창작과 비평

[特集] 分断の解消なのか、分断体制の克服なのか / 李南周

 

創作と批評 179号(2018年 春)目次

 

李南周(イ·ナンジュ)

聖公会大学教授、政治学。著書として『中国市民社会の形成と特徴』、『変革的中道論』(共著)、『二重課題論』(編著)など。

 

 

南と北に単独の政府が樹立されて分断が現実化してから70年になろうとするが、韓(朝鮮)半島では分断問題を解決する兆しが見えないどころか、軍事的衝突が発生する可能性すらいつになく高まっている。第2次世界大戦後に出現した分断国家が、方式は異なるが、大部分一つの国民国家に合体されるとか、中国―台湾の両岸関係のように人的・経済的交流が活発に行われているのとは明確に対比される。

韓半島の情勢がこのように厳しい中、韓国社会ではキャンドル革命が起こり、社会的大転換への期待が非常に高まっている。それで、韓半島の状況とは関わりなく、韓国は自分の道を進みうるかのように見えもするが、実際はそうではない。この時点で、私たちは韓国で解放的な政治空間が開けるたびに、分断と戦争、クーデター、守旧への後戻りなどが歴史の進展を妨げてきた事実を思い起こす必要がある。キャンドル革命も時代転換へつなげようとするなら、まだ行く道は遠く、その過程は決して韓半島の状況と無関係なはずがない。これは、韓半島の分断が南(大韓民国)と北(朝鮮民主主義人民共和国)という2つの政治実体を分離させるのに止まらず、南と北の社会発展を制約するメカニズムとして作動しているのと関係がある。内戦を経て南と北の内部に相手を極度に敵視する理念的・社会的基礎がつくり出され、双方で既得権を形成した勢力が停戦体制という非常時の状況を活用し、こうした理念的・社会的基礎を強化しつづける中で、このメカニズムが構築された。韓半島分断のまさにこのような特徴を把握し、「分断体制」という概念が登場した。つまり、「分断」とは一つの国民国家を主張する政治共同体が分裂している表面的状態を指すのに対し、「分断体制」とは分裂している個別実体の行為に分断が一定の規則性を付与しつづける体制として作用する状況を指す[1.白楽晴は「分断体制の認識のために」(『創作と批評』1992年秋号)において、分断体制という概念を初めて体系的に説明したことがあり、この分断体制論を時代の変化に合わせて発展させつづけてきた。白楽晴の分断体制論に対する概括的な説明は、拙稿「半国的認識を超えて:分断体制論の形成と発展」『一途だが日々新しく』、創批、2016年を参照。]。こうした分断体制が依然として維持されている以上、分断体制がキャンドル革命の進路にどういう影響を及ぼすのかを検討し、それへの対応策を講じなければならない。

 

1.分断体制とキャンドル革命

朴槿恵の弾劾判決によって早期に実施された大統領選挙の結果、キャンドル革命を継承すると言明した新政権が成立してキャンドル革命は新たな段階へと進展した。隠蔽されてきた様々な積弊が露呈し、これを清算する作業だけでも新政権はかなり高い支持率を得てきた。だが、2018年になって状況は変化している。政策執行の過程で表われた混乱と、ここで生じた論難により支持率が下落したのである。70%以上の支持率はいずれ調整が不可避だったが、支持率下落の速度が早まったことでキャンドル革命を持続させうるエネルギーが急速に弱まる状況へと進むのは防がねばならない。このためには積弊の清算とともに、社会がどういう方向へ進んでいくべきかに関する共感を広げねばならない。

最初に解決すべき課題は、市民参加の制度的保障である。キャンドル革命の以前と以後では違うというなら、日常の生活現場から国家の主要な政策決定に至るまで市民参加が制度的に保障されるべきである。政権交代だけでは決して韓国社会が守旧派支配の秩序から脱却して新しい社会へと転換することはできない。最近、李在鎔三星電子副会長が控訴審で執行猶予の判決を下されて釈放された事件は、韓国社会で行政権力、それも最高権力者の人的交代だけでは解決しがたい問題が多い点を示している。市民の監督と参加が続いてこそ積弊もきちんと清算されうるし、このためには選挙法の改正、地方分権の拡大、憲法の改正などに、こうした志向が反映されるように努めねばならない。政府与党もこうした事案で自らの既得権を減らしてでも改革を完成させるという姿勢で臨んでこそ、キャンドル市民の支持を維持することができる。

