が、戦争を心配する家族の要求で帰国したという話も聞こえます。韓国に来ている中国人として、その雰囲気をどのように実感されたのか気になります。
孫歌 歴史は常に危機の飽和状態から、突然、自ら真の姿をあらわすとベンヤミンが言ったことがあります。思想史の研究者として、このような危機を捉えてどのように歴史に進み入ることができるかがとても重要な問題です。今回の訪韓はちょうどこのような危機の飽和の瞬間に実現しましたが、韓国社会の観察や理解にとてもいい機会になりました。まず韓国の学者から受けた印象をいえば、私に対する彼らの議論はすべて好奇心と善意でいっぱいだったようです。またとても愉快な学術的経験でした。ただ白永瑞さんのような中国問題の専門家や中国とながらく交流してきた方を何人か除けば、大多数の学者の中国に対する認識は依然として観念化されていました。おそらくイデオロギーの影響もあるでしょう。中国を語る時、多くの学者はまず中国の人権問題に関心を示し、中国のイデオロギーは韓国とは異なるという点を強調しながら、このように異なる2つの社会がどのように対話できるのかと問うてきます。このように観念化されたイメージを打開するためには、実際的で具体的な分析作業が必要でしょう。私の基本的な考えでは、西欧の論理では中国社会の分析が困難だということです。たとえば、人権のような概念で中国の歴史と現象を分析すれば、具体的な歴史状況や社会状態に効果的に進み入ることができません。中国に対する韓国社会の認識については先生のお話しもお聞きしたいと思います。私はいかんせん韓国での滞在期間がとても短く、また韓国語もわからないので、知識界の状況を正確に把握することは困難だろうと思います。
白永瑞 そのご質問に答える前に、韓国の学者が孫歌さんの思惟についてどれほど理解しているとお感じか、お聞きしたいところです。私の予想より多くの機関から、孫歌さんに講演を要請してきたと思いますが、彼らは孫歌さんに何を聞いてきましたか?
孫歌 それは先生がたった今、言及した、私の作業の持つ特性と関連があるようです。私が専門家型の学者というより知識人型の学者だからでしょう。私の専攻は政治思想史で、現実生活と関連した思想と現実の問題に関心があります。ちょうど朝鮮半島が今、このような状態なのに加えて、私が中国人だと、何人かの韓国の学者は私から何か新しい情報を得られるだろうと期待していたようです。もちろん彼らが私の問題意識に対して興味を感じても、私の分析や結論には必ずしも同意はしないでしょうが、だからかえって彼らは私と対話しようと思ったのでしょう。
白永瑞 一般の韓国人の中国認識には2つがあると思います。1つは中国が大国なのでその覇権に対して憂慮するというものです。もう1つは中国を無視したり別に興味を感じないというものです。このような現象は歴史的な脈絡もあり、現実的な原因も作用しています。伝統時代には中国が普遍文明の中心であると認識し、「上国」として見なしていましたが、日清戦争で日本に敗れてから、中国を下にみる認識が強くなりました。このような認識はもちろん、明治維新に成功した日本を改革のモデルとしたことと対をなすものです。そのことが、植民地時期に大量に移住してきて安価な労働力を提供した中国人労働者と接触した経験によって、さらに強化されたと思います。そして冷戦期には中国と接触が不可能になり、反共冷戦型の「中共」認識に埋没し、「落伍した中国」と無視する態度が続きました。1992年の韓中国交正常化以降、両国政府はもちろんのこと民間レベルでも交流が活発になり、相互依存度がますます大きくなっています。しかしそれと同時に相互間の蔑視が存在するのも事実です。延世大の講演に参加したある韓国人学生が、この現象を指摘しながら、中国人の韓国蔑視は中華主義という思想にもとづいているが、韓国人はそのような根拠すらないままに中国人を蔑視していると言っていました。
孫歌 これはとても重要な問題です。私たちが今、直面している現実的な課題が、まさに韓・中2つの社会の間の敵対感をどう減少させるべきかだからです。先生がおっしゃった通り、中国に対する韓国社会の態度は2つの極端な現象として示されます。ですが、これは事実上、同じ態度が示す2つの顔です。中国社会にもやはりこのような現象が存在します。これは2つの社会の民衆の基本的なイメージを構成しています。ある意味で2つの社会の間に、ある種の敵対的な感情が出現しているんです。ですが、このような敵対感はいまだ固着していませんし、私たちには依然として局面を打開する機会があります。万一、中国と日本の関係のような問題が現出すれば、状況はより一層困難になります。現在の韓国と中国の知識人には、このような敵対感を解消すべき同一の任務があります。具体的に見ると、先生がたった今おっしゃった冷戦イデオロギーや過去の朝貢の記憶などが、韓国の中国イメージにどのような影響を及ぼしているのか議論するべきです。また、いかなる要素が中国の韓国認識に影響を及ぼしているのかについても同様です。私はこのような一般的なナラティブから「入口」を探して、具体的な議論に進むべきだと思います。
白永瑞 孫歌さんのいう「入口」とは具体的に何を意味するんですか?
孫歌 2つの方式があります。1つは比較的直観的な方式です。中国に対する韓国社会の緊張感を対象化し、それを思想の問題として研究するのです。同時に韓国に対する中国社会の無関心もやはり対象化して、思想の問題として処理するべきです。潜在意識を対象化することによって、それを克服する自覚を備えようという作業です。中国に対する韓国の緊張や韓国に対する中国の無関心のような現象が、知識界でも無意識に正当化されているので、これに対する矯正が必要です。もう1つの方式は原理的な問題です。私たちは国家を単位として議論してはいけません。中国に対する韓国の認識が韓国の内部問題に転換できるか、韓国内部に存在する差別や緊張として解釈を試みることができるかということです。中国社会もやはりそうです。中国社会はつねに自らを世界の中心だと感じているわけではありません。時には深い自己恥辱を感じたりもします。中国が第一世界や日本と対面するときは、ある種の妙な緊張感が生じる複雑な状態になります。私たちはこれをそれぞれの社会に内化して、初めてその分析を共有することができます。
白永瑞 お言葉のように、外部に対する認識は各自の社会内部の問題の認識とつながっていますね。私は2010年夏、中国・広州の週刊誌『南方都市報』の招請を受けて、韓中関係と相互認識について講演をしたことがあります。そのとき両国の若者たちが、特にインターネットで相手を非難する世論形成の重要な原因が、国内社会の矛盾、つまり不均等な発展と関連していると強調しました。ですから、互いに交流の機会を増やしさえすれば解決するものではなく、各自の社会をより人間らしい空間にするために努力するべきだと主張しました。この点は中国内外のさまざまな学者も指摘しています。ですが、ここで私たちが考慮すべき構造的な問題があると強調したいと思います。私は最近発表した論文(「変わるものと変わらないもの――韓中関係の過去・現在・未来」『歴史批評』2012年冬号)でもそのことを主張し、孫歌さんにもその中国語訳を差し上げました。その核心主張の1つは、韓中関係の「変わらない」条件が連綿として存在していますが、その1つが非対称な関係だということです。
