[文学評論] 存在リアリズムに向かって / 金成鎬
文学評論
存在リアリズムに向かって
―最近の総体性とリアリズム論議に寄せて
金成鎬
ソウル女子大学校英文科教授。訳書に『初めは悲劇で、次は喜劇で』、『ヘーゲル、ハイチ、普遍史』、『ワーグナーは危ないのか』などがある。shkim@swu.ac.kr
ダイ・ハード
文学理念としてのリアリズムは進化と変身を繰り返してきた歴史的生物である。西欧の美学で「リアリズムの時代」と呼ばれる19世紀中後半以後にも、リアリズムは世界のいろんな国で新しくて多彩な形で再び出現して「ダイ・ハード」的な面貌を誇示してきた。近代資本主義体制とともに誕生したそれは、もしかしたらその体制が終末を告げる時点に至ってこそ無くなり始めるかも知れない。
しかし、理論としてのリアリズムはまた別の話である。それもまた現場の要求に応じて変化してきたが、理論と創作との「シンクロ率」は時代と地域によって大きな偏差を呈してきたのである。今日、韓国でその数値は非常に低いようである。旺盛な理論に比べて創作は貧困であったり、その逆だという意味ではない。両方とも不振だと言いたいわけでもない。(両方が同時に不振だからといってシンクロ率が上がるわけではない。むしろその逆である。) 要は創作の傾向が変わっており、既存のリアリズム論の代表的概念――長編小説論の場合、「典型」、「総体性」、「展望」など――でその変化を説明することが難しいということ、甚だしくはリアリズムという表現を持ってくることさえ、ためらうようになったということである。もちろん変化は前々から感知された。リアリズム論がルカーチ(G. Lukács)の説明の枠を越えて進化したのも古いことである。[ref]例えば、白楽晴(ベク・ナクチョン)が1996年に発表した「ローレンスと再現および(仮想)現実の問題」(『内と外』創刊号)を見よ。私が知る限り、この評論は彼が同時代の他の理論と対面してリアリズム論の核心命題を全面的に再検討し、再構築しようとした一連の試みの中で最後に当たる。もちろん、それ以後の批評と論評がリアリズム論として無意味であったという話ではない。だが、彼からリアリズム論が他の理論的談論と全面戦争を繰り広げる姿が最後に目撃されたのは、この評論においてであろう。[/ref] それでも事情は同じである。現在、リアリズム論の概念と枠は創作の現実に比して余りに小さいか、余りに大きい。
前号で黄静雅(ファン・ジョンア)が「総体性」を再論して乗り出したことには、このような理論的苦境に対する自意識が働いているはずだ。[ref]黄静雅、「リアリズムと共に消え去ったもの―運動としての「総体性」」、『創作と批評』2014年夏号。[/ref] 彼女が自分の論文はリアリズムの全面的再論ではないし、自分は「それだけでなく今必要な文学論の更新がリアリズム論へと収斂されうるかの可否にも、準備された答えを持っていない」[ref]同上、19頁。[/ref] と明かすところが注目される。「準備された答え」が「今必要な文学論の更新」を妨げる事態がなくはない分、前もって線を引かないで考えを押し進めていく姿勢は手本とするに値する。だが、「総体性」という戦略的概念を廃棄しないで、むしろそれに対する新しい理解を図る彼女の論議そのものは、明らかにリアリズム論の脈絡に置かれており、それも現時点において非常に意気込んだ理論的企画だと言える。
本稿の出発点は黄静雅の論文で提示された総体性と総体化の概念が美学的に、特に小説論としてどのような意味を持つかという問いである。私の論議は体制的総体化から主体的総体化へ、再び特定に定義された情緒の概念に焦点を移していって、存在リアリズムの輪郭を提示することで終わることとなるだろう。
喪失?
