창작과 비평

[現場] ともに解決すべきフクシマの汚染水問題 / 李憲錫

 

創作と批評 186号(2019年 冬)目次

 

現場


李憲錫(正義党・生態エネルギー本部長)

共著『脱核』『エネルギー民主主義、冷静と熱情の間』などがある。 greenreds@gmail.com

 

 

フクシマ原発の近隣地域が放射能に汚染されて以来、いつしか8年が経った。日本政府が放射能の汚染水の放流を検討するとか、台風で汚染土が押し流されたというニュースも聞こえてくる。こうしたニュースに接するたびに、わが国民の心配もますます高まる。環境が汚染されるのも問題だが、まず自分の健康が心配になる。だが、すっきりした答えは見つけにくい現実である。現在、フクシマの状況は正確にどうなのか、そして事故はどうしてうまく収拾できないのか、相次ぐニュースで極度に不安が増している今日、本稿が解決策の模索に一助となることを望んでいる。

 

<フクシマ事故、その後>

 

 2011年3月、日本のフクシマ原発で事故が発生した。フクシマ原発の第1~4号機が爆発し、特に第1~3号機では原子炉内の核燃料が溶け出す(メルト・ダウン)が起きた。1986年ソ連のチェルノブイリ原発で起きた爆発事故以来の最大規模である。事故の発生から8年を超える時間が過ぎたが、未だにフクシマ原発は収拾されていない。原発を運営していた東京電力は30~40年間の日程で、フクシマ原発事故の収拾計画を提出したが、時間が過ぎたことで新たな事件が起き続けており、果たして収拾可能なのかという悲観的な問いが相次いでいる。

 フクシマ原発の内部は高温・高圧・高放射線の環境である。爆発が起きて様々な残がいも建物内のあちこちに散らばっている。したがって、人の接近が難しい「真っ暗闇の状態」がかなり長い間続いた。事故が起きて4年経った2015年に、初めて宇宙線の一種であるミュー粒子(ミューオン)を利用し、原子炉内部の核燃料の状態が観察できた。透視能力が高いミュー粒子は、ウラニウムのような重い物質にぶつかるとたわむ、まるで病院のX線のようなこの原理を利用し、原子炉内に散らばった核燃料を観察したのである。その結果、事故で核燃料はほぼ溶けた状態であることが分かった。それまでは核燃料は溶けているだろうという推定だけで、実際の姿は観察できなかった。ぼやけてどういう状態なのか正確には分かりにくい、解像度の低い写真だが、核燃料が溶けた様子は明らかだった。

 ロボットが内部に入って核燃料を撮影するのに成功したのは2018年のことである。高放射線の環境では半導体のチップがまともに作動できなかった。また、複雑な内部構造と爆発の残がいも問題だった。屈指のロボット製造会社が挑戦を重ねたが、いずれも失敗して7年ぶりの成功であった。そして今年2月、長さ15mのロボットの腕を原子炉内に押し込み、その腕先にとり付けたハサミで核燃料の塊をそっともち上げるのに成功した。核燃料がどういう状態なのか分からないためにそっと入れて行った作業を通じ、核燃料の塊の粘度や大きさなどを観察したのだ。とても簡単に思われるが、この作業のために装備を設置した労働者は最大0.68mSv(ミリシーベルト)被曝した。一般人の 1年間の被曝限度1mSvを考慮すると、一回の作業で半年分以上の被曝をしたわけである。さらに、遠隔作業だったが、周辺部が何しろ高濃度の汚染地域なので被曝は避けられなかった。東京電力はこの作業を通じ、核燃料中の一部が粘土質の塊であることが確認できたと明らかにした。そして、この粘土質の核燃料を取り除くためには、新たな機械装置が必要だという事実も分かった。

このようにフクシマ原発の内部を収拾する過程は、まるで新しい惑星を探査するのに似ている。内部状況が少しずつ明るみになって新たな装備が開発され、これを実験していく過程が繰り返されている。この過程で天文学的な費用を要するのも問題だが、絶えず被曝労働者が発生することがより大きな問題である。原子炉内では1時間当たり最大530Sv(シーベルト)の放射線が測定されていた。通常6Sv程度の被曝で人間は即死するので、想像を超える量の放射線が測定された。こうした環境では人間はもちろん、半導体や機械も耐えるのは難しい。

