[論壇] 気候危機と近代の二重課題: 対話「気候危機と体制転換」を読んで/白楽晴
白楽晴 (『創作と批評』名誉編集人)
ソウル大学名誉教授、近著として『西洋の開闢思想家D.H.ロレンス』『D.H.ロレンスの現代文明観』『文明の大転換と後天開闢』『韓国語、その波乱の歴史と生命力』(共著)などがある。paiknc@snu.ac.kr
・チャンビの気候危機言説の中間決算
気候危機を主題にして姜敬錫・金善哲・鄭建和・蔡孝姃が参加した『創作と批評』2020年冬号の対話は、この分野に寡聞な私のような読者には本当に有益な内容だった。また、“チャンビ”としても昨年中、かなり集中的に展開してきた論議に一応の中間決算を提出した形である。
季刊『創作と批評』は、2020年春号の“生態政治の広がりと体制転換”特集で、白瑛瓊「気候危機の解決、どこから始めるか」と金相賢「グリーン・ニューディール再考:緑色成長を越えて」を初めて収めたのに続き、夏号ではピーター・ベーカー「『私たちは正常に戻れない』:コロナ・ウイルスは世の中をどう変えるのか?」を翻訳して載せ、秋号では再び白瑛瓊「脱成長転換の要求とケアという話頭」が掲載された。この間、細橋研究所では“韓国の気候危機対応”をテーマにして金善哲が発題し、趙孝済と討論する第155回細橋フォーラム(2020年9月18日)が催された。
これら一連の論議を経て次第に、結局、気候危機とは気候正義の問題であり、体制転換を要する問題だという意識が強化された。もちろん、内部的な合意が完成したわけではない。むしろ、体制転換が大勢になるや、気候危機を論じる際に“体制転換”という表現が大した抵抗なく通っていた状態から、他の意見も多少は出てくる状態に変わったようだ。まさに、本格的な討論が始まったといえる。
前号・座談会の司会者の姜敬錫が自評したように、まだ「転換の“青写真”のようなものは十分に論じられていない」(『創作と批評』2020年冬号、247頁。以下、この座談会からの引用は発言者と頁数のみ付記)ようだ。だが、詳しい青写真をいま描けるわけでもなく、無理に描こうとする必要もないが、現段階で望ましい青写真の論議さえ不十分だとしても、それが座談会――そして、以前の様々な論議――で語られた価値ある指摘や洞察を避ける理由にはなりえない。例えば、「ローカルが代案」(225頁)という鄭建和教授の主張と、様々な事例の紹介(231頁、246頁など)、米国で社会運動を教えていたが、「デモをしよう」という考えから帰国したという金善哲気象危機非常行動の執行委員の現場経験などがある。また、農村と労働現場の重要性を強調し(228頁など)、最近ある労組で「工場の電気の浪費を減らし、いかにエネルギーを節約するかを論議し、炭素排出を減らす協約案に労働時間の短縮と夜間労働の禁止を提案」(244頁)した印象的な話を紹介した蔡孝姃政治学者の発言などはすべて傾聴に値する。
なお、参加者間には興味深い見解の違いも表れていた。例えば、鄭建和の“ローカル”重視に対し、中央政府レベルで何もしないでいるのを看過させるような“錯視効果”を警戒すべきだ(金、231~32頁)し、「結局、労働者民衆が主導できないグリーン・ディールなら、地域で始めようが、中央で始めようが、市場に従属するという問題が似たように表れるだろうと思う。むしろ、不透明性と非計画性は地域の方が高いといえるでしょう」(蔡、232~33頁)という反論も提起された。また、蔡孝姃が農業と農村の重要性を主張する(238頁)のに対し、姜敬錫はマイク・デイヴィスを引用[Mike Davis, Old Gods, New Enigmas, Verso 2018,日本語版は『マルクス古き神々と新しき謎――失われた革命の理論を求めて』、明石書店、2020年]し、「都市生活の平等主義的な側面」と「都市の潜在的効率性の高さ」を想起させ、(反駁よりは)補完を試みた(247頁)。
