창작과 비평

進歩政治と緑色運動との結合は可能なのか

2013年 秋号(通卷161号)

 

張碩峻 労働党(前進歩新党)副代表。著書に『革命を夢見た時代』、『新自由主義の誕生』、『張碩峻の赤緑書斎』などがある。gramsci@empal.com

 

 

1. 赤色と緑色が互いに会うべき理由

 

左派政治と生態運動との結合は可能なのか?象徴する色で表現するならば、赤色と緑色の出会いは果たして可能なのか?赤色と緑色、両方とも現状を批判しながら、それを変えると乗り出した政治思潮である。赤色、すなわち左派政治は資本主義体制の変革を唱えながら、19世紀末に大衆政治勢力として落ち着いた。緑色、すなわち生態運動は産業文明の生態系破壊を告発しながら、20世紀末に重要な政治勢力として浮上した。両者は社会変化を追い求めるという点で通じるところがある。

だが、こういう共通点を相殺するほどの差異と対立も存在する。社会主義運動は経済成長を至高の目標として見なす傾向があった。その克明な事例は20世紀社会主義における教科書の役割をした1930年代のソ連の五ヶ年計画である。当時、ソ連の中央執権型計画経済は専ら一つの目標に向かって走り出した。それは資本主義よりもっと早い速度の量的成長であった。人間の労働だけでなく自然もまた、この過程に投入されるべき色んな要素のなかの一つに過ぎなかった。結局、資本主義と同じく現実社会主義でも深刻なる環境問題が台頭せざるを得なかった。

この頃は核発電が主な争点である。フランスのような国でそうだ。現在、フランス政府は社会党と緑色党の連立政府である。一見すると、左派政治と緑色政治との結合可能性を示す事例であるようだ。しかし、内情を覗いてみると、そうでもない。緑色党は核発電所を段階的に撤廃すべきだという立場である。それに反して、社会党の多数は核発電を熱烈に支持する。彼らは核発電をフランスがこれから引き続き発展させていくべき先端産業として見なす。社会党のなかでもアルノー・モンテブル(Arnaud Montebourg)産業部長官のような党内の左派が先頭に立ってこういう声を出している。

一方、緑色の側では新自由主義に対する曖昧とした立場が問題である。緑色政治の先頭走者であるドイツ緑色党を見よう。ドイツ緑色党はもともと西ドイツ新左派の政治勢力化の産物であった。初期にこの党は社会民主党の「左側」の政治勢力として支持を集めた。だが、立党主役たちのなかで「現実派」が「根本派」を圧倒することとなり、二世代が進出しながら党の性格が大きく変わった。緑色「現実主義」という話が出たと思ったら、今はさらに緑色「自由主義」を語る。色んな州で社会民主党、左派党ではない基督教民主党、自由民主党と連立政府を構成したりもするし(黒-黄-緑のいわゆる「ジャマイカ」連立政府)、富裕税と法人税の引き下げ、福祉の縮小、非正規職の拡大、ドイツ軍の海外派兵などに先駆けしたりもする。それで最近は「生態自由民主党」という非難を受けたりもする。自由民主党はドイツで最も露骨的に新自由主義を追求する政党である。ドイツ緑色党の最近の状況に対するより詳しい紹介としては、次の本が参考になる。チェ・ベクスン、『未来があるとしたら、緑色』、イマジン、2013。

赤色と緑色との間にはこのような先鋭なる緊張がある。それでも本当に両者の出会いは必要なのか。そうだ。必要である。必ず必要である。緑色も赤色との会いが必須的であり、赤色も緑色との結合が緊要である。なぜそうなのか?
まず、緑色の立場では資本主義の克服という左派の古い理想が次第により切実な課題となっている。もちろん生態系破壊と資本主義との関連性については、すでに去る世紀に生態主義が始めて注目された際から論議があった。だが、この際は資本主義の部分的校正を通じて環境問題が充分解決できるといった雰囲気がより強かった。今の言葉で言うと、「緑色資本主義」の展望からそれほど脱していなかったのである。雰囲気が急変したのは石油ピーク(peak oil、石油生産量が拡大してから最高点以後、急に下がることとなる時点)と気候変化があらわになってからであった。

