창작과 비평

[対話] 改憲問題をどうするべきか / 権金炫伶·李仁栄·白承憲·鄭斗彦

 

創作と批評 179号(2018年 春)目次

 

権金炫伶(クォン・キム・ヒョニョン)梨花女子大・韓国女性研究院研究委員、聖公会大外来教授。共著に『韓国の男性に反対する』『両性平等に反対する』など。

 

李仁栄(イ・イニョン)国会議員(ともに民主党)。第20代国会憲法改正特別委員会幹事。著書に『2017年の統一の歩み、民間統制ラインを歩く』 『福祉国家政治同盟』(共著)など。

 

白承憲(ペク・スンホン)弁護士、パックム理事長。民主社会のための弁護士の会会長など歴任。

 

鄭斗彦(チョン・ドゥオン)前国会議員。ソウル市政務副市長、ハンナラ党汝矣島研究所長など歴任。著書に『失われた大韓民国の時間』『最高の総理、最悪の総理』など。

 

 

白承憲(司会) 『創作と批評』の「対話」のコーナーにご参加下さり感謝申し上げます。今号の主題は「改憲」です。これまでの改憲作業はなかなか少遅々として進まず、政争の対象になったりもしましたが、6月の地方選挙を控えて、また大きな関心の対象になるものと思われます。今回、意味ある結果、つまり改憲をしたり、あるいは最低限、今後、改憲推進のやり方と日程について、高い水準の合意を作り出せなければ、今後、改憲はより一層難しくなると思われます。これについて、今日、「対話」のコーナーを通じて、改憲の必要性やその内容、現実性などを全体的に考えてみたいと思います。

改憲の必要性はかなり以前から提起されてきました。国政壟断の事態(朴槿恵(パク・クネ)前大統領の一連の汚職事件)に克明に見られましたが、私たちの政治の根深い退嬰性を克服するために、さらに根本的には「1987年体制」〔1987年の民主化闘争を通じて形成・導入された政治・社会的体制。一般的に1961年の朴正熙の軍事クーデター以来、冷戦や開発独裁、独自の共同体主義にもとづいて形成された社会体制に対して、1987年の民主化闘争後に進んだポスト冷戦的思考、あるいは市場万能主義によって組織化された、韓国の市民社会の体制を指す。近年、韓国の論壇では、その民主化の達成にもかかわらず、政治において地域主義が固定化され、経済においても格差社会の拡大で社会的・経済的民主化のプログラムが等閑視されるなど、その克服を議論する論調が色濃い。――訳者〕の限界を克服するために、時代の現実に符合した改憲が重要であるという声でした。特に最近は、ろうそく革命を完遂するには改憲がぜひとも必要だという主張が力を得ました。

一方では、現行の1987年憲法は、制憲憲法以来、最も珍しい方式、つまり政変などの一方的方式でなく民主憲法として成立しました。また成立以降、7度の大統領選挙を行い、与野党間の政権交代も実現しました。先年の国政壟断事態を見ると、選出された権力が憲法を無力化させる脆弱な部分も示しましたが、反面、それを憲法体制の中で弾劾という方法で解決したということは、それなりの効率性を証明したわけです。今、憲法を改正するならば、以前よりよくならなければならないのですが、その必要性の核心は何であるか、お話し頂けたら思います。

 

1987年以後の30年、改憲の必要性

 

権金炫伶 1987年以降30年間、韓国社会がかなり変わりました。ですが変化に対応する形が、憲法はそのままにして特別法を制定したり、関連委員会を作るなど、懸案ごとに補修するようなものでした。文在寅(ムン・ジェイン)政権になって青瓦台(大統領府)のホームページを通じて各種の国民請願が上がってきていますが、このうち20万人以上が参加することで青瓦台の回答が要求される項目をみると、チョ・ドゥスン(2008年12月に起こった女児暴行殺人事件の主犯)の出所反対や堕胎罪廃止、フェミニズム教育の義務化など、おおむね性の平等に関連するイシューです。今、政治にどのような空白があるのか、韓国社会が何を望んでいるのかが分かる端的な事例です。現実を反映する憲法的価値がどう定式化されるべきか、議論が必要なことは明らかでしょう。

李仁栄 87年当時と今とでは私たちの現実がかなり違います。政治権力と関連する話は後でしますが、情報社会になって生じた問題、気候温暖化などの環境問題、第4次産業革命の到来で現出した問題などに、今の憲法が耐えられないということを多くの方々が共感しています。国民主権の時代が全面化した傾向に合わせて基本権をさらに充分に保障すべきであり、直接民主主義に関する要素、つまり憲法や法律に関する市民の発案権、大統領や国会議員などの公職者召還権のような権限を拡大すべきという意見が多いようです。かと思えば、セウォル号の惨事をはじめとして近年起きた様々な災害を見ながら、憲法的な水準で生命権や安全権を明確にする必要性も浮上しました。それとともに1997年の金融危機以降、格差が構造化されていく状況に対応して、経済分野の改革、経済民主化の方案などを細かく見直すべきという声も高いです。1987年に企業がひそかに経済的市民権を与えられたわけですが、労働などその他の部門には経済的市民権が付与されていない問題、つまり「傾いた運動場」〔自らが弱者で不利な勢力であるとする人たちが、社会的に有利な位置にある人との関係を指していう用語。もともとは一方だけにゴールが入りやすいとするサッカー用語だが、近年では、保守/進歩間の政争だけでなく、国や企業間の競争、男女間のジェンダー構図においてもよく使われる――訳者〕と呼ばれる問題について、憲法上均衡を合わせる必要があります。そして自治分権を拡大しようという問題意識も不可欠です。国家競争力を高めるためにも必要になっていますが、中央政府が弾劾の渦に陥っても、私たちが国の維持に無理がないほど、相当な力量を整えたことを示したわけで、今は中央政府の権限を果敢に地方自治体に移転させ発展していくべきです。1つ付け加えれば、初めて憲法が作られた1948年は韓国社会がまだ封建的で前近代的であっただけに、それ自体として古いという面も考慮すべきです。「女性」「身体障害者」「年少者」「勤労者」など、改善の余地の多い表現が整理される必要があります。改憲が必要なところは、このように総合的な理由があるんです。

鄭斗彦 私は実際に改憲の必要性自体に異議があります。多くの人々が憲法のせいにするのは、おそらく私たちの政治が、短くは10年、長くは20年以上、遅々として進んでこなかったためでしょう。何かのせいにすることは政治だけでもありませんが、何かのせいにしていたら集中できないので、憲法に焦点を合わせているような気がします。時期は少し違いますが、柳時敏(ユ・シミン)氏が「憲法に何の罪があるのか」と言ったことがありますが、その意見に同感です。改憲の話を聞いていると、たびたび憲法事項と立法事項を混同するケースも見られます。憲法は文字通り基本的な原則と概念を整理したものですが、そこに立法で解決すればいいはずの具体的な内容まで盛り込もうとするならば、それが憲法なのか法律なのか、考えてみる必要があります。基本的に憲法は時代に合うように解釈して適用するものです。時代が変わったからといってあえて憲法自体を変える必要はないということです。英米などの先進国の場合は、制定後数百年経過している憲法を一部の条項だけ修正するだけで、これまで維持してきていますが、それでも国はうまく行っているじゃないですか。

白承憲 既存の憲法を新しく解釈して適用するだけでも、多くの問題が解決できるというお話しですが、ならば、87年憲法を肯定的に見る立場でも、その限界があるとすれば、何を指摘できるでしょうか?

