창작과 비평

[特集] 北核〔北朝鮮核問題〕の過去、現在、そして未来 / 金東葉

 

創作と批評 179号(2018年 春)目次

 

金東葉(キ厶·ドンヨプ)

慶南大極東問題研究所教授、北韓研究学会理事。主要論文に「サード韓半島配備の軍事的効用性と韓半島の未来」「韓米合同軍事訓練と北韓の認識」 donavyk@gmail.com

 

 

1.北朝鮮の核開発――狂った、悪い、合理的な

 北朝鮮は金正恩政権になってからだけで4次、計6本の核実験を実施した。とくに2016年から2017年にかけて3次の核実験とともに行われたミサイル発射実験は数十回に達する。結局、2017年11月29日に大陸間弾道ミサイル(ICBM)の「火星15型」を発射した直後、「核武装の完成」を宣言した。北朝鮮の核関連の歩みはとどまることがないように見える。

 北朝鮮が核実験をしたりミサイルを発射したりすると、人々が集まる大型モニターのある公共の場所で最も容易に耳にすることができる単語が「狂った/狂っている(mad)」である。北朝鮮の核・ミサイル実験を狂った行動のようだと受け止めるのである。市民が無意識に口にする言葉に深刻な意味を付与するわけではないが、北朝鮮の行動を予測不可能で非正常であると考えるのは、多くの専門家も同様である。

 狂った人は殺人をしても監獄に送られない。法的な制裁の代わりに医学的な措置を施される。北朝鮮の核実験やミサイル発射を狂った行動だと思うのなら、結局、制裁では解決できない問題になってしまう。重要なのは、狂った人の行動には理由がなく予測することもできないという点である。したがって対応ができなくなってしまう。

 北朝鮮の核開発が狂った仕業ではないとしても、私たちの立場から間違った行動だと考えることは至極正常であるだろう。しかし、前科のある犯罪者といっても、その人のあらゆる行動が悪いわけではない。北朝鮮の核実験とミサイル発射が悪意にもとづいていると当然視することは、狂った行動に対する見方とそれほど違わない。いかなる行動であれ、すでに悪いと断定した状況では真の意図を知ろうとする意志など生まれるはずがない。どうあれ、これまで、北朝鮮を気が触れたとか、悪党呼ばわりすることで、北朝鮮の核開発を予測できず、適切な対応もできなかったのかもしれない[1.北朝鮮を見る多様なパラダイムの特性と問題点を分析した論考としてHazel Smith, “Bad, Mad, Sad or Rational Actor?: Why the ‘Securitization’ Paradigm Makes for Poor Policy Analysis of North Korea,” International Affairs Vol. 76, No. 3 (2000.7)を参照。]。

 北朝鮮が核兵器を開発しはじめて今まで来たことは、気が触れたとか悪党だからではない。むしろ至極正常な合理的行為者であるがゆえに可能だったのである。北朝鮮を合理的だと評価することには異見も多い。たとえば、どうしたら北朝鮮を、とくに核兵器を開発することを合理的だといえるのか、という批判である。しかしこれは合理的なことは善で非合理的なことは悪であるという偏見に起因する誤解である。合理的選択とは得失を考えて論理的かつ計画的に行動することをいうのであって、善悪の問題として考えることではない。

 善悪の区分ではなかったとしても、多くの人が北朝鮮はいつも非合理的な選択をしているという。核実験とミサイル発射による対北制裁によって北朝鮮経済はより厳しい状況にならざるをえなかったうえに、実験費用を食糧購入に充てれば北朝鮮住民の飢えを少しでも解消できるのだから、間違った選択であるというわけである。しかし、北朝鮮も核・ミサイル実験による追加制裁くらいは十分に予想していただろう。また、核・ミサイル実験にお金が必要なのは事実であるが、私たちが希望するほどに対北制裁の効果が絶大だったわけでもなく、大きな実験費が掛かっていたわけでもないようである。対北制裁の効果や実験費用の誇張はさておき、私たちは北朝鮮が失ったもののみを強調する。むしろ北朝鮮が得るものが北朝鮮の意図であり目的に近いであろうにもかかわらず、そこから目を背けているのではないだろうか。

