창작과 비평

資本主義世界システムの中の中国「社会主義」――修辞なのか可能性なのか

2015年 春号(通卷167号)

 

 

[特集] 「資本主義以後」を想像する

 

李南周(い・なむじゅ):聖公会大学中語中国学科教授、政治学。著書に『中国市民社会の形成と特徴』『東アジアの地域秩序』(共著)、『二重課題論』(編著)などがある。

 

 

1.「資本主義が中国を救い、中国が資本主義を救う」

 

2008年、アメリカ発の金融危機の直後に、中国のインターネット上では「1949年には社会主義だけが中国を救うことができ、1979年には資本主義だけが中国を救うことができ、1989年には中国だけが社会主義を救うことができ、2008年には中国だけが資本主義を救う事ができる」という言葉が流行した。中国共産党(中共)が掲げていた「社会主義だけが中国を救うことができる」というスローガンをもじったものであるが、この言葉は、現代中国の重要な転換点と、論争となるいくつかの地点を捉えている。なかでも資本主義と中国の関係を問題化する二番目と四番目の主張の現在的意味は大きい。改革開放後の中国の経済成長は資本主義を受容したからなのか、あるいは中国の資本主義世界システムへの編入は資本主義の生命力をさらに強化するのかなど、非常に論争的な問題につながるからである。一見して改革開放後の中国の姿は、上記ふたつの問いの両方に「そうだ」と答えるかのようにみえる。しかしながら21世紀に入って、これとは異なる角度から中国と資本主義の関係を問題化する論議が増えている。上記の問いに対する反応は、興味深いことに、伝統的な左と右との区分では分けられない。そうだという答えを提示してきた自由主義的な主流の観点のなかにも、中国は資本主義の論理には従っていないとか、中国が西欧のヘゲモニーを脅かしているなど、中国に対する悲観的な論調が多々見られる。そしてこの種の議論は、往々にして、中国が資本主義の論理を積極的に受容すれば問題は解決されるという結論につながる[1]。ここには注目すべき内実がなくもないが、資本主義世界システムの歴史性が視野に入っていないうえに、それに対する批判的問題意識が介入しうる空間がないという限界がある。歴史的に数多くの危機を克服してきた資本主義世界システムが、すぐにでも消滅するだろうとの性急な主張も問題だが、繰り返される金融危機から生態系の危機に至るまで、資本主義世界システムが解決法を見いだせないような矛盾は積み上げられ続けており、しかも日々深刻化している状況で、資本主義世界システムそのものを問題にしない視角にもまた限界がある[2]

こうした問題意識のもとで、本稿は中国と資本主義世界システムとの関係への批判的アプローチを主に検討し、この関係に対する筆者の見解を提出していく[3]。もちろん、ここで扱う幾つかのアプローチも、中国を見る観点は一様ではない。中国が既に資本主義に変質し、彼らが掲げる社会主義は修辞に過ぎないという主張(当然、中国の経済成長も成功事例ではなく資本主義的敗北を増加させた事例として取りあげられる)から[4]、社会主義的伝統こそ中国の発展に意味ある役割を果たしており、これは長期的に資本主義世界システムを超えうる可能性を提供するという主張まで[5]ある。しかしながら中国はすでに資本主義に変質しただとか、資本主義世界システムへのオルタナティブになりうるといった断定は、この問題に対する適切な態度ではない。というのも、これは予定調和的な答えがあるのではなく答えを探すプロセスにある問題だからである。

本稿は、現在進行中の中国の変化を、多様な可能性を内包する歴史的過程と捉えると同時に、その過程に批判的に介入し、そのさなかで感知され開かれていく可能性を世界の望ましい未来へとつなげるための作業の一環である。もちろん、中国と資本主義世界システムの関係についての議論は、私たちと直接関係のない遠い話に見えることもあるだろう。しかし私たちの社会が抱える様々な矛盾を作った朝鮮半島の分断体制が、東アジアにおいて作動する資本主義世界システムの核心メカニズムとして機能してきたという点に鑑みるなら、中国の変化が資本主義世界システムに及ぼす影響は私たちと無関係ではありえず、同時に、私たちの実践が中国と資本主義世界システムに及ぼす影響も過小評価できるものではない。したがって、この作業は私たちの人間らしい生の実現のための努力に、ひいては私たちの努力がいかなる世界史的意味をもつのかを展望するためにも、重要なのである。

 

2.非資本主義的発展モデルか、資本主義への変質か?

 

まず、中国と資本主義世界システムの関係について最もチャレンジングな主張をしたアリギ(G. Arrighi)から論じよう[6]。彼の主張の軸は、第一に中国経済が歴史的にはもちろん、最近まで非資本主義的発展路線をとっており、第二に非資本主義的発展路線を歩む中国の台頭は資本主義世界システムの危機および既存のヘゲモニー国家の衰退と重なったことで世界システムを平和的で平等な秩序へと変化させる可能性を提供するという、二つに集約される[7]。このうちアリギは第一の主張を立証することに力点を置いた。なぜなら、第二の主張が成り立つための前提となるからである。

