창작과 비평

「イ・ソッキ(李石基 )事件」と「進歩の再構成」論に寄せて

 
 
李承煥(イ・スンファン)  6・15共同宣言実践南側共同代表。主要論文に「文益煥、金主席を説得する」「李明博政府以降の対北政策構想」などがある。sknkok@paran.com
 
 
 

保守支配連合の構築と「従北」フレーム

 
朴槿惠政府になって新安保攻勢がさらに勢いを増している。保守支配連合の構築のための国をあげてのプロジェクトが進むなかで、政治と経済、メディア、学問と教育など、社会のあらゆる領域で維新時代を彷彿させる退行的な動きが、気勢をあげて民主主義の危機を拡大している。この退行的動きを正当化するために動員されている伝家の宝刀がまさに「従北」フレームである。従北だとか、従北と少しでも関係があるとか、あるいは従北を黙認するとか、そういったあらゆるものが従北であり、この従北親和的「非正常」の社会を「正常化」せねばならないという論理が民主主義の退行を正当化する論理として動員されている。そしていわゆる「イ・ソッキ(李石基)事件」は、この従北決別フレームのために長い時間かけて準備された「供物」だった。イ・ソッキ事件に対する統合進歩党出身の沈相奵(シム・サンジョン)正義党議員は、「内乱陰謀に対する司法判断とは別途に、これまで明らかになったイ・ソッキ議員のさまざまな言動が国会議員としては許しがたい時代錯誤的で危険な言動だった」2013年9月3日付KBSラジオ「アンニョンハシムニカ ホン・ジミョンです」インタビューから と批判した。また、統合進歩党の李相奎(イ・サンギュ)議員は「進歩的だという人々でさえ、実際にはマッカーシズムのなかに閉じ込められている」とし「従北フレームなるものはその点で非常に危険だ」李相奎へのインタビュー「“イ・ソッキグループは主体思想派?”セヌリ党‘従北フレーム’大変な時に同志を捨てろと? イ・ソッキ除名できない」『オーマイニュース』2013年10月10日 と主張している。
以上のように、イ・ソッキ事件に関しては非常に注意深く議論が展開されている。実際、これらの行為が「内乱陰謀」に該当するのかという法的問題も問題であるが、これらに対する批判は、ともすれば従北との決別を名分とした保守支配連合の構築を後押ししてしまうことにもなりうる。しかし「政治」という領域は世論の批判と集団知性による評価が日常的になされる空間であるがゆえに、これらが政党政治の一行為者となる瞬間から、進歩陣営内部の「公開批判」というタブーを既に犯してしまったとも言える。したがって、イ・ソッキ事件は韓国民主主義の後退を象徴する事件であることに違いない。しかしながら、これ以上タブーの領域にこの問題を置いておくのも難しい状況になり、また、これをきっかけに韓国の進歩の省察および再構成へと進む議論もまた回避できなくなったと考える。

 

自主派と「従北」は同一視できない

 

「イ・ソッキグループ」本稿ではイ・ソッキグループ、京畿東部連合、統合進歩党、自主派などの名称を厳格に区別して使用する。イ・ソッキグループが主導しているからといって公式の政党である統合進歩党と地域政治組織である京畿東部連合をイ・ソッキグループと同一扱いすることはできない。このことは自主派についても同様である。 が属する、いわゆる「自主派(NL)」は、分断体制の解消と統一の実現という問題を、民主主義の発展の問題と結び付けて考えるあらゆる運動勢力のことを指す名称といえる。これに比べて「平等派(PD)」は、分断体制の解消と統一の実現の問題よりも韓国〔原語は「南韓」〕社会における民主主義の実現という問題の方に集中しようとする勢力の通称である。当然のことだが、自主派は平等派に比べて分断体制に対して遙かに敏感な感受性をもっている。

ところが、平等派の一角に見られる「分断鈍感症」が北朝鮮〔原語は「北韓」〕に対する彼らの否定的認識と深くつながっているのと同じく、自主派の一角にも北朝鮮を自主が実現されたモデルと見做したり北朝鮮の理論や思想を受容しようとする立場が存在することもまた事実である。民主労働党の内部論争の過程で「従北」の烙印を押されたイ・ソッキグループは、まさにここに属するといえる。

