창작과 비평

“キャンドル”が変えたことと変えるべきこと / 朴元淳

 

朴元淳(ソウル市長)

 

1.“キャンドル”、何を変えたのか

 

 民主主義が危うい。世界的に既存の秩序に対する不信が高まる中、民主主義もまた挑戦を受けている。わが国も同じだ。そうした面で、今回のキャンドルは「新たな民主主義のモデル」として大韓民国の政治史のみならず、世界史的にも重要な意味をもっている。大統領が変わったからといって民主主義が自然に蘇るわけではない。民主主義に対する社会全体の省察と行動が必要である。そうした面で、新政権が誕生した今、キャンドルの意味を反芻する必要がある。

 

 まず市民が憲法第1条、民主共和国という「国家の基本的価値」を守るために闘ったという点がキャンドルの大きな意味である。市民は異口同音に憲法第1条を叫び、その意味を蘇らせている。「大韓民国は民主共和国である。大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民から生ずる」と、国民全体がそらんじて叫んだことが今までにあっただろうか。文字でのみ書かれた憲法第1条、飾り物にすぎなかった憲法第1条が、まさに広場に蘇ったのである。憲法裁判所の大統領弾劾の決定文で、「被請求人を罷免することで得る憲法守護の利益は圧倒的に大きい」とし、大統領の憲法違背行為を弾劾の重大な事由としたのは当然の帰結だった。今回のキャンドルの最大の成果は、憲法という抽象的な価値が市民自らに始まり、市民自らが権力の源泉であることに自ら気づいたことだといえよう。

 

 第二に、キャンドルは世界的に類例のない「平和的な集会」だった。国民的な憤怒が天をつく大規模なデモにもかかわらず、事故も暴力沙汰もなかった。一時は弾劾支持派と反対派の衝突が懸念されたが、幸い大きな混乱はなかった。キャンドルと太極旗が広場に並んでいたこと自体、民主主義の生きた証拠であろう。憤怒と熱望が充満する広場で、市民が示した勇気と情熱、友愛と連帯は驚くべきものだった。全く見知らぬ人々の間にも友愛が満ちていた。自分の生き方に閉じこもる孤独な個々人、近隣との騒音問題でいらだつ人々とは距離があった。平和的な集会は社会的合意の結果であり、目標を達成するための戦略的な行動だと見るべきだろう。結果的に、権威的な政権に抵抗するには、平和的な力がはるかに強力だという逆説が証明されたのである。

 

 第三に、キャンドルは民主主義の制度と手続きに則して大統領を弾劾した。国民から権力を委任された大統領が国民の公的信頼を裏切れば、その権力を回収できるように、韓国の憲法は弾劾制度を明示している。キャンドルは弾劾に優柔不断な政治家を動かし、国会の弾劾案発議と決議、憲法裁判所の容認を導きだした。市民は政治制度と憲法機構をきちんと理解して適切に活用した。つまり、民主主義の危機に民主主義がまともに作動したのである。民主主義とは目標とともに過程が重要だ。今回のキャンドル集会の成功は、韓国民主主義の歴史にまたとない貴重な事例である。市民が憲法上の価値を守護するために平和的かつ合法的な方法で弾劾を導き出したという点で、今回のキャンドルは「キャンドル市民革命」と称するのがふさわしい。

 

 キャンドルは「市民民主主義」を誕生させた。市民民主主義とは何か。市民が市民主権を行使する政治的主体として立ち、政治的行動で政治権力に実質的な影響を及ぼし、政治的運命に共同責任を担うものである。市民民主主義とは、政党中心の代議制という間接民主主義の欠点を補完し、代議制を成熟させる発展した民主主義の形態である。大韓民国とはいかなる国か。大韓民国は民主主義を勝ちとるために数多くの人々が血を流した歴史をもつ国である。今年は1987年6月民主抗争30周年にあたる年である。この間、民主化の成果と限界を経験したキャンドル市民は、権威主義に回帰した政権の下で後退する民主主義を黙って見ていられなかった。キャンドルを掲げて広場に現れ、新たな市民民主主義を誕生させた。

