창작과 비평

エネルギー転換は生態的変革の第一歩

2013年 秋号(通卷161号)

 

李必烈(イ・ピルリョル)韓国放送通信大教授(科学史・化学)。著書に『エネルギー代案をもとめて』『石油時代、いつまで続くのか』『エネルギー転換の現場をもとめて』『教養環境論』(共著)など。lprlso@gmail.com

 

 

1. はじめに

 

エネルギーは「生態」の核心である。生態系のあらゆる動きはエネルギーの流れで決定する。この流れが中断すれば、生態系は凍りつき停止状態に入る。人間の文明も同じである。エネルギー需給が円滑に決定されなければ、文明の各種の動きが衰退し、結局は崩壊する。灌漑農業の崩壊後に起きたメソポタミア文明の衰退、森林の消滅後に滅亡したイースター島の文明は、ともにエネルギーの流れの弱化によるものだった。これらと異なり、現代文明は科学技術の力で化石燃料や原子力を利用し、文明の中のエネルギーの流れを著しく強化した。その結果、前例のない物質的繁栄を享受することになったが、気候変化、放射能災害、エネルギー権力の集中という問題に直面することになった。

エネルギー権力の集中は地域と個人を隠然と従属させ、民主主義を抑圧する結果をもたらした。私たちは誰もが原子力の電力に従属しており、多国籍エネルギー企業に従属している。しかし20世紀の後半に、このような原子力や化石燃料の集中的な利用による災害、従属、民主主義の毀損に対抗する動きが起こり始めた。その主役は、再生可能エネルギーで原子力や化石燃料を追放し、エネルギー権力を弱めることもでき、そうすることで民主主義と地域を生かし、気候変化や放射能災害を防ぐことができるという信頼を拡大した。この動きは「エネルギー転換」運動の開始であり「エネルギー転換」は、1980年にドイツで初めて導入されて拡がったEnergiewendeの訳語である。英語圏ではenergy transformationまたはenergy transitionとも訳すが、フクシマ事故後、ドイツの原子力廃棄が世界的な注目を集めることとなり、英語圏にも浸透して入った。もちろん「エネルギー転換」がドイツ社会で普遍的に使われる概念になることによって、ドイツ社会のエネルギー転換に対する解釈も政治的立場によって変わることになった。保守的・自由主義的な立場は、エネルギー源の単純な置き換えと浅く理解しようとし、社会的決定過程に市民の躍動的参加を重視する立場では、社会全体の変革とつなげて深く解釈しようとしている。、数十年が過ぎた今、さまざまな小単位の地域の経済的・政治的変化において、国家的次元の原子力廃棄まで引き出す結果を収めた。したがってエネルギー転換は、原子力や化石燃料に依存するエネルギー供給を、単に太陽エネルギーや風力に置き換えるものでなく、社会全体の変化を引き出す変革的企画であり、生態的変革の前提条件である。

 

2. 原子力陣営と「脱核」陣営

 

韓国社会において「エネルギー転換」は用語としては広く知られるようになったが、いまだ変革的運動として位置づけられていない。原子力の拡大か廃棄かが社会的関心事ではあるが、エネルギー転換という変革へと関心が広がることはなかった。原子力の拡大か廃棄かをめぐる戦いは、原子力陣営と「脱核」陣営の間でかなり激しく展開している。2つの陣営はともに韓国のエネルギーの未来を憂慮しているように見える。原子力陣営は原子力にエネルギー需給の解答があると信じる反面、「脱核」陣営は原子力廃棄に道があると信じている。

原子力陣営では、韓国のように必要エネルギーをすべて輸入する国家は、原子力のほかに代案がないと考える。彼らは長期的に多くのエネルギーを原子力で供給することが可能であり、またそれが望ましいと考える。原子力陣営は李明博政権や現政権において勢力を大きく拡大し、韓国のエネルギー政策樹立のヘゲモニーを握っている。これらの陣営の一次目標は、2030年までに全体電力の59%、1次エネルギーの30%を原子力で供給することである。二次目標は2050年頃に全体電力の約80%、1次エネルギーの約50%を原子力で供給することであり、最終目標はほとんどすべてのエネルギーを原子力で供給することである。

このために原子力陣営は、新型次世代加圧軽水炉、中小型スマート原子炉、超高温水素生産原子炉、高速増殖炉(ナトリウム冷却炉)、パイロプロセッシング(pyroprocessing)再処理技術など、原子力を残らず利用可能にする技術の開発を進めている2011年原子力振興総合計画。新型次世代加圧軽水炉は、現在、韓国で稼働する原子炉と同じ型だが、発電容量は約40%以上大きい。中小型スマート原子炉は一般原子炉の10分の1の規模で、大都市郊外周辺に建設して熱と電力を同時に供給できる施設である。超高温水素生産原子炉は原子炉で生成される高温の熱で水を分解し水素を生産する。原子力陣営で「ナトリウム冷却炉」といっている高速増殖炉(fast breeder reactor)はプルトニウムを燃料に使用するが、稼動中にプルトニウムが生成されるので燃料を追加で供給する必要がない。パイロプロセッシングは、使用後の核燃料で電気分解を通じてプルトニウムのような超ウラニウム元素を抽出する再処理技術である。。新型次世代原子炉では電力を供給し、中小型原子炉と水素生産原子炉では熱と水素を生産して石油とガスを代え、高速(燃料)増殖炉を通じて燃料確保の心配なく原子力を利用し、放射性廃棄物の処理は「きれいな」パイロプロセッシング方式を利用して解決するということが彼らの希望であり夢である。原子力陣営では、パイロプロセッシング方式が湿式分解でなく電気分解を利用するので、高水準核廃棄物をはるかに少なく排出し、抽出されたプルトニウムの純度が低く、核兵器級ではないという理由で「きれいだ」と主張する。