 

<汚染水戦争を行っている日本>

 

 フクシマ原発内で核燃料の収集をめぐる闘いが展開されているが、原発の外では汚染水をめぐる闘いが展開されている。2011年の事故当時、フクシマには最大15mを超える津波が押し寄せた。津波で発電所全体が停電になった。いわゆる 「全電源喪失事故」が発生したのである。一度核分裂を開始した核燃料は冷却し続けねばならない。さもないと、メルト・ダウンのような深刻な事故につながるからである。原発で停電が危険な理由である。津波の被害が広範囲で、地震で道路がうまくつながらず、長時間停電状態が続いた。結局、外部から水を持ち込んで浴びせるのが唯一の解決方法だった。初めは真水を使用したが、状況が切迫すると海水を利用して原子炉を冷却させた。

 この時に使われた大量の水はすべて放射能に汚染された。何度もの爆発の後、事故を収拾していく過程で汚染水をいかに管理するかという問題が急浮上した。汚染水の量も多く、放射性物質も問題だった。事故直後の 2011年4月、日本政府と東京電力は低濃度の放射能汚染水を海に放流する計画を発表した。高濃度の汚染水を保管する場所を確保するためにはやむを得ないという理由だった。問題は低濃度といっても、これは相対的な概念であり、絶対的な数値ではないのである。当時、日本政府が明らかにした汚染水の濃度はヨード131が1ℓ当たり2万ベクレル、セシウム134とセシウム137がそれぞれ4,700ベクレルと4,900ベクレルだった。ヨード131は摂取基準量が飲み水基準で1ℓ当たり10ベクレル未満、食品の場合は1㎏当たり100ベクレルが基準なので、汚染水は決して少なくないレベルである。また、放流しようと発表した汚染水の量も11,000トン規模とかなり多かった。日本政府の汚染水の放流計画に韓国政府は反発したが、事故直後で韓国内では大きな争点にならず、汚染水はそのまま放流された。

 だが、汚染水問題はその後も相次いだ。今度は高濃度の放射能汚染水の管理が問題だった。事故直後、東京電力は発電所の敷地内に汚染水の貯蔵タンクを設置した。だが、時が経つにつれて貯蔵タンクの数が増え、管理はより難しくなった。これにより、貯蔵タンクの漏洩が発見されるとか、放射能汚染水の水溜まりが発見されるなどの「事故」が繰り返された。すると、2013年もっと大きな問題が露見した。当初東京電力は、高濃度の汚染水タンクの近くで高い放射線の数値が測定されたとだけ発表した。当時、東京電力が明らかにした放射線量は1時間当たり96mSvだった。自然状態の数10万倍の数値だった。なぜこんなことが起きたのか調査すると、汚染水の貯蔵タンクの不良によって大規模な漏水が発生し、漏水発生に備えて設置したコンクリートの遮断壁は雨水の排水のために開放状態にあった。単に設備だけの問題ではなく、汚染水の保管と管理状態もめちゃくちゃだった。この事故で流出した汚染水は約300トンである。高濃度の放射能汚染水が大地に浸みこみ、海に流れだした。国際原子力機構(IAEA)は、これは深刻な事件だという立場を明らかにし、日本の原子力規制委員会はこの事故を国際核施設事故等級(INES)3等級と評価した。当時日本国内でも議論が沸き起った。東京電力はずっと前から問題を知っていたが、2020年オリンピック開催国の選定を目前にして申告内訳を縮小したのではないかという疑惑が提起された。それにもかかわらず、安倍首相は「フクシマ事故はアンダー・コントロール状態にある」という立場を繰り返し表明し、結局2020年東京オリンピックの開催が確定した。

 

 

<地下水との終わりなき戦争>

 