特に地球温暖化が加速化しつつあるのに、1992年のリオデジャネイロ首脳会談以後、ずっと炭素排出引き下げの合意に失敗した強大国らの現実が覚醒のラッパの音となった。炭素排出の引き下げは経済成長に限界を設定するか、それとも少なくともその速度を下げるということを意味する。しかし、資本主義は持続的成長なしには存立できない。それに金融化した新自由主義的資本主義のもとで成長の減速は、天文学的規模の金融投資をバブルにする危険を意味する。従って、地球資本主義の秩序を容認する限り、人類は気候変化が臨界の値に達することを見守ることの外に成しうることがない。

事実、資本主義の中心部はすでに成長そのものが容易くない状態に達している。資本蓄積が一定の水準に到達した以後に、資本主義の成長速度に減速が避けられないということは、マルクス主義者たちだけの洞察ではない。ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)は資本主義は必然的に成長が停滞される「停止状態」(stationary state)に到達することになると見通した。一つの社会が一応「停止状態」に到達したら、それからは社会の中心目標を変えるしかない。限りない富の拡大ではなく、「あらゆる種類の精神的教養、道徳と社会の進歩」を追い求めなければならない。経済活動はもうこれ以上社会の他の領域より優位に置かれることはできない。ジョン・スチュアート・ミル、『政治経済学原理4』、バク・ドンチョン訳、ナナム、2010、96頁。 こういう先覚者たちの洞察にも関わらず、北半球の過剰蓄積された資本は今も自己膨張の欲求を決して諦めない。とどのつまり、これらの資本は金融部門の過剰膨張を通して成長の停滞を突破しようとする。このため、まさにより多くの発展を必要とする南半球の国々には資本が供給され得ず、逆に北半球では天文学的規模のバブルが形成されたのである。この「成長」強迫を払拭しなくては、人類文明と地球生態系の両方とも出口が見い出せない状況である。

そこでドイツ緑色党が新自由主義に適応する道を選ぶ時、もう一つの緑色運動家たちは反資本主義-脱資本主義の道を探し始めた。アメリカのジェー厶ズ・グスタフ スペス(James Gustave Speth)がその代表的な例である。彼はもともと主流の環境運動に属した人物であった。カーター、クリントン行政部で環境諮問役を担ったし、国際連合開発計画(UNDP)の事務総長を歴任したりもした。ところが、今は生態運動の目標を資本主義の克服と連結させる急進的立場の代弁者である。スペスの場合も主な苦悶は成長問題であった。成長崇拝をそのまま置いておいては如何なる環境問題も解決できないが、資本主義は成長崇拝なしには保ち得ない。結局、答えは簡明である。資本主義そのものを越えるべきである。こうして環境専門家のスペスは市場の社会的統制、富の(再)分配、企業の民主化など、左派政治の古い議題へと関心を拡張するしかなかった。このことを通じて追求すべきことは、成長とは区別される真の人間発展である。スペスによると、「成長を終えるべきだとして開発までも終えるべきだという意味ではない。」経済活動による廃棄物の規模増加を伴う既存の成長とは違って、スペスの言う代案的発展は廃棄物の規模を増やさないようにしながら、財貨と用役の質を向上させることを意味する。ジェー厶ズ・グスタフ スペス、『未来のための経済学:資本主義を越えた想像』、イ・ギョンア訳、モチーフブック、2008、172頁。以下の本も既存の成長と代案的発展を区別する論議を展開している。アマルティア・セン(Amartya Kumar Sen)、ジョセフ・E・スティグリッツ(Joseph Stiglitz)、ジャン=ポール・フィトゥシ(Jean-Paul Fitoussi)、『GDPは間違った:「国民総幸福」を高める新しい指数を探して』、バク・ヒョンジュン訳、ドンニョク、2011;クライヴ・ハミルトン、『成長崇拝:われわれはなぜ経済成長の奴隷となったか』、キ厶・ホンシク訳、バオ、2011;ロバート・スキデルスキー(Robert Skidelsky)、エドワード・スキデルスキー(Edward Skidelsky)、『いくら位あれば充分なのか』、キ厶・ビョンファ訳、ブキ、2013。

このことが緑色が赤色に関心を傾けるべき理由ならば、赤色の立場でこれから緑色を抱きしめるべき訳は何か?正統マルクス主義を始め、大多数の社会主義運動の根本に居据っていた「生産力」崇拝に対する反省が挙げられよう。大きく二つの反省である。