様々な異なる見解や観点に関する私の原論的な立場は、現時点では可能であり、多少ではあるが効果もあり、そのいずれも排除する必要はないというものだ。ともあれ今は、どんな大きな絵ないしは“青写真”も共有されない状態であり、多様な実験と成果を最大限に受容して参考にすべき段階であり、たとえどんな“青写真”が出てこようとも気候危機の克服はあまたの小さな行動を除いては成立できないだろうからだ。例えば、ケインズ主義的なグリーン・ニューディールが究極的な回答になりえないといっても、政府や企業、または社会運動がその程度でもやってみようというのを、初めから止めさせる理由はない。ただ、なぜそれが根本的な解決策になりえないのかを執拗に検討して、まるで根本的な解決策が出てきたような“錯視効果”を警戒しながらも、一層説得力のある長期的対策に向けて、ケインズ主義の戦略がいかに中・短期的に寄与できるのかを錬磨し続けるべきだろう。
・成長主義克服の障害物
韓国社会で、生態転換ができない大きな原因が、「経済的成長主義という言説が圧倒的」(鄭、230頁)であることは否認しがたい。したがって当然、そうした言説の克服が急がれるが、他のすべての問題と同様に、どうしてこのようになり、どうしてそれが簡単に変わらないのかに対する正確な診断が緊要である。
座談会で、司会者は人々が簡単に見過す2つの事案を提起する。一つは「分断体制という障害物」(234頁)であり、もう一つは「適正成長という概念」(239頁)に対する大多数の論者の無関心である。
その中で、分断体制概念は同席者たちが簡単に受けいれて和気藹々と論議が続くが、ただこの場合の分断体制は、主に生態問題と北朝鮮問題に対する自由な討論を抑圧する政治的要因という程度に理解されているようだ。これは司会者の問題提起の方式とも無縁ではない。
わが国で気候危機を論議する場合、最も頻繁に抜け落ちる地域は、おそらく 休戦ラインの北側でありましょう。韓国型のグリーン・ニューディールも韓国に限定される傾向がありますね。体制転換を論じる場では、結局、成長主義や資本主義の問題に触れざるをえませんが、その瞬間、分断体制がそうした討論の進展を政治的に妨げます。韓国の気候危機への対応は、究極的に体制転換を要請する大多数の社会的・言説的な実践がそうであるように、分断体制という障害物にいつかは直面せざるをえないでしょう。(姜、234頁)
地域問題と連携させたこうした提起の方式は、参席者の呼応を簡単に引きだせる効果はあるが、結果的に単純な“分断問題”と“分断体制”の違いが曖昧になりやすい。分断体制とは、朝鮮戦争後に復元された南北の分断が戦争でも平和でもない状態で長期化しながら一種の体制を形成し、朝鮮半島住民の暮らしを隅々にわたって規定する現実であるが、――もちろん、究極的な規定要因というより、資本主義世界体制が朝鮮半島を中心に作動する一つの局地的現実、あるいはその“下位体制”である――したがって、体制転換の言説と実践のみならず、全種類の改革的変化にも障害物として作用してきた。この間、韓国民衆の血のにじむ闘争を通じて、それなりに相当な部分は緩和されて今日に至っているが、いまだに私たちの思考と実践、そして想像力の活発な展開を妨げている。分断体制に対するこうした総体的な認識が欠如していたら、北朝鮮に対する論議も“いつか北朝鮮が開かれる時”韓国の悪性資本が進出するだろうと心配したり、北朝鮮地域の後進性からむしろ新たな可能性を見つけてみよう、という決して無意味ではないが、現実的な“青写真”とは程遠い言説に留まりやすい。核問題を含めた朝鮮半島が当面する現実は、そうした“いつか”とは異なる実情であり、これは決して該当分野の専門家や専門的な活動家に、または外国の力ある勢力に任せておくことでもなく、気候危機の対応でも切迫した問題という点が見過されうるのだ。もちろん、各自が自らの特別な関心と専門性を生かして行動すべきことだが、南北間の結合をどのように漸進的・段階的に高めていき、その間に韓国自体の“悪性”要素をどのように減らしていき、分断体制を解消または緩和する南北の経済・社会・文化的協力を、どういう政治的・軍事的合意へと支えていくかに対する悩みは誰でも胸に収めて生きるべきではないか。ともすれば、分断体制の全方位的な影響とその深刻さを無視して考え、生活していく、一言で、分断体制の存在さえ忘れさせてしまうことが分断体制の威力だろうといえる。
