창작과 비평

「時代交代」と軍事主義の罠

特集_朴槿恵政府の1年、今、われわれが語るべきこと
 
 

李政勳 / 東アジア言説、行く路来る路――白永瑞『核心現場から東アジアを問い直す』の内外を考察する

 
 

李泰鎬(イ・テホ)  参与連帯事務処長、市民平和フォーラム共同運営委員会。主な著書に『封印された天安艦の真実』(共著)などがある。gaemy@pspd.org

 

 

1. 安保論理に捕獲された「時代交代」

 

去る2012年に行われた大統領選挙を振り返るのは、あらゆる面で困難で苦痛なことである。未だに真相が明らかになっていない国家情報院(以下、国情院)、及びその他の国家機関の大統領選挙への介入が選挙結果に及ぼした影響を考えると、益々頭が混乱してくる。しかし、強いて、去る大統領選挙の意味、且つ主要な議題について要約するならば、経済民主化と福祉拡大のための代案、そして緊張感の高まっている韓半島(朝鮮半島)状況に対する解決策をめぐる政治勢力間のビジョン競争であったと言えよう。

経済民主化と福祉の問題が保守と進歩の両陣営の議題となった理由は、軍事独裁時代に形成された特権的な財閥体制が新自由主義的な世界化と結び付いて生じた極端的な社会の両極化を、これ以上放って置くわけにはいかなくなったからである。このような新自由主義的な両極化は李明博(イ・ミョンバク)政権は勿論、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代から持続的に深化してきた問題である。一方、韓半島状況もまた、長くは停戦以降の60年間余り、短く見ても脱冷戦以降の20年間余り、解決されていない問題であり、近年数年間で急激に悪化し、南北間の局地的な武装葛藤までも招いている古くからの宿題である。国民の立場からすれば、民主政権が掲げた包容政策も、保守政権が掲げた封鎖政策も成功的なものであったとは言いがたい。

2012年の大統領選挙の際に課されたこのような大きな宿題について、白楽晴(ベク・ナクチョン)は、与野党、もしくは進歩と保守を問わず「87年体制が膠着状態、或いは末期的な混乱状態に陥っているのを清算」できる「新たな体制」金龍亀(キム・ヨング)・白楽晴(ベク・ナクチョン)・李相敦(イ・サンドン)・李日栄(イ・イルヨン)の対話 「2012年と2013年」『創作と批評』、2013年春号、44頁。を望む時代の要求に答えるものであると要約している。

朴槿惠大統領が選挙運動の過程で自分の意思であろうがなかろうが「政権交代レベルを超えた政治交代と時代交代によって「国民幸福時代」を開きたい」と主張したのも、実は、大統領選挙における時代の話頭に対するそれなり返答と言えよう。これと関連して、セヌリ党の非常対策委員会に参加、保守革新を試みた李相敦(イ・サンドン)は、朴槿惠大統領が「(35パーセントである)既存の保守は勿論、その上に15パーセントを得るために時代の要求する道へと進む」べきだと提言しながら、それは「朴槿惠版の第3の道」と呼ばれるだろうと期待を表した。前掲書、34頁。

実際、「87年体制」と呼ばれる時期も野党圏によって切り開かれたわけではなく、軍部出身の盧泰愚(ノ・テウ)大統領の当選により始まったもので、そのような意味では朴槿惠大統領の執権が新たな時代交代の出発点になる可能性が全くないわけでもない。しかし、朴槿惠政権は自ら交代すると公言した古い政治の罠に最初からはまってしまった。保守政権を再創出するための国家機関の大統領選挙への不法介入事件が表面化してから、 朴槿惠政権は、この事件の真相を隠蔽、縮小するために再び古びた安保カードを引き出した。大統領選挙の「工作」にも使われた南北首脳会談の秘密会議録を無断で公開し、NLL(北方限界線)放棄問題を強く主張し、国情院を動員して公安事件を企画するなど、時代に逆行する「従北追い込み」に没頭している。

このような臨機応変策は進歩改革的な要求を安保フレームの中に封じ込め、守旧的な「ペットウサギ」を効果的に動因するには、かなり役立つかのように見える。しかし、李明博政権から朴槿惠政権に至るまで、市民たちの民主・福祉・平和への熱望に冷や水を浴びせるために利用された軍事主義と安保言説は、社会全体を消耗的な理念対決と敵対心、貪欲と暴力へと導き、保守の刷新を通じた時代交代という一筋の可能性までも徐々に消し去っている 守旧冷戦的な慣性の持つ迅速な復元力こそ「分断体制の自己再生能力」(白楽晴「2013年体制と変革的な中途主義」 『創作と批評』、2012年秋号、21頁)であろう。。朴槿惠大統領の言う「非正常化の正常化」における法と原則は、国情院や軍の憲法破壊行為に対しては沈黙し、政治的な反対派と庶民の目と口を封じることだけに偏頗的に作用している。その結果、朴槿惠政権が強調した「信頼」のイメージは勿論、公権力の公正性や公共性に対する信頼基盤も揺るぎ始めている。この過程で朴槿惠大統領の約束した経済民主化と民生福祉という言葉は、いつの間にか経済活性化や規制緩和といったありふれた言葉に摩り替わっている。

そこで本稿では、いわゆる「87年体制」がどのような過程を経て膠着してきたか、そして新たな体制への転換が我々の中の守旧的な安保フレームや軍事主義によって如何に阻まれてきたか、今一度考えてみたいと思う。これは、見方を変えれば、新たな体制への転換が如何にして時代逆行の障害物を取り除き、少しずつ前進しているのかを確認する過程と言えるかもしれない。そして、この新たな体制への転換を早める大胆な民主・福祉・平和の実践のための提言をいくつか付け加えたいと思う。

