「イ・ソッキ(李石基 )事件」と「進歩の再構成」論に寄せて
保守支配連合の構築と「従北」フレーム
以上のように、イ・ソッキ事件に関しては非常に注意深く議論が展開されている。実際、これらの行為が「内乱陰謀」に該当するのかという法的問題も問題であるが、これらに対する批判は、ともすれば従北との決別を名分とした保守支配連合の構築を後押ししてしまうことにもなりうる。しかし「政治」という領域は世論の批判と集団知性による評価が日常的になされる空間であるがゆえに、これらが政党政治の一行為者となる瞬間から、進歩陣営内部の「公開批判」というタブーを既に犯してしまったとも言える。したがって、イ・ソッキ事件は韓国民主主義の後退を象徴する事件であることに違いない。しかしながら、これ以上タブーの領域にこの問題を置いておくのも難しい状況になり、また、これをきっかけに韓国の進歩の省察および再構成へと進む議論もまた回避できなくなったと考える。
自主派と「従北」は同一視できない
「イ・ソッキグループ」本稿ではイ・ソッキグループ、京畿東部連合、統合進歩党、自主派などの名称を厳格に区別して使用する。イ・ソッキグループが主導しているからといって公式の政党である統合進歩党と地域政治組織である京畿東部連合をイ・ソッキグループと同一扱いすることはできない。このことは自主派についても同様である。 が属する、いわゆる「自主派(NL)」は、分断体制の解消と統一の実現という問題を、民主主義の発展の問題と結び付けて考えるあらゆる運動勢力のことを指す名称といえる。これに比べて「平等派(PD)」は、分断体制の解消と統一の実現の問題よりも韓国〔原語は「南韓」〕社会における民主主義の実現という問題の方に集中しようとする勢力の通称である。当然のことだが、自主派は平等派に比べて分断体制に対して遙かに敏感な感受性をもっている。
ところが、平等派の一角に見られる「分断鈍感症」が北朝鮮〔原語は「北韓」〕に対する彼らの否定的認識と深くつながっているのと同じく、自主派の一角にも北朝鮮を自主が実現されたモデルと見做したり北朝鮮の理論や思想を受容しようとする立場が存在することもまた事実である。民主労働党の内部論争の過程で「従北」の烙印を押されたイ・ソッキグループは、まさにここに属するといえる。
「従北」とは、文字通り北朝鮮に追従するという意味であるが、これは北朝鮮の分断既得勢力、正確には分断体制を温存・強化する当事者としての北朝鮮政権を擁護したり、それらの利害関係を代弁したりする立場に立つことであると、厳密に規定せねばならない。単に北朝鮮の思想や理論をもって韓国社会を変容させようと努力するとか、または特定の問題にたいして北朝鮮を肯定的に評価するといったことだけで、従北の嫌疑をかけることはできない。その点で、「従北」は分断体制における片方の既得権の側に立っているという意味であって、ある運動勢力や政治勢力がもっている思想や路線を指す用語にはなりえない。
従北の概念をこのように規定すると、イ・ソッキグループでさえ若干の議論の余地が生じる。さらに、自主派一般をすべて従北だとすることは、まったく穏当ではない。自主派が経典とする「南と北は国の統一問題を、その主人であるわが民族同士が力を合わせて自主的に解決していくことにした」という6・15南北共同宣言の第一項は、従北とは全く関係ない。自主派がこの条項を正しく解釈しているのかという問題とは別に、南と北が統一のために協力しようというこの条項は、言い換えれば、南にいようと北にいようと分断体制の再生産に寄与するいかなる勢力も批判されねばならないという意味だからである。したがって、イ・ソッキ事件を自主派全般の問題に拡大することが保守政権の従北フレームに与することになるとの批判は、全的に妥当である。
従北フレームは分断体制下における「政治的烙印」であり、その本質は「87年体制」の成立以前に韓国社会をガチガチに縛り付けていた、まさにその「反共主義」の変形にすぎない。もちろん、この指摘が自主派全般により深い省察を求めることを否定することにつながってはならないだろう。
