南北連合の形成条件と課題 / 徐輔赫
2018年末にこの1年を振り返ると、朝鮮半島が劇的に変化したとあらためて実感される。戦争の危機から対話局面へと転換し、南北首脳がその変化を主導して南北の首脳会談後に最初の米朝首脳会談が開かれ、いわゆる非核・平和プロセスが始まった。その対話が続き、南北間では政治的・軍事的信頼の構築と北朝鮮の初歩的な非核化措置により非核・平和の道が始まった。
1.2018年朝鮮半島:平和優先主義?
南北関係と統一の側面から見ると、筆者は三度の南北首脳会談とともに南北共同連絡事務所の開設を主要な事件に選びたい。いくら「過程としての統一」「事実上の統一」のように、その概念を拡張させても制度レベルでの統一を無視はできない。連絡事務所の開設と相次ぐ首脳会談の開催、そして部門別での実務会談の開催は、何を物語るのか?ここで筆者は、「6・15共同宣言」の 第2項を思い浮べる。「南北は国の統一のため、南の連合制案と北の低い段階の連邦制案に共通性があると認め、今後その方向で統一を志向していくことにした」。それから18年後に読むと、その条項は先見の明だったのか、あるいは非現実的な期待にすぎなかったのか?
以下では、 2018年の朝鮮半島情勢を振り返り、持続可能な南北関係の発展を統一の観点から展望したいと思う。このため、南北連合を比較的詳しく考察し、南北連合の必要性とその意義を検討した後、関連するいくつかの争点を意識的に浮き彫りにしたいと思う。これを通じ、平和優先という共感層が形成されている状況で統一論議が触発されるなら、ささやかな成果と見なせるだろう。
まず、 2018年の一連の情勢変化はいかなる意味を投げかけるのか?朝鮮半島情勢という時、その範囲はどこからどこまでなのか?朝鮮半島情勢を南北関係に還元させて、南北関係を統一に等値させて理解できるのか?論者の関心事によって違うだろうが、一般的に朝鮮半島情勢(または問題)という場合、北核(北朝鮮の核)問題をはじめとする朝鮮半島の平和および安保問題と南北関係を通称する。朝鮮半島情勢が上位の範疇であり、そこに南北関係も含まれる。この場合、朝鮮半島の平和問題と南北関係は国際問題と民族問題に変じて表現されることもあり、この両者間には脈絡によって調和または葛藤の様相を帯びることもある。南北関係は南北政府間の相互作用と関連イッシューを包括するが、そこには短期的な懸案と中・長期的な問題、つまり統一問題も含まれる。そして、南北関係は両政府間の関心事はもちろん、民間交流・協力、人道主義問題も含んでいる。南北関係でも行為主体と問題領域の両側面で調和または葛藤の様相を呈すこともある。
朝鮮半島情勢および南北関係の範疇を上記のように設定すると、2018年朝鮮半島はどのように評価できるだろうか?後日、2018年の国際関係史において、朝鮮半島は最大の注目対象として記憶されるだろう。南北・米朝・中朝首脳会談と相次いだ首脳外交は、朝鮮半島を戦争危険地域から平和可能地域へと転換させた。この10年間、対決関係にあった南北・米朝首脳会談が域内の緊張緩和を主導した点も注目される。上で設定した朝鮮半島情勢の主要な範疇である朝鮮半島の平和問題と南北関係、その両面で肯定的な大変化が起きた。両側面の変化自体は2000年、2007年と類似しているが、その変化が劇的な反転という点に2018年情勢の特徴がある。劇的な反転は、戦争の危機から対話局面への転換という点と、分断停戦体制後初めて南北・米朝首脳会談が続けて開催されたという事実に求められる。