ここで考える必要があるまた別の重要な問題は、どの国よりも長年かつ偉大な市民抵抗の歴史を有する韓国社会で、政治的・経済的・社会的制度の作動がなぜ守旧勢力の影響から脱却できないのかに関する省察である。その理由を正確に把握してこそ、市民の主体性を高める改革の方向をきちんと設定できる。市民の政治意識は高レベルに達しているにもかかわらず、他方では制度政治や権力機構内の後向きの行動様式がこれほど長い間生命力を維持しているのは、世界的にみても極めて特異な現象である。しかし、この間政治発展に関連する論議は西欧式の政治モデルを理想的な目標に設定し、韓国の「街頭の政治」については政治的未熟さの根拠程度にみなし、政党の発展を妨げる要因とみる傾向が強かった[2.こうしたアンバランスな並存は、韓国社会では殊の外しばしば見かける。国際的に認められている社会経済的な発展レベルと、「ヘル・朝鮮」という表現が登場するほど低い生活満足度との間隙もそうした事例である。こうした現象が長期的に維持されるのは、ヨーロッパなどのいわゆる先進国の社会モデルを目標とする単線論的な発展観に基づき、非正常性あるいは特定領域に限定した落後性と規定するのは論理的に適切ではなく、実践的な解決案を見つけがたい。こうしたアンバランスな並存自体を研究対象とすべきだが、ここで分断体制という変数を除外するなら、説得力のある説明は不可能である。分断体制論の立場から、分断体制のこうした効果に関するより積極的な研究が必要である。]。実際、こうした主張は2008年狂牛病のキャンドル・デモの際、最も強力に提起されたことがある。これは、当時の韓国がすでに二度の政権交代を経て制度的・手続的な民主主義が定着した段階に達していたという認識から、街頭の政治を非効率的かつ否定的な政治行為とみなしたからである。もちろん、こうした主張を広めた論者も、キャンドル革命におけるデモと政治の関係を過去のように排他的には見ず、その政治的進化を肯定的に評価する[3.朴相勲「キャンドルと政治変化:何が変わったのか、何を変えるべきか」、崔章集他『両手づかみの民主主義』、フマニタス、2017年、261~262頁。これに対して金鍾瞱は、狂牛病反対運動のキャンドル・デモとキャンドル革命期のキャンドル・デモを断絶的に把握する観点の問題点を指摘した。金鍾瞱「キャンドル革命に対するいくつかの断想」『分断体制と87年体制』、創批、2017年、433~434頁。]。

だが、依然として韓国政治でこうした進化の過程がなぜ必要なのかに対する説明は明確ではなく、この点が未来を展望して私たちの課題を明確にする際に混乱を招きうる。これの必要性は、分断体制という変数を導入してこそ、きちんと説明できる。守旧派の既得権に対する抵抗が、街頭の政治または市民抵抗という方式を通じて行われてきたのは、分断体制によって制度空間で守旧勢力のヘゲモニーが強固だったからである。こうした状況で、選挙を通じて執権した朴槿恵政権も「正常」軌道から簡単に離脱することができた。筆者は、当時の状況を「漸進クーデター」と規定し、これが分断体制の作動と深い関係にあると主張したことがある[4.拙稿「守旧派のロール・バック戦略と市民社会の“大転換”企画」『創作と批評』2016年春号、88~91頁。]。キャンドル革命は、この漸進クーデターを市民が立ちあがって防ぎ、時代転換のための政治的空間を生みだした事件である。すなわち、単に朴槿恵という一人物の逸脱ではなく、分断体制に依拠して永久的な執権を画策した勢力を制圧し、守旧派支配の秩序を清算するための新たな転換点を生みだしたという点でキャンドル革命は革命としての意味がある。そして、キャンドル革命がどこまで進展できるかは、韓国社会に対する分断体制の制約をどれだけ弱体化させうるかで決定的な影響を受けざるをえない。

キャンドル革命が新たな段階に入った現時点で、守旧勢力は依然として分断体制の敵対的な相互依存関係を活用することに死活を賭けている[5.自由韓国党の洪準杓代表が、平昌オリンピックを平壌オリンピックと貶めて批判しつづけ、国家的な行事に超党派で協力してきた伝統を否定して、これを無理やり政争に活用したのも分断体制を活用した政治的な動員戦略の一つである。]。キャンドル革命以前に現れていた「非正常性」は分断体制下では「正常性」に近いものであり、これはわが社会に内在している分断体制が続くかぎり、いつでも社会変化に決定的な影響を及ぼしうる。したがって、守旧勢力の政治的影響力を決定的に弱体化させ、市民主体の新たな政治・社会秩序を構築するためには、必ずや分断体制を克服しようとする努力を同時に進めねばならない。

 

2.分断の解消は可能なのか:一国的解決案と両国的解決案への批判

分断体制という概念を用いなくても、分断が韓国社会の発展に桎梏になっているという認識は、最近かなり広がっていると思われる。適度な緊張状態にかなり慣れた市民でも、軍事衝突の可能性が高まった現実を無視するのは難しいだろう。だが、こうした認識が必ずしも分断体制に対する認識へと、より重要な、分断体制を克服すべきだという認識へとつながりはしなかった。むしろ、単純に分断状況が何とか早く解消されればという方向へ考えを進展させるケースが多い。こうした背景から、韓半島の分断問題に対する一国的解決案と両国的解決案が登場する。

