창작과 비평

[特集] いかなる南北連合をつくるのか: キャンドル革命時代の朝鮮半島 / 白楽晴

 

創作と批評 181号(2018年 秋)目次

 

いかなる南北連合をつくるのか。今をキャンドル革命の時代というなら、「キャンドル革命に相応しい南北連合」がその答えである。その際、「キャンドル革命」は果たして革命なのかという問いが生じうるし、そもそも南北連合は可能なのかという問いもありうる[1. 4月27日板門店宣言の後、私は似たようなテーマで三回の発表を行なった。5月24日に開かれた「キャンドル革命国際討論会」では「キャンドル革命の歴史的意味と残された課題」という基調発題(資料集『キャンドル抗争国際討論会:広場民主主義と社会変化の展望』、退陣行動記録記念委員会・民主化運動記念事業会、2018年5月24日)を、6月15日第133回細橋フォーラムで「米朝首脳会談と地方選挙後の朝鮮半島、そして市民の役割」をテーマに発表し、7月12日には韓半島平和フォーラムの第5期韓平アカデミーで「市民参与型統一運動と朝鮮半島の平和」というタイトルで講義した(韓半島平和フォーラム消息誌『韓半島の朝』2018年7月13日、および『プレシアン』2018年7月16日「白楽晴―崔章集の韓半島平和体制論争」というタイトルで報道)。本稿はこれらの発表の延長線上にあり、内容も一部で重複しており、時にはそのまま援用した部分もある。]。まず後者の問いをとりあげ、南北連合が可能なばかりか、すでにその建設作業は進行中であることを指摘しようと思う。

 

1.南北連合の建設は進行中

朝鮮半島の当面の目標は「低い段階の南北連合」である。当面の目標とは、当然「朝鮮半島の非核化」ではないかと反駁されそうだが、これは課題の性格を皮相的に理解したもので、後で詳しく説明するように、「非核化」だけを強調しては非核化が実現できず、また南北連合が建設中という最近のニュースにも疎い反応である。

2000年6・15共同宣言第2項の「南側の連合制案と北側の低い段階の連邦制案に共通性があると認め、今後その方向で統一を志向していくことにした」という合意に従ったとしても、その方向に進む唯一かつ現実的な道は連合の過程でも結合レベルがかなり低い連合を通過すると信じるからである。目標をそのように設定すれば、南北連合の建設は2007年10・4南北首脳宣言ですでに始まり、十年近い中断と逆行の末、2018年4月板門店宣言で華々しく再開された[2. 「再開」どころか「開始」とも言えるのかいぶかる人もいるだろう。これは本稿の核心論旨に該当する事案だが、南北関係の緊張がまだ激しかった昨年12月中旬、第1期チャンビ言説アカデミーの授業で、私が「南北が国家連合の準備作業を再開するまで道は遠いが……」云々した時、ある参加者が「再開」という表現について尋ねた。私は2007年の首脳会談後、すでに「極めて緩やかな連合機構に該当する措置が多くつくられ」たことを指摘し、その作業の「再開」を期待する意味だと答えた(白楽晴他著『変化の時代を学ぶ:分断体制論と変革的中道主義』、チャンビ2018年、130頁)。]。2000年の6・15ではなく、10・4を通じて連合制の建設作業を始めることができたのは、2005年六者会談における9・19共同声明とその後の合意を通じて、米国を含めた周辺国が朝鮮半島の平和に対して原則的に合意した後だからである。これに力を得て南北首脳は、軍事的な緊張緩和と関連国の終戦宣言、平和会談など6・15共同宣言で含めることができなかった事案にも合意し、南北交流と協力の細かい実践方案を作成したのである。

「朝鮮半島の平和と繁栄、統一のための板門店宣言」後の進行は目を見張るものがある。4月27日の首脳会談は従来の様々な格式を備えた平壌訪問ではなく、板門店での「日帰り会談」という点など、形式と内容ともに画期的であった[3. 板門店の象徴性、そして宣言の内容とその「構想的フレーム」の特性に関しては、李貞澈「揺れる板門店、そして平和への並進」『創作と批評』2018年夏号、を参照。]。もちろん、まだ国際社会の対北制裁が解けない状態で経済協力など多くのことを本格的に推進できなかったし、米朝間の交渉進度もやはり期待に満たないという評価もある。だが注目すべきは、そうした条件下でも南北間では第2回板門店首脳会談など数多くの会談や交流が相次ぎ、敵対装置の撤去やコミュニケーション手段の復元措置などが実現している点である。米国が米朝交渉の停滞中は韓国も対北接触を自制してくれと言える段階をはるかに超えている。