鄭斗彦 87年憲法だけでなく、わが国の憲法は特に権力構造部門で大統領制と内閣制の要素が混ざり合っていて、その責任の所在が不明確であり、牽制と均衡が維持されにくいという問題があります。自由党執権時期の1952年の「抜粋改憲」〔朝鮮戦争中の1952年7月4日に臨時首都・釜山の避難国会で通過した、韓国政府樹立後最初の憲法改定。大統領直選制や国会の両院制を骨子とする政府案と、内閣責任制や単院制を骨子とする国会案が結果として折衷されたのでこう表現されたが、実質的には李承晩大統領の再選のための違憲改憲だった――訳者〕から始まった問題ですが、たとえば大統領制下において、総理は儀典の役割を担う存在ですが、国会に来て政権を代表して答弁するのも妙なことです。牽制と均衡の面をみれば、法案提案権、予算編成権、監査院機能などがみな政府の権限に含まれているので、大統領の権限が過度に強化された側面があるんじゃないかと思います。

白承憲 改憲が必要だという主張は以前からありましたが、これまでは主に政界で権力構造の改編問題をめぐって語られました。2016年には当時の朴槿恵大統領が改憲を提案しました。その後、2016年から17年にろうそくデモと弾劾という政治的激変を通じて、社会全般においてより幅広い必要性に対する認識が高まったようです。

李仁栄 ろうそくデモ以前と以後の改憲議論は、大きく2つの面で違いがあります。1つは大統領1人に集中した権力が政治葛藤の慢性的原因になっているために、それを改善しようというものです。もう1つは金融危機以降、韓国社会と憲法が示した限界を指摘しながら、それを越える代案的体制の必要性を主張してきた市民社会の声が、さらに注目されているという側面です。

白承憲 それに1つ付け加えれば、主権者の問題をあらためて検討することになったのも、重要な地点でないかと思います。権金炫伶先生は、ろうそくデモの集団的体験が古い法的秩序とどのような関連性があるとお考えですか?

権金炫伶 経済格差を深刻に体験し、韓国社会で平等が可能かという根本的な問いが形成されました。興味深いのは、2008年ろうそくデモに参加した市民らが、「大韓民国国民」として憲法第1条を語り始めたということです。87年体制の成立当時の問題意識が、軍事独裁打倒、すなわち政治的権利の確保にあったとすれば、1997年の金融危機を経験して、韓国社会の不平等の問題が明白に経済的な次元に移ったと思います。2007年の大統領選挙で勝利した李明博(イ・ミョンバク)政権は、政治と経済の分離を叫んで実用主義を掲げました。政治と経済が分離して市民社会の運動の力量が極度に縮小された時、2008年のろうそくデモが登場します。憲法第1条を掲げてです。憲法精神とは何かに対する問いが下から提起されたという点で転換的契機だったと思います。なので2017年のろうそく革命は2008年のろうそくデモなしには説明できません。2008年のろうそくデモは、権威主義的な国家に反対し、国民の知る権利にもとづく生活主権を追求する過程でした。そして権威主義的な国家がどこまで権力を私有化できるかを目撃したのが、それ以降の政治的状況でした。私は、この状況を突破する最強の力が、憲法第1条、主権在民の原理に対する大衆の政治的覚醒にあったと考えます。

白承憲 反面、鄭斗彦先生は、憲法を必ずしも変えるべき理由はないとおっしゃいました。2016年から、韓国社会の集団的な要求が相当な成果を上げましたが、それでも今の状況に合わせて憲法を変える必要はないとお考えでしょうか?

鄭斗彦 1987年6月の民主化闘争と2016年から17年にかけての弾劾闘争に違いがあるとすれば、87年は直選制改憲という要求が明らかだったのに対して、今回は改憲が核心ではありませんでした。国政壟断、権力の私有化が核心イシューでした。事実「権力の私有化」という言葉は、李明博政権当時、私がイ・サンドク議員と戦いながら使った表現です。それをもう一度説明するならば、権力は国民にある、ただしその国民が権力を直接行使できないから、選挙を通じて代表者に権力を委任するのである、だが、大統領になる瞬間、権力が委任されたものと考えることはできず、自らが闘争して得たものと考える、こういうことです。李明博大統領の場合は、権力を、自分がビジネスで稼いだ金のようなものと考えたのではないのかと思います。そのような部分ではどの政権でも根本的な違いはなかったようです。ですが、弾劾とろうそく革命を経て当選した文在寅大統領は、異なる意識を持つようになったように思えます。真の意味の主権在民の概念を実感し、権力を委任されたと意識するようになったのでしょう。ただ、そのようにして権力をきちんと運営すればいいのであって、その主権在民の意識の、何をどれほど変えるために、改憲までするのだろうかと思うのです。

白承憲 制度がすべてを探知するわけではありませんが、制度自体の改革なくして制度の運営や規範の解釈、また個人の善意に頼るのも、あきらかに限界があるでしょうが、韓国社会の問題を克服するために改憲することに、大きな意味があるのではないでしょうか?

鄭斗彦 立法改革でもいくらでも可能です。たとえば、選挙制度変えて、政党構造の改革をやって、公認制にも手を加えればいいのであって、どうしても憲法をいじらなければならないのかということです。また現実性もないように思えます。

白承憲 多くの方々が政治改革のために、憲法改正ほどに政治関係法の改正も至急であると考えており、私もそれに同意しますが、本源的な改革のためには憲法と政治関係法の同時改革が必要ではないでしょうか。そのうえ基本権条項に対する検討も、これ以上先送りするのは困難だという指摘が多いです。

 

6<月の地方選挙と改憲

 

白承憲 政府と与党は、2017年の大統領選挙当時、2018年6月の地方選挙時に改憲を同時に進めるという公約を掲げました。年初に文在寅大統領がこのことにまた触れました。地方選挙が近づいてきて、改憲問題が次第に熱い雰囲気に包まれているのもそのためのようです。野党も単一の声を出すのではなく、曖昧な部分も多いですが、少なくとも改憲の必要性自体には同意する言明をしています。その一方で、第一野党を含む相当数はゆっくり合意して行こうと主張しているようです。ならば、なぜ今、改憲しなければならないのかという問いに対する答えが必要だと思います。与党で、今、この時期を重視する理由は何でしょうか?