「従北」とは、文字通り北朝鮮に追従するという意味であるが、これは北朝鮮の分断既得勢力、正確には分断体制を温存・強化する当事者としての北朝鮮政権を擁護したり、それらの利害関係を代弁したりする立場に立つことであると、厳密に規定せねばならない。単に北朝鮮の思想や理論をもって韓国社会を変容させようと努力するとか、または特定の問題にたいして北朝鮮を肯定的に評価するといったことだけで、従北の嫌疑をかけることはできない。その点で、「従北」は分断体制における片方の既得権の側に立っているという意味であって、ある運動勢力や政治勢力がもっている思想や路線を指す用語にはなりえない。

従北の概念をこのように規定すると、イ・ソッキグループでさえ若干の議論の余地が生じる。さらに、自主派一般をすべて従北だとすることは、まったく穏当ではない。自主派が経典とする「南と北は国の統一問題を、その主人であるわが民族同士が力を合わせて自主的に解決していくことにした」という6・15南北共同宣言の第一項は、従北とは全く関係ない。自主派がこの条項を正しく解釈しているのかという問題とは別に、南と北が統一のために協力しようというこの条項は、言い換えれば、南にいようと北にいようと分断体制の再生産に寄与するいかなる勢力も批判されねばならないという意味だからである。したがって、イ・ソッキ事件を自主派全般の問題に拡大することが保守政権の従北フレームに与することになるとの批判は、全的に妥当である。

従北フレームは分断体制下における「政治的烙印」であり、その本質は「87年体制」の成立以前に韓国社会をガチガチに縛り付けていた、まさにその「反共主義」の変形にすぎない。もちろん、この指摘が自主派全般により深い省察を求めることを否定することにつながってはならないだろう。

昨年の統合進歩党比例代表選不正選挙と関連して、テレビ討論の場で、統合進歩党のある議員は「北朝鮮をどう考えるか」という市民の質問に「答えられない」と言ったことがあった。後にこの議員は「その時一部の知識人は『政治家なのだから国民の質問には答えるべきだ』と言った。しかしそんなことは有権者が判断することだ。それをなぜ強要し強制するのか」と反論した李相奎へのインタビュー、前掲。 。その質問に答えなかったことと、思想の自由による選択だという彼の主張は至極妥当ではあるが、それによって、彼は「核兵器の開発と三代世襲」に代表される北朝鮮の分断既得権勢力を擁護しているという疑いを人々にもたせたこともまた、自ら甘受しなければならない。

 

イ・ソッキグループはどのように形成されたか

 

イ・ソッキグループが形成される過程についてはいくつかのアプローチが可能である。イム・ミリは「京畿東部連合」の形成と孤立過程をつうじて「党派」としてイ・ソッキグループのアイデンティティが形成され変化した歴史を跡付けている。彼女は広州大団地と城南市に対する社会的差別と排除の記憶を、否定するのではなく肯定する形で内面化した人々が、京畿東部連合という地域政治勢力を作ったが、同時に「記憶の固定化と集団の罠」に落ちて自らを差別と排除の犠牲者と見做すようになり、これによって2008年の民主労働党の分党と2012年の比例代表選での候補者選定騒動などを経て、暴力性・否定性・縁故主義などの運動的退行に陥り、だんだん孤立の道を歩んでいったと主張する イム・ミリ「京畿東部連合の起源と形成、そして孤立」『記憶と展望』2013年夏号。。イム・ミリはイ・ソッキグループの覇権主義と自派中心主義は従北のレッテルに伴う国家保安法という抑圧機制によって形成されたと判断する。国家保安法によって沈黙を強いられて自らを代弁できなくなるなかで、彼らの記憶はだんだんと過去に固定化されざるをえなくなり、熾烈な批判も思想闘争も不可能になったがゆえに、変化もまた難しくなったのである イム・ミリ、同上、104頁参照。。

イ・ソッキグループに対する理解は、イ・ソッキが京畿南部委員長として活動していた「民族革命党(民革党)」からアプローチすることができる。1989年に「反帝青年同盟」から始まった民革党は、北朝鮮と連携した韓国最後の地下政党組織だといえるが、1995年に内部論争があって自主解散を決定し、それ以後、京畿東部など下部組織が「民主主義民族統一全国連合(全国連合)」を中心に活動し、2001年9月以降は合法政党になった。しかし民革党時代の因習は金大中・盧武鉉政府下でそれほど危機意識もなく持続した。2004年に自主派が民主労働党の党内権力を掌握してからは、平等派などの二度の脱党と分党があり、統合進歩党は、事実上、イ・ソッキグループが主導する「政派政党」化したと評価される。これは統合進歩党内部に思想的多様性がなくなり、もはや牽制勢力も存在しなくなったことで、自己浄化システムを失ったことを意味する。