 

 私もまた、その広場にいた。ある日、恩平区(ソウル市北西部)で食堂をしているおばさんの演説ならぬ演説を聞いて衝撃を受けた。食堂は土曜が一番忙しいが、こういう国を子どもらに譲り渡すことはできないと思って参加したという。どんな政治家の演説よりも立派だった。正確な問題意識と目標をもっていた。「ただ食べて生きるだけ」を超える共同体的な価値を志向する暮らし、その暮らしが醸しだす新鮮さとウィットは、私を含めた市民仲間を感動させた。広場では地域や階層、年齢層を網羅する多様な市民の出現が見られた。実に、偉大な「市民」の誕生だった。

 

 市民は偉大である。市民が正答である。私は誰よりも市民の力を信じ、市民の力に依拠して市民運動と政治をしてきた。私の役割は何か。「市民民主主義」を守護し、「市民抵抗権」を含めた市民権を保障する広場の守り役だった。市民は日常的に個人の政治的意思を自由に表現し、思想、言論、集会、結社の自由を通じて既存の権力を批判し、反対できなければならない。特に権力の濫用や誤用、不正腐敗などで委任した権力に対する信頼関係が崩れた場合、市民は権力に抵抗し、委任した権力を回収できなければならない。市民抵抗権は「市民民主主義」の基本要素である。

 

 広場は市民のものである。ソウル市は市民抵抗権を保障し、広場を保護するためになしうるすべての行政的支援を稼働させた。まず放水を公権力の濫用とみて、放水に必要な消防水を供給しないことに決定した。[ref]2016年10月5日、CBSラジオの「キム・ヒョンジョンのニュース・ショー」に出演し、「ソウル市は消火栓を通じて警察のデモ弾圧用の放水車に水を供給することについてどう思うか」という質問に、「ソウル市傘下機関である消防災難本部は消火栓からの水は火災鎮圧のためのもので、デモ鎮圧のために水を使うのは認めがたい」と述べた。その後、消防水の供給は中断された。[/ref]大規模集会で起こりうる万一の事故に徹底的に備え[ref]2016年10月の最初のキャンドル集会後、集会の規模が急に大きくなるや、 ソウル市は第3回集会から光化門広場付近に市や区の公務員を配置し、市民の安全と便宜を支援した。市の集計によれば、第3回集会から朴前大統領が罷免された翌日の3月11日第20回集会まで、現場に職員1万5千余人(延べ人員)を投入した。同じ期間に支援した救急車、消防車、清掃車両などの各車両で1千台を超え、地下鉄駅付近などで安全管理に投入された人員は総計6300人、集会中に起こりうる緊急事態に備えて待機した救急隊員と消防官など4500人に達した。[/ref]、広場周辺でのトイレの開放[ref]光化門広場とソウル広場、清渓広場付近に移動トイレを10余カ所設置し、光化門広場付近の建物関係者を説得し、総計200カ所を超えるトイレを確保 して市民に開放した。[/ref]、地下鉄の時間延長など多様な便宜を提供した。集会が終わった後、広場が日常に戻れるように、毎週計画を立てて掃除した。 [ref]集会の終了後、広場と道路を清掃するために投入した環境美化員と職員、ボランティアは4000人近く、清掃車両も500台以上を動員した。[/ref] もちろん、そうしたどんな準備よりも光を放ったのは成熟した市民意識だった。キャンドルは「新しい市民」である。「市民権力」が誕生した広場は、それ自体が民主主義の生きた教育の場だった。光化門広場は市民によって再解釈された。ソウル市は新たな政権とともに光化門広場を歴史と文化、また「市民民主主義」が生きて、息づく広場へと再構造化する計画である。

 

2.“キャンドル”、何を変えるのか

 