「脱核」陣営は正反対の主張をする。遠くはチェルノブイリや最近のフクシマ事故にみられたように、原子力が非常に危険なために原子力発電を中止するべきだというのが彼らの主張の核心である。原子力陣営は代案がないと断言するが、彼らはエネルギーの効率的な利用と「新再生エネルギー」の拡大が代案だと主張する。「新再生エネルギー」は原子力陣営の用語で、正確な表現は「再生可能エネルギー」である。筆者は「新再生エネルギー」という用語の使用を拒否するので、本稿でも以降、避けられない場合でなければ、両陣営で使用している「新再生エネルギー」という用語ではなく、「再生可能エネルギー」という用語を使用したい。「新再生エネルギー」の用語使用の問題については、本稿3節を参照のこと。

原子力陣営は再生可能エネルギーが決して解答になりえないと考えるが、その拡大までは反対しない。彼らは再生可能エネルギーの拡大のためのロードマップや目標をすでに2000年代初めから提出しており、その結果、「新再生エネルギー」で生産された電力の絶対量はかなり増加した。彼らは、途方もない金額の研究開発費を、水素、燃料電池、太陽光、風力分野に投じ、2002年にはドイツと同様に発電差額支援制度(feed in tarif、固定価格購買制度)を導入し韓国政府では、政府から支援しているという印象を植え付けるために、「支援制度」という名称を付けたが、再生可能エネルギーとして生産した電力をあらかじめ定めた価格で買い取るという「固定価格購買制度」が正確な表現である。本稿では以降、「固定価格購買制度」という用語を使う。、財政を通じて民間の再生可能発電設備に対する投資を誘導した。そして2012年からは市場経済にさらに適合する義務割当制(RPS, renewables portfolio system)を実施し電力生産者や消費者に対して、全体の電力生産量や消費量の一部を、再生可能エネルギーを利用し生産するよう強制する制度であり、義務量を達成できなければ過怠料を支払うことになる。、目標達成のための政策を一段階「アップグレード」した。この制度が成功すれば、2022年には全体電力の約10%を「新再生エネルギー」が担当することになる。

再生可能エネルギーは、20世紀後半に原子力や化石燃料の対抗エネルギーとして再発見された。それ以前まで再生可能エネルギーは、木も水を利用したエネルギーであり、前近代的なエネルギー、または化石燃料や原子力の補助エネルギー源程度と見なされた。しかし、スリーマイルやチェルノブイリでの事故後、再生可能エネルギーは原子力から解放され、原子力や化石燃料の生産と販売を掌握した巨大電力企業や国家から、エネルギー権力を取り戻そうとする市民によって、彼らを敗退させる手段として再発見され定義された。したがってこのような手段としての再生可能エネルギーの生産と拡大は、単なるエネルギー源の交替ではなく、新自由主義資本主義によって支配される生産構造、権力構造、消費中心文化の変革とつながっており、したがって再発見・再定義された再生可能エネルギーは、本質的に原子力や化石燃料との両立は困難である再生可能エネルギーの再発見に大きく寄与したのは、エイモリー・ロビンス(Amory Lovins)とヘルマン・シェア(Hermann Scheer)である。ロビンスは1970年代に無慈悲なエネルギーの道(hard energy path)に対抗し、太陽エネルギーにもとづくソフトなエネルギーの道(soft energy path)を提案し、シェアは1980年代末から再生可能エネルギーから原子力や化石燃料を完全に駆逐でき、そうすることで民主的で生態的で持続可能な社会を作ることができるという信頼を拡大することに寄与した。ロビンスは時間が経つほど資本主義体制と妥協する傾向を示したが、シェアは2010年に急逝するまで、エネルギー転換に対する自らの立場を守りながら、その思想を深化していった。。再発見された再生可能エネルギーは、地域と個人が直接エネルギーを生産し使用することに道を開くことによって、彼らのエネルギー主権行使を可能にする。その結果、窮極的に巨大資本と国家によって支配される原子力や化石燃料中心の中央集中的エネルギーシステムが崩壊し、このシステムの中で繁栄してきた巨大資本や巨大官僚組織、またこれらによって操られる消費中心文化が変化するが、これがまさにエネルギー転換である。

したがって、再生可能エネルギーの拡大を、単に原子力や化石燃料の補助原料の種類を増やす程度と考える原子力陣営の考えは、エネルギー転換とは少しも関係がない。彼らにとって再生可能エネルギーは、エネルギー源の多様化に部分的に寄与することによって、原子力中心のエネルギー需給、エネルギー権力を少し安定させることができる補助物、輸出中心の韓国経済に寄与する産業のひとつにすぎないのである。このことは、李明博政権のグリーン成長計画のグリーン技術のなかで原子力技術が核心的位置を占めており、2011年に作成された「グリーンエネルギー戦略ロードマップ」でも政府投資額を最も多く占めていることからもわかる。このロードマップに提示された2030年までの投資額は、原子力が4.2兆ウォンと最も多く、太陽光は1.4兆ウォンとその次に多い。

 

3. 「新再生エネルギー」というフレームの虚構性

 

原子力の中断と再生可能エネルギーの拡大を要求する、「脱核」陣営のエネルギー転換に対する解釈も、原子力陣営と根本的に異なっているとは思えない。彼らの最大目標は、原子力利用の危険を強調することによって原子力放棄を引き出すことであり、エネルギー転換という変革的長期企画を成功させることではない。「脱核」陣営のこのような長期的展望の不在は、環境運動の性格自体に起因する。事実、全世界的に、環境運動は、当面の反環境的な計画や行為に対する反対と抵抗というネガティブな運動であって、長い時間範囲の中で問題を追跡し展望して、「ユートピア」を想像することには関心がなかった。「破壊と汚染の防止を正当化するには、歴史が必要ではない」のであるHarald Welzer, Selbst denken: Eine Anleitung zum Widerstand, Frankfurt / Main: S. Fischer 2013, p.105. 本書でWelzerは、環境運動の未来に対する企画と想像の不足、反ユートピア的性格について論じている。環境運動の没歴史性とその危険については、Joachim RadkauもDie Ara der Okologie: Eine Weltgeschichte, Munchen: C. H. Beck 2012, pp.14~16で論じている。。したがって「脱核」陣営における再生可能エネルギーを拡大しエネルギー効率を上げろという要求も、原子力に代わる手段があることを強調するためであって、エネルギー転換という変革への展望から出ているわけではない。