ここでアリギは新自由主義的市場経済論に理論的インスピレーションを与えたと見做されるアダム・スミスを召喚し、非資本主義的市場経済論を打ち立てる。すなわち、スミスは、よく知られているのとは違って(1)分業と市場を経済発展および国富の主要源泉と見做しはしたが、これと同時に市場が存在できる条件をつくり再生産する政府の役割と、政府が市場を社会的あるいは政治的目的を達成するために統治の道具とする行為を支持した。(2)貿易と生産において投資に伴うリスクをかろうじて補償できる最低水準まで利潤が下落するように資本家たちに競争させることを政府の重要な役割と見做した。(3)独立した生産単位間の分業(労働の社会的分業)は支持したが、一つの生産単位内の労働分業(労働の技術的分業)は支持していない。この三点を根拠に、アリギは、スミスが論じた市場経済と、資本が無制限の蓄積要求(M-C-M’)を実現するために社会構造を破壊し再組織していく資本主義の論理とを区別する。この主張は、スミスが、市場と分業が政府によって規制されるだけでなく、農業を基盤とし、農業の拡大が工業と貿易の発展につながる「自然な発展経路(natural course of things または natural progress of opulence)を支持したこと、そして中国をその代表的事例としたことによっても裏書きされている[8]。このように、スミスは非資本主義的発展路線という概念を構成したことのみならず、中国をその代表的事例と見做したことによっても、アリギに影響した。

しかしながらこの二つの点の双方において、アリギはブローデル(F. Braudel)に多く負っている。とりわけ「市場の基盤発展の資本主義的性格は、資本主義的制度と性向によって決定されるのではなく、国家権力と資本の関係によって決定される。(中略)国家がそれらの階級利益に従属しないのであれば、市場経済は依然非資本主義的である」としているが、この市場経済と資本主義との明確な区分けは、ブローデルの資本主義概念を採用したことによる[9]。資本主義に対するこのような解釈は、生産関係に焦点を当てて資本主義を解釈するマルクス主義者から批判された[10]。しかしこの点に関して筆者は、ブローデル的な資本主義解釈には、未来のオルタナティブな社会像として市場経済に抑圧的な閉鎖的社会主義国家を描くという思考の時代錯誤への批判が含意されているとの評価に同意する[11]

ここでは一般的な理論について論じるよりは、資本主義に対する古典的理解にもとづいて中国の変化のうち資本主義への転換という側面のみを強調する主張の問題点を検討してみよう。何よりもこの種の主張は多くの経験的資料(私有財の比重増加、貧富の格差の拡大、高い貿易依存度など)に依拠してはいるが、資本主義を乗り越える地平をあまりに狭めており、資本主義世界システムの克服という志向に絡めて現実性のある論理を進展させるには難がある。これらは伝統的社会主義モデルに立ち戻ろうと言っているのか、あるいは別のオルタナティブなモデルへの突破口があると言っているのか不明確である。もちろん、中国の資本主義化という論旨を世界システム論的アプローチと結びつけて、中国の資本主義への転換が資本主義世界システムの終焉を促すであろうとの論理を展開する者もいる。たとえば中国において資本―賃労働関係の拡大が中国を世界階級闘争の主要な舞台にし、これが資本主義世界システム克服の新たな可能性を提示するという主張がその代表的なものである[12]。この主張によれば、中国の資本主義化がグローバルな次元でマルクス主義のプロジェクトを現実化する機会を提供するのである。「中国の資本主義化-階級闘争のグローバル化-資本主義の終息」という回路は、マルクス主義の伝統においては見慣れた説明の仕方であり、変化の一側面を捉えてはいるが、この回路のなかでのみ資本主義世界システムの変化あるいは最後を論証せんとするやり方では、現実の変化の複合性を認識するのは難しい。階級闘争に対する国家の対応、資本主義の生命力、資本主義を乗り越えるオルタナティブな社会の姿など、階級闘争と資本主義世界システムの変化の間には、説明されるべき変数があまりに多い[13]。この観点は、一見、はっきりとした展望を提示しているように見えるが、実践的には無力感を大きくさせる可能性が高い。

中国の変化を社会主義の放棄と資本主義への変質という枠組みだけで説明すると、中国の内部で進んでいる変化の複合的側面とダイナミズムを捉えることができなくなる。中国において社会主義の遺産には否定的側面と肯定的側面の両面がある。改革開放以前の中国では、社会主義建設のためのさまざまな実践に深刻な誤謬と失敗があった。その誤謬と失敗を客観的に分析することなく、さらには現実の社会主義が見せた問題を克服するための模索を欠いたままで、単に社会主義と資本主義を原論的に対比して論じるアプローチは、あまりに非歴史的である。また、このような論理は中国の資本主義的発展がもたらした問題を批判する際にも効果的ではない。たとえば、現在の中国の問題の全ての源が資本主義への変質にあると主張するなら、過去の社会主義における失敗は何であり、資本主義的論理を導入した後の成果をどのように説明するのかという、ごく単純な問いに答えられない[14]。かつての社会主義の実践にも克服すべき限界ないし欠陥があったとすれば、改革開放後の変化を単に資本主義への変質としてのみ規定することはできない。中国共産党がなぜ改革開放を進めるしかなかったのか、そしてその実践において社会主義という伝統にはいかなる意味があったのか、これはどのような新たな展望をつくり出しているのかなど、簡単には答えられない問いが、「社会主義の否定と資本主義の復活」という閉鎖回路ではなく、もう少し開かれたかたちで論じられる必要がある。