伝統的な統一論議は、一国的解決案を前提にしてきたので、この案は新しいものではない。しかし、南北の対立状況を考慮すれば、平和的な方式で一国的解決案を実現させるのは実質上不可能だった。状況は、ソ連および東欧の社会主義圏の崩壊過程で、西ドイツが東ドイツを吸収統一した後に変わり始めた。南北統一を想定する場合、北朝鮮の体制崩壊から始まる吸収統一が最も有力な方案の一つとして登場したのである。最近では、朴槿恵政権の「統一大当たり論」が吸収統一に対する期待を煽ったことがある<[6.2014年の新年記者会見で、朴槿恵当時大統領は記者の質問に答える過程で、「統一は大当たりだ」と語り、その後、統一準備委員会を設置して主要国会議で「統一大当たり論」を説破し、統一ドライブをかけた。李明博政権と朴槿恵政権期の吸収統一的な発想については金錬鉄『70年の対話』、創批、2018年、285~288頁を参照。]。とはいえ、この30年に近い時間は、「北朝鮮崩壊論」が「論」という名称をつけるのも哀れなほど、客観的な現実と乖離した虚構の言説体系であることを立証した。

それでも一国的解決案が語られつづけた理由は、その実現の可能性ではなく、言説自体の効果にある。南と北のどちらで主張されるにせよ、一国的解決案は南北間の緊張を高めざるを得ず、こうした状況が自らの政治的・社会的な既得権を守る上で助けになると考える勢力が極めて大きな影響力をもっているからである。彼らには、南北がある限界ラインを越えないまま、対決構図を維持するのが最も望ましい状況である。こうみれば、一国的解決案は大抵が分断問題の解決より、分断体制の維持と強化により関心がある人々が掲げる主張である。現在、北朝鮮が崩壊の兆しをみせるどころか、核・ミサイル能力を急速に強化したのは、彼らにとっては極めて困惑に値する状況である。彼らが望む方式で分断体制が持続しがたくなっているからである。最近の彼らは、米国に盲目的に追従する以外の対案をまったく提示できずにいる。

この一国論とは異なり、統一は非現実的で問題解決の助けにならないという前提から、南と北がともに正常な国家性を備えた状態で国家対国家の関係へと南北関係を規律ある方式で模索すべきだ、という主張も提起されつづけてきた。韓半島の分断問題に対する両国的解決案といえるが、こうした論理は主に進歩勢力を代弁するという論者が積極的に提起してきた。こうした接近は、統一よりも平和共存をまず追求すべきだという主張と、その具体的な方法として南北関係を国家間の関係として再定立することを提案する。十数年前、崔章集の次の主張が代表的である。

 

南北間の理想的な関係は、いつまでとは予測しがたい長期間にわたる南北の平和共存と経済協力関係が安定的に定着し、北が国際的に、また国内的に南のような自足的な独立した国家たる地位と安定性をもつようになることだと言わざるをえない。「単一民族→分断→統一した国家の復元」という命題は、自動的には成立しえないだろう。「一民族二国家」の次の段階は、完全に開かれているといえる。そして、明らかなのは平和が統一より重要な価値だという事実である[7.崔章集「“解放60年”への一つの解釈:民主主義者のパースペクティブから」、参与社会研究所主催の解放60周年記念シンポジウム「再び大韓民国を問う」(2005年10月21日、国家人権委員会学びの場)。]。

 

「南北の平和共存と経済協力関係が安定的に定着」することは南北関係発展の主要目標の一つだが、「平和が統一より重要な価値」だと当然視する主張は、韓半島で南と北の社会改革を含めた分断体制の克服という過程がなくても平和が実現できるという誤った判断を助長し、韓半島の平和のために解決すべき課題を明確に認識しがたくするという点で問題がある。平和という普遍的な価値を強調する点に異論の余地はないが、韓半島で平和は南北関係をどういう方向に導くかと緊密な関係にあるという事実を見過ごす点に問題がある。最近、金相俊が提起した「両国体制論」は、分断が南と北の正常な発展を制約する体制として作動する点を強調しながら、その解決策として分断体制を両国体制へと転換すべきだと主張し、ここでも相互認定と平和共存が統一より優先的な課題として強調される[8.金サンジュン「韓半島の“両国体制”転換を考えてみよう」、いい国イシュー・ペーパー『懸案と政策』第190号(2017年8月28日)。]。この二つの主張は、ともに平和がより重要という前提から、南北を再統合する過程よりも分離を制度化・合法化する方式が分断問題の解決にはより現実的という類似した結論を導き出す[9.これら2つの主張とは趣を異にするが、市民社会で積極的に提起された「平和国家論」と関連した論議でも、南北関係の再構築とは無関係に韓国だけで平和国家に移行できるという主張は非現実的だという批判が提起されたことがある。柳在建「南の“平和国家”づくりは実現可能な議題なのか」『創批週刊論評』2006年8月22日。]。