2018年朝鮮半島情勢の変化が、平和問題と南北関係で同時に起きたという点をもう少し見てみよう。「板門店宣言」と「平壌共同宣言」を想起すれば、大きなテーマは平和、繁栄、統一である。これは南北共通の関心事を盛り込んでいるが、その中に一定の順序を物語っているようだ。例えば、関係改善と戦争の危機の解消を優先的に達成して共同繁栄、非核化と平和体制の構築を成し遂げ、最終的に統一を推進するという構想である。特に平壌共同宣言は、こうした構想を深化させて「戦争の危険の除去と根本的な敵対関係の解消」のための包括的な措置を制度的基盤の下で推進することにした。それがまさしく「板門店宣言履行の軍事合意書」の採択である。2018年南北間の一連の合意自体が南北間の信頼形成の証左であるが、それを強化するのが合意の履行である。11月10日の現在まで、南北は少なからぬ合意事項を履行した。軍事分野では相互誹謗の中断、宣伝手段の撤去をはじめ通信線の復旧、板門店共同警備区域の非武装化、地上・海上・空中での敵対行為の中断、共同での遺骨の試験的発掘、漢江河口での共同利用水域の調査、非武装地帯内のGP撤去(11月末完了予定)などが達成された。また、非軍事分野では共同連絡事務所の開設をはじめ山林、体育、保健、人道主義、鉄道・道路など多方面にわたる協力事業に向けた準備的論議が進められた。
こうした一連の過程で、いくつかの際立った現象を見てみよう。まず、南北間の接触が多方面かつ急速に展開されたが、大部分は政府主導で進められた。一部の行事(離散家族の再会、平壌10・4宣言記念行事など)を除けば、民間の参加は低調である。特に、民間の人道的支援もほとんど実現していない。第二に、南北間の接触で経済部門は除かれている。波状的な対北制裁により人道的支援でさえ困難な点を勘案すれば、南北の経済協力が至難の業なのは容易に予想できるが、いつまでも経済部門を南北協力の枠外に放置しておけないだろう。南北の鉄道・道路の連結事業を果たして年内に着手できるか、金正恩委員長の年内訪韓とともに注目される。第三に、それでも一連の首脳会談が先導した南北間の交流・協力の模索は、北朝鮮と米国の信頼形成と非核・平和協議を促進させた。4項目を盛り込んだ6・12米朝共同宣言は、前文で両国の核心的関心事である非核化と安全保障を一つの文章にしている点を記憶する必要がある。相互主義でなければ、持続可能な平和友好関係の樹立どころか敵対関係も清算しがたい。
2.南北連合の意義とその条件
1980年代末、冷戦解体の波はヨーロッパだけで起きたのではなかった。ソ連の改革・開放と米国の海外駐屯軍の削減の動きの中、中国とベトナムでも民主化運動が起き、改革・開放政策が加速化した。北朝鮮は「ウリ式社会主義」による体制維持を基本路線としながらも、孤立を打破して経済回復のため対外協力を追求した。その延長上で、南北では一連の閣僚級会談が開かれ、1991~92年「南北基本合意書」と「朝鮮半島の非核化共同宣言」が採択された。南北は基本合意書で、「双方間の関係は国と国の間の関係ではない、統一を志向する過程で暫定的に形成される特殊な関係ということを認め」て停戦協定を順守しながら、「停戦状態を南北間の強固な平和状態へと転換させるために、共同で努力」するとした。現状維持→現状変更①(平和体制)→現状変更②(統一)という展望に合意したのである。南北の立場からは、その後の朝鮮半島情勢はこうした構図の展開または離脱と把握できる。
対内的に民主化、対外的に脱冷戦という趨勢の中、当時の韓国社会は疑似民主主義体制を通過していた。直選大統領制への改憲後、市民社会の関心は経済民主化と統一問題に移った。この頃、政府は統一問題に関する超党的な意見を収斂して、1989年9月11日盧泰愚大統領は国会で特別宣言を行うが、この時発表したのが「韓民族共同体統一方案」である。南北連合は耳慣れない言葉のようだが、統一問題に関心のある人は、それが韓国政府の統一方案に含まれているのを知っている。韓民族共同体統一方案は自主、平和、民主の三原則の下で段階的統一を提示する。「民族共同体憲章の採択→南北連合の実施→統一民主共和国の建設」がそれである。