 合理的であることとは、選択をつうじて得るものと失うものの関数である。利得と判断されれば選択し、損害と考えられれば放棄する。しかしこうした選択が必ずしも予測したとおりの結果につながるわけではない。考慮すべきあらゆる変数と変化可能性を考慮したうえで完璧に合理的な選択をするなど、事実上、不可能である。相手がいる場合、もたらされる結果はさらに予測困難である。相手の対応戦略によっては意図したことと全く別の方向に進むこともありうる。

 とはいえ北朝鮮の核・ミサイル開発もまた徹底して計算された合理的選択であることは明らかである。核開発の意図に対する私たちの過小評価と無視のせいなのか、あるいは緻密な引き延ばし戦略のせいなのか、北朝鮮の核能力は潜在的領域から実在の領域へと拡散した。北朝鮮が非合理的であるという一部の主張とは違って、むしろ今までの状況に限っていえば、北朝鮮の選択は間違っていなかったようである[2.北朝鮮の第5次核実験後、「北朝鮮は狂っているどころか至極合理的」とした『ニューヨークタイムズ』の記事参考。“North Korea, Far from Crazy, Is All Too Rational,” The New York Times 2016.9.10.]。北朝鮮核問題に対するアプローチは、北朝鮮の核開発の意図と目標を正しく判断し理解することから出発せねばならない。

 

2.北朝鮮核問題に対する認識:必死の核、絶望の核

 北朝鮮がいつ、いかなる理由で核開発を始めたのかは、これまでそれほど明らかではなかった。朝鮮戦争の時期から北朝鮮はアメリカの核の脅威に悩まされてきた[3.1951年、マッカーサーはトルーマン大統領に核爆弾の使用を承認してくれるよう要請し、1953年初めにアイゼンハワー大統領も核爆弾の使用を考慮した。ドン・オーバードーファー『二つの韓国』イ・ジョンギル、ヤン・ウンミ訳、キルサン、2014年、382ページ。〔日本語訳書は『二つのコリア――国際政治の中の朝鮮半島』共同通信社〕]。北朝鮮はソ連と1956年に「核エネルギーの平和利用協力協定」を締結し、核技術研究の人材を派遣した。以降、核物理研究のための研究機関を設立し、1960年代にはソ連から実験用原子炉の支援を受けて運用した。これが北朝鮮の核開発の始まりだと思われる。しかしこれだけでは初めから核兵器開発を念頭に置いていたと断定できない。

 今まで北朝鮮の核開発の意図と目的は多様な仕方で分類され、評価されてきた。一般的に、軍事的抑止の次元、外交的交渉戦略の次元、内部体制的次元などに分類できる。軍事的抑止の次元はアメリカや韓国など、外部の安保脅威を遮断して抑止するためのものである。核兵器を保有することによって相手が感じることになる、耐え難い被害に対する憂慮と心理的恐怖を利用した核抑止戦略を基盤にしている。外交的交渉戦略の次元は、アメリカとの包括的妥結手段として活用しようという意図である。内部体制的次元は、北朝鮮住民に誇りを与え、体制結束を強化して政権の安定を図るためのものである。このように北朝鮮の核開発プロセスを見ると、その意図を一つに特徴づけるのは難しい。初期には対外安保要因が核開発の動機として作用していたが、次第に南北朝鮮の経済力格差と戦略不均衡が広がったことで対南軍事要因が追加された。1990年代の社会主義崩壊以降は体制維持のための必要性とともにアメリカをはじめとする国際社会との交渉力を強化することなど、複合的意図のもとで核開発が推進されたと評価できる。

 北朝鮮が核を開発する根本的な意図と最終目標が「政権の生存」とともに国際社会に「正常国家」として受け入れられるためであるという点に異見はない。しかし北朝鮮が、変化する国際関係のダイナミズムのなかで核を利用して誰にどのように政権の生存を保障されたいのかによって、北朝鮮の核ゲームのルールは変化してきた。アメリカや中国ではなく北朝鮮の主導ですでに二度の「北核ゲームチェンジ」がなされており、現在は三度目のゲームが進行中である。