これは、原子力陣営と同様に「脱核」陣営でも、原子力と両立不可能な再生可能エネルギーでなく、原子力と両立可能な「新再生エネルギー」という用語を使って、「新再生エネルギー」拡大のための発電差額支援制度の復活を要求する点にもみられる。「新再生エネルギー」は「新エネルギー」と「再生エネルギー」を合わせたもので、原子力陣営が好んで使用する用語である。太陽エネルギーや風力のような純粋再生可能エネルギーだけでなく、新しいと考えられるエネルギーをすべて含めらることができるからである。実際に、エネルギー政策のヘゲモニーを握った原子力陣営では、水素と燃料電池で生産するエネルギー、すべての種類の廃棄物から得られるエネルギー、石炭を液化しガス化して得られるエネルギーを、すべて「新エネルギー」と定義して「新再生エネルギー」といっている。

2000年代初めに反原発・エネルギー転換運動をした人々は、このことを、エネルギー転換を歪曲し妨害しようとする「曖昧化」の試みと把握し、再生可能エネルギーという明確な用語を使うことを要求した。当時はこの批判がある程度、呼応を得たが、その後の原子力陣営の大々的な物量攻勢によって、マスコミの用語が「新再生エネルギー」に統一され、いまや「脱核」陣営でもこの用語を遠慮なく使うようになった。事実、原子力陣営で「新再生エネルギー」という用語に固執する隠れた理由の1つは、新たな原子力技術をこっそり組み入れることができるからである。これは水素生産原子炉を見ればはっきりとわかる。水素が「新再生エネルギー」ならば、水素を生産する原子力も「新再生エネルギー」に含まれざるを得ないのである。「グリーンエネルギー戦略ロードマップ」に各種の新原子力技術が入る理由もそこに見出すことができる原子力陣営はたびたび公開的に、原子力が「新再生エネルギー」であると主張する。キム・ナムクォン「チェ・チュンギョン「原子力も「新再生エネルギー」、継続推進」」、聯合ニュース2011年4月13日付。チェ・チュンギョンは当時、知識経済部の長官だった。。結局、「脱核」陣営は「新再生エネルギー」という用語を受け入れることによって、原子力陣営のフレームに巻き込まれることになったのである。

発電差額支援制度といわれる固定価格購買制度の方が、義務割当制よりも再生可能エネルギーの拡大に役立つという主張も、韓国の特殊状況を考慮しないものである。電力会社がほとんどの民営で市場が自由化されており、したがって国家の統制が制限的にならざるをえないヨーロッパでは、固定価格購買制度の方がより有効であることが証明された。しかしヨーロッパと異なり、韓国では、電力需給の責任を全面的に国家が担い、電力生産と販売もやはり国家がほとんど完全に統制する電力需給と関連し、国家は原子力陣営に占領された状態であるから、ここで国家は原子力陣営であるといってもかまわない。他の国家とはことなり、国家=原子力陣営で電力需給基本計画を2年ごとに樹立できるのも、電力市場を統制できるからである。。当然のことながら、国家=原子力陣営において、再生可能エネルギーを利用した電力生産も統制できてこそ、間断なく計画を樹立することができる。再生可能な電力生産量を国家=原子力陣営で強制する義務割当制は、これらの計画と統制が適切に反映されうる制度である。反面、固定価格購買制は再生可能な電力が利益をもたらすと判断すれば、誰もが発電機を設置して電力を生産・販売できる道を開く自由放任であるために、国家=原子力陣営が統制しにくい装置である。このような理由のために、これらの陣営では、2002年の固定価格購買制導入という「失敗」を挽回するためのさまざまな試みのすえに、結局、義務割当制を導入することとなった。2002年の固定価格購買制度の導入時、国家=原子力陣営では、2006年から始まった太陽光発電の急速な膨張を予想できなかった。これは2000年代初めに再生可能エネルギー政策を樹立する時、江原道の大関嶺に風力発電団地建設を準備していた会社のロビー活動の対象となり、当時ドイツで施行して成功を収めたこの制度を政策に組み入れただけで、この制度の成功に対する展望もなく、成果を上げようとする意志もなかった。これは筆者が体験を通じて知ったことである。筆者は2002年秋、固定価格購買制度が導入されると、この制度の現実適用性をテストするために、ただちに3kW級の太陽光発電所を建設し、電力取引所(または韓国電力)に対して生産した電力の販売を試みた。しかし筆者は、数多くの法的な障害物にぶつかり、4年の努力のすえ、2006年5月から電力を販売することができた。太陽光発電所建設はこの時期から急膨張し始めた。国家=原子力陣営は、市民が小さな発電所を建設すると予想できなかったばかりか、筆者の発電所が登場すると、ただちに自らの「失敗」を悟ったようである。その後の彼らは固定価格購買制度を適用される大規模太陽光発電所の建設を誘導する一方、この制度の代替手段を模索していたところ、2012年に韓国電力傘下の発電会社に「新再生エネルギー」生産量を強制する義務割当制を貫徹した。