姜敬錫のもう一つの問題提起は、脱成長を実現する一方法としての“適正成長”論である。「生産力の増大をすぐに全面的に放棄する場合、脱成長は枯死し、むしろ“略奪的蓄積”の標的になる事態が起きるかもしれないからです。各国の現実で脱成長の目標をどのように設計するかにより、その時々の適正成長の段階を配置する様相も異なるでしょう」(239頁)。
これに対する参席者の反応は、一様に否定的である。金善哲は、「脱成長を生産力の量的な増減管理の問題としてみるか、あるいは質的な転換の問題としてみるかで、いくつかの区分が可能になるようです。仮に“適正成長”“適正発展”という用語は、前者に該当するでしょう」(240頁)し、「哲学的レベルで、今の過剰生産と過剰消費に基づく経済体制を脱皮しようという」(同頁)座談会の主題とは関係のない概念と見なされる。蔡孝姃も、「適正成長や適正発展は“持続可能な発展”のような一種の妥協的用語」(241頁)だと規定する。鄭建和もまた、「新たな指標」を開発する必要性とともに、「より難しく、重要なのは経済に対する観念を転換すること」(243頁)だとし、姜敬錫の問題提起が当面の課題である考え方の転換には大きな意味がないとみる。
司会者の提起がこのように軽くいなされたのは、「適正成長」という単語を選択したせいもあったようだ。私自身が使用してきた表現は「適当な成長」だが、「適当」という言葉が、あることをお座なりに、またはいい加減にやるという感じを与えるのを避けたのかもしれない。だが、“適当”だといえば、“何のために適当か”という質問が後に続くという点で、簡単に一蹴しがたい利点がある。実際、“適正成長”は経済学で、いわゆるoptimal growth 、つまり潜在成長能力を勘案した場合、最も適切な成長率を代えて表現する単語でもあるので、「“持続可能な発展”のような一種の妥協的用語」(蔡、241頁)と扱われやすいのだ。
しかし、姜敬錫の“適正成長”や私の“適当な成長”ないし“防御的・守勢的成長”は、すべて脱成長への転換を目標とする戦略である。これは、「生産力の量的な増減管理問題」(金、240頁)を当然含めているが、それはこの問題を無視した脱成長論は机上の空論に留まりやすいからである。韓国に限っても――韓国よりも貧しい国や地域は言うまでもないだろうが――世界全体が脱成長に合意しない状況で、量的な成長を敢えて止めれば、「脱成長は枯死し、むしろ“略奪的蓄積”の標的になる事態」(姜、239頁)が予見され、さらに最も脆弱な階層が最もひどい被害を受けやすいのである。貧しい国の発展は、暫定的にでも許容されるべきだという主張が座談会でも出ていた――「“脱成長”なら“貧しい国も発展するな”ということであってはならないでしょう」(金、240頁)――。だが、より重要な点は、これが貧しい国に対する“配慮”のレベルではなく、貧しい国と韓国のようにすでに貧国には入らない国、また韓国よりもっと豊かな国を問わず、体制転換を夢見る人々が脱成長の世界を実現するために、時期と地域によってどの程度の成長を、いかにするのが最も適当かを錬磨する、経済成長問題を反体制運動の戦略レベルへと変える“経済に対する観念の転換”を達成しようとすることに違いない。
そのために、資本主義世界経済の政治的構成物に該当する列国体制(または国家間体制 interstate system )に連累されている国家と政府が推進するのは難しく、「下から上がってくる言説」(金、245頁)として出発し、次第にその影響力を広げていかざるを得ない。この時、「いい言説も政府がそれを吸収し、何か他のものに変えてきた」(同頁)のが問題で、脱成長を主張する論者や活動家でさえ、“適当な成長”言説を体制守護の言説と誤解して無視するなら、脱成長運動自体が大衆的に訴える力を制約しがちである。脱成長が人類の生存にいくら必要だとしても、それが大衆の日々食べる問題を度外視した当為論に留まるなら、大衆は脱成長論を一部の“豊かな人々のご立派なお言葉”程度に聞くだけで、積極的に一緒にやろうという気にはならないのは明らかである。