 

2. 87年体制の膠着と行動する右翼の登場

 

1987年、民主化を経て、我々の社会は、理念的に偏った特権的な分断体制の下で制約された民主主義と社会経済的な正義への要求が噴出し、一部は制度化されるなどの結果を得ることができた。さらに、昔ながらの南北間の対立構図、敵対感を解消させて和解と協力を具体化させる機会、そして、分断により歪曲された歴史認識と封じ込められていた過去史問題に対する新たな社会的な合意を試みる機会も確保した。

しかし、金大中・盧武鉉政権時代の民主改革が市民にとって満足のゆくものだったとは言いがたい。当時は、部分的な福祉制度の導入にも関わらず、全体的には特権的な財閥経済体制を特徴とする韓国経済の両極化と新自由主義的な世界化が極端に深化した時期であった。民営化と規制緩和、そして、金融・市場の開放化、且つ外国とのFTA締結がグローバルスタンドという名のもと、上から強要され、庶民にとっては失業と非正規雇用の増加、教育費と不動産価格の高騰、家計負債と破産への脅威が日常化してしまったのである。一方、 金大中政権で試みられた対北包容政策の成果である6・15南北共同宣言(2000)を経て、開城工業地区と金剛山観光も稼動し、米朝関係の改善も期待されたが、米国のブッシュ(G. Bush)行政部の登場と「テロとの戦争」という雰囲気のもと、ブレーキがかかり、北朝鮮は北朝鮮で核カードを利用した「崖っぷち」外交で対抗したため、南北関係は再び膠着状態へと陥った。この問題はそれ以来、南南葛藤の素材となっているわけだが、6・15宣言により形成された南北協力構造が北朝鮮の変化への条件を作り出すことが可能であると信じる側と、より強力な圧迫でしか北朝鮮を変化させることはできないと信じる側との間で行われている論争がまさにそれに該当する。

一言では評価しがたいが、民主政権の内政と対外関係は、80年代以降、一時代を風靡した新自由主義的な世界化、及び「テロとの戦争」以来、全地球的レベルにおいて軍事主義を強化した米国との同盟関係、そして分断体制の相手である北朝鮮体制の構造的な問題などによって制約されてきた面が少なくない。拙稿 「市民運動の危機と新たな革新の課題」『市民と世界』、2008年上半期号。

民主政権の10年を「失った10年」と批判しながら、李明博政権が勝利した2007年の大統領選挙では、全国的に「747」(7%の経済成長、国民所得4万ドル、7大強国)公約、再開発ニュータウン公約、4大河川公約などの景気浮揚や開発政策が打ち出された。これらの政策公約は、日に日に両極化へと向かう経済環境の中で生じた物質的な欲望をより刺激するものであった。グリーン経済という言葉で飾られてはいるが、開発時代によく使われた聞き慣れた言葉が再び登場し、「ビックパイ(big pie)論」もしくは「落水効果(トリクルダウン理論)」に対する期待感が政治的な保守化と共に多数世論となった。さらに保守政権は執権期間中、南北間の合意を無視し、有事の際に武力による吸収統一を模索するなど、力の論理に訴える一方主義的な政策を「原則」という名のもと固守した。李明博政権のこのような政策基調は、2000年に登場した米国のネオコン(新保守主義)を連想させるものであった。キム・ジョンデ「ネオコン式の軍事主義、国防改革307計画にて復活」『広場』、2011年春号。

しかし、保守政権に対する社会的な支持は長く続かなかった。2008年のリーマン・ブラザーズ事態以後、新自由主義の退潮と経済沈滞の影響により投機的な経済浮揚政策に対する支持は急激に落ち込み、狂牛病(BSE)の恐れのある牛肉の輸入に反対する大規模なキャンドル集会、4大河川事業などの大型土木工事をめぐる論争、無償給食と半額登録金(大学授業料半額)の要求、龍山(ヨンサン)惨事や双龍(サンヨン)自動車の大量解雇に対する抵抗、韓米FTA批准問題など、多くの問題により社会的葛藤が深化した。政府は北朝鮮の封鎖には力を注いだが、そちらも効果はなく、過去の政権が追及してきた積極的な調整役割には関心も能力もなかった。その結果、李明博政権の執権期間中、北朝鮮は二度の核実験を強行した。非現実的な対北政策と韓米同盟に偏った対外関係に対して安保無能、危機管理の不在などと批判する声が保守陣営からも上がり始めた。

危機に直面した保守政権は「核を開発した北朝鮮」と韓国内の「従北勢力」を新たな敵と見なし、政府の動員可能な国家権力と社会的権力を総動員し、オン・オフラインにおいて「行動する右翼」を組織することに努めた。特に天安(チョンアン)鑑事件(2010.3)と延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件(2010.11)、そして金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長の死亡(2011)は、「大韓民国の否定勢力」と「従北勢力」に対抗して、国家支援の極右安保キャンペーンが積極的に繰り広げられる切っ掛けとなった。

保守右翼の勢力化は、2000年代の初めに噴出した市民の自発的で意識的な一連の社会的な連帯行動に対する反動としての性格が濃く、盧武鉉政権の発足前後から本格化したものである。特に新たな市民主体の運動が既存のメディアではなく、インターネットなどの双方向メディアを活用した自発的な大衆が基盤になっているという事実に刺激された保守エリートらは、保守市民団体に対する投資、インターネット上での保守メディアの育成、放送の掌握などに執拗な努力を傾けた。盧武鉉政権が発足した2003年には「反核反金国民運動本部」などの右翼運動の連帯体が主導する大規模な街頭集会が相次いで行われ、ハンナラ党の「サイバー戦士一千人養成論」など、オンライン上での右翼運動組織化も具体化された。特に2008年度に李明博政権が発足してからは国家機関が市民を攻撃したり、極右的な運動を陣頭指揮取るなど、前面に立って行動し始めた。「日本の在特会と韓国のイルベ、その類似点と相違点に関して」、オマイニュース、2013.6.30。

