창작과 비평

気候変動と緑の政治

2013年 秋号(通卷161号)

 

河昇秀(ハ・スンス)弁護士、緑の党共同運営委員長。著書に『地域、地方自治そして民主主義』『教師の権利、学生の人権』『韓国 直接・参与民主主義の現在』などがある。
haha9601@naver.com

 

 

1.はじめに

 

2009年11月、イギリスの有名な気候変動研究者フィル・ジョーンズ教授の電子メールとパソコンのサーバーにあった文書がハッキングされた。ハッキングされたメールと文書ファイルは1000件以上だった。これがいわゆる「クライメイトゲート(Climategate)」と名付けられた事件の始まりだった。このハッキング事件はコペンハーゲンで開かれた国連の気候変動枠組条約締約国会議(コペンハーゲン総会)を目前に起こった。総会では気候変動についてより実効性のある対策をめぐって熾烈な討論が繰り広げられる予定だった。そのような敏感な時に気候変動に関して権威ある研究者のメールがハッキングされたのは、異常事態だった。ハッキングされたメールの内容は、すぐさまメディアで暴露された。

暴露の核心はジョーンズ教授の気候変動に関する研究がでっち上げだったところにあった。ジョーンズ教授はイーストアングリア大学の気候研究所で気候変動に関する研究を続けてきた。彼の代表的な研究成果としては1975年から1998年までのあいだに地球の平均気温が0.166度上昇したと明らかにした研究などが挙げられる。ジョーンズ教授の研究結果でっち上げ疑惑は、とんでもなく大きな波紋を呼び起こした。気候変動懐疑論者は待ち構えていたかのように気候変動に関する既存の研究結果は信頼に値しないと批判した。コペンハーゲン総会でもこの問題が論じられた。ジョーンズ教授は気候研究所所長職を辞任し、イギリス議会および大学は調査に着手した。

しかしこの事件は結局、一種のハプニングで終わった。この事件の調査のために構成された独立的調査機構の責任者ミューア・ラッセル博士は、「フィル・ジョーンズ教授と彼の同僚らは情熱的で正直な科学者」だと結論付けた。イギリス議会も彼は復職すべきとの結論を下した。ジョーンズ教授は2010年7月に復職した。しかし誰が彼のメールをハッキングしたのかは明らかにされなかった。メールのハッキングによって流出した資料がこのような大きな波紋を広げたほど、気候変動は敏感な問題である。同時に政治的問題でもある。気候変動を否定するか、少なくとも気候変動への対応を遅らせることによって利益を得る勢力が存在するからである。クライメイトゲートはそれを端的に示した事件だった。

 

2.別次元の環境問題、気候変動

 

これまでもさまざまな環境問題があった。しかし気候変動は既存の環境問題とは性格を異にする。気候変動はその影響範囲が全地球にわたる。そして短期間の努力では解決を模索できない問題である。一国家が努力して解決できる問題でもない。複数の国家が粘り強く体系的に協働しなければ解決できないのである。さらに、気候変動は生存の問題でもある。人類史上これほど深刻な問題はなかった。しかし多くの人はこれに無関心である。メディアは2100年には地球の温度が何度くらい上昇し、2050年には海面がどれくらい上昇するというように報じるが、日々の生活に追われる人々にとっては遠くの話でしかない。「気候変動(climate change)」という言葉も穏当すぎる。単語を見るだけでは「天候が変わるってことだろうね」くらいにしか思われない。じっさい、「気候危機(climate crisis)」あるいは「気候災難(climate catastrophe)」と呼んだ方が正しい。

気候変動は誰にも予想できないくらい素早く進行している。よく知られているように、気候変動を引き起こす主な原因は温室効果ガスである。温室効果ガスには二酸化炭素(CO2)をはじめとしてメタン、亜酸化窒素、ハイドロフルオロカーボンなどがある。このうちかなりの比重を占める二酸化炭素の濃度を見ると、400ppmを超えている。ここで重要なのは、地球の歴史のなかで二酸化炭素の濃度が300ppmを超えたのは最近のことであるという事実である。数十万年のあいだ、二酸化炭素の濃度が300ppmを超えたことはなかったのに、産業革命以降増加し始めて、だんだんとその速度を増していった。そして今や「臨界点」の450ppmに向かって突き進んでいる。