盧泰愚政権が表明した韓民族共同体統一方案は、当時の野党と市民社会の意見を収斂した手続的な正当性を有する。次いで、金泳三政権は内容に手をつけずに、名称だけを「民族共同体統一方案」と修正し、その後はどの政権も新たな方案を提示せず、これを継承している。[1. ただ、金大中の3段階統一方案は、南北連合段階→連邦段階→完全統一段階と提示されているが、そこでは完全統一段階の政治体制は規定せず、そのままである。アジア太平洋平和財団編『金大中の3段階統一論』、ハヌル、1995年。] 先に考察したように、政府の統一方案は段階的な接近をしているが、最終的に民族、国家、体制、政府が一つになった理想的な(?)状態を追求している。言い換えれば、政府の統一方案は制度および政府中心の「上からの接近」をとっている。そうしたために、南北連合も静態的に設定されているだけで、南北連合の形成条件と方法、進化の過程と最終的な統一への転換などに関する具体的な言及はない。その上、政府の統一方案は7・4共同声明で南北が合意した統一三原則のうち、民族大団結の原則を放棄して民主の原則を含めているが、これは制度中心の接近法と結びつき、結局、韓国政府の統一方案は吸収統一論だという指摘を免れえなかった。
それに比べて市民社会から展望する南北連合論は、その意味が豊富で動態的に接近する点で、政府の統一方案より注目に値する。市民社会の統一論を先導している白楽晴は、「いかなる南北連合をつくるのか――キャンドル革命時代の朝鮮半島」(邦訳『世界』2018年10月号)[2. 『創作と批評』2018年秋号。]などで、南北連合の必要性とその戦略的意義を明快に表明している。もちろん、急激な統一は不可能と規定し、南北がお互いを理解して似通っていく一定の段階を設定する点は、政府と民間で語られてきた南北連合論の共通点である。だが、市民社会から展望する南北連合論は、6・15共同宣言の第2項を創造的に適用する知恵を示している。戦争の危機を超えて関係改善と信頼回復をもたらした 2018年を踏まえ、今後の南北関係をどのように発展させていくのか?2018年は平素とは異なって急速かつ圧縮的に流れ、2018年末の南北関係はすでに和解・協力の段階から南北連合へと進展している。板門店宣言と平壌共同宣言で南北は、①多方面にわたる協力事業に合意して履行を開始した点、②それを首脳会談はじめ各レベルの当局間の会談へと進展させている点、③決定的に南北間の合意履行を共同で総括する南北共同機構を運用している点が、南北連合の開始を物語る。もちろん、南北連合が始まったばかりで履行のレベルは高くないし、米朝間の非核・平和交渉の停滞とそれによる対北制裁の厳格な適用など制約する要素が多いのは確かである。それで、現在の南北関係は低い段階の連合制と言える。
実は、「低い段階の連合制」構想は、筆者が知る限り、姜萬吉が『わが統一、どうしますか』(当代、2003年)で初めて提示した。この本を教材にして学生に講義した筆者は、彼の独創的な統一の発想に感服した記憶がある。彼は6・15共同宣言に参加した後で戻り、第2項を適用して現実的な統一方案として「低い段階の連合制」を提案した。それは、まさに南北が協力可能な分野から共同機構をつくり、協力を制度化していくことを意味する。だが、2018年一連の南北首脳会談で導き出された幅広い合意と、その履行を総括する共同連絡事務所の開設は低い段階の連合制(こうした事情が持続すれば)よりも、高い段階の連合に備える意味も加味している急速な事態の進展である。
