連合政治の進展のために―変革的中道主義の視角
李政勳 / 東アジア言説、行く路来る路――白永瑞『核心現場から東アジアを問い直す』の内外を考察する
1. なぜ変革的中道主義なのか?
連合政治を変革的中道主義の視角から検討するという趣旨に対して、首を傾げる人もいるだろう。周知のように、連合政治は最近まで野圏の主要な政治戦術であったが、変革的中道主義そのものは未だ不慣れで難しい概念であり、具体的な政治戦術と、ある「主義」としての抽象の水準との間に大きな違いがあって両者の結合はそれほど似つかわしくは見えない。こういう理由のため、2012年には選挙勝利という短期的政治目標を超えて、韓国社会の改革が朝鮮半島の分断体制の克服へと繋がる大きな変化に対する願いと、変革的中道の志向を含む用語として「2013年体制」が提示されたことがある。白楽晴、『2013年体制作り』、創批、2012。 このような意味で2013年体制論は一種の「変革的中道主義の普及版」とも言えるが、2012年の選挙局面で2013年体制論を媒介に連結された連合政治と変革的中道主義との関係は、事実かなり長いものである。
変革的中道主義は「穏健改革勢力、各種の進歩勢力、合理的保守勢力」が「分断体制の変革」を目標にして、広範囲な中道勢力の形成を追い求めるが変革的中道主義は白楽晴(ベク・ナクチョン)が2006年1月、創批ホームページ(www.changbi.com)における新年の挨拶で始めて提唱したもので、当時は自主派(NL)、平等派(PD)、穏健改革派の三者連帯を主張した。単なる戦術的連帯ではなく、各々の運動が換骨奪胎する過程を意味するという点と、三者の結合を通じてのみ結合らしい結合となれるという点が変革的中道主義の核心的趣旨として強調された。これに対しては、白楽晴、『韓半島式統一、現在進行形』(創批、2006)に載せられた「6・15時代の大韓民国」と「分断体制と「参与政府」」を参考。だが、特定の時期に通用されていた運動圏の概念を借用し続けたことが適切ではないし、生態運動などを考慮すると自主派、平等派だけをもって進歩と称することも難しいので、次第に「各種の進歩」などへと表現を変えることとなった。のみならず、情勢の変化に従って合理的保守も分断体制の克服のための、中道勢力に参与する道を開いておくべきなので、筆者は中道勢力の範囲を本文で提示したもののようにまとめた。省察的進歩と合理的保守が中道を形成すべき必要性に対しては、白楽晴、「2009年、分断の現実に対する一つの省察」、『どこが中道であり、なぜ変革なのか』、創批、2009、279~80頁参考。、このような認識に基づいて2008年から連合政治の論議に積極的に介入してきた。2012年の選挙局面では連合政治が必然的流れとして見えたが、2008年に遡ってみると、事情はそれほど簡単ではなかった。本稿では金鐘曄(キム・ジョンヨプ)の提案に従って、韓国政治の勢力分類を保守派と民主派にする。彼はこのような分類が進歩と保守という区分より、分断体制のもとで保守が民主的法治をまともに受容しない集団であることをうまく示す長所を持っていると主張する(金鐘曄、「分断体制と87年体制の交差点にて」、『創作と批評』2013年秋号、467~68頁)。民主派に取って代われるもう一つの表現として進歩改革があるが、これは事実、野圏あるいは民主派のうちに存在する進歩と改革という二つの傾向を包括する勢力連合的概念である。彼らが共同で追い求める志向を指し示すためには、民主派や民主改革がより適切な表現だと思われるし、このような趣旨からも本稿では民主派や民主改革という概念を用いる。 2007年の大統領選挙と2008年の総選挙という二大選挙で民主派が惨憺たる敗北を経験した以後、連合より「創造的分化」を主張する人々も多かった。彼らは李明博(イ・ミョンバク)政府が過去の守旧的政権とは差別的な保守政権となるだろうという予断に基づいて、民主と反民主(あるいは独裁)という構図を引き続き韓国政治に適用することは古い思考であり、民主派内の進歩勢力と保守的改革勢力との分離を促すことで情勢の変化に対応すべきだと主張した。
このような情勢認識が分断体制という朝鮮半島的状況と符合しないという事実は、それ以後の事態の展開がよく見せてくれる。分断体制下で守旧的既得権勢力が相変わらず韓国社会の全般に強い影響力を持っているという点に注目する変革的中道主義は、「創造的分化」が中道的知恵を諦める方向へ進むなら、それは発展ではなく退歩を招くはずだし、従って分断体制下で被る抑圧の克服に利害関係を共にする勢力の連合をもって李明博政府の出帆以後の情勢変化に対応すべきだと主張したことがある。拙稿、「全地球的資本主義と韓半島の変革」、『創作と批評』2008年春号、29~30頁。 このような主張に対して、中道がどうやって変革的であり得るかという問いは持続的に提起された。変革的中道という弁証法的結合は、われわれの状況で変革的課題がその時期、「急進的」、「革命的」と言われる路線より中間に近い路線を要求するので可能となる。白楽晴、『韓半島式統一、現在進行形』、58~59頁。 すなわち、分断体制の克服に対する認識がなかったり、これに寄与することができなければ、いくら急進的な主張であっても「変革的」になりにくいし、逆に中道的道が分断体制克服の現実的代案となる際は「変革的」となる。こういう理由で変革的中道は戦争に依存する変革や、北朝鮮の変革のみを目標とする守旧的主張はもちろんのもと、変革のない中道路線あるいは改革路線や、韓国だけの変革を推進したり変革を民族解放に等値する主張などの非現実的な急進路線とも異なる。なので変革的中道主義は後者(急進路線)の流れが自らの理念を分断体制の克服という目標に照らして省察し、これのために力を合わせていこうと要請する。白楽晴、「2013年体制と変革的中道主義」、『創作と批評』2012年秋号、22~23頁。