 結局、国民は大統領を罷免した。だが、それで終わったわけではない。広場の要求は弾劾と単なる政権交代に止まらない。この間、疎かにされてきたり、先延ばしされていた課題が一挙に噴出した。政治、財閥、検察、言論、教育、選挙制度、地方自治など数多くの改革課題が提起された。長年、わが国の社会秩序であった権威主義、家父長的な文化、政経癒着、縁故主義に関する問題意識も表面化した。分権と自治、人権、性平等、環境、そして不平等の解消に対する声が高まった。これらの課題は一朝一夕に解決できるものではない。今すぐに着手すべき政治改革だけでなく、経済改革、社会・文化の全般的な改革を可能にするためには、持続的な革新と変化が必要である。

 

 まず優先すべきは政治改革である。キャンドルは政界全体に警告した。民意を代弁して政府の実情を牽制し、改善すべき主体である政治に対して責任を問うている。政治改革を通じて民主主義を支える主要な制度を改善し、きちんと作動させることが最優先の課題である。代議制政党民主主義がちゃんと作動していたら、こうした事態には至らなかっただろう。民意をまともに反映できない代議制は変えねばならない。まず、既得権層中心の勝者独占の選挙制度から変えねばならない。多様な民意を反映できるように「連動型比例代表制」などの選挙法改革が必須である。

 

 青少年の参政権拡大も重要である。今回のキャンドル広場で青少年の活躍は目覚しかった。有権者ではないが、成熟した市民だった。「18歳選挙権」という改革法案は社会的な共感を幅広く得ているにもかかわらず、国会では通過できなかった。国民は大統領選挙日も変えたのに、政治は一体何を変えているのか。

 

 一部で強く要求している改憲は、最も総体的かつ根本的な政治改革を盛り込める器である。私もやはり新しい時代に合う改憲は必要だと思うし、個人的には分権型の改憲を主張している。だが、改憲を性急に行ってはならない。市民が主導的に改憲過程にも参加して熟議できるように、十分な時間と適切な制度的装置が必要である。

 

 経済民主化に対する熱望もまた強烈である。キャンドルの憤怒は不平等に対する不満が根底にある。韓国はOECD(経済協力開発機構)加盟国中で不平等が最も深刻な国の一つである。特に所得の不平等が深刻だ。今回の大統領弾劾は朴正熙パラダイムの終焉も意味している。朴正熙神話、朴正熙ノスタルジアはどこから来るのか。まさに経済成長への幻想のためである。韓国民は短期間に高度の産業成長を成し遂げた。だが、政経癒着、不正腐敗、貧富格差の拡大、社会葛藤など、今日の韓国経済の足かせとなっている問題を容認してきた。「たらふく食べていい暮らしをする」ためには、人権や労働が弾圧されても、環境が破壊されても、共同体や多様性の価値がなおざりにされてもいいという、暗黙の了解があった。その結果、財閥・大企業が世界的な企業に成長する一方、労働者は貧しくなって国民の暮らしは疲弊した。キャンドルの国民的憤怒は「不平等」に起因したものである。ところで、今回の大統領選挙で不平等というイシューはどこへいったのだろう。

 

 不平等を解消するための経済・社会体制として、私は「WEconomics」)[ref] 「私たちみんな」を意味するWEと経済を意味するEconomicsを結びつけた造語で、2016年7月8日東南アジア巡訪時にタイのバンコクで、国連アジア 太平洋経済社会委員会(UN-ESCAP)の講演で初めて使用した。その後、 経済、労働、福祉、環境政策を総合する、筆者の経済・社会ビジョンへ発展した。[/ref]を提案する。WEconomics はみんなの、みんなによる、みんなのための経済である。WEconomicsとは財閥・大企業中心から脱皮し、中小企業と労働者などの市民が主体になる経済をいう。WEconomicsとは経済だけでなく労働、福祉、環境、人権、多様性、共同体、民主主義のような価値が同等に保障されることをいう。WEconomicsとは「先成長、後分配」、「雨垂れ効果」のような古い秩序の廃棄を意味する。労働者の権利がちゃんと保障され、市民の誰もが人間的品位を維持できる社会をいう。ソウル市が推進している非正規雇用の正規雇用化、経済民主化政策、労働理事制、学費の半額化、青年手当などの韓国型基本所得、原発削減などがWEconomicsを構成する具体的な政策である。ソウル市は、ソウルの革新と成果を基礎にした政策を新政権に提案している。今後もソウル市の革新的実験は続けられるだろうし、その革新の成果は新政権の元肥として提供されるだろう。今後、地方自治体が多様な政策的実験を進めていけるように、新政権が地方自治体に権限と予算を移管することを促している。

