揺れる板門店、そして平和への並進 / 李貞澈
李貞澈(イ・ジョンチョル)
崇実大学政治外交学科教授。共著『現代北韓学講義』『米朝対立』などがある。rheeplan@ssu.ac.kr
これまで70年余りの間、板門店は対決と恐怖の象徴であった。交渉のテーブルという本来の機能よりも、荒々しい言葉の攻防と野生の暴力が行き来する反文明を意味した。「ソウルを火の海に」で知られる暴言が発されたのも、ポプラ事件〔原語は「斧の蛮行」。1976年8月に共同警備区域内でポプラの木を切り倒そうとしていた韓国軍と駐韓米軍の兵士を朝鮮人民軍が攻撃、第二次朝鮮戦争が勃発しかねない事態となった〕という極端な暴行が行なわれたのも、この場所であった。
しかし2018年4月27日、「非武装地帯(DMZ)の非武装化」という名のもとで板門店を平和の空間に戻そうとする歴史が新たな幕を開けた。その日の夜間公演は、苦痛の歴史の記憶を後にして、平和と繁栄そして統一の名を冠した祝祭の序幕であった。寂寞とした休戦ラインの夜を照らした灯りの下で繰り広げられた「板門店宣言」は、平和を切り開く拠り所であった。冷戦の空間だった彼の地でなされた劇的な和解が注目されるべき理由はここにある。
1.2002年の板門店と2018年の板門店
2002年に開こうとしていた第二回南北首脳会談が場所の問題で決裂したという事実を知る者は多くない。林東源(イム・ドンウォン)元統一部長官の回顧録(『ピースメーカー』創批、2015年)によれば、2002年、南北は6・15共同宣言の後続措置として第二次南北首脳会談を行なおうと論議し始めた。北朝鮮は当時、ロシアのイルクーツクで第二回首脳会談を開催しようと提案したが、我々の側は板門店で開催しようと逆提案した。場所をめぐって綱引きが行なわれていたなかで、北朝鮮は「板門店は我々を脅かしている米軍が管轄する地域であるので、そこで会談をしようということは納得いかない」として、第二回首脳会談の開催を電撃撤回した。当時、会談はそうして板門店という場所を問題にして実現できなかったのである。
聞くところによれば、今回の平昌オリンピック閉幕式に参加した金英徹(キム・ヨンチョル)労働党副委員長が電撃的に南北首脳会談を提案する特使の役割を自任していつつも、やはり2002年と同じ論旨で板門店での首脳会談については首を横に振ったという。韓国政府はソウル、平壌、板門店のどこでもいいが板門店が最も適しているとの趣旨で首脳会談の場所を板門店に誘導しようとしたが、北側の反感は未だ強かったということである。
しかし、韓国側の特使団の答礼訪問を迎えた金正恩委員長は、意外にも、左見右見しない例の痛快な語り口で板門店での首脳会談を電撃受容したと伝えられている。「米帝」が「管理」するものと知られる敵対的空間に相対する金正恩の態度変化こそ、今回の板門店での首脳会談の劇的な効果をもたらした動因だったのである。北朝鮮が新しい思考をできるという可能性を示すにしたがって、我々皆は板門店だけではなくDMZ全体を、平和と共生そして和解の空間に変えようと夢見始めるようになった。こうして誕生した板門店宣言は、歓送公演「一つの春」とともに、対決の空間である非武装地帯を平和と和解の場へと作り変えていった。
2.板門店宣言の構成的フレームと特性
板門店宣言は文在寅政府が推進していた首脳会談の当初の議題に比べると、その順序と構成において重要な違いが見られる。会談前に文在寅政府が掲げた三大議題は①朝鮮半島の非核化、②軍事緊張の緩和と恒久的平和の定着、③新しく大胆な南北関係の進展であった。これに比べて板門店宣言は①南北関係の全面的・画期的改善と発展、②軍事的緊張緩和と戦争の危機の解消、③恒久的かつ堅固な平和体制の構築という三か条14項目からなっている。