だが、南北ともに国家性を獲得し、南北関係を国家対国家の関係へと再定立したら問題が解決できるという主張には、重要な理論的・現実的な盲点がある。

まず、国家間関係が自動的に平和を保障するわけではないという点である。ウェストファリア条約として知られる国民国家間の体制が平和を保障してきたと考えるケースも多い。しかし、この体制を発展させてきたヨーロッパで二度も世界大戦が勃発し、その結果、国家主義を制約する地域統合が重要な理想として登場し、実際に冷戦解体後、地域統合はかなりの進展をみせた。国民国家間の秩序が内部で深刻な葛藤要因を抱えている点は、国際関係理論の主流といえる現実主義が特に強調する部分である。彼らは無政府的な性格を特徴とする国際社会で国家は生存を最も重要な目標とみなし、生存を保障する最も効果的手段は道徳や規範ではなく、軍事力を中心にした力(power)と勢力均衡だと主張する[10.現実主義はウォルツ(Kenneth Waltz)によって体系化されたが、ミアシャイマー(John Mearsheimer)は現実主義の中でも国際社会の無政府主義的性格が、ウォルツが理解したよりはるかに危険な状況であり、それにより防御に必要な適正レベルの力を確保するのに止まらず、相対的な力の極大化を追求する戦略を選ぶようになる点を強調する。ミアシャイマーの現実主義は攻撃的現実主義(offensive realism)と分類される。ジョン・ミアシャイマー『強大国の国際政治の悲劇』、李春根訳、ナナム、2004年、32~36頁。]。だが、こうした接近は安全保障のジレンマと軍備競争を触発しやすいという点で、平和的な秩序とはかなりの距離がある[11.この概念はジャーヴィスによって発展された。Robert Jervis, “Cooperation Under the Security Dilemma," World Politics Vol.30 No.2,1978.1.]。さらに、東北アジアのように大国間の競争が熾烈に展開される状況で、再統合されずに分離している南と北は強大国の政治の犠牲者になりつづける可能性が高い。

もちろん、現在は南北関係が他の国家間の関係よりも敵対的な様相をみせているため、当面相互に体制を認めあうことを基盤に国家間関係へと転換させるだけでも重要な進展である。しかし、分断体制が他の国家間関係に適用できないように、他の国家間関係をそのまま分断体制に適用するのも難しい。つまり、南北関係を国家間関係へと転換させることは決して簡単ではないだけでなく、南と北の内部に不必要かつ消耗な葛藤を触発する可能性が高い。例えば、正常な国家関係の基礎は領土境界線の確定であり、このために当面わが憲法のいわゆる領土条項(憲法第三条「大韓民国の領土は韓半島とその付属諸島とする」)

を改定すべきである。学術的なレベルでは憲法に領土規定を置く必要があるか、置くならどういう方式が適切なのかなどの問題をめぐって討論しうる。だが、現実的には領土規定が憲法に含まれている状況で、これを削除することは特定の領土に対する放棄と受け取られざるを得ず、合意に到達しがたい消耗な論争が続くだろう。今回の改憲論議でこの問題が積極的に提起されなかったのも、こうした憂慮のためである。

これよりもっと重要な問題は、分断体制下で南と北は精神的、制度的、そして物理的領域で相手に脅威になりうる要因を生産しつづけてきたので、南北関係が国家間関係に転換してもそうした脅威が解消されるわけではない点である。南北ともに自己の内部に存在するこうした脅威の要因を取り除き、それが社会に及ぼす影響を決定的に弱体化できなければ平和共存も難しい。南北は1990年国連に同時加盟し、国際的には国家としての法的地位を獲得した。それでも、現在のように葛藤関係が拡大する理由は、南北関係を法的に国家間関係へ転換するのが難しいだけでなく、南北の内部に相互敵対的な関係を再生産する要因が解決されずに、南北関係に否定的な影響を及ぼしつづけているからである。

こうした側面を見逃したため、北朝鮮を国家として認めれば分断から生じる問題は解決されうるという類いの発想が出現する。まるで南北関係の発展と南内部の改革は関係がないような論調を展開する。例えば上記の引用文で、南が「自足的な独立した国家」という前提も、南北間の相互作用をまったく考慮しない認識から生じる主張である。どんな原因であれ、外国軍が駐屯して戦時に作戦統制権をもちえない国家がこの基準に適合するのか考えてみるべき問題だが、もっと現実的な問題は駐韓米軍、米韓連合軍事訓練、米国の戦略兵器などが北朝鮮に軍事的な脅威として受け取られている事実である。この問題を解決せずして平和共存体制は構築しがたい。国家保安法も同じ問題である。北も南に脅威となる核兵器、攻撃的な統一言説とそれに基づく法制度などの問題を解決すべきである。すなわち、相互認定を超えて南と北ともに自己の内部で相手を脅かす要素を取り除く実質的な作業が必要であり、これは南北の分離を制度化する時ではなく、南北の再統合過程、あるいは後述する韓半島式の統一過程が双方で進められる場合にのみ可能である。そして、これをいかなる方式で進めるのかに対する真剣な模索が必要である。一民族が一国家を建設すべきだという当為論に立脚した統一論の非現実性を指摘するのは妥当だが、ここからすぐに南北関係を国家間関係と規定しうると主張するのはあまりの飛躍である。

