창작과 비평

[論壇] 「息ができない」 :体制的人種主義とアメリカ文学の現場 / 韓基煜

 

創作と批評 189号(2020年 秋)目次

 

韓基煜(ハン・ギウク)

文芸評論家、仁済大英文科教授。著書に『文学の新しさはどこから来るのか』『21世紀の朝鮮半島の構想」(共著)、訳書に『バートルビー』『うちが火事だ』『ブルース・カミングスの韓国現代史』(共訳)など。kiwookh@gmail.com

 

 

フロイドの死が触発したもの

 

   2020年5月25日に、ジョージ・フロイド(George Floyd)の衝撃的な死に抗議して、アメリカはもちろん世界各地で激しいデモが行われた。コロナ事態にもかかわらず、多くの人々が街に繰り出したことは、白人警察デレク・ショービン(Derek Chauvin)に押さえ付けられて死んでいくフロイドの姿が、現在の黒人の境遇を如実に示したからである。ショービンは手錠をかけて地面に伏せたフロイドの頭を計8分46秒の間、膝で押さえつけ、微動だにしなくなった後もさらに2分53秒間押さえつけた。20ドルの偽造紙幣使用の疑いで逮捕されたフロイドは、警察の検問を受ける時から恐怖に怯えていて、「息ができない」(I can’t breathe)と20回以上繰り返し、「母さん、愛してるよ。子供たちに愛してると伝えてくれ、僕は死ぬ」という遺言のような言葉を残した[1. 8月4日に「デイリーメール」(Daily Mail)のウェブサイトに公開された警察のボディカムの映像では、警官が初めて銃を突きつける瞬間から、フロイドはずっと「撃たないでくれ、お願いだ」と哀願している。https://www.dailymail.co.uk/news/article-8576371/Police-bodycam-footage-shows-moment-moment-arrest-George-Floyd-time.html参照。] 。 

   この事件を通じて衝撃的に明らかになったのは、奴隷解放(1863)以来150年、公民権獲得(1965)から50年経っており、しかも「黒人」大統領オバマ政権の8年を経たにも関わらず、現在、大多数の黒人の生活はひどく、彼らに対する公権力の態度もこのうえなく苛酷だいうことである。今回のデモで頭角を表した運動団体「黒人の命は大切だ」(Black Lives Matter、以下「BLM」)と、運動連合体「黒人生命運動」(Movement for Black Lives、以下「M4BL」)は、ともにオバマ政権の時代に結成されたもので、その名称からわかるように黒人の生活保護を第一の目標に掲げていた[2. オバマ政権のときに流行した「脱人種時代」(post-racial period)や「人種不問主義」(colorblindness)の言説は、白人警察の相次ぐ黒人殺害事件を通じて、欺瞞的なイデオロギーであることが明らかになった。2012年の黒人青年マーティン(T. Martin)が白人自警団のジマーマン(G. Zimmerman)の銃に倒れ、2014年にエリック・ガーナー(Eric Garner)は「ばら売りタバコ」の不法販売の疑いで、警察に首を絞められて死亡した。彼は「息ができない」という言葉を11回繰り返した。ブラウン(M. Brown)は、白人警察ウィルソン(D. Wilson)に銃で6発撃たれて死んだが、ウィルソンは起訴中止で釈放された。これに対する黒人らの怒りで「ファーガソン騒擾」(Ferguson Unrest)が起こった。BLMはジマーマンの起訴中止決定に抗議する過程で、M4BLはファーガソン騒擾の間に、それぞれ結成された。] 。

   フロイドだけでなく、近年理由なく殺された多くの黒人たちの最期のシーンには、彼らがアメリカの地で経験したあらゆる形の差別や冷遇、侮蔑と隷属が凝縮されている。近くは、1950〜60年代の公民権運動当時の人種隔離と差別に抵抗し、平等な公民権を要求した黒人たちから、遠くは、奴隷制時代の白人の主人の任意の処罰にも従わねばならなかった黒人奴隷の姿まで発見できる。また、20世紀初頭に南部から北部の大都市に移住して、白人主流社会の異なる形の差別と搾取に苦しめられた黒人労働者や貧困層の姿も浮かぶ。特異なのは、最近殺された黒人たちの生と死が、ジム・クロウ法(Jim Crow Laws)[3. 南北戦争後の奴隷解放の反動(backlash)で、南部のほとんどの地域で1880年代に制定された、黒人に対する実質的な人種隔離・差別の法慣行。1950年代の黒人公民権運動を経て、60年代に公民権法が制定されるまで続いた。] 時代や公民権運動の時期よりも、むしろ南北戦争以前の奴隷たちの姿により近い印象を与えるという点である。事実、フロイド殺害事件が意味深長なのは、彼を死に至らせた警察の暴力の野蛮さよりも、そのような野蛮な暴力を公権力の名で堂々と行使する方式である。警察は、もし容疑者が白人であれば、思いもつかなかった過剰な暴力を、貧しい黒人たちに行使した。白昼の路上で通行人が見守る中で当然のように強行された公権力のこのような暴力行為は、制度的な支持がなければ可能ではないだろう。フロイドの死以来、「体制的人種主義」(systemic racism)の問題点を指摘する議論が多く出てきたのは当然のことである。

   だが「体制的人種主義」の撤廃/克服の主張において、「体制」をどのような範囲と次元で想定するかによって、問題の枠組みと解決策が大きく変わりうる。たとえば、「体制」を、法務省や警察、司法制度のように、国家機構の部分的な制度と慣行に限定するならば、警察の暴力や不当な刑事法制度を直すだけでも、重要な進展が期待できるわけである。しかし、このような次元における制度と慣行が改善されるからといって、アメリカ社会で人種主義が終息する可能性はない。人種主義のルーツは、アメリカという多人種国家のいくつかの社会的関係の中に密接に絡んでいて、実際には、近代資本主義世界体制の根底にまで達しているからである。アメリカは最初から資本主義体制として始まり、北部の工業地帯の工場制賃労働以外にも、黒人奴隷を重要な要素として活用した。アメリカ先住民には異なる方法で対応したが、奴隷化する代わりに、虐殺したりインディアン保護区域に閉じこめる「定着植民主義」(settler colonialism)を選んだ。アメリカの白人支配勢力はこの二つの人種のために、異なる方式の支配戦略を駆使したのである。