黄静雅の主張を検討するに先立って、同じ時点で総体性概念に問題を提起した康棟晧(カン・ドンホ)の論議[ref]「非同時性の同時性―世界体制の中における韓国小説を論ずるための予備的質問ら」、『文学と社会』2014年夏号。[/ref] を見よう。彼はルカーチが『小説の理論』で掲げた総体性の概念が「喪失の形式を借りて初めて胎動できた一種のスペクタクルとして読まれる余地がなくはない」と主張する。[ref]同上、555頁。[/ref] 総体性はルカーチが自分の時代に欠乏したものを、あたかも喪失されたもののように想像した結果、存在することとなった事後発明品の性質を帯びるといったことである。このような批判の基底には「ルカーチの目的論的ジャンル論」または「本質主義的ジャンル論」[ref]同上、561、569頁。[/ref] に基づいた長編小説論ないし「長編小説待望論」が、中短編を主として展開されてきた韓国小説の成就と可能性を不当にけなすという判断が置かれている。私は韓国小説史を眺望しながらこの問題を取り上げる立場ではないが、これまで長編形式の歴史性に対する苦悶が充分ではなかったという考えは持っていた。また、啓蒙主義思想家たちからデリダ( J. Derrida)に至る西欧の識者たちの古代ギリシャ時代に対する理想化は、病み付き的な面があると見なすほうである。その反面、康棟晧が初期のルカーチの総体性概念を、ルカーチ自身がその後出した自己批判まで動員して「ユートピア的なもの」として批判しながらも、マルクス主義者のルカーチに対しては「すべての葛藤と分裂が止揚された存在の総体性を再び回復すること」[ref]同上、562頁。[/ref] の可能性に、彼がより確信を持つようになったと断定するところは同意しにくい。後期のルカーチの思惟が一定の局面でスターリンの美学と親近性を示すことは事実である。しかしながら、生哲学の洗礼を受けた青年ルカーチが存在の他者性に対して示す深い関心や、後期の場合にも上記の局面を越した時期に彼が改進する生と社会の永久的未完成に対する思惟は、康棟晧の批判がルカーチに対する非常に断片的なイメージに基づいていることを示唆する。
より大事な論点はユートピア的思考に関するものである。初期であれ後期であれ、ルカーチの思惟にユートピア的次元が欠如されたことはない。マルクス主義者のルカーチに問うなら、おそらく「幼稚なユートピア主義者」より「幼稚な現実主義者」がもっと嫌らしいと答えるだろう。ところでこのことは結局、康棟晧の観点を正当化してくれるのか。ルカーチのユートピア主義が一つの観念論、つまり現実を理念の自己具現の過程として見なす立場ならばそうでありうる。しかし果たしてそうなのか。冷徹な現実判断――これには現実の敵対に対する認識だけでなく、その克服の至難さに対する理解も含まれる――と、「幼稚ではない」ユートピア的思考――これにはよりよい生に対する志向のみでなく、生の本源的な非完結性・可変性・否定性に対する肯定も含まれる――はいくらでも結合されうるし、後期のルカーチ、少なくとも『美学』(1963)のルカーチからわれわれが見い出すのはまさにそのような結合である。[ref]『美学』の出版当時の題目は『美的なるものの固有な特性』である。生の否定性と関連して、例えば次を見よ。「果たして人間の人格が一つの全体を成すのか、またこのような全体が時間の流れのなかで保存されるだろうか、そしてそういう全体性のなかで何が本質的で、何が皮相的なのかという問題らは、人間のすべての活動のなかで絶え間なく提起」される。従って、総体性、持続性、現象と本質の統一に対する「肯定は同時に否定」であり、「そのような否定は本質的に一つの確定であり、人格の本来的な持続性」である。要するに、生は一つの質として要約されないし、全体の再現は常に否定される危機に立たされる。ここでルカーチと現象学との間における距離は非常に近く感じられる。『ルカーチ美学』第2巻、イム・ホンベ訳、美術文化、2000、91頁。[/ref] 彼の青年期の思惟に内包された豊かな洞察を勘案すると、ルカーチが後に行った自己批判は却って偏狭に見えるかもしれない。だが、とにかくその批判は「ユートピア主義」を狙った「現実主義者」の(またはより酷い観念的ユートピア主義者の)批判ではなかったのだ。
「喪失」の情緒について言うなら、現在に欠乏したものを過去の現実に投射する心理は、当然警戒する必要がある。しかしながらブロッホ(E. Bloch)が想起させるように、過去は未来に対する想像の重要な資源であり [ref]Ernst Bloch, The Principle of Hope, Vol. 1, trans. Neville Plaice et. al., Cambridge: MIT Press 1985参照.[/ref]、このことに対しては韓国小説のよりよい未来を念願する批評家たちも同意するところだと信じる。問題は近代性を眺める視角であるが、西欧の古代を含む前近代から直ちに未来の生のモデルを抽出することはファンタジー小説などでは可能であろうが、前近代から近代へ、または近代初期から後期に来ながら喪失されたもの、哀悼の対象となるに値するものが果たしてないと言えようか。康棟晧が問題とすることは亀裂のない総体性の観念であるから、この質問を彼に投げかけることは不当なのかも知れない。ただユートピア的思考によく付いて来る喪失の情緒が、如何なる現実的根拠がないかのように単純化され、戯画化されることもまた、不当だという点を言いたいわけである。