 

3.一国論と両国論の対立を超えた南北連合:韓半島式の統一過程

実は、一国的解決案と両国的解決案は相互に異なる方向に進むようにみえるが、統一とは二つの政治的単位を一つの体制と価値に統合するものという認識を共有している。双方とも韓半島の分断体制に適用しがたい方案である。では、一体どういう解決案が残っているのか?韓半島の分断は他国とは異なり、分断体制をつくり出したためにこれほど長い間分断を持続させて南北の社会発展を制約し、東北アジア地域で深刻な葛藤を生む要因として作用してきた。分断を解消することで問題を解決しようという、分断体制を迂回する解決案はありえない。結局、分断体制自体を克服すべきであるが、分断体制を克服する道はよく誤解されるように、南北が一つの国民国家に統合するのではなく、そうかといって国家間関係へと転換するのでもない。つまり、統一に対する伝統的方式(一民族一国家論)から脱皮して南北の再統合と統一問題を考えるべきである。

韓半島で統一に対する論議はすでにそうした方向へ進展してきている。にもかかわらず、統一を「一民族一国家」という枠組に閉じこめて考えつづけるのは知的怠慢の発現である。盧泰愚政権以後のわが政府の統一案をみれば、経済・社会共同体の建設を目標とする「南北連合」を統一の過渡段階として設定した。統一国家として民主的な総選挙を経た一民族一国家の建設を想定しているが、これに至る過程に南北がともに国家としての性格を維持しながら協力する段階を導入したのである。北朝鮮は1980年以後連邦政府が外交と国防の権限を保有する高麗連邦制を主張してきたが、1989年文益煥牧師が訪北して発表した「文

益煥─許錟4・2共同声明」で一歩後退した。「双方は食うか食われるかではなく、一方が他方を圧倒したり他方に圧倒されたりしない共存の原則で、連邦制方式で統一するのがわが民族の選択すべき必然かつ合理的な統一方式になり、その具体的な実現方式としては一挙にできることもあり、漸次的にできることもあるという点に見解の一致をみた」という共同声明第4項について、当時の保守メディアは連邦制に合意した部分を強調したが、より重要な内容は統一を実現するのに漸進的過程を経るべきだという点(「漸次的にできることもある」)

に北朝鮮が同意したことである。そして、金日成は1991年新年辞で外交と国防の権限を一定期間地方政府に委任して漸次中央政府に帰属させる段階的連邦制を協議する用意があると言明した。金大中大統領も1991年4月に発表した南北共和国連合制統一案で、以前は「緩やかな連邦段階」と表現したのを「南北連合段階」と命名し、彼の三段階統一案(第一段階として南北連合、第二段階として南と北の地域自治政府で構成された連邦制、第三段階として中央集権あるいは複数の地域自治政府を含む細分化された米国、ドイツ式の連邦制での完全統一)を確立した[12.金ハクチェ「金大中の統一・平和思想」『統一と平和』第9集第2号(2017年)、74~75頁。]。

国際情勢が急変する渦中で、1991年8月南北が国連に同時加盟することにより、双方が相当な自立性をもつ条件で漸進的な統合過程を進めていけるという制度的な条件がつくられた。1991年12月「南北基本合意書」の締結もこの過程で実現した重要な進展だったが、ここでは南北関係を「統一を志向する過程で暫定的に形成される特殊関係」と規定した。こうした進展を背景にして白楽晴は1999年に発表した論文で、「一定期間の準備過程を経た一回性の統一」とは異なる意味で、「“相当期間にわたる持続的な過程としての統一”を考えてみる必要がある」と主張し、こうした統一を盛りこみうる制度的な枠組として国家連合を提示した[13.白楽晴「韓半島の平和統一のための新発想」『韓半島式の統一、現在進行形』、創批、2006年、76~79頁。]。ここで新しい点は、国家連合を統一準備の過程ではなく、それ自体として統一の一形態と見ようという発想である。これは、統一という概念をいつも一国家一体制の統一モデルと関連づける慣習的な思考から脱却しうるようにした点で極めて重要な発想である。今も統一関連の多くの論争が、この点をきちんと認識しないまま進められている。国家連合を第一段階の統一とすれば、その次に統一まで何段階あるのか、最終的な形態はどうなのかなどの問題をオープンに考えられ、これを当面の主要な論議対象とする必要はない。

2000年「6・15共同宣言」は第2項に、「南側の連合制案と北側の低い段階の連邦制案に共通性があると認め、今後その方向で統一を志向していくことにした」という内容を盛り込んだ。当時会談の過程で金正日は連邦制という表現に固執しつづけたが、彼も自らが主張する低い段階の連邦制を過去の北朝鮮が掲げた高麗連邦制とは異なり、「南側が主張する連合制のように軍事権と外交権は南北両政府がそれぞれ保有し、漸進的に推進しようという概念」と説明した[14.林東源『ピース・メーカー』改訂増補版、創批、2015年、84頁。]。つまり、この合意は南と北が国家連合のような段階を統一の第一次目標として設定し、統一を漸進的かつ段階的に推進しようと合意したことを意味する。