   本稿は、このような論点を念頭に置いて、フロイド抗議デモをきっかけに提起された人種主義克服の課題を、「体制的」な観点から検討してみたい。その一環として、アメリカの地で黒人の生の条件と人種主義の問題を扱った複数の文学作品を見てみたい。人種主義克服の課題を、人種間の平等や正義、公民権や選挙制度などを基準に、社会政治的に確認することも重要だが、奴隷と人種隔離・差別が個別の黒人の具体的な生にどのように迫ったかを見るなかで、人種主義の本質を探るためには、文学テキストに関する議論が緊要である考える。このような次元で、フロイドが死に至る過程で繰り返した「息ができない」という言葉が、奴隷制の時からこれまで、黒人らの大半に切々と届く言語であるという点に注目せざるを得ない。この言葉がコロナ禍と気候変動の危機の時代に持つ、特別なアピール度も想起できる。コロナウイルスに感染したり、そのために失業した人々――黒人が人口比例で多数――にも、フロイドの最後の言葉はより切実に感じられただろう。資本主義末期に突き進みながら、韓国を含む世界のあちこちの労働者の相当数が、搾取されるだけでなく「不完全雇用」(underemployment)の状態に置かれ、いざとなったら「廃棄処分」される立場でもあり、生存の危機に追い込まれた彼らは、きちんと「息ができない」のである。これはおそらく、今回のフロイド抗議デモに、全地球的に様々な人種が参加した理由のうちの1つであろう。

 

 

奴隷として生きること

 

   フロイドが殺される場面は、アメリカの黒人文学、特に「奴隷物語」(slave narrative)と呼ばれる自伝的物語ジャンルの残忍な暴力シーンを連想させる。このジャンルの古典『アメリカ人奴隷フレデリック・ダグラスの人生』(1845、以下「ダグラス自伝」)[4. David W. Blight, ed., Narrative of the Life of Frederick Douglass, an American Slave, Written by Himself, Bedford Books 1993. 今後、本書の引用は本文にページ数のみを示す。それ以外の代表的な「奴隷物語」としては、Solomon Northup, Twelve Years a Slave, 1855 (Steve McQueenの同名の映画2013); Harriet Jacobs, Incidents in the Life of a Slave Girl, 1861 を参照のこと。] の複数の暴力シーンの中で最も強烈なのは、幼い話者が最初に目撃したむち打ちのシーン(1章)である。ダグラスは幼児期の時から、自分の主人であるアンソニー船長――彼はその地域の最大のプランターであり、奴隷主であるロイド大佐の農場の書記兼総監督である――の家族が住んでいるロイド大農場の郊外で、祖母の手で育てられたために、自分が7歳のときに死んだ母親とは一生で4、5回会っただけである。父親が誰かはわからないが、伝えられるところによれば、自分の主人が父親だとのことである。奴隷の実父が奴隷主である場合は実に数限りなく存在した[5. ダグラスは、白人農場主がそのように性的欲望を満たすと同時に、利益を増やしていったと皮肉っている(1章)。フォークナー(W. Faulkner)の中編「熊」(The Bear, 1942)はこの問題を集中的に扱う。「熊」の話者は、自分の祖父が黒人女性の奴隷を犯し、彼女が産んだ娘を再び犯して子を産ませるという、反倫理的行為を犯したことに対する罪悪感のために、遺産相続を放棄する。] 。

   幼いダグラスは主人の家に来て暮らした後、明け方にヘスターおばさんの「胸が裂けるほどの悲鳴」(heart-rending shrieks)に目を覚ますが、おばさんがむちで打たれる場面をこのように叙述する。

 

   彼(アンソニー船長)はヘスターおばさんにむち打ちを始める前に、彼女を台所に連れて行って、首から腰まで裸にして、首や肩や背が完全に露出するようにした。(……)彼は彼女の両手を交差させた後、丈夫なロープで両手を縛り、そのために梁に取り付けた大きなフックの下のスツール椅子に、彼女を引っ張っていった。彼は彼女を椅子に上げ、彼女の手をフックに引っ掛けた。彼女はもはや彼の凶悪な意図に完全に従って、まっすぐに立っていた。彼女の腕は最大限に広がり、彼女はつま先でようやく立っていた。すると彼は彼女に向って、「さあ、このあま、私の命令に違反したら、どうなるか教えてやる!」と言って袖をまくり上げ、重い牛革でむち打ちを始めると、(彼女からは胸の裂けるような悲鳴が、彼からは恐ろしい罵声がこぼれている最中に)すぐに熱く赤い血が床にぽたぽたと落ちた。私はその光景を見て、あまりにも恐ろしくて恐怖におののき、クローゼットの中に隠れ、その血生臭い出来事が終わってしばらく経つまで、そこから外に出る勇気が出せなかった。次は私の番だと思った(42〜43頁)。

 

   おばさんがむち打たれるこの光景は、煽情的に感じられて読み進めるのもつらいが、奴隷制の暴力的な現実を論じるには見逃すことができない部分でもある。奴隷制を含む人種主義は、人種的な暴力だけでなく、性的な暴力も重要に作動することが、明らかに示されているためである。おそらくダグラスが「私が何かを記憶するかぎり、それは決して忘れられないだろう」と語るのも、その場面が人種的であり、性的な暴力の現場だったからであろう。彼はその光景を「私はまもなく通過することになる奴隷という地獄の入り口、血塗られた関門」であると評するが、この表現で暗示されるように――自分がむち打たれる時でなく――おばさんがむち打たれる光景を最初に目撃したことが、子供の話者にとっては一種の奴隷制「入門」の経験だったのである(42頁)。そのことがどのようなことなのか、話者自身も正確に表現できないと言うが、この部分で「奴隷になること」の本質的な特徴のいくつかは確認することができる。