昨年の統合進歩党比例代表選不正選挙と関連して、テレビ討論の場で、統合進歩党のある議員は「北朝鮮をどう考えるか」という市民の質問に「答えられない」と言ったことがあった。後にこの議員は「その時一部の知識人は『政治家なのだから国民の質問には答えるべきだ』と言った。しかしそんなことは有権者が判断することだ。それをなぜ強要し強制するのか」と反論した李相奎へのインタビュー、前掲。 。その質問に答えなかったことと、思想の自由による選択だという彼の主張は至極妥当ではあるが、それによって、彼は「核兵器の開発と三代世襲」に代表される北朝鮮の分断既得権勢力を擁護しているという疑いを人々にもたせたこともまた、自ら甘受しなければならない。
イ・ソッキグループはどのように形成されたか
イ・ソッキグループが形成される過程についてはいくつかのアプローチが可能である。イム・ミリは「京畿東部連合」の形成と孤立過程をつうじて「党派」としてイ・ソッキグループのアイデンティティが形成され変化した歴史を跡付けている。彼女は広州大団地と城南市に対する社会的差別と排除の記憶を、否定するのではなく肯定する形で内面化した人々が、京畿東部連合という地域政治勢力を作ったが、同時に「記憶の固定化と集団の罠」に落ちて自らを差別と排除の犠牲者と見做すようになり、これによって2008年の民主労働党の分党と2012年の比例代表選での候補者選定騒動などを経て、暴力性・否定性・縁故主義などの運動的退行に陥り、だんだん孤立の道を歩んでいったと主張する イム・ミリ「京畿東部連合の起源と形成、そして孤立」『記憶と展望』2013年夏号。。イム・ミリはイ・ソッキグループの覇権主義と自派中心主義は従北のレッテルに伴う国家保安法という抑圧機制によって形成されたと判断する。国家保安法によって沈黙を強いられて自らを代弁できなくなるなかで、彼らの記憶はだんだんと過去に固定化されざるをえなくなり、熾烈な批判も思想闘争も不可能になったがゆえに、変化もまた難しくなったのである イム・ミリ、同上、104頁参照。。
イ・ソッキグループに対する理解は、イ・ソッキが京畿南部委員長として活動していた「民族革命党(民革党)」からアプローチすることができる。1989年に「反帝青年同盟」から始まった民革党は、北朝鮮と連携した韓国最後の地下政党組織だといえるが、1995年に内部論争があって自主解散を決定し、それ以後、京畿東部など下部組織が「民主主義民族統一全国連合(全国連合)」を中心に活動し、2001年9月以降は合法政党になった。しかし民革党時代の因習は金大中・盧武鉉政府下でそれほど危機意識もなく持続した。2004年に自主派が民主労働党の党内権力を掌握してからは、平等派などの二度の脱党と分党があり、統合進歩党は、事実上、イ・ソッキグループが主導する「政派政党」化したと評価される。これは統合進歩党内部に思想的多様性がなくなり、もはや牽制勢力も存在しなくなったことで、自己浄化システムを失ったことを意味する。
「主体思想派」というアイデンティティ
主体思想はマルクス主義の新たな発展なのか
「人間と世界の関係において人間が主動性を発揮する」という主体思想の要諦は、実際、思想としてタブーにされる何の理由もない。これは至極常識的な内容であるのみならず、ある面ではマルクス主義の哲学の発展の一定段階を反映しているというように、積極的に評価することも可能である。最高に発展した物質である脳髄に作用する人の意識性が世界を変化させる根本動力であると考えることは、実際、主体思想だけの独創的主張ではなく、マルクス主義の遺産と考える方が妥当であるエンゲルスは、人間の意識と思考こそが物質的・肉体的器官である脳髄の産物、すなわち物質の最高の産物であると考え、これによって社会発展の歴史が自然発展の歴史と本質的に区別されると見做した。すなわち「社会の歴史においては意識を持って慎重にあるいは情熱に湧きあがって行動する人間が、一定の目的を追求しながら活動する。