もちろん、連合論が本格的に力を得始めたことには、2008年のキャンドル抗争が決定的な役割をした。李明博政府の逆走行が本格化しながら、これに対する国民的抵抗が爆発するや、その抵抗を盛りうる政治的プログラムが必要だという認識が拡散された。そこで反李明博闘争の政治的成果を民主派内で共有できる政治連合、つまり選挙連合がその具体的な戦術として提起された。拙稿、「民主主義の危機、いかに克服するか」、創批週刊論評(weekly.changbi.com)、2009年8月5日付および「政治連合、進歩改革勢力の共生の道」、『創作と批評』2010年春号。 これに従って2010年の地方選挙で野圏の選挙連合が成し遂げられて大きな威力を発揮しながら、連合政治は2012年まで野圏の重要な政治戦術として落ち着いた。そして2011年に初めて提唱された2013年体制論は、この時期の連合政治の主要目標として広く受け入れられながら、変革的中道主義の普及版としての効果をある程度発揮した。しかし、連合政治が2012年の選挙勝利だけでなく、新しい体制の出帆に値するビジョンの共有を前提とすべきだという点、このようなビジョンは変革的中道主義を土台にすべきだという点など、2013年体制論の根本趣旨はまともに実現され得なかった。2012年4月の総選挙で連合政治が期待していた結果が得られず、2013年体制論が深刻な挑戦に直面した直後、白楽晴は連合政治がその威力をまともに発揮し、真正な変化へとつながるためには変革的中道主義に対する穿鑿が必要だという点を喚起する一方、このような観点から連合政治の質的引き上げのためのいろんな提案をしたことがある。白楽晴、「2013年体制と変革的中道主義」。 だが、大統領選挙が目前に迫り、候補単一化の論議が本格化した時点でこれに対する真摯な論議が続くことはできなかった。このことが本稿で再び連合政治と変革的中道主義の関係を論ずる重要な理由である。
だからといって、ここで変革的中道主義に従わなかったことが2012年に連合政治が失敗した原因だと強弁しようとするわけではない。それよりは野圏が支離滅裂な状態で岐路に立たされている連合政治が新たな活路を見い出していくに、変革的中道主義が相変わらず有意味な指針を提供することができるか、そうなるためには変革的中道主義そのものにはどのような省察が必要なのかを論議しようとする。
2. 連合政治が直面した難題
勝利に対する期待が大きかった分、2012年の大統領選挙の敗北が民主派に与えた衝撃は2007年の大統領選挙で敗れた際よりもっと大きかった。2007年の敗北以後には新しい出発のための論議でも活発に進められたが、最近はそうでもない。新たに出帆した朴槿恵政府と国民との間のハネムーンも終わりつつあり、カード信用情報の流出大乱、鳥インフルエンザの拡散のような国家的災難事態が繰り返される状況で、近づいてくる地方選挙が朴槿恵政府に対する変わった民心が示せる好機であるにも関わらず、こういう努力を主導すべき民主派の進路は相変わらず明確ではない。連合政治に対する論議がこのような問題点を示す一つの事例である。キャンドル抗争を経て、2010年6月の地方選挙へと進んでいた2010年始めに、野圏と市民社会は政策連合および共同政府を媒介とする連合政治でもって戦列を整え始めた。2010年3月4日、野5党は地方選挙で共同勝利と連合という原則に対して合意した。野5党は民主党、民主労働党、創造韓国党、進歩新党、国民参与党であり、合意文発表の席には民主統合市民行動、市民主権、希望と代案、2010連帯など、市民社会団体の関係者が立ち会いした。 こういう状況と違って、今は各政治勢力が連合よりは競争に専念している。このように現在、連合政治が作動しないことにはそれなりの客観的な理由がある。
選挙の前、連合政治が作動するためには参与勢力らが持っている資産に対してある程度、客観的な評価が可能でなければならないが、現在はそれが難しい。何より野圏の主要政治勢力がそれぞれ混乱とした再編期に遭っている。進歩政党らは覇権主義、従北主義の論難を経ながら分裂した以後、相変わらず支離滅裂な状態から脱せずにいるし、連合で中心的役割を果たすべき民主党は、安哲秀(アン・チョルス)勢力との競争で暴風前夜のような状況である。安哲秀議員を中心に立党作業に本格的に乗り出す「新しい政治新党」は、世論の支持率で民主党を圧倒するが、現実的な政治勢力としては未だ初歩段階に過ぎない。それに連合に先立って革新が必要だという要求も多い。2012年の総選挙と大統領選挙で連合政治を事実上、選挙勝利の手段としてのみ見なすことで、各政治勢力の革新を通じた化学的結合が進められ得なかったことが選挙で敗北した原因だし、大統領選挙以後、既存の野党に対する支持率が急激に下落した原因である。このような状況で人為的に連合の必要性だけを強調しても問題は解決されにくい。