李仁栄 まず大統領選挙の公約や、それを守るための努力は当然だと思います。私はプライベートな場所で「憲法で遊んではならない」と言っています。大統領が、公党の代表が、憲法をめぐって発言したことを守らなければ、政治の根幹が動揺します。もう1つは、今がみなにとって利害関係がない時期だからです。地方選挙以降になると、総選挙など、さらに異なる政治的な利害関係、政治工学が作動するので、今が適正な時期でしょう。もちろん国民的な共感がもっとも高い時期でもあります。世論調査だけを見ると、今ほど改憲に対する共感度が高い時期もないと思います。依然として70%を超えています。技術的な問題ではありますが、改憲が国民投票を通じて成立するという点も重要です。国民投票は国民の50%が参加して成立します。絶対に簡単な問題ではありません。ですから、地方選挙の時に同時にやるのが、成立要件を充足するためにもいいでしょう。一度に1200億ウォンぐらいかかる選挙・投票費用を、2度払わなくてもいいという点はさておいてです。

鄭斗彦 大部分の大統領選挙において、改憲はありふれた公約事項でした。ですが、今回の大統領選挙では、すべての候補がみな時期まで約束したので、より一層原則的に改憲をすべき状況のように思えます。にもかかわらず、野党で今ごろになってやめようというのなら、まず謝罪するべきですが、それもしていないんです。それこそ政略的であったということです。反対する理由は実はたいしたことでもありません。改憲投票を一緒にやれば、地方選挙で本人たちが非常に不利だと判断するからなのです。ひとまず改憲投票をすれば賛成が多いでしょう。現在、支持率が高い大統領が進めていることですから。彼らがそれよりも憂慮するのは、改憲に1票を投じることで、自然と与党候補に投票するのではないかということです。実際にそのような可能性が高いです。結局、反対する彼らに名分はないということになります。時期的に早いという指摘もありますが、これまでどれほど検討してきたことでしょう。ただ、さきほどの世論調査で70%以上が改憲に賛成するといわれた点について、私はその数値をこう見るべきだと思います。国民は、改憲に賛成するかという問いを、「改革」に賛成するかという問題として受け入れる面があります。実際に改憲に対しては、そうですね、単純に考えるべきことではないと思います。

権金炫伶 改憲に対する内容的な合意は不明な面がありますが、改憲の必要性自体には多くの人々が同意していると思います。国民が望んでいるのは改憲か、改革か、と区別されましたが、いずれにせよ変化の必要性に幅広い共感ができているということは、時代の精神の変化とも関係しているようです。たとえばフランスの場合、1960年の憲法改正を通じて、植民支配者としての残りの特権を自ら放棄する決断を下した歴史があります。1999年には、選出される公職に対する男女の同数を保障する改憲が成立した結果、次のような文言がフランス憲法第1条第2項に明示されました。「法は女性と男性の選挙と関連した職務と選挙による地位、そして職業的・社会的責任に対する同等な接近を促進する」。これに続いて2008年には、憲法精神の現代化という面で、思想、文化、言語の多様性を認める方向の改正が成立します。韓国も今の現実を十分に盛り込むことができない憲法を変える時になったのではないでしょうか。1987年以降、改正されたことがありません。韓国社会の諸問題を直視して、新たな時代の精神に合意する過程が必要です。改憲を通じて一つ一つの憲法条項を検討しながら、かなり壊滅状態になっている社会を、今、改革しなければなりません。共に生きるという共同体精神を想起できないほど、多くの人々が崖っぷちに立たされている状況において、共同の価値についての言葉を作るということは、非常に重要な意義を持つと思います。言語が世の中に対する認識を規定するからですが、ある単語、ある価値について合意する時間を持つことは、私たちみなにとってきわめて重要な成熟の契機になるでしょう。

白承憲 今、改憲が必要だということに、ある程度、社会的合意があるにもかかわらず、政界でその実現が容易でない理由も明らかに存在します。ですから、ただちに内容上の合意が成り立たないならば、時期を決めて急激に行なうのではなく、合意のためにより一層努力しながら、必要ならば次に持ち越せるのではないかという指摘も出ている状況です。このような部分を認めるならば、政界に政派によって生じうる有利・不利をいくぶんは相殺する制度的な補完策を、柔軟に用意することはできないか気になります。

李仁栄 ですが、おそらく野党よりも先に文在寅大統領が「地方選挙の時に改憲投票するのはやめよう」といったとすれば、今よりもはるかに激烈な葛藤が生じていたでしょう。

白承憲 現在は、野党が政府と与党に対して何でも反対する状況だからということでしょうか?(笑)

李仁栄 はい。野党側から「国民がよく分からないからもっと討論しよう」という意見も出てきました。ですが、そのようにおっしゃる方たちの中で、大統領選挙の前には早期改憲しようとまで言っていた方もいます。その一方で5000人が参加する円卓討論会をはじめとして、多様な熟考の過程を持とうという私たち提案をすべて拒否しました。はなはだしくは40億ウォンほどの予算を配分して改憲キャンペーンを展開し、市民に知らせようとした計画も失敗に終わりました。さらに討論することが残っているのではなく、結局、打算だけが残ったのでしょう。また申し上げますが現在が適正な時期です。今を逃してまた議論することになれば、はるかに混乱するだろうと思います。改憲の内容でなく、時間の問題をめぐって遅々と進んでいない状況が残念です。

鄭斗彦 時期の問題は決めておくべきだと思いますが、その理由は少し違った形で申し上げることができます。87年の改憲も大統領選挙という期限が決まっていたので可能だったわけで、そうでなかったとすれば、討論するだけで夜が明けていたでしょう。私の政治経験でも、意見の収斂というのは期限がなければ終わりません。そうした点で私は、いずれにせよ、改憲の必要性が当為的に与えられたとするならば、今が適正な時期と思います。適正な時期の理由はもう1つあります。さきほど李仁栄議員が暗示されましたが、今、与党であれ野党であれ、確実な次期大統領候補がいないでしょう。このような時が適正な時期です。大統領選挙の走者が登場したら、すでに既得権者ができるわけです。そうすると改憲がさらに難しくなります。