   奴隷になるということは、自分の体に対する決定権を他の人間(主人)に譲渡し、その人の処分に自分の体を任せるということを前提とする。このことが奴隷になる前提条件であるならば、奴隷化された体の顕著な特徴は、苦痛と恐怖、そして羞恥、特に性的な羞恥ではないかと思う。この3要素の境界は明確なものではなく、当事者(おばさん)と目撃者(ダグラス)の印象にも相当な違いがありうる。若い話者が「その光景を見たときの印象を、紙に書くことができればいいのだが」(42頁)と言ったように、3つの要素が混ざりながら、言い表しようのない情動を醸し出す。そのような中で確実に感知されるのは、奴隷制の下で絶対権力者である白人の主人が、黒人女性の奴隷を、身体的・精神的に最大限虐待する意志を貫徹させるということ、そしてその過程で、苦痛や恐怖だけでなく、性的な羞恥心まで動員するということである。

   フロイドが押さえつけられる姿に、微動だにせずむち打たれる黒人奴隷の姿が連想されるのは、両者が厳然として異なるケースであるにもかかわらず、奴隷化された体の顕著な特徴である痛みや恐怖、羞恥を共有しているからである。警察は手錠をはめ、フロイドを身動きできない状態で地面に倒し、ポケットに手を入れさせたまま、膝に彼の首を押さえつけたが、9分近く続いたこの動作は、身体的な苦痛や死の恐怖だけでなく、一人の男/人間としての尊厳が踏み躙られる羞恥心さえ誘発する。この動作は、警察が黒人を制圧するときに愛用する「首絞め」(chokehold)の慣行の一種である。痛み、恐怖、羞恥の情動に注目すれば、現在の「首絞め」は奴隷制時代のむち打ちに相当する。

   アンソニー船長が残酷なのは事実だが、彼が行使した暴力は、当時の黒人奴隷に対する一般的な慣行から大きく外れるものではない。ダグラスの二番目の主人トーマス・オールド――アンソニー船長の娘婿――は、このうえなく野卑な人物で、キリスト教に改宗した後にむしろより残酷になった。彼は、子供の頃に火災に遭って、ひどい傷を負った障害者女性ヘニーを、一度に4、5時間ずつ縛って、牛革のむちで肩を打って血を流させたが、多くの場合、朝食前にむち打ちをして店に行き、昼食を食べに家に戻ってきて、同じ箇所をまたむち打ちにした。そして「主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった従僕は、多くむち打たれるであろう」という聖書の一節(「ルカによる福音書」12章47節)を訓戒のように引用した。女性であり障害者に対する暴力の顕示であるこの部分は、奴隷制が奴隷の中でも弱者により苛酷であったことを物語っている。

   他にも「ダグラス自伝」にはむち打ちの場面が何度も登場する。主人だけでなく、主人の農場を管理する農場監督も、黒人奴隷を飼い慣らし、つらい農場労働をさらに促すためにむち打ちを頻繁に使用する。ダグラスもこのような惨劇から免れることはなかった。トーマス・オールドは反抗気のあるダグラスを、悪名高い「黒んぼ調錬師」(negro-breaker)のコービーに任せ、従順な奴隷に飼い慣らそうとした。ダグラスは6か月間の厳しい労働と苛酷なむち打ちの末、自分が完全に崩壊して奴隷として飼い慣らされたことを悟る。そうするうちに、ある事件をきっかけに、コービーが彼を厳しく叱責しようとすると、どこからそのような勇気が出たのかわからないが、戦うことを決心する。ほぼ2時間の戦いの末に、ダグラスはコービーから解放される。次は、このことに対するダグラスの叙述である。

 

コービー氏とのこの戦いは、奴隷としての私の履歴における分岐点だった。この戦いは、いくつにもならない消えゆく自由の火種に再び火をつけ、私の中にあった男としてのプライドを蘇らせた。(……)私はその後も数年間、奴隷として働いたが、このときから二度と、いわばきちんとむち打ちされることはなかった。数回戦いはしたが、決してむち打ちされることはなかった(79頁)。

 

   精神的な次元で見れば、先に引用したヘスターおばさんの惨劇の場面が、ダグラスの奴隷としての入口だったとすれば、コービーとの戦いは、奴隷制から脱出する出口であった。ここでもう一つ注目すべきことは「男としてのプライド」という表現である。黒人男性の男らしさは、白人、特に白人男性にとって脅迫的に感じられ、まさにそのために男性奴隷を飼い慣らすカギは、彼の男らしさや男性性をへし折ることであった。ダグラスはコービーとの戦いで、先制攻撃として「両手でコービーの首筋を強くつかんだ」というのも尋常ではない。コービーは「ポプラのように震えたが」(79頁)、それは奴隷であるダグラスが自分を攻撃したのだから、驚きもしただろうが、攻撃する部位がよりにもよって呼吸を行う首だったので、より驚いたのかもしれない。ダグラスはコービーとの戦いで、奴隷の主人が男性奴隷を屈服させるときにやるような動作で攻撃したのである。彼の動作は、最近の白人警官が黒人男性を制圧する際に使う「首絞め」に近い。 

   ダグラスが奴隷状態から自由になる契機は、コービーとの戦いが決定的だが、彼が7、8歳の頃にボルチモアに行って、ヒュー・オールド――主人の義弟――の家族とともに暮らしながら、ヒューの夫人ソフィアから物書きを学んだことも見逃すことができない。この時の経験から浮き彫りになるのは、互いに関連する2つのことである。1つは善良なソフィアが奴隷を持つことで示す変化、もう1つはダグラスが物書きを学ぶ過程で得る重要な悟りである。ソフィアに初めて会ったとき、ダグラスはやさしさたっぷりの笑顔を見せる白人の顔を初めて見て、「魂を貫通する恍惚状態」を感じた。それほど「新しく見慣れない光景」だった(56頁)。それは、奴隷制の影響を受けていない彼女が、最初はダグラスに奴隷として接することがなかったからである。ダグラスが来てまもなく、ソフィアが彼に文字を教えたのもそのためだろう。しかし、これに気付いた夫は、「奴隷に読み書きの方法を教えることは、危険なだけでなく違法」であると言いながら、読み書きの勉強を中断させ、妻に強い注意を与える。