最後に、これらの主張とは違って、中国における社会主義の遺産は、こんにちの労働運動をはじめとして、農民工などの基層の抵抗運動から党および国家の行為に至るまで、中国社会の多様な位相に影響を及ぼしている。中国経済の成長要因を自由化の結果としてのみ解釈することはできない。ここには、社会主義的実践をつうじて構築された物的土台が依然として重要な要因として機能している[15]。たとえば中国における社会主義の理念は、単なる残余ではない。基層運動では社会主義を自身の活動の正当化論理として積極的に動員している。のみならず、社会主義の理念は共産主義建設を公式的に最終目標とする中国共産党の行為を未だに強く規制している。

2003年に公式発足した「胡錦濤-温家宝体制」は、「和諧(調和)社会論」を掲げた。効率重視の成長戦略から社会的平等と環境保護を重視する方向へと舵を切る試みだった。この流れは今の習近平体制にも受け継がれている。この努力がどれほど実質的変化をもたらしたのかについてはもう少し検討が必要だろうが、中国は2013年の一人当たりGDPが世界第84位(世界銀行統計)、2014年の人間開発指数(Human Development Index)が世界第91位(国連開発計画発表)に留まっているにもかかわらず、分配や環境などのアジェンダを国家目標の中軸に据えている。これは、中共が追求する社会主義的理念を切り離したり、資本主義的論理の浸透のみに注目しては説明できない。中国では党と国家が今なお経済の管制高地(command height)を掌握し、資本家を統制できているという点、すなわち、アリギが主張するように非資本主義的市場経済が作動しうる固い政治的基礎があることを考慮すれば、社会主義の遺産の影響力は依然として中国の未来にかなりの意味をもつ。

すなわち、中国において資本主義的諸要素が増加しているのは事実であるが、そのプロセスは真空状態で進んでいるのではなく、社会主義の遺産の影響と相互作用しつつ進んでいるのである。結局、この両者の関係をどのように把握するのかが、中国の変化を理解するさいの要になるのである。

 

3.現代中国と二重課題

 

中国での資本主義的論理の浸透と非資本主義的発展経路とがどのような関係にあるのかについて、アリギの説明はそれほど明確ではない。2009年にデヴィッド・ハーヴェイとのインタビューで「私は中国で〔資本親和的なのか、もしくは労働親和的なのかのうち〕どちらの結果が生じるか確信はないが、中国がどこに向かっているのかを観察する際にオープンマインドを持たねばならない」としたが、これは『北京のアダム・スミス』で見せたよりも慎重な態度だった[16]。この問題に性急に答えようとする態度が中国の変化に対する理解を誤る原因になることが多いだけに、アリギのあり方は否定的に見る必要はない。ただ、幾つかの可能性のあいだの関係を内的連関性なしに独立した経路と見るような印象を与える点で、現代中国の変化に対する適切な説明にはなりえない。アリギの論議が「中国が資本主義的に変質したのか否か」をめぐる枠組みのループから逃れられない原因もここにある。これに対する別の答えを提示する人も皆、自身の主張を立証するための自分なりの経験的根拠を提示できるため、この論争は突破口を見いだせないでいる。

したがって、別のアプローチが必要になってくる。現代中国の歴史の内部に分け入ってみれば、資本主義がなした成果を受け入れようとする努力と、資本主義そのものを乗り越えるための模索は、つねに同じコインの裏表のような関係であり続けてきた。両者の拮抗関係は、単なる過渡期的現象の表現ではない。これは資本主義世界システム内でこれを克服しようとする複数の志向が必然的に直面する、そして耐え忍ばねばならない過程だからである。すなわちこれは資本主義世界システムという構造の中で個別国家の行為能力が制約されざるをえない状況に起因する。ウォーラステイン(I. Wallestein)は、冷戦期の社会主義体制を資本主義世界システム内の下位システムと規定し、そのような社会主義国家のモデルでは資本主義世界システムを乗り越えることはできないと主張した[17]。一国的レベルで資本主義の論理を全面的に拒否する試みは、資本主義世界システムを克服するよりは、ある面で、資本主義システムにも及ばない、歪んだ社会体制を誕生させる結果をもたらした。このように、資本主義世界システムの規定力が作動する条件においては、資本主義の論理あるいは近代性を無条件に拒否するのではなく、主体的に受容することの方が資本主義世界システムを乗り越えるためには適切な選択になりうる。ここには資本主義が限界に達すれば、結局、資本主義に代わる新たなシステムへと移行するだろうという機械論的展望に満足するのではなく、能動的に資本主義の問題を克服することのできる基礎を蓄積していく努力が結びつかねばならない。「近代の適応と克服の二重課題」は、こうした問題意識から提示された命題である[18]。中国が改革開放とともに資本主義的原理を導入し浸透させていったことも、二重課題の観点から見れば合理的な側面がある。