朝鮮半島の変化について米国が依然強大な影響力をもっているのは明らかである。しかし、平昌オリンピック時に訪韓したペンス(M.Pence )副大統領のように、はじめから意地悪く南北首脳会談の開催を難しくするならともかく──それでも遅らせることはできても、止められなかったと思うが──板門店会談が一応成功した後、米国自ら北との出会いを無制限に先延ばせたかは疑問である。もちろん、トランプ大統領(D.Trump)がすぐに米朝首脳会談に同意したのは大方の予想を超える反応だった。とはいえ、彼がまず南北会談を支持しだした以上、米国すら思い通りにできない流れがすでに形成され、6月12日シンガポールでの米朝首脳会談の成功により、その流れは一層強まった。

その重要な一部が「低い段階の南北連合」の建設過程である。もちろん、この過程が続いて多様な成果を累積したある地点で、南北連合を公式に宣布するか否かは累積した成果の絶対量だけでなく、その時点での政務的判断を要するだろう。いや、その前に「南北連合」という表現を使うこと自体も状況を見て決定されるだろう(たぶん、当面はあまり頻繁に使わないのが賢明なようだ)。「過程としての統一」という言葉があるように、重要なのは「過程としての南北連合の建設」であり、これは板門店宣言とシンガポール宣言によってほぼ不可逆的な段階に入ったものと思われる。

 

2.朝鮮半島の非核化はいかにして可能か

南北首脳と米朝首脳がともに合意した「朝鮮半島の完全な非核化」が、南北連合の建設の成功と直結しているのは言うまでもない。しかも、両者の関係は相互的なものである。換言すれば、連合の過程が非核化を必要とするように、非核化もまた南北連合の建設作業の進展なしには達成しがたい[4. 私は李明博政権になって北核問題が深刻になった時から、南北連合の建設作業が非核化のために必須であることを強調してきた。拙著『どこが中道でどうして変革なのか』(チャンビ、2009年)の序章「市民参与の統一過程は順調か」32~33頁、および『2013年体制づくり』(チャンビ、2012年)の第5章「包容政策2.0に向けて」121頁など。南北連合の必要性自体は、6・15宣言が出る前から提起した(「朝鮮半島の平和統一のための新発想」、『統一時論』1999年冬号)、『韓半島式統一、現在進行形』、チャンビ2006年、特に第3節「“過程としての統一”と国家連合段階」を参照)。]。

周知のように、シンガポール首脳会談では北の「完全な非核化」の履行と米国の北への「安全担保(security guarantees)」の提供を取り引きした。よく使われるCVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)やCVIG(完全かつ検証可能で不可逆的な保障)という表現は含まれなかったが、「完全な非核化」が検証過程と実質的な不可逆性を内包するという解釈は可能である一方、CVIGは――北が安全担保をそのように表現したこともないが――そもそも人類史にもない項目といえる。だから文字通り、「完全な」体制保障というより「最大限かつ確実な」保障を得るべきだが、これにはもちろん関係国が参加する平和協定、米国と朝鮮民主主義人民共和国の国交樹立、経済協力などが含まれるだろう。

周辺国が提供するあらゆる保障に必ずや加えるべき追加的な保障装置が南北連合である。米国がある時点で心変わりして再び北を侵攻するとか、敵対政策に戻っていく態勢になった場合、これがすぐに大韓民国が加担した国家連合に対する侵攻ないし敵対にならざるをえないように制度化するのである。のみならず、後述するが、分断状況では南の存在自体が北の脅威にならざるをえない現実がある。この現実を共同で管理する機構としての南北連合が必須であり、6・15共同宣言で両首脳が統一はするが、急ぎはしないと原則的に合意したように、国家連合は無限定に続く最終目標ではないが、急いで次の段階へ進みもしないという約束を制度化する必要があるのだ。

米朝間の非核化交渉に時間がかかるのは、非核化という課題自体の複雑さを無視できない。すでに核兵力を確保した北が核に関連するあらゆる装置と物質をどのように完全に除去するかは技術的問題も簡単ではないが、これを検証する過程と手続きはより複雑になるはずだ。さらに、韓国に対して米国が「核の傘」を撤回した場合、その範囲を定めて検証過程に合意するという別の問題が生じる。それでも、「完全な非核化」は現実的に難しいが、理論上不可能な作業ではない反面、「完全な体制保障」は当初から不可能であり、米国がどれほどの保障を提供する意志と能力があるかは常に綱引きの対象であり、検証が必要な作業である。ここで追加的な保障として南北連合の建設作業まで必要な形勢なら、短期的な「一括妥結」はとうてい不可能なことだと実感できる[5. トランプ大統領自身は「一括妥結」の不可能さを遅まきに気づき、交渉の時間表を調整したと思われる。これをめぐり、北の「時間稼ぎ」に乗せられるという解釈が米国と韓国のマスコミに広まったが、これは条理に合わない話である。李鐘奭元統一相が「変化する北朝鮮、どのようにみるべきか」という講演(チャンビ西橋ビル50周年ホール、2018年7月21日)で指摘したように、北が時間を稼いで一体何をしようというのか。昔のように核武装のための時間稼ぎをすることもあるが、経済発展に邁進するという党の路線が決定し、核実験場の廃棄と長距離ミサイルの発射基地解体する段に、時間を稼いでどんな核兵力を向上させようとするか想像しがたい。自らが願う保障を引き出すための交渉戦術というなら、もちろん別問題である。]。