 

「黒んぼに一を与えれば十をくれという。黒んぼはひたすら自分の主人に服従する法――言われた通りやること――だけを知っていればいいんだ。学ぶことは、この世界で最上の黒んぼも台無しにするよ」と彼は語った。「君があの黒んぼ(自分のこと)に読み書きを教えたら、あいつをつかまえておく方法がない。あいつは奴隷になるのはまったく間違ってる。扱いにくくなると同時に、主人には何の意味もなくなって(……)」(57頁)。

 

   ヒュー・オールドのこの言葉が、その意図とは裏腹に、ダグラスに画期的な発想の転換をもたらした。彼がこれまで理解しようと努力したものの、成功しなかった難題、つまり「黒人を奴隷化する白人の力」(58頁)の謎に気付いたのである。ダグラスは白黒の人種間の関係を、道徳的正しさの次元とは別に、権力関係として把握し、白人が黒人を奴隷化する力自体は大きな「成就」であると評価する。彼はヒュー・オールドが懸念した、まさにその歩み――文字を学び、自ら考えることを知っている知的な能力を備えること――に進むことで、「奴隷制から自由へと進む道」(58頁)に行く希望を持つようになった。

   一方、ソフィアは、親切な態度と善良な気立てを持っていたが、夫の指摘を受けてからダグラスの監視者となる。2年間ともに過ごす間、ヒューはアルコールに、ソフィアは奴隷制に徐々に疲れていき、ダグラスが彼の家を離れるとき、彼らに対する未練はほとんど残っていなかった。しかしながら、ヒューとソフィア夫婦は、青年になってまたボルチモアに戻ってきたダグラスを喜んで迎え入れる。ヒューはダグラスに、造船所で船舶防水の仕事を身につけさせ、彼が受け取った賃金を横領できることに満足している。ダグラスはヒューの本音を見抜き、自分が稼ぐ金と行動の自由をめぐって交渉するが、彼が最終的に北部に逃げできたのは、このような交渉を通じてヒューの心をとらえることができたからである。つまり、ダグラスがヒュー・ソフィア夫婦との関係を通じて学んだのは、文字だけでなく、資本主義世界で金を稼ぐことの重要性であり、奴隷制が永遠不変のものではなく、白人と黒人の権力関係――そして交渉力――を通じて決定されるということである。彼ら夫婦は、白人中産階級の自由主義者の資質と性向を予兆的に示すという点でも注目に値する。 

 

資本主義の豊かさの中で黒人として生きるということ

 

   ダグラスは北部に逃げて個人的に自由を求め、アメリカの黒人は1863年の奴隷解放宣言で奴隷制の状態から自由になることができた。しかし、そのことでアメリカの人種主義が終息したわけではまったくなかった。奴隷解放から13年の間に、南部の州で奴隷と人種隔離を撤廃し、黒人の公民権を確立しようとする「再建」(Reconstruction)が進められたが、すぐにそれに反発し、人種隔離を法制化して、黒人の投票権を制限する「ジム・クロウ法」が制定・施行されることによって、黒人は「奴隷制の方に再び」[6. W E B Du Bois, Black Reconstruction, Notre Dame: University of Notre Dame Press 2006, p. 27.] 押し込められた。ジム・クロウ法は1954年に公立学校での人種隔離が違憲であるという連邦最高裁判決の後に解体され、1960年代の公民権運動を通じてようやく完全に廃止された。

   それまで北部の黒人はどうだったのだろうか。産業化時代の南部のジム・クロウ法を避けて北部に大挙移住した黒人は、豊かで自由な都市の風景を目撃したが、当の彼らにはそのような豊かさや自由が許されなかった。リチャード・ライト(Richard Wright)の『アメリカの息子』(Native Son, 1940, 1991)[7. この作品の引用は、リチャード・ライト(キム・ヨンヒ訳)『アメリカの息子』改訂版(創作と批評社、2012)により、本文に頁数だけを示す。リチャード・ライトとこの小説に対する議論としては、キム・ジョンチョル「リチャード・ライトと第三世界文学の可能性」『大地の想像力』(緑色評論社、2019)、およびキム・ヨンヒ「リチャード・ライト」、英米文学研究会編『英米文学の道案内2』(創作と批評社、2001)を参照。] は、資本主義の豊かさの中で、白人とは違って何もできなかった1930年代のシカゴの一黒人青年ビガー・トーマス(Bigger Thomas)の激情的な生活を描く。この作品の中心には、ビガーが運転手として自分を雇った主人の娘を、枕に押しつけて殺害する事件が設定されている。この殺害場面で「息ができずに」死ぬのは黒人の男でなく白人の女だが、殺した者の方に加害者に劣らず被害者の側面があることにアイロニーがある。この中心事件が持つ意味を十分に理解するためには、ビガーという人物がどのような存在かから考える必要がある。

   ビガーが友人のガスと交わす次の会話は、彼らの状態について示唆するところが大きい。ビガーがガスに向かって白人が住む場所を尋ねると、ガスは白人居住地域の方を指す。当時シカゴは黒人と白人の居住地域が分離されていた。だが、ビガーはガスの答えが間違っていると言って、自分のみぞおちの部分を突きながら、「この、俺の腹の中に」生きていると言う。

 

「白人のことばかり考えて、ここであいつらのことを感じるんだ」とビガーが言った。 「わかるよ。それから胸にも、喉にも」ガスが言った。 「火の玉みたいだ」 「そう、そして、あるときは息をするのもつらくて……」 虚空を見つめるビガーの目は大きく淡々としていた。 「ちょうどその時、ものすごいことが起きたような気がするんだ……」ビガーは目を細くひそめて、しばし話すのを止めた。「いや、俺に何が起こるというのではなく、まるで……まるで俺が何かを仕方なくしでかすような感じなんだ……」(38頁)

 