総体化 1
黄静雅の論文が持った長所の一つは、このような抗弁さえ不必要にするという点である。そこで論議される総体性は喪失や回復と何の関連がない。回復とそれでも同じようなものは体制の脱隠蔽、すなわち資本主義的物象化の克服であろうが、もちろんそれは葛藤と分裂のない社会の復元とはまったく異なる問題である。私が理解するに、黄静雅の論旨は次のようである(表現は一部異なる)。第一、総体化する体制がある。第二、体制的総体化は構造的に不完全である。第三、体制的総体化とその不完全性(または不可能性)を同時に思惟するため、総体性概念が必要である。第四、総体性概念は絶え間ない問いの形で現存する。ここで核心は第三となろうが、新鮮でありながら筆者の特性が最も強く感じられる主張は、実は第四である。「これが全部なのか」という問いを「出来る限りすべての方向で出来るだけ長く持続すること」を、彼女は「消え去ってはならないリアリズムの「運動」」として捉える。[ref]黄静雅、前掲論文、32頁。[/ref]
一つの疑問が生じる。黄静雅は先に総体性に関するジジェク(S. Žižek)の説明を引用した後、彼から「「全体」が真の全体となれないという事実と、「全体に対する概念」が常に何かを欠いているという事実が、同一なレベルに置かれた点」を問題とした。つまり「体制の不能が体制認識、あるいは体制再現の不可能性へと一気に移っていく所持も生ずる。総体性が全体主義の嫌疑を脱ぐ代価として、自らの無能を自認する格好となりかねない」ということである。[ref]同上、25頁。[/ref] 再現不可能性、または「語られないこと」そのものが物神的に追求される批評傾向に対する正当な警戒を内包した話であるが、結局筆者自身も全体に対する概念が何かを欠いているというジジェクの主張に同意するわけではなかろうか。問いは取りも直さずその欠如、つまり全体とその再現との間における乖離、または本質と現象との間における乖離から発源するのではないか。
もしかしたら自分の文章に溢れている「不能」、「不可能」、「不可能性」という表現に自ら眩惑されたのではないかという感じもする。あるいは「実在主義」(黄静雅の表現である)の危険を喚起しようと、意図的にジジェクの言葉を捩ったかも知れない。事実、ジジェクは体制再現の「不可能性」というより、その必然的「不完全性」に触れたわけであるが、自分の不完全性を意識する再現と再現の放棄(またはある極端的な形の「不可能性の再現」)は明らかに異なる。黄静雅の「問いの美学」は彼女が卓越に論じるアガンベン(G. Agamben)のアウシュビッツに対する視角と通じるだけでなく、(当の自分も意識するだろうが)ラカン主義者のジジェクによって再解釈されたヘーゲル的総体性の概念とも連続的である。ところで、こう言ってみると、黄静雅がわれわれの時代の談論地形のなかに蘇らせた総体性概念が、リアリズム論でずっと主張してきたところと何が異なるかという質問が提起されうる。質問を変えると、自分の不完全性が自体の中に記入された「総体性」再現は、既存のリアリズムの美的理念とどのような違いがあるか。この地点でわれわれは総体化を体制のみでなく、主体の次元でより綿密に見てみる必要がある。
総体化 2
全体の再現は、それが真の再現である限り、問いを生産する。それは事実に関する問いではなく、意味に関する問いである。それは対象の認識に関与したりもするが、より本質的に主体化、つまり主体的世界の形成に関与する。この問いとそれによる発見を通じて主体は経験を意味に、現象を本質に、個別事件を全体に連関させるし、またすでに構成された全体を続けて変化させて行く。このような主体的総体化は体制的総体化と単に並行したりも、一致したりも、別個に成されたりもしない。体制的総体化はだいたい主体的総体化を通じて作動するが、後者は体制的総体化を不完全にする一つの決定的要因でもあるのだ。この潜在的不和は支配―抵抗、隠蔽―脱隠蔽、物象化―脱物象化という観念ではまともに把握できない。資本主義世界が根本的に「無世界的」(worldless)という認識 [ref]Slavoj Žižek, The Parallax View, Cambridge, MA: The MIT Press 2006, 308, 317~19頁(韓国語の翻訳本はスラヴォイ・ジジェク、『時差的観点』、キム・ソヨン訳、マティ、2009、604、622~25頁)参照。ジジェクはバディウから「無世界的」という表現を借りてきながら、部分的に彼を批判したりもする。「無世界性」概念の起源をより遡っていくとアーレントへ、それからハイデガーへと向うこととなろう。[/ref]はますます説得力を得ている。そのことを私なりに解釈すると、資本主義的総体化が自分の総体性を隠蔽する方式で成されるというより、逆説的ではあるが一体の総体的意味を社会と個人の生から剥奪する方式で成されるという話になるだろう。言い換えると、われわれが資本主義体制に共に参加するのは純然たる強制によってとも言えないが、だからといってある大した「意味」をそこから発見したからだとも言えない。特に今日の資本主義体制は多様な選択を通じて同質化し、不連続を通じて永続化し、緩さを通じて総体化する。主体的世界の保存は体制的本質の暴露より、この「無世界の世界」により脅威的である。
