창작과 비평

市民議会は民主主義を完成させる道

 

呉泫哲(全北大学・一般社会教育科教授、政治学)

著書に『市民不服従』『転換時代の韓国社会』(共著)など

 

1.市民の集団的意思決定が正当性の源泉である

 

 代議制民主主義は、選挙で選ばれたエリートによる統治を理想的な政治体制とみなす。英国から独立した時、米国の政治制度をつくった「建国の父」らは、選挙で選ばれた自らを「自然的貴族」とみなした。この語は、先祖のおかげで権力を占有する英国の貴族とは異なり、自分らには自然がくれた贈り物である卓越した能力があるという自負をこめている。選ばれた貴族の統治を当然視する現代的観点を「政治的労働分業」テーゼに求めうるが、このテーゼは社会が分化して専門化されるほど専門家の役割が重要なため、政治は専門の政治家に任せて一般人は生業に専念せよと忠告する。

 しかし、現代社会哲学の大家であるハーバマス(J.Habermas)の討議民主主義理論(審議民主主義とか熟議民主主義とも呼ばれる)は、「国家の法律や政策は、それによって影響を受けるすべての人々の理性的な討議によって決定される場合にのみ正当である」と主張した。ハーバマスが主張するのは、選ばれた政治家が国家政策を決定してはダメだというのではなく、どんな政策であれ、市民が理性的に討論して決定した内容に適するものだけが正当だという意味である[1]。例えば、四大河川を堰でふさいで湖をつくること、原発を建設する、廃棄することなど、すべての国民に影響を及ぼすことを政府は決定できるが、その過程で市民の意見を聞かないとか、聞いても無視すれば、その決定は正当ではないのである。

 四大河川事業や老朽化した原発を稼働しつづけることのように、国民の利益と衝突する政策が決定される原因は「主人―代理人のジレンマ」に求められる。「主人―代理人のジレンマ」概念は社会科学の様々な分野で使われるが、主人に奉仕すべき代理人が主人の言葉を聞かずに、好き勝手に行動するとか、主人の利益より自分の利益を優先する現象を意味する。今日、こうしたジレンマはほぼすべての代議制民主主義国家で観察される現象であり、政治家と公務員がすべての権力を独占し、市民を政治過程から排除しているために発生する。

 民主主義の出発点である古代ギリシャのアテネでは、抽選で選ばれた市民が法廷と民会に参加し、都市国家の公的な事案を決定した。抽選で選ばれた市民議会は全市民を代表するため、彼らの決定には「主人―代理人のジレンマ」がなかった。国民主権とは、このように国家の法律と政策、あるいは重要な政治的判断を国民が直接決定することを意味する。だが、代議制民主主義の国民は「名前で」のみ存在する見せかけの主権者であり、代理人が国民の「名前で」主権的な事案を代わりに行使する。

 代議制民主主義の正当性を支える「国民が主権者」という信は欺瞞的と言えるし、代議制民主主義の市民は公的事案を集団的にともに決定するアテネ市民の権力を奪われ、選挙での1票の行使に止まっているのだ。有権者自らが国家のために理性的な決定を下す代わりに、決定権を行使する有力な代理人に自らの欲望を投影し、投票権を行使する。選挙で有権者は個人として散らばって破片化され、地域に縛られたり、政党に帰依したり、大統領候補の熱烈なファンになる。市民の集団的な意思決定が政治過程から排除されるや、米国の民主主義はロビイストと利益団体が主導する金権政治に変質し、韓国ではもっと悪質な敵対政治が日常化され、国全体が「ヘル朝鮮」になった。

 

2.市民の集団的意思決定が世の中を変える

 

 民主主義の完全な実現を願うなら、市民の集団的意思決定の権限を蘇らせることから始めねばならない。原発を建設しつづけるのか、止めるのかを専門性を口実に原発関係者だけに任せてはならない。それは私たちの暮らしに直結する問題であり、国民全体が参加して決定すべきである。最近、世界的に脚光を浴びている市民参加の討議機構は、豊富な情報を提供されて多様な意見を聴いて討論した後、集団的に意思決定する能動的な政治行為者を輩出している。その結果を見ると、討論する市民の決定は「自然的貴族」の決定よりも合理的で正しいものと信頼できる。