その非対称的関係は、一方的な支配や服属ではなく、中国と周辺国が各自の利益を考慮した合理的選択と戦略的相互作用の結果で、それが持続的に繰り返しながら両国は長い間平衡を維持してきたと思います。ですが、非対称の一方である中国は、韓国に対して過小関心、韓国は中国に過剰関心を持っていたともいえます。中国人は長い歴史のなかで大国を自任し、他国に対する関心が低いです。ですから、今日、韓国に対しても、韓流や韓国商品など主に自らの生活と直結した内容に限られた関心を持つのに比べて、韓国人は中国の政治・経済・社会・文化・韓中関係など、各方面にわたって関心を持ちます。そのために両国は相手に対する要求も非対称的になりがちです。中国人は自負心が強く、自らをアジア文化の宗主国と考えて、周辺国家、たとえば韓国人の承認と尊重を期待しますが、韓国人は、中国が朝鮮半島の平和と経済発展に寄与するなど、さまざまな領域での役割を期待します。孫歌さんのいう「感覚の非対称」が存在するということです。だから互いに対する期待が異なり、誤解または否定的情緒が形成されやすいのです。この問題の解決方法について議論してみたいと思います。
中心―周辺の二分法を打開する思惟方式
孫歌 非対称の問題は確かに大変重要です。この問題から議論すれば、韓国と中国、2つの社会の間の接点を見出せると思います。私は今回の韓国訪問で一種のインスピレーションを受けましたが、この話からしてみましょうか。ソウルの龍山(ヨンサン)にある戦争記念館を参観した時、私は典型的な非対称のイメージを発見しました。記念館の芝生に南北の軍人の兄弟が抱擁する彫刻像がありますが、韓国の軍人はがっしりしていて北朝鮮の軍人はかなり小柄です。彼らは兄弟だといいますが、南北を象徴する彫刻像が示す身体の差別を、年齢差として解釈するのは説得力がありません。ここに私は大国と小国の関係を見ましたし、これはおそらく朝鮮半島内部の非対称でしょう。万一、私たちがこのような非対称を1つの構造として韓中関係を論じるならば、この構造を2つの国家間の関係として位置付けることができるでしょう。2つの国家、2つの社会の間に存在する問題は、まさに2つの社会の内部に存在する問題が国際的に反映されたものです。中国社会にも発達した都市と落伍した農村との関係が存在しており、発達した地域は自らを優れた地位に置いて、農村から来た労働者の問題に相対することになります。私たちは平等を強調しますが、このような非対称関係は依然として存在します。万一、この内部の問題を韓中関係において考えるならば、私たちは心理的に平等な態度を取っているのか自問せざるを得ません。
白永瑞 この問題は中心と周辺の構造とも関連します。私のいう周辺とは、単純に地理的な意味というよりも認識論上の問題です。また、周辺的主体にしても、それよりさらに周辺的な存在に対しては中央になるというように、無限に連鎖する関係です。韓中関係の非対称問題はさきほど申し上げたように不変の要素と関連するもので、歴史的に互いにこの関係を利用してきたと思います。ですが、韓国の知識人は非対称を強調する一方で、どうして中国を蔑視するような現象が出てくるのでしょうか? 中国のもう1つの周辺であるベトナムにもこのような現象があるのか気になります。私たちがこれについてきちんと話し合ったのは2001年の東京でのことです。そのとき、私が中国の学術誌『読書』に発表した論文(「世紀之交再思東亜」1999年8月号)をめぐって議論しました。私が孫歌さんの中国に対する視角を批評したところ、孫歌さんは、韓国人は中国人の感覚をよく理解できないが、その主な要因は規模が異なるためだと答えました。韓国は小さい国だが、中国は歴史も長く土地も広い、規模の差は重要な要素なので、韓国人は中国を正しく理解しにくいのだろうといわれました。そのとき私はそのような形の返事が気に入りませんでした。「これこそ大国主義ではないか?」と思いました。帰国後、孫歌さんが書いた多くの論文を読んで、孫歌さんがなぜそのように「規模の差」を強調したのか理解できました。ですが、そのような話を初めて聞いた時は、率直にいってそれほど愉快ではありませんでした(笑)。このように非対称関係は確かに存在します。だから韓国人はこの非対称性を認めるべきであり、同時に中国人は相手の社会に深く配慮しなければなりません。
孫歌 先生が論文で言及した非対称問題の中で最も示唆的なのは、この非対称問題を反覇権の方向に引き込まずに、歴史を通じて2つの社会の構成メカニズムの違いを研究し、各自の歴史的論理を分析した点です。さきほど私が非対称状態として示される優越感と傲慢さのことを言いましたが、また先生もお話しのように、事実、韓国社会には中国に対するもう1つの傲慢さや優越感が存在します。ですが、このような優越感は決して問題のすべてではありません。ここで重要な点は、非対称は研究対象であって簡単に否定できるイデオロギーではないという点です。覇権に反対すると同時に、大きさに関係なくすべての国家が同等だという虚構的な認識論的前提を打開するべきです。それは単一化されたイメージで多様性を持つ歴史的過程を抹殺するからです。どのように冷戦的なイメージを突破し、相手の歴史的論理に進み入ってそれを認識するかが、まさに本当に平等な意識を芽生えさせる基礎です。私のいう認識論的な転覆と先生の歴史学をつなげるためには、まず平等な心構えを作らなければなりません。これを通じて私たちははじめて平等な好奇心で相手を観察できます。事実、これは中国人にもかなり難しいことですが、やはり必ずや打開されるべきものです。大国でも小国でも自らの文化的論理があり、このような論理を同等に尊重してこそ、そのなかに入って非対称の中で歴史を発見できます。私たちはこのような非対称に宿る価値判断を客観的事実と区分するべきです。たとえば、韓国が南北関係上の非対称を検討し、このような価値観が有害だということを認めて、はじめて私たちは非対称を1つの研究対象として客観的に議論できます。この点がおそらく先生も最も関心を持つ部分でしょうが、その前提は必ず平等な心構えを持つべきだということです。そうしてこそ2つの問題を結合し、反覇権の問題を議論し、多様化した歴史過程の問題もやはり論じることができます。
白永瑞 ここで一般の中国人が朝鮮半島をどのように認識しているのか、朝鮮半島の核危機などをどのように見ているのかについてお聞きしたいと思います。もちろん私もこの分野の専門家ではありませんから、朝鮮半島関連の政府の政策に対する知識人や民衆の態度、また朝鮮半島認識に対する最近の雰囲気を簡単に紹介して頂ければと思います。なぜこのようなことを聞くかというと、朝鮮半島の危機状況で韓国内部では保守か進歩改革かに関係なく、朝鮮半島の安定に中国が重要な役割を果たすことを期待しているからです。
孫歌 朝鮮半島に対して中国社会はそれほど関心がありませんでした。北朝鮮の今回の核実験を見てから、人々はこれが自らと関係があると感じました。ですが、今回の局面について中国社会は韓国政府の態度だけに関心を持っています。そして朝鮮戦争が再び起きる可能性だけに神経を尖らせています。中国人は北朝鮮に対して抗日戦争をともに戦った兄弟関係であると考えます。そして北朝鮮は依然として社会主義を堅持しているという一種のイデオロギーが存在します。同時に北朝鮮住民の生活像の危機についても関心を持っています。たとえば、中国の東北地方の住民の中には、北朝鮮に食糧危機が迫れば辺境で鉄条網越しに食糧を投げる人もいるといいます。このような人道主義的な情緒の連帯はとても重要です。これは一種の功利主義的な色彩を帯びていない、人と人との間の美しい感情です。そのような一方で現在の報道機関は北朝鮮に対して比較的厳しいです。核実験と繰り返される戦争挑発を含む北朝鮮の態度に不満なようです。韓国については、まず近代化の水準が中国より高い国家だと考えます。また、国際関係面で韓国の強烈な反日情緒に感心もしています。ですが、中国人は全体的に見るとき、韓国社会に対して依然として好奇心がさほどありません。今回の朝鮮半島の混乱した情勢で、むしろ多くの中国人が韓国と北朝鮮に関心を持ち始めました。
白永瑞 このような認識も非対称関係と関連したものではないでしょうか?