ところで、「事実上の連合」は建設中だが、南の当局であれ北の当局であれ、これに明確な目的意識をもって推進しているとは考えにくい。文在寅大統領と一部の側近はそうした概念をもっているようだが、大多数の公職者や専門家もそうだとは考えにくく、北の当局の意中はさらに不透明である。少なくとも今まで北の宣伝媒体がずっと強調してきた「わが民族同士の自主統一」とか、「連邦制統一」は連合制に対する無関心ないしは警戒心の表現だったであろう。ともあれ、「低い段階の連合」が北で公認された国家目標ではないことだけは確かであり、米朝関係の妥結過程でも南側を国家連合を通じた担保提供者というより、主に「仲裁者」と見なしていないかと思われる。

両当局がそうだとして、コリア式の市民参与型統一を主導する「第三当事者」、つまり韓国の市民社会でさえ、まだ「第一段階の統一」としての南北連合、そしてそれが朝鮮半島の非核化のためにもつ現実的な重要性に対する認識は極めて不十分なようだ。板門店宣言とシンガポール宣言の履行のためにも、事実上の連合がすでに建設中であることを認識し、いかなる南北連合を、どのようにつくるのかを真剣に検討すべき時である。

 

3.北の改革・開放と朝鮮半島の共同繁栄はいかにして可能か

元来、北は改革・開放という表現を嫌ってきたが[6. 2007年の首脳会談当時、私も参加した特別随行団の夕食会で廬武鉉大統領が金正日委員長の反応を伝えている(拙稿「2007年南北首脳会談後の市民参与型統一」『どこが中道で、どうして変革なのか』、199~200頁)。]、今はどうかわからない。しかし、北が一応中国やベトナムのような党主導の社会主義経済を建設すると心に決めた以上、いかなる方式であれ、対外開放とそれによる改革措置を伴わざるを得ないだろう。これはまた、南北間に以前と異なるレベルの経済協力を伴うことになる。6・15共同宣言第4項は「南北は経済協力を通じて、民族経済をバランスよく発展」させることで合意し、4・27板門店宣言では再び「民族経済のバランスのとれた発展と共同繁栄」(第1項第6号)を約束した。

北の当局がこうした目標を「ウリ式」[われわれ式=北朝鮮式]に達成しようという意志以外に、いかなる具体的構想を表明しているかは定かでない。その反面、米国は韓国モデルによる繁栄を約束もし、ベトナムモデルも推薦するなど、とにかく北の核廃棄の代価として改革・開放を前提にした繁栄を助けてやろうという立場である。南の多くの論者も中国モデルかベトナムモデルかの論争はあっても、大別してソ連・東欧圏のように改革・開放とともに資本主義への体制転換が起きたタイプとは異なる経済発展を展望しているようだ。とにかく、北の経済が外部との連結が緊密になって活発化すれば、これまた体制保障の一つの軸となるのは明らかである。

問題は、中国・ベトナム式であれ韓国式であれ、北が直面する状況に根本的に反する面があるという点である。前者に関して、私は2007年首脳会談の直後にこのように診断した。

 