 最初の北朝鮮の核ゲームは、第一次北朝鮮核危機が発生した1993年と1994年のジュネーブ合意から2003年の六者会談以前までの期間である。東欧圏の崩壊とともにソ連と中国からも安全保障を受けることのできなかった状態で、北朝鮮は核をつうじてアメリカと二者間ゲームを進めた。二度目の北朝鮮の核ゲームは六者会談の期間で、中国を含む多国間の枠組みのなかでもアメリカをつうじて生存を模索する北朝鮮・アメリカ・中国間の不均衡ゲームだった。この時期、北朝鮮は中国の重要性を認識してアメリカと中国の間で綱渡りの可能性を注意深く模索した。

 2008年に金正日が病に倒れてから現在まで進められている三度目の北朝鮮核ゲームは、一言で、米中関係において核を握り締めつつ、独自の道を歩もうとするものである。2009年に米中戦略経済対話として始まりを知らせた、G2に代弁される米中関係など、周辺安保環境の変化に適応するために核を体制生存のための手段ではなく目的それ自体として認識し、核の開発および保有に対する戦略変化を期したと見られる。交渉用と保有用の二重性を帯びた核開発について、かつてはアメリカから生存を保障されるための交渉用に重きを置いていたが、今や保有用へと重点を移したのである。一面、もはやアメリカではなく中国に頼っていこうとしていたかのようであるが、中国に完全に便乗するわけでもなく、核と米中関係を利用して自身の体制保障を確保しようとする試みである。そうして出てきたのがまさに「経済建設と核戦力建設の併進路線」である。

 一部では北朝鮮が核兵器を開発することが朝鮮半島での戦争勃発時にアメリカの介入を遮断して赤化統一を達成するための攻撃武器として使用するためであるとの主張もなされている。北朝鮮の対南戦略の基調は不変で、対南赤化統一という目的を達成するために、軍事挑発をおこない核ミサイルも開発しているということである。北朝鮮がまず核兵器から使用した後に南進しうるという主張や、北朝鮮が今は不安で経済的に弱いが、再び力をつければ対南赤化の本性を見せるであろうという主張などがこれに該当する、これらの主張は論理的推論というより「悪党論」に基づいている。核兵器が実際に使用可能なのかについての議論はさておき、北朝鮮が本当にまず核兵器を使用してから南進するというのは不可能である。朝鮮半島で核兵器が使用されれば、南北双方が敗者になるほかない。

 いかなるケースであれ、北朝鮮が核兵器を使用するのであれば、北朝鮮は地図上から消えてしまうことになるだろう。北朝鮮が核を開発した究極的な目標が生存であるなら、死ぬために核を使用するのは矛盾でしかない。したがって、多くの人は、北朝鮮は核兵器を絶対に使用できないという。しかし使用する可能性もある。死に直面した状況であれば、生きるためには核兵器も使用するであろう。

 次のような話を例に挙げてみよう。事業に失敗して道に座り込んでいる人がいる。信用不良者にお金もなく、持っているものといえばポケットに入ったナイフが一本だけ。何日か何も口にしておらず、今にも野垂れ死にそうである。周りを見回すと、セキュリティのかなりしっかりした家が一軒あるだけで、別の家までは一日歩かねばならない状況である。迷ったが家の呼び鈴を押すと、すぐに体格の良い主人が門扉を開けて出てきた。待っていたとばかりにポケットからナイフを取り出して主人に突きつけて、「食い物を出せ」と脅す。

 もし家の主人が突きつけられたナイフだけを見て驚き、自分の家を奪われでもしたらとおびえて門を閉めてしまったら、ナイフを手にした人はもう死ぬしかなくなる。死に追いやられた人はその家の前で自殺しようとするかもしれないし、ナイフを持って塀を乗り越えてくるかもしれない。自殺騒ぎが起きれば家の主人も平安に暮らすことはできない。法的な責任はなくとも、道徳的に批判されるかもしれない。その者が思い立って塀を乗り越えて家の中に入ってくるなら、持っていたナイフで何をしでかすかはわからないことである。同じナイフにもかかわらず、最初に家の主人を脅したナイフは必死のナイフであり、絶体絶命のナイフであった。しかしその後には絶望のナイフであり自暴自棄のナイフと化すのである[4.この状況はトーマス・シェリング(Thomas Schelling)のゲーム理論を変形した。トーマス・シェリング『葛藤の戦略』イ・ギョンナム、ナム・ヨンスク訳、韓国経済新聞、2013、44ページ。〔日本語訳書は『紛争の戦略―ゲーム理論のエッセンス』勁草書房〕]。

