창작과 비평

[卷頭言] ろうそく革命の新たなステップに向けて / 金鐘曄

 

創作と批評 176号(2017年 夏)目次

 

金鐘曄

 

 

昨年の秋、初のロウソク集会から今年5月9日の第19代大統領選挙にいたるまで息詰まる時間が過ぎ去った。社会は通常予測外の軌跡を描きながら変化するが、この間私たちはまさに渡ったことのない川を渡ったのである。このすべての過程を触発した朴槿恵政権の不正と無能と怠慢は驚愕すべきものであった。「秘線(影)」に依存した政策と人事、経済・政治・教育・文化等の様々な部門にわたる大規模の腐敗、民主的疎通(コミュニケーション)と責任の放棄、セウォル号惨事やマーズ(MERS)事態で露になった国家能力の深刻な後退など一々指摘するのも大変なほどであった。このような朴槿恵政権に対して、市民は昨年の総選挙を通じて厳重な警告を表した。ところが、朴槿恵政権は気にせず、「従北」世論づくりや好戦的な対北政策によって政治的窮地を攻撃的に突破しようとした。ロウソクを手に取って広場に出てきた市民たちは膨大な規模の熱情的参加を通じて、民主共和制の根本原理を正面から否認し、暴走していた朴槿恵政権をストップさせたのである。

 

半年間ほど続いたロウソク集会で市民たちは次の3つの準則に従った。1)合い言葉は強健で非妥協であるが、2)行動では高い水準の自制力を発揮し、3)熱情的参加を堅実に続けること。この準則に立脚してロウソク市民たちが追求したのは、現体制、つまり87年体制の解体と転覆ではなかった。ロウソク市民たちは、むしろ87年体制内に刻み込まれている制度的手続きが「正常に」作動するように圧迫したが、それは渡ったことのない川の前で躊躇する制度的行為者たちが先へ進んでいけるように浮き橋を設置してあげる作業でもあった。このように制度外部の圧力によって制度内部の手続きを動かす、「外押内進」と要約できる過程によって、国会の大統領弾劾訴追と特別検察法の通過、特別検察捜査と憲法裁判所の弾劾審判、そして憲政史上初めての大統領補欠選挙という川を渡ったのである。市民の直接行動が制度的手続きを激発し、それによって稼働された手続きの進行に市民たちが持続的に燃料を供給したこの過程は、保守政党の分裂を誘導し、「共に民主党」の文在寅候補の当選を通じて政権交代という制度的結実を結んだ。それによって、ロウソク革命の第1段階が完了したと言える。そして、私たちはまさにその地点で当然ロウソク革命の新たなステップへ進んでいかなければならない。

 

もちろんこれまでロウソクが成し遂げた成果だけでも、参加者の私たちは嬉しく、誇りを持つべきである。私たち各自が灯らせたロウソクの描き出した巨大な点描画は崇高な感情までを呼び起こした。ところが、革命とは、自由を一段階高い水準に制度化し、社会的窮乏から抜け出すことによって、自由の土台を強固にすることを意味する。そのような点から考えれば、ロウソク革命は87年体制の下で行われた最良の政治的成果の一つであるが、今日も87年体制の守護にとどまっている。ロウソク「革命」がその名に値する成果を上げるためには、解決すべき課題が残っており、それが何かは明らかである。

 

第一に、よく言われた「積弊清算」がある。李明博政権と朴槿恵政府が推進した誤った政策の廃棄はもちろんのこと、その誤りによって悔しいことを経験した人々に賠償及び補償をする作業が必要である。このような作業の一番目は当然セウォル号惨事であり、検察と国政院の改革、日本政府との慰安婦合意やサード配置、その他にも4大江事業をはじめとした様々な種類の積弊清算が求められる。第二に、敵対的な対北政策によって深刻化した安保危機を解決し、この間中断された南北韓交流協力を復元することである。第三に、新しい経済モデルを模索することである。朴槿恵前大統領の弾劾を招いた一つの軸は国家権力と財閥との腐敗同盟であった。ロウソク民心がその大統領を弾劾し、財閥総帥を裁判に回付した事実が意味するのは、これからの社会は朴正熙体制から完全に脱皮しなければならないということである。最後に、このような課題を解決するための政治的土台と支持基盤を堅く維持し、拡大しなければならず、それに基づいて政治制度及び政党体制の転換を行わなければならない。