一つ目、既存の方式の生産力発展はもうこれ以上持続され得ない。生産力の最も基本的な要素はエネルギーである。19世紀の産業資本主義は安い石炭エネルギーを基にして登場した。あまりに低廉なので、この時代の人々はこのような安いエネルギーの使用に限界があるとは、かつて思いも寄らなかった。マルクスでさえ資本主義の環境汚染に対する相当な慧眼をもってもジョン・ベラミー フォスター(John Bellamy Foster)、『マルクスの生態学:唯物論と自然』、イ・ボ厶ン訳、インガンサラン、2010。、化石エネルギーの限界を看破することはできなかった。その後、20世紀のアメリカ主導の資本主義では、石油が石炭の席に取って代わった。ところが、この200年間に渡る化石エネルギーの濫用のために、これらエネルギー源は急激に枯渇されつつある。また、これによって地球大気圏の二酸化炭素が急増して気温が上昇している。

従って、化石エネルギーの使用に基づいた生産力発展は、未来社会の土台となれない。化石エネルギーの危険な代替物である核発電もまた、同じである。化石-核エネルギーへの依存がより続くならば、もうこれらは「生産力」ではなく「破壊力」に急変して人類に襲い掛かってしまうだろう。われわれはすでに福島でその前兆を目撃した。

それではこういうエネルギー危機に代案はあるか?ある。地球生態系で唯一に持続可能なエネルギー源、太陽エネルギーがそれである。地球上のすべての人が使うエネルギーの1万7000倍に当たる太陽エネルギーが、毎日地球に届いている。イアン・アンガス(Ian Angus)編、『気候正義:気候変化と環境破壊に立ち向かった反資本主義の代案』、キ厶・ヒョンウ他訳、イマジン、2012、187頁。 すでに60年も前の1952年に、アメリカのトルーマン政府は太陽エネルギー中心の未来エネルギー計画を立案したことがある。その骨子は1975年まで1500万の世帯が太陽エネルギーから電力と暖房を確保するということであった。しかし、これによって既存の独占構造を失うことを憂慮した大手エネルギー企業らが反発して出た。後任のアイゼンハワー政府はこれらの企業の集中的な支援を受けて登場した。なので執権するやいなやトルーマン政府の計画を白紙化し、核発電中心の政策へと旋回した。その結果が今日のアメリカであり、これに追従した韓国のような国の現在の姿である。カン・ヤング、『アトムの時代からコナンの時代へ:原子力と石油のない世の中を準備するエネルギープロジェクト』、サイエンスブックス、2011、171~72頁。

太陽エネルギーの技術的活用の可能性に対しては懐疑論も少なくない。だが、上記のアメリカの事例からもわかるように、そのような技術が初めから実現不可能なことではなかった。これまではただ技術開発の努力自体が化石-核エネルギーカルテルによって抑圧されてきただけである。太陽中心のエネルギー体制は充分可能である。そして、このようなエネルギー体制に基づいた生産力構造へと転換するならば、炭素排出の急減もまた、確かに可能である。つまり、単なる生産力の持続発展ではなく、その転換が必要だ。左派はこれから「太陽コミューン主義」を受け入れるべきである。イアン・アンガス、前掲書、443頁。

二つ目、生産力の発展がひたすら正しいことなのかに対しても、今は疑問を投げかけるべきだ。これまで資本主義の生産力発展を通じて社会の総生産量が増え、効率性が増大はした。しかし、その主体は民衆の一人一人ではなく、あくまでも企業と国家機構のような巨大組織である。社会の力量はこれらの組織に集中され、個個人の能力はむしろ過去に比べて退行する。資本主義の発展以前には生活世界の力量で解決されたことが、今はほとんど産業の領域、つまり巨大組織らの事業となってしまったからである。

少しだけ思考実験を行っても実感できる。伝統時代には自然災害で一つの社会が崩壊水準の打撃を被っても容易く復旧が可能であった。該当社会の力量のほとんどが、個人、あるいはその家族、村共同体に体化されていたからである。反面、今の時代にもしかして大企業や官僚機構がすべて崩れるならば、その混乱は収拾できなくなるだろう。社会を存続させる能力がこれらの組織に集中されている反面、個人は無力だからである。すなわち、生産力発展におけるコインの裏側は、社会的力量の巨大なる「独占」である。