特に、狂牛病キャンドル集会以後、その「背後」を突き止めようとする政権の必要以上の執着が強まった。キャンドル団体に対する市民社会団体支援事業の排除、公権力の広範囲に及ぶ民間人査察や政権に批判的なネットユーザーに対する捜査、盧武鉉元大統領の自殺を招いた偏頗な捜査など、公権力の乱用が相次いだのである。国情院の国内政治介入も一層深刻化した。盧武鉉政権当時廃止された国情院の大統領への定例情報報告の復活、「韓半島大運河事業へ反対する教授の集まり」への不法査察、大統領が関連した不正事件(「BBK事件」)関係の民事訴訟への介入、マスコミ界及び宗教界の対策会議への国情院の高官の参加、市民社会団体を後援した企業への後援内容資料の要求など、法の定めた職務範囲から明らかに逸脱した政治的な介入例が急増した。国務総理室の不法民間人査察が集中したのもこの時期である。

2013年の国政調査で民主党の崔在天(チェ・ジェチョン)議員室によって明らかにされたところによると、 2008年の狂牛病キャンドル集会以降、「安保意識の鼓吹、従北左派一掃」などをスローガンにした保守団体への政府支援が毎年大幅に増加しているそうだ。安全行政部の市民社会団体支援事業の対象として選定された保守団体の殆んどが、事業実行計画書に堂々と「従北左派一掃」などを主要事業目的として提示している。「政府、保守団体「大統領選挙の書き込み活動」に援助金」、ハンギョレ、2013.11.7。

政府に批判的な勢力を一まとめにして「従北勢力」「左翼勢力」もしくは「反大韓民国勢力」と規定し、非国民のように扱うのは、いくら大目に見ても極右主義、又は軍国主義的な傾向を見せているとしか言えない。しかし、我が国の右翼運動には他国の右翼運動とは違った点が見られる。国家のアイデンティディーを強調し、排他的な根本主義態度を取りながらも、韓米同盟を神聖化したり、日本の植民地時代に対しては寛容的な態度を見せている点、そして保守権力の前ではかなり順応的で依存的な態度である点などがそうである。このような特徴は分断以来、韓国の社会で極右勢力が形成されてきた歴史的な条件から生じたものであろうが、これは、分断・戦争・冷戦という集団的な体験に基づいた右翼的な認識共同体の特徴と、親米保守勢力を維持するために管理され、養われてきた官辺的な性格がよく現れていると言える。

 

3.天安艦事件以降の安保教育と軍事主義

 

2010年の天安艦事件に引き続き起きた延坪島砲撃事件は、国家主導の軍事主義的な安保キャンペーンを本格化させる切っ掛けを与えた。3月末の天安艦の沈没直後には事故の原因について慎重な立場を取っていた李明博政権は、6月の地方選挙を控えると、天安艦事件の原因が北朝鮮の爆沈によるものであったという調査結果と共に包括的な対北制裁措置である5・24措置を急いで発表した。しかし国民はその性急な発表に対して却って疑問を抱くようになった。その結果、地方選挙で天安艦事件は与党に有利に作用することはなく、逆に無償給食や4大河川工事などの懸案が表面化し、与党は選挙に大敗してしまった。また、政府は国連安保理に対北制裁も要求当時、国連安保理へ天安艦事件に関する政府の調査結果に疑問を抱く書面を送った参与連帯に対して保守団体は抗議デモや脅威を、政府と与党は「非国民」という非難を浴びせたが、却って参与連帯の会員が急増するという現象が起こった。したが、それもやはり成功には至らなかった。安保理の議長は韓国の主張と共に北朝鮮の反論も併記する声明を発表したのである。2010年の下半期には、ソウル大学の統一平和研究院が、天安艦事件に関する政府の発表を32.5%の国民しか信じていないという世論調査の結果を発表したりもした。一方、天安艦事件の直後、政府は犠牲になった将兵たちを戦死者と見なし、花郎武功勳章を授け、大々的な追悼記念事業に着手した。公務員、教師、学生などを動員した天安艦見学が相次いだのもこの時期からである。

2010年11月23日の延坪島砲撃事件は、天安艦事件に対応して韓米両国がNLL近くで武力示威を行った後に発生したもので、国内の安保キャンペーンのアピール効果をより一層高める環境を提供する結果となった。 北朝鮮が韓国の射撃訓練に対して事前に警告電通文を送ったとは言っているが、北朝鮮の延坪島砲撃とそれによる軍と民間人被害は「非礼」という側面からして、明かに攻撃的な行為に違いない。しかし、このような攻撃行為が常識と論理に照らし合わせてみた場合、天安艦沈没事件への北朝鮮の関連の蓋然性を高めるものであるかどうかは点検してみる必要があると思われる。これに関しては、白楽晴の 「2010年の試練を克服し、常識と教養の回復を」(創批週刊論評、2010.12.30;白楽晴『2013年体制作り』創批、2012、第6章)を参照。 延坪島砲撃事件以降、天安艦沈没の真相究明をめぐる問題は水面下へと影を潜めた。政府は天安艦事件と延坪島砲撃事件をどちらも北朝鮮の挑発であると非難しながら、これを北朝鮮の「非対称的な威嚇」の表われの証拠だと主張した。そして、李明博大統領は抑止力形成の必要性を力説しながら、同時に「最上の安保とは団結した国民の力」であると強調した。それ以来、天安艦の爆沈に疑いを持つ人々は「国家観が疑わしい人」と見なされ、攻撃されるようになった。