増加する温室効果ガスが地球を熱くしている。「国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC, Intergovernmental Panel on Climate Change)」によれば、21世紀末までに最大で6.4度の温度上昇が予想される。もちろん、地球の歴史のなかで気温変化が無かったわけではない。極端にいえば、氷河期だってあった。しかしながら、地球の気温が今のように急激な変化を見せたことはなかった。それも自然の変化ではなく温室効果ガスによる変化である。さらに、その結果として到来する破局がいかなるものなのかも徐々に明らかになってきている。気候変動は頻繁な洪水と干ばつ、海面上昇、砂漠化などを引き起こす。これは水不足や食糧危機につながるだろう。地表と海水の温度が上がれば、現在の地球に生きる生物のうちかなりの種の絶滅は避けられない。地球の気温が3.5~4.5度上がれば、生物の40~70%が絶滅するだろう。また、気候変動は農業にも影響する。すでに洪水と干ばつが頻繁に繰り返され、砂漠化によって食糧生産が打撃を受けている。

このような状況にも拘わらず、気候変動を否定したりその影響力を少なく見積もろうとしたりする人々がまだ存在する。もちろん、彼らの立場はだんだんと狭くなっている。先に言及したクライメイトゲートのような目論見も失敗した。気候変動を否定する声はだんだんと力を失っている。IPCC報告書など、様々な資料が気候変動と温室効果ガス排出には明らかな相関性があることを示している。したがって、今後は気候変動の原因が何なのかをめぐって論争するよりは「今も増え続けている温室効果ガスの排出をどのように減らしていくのか」が重要だ。温室効果ガス排出量は著しく増加傾向にある。全世界の温室効果ガス排出量は2012年にも約2.6%増えた。1990年の排出量に比べて50%も増加したのである。これをどのように捉えるのかに、多くのことがかかっている。

フランスの緑の党に所属し、ヨーロッパ議会の議員として活動しているイヴ・コッシェは『不穏な生態学』(四季節、2012)で、2022年には「温室効果ガスの大気中の蓄積は、台風、洪水、干ばつなどとてつもない危険を伴う気候変動を引き起こし、それに対処する費用は年間1兆ユーロ以上」かかるという暗鬱な未来を描いた。憂鬱なことこの上ないが、これが今のように私たちが何もしないでいる場合に直面するであろう現実である。

 

3.気候変動と「無能な政治」

 

気候変動の速度を見ると、私たちに残された時間が多くないことは明らかである。基本的にこのように重要な問題に対して解決策を探すことは、政治の役割である。しかし既存の政治によっては気候変動のような問題に対処することは難しい。気候変動は既存の政治システムに内在する限界を赤裸々に見せつける。まず、国家の次元では、任期が4年か5年しかない国会議員や大統領が、気候変動のように中・長期的な努力を要する問題に向き合おうとする誘因は弱い。政治家個人にとっても、気候変動は数十年間の努力があってこそ成果を出せる類のものなので、魅力的な課題ではない。また。有権者は往々にして経済、福祉、教育といった、すぐに自分が肌身で感じられる利益を得られるような問題に高い関心を示す。気候変動のような環境問題は、人気のない問題として扱われる。もちろん、気候変動が与える影響について詳細かつ正確な情報を市民に提供すれば、事情は違ってくるだろう。しかし政府はそのような努力はしない。こうした状況で、たとえば「温室効果ガス排出の原因の大部分となる石炭火力発電を再生可能エネルギーに転換するために、電気料金を値上げせねばならない」といった主張で、有権者に選んでもらえるだろうか?