 

 最後に、「日常のキャンドル」を灯すことを提案したい。日常の民主主義が強固でなければ、どんな制度も砂上の楼閣である。韓国では生活レベルの地方政治よりも巨大な言説を前面に掲げた中央政治の方に重心が傾いている。民主主義は抽象的かつロマンチックに理解される傾向がある。選挙の時だけの民主主義も困りものだ。今回のキャンドル広場のエネルギーが市民の暮らしの中に浸みこんで自ら政治的市民としてすっくと立ち上がる時、本当の変化が始まる。韓国政治の危機の瞬間には、いつも革命的な広場があった。だが、既存の抗争と革命の試みが失敗に終わったのは日常の広場、日常の政治に転換できなかったからだ。民主主義の制度並みに民主主義者を育て上げることが重要である。

 

 2004年にフリードリヒ・エーベルト財団の招きでドイツを3ヶ月間旅行したことがある。1960年代の学生運動を率いた「68革命」世代が文化・芸術運動、国際平和運動、さらには種子主権運動などに参加し、今も旺盛な活動をする姿に深い印象を受けた。ドイツの「緑の党」もやはり「68革命」世代が主軸になってつくられた。「68革命」は今日まで社会全体に甚大な影響を及ぼし、多様な変化に寄与している。

 

 今回のキャンドルは様々な面で「68革命」を彷彿とさせる。脱中心的な性格が明らかだった。運動の指導部やバックはなかった。家族や友人と一緒に参加したり、個々人で出かけてきて独りで参加していた人と連帯したりした。注目すべきは今回のキャンドル市民は大規模な社会運動の経験がなかった世代や、一度も集会に参加したことのなかった個人が大多数だった点である。ほぼすべての年齢層を包括したという点も印象的だった。多元化した市民の自発的な組織化が目についた。デジタル・ネットワークを活用したコミュニケーションと連帯が可能だったからである。雰囲気だけ見れば、デモというよりはお祭りに近かった。旗一つにも風刺とユーモアがあふれていた。

 

 キャンドルを掲げた理由からキャンドルの形に至るまで、どんな枠にも縛られない新たな市民、新たな民主主義者が誕生した。単に弾劾だけを叫ぶのではなく、脱権威主義、政経癒着の解体、脱核、分権主義、日常的な民主主義など多様な課題に分化し、社会全般の変化を熱望するのも「68革命」に似ていた。今回のキャンドルは政治改革のみならず、経済・社会改革を要求している。今後、キャンドルが日常の民主主義者になって多様な議題の再生産をやりきり、オルタナティブな暮らしを実験する生活政治を通じて政治的主体としてすっくと立ち上がるなら、新たな政治は可能である。

 

 私は平素、「市民の力、市民力」[ref]「市民力」は、日本の失われた10年を新たに考えるために日本のシンクタンクが、日本人がもつ精神的・技術的な知識を世界最高レベルに引き上げようとして創った概念である。筆者は2016年3月3日、「ソウル市生涯学習総合計画」を発表して市民の人文学的な素養を高める「市民力」という概念を創り、市民力指数を創って市民教育を向上させる計画だと発表している。[/ref] を強調してきた。偉大な市民が偉大な国家、偉大な社会をつくる。市民が権力を監視する受動性を脱皮して、政治を通じて積極的な変化を主導すべきである。政治的に覚醒して人文的に成熟した「市民」の土台が政治も、経済も完成させる。それらは市民の力量にかかるといっても過言ではない。

 