 フクシマには地下水と雨水という、また別の汚染水問題もある。フクシマ原発は丘陵を削って作った開発地の上に建設された。海辺に絶壁があり、冷却水に使う海水を引き上げるのに不便だったからである。そのため、発電所がある土地は周辺より高さが低く、地下水が発電所側に流入し続ける構造である。原発が正常に運営される状況なら、流入する地下水をそのまま汲みだせばいいが、フクシマ事故後に近隣地域の土壌が汚染され、原子炉の建物の地下を通じて放射性物質が漏れだし、面倒な状況になった。近隣の地下水を測定してみると、原子炉の建物を通った地下水は放射性物質に汚染される事実が明らかになった。

 平常時はもちろん、雨が降る日には地下水の量が増え、それだけ放射能汚染水の量も増加した。原子炉の建物の地下には複雑な機械設備と配管が多く、地下水の流入を全面的に遮断するのは容易でなかった。どこから放射性物質が漏れるのかもわかりにくい状況だった。結局、東京電力はモルタルとコンクリートを利用し、フクシマ原発敷地全体の舗装工事を再び行った。最小限、原発の敷地内だけでも雨水の流入を遮断しようという措置だった。そして、原発を中心に内陸側にいくつもの井戸を掘り、地下水を汲みだす作業を続けた。一方では、原発周辺に深さ30mの凍結管を1m間隔で埋めて土地を凍らせる作業を進めた。約1500の凍結管が1.5㎞の凍土壁をつくる構造である。複雑な内部構造のせいでコンクリートの遮水壁を作りにくく、凍結管に零下30度の液体を注入して土地を凍らせる方法を選んだのである。だが、わが国のように猛暑が続く日本の夏の天気を考えると、凍土壁がまともに機能するか、設計段階から批判が多かった。結局、2016年9月の台風の影響で記録的な暴風雨があり、凍土壁2カ所が解ける事故が発生したりした。

 このように地下水を汲みだし、凍土壁を作っても、フクシマ原発では毎日 110トンほどの汚染水が発生している。完全な遮断など当初から不可能だったので、地下水の流入を減らす程度で満足せざるを得ない現実である。原子炉の冷却のために浴びせた水と地下水の流入などで、汚染水は2019年9月現在116万トンに達する。汚染水を貯蔵するためのタンクだけで977個である。今も毎日汚染水が増えているので、汚染水の貯蔵タンク工事が続いている。東京電力は 2020年までに貯蔵容量を137万トンに増やす計画で、貯蔵タンク工事を続けている。だが、空地不足を理由にして来年以降は貯蔵タンクの新設計画はない。もし貯蔵タンクを追加で建てなければ、2022年夏頃にすべての貯蔵タンクが満杯になると予想される。

 汚染水の貯蔵タンクの増設とは別に、一方では汚染水から放射性物質を除去する作業も続けている。汚染水には数十種の放射性核種が含まれている。事故の初期から東京電力は、汚染水に含まれるセシウムとストロンチウムを除去する作業を進めた。2013年からは多種除去設備(ALPS)を設置し、プルトニウムとテルリウム(テルル)など 62種の核種を取り除く作業を進めている。だが厳密に言えば、放射性物質を完全に除去するのは不可能である。汚染水に含まれた放射性物質を移動させ、放射能物質の濃度が相対的に高い汚染水と低い汚染水に区分するだけである。東京電力は除去作業を経た水は“汚染水”ではなく“処理水”だと強調する。一時は放射能に汚染された水だが、今は「放射性物質の除去処理」をへた水という主張である。とはいえ、この水の安全性についてはたえず問題が提起されている。濃度が低くなったにせよ、依然水に放射性物質が含まれており、三重水素のような物質は除去されなかったからである。放射性物質の一種である三重水素を除去しようとすれば、別途の設備が必要なだけでなく多額の費用がかかる。これにより、現在東京電力は三重水素の除去設備を運営していない。現在汚染水に含まれた三重水素は、1ℓ当たり120万ベクレル水準である。1ℓ当たり1万ベクレルの世界保健機構(WTO)の飲料水基準や日本の飲料水基準である1ℓ当たり6万ベクレルを考慮しても相当高い量である。