 

「主体思想派」というアイデンティティ

 
イ・ソッキグループのアイデンティティを理解するためには、いわゆる「RO(Revolutionary Organization)の会」の録音記事などを見ればよい。イ・ソッキの講演内容は、情勢関連の部分を除けば、伝えんとするメッセージは非常に単純で一貫している。それは以下の三点に要約できる。まず、韓国社会の進歩と保守、本物と偽物を分ける唯一の価値として「自主」がある。そして、思想は核爆弾よりも恐ろしいが武器なので必勝の信念体系で固く武装し一致団結することが最重要課題である。さらに、組織が一体となり強力な信念体系のもとに団結した勢力は決して壊れない「RO録音録全文」『韓国日報』2013年9月2-3日付、以下、ROの録音記録からの引用ないし参照はすべて出典を省略する。 。また、イ・ソッキは逮捕される直前に「民族の未来は自主にかかっている」とか「愛と義理で団結した統合進歩党を邪魔する者はいない」「あいつらは歴史の反対方向へと向かっており、我々は歴史の正しい方向に進む」との発言もある。このような発言から、彼らは自主を生命的価値として理解し、人の意識性(思想)をあらゆる事業の中心に置くだけでなく、「愛と義理」で団結した信念の組織体系を志向するものと理解できる。これらのことは全て主体思想の軸となる内容につながっている。特に注目すべきは、彼らが「革命的義理と同志愛」の原理によって首領-党-大衆の関係を規定する主体思想の「社会政治的生命体論」を自らの組織原理として受け入れているように見える点である。以上から、イ・ソッキなど京畿東部連合の主導勢力の路線の傾向は「従北主義」というより「主体思想派」と表現した方が正確だと思われる。イ・ソッキグループを「主体思想派」と規定することについて統合進歩党のある議員は「それは20年以上も前の学生運動時代の話」とし、彼らが「現実ではセヌリ党が出した従北フレームと同じ事を言っているにすぎない」と主張する李相奎へのインタビュー、前掲。 。しかしイ・ソッキグループが過去ではなく現在までも主体思想派としてのアイデンティティを強固に持っている点は否定し難い。これは従北フレームとは別問題である。もちろん、主体思想派に近づくだけでも国家権力の弾圧対象になる環境の中で、彼らが自身のアイデンティティをきちんと表出できないことは充分に理解できる。一方はなりふり構わずアイデンティティを隠し、他方で権力は手段も方法も問わずそのアイデンティティを暴露して進歩陣営全体を攻撃することによって、保守支配体制を固めんとしている。この「古びた構図」を整理すべき時が来た。イ・ソッキグループの立場からしても、民主進歩陣営内の思想的多様性が大衆に認められ、権力が思想の自由を傷つけることに立ち向かうことの方が望ましい構図であろう。その方が国家保安法によって沈黙を強いられ自らを代弁することもできない状況に置かれることより、状況への能動的な対処の仕方である。というのも、これまでの国家保安法という外的抑圧機制と同じく、「アイデンティティ隠し」もまた自由な批判と論争を不可能にし、また、彼らの自己変化を封じてきた主要因となってきたからである。
 