このように連合政治が難しくなった客観的事情をよく把握すべきであるが、だからといってこれを連合政治を否定する根拠として掲げることは行き過ぎた飛躍である。選挙結果という側面で連合政治がたとえ期待を完全に満足させてはくれなかったものの、韓国政治史で始めて民主派が保守派と一対一で立ち向かえる政治力量を作ってくれた。2012年の総選挙における比例投票で民主派は保守派より多い得票をしたし、一対一の構図が作られた大統領選挙でも野圏の単一候補である文在寅(ムン・ジェイン)が50%に近い48%を得票した。現在、明かされているように国家情報院など権力機関の広範囲な選挙介入と、非常に否定的な言論環境の中で得た成果だという点も共に考慮する必要がある。もちろん、これからこのような要因がおのずから無くなりはしないはずだから、責任を追及し続けることと共に、この制約を克服する道を作り出すことも民主派の課題である。 そして、連合政治の威力はセヌリ党と朴槿恵候補が選挙の時期に福祉、経済民主化のような民主派の政策を採択せざるを得なくした。連合政治が常に同じ方式で作動するわけにはいかないだろうが、これは民主派が守旧ヘゲモニーを克服するために必ず必要な政治戦術である。従って、時期ごとに情勢に符合する連合政治の実現方途を見出していくべきであるが、現在このために必ず検討すべき問題は次の二つである。
一つ目、連合と革新という二つの課題の間における衝突を効果的に克服できなかった。2012年の選挙局面で二つの課題を同時に提起したが、実践的には連合の側面のみが強調されながら革新の課題は後回しにされたりした。これまで候補単一化と連合政治に対する否定的な評価も大体このことに焦点が合わせられていた。相変わらず連合政治の必要性に同意しながらも、連合が革新と結合できるかに対する疑問を持っている人びとが少なくない。
二つ目、朝鮮半島の次元での変革と、韓国社会の改革を併行推進するという変革的中道主義の志向が国民を説得することができなかった。かえって、大統領選挙を前後して起こった北朝鮮のミサイル発射と核実験は、市民の対北情緒を悪化させ、韓国と北朝鮮の改革と朝鮮半島的次元の変革との間における善循環、あるいは併行推進に対する信頼を崩してしまった。このような状況で連合政治への志向が果たして分断体制の克服においてこれからも有意味なのかという質問が提起され得る。
3. 連合は革新と結合され得るか
比例代表制や決選投票を採択している国々とは違って、総選挙と大統領選挙で最多得票制を採択した韓国の場合は、選挙後連合が不可能であり、連合公薦 (「公薦」とは、選挙をする際、政党で候補を推薦することである。日本語では「推挙」と表現することもできようが、正確な意味を伝えるために「公薦」という表現をそのまま使うことにする。以下、同―訳注)や候補単一化のような選挙前の連合のみが可能である。ところが、選挙前の連合は政治勢力間の競争を通じた革新を制約する問題点がある。連合過程が主に既存の政治勢力の既得権を認定するなかで進められるので、新しい勢力とアイデアが有権者の選択をもらえる機会も縮小される。連合を構成した政治勢力の内部公薦過程が民主的に進行できるならば、このような問題点をある程度は克服できる。しかし、政党の大衆的基礎が弱い状態で下からの革新が成されることも容易くない。2012年、民主派が勢力の結集には成功したものの、各政治勢力が約束していた既得権の譲渡がどれほど実行されたかを見ると、嘆かわしい面が多い。
だか、革新がまともに推進され得なかったことを、連合の問題にのみ帰することは適切ではない。連合が成されなかったとしても、各政党でどれほど革新が進行されたかは疑わしい。民主派は2007年12月の大統領選挙と2008年4月の総選挙で各個躍進したが、これが革新を促すことはできなかった。野圏の支離滅裂な姿は政治の活力をもっと無くし、政治に対する不信だけ高めた。キャンドル抗争以後、連合政治が活性化されながら新しい流れが各政党に流れ込むに従って、革新に対する要求と期待が高まることもあり得た。ただし連合のみでは革新が保障できなかったし、革新が裏付けられない連合政治の破壊力は大きく弱化した。なので連合をやたらに革新と対立させたり、逆に連合万能論に陥ることなしに、時期ごとに連合と革新を結合させる方案を模索すべきである。特に今のように連合のための政治的環境が悪化された状態で連合政治を促進するためには、一層創造的な接近が必要である。
