창작과 비평

「2℃」と人類の未来: 技術楽観論批判を批判して

2017年 春号(通卷175号)

 

 

「2℃」と人類の未来
――技術楽観論批判を批判して――

 

安秉玉(アン・ビョンオク)
気候変化行動研究所所長、市民環境研究所所長。著書に『ある地球主義者の視線』、『白楽晴が大転換の道を問う:大きな積功のための専門家7人インタビュー』(共著)などがある。ahnbo21@hanmail.net

 

 

  1. 気候楽観主義の三つの分岐点

 

国の内外で展開される気候変化の論議を見てみると、多様な背景を持った楽観主義と出会うこととなる。その中で際立って注目を引くのは「疑いを売る商人たち」と呼ばれる気候懐疑論者たちの視角である。[ref]Naomi Oreskes and Erik Conway, Merchants of Doubt: How a Handful of Scientists Obscured the Truth on Issues from Tobacco Smoke to Global Warming, Bloomsbury Press 2011; 韓国語翻訳本として『疑惑を売ります』、ユ・ガンウン訳、ミジブックス、2012。[/ref] アメリカのハートランド研究所(Heartland Institute)とカトー研究所(Cato Institute)など、懐疑論の拡散に先駆けした右派シンクタンクたちは、最近「気候楽観論者」に変身した。彼らはもう気候変化を否定しない。ただ「心配する必要はない」と言うだけである。彼らは地球温暖化の効果は陰性的フィードバック(negative feedback)によって相殺されるので、地球の気候は人間が噴き出す温室ガスに敏感に反応しないと主張する。地球が暑くなると、植物の生産性が増加して農業に新たな機会を提供するように、地球温暖化の便益は否定的な影響をずっと凌ぐということである。

 

二番目は「気候は常に変化してきたので気候変化を悲観的にのみ見なす必要はない」という歴史的相対主義である。この流れは今日の地球温暖化が人間の活動によってもたらされたという事実を否定しない。気候変化を防ぐために渾身の努力を注ぐべきだという主流の気候談論にも同意するほうである。そういう点で気候変化を否定する気候懐疑論とは明確に異なっている。だが、気候変化をむごい災難としてのみ見なそうとする視角は断じて拒否する。地球の歴史で気候が一定していたことはたったの一度もなかったし、「正常」的な気候というものは成立できぬ仮設にすぎないということである。中世中期の温暖期にグリーンランドは緑の草木で覆われたし、デンマークでは葡萄を栽培してワインを作って飲んだりもした。この際、バイキングたちはグリーンランドへ渡っていって、植民地の建設とともに全盛期を享受することができた。バイキングとグリーンランドの事例は、今日われわれが経験している地球温暖化の水準を相対化しようとする一部の歴史学者たちによって「人類の文明が花を咲かせた時期は寒冷期ではなく温暖期であった」という主張を裏付ける根拠として活用される。[ref]ヴォルフガング・べーリンガー、『気候の文化史』、アンビョンオク・イウンソン訳、共感in、2010。[/ref]

 

三番目は気候変化は技術の革新を通じていくらでも制御できるという技術楽観論である。技術楽観論は気候変化を含め人類が直面したすべての挑戦は、技術の進歩を通じて克服できると主張する。代表的な人物はアメリカの経済学者で、自由市場環境決定論者であるジュリアン・サイモン(Julian Simon)である。1994年、彼は「現在、われわれはこれから引き続き増えていく人口に衣食住とエネルギーを提供する技術を図書館に持っている」と壮語した。最近は人類がビックデータ、モバイルアプリ、ハッカソン(hackathon)、[ref]「ハッカ」と「マラソン」の合成語。24~48時間内外の短い時間の間、マラソンをするように休まずアイデアと思考を企画し、プログラミングする過程を経て試製品(prototype)を作り出すイベントまたは競演を意味する。[/ref]事物インターネット、地球工学などをうまく活用すると、気候変化に充分立ち向かって戦えるという主張も出てきている状況である。[ref]Lyndsey Gilpin, “10 ways technology is fighting climate change,” TechRepublic 2014.8.6.[/ref]

 