孫歌 私の考えでは、非対称の問題は構造というより一種の心理的態度に近いと思います。中国人にとって韓国と北朝鮮に対する感覚は、その内容が違うだけで非対称という点では同じです。多くの場合これは自己中心的です。だからあまりにも簡単に差別の態度に変わるのです。ですが、このような感覚は安定的なものではないので、時には逆転したりもします。たとえば、中国社会はアメリカに対する北朝鮮の強硬な態度に対して英雄的だと感じるかと思えば、韓国の近代化を見て自強自立の精神を感じたり、反日情緒を民族的気概として受けとめたりもします。このような逆転は大部分、団結できない中国社会のムードに対する批判とつながっています。中国社会で南北朝鮮に対するイメージは輪郭が明確でありませんが、日本に対するイメージは明確です。おそらく戦争を経験したからでしょう。とにかくこのような韓国に対するイメージを、先生がおっしゃった通り、相手と自らのそれぞれ異なる論理を理解し、相手の歴史的発展を理解する脈絡に引き込まなければなりません。
白永瑞 ですが、私が会った何人かの中国の知識人は、近代的成就、特に経済発展を基準として北朝鮮を判断し、貧しい国だと無視しています。閉鎖された国際的条件の中で自立しようとする意志はある程度認めるが、それも中国が改革開放前に自力更生したことと比較してそれと似ていると考えるようです。知識人だけでなく相当数の官僚も同様に北朝鮮を蔑視するともいいます。中国のインターネットにみられる世論はさらに深刻に北朝鮮を見下しているようです。これに比べて韓国に対しては、韓流や経済発展などの理由で肯定的に見たりもします。しかし南北朝鮮双方に対して非対称的感覚を持っているので、孫歌さんのおっしゃる通り、中国人の韓国認識が不安定なものならば、それが今後また変わることもあるのでしょう。このことを考える時、日本人が、北朝鮮に敵対的に反応し、韓国の韓流などに好意的に反応しているのに比べて、在日韓国・朝鮮人の文化に無関心だったり冷たい視線を送るような現象が思い出され、やや複雑な思いにもなります。この問題は今後さらに深く分析してみたいと思います。
孫歌 さんの今回の訪韓の目的は、韓国を理解するためのものであるとおっしゃいました。ハンギョレ新聞(3月20日付)とのインタビューで「方法としての韓国」について考えているとおっしゃっています。それは韓国の思想資源を東アジアの思想資源の1つとするためのものだといっています。孫歌さんはこれまで日本や沖縄、台湾の思想資源を再認識し、それを通じて中国を再び思考する鏡にしようと考えました。このような役割は、私が知るかぎり、中国の知識人の間で非常に独特なことです。東アジアの思想資源としての韓国思想、ないし韓国人の経験についてのお考えや、特に今回の訪韓期間に新たに発見したものなどについて、お聞きしたいと思います。
韓国の民主化運動から学ぶ
孫歌 私は国境を思考の前提とすることはありませんが、すべての文化の内在的論理を尊重します。私の出発点は人類の問題に関心を持つことです。どのような文化、あるいは国家の形を借りて問題を解釈できるか。これについては経緯と条件を見るべきだと思います。私にとって日本は、問題を議論するときに使用される媒介であり、韓国と中国もやはり、もう1つの問題を議論できる重要な領域、あるいは媒介です。「方法としての韓国」という言葉はこのような意味で使いました。ですが、私は韓国に対する知識があまりないので、現在としては韓国を方法とする能力がありません。何日か前、韓国のロックバンド「野菊(トゥルクックァ)」の公演を見に行きましたが、主に韓国の80年代の民主化運動を称賛するような公演でした。この公演を見ながら、私は真の民主化運動の深さと困難をあらためて理解できました。過去に観念的に理解したこととは全く違いました。韓国は民主化運動の経験が最も成熟していて豊かな社会です。韓国の民主化闘争は今日まで多くの問題に直面してきました。たとえば、闘争内容の変化のような転換の問題、民主政治の継承方式の問題などがあります。このような問題は、中国や日本と比較する時、韓国を媒介として思考を押し進めた方が、より一層大きな資源になります。このように皮膚で感じる感覚は、民主政治に対する私の想像を変えました。たとえば、中国の学者にとって「民主」は、おそらく一連の単純な手続きであり、一種の価値化された概念でしょう。ですが、民主主義の過程には挫折や失敗、ひいては困惑、また統合を具体的課題とする数多くの苦境など、複雑な意味が内包されています。
白永瑞 韓国の民主化運動の経験についておっしゃいましたが、金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の時期だったら、そのような孫歌さんの評価を聞いて、ある程度同意したでしょう。孫歌さんのおっしゃる通りだとすれば、私たちは手続的な民主主義をすでに実現しています。だから「民主化以降の民主主義」という発想も提起されたことがあります。いわば手続的な民主主義が実現された後に、民主主義がさらに危機を体験しうる場合があるので、社会経済的の内実(分配と福祉など)を確かめる実質的な民主主義を主な課題とするべきだということです。ですが、李明博(イ・ミョンバク)前政権の5年間、そして特に昨年、2012年末の大統領選挙を体験して、韓国民主化運動の経験を高く評価する外国の友人の話を聞く時、とまどいの感情もあります。前回の大統領選挙の直後、野党候補を支持した人々は、「メンタル崩壊」を体験したと語るほどでした。そろそろそのような心理状態をある程度克服しているでしょうから、民主主義の問題をもう少し正面から論じる時になったと思います。
孫歌 民主は手続きの問題だけにとどまってはなりません。その次にも多くの内在的な矛盾と葛藤があります。これがおそらく今日の韓国の民主政治の課題ではないかと思います。民主主義に対する中国知識人の認識は、まだそこまで及んでいません。民主政治に対して韓国は非常に複雑な心理状態にあるようです。そのなかで私たちに大きく示唆するテーマを整理することができるでしょう。
白永瑞 手続的な民主主義を破壊した李明博政権の時のことを考えながら、私たちは手続的な民主主義とその後が段階的に分離できない、互いにつながっていることを切実に感じました。そして韓国のような非西欧国家で、保守と中道政党との間の政権交代だけで、どれほど社会的波紋が大きな変化を起こすのかも確認しました。その過程で民主主義を成熟させるためには、政党政治の改革だけでなく、それを促進する社会運動の活性化も重要だという事実をあらためて痛感しました。ですが、民主主義に対する新たな認識は、3・11の大災難以降、自民党に政権が交代した日本でも起きています。民主主義という同じ目標を実現する過程は、韓国も中国も日本もそれぞれの脈絡に置かれていて、それぞれ異なるでしょう。韓国の場合、分断体制に対する確固たる認識がその過程で前提になるべきようにです。しかし、互いに目標は同じなので、ともに新たに議論する時だと思います。ここでは民主主義が単に一種の原理だけではないということを強調したいと思います。私は自分たちが直面する問題を解決しようとする時、長期的な課題と中・短期的な課題を同時に思考しながら、それを一貫した実践につなげる作業が必要だと思います。民主主義の問題も同様にこのような態度で接近するべきです。そのカギは民主主義を原理、または長期目標と見なすものの、私たちの現実の中で追求し、中・短期的な戦略を備えるところにあります。特に中期課題は、長期と短期の課題をつなげる媒介ですが、この中期課題を等閑視する時、抽象化し観念化する誤謬に陥ることを看過してはならないでしょう。
孫歌 中期的な課題には何があるでしょうか?
白永瑞 各国の国民国家形成の歴史脈絡によって違いがありますが、基本的に国家機構を改造する課題、つまり既存国家に対する解体戦略であるとともに、より一層開放的で人間的な国家を作る創意的な作業であるといえます。朝鮮半島では分断体制の克服運動を通じて南北朝鮮の国家連合としてその姿が現出する複合国家が中期的な課題だと思います。
孫歌 最近の韓国の若者たちは民主政治を福祉社会と理解するようです。大きな政治、つまり国家政権と直接的に関連を結ぶ問題に関心を持つというより、日常の政治、たとえば、外国人差別、環境保護などの問題により一層関心を傾けます。大きな政治と生活政治のつなぎ目が切れて、彼らはどの党でも全く同じだと思って投票しないのです。日本の若者の間にもこのような現象が存在し、実際により一層深刻です。このような状況で韓国はどのように短期的な目標を立てるのでしょうか?