   この点で、ビガーにはダグラスと区分される特徴が発見される。1つは、白人の存在が自分の内部に組み込まれ、すでに体で感じられるということ、そしてそれによって外の白人に対する恐怖に劣らず、自分が何かしでかすような恐怖がかなりあるという点である[8. この点はフランツ・ファノンが明瞭に指摘したことがある。「ビガー・トーマス、彼は恐れている、とても恐れている。恐れているが、いったい何に恐れているのだろう。まさに彼自身にである」(”It is Bigger Thomas -- he is afraid, he is terribly afraid. He is afraid, but of what is he afraid? Of himself.”)Frantz Fanon, White Skin, Black Masks, tr. Charles Lam Markmann, London: Pluto Press 1967, p. 107. ] 。もう1つは、このような状況において、ガスが「息ができない」(can’t hardly breathe)と言いながらも恐怖に耐える人間であれば、ビガーは、自己の内外の恐怖に対して怒りと暴力で対応する人間である。彼は黒人差別的な現実を、仕方ないと諦めて受け入れることはしない。「そのようなことを考えるたびに、誰かが喉の奥に、真っ赤に熱したコテをすっと入れるような感じなんだ。(……)俺たちはここに暮らしていて、あいつらはあっちで暮らしているのさ。私たちは黒くて、あいつらは白くて。あいつらには、あれやこれやとないものはないが、俺たちは違うさ。あいつらは何かをやるが、俺たちにはできない。まるで監獄暮らしさ。世の中の外から、壁にあいた穴をのぞき込むような、そんな感じでいることがほとんどなのさ……」(35〜36頁)。

   知的で忠実なダグラスと対照的なビガーのこのような叛乱者的な側面は、「ダグラス自伝」には、奴隷制を媒介として現出した資本主義体制が、『アメリカの息子』で本格的な姿で登場したことと関連している。ライトはこの小説の序文「「ビガー」はいかにして生まれたか」で、「涙の慰めもなく直視しなければならないほど、冷厳で深いものを書こう」(635頁)としたと明らかにしているが、そのためには人種的な抑圧体制を装着した資本主義「体制」に、骨の髄から抵抗する人物が必要だった。事実、ライトはビガーを、すべての抑圧的な体制に対して、生来的に抵抗する存在の通称として使用している。

   ビガーのこのような二重の恐怖と怒り、暴力は、大富豪ドルトン氏の大学生の娘メアリーを殺す場面で頂点に達するが、それ以前から前兆が見られる。一部屋を間借りしているビガーの家族(ビガーとビガーの母、弟と妹)がネズミを捕る最初のシーンと、友人たちに白人の店を襲おうとけしかけたが、それによる不安に耐えられずガスにけんかを売り、強盗の計画を台無しにしてしまうビリヤード場でのシーンなどで、不安と怒りの間を行き来しながら、暴力的に変化するビガーのこのような特質が見られるのである。ビガーの実際の生活を如実に描写するこの写実的なシーンは、黒人の存在的な条件と不安な心理を圧縮する象徴性を帯びている。問題のシーンもやはりそうである。

   ビガーがメアリーを殺したのは、一見偶発的な出来事のように思われる。ビガーはドルトン家に運転手として雇われた日、メアリーを大学に連れて行くことになっていたが、メアリーは学校に行かず、ボーイフレンドの共産主義者ジェンと会う。白人の彼らと一緒にいることが、ビガーにとってどれほど苦役かは気にしないまま、彼らは自分たちが普段やってみたかった通りに、ビガーを連れて黒人地域のレストランで食事をして酒を飲んで別れ、ビガーは泥酔したメアリーを支えて、彼女の寝室までなんとか連れて行く。自分に完全に身を任せたメアリーに刺激されたビガーは、彼女にキスをするが、戸口に幽霊のように現れたドルトン夫人が「メアリー!」と呼ぶ声が聞こえる。目が弱いドルトン夫人が尋常でない雰囲気を感知し、少しずつベッドに近付くと、恐怖に襲われたビガーは、メアリーが自分の気配を出せないように、枕で彼女の頭を押さえつける。

 

メアリーが何かつぶやいてまた起きようとした。彼は狂ったように枕の隅をつかんで彼女の唇にあてた。つぶやけないようにしなければならない。そうしなければばれるだろう。ドルトン夫人がゆっくりと彼に近づいて、彼はすぐにでも爆発しそうに体が緊張した。メアリーの爪が彼の手をえぐった。そこで彼は枕を持って、彼女の顔の全体をがっと覆った。メアリーの体が上に浮き上がり、彼は彼女が動いたり音を出したりしてばれたりしてはいけない、という一念で、すべての力を振り絞って枕を押さえつけた(127頁)。

 

   ビガーは、もがくメアリーを枕で押さえつけ、最終的に彼女を死に至らしめるが、彼は自分がどんなことをしたのかさえわからないほどに恐怖におののいていた。ドルトン夫人にばれたらおしまいだという差し迫った考えが恐怖を呼んだのだろうが、暗闇の中で幽霊のように見つめるドルトン夫人のちらつく姿自体が、より大きな恐怖だった。後でビガーがメアリーの遺体を地下室の暖炉の脇に置くとき、ドルトン家の「白猫」(ケイト)が、まるでエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の「黒猫」(1843)のようにひやっと見守っているシーンも、このような恐怖が強調される[9. 「「ビガー」はいかにして生まれたか」の最後は次の通りである。「もしポーが生きているならば、恐怖を発明する必要はないだろう。むしろ恐怖が彼を発明するだろう」(645頁)。] 。

   ドルトン家族の面々を考慮すると、このシーンはさらに意味深長である。父親を「ミスター資本家」(Mr. Capitalist)と呼び、ビガーに「労組に加入しましたか?」と尋ねるメアリーは、急進的な言辞にもかかわらず素朴な人物である。メアリーはまるで、ソフィアが初めてダグラスに接するときのように、ビガーに純粋に接する。「彼女はまるで彼が人間であるかのように、自分と同じ世界に生きる存在であるかのように接した」が、ビガーはこれに驚きながら、「彼女が白人であり金持ちであるという、彼に対して、何々はやってもよく、何々はやってはいけないと命令する、そのような人たちの世界に属する人物であるという厳然たる事実が、互いに絡まり合って頭が混乱し」(99頁)、実際にメアリーとジェンが、ビガーに対して友達として接しようとするほど、ビガーは「自分の黒い肌」と、その上に付着した「羞恥の表紙」を強く意識せざるを得ない。自分の黒人性と、その中に組み込まれた劣等感を意識しているビガーに比べて、メアリーとジェンはまるで人種主義から自由であるかのように人種の境界をかき回す。