南北の和解・協力を主張する多くの方はきっと保守陣営を説得するためではなく、実際に経済協力を続ければ、北はベトナムか中国のように改革・開放をするようになるだろう、と本気で信じているようです。でも私は、この点だけは保守側の論者に共感する面があります。北は中国やベトナムのようにはならないでしょう。なぜなら、私たちは分断状況じゃありませんか。ベトナムは米国と戦って勝利し、統一を実現した後で改革・開放をしました。中国も台湾はありますが……国共内戦に勝って1949年にすでに武力統一に成功した国です……北の場合は米朝国交樹立を実現し、南との交流が活発になるとしても、韓国という存在がなくなるわけではありません。韓国という存在自体が大変な脅威であり、その面前で中国式またはベトナム式の改革・開放ができるでしょうか。もちろん、改革・開放に該当する措置を全くとらないはずはなく、その過程で中国やベトナムから学ぶものは多いでしょうが、中国式やベトナム式の改革・開放とは極めて異なる道でなければ不可能だと思います[7. 「2007年南北首脳会談後の市民参与型統一」201頁。こうした私の持論を職業外交官の経験をもとに確認してくれた最近の例が、宋旻淳元外相の講演「南・北・米の交渉──現場の経験から展望する」(チャンビ西橋ビル50周年ホール、2018年7月28日)である。彼は韓国を「安全の脅威」と感じざるを得ない北朝鮮と、統一後に改革・開放の道に入ったベトナムは全く異なる状況なので、ベトナム式開発は不可能であり、「長い時間をかけて価値体系の接近を通じ共存/統合する過程」が必要だろうと展望した。彼が南北連合を想定したわけではないが、南北連合に準ずる政治的妥結と、これを通じた相当期間の相互接近の過程を見越したものと解釈できる。ただ、南北連合という変数を代入すれば、「価値体系の接近」に至る作業は南北連合形態で共存/統合する「長い時間」になるが、その作業は時間の流れにただ委ねるのではなく、できるだけ早く始める低い段階の南北連合の建設を通じ、はっきりした目的意識をもって推進される時間になるべきだろう。]。

 

だからといって、当面統一国家をつくってその問題を解決する道もない朝鮮半島で唯一の対案は、南北連合という安全装置を創案して実行する道である。

トランプが考える「韓国式繁栄」がいかなるものか正確にはわからないが、新自由主義的な開放が大いに進み、民主化がかなり実現した現在の大韓民国が、北の改革・開放の模範になりえないことだけは確かです。むしろ独裁的な国家主導の経済発展、つまり朴正煕モデルがそれなりに思い浮かぶ。後者は分断状況における開発独裁だったので、余計そうである。だがこれも、モデルとしては決定的な問題がある。社会主義または「民主主義人民共和国」の理念に反する点はさておき、「朴正煕式の開発は朝鮮半島の分断と南北の対決状態、そしてグローバル・レベルの冷戦体制という現実の中でこそ可能だったという事実」[8. 拙稿「“キャンドル”の新社会づくりと南北連合」『創作と批評』2017年春号、29頁。]を見過してはならない。南北の和解と協力を前提にし、たとえ世界的に米・中が対立しても、昔の米・ソ関係とは全く異なる性格の競争関係が進んでいる時代に、北は朴正煕式と本質的に区別される「ウリ式」を創案すべき立場にあり、これには南北連合かこれに準ずる政治的装置を伴わざるをえないだろう。

 

4.韓国社会は?

ここまで考察したように、北の非核化と改革・開放、どれ一つ簡単なことではない。さらに、ここで省いてはならないもう一つの問題がある。つまり、北だけが変わって南は変わらなくても済む話なのか。

もちろん、韓国社会は何も変わらずにこのままで、という人はいないだろう。分断体制下で特権と利益を掌握し、少しも手放さない人でさえ、韓国社会で変えたいものは多い。政権の喪失後は特にそうだ。しかし、冒頭で指摘したように、要は「キャンドル革命に相応しい変化」なのである。

セウォル号の時や弾劾行動の時、無条件で「じっとしてろ」と言った権力者は没落し、彼らの露骨な「従北・左派」攻撃は野党の自由韓国党内でさえ信用を失った。ただ分断体制は反共守旧勢力よりはるかに根深く伸縮自在で、一般民衆に「じっとしてろ」という既得権層の論理はいつでも別の形で再生しうる。