 ソウル市の行政は、それ自体が巨大な「生活政治の学校」である。ソウル市は市民とのコミュニケーションと参加を超えて、市民社会と協治(協同統治)する「プラットホーム政府」を構築し、運営するのに心血を注いできた。生涯教育と市民大学のプログラムを提供するのを超えて、市民に自分の日常と政治がつながる地点を提供し、市民が制度的な空間でも積極的な権利を行使できるようにした。この間、行政に官僚主義と権威主義が蔓延していたのは事実であり、官僚は市民を対象化して市民参加を行政の香辛料程度にしか見てこなかった。だが今日、ソウル市の公務員もコミュニケーションと協治の哲学を理解し、市民社会との協治ガバナンスを当然の常識として受け入れている。長い時間がかかろうとも対話して協力しながら進めるのが原則である。そのように進めてこそ、革新できる。もちろん、完全とは言えないだろう。だが明らかなのは、ソウル市の行政が「プラットホーム政府」へ転換し、そのガバナンスが市民民主主義、生活政治を深化させているという点である。

 

3.どのように変えるのか

 

 今回広場で誕生した新たな市民を、どのように新たな政治主体として立ち上げるのか。また、新たな政治主体とともに、どのように政治を革新し、新たな国をつくるのか。これはキャンドル市民とともに広場にいた私の悩みであり、今後の課題でもある。

 

 まず、次の政権では対話と妥協の政治が必須である。絶対絶命の国家的危機においては、なおのことそうである。改革課題の解決をうまく進めるために、私は「キャンドル共同政権」[ref]筆者は2017年1月10日、弾劾政局で新たに誕生する次期政権は民主勢力の連帯と協力を通じた「キャンドル共同政権」であるべきだと主張したことがある。[/ref]を主張してきた。キャンドル共同政権は、政党間の連政(連合政権)と市民社会との協治という両翼で運営される。次期政権は誰が大統領になっても与小野大の国会である。国民の要求と熱望は多様にならざるをえず、熟議と制度化の過程を要とする。決して容易ではない過程である。政権交代さえすれば、あらゆることが解決されるだろうというロマンチックな信念を持ってはならない。いかなる政権交代なのかが重要である。キャンドル共同政権は単なる統合を意味しない。たがいに異なる背景と勢力間の違いを認め、共通の改革課題を中心にして連政と協治の場へと進化すべきである。

 

 政党革新を通じた政治改革が実現されなければならない。今回、政党を中心にした代議制民主主義の欠点が如実に表れた。既存の政党が民心をまともに代弁できておらず、社会変化に従えなかったために、周期的に市民が広場へと出てこざるをえなかった。政党は政党革新を通じてキャンドル市民を政治的主体に押し立て、市民が日常的に意見を提示して参加できるプラットホームにならねばならない。制度化された政治が市民社会と分離した時には必ず問題が生じた。市民社会と制度化された政治が各自の役割をちゃんと果たして、また有機的な関係を結んでこそ、政治改革は可能である。政党も政府も、市民社会との協治が重要であり、また新たな市民たちが政治的主体として立ち上がれる制度、そして新たな政治勢力化も重要な課題である。

 

 キャンドル市民は「市民民主主義の時代」を切り開いた。今や、政治の時間である。政治は広場で表出されたキャンドル市民の怒りと熱望を具体的変化へと結実させるべき「責任」がある。政治が自らを果敢に革新し、社会・経済改革など国家改革を成功裏に推進できなければ、政治の立つべき場はない。政界のみならず、あらゆる社会の統合力量を結集してこそ、キャンドルが残した課題を成功裏に解決し、新たな大韓民国を迎えることができるだろう。

 

 

  私は「キャンドル広場の守り役」を超え、「キャンドル市民の守り役」に

 なりたいと思う。

  キャンドルの憤怒と熱望が揮発しないように日常政治に生かしていくこと、

  キャンドル市民を政治的主体として立たせ、その力で政党政治の革新を

 牽引すること

  これこそが、広場で懐妊した市民民主主義を守る道であり、革新政治を花開かせる道であると信じる。

 

 

*本稿は、2017年4月20日ソウル・グローバルセンターで開かれた細橋研究所の公開シンポジウム「キャンドルと韓国社会;広場の進化のために」の基調発題文を修正・補充したものである。

(翻訳:青柳優子)