主体的総体化、すなわち「私の意味ある世界」を形成していくことは再現を含んではいるものの、その本質が対象認識にあるわけではないという点は再び強調すべきだ。主体の世界は体験的で感覚的な世界、環境と主体自身の関係に対する感覚で満ちた世界である。この世界とそれの意識的・言語的表現との間には根本的相違がある。かつてサルトル( J.-P. Sartre)はキェルケゴール(S. Kierkegaard)に依拠して「思惟に対する特定に実在的なもの(the real)の優先性、つまり実在的なものは思惟へ還元されえないこと」を強調したことがある。不可知論や非合理主義として見えるかもしれないが、サルトルによるとキェルケゴールはこのような観点によって「ヘーゲルとの関係からリアリズムに向かった進歩」の標識となる。[ref]Jean-Paul Sartre, Search for a Method, trans. Hazel E. Barnes, 1963; New York: Vintage 1968, 12頁. サルトルは感覚の世界に歴史を導入したマルクス主義と実存主義がキェルケゴールからもう一歩進んだ「進歩」だと見なす。「運動する弁証法的総体化」は「他ならぬ歴史」である(30頁)。[/ref] 総体化の世界はまた欲望の世界、可能性の世界、再びサルトルの用語を借りるなら「企投」(project)の世界である。[ref]同上、91~100頁参照。[/ref] そこにはいつも主体自身を脱すること、先に飛び出して与えられた対象のみでなく自分自身とも不和することとなるものが存在する。そうして体制的総体化の不完全性に次ぐ主体的総体化の不完全性が生ずる。ジジェクの言ったところ、「全体」観念の不完全性は体制と主体にそれぞれ異なる理由で、だが同じく適用されるのである。
遅くなった感じはするが、ここでこのような質問を提起してみよう。総体化が不完全だということは、総体性の概念を無効化するか。「そうだ」と答えるなら、それは私が「なっていく」存在だからといって私の人格的とか存在論的な持続性はないと語ることである。だが、「なっていくこと」としての「自分らしさ」(being)を理解しない限りは、総体化そのものの理解が不可能である。総体化は一つの「状態」から他の「状態」へ移行することではないからである。要するに、総体性は総体化過程の完結状態でも、そこから類推された超越論的仮想(つまり錯覚)でもない。それはその過程の持続性そのものだ。
このすべての論議の美学的含意は何なのか。長編小説が総体性の形式だという話が相変わらず有効ならば、今日この話は次のように理解されるべきであろう。つまり、長編では総体化する体制の内在的不可能性と総体化する主体の内在的不可能性、体制の欠落と再現の限界が同時に形象化されるべきである。もちろん実際に形象化されるものは二つの世界ではなく、一つの世界である。体制の再現が主体的世界の形成と完全に同一な過程であることは論をまたない。体制と主体の世界が同一だからではなく、体制的な力が――例えば、主体に対する圧力や主体の欲望の形で――主体の意味世界の中に配置されているからである。ドゥルーズ(G. Deleuze)の用語を借りるならば、小説が見せてくれるものは体制「自体」ではなくて(そういうものは抽象の世界でのみ存在する)、体制と主体との「接続」である。
もっと考えてみるべきことは、体制の主体的再現と再現の限界の形象化がかみ合う具体的な様相である。それを捉えてこそ、われわれは先に提起した質問、つまり自己限界を意識する再現がなぜ、そしていかにリアリズム的なのかに答えられるだろう。ここでフレドリック・ジェイムソン(Fredric Jameson)が近来改進した「情緒」の概念に注目してみよう。彼が情緒をリアリズム(事実主義)叙事の限界地点として掲げるからである。
情緒