2010年12月と2011年4月の二度に渡って、李明博前大統領は「学校での安保教育強化」及び「軍の学校での安保教育参加」を指示した。李前大統領は「若者たちに最も確実に国家観を確立させることのできる場所は軍隊だ」と述べ、「陸・海・空軍を問わず、教育の繰り返しにより徹底した国家観を確立させてほしい」と強調した。2011年に入り、国防広報院は軍服役中の俳優イ・ジュンギを出演させ、「青少年用の政府標準安保映像物」を製作し、全国の幼稚園や小・中・高校に配布した。この教材は人気芸能人の口を借りて「天安艦事件の調査結果に疑問を抱く人々が国論を分裂させて北朝鮮による延坪島挑発を引き起こした」と主張している。天安艦をめぐる国家観の是非は憲法裁判官の人事聴聞会までも一種の信仰検証の場にしてしまった。「天安艦事件に関する政府の発表は信頼しているが、確信はできない」と述べた民主統合党推薦の憲法裁判官候補は、「確かな国家観を持っているのか疑わしい」という理由で与党によって拒否された。天安艦問題に関しては、現在も法廷で真実究明が行われている。聴聞会当時、与党議員らは裁判中の事案に対して、法律家としてはタブー視されている予断を憲法裁判官候補者に強要したわけである。

2011年3月、教育科学技術部と国防部、韓国教員団体総連合会は「安保教育の活性化のための了解覚書(MOU)」を締結した。この了解覚書には、学生が軍部隊を訪問して安保教育を受けたり、軍人を学校内の講師として参加させたり、教師を軍部隊体験に参加させるなどの計画が含まれている。各種の兵営体験による安保教育が増加したのも同じような時期である。陸軍によると、2011年の一年間に74万人の青少年がこのような安保教育を受けたと言う。さらに国防部は2011年7月、有料で16歳以上の市民なら実弾射撃体験ができるように許可する方案を打ち出し、問題となった。16~17歳は、国際人権法である「児童権利協約」で定められた児童に該当するのだ。「児童軍事訓練の実体を公開し、殺傷武器を動員した児童教育を禁じるべきだ」、参与連帯平和軍縮センターの論評、2013.5.3。

同時に軍隊内の思想統制は一層強化された。李明博政権以降、軍は「将兵精神戦略の強化に不適合な本」という名で、事実上、不穏書籍の目録を作成し兵営内でこれに該当する書籍の読書を禁じた。この現代版禁書目録には、金鎮淑(キム・ジンスク)の『塩花の木』(フマニタス2007)、張夏準(ジャン・ハジュン)の『悪しきシマリア人』(ブキ2007)、韓洪九(ハン・ホング)の『大韓民国史』(ハンギョレ出版2003)、權正生(クォン・ジョンセン)の『我々の神様』(緑色評論社1996、改正増補版2008)など、広く愛読されている良書が多く含まれている。

また、天安艦・延坪島砲撃事件前後の軍事主義的な雰囲気の中で、軍事-武器関連のインターネットコミュニティーは大きな人気を集めた。オンライン空間では北朝鮮に対する軍事的な制裁方法を含めた「強力な抑止力の形成」方案をめぐって軍事マニアたちの熱い討論が繰り広げられたが、その中には青少年も多く含まれていた。多くの軍事マニアコミュニティーは、2000年代初めのテロとの戦争が始まった辺りから爆発的に成長し始めたのだが、その中でも「自主国防ネットワーク」自主国防ネットワークは「周辺国に比べて劣っている国防力の強化」を目指して活動しており、「単独国防でなく、連合防衛を含めた活用可能な手段と方法において大韓民国が主体となる国防」である自主国防を目指していると定款に明記している。自主国防ネットワークの会員数は正確には確認されていないが、団体の運営しているウェブサイトの一日のアクセス人数は5万~10万人に上る。、「ユ・ヨンウォンの軍事世界」などは天安艦事件当時、既に軍事分野の権威あるシンクタンクとしてのもてなしを受けていた。これらの団体は「安保ネットユーザー」または「国防ネットユーザー」を育成し、国防政策や国防予算への市民の支持を確保しようとする軍と防衛産業体の積極的な後援の下、総合編成チャンネルやニューメディアなどにより拡大された保守マスコミの空間で韓半島及び周辺国との葛藤に対し、軍事的な解決法中心の刺激的な評論活動を行うことにより、その立場を固めていった。

 

4. 国家機関の国民への心理戦

 

大統領選挙前後に表面化した国情院の心理作戦群と軍サイバー司令部が「心理戦」という名目の下で行った大統領選挙介入工作は国家が主導した安保キャンペーンの本質的な性格を浮彫りしている。国情院がサイバー心理戦活動を積極的に稼動させた2011年末は、ちょうどソウル市長の補欠選挙で過去国情院の民間人査察を暴露した市民運動家出身の朴元淳(バク・ウォンスン)市長が当選した時期であり、また李明博政権の体系的な放送掌握により親政府的な報道傾向が鮮明になったMBC、KBSの労働組合が放送公正性の守護をスローガンに長期ストライキに入った時期でもあり、そして保守マスコミと財閥が持分を保有している総合編成チャンネルが開局して極右的な「従北追い込み」の先兵となり始めたかなり力動的で不安的な時期であった。