   しかし、彼らのそのような自由な言動は、ビガーを同等の人間として接するというよりは、黒人の場所と言語、身体を自由に扱うことができる白人の特権を享受していることに近い。彼らは車の前部の座席に、ビガーを間に座らせ、両側に密着して着席することで、ビガーに「そびえたつ巨大な2つの白い壁の間に座っている」(102頁)印象を与える。白人女性とそのように近くに座ったことがないビガーとしては、彼女の体を強く意識せざるを得なかった。一緒に入りたくない「オニ―の家」――黒人たちがよく行くレストラン――に、ビガーを無理やり連れて入るのもそうである。もちろん、そこにはビガーを「黒んぼ」の運転手のように、レストランの外に待機させたりはしないという配慮の側面はある。しかし、酒に酔った後は、2人が車の後部座席で濃厚なスキンシップを堂々とやることで、ビガーを正確に「黒んぼ」運転手のように扱う。このように彼らは、人種主義が体質化されているために、意識されてもいない「盲点」(blind spot)を露呈するのである。

   人種主義的な関係において、黒人は白人の強大な権力に押しつぶされ、自分が直面している全体的な状況を把握するのが困難であるならば、白人は黒人が全身で感じ認知する現実を、自分は感じる必要がないので、まったく意識しない傾向がある。ジェンとメアリーの場合に見られるように、このように人種主義的な権力関係で生じる盲点から自由であることは容易でない。ドルトン夫妻はなおさらそうである。ドルトン夫人はビガーの前任者グリーンに対してそうだったように、黒人に教育の機会を勧め、真に黒人を助けようとする人物であり、ドルトン氏も全国有色人向上協会(NAACP)の後援者であり、有色人学校に500万ドルを寄付した。しかしながらドルトン氏は、ビガーの借家が属しているサウドサイドの不動産会社の所有主である。ドルトン夫妻は資本主義体制の既得権者としては権力者だが、この場合、人種問題における彼らの善行と進歩的な立場は、権力関係に始まる盲点をより拡張し、自己欺瞞の中に凝固させる触媒になりうる[10. これと関連して注目すべき作品は、ハーマン・メルヴィル(Herman Melville)の中篇「バートルビー/ベニト・セレノ」(Benito Cereno, 1854)である。進歩主義者を自認するアマサ・デラノ(Amasa Delano)船長は、自分が訪れた奴隷船で、バボ(Babo)が主導する船上の反乱に最後まで気づかない。バボの指揮下に、奴隷たちが船員を捕虜にしたまま、デラノの盲点を狙って、黒人奴隷の特徴的な行動をうまく試演することで、彼の合理的な疑いを解体する。しかし、デラノ船長の自己欺瞞と虚偽意識にもかかわらず、最終的に叛乱者たちは制圧される。] 。たとえば「盲点」が「目がよく見えないこと」に転化することがあるが、この地点でドルトン夫人の幽霊性と、目がよく見えないことが、象徴的な次元では、人種主義/資本主義体制のパノプティコン的な現前として作動する面がある。体制の監視者がそこにいようといまいと、被監視者は常に監視の下に置かれる効果があるのである。

   このように見ると、この事件は偶発的ではあるが[11.「この偶発性こそは、ビガー・トーマスが一人の黒人として、自分の内部に絶えず積み重ねてきた神経症的な緊張、恐怖、バランスの喪失が、どれほど大きなものだったかを端的に示している」。キム・ジョンチョル、前掲書、302頁。] 、突然のドルトン夫人の出現で、ビガーの意識・無意識に加わる体制的な人種主義の圧力まで考慮するならば、必然的でもある。もちろん、この状況においても、ビガーでなくガスであれば、殺人までは起きなかっただろう。ガスであれば、メアリーの息を止めようとする代わりに、自分が息ができない状況になっただろうし、現場で発覚して「白人女性を欲しがった(強姦した)黒人の男」として苛酷な処罰を受けただろう。ファノンが「ついにビガーは行動する。自分の緊張を終わらせるために彼は行動し、世界の期待に反応する」[12. Frantz Fanon、前掲書、107頁。] と、ビガーの暴力的な行為を高く評価したのは、植民地化された人種主義に激しく抵抗するときに、はじめて革命が可能だと考えたからである。

   ビガー自身も自分の殺人行為を間違いだと言い訳したり、彼の進歩主義の弁護士マックスのように社会的矛盾の結果であるとは主張しない。警察に逮捕され拘置所に入ったビガーは、「私を殺人にまで至らせたもの、それはまさに私自身です!」と自分の行為を肯定する。また「殺人するほどに切実な感じがするまでは、私は自分がこの世界に本当に生きているのかわかりませんでした」と吐露する(603頁)。殺人行為において初めて「生きていること」を感じたというビガーの挑発的な証言は、「アメリカンドリーム」に夢を膨らませていた豊かさの国で、「悪夢」のような生活に耐えなければならなかった人間の肉声として、そこには公民権的の要求だけでなく、完全な生のための欲求と変革的な熱望までが込められている。事実、ライトは、ビガーを真の姿で形象化することが、「政治的・人種的な権利よりもさらに深く切迫した権利、すなわち人間の権利、正直に考えて感じる権利がかかっている問題」(628頁)と考えた。