われわれにこの痛い真実を喚起させてくれた人物がイヴァン・イリイチ(Ivan Illich)である。イリイチはわれわれの状況を「根本的な独占」と称した。イヴァン・イリイチ、『成長を止めよ!:自律的共生のための道具』、イ・ハン訳、ミト、2004、89~98頁。 既存の左派政治の流れはこういう根本的独占の危険が直視できなかった。労働大衆が産業を所有し、運営を掌握することとなると、その力量は直ちに民衆のものになると楽観した。しかし、こういう期待とは違って、ひとまず根本的独占のために無力となった労働大衆は、巨大組織の権力に歯向かうことを諦めた。その中でより多くの賃金所得を得ることに満足しながら、より一層自分の能力を権力体に譲渡するだけであった。つまり、根本的独占によって労働大衆の生の自律性が無くなったら、革命の可能性もまた、弱くなってしまった。労働者の自主管理の主唱者として出発したアンドレ・ゴルツ(André Gorz)が伝統的な労働運動に別れを告げることとなったのも、イリイチのこのような問題意識を手痛く認めるしかなかったためである。アンドレ・ゴルツ、『さらばプロレタリアよ』、イ・ヒョンウン訳、センガゲナム(考えの木)、2011。

左派政治はもうこれ以上過去の生産力崇拝(結局は成長崇拝へとつながる)をそのまま継承することはできない。必要なのは生産力のなお一層の発展ではなく、もしかしたらこれ以上の発展を再検討することであるかも知れない。イリイチが主張した通り、民衆が直接参加する討論と合意を通じて、生産力の発展水準を調節することが自由の出発点であろう。
このすべての反省は赤色が単に緑色と会う水準を越えて、緑色化すべきだということを雄弁する。今の世紀における左派政治はもう生態主義化した社会主義、つまり「緑色」社会主義を追求すべきである。

 

2. 世界の至る所における赤緑同盟の試み

 

世界の至る所では反資本主義的生態主義、あるいは生態主義化した社会主義を追い求める政治勢力がすでに活発に活動している。例えば、ヨーロッパ議会の中には「北ヨーロッパ緑色左派」(Nordic Green Left)議員団がある。これにはスウェーデン左派党、ノルウェー社会主義左派党、アイスランド左派緑色運動など、北ヨーロッパ国家の左派政党らが属している。かれらは等しく左派でありながらも「緑色」、つまり生態主義を強調する。アイスランド左派緑色運動は党の名前からして「左派」と「緑色」との結合である。この党は自分の理念として民主的社会主義、生態主義、女性主義を掲げる。アメリカ発の金融危機がアイスランドをさらった2009年に実施された総選挙で、左派緑色運動は21%を得票しながら気炎を吐いたりもした。

去年、ギリシャの総選挙で社会民主主義の政党である汎ギリシャ社会主義運動(PASOK)を追い抜いて左派第1党(26.89%得票)として急成長した急進左派連合(SYRIZA)も、左派緑色運動と類似した理念を提示する。赤色、青色、紫色の旗で成された彼らのロゴは、社会主義、生態主義、女性主義を象徴する。急進左派連合のなかにはいくつかの政派が活動しているが、その中で最も大きな組織の名称は「左派運動生態主義連合」(略称Synaspismós)である。その他にも「生態社会主義者たち」、「共産主義生態左派革新」などの組織が参与している。急進左派連合は去る7月11日から四日間開かれた党大会を通じて、政党連合から単一政党へと転換した。 一方、今年のイタリア総選挙では「左派/生態/自由」(SEL)という見慣れない名の政党が院内に進出した。党の名前通りに彼らもまた緑色左派の勢力である。

このような事例のなかでも特に興味深いのは、デンマークの赤緑連合(RGA)である。この組織もまた、ギリシャの急進左派連合のように色んな政派らの連合として出発した。新左派勢力である左派社会主義党と正統共産党、これにトロツキー主義、マオ主義の政派まで結合して1989年始めて出帆した。本来の名前はただ「連合」である。デンマーク内では敢えて前に修飾語を付けなくても、彼らがどんな色なのか誰もが知っている。ただし、国外ではあまり知られていなかったために、前に「赤色と緑色」という修飾語を付ける。それで「赤緑連合」である。