南在俊(ナム・ジェジュン)国情院長は国情院の書き込み工作は正常的な対北心理戦であり、国情院の基本任務であると主張している。さらに、元世勳(ウォン・セフン)前国情院長の公判に証人として出席した李鍾明(イ・ジョンミョン)前国情院3次長は「国情院の心理作戦群の活動は汚染を防ぐための予防活動」であり、「戦争前に民間人を射殺するなという命令があっても、実戦で敵軍が民間人を盾にして抵抗すれば、やむを得ず民間人の被害が生じる場合もある」と述べ、国情院の書き込み活動の政治介入の是非が対北軍事作戦中に発生した付随的な被害のように説明したため、論議を引き起こした。金寬鎭(キム・クァンジン)国防部長官も軍サイバー司令部の活動について「汚染防止のための対内心理戦も含まれる」と主張した。一方、政府批判勢力を大韓民国を否定する従北勢力として描写する「護国報勲教育」というDVDセットを2012年の初めに全国の学校や予備軍部隊などに配布した朴勝椿(バク・スンチュン)報勲処長は、「国防は軍事対決業務を行い、国家報勲処は理念対決業務を行っている。去る2年間、私が理念対決で勝利できるよう、先制報勲業務を推進した」とも述べている。

元々、軍事用語である「心理戦」の辞書的な意味は「明白な軍事的な敵対行為はなく、敵軍や相手国の国民に心理的な刺激や圧力を与え、自国の政治・外交・軍事などの面で有利な方向へと導く戦争」である。つまり、国情院と軍は自国の国民を「戦争の相手国の国民」と設定して軍事作戦を行ったわけだ。

与党と国情院は分断された韓半島の最も敏感な葛藤問題であるNLL 1991年に締結され、1992年に発効された南北基本合意書の「不可侵の履行と遵守のための付属合意書」第10条には「南北の海上不可侵の境界線は今後も続けて協議をする。海上不可侵区域は海上不可侵境界線が確定するまで双方が今まで管轄してきた区域とする」と規定している。即ち、NLLは停戦協定やその他の南北間の合意によって決められた海上境界線ではない。これに関しては、参与連帯の大統領選挙政策イシューレポート「NLL(北方限界線)争点と代案」(修正版)(参与連帯平和軍縮センター、2012.10.17)を参照。問題までも政略的に利用した。大統領選挙前の国政調査でセヌリ党の鄭文憲(ジョン・ブンホン)議員が「NLL放棄」説に触れると、当時朴槿恵大統領候補者は「(北朝鮮側に)西海(ソヘ・黄海)の共同漁撈問題に対して「北方限界線を守るならば話し合いも可能である」と言ったら、北朝鮮側から「首脳会談の経緯と内容も知らないのか」と非難されたのだが、いったい2007年の首脳会談でどんな会話が交わされたのだろうか」とNLL問題に乗り出し「「直立不動の金章洙(キム・ジャンス)、なぜジョン・ブンホンの主張に同調したのか」 オマイニュース、2013.6.26。、大統領選挙の間、終始NLL放棄問題を持ち出して野党候補を攻撃した。朴槿恵候補は南北首脳会談の結果に対する北朝鮮の恣意的な解釈一言で、NLL問題への柔軟な態度を捨て、前政権をNLL放棄政権と描写するキャンペーンに自ら合流したのである。

NLL対話録問題は国情院の大統領選挙介入事件をめぐる論議が活発化した6月に再び浮上した。国情院の大統領選挙介入事件の真相究明をごまかすために、南在俊国情院長はNLLと関連した南北首脳会談の対話録を公開したのだ。これによって、最初は野党を混乱国情院が公開した対話禄以外に原文があると言った野党の主張によって与野党合意の下、対話禄と関連した資料提出要求書が国会で通過して以来、攻防は原文の有無や盧武鉉政権での廃棄問題のような非本質的な問題へと移っていった。そして、その過程で国情院の違法的な公開行為は事実上、免罪符を与えらることになった。に陥らせることに成功したが、結局、大統領選挙介入事件の真相究明要求を鎮めることはできなかった。国情院が公開した対話録の内容だけでは盧武鉉元大統領のNLL放棄を立証することができなかったため、意に反して、結果的には盧武鉉政権の名誉を回復させることになったのだ。

一方、朴槿恵政権は南北首脳会談の秘密会議録を政治的な目的のために公開したため、南北間の信頼関係にかなりの損傷を与えることになり、自ら主唱した韓半島の信頼プロセスにも大きな汚点を残す結果となった。尹汝雋(ユン・ヨジュン)元環境部長官は「国家の威信にも非常に大きな傷を与え、今後の南北関係やその他の外交関係にもかなりの負担を抱えることになろう。ただでさえ国内的に統合が必要な時期に国を二つに分ける結果となってしまった。そういった面でも政府・与党は責任を負うべきである」尹汝雋(ユン・ヨジュン)・バク・インギュ・イ・チョルヒの対話「NLLからターニングして国情院の政治介入に集中すべき」プレシアン、2013.7.8。と批判した。

国情院は、国情院の大統領選挙介入関連の国政調査が与党の組織的な非協力によって成果なく終わってしまった2013年の8月末、いわゆる「李石基(イ・ソクキ)内乱陰謀事件」によって、再び視線をそらそうと試みた。この事件は一時的に国情院の大統領選挙介入スキャンダルを従北言説へと目を向けさせる最適な口実となった。韓国ギャラップの発表した朴槿恵大統領の支持率の推移を見ると、8月末から9月の初めの支持率は60~67%で最高値を記録している。しかし、この視線そらし効果は長く続かなかった。9月中旬のチュソク(秋夕)を機に支持率は落ち込み始めたのである。それ以降、下降し続け、鉄道ストの真っ最中であった12月の3週目には執権以来最低の50%以下(48%)へと落ち込んだ。