ところで、6・15共同宣言の発表後に進められた南北の協力では、この合意内容は積極的に反映されなかった。南では統一を掲げることが不必要な理念的な論争を招くことを憂慮し、機能的な協力に力を注ぐ方式で南北関係を管理するのに重きを置いた。すなわち、南側は「過程としての統一」を強調したが、南北連合自体が新たな統一方式になりうるという点に積極的な意味を付与しなかった[15.例えば、金大中大統領は金正日委員長との会談の際、「私たちが主張する “南北連合”とは統一の形態ではなく、統一以前の段階で南北の両政権が統一を志向し、互いに協力するための制度的装置を言います」と説明したことがある(同上書、83頁)。]。こうした接近は、当時の政権がいわゆるばらまき問題に強力に対応できにくくさせた要因の一つである。新たな南北関係の構築という目標が不明確な状態で進められる経済協力は、北朝鮮への援助と映りやすかったのである。一方、北側は北側なりに表面的には統一言説に積極的なようにみえたが、実際は統一自体が自らに有利な方向で進展するという保障がないため、南北再統合の方式に対して真剣に悩んで考えるより、南北関係の転換を自主化という方向へ引き込もうとする意志が強かった。換言すれば、南北当局は当時新しい統一方式を真剣に悩んで考え、その実現方法を見つけようとするよりは自分に有利な議題を選択して印象づけたのである。これに対し、白楽晴は2006年に発表した論文で、経済協力および社会・文化的交流を活性化に関連する内容を含んだ6・15共同宣言の「第4項にのみ重きを置いて彼ら(南側の当局や一部の民間運動)が当初から好んできた機能主義的な接近に没頭しようとする傾向」と、第1項の「わが民族同士」という原則を掲げる(北側の)傾向がせめぎ合う中、最も核心的と思われる第2項の実践が疎かにされていると一針を加えている[16.白楽晴「韓半島の市民参加型の統一とグローバルな韓民族ネットワーク」『どこが中道で、どうして変革なのか』、創批、2009年、105~106頁。]。

ともあれ、南と北は短期間内に伝統的な方式の統一を実現することは不可能であり、漸進的かつ段階的に進行する統一を追求することで、国家連合が第一段階の統一の目標という点に合意した状態である。これは、単に国家間関係を定立すればできるものではなく、双方が連合すべきという問題である。連合が必要な理由は、各自の体制が相手に脅威と認識されないようにする方式について合意し、その合意を実践していく過程なしには南北関係の安定と南北協力の持続的な推進が不可能だからである。この過程は韓半島で南と北の分離を制度化・合理化するのではなく、協力と統合のレベルを漸進的に高めていく方向になるべきである。

例えば、南北間の経済的格差を少なくとも体制に対する脅威にならないレベルに縮小し、相互信頼を深める措置を取るべきである。南北協力が再開されても当分の間、人的交流は一般的な国家間関係のレベルまで進めがたいために、南北の民間交流の空間を漸進的に拡大する作業が必要である。そうして、体制の安全に対する北朝鮮の憂慮は解消され、南北協力と統合のレベルがある程度高まった状況─―首脳会談、総理級・閣僚級会談が定期的に行なわれ、経済交流と民間交流が活性化して安定化する状況――で、南北が「南北連合」を宣言することで第一段階の統一へと進みうる。こうした流れが形成されてこそ、統一過程で民間または市民社会が積極的な役割を果たしうる空間がつくられる。白楽晴はこれを「韓半島式の統一過程」と命名したが、これは南北統一に関連する論議および実践の進展を反映して提出された概念である[17.韓半島式統一という概念に対する説明は、白楽晴「北の核実験以後:南北関係の“第3当事者”としての南の民間社会の役割」『どこが中道で、どうして変革なのか』、創批、2009年、123~126頁、白楽晴「2013年体制と包容政策」『2013年体制づくり』、創批、2012年、168~175頁を参照。]。今までこれがまともに実践されない最も重要な原因は、実践に特別な困難があるとか、方案自体に問題があるからではない。敵対的な関係を対話・協力する関係へと転換することが自らの利益に否定的な影響を及ぼすと憂慮する勢力の反発が続いてきたからである。だから、こうした抵抗は別に問題がないかのように度外視したまま、南北関係を国家間関係へと転換すれば平和共存が実現できると主張するのはあまりにナイーブな発想である。結局、南北関係の転換は分断体制を克服すること、つまり分断体制下で既得権を維持する勢力の力を決定的に弱める作業を通じてこそ可能である。