 

 

<汚染水の排出をめぐる日本政府の“様子見”>

 

 2018年8月、日本政府は放射能汚染水の問題に関する公聴会を開き、汚染水の処理方案を発表した。当時、日本政府は汚染水の処理法として、①汚染水を大地に注入する方法、②汚染水を海に流しだす方法、③汚染水を蒸気に変えて大気中に飛散させる方法、④汚染水を電気分解して水素に変える方法、⑤汚染水を固めて大地に埋める方法、という5種類を提示した。多様なようだが、結局放射性物質を外部に流出させるか、まだ技術的な検討が完了していない方法だった。

 日本政府はこのうち、汚染水を海に流しだす方法が最も現実的と表明した。他の方法は技術的に完成されておらず、実現の可能性が低いというのだ。日本政府のこうした計画に、フクシマの住民は強く反発した。特に漁民が立ち上がった。事故後、フクシマ原発周辺の漁民は漁業活動を再開するために努力してきた。現地の漁業協同組合を中心に試験操業を続け、水産物の安全性を立証しようとしたのだ。フクシマ近海の水産物は放射性物質が多く発見されるものと、そうでないものにはっきり区分される。貝類と海藻類のような下等動植物は放射性物質の濃度が高いが、周辺海域を回遊する魚種は相対的に放射性物質の濃度が低い。位置によっても多様な偏差を示す。福島漁業協同組合は事故後、魚種と海域を広げて試験操業を拡大し、その結果2015年4月以後、水産物の放射性基準値を超えたことがなく、漁業の再開を主張した。これにより、フクシマ事故直後に全面禁止された漁業は、一部の地域と魚種に限って再開された。漁獲量は事故以前に比べて10%程度にもならないが、しだいに漁業活動を拡大できるだろうという期待を抱いていた最中に、東京電力の汚染水放流の計画が発表されたのである。福島の漁民は、「石油備蓄基地などで使用する10万トン級の大型タンクを建設して汚染水を長期間保管しろ」と要求する。放射性物質が半減期によって濃度が減る時まで長期間保管しろというのだ。最近、日本の汚染水問題が国際的な争点になるや、去る8月には日本の地方自治体の現・元職首長の集まりである“脱核を志向する首長会議”も声明を通じ、三重水素を含む汚染水を海に放出せずに長期間保管せよ、という立場を発表した。

 日本政府は、まだ汚染水排出の是否は決定されていない、という立場をとる。だが去る9月、原田義昭環境相は記者会見を通じて「フクシマの汚染水は海に放流して希釈する以外に方法がない」と表明した。彼は、日本の原子力規制委員会の委員長も安全性や科学的な面で構わないと語ったと付け加えた。現職の環境相がこうした立場を示したのは初めてである。この発言はすぐに福島の漁民と韓国政府の反発を招いた。興味深いのは、この会見日は彼が環境相を辞任する日だったという点である。非難が強まると、翌日就任した小泉進次郎環境相はフクシマ汚染水問題について、「福島県民の気持をこれ以上傷つけることがないように議論すべきだ」と一歩後退した。退任日に前職大臣が行った発言を、翌日新任の大臣が覆したわけである。

 だからといって、日本政府の立場が変わったわけではない。韓国政府が国際原子力機構と国際海事機構などの国際機構の総会でフクシマの汚染水問題を提起するたびに、日本政府はまだ汚染水の放流は決定されていないという言葉のみを繰り返している。しかし、決定されていないという言葉は、今後決定できるという意味である。自国民と海外の反発を意識して速度調節しているだけである。2020年東京オリンピックも予定されており、2022年夏まで余裕があるので日本政府の立場ではあえて今問題を起こす必要がない。日本政府は国内外の世論を見ながら、最も経済的で手をつけやすい解決策を探している。

 

 

<汚染水、除染廃棄物などは東北アジアがともに解決すべき問題>

 