哲学と心理学から政治的談論と脳科学に至るまで、様々な分野で情緒は最も「ホットな」主題の中の一つであるが、ジェイムソンがリアリズム論に情緒を取り入れたことはやや意外である。情緒の論議で常にそうであるように、ジェイムソンも自分の概念を類似概念と区別する。彼は「情緒」(affect)という用語の選択が窮余の策だったと言いながら、それを「命名された感情」(named emotion)に対立させるが、その意図は次のようである。「情緒(または情緒ら)はある種の方式で言語を、そして言語による事物(および感じfeelings)の命名を避けていく反面、感情は何より一群の名称で分類される現象である。」[ref]Fredric Jameson, The Antinomies of Realism, London: Verso 2013, 29頁.[/ref] 言語に抵抗する曖昧な「情緒」と容易く言語化される可視的「感情」との区別、そしてこれに基づいた再現問題の提起は典型的なモダニズム美学を連想される。しかし、ジェイムソンは自分の「情緒」概念がポストモダンなものの理論と経験に連関されていることを明かす。すなわち、情緒は時間性の消滅と「永久な現在」、この現在のなかで唯一に持続される経験としての体の感覚を指し示すということである。ところで、ジェイムソンはこのような意味の情緒を、さらに19世紀半ばに戻って同時代の西欧文学のなかで発見する。命名できない情緒は自分を盛り込む新たな再現的構造物と、それに伴う言語的革新を要求するが、「そのような言語的要求が(…)初めて聞こえ、避けられなくなったのは、19世紀半ば頃、言うなればブルジョア時代の1840年代である。」[ref]同上、31頁。[/ref] 文学における情緒の出現は命名された感情の体系との競争を、さらに感覚世界の歴史的変化を含蓄する。情緒は固定した意味に抵抗する感覚的経験でありながら「実存的なもの」として、意味と実存との間の和解不可能な決別は、近代性の根本的特徴だと言える。(ここで意味化されない実存はブルジョア的主体性の特徴として理解される。) フローベール(G. Flaubert)とボードレール(C.-P. Baudelaire)は、感覚におけるこのような近代的変化を指し示す指標である。小説でこの変化は「情緒のリアリズム」[ref]同上、35頁。[/ref] を誕生させる。
このように情緒および情緒と文学の関係を歴史化しながら、ジェイムソンは19世紀リアリズムの内的構造を説明する新たな枠を提示する。もうリアリズムはブルジョア社会の形成に伴った脱神秘化やその社会自体に対する批判の見地からではなく、時間的にリアリズムの両端を構成する二つの相異した「衝動」の緊張した結合という観点から捉えられる。一方にはリアリズムの始発点となる叙事(物語)の衝動が、また一方には結局リアリズムの解体を持ってくる情緒の衝動がある。ここで「衝動」を「時間性」に取り替えて読んでもよいが、叙事が年代記的時間性を含蓄するならば、情緒は過去と未来がない現在、つまり時間性の終末そのものを自分の固有な時間性として持つ。情緒は「視点の支配」[ref]同上、11頁。[/ref] に対して戦いを繰り広げたりもするので、われわれの脈絡では19世紀リアリズムの内的矛盾を総体化する力と総体化に抵抗する力との間における敵対性として理解することもできるだろう。とにかく、二律背反的な「情緒の再現」を中心に文学史の一時代を説明しながら、ジェイムソンはリアリズム―モダニズム―ポストモダニズムという伝来の時代区分に対して若干の変形を試みる。一方では「情緒の出現」以前と以後のリアリズムが有意味に区別される。もう一方、情緒リアリズムを構成していた叙事と情緒との緊張が解かれ、リアリズムが崩壊した結果、三つの主な流れが現れてくるが、つまりモダニズム、類似-リアリズム的大衆叙事、そしてポストモダン叙事である。[ref]同上、187~88頁参照。[/ref]
ジェイムソンの広範囲で複雑な論議から一般化した主張をいくつか抜き出してみたが、この内容だけでもここで一々検討することは手に負えない。ただ、先に論議した総体化と再現の問題と関連して、ジェイムソンの「情緒論」がどのような意味を持つか考えてみよう。
一つ目、ジェイムソンが試みた情緒概念の歴史化は、われわれが見てみた総体化する主体の概念もまた、歴史化する必要を暗示する。情緒の概念、特にポストモダンなものの経験から持ってきた情緒概念を、フローベールとボードレールを超えてリアリズム小説家として呼ばれる19世紀の作家たちの作品全般に適用できるか、一部の作家に関するジェイムソン自身の論議が的確なのかは別に検討する必要がある。従って、この時期の西欧リアリズムを、よく流通される用語の「批判的リアリズム」の代わりに「情緒リアリズム」と一般化して称することは一先ず留保すべきだし、前の用語に蓄積されてきた豊かな美学的含意を考慮するとよりそうである。(この場合、1840年代は決定的基準点となり得ない。) しかしながら、叙事と情緒、叙事化された記憶とそれに編入されない「経験」、歴史性(または過去・未来が凝縮された現在性)と純粋な現在性などの矛盾的共存は、他ならぬ総体化する主体の構造をかいつまんで示しているのではなかろうか。この構造は資本主義的近代化を経た西欧・非西欧社会の個々人から広範囲に発見されるだろうが、もしかしたらそれはジェイムソンが捉えるように必ずしも近代性の特徴だというより、近代以後「長期持続」に属する特徴であるかも知れない。(これにはポストモダニティに対するジェイムソンの主張が、非西欧はもちろん、西欧内でもごく一部の現実を説明するだけだという前提が伴う。)