 

これまでのロウソク革命過程を通じて、私たちはこのような課題を解決できる進入路には入った。しかし、その道を走り通すのは決して容易ではない。積弊清算のうち、あるものは相対的に簡単できれいに片付けられるかもしれないが、複雑で時間が多くかかり、きれいに解決し難しいものも多い。辛酸な近現代史の様々な屈曲を考えれば、清算されなければならないことの目録は非常に長くなるが、長くなるだけの慎重さと知恵が必要である。南北間の緊張を緩和し、平和を確立することも、金大中・盧武鉉政権期の包容政策への復帰を通じて行うには今は困難な状況である。北朝鮮の核・経済の並進路線に対応できる包容政策2.0、そして南北連合の構想と実践が求められると言えよう。

 

「朴正熙体制からの脱皮」も難しい課題である。それは、財閥中心経済からの脱却を超えて、成長に中毒された生活からの脱皮、住居・教育・医療が供給され、消費される方式の根本的再編までを包括する課題だからである。そのためには、社会的連帯と微視的で多元的な革新とを結合する経済形成が必要であり、それに合わせて国家の役割も新しく定義されなければならない。選挙制度の改革と与野党間の協治文化形成をはじめとした政党体制全般の改革を通じた政治的転換も粘り強い作業を必要とする。そのような作業の核心の一つは、共有された規則の下で展開される政治的競争を内戦に転換しようとする分断体制の守旧勢力を公論の場から追放し、政党体制の辺境へ遠く追い出すことであろう。そのためには、長らく守旧政治勢力に拉致された状態に留まっていた保守的市民たちの覚醒も求められる。もちろん長年の慣行と決別するのは容易なことではなく、選択可能な政党なしにはよりいっそうそうである。ところが、守旧との分離を志向することによって、活路を模索する保守政治勢力形成の兆しがないわけではないようである。

 

ロウソク革命を新たなステップへ引き上げるために解決されるべきこのような課題に直面して必要なことは、これまでロウソク革命が守った3つの準則を維持し続けることである。もちろん強度の面では非常な局面を通過したロウソク革命の第一段階には及ばず、むしろより日常化した方式をみつける必要もある。しかし、その志向の面では終始一貫でなければならない。要するに、先に指摘した課題を解決しようとする意思のレベルでは非妥協的態度を堅持するが、改革成果が早急に可視化することを願う心を落ち着かせる自制心を発揮し、改革作業の政治的土台を強固にするための参加体制をつないでいかなければならない。これは、ロウソク革命が採択してきた外圧内進の改革方式のためにもいっそう求められる。そのような方式の選択は、新しい政権を選出してからは放置し、政治的要求の水位だけを高めていく過去の行動と決別することを意味するからである。言い換えれば、選出された政権の行路を支持し、批判して牽引しつつ、制度的手続きを守る落ち着いた改革を一つ一つ積み重ねていかなければならない。そのように、ロウソク市民たちが必要な時はいつでも再び靴の紐を結んで改革作業の不寝番を自任する意志を持てば、30周年を迎える87年体制の克服という課題も解決することができよう。そのようになれば、私たちは、自分たちが切り開いた民主的可能性を最大限実現したロウソク革命によって、87年体制が克服されたと楽しく言うことができよう。

 

今号の「特輯」では、フェミニズム的視点が文学作品の鑑賞において持てる意義を、具体的事例を通じて検討した。江南駅殺人事件や芸術界内の性暴力論難以来、フェミニズムは熱いテーマになったが、実際繊細な作品の読解レベルには十分につながってない側面がある。