率直に言えば、脱成長を主張する多くの人々は、資本主義が悪いのはわかっても、資本主義の恐ろしさを多少軽く実感するケースがよくあるようだ。資本主義という社会体制は、ある詩人の表現のように、「降りたくても降りられない汽車」のようで、このままいくとみんな死ぬと分かっていても、大部分の人々には降りられなくする威力をもつものだ。
走る汽車を見る 止まらない汽車を
止まらないし どうしても降りられない汽車を
降りられもしない 降りたいと思っても降りられない汽車
汽車の速度で走ってこそ 乗れる汽車
降りたいと思った時に 降りる人は致命傷を負う汽車
止まっていないあの汽車に 私たちみんながすでに乗っている
悪夢のためか 乗れない汽車を
すでに乗っているのは 悪夢かと許される
汽車は止まらないで 走っているように私たちは
身を投じ 燃料になる者たちだ
汽車を止められないのは
汽車の目的地が 汽車の中にあるからだ
目的地がある人は 汽車に乗る権利がない
汽車の目的地は 走る速度にある
あの汽車が なぜ私たちにあるのか 誰も問わないだけ
私たちは降りられない汽車に乗っている
――ペク・ムサン「汽車について」全文(『新生』2020年秋号)
もちろん詩人は、この汽車を止めて悪夢から覚めるのは永遠に不可能だという絶望を歌っているのではない。だが、私たちはすでにこの汽車に乗っているという事実を軽く見てはならないだろう。
・故金鍾哲との未完の討論
実は、“適当な成長”の話は2008年、当時の金鍾哲『緑色評論』発行人と私との間の論争でほぼ出尽くした内容である。彼の『創作と批評』2008年春号への寄稿「民主主義、成長論理、農的な循環社会」は、いまだに私の“適当な成長”論に対する唯一の本格的な批判だったと思う。私は次いで夏号に、「近代韓国の二重課題と緑色言説」というタイトルの答弁を発表し、両方の文章と私の添付文(2009年3月)が、翌年に刊行された李南周編『二重課題論』(チャンビ、2009年、以下では李南周他2009年)に収録された。直接的な論争はこれ以上続かなかった。だが、金鍾哲の生態思想評論集『近代文明から生態文明へ:エコロジーと民主主義に関するエッセー』(緑色評論社、2019年、以下では金鍾哲2019年)の冒頭の論文に同じタイトルで再収録された文章を見ると、大統領選挙の直後である2008年の時点で、時局に関して披歴したあれこれの感想を削除し、より密度の高い文章になって基本的な論旨には変化がないのが確認できる。
私が金鍾哲の批判を貴重だとみるのは、正面から真面目に対応してくれた珍しい事例であるだけでなく、私の答弁の冒頭で明らかにしたように、彼の生態主義が資本主義近代文明に対する本質的な問題提起と、民衆自治としての民主主義に対する透徹した信念に基づく言説であり、さらに献身的な実践活動に支えられたものだからである。“適当な成長”論についても、彼は既存の成長主義と決別しようとする私の趣旨自体を無視してはいない。ただ、「果たしてそれが具体的な現実で何を、どうするかという戦略なのか明らかではない」(『創作と批評』2008年春号、82頁;李南周他2009年、161頁;金鍾哲2019年、25頁)と批判する。また、“適当な成長”論議が、いわゆる“二重課題論”と直結することを正確にとらえる。「これはちょうど“近代適応と近代克服の二重課題”という言葉が、抽象的な話としてはそれらしく聞こえる概念ながらも、まさに具体的に、何を、どうするということなのか、その実践的な状況を考えれば、極めて曖昧なものになってしまうようだといえる」(同頁)。これは二重課題論に同調しても、成長問題にいけば、原論的な脱成長論議にとどまってしまう論者の自己矛盾的な態度と対照される。やたらに近代克服を叫んで克服が実現できるはずもなく、克服の努力を持続して成果を出すためにも、それにぜひ必要なだけの適応が必要というのが二重課題論なら、そうした適応兼克服の努力により、経済成長問題を完全に排除できないという主張が論理的についてこざるを得ないのである。