白永瑞 若い世代の政治意識と政治参加の特徴は、韓国や日本だけでなく中国でも似ているのではないでしょうか? 韓国の青年世代は孫歌さんのおっしゃる通り、生活政治にさらに深い関心を持っており、私が強調した中期的な課題に無関心なのかもしれません。だから20代の「保守化」がときどき議論になったりもします。事実、私のような世代は韓国社会が高度成長する過程にあって、階層移動の流動性も高く、就職の心配を別にしなかった時期に青年期を送りました。これに比べて現在の青年たちは、成長が鈍化して階層構造が非常に固定化した時期を生きているので、自らの生活に不安を感じるのは充分に理解できます。問題はこのような不安や不満を社会構造的な次元で認識する必要があるということですが、そうなるように助けるのが私たちの役割ではないでしょうか? 韓国で昨年末に20代が高い大統領選挙への投票参加率を示し、その67%が野党候補を支持したことにも見られるように、日本とは状況が違います。だから私はまだ希望を持っています。また現在、北朝鮮の核実験で醸成された朝鮮半島の危機状況も、青年層が、自らの日常生活が朝鮮半島全体の運命とある程度関連していることを、皮膚で感じる契機になったでしょう。問題は彼らが生活世界で得る実感を、韓国の進歩改革陣営の政党がどのように短期的な政治課題とするかにかかっているでしょう。ですが、私は、青年をはじめとする一般市民と民衆の生活政治に対する関心を反映した短期課題を長期課題とつなげること、つまり2つの課題を媒介する中期的な課題に一層深い関心を傾けます。これがうまくいくためには、日常生活に対する緊張感を互角に持ち、政党体制と市民運動の改革に役立つ新たな言語や言説を作ることが核心ですが、自分がはたしてどれほど緊張感を持っているのか、わが身を振り返らざるを得ません。
事実、この現実との緊張感は、中国の批判的知識人にも要求されることではないでしょうか。さきほど議論した話題に戻れば、少し前に話したように孫歌さんが韓国に注目するのは中国をあらためて見つめるためです。ならばこの機会に今、中国思想の地形に対して簡単に議論して頂ければと思います。日本の週刊紙『読書人』に掲載された鼎談で、孫歌さんと賀照田(He Zhaotian)は今、中国思想界における論争の中心が「普遍的価値観と中国モデルの対立」にあると指摘したことがあります。2000年直後からしばらくの間、中国思想界の論争軸は左派と右派の対立でしたし、今でもその構図が存在しますが、それよりは「普遍的価値観と中国モデル」の対立軸の方が深刻だということです。これとは異なり、ある中国学者は現在「新三教合流」の傾向があると指摘したりもします。中国の思想界の地形を大きく三分する自由主義・社会主義・保守主義が「自由儒学」「左派儒学」「正統儒学」と呼ばれるほど、すべて儒教、つまり中華文明の独特さを宣揚しているということです。事実、今、文化の再構成、文化自覚がブームです。ここで問題は、そのような努力がどのように普遍性を獲得できるかということです。この地形の中で新左派に属する代表知識人といえる汪暉(Wang Hui)と銭立群(Qian liqun)の違いも大きくなっています。この対立は韓国の知識人社会でも反響を呼び起こし、韓国人の中国思想界に対する理解に一定の影響を及ぼしています。
今、中国の思想界は何を論争しているのか
孫歌 この問題には中国知識界の議論と改革開放の関係をどのように見るかという前提があります。中国知識人の危機感には根源があります。五・四運動(1919)時から亡国に対する強い危機意識があり、知識をもってこの国家と民族に発展の方向を提示しました。私の考えでは、今日、中国知識界の中心的な論争は、事実、このような伝統の中で育ってきたものです。ですが、五・四運動期以来、知識界の論争と社会現実の方向は、歴史発展の軌跡とかなり距離ができました。このような意味で90年代以降の中国の論争と、中国が歩んできた改革開放の間にはきわめて明確なすれ違いがあります。90年代中盤に、ある人たちは「中国の改革開放が発展できたのは、知識人の言葉がすべて無視されたからだ」と言いました。私は個人的にこれを社会の精神的不安としてみるべきだと考えます。今の各種言説から、中国モデルと普遍化傾向を含むこのような対立の裏面で、私たちが今日の中国の社会現実を把握することは容易なことではありません。ですが、私たちがそれをある種の不安として理解するならば、この不安には現実の問題が投射されているといえます。もちろん完全に同じとは限りませんが。中国の思想論争はその歴史的意味が非常に制限的なので、それを研究するよりは、むしろ今、私たちが各方面で収集できる社会動向に対する情報を観察する方がいいでしょう。政府系文書の変化、特に社会に出現した大きな出来事の具体的な形を調べるのもいいでしょう。たとえば、中国では単発的で偶発的な出来事が頻繁に起こりますが、中国民衆の基本素養が次第に向上し、このような否定的な衝突はますます減少して、民衆の要求がある程度は政府によって把握できる状況であり、これに対する相互作用も起きています。問題はこのような相互関係に対して合理的な解釈を出す知識人がさほど多くないということです。現在の知識人がやっている数多くの観念的な議論は、私の考えでは中国の社会現実からかなりかけ離れています。私たちが直面している基本的な社会現実は、西欧モデルだけに従っていては自らの制度と運行システムを作り出すことができないということです。
だからと言って、いわゆる新儒家の方式で治めることもできません。新儒家は事実、ユートピア的な理念を提示しただけで、いかなる効果的な社会統治も方案も提出したことはありません。それは普遍性のナラティブと同じように解釈が欠如しています。1つは西欧モデルを、もう1つは伝統モデルを使用しているにすぎません。真の中国の社会形態は、私がたった今、お話しした問題と関係があります。なぜ私たちが人権概念を使ってこの社会の動向を効果的に把握できないかというと、多くの中国人が「人権」を叫ぶにしても、彼らが要求するのは西欧で言われるような人権ではないからです。歴史的に蓄積されてきたこの社会の運営原理は、個体、つまり「公」に対して相対的な「私」の領域を基礎に樹立されたものではありません。事実、中国人は多数の私的な集合を「大私」と考え、この「大私」を「公」と見なします。だから中国において公私の観念の対立は成立しにくいのです。私たちが見るのは単に「小私」と「大私」の区別にすぎません。ですが「大私」の特徴はまさに均等を理論的前提としてすべての人々の権利を認めることです。この権利の関係をつなぐ連帯は、西欧のような市民社会的な連帯でない、自らの歴史的論理を有しています。中国知識人は自らの社会の特徴を議論する時、伝統的束縛の打破に汲々としたあげく、かなり焦って西欧の概念を使用してきました。今日このような西欧概念の使用で起こった多様な問題に直面していることを発見し、いわゆる中国モデルを作り出しましたが、この中国モデルもやはり効果的な構造的叙述は足りないという状態です。結局、私たちは1つの有機的なモデルでなく、いくつかの現象を見ているに過ぎません。たとえば、中国の社会主義の歴史が蓄積してきた公有制や人民の生活を保障するメカニズムなどは、実際的で経験的なレベルに限定していては有効に分析することが困難です。中国の原理ははたしてどのようなものか、私の考えでは、現在多くの中国知識人がこの原理的な叙述を模索し始めていますが、このような過程は非常にゆっくりと進み、また、その過程で以前にはなかった、あるいは無視された構造的解釈を蓄積しています。まだ成熟していないだけです。私は韓国の中国研究者が、そのように思想論戦の形として現出しない研究に、もう少し関心を持ってもらえたらと思います。
白永瑞 誰がそのような研究をしているのか、例をあげて下さいますか?