 古代アテネの哲学者アリストテレスは、個々の市民は専門家一人よりも専門性に欠けるかもしれないが、市民多数が集まって知恵を集めれば専門家よりもはるかに優ると考えた。彼の説明によれば、戯曲を見て専門家が書いた批評もいいが、市民100人が書いた100篇の批評を集めたものはもっといいだろう。パーティーでも、料理人1人で作った100種類の食べ物よりも、パーティーの参加者100人が各自作った食べ物をもちよって楽しむ方がもっといいだろう。

 アリストテレスの主張によれば、少数の専門家の専門性より市民の集合知性がより良い結果をもたらすので、専門性を最もよく活用する方法は、専門家の専門性を土台に市民が生活知識と結びつけて判断することである。ある靴屋がいい靴屋かどうかわかるには、靴屋が作った靴を自分ではいてみたらわかる。どういう靴が足に合うか、正確にわかるのは自分だからである[2]

 市民の集団的意思決定は、靴屋の靴を市民が直接はいてみるのと似た方法で実現させねばならない。討議フォーラムに参加した市民が該当イシューについて多様な専門家の意見を聞き、質問し、情報を集め、それを基盤にして討論して決定する。集団的意思決定のために、全国民が一場に集まって討論すべきではなく、多様な討議フォーラムを活用できる。討議民主主義では全国民が一場に集まって討論したのと類似した結果を表す小世界(microcosm)を統計学的に構成し、討議させる。全国民が参加する討論は地域、年齢、性、知識、財産などによって非対称的に形成される反面、小世界は規模が小さく、十分な情報が提供されるので平等かつ自由な討論が可能である。

 討議民主主義の観点が広く受け入れられ、市民の集団的討議によって重要な法律や政策を決定した事例は世界で無数にある。成功した代表例を挙げると、偏見を矯正して集団的に対案づくりに活用できる公論調査(deliberative)、国民に主権を戻す市民議会(Citizens Assembly)、科学技術と関連して認知的な不確実性を内包した問題を扱う合意会議(consensus conference)、市民に予算編成権の一部を付与する参与予算制、都市や自治団体の尖鋭な葛藤が表出する発展計画を樹立する共同体大会(community dialogue)などがある。以下で、民主的代表性として最も卓越した方法である公論調査と市民議会を簡単に考察する。公論調査と市民議会は国会とは異なり、民主的代表性を維持しながら深みのある討論が可能な有望な討議フォーラムである。ここでは特定の階層や利害集団の意見だけではなく市民全体の様々な意見が代弁される。

 

1)公論調査

 公論調査とは、イッシューについて情報不足の応答者から一時的かつ流動的な意見を集める世論調査より深みがあり、理性的かつ安定した意見を把握するために考案された意見調査方式である[3]。調査の過程は層化無作為抽選(stratified random sample)を通じて統計学的に代表性のある市民を選んだ後、イッシューについての情報を十分に提供し、参加者が深みのある討論をした後、参加者の変化した意見を調査して結果を公開する。

 公論調査は一般的に次のような手順で進められる。特定のイッシューに対する一般市民の意思を確認するために第一次世論調査を実施し、その調査結果の意見分布および人口統計学的な特性(地域別、階層別、性別、世代別など)に合わせ、参加者の標本を割り当てて選抜する。例えば原発に関する討論のために、韓国の5000万国民に代わる小世界を501人で構成すれば、まず全国民を対象にして世論調査し、新古里5、6号基の廃止への賛否の意見を問うた後、その結果と同じ比率で抽選によって対象者を選抜する。地域別には、ソウルの人口が韓国全体の20%に該当するのでソウルには 100人の代表を割り当て、全羅北道にはその1/5の20人を割り当てる。性別では、女性が50%を超えるので女性に251人を割り当て、同様に階層別、世代別に同一比率で割り当てる。そうして選ばれた501人の賛否の割合は全国民の賛否率と同一になる。

