창작과 비평

[卷頭言] 今は毒矢を抜くべき時 / 宋鐘元

 

創作と批評 191号(2021年 春)目次

 

 私たちは今、どういう時間を通過中なのか。1年ほど前に突然出現した新型コロナの影響下、終わりそうで終わらないコロナ時代を経て、累積した疲労とある種の喪失感を訴える声がしきりに聞こえてくる。しかし、新型コロナは急に発生した事件でないどころか、私たちには見慣れた日常がその発生とも無関係ではない。実は、私たちは回復すべき何かを喪失したのではなく、喪失した状態から全地球的に新しい生き方を再構築すべき状況に置かれているのだ。もしかしたら、幸いにも、完全な破局に到達しないまま、ある決定の可能性が与えてくれた時間を過ごしているのかもしれない。

  新型コロナに由来したこの間の経験は、苦痛とともに今後展開される暮らしの局面への暗示を与え、またどういう決定を下すべきか、省察できる機会を生み出した。まず、危機の中で人々が経る苦痛は同等なものではなく、各自の経済的・社会的条件によって差別的という点をあらためて確認することができた。その上、こうした渦中でも不動産・株価の暴騰を通じて資産を持つ人々はさらに豊かになり、雇用の不安定と経済沈滞の影響の中で貧しい人々はますます貧しくなるという富の二極分解が深刻になり、人々はより複雑な思いにかられた。その中には虚脱感と憤怒、恐怖も含まれるが、同時に不平等に対する鋭敏な問題意識と共同の問題を創造的に解決していく思惟や情動も含まれているだろう。

  実際、新型コロナという共同の問題に対処してきた過程は、共同体の力量と市民的主体性を検証する時間でもあったが、今までは私たち自らが自負を感じるほどの分析と指標をかなり確認することができた。特に、ケアの価値とケア労働の重要性を体感したことは、コロナ時代を経る過程で獲得した極めて特別な学習経験だったといっても過言ではないだろう。「共同体を形づくる構成員が暮らしの局面ごとに経る生活の必要を共に分かちあって切り抜け、互いにケアすること」(白瑛瓊「福祉とコモンズ」『創作と批評』2017年冬号)の価値と重要性を、私たちはこの1年間全身をぶつけながら痛感した。

 そして何より、今後変化すべき私たちの生き方と緊密に関連ある事案は、新型コロナの直接的な原因として提示された環境と生態問題に対する市民の関心がかなり広がったという点である。特に、新型コロナとともに全世界的に発生した異常気候の兆候により、気候危機に対する感覚はどんな時よりも、その実感の程が高まった。この間深く省みるのが面倒であり、また考えると頭が痛くて避けてきた面がなくはない気候危機の問題を、文字通り、皮膚で感じさせられた経験の意味は決して小さくない。これをより意味ある方向へ転換させるためには、危機に対する感覚を越えて気候正義(Climate Justice)を通じた認識の変化と行動にまで進まなければならない。もしかしたら、気候正義と関連した行動と実践こそ、私たちの共同体の力量と市民的主体性を明確に立証する、もう一つの重要な試験台になるのではないかと思う。

 気候正義とは、気候危機に関する対応と措置が生態の問題だけではなく人権の問題であり、不平等の問題であり、また共同体の力量の強化とも関連があると教えさとす。気候問題は、私たちの時代の政治的・経済的・倫理的次元の問題が交差する地点に存在するという表現は、今や極めて現実的であり、直感的な言葉になった。最近、いくつかの国家の果敢な決定と措置もまた、これを傍証する。ドイツは脱原発とともに脱石炭の計画を推進し、実際、昨年末に経済的な補償措置を媒介にして火力発電所1カ所を閉鎖した(『ハンギョレ』2020年12月23日)。フランスの裁判所は気候変化にまともに対応しない政府の責任を問い、損害を賠償せよという象徴的な判決を下しただけでなく、マクロン大統領は憲法第1条第1項に気候正義的な要素を追加し、「共和国は生物多様性と環境保全を保障し、気候変化に抗して闘う」という文章を置こうとしている(『京郷新聞』2021年2月4日)。新たに始まった米国バイデン政権はもまた、ジョン・ケリー元国務長官を気候特使に任命してパリ気候協定に再加入し、2030年まで米国内の土地と水域の石油試掘を中断するなど、多様な気候関連の措置および行動を実行しようとする。