この時、意識された意図と望んでいた目的なしには何も遂行できない」(F・エンゲルス『ルートヴィヒ・フォイエルバッハと古典ドイツ哲学の終末』ペクサン書堂、1989年)。 。ただ、人間と外的環境との関係において相互作用の側面を強調するマルクス主義とは異なり、主体思想は人間と世界の関係において人間の主動的地位を強調する。すなわち、「マルクスとエンゲルスが断片的に人間の主導的地位と役割規定を主張したにも拘わらず、彼ら以降のマルクス主義者たちは社会と人間を対等に相互作用する関係にあると捉えることによって、構造と主体の弁証法的緊張において究極的には人間の意志と行為、能力の決定性を主張」パン・イニョク「マルクス主義人間論と主体思想の「人間」観の比較研究」西江大学修士学位論文、2004年、117頁。 したのである。まさにこの地点で主体思想は構造と主体の間で各種の偏向に苛まされてきた西欧マルクス主義の折衷と失敗を「独創的に」解決したと評価することもできる。このように、主体思想は人間と人間行為の動因となる意識性(観念)に対する関心を拡大してきたマルクス主義哲学の発展の一定の段階に位置づけられる。とりわけ運動の客観条件の成熟を強調するマルクス主義一般に比べて、主体の「思想意識」の準備の具合をより重要視する実践的態度によって1980~90年代の学生運動を中心に、韓国社会に急速に拡まった。ここには何にもまして、容易で意味伝達が明らかな母国語テクストであったという利点も大きく作用した。しかし主体思想はその哲学的種子の一定の進歩性にも拘わらず、分断体制のタブーと排除および韓国社会の学知に蔓延した北朝鮮に対するオリエンタリズムなどによって、本格的な議論も評価もされてこなかった。このような状況は、いわゆる主体思想派に対するオープンな批判と議論を制約し、これらに従北という政治的烙印あるいは冷戦と権力弾圧の犠牲者という両極端の側面のみを際立たせる結果となった。
思想的発展の断絶と宗派性の問題
また、イム・ミリが分析したように、「排除の恐怖」もまた彼らの宗派性に深く影響していると思われる。すなわち、彼らは一度排除されればもう元には戻れないというような「排除の恐怖」を前にして自らに対する省察の代わりに「魔女狩り」論理を打ち立てて権力内部はもちろん民主進歩陣営内でも自分たちだけの集団性を強化することで防御してきたのである。
対双関係のアイロニー
軍事力を崇めるイ・ソッキの立場は、同じく北朝鮮に対する軍事的抑止力強調する保守政府の立場と対双関係にある。「強力な韓米連合防衛体制を維持しながらキルチェーン(Kill-Chain)と韓国型ミサイル防御態勢(KAMD)など、核と大量破壊兵器(WMD)への対応能力を初期に確保して、北朝鮮政権が執着する核とミサイルがもはや無駄なことを自ら認識するよう促すこと」第65周年 国軍の日記念辞(2013年10月1日 という朴槿惠大統領の言及は、北朝鮮の核とミサイルのレベルを圧倒する抑止力を持つ必要があるという意味であり、これもまた典型的な軍事力崇拝の態度である。このように軍事力を崇め立てる二つの過度なリアリズムの対双関係の中で分断体制は再生産され続けるだろう。
このようにイ・ソッキグループは一方主義的な北朝鮮認識と軍事力崇拝の過度なリアリズムによって、分断に対してどこの誰よりも強力に抵抗しているにも拘わらず、分断体制の再生産においては分断既得権者と協業しているという、矛盾した位置に置かれているのである。この対双関係は、意図せざる結果ではなく、彼らが選択した路線の産物である。
「進歩の再構成」論の前提
したがって、イ・ソッキ事件とともに議論が再燃している「進歩の再構成」は、民主進歩勢力全般の分断体制克服に対する戦略と態度の再点検のような、より一層の根本的な自己省察とともになされねばならない。
「進歩の再構成」基準としての変革的中道主義