白智延はフェミニズム論議の地形を適切に眺望しながら、被害−加害構図に閉じ込められた女性嫌悪批判が新自由主義言説と結合しながらぶつかるようになる限界を指摘する。この過程で金承鈺の代表作『霧津紀行』と金愛蘭の最近作『隠す手』に注目し、男性的主体化と女性嫌悪または嫌悪論一般の問題をバランスのとれた視点で分析する。 金寿伊は、通常否定的に使用される「副作用」が「異なること」と「彼方のこと」が到来する通路になることを強調し、それをキーワードとしてチェ・スンザとキム・スンイルの詩を分析する。これを根拠に、そのような副作用としてのフェミニズム的問題意識が2000年代以後韓国の詩で弱まったことはなく、むしろ「万人のための、万人のフェミニズム」へ進化していることを力説する。車美怜は、性的アイデンティティを固定して配置する規範的権力の外で変化を生産する範疇として、クィア(queer)の持つ可能性を成碩済からパク・ミンジョンにいたる多様な作家の小説を通じて探索する。車美怜の論文は、韓国文学が到達したクィア叙事の幅と深さが侮れないことを見せるが、これに対する活発な後続論議を期待させる。

大統領補欠選挙にいたるまでここ数ヶ月間、韓国社会は未曾有の激変の中にあっただけに、今号には特輯に準ずる企画として「文在寅政権と時代転換」を用意した。ロウソクの意志を受け継ぐことを公言しながら新たに出発した政権が大転換を成し遂げるためには、どのような課題を解決すべきか検討した。企画の最初の論文で李南周は、大統領選挙の結果に内包されている意味を丁寧に吟味しながら、新しい文在寅政権が現状況において持つ長所と短所の具体的な内容を明らかにし、政府の運用と政治的選択において考慮すべき点を提示する。なお、その過程で市民の声が持続的に投入されなければならないという主張とともに、市民に求められる姿勢についても論じる。全聖寅は、新政権が直面した経済的状況の厳重さを指摘する。急速な高齢化によって韓国社会は生産力の後退と貧困問題が再出現し、それによって資源配分をめぐる世代間の葛藤が激化する局面に入りつつある。彼は、このような問題を克服するために、技術開発及び人材の蓄積に基づいた経済成長と世代間の統合が必要であることを主張する。鄭鉉坤は、李明博・朴槿恵政権期に本格的に進められた北朝鮮の核開発によって悪化した朝鮮半島の状況を、新政権がどのように解決していくかを検討する。新政権が大胆な姿勢で臨んでいけば平和の道が開かれ、そのような前進のためには南北連合の意味と可能性を正面から議論しなければならないと述べる。

 

「対話」は、国民の大半が積弊清算の第一対象として指摘する検察改革問題を取り扱う。参与連帯の朴根勇処長の司会で、民弁(民主社会のための弁護士会)会長の鄭然順、ソウル中央地検部長検事を歴任した弁護士の任秀彬、そしてハンギョレ法曹チーム長の昔鎭桓が同席した。彼らが交わした対話は、検察の持つ権限の強大さとその便宜的行使がどれくらい深刻なレベルであるか、そして高捜処(高位公職者非理捜査処)の設置のような改革の必要性が如何に厳重なのかを如実に感じさせる。

 

「論壇」において、金泰佑は今年で30周年を迎える6月抗争をロウソクの観点から再構成する。彼によれば、韓国の民主主義を前進させた6月抗争とロウソク革命は、「真実と勇気」「参加と連帯」「選挙と憲法」という3つの側面において共通点を持つ。その意味で6月抗争の嫡子といえるロウソクが体制転換的事件になるために、6月抗争から何を学ぶべきか考察する。中国学者・温鉄軍の論文は、2008年の世界金融危機を目撃した中国各分野の専門家の討論内容を土台にしたものである。一大一路の推進、人民元国際化の試み、対米関係をはじめとした対外戦略の変化等、最近中国の動きがどのような脈絡から始まったものなのか、そしてその動きの現住所と展望がどうであるかを分析することによって、読者の皆様に中国と国際秩序を理解する糸口を提供する。