義務割当制は再生可能電力の生産に対する市民参加を困難にするが、国家=原子力陣営が電力需給を独占的に統制する韓国の状況では、再生可能電力の拡大のために固定価格購買制度よりも有効な装置として作用しうる。実際に義務割当制の施行の初年度である2012年の太陽光発電所設置容量は約280MWで、その前に最大値を記録した2008年の水準とほとんど同じであり、2012年1年間の「新再生エネルギー」発電所設置の容量はそれまでの10年間の設置容量をすべて合わせたのと似たような水準だった『Solar Today』2013インターネット資料。http://www.solartodaymag.com/magazine/mag_view.asp? idx=1366&part_code=01、産業資源部2013年5月17日付・朝刊用報道資料。。固定価格購買制度が市民の参加を容易にするのは事実であるが、この制度が施行されたこれまでの10年間、その恩恵を最も大きく享受した側は、市民ではなく、原子力陣営と手を握った大資本だった。彼らがほとんど多くの利益を占めたのである。そのうえ、彼らが建設した大規模太陽光発電所は、山と森を破壊する反環境的な結果ももたらした2009年初めまで建設された太陽光発電容量の約80%は、500k W以上の大型発電所で維持されている。これはほとんどの山と田畑に建設され、サムスンとLGで建設した発電所は、当時の全体太陽光発電容量の10%を占めた。慶尚北道・金泉のオモ面オッケ里に建設された18MW級のサムスンエバーランド太陽光発電所のためには、58万平方メートル(汝矣島の面積の約5分の1)の山森が犠牲になった。。したがって、固定価格購買制度も義務割当制も、ともに現在の韓国の状況ではエネルギー転換とは距離が遠いのである。

 

4. エネルギー需要管理と効率向上の限界

 

原子力陣営でエネルギー需給の未来が原子力にあると信じるのは、韓国がほとんどすべてのエネルギーを輸入しているだけでなく、エネルギー消費が毎年はやい速度で増加しているためである。2001年の韓国の電力生産量は約3100億kWhだったが、10年後の2011年には5200億kWhと約70%増加している。1人あたりの年間電力消費量も2001年には約5700kWhで、日本の7700 kWh、ドイツの6300 kWhよりも少なかったが、2010年には約9700kWhと、日本の8400 kWh、ドイツの7200 kWhを大きく上回ることとなったインターネットWorld Bankのdata bank資料。100桁からは四捨五入した。。原子力陣営は、この傾向が2030年まで続くことで、そのころの韓国の電力生産量は約8000億kWhと、2001年の2.5倍以上になるものと展望している。彼らは、原子力が中心となってこそ、この多くの電力供給を、値段が安く安定的に、また気候変化を誘発せずに耐えることができると考える。

反面、「脱核」陣営では、エネルギーを効率的に利用すれば電力消費を減らすことができ、それと同時に、太陽光や風力などを通じて再生可能電力を拡大すれば、数十年内に原発をすべて閉鎖できると主張する。ソウル市で進行中の、2014年までに原発1基を減らそうというキャンペーンは、このような「脱核」陣営の考えを反映したものである。彼らはエネルギー源単位といわれるエネルギー集約度を日本レベルに改善しエネルギー源単位は、一定の金銭的価値の生産に投入された単位エネルギーの量であらわす。たとえば、100kWhの電力で1000米ドルの機械を生産したとすれば、電力源単位(electricity intensity)は0.1kWh/USDである。したがって、エネルギー源単位が低いほどエネルギー集約度(energy intensity)は低くエネルギー生産性は高い。、再生可能エネルギーで生産する電力を増やせば、2030年頃には原子力の比重をかなり低くすることができ、2050年頃には完全になくすことが可能であると考える。

原子力陣営と「脱核」陣営で、このように相反する主張をするのは、電力消費の増加傾向の制御可能性に対する見解が大きく異なるためである。「脱核」陣営はエネルギー効率を上げて需要管理を正しくやれば消費を減少にむけられると考える反面、原子力陣営は現在の産業構造と経済構造の下では効率を上げることに限界があり、したがって効率向上の消費減少効果はさほど大きくないと考えるのである。

国家=原子力陣営でも効率向上の必要性は否定しない。彼らの陣営で2年ごとに樹立する15年間の電力需給計画には、常に効率向上と需要抑制を通じた需要管理目標が含まれている。彼らが15年間の需要管理を通じて減らそうとする量は、通常の予想需要(BAU, business as usual)の15%内外だが、この目標は今まで一度も達成されたことがない。需要が常に大きく増加したためである これまでに樹立された電力需給基本計画で、需要予測が正確だったことは一度もない。予測値は常に実際の消費量を大きく下回った。たとえば2008年に樹立された第4次電力需給基本計画では、2022年の需要を約5000億 kWhとしていたが、電力消費はすでに2013年にこの水準に到達している。2010年の第5次基本計画では2022年の需要を約5500億 kWhに、第6次基本計画では6000億 kWhに、それぞれ修正している。たかだか5年前の予測値を20%も上げたのである。。理由はエネルギー効率を上げて需要を減らそうとする努力が足りなかったせいもあるが、消費があまりにも大きく増加したためである。韓国のように電力消費が急速に増加する構造を持つ国では、効率を上げた節約にかなり限界がある。たとえ効率を15年間に15%改善するといっても、消費がはるかに急速に増加するために需要を減少傾向にむけられない。2013年に発表された第6次電力需給計画では、通常の予想需要を需要管理によって15%減らすといっても、電力消費は2027年までの15年間で、年平均2.2%ずつ増加すると展望している。これまでの経験に照らしてみれば、もちろんこの予測もはずれるだろうし、消費はより大きく増加するだろう。

電力の効率向上は、電力の半分を使用する製造業分野でうまくいってこそ、大きな効果をみることができる。家庭や商業部門では概して節約だけで需要を減らすことができる。だが大多数の国民が冷房に慣れており、日常の多様な活動がますます電力に依存していく状況において、家庭・商業部門の消費減少を期待することは難しい。残る道は製造業の電力会社用効率を上げることだが、展望はさほど明るくない。製造業電力消費の80%は自動車、電子電器、機械、鉄鋼、石油化学分野で成り立っている韓国電力統計2012。 。ここで効率が高まってこそ需要が減少しうるのである。