したがって北朝鮮が核を絶対に使用できないと断言するのは間違いである。北朝鮮が核兵器を使用するのかしないのかではなく、私たちが北朝鮮に核を使用させるのかどうかの問題でありうる。北朝鮮にとって核が必死の核となるのか、絶望の核となるのかは、私たちが北朝鮮の行動をどのように理解し認識するのかにかかっている。呼び鈴を押した人が家の主人と面識のない他人であったとしても、簡単にやり過ごせることではないだろうに、もしそれが兄弟だったとしたらどうか、考えてみよう。北朝鮮の核は、今はまだ必死に生きようとする者が手にしたナイフのようだ。北朝鮮は窮下必危、すなわち切羽詰って猫に噛ませることのできる状況に追い込んで、絶望の核へと導いてはだめである。北朝鮮核問題の解決のための機会の窓は、まだ開いている。

 

3.ギブアンドテイク――北朝鮮核脅威と北朝鮮の安保憂慮

北朝鮮が核兵器の完成を宣言したとあっては、凍結を入り口にした非核化という二段階論だけで北朝鮮核問題を解決することは不可能であり、非核化と平和体制の交換は非現実的である。すでに1994年のジュネーブ合意において凍結を経験しており、2005年9・19共同声明と2007年2・13および10・3合意をつうじて閉鎖/封印、不能化というもう少し細部にわたる段階的なアプローチを進めたことがある。そして当時「非核化のための平和体制の構想」でいうところの非核化は、北朝鮮が核を持つ以前の話であるという点で、今や非核化と平和体制が等価なのかについても考える必要がある。北朝鮮核問題を解決するためには「等価」や「順次」よりも互いの水準に合う「交換」がなされねばならない。一方的にどちらか片方にのみ要求してもだめであるが、等価交換というやり方に固執してもだめである。北朝鮮の核をつうじて私たちが受けている脅威を除去しようとするなら、反対に、北朝鮮が受けている脅威もともに除去されねばならない。北朝鮮の核開発は経済的に弱く、国際的に孤立した状況からくる合理的安保憂慮(reasonable security concerns)の結果だからである。[5.2009年7月、第一次米中戦略および経済対話で、王光亞外交部中国常務部部長(当時)が北朝鮮核問題の解決のために「合理的な安保憂慮」を提起して「朝米直接対話」をアメリカに促した。“China urges U.S. to accommodate DPRK’s ‘reasonable security concerns’,” Xinhua 2009.7.29.]

現在、北朝鮮が持っている核能力と脅威の程度がどれほどなのか、正確に語ることはできない。これを見定めるためには私たちが受けている北朝鮮の核の脅威を過去(すでに作り置かれた核弾頭)、現在(核施設)、未来(核実験とミサイル発射など)に分ける必要がある。

一般的には、国家の核戦力の水準は、当該国がいくつの核弾頭を保有しているのかを基準に評価される[6.2017年7月、スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の報告書によれば、核弾頭数がもっとも多い国家はロシアで約7000個であった。続いてアメリカが6800個、フランス300個、中国270個、イギリス215個、パキスタン130~40個、インド120~30個、イスラエル80個で、北朝鮮は10~20個ほどと推定される。]。核弾頭の保有数は核物質をどれくらい持っているのかによって決まる。核爆発を起こす物質はプルトニウム(Pu-239 93%)と高濃縮ウラン(HEU, U-235 90%)の二種類だけである。しかしプルトニウムは自然界には存在しない。ウランは燃料で、原子炉を動かしてようやく得ることができる。自然界から採取されたウランもまたU-235の比率がたったの0.7%(U-238 は99.3%)しかなく、そのままでは核分裂は不可能で、核弾頭の材料として使用できない。いわゆる濃縮という過程を経てU-235の比率を90%以上に上げねばならないのだが、このために通常利用するのがまさに遠心分離機である。

国防部は北朝鮮が約50㎏のプルトニウムを保有しており、高濃縮ウランプログラムの開発もかなりの水準に達したと評価している[7.『2016国防白書』国防部、2016、27ページ。]。一つの核弾頭を作るのにプルトニウムが4~6kg必要であるため、10個あまりの核弾頭を作ることのできる量である。北朝鮮が高濃縮ウランをどれほど保有しているのか明らかではないという点で、北朝鮮が保有可能な核弾頭の数を断定することは困難である。しかし、持っているすべての核物質を核弾頭に使ったのではないとしても、すでに核実験が成功しており、核弾頭を作ることのできる一定量の核物質があるという点で、すでに完成している過去核の脅威が存在する。