 次に、参加予定者に賛否双方の主張と根拠を紹介した資料集を提供し、一定期間(約1~2週間)過ぎた後で集める。参加者を無作為に小グループに分け、グループ内で討論して専門家のパネラーとも討論する。討論終了後、討論参加者を対象にして第一次調査と同じアンケートで第二次調査を実施する。この時、参加者が第一次調査の時と異なるものを選ぶ「好みの転換効果」が反映する。この第二次調査の結果を公論と呼ぶが、全国民(住民)がまじめに討論した後に下した結論として統計学的に認められる。

 2001年オーストラリアで「先住民との和解政策」に関する公論調査を実施した。調査の結果、この問題がオーストラリア社会の重要なイッシューであると認識した人は 31%から 60 %に、先住民の不利益を認識した人は 52%から 80%に急増し、先住民問題、政府サービス、政治指導者に関連した知識水準が 11%から 50%に上がった。オーストラリアが先住民の同意なしに占領したという事実を認知した人が 68%から 81%に、先住民が土地と水の原所有者だと認知した人は 73%から 81%に上昇した。公論調査の効果として、先住民に対するオーストラリア白人の偏見が社会的な葛藤を経ずに是正された。

 米国テキサス州では発電所の建設について 1996、1998年に公論調査を実施した。テキサス州の政策決定者は、新しい発電所で原子力、火力、再生エネルギーのうち何を選ぶか、どのように費用を調達するかを決定しなければならなかった。彼らは選択結果が住民に支持されるか確信がもてなかったので、政策決定の参考にするための事前調査として公論調査を実施した。過去の前例通り、フォーカス・グループの意見を反映すれば代表性がなく、タウン・ミーティングをすればロビイストや組織された利益が支配すると憂慮したのである。

 テキサス州は様々な地域で公論調査を8回実施した。公論調査の結果、低費用の発電所を予想した「専門家」の意見とは異なり、市民は天然ガスと再生エネルギー、そして環境保護の結合を好んだ。再生エネルギーのために喜んでより多くの費用を払うという人の比率が52%から84%に、環境保全のためより多くの費用を払うという人の比率も43%から73%に急騰した。テキサス州の事例の核心は、公論調査が大衆の意見変化を導き、税金値上げを回避していた政治家や官僚の政治的負担を軽くし、葛藤を誘発するイッシューの決定過程で民主性・正当性・効率性を確保したのである。その後、テキサス州は再生エネルギー部門に積極的に投資し、カリフォルニア州とともに風力エネルギー発電を先導している。

 

2)選挙法改定のためのブリティッシュ・コロンビア州の市民議会

 市民自らが議題をコントロールし、外部の干渉なしに新しい選挙法を立案したケースもある[4]。カナダのブリティッシュ・コロンビア州議会の議員選挙方式は韓国のような小選挙区単純多数代表制を採用していた。この制度は議席数を得票数に比例して配分できないという固有の欠点がある。カナダの 1996年の選挙で自由党は 42%を得票し、 39%を得票した新民主党を上回った。だが、議席数では新民主党が 75議席中 39議席を占め、「少数得票の政権党」になった。2001年の選挙では自由党が 57%を得票し、議席数は 79議席中77議席を占めて得票率と議席数が著しく異なる、途方もなく「アンバランスな勝利」を収めた。この選挙により、議会内で政権党を牽制する勢力がなくなり、「選ばれた独裁(選挙による独裁)」という非難を受けた。

 議員に選ばれた人は大部分が高等教育を受けた中年の白人男性であり、彼らは一種の特権層をなし、有権者の利害・関心を政策に活かす情熱がなかった。政治制度への市民の不満は高まったが、これを解決すべき議会システムは機能マヒに陥り、漫然たる党派主義が議会を支配した。その結果、民主政権が市民に「よって」運営されるのではなく、逆に市民に「対して」運営され、議会制度自体が深刻な民主的欠陥を露呈させた。選挙制度改革が必要だったが、政治家は腰を上げず、議員と政党の利害関係によって議会が合理的な改革案を作るのは難しかった。