まず野圏内の競争が避けられないならば、これを革新へと連結できる方案を作るべきだ。真正な革新のためには過度な勢力増やしの誘惑を警戒しなければならない。新しい政党建設を推進する勢力や、勢力の弱い政党の立場ではそれが勢力を養うことだと考えやすいが、自分の脆弱な人的・物的資源を露出させて政治勢力としての信頼性を弱化させ、自己破壊的競争を招くブーメランとなり得る。 例えば、新しい政治新党を推進する勢力のなかにおける「連帯は敗北主義」だとか「絶対連帯はない」といったふうの論理は危ない。新しい政治の可能性を示すことが現在より重要な課題だという点は明らかであり、このことに対する強調も必要である。しかし、もしこのような主張が選挙で連合と連帯の必要性をすべて否定するものならば、去る大統領選挙の時期、議席数縮小の主張と同じく、自らの足枷となりかねない。立党作業がある程度進展された以後には、新しい政治と連合との関係に対するより精巧な立場を提示するための準備が必要である。 過去の方式の勢力競争よりは革新が促進できる議題の開発と実行に限られた力量に集中すべきである。古い進歩や守旧とは差別的な政策の発掘に注力し、成果を積み重ねていくことが、古い政治を克服する代案として認められる早道であるが、このような作業が可能な地域は多くない。特に選挙を控えては公薦および政策決定の過程で政治的既得権を克服し得る姿を見せるべきである。野圏内の既得権勢力だといえる民主党は、連合の必要性のみ強調したり、他の野圏勢力を分裂主義だと攻撃することに力を注ぐよりは(このような態度は連合政治に対する否定的認識だけ拡散させるのみである)、新たなアイデアと人物の進出を遮る既得権の譲渡をまず敢行すべきだ。例えば、与党との協商結果に恋々としないで、湖南の一部地域で基礎団体に無公薦をする方法がある。さらに現在民主党所属の団体長や地方議員に対する客観的な成果評価を進めて、その結果を公薦に反映することで、人的交替を推し進める方案もある。野圏内の少数政党と民主党がこのような方向で競争を進行するならば、革新を促進し、より高い水準への連合のための土台が構築できる。反対に勢力増やしと既得権の固守が衝突する際には皆が敗北する道しか残らない。
次に客観的条件に合う連合方式を見い出すべきだ。現在、連合政治が直面した問題は連合の水準を下げることではなく、高めることで解決していくべきである。今のように野圏が分裂した状態では連合政治が最大の効果を生み出しにくい。民主派は2017年の受権(国民の投票で政権を得ること―訳注)を目標とする統合的受権政党を建設して、総選挙と大統領選挙が相次いで実施される2016~17年の政治的転換期を準備すべきである。筆者は2011年、初歩的な成果を収めていた連合政治の質を高めるために、当時民主党より包括的な勢力が政党革新と政策連合を媒介にして統合的受権政党を建設する作業に取り掛かるべきだと主張したことがある。「連合政治の進化をもって2012年を準備しよう」、『創作と批評』2011年夏号、4~5頁。 この際にも去る総選挙の持ち前分けと大統領選挙の長たらしい単一化協商を繰り返すならば、民主派が成功する可能性は非常に低い。民主党と新しい政治新党はもちろんのこと、進歩正義党も単一政党に結集して、時代転換の中心動力を作ることが最も理想的である。このことは持ち前を分ける退屈な政治勢力間の協商に政治的資源があまりに多く投入される状況を防ぎ、一種の連合的政党内で最大限公正な競争を保障する方式へ連合政治を転換することである。
このことが果たして可能なのかという問いが提起されるだろうが、政策的な側面で妨げとなるものは思ったより少ない。2012年の総選挙を控えて結成された統合進歩党も表面的に見ると、中道改革、NL、PDの結合だと言える。だが、そのような結合が選挙を控えた勢力増やしに焦点が合わされていただけで、自己革新の過程が結合されなかったので、以後様々な問題を生んだ。現在の正義党も伝統的進歩政党と改革党-開かれたウリ党に参与した勢力が一つの政党として結合してある。これは現在の政党間の壁を崩す幅広い連合が可能だという事実を見せてくれる。単一政党として結集するためには政策とビジョンの合意水準をより高めなければならないが、このような連合の必要性を主張してきた変革的中道主義がこれに重要な参照点を提供している。また、誰が統合と連合の対象で、対象でないかに対する基準も共に提示してくれる。統合的受権政党を建設するにより大きな問題は、単一政党内で公正な競争が成される方案を作り出し得るかにある。過去、国民参与党と民主労働党の合党は可能であったが、民主党がそのような統合の対象となれない現実も、民主党との統合が少数勢力に不利だという警戒心が大きく働いた結果である。これは党の指導部選挙と公薦方式の画期的な革新が併行されてこそ解決できることであるが、これこそ既得権の譲渡と直接関わっている問題である。これからこれと関わる知恵をより集める必要がある。この点で2012年の総選挙に対するより細密な評価が必要である。当時、連合よりもっと大きな問題は党内の公薦過程で発生したにも関わらず、これをいかに克服するかに対する論議はほとんどなかった。既得権を持った政治家の場合は公薦過程で競争を制限しようとし、新しい進出を試みる立場では競争機会の拡大を望むわけだから、これからも皆が合意できる方案を見い出すことは易しくない。過去のように下向き式の公薦は難しいという点から、戦略公薦のような戦略的選択の余地は残しておくものの、新進政治家の参与機会を拡大する方向で上向き式公薦の方案が作られるべきである。 