   ライトがビガーを通じて到達したこの地点は、1960年代の黒人運動が達成した最高の洞察を、先取りしたもののようである。たとえば、キング牧師がアメリカの民主主義のために克服すべきこととして、「人種主義、極端な物質主義、そして軍事主義という巨大な三つ子」を上げたことや[13. Martin Luther King Jr, “A Time To Break Silence,” A Testament of Hope: The Essential Writings of Martin Luther King Jr, Harper&Row Publishers, 1986, p.240. ] 、人種主義と資本主義が双生児――「人種主義なくして資本主義は維持できない」というマルコムXの認識は[14. Malcolm X, speech at the founding rally of the Organization of Afro-American Unity, New York, 1964.6. 28. (http://malcolmxfiles.blogspot.com/2013/07/oaau-fou nding-rally-june-28-1964.html)] 、体制的人種主義の克服が、公民権の次元で解決できる問題でないことを明らかにしたものである。黒人民族主義イスラム団体「ネーション・オブ・イスラム」(Nation of Islam)から脱退したマルコムXが、公民権運動の指導者と共同作業を行う意向を明らかにして、「公民権」(civil rights)の代わりに「人権」(human rights)に焦点を当てて提案したのもそのためである。

 

2200万のアメリカ黒人の共同の目的は、人間存在としての尊厳である。(……)アメリカで私たちの人権がまず回復されて、初めて公民権を持つことができる。そこで私たちは人間としてまず認められて、初めて市民として認められるだろう。(……)南アフリカ共和国とアンゴラで、私たちの兄弟姉妹の人権侵害が国際的な問題となり、よって南アフリカやポルトガルの人種主義者たちが、国連のすべての独立した政府から攻撃されるように、2200万のアメリカ黒人の悲惨な苦境が人権のレベルに引き上げられるならば、そのとき、私たちの闘争が国際的な問題となり、すべての文明化された政府の直接の関心事になる[15. Malcolm X, "Racism: The Cancer That Is Destroying America," The Egyptian Gazette, 1964.8.25. (https://malcolmxfiles.blogspot.com/2015/09/racism- cancer-that-is-destroying.html)] 。

 

BLM運動とアメリカ民主主義の未来

 

   1960年代の黒人公民権運動は、体制的人種主義を根絶するところまでは進まなかったが、奴隷解放以降、むしろ根付いたジム・クロウ法を廃止することによって、黒人運動史の大きな進展を遂げた。それから50数年たって、フロイドの死に触発されたBLM主導の人種差別抗議デモや黒人の生命運動は、体制的人種主義との戦いにおいても、もうひとつ画期的な進展を遂げたものと思われる。アメリカの歴史上、最大規模で、アメリカ内外で最大の地域的な分布を示し、黒人だけでなく、白人をはじめとする様々な人種の参加などで、期待を集めるに十分であった[16. デモ開始後の数週間の間に1500万~2600万人が、デモが頂点に達した6月6日には一日の間にアメリカ全土の550か所で計50万人が参加したものと推定される。参加者の中で白人の割合が50~75%になった。"Black Lives Matter May Be the Largest Movement in U. S. History," The New York Times, 2020.7.3. ] 。

   現在進行形であるBLM主導の人種差別に対する抗議運動が、今後、どのような結果を生むかについては断言が難しいが、明らかなのは、この運動の行方に人種主義の撤廃だけでなく、アメリカ民主主義の多くの課題がかかっているという点である。コロナウイルスの局面を通過し、世界一の大国であるアメリカが、人種差別問題だけではなく、コロナ防疫でも「失敗した国家」(failed state)であることが確実となり[17. George Packer, “We Are Living in a Failed State: The coronavirus didn’t break America. It revealed what was already broken,” The Atlantic, 2020.6. ] 、この運動がはたしてそのような「失敗した国家」を救うところまで進めるかが問題となる。この問いにきちんと答える能力がない筆者としては、今回の抗議運動を60年代の公民権運動と比較することによって、この問題を考えてみたい。

   今回のフロイドの抗議運動は、1950〜60年代の公民権運動と黒人の権力運動(Black Power Movement)の遺産を継承するものの、新しい形の人種主義に対応する新たな形の運動と言うことができる。「新しい形の人種主義」と関連して重要な言説が大きく3つある。1つは、1970年代以来「麻薬との戦争」などによる「大量投獄」(mass incarceration)と、これを支える刑事法・刑罰制度、また黒人を下層階級(undercaste)化する「人種的カースト制度」(racial caste system)に注目し、このような現象に「新たなジム・クロウ」と命名したミシェル・アレクサンダーの研究がある[18. Michelle Alexander, The New Jim Crow: Mass Incarceration in the Age of Colorblindness, Revised Edition, The New Press 2011. ] 。現在、アメリカの人口は世界人口の5パーセントだが、刑務所の収容人員は、世界中の25パーセントほどを占め、そのうち黒人の割合は白人の6倍に達する[19. Keeanga-Yamahtta Taylor, From #BlackLivesMatter to Black Liberation, Haymarket Books 2016, p.11. ] 。さらに受刑者の黒人の絶対多数を占める黒人男性は、出所後も烙印効果のために、就職をはじめとする他の社会活動から排除されると同時に、「犯罪者」というイメージから逃れることができない。

   もう1つは、新しい形の人種主義に注目するものの、それを奴隷制の延長として見る視点である。たとえば、ミシェル・アレクサンダーも出演したエイヴァ・デュヴァーネイ(Ava DuVernay)監督のドキュメンタリー「修正憲法13条」(13th, 2016)は、アメリカで修正憲法13条が通過することで、奴隷制が公式には廃止されたものの、13条1項の但書「判決として確定された刑罰である場合を除いては」という例外を悪用し、強制労働や奴隷制が形を変えながら続いたと主張している。このような観点から、レーガン政権の「麻薬との戦争」の後に急増した「大量投獄」と、刑務所の民営化に伴う「産獄複合体」(prison-industrial complex)、また強制的な「刑務所労働」(prison labor)などは、その様相は変わったが、本質的には「奴隷制」なのである。

   最後に、ロレンゾ・ヴェラチーニ(Lorenzo Veracini)をはじめとする「定着植民地主義」論の観点がある。ヴェラチーニは黒人が「大量投獄」されている今日のアメリカの矯正施設を、アメリカ先住民保護区と類似した、黒人保護区や収容所として見ている。彼は、黒人を大量に刑務所に閉じ込めておくことは、デュヴァーネイの「奴隷制」の観点とは異なり、強制労役を通じた搾取が主な目的ではなく、「定着植民地主義」の特徴である「再生産のない蓄積」に伴う「封鎖と除去」(containment and elimination)のためのものと主張する。他の学者の文章をコメントする次の部分は、彼の視点をよく示している。