板門店宣言とシンガポール宣言で朝鮮半島の平和体制建設の展望が開かれ、ぐっと急に増えた「統一を排除した平和共存」の主張もそうした論理ではないか、考察すべき余地がある。民族主義の理念に立脚した一挙統一を、分断体制論は当初から排除してきたし、朝鮮半島の平和過程の究極的目標として単一型の国民国家が望ましいかには疑問を提起してきた[9. 前掲、拙稿「韓半島の平和統一のための新発想」、82~83頁。また、「6・15時代の朝鮮半島と東北アジアの平和」、同書、20~21頁など参照。]。にもかかわらず、「統一か平和か」という恣意的な二分法を設定し、「統一なき平和」を主唱するのは平和協定の達成がどれほど複雑かつ困難な課題であるかを無視した机上の空論に過ぎないだけでなく、学問的にも問題の多い姿勢である。私はその代表的な論者のお一人に対してすでに実名で批判したことがあるので、ここでその批判を繰り返す必要はない。とはいえ、真剣な批判が他の論者によっても10余年間継続されてきたにもかかわらず、それに対する正面からの対応もなく、同じ二分法を繰り返している点で学問的な真剣ささえ疑わしいのである[10. 最近、私の実名批判としては脚注1の『プレシアン』報道を参照。二分法の恣意性・不適切性については、徐東晩と柳在建が批判しており(徐東晩「6・15時代の南北関係と朝鮮半島の発展構想」、『創作と批評』2006年春号219~22頁と、柳在建「歴史的実験としての6・15時代」、同書288頁:後者は鄭鉉坤編『変革的中道論』、チャンビ、2016年に「朝鮮半島分断体制の独特性と6・15時代」として収録、崔章集批判は130頁)、私も同じ意見を「朝鮮半島に“一流社会”をつくるために」と「分断体制と参与政権」(『朝鮮半島式統一、現在進行形』、180~83頁と62~63頁)で発表したことがある。その後、李承煥も似たような批判を提起(「分断体制変革の戦略的設計のために」、第5節「安保国家規律の相互協約としての南北連合」、『変革的中道論』、215頁)、最近の例としては李日栄「両国体制なのか、朝鮮半島体制なのか」、『動向と展望』2018年春号)を挙げうる。現在の休戦ラインを安定した国境線に変えてこそ平和が来るという主張も、いかに変えるのかに対する何の方策もない希望事項にすぎず、休戦ラインを国家連合の北側加盟国と南側加盟国間の安定した境界線にする第3の方案はどうして検討もしないのかわからない。]。もちろん、批判が主にチャンビ周辺の論者によるものだという点は学界主流への広がりに限界があることを物語るが、6・15共同宣言、10・4宣言、4・27板門店宣言で南北首脳が一貫して堅持した立場はそうした二分法を越えたものである点を看過する学界主流こそ、現実の主流からの疎外を自ら招いていると言える。

板門店宣言後、韓国の主流社会の多くの人士が急に「統一から平和へ」を叫びだす現象をどう見るか[11. 韓国社会各方面の合理的な名士が多数集結した「(財)韓半島平和づくり」は、その最初の学術行事(2018年7月13日)の標語を「韓半島パラダイムの大転換:平和から統一へ」とし(もちろん参加者全員が同意したわけではないが)、そのうちのある参加者は中央の日刊紙に時評を発表し、「平和は統一のための手段では決してない。逆に、統一を外すことから真の平和が湧きだす。平和が目標だ」(朴明林「パラダイム大転換:統一から平和へⅠ」、『中央日報』2018年7月18日)と力説した。こうした論は「統一から平和へ」という論調の弱点を端的に示す。統一も統一なりの点はさておき、二国家間の戦争のない共存という意味の(消極的)平和は一層レベルの高い平和のための手段であることもあり、新たな戦争を準備する手段であることもあり、金大中・盧武鉉・文在寅大統領が一貫して追求してきた漸進的・段階的な朝鮮半島の再統合のための手段であることもある。それでも、「逆に、統一を外すことから真の平和が湧きだす」というのは論理の飛躍であるのみならず、まるでこの間の朝鮮半島の戦争脅威が、ただ南北の「民族主義者」のせいであるかのように責めたて、統一を掲げたとは見なしがたい米国や、統一のために真剣な努力を傾けたことのない李明博・朴槿恵政権の責任を薄める結果になる。私自身も「長期的にはやはり統一より平和である」と断言したことがあるが、この場合、「長期的」に強調の表示をして「単なる戦争不在ではなく、人類が等しく和合してよく暮らせる状態としての平和であり、その時は国家も今私たちが知る形ではなくなるだろうし、“国家の自主性”も中・短期的目標以上にはなりがたいだろう。だが、そうなる前に韓半島の住民と韓民族は分断体制の克服という中期課題をまず遂行すべきである」(「大きな積功、大転換のために」白楽晴他著『白楽晴が大転換の道を問う』、チャンビ2015年、43頁)と敷衍した。]。本人の意図とは無関係に、ある社会的機能を伴っている可能性を考えるのは、まさにその談論の空虚さゆえである。南北連合の推進が非核化と平和体制の必須要件であり、市民参与を通じた推進力と創意性の発揮がいつの時よりも切実であり、そうであれば、南の社会も大々的な変化が不可避となる状況に至ったのに、非核化は米国の圧迫と交渉に任せ、政治は政党と政治家に任せ、将来の南北関係は外務省に任せたまま、市民はじっとしていてほしいという機能を伴う論理ではないか、省察すべき問題である。