 事故後、日本政府は情報をまともに公開しないという批判が繰り返し提起されてきた。2011年低濃度の汚染水の放流時も、韓国政府に事前に知らせないと非難され、2013年の汚染水の漏出事故や、今年の汚染水の放流発表の時もそうだった。最近、台風19号の影響で川べりに積まれていた放射能の除染土が押し流れされた時も同様だった。現地メディアを通じて臨時保管所に積まれていた除染土の袋が押し流れされる姿が報道されたが、わが国ではインターネットを通じて当該ニュースを伝え聞くのがすべてだった。かなり時間が経ってから、結局60袋の除染廃棄物の袋が流出し、そのうち23個は空袋だけが発見されたと分かった。日本政府はこれらの除染廃棄物を保管する「中間貯蔵施設」を建てようと表明したが、建設が遅れたことにより河川や農耕地の近くに除染廃棄物を臨時で積んでいる。それで、2015年にも大量の雨で廃棄物の袋240個が流出したことがあった。1袋当たりほぼ1トン程度の廃棄物が入っており、福島近辺にこうした廃棄物が 1335万㎥ほど保管されている。量的に莫大なもので、まともに管理できない悪循環が繰り返される。汚染水と廃棄物はまともに管理されているのか、太平洋にこれらが流入されれば、日本をはじめ周辺国家にどんな影響があるのか気になるが、「健康には影響がないはず」という短い答弁以外に、私たちが日本政府から聞ける話はなかった。そのため、日本政府に対する不信は日々強まっており、同時に不安も高まっている。

 フクシマ事故の収拾は日本政府にのみ任せてはならない理由が、まさにここにある。被害収拾の基本になる除染と復旧に対する責任は、当然東京電力と日本政府にある。とはいえ、日本政府だけでは無理な状況という点が明らかならば、国際的な協調が必要である。チェルノブイリ原発事故の場合、ウクライナ政府がすべての責任を引き受けたわけではなかった。直接的な影響を受ける近隣のヨーロッパ諸国のみならず、日本や韓国など遠く離れた国も被害復旧に参加した。放射能の影響に対して共にモニタリングし、その結果を共有した。放射能の被害には国境がなく、被害規模は人類全体に及ぶからである。一国家の力量だけではまともな復旧が難しいだけでなく、情報と技術を共有することでより効果的な被害復旧が可能になる。だが現在、フクシマ事故はこうした基本的な協力さえなく、すべてが日本政府と東京電力に任されている。一角では日本特有の「自尊心」が問題を歪めているという批判も出てくる。

韓国・北朝鮮・中国・ロシアなどの隣接国と、国際原子力機関・国際海事機構・国際保健機構などの国際機構が汚染水問題と除染土問題をともに論議すべきだろう。フクシマ地域の放射能汚染は単に日本だけの問題ではなく、東北アジア全体の問題である。現在推進中の廃炉作業と復旧作業がまともに行われているのかも、ともに調査すべきである。情報も断片的なレベルを超えて、細部まで共有すべきであり、汚染水の処理をどのようにすべきかのような決定も、ともに下すべきだろう。

韓国政府の役割も、単に日本政府に抗議するとか、国際社会に訴えるレベルを超えねばならない。私たちは日本から最も近い国であり、そのためにフクシマの事故被害を最も多く受けざるを得ない。わが国民が当面する不安感を払拭するためにも、政府は周辺国家とより緊密な外交的な枠を形成すべきである。一般市民もまた、冷徹な視角からフクシマの事故収拾問題を見守るべきであろう。今日インターネット上には反日感情に便乗し、フクシマの事故を嘲笑するとか、喜ぶコメントがあふれている。二度と起こしてはならない大災難をあざ笑うのは非倫理的なだけでなく、問題解決にも全く助けにならない。隣国日本の放射能汚染は人ごとではない。「対岸の火事」のように見るのは、結局私たちにも火の粉が飛んでくる、という事実を忘れてはならない。

 

(翻訳・青柳純一)

 

 

<翻訳者コメント>

一読した時はこの論文の重要性を十分に認識できなかったが、精訳しながら、フクシマ後8年の現状と東京電力・日本政府の対応を顧みると、今後の日韓関係において、本稿は極めて重要な問題提起であることがよく分かった。