ここで注目すべきは、中国の変化を主導した主な政治家の思想には、程度の差はあれ、みな二重課題的な問題意識があったという点である[19]。これは偶然ではない。植民地主義と結びついた近代性あるいは資本主義の到来に直面した中国の知識人たちは、受身ばかりではいられなかったのである。すなわち、植民地性に対する抵抗は、彼らの認識を西欧型の発展路線と資本主義の克服という地平へと押し広げた。康有為は、清朝末期に資本主義的改革を目標とする変法運動を推進したが、政治変化を目指す彼のエートスは、その相当部分が「大同思想」、すなわち資本主義システムを超えるユートピア的思想から出ていた[20]。孫文も公式的には中国ブルジョア革命期の偉大な革命家として評価されているが、彼の三民主義のうち民生主義には資本主義と西欧型発展の問題を克服するための発想が込められている[21]。毛沢東に目を向ければ、彼は資本主義の克服を最大の課題とし、そのために文化大革命を発動させもしたが、革命過程で堅持し続けた二重課題的認識はマルクス主義を中国化する重要な契機となった。「反植民地反封建社会である中国は、一定期間、中共の領道のもと資本主義的発展過程を経て社会主義への移行を準備せねばならない」という新民主主義論がまさにそうである。1949年10月の建国後、中共は新民主主義論に立脚した国家運営を約束したが、1953年に過渡期の総路線を提示し、社会主義への移行を宣言したことで新民主主義の実践は中断された[22]。鄧小平は文化大革命から脱皮し中国共産党の統治正当性を強化して中国の富国強兵を実現するために経済成長を核心的な課題とし、資本主義的要素を積極的に導入した。しかし、彼もまた社会主義的理想を放棄したわけではない。1989年の天安門事件の後、保守派が勢力を拡大し、停滞していた改革開放の加速化を促した1992年の南巡講和[23]においても、鄧小平は「共同富裕」を最終的目標として掲げ続けたし、1987年に党の公式路線として採択されてから現在まで、中国の改革開放を理論的に裏書きする社会主義初級段階論も、論理的には二重課題的志向を内包している[24]

このように、現代中国は二重課題の緊張から自由になったことがない。したがって、この歴史的コンテクストを無視して改革開放期に資本主義的論理が拡張したという側面のみに注目したり、資本主義的論理が内在化される側面を無視するようなアプローチは、どちらも問題がある。ここで私たちは問いのたて方を変えることができる。中国の資本主義的論理の導入が二重課題の遂行という枠組みの中で進むのか、あるいは二重課題の二つの課題がとり結ぶ健康な緊張関係を壊しているのかという問題である。二重課題の枠の中で作動しているのなら、中国の変化を性急に理念的に規定する誤謬を避けることができ、緊張関係が瓦解しているとすれば再び健康な緊張関係を作り出す方向で努力する契機を得ることができる。こうした角度からみてこそ、二重課題の緊張が解消される可能性が存在する。生産力の発展をこの段階の最も重要な目標とする社会主義初級段階論の論理が資本蓄積の無限の欲望を正当化してくれるからである。改革開放の初期に、停滞した経済の成長動力を創出する局面ではこの問題は深刻ではなかったが、中国がかなりの量的成長をなした時点において、生産力中心主義あるいは中国型発展主義は、多くの批判的論者が指摘しているように、すでに深刻な問題を生じさせている。

したがって、21世紀に入って中国共産党が改革開放後の市場化と対外開放を中心にしたかつての路線を修正しようとしたことは、中国の歴史的コンテクストからすれば必然的過程でもある。これについてアリギなどは非資本主義的発展路線の形成へと歩み出す契機であると注目したが、中国が資本主義へと変質したと主張する人々は、これは修辞にすぎないというふうに評価を切り下げる。また、意図としてはよいが平穏には進められなかったという現実的評価もある[25]。実際に資源分配構造の変化を検討すると、急激な路線転換があったとは言い難く、統治正当性を補完できるように微調整が進められている程度だと評価するのが妥当であろう[26]。事実として、数十年間続いた、さらには資本主義世界システムの制約から自由になりえない、そのような発展路線を変化させるなどそう簡単に達成できる目標ではない。しかしながら資本分配構造の急激な変化よりも社会の力関係がどのように変わりつつあるのかというレベルに注目すると、かなり意味ある変化が生じていることがわかる。経済領域では目に見えて、政治社会的には目に見えないかたちで作動していた自由化路線のヘゲモニーは、明らかに弱まった[27]。しかしこの流れが新しい発展路線の形成につながるためには、超えるべき峠がある。というのも、自明なオルタナディブが存在しないからである。中国が急激な成長率低下などの問題に直面した場合、手軽な解決策として成長率の引き上げに眼目を置いた経済政策が再び前面に出てくる可能性も未だ大きい。だからこそ、この問題をめぐる議論と実践に注目する必要があるのである。その方向は資本主義世界システムの未来にも大きく影響するだろう。

 

4.中国社会の変化と資本主義世界システム

 

上記の議論と実践の方向は、中国内で政治社会勢力がどのように再配置されるのかに左右されるだろう。ここでは次の四つの経路が考えられるが、それぞれの経路が資本主義世界システムと関連してまったく別の含意をもつ[28]。第一の経路は、中共の統治正当性が弱まることによる反中共社会連合の強化である。第二の経路は、中共内の改革派と自由主義的社会勢力の連合の強化。第三の経路は、資本主義的蓄積方式を持続させるために対内・対外的に権力の抑圧的・共生的性格が強まるケースである。第四の経路は、中共と左派との間の連合が強化され、これまでの成長モデルに代わる新しい社会経済モデルを発展させることである。