統一を根源的に排除しようとすれば、南北間のあらゆる既存の合意はもちろん、大韓民国憲法の平和統一条項と北側の労働党規約および建国理念をすっかり否定する「大役事」が必要で、北であれ南であれ、見込みのない話である。それでも無理に想像力を動員し、南北が恒久的な分断に同意した二つの独立国家になったと仮定しよう。朝鮮民主主義人民共和国は改革・開放をしても中・日・露・韓など自分よりはるかに富強な国家に囲まれたまま、資本主義世界体制内で息詰まる競争に耐えねばならないだろう。数年内に退陣するトランプ大統領の好意が大きな支えになるはずもなく、韓国も次の政権がどうなるかわからない。最高指導者と党がうまくやるから人民は「じっとしてろ」と勧めるのは北の体制の一属性とも思えるが、攻め込まないから統一など考えずに、核兵器もなしに人権弾圧への批判にさらされ続ける東北アジアの弱小国として、「じっとしてろ」という周辺国の勧めを平壌当局が諄々と受け入れるだろうか。

それは「よその国」の事情だとしよう。大韓民国はどうなるか。

敵対的な分断国家が競争対象である隣国に変わるだけでも、この間の「従北」攻撃が大いに弱まり、民主主義と人権がかなり改善されるだろうという主張は十分に可能である。しかし、植民地時代と分断時代を経て立地を固めた勢力の特権守護の意志は依然として強く、「アカ」を云々する攻撃はなくならないだろう。分断体制の持病の一つが相手を罵って自己改革を避ける習性だが、永久的分断に同意した両国に変わったとして、そうした属性がなくなる可能性は低い。

資本の対北進出は統一を志向する経済共同体ではなくとも、今よりは円滑になるという予想、それ自体はそんなものかと思える話である。ただ、あらゆる利権を先に占めて経験を蓄積した中国は言うまでもなく、困難な時に助けてくれたロシアや遅ればせに植民地賠償金を提供する日本に比べても、北の当局が競争国の韓国にどれほど好意的か疑問だ。しかし、より重要なのは、資本の北への進出によって韓国の大衆の生活がどれほど向上するかという点である。例えば、労働者の交渉力は今も韓国企業の東南アジアや南アジアへの進出で深刻に制約された状態だが(一部の大企業労組は例外と言えるが)、何の汎コリア式調節装置なしに他の外国と同じように資本進出が実現すれば、国内の労働条件はより悪化するのは明白である。

環境問題もしかり。一方で、南の地を荒廃させた開発勢力が活動舞台を北の地に移すことで私たちは一息つく面はなくはないが、より強大になった連中を制御するのは極めて難しいだろう。それで、韓国の環境運動が韓国企業は北で事業する際に環境破壊を自制しろと要求してそれを防げるだろうか。国家連合の枠組があっても簡単な話ではなく、東アジアやグローバルな連帯の助けがあってこそ、多少は効果があるのに、完全に他の国ならば一種の内政干渉となり、極端な話、北の経済発展を妨害しようとする韓国ブルジョアの策動だという非難を買いかねない。

性差別問題はどうか。戦争の脅威が除かれ軍備縮小まで実現すれば、韓国社会の軍事文化が弱まり、男性優越主義も減るだろうという主張もまた形式論理上は可能である。しかし、女性差別は人類史のほぼすべての社会で多様な形で綿々と続いており、口では万人平等を標榜する近代に至り、それは往年の公然たる家父長主義よりもっと陰険かつ卑劣な性差別主義に進化した面がある。その上、分断体制下でより暴力的かつ大々的な女性嫌悪が広がってさえいる。この問題を共存する二つの性差別的な国民国家の「セルフ改革」に任せて、どれほど解決できるだろうか。もちろん、南北連合でその問題が解決できるわけではない。それこそ、文明の大転換を伴う課題とみるべきである。しかし、漸進的かつ段階的で創意的な市民参与型の統一過程という朝鮮半島体制の変革と、これに伴う画期的な市民参与を無視しては、解決どころか緩和も難しい問題ではないか。実行は「小をもって大をなす(以小成大)」と着実に進めるにしても、願いは大きく立てて出発すべきであろう。

その他に、男女を問わず横行する「特権層の横暴」であれ、新自由主義や分断体制によって恥ずべき人間の心性など、平和共存の中の普通国家の国民には治癒できない病弊があまりにも多い。ただ重ねて言えば、「平和共存下の普通国家」ということ自体が机上の空論であり、想像してみた仮定というだけの話なので、それを前提に悩む必要はない。いかなる南北連合をつくるのか、どのようにキャンドル革命に相応しい南北連合をつくるのかという、より実質的な悩みに立ち戻るのが私たちのなすべきことである。

 