『創作と批評』2016年秋号に載せられた李必烈(イ・ピルリョル)教授の「気候変化、人工知能、そして資本主義」(以下、「気候変化」)は非常に論争的な文章である。「パリ協定」(2015年、パリで開かれた国連気候変化協約当事国総会で、地球の平均気温の上昇幅を摂氏2度よりずっと下へ、できるならば摂氏1.5度を越えないようにするという目標に合意)の2度目標の達成は不可能だという悲観論から出発しながらも、人口が減少し、科学技術が発達するので「温室ガスの排出は遅くとも21世紀の後半には減り始めるし、地球気温の上昇も止まるはず」(158頁)という一種の技術楽観論を繰り広げているからである。そして、パリ協定が掲げた目標は「2045年頃まで全世界の温室ガスの排出がゼロとならないと到達できないこと」(143頁)と断言する。現実的に避けられない「気候変化による気温の上昇を受け入れて、それに対する適応のために回復力を高めていけば、人類は2100年まで気候変化で迫った災難を破局にまでは迎えずに乗り越えられるはず」(159頁)という主張も繰り広げる。興味深いことは「急変する世界、適応できぬ気候総会」という2節のサブタイトルで現れるように、国際社会の気候変化論議に強い不信を示すという点である。20回余り開かれた気候総会では今世紀の100年間、人類社会が如何に変化するかはあまり考慮されなかったということが不信の根拠である。

 

しかし、はたしてそうなのか。気温の上昇を受け入れて、回復力を高めるだけで破局は免れ得るだろうか。気候変化論議に対する不信は気候科学に対する情報不足、そして科学と政治の関係に対する誤解から生じたものではなかろうか。

 

 

  1. 摂氏2度という目標と排出シナリオ

 

摂氏2度は1992年、国連気候変化協約が締結されて以来、国際政治の舞台で最もよく言及された単語であろう。2015年12月12日、パリ協定が妥結される前まで国際社会で合意された目標は、地球の平均気温の上昇幅を産業化以前に比べて摂氏2度以内に抑えるということであった。この目標を66%以上の確率で達成するためには、2050年まで温室ガスの排出量を2010年対比40~70%下げて、遅くとも21世紀末まで「炭素中立」を実現しなければならない。[ref]気候変化に関する政府間協議体(IPCC)の第5次報告書(IPCC AR5 WGIII chapter 6 section 3.1.3)、2014。[/ref] 炭素中立は温室ガスの排出量と山林などの吸収量が同じような水準で均衡を保つ状態を言うが、化石燃料のほとんどすべての退出が成されてこそ成立できる。

 

ところで、パリ協定にはこれよりもっと強力な目標が盛られた。21世紀末まで気温の上昇幅を摂氏2度より「ずっと」下に抑えて、できるならば1.5度を超えないようにするということである。1.5度目標の採択は海水面の上昇で国土を諦めなければならない危険に処した群小島嶼の国家らが、長い間「倫理的な防御線」として強力に要求してきた事項である。群小島嶼の国家の立場で2度という目標は、地図上で自分たちの消滅を既定事実化する残忍な目標として受け止められた。パリ総会では1.5度目標の採択に反対するサウジアラビアとベネズエラなど、産油国の抵抗が強かった。だが、大勢は早めに傾いていた。過去には実現の可能性が希薄だという理由でためらっていたヨーロッパ連合(EU)とアメリカなどが、会議の始めから群小島嶼国家に賛同しながら1.5度目標の採択に賛成したからである。

 

そしたら2度目標と1.5度目標との違いは何なのか。何よりも化石燃料から脱皮すべき時期が異なってくる。フランチスコ教皇とドイツのメルケル(A. Merkel)首相の気候変化諮問役を務めたポツダム気候変動研究所のハンス・ヨアヒム・シェルンフーバー(Hans Joachim Schellnhuber)教授は、1.5度目標を達成するためには化石燃料の退出時期が2050年頃に早められるしかないという意見を出した。より具体的な分析もある。2014年に発表された気候変化に関する政府間協議体(以下、IPCC)の第3実務グループの第5次評価報告書と、国連環境計画(UNEP)の「2014年排出量間隙報告書」(The Emissions Gap Report 2014)を分析した結果がそれである。この分析によると、1.5度目標を達成するためには2050年まで温室ガスの排出量を2010年対比70~95%下げて、2060~80年には排出量がゼロとなるべきであり、それ以後はマイナス排出を実現しなければならない。

[ref]Joeri Rogelj, Michiel Schaeffer and Bill Hare, “Timetables for zero emissions and 2015 emissions reductions: State of the Science for the ADP agreement,” Climate Analytics Briefing Papers 2015.[/ref]