そして、統合的受権政党の結成が、直ちに連合政治の問題が党内競争で解消されることを意味するわけではない。差し当たりの受権より未来志向的ビジョンの大衆化と新しい政治実験をより重要な目標とする場合には、独自政党として政治活動を展開する必要もある。ただし、彼らも韓国社会で守旧派ヘゲモニーを克服することに利害を共にし、また現実的に議会への進出の可能性を高めるべきなので、統合的受権政党は彼らと局地的で制限的な連合を実現することによって、連合政治の幅を広めるべきだ。要約すると、中期的にはより強い受権政党と制度政治において制限された目標を持つ少数政党との間の連合が、連合政治が進んでいくべき方向である。 しかし、短期間のうちに、特に今回の地方選挙の前にこのような水準で連合政治が進展されることは難しい。統合的受権政党を中心とする連合政治の構想は、早くて2016年の総選挙を目標として推進すべき中期的課題である。短期的に、特に地方選挙までは競争と連合が共存する中で、連合政治の進展のための政治的・組織的条件を作り出す知恵を発揮すべきだ。少なくとも今回の選挙で朴槿恵政府の暴走を阻止し、2016年の総選挙で民主派が再び政局の主導権が取りうる動力を作るべきである。地方選挙を政治化しようとしなかった過去の与党とは違って、朴槿恵政府は現在、民主派が主導権を持っている広域および基礎単位の攻略に乗り出している。地方選挙の勝利を、過去民主派の攻勢に押されて出しておいた公約を破棄し、守旧的統治を強化するための契機として活用しようとするのである。このような状況で今回の地方選挙が持つ政治的意味を無視し、甚だしくは負けてもかまわないといったふうに臨むことは大きな間違いである。のみならず、最近の世論調査は民主派に否定的ではない。現在、世論調査ではソウル、仁川、京畿、忠南ですべて野圏の候補がセヌリ党候補を誤差の範囲以上に支持率が高い(ハンギョレ、2014.1.29)。このような結果はまだ与圏の候補が確定されなかったせいもあるが、民主派が(2010年の地方選挙ほどではなくても)相当善戦できる可能性を示している。 選挙が近づくにつれて支持率は互いに接近するだろうが、首都圏、忠清圏で民主派が勝利できる機会は明らかにある。下手に敗北主義に陥ることはないし、明確な目標を持って地方選挙に臨む必要がある。
幸いなことは民主党を除いた野圏政党が、彼らが現在主張するところとは違って、実際にすべての選挙で競争的構図を作ることは難しいであろうし、選挙日に近づくほど調整が必要な地域は自然と少なくなるはずだという点である。広域単位で見ると、首都圏、釜山、忠清などで連合が必ず必要である。情勢の厳重さを考慮すると、この地域で野圏の勝利に邪魔者の役をする政治勢力に未来があるはずがない。湖南地域を含めた他の地域、そして基礎単位では必要ならば競争に開放的である必要がある。これは差し当たり野圏全体の選挙結果に多少否定的な影響は及ぼすだろうが、野圏政党らが自分の実力を冷静に評価して、それ以後の連合のための具体的な根拠を作る契機とするなら、長期的に否定的なことではない。本稿は連合政治の課題を短期、中期に分けて提示する。だとしたら、長期課題は何なのかという質問があろうが、筆者は先述したように受権政党の建設と政権交替を中期課題として見なし、受権以後、合理的保守勢力をまで包括する政治連合と社会統合を構築して、南北の漸進的統合過程で朝鮮半島の総体的改革を推進することを長期課題として考える。
4. 韓国の改革と朝鮮半島次元の変革は善循環できるか?
変革的中道主義が核心的目標とする分断体制の克服に対して、相変わらず誤解が少なくない。これを統一至上主義と同様の如く見なすことが代表的である。韓国社会の改革と朝鮮半島次元の変革(韓国と北朝鮮の漸進的統合過程と連係された総体的改革)を相互連関させるべきだという主張は、統一がすべてを解決するという発想とかけ離れている。これは単に分断線を無くす作業ではなく、朝鮮半島体制を変革していく過程である。このような意味で分断体制の克服の代わりに、朝鮮半島体制の改革あるいは変革という表現が変革的中道の志向をよりよく伝達できるというアイデアは、鄭鉉坤(ジョン・ヒョンゴン)との対話から得た。だが、分断体制の克服という概念を直ちに朝鮮半島体制の変革に代替することが適切なのかについては、より多くの論議が必要である。 それにも残っている誤解を払拭して論議を発展的に導くためには、分断体制の克服のための実践における二つの次元を区別しなければならない。