今回の板門店宣言で何よりも特徴的なのはその順序、すなわち、南北関係の全面的・画期的な改善と発展を第一条に配置したという点である。当初、韓国政府は朝鮮半島非核化を第一条に据えようとしたが、板門店宣言は南北関係関連項目を第一条にした。南北が当面できること、そしてすべきことを前面に配置しようとした実用的アプローチの勝利であった。この順序の変化について非核化を等閑視したという批判もあるが、南北関係という本性的に民族自主の原則にしたがった南北当事者主義に基づいて、その他の合意事項はこのための実行措置とならねばならないという論理は昔ながらの文法である。これに従って板門店宣言は第一条と第二条で南北当局が実行できる措置を、第三条では南北とアメリカが議論すべき措置を分けて扱っている。第一条で南北関係の全面的改善のための事項を列挙し、このための軍事的保障措置と緊張緩和措置を第二条で並列するというやり方である。このような順序の変化から、板門店宣言が南北当事者主義に立脚した実行宣言として構成の完結性を強化していることがわかる。
これに関連して第一条で注目すべき部分は、開城に南北共同連絡事務所を設置することにしたことである。互いに相手の首都に代表部を設置する準大使級関係正常化という方法とは異なり、南と北が一つのガバナンス組織をつうじて関係を改善していくという意志をはっきりさせたのである。開城が南北協力のメッカになった経験を生かすというならば、南北は開城共同連絡事務所をつうじて政治、経済など多様な領域を調律していくことができるであろう。それが二つの代表部ではなく、一つの連絡事務所のかたちになるという点は、南北関係を連合的方式で制度化していこうとする方法的意志の所産と考えられる点で、非常に重要である。
第一条で多様な交流協力の推進とともに重要なのは、鉄道、道路の連結および現代化に合意した点である。それは金正恩委員長が「情けない」と表現するくらいに立ち遅れた北朝鮮のインフラを改革する序幕であるという点でも重要であるが、同時に、韓国を東北アジア経済圏へと繋げる装置かつ機会空間という点で見過ごせない事項である。韓国と北朝鮮、中国東北地方まで人口二億の地域を一つの市場として考えられる経済統合の幕開けであるとみることができるからである。文在寅大統領がこのような構想を込めた朝鮮半島新経済地図を北側に伝えたという知らせに注目すべきなのも、このためである。
第二に、板門店宣言の重要な特性は、その構成の問題である。平和体制を第二条と第三条に分けて扱っているのである。平和体制の議論を第二条の在来型兵器と関連する緊張緩和の要因と、第三条の核問題と関連する緊張緩和の要因に分けて扱うことによって、論理的にははるかに完結された平和体制の概念に基づいていることがわかる。非核化を平和体制の手段とみなすのであれば、それを独立項としてではなく恒久的かつ強固な平和体制という題目のもとで扱う方が整合的である。非核化を平和体制と分けて扱ってきた既存の論理は臨時変容的であったうえに論理的でもあったが、概念的には今回の構成のほうがはるかに質の高い平和体制の議論が反映された結果であるといえるだろう。
不可侵論理とともに非核化を第三条の恒久的な平和体制の構成要素として扱うことによって、板門店宣言は李明博政府以来、韓国社会で堅持されてきた先非核化論の罠から抜け出すこととなった。同時にそれは2015年以来、北朝鮮が言い張ってきた先平和協定という事実上の核武装論を北朝鮮自らが否定することによって、非核化-平和体制の並行論に錨を上げたのである、今後、米朝間で進められる交渉が非核化と平和協定を同時に論じる、いわゆる双軌並行のプロセスになるだろうことを明文化したという点で、米朝会談の道標として十分な役割を果たしたといえる(並行論については後述する)。
要するに、第三条は南北当局が非核化を主題にした点で画期的であったが、それをつうじて米朝会談の主要テーマである非核化の議論の方向性を示したという点でも注目すべきなのである。再度強調しておくが、非核化と平和体制を同時並行して進めていかねばならないという双軌並行の方向を記述したという点を見逃してはならない。