主体思想はマルクス主義の新たな発展なのか

 
韓国社会で主体思想はそれを受容することや、あるいは肯定的に評価することがタブー視されたと同時に、自由な解釈や批判の領域を超えて独立した城を構築しているという、二重の状況に置かれている。
「人間と世界の関係において人間が主動性を発揮する」という主体思想の要諦は、実際、思想としてタブーにされる何の理由もない。これは至極常識的な内容であるのみならず、ある面ではマルクス主義の哲学の発展の一定段階を反映しているというように、積極的に評価することも可能である。最高に発展した物質である脳髄に作用する人の意識性が世界を変化させる根本動力であると考えることは、実際、主体思想だけの独創的主張ではなく、マルクス主義の遺産と考える方が妥当であるエンゲルスは、人間の意識と思考こそが物質的・肉体的器官である脳髄の産物、すなわち物質の最高の産物であると考え、これによって社会発展の歴史が自然発展の歴史と本質的に区別されると見做した。すなわち「社会の歴史においては意識を持って慎重にあるいは情熱に湧きあがって行動する人間が、一定の目的を追求しながら活動する。この時、意識された意図と望んでいた目的なしには何も遂行できない」(F・エンゲルス『ルートヴィヒ・フォイエルバッハと古典ドイツ哲学の終末』ペクサン書堂、1989年)。 。ただ、人間と外的環境との関係において相互作用の側面を強調するマルクス主義とは異なり、主体思想は人間と世界の関係において人間の主動的地位を強調する。すなわち、「マルクスとエンゲルスが断片的に人間の主導的地位と役割規定を主張したにも拘わらず、彼ら以降のマルクス主義者たちは社会と人間を対等に相互作用する関係にあると捉えることによって、構造と主体の弁証法的緊張において究極的には人間の意志と行為、能力の決定性を主張」パン・イニョク「マルクス主義人間論と主体思想の「人間」観の比較研究」西江大学修士学位論文、2004年、117頁。 したのである。まさにこの地点で主体思想は構造と主体の間で各種の偏向に苛まされてきた西欧マルクス主義の折衷と失敗を「独創的に」解決したと評価することもできる。このように、主体思想は人間と人間行為の動因となる意識性(観念)に対する関心を拡大してきたマルクス主義哲学の発展の一定の段階に位置づけられる。とりわけ運動の客観条件の成熟を強調するマルクス主義一般に比べて、主体の「思想意識」の準備の具合をより重要視する実践的態度によって1980~90年代の学生運動を中心に、韓国社会に急速に拡まった。ここには何にもまして、容易で意味伝達が明らかな母国語テクストであったという利点も大きく作用した。しかし主体思想はその哲学的種子の一定の進歩性にも拘わらず、分断体制のタブーと排除および韓国社会の学知に蔓延した北朝鮮に対するオリエンタリズムなどによって、本格的な議論も評価もされてこなかった。このような状況は、いわゆる主体思想派に対するオープンな批判と議論を制約し、これらに従北という政治的烙印あるいは冷戦と権力弾圧の犠牲者という両極端の側面のみを際立たせる結果となった。
 

思想的発展の断絶と宗派性の問題

 
主体思想の問題は、理論的には北朝鮮の公式解釈のみが存立し、批判や省察の機能が去勢され、また、韓国では国家保安法のもとで自由な議論と批判が封鎖されていることによってさらなる思想的発展が停滞してしまっていたというところに起因する。その停滞によって主体思想は「意識性決定論」という「狭義の」主体哲学以外に政治の面でも実践の面でも、さらなる進歩的内容を生産できずにいる。とくに物質的存在のヒエラルキーを強調する主体思想の哲学的特性が北朝鮮の体制の「政治的発展の遅滞」と結びついたことで生まれた「首領論」は、主体思想の批判の的となっている。実際、首領論や後継者論は、「狭義の主体思想(主体哲学)」を、思想的全一化の名分によって領導体制・領導理論などの分断体制下における北朝鮮の歪んだ政治体制を正当化する理論として動員した、思想上の官製イデオロギーといっても過言ではない。イ・ソッキグループは、首領論の根幹たる「社会政治的生命体論」が主体思想の官製イデオロギー的突然変異であるのに、未だにそれを信奉しているようだ。これはまた、最高の思想を受容したのだから新たな思想的発展と変化のための努力は特に必要ではないという、自身の変化を「封鎖」することにもつながっている。しかし省察が伴わなければ、押し寄せる新しい現実を既存の思想や理論で適当に解釈しようとする傾向が蔓延することになる。それによって民族解放という目標が単に「自主」というスローガンに置き換えられるだけになったり、革命の根拠地であり「現存する未来」としての北朝鮮に対する認識や信念を保ちにくい状況は、主体思想派のアイデンティティの弱化をもたらす。このように、路線の上でのアイデンティティは弱まる反面、首領論と社会政治的生命体論の受容に伴う集団の組織性はさらに強化される傾向が出てくる。したがって、人々が感じるイ・ソッキグループの非民主性や覇権主義は、結局、首領論の水準で停滞した彼らの思想性の現れであると考えられる。すなわち、思想的アイデンティティが弱化するなかで集団としての利害関係である宗派的性格のみが浮き上がってくるのである。そう考えると、国民が彼らから目をそむける理由として挙げられる主張、すなわち彼らの「思想が遅れているからではなく」「覇権主義と非民主性、組織文化の閉鎖性」イム・ミリ「‘排除の恐怖’が洗練された防御さえ禁じたのか」『ハンギョレ』2013年9月14日。 という主張は、真実の半分に過ぎない。イ・ソッキグループに対して国民が信頼を喪失したのは、彼らの遅れた思想と路線上の問題が、国民一般の情緒と背馳しているからであると考えねばなるまい。もちろん、このような情緒は分断体制下で北に対して持ってしまう敵対意識とオリエンタリズムが作り出したものではあるが、他方でその中には北朝鮮の体制とその官製イデオロギー、とりわけ首領論などに対する国民の「集団知性的」評価が込められてもいる。