これまでの10数年間、産業部門のエネルギー効率は着実に向上してきた。しかし投入されたエネルギーを通じて得られる産業製品全体の金銭的価値は、購買力を基準として比較しても日本より20%ほど低い イ・ソンイン「2012脱核エネルギー転換討論会」発表資料。。エネルギー効率向上の余地が、ある程度は存在するといえる。しかし、製造業エネルギー消費のほとんど70%を占める、代表的エネルギー多消費分野である鉄鋼と石油化学のエネルギー効率は、日本と同じ水準で、ドイツよりは高い イ・ソンイン「低消費・高効率経済社会構築のための国家エネルギー効率化推進戦略研究」、エネルギー経済研究院、2011。。また、金銭的金額でなく、投入されたエネルギー対比生産量で計算すれば、韓国の代表的製造業のエネルギー効率は、ほとんどあらゆる分野で日本よりも高い結果が得られている。全経連「わが国の主な業種のエネルギー効率国際比較」2012、IEA,“Worldwide Trends in Energy Use and Efficiency,” 2008.

製造業の中でエネルギーを少なく使い、高付加価値を上げる業種は、半導体、情報通信、自動車、造船分野である。これらの分野で生産された製品の75%ほどは外国に輸出される。ならば、全体産業部門のエネルギー効率を上げるためには、エネルギー多消費の業種は減らし、高付加価値を創り出す半導体、情報通信、自動車のような業種の規模をより一層拡大する産業構造の調整が必要である。経済規模の維持には、これらの製品の輸出はさらに増えなければならない。経済の輸出依存度が今よりさらに高まるのである。しかし、半導体や自動車のような製品をさらに多く生産し輸出して、エネルギー効率の向上に成功するからといって、自動的にエネルギー消費が減るわけではない。石油化学と鉄鋼製品の輸出が減るといっても、製品の半分以上が輸出される石油化学分野のエネルギー消費は減るだろうが、製品の大部分が国内で消費される鉄鋼分野では減らないだろうし、自動車と半導体などの輸出が増えれば、それだけエネルギー消費も増加して、効率向上効果も相殺されてしまうためである。

このように効率が向上しても、消費が増えればその効果が消える現象を「リバウンド効果」(rebound-effect)というが、これは一般的なエネルギー消費形態としてもよく観察される。節電型の電球がおおいに普及しても電力消費が減らず、燃費のよい小型自動車がたくさん売れてもガソリン消費が減少しないのは、照明をそれ以前よりさらに明るくしたり、他の家電製品をさらに多く使い、既存の自動車はそのまま運転して、燃費のいい自動車を追加で用意するからである。結局、効率向上は消費減少につながらず、むしろ後続物品消費の免罪符として作用するのである。

 

5. 経済構造と生活方式を変えるべき

 

このようにエネルギーの効率を上げて節約することに限界があるならば、現在の経済構造や生活方式の変革に対する言及なくして、原子力発電を減らそうと主張するのは現実を無視することである。「脱核」陣営の支持を受けるソウル市の原発一基削減政策も、このような批判から自由ではない。ソウル市では2014年までに「新再生エネルギー」で約48億kWhの電力を生産し、効率向上と節約を通じて、約45億kWhの電力消費を減らすことによって原発一基を閉鎖させるという。ソウル市は石油換算トン(TOE)を単位として使っており、2014年までに「新再生エネルギー」で電力41万TOE生産(47.6億 kWh)、効率向上と節約で39万TOE(45.4億 kWh)を減らすことが目標である。ソウル市で町内に掲示されたポスターには「新再生エネルギー」で50万TOEの電力を生産するとしいる。

1000MW級の原発一基の年間発電量が約80億kWhであるから、ソウル市の「新再生エネルギー」発電と節約計画が成功すれば、原発を1つ減らすことが可能である。このためにソウル市では、2014年までに太陽光発電機290MW、燃料電池230MWを設置するという。しかし、これは計算上では可能だが、現実的には実現困難である。290MWの太陽光発電機を設置するには、約290万平方メートル、汝矣島(ヨイド)ほどの屋根が必要である。たとえそれくらいの面積の屋根が確保できるとしても、今から2014年までの1年で、その大容量の太陽光発電所を設置するのは不可能である。2012年の1年間に韓国に設置された太陽光容量は約280MWであり、2013年の設置容量は330MWほどと予想されるが、1年内にこれと似た容量を設置するというのは、途方もない机上の計算に過ぎない。

燃料電池の設置計画は、1兆ウォンをはるかに超える金額さえ確保できれば、太陽光発電所を建設することよりも容易だろう。だが、燃料電池発電は都市ガスを使って電力を生産するので「新再生エネルギー」に属するが、実際は化石燃料発電である。天然ガスや石油を使用する発電所と異なるところがないのである。建設費も、天然ガスを使って電気と熱を同時に生産する熱併合発電所よりも4倍以上かかる。したがって、燃料電池で原発を減らすということは、化石燃料で、それも天文学的な金額を投じて原子力に代替するということである。したがって、ソウル市の原発一基削減政策は、エネルギー転換とは距離が遠い。むしろ原子力陣営のフレームの中で、官僚や大企業によって操られる短期的な政策といえる。2014年までに、莫大な規模の太陽光発電機と燃料電池を設置してエネルギー消費を減らすという計画自体が、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長のコミュニティ作りや共有経済のような、静かに草の根市民の自発性を誘導する政策と異なり、エネルギー権力を独占するなかで巨大エネルギー計画を樹立する原子力陣営の計画を踏襲している。実際に290MWの太陽光発電所のうち230MWに投資を約定した企業は、ハンファ(100MW)、OCI(100MW)、韓水原(30MW)のような大資本とエネルギー権力である。原子力陣営は2000年代初めから「新再生エネルギー」育成計画を立てて実現不可能な目標を掲げ、膨大な物量攻勢をかけてきた。しかし、彼らの「新再生エネルギー」の達成目標は10分の1も満たされなかった。2003年に立てた計画で、彼らは2011年に電力の7%を「新再生エネルギー」で満たすという目標を掲げたが、10年が過ぎた2012年にも、この比重は2003年と同様に1%台にとどまっている。しかし原子力陣営はこのような目標未達成を憂慮しない。一方では、再生可能エネルギーが原子力に代わることが不可能な根拠として、このことをかかげることができ、他方では、未達成の目標の達成を掲げ、膨大な金額の税金を使う役得が味わえるからである。