一つ目の次元は韓国社会の改革戦略の樹立および推進において、分断体制という条件を考慮する作業である。このような条件を考慮しない急進的プロジェクトは、実現の可能性が低い空虚なる急進主義に留まるし、分断体制の克服の変革的志向が去勢された穏健改革主義は、せいぜい持続可能でない短期的成果を得るに留まるだろう。分断体制から発生する最も大きな制約はまず政治的なもので、韓国社会の勢力関係を非常に不均衡に作り、特に保守が守旧勢力に「ハイジャック」されることで合理的保守の主張さえ受け入れられにくい政治環境を構造化した。これは政治民主化だけでなく経済民主化、福祉など経済社会領域の改革を推進することにも必ず考慮すべき条件である。従って、変革的展望から見る際は些細なことのように見える改革さえ成されにくいし、一時的に得た改革の成果も崩れやすい。結局、守旧的保守のヘゲモニーを克服する政治社会的力量が結集できる際、改革の持続的な推進が可能であり、このような作業は分断体制を弱化させて克服することと結合されるときに、より容易となろう。伝統的変革理論の観点から見ると、理念と志向で相当な差のある進歩と穏健改革勢力が出会える根拠も、こういう客観的現実にある。最近、従北論理がその経緯はどうであれ、守旧勢力が反対勢力を政治的に抑圧するための伝家の宝刀として用いられながら、分断体制が韓国社会に及ぼす影響に対する実感は再び増加している。このような変化にはやはり天安艦事件が重要な転換点となったことと思われる。この事件を契機に分断体制の例外的状況を常例化しようとする守旧の攻勢が強化され始めたからである。このことについては、拙稿、「李明博政府の統治危機」、『創作と批評』2010年秋号を参考。守旧派はこの事件を、韓国の民主化および6・15共同宣言以後の南北和解・協力が分断体制を揺さぶり、さらには分断体制克服の動力が強化されていく趨勢を一挙に覆す契機として活用した。それ以後、民主派が安保と対北関係で守勢に追われたのは、このような攻勢にまともに対応できなかった結果でもある。
二つ目の次元は分断体制の克服に符合するように、南北の漸進的統合を推し進める作業である。すなわち、強制的にある一方が他の一方を吸収する方式の統一は、朝鮮半島で実行されにくいのみでなく、実行されるとしても災難同様の結果だけを生み出すであろう。こういう方式と異なる漸進的統合方案として国家連合の一種である南北連合が提示され、民主派内でこれに対して比較的幅広い合意が成されている。これは6・15共同宣言(2000)で韓国と北朝鮮が原則的に合意した方案でもある。
しかし、最近韓国で、核開発とミサイル実験を繰り返し、分断体制から発生するいろんな負担を民衆に強圧的に転嫁する北朝鮮に対する批判的認識が拡散されながら、このような方案を実現する作業に障碍が生じている。2012年の大統領選挙に際しても、韓国社会の改革と朝鮮半島的次元の変革を結合すべきだという論理が民主陣営のビジョンと政策を樹立する過程では受容されたが、こういうビジョンが選挙運動に実質的な助けになったとは見なしがたい。むしろ、NLL問題が争点として登場し、北朝鮮がミサイル発射の動きを見せながら、北朝鮮変数が野圏に否定的な影響を与えたという評価がより支配的である。大統領選挙が1年近く経った時点でも、朴槿恵大統領が2014年新年の祝辞で「統一大当たり」論を打ち出したら、民主派がこれに対して吸収統一の問題点を批判したり、平和が重要だというふうの守勢的対応に留まるのも、分断体制の克服という問題意識が後退しているという憂慮を生む。
韓国社会内で分断体制による桎梏はより明確に現れているが、民主派の分断体制克服の意志と展望は弱化される逆説的状況である。分断体制の動揺が激しくなるにつれ、韓国社会の底辺では如何なる方式であれ、これを克服べきだという情緒が拡散されているが、このことはともすれば実体が不明であり、分断体制の克服とはかけ離れている朴槿恵政府の統一大当たり論に相当吸収されかねない。もちろん新たな情勢の中で分断体制の克服に対する信念を再び強化するためには、これが韓国と北朝鮮の既得権をすべて克服することだという事実に対する再認識から出発する必要がある。守旧勢力の吸収統一論と同様に、統一運動内の南北協力・和解に対する過度なる楽観論や希望的思考(核開発は協商の手段なので核実験の可能性が低いという判断、包容政策を通じて北朝鮮を中国式改革開放へ導けるという判断など)が現実とかけ離れているという点はすでに明確となった。
従って、分断体制に対するより客観的で冷静な評価に基づいて、分断体制の克服のための現実的な道を見い出すべきだ。何より韓国と北朝鮮のある既得権勢力と自分を一体化する方は、分断体制の克服に寄与しがたい。野圏内でも北朝鮮の人権問題を朝鮮半島の人権という次元で対応すること、進歩勢力の内部で北朝鮮に対する認識を整理する作業(首領論の影響を受けるNLと民族主義左派的NLとの分離、分断体制克服の問題意識のない反北主義や急進主義の排撃)などが主要課題となっている。北朝鮮の既得権勢力に対する無批判的認識が分断体制の克服とかけ離れているという点は強調されるべきであろうがNL内の一部勢力の一方的な北朝鮮認識と過度な軍事的現実主義の持つ問題に対する批判と、変革的中道主義がこのような問題を克服しうる代案となれるという主張に対しては、李承煥、「李石基事件と「進歩の再構成」論議に寄せて」、『創作と批評』2013年冬号参考。、同時に最近民主党内の一部人士たちがそうであるように、北朝鮮体制の問題点を批判することで従北主義の攻勢から逃れられるといったふうの行動も困ったものである。例えば、1月初めキム・ハンギル代表の新年記者会見などを通じて、民主党の指導部が与党と北朝鮮人権法関連の協商に乗り出す意志を明かす過程が、このような乱脈の様相をよく示している。