白承憲 李仁栄議員が国会の改憲特別委の幹事なので、今の政界状況がどのようなものか、要約をお願いしたいと思います。

李仁栄 国会は昨年、改憲特別委で議論できることはすべてやったと思います。かなり膨大な量の資料を集めましたし、今でも議論を蓄積しています。総合的な内容をほとんど完成できるほどです。高麗大のイム・ヒョクペク先生が、改憲を最小主義の原則でやろうと提案されましたが、最大主義でもできるほどの根拠が集まったと思います。ただし国民と多くの時間をかけて討論したかといえば、野党との問題などでそうできていないのが事実です。その問題を完全に解くことは容易ではありません。今、野党は牛歩戦術を使っています。合法的なサボタージュと感じられるほどです。にもかかわらず、とにかく政府の形態と関連して討論してきたので、2月末ぐらいまでは基本権の領域まで続けていけるのではないかと思います。これまで1年間の成果が膨大に蓄積されているので、それらを組み合わせます。大統領は昨年末までは、事実上、国会の声を尊重したと思います。ですが、今年になって1月が過ぎても改憲議論にこれといった進展がないのを見て、自らの公約を守るための努力をしているわけです。多くの方々が時間に対して心配していますが、物理的には可能な状況です。2月も上旬が過ぎましたが、現行憲法上、憲法改正には90日が必要とされます。地方選挙90日前だとすれば、3月15日には発議しなければならない計算です。政治的合意さえあるならば、この所用時間を50~60日に短縮することもできるので、とすれば、だいたい4月20日までは時間があるわけで、2か月は使えるという計算です。その2か月の時間は、87年に改憲することになって合意までにかかった時間とほとんど同一です。結局、やろうとする意志にかかっていると思います。

 

基本権、何をどれほど盛り込むべきか

 

白承憲 では各論に入ってみようかと思います。憲法上の基本権の問題については国会の改憲特別委の中でかなり議論しましたし、大部分合意しているという話を聞きました。反面、それは留保された同意であって、議論が本格的に行なわれれば、その内容がかなり変わり得るという話も聞こえてきます。基本権の憲法改正について国民が懸念するのは、必要な内容がただ羅列されている程度だからというのもありますが、どのような部分を変えればいいのか、代表的なものを指摘して下さればと思います。

権金炫伶 現行憲法の文言を見ると、子孫、伝統文化、同胞愛、母性的価値など、古い概念が多いと思います。ですから、権利の保障が難しくなる側面がありますが、たとえば母性的価値も、これを妊娠、出産、養育と関連した権利に変えるべきです。変化した現実に合わせてです。性の平等の価値の場合は、基本的に家族を中心に法が作られているといことからが奇異なのですが。権利とは、個人の尊厳を基盤に保障されるべきものであるにもかかわらず、家族という言葉がそれをぼかしてしまっている状態です。個人の権利を尊重し、その地点で家族を再構成する形で前後を調整してこそ、今の「差別」の問題が整理できるでしょう。他方で、2000年代初期に盧武鉉大統領が経済界の人士らと会って、「権力が市場に移った」と言ったことを多くの方々が長く記憶しています。韓国社会の随所に、選出されたわけではない権力が、民主主義を実際に威嚇しています。権力構造を変えるとしても、市民は財閥の権限が過度に大きいという問題、またそれらがまったく牽制されていないという問題を、かなり意識するだろうと思います。そうした点で、労働権が憲法的価値として明確に明示されてこそ、この問題を解いていく糸口を準備できると思います。

白承憲 ですが、先のお話しを想起すれば、鄭斗彦先生は性の平等や経済部門の諸問題も、あえて改憲でない法律改正でも十分に解決可能とおっしゃるかと思いますが。

鄭斗彦 そうです。私たちの憲法が基本原則を定めているじゃないですか。その他の条項もあります。「国民の自由と権利は、憲法に列挙されない理由で軽視されない」(第37条第1項)というように、憲法は新たに提起される諸問題に対しても開かれています。時代の変化を法に反映すること自体は同意します。ただ、その手続きと方法は多様であるということです。憲法だけに収斂すれば、百家争鳴になる可能性があります。そのように混乱を招けば、国家的な業務を処理するところで困難が生じるんです。

白承憲 そうした点で改憲が可能になるためには、合意した水準が高い部分だけでも先に処理すべきだという主張が出てくるようです。李仁栄先生は今、現実に基本権においてこの程度は反映が可能だろうといえる範疇がどこまでと考えておられますか?

李仁栄 ひとまず生命権と安全権です。生命権の中で死刑制度、堕胎、ES細胞(胚性幹細胞)の利用問題などの細部の懸案は、もう少し検討・議論が必要ですが、大きな枠組において、4・16セウォル号惨事以降、生命・安全権を強化しようという問題意識に照らしてみれば、最小限の安全権については憲法に含ませることに格別異議はないだろうと思います。情報に対する権利も挙げることができます。知る権利を越えて、情報の自己決定権、情報文化の享有権、情報格差の解消などの問題を憲法に含めようという趣旨で、ある程度は共感が成り立ちうると思います。また性の平等もです。男女差別の関連条項を特に強化して、職場の中でも社会的進出・公職進出時に女性が受ける差別、養育面での一方的な責任転嫁などの問題を改善することと関連があります。環境問題にも対応が可能だと思います。このように、実際に基本権の伸張と関連して、与野党間に意見の違いはさほど多くありません。

白承憲 基本権に関して議論されている内容を範疇化すると、3つ程度になるようです。最初は国際的な規範水準に高める部分ですが、代表的に労働権、両性の平等のような領域です。87年当時には私たちの人権状況は国際規範に照らしても劣悪でしたし、先進国を追う立場にあったため、それに対する改善を制限的に受け入れました。しかし今、それを国際基準に合わせる時になったんです。2つ目には、新たに創出される権利規範です。改憲して30年が過ぎると、これまで法律的にはすでに反映された部分も憲法ではまったく言及されていないことがあります。たとえば、情報基本権、環境権、生命権、動物権などです。3つ目に、さきほど古くなったと表現された部分ですが、それは異なる表現をすれば、同時代の文化や現実を反映できず、依然として前近代的に残っている要素を、今、単に用語の問題でなく、少なくとも主権者に親和的に変える必要があるということです。

李仁栄 たとえば私たちの文化と関連して、現行憲法には伝統文化を継承しようと書いてあります。今、重視される多文化社会の価値を受け入れる規範的な根拠はありません。このようなことを補完するのはきわめて常識的なので、紛争の素地は少ないでしょう。それに反して、「勤労者」という言葉を「労働者」に変える問題は、簡単に見えますが、これを色眼鏡で見る人々が多いと思います。

白承憲 時間の制約で、いちいち取り上げて論じるのが困難だからであって、国家保安法と関連した問題とか、議論する部分は多いと思います。

権金炫伶 憲法で基本権の条項を整備する時、様々な部分で政争の素地が少なくないでしょう。死刑制度や堕胎のような懸案ももちろん論争的ですが、「男女の平等」を「性の平等」とするか、「両性の平等」とすべきかのように、すでにきわめてイデオロギー化された諸問題があります。同性結婚の問題も、これを許容すべきか、やめるかという水準に行くどころか、米国にあった結婚保護法(DOMA:1996年、アメリカ連邦政府が制定した法案で、夫婦の権利と福祉を保障しながら、その対象を「男と女の結合」と規定。2013年に連邦大法院によって違憲判決を受ける)を再現するものではないかという憂慮もあります。社会的に異議がないような問題も、人々があえて口を開かなかっただけであって、実際にこのような条項が憲法に反映されるといえば、深刻な葛藤が広がる領域が結構あるでしょう。ですが、論争が正しく行なわれれば社会は本当に変わります。たとえば、1999年にフランスで、さきほど申し上げた「男女同数」を憲法に反映するといった時、社会的に途方もない論争がありました。論争の末にそれが憲法に反映され、以降、フランスは抽象的な個人でなく、実質的な個人の具体的な多様性を認める方向に変わることになりました。