ソウル市で原発一基削減を2014年までと釘をささずに、南北関係も念頭に置きながら、もう少し長期的なエネルギー未来を構想したとすれば、燃料電池のように経済性のない技術ではなく、熱併合発電を選択しただろう。事実、将来の南北関係において、エネルギー協力は重要な役割を果たすだろう。そのひとつが1990年代から何度も議論されている、シベリアから北朝鮮を経て韓国まで天然ガスのパイプラインを通す計画である。だが、この天然ガスパイプラインが信じるに足り、安定的なものになるためには、北朝鮮でもそのガスの相当量を使うべきである。そうしてこそ、南に来るパイプラインが突然閉鎖されるようなことが容易に発生することはないだろう。まさにこのために、すでにソウルで経済成果や性能が検証されている、多様な熱併合発電機が相当の役割を果たすことができる。これらの発電機が、北朝鮮、豆満江(トゥマンガン)流域の南北、または多国籍協力区域や北朝鮮のその他地域に普及するならば、北朝鮮のガス使用問題が解決されるからである。

夏にたびたび発生する電力不足問題の解決のために、節約を推奨する国家=原子力陣営に向かって、産業用と家庭用の電力消費量を比較して、電力不足の責任は産業体にあって、この部門のエネルギー利用効率を高めなければならないとする主張も、現在だけに焦点を合わせており、むしろ原子力陣営のフレームにひっかかりやすい見解である。2011年、ドイツと日本の1人あたり家庭用電力消費は、それぞれ約1800kWh、1880kWhであったが、韓国の1人あたり家庭用消費は約1310kWhであった。これとは異なり、1人あたりの電力消費は、韓国がドイツや日本よりはるかに多いから、その責任は電力の半分以上を使用する産業体にあるという主張が可能である。しかし、ドイツや日本の場合、家庭用/電力会社用の様態が韓国の場合と大きく異なり、世帯の構成員数にも違いがあることを考慮すれば、結果は大きく変わる。ドイツの場合、全世帯数のうち40%以上が1人世帯だが、韓国は24%にしかならない1人世帯の1人あたり電力消費は2人以上の世帯のそれより約50%以上多い。。また韓国の家庭では、主に照明と家電製品用として電力を使用するが、ドイツや日本では、温水や料理にまで電力を使用する比率が高い。ドイツの場合、家庭用電力の35%が温水と料理用に消費される。1人世帯の比率を考慮せずにこの比重だけ除いても、ドイツの1人あたりの家庭用電力消費は1200kWhにもならない。韓国の家庭用消費1310kWhより10%近く少ないのである。

 

6. エネルギー転換成否の別れ目――ドイツとスウェーデンの事例

 

原子力廃棄とエネルギー転換に向かう過程で、現在に焦点を合わせた戦いが必要でないわけではない。むしろ原子力陣営とは完全に異なるフレームと展望を持つ、熾烈で広範な闘争が起きなければならない。特に原子力陣営は現在のエネルギー権力を完全に独占しており、今後、数十年間の未来も支配しているために、戦いは長くならざるを得ない。このように長い戦いの過程で、エネルギー転換を可能にする多様な条件は1つずつ形成されていく。この条件のなかで最も重要なのは、世代から世代へと続くエネルギー転換の意志と精神の持続である。フクシマ事故後に原子力廃棄を再確認し、エネルギー転換という目標に向かってひた走るドイツでは、この目標の世代間伝達に成功した。反面、1980年に、2010年までに原子力を完全に廃棄することを汎国民的合意を通じて決議したスウェーデンは、その伝達に失敗した。スウェーデンでは現在、10基の原子炉が稼働しており、原発閉鎖決議が公式的には廃棄されていないが、2009年にスウェーデン政府で新規原発建設を許容し、2010年の議会でもこれを承認することによって事実上廃棄された。

スウェーデンが原子力廃棄に失敗した理由を、スウェーデンのある社民党議員は「時間の流れで国民が昔の決定を忘れたため」といっているがSocdem Asia 2013 Conference (Tokyo).、正確な診断である。1980年の決議を引き出すまでの過程で起きた運動、論争、言説などが深刻化し、次世代に伝えられずに消えていったのである。2011年のフクシマ事故後にも、スウェーデンで1980年の決議を再生しようとする動きがなかった理由が、まさにそこにある。当時の主役はすでに歴史から退き、社会の新しい主役になった世代は当時を記憶せず、特別な反応がなかったのである。これとは異なり、ドイツでは1970年代と80年代の原発反対闘争の成果がそっくり次世代につながり、彼らがフクシマ事故を契機に総決起して、ドイツ原子力陣営の反動的攻勢をはねのけて原子力廃棄の再確認に成功した。

ここで注目すべきことは、スウェーデンとドイツにおける世代間伝達が、成功/失敗と大きく分かれた理由である。スウェーデンの原発反対運動は1970年代初めに起き、10年も経たない1980年に大きな成功を収めた。一方ドイツでは、本格的な反対運動が始まって30年が経過した2000年頃に、原子力廃棄という結実を結んでいる。スウェーデンでは政界が反対運動をただちに受け入れ、1979年にはそれ以前まで原子力に賛成した当時の野党・社民党が30年後に閉鎖するという妥協案を持ち出し、国民投票を提案することによって原子力廃棄が決定した。ドイツでは1986年まで、緑の党をのぞくすべての政党が原子力利用を支持し、社民党は綱領にまで原子力発電の利用を称賛していた1959年のゴーデスベルク綱領――「原子時代に人間がさらに快適な生活を送ることができ、憂慮から解放され、万人のための福祉を作り出すことができるということは、この時代の希望でもある」。。チェルノブイリ事故が起きた後にドイツ社民党では党内左派の原子力廃棄要求が貫徹された。