5.キャンドル革命と揺れる世界体制

キャンドル革命は果たして革命なのかという最初の問いに、まだ正面から取りくんでいなかった。実は、私はこの問いをキャンドル・デモが盛んだった2017年初めに提起した。「“キャンドル”は明らかに既存の革命概念とは全く異なる面が多い」と認め、「その点こそ、世界的にも新しい性格の革命を生みだすかもしれない」[12. 前掲「キャンドルの新社会づくりと南北関係」、19頁。]との趣旨でキャンドル革命の概念を支持する立場だった。同じ主張を同年末の新年コラム、「キャンドル革命とキャンドル政権」(『チャンビ週刊論評』2017年12月28日)でもう少し進展させ、去る5月の国際討論会での基調発題、「キャンドル構想の歴史的意味と残された課題」でより本格的に論じた。

私の持論は、キャンドル抗争を通じた大統領弾劾と政権交代がすべて既存の憲法の枠内で平和的に達成されたので、既存の革命概念を満たさない点は明らかだとしても、教科書や歴史の本にない「分断韓国の特殊性」という脈絡で判断すべきだというものだ。

 

[分断体制による]桎梏の一つが民主的法治の本質的制約であり、韓国では1987年6月抗争によって軍事独裁が終息した後も、朝鮮半島の分断体制は揺れただけで克服できなかった。したがって、朴正熙・全斗煥時代の公然たる反民主的憲法の代わりに民主主義と市民の権利を大きく向上させた憲法がつくられたが、南北分断の状況では反共・反北のために憲法や法律を守らなくてもいいという長年の慣行が作動し続けてきた。成文憲法には見られない一種のウラ憲法なのである。その弊害が極大化したのが李明博・朴槿恵時代の民主主義の逆行であり、国政の私物化であった。

キャンドル抗争はそうしたウラ憲法の作動を停止させ、民主的な成文憲法を稼働させて朴槿恵政権を終わらせた。言いかえれば、「憲法が守られなかった国から憲法が守られる国へ変える、より本質的な革命」(拙稿「今年も動きましょう」『世界』2017年4月号)を起こしたのである[13. 注1)の資料集、12~13頁。]。

 

こうした革命は、韓国と世界で長年の学習過程を蓄積した結果だった[14. この段落と次の段落も、同上の基調発題の第5節「世界史的脈絡」(資料集、16~17頁)の論議を相当部分援用した。]。特に、1919年の3・1独立運動が注目に値するが、日帝当局の武力鎮圧で莫大な死傷者を出したが、初めから非暴力デモを手段とした運動であった。同時に、3・1独立運動と異なり、大々的な武力が動員された東学農民戦争もまた平和思想に基づいたという事実も想起される[15. 東学研究者の朴孟洙教授は、農民軍指導部の「茂長布告文」、農民軍の行動規範に該当する「四大名義」と「十二個条紀律」、そして「弊政改革二十七個条」を根拠にして「全琫準の平和思想」を説破している。(朴孟洙「全琫準の平和思想」、『統一と平和』第9輯第1号、2017年6月、72~98頁)。]。いや、一見テロリストとして分類可能な安重根も、東洋平和を深く思索した平和思想家であった。

その伝統は、分断後に起きた4・19学生革命、5・18民主抗争、6月抗争などでも持続された。もちろん彼らも、当局の暴力的な弾圧で完全な平和革命には至らなかった。4・19は警察の発砲で大々的な流血事態を生んだし、5・18は戒厳軍の無差別的な暴力に立ち向かった市民の武力抗争として一時的に平和な世の中をつくったが流血鎮圧され、6月抗争も朴鍾哲、李韓烈らの死と数多くの負傷者を出してこそ、6・29宣言を引き出した。2016~17年のキャンドル抗争がついに徹底した平和的革命として成功できたのは、こうした先行学習に加えて、以前より民主化された87年体制という政治環境と、SNS(社会関係網サービス)など市民のコミュニケーションと水平的連帯の技術的基盤が生んだ状況だったからであり、これは世界的な動向とも適合する。通信技術が発達しつつ人権意識が広がり、独裁国家も非武装市民への暴力鎮圧が次第に負担になっており、フランス革命やロシア革命をモデルとする従来の革命概念に対して修正を迫る歴史的経験が蓄積された。1917年のボルシェビキ革命以後は、(民族解放戦争の性格を兼ねた中国とベトナム、キューバ、ニカラグアを除いては)暴力による古典的な社会革命が成功した事例は見つけにくく、ロシア革命自体がソヴィエト連邦の解体とロシアの体制転換でモデルとしての説得力を失った。

こうした世界的な大勢に乗じ、最先端の成果を上げたのが韓国のキャンドル革命である。そう言えるのは、「分断韓国の特殊性」がまさに現存の世界体制の矛盾が集約された現場であり、「弱い環」に該当するからである。この弱い環を壊す「功力(功徳の力)」を積むために韓民族は、旧韓末以来、言葉でいえないほどの苦難を経験し、厳しくも創意的な学習過程を重ねてきた。分断後も、民主化と経済発展のために血と汗を流した末に1987年の市民革命を遂行し、分断体制の克服のために理論的・実践的功績を積み重ねてきたのだ。