このうち第一の経路は、今のところそれぞれ異なる理由で中共に批判的態度を示している左派・右派のうちどちらか一方が急速に勢力を伸ばすか、その過程で左右双方の流れが結びつけば開かれうる。しかし中共が依然別の政治勢力の挑戦を許さないほどの統治能力を維持しており、左も右も反対勢力の力量はまだ及ばないだけでなく、極度に分散しているために、この経路の実現は難しいだろう。もしこの経路が現実化したら、秩序のある転換ではなく天下大乱のような状態に帰結する可能性も高い。これは資本主義世界システムが自らの矛盾を中国に転嫁して新しい成長動力を作る契機、すなわち中国が資本主義の危機の空間的解決のための舞台となることもありうるが、中国の経済的・軍事的プレゼンスの大きさに鑑みるなら、資本主義世界システムをさらに深刻な混乱に陥れることになるだろう[29]。アメリカが中国に対して積極的協力を追求せずに、競争相手と見なしながらも全面的封鎖まではしないという曖昧な態度を維持しているのも、これが理由である。アメリカのこうした態度を考慮すれば、このシナリオが現実となる可能性はさらに低くなる。

第二の経路は、中国が資本主義世界システムに親和的な体制へと、秩序を保ちつつ変化することを意味する。中国の改革開放以後、西欧勢力が期待してきたのがこれである。しかし先に述べた理由により、これに対しては懐疑的な見方が多勢を占めている。自由主義の立場からは、主に中共の権威主義統治が、この経路の現実化を妨げる原因として指摘されている。しかしこれは中国と資本主義世界システム間の不調和、すなわち中国では資本主義的論理の拡張が「自然に」は持続され難いという現実を看過した説明である。社会主義の時期に中国は主に内部資源の動員によって工業化に必要な資本蓄積を行なってきた[30]。改革開放後には海外市場と資源が新たな成長動力を提供した。しかし内部的には貧富の格差がどうしようもないほど広がり、農民を犠牲にすることで資本蓄積のための資源を動員することも難しくなっている。貧富の格差がさらに広がるなら、中共の統治の合法性まで危うくなるだろう。しかしながら西欧の資本主義発展過程とは違って、内部の矛盾を転嫁できる「外」の空間はほとんどない。もはやようやく一歩を踏み出したといえる中国の資源外交が、すでに多様なレベルの反作用を呼び起こしていることが、それを傍証している。このような条件のもとで、西欧の場合と同じ自由主義的論理と資本主義的拡張が共存することは困難である[31]

にもかかわらず、既存の成長の仕方を維持しながら国内外の制約を克服するためには、自由主義的改革経路を歩むのではなく、対内・対外的に権力の抑圧的かつ強制的性格をさらに強める可能性が高い。これが第三の経路である。となると、多くの人が指摘する、環境問題の深刻さも考慮せざるを得ない。中国が西欧型の工業化と資本蓄積の仕方に倣い続ける場合(さらにはインドも当分の間は同じ道を歩むだろうという点も考えると)、すでにレッドカードを突きつけている気候変動が、取り返しのつかないレベルに突入することもありうる。このやり方では、当然、望ましい結果を期待することはできない。

第四の経路は、発展路線の転換のために新たな政治社会連合が出現する可能性を提供する。第二の経路の限界が明らかとなり、第三の経路が呼び込むリスクが分かっているという条件のもと、新しい発展路線に対する議論の活性化が、この連合の登場を可能にする背景となっている。しかし、資本主義的蓄積を拡大するための自由化プロジェクトの失敗によって触発されるであろう中共と左派の連合が、第三の経路に傾くこともあるという点には注意が必要である。この点を考慮するなら、中国内の「左」の革新が重要な意味をもつ[32]。これをつうじた新たな可能性の模索も、今までの歴史的先例を考えるなら、すぐに成功するとは楽観できない。しかし資本主義世界システムの限界があちこちに見えている状況で、少なくとも生産力という側面においてかなりの物的土台を構築した中国の変化は、かつての中国革命が資本主義世界システムの成長局面で余りに微弱な物的土台を基盤にしていたという点を勘案するなら、今はより大きな潜在力を持っているといえる。経済が全ての物事を決定するというわけではないが、必ずや世界最大の経済規模になるであろうし[33]、未だにその中に多様な可能性を内包している中国の問題は、単に中国だけの問題ではなく、人類の新たな未来を創っていくための重要な実験の舞台としての意味を持つ。

ここで最後に明らかにしておきたいのは、こうした主張は決して中国に特権的地位を与えることを意味しないという点である。溝口雄三は日本の既存の中国学の研究方法を省察し、自分の目的を中国に押し付ける「中国なき中国研究」や、中国の目的をそのまま自らの研究目的とすることを批判して「方法としての中国」という研究態度を提示したが、これは今なお有効な要求である。この構えにならうなら、中国研究の目的は、中国をつうじて世界の多元性に対する認識を深めること、同時にその基礎の上にさらに高水準の世界的ビジョンを創出する道を開くことであろう[34]。この可能性に私たちはどのように介入するのか。それは私たちに残されたもう一つの問いである。ここで二重課題論の普遍的意味を喚起しておこう。二重課題とは、資本主義世界システムの内側から、その彼方を志向する際に要請される認識である。したがってこれは特定の国家だけに与えられた課題ではない。この志向をもっている全ての人が、自らの属する場で二重課題を推進する実践的空間を作り、これを拡張することが、すなわちもう一つの実践の場で二重課題をより効果的に追求する可能性を提供する。たとえば韓国社会においては協力的経済組織の創出や拡張、分断体制の克服をつうじて朝鮮半島と東アジアがより平等で平和な秩序を構築することなどが、中国の二重課題の遂行にも肯定的に作用する。この連関性に注目するなら、中国は知的欲求を満たすための対象などではないし、私たちの利益を増進する手段でもない。中国は新たな実践的可能性を作っていく契機として、私たちに近づいてくるのである。