核戦力の程度を評価する核弾頭の数は、核物質であるプルトニウムと高濃縮ウランの量によって増える。現在、北朝鮮が保有している核弾頭は、数の面では多いとは思われない。しかし、北朝鮮には原子炉をはじめとした再処理施設と核燃料棒の工場など、多くの核関連施設がある。こうした核施設が中断されずに稼働し続けているということは、現在、核物質が増加しているということを意味する。北朝鮮の核の脅威の量的増加をもたらすであろう現在核の脅威が常に存在しているのである。

北朝鮮の寧辺にある5MWe原子炉は、燃料棒8000本を3~4年稼働させたのちに再処理すると、約20~25kgのプルトニウムを抽出できる。年間1個以上の核弾頭が増えるというわけである。まだ所在も規模もはっきりはしていないが、ウラン濃縮施設である遠心分離機も2000台を運営していると仮定するなら、30~40kgの高濃縮ウランの生産が可能であり、これは年間で2個の核弾頭を追加で作ることができる量に相当する。アメリカ・ジョンスホプキンス大学の北朝鮮核問題専門分析ウェブサイト「38ノース(38North)」は、「2020年までに最大で100個まで増える可能性がある」との見解を示してもいる[8.https://38north.org/wp-content/uploads/2015/02/NKNF-NK-Nuclear-Futures-Wit-0215.pdf?]。100機あまりの核弾頭を持つということは、実質的な核抑止力である「第二撃能力(the second strike capability)」をも確保することを意味する。

北朝鮮が6度も核実験を実施し、その過程で核爆発を起こすのに成功したということだけで、核兵器を持ったということにはならない。核兵器とは、核爆発装置と発射手段が結合して、狙った目標地域に正確に運ばれることではじめて完成する。北朝鮮が弾道ミサイル開発に邁進するのも、これがまさに核爆発装置を必要な場所まで運搬する手段だからである。すでに作ってあった核弾頭とともに、毎年核物質が増えていくことで、核戦力が量的に増加するとはいえ、狙った目標に打ち込むことができなければ、何の意味もない。

北朝鮮は2017年11月29日に火星15型を試験発射した後に「核戦力完成」を宣言した。2018年1月1日の新年の辞でも核戦力完成を重ねて強調した。「核戦力完成」とは、核兵器を持とうとする国家がその目的を達成できる水準の能力を持つようになったという意味である。北朝鮮があれほど核を持とうと身もだえする目的は、自らそれを抱いて自爆するためではないだろう。明らかにどこかに打ち込みたがっているのだが、それがまさにアメリカである[9.「火星15型」は高角発射をして最大高度4475kmに950kmの距離を53分間飛行した。正常角度で発射していたなら、予想された飛距離は1万2000km以上で、アメリカ本土のどこにでも到達可能である。]。したがって、北朝鮮の核戦力完成の真の意味は、核爆弾をミサイルに載せてアメリカに打ち込める能力を保有するに至ったということである。しかしアメリカ本土に届くほどの射程距離をもつ大陸間弾道ミサイルを発射したからといって、今すぐに使用可能な核兵器を保有したとはみなし難い。

北朝鮮がすでに核戦力完成を宣言したことからすれば、技術的にかなりのレベルまで達したのは間違いない。しかし大陸間弾道ミサイルだと主張する火星14型と15型を高角発射ではなく正常角度で発射したことはないという点で、技術的に完成したという評価には留保をつけたい。さらに大気圏再突入の技術はまだ完全に保有できていないと推測される。2018年の新年の辞で言及していたように、実際に運用可能な核兵器を完成させるためには追加的な弾道ミサイル試験発射による技術の高度化が必要だと思われる。核戦力の質的向上のためにもう少し軽量化・小型化して多弾頭化するためには、追加の核実験が実施される可能性もある。北朝鮮の核戦力の実戦配置および運用のために、今後、追加実験をつうじて現在の技術的遅れを補完して精巧な質的向上を見せうるという点は、未来に生じる核の脅威である。