ここでマイナス排出は大気から除去される二酸化炭素の量が、炭素排出源が噴き出す量よりもっと多い状態を意味する。パリ協定はIPCCにして摂氏1.5度上昇抑制を目標と設定した際、温室ガスを減らす経路を分析した特別報告書を2018年まで作成して提出するようにした。

 

「気候変化」は「温室ガスが今のような速度で排出されるならば、1.5度目標の到達は5年後、すでに不可能」となり、「2度目標も2045年頃まで全世界の温室ガス排出がゼロとならないと到達できないはず」(143頁)と主張する。その根拠として引用したものは、ドイツ科学政治財団のオリバー・ゲデン(Oliver Geden)がイギリスの日刊紙『ガーディアン』に寄稿した文章と、ドイツの週刊誌『シュピーゲル』オンライン版と行なったインタビューの内容である。[ref]Oliver Geden, “Paris climate deal: the trouble with targetism,” The Guardian 2015.12.14; Axel Bojanowski, “Alle Staaten sollten auf null CO2-Emissionen kommen,” Spiegel Online 2016.7.5.[/ref]

 

ゲデンはすでに2013年に2度目標を諦めるべきだというタイトルの文章を書いたことがある。[ref]Oliver Geden, “It’s Time to Give Up the 2 Degree Target,” Spiegel Online 2013.6.7.[/ref] ところが、彼の文章は気候変化の専門家たちの間であまり注目されなかったことと見える。反応があったとしたら、「懐疑的環境主義者」というタイトルの本を書いて有名となったデンマークの統計学者、ビョルン・ロンボルグ(Bjorn Lomborg)が翌年同じタイトルの文章をアメリカの経済専門誌『フォーブス』に寄稿したことが全部である。[ref]Bjorn Lomborg, “It’s Time to Give Up the 2 Degree Target,” Forbes 2014.10.24.[/ref] ゲデンの主張が反響を呼び起こせなかったのは、彼が気候モデル専門家ではなく、気候政策専門家であり、同僚の評価(peer review)を経た学術論文ではない言論寄稿文とインタビューを通じて自分の主張を繰り広げたためであると思われる。[ref]ゲデンは最近、気候変化の対応目標を地球の平均気温から「純ゼロ排出」(net zero emissions)へと変更することを提案する論文を発表したが、この論文もまた大きな反響を呼び起こしはしなかった。Oliver Geden, “An actionable climate target,” Nature Geoscience 9 (2016), 340~42頁.[/ref]

 

ところが、2度目標の実現が不可能だという主張が説得力を持つためには、特定の研究者の寄稿文とインタビュー内容に依存したり、「気候変化を巨視的視角から研究する学者たちも指摘するところ」(144頁)と大雑把に述べるのではなく、関連の論議をより幅広く取り上げるべきであった。IPCCは1990年から5~7年の間隔で発行する報告書を通じて、気候変化の趨勢および原因の究明、気候変化による社会経済的影響、対応戦略に関する科学情報を提供してきた。興味深いことは報告書ごと核心主題とメッセージが異なるという点である。1990年に発行された第1次報告書の焦点は「地球が暑くなる」であり、1995年の第2次報告書の核心主題は「人間の責任である」であった。2001年と2007年に出た第3、4次報告書が「減らすべきである」というメッセージを入れたならば、2014年の第5次報告書の結論は「減らせる」であった。2度目標の実現が不可能だという論旨は、IPCC第5次報告書の結論と正面から背馳されるものである。

 

 

3. 「負担の共有」対「機会の共有」

 

ゲデンやロンボルグの言論寄稿文とは違って『ネイチャー』2014年10月号に論評の形で掲載されたアメリカカリフォルニア大学の研究者たちの論文は、気候変化の専門家たちの間で相当な反響を呼び起こした。[ref]David G. Victor and Charles F. Kennel, “Climate policy: Ditch the 2°C warming goal,” Nature 514 (2014), 30~31頁.[/ref] 2頁分量の短いこの論文は「間違って設定された目標は政府が何もしないのに何かやっているように見えるようにする政治的効果がある」としながら、2度上昇抑制という単一の目標を廃棄する代わりに二酸化炭素の濃度、海に蓄えられた熱エネルギーの量、北極気温など人間が地球に加えるストレスをうまく示す複数の新しい指標を設定することを提案する。論文の著者たちが見るに、未来の気候展望に今使われている気候モデルは国家間の協力が即刻成されることと見なしたり、まだ開発されていない技術の広範囲な適用など、非現実的な仮定に基づいているので致命的な問題点を抱えている。「このような無謀な仮定は2度目標の達成が可能だと信じ込ませて、気候変化の適応の緊急性を感じさせないようにする結果をもたらす。」