北朝鮮の人権問題に対して論議を行う必要があるし、去る時期民主派のなかでこれに対する論議がまったくなかったわけでもない。民主党のなかでもこれまで「北朝鮮住民人権増進法案」(沈載権議員)、「北朝鮮民生人権法案」(尹厚徳議員)、「北朝鮮幼児支援に関する法律案」(鄭清来議員)、「北朝鮮住民母子保健支援に関する法律案」(沈載権議員)、「北朝鮮住民に対する人道的支援に関する特例法案」(印在謹議員)などを発議したことがある。2011年5月30日、当時ハンナラ党代表と民主党代表との間で締結された8個項目の合意事項には「北朝鮮住民の基本的な人権を保障し、北朝鮮住民の民生が実効性があるよう改善されうるように、北朝鮮民生人権法を制定するため法制司法委員会で上程して討論する」という内容が含まれている。これまで人道主義支援、対北朝鮮団体支援、北朝鮮人権記録所などの争点に対して、与党と野党の異見で法案制定が進展できずにいるだけである。 こういう背景に対する言及なしに、北朝鮮崩壊論に基づいて対北朝鮮団体支援法的な性格を強く帯びる与党の北朝鮮人権法に便乗する姿は、分断体制の克服ではなく強化に寄与するのみである。
南北の既得権を廃止することは容易い課題ではない。分断体制の克服は非常に漸進的で長期的過程とならざるを得ないので、中道の姿勢がより要請される。分断体制の克服という主張が今すぐ韓国と北朝鮮の既得権勢力をすべて清算しようという意味ではない。それは非現実的な道であり、結局韓国と北朝鮮のある一方の既得権勢力だけを目標とする偏向に陥りやすい。社会運動あるいは政治運動のいろんな流れが分断体制の克服を自らの核心課題とすることが難しいのは、動揺する分断体制の複雑性のせいでもあるが金鐘瞱、「分断体制と87年体制の交差点にて」、471頁。、実践過程で発生する荷重に耐えにくいせいもある。最近のように客観的情勢が難しいほど、分断という現実を思考から排除したがる欲望も大きくなる。
だが、逃げたいからといって分断の現実が無くなりはしない。のみならず、分断体制の克服が韓国と北朝鮮、そして外部の既得権勢力を弱化させる過程であるが、その過程でこのような既得権勢力と協力したり、彼らを活用する余地は常に存在するという点をうまく活用すれば、分断体制の克服に幅広い勢力の参与が導き出せる。南北の既得権勢力は大きく見て、分断体制の維持に利害関係を共にしているが、事案別に、そして時には意図せず分断体制の克服に肯定的影響を与える行為をする。何より彼らも分断体制が自分の既得権に有利ではあるが、冷戦体制という安全弁が無くなってから分断体制の動揺がもたらす不確実性を管理すべきであり、特にすべてが破壊される結果は避けなければならない立場である。最近は北朝鮮が相対的に分断体制の動揺から発生する負担をより多く負っているため、北朝鮮は一方では核武器を開発するのと同時に、もう一方では分断体制を新しい平和的状態へと移行させようとする熱望をより積極的に表明したりもする。また、韓国とアメリカの場合、相対的に優位に立っているので、北朝鮮に対する圧迫を通じて自分の既得権を強化しようとするが、同時に北朝鮮との葛藤が統制不能の状態へと進むことは防がなければならない。この過程で韓国と北朝鮮のどちらででも分断体制の克服を追求する勢力が力を得ることとなると(もちろんこの可能性は韓国がずっと高い)、これもまた分断体制の克服のための重大な転換点となれる。
つまり、分断体制は思うほど強固で固定された体制ではない。すでに底辺で大きく動揺していることを、冷戦時期以後、南北関係の浮き沈みとそれによる韓国と北朝鮮の変化がよく示している。最近では2013年の北朝鮮の3次核実験以後、対話と対決を繰り返す状況だけを見ても、このことがわかる。なので変革的中道は分断体制の複雑性や時期的に分断体制の弊害が極に達する状況、または既得権集団の統一攻勢に圧倒されずに、分断体制が自ら隙間を見せる契機を掌握して分断体制の克服へと繋げていく準備と態勢を備えるべきだ。分断体制が拡大再生産した敵対心を考慮する際、南北関係が悪化すると、韓国の市民は反北情緒が悪化して強硬な対応を要求するに決まっている。国民に特定な方向の情報が一方的に伝達される際はよりそうなのだ。しかし、韓国の国民は肯定的変化の契機が作られると、北朝鮮と、対話と協力を通した問題解決にも積極的な支持を送ってきた。北朝鮮の体制に対する支持ではなく、分断体制の克服がわれわれの生を改善するにかなめとなるという体験的認識が作用しているからである。このように政治的利害関係による攻勢が巻き上げたほこりが静まれば、市民が南北関係に対して異なる態度を見せてくれる可能性は相変わらず存在するが政権の従北攻勢にも国民が南北の和解協力を肯定的に認識していることを示す世論調査などについては、本特集に載せられた李泰鎬、「「時代交替」と軍事主義の罠」を参照。、残ったことは変革の主体たちが分断体制の克服に対する信念を強化し、このために実現可能な道を一貫して提示することである。昨今の朴槿恵政府の統一大当たり論に対しても、守勢的にのみ臨むのではなく、分断体制の克服に有利な現実的な統一論でもって対応することも、このような準備では非常に重要な課題である。過去の包容政策も対北協力が北朝鮮の変化を導き出すはずだという、多少主観的な判断によって合理化されたし、このような点がいわゆる「与えるばかり」(つまり、北朝鮮を助けてあげたが、北朝鮮は変わらなかった)論難に効果的に対応できなかった原因の中の一つである。対北協力が北朝鮮の変化へと直接つながるのではなく、現在の状況に合う方式で南北統合が併行されてこそ、つまり北朝鮮が変化に乗り出せる政治的環境が共に設けられてこそ、北朝鮮の変化を導き出し、さらには韓国と朝鮮半島次元の変化が促進できる。保守勢力が原因は何であれ積極的な統一論を提起している今こそ、何が分断体制の克服における正しい道なのかについて、より積極的に論議する時期である。