また、イム・ミリが分析したように、「排除の恐怖」もまた彼らの宗派性に深く影響していると思われる。すなわち、彼らは一度排除されればもう元には戻れないというような「排除の恐怖」を前にして自らに対する省察の代わりに「魔女狩り」論理を打ち立てて権力内部はもちろん民主進歩陣営内でも自分たちだけの集団性を強化することで防御してきたのである。

 

対双関係のアイロニー

 
省察のもう一つの地点は、イ・ソッキグループの現実意識の問題である。録音記録から確認できるイ・ソッキグループの現実認識は二つの点で、ある「典型性」を示している。一つは、彼らの対北認識に見られる「一方主義」である。イ・ソッキは、現在の朝鮮半島の危機はそもそも「米朝間の、とくに外来帝国主義による民族の尊厳と自主権の侵犯に対抗する行為」が発端になっていると捉える。ゆえに、一部の市民団体が現情勢を「戦争か平和か」というように「歪曲して」見ていることについて「北がまるであの戦争を助長したからこうなったかのように誤導しうる政治的判断ミス」の原因を提供していると主張する。もちろん、朝鮮半島の緊張においてアメリカの責任を強調するこの種の主張はとんでもない間違いだとは言えない。しかし問題は、彼が「情勢によって(北朝鮮がミサイルを)発射することの何が問題なのか」であるとか、「(北朝鮮の)核兵器の何が問題なのか。民族の誇りだ」というように、北朝鮮の立場のみを一方的に理解しようとすることにある。はなはだしくは、イ・ソッキはアメリカが「1000個以上もある核兵器をすべて廃棄するなら、われわれ朝鮮は当然その時、核を手放すだろう。奴らは手放さずに、われわれだけ手放せとは。自主に関する問題だ」として、自分と北朝鮮を同一視したりもする。この「なぜ北朝鮮だけを問題にするのか」という論理は、実際、私たちには見慣れたものでもある。これは朝鮮半島問題の基本的な責任が北朝鮮にあるので、北朝鮮が国際社会との約束と義務を守る方向に舵を切れば対話もするし支援もする、つまり北朝鮮さえ変化すればあらゆる問題が解決するという韓米両政府の論理と完全に対双をなす。対双関係にあるこの二つの論理は、相互敵対的ではあるが、朝鮮半島の危機の持続と再生産という側面では実質的な協業関係にもある。というのも、二つの論理は両方とも朝鮮半島問題のパターンの本質が、根本的には韓米両国と北朝鮮との間の相互作用にあるという点を否定しており、そうすることで北朝鮮核問題をはじめとして「制裁と挑発」のパターンのみを反復させる敵対的現状維持の根拠となっており 朝鮮半島問題の本質的なパターンが相互作用にあるという言い方は、北朝鮮の挑発的言動にも、そこには必ず韓米と北朝鮮とが相互に脅し合っているというパターンが作用していることを認めるという意味である。、朝鮮半島問題の根本的パラダイム転換を不可能にしているからである。他方で、彼らが提示する上記のような一方主義的対北認識の根底には、過度なリアリズムがある。何よりもイ・ソッキは核兵器を国家維持の最重要要素と見なしている。彼は脱核に反対する立場であるとしつつ、核は保有すべきであり「核は民族史的な驚くべき富」と主張する。さらに彼は核保有を体制の優越性と威力を判断する準拠にしている。彼は2月に予定されている第3回核実験での北の成果が並はずれたものであり、これが一部でも正確に知らされれば「以北社会の優越性と体制の威力、その長所・短所を知らしめるためのさらなる威力」になると強調する。そして資本主義的な見方、南側の見方であるところの経済中心、生産中心などを基準に北を判断してはならないと要求する。イ・ソッキは物質的な力、軍事力を体制の核心要素と考え、北朝鮮が制限された資源と技術を核兵器開発に投入することを当然視する。構成主義政治学者のアレクサンダー・ウェントは、軍事力のような物質的力を崇める物質主義が、マルクス主義とリアリズム、新リアリズムに共通する問題の根本地点であり、とりわけリアリズムにおいては軍事力という破壊様式が生産様式に相応する物質的下部構造となっていると主張する Alexander Wendt『国際政治の社会学理論――構成主義』パク・コンヨン/イ・オギョンほか訳、社会評論、2009年、146-147頁参照。。ウェントのこの主張にもとづけば、イ・ソッキにおいては物質的力である軍事力を崇める過度な「リアリズム」が根本的な問題の地点となる。