金鍾哲の批判に対する私の反論を、ここで長々と繰り返すつもりはない。私も当時の考えを変えなかったが、要点のみ上げれば、二重課題論が日常生活レベルで一種の常識であることを想起させながら、他方で彼の立場には、地球生態系レベルの言説と朝鮮半島における現場実践を効率的に連結させる媒介項として、分断体制の概念が欠如していたという点を指摘した(『創作と批評』2008年夏号、450~51頁と452~54頁;李南周他、181頁と182~186頁)。特に批判の焦点になった“適当な成長”に関連しては、若干の個人的な述懐を添えもした。
だが、いざ生活の現場では、数多くの人々が自分なりにこうした概念に従って生きているのではないか。もちろん個人であれ、国家であれ、資本主義の無限蓄積の原理に忠実に、最大限の金稼ぎに没頭して暮らすケースが大多数だが、少なくとも個人や限定された集団レベルでは、そうした世態に抗して身を守りながら、こうしたあきれた世の中を変えるためにもどうしても必要な金稼ぎをし、競争から脱落してはならないと心に決めて暮らす人々が決して少なくないだろう(当の私自身や金鍾哲を、こうした個人の枠内に含めてもいいのではないか)。(李南周他、181頁)
次いで私は、「ともあれ、“適当”如何は何のために適当かによって判別するもので、万事にすべて該当する“適当”はない。特定の状況で、特定の主体が“克服のために生存ないしは適応”のために図る“防御的な競争力路線”が、果たしてその目的に照らして適当か、あるいは言葉でだけ“防御”か、攻勢的な追随主義と何ら変わりがないのか、または“防御”を図ったが防御さえもまともにできず、むしろ脱落してしまう戦略なのか、こうした問題は具体的な事案に即して判断すべきだろう」(同頁)と論じた。残念ながら、そうした具体的な論議は実現できなかった。その時点で、金鍾哲なりにすでに判断を下したからかもしれない。もしそうだったら、自ら省みて、私の論議自体の不十分さも作用しただろう。
“適当な成長”とともに、私が提起した“生命持続的な発展”という概念が曖昧だという点は、答弁当時も認めた(同書、191頁)。私の発想が生態主義・生命思想と一致することをそうしたやり方で強調しようとするより、むしろ“適当な成長”という概念だけで正面突破するのがマシだったというのが今の考えである。“発展”という単語を掲げたことも無意味なことではなかったが、これも正面突破を避けた面がある。もちろん、発展が(経済)成長と同一視されてはならないが、脱成長が成就された後も可能かつ必要な人間生活の発展ないし向上と、これを測るGDPとは異なる指標の開発(鄭、242~43頁)努力は今からでも進めるべきである。だが、脱成長を達成するために目前の成長問題、“生産力の量的な増減”(金、240頁)問題を避けるべきではないし、“成長”を言及するにしても生態転換に微温的だという嫌疑をかけられるかとためらう知識人の小心さを脱皮すべきである。
私の答弁のより重要な問題点は、金鍾哲の小農中心の社会と“農的な循環社会” の主張を論評しながら、彼のマルクスの引用が不正確だとか、“高度資本主義社会”から“小農共同体が基盤の社会”への移行過程に対する現実的な構想が欠如している点を指摘するのに重きを置くことで、農業と小農共同体に対する世界史的な重要性に対する十分な認識を示せなかったという事実である。もちろん「小農あるいは小生産者連合」(金鍾哲、2019年、31頁;李南周他、2009年、168頁)という表現の曖昧さとか――伝統的な小農社会とマルクス的な小生産者連合を区別する必要は厳然たるが――未来の小農共同体が基盤の社会へ移行する場合、科学と技術工学がいかなる位相を占めるのかなどは、今も論議すべき重要な問題である。私自身は(後述する)ハイデッカー的な意味の“技術時代”を経てこそ、むしろ老子が語った“小国寡民”をまともに実現できる可能性が開かれる点を言及したことがある。