進歩の再構成に関する議論は多様なスペクトラムを見せている。そのうちのひとつは「時代錯誤的な北朝鮮体制に対して批判を留保することは、進歩の未来と合わない」という立場から北朝鮮の世襲政権、核問題、人権問題などに対する沈黙を破り、進歩の再創造に取り組まねばならないという主張であるチョ・ミン「韓国社会の葛藤構造と克服方向(草稿)」2013年民和協第4回専門家懇談会「朝鮮半島信頼の道――韓国社会の信頼形成と方案」報告文、2013年9月11日。 。第二に、イ・ソッキグループと統合進歩党には自己変化の能力も意志もないために、価値の観点からは一緒に何かをすることは難しいだとか、イ・ソッキグループと自主派を分離して民主進歩陣営全般が80年代の革命主義の遺制を生産しなくてはならないという「排除をつうじた再構成」の主張がある この種の主張は民主労総の一角をはじめとして主に平等派を中心に提起されている。。第三に、87年体制を創出した民主陣営は、今、ポスト87年体制を切り開いていくだけのビジョンとダイナミクスを作れないでいるので、必要なのは進歩の「再構成」よりは「進歩」の再構成であり、これは「民主派」の革新によってこそ見出されるという主張であるこの主張は細橋研究所第87回定期フォーラム「最近の南北関係の動向と進歩陣営の北朝鮮認識」(2013年9月27日)で鄭鉉坤(チョン・ヒョンゴン)が討論した内容の一部である。社会の勢力関係を「保守派」と「民衆派」に大別した意味については金鍾曄(キム・ジョンヨプ)「分断体制と87年体制の交差点にて」『創作と批評』2013年秋号参照。 。
これら多様な主張は、それぞれが重要な指摘を含んでいるがゆえに、どれが正しくどれが間違っているのかという具合に分けるのは難しい。私たちにできるのは、進歩の省察と再構成のためにいかなる基準を設定し、この基準に上記の複数の議論がどれほど符合するのかを検討してみることだけである。これに関して、分断体制の変革を志向する政治的実践の路線として白楽晴が提起した「変革的中道主義」を議論の一つの基準とすることができるだろう。
変革的中道主義の具体的な内容について白楽晴は、その中身を直接教えてくれるというよりは、「何ではないか」を確認していくことで変革的中道主義を説明する。彼は変革的中道主義「ではない」ものとして①変革が抜け落ちた改革路線ないし中道路線、②戦争や革命などの手段に頼る急進路線、③北朝鮮だけの変革を求める北朝鮮民主化論、④韓国だけの変革に集中しようとする平等派の一角が唱える分断色盲[ママ]的路線、⑤急進的な民族解放路線、⑥分断体制克服という認識が欠如したエコロジー・平和主義などを提示している 。
変革的中道主義によって進歩の再構成にアプローチすれば、何よりも各自が自己の運動の中に存在する変革的中道主義ではないものを吟味するプロセスが優先されるようになるだろうし、その省察の土台のうえに分断体制変革のためにそれぞれの勢力がもっている合理的問題意識をさらに練り上げながら「賢く結合」することがまさに「進歩の再構成」となるのである。と考えると、先に紹介した進歩の再構成に対する三つの立場は、それぞれ変革的中道主義の異なる側面を強調したものであるといえる白楽晴「2013年体制と変革的中道主義」『創作と批評』2012年秋号、22-23頁参照。。
他方で、政党政治に関連して、白楽晴は、変革的中道主義を受容する多様な政党が創造的に葛藤し競争しながらその中で選択的連帯がなされる白楽晴、同上、30頁参照。 「連合政治」を、現実的なオルタナティブとして提示しているように見受けられる。すなわち、合理的保守、改革的中道、各種進歩勢力が分断体制の変革を目標に広範囲な中道勢力を形成していこうというわけである。
ただ、分断体制の片側だけを一方的に排除しようとしたり、あるいは南と北のどちらか一方の分断既得権勢力と自らを一体化させる勢力は、それがどこの誰であれ、現段階では変革的中道主義にもとづく連合政治の一翼を担うことはできないと考える。分断体制下において南あるいは北の分断既得権勢力のどちらかを擁護するとか排除しようとする立場に立つことは、個人や小集団の次元では「思想の自由」や「信念」の領域にあるが、少なくとも分断体制の変革を目標として中道主義にもとづく「連合」を追求する過程では、その一員には含まれがたい。