南北連合を通じて進められる韓半島式の統一は、政治共同体の新たな可能性を開きうるという点で、現実の困難と妥協する類いの消極的な目標ではない。まず、韓半島内では前述したように、南北連合の進展が南と北それぞれ内部の政治的・社会的変化を促進する。また、東アジア地域レベルでみれば、国家性を中心に思考することが域内の問題を複雑にする原因の一つであり、韓半島式の統一は韓半島レベルで国民国家の中心性が緩和される政治共同体を創出することで、東アジア秩序の再編に重要な参照事例を提供する[18.これに関する詳細な論議は、白永瑞「東アジア論と近代適応・近代克服の二重課題」、拙編書『二重課題論』、創批、2009年を参照。]。最後に、韓半島で進行する漸進的・段階的な再統合は、冷戦の遺産を清算して強大国政治のエネルギーを弱め、東アジアで多者主義的な秩序の形成を促進し、グローバル・ガバナンスをより平等な方式でつくりだす契機を提供しうるという点で世界史的な意味を合わせもつ。

 

4.分断体制の変遷と克服の可能性

南北連合は一国的解決案や両国的解決案より現実的かつ望ましい方案ではあるが、これまた簡単な作業ではない。特に北朝鮮が核・ミサイル能力を飛躍的に向上させた状況ではさらに難しい。その過程で相互に軍事的脅威が増大しただけに、果たして南北連合という目標が現実的なのかという疑問が提起される。しかし、分断体制の転換が不可避な重大なヤマ場に直面した現時点で、南北連合の課題は緊急に要求され、これを実現させうる契機も出現している。

分断体制はその成立以来、いくつかの段階の変化を経てきた。最大の変化は1987年6月民主抗争が韓国社会内部の分断体制の既得権構造に亀裂を生じさせて出現したのである。その後紆余曲折は多かったが、韓国内の市民抗争は分断体制の既得権構造を揺さぶり続けて弱体化させた。6月抗争直後にソ連と東欧の社会主義圏が解体したのも分断体制の土台に大きな衝撃をもたらした。特に、北朝鮮は経済的に大きな困難に直面しただけでなく、自らの安全保障についても大いに懸念された。これにより強固に見えた分断体制が揺れ始め、分断体制の動揺期と呼びうる段階が今日まで続いている。しかし、この段階は次のような二つの小時期に分けられる。

第一の小時期は、南北ともに国際状況が急変する中で、それぞれ自らに有利な方向へ韓半島の新秩序の構築を模索したことで始まり、主要な行為者間の利害関係が異なるという点があらわれ、特に北朝鮮崩壊論が広がって米国と韓国政府が北との対話に消極的になり、特別な突破口をつくれずに対話が事実上、中断するまでの過程である。

第二の小時期は、流動的かつ不確実な状況でも韓国内部で分断体制の克服を追求する力量が拡大し、北朝鮮でも体制持続の可能性を高めるために韓国との協力に関心をもちながら、南北関係に新たな突破口がつくられ始めた。2000年6・15南北首脳会談が重要な転換点だったし、これを契機にして動揺する分断体制を新たな協力的な秩序へと転換するための努力が始められた。しかし、米国にブッシュ政権が成立した後、米朝関係が再び悪化してこの作業は順調に進められなかった。特に米国が中東でいわゆるレジーム・チェンジ(regime change)を推進したことは、米朝間の信頼の基礎をより弱体化させた。さらに、2005年

六者協議9・19共同声明の合意事項がBDA(バンコ・デルタ・アジア銀行)の北朝鮮口座の凍結を契機に履行できなくなり、結局、北朝鮮は2006年に最初の核実験を敢行した。2007年六者協議2・13合意により、北朝鮮の非核化と米朝の国交樹立を目標にして「行動対行動の原則」による作業が始められ、新たな突破口がつくられたように見えたが、米朝間に核問題をめぐって立場の違いが大きくなり、この過程もすぐに中断して長い膠着期に入った。この時期、北朝鮮は自らの安全保障のために核保有が必要であるという立場を固めていった。2009年から、非核化の代価は過去のように米朝の国交樹立にはなりえないという点を表明しはじめ、その後は核保有国として核軍縮交渉に参加しようという立場を経て、核―経済並進路線を主張するに至った[19.この過程については、李貞澈「米国のリバランス政策と北朝鮮の修正主義」『ユーラシア研究』第10巻第4号(2013年12月)を参照。]。米国は、時間は自分らに有利だという判断に基づき、事実上北核問題を放棄した。いわゆる「戦略的忍耐」を掲げたが、戦略はなく忍耐しかなかったのである。韓国の保守政権も、北朝鮮と米国を対話に引き込もうとする努力を中断し、北朝鮮に対する圧迫を通じて国内の政治基盤を堅固に固める点にのみ関心を寄せた。