軍事力を崇めるイ・ソッキの立場は、同じく北朝鮮に対する軍事的抑止力強調する保守政府の立場と対双関係にある。「強力な韓米連合防衛体制を維持しながらキルチェーン(Kill-Chain)と韓国型ミサイル防御態勢(KAMD)など、核と大量破壊兵器(WMD)への対応能力を初期に確保して、北朝鮮政権が執着する核とミサイルがもはや無駄なことを自ら認識するよう促すこと」第65周年 国軍の日記念辞(2013年10月1日 という朴槿惠大統領の言及は、北朝鮮の核とミサイルのレベルを圧倒する抑止力を持つ必要があるという意味であり、これもまた典型的な軍事力崇拝の態度である。このように軍事力を崇め立てる二つの過度なリアリズムの対双関係の中で分断体制は再生産され続けるだろう。

このようにイ・ソッキグループは一方主義的な北朝鮮認識と軍事力崇拝の過度なリアリズムによって、分断に対してどこの誰よりも強力に抵抗しているにも拘わらず、分断体制の再生産においては分断既得権者と協業しているという、矛盾した位置に置かれているのである。この対双関係は、意図せざる結果ではなく、彼らが選択した路線の産物である。

 

「進歩の再構成」論の前提

 
イ・ソッキ事件の衝撃が少し落ち着いてから、民主進歩勢力の間で最も頻繁に論じられたテーマのひとつが、いわゆる「進歩の再構成」問題である。しかし進歩の再構成問題には、必ず確認しておくべき前提がある。それはイ・ソッキグループに対する批判を、批判者自身を含む民主進歩勢力全体の自己省察と切り離して進めることはできないという点である。隠してきた「従北」のアイデンティティがあらわになったとか、イ・ソッキグループだけでなくこの機会に自主派全般の従北性を問題にすべきだというような態度は、進歩の省察や再構成には何の役にも立たない。むしろイ・ソッキグループに対する一方的な政治的烙印や非難よりは、彼らの思想と現実認識の問題を、分断体制の作動原理の中で正確に把握することが必要であり、同時に彼らがどのように国家保安法の弾圧下でも一部の人々には今なお強力な訴求力をもつ「進撃主体思想派」になりえたのかについてもきちんと理解することが必要である。それは外的契機によって触発されたイ・ソッキグループの問題を民主進歩勢力全体の自己省察と発展の契機にするためにも、絶対に必要なことである。イ・ソッキグループの思想的停滞と一方主義的現実認識を論外とすると、実際、イ・ソッキグループをはじめとする自主派は、往々にして平等派系に比べて相対的には国民と目の高さを合わせようとする現実感覚を見せてきたし、エリートや専門家重視の一部市民運動と比較しても、彼らの方が大衆参与的運動を追求してきたことがわかる。「社会主義に対する展望を持っていた平等派は労働者が所有と経営に参加する経済民主化の核心的事案について強く反対しました。テナント賃借人保護法運動をするときは、小ブルジョア運動をしていると言って反旗を翻しました。むしろこの問題においては、国民情緒をはるかに敏感に受け止める自主派の方が貢献してくれました」ソン・テギョン「‘進歩の再構成’を語る人々こそ再構成の対象」『プレシアン』2013年9月15日。 。上記の指摘は思想的停滞と現実認識の退行にも拘わらず、彼らが見せた現実性と大衆性を他の進歩運動や市民運動はいまだに越えられないでいるという反証であり、まさにこの点が、彼らを「進撃の主体思想派」にした最大の理由なのである。結局、「市民なき」市民運動と社会運動全般の各種偏向がこのグループの存在と役割を際立たせた点で、こんにちのイ・ソッキ事態と無関係ではないのである。
したがって、イ・ソッキ事件とともに議論が再燃している「進歩の再構成」は、民主進歩勢力全般の分断体制克服に対する戦略と態度の再点検のような、より一層の根本的な自己省察とともになされねばならない。