その面から見れば、イ・ソッキ事件は連合政治のピンチであると同時に、新たな省察と再構成をつうじて分断体制の変革を目標とした広範囲な中道勢力の形成を促す連合政治の再生の重要なチャンスでもある。トラウマのように刻印された「排除の恐怖」によってイ・ソッキグループが統合進歩党を陥れ、統合進歩党もまた市民社会運動を陥れるような今の連鎖構造は、変革的中道主義にもとづく連合政治の実現にとって、あまり望ましいとは思われない。もちろんこれはイ・ソッキグループと統合進歩党に対する不当な弾圧に反対し、思想の自由を拡大するために共闘することとは別問題である。むしろ連合政治の中心が変革的中道主義に沿ってきちんと打ち立てられるなら、このような闘争はさらに力を発揮することができるし、連合政治自体の包容性も高めることができるだろう。
新たな市民政治の生態系のために
ところで、革命的中道主義にもとづく連合政治を実践していくためには、政党政治のみではなく市民政治の役割も非常に重要である。2012年の大統領選挙は、「政党政治に埋没しない」市民政治のダイナミズムが強力に作動しなければ政党政治内で変革的中道主義にもとづく革新と連帯はきちんとなされないということを見せつけた。
特に韓国の政党政治は市民(政治)運動との結合基盤が弱く、「政派あるいは政治指導者中心の政治風土」が固着している状況である。さらには、「自発的市民」の自由な政治参加が活発なわけでもない。そのせいで先の大統領選挙の過程で現れた市民政治の様相は非常に限定的だった。「希望2013・勝利2012円卓会議」は連合政治のテーブルの上で主に役割を遂行し、また大統領選候補の単一化過程で作られた「2012国民連帯」もまた上層の連帯組織として構成され、地域で活動していたり、シングルイシューを扱っている市民政治運動の発展にほとんど寄与できないまますぐに解消してしまった。
市民政治運動は世界的な流れであるのみならず、情報通信技術の発展とともにどんどん拡大されていくであろうことは明らかである。何よりまず現在の市民運動は環境・平和・人権といった、自らが設定した課題を完全に達成させつつ、全体としての市民政治運動の発展に積極的にも取り組むことが重要である。これとともに自発的市民による「新たな市民政治運動」の発展のために「批判的に思考し行動する市民(個人)」による政治運動の活性化とネットワーク化も必須の課題となる。このような努力があってこそ市民政治運動の新たな生態系が形成される。もちろん、選挙による政治的決定の時期には政党中心の政治連合が必要となるであろうし、市民政治の「上層連帯」も新たに展開されねばならないだろう。
新たな市民政治の生態系が自由な市民の活発なネットワークを志向するとはいえ、これもまた分断体制に対する変革性を担保しながら、同時に、偏りのない現場性を帯びなくてはならないことは明らかである。というのも、変革的中道主義は単に連合政治の領域でのみ意味をもつのではないからである。この前提に立つのであれば、自発的市民の政治行為の空間となるオンラインのプラットフォームやオルタナティブメディアの拡散、ローカルな草の根組織、「コミュニティづくり」「コミュニティづくり」[原語は「村づくり」]は、福祉の受け手を単に恩恵の対象と見るのではなく、問題をともに解決し改善していく主導的構成員と捉える「地域共同体」[原語は「村共同体」]運動である。 と協同組合運動、市民団体などが互いに交流しながら好循環をなす新たな市民政治の生態系の構想と実現のための努力は、「連合政治」問題とともに今後、市民社会運動がさらに知恵を絞るべき主要課題となっている。
翻訳:金友子季刊 創作と批評 2013年 冬号(通卷162号)
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