 2004年に歴史的な逆転が起きた。新たに選出された州政府首相が選挙制度の改善のために市民議会を提案し、州政府は層化無作為抽出法により選ばれた市民でブリティッシュ・コロンビア市民議会を構成した。市民議会は州議員を選ぶ選挙法案の作成権限を与えられた。私たちなりに言えば、国会議員選挙に対する選挙法の改正権限を与えられたのだ。この市民議会はカナダ民主主義の歴史に新たなページを開いただけでなく、全世界の市民が民主主義を根本的に再考察する契機を提供した。

 市民議会は 2003年4月、年齢、地域、性別のバランスを保障する層化無作為抽出方式で 79選挙区で各 2人を選んで構成したが、最終的に選ばれた161 人は多彩な職業を含む多文化グループであった。市民議員各自は会議に参加して手当150ドルと交通費・宿泊費を支給された。市民議会が活動した約 1年の期間中、中途脱落者はただ一人で、市民議員の出席率は一貫して95%以上を維持した。市民議会の任務は様々な選挙制度を評価した後、既存の単純多数代表制を維持する決定を下すか、新しい選挙制度を提案することだった。市民議会が新しい選挙制度案を作成すれば、その案を住民投票に回付して最終決定するようにした。

 市民議員は2004年1月から11月まで学習、公聴会、討議など三段階に分けて活動した。最初の学習段階では、2004年1月11日から4月26日まで6回にわたる週末学習を行なった。市民議員は専門家の講義および文献資料などを通じて様々な選挙制度について学習した。第二の公聴会段階は、2004年5月から6月まで行われた。この期間中、市民議員は全50回の公聴会に参加して数千人の市民が提起する意見を聴取し、文献として提出された1603通の意見書を読んだ。市民は公聴会に自由に参加して発言し、メールや郵便で自分の意見を市民議会に送った。各公聴会に少なくとも4人以上の市民議員が参加し、50回の公聴会に延べ約 3000人の市民が参加した。

 第三の討議段階は、9月から11月まで最終的に選択すべき選挙制度を集中的に討議した。1週目に8種類の望ましい選挙基準のうち3種類を選ぶようにしたが、参加者はほぼ例外なく効果的な地域代表性、比例性の原則、有権者の選択権の極大化を選定した。1週目に五つの主要な選挙制度を検討した後、一つずつ除いたが、混合型比例代表制と選好投票制が最後まで残った。混合型比例代表制は政党が得票した比例代表の得票数を基準にし、政党別で総議席数を配分する点で、地域区の当選者を重視する韓国の比例代表制とは大きな違いがある。選好投票制は、投票用紙に記載された全候補者を有権者が好む順序を決めて記載する。当選者の決定方式は、第1順位の人が過半数を獲得できなければ、第1順位の最低得票者の票はその第2順位に記載された他候補に票数に応じて配分する。この配分を繰り返し、最初に過半数に達した候補者が当選する。

 2週目は、除かれずに残った投票制の中から選好投票制について討論した。3週目は、可能な 12種類の混合型比例代表制のモデルを対象にして討議したが、討論するたびに選好投票制の長所がより鮮明になった。比例代表制の場合は比例代表候補者の順位を決める政党幹部の権力が強化されるが、選好投票制は候補者の順位を有権者が決めるため市民中心の制度と判断された。4週目の討論で、選好投票制が1週目に選ばれた3つの主要価値により適合するという点に意見が集約された。市民議員の最終表決の結果、146票対7票で選好投票制が選定され、現行の投票制度を「ブリティッシュ・コロンビア選好移転式の投票制」に変える勧告案を採択した。

 ブリティッシュ・コロンビア州の市民議会は民主主義の新たな道を示した。職業政治家の議会と異なり、市民議会の構成員はお互いに嫌悪感もなく、終始一貫して偏ることなく真摯な姿勢を維持した。市民議会が提示した選挙制度は住民投票で否決されたが、多くの学者は平等な参加手段である抽選で選ばれた普通の市民が討議して選挙制度を決定した点と、市民議員が偏らずに常にまじめに市民の徳性を発揮した点で、市民議会の実験は成功したと評価する。