南北連合の戦略的意義を多角度から説破するのは白楽晴である。彼は前述の文章をはじめ様々な機会に、南北連合の基本的意義として南北が急速な統一の負担を最小化し、共生と互恵の観点から統一過程を共同で管理する点に求めている。白楽晴は現情勢を考慮し、南北連合は北朝鮮の立場では米国の軍事攻撃の可能性を事前に遮断し、南の一部での吸収統一の試みを統制し、自己流の改革・開放を展開できる条件を確保できると考える。南の立場では、急速な統一費用の負担を減らす代わりに、多方面で持続可能な協力を通じて北朝鮮との信頼を高めていけるだろう。要約すれば、南北連合は南北共同の利益を制度的に推進し、平和と統一を結びつけた現実可能な最大の協力の枠組である。南北連合は目下の最大関心事である平和を南北間で協力して定着させ、その過程で形成された信頼を基盤に統一段階に発展させる戦略的意義を内包している。2010年代になって国民は統一の必要性として、民族の再結合とともに平和の定着を強く支持している。[3. ここ10余年間の国民の統一意識の推移は、ソウル大統一平和研究院と韓国ギャロップの統一意識調査の結果を参照。http://tongil.snu.ac.kr.] 南北連合はこうした国民の統一意識とも通じあうものである。
南北連合が始まったという白楽晴の指摘に共感し、筆者は2018年を南北連合が開始された年として記録すべきことを提案する。政治的には4月27日板門店宣言の発表日を起点としうるし、制度的には開城に南北共同連絡事務所が開設された9月14日をあげうる。南北連合が北朝鮮と米国の非核・平和交渉と対北制裁の局面下で始まった点にも注目する必要がある。これは板門店宣言で生じた平和、繁栄、そして統一が一直線上の順番ではなく、多少は前後しても、基本的にともに前進する性質であると暗示する。問題は、こうした複雑な状況下で南北連合が持続可能なのか、またより高い段階の統一へ進んでいけるのかである。この質問に、ここで答えるのは難しい。ただ、南北連合を展望する際に論じられる、次のいくつかの争点を考察したいと思う。 ①南北連合の最終目的地は統一なのか、②そうだとして、南北関係が非核化、平和体制の樹立過程と別々に進みうるのか、③そして、南北関係の発展が国内外の影響に動じずに、政府の主導だけで可能なのか。これらは、南北連合の持続可能性を見定める変数に違いない。
3.争点① 南北連合→統一・平和?
先ほど、南北連合の戦略的意義は南北が平和と統一の過程を共同運営していく協力の枠組だと評価した。これは南北連合が平和の完成でも、最終段階の統一でもないことを前提とする。一群の国際政治学者とか安保問題専門家は、南北関係が非核化および平和体制と連動して展開される、いわゆる朝鮮半島の戦略的な三角関係上のイシューの一つと把握する。その枠内で南北連合とは、大体北朝鮮の一定の非核化措置(凍結、核プログラムの申告+α)と平和体制の樹立の進展(運用的な軍備統制[4. 軍事力の削減ではなく訓練、移動、配置などに関する相互協力を言う。]、終戦宣言など)に相応する南北関係の発展段階として想定される。問題は、こうした過程が順調に展開して非核化の完了、平和協定の締結および米朝関係の正常化とともに、最終的な統一段階へと発展できるかである。言い換えれば、南北連合から出発して進む道は一つと限られていない。その道は分断平和、統一平和、統一暴力、分断暴力への回帰という四つが想定可能である。南北連合がもつ多角的な意義とその現実、展望は別問題である。
2016年、筆者は仲間の研究者とともに、現在の分断停戦体制を平和学の視角から分析した書、『分断暴力』(アカネット)を刊行したことがある。「朝鮮半島の軍事化に関する平和学的省察」という副題を付けた同書の結章で、筆者は現在の分断暴力の移行シナリオを分断平和、統一平和、統一暴力と展望した。[5. 以下は、筆者が書いた『分断暴力』の結章を補完したものである。]