 

この「国家」の決定的な特徴は、この国家が過去に一時そうであったように、不平等な関係の維持を目的としないということである。この国家はもはや、そのような関係の断絶を目標としている。この国家(つまりアメリカ)は、これ以上、植民地主義国家(たとえば、一種の内部植民地を監督する国家)ではなく、定着植民地国家なのである。もちろんアメリカは常に定着植民地国家だったが、一次的に、そして建国の時から、先住民たちに対してそうだったのである。もはやアメリカは、他の構成員との関係を断絶することも狙っており、黒人たちを少しずつアメリカインディアンのように扱っている [20. Lorenzo Veracini, “Containment, Elimination, Endogeneity: Settler Colonialism in the Global Present,” Rethinking Marxism, 2019.4, p.131.]

 

   今回の抗議運動を主導したBLMと、BLMが所属する連合運動体M4BLが、この3つの観点のうちどの立場をとっているか、正確にはわからない。ただ、白黒の間の平等や公民権よりは、黒人の生命の守護を前面に掲げるという点では、黒人が「封鎖されたり除去されたりする」側面を強調する、定着植民地主義の論理と最もよく合致する。ヴェラチーニも「ついに私たちは、黒人の命が大切なのか、あるいは黒人の生命が物質(matter)なのかの選択に直面する」[21. Lorenzo Veracini, ibid, p.132. “In the end, one is faced with a choice: either black lives matter or they are matter.” ] として、BLMの名称を定着植民地主義の論旨に合わせて再解釈する。フロイドの死のシーンはジム・クロウ時代の黒人よりも奴隷の姿を彷彿とさせるが、考えてみると、財産であるがゆえに殺さなかった奴隷とは異なり、最近の黒人はあまりにもよく頻繁に殺される。それも「物質」のように「廃棄処分」されるように!

   このように見ると「除去の論理」を内蔵した新たな形の人種主義の前に、以前の世代の黒人運動のように「平等」の要求ではなく、「生命」の重視として対応するBLMの方法は、適切であるだけでなく、避けて通ることはできないようである[22. このような変化は、黒人運動において確実な世代交代が行われていることを示唆しているが、平等から生命への焦点の移動が、BLMの創設者と主導的な活動家の大部分が女性であるという点とも関連がある。] 。このとき「生命」は、単に「生存」の次元に還元されるものではない。むしろそれは完全な「生」を生きるために、「生存」の次元に還元されることを拒否する抵抗的な行為である。BLMの創設者の一人であるアリシア・ガーザ(Alicia Garza)は、「なぜ黒人の命は大事か」という演説で[23. Alicia Garza, “Why Black Lives Matter,” 2016.3.18. (http://opentranscripts.org/transcript/why-black-lives-matter) ] 、黒人を大切に考えないアメリカの現実に適応するよりも、堂々と対抗して戦うという覇気を示す。ダグラスの発言を引用しながら、「政策の変化」ではなく、「抵抗」だけが現在の人種的秩序を変更できることを強調している。現在、刑務所に入れられているビガーの多くの子孫が、BLMのダグラスの子孫と出会い、大きなことをするかのような期待を持たせている。

   BLM運動がこれまで達成したものも少なくない。窒息死を誘発する「首絞め」慣行を廃止させ、「警察予算撤回」(Defund the Police)とコロナウイルス期間中の「家賃撤回」(Cancel the Rent)を具体的な要求として提示したことも、生命重視の一環であり、草の根運動らしい性格を示している。刑務所の廃止と移民政策の改革も、黒人や少数民族の当事者性に立脚した、生命重視の要求の一環であると言えよう。また、ジェンダー、トランスジェンダー、LGBTQなど、フェミニズムやクィア運動に積極的であり、SNS活動を通じた大衆との疎通にも通じている。BLM主導の抗議運動が、奴隷制/植民地主義の「偉人」たちの像を大挙撤去し、ミシシッピー州旗で南部連合の旗を禁止したのも、画期的な「歴史の書き換え」として評価に値する。そのなかでもBLM運動の何よりも大きな功績は、今、私たちがどれほど苛酷な形の人種主義体制に暮らしているかに気付かせた点ではないかと思われる。

   懸念されるところもなくはない。たとえば、今回の人種差別への抗議運動はアメリカ国民の幅広い支持を受けたが、アメリカの民主主義が深刻な危機に直面しており、11月3日に大統領選挙を控えた状態において、大きな視野で今後進むべき道を提示しているようではない。体制的人種主義を克服することと、アメリカの民主主義を新たに再建することは、資本主義世界体制の変革を要求することにつながるが、このような大きな話はあまりしていないという感じである。キング牧師やマルコムXのように、アメリカの帝国主義的な様態について鋭く批判したり、人種主義のほかにも、物質主義や軍事主義にまみれたアメリカ文明自体にまで苦心したりするケースは稀である[24.「アメリカ文明の克服」と「新たな民主主義」と管連して、白楽晴の近著『西洋の開闢思想家D・H・ローレンス』(創作と批評社、2020)を参照のこと。特に、新たなアメリカ文明を芽生えさせるためには、白人らがアメリカ大陸の「先住民」として生まれ変わることが重要であることを強調する、第4章「「セントモア」の思惟の冒険と小説的成就」、および「平均的なもの」と平等主義にもとづくアメリカ民主主義を批判し、新たな民主主義を模索する第10章「ローレンスの民主主義論」を参照のこと。] 。しかし、BLM運動以降、アメリカの多くの小都市で、白人住民たちがこれまでになく沈黙を破り、黒人住民に近づいて声をかけたり、BLM支持の集会や討論会に参加したりしている様相において、小さいながらも貴重な変化が起きていることを痛切に感じる。人種主義克服の道が険しく遠くても、日常を生きる人々の実感と小さな変化をもとにして進まざるを得ない。その根底は、今、広く堅固になっている。

 

〔訳=渡辺直紀〕

 

 

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