ただ、将来の“小さな国”はどこまでも全地球的な人類共同体の一部であり、昔日の孤立した共同体とは異なるべきだし、“少ない数の民人”もまた世界市民としての識見と抵抗力をもった人々であるべきです。したがって、これが可能になるなら、その前提条件として第1に、科学技術が高度に発達すべきだし、第2には科学技術と人間の関係が今とは全く異なるものに変わるべきだと思います。それは単に、科学技術との関係だけでなく、社会体制の変化ないしは変革を意味するものでしょう(「論評:民族文学、文明転換、IMF事態」、拙著『統一時代、韓国文学のやりがい』、チャンビ、2006年、446頁;李南周他、2009年、193~94頁に引用)。
あれこれの争点に関連し、その後も金鍾哲の同意を得ることができたか自信はもてない。しかし例えば、東学農民軍の“輔国安民”のスローガンが帝国主義の侵奪に抗した武装蜂起の名分ながらも、近代とは異なる世の中を志向したし、朝鮮の儒教政治もまた無限競争と近代的な富国強兵主義を避ける線で経済力を向上していく、いわば“適当に”成長する小国主義を志向したという金鍾哲の認識(「小国主義思想の流れ」[2014年]、金鍾哲、2019年、142~43頁)は、二重課題論と相通じる余地を示す。さらに、“二重課題”が第1章(“『虹』”と近代の二重課題)のキー・ワードであり、第2章(“『恋する女たち』と技術時代”)では“技術時代”をテーマにした、私の最近著『西洋の開闢思想家D.H.ロレンス』(チャンビ、2020年)をめぐり、彼が最後のプレゼントのように書いてくれた推薦文(同書622~23頁;文章を受けとった経緯については私の回顧談「故金鍾哲と私」、『緑色評論』2020年9・10月号、107~08頁を参照)を見れば、見解の接近の可能性を想像するに十分である。たとえ論争自体は平行線をたどったが、それを“未完の討論”と規定し、無念さを表する理由がここにある。
・常識からもう一歩
日々の暮らしで、二重課題論は一種の常識に該当し、そのために強いて衒学的にそうした表現を使う必要さえないが、“近代文明”とか“気候危機”のような大きな話が介する瞬間、常識だけでは耐えがたい問題が台頭する。周知のように、気候危機の論議が難しいのは危機があまりに切迫しており、その規模が絶大で、解法を見出すのが極めて困難だからである。
もちろん、「速度を減らし、規模を減らし、欲望の大きさを地球が受容可能な容量内に減らすことなしに代案はありません」(鄭、248頁)という指摘は、誰もが頷ける常識である。この作業は、個々人の小さな実践を含むべきだというのも常識である。だが、各自が減らして大事にすることに没頭するなら、また別の問題が発生することもある。“デモをしよう”と帰国した金善哲の発言が示唆するように、炭素の排出を減らそうとする個人の親環境的な実践がいくら誠実でも、もしデモをして石炭発電所1つを閉鎖するとか、新たに建てられなくするのに比べれば、その成果は微々たるものなのは厳然たる事実である。さらに、韓国人としては直接的な参加が不可能な米国の大統領選挙で、トランプの再選を阻止することが石炭発電所のいくつかを減らす行動よりもはるかに大きな影響を及ぼすのも明らかである。
実際、米国がパリ気候協定に復帰し、反環境政策を大幅に減らしても、人類が気候危機を克服できるかは未知数である。そうした局面で、効果が微々たる個人的な実践に没頭するなら、虚脱感に陥って中途で放棄するとか、人によっては自分ほど熱心にしない人々に腹を立てて憎む心――仏教用語で瞋――に浸り、説得すべき隣人からむしろ遠ざけられもする。あるいは、自らが偉大なことをしていると錯覚――仏教の癡――に陥り、本当に重要な学習と事業をおろそかにしたりする。それでも、大きなことを図る人であるほど、小さな実行を避けるべきではなく、個人的な実践が不誠実な人が大きな話をしても大衆の嘲りを買いやすいからである。
それゆえ、気候危機という全地球的な問題を前に、「小をもって大をなす」姿勢を堅持することは心の勉強(精神的修養)を特に必要とする。いや、それ自体が大きな心の勉強なのだ。これを米国の仏教学者デヴィット・ロイ(David Loy)は次のように表現する。