以上が北朝鮮の核の過去、現在、未来であるなら、北朝鮮が感じる安保憂慮もまた、過去、現在、未来に分けることができよう。北朝鮮がもっている過去の脅威は、国際社会で正常に活動できない国家という点である。北朝鮮自身が招いたことでもあるが、かつての米ソ冷戦の産物でもある。長きにわたって制裁に苦しめられてきたがゆえに、そこから抜け出すためにもがくことでまた別の制裁を受けるという悪循環のジレンマに陥っていたのである。北朝鮮は経済発展と人民生活の向上のために何よりも国際社会で正常な活動を必要とし、そのために肯定的で安定した対外与件が提供されねばならない。特に北朝鮮が新年の辞でも述べていたように、2018年は金正恩政権にとって重要な年となる可能性が高い。2016年5月初めに36年ぶりに開催した第七次党大会が2年近くも過ぎていることもあり、人民生活向上などの経済問題に可視的な成果を出さねばならない。北朝鮮が最近、平昌冬季オリンピックという機会を通じて南北関係改善に積極性を見せたことも、人民を安心させられる安保環境と、以前よりはよい対外活動の与件を醸成することが重要だからである。今までの議論をもとに最上の合理的な解決策を提示すると、次のようになる。

北朝鮮核問題の解決は、北朝鮮の未来核の脅威の除去と、過去の安保憂慮を解消する努力から始めることができる。北朝鮮の未来核である核実験およびミサイル発射の猶予、北朝鮮の過去の安保憂慮である韓米軍事訓練の一時中断および制裁緩和を交換するのである。中国が提案した双暫定中断(suspension for suspension)と比べて、〈核実験およびミサイル発射の完全中断〉対〈制裁緩和〉へと、一歩進めて次の段階へと移行できる与件を用意する必要がある。追加的な核・ミサイル実験を中断することは、北朝鮮の核戦力の実質拡大を遮断するという点で意味が大きい。すでに北朝鮮のオリンピック参加に始まって南北関係が進展した状況を考慮するなら、自然な流れで私たちは今年の韓米軍事訓練の暫定中断を、北朝鮮は核実験とミサイル発射の猶予を宣言することができる。これを契機として北朝鮮に対する制裁は国際社会との合意をつうじて段階的に緩和していくことが可能である。

北朝鮮が現在直面している脅威は、先制攻撃のようなアメリカの軍事行動の可能性である。これを解消するためには、平和協定締結と朝米修交が必要である。大方、こうした状況が平和体制の完成とみなされて、これが北朝鮮の核の完全廃棄すなわち非核化と等価とみなされるが、実情は違っている。平和協定と平和体制の明白な区分・整理が必要である。実際、非核化-平和協定の交換は新たな構想ではなく、2005年の9・19共同声明の合意事項であった。しかし13年が過ぎた2018年の状況は大きく変わっている。

北朝鮮核問題の解決策として多くの人が平和体制に言及する。少し前であればその言葉は間違ってはいなかったであろう。しかし現時点では、まるで平和体制さえ構築されれば北朝鮮核問題はおのずから解決されるであろうと考えたり、反対に、北朝鮮が核を廃棄さえすれば、平和体制が構築されると考えるのはナイーブである。さらには状況がこれほどになるまで放置したり悪化させる一助となった人々でさえ、非核化と平和体制を結びつける。今更単純に北朝鮮の核の危機を朝鮮半島の平和体制構築の機会にしようという言葉は、無責任なレトリックに過ぎない。

最近、「鼻血作戦(Bloody Nose Strike)」というアメリカの軍事的オプションが論じられている状況で、北朝鮮が核を放棄する可能性は高くない。平和協定が締結されて北朝鮮が日米と関係正常化をなし、目の前にある安保憂慮が解消されたとしても、依然として体制と政権の崩壊の脅威を感じてしまうような状況で、北朝鮮が核兵器を放棄する可能性はないように思われる、核を放棄する場合、元に戻すことのほうがはるかに難しいという非可逆性の不利さを北朝鮮が認識しているために、非核化はより難しくなるのである。すでに核兵器完成まで宣言した状況で、非核化のための措置が行き過ぎた場合、北朝鮮側としては受け入れることは出来ない。非可逆性の相対的不利を甘受する理由は減る。