 

翻訳:金友子(きむうぢゃ、立命館大学嘱託講師)

 

[1] これについては以下を参照。Yasheng Huang, Capitalism with Chinese Characteristics: Entrepreneurship and the State, Cambridge University Press 2008; 陳志武『中国型モデルはない』パク・ヘリン訳、メディチメディア、2011; ステファン・ハルパー『北京コンセンサス』クォン・ヨングン訳、21世紀ブックス、2011.

[2] イマニュエル・ウォーラステイン『資本主義に未来はあるのか』(ソン・ペギョン訳、創批、2014年)にこうした問題意識がよく反映されている。

[3] 本稿における自由主義的観点とは、資本主義世界システムを正当化する主流のイデオロギーを指し、批判的思考とは、そうした観点に挑戦する多様な流れを包括的に指す。筆者は「批判的中国研究とは、主流の思考体系を中国に(ついての研究に)そのまま適用することは問題視し、これをつうじて(中国を)我々の生きる社会(グローバルな次元、ローカルな次元、一国的次元)に対する認識を再構成する契機とするアプローチである」と主張した(拙稿「中国の変化をいかに見るべきか」『創作と批評』2012年秋号、181頁)。批判的中国研究は筆者の専売特許ではなく、この表現を使うかどうかにかかわらず韓国における中国研究の主なテーマのうちの一つだった。このような伝統と批判的中国研究の発展方向に関する議論は白永瑞「中国学の軌跡と批判的中国研究」『社会人文学の道』(創批、2014年)を参照せよ。

[4] Martin Hart-Landsberg, “The Chinese Reform Experience: A Critical Assessment,” Review of Radical Political Economics 43(1), 2011.

[5] ジョヴァンニ・アリギ『北京のアダム・スミス』カン・ジナ訳、キル、2009年。

[6] 本稿では中国内の議論よりも西欧の議論への言及が多くなるが、これは中国内の研究者がさまざまな理由から自己の研究の普遍的含意を提示することに比較的注意深い反面(これらは中国モデルの議論でも普遍的含意をもつ「モデル」という概念よりも中国の特殊性を強調する「中国の経験」「中国の道」といった表現を好む)、西欧の研究者は中国の経験を個別的事例としてよりは、資本主義世界システムと絡めて問題にする傾向が強いという事情を反映している。この問題意識にもとづいた中国内の議論とその限界については前掲の拙稿を参照。

[7] アリギ、前掲書、11-12章。

[8] アリギのスミスに対する議論の詳細はアリギの前掲書2章を参照のこと。

[9] アリギ、前掲書、457-58頁。ブローデルは資本主義を、競争的で透明ではあるが、開放的な交換領域としての市場経済に対する排除が実現される反市場的なものであり、必ず権力のヒエラルキーや国家の保護を必要とすると規定した(フェルナン・ブローデル『物質文明と資本主義Ⅱ-1:交換の世界(上)』チュ・キョンチョル訳、カチ、1996年、323頁)。ブローデルも非資本主義的市場活動が活性化された事例として中国に注目したが、アリギの中国についての議論はウォン(R. B. Wong)やポメランツ(K. Pomeranz)などの研究により多くを負っている。彼らは産業革命以前のアジアの方がヨーロッパよりも市場と交易などが盛んだったとし、産業革命がヨーロッパで発生したのは資源分布やアメリカの発見など偶然の要因が作用したおかげだという事実を強い説得力をもって示した。彼らの議論はカン・ジナ「東アジアで書き直す世界史:ポメランツとカリフォルニア学派」(『歴史批評』2008年春号)に詳しい。

[10] アリギの方法論の主要問題としてブローデル的アプローチを批判した論者として、たとえばギューリックが挙げられる。John Gulick, “The Long Twentieth Century and Barriers to China’s Hegemonic Accession,” Journal of World-Systems Research Vol. XVII, No.1 (2011).

[11] ユ・チェゴン「西欧中心主義と近代性――資本主義の問題」『韓国民族文化』第32号(2008年10月)、356頁。これに対する筆者の立場は拙稿「全地球的資本主義と韓半島の変革」(『創作と批評』2008年春号、22-23頁)に示した。

[12] Minqi Li, “Can Global Capitalism Be Saved? “Exit Strategies” for Capitalism or Humanity,” Alternate Routes: A Journal of Critical Social Research Vol. 22 (2011), pp. 62-64。李民琪はこれとともに、資本主義的蓄積が生態系に深刻な危機をもたらすことを資本主義的蓄積がもはや持続できないことの主要因として提示する。資本主義的蓄積方式と生態危機との間の密接な関係と、生態系の危機の克服のためには資本主義的発展方式を克服せねばならないという点についてはすでに多くの論者が指摘しているが、現在の生態系の危機が資本主義世界システムの終息へと直結するだろうという李民琪の論旨もあまりに結論を単純化していると思われる。他方、シルバー(B. J. Silver)とチャン(Lu Zhang)も、中国の労働運動が世界の労働運動の中心舞台として登場する可能性と、それが資本主義世界システムに及ぼす影響に注目する。しかしながら労働運動と党および国家との間に肯定的相互作用が起こる可能性を否定しない点で、中国共産党が資本主義的路線を歩んでいると断定しつつ論理を展開する李民琪とは違いがある。Beverly J. Silver and Lu Zhang, “China as an Emerging Epicenter of World Labor Unrest,” Ho-fung Hung (ed), China and the Transformation of Global Capitalism, The Johns Hopkins University Press 2009.