なぜ単に「赤色」ではなく「赤色+緑色」なのか?これには歴史的背景がある。1980年代の核発電導入の反対運動がそれである。当時、主流正統らがデンマークにも核発電所を建設しようとしたら、急進左派の勢力だけがそれに反対して出た。そのおかげで核発電所建設は阻止されたし、デンマークは今、再生エネルギーの先進国となった。緑色党のない状況で急進左派が核発電反対運動を主導したので、それ以後、デンマークでは彼らがつまり「緑色」の代弁者として認められることになった。今も「連合」はデンマークで緑色党の位相を兼ねる。だから「赤緑連合」なのである。

赤緑連合は2011年の総選挙に1984年生れの若い女性代表のヨハネ・シュミットニールセン(Johanne Schmidt-Nielsen)を出して突風を巻き起こした。4席であった議席は12席に、3倍増えた。現在、赤緑連合は社会民主党主導の連立政府を鋭く監視しながら、支持率を10%以上の水準に上げた。社会民主党に取って代わる左派の新たな主導勢力の座を狙っているのである。

先に伝統左派と緑色との間における緊張の事例として述べたフランスでは、左派党(PG)が緑色社会主義を開拓している。左派党は2008年に社会党の党内左派の一部が脱党して作った政党である。それ以後、左派党は共産党およびその他の急進左派の政派らとともに、「左派戦線」(FG)という政党連合を結成した。左派党の立党主役中の一人であるジャン=リュック・メランション(Jean-Luc Mélenchon)は、去年の大統領選挙で左派戦線の候補として出馬し、11.05%を得票する成果を収めた。

左派党はこういう上昇の気勢に基づいて今年の3月末に党大会を開催した。今回の党大会は「生態社会主義に対する18個のテーゼ」という文書を採択して関心を集めた。これは左派党が意欲的に準備した綱領的性格の文書である。彼らは去年の12月に第1次生態社会主義者大会を開いて、この文書の草案を作成した。草案作成の過程には党外の人士たちも積極参与した。生態社会主義理論家として有名なミシェール・レーヴィ(Michael Löwy)もその中の一人であった。

「生態社会主義テーゼ」は資本主義のみでなく、生産至上主義も克服の対象だと規定する。限りない成長の追求が資源枯渇と気候変化を招いて、人間解放を遮るということである。従って、資本主義を越えるだけでなく、無限成長を前提とする社会民主主義や20世紀社会主義ももうこれ以上代案となれない。もちろんこの文書が提唱する新しい代案、つまり生態社会主義も伝統的左派のように生産手段の社会的所有・運営や富の再分配を重要視する。だが、過去にこのような課題が生産力をより拡大するための出発点だったとしたら、今は「生態的計画」を実現するための事前措置の性格を帯びる。生態的計画の目標は浪費なしに大衆が本当に必要とするものだけを生産することであり、労働時間を大幅短縮して自由時間を拡大することである。

また、「生態社会主義テーゼ」は核発電の段階的撤廃を断言している。事実、去る大統領選挙で左派戦線が提出した公約集韓国語訳本は、ジャン=リュック・メランション、『人間が先だ』、カン・ジュホン訳、ウィズダムハウス、2012。は核発電の撤廃を明言しなかった。おそらく左派戦線のもう一つの軸である共産党が核発電所の廃止に微温的なのが理由であったようだ。フランス共産党も社会党ほど緑色とは掛け離れているのである。しかし、左派党は今回の党大会で「生態社会主義テーゼ」を採択することで脱核の立場を明らかにした。

ここまでヨーロッパの事例を見てみた。だが、ヨーロッパのみではない。ラテンアメリカの左派政府らもそれなり緑色社会主義のビジョンを発展させている。一つの事例として2006年出帆したボリビアのエボ・モラレス(Evo Morales)政府が挙げられる。ボリビアの与党である社会主義運動(MAS)の理念は「共同体社会主義」である。これは故ウゴ・チャベス(Hugo Chávez)から現ニコラス・マドゥロ(Nicolás Maduro)大統領へと続くベネズエラ統合社会主義党(PSUV)政府の「21世紀社会主義」、エクアドルのラファエル・コレア(Rafael Correa)政府の「良い生(Buen Vivir)社会主義」と軌を一にする急進左派路線である。