 

この論文は発表されるや否や多くの反論に直面した。[ref]即刻的な反論は、Stefan Rahmstorf, “Limiting global warming to 2°C—why Victor and Kennel are wrong+update,” RealClimate 2014.10.1; Joe Romm, “2°C Or Not 2°C: Why We Must Not Ditch Scientific Reality In Climate Policy,” ThinkProgress 2014.10.1を参照。[/ref] IPCC第5次報告書は2度上昇を抑えるために必要な四つの条件を言及しながら、2度、さらには1.5度目標の達成は相変わらず可能だと分析する。ここで四つの条件はエネルギーの効率的な利用、低炭素または無炭素エネルギー利用の拡大、山林など炭素吸収源破壊の抑制、生活様式と行動の変化である。報告書が出した結論を要約するとこうである。温室ガスを減らす費用は年間GDP(国内総生産)成長率の0.04~0.14%で、世界経済が十分受け持てる水準である。減らす努力を遅らせるほど減らす費用は増えるし、失敗する確立は増加する。また、2度目標の達成のためには地球的次元でエネルギーシステムの転換が必要である。特に電力生産システムの根本的変化が必要であるが、人類はすでにこのような変化に必要な技術と財政能力を十分備えている。気候変化の対応が足踏みの状態に留まっているのは、「政治的意志の不足」のためであって、技術やお金がないからではない。IPCC第5次報告書の視角から見ると、先の『ネイチャー』の論文は政治的無気力と2度目標の技術的・経済的実行の不可能性を混同していることとして見なされる。

 

最近の気候変化の論議では気候変化の対応の「同伴便益」(co-benefits)に注目する傾向がはっきりと現れている。同伴便益は気候変化の対応が保健、雇用、福祉、経済、生態系などに及ぼす肯定的な効果である。過去には気候変化の対応を、経済に負担ばかり与えることとして認識したので、個別の国家がこの負担を如何に分かち合うかとを決定する「負担共有」(burden sharing)が焦眉の関心事であった。しかし、今は「機会共有」(opportunity sharing)がより注目されている。去年11月、『エコノミスト』はトランプの当選の便りが飛んできた第22次国連気候変化協約当事国総会(COP22)が閉幕した後、「アメリカが参与するか否かに関わらず、自己利益(self-interest)が地球温暖化に向かい合う闘争を維持させるだろう」と展望した。[ref]“Climate change in the era of Trump,” The Economist 2016.11.26.[/ref]

 

同じ時期に国連開発計画(UNDP)が発表した報告書も同伴便益の重要性を強調していて注目される。[ref]UNDP, “Pursuing the 1.5°C Limit: Benefits & Opportunities,” 2016 Low Carbon Monitor.[/ref] この報告書は1.5度目標の達成のために努力した際と、今の政策をそのまま維持した場合の便益とを比較したが、その結果は驚くに値する。一つ目、2040年頃からドイツ、日本、アメリカなど主な経済国は気候変化による損失で長期間の景気沈滞に苛まれるだろう。1.5度シナリオはこのような事態が防げる唯一の道である。二つ目、1.5度の上昇を抑制する場合、2050年の世界総生産は何もしなかった時より、約10%(12兆ドル)上昇することと分析される。このような便益は中国を含めた個別の国家でも同じく現れるだろう。三つ目、1.5度目標を達成するため再生エネルギーの利用を早く拡大すると、2030年頃はエネルギー部門で職場が68%位増えるだろう。職場の増加は特に開発途上国で際立つことと予想される。四つ目、地球の平均気温上昇幅が産業化以前に比べて摂氏2度以上となると、珊瑚礁の99%が破壊されるだろう。だが、1.5度目標を達成すると、無くなる危険に処した珊瑚礁の10%以上を救うことができる。五つ目、グリーンランドの氷床がすべて解けると、海水面は7メートル以上上昇するだろう。地球の平均気温が摂氏1.6度上がると、氷床の減少は非可逆的に進行される可能性が高い。従って、1.5度目標は世界の主な沿岸都市の浸水を防ぐ最後の防御線として認識されるべきである。