 

5. 安保言説が国内政治と南北関係に及ぼす影響この章は、プレシアンに寄稿した筆者の文章を修正・再構成したものである。拙稿「従北追い込みの中で迷子になってしまった韓国外交」プレシアン、2014.1.7を参照。

 

支持率の騰落があったとはいえ、朴槿恵大統領は2013年度のほとんどの世論調査で50%以上の高い支持を得ている。韓国ギャラップをはじめ、多くの世論調査は、内治よりは主に外交や対北関係が高い支持率を支えている要因と分析している。「外交(66%)と対北政策(54%)に対しては、全般的に肯定的な意見が多かったが、公職者の人事問題に対しては55%の人々が否定的であった。経済分野に対しては肯定と否定がそれぞれ36%で評価が割れており、福祉分野に対しては肯定(36%)よりは否定(45%)の方が高かった」(「デイリーオピニオン第96号(2013年12月2週):大統領当選1年、分野別評価」、韓国ギャラップ、2013.12.12) 執権当初、人材不足で51%から42%まで下がった朴槿恵政権の支持率は、2013年4月に北朝鮮が韓米連合軍事訓練を理由に停戦協定の無効化を宣言し、開城公団が事実上閉鎖されると、横ばい状態のままであった。しかし、5月と6月に韓米・韓中首脳会談が続けて行われると50%代を回復し、開城公団の正常化合意及び再稼動が決定した8月から9月の頭にかけては、国情院の大統領選挙介入事件という悪材料にも関わらず、最高値を記録している。この時期に最高支持率を記録したのが、李石基内乱陰謀事件のおかげなのか、もしくは開城公団の正常化のおかげなのかは分からない。ただ、李石基事件以前も支持率が上昇していたという点、そして9月21日に予定されていた離散家族再会が突然延期され、南北関係が再び膠着状態になった時期と支持率の急落時点が一致しているという点からして、当時の支持率上昇の核心的な要因は、やはり南北関係であったと推し量れよう。

そういった意味で、昨年9月にソウル大学の統一平和研究院によって発表された「統一意識調査」の結果は非常に示唆的である。統一に役立つ政策手段に対する選好度調査での質問(複数回答可能)に回答者の70.8%が長期的な南北会談を、61.8%が経済協力を、58.7%が社会文化交流を、46.3%が人道的な支援を望んでいると答えており、さらに、政府が消極的な態度を示している金剛山観光についても再開すべきという見解が再開反対よりも多くなっている。また、2014年の新年特集として朝鮮日報とメディアリサーチが行った世論調査の結果によると、「南北統一のため、韓国政府が北朝鮮の変化を積極的に誘導すべきか」という質問に70.1%の国民が「北朝鮮政権を刺激し、逆効果をもたらす恐れがあるから、慎重な態度を取るべき」と答えている。この世論調査の結果から、横行している「従北追い込み」や軍事主義的な安保キャンペーンにも関わらず、韓国国民の過半数が北朝鮮との協力を支持しており、3分の2以上は北朝鮮を刺激するよりは、李明博政権で実現できなかった首脳会談など、南北両国の対話を通じての問題解決に期待をかけていることが分かる。ソウル大学の統一平和研究院の「2013、統一意識調査」によると、「政府の対北政策に満足」と答えた人は調査対象の52.3%で、李明博政権の末期である2012年の調査の34.3%よりは遥かに高い。 また、朴槿恵大統領の支持率を支えてきた、所謂「原則的な対北関係」に対する支持の実際の内容も、軍事的な北への強硬策、もしくは封鎖政策への賛成ではなく、対北関係の改善を実質化できる冷静で落ち着いた対応への期待に基づいたものであることを物語っている。

このような分析は、朴槿恵大統領が新年の記者会見で「統一大当たり」論を核心的なメッセージとして強調した理由を理解するための手がかりとなろう。そして同時に、政権を保つため李明博政権時代から動員されてきた国家安保言説と従北一掃キャンペーンに依存し続けた場合、限界に直面せざる得ない朴槿恵政権のジレンマも見えてくる。しかし、李明博・朴槿恵政権が分断体制というランプから呼び出した安保・従北という怪物は、保守政権としても容易には統制できない属性を持っている。この怪物は、現政権が韓半島の信頼プロセスを叫びながらも政略的な目的のために過去の政府の南北首脳会議録を無断で公開し、事実と違った注釈を付け、従北行為の証拠として捏造するように誘導しているのである。さらに、この怪物は、北朝鮮及び従北勢力による政治・軍事的脅威から大韓民国を守らなければならないと騒ぎ立てる一方で、北朝鮮を崩壊寸前の一段階低い不良国家と見なし、有事の際には北朝鮮を接収し、大韓民国型の民主主義を拡散させようといった危険で非現実的な吸収統一の構想を描かせる。

このような現実の中で、果たして数年間悪化の一途を辿ってきた南北関係と核葛藤が解消できる現実的で柔軟な方案を打ち出すことができるのか、そして、米・中葛藤の本格化している新たな東アジア時代に賢明に対処し、平和的な分断克復と繁栄の道を切り開ける創造的な想像力を発揮することができるのか、非常に疑問である。たとえ、執権勢力の一部でそのような柔軟性と創造性を発揮しようと試みるとしても、保守勢力の内部に蔓延している「一度痛い目に遭わせないと」といった風の悪習に囚われてしまったり、自ら仕掛けておいた「反米従北一掃」の罠にはまってしまったりはしないだろうか。このような点が、朴槿恵大統領の「統一大当たり」論の前に立ちふさがっている難点とも言える。