モラレス政府の共同体社会主義はアメリカ原住民の伝統を代案社会の中心要素として蘇らせようとする。この伝統で大地は「パチャママ」(Pachamama)と呼ばれる、全人類の母親である。モラレス大統領は母親地球を私有化しようとする北半球の資本主義を人類の敵として規定する。そうして具体的代案として「生態負債」の概念を提示する。気候変化の責任は資本主義中心部の国々にあるが、その被害は南半球の国々に集中されている。このような北半球の国々の責任を数量化したものが生態負債である。ボリビア政府を始めラテンアメリカの左派は、南半球の国々が北半球に金融負債を償還するのではなく、むしろ北半球の国々が南半球に生態負債を返すべきだと主張する。

ラテンアメリカ急進左派のこの生態負債論は、緑色社会主義の全地球的拡大版と言える。古典社会主義が植民地世界を通じて帝国主義世界秩序変革運動へと拡張されたように、今は生態社会主義もラテンアメリカを経て地球秩序の大変革運動として地球化する様相である。ラテンアメリカを含めた全世界の緑色左派に対する概括としては、次の本が参考になる。デレク・ウォール(Derek Wall)、『グリーンレフト:全世界生態社会主義運動のすべて』、ジョ・ユジン訳、イハク社、2013。
韓国でもまだ萌芽の段階ではあるが、赤色と緑色の出会いが次第に重要な課題として浮かび上がっている。まず2012年、韓国にもいよいよ緑色党が出帆した。既存の進歩政党らと競争、あるいは協力する緑色政治勢力が登場したのである。緑色党の綱領は「成長と物神主義、経済至上主義を越える政党」を標榜しながら、「共同体の世話と暮らしの経済、協同と連帯の経済のなかで代案を発見」すると闡明する。先に紹介した緑色左派たちに比べると、脱資本主義の原則やその方法論が足りないという感じも与える。

しかし、綱領の語句を越えて緑色党立党の背景を深く理解することが、より正しいかも知れない。緑色党立党における一つの基盤は、隔月刊紙の『緑色評論』の読者ネットワークである。また、この雑誌の主な筆者たちが相当な理論的影響を及ぼしている。『緑色評論』は韓国の知性界で伝統左派とは異る視角でもって資本主義に対する急進的批判を展開してきた、ほとんど唯一の論壇である。こういう点で緑色党が左派政治と会って対話し協力する可能性を見逃してはならないだろう。

一方、既存の進歩政党の中では進歩新党がこれまで真摯に緑色政治に近寄っていく姿を見せた。進歩新党は今年6月、7月の二回に渡って開催した党大会を通して、党の名を「労働党」に変えた。これとともに「労働党宣言」というタイトルの新綱領も採択した。「労働党宣言」は労働党が「資本主義と帝国主義、性別位階構造と生態破壊の文明に立ち向かって戦い」、「生態主義、女性主義、平和主義、少数者運動と結びついた社会主義を追求する」と明かしている。より具体的な時代的課題としては「平等・生態・平和共和国」の建設を提示する。その中で「生態共和国」関連の部分はこうである。

「私たちは化石および核エネルギー依存、土建万能、農業破壊など、資本主義近代化が強いた限界を越えて生態共和国を建設する。生態共和国はエネルギー、産業および生活様式全般の緑色転換を通じて圧縮近代化の傷跡を治癒する。」
進歩新党の党名改正の論議過程で重要に検討した名称の中には、「緑色社会労働党」、「赤緑党」などもあった。このことは相当数の党員たちの苦悶が世界の至る所の緑色左派と相当通じるところがあるということを物語る。こういう模索はこれから韓国社会で赤色と緑色の結合が成し遂げられることにおいて重要な変数となるだろう。

もちろん難関も多いだろう。既存の進歩政党らと緑色党は文化からが大きく異る。西欧で旧左派と新左派との間で現れた文化的間隙に劣らない。細部の政策争点でも衝突するくだりは少なくない。例えば、進歩政党は韓国電力の分割民営化に反対する労働組合に同調するに反して、緑色運動は労働組合の立場が中央執権的電力供給の体系を温存させようとすることではないかと疑問を呈する。事実、このような深刻な差異が存在するので、今すぐ赤色と緑色を一つの政党に集めようとする試みは、却って誤って事を悪くするかも知れない。それよりは相当の期間、それぞれ独自的な政治勢力化を推し進めながら、緊密に疎通し連帯するほうがよりよいと思われる。