分断平和は統一が不可能か、少なくとも短期的に不可能なために、分断状況下で南北が平和共存し、共同繁栄しようという発想である。分断平和は互いに異なる二つの意味を有する。一つは南北間の既存合意に見るように、統一を追求するが、それに先立つ信頼づくり、緊張緩和を通じてまず平和を定着させるという意味である。もう一つは、結局、統一を分断下にある南北二体制のうち、一つが他の一つに吸収される現実政治の問題とみて、そうした統一は不可能または災厄なので、現在の分断状態を相互に体制尊重の下で互恵的な関係に発展させるのが望ましいという意味である。前者は南北当局の公式的立場であり、韓国社会でも幅広い支持を得ている。だが、分断70年がたやすく崩れず、それに無感覚な慣性が強化されて分断利益を得る集団が強固ならば、後者の分断平和が説得力を増すこともあるだろう。この10年間、統一に懐疑的な世論(このまま+必要なし)は40~50%を維持している。また、統一の必要を尋ねる際も、「民族再結合」に次いで「戦争の危険の解消」という回答が多かった。[6. 2018年ソウル大統一平和研究院の設問調査で、統一の必要性を尋ねる質問に、同じ民族だから(45.1%)、戦争の脅威の解消(31.4%)、先進国化(12.9%)、離散家族の苦痛の解消(6.9%)、北朝鮮住民の生活の質の改善(3.4%)という順で回答があった。この調査は2018年7月12日から8月3日まで、全国16市・道の満19歳以上、74歳以下の成人男女1200人を有効標本とし、1対1の面接調査方法により実施した。標本誤差は±2.8%(95%信頼レベル)。]
統一は不必要という理由に挙げられる経済的負担、南北間の異質性、統一後遺症などが、いわゆる統一の利益と拮抗する大きさ、またはそれ以上と判断すれば、分断平和が合理的な選択肢になりうるだろう。こうしたシナリオによれば、南北連合も最終的な統一の中間段階ではなく、分断平和の中間段階である可能性も排除できない。この場合、南北連合は非核・平和体制を南北が共同で認めるが、統一(言説は消えないだろうが)という最終段階には進まずに、共存体制を志向する基盤にもなりうる。もちろん、そうした状態でも統一問題は依然として南北関係レベルと南北内部の権力政治の磁場からは自由でありえないだろう。
一方、非核・平和体制に基づいて南北が連合制を経て最終的に統一へ進むなら、連合制は統一平和のプラットホームとして作用するだろう。この場合、統一平和は既存の平和統一論と質的な違いを示す。平和統一は平和を手段とし、統一を目標とみなす。それに比べ、統一平和は平和を究極的な目標とし、統一は平和へ進む道で達成される中間目標とみる。これを前提にすれば、統一平和は統一より平和に関心がある。だから、統一国家の権力構成の問題には執着しない。統一が南北間の敵対関係を解消し、その過程で恒久的な平和体制を構築する点に関心が高い。それは統一後の朝鮮半島全域で「積極的平和」の構築を展開する必要条件だからである。もちろん、統一平和共同体の十分条件は平和主義陣営の力である。
統一平和は分断平和論を批判する。もちろん分断平和論は体制共存、共生互恵を追求するが、それがどれほど可能なのかは疑問である。統一平和論は権力政治の回路にはまっている統一が、結局はどんな方式であれ、いつか達成されるだろうという歴史的必然性と、統一なしに朝鮮半島の平和は来ないという現実的当為性の上に立っている。もしかしたら、統一平和へと進む長い旅程のある地点に分断平和が位置しているのかもしれない。分断平和と統一平和の岐路で、南北連合がどの方向に進むかは南北間に形成される統一アイデンティティの大きさとそれを支持(または反対)する国内外世論の相互作用によって決定されるだろう。
もちろん、南北連合を経て統一されても、それが統一平和ではなく統一暴力の状態を演出することもある。その過程で、あるいは南北連合段階で分断暴力へと逆進することもある。こうしたシナリオでは、南北関係より南北または国内外の境界を越えた平和主義陣営の政治勢力化の大きさが一次的変数になるだろう。