二つ目、ジェイムソンは「命名された感情」と区別されるものとしての情緒が、リアリズム文学で認識に対して補助的であったり、周辺的な現象ではなく、リアリズムの精髄に当たることを主張する。もちろん彼の主張は特定の時代と地域に限られたものであるが、体制の「総体的再現」の理念と完全に決別しない現代の第三世界小説にその主張を適用したり、変容してみる余地は多い。
三つ目、ジェイムソンが概念化する「情緒のリアリズム」はバルザック(H. Balzac)から「批判的リアリズム」の原型を探すエンゲルス(F. Engels)-ルカーチの美学・批評談論に根本的に挑戦する。この挑戦が「バルザック(意味)からフローベール(実存)へ」の形態でのみ提起されるわけではない。より重要な形態はおそらく「認識から存在へ」であるはずだ。ルカーチに提起されたことがある「認識論主義者」という非難は振り返ると不当な面があり、そのような非難を加えた側自らもそこから自由でなかったようだが、生と芸術に対するそのすべての奥深くて柔軟な思惟にも関わらず、ルカーチが長編小説の価値を何より現実の(批判的・予知的・総体的)認識から求めたことは事実であろう。例えば、ジェイムソンが述べる「情緒」をルカーチならどのように理解しただろうか。彼にとっても作品は主体の意識と感性を経て構成された(創造された)ものである。しかし、その構成の原理でもあり目的は矛盾的現実の「本質的であると同時に仮想的な」再現にある。彼にとって「情緒」はおそらくこのように再現される世界の一部、すなわち再現された世界のなかに配置された要素であるか、それとも美学的に失敗した再現を意味するのではなかろうか。彼は生の本源的非完結性を認めるが、このような性質さえ再現に含まれる要素であって、再現の非完結性や再現の限界で「具現」される要素としては見なさなかったようだ。「認識から存在へ」は認識の否定ではなく高揚を表す。作品の「情緒的」次元はそこに留まる主体(作家、主人公、読者)の世界認識が終結されなかったし、終結され得ないが、この不可能性が主体の最も固有で内密な可能性へ、体制との最も「それらしい」形態の接続へと転化されたことを示す。情緒において体制的総体化の不可能性と主体的総体化の不可能性は重なる。情緒は再現の限界地点であるだけでなく、主体の新たな出発点、世界に向かった「窮理」が再び始まる所である。こういう意味で情緒に含蓄された文学的可能性の究極的な発現形態を、われわれは「存在リアリズム」と呼び直すことができるだろう。
存在リアリズム
ここで「存在リアリズム」と称するものは、ジェイムソンが説明した19世紀の「情緒リアリズム」と同一ではない。事実、存在リアリズムの論議はジェイムソンの時代区分と相当食い違う構図を前提する。ジェイムソンの情緒リアリズムが19世紀半ばの西欧小説と小説理念を指し示すならば、存在リアリズムはそれに内在した可能性が今日に至るまである矛盾的過程を経て、次第に具体化した結果としての理念と作品を指し示す。「矛盾的過程」とは何よりモダニズムの役割を指して言う言葉である。ジェイムソンが情緒の概念をポストモダンなものから19世紀のリアリズムへ遡及して持ってきたことは先に触れたが、情緒に関する限り、彼はリアリズムとモダニズムとの間にも本質的連続性を仮定する。弁証法の公式に充実して、彼はリアリズムの内的矛盾からそれが崩壊し、新しい様式が出現する根拠を探る。モダニズムはリアリズムに内在した情緒の論理が強化され、自律化したことに伴う結果だという説明である。ところで、「これが全部なのか」。私はモダニズムが歴史的・体制的現実から退いて個人の意識に入っていった矮小な文学理念だという仮説、または通念を信じない。だが、体制再現の方式に変化が生じたことは確かであるが、その変化の核心はジェイムソンが他の著書で述べたように、現実を「ユートピア的」に取り替える物象化された感覚を喚起することだというより、意識と対象との分離を許さぬ感覚や情緒としての世界体験を意図的に喚起することである。[ref]拙稿、「耽溺の効用—モダニズムから何を学ぶか」(『クリティカ』創刊号、2005、188~214頁)では、ジェイムソンが『政治的無意識』(The Political Unconscious, 1981)で改進したモダニズム論に問題を提起し、モダニズムの歴史的意義を本稿より詳しく論じた。[/ref] この試みがしばしば実験自体の論理によって意識過剰の状態に帰結されて、従って体験的リアリティーの喚起という当初の目的を達成することに失敗したとしても、私が見るにモダニズム的実験の段階がなかったならば存在リアリズム的創作も、ジェイムソン自身の情緒論も可能ではなかったはずだ。要するにモダニズムは先立ったリアリズムが崩壊した結果であると同時に原因でもあるが、自分の以前と以後の文学を「リアリズム」という名で繋ぐことに決定的な役割を果たしたことを見逃してはならない。