第三に、今回の宣言文で南北が非核化の水準と目標について「完全な」という叙述を使用した点も注目すべきであろう。よく言われる「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)という表現が使用されるべきという強迫観念もあるが、「完全な」非核化だけでも我々が目標とする最小限のことを成し遂げられたという点で十分に強調されてしかるべきである。ハードウェアだけでなくソフトウェアの不可逆性まで含めて扱われたウクライナ式のノン・ルガープログラム(包括的脅威減少、CTR)による不可逆的非核化は、北朝鮮の科学者たち[1. 核開発に携わる中心的科学者は200~300名、関連技術人力は8000~15000名と推定される。「強硬化する非核化…ボルトンもPVID強調」『中央日報』2018年5月7日。]をすべて外部へと強制拘引することまで含めねばならない。しかしそれは当初から不可能な目標だったという点で、北朝鮮がCVIDを敗戦国にでも強要するくらいの無駄な妄想であると批判したというもの、昔ながらの真実である。北朝鮮の非核化プロセスはハードウェアの解体を軸にする非核化、すなわちライトフリーズ(light freeze)を優先せざるをえず、その点でむしろディープ(deep)フリーズを意味する20~30年がかりのCVIDという表現は修正が不可避である点は、なんともおさまりの悪い真実である[2. 「ディープフリーズ」は公開された核施設はもちろん、隠された核施設に至るまですべてを凍結するものであり、「ライトフリーズ」よりもはるかに徹底した視察と検証が必要である。アメリカ国務省関係者は「ディープフリーズとライトフリーズは国際的に公認された用語ではないものと認識しているが、国務省内の内輪で使っている用語」だと語った。「国務省高位官吏“北体制保障時核放棄…廃棄までは25~30年”」『聯合ニュース』2018年5月4日。]。
実際、完全な非核化という概念は、兵器用核施設だけでなく平和的核施設までをも含むすべての核施設の解体を意味する。完全な非核化という目標はこの点で、2005年の9・19共同声明以来議論になってきた北朝鮮の現存するあらゆる核施設の解体を意味することによって、非常に現実的な目標となった。9・19共同声明で北朝鮮は軽水炉提供を「千年岩のように固い約束」として、非核化の対価に原子力発電所の提供を要求してきた。こうした交渉の歴史に即するのであれば、北朝鮮が完全な非核化に同意したのは寧辺にある全ての核施設、発電用原子炉そして新浦原子炉の要求までをすべて放棄する重要な措置に同意するということである。完全な非核化という表現はこの点で実現可能な非核化の最大値であり、概念的非核化の最小値以上が込められた合意事項であるだけに、北朝鮮としては重要な譲歩であり、我々としては危機の臨界値を引き戻すものとみることができる。
3.いわゆる「主動的措置」問題
他方で、今回の合意文は「北側が講じている主動的な措置」を高く評価し、これに呼応して南北それぞれが自らの責任と役割を果たすと明記されている。相互主義の非常に重要な原則を規定した項である。主動的措置とは、核実験とミサイル発射を先に中断(suspension)し、核・経済の並進路線の破棄、米韓軍事演習実行に対する諒解などといった北朝鮮が講じている様々な措置を意味する。実際、北朝鮮は4月20日に七期第三次中央委員会の決定書「経済建設と核兵力建設の並進路線の偉大な勝利を宣言することについて」で「主体107年(2018年)4月21日から核実験と大陸間弾道ロケット実験発射を中止すること。核実験中止を透明性のあるかたちで担保するために共和国北部核実験場を廃棄すること。(中略)国の人的、物的資源を総動員して強力な社会主義経済を打ち立て、人民生活を画期的に高めるための闘争に全力を集中すること」と発表し、この方針を公式化した。
中国が2016年に双暫定中断(suspension for suspension)という仲裁案を出してから、米中間で最大の葛藤要因となってきたのがまさに米韓軍事演習という合法的同盟行為と、北朝鮮の核・ミサイル実験という違法な挑発との間での等価性をどのようにみるのか、という問題であった。北朝鮮が核ミサイル実験を中断する対価として米韓は軍事演習を中断せよという中国の双暫定中断の提案に対するアメリカの答えは、違法と合法の交換はできないというものであった。そのため北朝鮮核問題は膠着してきたのであるが、最近になって、北朝鮮が先に核とミサイル実験を中断して米韓軍事訓練を諒解すると宣言したことによって、解決法が見いだされたのである。