 こうした変化の歩みに照らすと、わが国の現状況はどうか。2050年まで炭素中立を達成し、温室ガスの排出も最小化しようと宣言したが、実際の行政と法律制定は、その実現可能性を疑わせる。「経済成長主義に埋没して企業家に新たな利潤追求の機会を与えるだけで、社会的不平等の解決も、そして気候危機の解決も不透明な緑色成長流の接近」は再考すべきである(韓在珏、『プレシアン』2021年1月27日)。経済成長の視角と気候正義的な視線を二者択一の構図にして判断するとか、形式的に折衷することは時代錯誤的という事実が明らかになった。気候正義は、私たちが選択肢に入れて選ぶ問題ではなく、今まさにそれに見合う決定と行動を実践すべき事案だからである。毒矢に当たった人が最初になすべきことは、矢が飛んできた角度や矢の種類を分析することではなく、まず自らの生命を脅かす矢を体から引き抜くことだという昔話を思い起こせば、私たちの決定はいかなる方式であるべきか、より明白になっている。

 

 本号の特集は、米国の深刻な分裂と米・中間の熾烈な戦略競争に由来する世界秩序の変動様相を診断し、これに向きあう私たちの対応の方向を探索する文章を収録した。

 まず李恵正の文章は、2020年米国大統領選挙の意味を緻密に考察する。約束と絶望、偽善に散りばめられた米国政治史の軌跡をたどる中で、先住民の虐殺、黒人奴隷制と人種主義、米国例外主義などに対する骨のある解釈と論評をきめ細かく織り交ぜる。そして、トランプ政権からバイデン政権へと移る間に、いかなる理念的変動と政策志向があったのか、また両政権が米国の歴史を各自どのように再構成し、それが実際とどう食い違うかを鋭く分析する。バイデン政権の米国、さらに全世界がどういう岐路に立っているか、生き生きと迫ってくる。

 李南周は、世界秩序の重要な変数かつ問題として台頭した米中関係の具体的な実像と両国間の戦略競争について立体的に考察する。米中関係は、その展開様相によって朝鮮半島はもちろん、国際情勢に甚大な影響を及ぼす。筆者は、経済的発展の速度と軍事力、技術力、地政学的な側面など多角的な競争局面に基づき、今後形成される米中関係の変化のシナリオを広げてみせるのはもちろんだが、これによる韓国の主体的な対応方式と課題を思慮深く提示する。

 金錬鉄の文章は、南北関係を膠着状態に陥らせる“遠心力”を細密に診断し、南北関係の現在と今後を展望する。新たに形成された米中競争の構図と北朝鮮の自力更生戦略、そして“制裁と安保のディレンマ”という変数の中で、韓国はどういう役割を果たすことができ、また果たすべきかを、実事求是的に論ずる。朝鮮半島の平和プロセスに青写真を形成するに値する三大核心課題に対する、彼の専門家的な識見と提言は、南北関係を具体的に展望する場合、緊要な参照点になるだろう。

 対話欄では、新型コロナで可視化された韓国社会の様々な問題点に対して、「青年」の声を聞いてみた。基本所得青“少”年ネットワーク活動家の金朱温、青少年人権活動家のコン・ヒョン、映画監督のイ・ギルボラ、出版編集者の李振赫が各自の生と政治的経験を基盤にして陳述し、生き生きとした話を聞かせる。不動産・株の熱風、世代論としての青年言説などを批判的に診断するかと思えば、基本所得や共同住居形式のような“人間らしい暮らし”を志向し、“新しい政治的場面”を企画する想像力に関して傾聴に値する見解を語りあう。

 論壇に収録した二編の文章も格別の重みがある。本誌前号の対話「気候危機と体制転換」の読後感を含んでいる白楽晴の文章は、体制転換の次元から経済的成長主義の克服論議に続き、自らが主張した“適当な成長”論を話頭にして論じる。この過程で、『緑色評論』発行人の故金鍾哲との批評的対話を想い起こし、筆者の二重課題的な視角と金鍾哲の小国主義の間で相通じる可能性を提示している。また何よりも、“後天開闢”思想とハイデッカーの“技術時代”概念を絶妙につなぎ合わせて精神開闢を伴なう体制転換を強調し、気候危機と資本主義から新しい文明への体制転換を可能にさせる特別な思惟の枠組を提供する。次いで具甲祐の文章は、昨年の李泳禧先生10周忌にあたって刊行された評伝と選集を媒介にして、韓国現代史で“思想の恩師”と称された李泳禧先生の人生と思惟を新たに照らしだす。自主的な知識人として、先生の思想が歴史の特別な局面の中でどのように光を発し、またいかに更新されたか、個性的な語法で論じる。