[13] これに関してマルクスの資本主義分析に対する狭い理解の問題点、さらにマルクスの限界についてのハーヴェイの議論は参考に値する。David Harvey, interview by David Primrose, “Contesting Capitalism in the Light of the Crisis: a Conversation with David Harvey,” Journal of Australian Political Economy No. 71 (2013).

[14] たとえばホアン・ヤーション(黄亞生)に対するアンドレアス(J. Andreas)の批判は、具体的な議論において相当な根拠をもっているにもかかわらず、社会主義的所有制が私有制よりも優れているとする彼の前提は中国をはじめとする社会主義の実践事例によって否定されるとする、ホアンの非常に鋭い反論に直面する。Joel Andreas, “A Shanghai Model? : on Capitalism with Chinese Characteristics,” New Left Review 65 (Sep/Oct 2010); Huang Yasheng, “The Politics of China’s Path: A Reply to Joel Andreas,” New Left Review 65 (Sep/Oct 2010), pp. 90.

[15] ここで国有企業と私的所有を禁じる土地所有制が最も重要な争点となる。この経済的諸遺産が民衆の生活の質を向上させ資本主義的論理の拡張を規制するべく使用されうるのか、あるいは資本の蓄積論理を支えるために解体されるか別の形に変化するのかが、中国社会の性格に大きな影響を及ぼす変数である。

[16] G. Arrighi, interview by D. Harvey, “The Winding Paths of Capital,” New Left Review 56 (Mar/Apr 2009), pp. 84.

[17] ウォーラステインはソ連と東欧で現実の社会主義体制が崩壊した後に、このような論旨をさらにはっきり示した。これについてはイマニュエル・ウォーラステイン『ユートピスティクス』(ペク・ヨンギョン訳、創批、1999年)の1章を参照。

[18] 二重課題論は白楽晴によって1998年に開かれた学術大会で初めて提示され、その後関連論文として『創作と批評』1999年秋号に「韓半島における植民地性の問題と近代韓国の二重課題」というタイトルで掲載された。それ以降の議論は拙編『二重課題論』(創批、2009年)を、そして最近の詳細な議論は「近代、適応と克服の二重課題」というタイトルで行なわれた白楽晴の講演(ネイバー文化財団主催「開かれた演壇」2014年11月22日)を参照。この講演の動画と講演録の全文はhttp://openlectures.naver.com/contents?contentsId=48484&rid=251に掲載されている。

[19] ワン・フイ(汪暉)は「反現代の現代性」(反現代的現代性)という概念でこの矛盾した関係を捉えようとした。彼は毛沢東の実践の意味と限界をこの概念で説明し(「中国社会主義と近代性の問題」イ・オギョン訳、『創作と批評』1994年冬号)、このような問題意識は康有爲以後の主な思想家にも見出すことができると指摘した(『現代中国思想的興起』三聯書店、2004年)。ここでワン・フイは一国的次元において資本主義的近代性とは区別される別の近代性の存在可能性あるいはその模索に焦点を当て、最終的には反資本主義的近代性を含む近代性そのものを問題にする方向へと進んだ。これは近代性に対する抜本的省察として意味ある作業ではあるが、二つの問題がある。まず、反資本主義的近代性が資本主義的近代性とどのような関係をもつのかがよくわからない。反資本主義的近代性と言いつつも、実際には資本主義世界システムが構築した近代性の構成要素に過ぎないのか、あるいは文字通り資本主義を克服するための可能性を内包しているのかが不明瞭である。次に、歴史の現段階における資本主義的論理の作動とこれを克服するための努力との間の緊密な相互作用について、さらにはこの相互作用の意味に対する分析がだんだんと視野から抜け落ちていっている。この点で、資本主義世界システムの規定力を強調してはいるが、適応と克服の矛盾した結合とその可能性に注目しつつ、適応と克服を同時に実践することによる資本主義世界システム克服の道を模索する二重課題論とは違いがある。

[20] 『大同書』の庚部「産業間の境界をなくして生業を公平にする(去産界公生業)」に康有爲のこのような思想がまとめられている。康有爲『大同書』イ・ソンエ訳、乙酉文化社、2006年、537-79頁。

[21] 彼は民生主義を説明するなかで、中国は、階級分化を経て社会革命によって問題を解決しようと試みる西欧の発展経路をなぞる必要はなく、貧富の格差の出現を防止し工業化を推進することによって社会革命の目的を達成できると主張して「平等地権」と「節制資本」がその手段となるとした。一種の予防革命論であり、これについては社会主義的志向であるという主張から国家資本主義的発想であるという解釈まで、さまざまな解釈が可能であるが、しかし彼の問題意識が資本主義の受容に留まらないという点は明らかである。この発想は1906年12月に東京で『民報』創刊1周年を記念する演説で初めて体系的に提示された。魏新柏 選編『孫中山著作選編(上)』、中華書局、2011年、131-38頁.