 

 

  1. 科学と政治の気候臨界点

 

2度目標、ひいては1.5度目標が諦められない理由はまたある。2度と1.5度は危険の評価を通じて設定された気候変化の臨界点(tipping point)である。気候変化は非常に遅い速度で進行されるが、臨界点を超えると急に破局がやってこれる。敷居をまたぐと、戻ってくることはほとんど不可能である。気候が安定を取り戻すまでかかる時間は、数千年または数万年となることもありうる。従って臨界点の下に留まるために努力することは、実現可能性の可否を離れて、地球の構成員たちが当然すべき義務である。同じ脈絡で2度目標は地球温暖化の陽性的フィードバッグ(positive feedback)を防ぐためにも必ず達成されるべきである。陽性的フィードバッグは小さな変化がもう少し大きな変化を呼び起こし、その変化が再びより大きな変化を呼び起こすふうに、変化が次第に加速される様相を言う。

 

北極と南極を始め全世界の氷河と万年雪は早く減少しつつある。真っ白い雪と氷が覆われているときは、地表面に到達した日差しの反射率(albedo)が高くて相対的に少ない量のエネルギーが地表面に吸収される。だが、地球の平均気温が2度以上上がって、氷と雪が解けて浅黒い土と青い海が現れると状況は変わってくる。より多い日差しを吸収するので、周りの氷と雪をもっと早い速度で溶かすこととなるのである。[ref]Kristina Pistone, Ian Eisenman, and V. Ramanathan, “Observational determination of albedo decrease caused by vanishing Arctic sea ice,” Proceedings of the National Academy of Sciences vol. 111, no. 9 (2014), 3322~26頁.[/ref]

 

シベリアを始め永久凍土層(permafrost)には1.33~1.58兆トンに達する有機炭素が埋葬されている。[ref]E. A. G. Schuur et al., “Climate change and the permafrost carbon feedback,” Nature  520 (2015), 171~79頁.[/ref] 温暖化で地表面が解けると、草が生え、農事ができるという利点が生じる。問題は地表面のすぐ下の地層に閉じ込められていたメタンが大気へ放出される場合である。メタンは今も少しずつ放出されているが、地球の平均気温が2度以上上昇すると、放出される量は収拾できなくなるほど増加することとなる。科学者たちは今のように気温が上昇すると、今世紀内にメタン埋葬量の10パーセントほどが大気へ放出されることと推算している。メタンは大気に滞留する時間は短いが、温暖化の効果は二酸化炭素より20倍以上強力な気体である。

 

海でも予想外の変化にぶつかりうる。われわれは広島に投下された原子爆弾40万個が爆発した時と匹敵するエネルギーを毎日大気へ放出している。[ref]Joe Romm, “Earth’s Rate Of Global Warming Is 400,000 Hiroshima Bombs A Day,” ThinkProgress 2013.12.22.[/ref]

このような莫大なエネルギーが大気に流入されているにも関わらず気温が急激に上昇しないのは、専ら海のおかげである。科学者たちは人間の活動で放出されるエネルギーの90%以上を海が吸収することと見なす。問題は海の水温が増加しながら、熱エネルギーの吸収能力が下がりうるという点である。地球の平均気温が引き続き上昇すると、海が熱エネルギーの吸収を止めることとなる可能性がある。

 

これまで見てみた代表的な事例の他にも、地域次元で急激な気候崩壊をもたらしてくる潜在的な臨界点は多数存在する。気候モデルを活用した最近の研究は地球上に41個の気候臨界点が存在するという事実を明らかにしたが、ほとんど海、海氷、積雪、永久凍土層、アマゾン熱帯雨林などと密接な関連がある。これらの中で相当数はいつどこから始まるか正確な予測が難しいが、2度臨界点に到達する前に破局に達する可能性が高いことと分析される。このような研究結果は気候変化の時代に絶対的な安全を保障する限界線とは存在しないという事実を示す。そのような点で「気候変化による気温の上昇を受け入れよう」という提案は、人間の統制範囲を脱して増幅される地球温暖化の「陽性的フィードバッグ」を過小評価したことから始められたものである。

 