孫歌 たとえば中山大学の歴史人類学の作業のようなものがあります。主流の知識界の中で声を出していませんが、農村低所得層中の生活形態を研究していて、その中で毛沢東時代の人民公社制度をはじめとして、中国の伝統社会が現代的に発展した後の、基本的な構造方式を見出そうと努力しています。
白永瑞 海外の知識人は中国の知識人社会の周辺部よりも中心部の言説に関心を持つ傾向があります。たとえば、韓国の中国研究者は中国思想界の中心にある新左派の動向に注目して彼らを二分し、汪暉を支持する側と銭立群を支持する側が論争を行うこともあります。言わば、2人の間の分化を現実政治に対する認識、および中国の変革展望と関連した政治的分化であると解釈し、その対立を新左派の国家主義と反国家主義の対立、親政府と反政府の対立、さらには「堕落した批判的知識人」と「真の批判的知識人」との間の対立とまで見る傾向がすでに見られています。
孫歌 私もやはり思想史を研究する時、特に時間をかけて日本思想史内部の論戦を調べます。同時代人が見る時、最も目を引くのは明確に核心的な部分でしょう。ですが、ひとまず論戦となれば一部のことをもって全体を一般化したり一方に偏りやすいと思います。このとき論戦の目的は、問題を分析することではなく相手に反論することになるからです。だから私はこれを手がける時、論戦を媒介にして論戦が誘発する問題を研究する方法を使います。万一、論戦を核心―中間―周辺地帯に区分できるならば、最も価値ある部分は周辺地帯であることもあります。通常、この周辺地帯では火花の散る論争よりも比較的淡々とした分析が行われますが、まさにそれゆえに深さがあります。そしてもう1つは論戦を選択する問題です。思想史内部には無数の論戦があって、当時はイシューになるけれども、時間が経ってみると問題設定が間違っていて、歴史的にいかなる地位も持てなくなったりもします。
白永瑞 孫歌さんのこのような観点は「普遍性と中国モデルの問題」にも適用できるでしょうね。
孫歌 私が見るとき、現在の議論は何のビジョンもありません。中国モデルや普遍性の議論はいかなる理論的機能もないからです。その論争は普遍性に対して理論的解釈を出すことができず、中国モデル論においても核心的な部分が欠如しているように見えます。万一、中国モデルを議論するならば、中国社会の歴史的原理がどのようなものかについての議論から始めるべきです。ですが、中国モデルの議論には伝統社会に対する効果的な分析が欠如しています。伝統社会の歴史的論理は近代性と同じ概念を使っていては分析できないことですから。
白永瑞 では、甘陽(Gan Yang)の「三統問題」はどのようにお考えですか? 新左派に属しているといえる彼は、今、中国に3つの伝統が連続していると主張しています。最初は改革開放以来、形成された新伝統、つまり市場を中心に自由と権利を包括すること、2つ目は毛沢東時代に形成された伝統、つまり平等と正義を追求すること、3つ目が儒家文化を代表とする伝統文明、つまり日常生活において「人情」と「郷情」を重視する特徴をいいます。たとえるなら、毛沢東、鄧小平、孔子を合わせたものとでもいいましょうか。これに対する論議が中国内部にあるようです。
孫歌 甘陽の苦悩については私もとても共感しており、私が尊重する友人ですが、彼はとても性急に中国の歴史に答えを出しています。事実、その中にはとても多くの一方的な風潮が混在しています。問題はこのような抽象的議論が歪曲され利用されやすいという点です。主題が大きいと解釈の力に限界があるものです。もちろんそれが初歩的な問題意識ならば、その方向感覚は間違っていないと思います。研究が深化した後に、この方向感覚がさほど重要なものではなくなったかもしれませんが、読者がこれをどのように処理するか、今後を見なければなりません。
白永瑞 儒家復興には社会的な基礎がないでしょうか? 孫歌さんと私の友人でもある張志強(Zhang Zhiqiang)教授は、儒家が今日の中国人の大衆文化の心理上の要求を部分的に満たす面があると解釈します。社会主義の精神文明が説得力を失った日常生活において、道徳的覚醒を通じて「生活共同体」が建設されることを考えるさまざまな現象が、儒教復興として現出していると考えているようです。
孫歌 まず儒学の復興が具体的に何を言っているのか、孔子の儒学なのか、朱子の儒学なのか、あるいは陽明学なのか、でなければ礼教なのかはさておき、私は儒学をどのように復興させるのか、その社会的な基礎が何かよくわかりません。私たちが今、向き合っている中国社会は、すでに伝統社会ではありませんが、伝統社会の一部の基本的要素を有しています。たとえば、今日の中国社会は法律形式で効果的な統制ができないので、人々が法律の権威をそれほど尊重しません。事実、中国社会はこのような原理を有していないために、他の方法で調節しなければなりません。また、中国社会は政治に対してきわめて高い道徳的要求がありますが、これは西欧社会には存在しない、確かに伝統的な要素です。それと同時にこの社会はすでに伝統社会ではないので、儒家的伝統の政治理念を用いて社会基礎を再び樹立するのは想像もできません。現在の儒学の復興は大部分、形式の次元、たとえば、過去の生活方式や祭事などを復興させることに限られているようです。このような形式は現実生活と別に関連がありません。老人や弱者を尊重したり信義を守ったりするなど、儒家の倫理はむしろ政府の宣伝を通じて推進されているだけです。こういうものを儒学の復興というならば、少し誇張されている感があると思います。
東アジアの知的資源と「核心現場」
白永瑞 では中国内部から視線をずらして、その外側の中国研究者の研究態度について話し合ってみたいと思います。研究者の最も重要な態度は、竹内好がそうだったように、自己(社会)を省察する鏡にすることだろうと思います。
孫歌 竹内好は自らの著書『魯迅』(1944)で、私たちが歴史を見る時、ある種の基本的な法則、つまり歴史のある時期を経た後、それ以前の時期の先覚者は見向きもされなくなり、次の時期の思想家が出て歴史を再び書いてこそ、この先覚者が歴史に戻ることができるという、彼だけのとても特別な歴史的観念を強調しました。具体的にいって、章太炎(Zhang Taiyan=章炳麟Zhang Binglin)や梁啓超(Liang Qichao)のような五・四運動期以前の先駆者や、五・四運動期の陳独秀(Chen Duxiu)や李大釗(Li Dazhao)のような人物も、やはりみな一つの時代が過ぎてからは、それ以上訴える力を持つことができませんでした。彼らが先駆者として歴史に再進入できたのは魯迅(Lu Xun)が出現したためです。魯迅は無数の論争を引き起こし、彼自身もやはり数多くの論争に参加しましたが、彼は実際に論争の中にはいませんでした。論争というのは彼にとってすぐに脱いでしまえる服のようなものであり、当時の人々は彼が時代遅れであると考えました。
竹内が提起したこのような考え方は、私たちが外国文化と自らの文化の関係をどのように結ぶのかについて示唆するところが大きいと思います。彼は魯迅を媒介として、また中国を媒介として日本の問題を見出す形を示しました。正確にいって竹内は魯迅研究者ではなく、戦後日本の思想家でした。彼が日本に関心を傾けた形は、まさに人類に関心を傾けた形だったので、竹内が中国に見出したものは直接的に適用できる言説ではありませんでした。竹内は一度も「魯迅モデル」のような型にはまった話をしませんでした。彼にとって魯迅は先生がおっしゃった鏡と同じものです。その鏡で日本本土の問題を照らしてみたのです。私は竹内を研究する時に、彼の魯迅研究、特に1943年の作業とその後の日本文学や思想を議論した数多くの作業との間にどのような関係があるのか、ずっと考えていました。魯迅に対する竹内の議論は解読がかなり困難ですが、だから多くの人々は明確でない研究対象だと思ってあきらめて、他のテキストの方に行ったりしました。ですが、事実『魯迅』は彼の原点であるといえます。彼が魯迅を通じて、また中国を通じて見出したことは、解答ではなく問題を思考する方式です。これこそが「方法としての魯迅」であるといえます。「方法としての」という言葉は竹内が最初に使いました。彼は1961年に発表した「方法としてのアジア」で「私のいう方法とは主体性」であると明らかにしました。主体性とは実体的なものではなく一種の選択的機能であるゆえに、彼にとって中国はある種の使用可能なモデルを提供したり、現実的な知識として存在するものではない、彼が理解する基本的な原理です。この原理についての彼の議論は非常に簡単かつ正確です。たとえば、文革期の中国について、彼は吉本隆明との対話で、中国社会は奴隷制から封建制、そして社会主義まで、人類社会の各種形態が集約された総合的な社会であるという解釈を出しました。また、中国が文革期におこなったことは、国家機構を強化させる一方で国家機構を破壊したのであり、国家機構の破壊は中国民衆が昔から持ち続けた希望であると言いました。この簡単な論述は、後日、溝口雄三の具体的な資料と歴史的な論述を通じて証明されました。事実、中国の原理に対する彼らの議論は互いに一脈相通じます。このような思考は、彼らの日本に対する再解釈に一助します。私が見るところ、これこそが外国研究の成功事例だと思います。