 

「進歩の再構成」基準としての変革的中道主義

 

進歩の再構成に関する議論は多様なスペクトラムを見せている。そのうちのひとつは「時代錯誤的な北朝鮮体制に対して批判を留保することは、進歩の未来と合わない」という立場から北朝鮮の世襲政権、核問題、人権問題などに対する沈黙を破り、進歩の再創造に取り組まねばならないという主張であるチョ・ミン「韓国社会の葛藤構造と克服方向(草稿)」2013年民和協第4回専門家懇談会「朝鮮半島信頼の道――韓国社会の信頼形成と方案」報告文、2013年9月11日。 。第二に、イ・ソッキグループと統合進歩党には自己変化の能力も意志もないために、価値の観点からは一緒に何かをすることは難しいだとか、イ・ソッキグループと自主派を分離して民主進歩陣営全般が80年代の革命主義の遺制を生産しなくてはならないという「排除をつうじた再構成」の主張がある この種の主張は民主労総の一角をはじめとして主に平等派を中心に提起されている。。第三に、87年体制を創出した民主陣営は、今、ポスト87年体制を切り開いていくだけのビジョンとダイナミクスを作れないでいるので、必要なのは進歩の「再構成」よりは「進歩」の再構成であり、これは「民主派」の革新によってこそ見出されるという主張であるこの主張は細橋研究所第87回定期フォーラム「最近の南北関係の動向と進歩陣営の北朝鮮認識」(2013年9月27日)で鄭鉉坤(チョン・ヒョンゴン)が討論した内容の一部である。社会の勢力関係を「保守派」と「民衆派」に大別した意味については金鍾曄(キム・ジョンヨプ)「分断体制と87年体制の交差点にて」『創作と批評』2013年秋号参照。 。

これら多様な主張は、それぞれが重要な指摘を含んでいるがゆえに、どれが正しくどれが間違っているのかという具合に分けるのは難しい。私たちにできるのは、進歩の省察と再構成のためにいかなる基準を設定し、この基準に上記の複数の議論がどれほど符合するのかを検討してみることだけである。これに関して、分断体制の変革を志向する政治的実践の路線として白楽晴が提起した「変革的中道主義」を議論の一つの基準とすることができるだろう。

変革的中道主義の具体的な内容について白楽晴は、その中身を直接教えてくれるというよりは、「何ではないか」を確認していくことで変革的中道主義を説明する。彼は変革的中道主義「ではない」ものとして①変革が抜け落ちた改革路線ないし中道路線、②戦争や革命などの手段に頼る急進路線、③北朝鮮だけの変革を求める北朝鮮民主化論、④韓国だけの変革に集中しようとする平等派の一角が唱える分断色盲[ママ]的路線、⑤急進的な民族解放路線、⑥分断体制克服という認識が欠如したエコロジー・平和主義などを提示している 。

変革的中道主義によって進歩の再構成にアプローチすれば、何よりも各自が自己の運動の中に存在する変革的中道主義ではないものを吟味するプロセスが優先されるようになるだろうし、その省察の土台のうえに分断体制変革のためにそれぞれの勢力がもっている合理的問題意識をさらに練り上げながら「賢く結合」することがまさに「進歩の再構成」となるのである。と考えると、先に紹介した進歩の再構成に対する三つの立場は、それぞれ変革的中道主義の異なる側面を強調したものであるといえる白楽晴「2013年体制と変革的中道主義」『創作と批評』2012年秋号、22-23頁参照。。

他方で、政党政治に関連して、白楽晴は、変革的中道主義を受容する多様な政党が創造的に葛藤し競争しながらその中で選択的連帯がなされる白楽晴、同上、30頁参照。 「連合政治」を、現実的なオルタナティブとして提示しているように見受けられる。すなわち、合理的保守、改革的中道、各種進歩勢力が分断体制の変革を目標に広範囲な中道勢力を形成していこうというわけである。