 市民議会は、選挙で選ばれない市民に重要な公共政策を検討して法律を変えるように提案する権力を与えた最初の事例である。市民議会は政治権力を市民に与えたという側面で、また市民が強力な権限をもって政治制度を作ったという点で全世界の改革勢力の注目を集めた。学界からは歴史的に前例のない民主政度という賛辞を受けた。カナダではプリンス・エドワード島州、ケベック州、ニュー・ブランズウィック州の首相が選挙制度改革のための市民機構の設立を命令し、オンタリオ州は類似した市民議会を構成して選挙制度改革を推進した。米国カリフォルニア州の超党的な非党派層の議員は、2006年全階層の市民が参加して州政府を改革する役割を担当する市民議会を樹立する法案を発議した。オランダは 2006年に選挙改革のためこれと似た市民フォーラムを成立させ、オーストラリアでは共和主義的な憲法改革の一環として市民議会が提案された。

 

3)改憲のためのアイルランドの市民議会

 アイルランドは、2012年12月から 2014年3月までアイルランド憲法会議(The Convention on the Constitution)を運営した[5]。憲法会議は政治家33人と抽選で選ばれた市民66人と議長1人で構成され、議会が定めた7つの議題と自主的に決めた2つの議題を扱った。憲法会議が提案した事案のうち、同性結婚の合法化と大統領に出馬可能な年齢を21歳に下げる案を政府が国民投票に付し、同性結婚の合法化が可決された。

 憲法会議の提案を議会があまり反映しなかったので国民は大いに反発し、2016年総選挙の後、政権党は憲法会議に代わって市民議会を法律で制定した。市民議会は憲法会議とは異なり、政治家を排除して市民だけで構成した。政治家は自らの利害関係によって憲法改定の論議に接近するため、国民の要求を受け入れるのに消極的だったからである。連邦大法院の判事である議長と52人の女性と48人の男性で市民議会を構成し、年齢と性別を考慮した人口統計に従って標本抽出基準をつくった後、面接員が訪問して基準にあう対象者を見つけた。市民議員はいつでも中途で放棄でき、その場合は同じ年齢、性別、地域などの条件をもつ予備人員と交代した。彼らには交通費、宿泊費、食費以外の手当は支給されない。

 市民議会は2016年10月に成立して1年間活動し、堕胎の国民投票、人口の高齢化対策、選挙日の固定問題などを扱ったが、毎月最初の土曜日に1泊2日にわたって全体会議を開催する。2017年2月に開催された第3回会議では、専門家9人の主題発表、発表内容に対する円卓討論、専門家対象の質疑応答を繰り返し、堕胎問題の争点を学習して意見を整理した。テーブル別に会議の進行者と記録者が配置されて市民の討論を助ける。市民議会は、「堕胎テーマ」と関連して医学・法律の専門家、憲法専門家(2名)、産婦人科医師(2名)という5人の常設諮問グループを置いている。イッシューに対する市民議員の理解度を確認するため、会議が始まる時と終わる時、いくつかの質問に対する意見を書くようにしている。

 市民議員の自由な発言と討論を誘導するため、名前と居住地域以外の身上情報を明らかにせず、該当テーマの論議が終結するまでマスコミやSNSを通じた意見表明は禁止される。テーブル別の個別討論を除く全討議はインターネットで生中継され、堕胎問題では一般市民が1万3500件以上の意見を提出した。

 

3.市民の討論が議会の討論に優る

 

 前述した市民の集団的意思決定の過程は、市民の討論が特定政党や政派に偏らずに全国民の観点で公正な決定を導き出すという事実を示した。憲法や選挙法のように国家の根幹と政治体制の構図を決定する重要な法律の改定を論議する際、政治家ではない市民が討論で意思決定するのが重要である。市民議会の討論が国会討論より理性的、合理的な結果をもたらす根拠は次の通りである[6]

 代表制:層化無作為の抽選で選ばれた市民議会は職業、階級、年齢、性、社会的地位から既得権層が代表になりやすい国会とは異なり、統計学的に全国民が圧縮された小世界と同じため、民主的代表制が最も高い代表機構である。