いわゆる主動的措置をこのように解釈するなら、それによって南と北がとるべき自らの責任と役割は何であろうか。アメリカの役割が非核化に対して平和体制を並行することであるなら、南側の役割とは、おそらくは、双暫定中断に沿った対応措置となるだろう。北朝鮮が核実験とミサイル演習を中断したことによって、我々の側もそれに合わせて戦略的資産の動員を放棄するといった、米韓軍事演習の縮小を断行すべきであろう。このような等価性の論理は、実際、北朝鮮が米朝接触で「アメリカの核戦略資産、韓国から撤収/韓米連合訓練時に核戦略資産の展開中止」を要求したという報道にも表れている[3. 「“北”、非核化の対価五ケ案アメリカに提示した」『ハンギョレ』2018年4月1日。]。
結局、北朝鮮の主動的措置に対する韓国政府の責任と役割は、主にこの部分に合わせねばならないと同時に、これは8月に予定されている乙支フリーダムガーディアン訓練が一つの試金石になるであろうと思われる。板門店宣言第三条で「相互軍事的信頼の実質的構築によって段階的に軍縮を実現」させるという規定もまた、これに関連して非常に重要な照準点となる合意内容である。
この点で、今回の板門店宣言は「敵との同寝をつうじて信頼を構築」する共同安保(common security)の枠組みを導入し、非核化を軍部統制の観点から再解釈する実験的プロセスでもある。道標となる宣言である板門店宣言が、平和の航路を導いていく新たなガイドラインとなっているという確信も、これに由来する。
4.双軌並行と楽観論の根拠
実際、北朝鮮核問題のなかで長く論争になってきたことの一つは、平和体制の時点問題である。9・19共同宣言は平和体制を非核化の結果として扱った。北朝鮮の非核
化が完成するとき、その補償の一つとして平和協定を結ぶと規定されたのである。当時の議論は北朝鮮の非核化に対する補償は経済財でも充分であるとして、その最終段階にならないと安保財としての補償を検討することができないという、非常に覇権的な発想であった。平和協定が改めて問題になったのは2015年10月以降である。その1年前の2014年10月に北朝鮮が初めて相互凍結論を提起するまで、北朝鮮が平和協定を非核化プロセスの入口で締結しようというとんでもない主張を掲げることはなかった。しかし2015年2月、アメリカのオバマ大統領がYouTubeのインタビューで北朝鮮崩壊論に言及すると、北朝鮮は「アメリカの奴らとはもう膝を突き合わせる必要も、仲良くする用意もない」として強硬路線へと舵を切り[4. 「アメリカの奴らとはもう膝を突き合わせる必要も、仲良くする用意もないというのが我々軍隊と人民が下した決断である。オバマ一党は口癖のように力による《圧迫》と《対話》という《二つの道戦略》で我々の変化を誘導し体制の《崩壊》を導き出そうと身の程知らずにもほざいている。(中略)《先変化》があってこそ対話があるという寝言のようなことを世界の面前でこれ以上ぬかしてはならない。」2015年2月4日、北朝鮮国防委員会声明。]、ついに2015年10月17日、外務省声明で先平和協定論を主張するに至った。「停戦協定を平和協定に代えることをあらゆる問題に先行させねばならないというのが、我々が到達した結論である」として先平和協定論を公式化したのである。同声明で北朝鮮は「我々は去る時期に非核化問題を先に論議するべきであるという関係者側の主張を考慮して六者会談で非核化論議をまず行うことにした」「核問題と平和保障問題を同時に議論してもみた」と述べ、先非核化論と並行論の双方が失敗の経験だと非難した。
実際、北朝鮮は2009年以前までは非核化先行論に同意していた。9・19共同声明は非核化を先行してそれが完成する出口の時点で平和協定・米朝修好を補償として与えるロードマップを描いていたのである。しかし2009年第二次核実験を断行してから、北朝鮮は、平和協定を非核化が完成するのに先立って締結せねばならないと主張し[5. 「アメリカとの関係正常化なしに生き延びることはできても、核の抑制力がなくては生き延びることはできないのが朝鮮半島の現実である。」2009年1月17日、北朝鮮外務省声明。]はじめた。いわゆる並行論であった。そして2010年には「9・19共同声明にも平和協定を締結することに対する問題が言及されている条件で、その行動順序を今までの六者会談が失敗した教訓に照らして実践的要求に合わせて前倒しにすればよいであろう」(外務省スポークスマン声明、2010年1月11日)として、平和協定を非核化プロセスの完成段階ではなく、その中間の時点のどこかへと前倒しにすべきと主張した。2014年10月、北朝鮮が双凍結論(双暫定中断)、すなわち軍事演習と核実験を同時に中断することを非核化交渉のスタート地点として提起したときも、彼らは並行論の立場を堅持していた。