シンガポール会談が米朝和解の第一歩というのは疑問の余地がない。朝鮮戦争の勃発から68年、停戦体制の成立後では65年ぶりに両首脳が初めて出会い、新たな両国関係をつくろうと合意したのである。非核化のレベルに対する具体的内容が含まれなかったという点の批判もあるが、細かい約定より相互信頼を基盤にして新たな関係を樹立し、発展させようと合意した点自体が、むしろより画期的だといえる。しかし、これは世界体制自体に亀裂を起こす変化なのか。むしろ、米国の影響力を拡大させるのではないか。

おそらくこうした質問に、どちらか一方に傾いた答が出ることはないだろう。専門家の助けを借りて慎重に検討すべき問題だが、ただ、米国の主流メディアと与野党を問わない議会勢力多数が、対北和解政策を強く揺さぶっているのを見ても、それがトランプ個人に対する反感の表出ではない可能性を示唆する。NATO(北大西洋条約機構)とWTO(世界貿易機構)、NAFTA(北米自由貿易協定)、TPP(環太平洋経済パートナー協定)など、米国は世界支配のためにこの間積み上げてきた各種の機構と装置をためらいなく壊してきたトランプが、対北封鎖を解除するというもう一つの「事故」を起こしていると、彼らなりの本気の憂慮を込めた批判ではないかと思う。米国主導の世界体制のためにベトナム戦争より朝鮮戦争がもっと重要な事件だったというブルース・カミングスの持論を思い出せば、一層そうである[16. 「朝鮮戦争の勃発が米国の安保機構を強化するのに極めて重要だったのと同様に、朝鮮戦争の最終的な終結は過大成長した米国の安保機構を解体するのに巨大な圧力を加えるだろう。これが朝鮮戦争はベトナム戦争より歴史的により重要なもう一つの理由である」(ブルース・カミングス「70年間の危機と今日の世界政治」、李昇鉉訳、『創作と批評』1995年春号、80頁)。柳在建は脚注10で紹介した文章でこの部分を引用し、「朝鮮半島の分断体制は冷戦の古い遺物ではなく、その本質的面貌をそのまま具現している体制のはず」(『創作と批評』2006年春号、280頁;『変革的中道論』115~16頁)と付け加えた。]。

東アジアだけみても、明治期日本が「脱亜入欧」路線をとって以来、アジアの分裂が数多くの地域内の戦争と紛争を呼び起こし、世界体制の覇権構造を支えてきたが、この60余年間は、まさに朝鮮半島の休戦ラインが「日本とその残り」の断層を代表し、この間の日本の右傾化と軍事力の強化もそれに力を得て可能だったと言える。だが、キャンドル革命という世界的な事件が南北和解を導き出し、また南北和解が米国に朝鮮半島の大変化にともに参加するのか、あるいはこれを拒否して朝鮮半島はもちろん東アジア全域で主導権を失うのかという危機を呼びおこし、安倍政権も遅まきに北との関係改善を模索する形勢である。世界的にも、いかに画期的な変化が起きているかを実感できる。

資本主義世界体制が揺れだしてかなり経った。確かにいつからと言えるわけではない。略奪的な資本蓄積の全面化とこれによる貧富格差の拡大[17. 新自由主義時代の資本主義による略奪型資本蓄積に関し、デビット・ハービーと白楽晴対談「資本はいかに作動し、世界と中国はどこに行くのか」で、「新たな帝国主義と“略奪による蓄積”」『創作と批評』2016年秋号、39~44頁:『白楽晴会話録』第7巻(チャンビ、2017年)、444~49頁を参照。]、気候変化で実感される地球環境の破滅的な変動、貪・瞋・癡を運行原理とする社会体制[18. 仏教式語法をかりれば、資本主義は貪・瞋・癡で運転される社会体制という主張は、拙稿「統一時代・心の勉強・三同倫理」(『どこが中道で、どうして変革なのか』、294~296頁)と「2013年体制と変革的中道主義」(『創作と批評』2012年秋号、18~20頁)を参照。]の中の人間性の荒廃、前代未聞の技術発展に対し、これに盲従であれ、「制御」であれ、同じ技術主義的な対応を越えられない人間知の枯渇などを思い、それこそ文明の大転換を切実に要望せざるをえない。こうした巨大な課題の前ではキャンドル革命も相対的に小事であり、「低い段階の南北連合」の建設はより一層その一部に過ぎない。だが、願を大きく立てるほど実行は「以小成大」、私たちが暮らす今、ここで着実に一つずつ進めるのが正しいのではないか。

 

 

--