分断暴力から出発する四つのシナリオの一つに設定した分断平和は、南北の平和共存体制を意味する。統一を言説上では否定しないが、それは当面の目標ではない。それなら、先ほど考察した南北連合を分断平和と位置づけるには不適切な面がある。なぜなら、南北連合は平和共存を否定しないが、終着点は統一だからである。それなら、南北連合は統一平和を志向するはずである。現在始まった南北連合はどの方向へと進むのか。この時点で、先に考察した南北連合の戦略的意義を共有し、政策化する作業が南北連合を望ましい方向へと誘導するのに有用なのは明らかである。だが、それだけで十分かは定かでない。
4.争点② 南北連合と非核・平和の関係
白楽晴は前の文章で、「連合の過程が非核化を必要とするように、非核化もまた南北連合の建設作業の進展なしには達成しがたい」(20頁、前掲書220頁)と主張し、南北連合が北朝鮮の非核化を促進する役割に期待している。極めて創意的な発想と言わざるを得ない。南北が連合制レベルで共同運命体のような関係になれば、米国の対北軍事行動や韓国の吸収統一は不可能になり、そうした安保脅威の減少が北朝鮮の非核化をけん引していけるからである。南北連合が高いレベルに上がるなら、そうした構想は現実化されうるし、そうなるようにすべきだという当為性に共感する。白楽晴のそうした構想は、非核化の進展なしに連合制のような南北関係の発展は約束しがたいという現実追随主義に警鐘を鳴らし、主体的かつ能動的な情勢への介入を促す思いが込められている。問題は、そうなる条件をどのように作り出すかである。二つの側面から考察してみよう。
一つは白楽晴の論理に従う方法であり、非核化が南北連合を必要とする「条件」は何かという問題である。これは彼が強調する南北連合が非核化を促進する「効果」をあげるようにする問題と連動しており、現実にはそれに先立って検討すべき問題でもある。理論的に非核化と南北連合は別の事案と見ることもできる。だが、それは錯視現象である。二つのイシューの内容は違うように見えもするが、二つのイシューを貫通し、同じ行為者(南と北)が関わっているという点で別個ではない。さらに、非核化に直接関連する米国が直接関わっていない南北関係に、米韓関係を通じて影響力を行使する点も留意すべき課題である。
それゆえ、現実的に非核化が南北連合を必要とする条件はイシューの連係ではなく、すでに連係している行為者の関係調整に求めるべきだろう。それは次のいくつかの側面、南北関係、米韓関係、米朝関係、そして韓国内の政府と市民社会の関係によって構成される。そのうち南北関係と、政府と市民社会の関係は、白楽晴が普段から注目してきたが、それに比べて米韓関係と米朝関係は相対的に注目が弱い印象である。
南北関係は次の南北連合のレベルで再び言及することにし、政府―市民社会の関係は、彼の持論である市民社会の独自な立場の定立を前提にした建設的介入を想起することで代わりにしよう。
米韓関係、米朝関係、ともにここでは現実への追従と否定の極論を排除しよう。仮に反米や従米なら、南北ともに非核化と南北連合の並行的な発展構想に不適切なケースだからである。(もちろん論争的だが、)韓国では大抵韓米同盟が対等な関係へと変化させ、同盟の範囲を軍事安保から多方面に拡大すべきだという世論が高まっている。そのため、戦時作戦権の転換、在韓米軍の犯罪対策で韓国の権限拡大、未来の米韓関係の展望の共有以外に、いわゆる北核問題の平和的解決という原則も共有すべきである。これは南北連合の発展と北朝鮮の非核化に肯定的に作用するだろう。また、南北連合が非核化と並行するのに米朝関係の改善も有益なチャンネルである。米朝間の信頼づくりなしに、また米国の対北安全保障なしに北朝鮮に非核化を圧迫するのは南北連合を弱体化させ、結局は非核化を困難にするからである。