白永瑞 外国研究者が中国を研究する時に持つべき態度として、竹内好の事例が非常に意味があるという孫歌さんの主張は説得力があります。それに呼応して私の考えを付け加えてみます。外国研究者が中国を自らの社会を省察する鏡にする時に犯しやすい誤謬は、魯迅のいう「拿来主義」(外来文物を取捨選択して「持ってくる」(拿来)態度)です。中国を自分の状況に適用する形で外国研究と自らの関係を設定するということです。そのようにして中国に関する解説者や紹介者として満足しがちです。少し前に私たちが話題にしたことですが、韓国研究者が中国新左派の分化について議論する時、このような誤りを犯しているようで私は心配しています。前世紀に韓国を含む海外の左派が文化大革命を理解する時に同様の誤りを犯しました。みな自らが「見たい中国」を語る傾向がありました。ならばどうすればそのような誤りを犯さないだろうか。ひたすら実証的で客観的な研究成果を蓄積していけばいいと主張する大学体制内の学者もいるでしょうが、これもやはり答ではないと思います。私は研究者各自がみずからの生活現場に根をおろし、そこで触発された社会テーマを学術テーマに変えようとする情熱、中国人と韓国人の生に対する深い興味が、研究を導く追求力になるべきだと思います。これと同時に、韓国の研究者ならば中国に関する研究に従事しながらも、その問題意識を韓国の思想資源に根をおろしながら韓国の思想の探索にも寄与することが非常に重要です。私はこのような研究態度を「批判的中国学」と整理しています。
このような私の観点からすれば、新左派の分化に対する韓国研究者の議論が単純な解説や紹介、または「拿来主義」に終わらないためには、韓国の思想資源と固くつながるべきです。例をあげてみましょう。『創作と批評』がこれまでに提起した主な言説の1つが「近代適応と近代克服の二重課題」です。孫歌さんはすでに私と白楽晴先生の著書に対する批評を中国や台湾、韓国の学術誌に発表したことがありこの主題に対してよくご存じですが(韓国語版「東アジアの未来に対する横断的思惟」、『東方学志』154集、2011)、近代の適応と克服という2つの性格の課題が、事実は単一の課題であることを明らかにした「二重課題論」は、ときおり近代と脱近代の単純な二分法を越えるものであるとか、両者の折衝であるように誤解される場合もあります。抽象度が非常に高いためにそのような誤解が出てくるようです。しかし、これは、両者を同時的な課題にしようという問題意識の程度にとどまるのではなく、世界史的な近代に対する冷静な認識と、分断体制の克服という実践的な指向が結びついた、もう少し複合的な思考であるといえます。この「二重課題論」という思想資源、もちろんこれは1つの例にすぎず、他のどのような韓国の思想資源でもかまいませんが、それと結合させて中国の思想動向と対決してみようという知的緊張が必要だと思います。
孫歌 おっしゃる通りです。自らの社会の中で問題を発見する能力があってこそ、はじめて外国研究の領域でも最も核心的な問題を捉えられます。事実、外国研究にあって他人の話だけを追っている学者は自国に対してやはり思考する能力がなく、その反対も同じことです。つまり、私たちが自らの社会内部に対して真の認識能力があってこそ、不均衡な歴史関係を効果的に処理できるでしょう。ここで再び論争の話に戻るならば、この歴史段階になぜこのような苦悩が出現したのか、この苦悩の中で価値ある部分は何なのかなどは、すべて研究するだけの充分な価値があります。ただし、同時に私は、論争以外の議論、特に思想界でない学術界の議論にも関心を持つべきだと考えます。なぜなら私たち自らも蓄積されつづけている思想資源を少しずつ探しているからです。さきほど申し上げた中山大学の歴史人類学の議論がいい事例で、中国社会科学研究所でも賀照田が主導する若い学者が1949年以降の中国革命史を議論しています。今後このような研究がどの程度まで発展するか予測しにくいですが、多様な試みを行っているという点が重要です。論争はそれ自体として非常に偏向的になりやすいので、必ずその特性を考慮しなければなりません。万一、韓国内部の問題を中国の思想原理と結合させて、中国を媒介に韓国の問題を議論するならば、おそらく先生が提起した不均衡や非対称のような問題が、最もいい介入点になりそうです。
白永瑞 孫歌さんがちょうど、非対称が最もよい介入点だとおっしゃったので、「核心現場」のことについて話してもいいかもしれません。核心現場は「二重課題論」が具体的かつ流動的な現実に適用されうるとても適切な事例です。それは孫歌さんが延世大での講演で強調した歴史の「関節点」とも通じます。時空間の矛盾が凝縮されたところが、私のいう核心現場です。たとえば、韓国の分断体制、沖縄、台湾などが、近頃、私が注目する核心現場です。中華帝国、日本帝国、アメリカ帝国の連続した時間の矛盾が凝縮されており、現在の東アジアを空間的に分離させる、大きな分断と葛藤が凝縮された場所であるといえます。その矛盾と葛藤が互いに連動し悪循環しているので、それを解決すれば、東アジアでの好循環が急速に進む波及力を持つでしょう。そしてその過程で、私たちの各自の生に対する態度も変化することは明らかです。それがまさに「核心現場」から行われることを期待しています。
孫歌 先生がおっしゃった「核心現場」という概念は非常に価値ある理論的仮説です。核心現場の設定は、ある種の特定の歴史段階が絡む歴史的緊張を表現する空間を提供します。今日の思想史の議論は過度に観念化・抽象化されているので、実質的に歴史的脈絡の中で個別性を持っている問題を除去し、それをすべてアメリカ式のグランドナラティブの中に入れてしまいます。私たちは核心現場のような空間を使って、このように簡単に見過ごした歴史的な個別性を表現するべきです。そしてそれは特定の懸案の中に組み入れた形而下学的な叙述でなく、一種の「形而下学的な原理」でなければなりません。このような原理はその形而下学的な特性のために、他の歴史にそのまま適用することはできません。それは媒介にすぎず、この媒介を利用して私たちの想像力を刺激できます。たとえば、白楽晴(ペク・ナクチョン)先生の分断体制論がこのような「形而下学的な原理」であるといえます。具体的な歴史状況で言うならば、中国大陸と台湾の関係は分断体制という概念で叙述することが困難です。分断体制を直接的に適用すれば、両岸関係を効果的に解釈できません。ですが、分断体制という媒介があるゆえに、私たちは大陸と台湾の関係、大陸内部の関係を思考し、また他の思考の方向を探すことができます。たとえば、私たちは欧米のやり方で国民国家の形態を構想する必要はなく、それぞれ異なる地域民衆の要求によって、一層符合した政治形態を描き出すことができます。このような現実的課題の前で、私たちはながらく非国家・前国家の段階を経て1つの主権国家になった中国が、今後いかなる基本課題に直面することになるか、もう一度議論してみることができるでしょう。