だが、このことが両者間の差異は克服できないという話では決してない。進歩政党運動の方だけ見ても、これまで緑色政治に向かって近寄っていきながら、少なくない自己革新の努力を重ねてきた。過去、民主労働党は原電関連の労働組合の様子をうかがいながら、核発電問題に対してかなり慎重であったのに反して、今は「核発電所撤廃」が進歩政党運動の中で確固たる多数の立場となっている。相当な努力が必要はしたが、とにかく変化が不可能なわけではなかった。未来にもこれは同じであろう。赤緑ブロック、あるいは労働-緑色ブロックの形で、左派政党と緑色政党との間における対話と協力をより積極的に推進するほど、その可能性はより高くなるだろう。

 

3. 赤緑政治の可能性を展望する

 

事実、韓国でも赤色と緑色の出会いはすでに現在進行形である。核発電所撤廃運動の現場で進歩政治と緑色政治はすでに互いに会っている。原電事故が頻発する釜山古里で、原電の新規建設が推進されている慶尚北道三陟で両者は会ってきた。そして今は慶尚南道密陽がこの出会いの熱い舞台である。
古里や三陟とは違って、密陽に核発電所が入ってくるわけではない。密陽には765kV高圧送電塔が建設される予定である。ところが、これがすべて核発電と関係がある。韓国電力が新たに作る新古里原電3号、4号機が生産した電力を首都圏や大邱に輸送しようとすれば、密陽にその輸送路を建設しなければならないということである。765kV送電塔は私たちがよく見る154kV送電塔より、なんと18倍も多い電気を輸送する。このような超高圧送電塔の近くでは人も健康に生きられないし、作物の栽培も難しい。すでに忠清南道唐津の前例がある。そこで密陽の住民たちは憤然と送電塔建設反対闘争に乗り出した。キ厶・ヒョンウ、「密陽の戦争」、労働党機関誌『未来から来た手紙』創刊準備号(2013年6月)。

密陽の事例は私たちに多くの考え事を投げ掛ける。これまで脱核運動は主に核発電所の周りで起こった。ところで、密陽は核発電所で生産した電気を輸送する道の要所である。ソウル、大邱など大都市へ電気を輸送するため経るべきところである。このことは火力や核発電中心の電力需給の体系が、高度に中央執権的だということを改めて気付かせてくれる。電力を大規模に消費するのは大都市の人口である。ところが、彼らが消費する電気は遠く離れている他の地域で大量生産されて長距離輸送されたものである。この電力需給の体系のため、該当の大都市ではない他の地域の住民たちが犠牲を甘受しなければならない。核発電の危険度、高圧送電塔の被害も余すところなく彼らの分け前となる。超集中的なエネルギー生産および消費構造が維持される限り、このような不平等な犠牲の強要は避けられない。

それからこの問題は韓国社会のもう一つの根本問題と深く連関している。それはつまり首都圏と他の地域との間における不平等である。朝鮮半島の南側は首都圏という巨大都市に残りの地域が徹底に従属された形で空間が編制されている。ソウルを中心に都市国家が一つ突っ立っており、残りはこれを支える背後地でしかない。それに背後地の中でも、大邱のような大都市と残りの地域との間に不平等が存在する。ソウルと大邱に電力を供給するため嶺南の海岸地域と密陽が犠牲とならなければならないという論理を前に、ほかの何かを思い浮かべることは難しい。

韓国社会を苦しめる他の矛盾と同じく、このような地域間不平等もまた、その発端は朴正熙(バク・ジョンヒ)時代にある。朴正熙政権で始まった圧縮近代化、あるいは資本主義化の産物である。たとえ朝鮮王朝時代や帝国日本の治下の影響もあるとしても、首都圏が他の地域の資源と余剰をがつがつと吸い込む渦巻きの構造が本格的に登場したのは、圧縮成長を通じてである。従って、この巨大な渦巻きの構造を変えることができなければ、私たちは朴正熙時代の歴史的罠から逃れ得ない身の上となるだけである。上記の「労働党宣言」が主張するように、これから私たちは「圧縮近代化の傷跡を治癒」すべきだ。