李仁栄 社会的に公論化される時、爆発力を持ったイシューはもちろんあります。しかし、そのような諸問題が合意されていないからといって、残りもダメだろうということにはならないということです。かなり多くの部分が解決されています。

鄭斗彦 87年体制の以前には、憲法と実際の現実との間の乖離が大きかったかと思います。ですが、87年体制になって、基本権はその乖離がかなり狭まりました。新たな時代の潮流に合わないいくつかがいまだ残っていますが。私は詳細な用語の問題を越えて、国家主義・集団主義vs.個人主義という枠組で基本権を見てみると、むしろより多くの問題が発見されると思います。他の見方をすれば、民族を前面に掲げて個人はそれに従属するという観念を、与野党ともに歴史的に持っていますが、そのような次元で基本権を見てみる必要があります。

李仁栄 このような問題意識にもとづいて、憲法で部分的に「国民」を「人」に変えようという議論があります。おおよそ自由権を中心にした部分では、そのような変化を受け入れて、社会権を前に出す時は「国民」という表現を維持しようということです。改憲特別委にもその議論が入ってきていて、同意される方が結構います。

 

権力構造と政治改革の問題

 

白承憲 では次に、権力構造の問題について意見を交わしてみましょう。実際の現実政治における改憲の可否は、これに対する合意が可能かにかかっていると多くの方々が見ているわけですが、与野党の政界が依然として平行線をたどっているようです。与党は大統領制の骨格を維持して、重任制を導入しようというのが党論でしょうか?

李仁栄 「大統領制を根幹として分権と協力政治の方向で交渉する」が党論です。大統領制を前提とすることに野党が同意して、分権と協力政治に接点があるならば妥結するのであり、大統領制という根幹が破壊されれば合意できない、原則的にはそういうことです。ですが、大統領制も多様な形があるでしょう。正・副大統領制があり、国務総理を置くものの、その権限をどこまで与えるかによっても違いがあります。もし正・副大統領制か、国務総理制かを選択しろといえば、正・副大統領制を選ぶ方もずいぶん出て来そうです。1つ付け加えれば、今、私たちの党が大統領4年重任制の議論をしています。現行の5年単任制は、87年以前に過度に集中していた大統領の権限をそのままにしているのと同じことです。それは他の見方をすれば、維新憲法や「全斗煥憲法」に通じる面があるのです。重任制にしようというのは、その問題を解決しようという意味です。1人に過度に集中した権力を分散させるということです。なので、私たちが大統領制を根幹とするといった時、3つの側面を強調しますが、1つが重任制、2つ目は大統領権限を議会と地方自治体に明確に分けるということ、3つ目は三権分立にもとづいて互いに民主的に牽制と均衡が可能なシステムに移行するということです。4年重任制のことを話しても、今のようなシステムではなく、大統領権限を分散させる方向という点は、改憲特別委を始める時から明らかにしていることで、この点は与野党間で理解して出発したのです。ですから4年重任制で任期だけが8年に延びるわけで、今の5年単任制より悪いと言うならば、それは煽動に近い行為だと思います。

白承憲 これに対して鄭斗彦先生が、主要野党の立場を代わりに伝えて下さるでしょうか?

鄭斗彦 私は代わりになりたくありませんが(笑)、論理はともかく、現実的な面で野党の議席数が100席を下回らない限り、改憲は不可能だと思います。それと関連して私が一つ議論したいのは、憲法があり、法律がありますが、事実、ある場合には、政府の告示が憲法よりも改正が難しく、より大きな威力を発揮したりもします。今、政府の形態が議論される理由も、大統領に権限がかなり集中した、帝王的な大統領制だ、ということでしょう。ですが、このようになった理由は政府形態のせいというよりも、与党が国会で大統領の代理人のような役割をしているためです。総選挙の公認が下から上がって来ずに上から降りてくるので、国会はただ代理人の役割しかできず、大統領が帝王的になるざるを得ないということです。ですから政党制度を検討してこそ、大統領制であれ内閣制であれ、牽制と均衡がきちんとできるだろうと思います。

権金炫伶 今回の改憲特別委の議論を見ながら驚きました。諮問委員団が膨大な内容をもって多くの議論をしました。そのように蓄積された議論自体が社会的な資産になるだろうと思います。憲法改正の重要な精神は、新たな憲法的価値が何かを議論して合意する過程自体にあるとも思うんですが、この社会的資産をもって引き続き責任を負うべき部分があると思います。そのような意味で、今、改憲がうまく進まないからといって、無気力を感じるよりは、この議論自体が重要だと考えるように視角を変えればいいのだと思います。

白承憲 とにかくまさに権力構造の問題のために、他のすべてに合意しても、結局、改憲は難しいと考える人々が多いのは事実です。権力構造をめぐって異なる意見が対立するのは今だけでなく、いつ改憲を進めても同じように発生する問題ですが、ならばこの問題をどのように調整するのか、知恵を集める必要があります。ひとまず少し狭めて話してみましょうか? 今回の権力構造の改編議論で考慮すべき重要なことが2つありますが、1つは直接民主主義的な要素をどこまで導入するのかであり、もう1つは政治改革が憲法改正だけでいいのかということです。

権金炫伶 ひとまず気になるのは、民主党が憲法改正の議論を熱心に導いているようですが、関連して大変重要な問題と思われる選挙区制の改編のような事項に対しては、特別な意思が見られません。比例性の強化や選挙区制の改編などは選出職の代表が民意をきちんと代表できるようにさせるという点で、現在の憲法改正の核心精神の、法治にもとづいた、より多くの民主主義と分権を可能にするでしょう。そのためにはひとまず政党内から意思を示すことも重要だと思います。現在の基礎議員2人選挙区制のような場合には、地方選挙だけに限定しても、両党制の状況では無投票当選という害悪を生むほど問題があります。少数政党の位置づけはますます減少し、勝者独占を通じて死票が発生する構造的な問題が続いています。このような問題に対して民主党が責任を持つべきだと思いますが、どう思われますか?