再び、年頭に行われた朝鮮日報の世論調査の話に戻ると、米・中・日・露などの周辺4カ国の内、統一に最も友好的な国家には米国(29.4%)が選ばれ、次に中国(7.6%)、ロシア(5.3%)、日本(2.0%)と続く。しかし、回答者の過半数(50.9%)は「どの国も統一に友好的でない」と答えている。昨年の11月18日、現代経済研究院の発表した「2013年、統一意識の世論調査」によると、最も統一を妨害しそうな国家として中国45.2%(2012년 67.6%)、日本28.6%(2012년 11.6%)、米国19.2%(2012년 16.4%)の順で集計されている。しかし、よく見ると、中国への警戒心は2012年度に比べて急速に減少している一方、日本と米国への警戒心は急速に増加していることが分かる。2013年に日本と米国を選択した回答者を合計すると、中国を選択した比率よりも高くなっている。米日同盟に便乗し、中国と対立することに対し、国民的な拒否感が徐々に大きくなっていると解釈できよう。

今年に入って、一部の保守マスコミさえも韓国の外交が中・日葛藤、及び米・中葛藤という状況の中で賢明に対処すべきであるという主旨の社説を載せている。これは肯定的な変化だと思われる。しかし問題は、米国の核潜水艦や日本自衛隊のイージス艦の済州(ジェジュ)海軍基地の利用を懸念する人々に対して「非国民」又は「 従北主義者」呼ばわりするような雰囲気の中では、「ただ米国に引かれて付いて行く」といった風の古い外交が直面する危機を解決する知恵を探し出すことは不可能に近いということである。

 

6. 安保から平和へと

 

あらゆる面で朴槿恵大統領の政治交代、時代交代という公言は守られない可能性が大きくなっている。特に外部からの脅威を口実に保守政権によって繰り広げられている安保言説や従北追い込みなどは、韓半島と東アジアの問題解決のためのビジョンというよりは、結局のところ、守旧勢力が過去と同じく依然として特権的既得権を望んでいるという国民への宣戦布告に過ぎないと思われる。

民主改革陣営も、果たしてこれに対してのビジョンを持っているのかを自問する必要がある。彼らは民主政権時代の新自由主義政策のせいで、未だに民生福祉に役立つ信実な勢力という印象を与えることができないでいる。国民は時代錯誤的な従北追い込みや安保フレームに容易に騙されたりはしないが、だからと言って、民主改革陣営が窒息しかけている福祉や経済民主化を進展させてくれるだろうという確信も持てない状態である。だからこそ、民主改革陣営が新たな体制への転換を導く主体として認められるためには、この両分野の政策開発と社会的連帯に対してより持続的で一貫した態度を示さなければならないのである。

また、朴槿恵大統領の主張した政治交代が退行する様子からも分かるように、停戦状態を利用して恐怖と脅威を煽り立て特権的で非民主的な構造を再生産する、「敵対しながら相互依存する」分断体制下での安保フレームに挑戦状を突きつけない限り、韓国内の民主主義や福祉成長、そして南北関係の改善も困難であることは明白である。

こういった意味で、民主党や安哲秀(アン・チョルス)新党をはじめとする野党圏が、自分たちのイメージが「安保無能」として映りはしないか、気を揉んでいる様子は非常に残念である。安保フレームと軍事主義の攻勢に防御的な態度をとるよりは、平和と協力を国家戦略としてより明確に提示し、これが非現実的な軍事主義に対比する現実的な未来志向的なものであるという事実を知らせる大胆さが必要ではないかと思われる。

振り返ってみると、金大中・盧武鉉政権、それ以降の野党時代において、民主改革陣営が自ら「包括安保論」「協力的自主国防論」を安保のビジョンとして打ち出すことにより、安保フレームと軍事主義の強化に寄与してしまった面もある。海外派兵を本格化し、テロに対抗するという理由で国情院の機能と権限を拡大させた点、自主国防を唱え、国防予算を大幅に引き上げながら米国と共に北朝鮮へ絶対抑止を求める圧倒的な軍事力を形成した点、自主国防路線とはそぐわない米国のテロとの戦争に同調し、韓米同盟の転換論議を通じて駐韓米軍と韓国軍が韓半島の防衛以外に地域的・地球的役割を強化することに合意した点、そして周辺国、特に中国の脅威に対応するという口実で実際には米国の制海権に便乗しようという海軍戦略を「大洋海軍論」という言葉で飾りながら済州海軍基地建設に着手した点など、多く挙げられる。前回の大統領選挙で保守側からFTA、海軍基地問題などと関連して「言葉のすり替え」と攻撃された事実は、過去に民主改革陣営も近視眼的な力の論理や同盟の論理、軍事的な抑制優先の論理に依存していたということを確認させてくれる。