さらに敏感な問題もある。「温室効果ガス排出に少なくとも18%以上も寄与するといわれる工場型畜産業を減らさねばならない」という主張はどうだろうか? この主張は数多くの畜産農民と肉食好きな消費者の反発を買わないだろうか? このような疑問は、気候変動に関心のある政治家たちにさえ、二の足を踏ませる。進歩的政治家だからといってこの問いにはっきりと答えることは簡単ではないだろう。この問いへの答えは、現在の経済、産業そして生活に対する真摯な省察を要求するからである。だからか、気候変動はヨーロッパを除いては主要な政治課題にはなっていない。もちろん、後の気候変動の被害が自らにとって深刻であるような子どもや若者などの未来世代であれば、気候変動への関心はより高いかもしれない。しかし彼らに投票権はない。彼らの声が政策に反映される道は閉ざされているわけだ。

国家を超えたグローバルな政治の次元ではどうだろうか? 気候変動はグローバルな政治の核心的なテーマとして浮上したが、現在のシステムでは解決の展望は見えない。国連の気候変動枠組条約(FCCC、Framework Convention on Climate Change)があるが、実効性には劣る。気候変動枠組み条約は1992年にリオデジャネイロで締結され1994年から発効した条約だ。この条約によって、1年に一度「気候変動枠組条約締約国会議」が開かれることになった。そして1997年に第3回締約国会議が開かれた京都で、京都議定書が採択された。京都議定書によれば2008年から2012年までの5年間(第一約束期間)で、先進諸国は温室効果ガス排出量を1990年比で5.2%削減することになっていた。韓国は当時、削減義務のある国家リストには載っていなかった。しかし世界の温室効果ガス排出量のうち多大な比率を占める中国(2009年に24%)やインド(2009年に5%)など新興諸国は削減義務の対象外となり、温室効果ガス排出2位のアメリカ(2009年に18%)は京都議定書の批准を拒否してしまった。そういった状態で地球全体の温室効果ガス排出量を削減するなど不可能だった。よって条約の実効性を高めるために討論がなされたが、国家間の利害関係の対立を調整する政治はなかった。2009年から2012年まで毎年開かれていた締約国会議では熾烈な議論が交わされたが、2012年12月にドーハで幕を閉じた会議の結果は貧相なものだった。京都議定書を2020年まで延長するとの一点のみが合意された。アメリカなどの先進国と中国などの新興国の対立が先鋭化し、きちんとした対策を導き出すことができなかったのである。そのうえ延長された京都議定書には日本・ロシア・カナダ・ニュージーランドまでが参加しないと宣言した。結局、気候変動枠組み条約はEUとオーストラリア・スイス・ウクライナくらいが削減義務を負う条約に成り下がった。これらが排出する温室効果ガスの量を合わせても、世界全体の排出量の15%に過ぎない。京都議定書は有名無実化した。

潘基文国連事務総長は、新たな気候変動条約を作ることが、自らに与えられた重要な任務であると述べた。現在までに議論された計画では、2015年までに交渉して法的拘束力のある気候変動条約をつくり、2020年から条約を発効させるとある。しかしこの計画は「全て2020年に先延ばしたに過ぎない」と批判されている。最近、アメリカと中国が温室効果ガス排出削減のために相互協力していくと発表したが、どれだけ本気なのかはまだわからない。温室効果ガス排出主要国が不誠実な姿勢で交渉に臨めば、新たな気候変動条約がいつ妥結されるのかも不透明になる。結局、気候変動という難題を解決できる可能性は、現在の国家単位の政治にも、そして国際政治にも見出せないのである。

唯一の可能性は、緑の政治にある。気候変動問題に対処することを自らの核心的な課題とする政治勢力が必要である。長期にわたってこの問題を政治問題化し、オルタナティブを提示し、有権者の理解を得なければならない。そうしてこそ気候変動が国家政治の最重要課題として登場しうるだろう。現在、90カ国に存在する緑の党ないし緑の政治の組織は、その役割を自任している。