北朝鮮が現在直面している安保憂慮は、北朝鮮の現在核と交換することが現実的である。北朝鮮の核プログラムの凍結と平和協定締結をつうじて信頼と安定を作っていく努力がもっとも実現可能な対案だといえる。北朝鮮が核施設を凍結して不能化する代わりに、北朝鮮と平和協定および朝米修交を結ぶのである。核施設を元に戻すことができないように不能化して検証するなら、北朝鮮の核弾頭が増えることを防ぎ、核戦力の量的拡大を止めることができる。結局、問題となるのはこうした政策対案を韓米日の三カ国が受け入れうるのか、である。

 

4.三つのCVID――朝鮮半島運命共同体のために

 すでに北朝鮮は核保有国であることを宣言し、核戦力完成を宣布した。経済‐核戦力の併進路線を持続していくと強調しつつ、核保有はもはやいかなるものとも等価交換性をもたないということを明らかにしている。先核兵器論はもちろん、中国の非核化-平和体制の並行論も受け入れずにいる。北朝鮮もまた平和協定を提案してはいるが、平和協定と非核化を分離するとしている[10.Benjamin A. Engel, Jaesung Ryu, and Young-Hwan Shin, “Bridging the Divide: South Korea’s Role in Addressing Nuclear North Korea,” EAI Issue Briefing 2016.4.26.]。北朝鮮は、平和協定はいつでも破棄したらそれまでじゃないかとして、リビアとウクライナの過去の事例を持ち出す。北朝鮮が要求する安保と生存は、現在だけでなく未来までの保障を含んでいる。

 北朝鮮がすでに作り上げた核弾頭と保有している核物質を含む過去核の脅威まで除去するためには、北朝鮮の未来安保憂慮を解消せねばならない。すでに完成した核弾頭と核物質については認定も否定もする必要はない。北朝鮮が核を使用しないようにすればよい。自分の体の内部で癌を管理して、それ以上大きくならず、転移もせず、健康と生命に支障がなければ、あえて副作用に耐えてまでメスを入れる必要はないのと同じである。いつかは癌の塊が自然に消えて治るという希望を持って、運命共同体として生きていくほうがいいのかもしれない。誰かよく知らないよそ者の手に任せて抉り出しては、むしろ自分の命まで脅かされることもある。北朝鮮の核も同様である。きちんと管理することができれば、無理な非核化よりも使用しないようにする、さしあたっての不要核化が現実的な代案かもしれない。北朝鮮核問題は互いにギブアンドテイクする時間差を認め、共存に備えてこそ進展可能なのである。

 これまで北朝鮮核問題を解決するために完全で検証可能かつ後戻りできない(Complete、Verifiable、Irreversible))北朝鮮の核の廃棄(Dismantlement)が強調されてきた。いまや北朝鮮にとってCVIDを要求するためには、私たちもCVIDを施行しなければならない。北朝鮮がもつ安保憂慮についてもまた、完全で検証可能かつ後戻りできない減少(decrease)がなくてはならない。また、何より変わらない一貫性のある対北政策が持続(duration)されるべきであろう。政権が交代するごとに対北政策がひっくり返され、南北間合意が守られないことによって南北関係と北朝鮮核問題が浮沈を繰り返すようなことは、もはやあってはならないのである。尊重と継承を基盤にした一貫した対北政策と南北合意の制度化をつうじて南北関係を持続可能にしたうえで、北朝鮮核問題の解決に進展をもたらしていかねばならないだろう。

 北朝鮮が解消しようとする未来の脅威は、単にリビアやウクライナのような状況のみを念頭に置いたものではない。米中関係のなかでアメリカと中国間の取引可能性という類型も存在する。何よりもっとも大きなのは、南側による吸収統一に対する心配である。北朝鮮の未来の安保憂慮は、未来に押し寄せる心配というよりは、現在進行形である。北朝鮮が直面していた過去の安保憂慮を解決する主体は国際社会であったが、現在を解決する鍵はアメリカが握っている。しかし北朝鮮の未来の鍵を持っているのはまさに私たち南の韓国である。もしアメリカと中国が平和協定と修交を覆して北朝鮮に重厚を向けるのなら、身を挺してそれをさえぎる自信が必要である。それがまさに運命共同体である。運命共同体は一朝一夕になるものではない。今後15年間は完全で検証可能かつ後戻りできない対北政策が続いてこそ可能なのである。

 

 

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