李仁栄 小選挙区制が望ましいというのは専門家たちも認めるところで、世界的な傾向もそうです。問題は選挙区制、すなわち地方区でなく比例代表の比率をどれだけにするかでしょう。比例代表数を増やすならば選挙区制の議席を減らすべきですが、そのためには苦心すべき部分があります。人口数を基準として選挙区を確定するので、そうすると地域が統廃合されてしまいます。今、5つの市郡で国会議員1人を選ぶところがありますが、これが6、7にまで拡大すると、地域の代表性を維持することは容易でありません。事実このような問題のために、上下院両院制の導入の話も出てきています。反対に現行の地方区の議席数をそのままにしたまま、比例代表の議員数を増やすこともできますが、それは国民世論の同意を得ることが容易でありません。とにかく、にもかかわらず、比例代表を増やすべき必要性に共感するならば、これについては市民社会の役割が大きいと思います。国会議員が自ら議席数について語れば、国民が拒否感を感じるから、市民社会が客観的に判断して市民を説得すればいいでしょう。比例代表の構成をどうするかの問題は、地方区と比例代表がそれぞれ1対1ならばいいですが、すぐには難しいでしょうから、まずは2対1から始めて、連動型でやってみようというものです。比例代表の数を増やし、できるだけ連動型でやって、国民が支持するだけ政党に議席が割り当てられる方式が正しいというのが、明らかな私たちの立場です。ただし憲法にはそれなりの体系がありますから、それを憲法に明示しようとするならば、いろいろな議論があるでしょう。ですから、憲法では「選挙制度は比例性の原則を指向する」くらいにして、その精神を土台に、選挙制度は明確に変える方向であるといえるでしょう。

鄭斗彦 比例代表の公認を、今の正義党の主張のように運営するとしたら増やしてもいいでしょう。現在の与党や他の野党のようにするならば、増やすべきではないと思います。比例代表の順序を誰が決めるかは、誰にも分からないことです。過去の維新政友会〔1972年10月のいわゆる「10月維新」によって第4共和制となったとき、国会の全国選挙区の議員らが構成した院内交渉団体。実質的には当時の朴正熙大統領が立法部を掌握するために作った組織――訳者〕とまったく同じです。

権金炫伶 それこそ各政党がどのように公認の透明性を確保するかの問題でしょう。市民社会の役割でなく、政党の内部改革がどれほどうまくいくかの問題ではないでしょうか。

李仁栄 今回の改憲を通じて、憲法の政党条項で政党設立の自由をもう少し強化し、政党の運営面で民主性と透明性を高めようというのも、そのような精神の延長線にあります。

白承憲 憲法にそのような条項も入れよう、あるいは改憲議論が滞っているから政治関係法から先に突破しよう、という部分についてはどう思われますか?

鄭斗彦 合意は互いに利害得失が不明であれば成就します。過去に与野党が中・大選挙区制から小選挙区制に変えた時(1988年第13代総選挙。第4党の新民主共和党が35席を獲得)は、互いに計算が曖昧だったからこそ受け入れられたのだと思います。みな自分なりに何かが得られると期待するところがあったからです。今、それは困難で、時間がさらに過ぎて地域構図も薄れ、世代間の問題も変わるなど、境界がなくなり、利害関係が不明になって、はじめてそのような合意が可能になるのだと思います。

白承憲 今、合意は論理的に不可能なことではありませんが、現実は侮れないというお話しですね。

李仁栄 少し損をしても、やってみようというならば可能です。

鄭斗彦 誰が一番損をするのかが……。

李仁栄 今は私たち与党の損が一番大きいでしょう。それでもやろうというのです。

白承憲 この部分は進歩・保守を離れて、現実的に与党と第一野党は常に両党制を指向し、少数政党を排除する観点の維持に一種の暗黙的な同意があるのではないかという指摘がありました。実際に第一野党の反対だけでなく、政府与党の意思がどの程度なのかについても異なる意見があります。

李仁栄 多少行き過ぎた指摘ではないでしょうか。実際に連動型比例代表制の導入も検討しています。また、私たちが大統領制を根幹としながら、政府の立法、発議、予算編成、監査、また大統領の人事まで様々な権限を移行しようとしているのです。大統領と政府が発議する方法が相当な規定力を発揮しています。国会議員が発議するのは周辺的な法であり、決定的な法案は事実上、政府がみな握っています。さらに大統領がダメだといえば、政党の院内代表まで辞任しなければならない状況もありました。私たちはこの部分に対して、政府の法律案提出権をきわめて制限し、つまり国会の該当常任委で一定の同意を得られなければ、法案を提出できないようにすることも考えています。こうすれば立法の中心が次第に大統領から国会に移行するだろうと思います。予算でも増額同意権のようなものはなくし、総額範囲も国会が修正できるようにするということです。この過程で与党の排他的既得権もやはり緩和され、国会の構成員みなの普遍的権限が増大するだろうと思います。

 

直接民主主義的な要素の導入

 

白承憲 このような指摘もあります。大統領の権限を縮小する方向については、比較的活発に議論されますが、この時、その権限を大部分、国会に移転する方式に話が流れます。事実、大統領に対する支持率も低い時が多いですが、国会や政党に対する国民の信頼度もそれほど高くありません。そのような状況で国会が大統領の権限を譲り受けると言った時、それでは国会は何を譲り渡すかについては、話し合われることがあまりないという問題提起です。

鄭斗彦 それは国会と国会議員を混同するために生じる問題です。国会は本質的な概念であり、国会議員は随時変化する構成員です。国会議員に資質がないからといって国会の機能をそのつど縮小させれば、大統領に対する牽制の機能が弱くなります。ならば、どこが元気になるかというと、マスコミ、財閥、公企業、市民団体などの手綱がゆるくなります。

白承憲 一理あるお話しですが、ではあらためてお聞きするならば、その国会議員は何を譲り渡すべきか問うこともできるのではないでしょうか?

鄭斗彦 これまで国会議員が政党改革をするたびに「譲り渡す」と言ってきましたが、何も変わっていないでしょう。ですから、譲り渡すという言葉が重要なのではありません。あらためて強調しますが、核心は公認権にあります。公認権が特定人や特定勢力にあるかぎり、国会議員は代理人にならざるを得ず、国民の顔色よりも公認権者の顔色を見ざるを得ません。その部分を修正せずに、そのつど譲り渡せとだけ言えば、国会の正当な権限が縮小していきます。

白承憲 李仁栄先生はこの診断についてどう思われますか?

李仁栄 内心、いいお話しであると同意します(笑)。理論的に立法権は国会の排他的権限に該当します。ですが、今回の改憲では国民の法律発案権に道を開こうとしています。国会ができない仕事を国民ができるようにするということです。国民召還権もあります。もちろん政治的な理由で政敵をむやみに揺さぶることまで許容することにはならないでしょう。そのようなことは合理的に制限するものの、召還の権限自体はさらに開こうということです。

白承憲 国会が持つべき権限、また国会議員がきちんと働けるようにする制度的保障策まで特権だと批判しながら、機械的に他に移管することによって大統領の権限を制御することを困難にしてはならないでしょう。質問を差し上げた趣旨は、国会の持つ権限の中に直接民主主義的な要素を導入することによって、そのような牽制的機能をもう少し開放的にすることが、今回の改憲のもう1つの核心ではないかということでした。代議制も直接民主主義も万能ではありませんから、私たちが韓国社会に合った制度的接点をきちんと見つけることが、今回の改憲の議論で重要だと思います。権金炫伶先生はこれについてどう思いますか?