ヨーロッパで緑の党が登場した時期は、気候変動が本格的に論じられる以前である。よってヨーロッパの緑の党は反核、平和、人権、女性など多様な草の根運動に足場を置いている。しかしもはや気候変動は反核とともに緑の政治勢力の核心アジェンダとして浮上している。福祉国家として知られるスウェーデンのような国でも、気候変動を重要な政治課題として位置づける緑の政治勢力が成長している。たとえば1980年に反核を旗印に設立された緑の党の最近の核心課題は気候変動である。4~5%の支持率に留まっていたスウェーデン緑の党は、2009年のヨーロッパ議会選挙で11.02%を得票し、2010年の国会議員選挙では7.3%を得票したことで、支持率3位の政党となった。この状況変化には、日々深刻化する気候変動が影響している。スウェーデン緑の党の主な支持層が学生や若者であることからも、気候変動に対する若い世代の関心を読み取ることができる。

スウェーデンは一つの例に過ぎない。他の国の緑の党でも気候変動は外すことのできないテーマだ。カナダ緑の党は2020年までに温室効果ガス排出量を1990年比で30%削減する政策を主張している。2040年までには85%削減することを主張している。このように果敢な削減を主張する理由は、そうしてこそ二酸化炭素濃度を350ppmにまで低めることができ、また地球の気温上昇を1.5度に留めることができるからだ。

他方で国際的な次元での緑の政治勢力も必要だ。気候変動は一国家がその国家内で努力するだけで解決できる問題ではない。国益の対立がうず巻き、責任回避と責任転嫁が起こらざるを得ない問題だ。これまで温室効果ガスを多く排出してきたいわゆる先進国と、中国やインドといった新興国との間のコンフリクトを解消するには、正義と持続可能性の観点から一貫した政策方向が必要とされる。さらに国際機構の新設も必要だろう。気候変動に対処するためには、世界貿易機構(WTO)よりも強力な権限をもつ世界環境機構(WEO、World Environment Organization)が必要かもしれない。これをグローバルなレベルで推し進める主体が必要だ。現在、各国の緑の党がネットワーク化し、グローバル・グリーンズ(Global Greens)を作っているが、これがその役割を果たすための芽となりうるだろう。既存の政党政治は国家の枠組みの中に閉ざされていたが、気候変動問題は国家の枠組みを超えた緑の政治勢力を要求する。

 

4.問題の決定版、大韓民国

 

大韓民国はどうだろうか? 大韓民国は今の政治システムがもつ様々な問題を如実に示して余りある事例である。大韓民国は温室効果ガス排出7位の国家だ。経済規模に比べて排出量が多い。1990年以降、温室効果ガス排出量が最も速く増加した国家に属する。次の図からもわかるように、経済危機が襲ってきた1998年を除いて、温室効果ガス排出量は増加し続けてきた。特に2010年の大韓民国の温室効果ガス排出量は、6億6880万トンで、2009年の6億900万トンに比べて129%も増加したことになる。2010年に温室効果ガス排出量が増加した原因を見てみると、冷暖房のための電気需要が増えるに伴って火力発電所から排出される温室効果ガス量が増加している。これが主たる原因であり、全増加量の42%以上を占めている。しかしながら2013年2月に発表された第6次電力需給基本計画によれば、政府は12機の石炭火力発電所を新たに建設しようとしている。石炭火力発電所の新規建設が、温室効果ガス排出をさらに増加させることは明らかだ。これに対して環境部が反発したが、担当部署である産業通商資源部は計画を押し進める態勢だ。問題は発電所の建設だけではない。大韓民国は毎年5兆ウォン以上の国家予算を道路整備に使っている。地方自治団体が使用する道路建設予算も含めれば、その規模はもっと大きくなる。このように莫大な公共財源が車中心の交通システムに注がれており、自動車生産と交通によって発生する温室効果ガス排出量も増えている。

李明博大統領(当時)は、2009年のコペンハーゲン気候変動締約国会議に参加し、大韓民国は京都議定書上の削減義務をもつ国家ではないが、2020年までに温室効果ガス排出予想値(BAU、Business As Usual)対比で30%を削減していくと宣言した。そして低炭素緑の成長基本法を作った。しかし現実には、大韓民国の政策方向は正反対に流れてきた。電力、産業、交通は全て温室効果ガス増加を助長するか放置する方向で推進された。かといって野党がこれに歯止めをかけたり対策を出したりするわけでもない。韓国の有力政党および政治家は、保守か進歩かに関係なく気候変動について積極的に発言しないできた。韓国の政治において気候変動は政治争点にさえならない状態である。先の大統領選挙で経済民主化や福祉といった課題は論争の対象となったが、気候変動はほとんど関心の外にあった。