「気候変化」は国際社会が「20年以上持続してきた協商の正当性を確保し、地球的問題解決のために責任を果たしていることを見せるため、実現不可能であってもこの目標を固執して」(144頁)いると主張する。しかし、この主張もまた気候談論の形成過程で定立された科学と政治の関係に対する理解が足りないところによるものと思われる。気候談論で2度上昇の抑制は「目標」でありながら、同時に科学的「事実」であり、「義務」である。2度目標は科学研究の結果物であるが、定量的な性格の科学言語だけでは正確な解釈が難しい側面がある。例えば、飲酒運転を考えてみよう。運転者たちは血中アルコール濃度が0.05%以上となると、行政処分と刑事処罰を受けることになる。だが、0.05%はこの濃度を超えると自動的に交通事故が発生するという意味で設定されたわけではない。ここで重要なことはこの数値を超えると交通事故を誘発する確立が非常に高くなるという経験から出た合理性である。気候変化にも同じ論理が適用できる。2度目標は破局が来るか否かを決定する無条件的な「定言命令」ではなく、危険の発生可能性を捉えるための一種のリトマス試験紙として認識されるべきだ。

 

科学者たちは政策決定者たちに複雑な気候科学の結果をすべて説明することはできない。そうする時間が許されないからでもあるが、気候科学に内在した複雑性のせいがより大きい。そこで科学者たちは人々が理解しやすいながらも多様な現象が総合できる指標を選ぶこととなる。「地球の平均気温」は気候変化の臨界点を最もよく示す代表選手であって、科学者たちが「合意(先発)」した結果である。よく知られているように、気候システムと気候モデルには少なくない不確実性が存在する。不確実性は気候変化の固有な属性である。未来の気候を百パーセント正確に予測できる方法はまだない。そこで国際社会の気候ガバナンスには科学的根拠と政治的合意、両方とも必要である。2度目標が「科学の目標」でありながら、同時に197個当事国が合意に到達するための「政治的目標」であるわけがここにある。

 

 

  1. 人口と人工知能:セイレンの誘惑

 

「気候変化」は地面の3分の2位を長期人口展望と太陽エネルギー・デジタル時代の技術に割愛する。その理由は「太陽エネルギーとデジタル技術の発達、効率的なエネルギーの利用、人口の変化で温室ガスの排出は遅くとも21世紀後半には減り始め、地球気温の上昇も止まるだろう」という文章の結論を裏付けるためのものと思われる。人口と技術が未来の気候にどれほど影響を及ぼすかに対しては検討してみなければならないが、その前に指摘しておくことがある。気候シナリオが「現在進行中の急速な技術発達と人口変化をあまり考慮しない」(158頁)という主張は事実ではないということである。

 

IPCC第4次報告書に適用されたシナリオは、SRES(Special Report on Emission Scenarios)である。SRESは人口統計的・経済的・技術的変化の要因を反映するが、予想される二酸化炭素の排出量によって四つのシナリオ(A1, A2, B1, B2)に区分される。例えば、A1シナリオは世界経済の非常に急速な成長、21世紀半ばに到達する人口の頂点、より効率的な技術の急速な導入などを仮定する。反面、A2シナリオは人口増加率が高く、経済成長と技術変化は遅い、非常に異質的な世界を述べている。[ref]SRESはIPCC第5次報告書で人間の活動が大気に及ぼす輻射量で温室ガスの濃度を決める代表濃度経路(RCP)シナリオに取って代わった。[/ref]

 

「気候変化」は人口増加率と合計出産率の減少傾向などを列挙してから、「2100年から人口が90億~100億で停滞したり持続的に減少するだろうという予測は、気候変化の予測よりむしろもっと信頼に値する」としながら、「気候変化の論議にも長期的な人口変化の展望がまともに反映されるべきだ」(148頁)と主張する。気候変化シナリオで人口が経済および技術と共に重要な変数として取り扱われてきたということは、先述した通りである。従って、人口変化が炭素排出と資源利用にどれほど影響を及ぼすかが争点として取り扱われるべきである。

 