だが、北朝鮮が核・ミサイル能力を予想以上に早く進展させ、それによって米国に対する脅威が現実化し、分断体制内に新たなダイナミズムが生まれているのが現状況である。南北の軍事的な対決が高まり、南北の両政権がそれぞれこうした状況を統治の正当性を強化するのに積極的に活用する様相が出現し、表面的には冷戦期の分断体制へと回帰するかのように見えもする。だが、分断体制は再度の安定期へと戻るのは難しい。現在、北朝鮮は自らに制裁が加えられる現状を維持しようとするのではなく、自らの生存を保障しうる新たな関係の構築を目標にして「核とミサイル」カードを使っているからである。北朝鮮が米国の領土を核ミサイルで攻撃しうる能力を備えたことで、米国も韓半島における適度な軍事的緊張と対決状況を楽しんでばかりはいられなくなり、どういう方式であれ、問題解決に向かわざるを得なくなった。

つまり、分断体制の不安定性が高まりつづけ、甚だしくは災難となる軍事的な衝突が発生する可能性さえ出現した状況で、分断体制の克服のためのより積極的な努力が必要である。カントは危険に対する恐怖に平和の可能性を求めたことがあるが[20.エマニュエル・カント『永遠平和のために』、李ハング訳、西光社、1992年、35~36頁。]、少なくとも論理的レベルでは危機の出現が問題解決の転機になりうる。現在、韓半島の状況が悪化しながら真剣な対話が必要であるという主張が積極的に提起されるのも、やはり破局的な状況には耐えがたいという認識から生じた変化である[21.代表例として、米国のティラーソン国務長官は繰り返して北朝鮮との対話を通じた問題解決を主張している。その他、『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニストのニコラス・クリストフが2017年10月平壌訪問後に寄稿した文章で、北朝鮮との交渉を通じた問題解決を主張したのも注目に値する。 Nicholas Kristof, “Inside North Korea, and Feeling the Drums of War,” The New York Times 2017.10.5.]。そして、対話を通じた解決の努力が始められれば、非現実的に思われた南北の漸進的な再統合の空間が急に私たちの前に開かれる。分断体制の克服へとつながる第三の小時期が始まるはずである。

もちろん、当面重要なのはこうした可能性をどのように現実化するかにある。北朝鮮の核能力が高度化した状況で、韓半島の非核化プロセスの経路をどのように再設定するのか、どのような方式で米国がこうしたプロセスに参加するように仕向けるのか、そしてどのように国内のコンセンサスを形成するのか、いずれも簡単な問題ではない[22.これに関する詳細な論議は、今号特集の金東瞱論文「北核問題の過去、現在、そして未来」を参照。]。こうした質問に対して分断体制論から得られる知恵は、南北双方に利益となる協力方式を見つけることに問題解決のカギがあるという点である。

政府は弥縫策に恋々としてはダメで、分断体制の克服という目標を設定し、南北連合を中心とする具体的な実践戦略を樹立し、そしてこれを実行しようとする確固たる意志をもたねばならない。与党の「ともに民主党」は2016年総選挙と2017年大統領選挙で、安保イシューが選挙に不利に作用することを憂慮し、できればこれを争点化しない戦略を追求したせいで、この間に状況がどれほど悪化し、その責任がどこにあるのかを明確に把握せずに対応策を強力に推進しなかった。新政権の成立後、状況は改善されるだろうと漠然と期待したが、北朝鮮は期待通りには動かず、核ミサイル・プログラムを進めつづけたため、南北関係は相変わらず否定的な方向に動いてきた。だが、2017年後半期から混乱を整理する作業が次第に進められ、2018年になって平昌冬季オリンピックに北朝鮮が参加するのを契機に、南北の高官級対話が始まって成果を重ねた。こうした時期であるほど、短期的な成果に満足するのではなく、中・長期的目標を明確にして南北関係の転換に力を注ぎ、これに向けて国民の同意を得る作業を並行すべきである。そうしてこそ、キャンドル革命の完成を鮮明にした新政権の志向が完全に実現されうる。キャンドル市民も自ら分断体制の克服を重要な課題とみなし、政府がこうした方向へ進むように積極的に牽引すべきである。

 

情勢の変化を考察すれば、2018年は分断体制の歴史で最も重要な転換点になる可能性が高い。現状況に対し、対決構造が強化された時期の時代感覚で対処してはならない。南北関係が悪化したこの十余年間、韓国内では反北意識が高められ、南北の協力関係がもたらし得る肯定的な効果に対する期待が低下したのはある程度不可避だった。しかし、南北関係の転換が本格化すれば、それが韓半島と東北アジアにもたらす肯定的な効果は極めて大きく、そうした展望が開かれる場合、市民の認識も大きく変わるだろう。分断体制に重大な転換点が到来している今こそ、当面の困難に屈服して現実を回避するのではなく、分断体制の克服という方向を鮮明にして韓半島の大転換を思い描かねばならない。

 

 

訳者コメント:本稿が指摘する「分断解消」論と「分断体制の克服」論との違いは極めて重要で、今後の南北関係の進展にも大きな影響を及ぼす。だが、日本では「分断解消」論一色で、残念ながら、「分断体制の克服」論の独自性や現実性はほとんど検討も、理解もされていない。

 

 

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