排除と抑制の論理は、軍備競争を触発し、結局、韓半島と東アジアの住民の安全で調和のとれた生活に脅威を与える結果を招いた。特に経済的、軍事的、そして民主的なレベルで南北間に生じた格差の拡大は、それ自体が停戦体制の不安定性を高め、お互いへの不信と恐怖を加重させ、平和的な問題解決を制約する要因として作用している。この格差が北朝鮮の統治者の警戒心を刺激すると同時に、韓国や周辺国の政策立案者に北朝鮮に対して一層高圧的で攻撃的な態度をとらせるような環境を作り上げているからだ。北朝鮮に対する優越感は、韓半島の葛藤の原因を、全て北朝鮮が「不良国家」であるために発生しているかのように転化する一方主義と、二重的な基準を正当化させる。「北朝鮮側の敵対的・戦闘的な発言や挑発的な行為は、韓国社会の憎悪を絶えず掻き立てている。ゆえに、挑発行為の証拠が明確ではない場合にも「北朝鮮の体制は悪い。だから悪い行為は全て北朝鮮の仕業だ」という論理が容易に成立してしまう。これは、「米国の帝国主義と韓国の親米事大主義者は悪い。だから我が国の不幸は全て彼らのせいだ」という北朝鮮特有の幼稚な論理と合い通じるものがあることは言うまでもない」(白楽晴「2013年体制と変革的な中途主義」 『創作と批評』、2012年秋号、21頁。

ここ数年間、分断状態の韓半島は安保を理由に、3代世襲を正当化する体制と、韓国版ネオコンとも言えるような偏向的で冷戦的、そして軍需的優越主義で固まった権力によって支配されてきた。力の優位を前面に押し出した韓国の対北圧迫封鎖政策と武力示威は、却って北朝鮮の核開発と権威主義的な統治への口実となり、韓半島を一層不安な状態にしてしまった。その結果、停戦61周年を迎える2014年現在、韓半島における敵対と軍事的な緊張は極度に悪化している。さらに韓半島の不安的な停戦体制は、中国の軍事力強化と韓・米・日の地域軍事同盟を可視化する口実となり、東アジア全体の軍事化を触発している。

過去6年間、対決的な態度と優越感によって北朝鮮を封鎖・圧迫した結果、我々が得たものは何か、一度振り返る必要があろう。軍事主義は現実主義という名で採択されてきたが、問題解決には失敗した。既に失敗した方法を繰り返すより、今後は、より積極的に平和づくりへと乗り出すべきである。韓半島の平和のためには軍事的に優位に立っている韓国が先立って、より柔軟で包容的な態度を示すべきであろう。ここで言う包容とは、過去のように経済的なものを先に追求し、軍事的なものは後で検討するような機能主義的なものでは困る。先制的な信頼構築処置、先制的な軍縮処置など、政治軍事的な包容を優先しなければならないのだ。

何よりも、韓半島の軍事緊張の原因となる不安な休戦状態を平和体制へと転換するために努力すべきである。そして、あらゆる面で脆弱な北朝鮮に、南北の境界線と体制の固有性を侵害せず、長期的、且つ漸進的に統合していくという信頼を与えることが必要である。しかし、言葉だけの、又は制度的なレベルでの国家連合を論じるだけでは、北朝鮮の抱いている韓国への吸収可能性に対する懸念を解消できるとは思われない。圧倒的な先端武器により相手を刺激する軍事訓練を中断し、有事の際、先制打撃するといった攻撃的な軍事計画を防御的なレベルへと修正するといった行動を先に取るべきである。

北朝鮮の核問題もまた、平和体制の問題と共に論じなければならない。北朝鮮の核抑止力追求は「脅威」と見なしながら、同じく核抑止力に依存している韓・米・日の核の傘は「自衛手段」と見なすような二重基準にも再検討が必要である。このような作業を通じて、韓半島と東アジアの各国の防衛における核抑止力の占める割合を減らし、非核化のための共同努力を重ねるのは必須的なことである。

また、周辺国と共存できるような土台を我々が主導的に設けるべきであろう。韓・米・日の軍事同盟を強化し、中国との葛藤関係へと向かうのは東北アジアの軍備競争に巻き込まれる結果を招くだけである。互恵的な東アジア共同安保協力体系を目指しながら、軍需同盟を段階的に解消してゆく方向へと進み、それを通じて韓半島に平和を定着させ、さらには東アジアの協力を促進する平和国家になるべきであろう。

最後に外交安保分野の民主化も重要な課題である。抽象的な国家安保や国家の利益を強調するよりは、市民の平和的な生存権、及び平和権を優先視する慣行と制度を定着させるべきであり、各種の同盟や条約、通商協定の締結過程を透明、且つ民主的に統制できるようにしなければならない。商業的、又は経済的な利益を得るための無分別な派兵を原則的に禁じることは勿論、不可避的な国連国際平和維持のための派兵の際も、その過程と効果が透明で責任のある評価ができるようにすべきだ。さらに、殺傷効率性を高めるために開発されている武器産業や軍事技術の倫理的妥当性への民主的検証システムを設けることにより、韓国版軍産複合体の出現を警戒し、経済的にも軍需産業の割合を縮小してゆくべきである。国情院や軍が、安保教育や心理戦を口実に政治に介入できないように制度と慣行を徹底的に改善し、さらに軍や安保機構内での良心の自由などをはじめとする人権保障手段を強化し、そして不可避的な秘密を最小化するなど、文民統制と市民の統制を大幅に強化することも非常に重要なことである。

市民の安全を脅かす最も深刻な障害物が、果たして外部からの脅威であるのか、或いは社会的正義の喪失や各種の社会的暴力の構造であるのか、そして、仮に外部からの脅威が存在するとするなら、軍備増強によって解決できる問題なのか、或いは対話と協力によって解決できる問題なのかを、慎重に考え、問う必要がある。市民が、単に平和を望むだけのレベルから抜け出し、自ら平和と正義を作り出ことのできる環境を作るべき時なのである。

 

翻訳:申銀児

李政勳 / 東アジア言説、行く路来る路――白永瑞『核心現場から東アジアを問い直す』の内外を考察する

2014年 3月1日 発行

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