他の一面は、南北連合のレベルである。「非核化もまた南北連合の建設作業の進展なしには達成しがたい」という場合、その南北連合はいかなるものか。少なくとも、いま始まった低い段階の連合制は非核化をけん引しがたい。板門店と平壌を行き来し、南北首脳が信頼を積み重ねて合意を交わし、次いで一部の事項で履行を試みている。また、首脳間のホット・ラインの開設と共同連絡事務所の運営により南北連合が始まったが、このレベルでは非核化をけん引しがたい。実は、筆者は全面的な南北連合ができるまで、南北連合が非核化をけん引する大きさよりは、非核化が南北連合をけん引する大きさがより大きいと思う。
だが、白楽晴の輝かしい逆発想の可能性は依然としてあると思う。したがって、南北が南北関係発展の自律性に共感し、これを拡大するのに共同の正体性(アイデンティティー)と利益を期待する接近法が必要である。これもやはり、米韓―米朝関係と連動しているが、人道主義・食糧(支援)・保健・環境・民族文化など、いわゆる非伝統的な安保分野に集中する南北協力事業を積極的に展開する努力が有益だろう。これは制裁局面下でも可能なことである。
国連安全保障理事会が主導する対北多者制裁と米国主導の独自制裁が展開されているが、その中でも人道主義、民生、外交関係、究極的に平和に寄与する事業目録は制裁免除が可能である。そうした点で、制裁下でも南北協力の幅は今より拡大できるし、それは北朝鮮の信頼と利益の高まりを通じて、南北連合が非核化をけん引するレベルに発展させうるだろう。ところで、韓国(政府と市民社会を問わず)がこうした接近に最善を尽くしているかは疑問である。制裁のために難しいという言葉が横行しているが、制裁緩和のために米国と北朝鮮の行動の変化を促すと同時に、制裁局面でも可能なことを尽くしているのか、省察すべきだろう。南北間の信頼回復の成果を足場にして、文在寅大統領は一連の首脳外交により北朝鮮の非核化を促進するために対北制裁の緩和を促している。しかし、それが効果を引き出せない理由は何なのか。平和外交を多様化させる中で、その核心である対米外交が弱体化したためか、あるいは制裁局面下でも可能な南北協力をためらう官僚主義のサボタージュのためか。さもなければ、政府主導の南北協力を過信するあまり民間交流協力の役割を信じないからなのか。
5.争点③ 政府主導の効率性
さて最後に、南北連合の発展の可能性とその方向を見定める第三の変数である、国内的条件を検討してみよう。ここでの対内的条件とは、第一に現在進行している非核・平和プロセスと南北関係の並行的発展に関する世論であり、第二にその方向で形成される政府と市民社会間の関係を意味する。
文在寅政権が標榜する「平和な朝鮮半島」構想は朝鮮半島の非核化―平和体制―南北関係の発展という好循環を進める方向である。10余年間の南北対決状況、特に 2017年の戦争の危機を経て国民の平和意識は階層・地域・性・学歴を超え、汎国民的な共感層を形成した。ソウル大統一平和研究院の「2018年統一意識調査の結果」によれば[7. 羅ヨンウ「対北政策に対する認識」、ソウル大統一平和研究院主催の「2018年統一意識調査の結果」学術会議の発表文(2018年10月2日)。]、2013年以後低下の流れにあった政府の対北政策満足度は、2017年文在寅政権の成立後は2年連続で上昇し、調査以来で最も高いレベルの満足度(64.4%)を記録した。民主平和統一諮問会議が(株)リサーチ&リサーチに依頼して実施した、「2018年第3分期の国民統一世論調査の結果」を見ても、南北首脳会談が朝鮮半島の平和に寄与したことを72.4%が支持すると回答し、政府の非核化の努力に対する満足度も71.1%と高く表れた。[8. この設問は2018年9月28日から30日まで、全国で満19歳以上1000人の成人を対象にし、電話での設問調査方式で実施された。信頼水準は95%(標本誤差±3.1%)。] こうした結果は、国民の高まった平和意識と、忍耐心を持って戦争の危機を対話局面へと転換させた現政権に対する支持による。