しかし先述したように、2015年2月の交渉決裂後、北朝鮮は並行論を再検討し、結局、同年10月以降は先平和協定論を掲げ始めた。すなわち、非核化を始めるためにはまずその出発点で平和協定を締結せねばならないという事実上の核武装論を出してきたのである。その直後、北朝鮮は2016年に二度、2017年に一度の追加核実験を強行した。惜しむらくは、北朝鮮の主張を受容して2015年12月にアメリカが、2016年1月に中国が(双軌)並行論を提起し始めたが、こうした国際社会の対応が遅きに失したことである。その時すでに北朝鮮は先平和協定論へと転換していた。
2016年、2017年に続けられた国際社会の対北プレッシャーは、事実上、先平和協定論を掲げた北朝鮮の核武装論を牽制して北朝鮮を並行論へと戻すためであった。トランプ行政部の対北政策だった「最大限の圧力と関与」がオバマ政府の「戦略的忍耐」との違いを示すためには、圧力が関与へと転換する目標時点がはっきりしていなければならない。対北圧力が成功するためには崩壊に向かう無限の制裁論に照らされてはならないのである。戦略的忍耐はその点で失敗であった。したがって、最大限の圧力は明確な目標を提示することによって関与への転換時点を内在させていなければならない。この点で、トランプの最大限の圧力が北朝鮮を並行論へと戻すところに目標を設定した点と、まさにその時点が関与への転換点であることをはっきりさせるならば、最大限の圧力と関与という政策が標榜している合理的核心が明らかになる。こうした解釈は、実際、アメリカが先非核化ではなく非核化-平和体制の並行論を切実に望んでいるという分析から出発している。トランプの言う最大限の圧力と関与というパズルは、このような現実主義的地平でのみ可能な鍵である。
アメリカが先非核化論の代わりに並行論を要求したという点は、あまりよく知られていない事実である。しかしそれはすでに2年前のビクター・チャのコラム[6. 「対北外交の舞台は変わっている」『中央日報』2016年2月26日。]によって韓国政府には公然と伝わっており、朴槿恵政府はこれを阻むために死力を尽くしていたと思われる。朴槿恵政府が開城工団を閉鎖しサード配備を受け入れたのもその頃である。
「平和条約会談が非核化階段と並行してなされねばならないというアメリカの要求を平壌が拒否したからである。(中略)国務省が本質的に語っているのは、アメリカが北朝鮮と平和条約のための会談をする準備はできているということだ。ただ、平和条約会談には非核化が構成要素として含まれねばならない。(中略)我々が目にしているのは、去る25年間維持されてきた対北交渉のひな形(template)が、漸進的にではあるがかなりの程度変わってきている現場である。(中略)国務省の反応は事実上、対北対話に新たな先例を残したのである。(中略)北朝鮮の目標実現だと考える人々を間違いなく激昂させるであろう。(中略)現在の緊張の高まった局面が安定期に入って外交官らが交渉のテーブルに戻っていく空間が生じるなら、(中略)次期行政部は再びアメリカの合理性問題と衝突することになるだろう。」
こうしたビクター・チャの激昂と憂慮は、しかしながら、誰かにとっては新たな可能性に見えもする。彼ら・彼女らは並行論が仲裁案としての可能性を持っていることを知っているからである。