 討議性:国会議員は政党指導部の認定と公薦を受けねばならず、選挙の勝利を優先的な業務と考えるために戦略的に討議する。これとは異なり、市民議会は頭数、お金、地位、階級ではなく「論証の力」、つまり合理的な説得と同意によって意思決定がなされるため、理性的な討議に適する。

 公開性:市民議会の討議は討議過程の全体が透明に公開されるため、特定の利益を擁護できない。討議の中で自分の私的利益を主張しても、それが公的利益に反しない点を説得し、他の人々の同意を得なければならない。この主張に他の人々が同意すれば、その利益は 私的動機から始まっても公的利益に適っているといえる。

 道徳性:代理人の道徳性は特に問題になる。功利主義者のベンサム(J. Bentham)は、あらゆる人の欲望と利己心は差がないので政治家の道徳性をより信頼してはならず、権力をもつ人は権力を利用して自分が願うものを得ようとする誘惑に常に駆られており、彼らを監視するためにより多くの民主主義が必要だと主張した。国会は道徳性を議員個人の良心に任せるが、韓国の国会議員の不道徳な行動形態を見れば、この体制の虚弱さが露呈する。国会の意思決定の大半は公開討論ではなく、政党指導部の妥協に頼るため国会議員は道徳性を守る内的な動機が強くない。その反面、市民議会の公開討論では透明な討議過程が道徳的動機をひき出すという事実と、他の市民議員の同意を得なければならないので不道徳な動機を貫徹するのは難しいという事実が確認された。

 平等性:市民議会の討議は合理的な論証と説得に基づいて結論を下すため、国会が頼る協商、圧力、投票より参加者の権力関係を平等化する。平等な関係で討論するほど脅迫ではない、理性的な勧告と理解に到達しやすい。

 公共性:前述した特性のために市民議会の討議結果は、私的利益ではなく社会全体の公益を盛りこむ公共性を帯びるようになる。市民議員は選挙を行わないので選挙区民や政党に拘束されず、票をやり取りする理由がない。また、政党の党論に拘束されないので討議過程で自分の意見を合理性と専門性、道徳性によって自由に修正できる。その結果、特定個人の利益ではない社会全体の利益を代弁する公共性を備えるようになる。

専門性:市民議会は、多様な専門知識の中で特定の政派や利害集団の利益を代弁するのではなく、社会と国家の利益に最も適した最善の専門性を選択するため、その討議結果は国会の決定より優ることがある。市民会議の討議結果は大衆が専門性に欠けるという憂慮を払拭させるが、その根拠を次のように提示できる。

 第一に、多元化した現代社会で政治的イッシューに関連した専門的な判断は一つだけ存在するのではない。特定イッシューに関連する専門性は、その問題と関連した政党や利益集団の数より多いこともありうる。関連集団は自らの専門的観点から「正しい知識」を提示し、官僚と市民団体、市民個人も自らの専門性を反映した観点を主張する。こうした専門性は「複数」存在するが、その中から正しい意見を称える絶対知識は存在しないため、専門家は意思決定のための討論で各自の意見を最後まで主張し、大概合意には至らない。四大河川事業の妥当性についての討論が代表的である。相反する視角をもつ専門家の討論で合意には至らず、権力を掌握した勢力が自分の好みに合う専門性を貫徹させる。政治的な決定は専門性ではなく、大部分が選挙の得票数によって決定されるので、政治家が掲げる専門性とは、実は「本当の専門性」を排除する口実にすぎないケースが多い。

 第二に、政治家の討論と同じく、専門家だけの討論も道徳性を保障しない。専門家も職業的利害関係のために道徳性に欠けることもあり、公共性の観点で専門知識を活用するという保障もない。反対に、自分らの私的利益を貫徹させるために専門性と情報を活用することもある。歴代政権で数多くの専門家が自らの知識を利用して曲学阿世の徒として政権におもねり、四大河川事業や防衛産業汚職など、多くの事例で専門性を国家と国民の利益ではない私益を充たすために活用した。