白永瑞 東アジアの歴史経験を詳細に見ると、中国だけでなく他の国家も簡単に「1つの主権国家」に切り替わる過程を体験したわけではないという事実が出てきます。たとえば、核心現場の1つである朝鮮半島における主権はつねに問題になりました。ある国際政治学者の議論によれば、植民地時期には主権が喪失され、冷戦期に大韓民国はアメリカ中心の非公式的な帝国の中での「穴の空いた主権」(perforated sovereignty)を持ち――その直接的な原因として分断国家である点を指摘するべきですが――脱冷戦期に入った今、多元化した国際社会で主権の再構成が議論されているといいます。私は国際政治学界の新理論についてあまり知りませんが、複合国家論こそまさにこの主権の再構成という主題と関連があると思います。この議論を通じて、抽象度の高い「二重課題論」が、流動する東アジアの現実の説明に有用な媒介の輪として活用されるだろうと私は期待しています。一歩進んで、複合国家の視角で他の核心現場と比較することは、私たちが主権の問題を歴史的な脈絡でもう少し深く理解できる契機になると信じます。もう少し具体的に言えば、沖縄が1945年以降、日本の主権に属さずに米軍の占領地であったことや、1972年に日本に「復帰」していく過程とそれをめぐる論議、アヘン戦争以降、イギリスの植民地であった香港が、1997年に中国に「回帰」する過程とそれをめぐる議論、また「両岸問題」といわれる台湾と中華人民共和国の関係などが、まさに私のいう比較の対象です。このような議論は単に学術的・理論的な議論に終わるのでなく、東アジアの懸案である歴史と領土紛争を新しく見るために有用な示唆を与えるでしょう。白楽晴先生は沖縄のある日刊紙とのインタビューで、領土紛争の解決のために固有領土論を単に否定するのは非現実的であるから、その例外的領域を設定して固有領土論を弱める漸進的修正の道を力説しました(『沖縄タイムス』2012年10月24日付)。主権の再構成とつながる実質的に意味ある主張です。
では、そろそろ歴史・領土紛争の議論をしてみましょうか。私たち2人が対談でこの主題について触れなければ、読者たちはさぞ失望するでしょう(笑)。今、いくつかの島をめぐる葛藤が、単に領土問題でなく、それぞれの歴史問題の凝結された結果であることは、互いに認識しています。各国で国家主義をあおる現象を憂慮する中国・台湾・日本・韓国の批判的知識人が要請文を発表したこともあります。このような問題に対する孫歌さんと私の態度について話してみます。それに続いて、孫歌さんと私は非常に長い間、東アジアの内部で国家主義を相対化する東アジア的な視角を強調し、それぞれ独自に連帯運動に参加してきました。各自どのような理由でこのような観点を持つようになったかを振り返り、それが各自の人生の旅程においてどのような意味を持つのか話してみたいと思います。そして、東アジア言説が歴史・領土紛争の解消にどのように寄与するかについてもうかがってみましょう。
東アジア、全地球的視野の他のバージョン
孫歌 中国ではこのような議論が政治に影響を与えることはありません。今、中国知識人は現実的な影響力をほとんど持っていません。もちろん知識人の議論が実質的な問題から深刻にかけ離れているからです。私の考えでは、主権という1つの現実的な問題として、東アジアではそれが短期間に解決されることはないという共通の特性を有しています。この点で私は分断体制論から非常に大きなインスピレーションを得ます。分断体制論は分断が非常に安定した1つの構造であると説明しているからです。現在の東北アジアと東南アジアは、相互の間に、特に中国との関係において、島をめぐって多くの領土紛争が起きています。これはすべて主権と関係した問題です。もちろん韓国と日本の独島/竹島紛争も同じことです。つまりこの島の主権はどちらにあるかということです。ですが、すべての島の歴史はさほど単純ではありません。だから今は最も無力ですが、また、やむを得ない選択として、紛争を維持したまま放置するのです。このような意味で紛争を片隅におくことは紛争を解決するひとつの形です。もちろんこのような考えは、常識的に人々の同意を得ることは大変でしょう。紛争が発生すれば解決しなければなりませんから。ですが、それを解決する直接的な方式は戦争しかありません。なぜなら両者間、あるいは多者間のいかなる主権問題でも、外交的な努力を通じて真に解決されることはないからです。ならば、紛争を放っておくのが最もいい選択になります。
私の考えでは、朝鮮半島の南北対立の歴史で得られる最も重要な教訓は、まさにどれほど効果的な形で紛争を放置するかにあります。同時に紛争を解決する方向へと状況をゆっくりと発展させながら、戦争を避ける平和的な手段を用いるということです。現在としてこれは遥かに遠い目標です。私が見るところ、少なくとも長期的目標は紛争の解決でもあり得ますが、中期的には紛争を放置して、戦争防止を短期的な目標にして、どのような方式でも必要な妥協手段を用いて平和を維持するべきでしょう。このような前提のもとで、私たちが議論する連帯は非常に複雑な課題になるでしょう。今日、批判的知識人が連帯のために傾ける努力はもちろん非常に大切ですが、問題はあります。この連帯に対するイメージがとても単純で、また、このような民間の連帯というイメージが国家の現実的機能を排斥しているので、現実から逸脱する危険があるということです。したがって私たちはそれぞれの社会の民衆の国家アイデンティティを充分に考慮し、このような基礎の上で連帯を議論するべきです。民衆の国家アイデンティティは領土紛争が発生する時のように突然現出することもあります。すべての社会の歴史的脈絡が異なるので、特に日本政府がまだ戦争責任問題を真に解決できず、保守派と右翼人士が依然として侵略の歴史を美化しているので、領土紛争は主権の問題だけでなく、民衆の戦争に対する記憶の問題までをも含みます。したがって民衆の国家アイデンティティを民族主義の表現であると単純化することは困難です。
白永瑞 各社会の国家主義や愛国主義のような集団情緒が、国家の対外政策に及ぼす波及力に比べて、連帯運動の影響力はさほど大きくありません。だから私は歴史の葛藤や領土紛争問題の解決のための連帯運動が、倫理的次元の呼びかけに終わってはならず、互いの葛藤が招く社会的費用を減らすという点で、各社会の実利次元でも役に立つという事実を強調するべきだと言っています。そしてその過程で日常生活の変化を待つということです。では、そろそろ話題を変えて、孫歌さんと私の個人の問題に戻ってみましょう。東アジア言説を語り、民間での連帯活動を進めてきた私たちの役割が、各自の生にどのような変化をもたらしたでしょうか。
孫歌 言葉で表現するのは非常に難しいですが、要するに人が自ら生きる生活の場と自ら自身を簡単に同一視しなくてもいいということがわかりました。これは私がこの場から離脱したことを意味するのではなく、私の生活の場について、つまり中国社会について一定の観察と反省の能力を持つようになったことを意味します。このことで私は中国社会に対して自覚的な責任感を持つようになりました。私がこの社会で何をするべきか、私に何ができるのか。これは私が思想史研究を始めて以来、自覚的に思考した問題であり、このような自覚はアイデンティティの自覚でもあります。それはすなわち自らを相対化することをいいます。特に多様な形態の優越感や差別に意識的に対抗するのです。そうすることで自然と国際的視野と平等な心構えを持つ人間になるでしょう。一歩進んで、東アジア論を唱える目的は連帯を作るためではなく、本当に平等な、差別に反対する文化間の運動を進めることにあります。そこには多様なだけでなく不均衡なものもあり、さらに互いに共有できないアイデンティティが宿ることもあります。ですが、平等に対する追求自体が最も基本的な目標になるでしょう。