この点で、現状はここ2年間の対決局面とは本質的に異なる。北朝鮮が先平和協定論を放棄して2015年10月以前の並行論へと回帰したというシンプルな事実がそれである。要するに、並行論は中国の仲裁案であり、アメリカがこれまで北朝鮮と交渉しようとしてきた案であり、韓国の新政府が同意する仲裁案である。韓国政府のベルリン宣言は、先非核化論を掲げて場を壊す愚を犯すことはないという明確な意思表示である[7. 「北朝鮮問題と平和体制に対する包括的アプローチによって完全な非核化とともに平和協定締結を推進いたします」。文在寅大統領発言、2017年7月6日。]。このような状況で北朝鮮が並行論を受け入れた以上、非核化プロセスは四ヶ国みなが同時に虎の背に乗って走り出したということである。ここで降りる者はその失敗の全責任を負わねばならないのである。これが、目下進行中の非核化交渉に対する楽観論の根拠である。
5.朝鮮半島運転者論と韓国外交の文法
それでは、板門店宣言と非核化問題を超えて平和体制に向けた韓国外交と戦略ビジョンの問題を見てみよう。
朴槿恵政府期の韓国外交の責任を担っていた外交部のエリート主義者たちにとっては、アメリカと中国という二つのスーパーパワーの間でバランスをとること以上に重要な外交課題はなかった。韓国自らが戦略的ビジョンを提示してこれに向かって邁進する突破方式ではなく、外交の成功自体を大国間の均衡化という現状維持的目標に置いていたのである。しかし米中間の構造的力関係が変化に変化を重ねる間に、これらの間のバランスという目標のもとで続けられた微細調整(alignment)外交は、韓国外交の質を高めたというよりは、だんだんと韓国外交の機会主義的なあり方を露にしただけであった。こうした限界を乗り越えるために文在寅政府が当初掲げた外交の旗印が、朝鮮半島運転者論であった。これは二つの点で過去との断絶を意味する。
一つは、米中という大国間のバランスや調整によって生存を図ることを目標にするのではなく、朝鮮半島問題に対して我々自らがカギを握っていくという意味であった。少なくとも韓国問題、北朝鮮問題、さらにはこの二つが複合した朝鮮半島問題に対して、我々の所有権を放棄することはないという宣言であった。これは、北朝鮮問題を米中間の仲裁を通じて決定していこうという、かつての韓米中三者会談論のようなとんでもない事大主義的発想を断ち切るという意志の表れでもあった。
もう一つの断絶は、我々の外交が「南北関係の進展と四強外交の均衡発展」という、古くも新しい路線へと回帰するというところにある。ここ10年の韓米同盟没入論、米中均衡調整論などといった古びた路線を断ち切り、金大中-廬武鉉政府期の我々の外交の基本文法だった昔ながらの公式を新たに生かそうという論理である。南北関係の進展が韓国外交の自立性を高めてくれるという経験に基づいた発想であった。それは当初、ベルリン宣言として表明されたが、これに対する反響は微々たるもので、北朝鮮の反応は冷ややかだった。しかし韓国政府の根強い努力はついに平昌オリンピックでの和解局面をもたらし、南北の劇的な合意を生むに至った。
実際、我々の外交の最終目標は「統一された」グローバル中級国家である。この道を保障する外交文法を「南北関係の進展と四強外国の均衡発展」に見出すということである。この文法は韓国に三つの役割を要求する。「分断および平和管理」の当事者、「域内コンフリクト」の協力的媒介者および外交的架け橋、そして「新成長動力」創造のための協力者である。
分断および平和管理の当事者役割を強化するためには、「抑止に基づいた安保談論」を「統一および平和談論」に転換することが急務である。これまでの分断管理では韓米同盟を通じた対北抑止と現状維持の平和にとどまっていたが、非核化過程としての統一と平和のためには、韓国が周辺国に対する平和担保者として橋渡し(bridging)の役割を担っていくということである。非核化過程での対決を予防して軍事国家の過剰を防止する役割は、韓国だけにできることだからである。
また、グローバル中級国家として跳躍するために、域内の架け橋や媒介者的な役割を高めねばならない。アメリカと中国が軍事安保中心の対決関係に転落することにも反対するが、同時に両国がコンドミニアム体制を構成することも韓国の戦略的利益に反する。これを防ぐためには韓国が協力的媒介者としての役割を遂行せねばならない。日米同盟が対中抑止のための軍事安保重視の同盟だとすれば、韓米同盟は中国の覇権化に拮抗するためのアメリカの協力的媒介者であり、外交的架け橋として機能せねばならないという意味である。大国間の対決と結託のどちらをも阻む役割は、朝鮮半島から始まらねばならないからである。歴史的共通価値の復元と東北アジアの規範制定は、南北の協力を条件にするという点で、媒介者・架け橋としての中級国家の始まりを南北関係の進展に置くことが、歴史的経験に照らして正しい。