ロウソク集会の中に流れていた創意性と友愛、そしていわゆる「太極旗集会」に横行した攻撃的で下品な言語を照らし合わせる權汝宣作家の散文もいろいろと考える点を投げかける。クォンは、太極旗集会の暗い面貌が私たちと無関係どころか、私たちの中に根深く刻み込まれているものであることを深く心に刻まなければならないということ、そして太極旗集会の参加者までも包容して彼らと共存する広場をつくることができるかがより大きな民主主義のための勝負であると力説する。

 

「現場」欄には2本の論文を載せた。一つはロウソク集会の空間だった光化門とその周辺都心を市民のために守り、世話をしてくれた朴元淳ソウル市長の論文である。朴元淳は、ロウソクの中で誕生した「新しい市民」が広場の民主主義を日常の民主主義に転換していかなければならないことを提案する。いま一つは、大統領選挙の真っ最中に星州郡に電撃的に配置されたサードの現場を直接観察した鄭煐璶の論文である。彼は、サード配置に反対する星州住民の闘争を韓国社会で反復されてきた軍事基地反対運動の見地から検討する。国際政治的問題が「現場」でどのような闘争共同体を形成するのか、そのような共同体が直面するジレンマは何かを明らかにする。

一方、文学は現時代をどのようにとらえるか。久しぶりに作品を発表した安度眩詩人等13人の新作詩を通じて、その多様な視線と上手に練り上げた思惟を満喫することができる。「小説」欄では具竝模、金仁淑、鄭容俊の個性溢れる短編が今日の断面を鋭く描く。2回目を迎えた金錦姬の長編連載も興味深い。そして、詩人である金鉉が、13年ぶりに新しい詩集を出版した朴賞淳に会い、温かい時間を共有した「作家スポットライト」、孫宅洙詩人と鄭珠娥評論家が尹成姬小説家を招聘して、最近発刊された多様な作家の作品集を考察した「文学フォーカス」を盛り込んだ。

 

「文学評論」では、英文学者の李廷進がアメリカ作家トマス・ピンチョンの作品世界を分析する。ピンチョンの作品の主な背景である1960年代がどのような歴史的意味を持つかを基に、ポストモダニズムの範疇でよく議論されたりするこの作家の真面目に寄り添う。金娜詠は前号に掲載された朴相守の評論を批判的に検討しながら、パク・ソランとハン・インジュンを中心に2010年代の「若い詩」を論ずる。2000年代と2010年代の詩の区分に関連する争点が生産的討論につながる契機になってほしい。

 

「寸評」欄では、国内外の著者を問わず、多様なテーマで厳選した9種の図書を取り上げた。筆者の専門性が遺憾なく発揮された書評が一読に値する。「読者レビュー」にはハンギョレ新聞の記者である李丞焌と文学評論家である盧泰勳が前号を読んだ所感を載せてくれた。お二方の愛情溢れる評価が無意味なものにならないようにより広く耳を傾けたい。最後に、残念ながら、今年10回目を迎えた創批長編小説賞の公募では当選作を出すことができなかった。応募してくださった方々と関心を寄せてくださった読者の皆様に感謝の意を表したい。

 

私的な場所での話ではあるが、朴槿恵前大統領の「功績」の一つが「国民大統合」だったという逆説的な表現が結構言われている。おそらくそのような逆説的功績の一つは、新政権が出発する時期を朝鮮半島で最も良い季節に移したことであろう。PM2.5で困ることもあるが、きれいな空と風に花の香りが運ばれてきて、足元が軽くなる季節である。前任政権の失政によって溜まった宿題が山積している新政権であるが、季節のように新鮮に国政を運営していただきたい。そしてロウソクを持ち上げ、その政権を誕生させた市民の生活もいっそう明るくなってほしい。朴槿恵政権が作成した「ブラックリスト」から完全に抜け出した創批も5月はありがたくて嬉しい。季節のようにすがすがしい雑誌と本をもって、読者の皆様に寄り添っていくことを改めて約束する。

 

訳:李正連(イ・ジョンヨン)