白永瑞 思想史研究が孫歌さんの生に及ぼした影響と比較できることをいうならば、私には東アジア言説がそれに該当します。東アジア的な視角で事物を見るために目を開くことになった直接の契機は、中国史研究者として1990年夏から1年間、ハーバード大の燕京研究所に客員研究員として滞在した時の経験です。あちらのアメリカ人は私に中国史よりは韓国の歴史と現実に対して聞いてくる場合の方が多かったです。事実、あちらに滞在する中国人の学者が多かったので、理解できないわけでもありません。なので、研究対象である中国(史)、その研究に影響を及ぼす西洋由来の概念と理論、また韓国人の経験という三角の頂点からなる三角形の相互作用を緊張感もって意識してこそ、独創的な視角が可能だろうと判断しました。ここで東アジア的な観点が出てくることになったのです。これは比較的学術的次元での自覚になるでしょう。ですが、帰国後、脱冷戦期を迎えた韓国社会に、中国の朝鮮族や東南アジアの労働者が入ってきて、韓国資本が東アジアに進出する新たな現実に直面しながら、「私たちの中の東アジア」や「東アジアの中の私たち」を思考せざるを得ませんでした。言わば実践的次元の自覚とでもいいましょうか。だから「知的実験としての東アジア」という発想を提起することになりました。その後の韓国でも支持と批判が交差する反響を得て、海外で孫歌さんのような批判的知識人らと結ぶネットワークも広がりました。そのおかげで国境の内と外、制度の内と外を行き来する思惟の展開と実践活動ができました。孫歌さん表現を借りるならば、国家を「相対化」できたといえるでしょうか。ですが、東アジア論を提起しておよそ20年が過ぎた今、その言説は流行していますが、はたして当初の批判力を維持しているのか、東アジアの現実を新たに見るのにどれほど有用なのか自問しています。
孫歌 私にとって東アジアは対象でなく、1つの視角です。東アジア的視角から歴史の各段階に進み入る時、関心の重点に変化が見られます。たとえば、私は朝鮮半島全体を東アジアの歴史の中の重要な関節点であると考えます。そこには多様な要素が集結されています。東アジア的視角を持つことで私は国家の境界を前提にすることはなりました。国家の境界は依然として存在しますが、そして違いもやはり存在しますが、それは1つに絡まった歴史関係へと変わり、同時にその変化によって私のすべての感覚は、より多くの平等の本能を得ました。平等は必ず本能になってこそ真なるものになります。私は東アジア的視角が人々に盲目的な優越感を克服させ、平等な人類意識を持たせると考えます。なぜなら、これを通じて私たちの常識の中にあった中心と周辺の前提を打開し、歴史的原因のために周辺と見なされた空間を中心の位置に移せるからです。いわゆる国際化と普遍性の視角でこのようなことはできませんが、東アジアのような視角で私たちは平等な価値観を建設できますし、特に中国人にとってこれは大変重要です。一部の中国知識人は東アジアは単に地域概念に過ぎず、全地球的視野を持つべきだといいます。ラテンアメリカやアフリカに関心を持たねばならず、アジアなら南アジアや西アジアまで考慮すべきだというのです。ここで後者はもちろんその通りですが、前者には同意できません。東アジアは地域概念ではなく、全地球的視野の異なるバージョンです。西欧の全地球的視野を当然、東アジア的視野に強要できないのと同様に、これもやはり現在の西欧中心の全地球的視野に代えることはできません。東アジアは全地球的視野の異なるバージョンとして、多様な意味での精神的植民、また西欧世界の批判的理論をすべて普遍的理論として受け止めるような思考の慣性化に正面から挑戦します。このことで多元化された人類の歴史叙述の生産に多くの資源を提供するでしょう。
白永瑞 もちろん私も東アジア的な観点に重要な意味があると思います。そして東アジアが私たちにとって地域学の対象でなく認識の問題であるということにも、ある程度、共同認識に到達した状態だと思います。ですが、私自身の東アジア言説を振り返れば、最初に頭の中にあった三角形に、日本(および沖縄)、台湾、東南アジアが追加されて、次第に多角形に変わっているとでもいいましょうか。そのために中国に対する関心が弱くなったといえます。また、東アジアの二重的な中心―周辺関係に注目しながら、その核心現場の1つである朝鮮半島の分断体制に根をおろすことに重点を置きました。ですが、これからは私の東アジア言説の方向を、中国をどのように見るかという方にもう少し集中しようと思います。東アジア言説が1990年代に初めて韓国で提起される時、中国との接続が重要な契機になりました。1992年に韓中の国交正常化が実現しました。ですが、いまや大国化を通じて世界史的な問題になった中国、孫歌さんの表現通り、「1つの総合社会」である中国をさらに深く掘り下げながら、東アジア論の再構成を試みるべきだと考えています。それは全地球的視野を持つということでもあり、もう少し人間らしい生を追求する人文学の課題、つまり普遍的で長期的な展望とも通じる問題だと思います。それが少し前に私が言った「批判的中国学」が進むべき道です。その動力はやはり東アジアの連動する核心現場に対する実践的認識から出てくるだろうと期待します。このような作業を遂行していく時、孫歌さんのような中国の学者らとの対話は非常に大切です。特に孫歌さんは韓中間の対話で自らを相対化して開放すること、「内在する中国、内在する韓国」を強調しているので、私の意図とよく符合します。
最後に、韓中関係の未来、主に韓中知識人の間の対話の未来について展望してみたいと思います。私たち2人は今回会って「韓中語圏・知の対話」を定例的に進めることに合意しました。私たちはこれが韓国(つまり大韓民国)と中国(つまり中華人民共和国)という2つの国家の知識人の間の対話でなく、中国語圏と韓国語権の対話にしたいと考えており、だから2つの国家の外側、またはその間に立っている知識人、たとえば国境を行き来する存在である在日朝鮮人、華僑などの参加も積極的に考慮しています。私はこのプロジェクトを進める時、あらためて互いの関心の非対称問題に直面することに憂慮しながら、それをどのように克服するべきか苦悩しているところです。事実、今、孫歌さんと私の対話にも非対称関係が発生しています。中国語を母語とする孫歌さんと、それを外国語として使用する私との間の非対称のことです。もちろん私たち2人の間には、拙い私の中国語を越えて、互いの考えと感情を理解する関係がすでに形成されており、疎通には格別、問題ないですが。このように見ると、今後、私たちが進める2つの言語圏の知識人の対話は、かならずしも、互いに並んで肩を組み、一方向に前進するものにならないこともあります。何年か前に日本の市民運動家が見せてくれた絵のことが思い浮かびます。その絵のように、互いに反対方向に腕を組んで動く活動になる可能性が大きいと思います。互いに方向を不断に調整しながら進める、そのような形になるでしょう。
孫歌 先生がすでに非常に流暢に私の目標をおっしゃって下さいました。今後の活動はこのように互いに押したり引いたりすることによって問題を可視化し、また対話でぶつかりながら問題を作り出し、これを整理していく形になるでしょう。問題を正確に把握する前に問題解決を語ることはできません。そのために国家の境界という枠組みに閉じ込められていては見つけられない問題を、非対称の関係を通じて効果的に観察しつくすことができるのです。付け加えて『創作と批評』のみなさんに1つお願いします。今回の機会を契機に、韓国社会の各領域の互いに異なる視角をすべて持ち寄って、多様な衝突の中でより多くの問題が現出するようにして頂ければと思います。
白永瑞 私たちのような知識人が東アジア民衆の情緒や欲望にどのように対応していくべきかという問題をはじめとして、さらに深く議論する重要な課題が多いですが、今日の対話はこのあたりで終えたいと思います。今後も孫歌さんが「方法としての韓国」という視角で、韓国をはじめとする東アジアをさらに深く分析されることを期待します。私がやっている「批判的中国学」と孫歌さんの「思想課題としての韓国」の成果が、互いを新たに発見し変化させることに少しは寄与するでしょう。孫歌さんがやっている作業を『創作と批評』の読者らとともに見守りたいと思います。(於・細橋研究所/2013年4月14日)
訳=渡辺直紀
2013年 6月1日 発行
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