ただ、分断体制の片側だけを一方的に排除しようとしたり、あるいは南と北のどちらか一方の分断既得権勢力と自らを一体化させる勢力は、それがどこの誰であれ、現段階では変革的中道主義にもとづく連合政治の一翼を担うことはできないと考える。分断体制下において南あるいは北の分断既得権勢力のどちらかを擁護するとか排除しようとする立場に立つことは、個人や小集団の次元では「思想の自由」や「信念」の領域にあるが、少なくとも分断体制の変革を目標として中道主義にもとづく「連合」を追求する過程では、その一員には含まれがたい。

その面から見れば、イ・ソッキ事件は連合政治のピンチであると同時に、新たな省察と再構成をつうじて分断体制の変革を目標とした広範囲な中道勢力の形成を促す連合政治の再生の重要なチャンスでもある。トラウマのように刻印された「排除の恐怖」によってイ・ソッキグループが統合進歩党を陥れ、統合進歩党もまた市民社会運動を陥れるような今の連鎖構造は、変革的中道主義にもとづく連合政治の実現にとって、あまり望ましいとは思われない。もちろんこれはイ・ソッキグループと統合進歩党に対する不当な弾圧に反対し、思想の自由を拡大するために共闘することとは別問題である。むしろ連合政治の中心が変革的中道主義に沿ってきちんと打ち立てられるなら、このような闘争はさらに力を発揮することができるし、連合政治自体の包容性も高めることができるだろう。

 

新たな市民政治の生態系のために

 

ところで、革命的中道主義にもとづく連合政治を実践していくためには、政党政治のみではなく市民政治の役割も非常に重要である。2012年の大統領選挙は、「政党政治に埋没しない」市民政治のダイナミズムが強力に作動しなければ政党政治内で変革的中道主義にもとづく革新と連帯はきちんとなされないということを見せつけた。

特に韓国の政党政治は市民(政治)運動との結合基盤が弱く、「政派あるいは政治指導者中心の政治風土」が固着している状況である。さらには、「自発的市民」の自由な政治参加が活発なわけでもない。そのせいで先の大統領選挙の過程で現れた市民政治の様相は非常に限定的だった。「希望2013・勝利2012円卓会議」は連合政治のテーブルの上で主に役割を遂行し、また大統領選候補の単一化過程で作られた「2012国民連帯」もまた上層の連帯組織として構成され、地域で活動していたり、シングルイシューを扱っている市民政治運動の発展にほとんど寄与できないまますぐに解消してしまった。

市民政治運動は世界的な流れであるのみならず、情報通信技術の発展とともにどんどん拡大されていくであろうことは明らかである。何よりまず現在の市民運動は環境・平和・人権といった、自らが設定した課題を完全に達成させつつ、全体としての市民政治運動の発展に積極的にも取り組むことが重要である。これとともに自発的市民による「新たな市民政治運動」の発展のために「批判的に思考し行動する市民(個人)」による政治運動の活性化とネットワーク化も必須の課題となる。このような努力があってこそ市民政治運動の新たな生態系が形成される。もちろん、選挙による政治的決定の時期には政党中心の政治連合が必要となるであろうし、市民政治の「上層連帯」も新たに展開されねばならないだろう。

新たな市民政治の生態系が自由な市民の活発なネットワークを志向するとはいえ、これもまた分断体制に対する変革性を担保しながら、同時に、偏りのない現場性を帯びなくてはならないことは明らかである。というのも、変革的中道主義は単に連合政治の領域でのみ意味をもつのではないからである。この前提に立つのであれば、自発的市民の政治行為の空間となるオンラインのプラットフォームやオルタナティブメディアの拡散、ローカルな草の根組織、「コミュニティづくり」「コミュニティづくり」[原語は「村づくり」]は、福祉の受け手を単に恩恵の対象と見るのではなく、問題をともに解決し改善していく主導的構成員と捉える「地域共同体」[原語は「村共同体」]運動である。 と協同組合運動、市民団体などが互いに交流しながら好循環をなす新たな市民政治の生態系の構想と実現のための努力は、「連合政治」問題とともに今後、市民社会運動がさらに知恵を絞るべき主要課題となっている。

 

翻訳:金友子季刊 創作と批評 2013年 冬号(通卷162号)

2013年 12月1日 発行

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