まず、出発点はエネルギー体制の転換である。化石と核エネルギー中心の体制から太陽エネルギー中心の体制へと転換すべきだ。核発電所は撤廃し、化石エネルギーへの依存度は下げながら、太陽熱・太陽光・風力・バイオマスなど、再生可能のエネルギーの比重を高めなければならない。このことは左派政治と緑色政治の両方に重要な課題であり機会である。エネルギー転換が生態的持続可能性を高めるのみでなく、もう一つの肯定的効果を生み出すからである。豊かな新しい職場の創出がそれである。再生エネルギーは各地域で自給自足するしかない。なので再生エネルギー中心の体制ではその分地域ごと職場が増えるに決まっている。また、住宅と各種の建物のエネルギー効率性を高める過程でも緑色職場が生じる。エネルギー気候政策研究所、『脱核:ポスト福島とエネルギー転換時代の論理』、イマジン、2011、171~72頁。 ヨーロッパの左派・緑色政党はすでにこの複合的な可能性に注目している。そこで金融市場に流れる資本を動員して、エネルギー転換の事業に大々的な公共投資を敢行しようと主唱する。いわゆる「緑色ニューディール」(Green New Deal)である。代表的な提案としては、次の報告書が挙げられる。New Economics Foundation, A Green New Deal(http://www.neweconomics.org/publications/entry/a-green-new-deal).

私たちの場合も、エネルギー転換は福祉国家の夢と生態主義の問題意識とが互いに出会う絶好の機会となるだろう。赤色と緑色の協力が始まり、熟す何よりよい舞台である。それと共に、韓国社会ではこれが単なる大規模の公共投資ほどの意味を超えて、一層根本的な変革の性格を帯びる。先に指摘した地域間の不平等のためである。このような位階的空間構造は地域単位で分散生産および消費するしかない再生エネルギーの生理と衝突する。地域不均衡を解体し、各地域が自体循環構造を持つように仕向けられなければ、太陽エネルギー中心の体制は実現不可能である。韓国で「太陽コミューン主義」は必ず都市と農村、首都圏と他の地域間の大変化を伴うべきなのだ。

今のように市場資本主義に任せるだけならば、こういう変化は不可能である。中央執権的エネルギー体系の恵みを受けている大資本は、このような体系が限界に達する際まで、引き続きその地帯収益を享有しようとするはずだからである。だからといって、国家官僚機構が乗り出しても可能でありそうもない。スターリン時代のソ連や朴正熙政権のような中央執権的国家は、超集中的構造を作るには有能である。しかし、中央執権的権力で分権的構造を作り出すことはできない。権力と資源、情報の分散は、民衆の自律性と協力が主導する時にのみ可能である。長期間に渡る市民参与と合意を通じて、既存の市場中心の行為を特定の方向へと調節していく時にこそ、再生エネルギー体制に基づいた自立的地域社会(の連邦)が構築できよう。

このような社会変化の過程に付ける名前としては、フランス左派党の「生態社会主義テーゼ」が提示する「生態的計画」が最も似合う。もちろん「計画」という言葉は過去の現実社会主義の官僚的命令経済を連想させて、あまり気乗りしない面がありはある。だが、市場に任せておかないで社会が決定し、介入し、評価するという点で、一応「計画」と表現することはできよう。とにかくこれから何世代の間に韓国社会に必要なのは、単純な「緑色ニューディール」を超えてそれを含めた「生態的計画」である。ソ連の五ヶ年計画や朴正熙政権の経済開発計画が経済の量的膨張のためのものであったのに反して、生態的計画は経済を生態系と人間社会に新たに調和させようとする集団的努力である。つまり、労働時間を短縮し、普遍福祉を実現しながら、太陽中心のエネルギー体制を構築し、地域社会を再構成するための参与決定と大衆的合意の過程である。経済開発計画が「圧縮近代化の傷跡」を生み出したならば、これからは生態的計画を通じてそれを「治癒」していくべきである。

取りも直さずこれに今の時代に左派政治と緑色運動が互いに会って、一緒に責任を持つべき共同の課題がある。生態的計画の実現のため赤色と緑色は必ず会うべきだ。出会いの方式は多様であり得る。他の国のいくつかの事例のように、緑色左派政党を作ることもあり得るし、それとも左派政党と緑色政党が別々に発展しながら、赤緑連帯あるいは労働-緑色連帯を緊密に構築していくこともできよう。どんな道であれ、両者は会うべきである。否、互いに分けられないほど混ざるべきである。そうして始めて、朴正熙式近代化「革命」の悪夢を制圧して超える、この地における真の革命が姿を現わすことができよう。

 

翻訳:辛承模

季刊 創作と批評 2013年 秋号(通卷161号)

2013年 9月1日 発行

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