しかし大韓民国は気候変動の影響を直接に受けており、今後さらに深刻化するだろう。この100年のあいだで地球の平均気温は0.7度上昇し、朝鮮半島は1.5度上昇した。朝鮮半島は地球の平均よりも気候変動の影響を大きく受けているのである。朝鮮半島の気温上昇はだんだんとその速度を増している。1981年から2010年までの30年間で、朝鮮半島の年平均気温は1.2度上昇した。10年で0.41度ずつ上昇したわけだ。海面上昇速度も速い。全世界の海面上昇率は年平均1.8mmといわれているが、朝鮮半島の南海は、毎年3.4mm上昇している。済州島の海面上昇は毎年5.1mmに達する。海水の温度も急速に上昇している。最近20年間で、東海の水温上昇は世界平均水温上昇の1.5倍だった。その結果、東海でスケトウダラ漁が不振になるなど、海の生態系は急激に変化している。

このように気候変動が起きれば、そうでなくても厳しい状況にある農業はさらなる打撃を受けることになるだろう。ころころ変わる気候のために既に大きな被害を被っているが、今後、気温がさらに上昇すれば干ばつと洪水が頻繁化し、穀物自給率が22.6%に過ぎない大韓民国の農業はさらに大変な状況に陥るだろう。しかしながら気候変動への積極的な政策はおろか、むしろ気候変動を、原発拡大政策を後押しする理由として利用しているのが大韓民国の現実である。大韓民国の原発賛成論者は、気候変動を盾に温室効果ガス排出の少ない原発を新規建設すべきだと強弁する。しかし原発と気候変動は本質的に同根の問題だ。

産業革命以降、人類が温室効果ガス排出を急速に増やしたせいで気候変動がもたらされたように、人類が原発という「パンドラの箱」を開けたがゆえに莫大な人口放射性物質が生産された。そしてチェルノブイリ、フクシマといった大災難を生み出した。原発は気候変動のオルタナティブにはなりえない。原発そのものがあまりに危険な施設であって、少なくとも20万年以上もの保管期間を要する高準位廃棄物(使用後の核燃料)を量産する。また、原発が温室効果ガスを排出しないというのは誤りだ。原発を稼働させるためには核燃料が必要だが、それを作るためのウランを採掘し燃料に加工する過程で大量の温室効果ガスが発生する。原発が使用する莫大な量の冷却水は熱いまま海に流され、これによって海水が温められ、温室効果ガス排出の増加を促す。地球上の二酸化炭素のほとんどは海水に溶け込んでいるが、海水が温められれば二酸化炭素が大気中に出てくるのである。したがって、原発が温室効果ガスを排出しないクリーンなエネルギーであるというのは虚偽である。

 

5.緑の政治が切実に求められる大韓民国

 

このような構造で利益を得るのは誰で、被害を受けるのは誰なのか? 原発と石炭火力発電に依存する電気生産システム、そして自動車中心の交通体系で利益を得るのは、財閥大企業である。まず、大型発電所の建設工事は大型建設会社が受注する。最近では発電所の運営にも大企業が参入している。これらは火力発電で電気を生産し高値で売り、それを電力産業に競争原理を導入する」という名分のもと国家が保障している。原発や石炭火力発電で生産された電気は再び大企業に原価以下で供給される。大韓民国全体の電気消費のうち53%を占める産業用電気がこうして原価以下で供給されている。そしてこれは無分別な電力消費の増加につながり、より多くの原発、より多くの石炭火力発電所をつくらせる。

車中心の交通体系は自動車生産‐道路建設-流通販売事業に関連する大企業に莫大な利益を保障する。関連大企業が大韓民国の政治に及ぼす影響力は、わざわざいうまでもないほど大きい。これらはメディアにも多大な影響力を行使している。官僚集団も大企業と各種の利権で癒着している。これらの資本から独立した専門家もいない。現在のところ、これらを制御できる勢力は存在しない。