最近の研究によると、人間が気候と地球生態系に加えている圧力を減らす方法の中で、人口増加を抑えることはあまり役に立たない。2014年、オーストラリアアデレード大学の研究鎮は、人口成長と関わる多様な仮想シナリオをモデルに適用して、人口変化の影響力を分析した。彼らが使ったシナリオには家族計画のような穏健な接近だけでなく、一つの家族当たり子供一人の出産だけ許容する厳格な法的規制を適用したり、食料不足と自然災害などで数十億名の死亡者が発生することのような非常に極端的な仮定も含まれている。分析の結果は人口が未来の地球環境に決定的な変数だと信じてきた人々には非常に衝撃的なものであった。極端的で非現実的なシナリオの場合にのみ、人口変数が炭素排出と資源利用に実質的な影響が及ぼせることとして現れたためである。[ref]Corey J. A. Bradshaw and Barry W. Brook, “Human population reduction is not a quick fix for environmental problems,” Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America vol. 111, no. 46 (2014), 16610~15.[/ref]

 

早く増加している人口はいつかは減少し始めるだろう。人口変化は未来の気候にある程度影響を及ぼすであろうが、人口が減少してもそのことが自動的に温室ガスの排出量減少を保障してくれるわけではない。人口変化よりもっと重要なことは資源およびエネルギーの利用方式、経済構造、社会組織の全面的な変化だという点を認識する必要がある。

 

「気候変化」が人口変化よりもっと重要に考えることは、太陽エネルギーとデジタル技術である。「新しい時代にはすべてのエネルギーが太陽エネルギーに基づいた再生可能エネルギー源から得られるし、このエネルギーを利用した生産、通信、輸送、サービスはすべてデジタル技術によって支配されるだろう」(149~50頁)という主張には異論の余地がない。電気貯蔵技術と結合した太陽光発電、電気自動車の急速な普及、人工知能、ロボット、事物インターネット、3Dプリンティング技術の拡散が以前の情報通信革命とは質的に異なる次元のものだという点にも同意できる。

 

だが、人工知能時代の技術が人間に幸せをもたらしてくるかとは別に、気候変化時代のメシアとなれるかはもう少し見守るべきである。幸いに第4次産業革命は不平等の深化、労働の終末などに対する憂慮にも関わらず、最も生態的な産業革命となるはずだという展望が多い。自律走行自動車は二酸化炭素を始め、大気汚染物質の排出量を画期的に下げられる潜在力を持っている。人工知能システムは再活用に必要なゴミの選別を瞬く間にやってのけ、電力送電と配電を一寸の誤差もなしに正確で効率的に成し遂げるだろう。技術の飛躍的な発展がそれに相応する規模の社会的変化をもたらしてくるという事実を否認することはできない。

 

しかし、技術の進歩が危機脱出の保証小切手ではない。イギリスの経済学者であるウィリアム・ジェヴォンズ(William S. Jevons)の話のように、効率が増加するとエネルギーの消費が下がると考えることはまったくの錯覚である。むしろ消費が増加することもありうる。過去の数百年間、多様な分野で技術が飛躍的に発展したが、温室ガスの排出を含めて地球に加える環境の負荷は下がらなかった。技術の使われ方、さらに技術発展の方向と速度は社会的要因の影響のもとに置かれている。新しい技術変化が現れる際、その技術以上に重要なことは、社会がそれを受け入れて生産および生活方式に如何に活用するかである。従ってわれわれは人口が減少し、技術が発展することを待つより、資源およびエネルギーの利用方式と経済および社会構造の革新に全力投球すべきである。

 

家に火事が起こった際は火から消すべきである。消防車が来ることばかりを待つのは愚かなまねだ。火を消すにどれほど役に立つかわからないが、バケツであれ水がめであれ、渾身の力を尽くして水をぶっかけるべきだ。それに火が燃える地球は空っぽの家ではない。その中にまだ人々が閉じ込められているならば、火を消すことを諦めるわけにはいかない。今、走ってきている消防車が火災鎮圧に十分なほどの人力と設備を備えているかさえわからなければ、われわれは一層わが世代に許されたゴールデンタイムを無駄づかいしてはならない。

 

海のニンフであるセイレンたちは、船が通り過ぎるごと歌を歌った。この歌には聞く者をこの上なく魅惑させる魔力が込められていた。それでその歌声を聴いた船員たちは深い海へ飛び込もうとする不可抗力的な衝動を感じることとなる。われわれが乗った船は今セイレンが住んでいる海辺を通り過ぎる途中である。無事に通過するためには、オデュッセウスのように体をマストにしっかり縛るべきだ。人口減少と技術進歩の甘い誘惑を振り切って生き方を転換しない限り、人類に明るい未来を期待することは難しいだろう。

 

(翻訳:辛承模)