権金炫伶 正しい指摘であると考えながらも、私はひとまず代議民主主義がきちんと作動することが基本であると思います。国会議員の問題も、彼らの特権よりは彼らが1つの立法機関としてきちんと機能できなくさせるような、政党内民主主義や選挙法上の問題のようなものの方が、より一層深刻だと思います。国民の顔色を見ないことで、代議がきちんとなされないということです。直接民主主義の要素を導入することももちろん重要ですが、今は政党の民主化をまず語るべき時であると思います。

白承憲 私は直接民主主義の要素が制度的に導入されても、それが常時使用されるというよりは、法律用語で言えば一種の「威嚇力」(犯罪抑止力)を持つ効果があるという考えです。換言すれば、国会議員が自らの短期的な政治的利益だけを追求する形態を制御するのが「選挙」ですが、選挙以前にも、そのような形態を制御できるならば、その威嚇力がかなり功を奏すると思います。立法領域で政府の権限が今より制限される必要があるといった時、ならばこれからは国会議員を通じる方法しかないのかという問題意識を土台に、他の方案が提案されるべき必要もあります。権力の分立において、三権分立だけでなく、代議制と直接民主主義間の牽制と均衡も重要だという考えです。そのような制度が衆愚政治の道具として悪用されるおそれがあるとはいいますが、国民の意思を問うことが、単に世論調査の水準で終わらずに、責任ある制度として活用される余地を準備すべきだという考えが、直接民主主義を強調する方々の見解ではないかと思います。

 

市民社会の役割とは何か

 

白承憲 政界が改憲を推進するとはいいますが、破裂音だけが高まって現実的な可能性はあまり大きくならない、この膠着の局面で、市民社会の役割が重要ではないだろうかと思います。国会が、政府が近づくのを待つのでなく、市民社会がまず自らの役割をどれほど積極的に引き受けられているか、自省が必要な時であるという考えです。

権金炫伶 私が主に活動する女性部門を見ると、性の平等の改憲に関する議論をかなり熱心にしてきました。ですが、ある瞬間、これが果たして実現され得るだろうかという疑問のために、話をさらに進展させなかったようです。事実、私が見るところ、ひとまず人気があまりない主題なので、活発に議論されない雰囲気があるようです。しかし人気があろうがなかろうが、引っ張っていく必要があります。学界もそうですが、市民社会の全般で「改憲の議論というのは権力構造の議論がすべてではない」「韓国社会において市民権とは何か」「主権在民とは何か」というような問題意識にさらに関心を持つべきだと思います。特に基本権、社会権、経済圏などと関連して、市民社会主導で別途のテーブルを作り、公論の場を形成する必要があるでしょう。

鄭斗彦 参政権の部分もあります。私の経験を申し上げるなら、国会で女性の権益に関する法案が上がってきた時に反対すると大変なことになる雰囲気です。ほとんど100%の賛成率です。もちろんそこまで上がってきた過程は困難なものだったと思います。この機会に、選出公職の男女同数の原則のような問題は、はっきりと押し通せば、成果を上げられるだろうと思います。

白承憲 韓国社会が一歩ずつ前進するためには、市民的動力を必ず考慮すべきということが、2016年と17年が残したもう1つの成果であり、かつ教訓であると思います。今、滞っている部分を解決するためにも、改憲の成立後まで含めて、国民参加がさらに強化されるように設計すべきではないでしょうか?

李仁栄 そのように設計はしました。改憲特別委の諮問委員会でも、いくつかの団体に構成が限定されるところだったのを、私が是正してその範囲を広げました。国民がより多く参加して議論の中心に立つようにしたかったんです。ですが、政治的な不利を憂慮して反対する人々が多く、限界に至りました。なので、党論を整理する過程でも、主要な争点に対する意見聴取を、世論調査のような間接的な方式を中心にせざるを得ませんでした。平凡な調査だけでなく、74万人ぐらいになる権利党員の全員に、核心的な争点と関連してARS(自動応答世論調査)を回したりもしました。10%の応答率を示しました。また間接的なこともありますが、主要争点と関連して国民世論調査を2つの世論調査機関に依頼し確認する過程も経ました。客観性を保障するためにです。地域で直接的な討論会を開いたりもしましたが、同性愛に反対する方々がかなり多く、その部分だけが目立っていて、残りは埋もれてしまったせいで、所期の成果を上げることはできませんでした。

権金炫伶 話が出たついでに申し上げれば、同性愛、同性愛者に反対するということ自体が、憲法の精神に背くものではないでしょうか。個人の幸福の追及の権利や個性を追求する権利を侵害するもので、差別禁止条項にも違反しています。選出されていない権力として韓国社会に力を発揮している領域が、さきほど言及した市場もありますが、宗教もそうだと思います。李明博政権の時、多数の社会福祉サービス運営を教会に譲渡して、換言すれば、教会を準公共機関化しながら、かなり肥大化しました。それとともに多くの福祉領域で中央で管理できないほど影響力を発揮しているように思われます。政教分離がほとんど不可能なほどです。税金も納めずにいるでしょう。このような選出されていない権力が歪んだ影響力を発揮して、はなはだしくは憲法精神に違反している現実に対して、民主党はブレーキをかける立場をきちんと表明したことがありません。社会的議論にいかに多くの市民が参加するか以前の問題として、このように憲法精神に違反する声が世論を過剰に代表しながら、より大きな勢力が形成されるまで放置したという点に、政府与党の責任があるのではないでしょうか?

李仁栄 今はすべてから非難されざるを得ない状況であることは認めます。私たちの立場は、現在では少なくとも双方が正面から衝突することは阻止しようという考えもあります。

白承憲 今回の改憲の議論が政治家の問題に集中しているように見える点に、市民社会の責任がないとは言えないでしょう。だとしても、政界でこれからは本当に国民の声に常に耳を傾けるという意味で、国民がもう少し気楽で多様に議論に接近できる道を作り出さなくてはならないと思います。今、このままでいけば、政治の非生産性が改憲議論においてもそのまま現実化されざるを得ません。今回の改憲過程が、この部分を解消していくモデルケースになるようにしていければいいと思います。

 

ろうそくデモ以降、新しい酒は新しい袋に

 

白承憲 そろそろこの「対話」のコーナーも終盤になりました。6月に改憲を達成できなかったり、今回できなくても最低限、今後の可能性をさらに現実化させられないまま不発に終わる場合、私たちの憲政史にもう1つの傷として残りはしないだろうか憂慮されます。現在の膠着状態をどのように解決すべきでしょうか?