妥協の伝統が強いスウェーデンでは、妥協を通じて原子力廃棄を決定した。しかしこの妥協は談合的な性格を持っていた。国民投票に付された3つの案がみな原子力廃棄を含んだ大同小異のものであったという事実もこれを示している。反面、ドイツでは、長い戦いを経て1990年代末についに原子力廃棄を勝ち取り、その後の原発稼動年限について原子力陣営に妥協的に譲歩した。10年後、政界が原子力陣営と談合して、再び稼動年限を大幅に延長する反動があったが、フクシマ事故は反原子力陣営を再び結束させ、原子力廃棄に終止符を打った。ドイツの原子力廃棄は勝利の結果だったが、スウェーデンの廃棄決定は談合とも見られる妥協の産物だったのである。

スウェーデンでは、闘争と言説が成熟する前の1979年にアメリカのスリーマイル事故が起こり、談合的妥協で原子力廃棄が決定されたので、その後のエネルギー転換のための動きがほとんど起きなかった。反面、ドイツでは、地域住民、一般市民、学生、左派・右派知識人、政治家などすべての階層が参加した30年以上の長い戦いの間、深いエネルギー転換言説が開発され、この言説の具体的な実践運動がドイツ全域でつづいた。言説は実践という結実を結び、実践は現実に成功した。まさにこの地点でスウェーデンとドイツの成否が分かれる。ドイツの言説は変革としてエネルギー転換が可能だという確信を人々に植え付け、この確信は実践運動を高揚させ、成功へと進むことができる滋養分になった。また、この確信と成功は次世代を動かして彼らに伝えられた。

ドイツの実践運動は、再生可能エネルギー技術を開発し、これを利用してエネルギーを生産する運動だった。1980年代と90年代にドイツ全域で起こったこの運動の主役は、エネルギー転換言説で武装して、技術開発と生産運動に飛び込んで企業を設立し、30年が過ぎた現在、そのなかで相当数が残っているばかりか、その分野の先導企業になった。そのうちの一部は新自由主義資本主義に完全に編入されたが、多くの企業が依然として初期のエネルギー転換精神を重要なものとして維持している。当時、主として20代や30代のエンジニアであった彼らは、意を同じくする同僚と協同企業(collective)を作ったり、エネルギー転換を目標にする「賢明な」企業を作った。協同企業は、ほとんど共同所有、共同生産、均等分配を原則に出発し、「賢明な」企業は、エネルギー転換運動に感動した「グリーン」エンジニアが「グリーン」投資家の投資を受けて設立した。

1990年代初めから、ドイツで、風力、水力、太陽熱、太陽光などの再生可能エネルギー生産が拡大すると、すぐにこれらの企業も大きく成長した。これらの中には株式を上場することによって資本市場に編入される企業もでてきた。しかし、これらの相当数が2008年の世界金融危機の時に破産したり、買収・合併されて平凡な企業に転落した。代表的な企業が「Q-Cells」である。この企業の母胎はロマン主義的な共産主義者エンジニアが作った協同企業・ブゼルトゥロニク社(Wuseltronik、「風・太陽・電子」という意)だった。最初、彼らは共同所有、均等分配の原則を守って協同企業を運営したが、太陽電池の需要が急増するにつれて、「Q-Cells」という名の株式会社に形態を変え、世界最大の太陽電池生産業者になった。少し後に株式を上場し、設立者は大富豪になった。しかし、彼らが初期の精神を捨て、上場を通じて資本主義に完全に編入された代価は大きかった。2008年に破産危機に直面し、結局、韓国のハンファグループに引き取られることで完全に解体してしまったのであるQ-Cellsの誕生と没落に対してはMonika Maron, Bitterfelder Bogen, Frankfurt / Main: S. Fischer 2009。。ドイツにおいて、協同企業であれ「優しい」企業であれ、成長過程で株式を上場し資本主義の恩恵を受けた企業は、相当数が買収・合併されたり経営難に直面して苦杯をなめたQ-Cellsの他にSolon, Solarworld, Conergy, Sunwaysなどがある。。反面、規模が大きくなって、共同所有、均等分配の原則は修正したものの、初期の精神を守ってきた企業は、かなりの数が生き残ったこのような事例の企業として、Wagner, Solvis, Solarcomplex, EWS Schonauなどがあげられる。。韓国では「隠れたチャンピオン」といわれるドイツのグローバル家族企業に注目するが、これらエネルギー転換企業こそ注目に値する未来開拓のチャンピオンである。

エネルギー転換運動の世代を越えた持続と成功は、多くの人が運動し生活できる時、換言すれば、運動を通じて一生の食が解決できる時に成立する。つまり、生産活動が運動と広範囲に結びつく時にはじめて可能になるのである。運動が多様な階層の数多くの人を動員できるといっても、生産の後押しがなければ、しばしのエピソードで終わってしまうのである。それだけではながく生活することはできないからである。儲けの基盤は生産活動を行う企業が地域のあちこちにできて、2~3代以上にわたって成功裏に運営されてはじめて形成される。ドイツの原子力廃棄の成功の鍵はここにあったのである。

 

7. エネルギー権力の独占を崩して独立する道

 