“エコ菩薩行”を通じた洞察と平静さは、仏教的な行動主義の最も優れた面を強化してくれる。つまり、行動の結果に依存することなく行動することは即興的な行動と誤解されうるが、実はそうした行動こそ、最も仏教徒らしい行動だといえる。私たちの任務は、私たちの行動の結果がどうなるかわからなくても最善を尽くすことである。いや実は、私たちの努力で変化を招きうるかもわからない状況でも最善を尽くすべきである。私たちは私たちがすることが重要ではないかもしれない。だが、それを実践するのが私たち自身には重要であることがわかっている。(デヴィット・ロイ「仏教は気候危機に対抗しうるか」、『緑色評論』2020年3・4月号、152頁)
ところで、「私たちの努力で変化を招きうるかもわからない状況でも最善を尽くす」べきだというのは、今私がしていることよりもより重要なことがあるのか、あるならいかにそれをしていくか、たえず錬磨する勉強を含む。“より重要なこと”の中にデモや投票があるなら、いかに参加するかもそうした事例に属するだろう。その上、チャンビ誌面や細橋フォーラムの発題で金相賢、白瑛瓊、金善哲、そして今回の座談会の参席者が一貫して強調し、金鍾哲が先駆的に主張した資本主義からの体制転換も当然探求すべきである。
ある面で、気候変化は資本主義よりはるかに規模が大きく、普遍的な脅威なので、資本主義の問題を提起することは焦点を流すことになりかねない。気候変化がより深刻になれば、資本家と労働者、老若男女の区別なく、さらには数多くの動・植物まで結局は滅びる災いになるからである。だが、災いの規模や無差別性に対する認識と、災いの原因究明は次元が異なる問題である。故金ヨンギュン氏など産業現場労働者の死亡中の多くの部分は不平等の結果ではあれ、気候危機とは直接関連しがたいのに反し、気候危機の進行が不平等を元手に暮らす社会体制とは無縁だとは言えないのである。それで、“気候変化ではなく体制変化”(System Change, Not Climate Change)というスローガンが世界の活動家の間に普遍化するようになったし、スウェーデンのグレタ・トィンベリをはじめとする学生活動家が2020年7月、ヨーロッパ連合(EU)や全世界の指導者に送った公開書簡でも、「私たちの現体制は滅びていくのではなく、この体制がデザインした通りに、正確に作動しています。これは直しうる問題ではありません。私たちには新しいシステムが必要です」とくぎを刺したのである(金善哲、前述の細橋フォーラムでの発題から再引用)。
資本主義体制が、どうして気候危機を解決できないかについては数多くの研究が出ており、偏見なしに現実を分析しようとする人ならば、熟考すべき資料は溢れている。ただ、資本主義を即18世紀産業革命後の産業社会と同一視する視角は、利潤の極大化を作動原理とする社会体制が16世紀の資本主義的な農業を通じてすでに根を下ろし、世界制覇に向けた進軍を始めたという核心的な事実を隠蔽しうる。産業社会批判論は、旧ソ連のいわゆる現実社会主義も資本主義に劣らず環境破壊を恣にしたという(一時流行した)言説に対し、両者とも“産業社会”だからそうだったと弁明するのに動員されもしたが、現実社会主義という変種さえも包摂した資本主義世界体制の雑食性を看過し、体制転換のための多様な社会主義的な代案を想像しにくくもする。
実は今日、気候危機が即資本主義体制の問題だという点はある程度常識になった。だが、この局面で常識を超え、一歩踏み出す必要があるのではないか。 朝鮮半島は、資本主義列強の侵奪が本格化される前に、“西勢東漸”というより婉曲な表現でその威力が知れ渡った頃、“後天開闢”という新たな思想と運動を誕生させた。東学の創始者水雲・崔済愚自身は“再び開闢”という表現を使ったが、後続の思想家たちは“後天開闢”という表現を共有するに至り、天道教の李敦化は精神開闢・民族開闢・社会開闢の三大開闢を主唱したりした(許南珍「姜甑山の神人調和思想と相生文明」、圓光大学圓佛教思想研究院編『近代韓国の開闢運動を再読する』、モシヌン・サラムドゥル、2020年、70頁)。