大きな仮説をもう少し押し進めてみよう。先に触れたように、ジェイムソンは19世紀半ばに出現した、少なくともその時期の小説が捉えようと努めた情緒が、既存の感情体系と競争を繰り広げたと見なす。ブルジョア時代が開かれた後、「命名された感情ら」の体系が作動した方式をわれわれは「センチメンタリズム」と呼べるだろう。西欧でリアリズムの勃興は、つまりセンチメンタリズムの勃興であった。このことからリアリズムの発展過程を荒く図式化してみると、センチメンタル-リアリズム→批判的リアリズム(これには「リアリズム」の名に値する、すなわちより弱めな教条的-浪漫的な「社会主義リアリズム」が含まれる)→存在リアリズムとなるだろう。この仮説が説得力を持つためには、各々の項に対して、そして互いの連関に対して詳しい説明が伴わなければならないが、ここではいくつかだけ付け加えて言うことにする。
リアリズムの前に修飾語を付けてその「種」を区別することは、個別作品の成就に対する判断を間違える恐れがなくはないし、一方その修飾語が韓国の場合を含めた第三世界文学の特殊性をまともに反映できないという非難が起こるかも知れない。しかしながら、このような区別はリアリズムを同質的で永久な理念として神話化する代わりに、歴史的現象、または「生物」として捉えようとする意図を持っており、ひいてはその「生物」の運動空間を西欧に限らせないように仕向ける意図もまた含んでいる。もちろん変化する「支配種」に従ってリアリズムの時期を区分することが「非同時的なものの同時性」を否定するわけではない。18世紀の文学にも社会批判的な要素が、19世紀にも存在論的関心があったし、20世紀のリアリズム小説はしばしばセンチメンタリズムと批判的リアリズムの変形されたバージョンでもあった。今日、韓国文学には異なる文学理念(あるいは反文学理念)と共に、先に触れた三つのリアリズムが共存する。甚だしくは一つの作品でそれらを見分けすることも可能だが、長く論じる余裕はないものの權汝宣 (グォン・ヨソン)の『レガート』(創批、2012)も一つの例となろう。それなりの響きを持った作品であるが、1980年代に対する描写の一部と連関された「命名された感情」(特に肯定的感情)の処理方式には異論を唱えたい。「命名された感情」はそれなり美学的役割がある。しかしながら、この小説ではそれが作家(主体)の世界探索に妨害となる面がなくはない。これに比して作家の以前の長編『青い隙間』(サルリム、1996)で情緒の流れは、センチメンタリズムにその場を譲る場合がほとんどなく、われわれを存在の端っこに追い立てたりする。この点でそれは最近出版された韓江(ハン・ガン)の『少年が来る』(創批、2014)がちょうどよく主体的世界としての体制経験を絶妙に喚起したことに比肩される。ここで彼女は1980年の光州を自明の意味を孕んだ歴史的記憶としても、超歴史的な「人間の問題」へとも還元しない中で、生々しい感覚的現在として再創造する。この小説で過去とは、現在に再創造されることで始めて存在することとなるそういう時間、われわれの現実に新たに現れた「事件」としての時間である。現実の模写というより、現実の隙間を開けて新しい現実の場を作ること、あるべきだが不在の或るものを始めてあるように、経験するようにし、そうしてそれがそもそもあるべきであったと感じさせること、そのように現実の地平に、つまり可能性の世界でもある主体の感覚世界に変化をもたらしてくること、真正な実践でありポイエーシス(poiēsis)としての創作—これがリアリズムの本領ではなかろうか。[ref]その反面、『少年が来る』の語り手が 2009年に龍山の燃える望楼を見て「あれは光州だな」と呟いたという、エピローグに紹介されるエピソードは、「80年の光州」の歴史的普遍性を多少作為的な方式で想起させる。だが、この作品の場合、エピローグはエピローグとして読むべきである。[/ref]
存在リアリズムがジェイムソン的意味での「情緒」に敏感だからといって、必ずしもより「感性的」な言語に傾くわけではない。それの本質はより悲しんだり、より喜んだり、より憤ることとまったく関係がない。また、その本質はモダニズム美学の常套化したバージョンで触れたりする曖昧な意味やためらう言葉、または沈黙のゼスチュアにもありはしない。もちろん可視化した感情と実験的な言語が生の体制性と体制の不可能性を表すならば、それはまた別の話である。
最後に一言。存在リアリズムはモダニズムやポストモダニズム、またはアレゴリーと単純に対蹠関係にあるのではないが、なぜならばそれらと同一なレベルで競争するわけではないからである。例えば、ポストモダン的であったり、アレゴリー的なリアリズムが可能である。このことは事実(主義)的描写や「事実主義的紀律」が存在リアリズムと結ぶ関係の偶然性を暗示する言葉でもある。リアリズム文学には、とにかく与えられた世界との具体的な対決意識があるべきで、また世界の現れや開きから来る驚きがあるべきだと信じる。しかしながら、そのような戦闘的具体性と驚きが「事実主義的に」確保されるということは別の問題である。