5. 自己省察的実践で変革的中道の道を
現在、多くの人々が時代変化に希望を持ちにくい主な理由には、いつかは蜃気楼のように無くなる可能性の高い朴槿恵政府の(繰り返される失政に比して)高い支持率ではなく、変化を唱える勢力らがはたして変化を成し遂げうるビジョンと能力を備えたかに対する不信が居座っている。従って、政略的発想や自己変化が裏付けられない変化の要求は、このような疲労感を加重するだけで、国民の信頼を回復する方法ではない。それよりは私たちの周りの問題を一々点検し、その解決方法を真摯に見い出していく自己省察的実践が、国民の信頼を回復し、希望を再び作り出す近道である。
ところが、野圏のいろんな政治勢力は2012年の総選挙と大統領選挙で何が間違ったかを真摯に省察する姿を見せられずにいる。彼らの評価作業は内部の政派葛藤に飛び火したり、他の政治勢力を批判することに活用されて、変化と革新に対する基礎を提供できなかった。のみならず、自分の実践を照らしてみる評価の基準さえ立てられなかったと言える。現在、新しい政治新党が政治的に国民に特別に新しい姿を見せられずにいるにも関わらず、民主党を含めた如何なる野党も越えられない支持率を一年以上記録することには理由がないわけではない。新しい政治新党がいつか現実政治の壁にぶつかって、野圏の支持勢力が自分に戻ってくるだろうと考えるのは、事態の深刻性が悟られずにいる態度である。これと共に新しい政治新党の側も勢力を広げる過程で初心を失う危険性が少なくない。
このような状況では連合政治の進展のための市民政治が相変わらず重要な意味を持つ。事実、市民政治の力は内部の人的力量という側面や対外的な影響力という側面すべてで多く弱化された。しかし、市民政治は特定の人々の創造物ではなく、一般市民の抑圧された(あるいは制度圏政治が吸収しきれない)政治的熱望が噴出される空間である。差し当たり市民政治は各政治勢力の革新がまともに進行されているか、それが民主派の政治力量を強化することに寄与しているかに対して、客観的で冷静に評価し、特定の利害関係によってその過程が変質されないように仕向けるべきだ。政党らが打ち出している政策と公約、そして公薦方式を革新という基準で判別する作業は非常に至急である。このことを通じて連合政治の進展に市民政治が自分の役割を果たしうる動力も作り出すべきだ。
市民政治が連合政治を促進するためには、今すぐ協商を通じた連合公薦や共同政府の推進などが難しい状況なので、下からの連帯の流れを作り出すことが重要である。まず、民主党が既得権を譲渡するよう圧迫するのと同時に、連帯を通じた共同対応の必要性を認識させる作業が大事である。すなわち、野圏の政治勢力が連合万能論や連合否定論の偏向に陥らないように牽制する任務を市民政治が担うべきだ。また、市民と直接会って対話する空間を設けながら、地域別にどのような方式の連帯が適切なのかに対する共感帯を作るべきである。最後は選挙に近づくほど連合のための仲裁者の役割が必要となるかもしれないが、これは野圏の政治勢力の準備と客観的情勢を考慮して判断するしかない。
どれも容易くない課題を担っているわけである。このように状況が難しく課題が山積みになっているほど、われわれの心構えと実践を照らしみる鏡を持つ必要がある。本稿は民主派が省察と革新を遂行するに自分を照らしてみる鏡の機能を、変革的中道主義が果たしうるという信念を前提としている。金鐘瞱と李承煥(イ・スンファン)の前掲論文も両方とも進歩を再構成する過程で、変革的中道主義的模索の必要性を強調している。 もちろん、一、二回くらいの選挙結果が連合政治に対する行き過ぎた懐疑論をもたらす現実は、変革的中道の土台が相変わらず弱いという点を示す。だが、同時に現在の試練は正しく対応するならば、変革的中道に対する共感帯がより拡散されうる契機でもある。もう単に連合のための連合ではなく、何のための連合なのかをよく判別してこそ、連合も可能な状況となったからである。変革的中道主義の立場では、2016~17年の政治的転換期における民主派の課題とその実現方案をより具体化した新たな普及版を作っていく作業でもって、連合政治の進展に寄与しようとする。
翻訳:辛承模
李政勳 / 東アジア言説、行く路来る路――白永瑞『核心現場から東アジアを問い直す』の内外を考察する
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