スウェーデンとドイツの事例が、韓国の原子力廃棄とエネルギー転換運動にあたえる示唆は明らかである。エネルギー転換の精神を持った企業があちこちで出てこなければ成功もないということである。韓国の現実がドイツと異なるために、企業の形態が異なることもありうる。先に述べたように、韓国では原子力陣営がエネルギー権力を独占している。電力を使用するすべての人は原子力に従属する。原子力廃棄を夢見ても原子力から解放されることがないという構造である。このような制約を突き抜け、原子力廃棄とエネルギー転換に向かって世代から世代に続いて前進できる活動を模索するべきだというのが韓国の現実である。

生産された電力を韓国電力などに販売することによって、やむをえず原子力陣営と手を握る「新再生エネルギー」発電所の建設は、このような活動になることは困難である。この活動は、原子力陣営と彼らのフレームから完全に脱却するものでなければならない。狭い領域で原子力の電力と韓国電力の電力を少しも使わずに、自らが使う電力はすべて独立的に生産する活動ならば、原子力陣営のフレームにかからなくても持続して成功する可能性がある。次の段階のもう少し大きな目標では、韓国電力の電力販売独占を崩し、100%再生可能な電力だけを販売する電力販売会社を設立し運営することを設定することができる。このような企業の存在は輝かしい成功であり、エネルギー転換運動を一次元高めるだろう。

これは結局、韓国電力の独占が崩れてこそ可能だが、民主労組をはじめとする「進歩陣営」の人々はこの陣営は原子力と「脱核」、どちらにも属さない。、韓国電力が事実上、国家所有であるという点だけに執着し、独占を崩すことを民営化と同一視して拒否する。それでも長期的に独占は崩れるであろうし、そのようになれば、エネルギー転換にある程度有利な変化も起きるだろうが、韓電の一部は財閥の手へ渡るだろうし、一部は国営として残るだろう。しかし、その比率は私たちのエネルギー転換のための戦いと準備の程度によって変わるだろう。韓国の進歩陣営が、スウェーデンに7基、ヨーロッパに3基の原発を保有しているスウェーデンの国営電力企業バッテンフォール社(Vattenfall)の変貌・成長に引かれるならば、エネルギー転換の希望はますます減るであろう。反面、ドイツのように国家では民間企業を監督し、小さな村でも住民だけの力で巨大電力会社を追い出し、再生可能な電力会社を作ることが民主主義の原則によって可能な枠組みを作ることができるならば、事情は大きく変わるドイツ南部Schonau電力会社のこと。拙著『エネルギー転換の現場を探して』(コンブ、2001)を参照のこと。。ここで注目すべきは、国家の役割と直接民主主義の作動である。この両者がきちんと作動するほどエネルギー転換の成功は早まるだろう。

原子力を拒否し、独立的に電力を生産する活動を起こし広めるのは、決して容易なことでない。かと言って、原子力陣営と妥協するのは、エネルギー転換の夢を捨てるのと同じである。効果は微小で注目されることもないが、微小なことから始めるのがより確実な行動である。韓国の現実において、このような行動で模索できるのは、家という小さな単位で、電力独立、またはエネルギー独立を試みることである。電力独立は韓国電力の原子力や化石燃料電力を完全に切ってしまうことで、エネルギー独立は韓国電力の電力はもちろんのこと、化石燃料からも解放されることである。電力独立またはエネルギー独立をする家は、エネルギー転換精神の世代間持続を保障する。子供世代が他の家と異なり、自分の家にある発電所で電力が生産されるのを経験し、直接使って、電力独立の理由を常に聞きながら大きくなれば、エネルギー転換の精神は自然に彼らに伝わるだろう。

電力独立またはエネルギー独立を実現するためには、そのシステムを生産する企業が存在しなければならない。電力独立システム構築企業と暖房エネルギー消費を大きく減らすことによって、エネルギー独立を可能にするパッシブハウス(Passivhaus)建築企業が必要である。このような企業の設立もまた、エネルギー転換の精神を持った人々によって達成される。そのために、これら企業が数十年間、成功裏に生き残るならば、そこで仕事をする人々と彼らの子供たちを通じて、この精神が持続するだろう。

現在、韓国には、エネルギー独立に成功した家が2つある。ここでは電力だけでなく、暖房、温水、炊事に必要なエネルギーを、すべて太陽光発電機を通じて直接作って使用する。原子力の電力を送る韓国電力とはいかなる取引もしない。暖房まで独立できるのは、暖房エネルギーを普通の家の15分の1しか使わないパッシブハウスだからである。このような家、いや少なくとも電力独立をおこなう家が多くなれば、原子力陣営の権力はますます弱くなり、エネルギー転換に向けた次の段階の道が開かれるだろう。次の段階は、再生可能な電力だけを販売する電力会社の設立だが、それは、韓国電力が電力販売を独占する電力市場の構造と法令のために実現が困難である。しかし、原子力陣営の権力が弱まるいつの日にか、エネルギー転換の精神で武装した若者たちがこのような会社を設立し、原子力が混在しない電力を供給するならば、私たちは自分の家に直接電力独立システムを設置できなくても、原子力の電力炉から解放されうる。私たちがエネルギー転換に成功するには、今後50年以上かかるかもしれない。いや、その時にも成功していないかもしれない。しかし電力独立に成功した家、またはエネルギー独立を達成した家は、ひとつひとつが未来を示す模範事例であり小さな成功である。このような成功が次世代に感動を与え、エネルギー転換精神を拡大して持続させる。小さな成功の記憶が広がり持続すれば、数十年後のエネルギー転換という大きな成功がより接近することもあるだろう。たとえ私たちが生きている間にはやってこないとしても、その小さな成功を経験し、原子力から独立する人生を営むことは、菜食への転換が食事のたびに自らアイデンティティを確認させてくれるように、エネルギー転換が自らの人生の一部であることを確認させ、希望のひもを手放さないようにしてくれるだろう。

 

翻訳: 渡辺直紀

季刊 創作と批評 2013年 秋号(通卷161号)

2013年 9月1日 発行

 

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