[ref]事実主義が「実事求是(事実に基づいて真理を探求すること-訳注)の精神」のようなある精神性として理解されるならば、事実主義とリアリズムとの関係は偶然的なものそれ以上のものなのであろう。だが、この場合、二つを区別する理由に関して疑問に思うかも知れないが、国内でその区別と同時に二つの本質的連関を最も緻密で持続的に提起してきた白楽晴の場合、自分の「リアリズム」概念に内在した存在論的性格がより表面化し、具体化するほど、リアリズムの認識的志向を明示してくれる概念として「事実主義」の必要もむしろより強化されることになったと思われる。しかし、白楽晴はリアリズムの一つの軸としての「事実主義」から「事実(主義)的描写」という意味も諦めなかったようだ。本稿で提示する存在リアリズム概念の多くの部分は、白楽晴のリアリズム論に負っているが、この二つの実際関係に対しては、別に本格的な論議が必要である。[/ref] リアリストが立ち向かう対象を「体制」に、具体性を「現場性」に呼び直しても同じである。現場性は体制と主体(主体的世界)の「接続」が生々しいことを指し示す言葉として理解されるが、その生々しさは事実主義的に具現されることもできるし、アレゴリーのような他の方式で具現されることもできる。もちろん事実的で具体的な描写が固有に持つ力、または美学的価値があるし、それは現実のアレゴリー的還元で取って代われないあるものである。私が言いたいことは、事実主義・典型性の具現・リアリズムは概念上で区別されるべきだし、それだけでなく(このことは既存のリアリズム論でもしばしば再確認してきたところである)リアリズム的成就は事実的再現の上でのみ可能だという、言い換えると事実的再現がリアリズムの核心ではなくとも一つの必須不可欠な要素だという観点は再考されるべきだという点である。このような観点に従う際、事実主義に基づいていない作品のリアリズム的可能性は認めにくいし、その可能性を認める場合は説明の一貫性が問題となり得る。例えば、現実との対面でアレゴリーに深く依存する作品を見よう。アレゴリーは事実や事実的状況の代わりに、明白な意味と「命名された感情」を持って作業する叙述様式である。だが、物的支配体制を支える意味と感情の体制に衝撃を加え、世界に対する新たな態度を助長する転覆的なアレゴリーがあるし、われわれはこれを(主に)事実主義の効果として説明しないで存在リアリズムに含ませることができるし、そうして当然である。例えば、朴玟奎(バク・ミンギュ)の『ピンポン』(創批、2006)や黃貞殷(ファン・ジョンウン)の『百の影』(民音社、2010)がそうであり、外に目を向けると、今日世界的に最も問題的な作家の一人であるクッツェー(J. M. Coetzee)の多くの作品がそうである。クッツェーの強みは主体の限られた経験のアレゴリー的設定を通じて、体制、つまり「排除された内部」としての収容所体制でもあるアパルトヘイトの本質を赤裸々に可視化するだけでなく、主体の意味世界、すなわち作家自身のような良心的アフリカーナの自意識と当惑感をひとかけらの自己憐憫なしに、そうしながら予想を超える強度と深さで伝えるということ、それによって読者が既存のある安全で明確な「立場」とも同一視することを不可能たらしめるということである。『鉄の時代』(Age of Iron, 1990)で喜んで白人としての内面的羞恥を耐え忍びながら生きてきたカレン夫人が、そのような態度さえ真実を回避する装置であったことを告白しながら「羞恥心の用途」を語る際、われわれはもうこれ以上「命名された感情」の世界に閉じ込められていない。同じくこの小説よりアレゴリー的側面がより強い『マイケル・K』(Life & Times of Michael K, 1983)、『フォウ』(Foe, 1986)、『恥辱』(Disgrace, 1999)[ref]『恥辱』のアレゴリー的性格に対しては論難があり得る。前の二つの作品の場合と違って、この作品の叙事は初めから最後まで具体的状況と心理に対する事実的描写で満たされているからである。だが、黒人学生と性的関係を結んだ白人教授の娘が黒人に強姦され、教授は犬の死体を処理する身の上に転落するというプロットに込められた歴史的アレゴリーの意味は明確である。小説で達成したリアリズムがそのようなアレゴリーとどういうふうに組み合わされているかは別途に見てみる問題である。[/ref] などが体制と主体の「接続」を少しでもより弱めに強烈であったり、問題的な方式で提示するとも言えない。黒人の声を最小限に節制しながらも――甚だしくは、『フォウ』では主要人物の黒人が舌を失ったまま登場するが、周知のようにこのことは総体的剥奪の歴史を持った黒人の境遇と、白人による黒人再現の根本的限界に対する自意識を同時に表象する――クッツェーは黒人の存在を白人が究極的に対面すべき、しかしながら自分の徹底とした解剖と解体を通じてこそやっと近寄れる歴史的実在として強力に喚起する。クッツェーがある面では「ポストモダン」だが、決して再現不可能性の遊戯を楽しむポストモダニストやメタフィクション作家ではなく、リアリストとして呼ばれるべき理由である。
(訳:シン・スンモ)