これは、後天開闢が単なる個人的な修養や悟りの問題ではなく、民族自主、階級打破などの時代的懸案に当たるべきことを意味したのだ。圓佛教の開教標語では、“物質が開闢されているので精神を開闢しよう”と人類の課題を“精神開闢”の一語に集約したが、ここで物質開闢という時代的現実に対する診断を基盤にして、それに相応する精神開闢を意味するという点が決定的に重要であることを、私は早くから強調してきた(物質開闢に対する私の最初の論議としては「物質開闢時代の学びの道」、拙著『分断体制変革の学びの道』、創作と批評社、1994年、195~207頁;朴允哲編『文明の大転換と後天開闢』、モシヌン・サラムドゥル、2016年、34~48頁に再収録)。物質開闢という話頭を省略して精神開闢を語るならば、李敦化の三大開闢中の一つに矮小化される憂慮があるのだ。
圓佛教の少太山・朴重彬が物質開闢時代と診断し、李敦化のような天道教の人士が“民族開闢”“社会開闢”を掲げて対抗しようとした世の中が資本主義と帝国主義の世の中だったことは言うまでもない。したがって、マルクスなどが遂行した資本主義批判を避けたまま後天開闢を実現することは不可能であり、今日の気候危機を物質開闢の一様相と見るのも、その点は明らかである。ただ、危機の解決を精神開闢に求めることは、いくら厳格かつ精密な資本主義分析であろうともそれ自体では十分たりえず、マルクスが強調した革命的実践の意志が加わったとしても、“開闢”に値する個々人の心の勉強を内包していないと、文明の大転換は実現しがたいことを意味する。省みれば、旧ソ連などの社会主義実験が失敗した決定的な理由の一つも、たとえボルシェビキ革命で共産党員の献身、社会主義者の倫理のような“精神的価値”を強調しても、結局は近代特有の世俗主義とそれによる“霊性”概念の排除により、後天開闢・精神開闢に向けた学び方が発想できなかったからだと思われる。
それに比べれば、ハイデッカーの“技術時代”概念は、後天開闢の思想と通じあう余地がはるかに広い。彼は、現代科学技術の破壊性を誰よりも実感して批判したが、“技術の本質は技術的なことではない”という一見謎のような命題を掲げ、技術時代の問題を技術的または人間的レベルで――言いかえれば本質上、近代主義的な方式で――解決しようとするあらゆる試みが問題を悪化させるだけだと考えた(これについては、前述の拙著『西洋の開闢思想家 D.H.ロレンス』の第2章および私の学位論文の翻訳本『D.H.ロレンスの現代文明観』、薛俊圭・金英姫・鄭南泳・姜美淑訳、チャンビ、2020年、第3章を参照)。簡単に言って、近代の工学技術を含めた技術も、その本質ないし真の意味は真理が表れる一形態なのに、近代技術の絶大な威力とその良かれ悪しかれ際立った成果が、人々の真理を思惟する能力を麻痺させているというのである。表現を変えれば、物質開闢による精神の衰弱が本当の危機であり、物質開闢に相応する精神開闢が要求される局面である。
淵源が全く異なり、内容も同じではないハイデッカー思想と後天開闢論を並置することは、論議をより難解にするだけかもしれない。ともあれ、資本主義による技術文明の発達とその破壊性を物質開闢と理解することは、ハイデッカーの技術時代論と同様に、そうした世界史的な展開も真理が表れる一方式と見て、ただその真の意味を正確に読み、円満に対応する精神開闢を達成した人類だけが真理に基づく新たな文明をうち立てうるというのだ。自然にこれは、近代文明をただ糾弾して代案的な体制を主唱するのに留まるよりは、近代が抱えた試練を受けとめて頑張る中で覚醒していく大衆とともに、現体制の実質的な克服を実現しようとする“二重課題論”へと連なる。それにしても、各自が“気候変化ではなく体制変化”を決然と要求しながら、当面可能な個人の実践と学びに誠意を尽くすことが依然として重要なのは明らかである。
〔訳:青柳純一〕
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