 現場欄では、日本の市民運動家・青柳純一が日本の政権移行過程と日韓関係を診断する。安倍政権から菅政権へ移行する間に、実際にどういう権力関係の変動が作動したのかを伝える一方、オリンピックと北朝鮮問題、そして韓国のキャンドル革命の余波など、今後日韓関係に重要な影響を及ぼす点を細かく考察する。

 作家照明は、故崔正禮詩人の人生と作品世界を広げて見せる。闘病生活をしていた詩人は、本号を作っている間に、残念ながら他界された。日々の暮らしに基づいて非凡な詩的瞬間を照らして、人々の気持を明るくしてくれた詩人の永眠に、哀悼の意を表する。故人と親しくつきあった李謹華詩人が、つらい時間を送る渦中でも、この間よく知られていなかった崔正禮詩人の生と声、そして最初の詩集から最後の詩集となった『光網』までの詩世界を繊細に読み、誠を尽くして表現した。李謹華詩人に厚く感謝する。

 二編の文学評論は個性と主題が際立つ。韓永仁は、変化する現実の労働が小説にどのように描き出されたか、張康明、金惠珍、金世喜の作品を通して分析する。“二重構造化”された韓国労働市場の現実を中心にして個々の小説がそれをどういう視点からとらえるか、その視線の限界と成果とは何なのかを力一杯くり広げる。申亨澈は、最近の韓国詩の“声”に細心の耳を傾け、「芸術性と政治性が交差する詩学的範疇」を構成する新たな試みを示してくれる。感情と疑問、そして行為という範疇に合わせ、それに見合う“市民性”を思惟するよい詩を事例として提示し、“詩と政治”論議を一層具体的な局面へとつなげていく。

 創作欄もまた、広く読まれればと思う。11人の詩人が送ってくださった作品で満たされた詩の欄には、どの号にも劣らぬ感動的な作品が多く、文真鍈・朴相映・孫元平・李恵敬・鄭梨賢の短編小説もまた読者に作品にひたる喜びをもたらすと期待される。本号から連載を始めた崔銀美の長編小説もうれしい。詩のように読める冒頭部分から強烈に迫ってくる。

 文学焦点では、慎哲圭詩人の進行により評論家の鄭弘樹と詩人の金海慈を招待して意見を交わす。新進と中堅の作品を合わせて、この季節に注目すべき詩・小説6冊を注意深く読み、これらの作品の美徳を批評的な眼目によって忠実に点検する興味深い読み物である。

 また散文欄では、元労働大臣の南載煕が元陸軍参謀総長の閔基植の回顧録と彼との特別な縁、彼の側近から聞いた話を土台にして韓国政治史の注目に値するいくつかの場面を想起させる文章を寄稿した。軍人出身の政治家たる閔基植の特異な人となりだけでなく、朴正熙執権期を始めとする民主化以前の政界の面々とその当時の雰囲気も実感をもって伝える。

 寸評欄は、韓国の古典と中国現代史、コロナ禍と医療・科学界の実態、労働現実と文学的な探索など多様な主題に分けて選定した11種類の図書を要領よく扱いながら、その核心を丁寧に検討する。有益な読書の道案内であり、それ自体でも密度のある読み物といえよう。

 毎年春号で出会うもう一つの楽しみは大山大学文学賞の受賞作である。第19回の受賞者は李洗認(詩)、李在恩(小説)、尹餘慶(戯曲)、田承珉(評論)の新鮮かつ個性あふれる作品が届いた。大学生の文筆家たちの情熱とともに技量の高まりを確認できると信じる。

 最後に、文学評論家の田己和が編集委員として新たに合流したことをお知らせしたい。

 

 再びの春である。1年余りにわたる新型コロナの時代を経て、身も心も疲れ切った人々が多い。つらい状況に置かれた人々に、彼らの暮らしに関心を示す視線と温かな一言は、いかなる助けにも劣らず切実なものだろう。非既得権者の生活の場に立って現実を見る新たな視野を確保し、また真の価値に対する問いを忘れることなく、日々の温もりのこもった言語で人々に生きる活力を奮い起こさせるために努めること、それは『創作と批評』が長い間行ってきた作業であると自負する。この1冊の雑誌が、多くの人々が挫折を克服して新たな春を生き生きと感じる一助になればと思う。

 

宋鐘元(文学評論家)

 

〔訳:青柳純一〕