他方、統一は消費の場ではなく生産の場でなければならない。すなわち、統一を新成長動力の確保の道であるとするパラダイム転換が必要である。我々の統一談論はこのような成長動力を統一朝鮮半島の内部から準備するための措置であると同時に、東北アジアで経済地域協力体を作るための不可避な構想でもある。いわゆる北方経済論として人口に膾炙する地域協力構想は、中国東北地方の省政府を協力の場へと引き込む、非常に自然な過程となるだろう。創造のための協力者とならねばならない理由である。
南北関係はその実体性如何に対する論争があるが、分断体制論からわかるように、すでに機能している制度あるいはレジームである。このレジームを再編すること、すなわち統一の過程は国内政治地形とローカル/グローバルな環境を南北関係と照応させる戦略的プロセスである。したがって、分断体制下で機能する否定的レジームを揺り動かし、新たに南北連合を制度化するためには、統一が統一だけでなく平和が平和だけではなく、外交が外交だけではないような、総合的かつ戦略的なアプローチが必要である。去る四半世紀の韓国統一外交史の理念と構造において確認されるように、我々の統一外交の要諦は結局、当事者、架け橋、協力者という三つの役割を同時に遂行する「四強外交と南北関係の同時並行と均衡発展」という、宿命ともいえるモットーに込められている。
この過程で分断体制は国内政治に対する独立変数であると同時に、従属変数でもある。この総合的存在認識なくして従北だのなんだのという偏狭な政治的レッテルを貼って扇動などしているようでは、韓国社会を一歩も先に進めることはできないし、その退行性を加重するだけである。分断体制において機能するその独特な循環の輪は、対決型南北関係と勝利のテーゼに根差した吸収統一論が消えない限り、統一外交に対する官僚政治の抵抗という食物連鎖を強化する。今なお一部の野党と保守メディアそして外交エリートたちは権力の内外で平和と繁栄、統一宣言に対する反対論を休む間もなく騒ぎ立てている。新しい未来を拓く不確実性がゆえに、彼らは大国間で利益を調整するか同盟に没入することにだけ必死である。しかし我々にはそれ以上の創造的外交が必要である。調整と同盟という古びた文法だけではこの新しい断絶の時代を開いていく道は険しいことを、直感的に感じているからである。
現政府はこのような二つの断絶が朝鮮半島の平和の呼び水となっているという点を否認してはいない。南北首脳会談を朝米会談と朝鮮半島の平和を作っていく道標だと規定するのも、そうした理由からである。
6.おわりに
2018年の南北首脳会談は世紀の関心を呼ぶ一大事件であった。場所の特性から、宣言の内容から、米朝会談という世紀的イベントを前にした時期の面から、その意義は他に比べるもののないほど重大なものであった。しかし何よりも板門店宣言の意義は、我々をして再び未来を夢見る世代にさせてくれた点にある。大国のはざまで何の可能性もない暗い未来だけを見ていた挫折から抜け出し、自ら夢見ることを再びはじめることができるようになったことは、想像力が力となる時代の非常に価値ある資産である。統一大当たり論〔朴槿恵が統一すればバラ色の世の中がやってくると宣伝した〕が投げかけた未完の希望に板門店宣言が翼をつけてやったというのも頷ける。
南と北は首脳会談を定例化することにした。これによって秋には平壌で再会することになった。すぐにでも長官級会談や軍事当局者会談、そして多様な民間交流を再開し、これを制度化するであろう。このような多様なレベルでの出会いが随時行われてこそ、我々の夢は翼を得るであろう。南と北がともに描く一つの未来は、そうして開かれるのである。
※〔 〕は訳者による注である。
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