 第三に、究極的に政治的意思決定で専門家に依存する方式から抜け出し、専門家の特殊な知識(special knowledge)に普通人の日常的知識(lay  knowledge)を結びつけねばならない。政治的イッシューで専門性と適合性を判断する最善の方法は、それに関する情報を知っている多数の市民が判断することであり、この判断を最も効果的に打ち出せる討議機構が市民議会である。

 

4.これから始めよう

 

 市民議会がいいという理由で立法府、行政府、司法府を廃止する必要はない。有能かつ献身的な代理人で満たすことができれば、彼らを使うのは国家と国民の得になる。しかし、憲法改定や原発問題のように国家が進むべき方向を提示する事案や国民全体がその問題を理解し、討議した後に同意すべき事案ならば、必ず国民全体の意見が反映されるようにすべきである。こうした問題を討議するのに公論調査と市民議会は適切な方法であり、この制度の長所が広く知られれば、今後より多くのイッシューで市民の参加を保障する制度が導入され、活性化されうる。

 現在、最優先で行うべきは新古里第5、6号基の建設問題のように、この間政府と利害関係者が密室で推進してきた事業の功罪を判断するとか、新しい方向を提示しようとする場合、公論調査が有用かつ妥当なだけでなく、専門家の横暴から国民全体の利益を守る方法という事実を共有するのである。原発建設問題に直面した米国のテキサス州で20年前に活用して成功した方法にもかかわらず、その正当性と効用性を疑う人々の主張は合理的でないだけでなく、時代錯誤的という事実を広く知らせる必要がある。

 次に、今国会に提出されている市民議会法案に多くの関心を寄せ、支持を送らねばならない。現在の国会には、国会議員で構成された改憲特別委員会とは別個に、市民団体である抽選民会ネットワークが主導した改憲のための市民議会構成法案が提出されている。この法案が通過されれば、憲法改定で歴史的な一年になるだろう。私たちの憲法は初期に国民発案制を採択し、50万人以上が要求すれば憲法改定案の発議が可能だったが、1969年朴正熙が三選改憲で国民発案権を強奪した。6月抗争30周年の今年、朴正熙政権が強奪した国民発案権を再びかちとる歴史的なターニング・ポイントにすべきである。

 最後に、市民議会を適用しうるより多くの制度と領域について論議すべきである。立法府、行政府、司法府を牽制する最高権力機構である憲法裁判所を市民議会で代替する法案、裁判所と関連しては市民が司法審査の主体になる陪審員裁判を全面的に拡大する法案まで考慮する必要がある。立法府と関連しては、現職国会議員と巨大政党の特権的な権力を保障している選挙法、政党法、国会法を改定するために市民議会を構成する方案、そして国会議員の非倫理的な行為を審査し、解任を決定する権限を市民議会や市民陪審員団に委ねる方案、国会議員の召喚を地域区の投票ではなく市民議会で担当する方案を推進することができる。行政府と関連しては、行政府が推進する政策に対して一定数以上の市民の要求で、市民議会が政策の正当性と妥当性を評価する政策陪審制と、大統領が行政府のトップではなく国家元首として行使する人事権、例えば憲法裁判官と憲法裁判所長候補者の推薦権限を市民議会に与える人事陪審制を考慮することができる。この他にも多くの領域と問題で想像力を発揮し、市民が国家の主人になる実質的な方法を様々な形で模索すべきである。


[1] ユルゲン・ハーバマス(朴ヨンド・韓サンジン訳)『事実性と妥当性』、ナナム、2007年

[2] アリストテレス(李ビョンギル訳)『政治学』、博英社、2006年。

[3] 拙稿「国家政策決定のガバナンスと公論調査」『社会科学研究』第15巻第2号、2007年。

[4] 拙稿「討議民主主義と市民議会:ブリティッシュ・コロンビア州の事例を中心にして」『市民社会とNGO』第8巻第2号、2010年。

[5] 李ジムン・朴ヒョンジ『抽選市民議会』、サム・チャン、2017年を参照。

[6] 呉泫哲・姜デヒョン「教育政策の決定に適合した意思決定モデルの探索:政府主導と利益集団の競争から市民議会モデルへ」『市民教育研究』、第45巻第4号、2013年を参照。