他方で現行のシステムで被害を受ける人々もいる。いや、被害を受ける側の方がはるかに多数だといえる。もちろん、地域間・世代間の違いはある。地域に関していえば、農漁村に被害を受ける人が多い。気候変動で海面が上昇すれば海辺に暮らす人々はダイレクトに被害を受ける。気候変動で農業が大変になれば、農民が被害を受ける。そのほかにも現在の電力システムは海辺や田舎の住民に様々な被害を与えている。原発や石炭火力発電所が建設されたのは主に海岸沿いである。発電所付近の海辺ではこれら発電所の建設過程で、そして発電所から排出される温排水のせいで、生態系が破壊されている。そして海辺の大規模発電所で生産された電気を送電するために田舎に超高圧電線が走らされる。8年ものあいだ76万5000ボルトの超高圧電線に反対してきた慶南の密陽の事例が最近注目されているが、これは密陽だけの問題ではない。あちこちに蜘蛛の巣のように張り巡らされた高圧送電線によって、これまで多くの田舎の住民が被害を受けてきた。政府は一方的に送電線ルートを決めて通告し、住民の意見は無視された。高圧送電線が設置されれば電磁波や騒音などによる健康上の被害、送電線近隣の土地の地価下落による経済的被害を受けるが、これについては実態調査がきちんとなされておらず、正当な補償もなかった。大工場と大都市で使用する電気のために犠牲のみが一方的に押し付けられてきた。原発や石炭火力発電所を新規建設せず、再生可能エネルギーやガス発電といった地域分散型の電力供給源に転換すれば、地域住民の犠牲を減らすことができるのに、政府は未だにこれまでのやり方を踏襲するだけだ。

世代間の問題もある。気候変動の影響は現世代も受けるが、今後残された時間が長い世代の方が多くの影響を受けていく。今この瞬間に生まれた子どもや、まだ生まれてはいないが未来に生まれる後世の方が、より大きな影響を受けざるを得ないのである。2012年12月に気象庁が発表した資料によれば、楽観的なシナリオに基づいたとしても、2100年には気温が3度上昇し、悲観的なシナリオによれば。2100年までに6度近く上昇するという。海面上昇も著しい。楽観的なシナリオでは、朝鮮半島周辺の海面上昇は2100年に南海岸と西海岸が65cm上昇、東海岸が90cm上昇すると予想されている。悲観的なシナリオでは、南海岸と西海岸は85cm上昇、東海岸は130cm上昇である。しかし大韓民国の気象庁よりも暗鬱な予想値を語る専門家もいる。それによれば気温上昇幅や海面上昇幅は、はるかに大きいと予想されている。

2100年は余りに遠い未来なので、2040年の状況を予想してみよう。楽観的なシナリオによっても、2011年から2040年のあいだに気温が1.4度上昇する。これでも凄まじい変化が予想される。おそらく2040年に生存している世代は、それ以前には経験したこともないような激変を目にすることになるだろう。したがって、気候変動は世代間の正義の問題である。多くのエネルギーを消費することで温室効果ガスを排出し気候変動を起こした責任は過去の世代や現世代にあるのに、それによる被害は未来に行けばいくほどひどくなるのである。

しかし今の大韓民国の政治はこの問題から目を背け、回避している。「大都市のためになぜ田舎の人々が犠牲にならねばならないのか」との声は黙殺される。人口も票も多い大都市が政治の主たる考慮対象だからである。世代間問題も同様である。いくら今の子ども、若者や未来世代の被害が大きくても、それは現実の政治において大きな考慮対象にはされない。これらには票がないからである。よって唯一の希望は気候変動を政治の前面に引き出す緑の政治勢力の誕生である。2012年3月に結党され4月に総選挙を経て登録取り消しとなり、10月に再結党した緑の党は、気候変動の問題を重要な政策課題として位置づける大韓民国初の政治勢力だといえる。

 