李仁栄 ただちにできることだけを今回改憲し、後でまたやろうというのは、野党が同意しないために不可能です。大統領制の根幹を維持しながら、分権と協力政治が可能な接点を見出そうという与党の案に対しても、現在は否定的な立場を示していますが、これはさらに話していけると思います。なぜなら、今、改憲しなければ、そのまま5年単任大統領制でずっと行くわけです。野党が最も否定する現存制度がそのまま持続するわけです。結果的に論理的矛盾です。そのうえ自由韓国党のホン・ジュンピョ代表が、大統領選候補の時期に4年重任の分権型大統領制が望ましいと公式文書で残しています。国会の改憲特別委に提出した文書だけでなく、大統領選挙の公報物でも明らかにしていました。

鄭斗彦 与党が大統領権限の多くを委譲するというのも、今、自由韓国党は選挙を意識して、いろいろと言い訳しながら避けている状況ですから、結局、受け入れないでしょう。窮余の一策ですが、合意が可能な現実的な方案は次々期の政権から、新たな権力構造を適用することになるのではないかと思います。そのように前提すれば内容も解決していけるでしょう。他の方法もあります。今、文在寅大統領の人気が高いです。もっとうまくやることができます。ただし私は、今の基調だけではこの人気を維持できない、さらに柔軟に、中道をより一層意識しながら、国政運営を展開すべきだと思いますが、とにかくそのようにして、次の総選挙で3分の2の議席を確保すれば改憲することができます。

李仁栄 今はどうであろうと、野党が党論を具体化して出すべきです。そうしてこそ接点があるか確かめられます。それが真摯な態度です。そうでなく「君たちがしようとしていることは間違っている」とばかり言えば、どのような議論も不可能です。地方選挙の時、改憲投票を同時に進めれば投票率が上がり、野党に不利なこともありますが、あまりにも明らかな国民的同意と名分をもって、与党がドライブをかけているのに、それに対して知らんぷりを決め込めば、逆風に遭う可能性が相当高いと思います。憲法をめぐって自らの政治的計算だけをするのではなく、真剣に臨めば、国民もオープンに判断するでしょう。国民が「無条件に政府与党に有利なように助けるべき」とは考えないだろうということです。

白承憲 6月の地方選挙と同時改憲にならなかったらどうなるでしょう。ろうそくデモの成果で、今、市民親和的・主権者親和的な憲法に一歩前進できなければ、一種の失敗と考える方たちもいるようです。

李仁栄 そのような結果は、今、想定できません。万一、ろうそくデモの意思を今回集約して、改憲に昇華させられなければ、改憲にならない状態で、改革を通じてまたそれを受け継ぐしかないでしょう。

白承憲 私は今回、与野党の大統領選候補の公約の通り、改憲が成立することを希望しますが、それが現実的に困難になっても、改憲の必要性が減るわけではなく、むしろより明らかになるだろうと思います。政界は6月の改憲議論が終わりでないことを明確にすべき必要があると思います。このように政界全体が今、様々な問題の総合版である改憲に対して、結論を出せなくなっているわけですが、これに対して助言や叱責があるでしょうか。最後に一言ずつお願いします。

権金炫伶 政界に対して言うならば、今は結局、民主党に言わざるを得ないのですが、とにかく新しい時代の憲法精神とは何かに対する討論が成り立ち、その最も核心的価値を分権で選べる状況のようです。改憲と関連した民主党の歩みが、大統領の公約を守るための最小限の表面的努力という疑いから脱して、有権者に真正性をもって接近しようとするならば、憲法の精神として強調した分権を、選挙制度の改編、比例性の強化、女性代表と男女同数などと、党の内部でも制度的に消化しようとする姿を示すべきだと思います。

鄭斗彦 この機会に、韓国社会が本質的な論争の場を経験するのは、とても望ましいことです。これまでの葛藤や矛盾を再確認する契機になればいいと思います。特に集団主義と個人主義との間の時代の変化に焦点を合わせて、論争が健全に成り立てばいいと思います。今、若い世代がほとんど個人主義に立っています。ここに座っている私たちさえよく理解できないほど、雰囲気がかなり変わっているようですが、その部分に関心を持てればと思います。

李仁栄 憲法が為政者の統治手段、支配者の支配道具であった時期がありました。そのうち1987年の6月抗争にともなう直選制の改憲を通じて、憲法の門が国民に開かれるのです。2016年から17年にかけて、ろうそく広場で、すべて国民のものになり始めたのです。当時接した、忘れられないインタビューがあるんですが、ある若者に、なぜろうそくを持って広場に出てきたのかと聞くと、1人は「100万人のうちの1人になりたくて来た」といい、もう1人は「大統領は憲法を破っても、私たちは憲法を守るということを示したくて来た」と言っていました。為政者の統治手段、独裁者の支配道具、既得権者の延長の通路として憲法が機能した現実を、すべて越えられるエネルギーが充満していることを示す話だと思います。これを改憲として収斂しなければ、憲法体制の外でずっとぐるぐる回りながら門を叩くことになるでしょう。ですから、そのような声を憲法で示すことが、政治を行なう人たちの当然の道理であり、またそのようにしてはじめて、あの長い時間を最後まで平和的に耐えながら、新たな変化を作り出した、国民の意思と国民主権の正しい発展に符合するものであると明らかに考えています。この過程が挫折すると思うと実におそろしいです。憲法が国民のものになったのに、完全な憲法を作ることができないということです。ですから、自ら召命感を持って臨んできましたが、今、進路が明確でなく、とても残念です。いい憲法を作れば、よりよい民主主義へと進む道が開かれ、またよりよい国民の生へと進む道も作り上げられるだろうという思いでさらに努力します。

白承憲 1つの国の最高規範や政治体制を単純に評価することはできませんが、それでもアメリカの民主主義がこのようにガタガタするようになった理由の1つとして、憲法を適宜改正することが困難なシステムをあげたりもします。反面、ヨーロッパの成文憲法の諸国は、憲法を現実と合わせていく作業を着実に、ほとんど毎年行っています。憲法は最高規範ですが、だからといって、それが可変的なことを否定する理由にはならないと思います。時代の精神と価値が憲法にきちんと整理されるほど、相互に好循環の構造を作ることができます。この循環の輪がかなり硬直してしまうと、現実を逆に固く締めつける側面があると思います。87年の改憲後、これまで、韓国社会が金融危機やろうそくデモをはじめとして、実に多くのことを経験しただけに、今は本格的に憲法をあらためて整える時であると思います。この課題が単に政治家だけの役割でなく、主権者すべての役割であるという点に留意して、引き続き注目していけたらと思います。長時間、感謝申し上げます。(2018年2月8日/於・創作と批評社・西橋ビル)

(訳=渡辺直紀)