[22] 新民主主義の理論的意味とこの理論が早々に廃棄された原因については拙稿「毛沢東時期急進主義の起源――新民主主義論の廃棄とその含意」(『動向と展望』78号、2010年2月)を参照せよ。さらに二重課題論の観点からこの過程を評価した論稿として拙稿「新民主主義的曆史經驗及社會主義初級階段論的理論含義」(『1950-1953 中國新民主主義的歷史, 社會, 文化, 生活意涵』亞際書院北京辦公室、2014年)を参照のこと。

[23] 鄧小平が家族と側近だけを連れて上海や広東省を訪問した時に発表した一連の演説。特に市場は経済手段であり資本主義と社会主義を区別する基準ではないと主張することによってその年の秋に中国共産党が社会主義市場経済論を採択する道を開いた。

[24] 社会主義初級段階論は、生産力と現代的生産方式が充分に発展できていないという条件下で社会主義を建設するための指針であり、この段階の任務の軸は現代的生産方式と生産力の発展であると提示する。前掲の拙稿のうち中国語論文、19頁。

[25] Ho-fung Hung, “Is China Saving Global Capitalism from the Global Crisis?,” Protosociology: An International Journal of Interdisciplinary Research Vol. 29 (2012), pp. 173-75.

[26] 拙稿「中国の新発展観――東アジアモデルの復活?」『民主社会と政策研究』18号(2010年下半期)、87頁。

[27] 習近平体制の発足後におけるイデオロギー地形の変化は次の記事に垣間見ることができる。Chris Buckley and Andrew Jacobs, “Maoist in China, Given New Life, Attack Dissent,” New York Times Jan. 5. 2015.

[28] 最近の中国内でのイデオロギー地形の変化と主な傾向およびこれらの相互関係についての詳しい議論は拙稿「中国の“左右論争(左右之争)”と習近平体制」、細橋研究所シンポジウム「中国社会主義の変化をいかに見るべきか」(2013年11月15日)での報告文参照。

[29] これに関して、中国における資本主義の論理の拡散が、現在まで、資本主義の危機の空間的解決の機会を提供してきたというよりは、資本主義内の不均衡を拡大する原因として作用しているとう指摘は興味深い(Michael Pettis, The Great Rebalancing: Trade, Conflict, and the Perilous Road Ahead for the World Economy, Princeton University Press 2013.)。この現象を理解するためには、政治的変数に注目せざるを得ない。すなわち、中国の国家規模と自主的主権は、既存のヘゲモニーの利益を貫徹しやすくするか、あるいは旧来のやり方での再均衡をなされにくくする要因である。アリギはこの現象が非資本主義的発展と結合すれば世界がより調和し平等な秩序へと転換する可能性を提供すると考えた。反面、批判者は国家間の平等よりは中国内の不平等の拡大の方が重要な問題だと見做している。

[30] 社会主義工業化をこうした観点から説明した研究として溫鐵軍『百年の急進』(キム・ジンゴン訳、トルペゲ、2013年)を参照せよ。

[31] フンはこれを内部の均衡成長への転換が失敗した場合に選択しうる代案として指摘したが、その可能性を高くは評価していない。Ho-fung Hung, “China’s Rise Stalled?,” New Left Review 81 (May/June 2013), pp. 159-60。

[32] これについて最も核心的なのは民主主義の問題である。民主主義の実現において経済的不平等を拡大し主権在民の原則を形骸化する自由主義的プロジェクトの限界を克服する必要性を叫ぶ声は高まっている。かと言って自由主義的改革の限界を克服する過程が単に国家主義的論理の拡張に帰結してはならない。このような結果をもたらさないような装置とはどのようなものかが問題になるが、中国はこれについて未だ突破口を見いだせていない。これに関して最近、中共が市民社会にとっていた絶対的態度もネガティブな信号に見える。いわゆる「色の革命」に対する警戒心からくるものと思われるが、これを理由に市民社会そのものを敵対視することは、彼らが主張する「人民民主」の実現にとって障害要因となりうる。

[33] 中国のGDPは現在、世界経済の約15%を占めている。そして『エコノミスト』の予測によると2020年前後に中国の経済規模はアメリカを超える。http://www.economist.com/blogs/graphicdetail/2014/08/chinese-and-american-gdp-forecasts.

[34] 溝口雄三『作為方法的中国』孫軍悦訳、三聯書店、2011年、129-33頁。中国を契機に世界的ビジョンの創出へとつなげる課題は、決して簡単な作業ではない。しかし複数の近代性などの言説を援用しつつ中国の特殊性を強調する試みが、実際のところ、中国を特権化する可能性は高く、別の空間の実践との相互作用を避ける結果をもたらし得ることを考慮するなら、中国についての研究(東アジアについての研究も含む)において、グローバルとローカルの問題との関係を把握するさいに、グローバルな視野の方を強調する必要がある。白永瑞はこうした模索を地球地域学(Glocalogy)として概念化した。これについては白永瑞(前掲論文)を参照。