6.緑の政治の今後

 

既存の政治では気候変動問題の解決が不可能なことは明らかになった。よってこれまでとは異なる民主主義、異なる政治が必要だ。これまでとは異なる民主主義とは、若者や未来世代のように既存の政治からは疎外された主体の声が反映されるような民主主義を意味する。さらには人間ではない生命体も軽視されない民主主義を意味する。また、政治家や官僚、専門家ではない一般市民もエネルギーなどの政策について充分な情報を提供され、政策決定の過程に参加できる民主主義を意味する。これは既存の代議民主主義、既存の政党体制には収まりきらない「想像力の拡張」を必要とする。

選挙であらゆる問題を解決するのは難しいだろう。有権者が気候変動をどれほど重要に考えているのかは、選挙をつうじてある程度露わになるだろう。しかし選挙は政党や候補者への投票でしかない。選挙で気候変動に対応するために電気生産はどのようにして、交通はどのようにして、産業はどのようにするのかを具体的に有権者に問うことはできない。討議民主主義(deliberative democracy)のような試みを代議政治と結びつけねばならないだろう。たとえば原発と石炭火力発電を拡大し続けるのか、あるいは地域分散型電力供給源に転換するのかについて、正確な情報の提供を受け、自分たちで討論できる市民会議(citizens’ assembly)のような組織が必要である。このようなかたちで市民が直接意思決定に参加できてこそ、官僚‐政治家-大企業-メディア-専門家が形成した既得権構造を突き崩すことができる。このように多様なかたちで直接参加を保障することも、緑の政治勢力の重要な役割の一つである。

そして緑の政治の実践は、地球-国家-地域の三次元それぞれでなされ、それらを有機的に連携させることが必要である。国家の次元ではヨーロッパやオーストラリア、ニュージーランドなどで院内政治勢力として意味ある役割を果たしている緑の政治がさらに拡散し、発展せねばならない。アメリカや日本、大韓民国のように成長主義と物質主義、競争万能主義が根を張る社会で緑の政治勢力はまだ苦戦を強いられている。中国やインドのような新興国も緑の政治の不毛地帯である。しかしこれらの国が変わらなければ、気候変動のような問題を解決することはできない。したがって、これらにも緑の政治勢力の成長はとても切実だ。特に大韓民国で緑の政治が定着すれば、アジア全体への波及力も大きいだろう。

国際的な次元では、グローバル・グリーンズの役割が重要となるだろう。5年ないし7年ごとに開催されるグローバル・グリーンズ総会では、気候変動に関して国境を超えた討論がなされている。2012年にアフリカのセネガルで開催された総会では、気候変動に関する決議文が採択された。この決議文には2020年までに温室効果ガス排出量を削減の流れにのせていくために石炭の生産および消費の縮小、再生可能エネルギーの拡大、山林保護などのために、全世界の緑の党が共同の努力をしていかねばならないと述べられている。

国際および国家次元の政治も重要だが、実質的なオルタナティブは地域から発信されなければならないのはもちろんであろう。地域は緑のオルタナティブを実験し、現実につくっていく空間である。イギリスの緑の党は小選挙区制を採っているイギリスの選挙制度によって苦戦を強いられてきたが、2010年に一人の下院議員を当選させた。しかしブライトン・アンド・ホーヴなどの都市では緑の党が市議員で第一党となり、地域政策をつうじてオルタナティブをつくっている。同都市は「持続可能な地域社会戦略(Sustainable Community Strategy)」を決定し温室効果ガス排出量を2020年までに42%減少させるという大胆な計画を実行に移している。2050年までには80%の減少を目指している。そのために同都市では食糧、交通、エネルギーの全般にわたる政策を打ち立てている。

結局、問題なのは政治である。そして政治は参加しなくては変わらない。気候変動の影響を大きく受ける若者、青年が政治に関心をもって参加することが重要である。気候変動に関心を持つ良心的な市民が力を合わせねばならない。時は我々を待ってくれはしない。

 
 
季刊 創作と批評 2013年 秋号(通卷161号)

2013年 9月1日 発行



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