政府のこうした対北政策の方向に対して進歩、中道性向を表明した回答者は 調査以来最も高く答えた一方、保守層は40%内外の支持を示し、保守層の支持を得る努力が相変わらず必要なことを示唆している。先ほどのソウル大統一平和研究院の世論調査の結果を見ると、南北関係の変化が北朝鮮に対する認識の変化にも影響を及ぼしたのがわかる。北朝鮮に対する認識では協力対象 54.6%、支援対象 16.4%、警戒対象 14.4%、競争対象4.4%の順で表れ、肯定的な回答が71.0%と高く表れた。協力対象という意見が9年ぶりに50%以上に回復した。一方、韓国政府の対北政策の推進に最も必要な事項として、国民の支持と共感の広がり(42.7%)と国際社会との緊密な協調(33.6%)が、それぞれ第1位と2位を占めた。[9. 同上の設問。] 以上を通じ、現政権が推進する平和優先の対北政策に対する支持度は全般的に高く表れ、現在の政策基調を維持することが必要かつ可能であるのがわかる。それでも、保守層の支持を高めて南北協力と国際協力をバランスよく展開することが残された課題である。
一方、政府の対北政策に対する高い支持にもかかわらず、政府と市民社会の関係を肯定的にのみ見るのは難しい。ここには、北朝鮮の人権改善、北朝鮮の非核化の加速などを名目にして政府批判に向かう保守層を引き入れるべきとの側面もある。とはいえ、筆者が強調したいと思うのは、非核化を含めた平和定着[10. 朝鮮半島の非核化と平和体制の課題について、別々の対等な関係とみる視角と平和体制が非核化を含める上位概念とみる視角に分かれる。]と南北関係の発展という好循環を展開する上で市民社会の役割が見えないという点である。これは南北関係のチャンネルを事実上独占している政府の責任と、市民社会の独自的能力の不足がともに原因として挙げられるが、相対的に政府の責任が大きい。2018年になって市民社会は対北人道支援、民間交流・協力事業などを推進しようと北側と接触し、北に支援物資を送ろうとした。だが政府は、南北首脳会談、米朝首脳会談、そして結局、制裁を理由に待ってほしいとして対北政策の窓口を独占している。先ほど、制裁局面下でも人道協力事業と民間交流事業は可能であると言及した。実際、国連安保理の対北制裁委員会は人道主義活動の免除ガイドラインを提示している。独自制裁を指揮している米国財務省の資産統計局も人道的な支援団体の救護物資の搬出を審査・承認し、同一事案の場合、一定期間は審査なしでの接触を承認している。国内の対北支援団体の関係者は、韓国政府の場合、対北支援事業の審査要件が任意的で、その方式が不透明だと指摘している。
板門店宣言と平壌共同宣言の後、南北間の合意は幅広い履行を待っており、それは南北協力と国際協力のバランスのとれた展開により可能である。その間に、政府と非政府機構の協力は必須である。特に、南北合意の履行の効果を高め、南北関係の発展が健康に実現され、南北連合を発展させようとすれば、民と官の協治が重要な点を重ねて強調せざるを得ない。
統一の道は2018年の南北連合で始まった。それが非核・平和プロセスと連動している点は統一論の特徴であり、南北連合の道を複雑化させる変数も作用するだろう。それでも、南北連合の未来は開かれている。その道が統一平和へと進むようにするには、南北連合のレベルを高めねばならない。そのためにも、南北間では南北連合の戦略的意義を共有して制度的に共同事業を拡大していき、韓・米間では北核以後の朝鮮半島の未来ビジョンを共有し、国内では民・官の協力関係を定立することを、あわせて要請するものである。
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