창작과 비평

[対話] 地方崩壊、代案を求めて / 金裕和·李官厚·李官厚·李官厚

 

創作と批評 192号(2021年 夏)目次

 

金裕和 (キム・ユファ)「韓国女性議政」専門委員。前・麗水市議。前・国家均衡発展委員会国民疎通特別委員。著書に『花に学ぶ』など。

 

李官厚 (イ・グァヌ)慶南研究院研究委員。前・行政安全部長官補佐官。共著に『韓国民主主義、100年の革命1919〜2019』、訳書に『政治を擁護する』(B・クリック)など。

 

李官厚 (イ・ナムジュ)聖公会大教授、細橋研究所長。著書に『中国市民社会の形成と特徴』『変革的中道論』(共著)、編著に『二重課題論』など。

 

李官厚(チョン・ジュノ)江原大不動産学科教授。共著に『韓国経済と労働体制の変化』『2021韓国の論点』など。

 

 

李南周 (司会)来年3月に大統領選挙があります。キャンドル革命で韓国社会全般に渡って新しい希望を抱くことができましたが、様々な浮き沈みの中で、政界はもちろん、社会的に改革の動力をかなり失ったような感じです。ここに『創作と批評』誌は、来年の大統領選挙を新しいきっかけとして、時代転換の切実性を再確認し、そのための主要な議題を提起して議論してみたいと思います。その最初の場として、今回の「対話」コーナーでは、深まる地域格差の問題を確認し、新しいアイデアを分かち合いたいと思います。長年続いた首都圏と非首都圏の地域格差が深まり続け、量的・質的な問題が深刻になっています。特に2つの現象を指摘したいのですが、1つは、首都圏の人口集中が、2017年以降、再び加速しているという点、もう1つは、最近の地方大学の定員割れの事態です。国立大学を含む「地域拠点大学」でも定員割れの事態が発生したということは、地域レベルではものすごい衝撃でした。過去において「地域格差」とは主として経済的な格差のことをいいましたが、現在は文化、社会サービス、政治的な領域でも問題が大きくなっています。これを解決しないかぎり、韓国社会の中で続けて提起される不平等問題の解決も前途多難となります。当面の問題として、不動産の議論や資産の不平等も首都圏集中の現象と関連した問題です。多角的に議論をするために、3人の先生方をお呼びしました。簡単に自己紹介をお願いします。

鄭埈豪 私は江原大不動産学科にいて、地域について長年研究してきました。以前は産業研究院で地域の均衡発展と産業政策を研究していました。最近は不平等の問題に焦点を置いていますが、特に地域格差に伴う資産の格差に関心を持っています。

金裕和 私は8年間、麗水市の市議会議員として活動しました。現在は「韓国女性議政」の専門委員として働きながら、女性の政治参加にもみられる地域の不均衡について研究しています。また、地方大学の崩壊はまさに地域の崩壊であるという危機意識を持って、全南大麗水キャンパス位相回復推進委員会で活動しています。

李官厚 私は故郷が全羅南道の海南で、木浦で中学を出ました。大学に進学してからソウルにもう20年ほど住んでいます。そして2年前から慶南研究院で働くことになり、久しぶりに地方からソウルのことを見つめるようになりました。地域から見たとき、ソウルがこのように遠く感じられるんだということを、かなり実感するようになりました。

 

地域格差の問題の現住所

 

李南周 地域の問題に多くの側面があり、地域ごとに事情が異なりますが、みなさんは様々な地域や分野で活動される方々で、話もいろいろと盛り沢山だろうと期待します。まず首都圏集中と地域格差の状況で、どのような問題が最も深刻とお考えか、お話しを始めましょう。

金裕和 人口減少の問題が深刻です。出生率が減少し、若者たちは去り、地域は高齢化しています。毎月「今月の人口、何人減った」という報道に接しています。市民になぜ離れたのかと聞いてみると、地域でいい教育受けて育ち、大学も卒業して、いい仕事がなければなりませんが、そういう環境ではありません。若い人材が首都圏に出たきり戻らず、地域は続けて遅れていって、地域格差はますます広がるでしょう。最近、首都圏に永久賃貸住宅を作ってソウルの住宅価格を安定させ、住宅の問題を解決しようとする政策が続けて出ています。もちろん必要な政策で、いい意図だと思いますが、逆説的に、より多くの人々が首都圏に行くのではないかとも思います。教育や雇用の問題など、地域生活の解決をせず、どのような政策を行っても、首都圏集中と地域格差の問題は解決できないだろうと思います。

李南周 人口減少が非常に深刻な問題ですね。郡単位で崩壊の危険にある地域が増えているという報道も何度かありましたが、麗水はどうですか?

金裕和 1997年に全羅南道の麗水市、麗川市、麗川郡が統合されて、人口が33万人を超えましたが、今年、28万人を下回りました(行政安全部の統計では2021年4月現在27.96万人)。出生者より死亡者の方が多い自然減少もありますが、他の都市に流出した人口も多いと思います。首都圏など大都市への人口流出だけでなく、全羅南道の中でも近隣の順天市に行く場合が多いのですが、順天が近隣の郡に比べて教育環境が良く、定住条件がいいのが理由だと思います。道内の市郡から転入人口が増加している順天市を除けば、全羅南道で、全体的にほぼすべての郡の人口が減少しています。

李官厚 今、全体的に、なぜこのような問題が生じたのか、20世紀初頭の全体主義国家を見ると「有機体国家論」の議論をしています。国全体が1つの生物体のように動くというものです。これまで国土発展の関連政策を立案する人たちが、それと似た理論的土台で戦略を立てていて、首都圏に集中的な投資をして、他のすべての地域は首都圏の発展のために犠牲になる体制でずっと成長してきたのです。その結果、首都圏に総合的な力量が集中しています。反対に地方はみな「特性化」しました。現在も地域における産業発展や都市発展の事業計画を立てると、中央省庁から「地方でなぜすべてをやろうとするのか、うまくいくことを1つか2つだけやれ」と言います。なぜ首都圏はみな持っているのに、地方には1つ、2つだけ選択しろというのでしょうか?

李南周 均衡発展委員会で主催する「地方均衡発展博覧会」のようなイベントでも、地域の特性化が模範事例として提示されているようです。

李官厚 それで地方がダメになったんです。韓国が圧縮成長をしながら、過去数十年の間に産業の内容が変わり続けました。今でも変わっていて今後も変わり続けるでしょうが、ソウルは総合力があるので変化に対応できるのです。ですが、地方は農業、製造業、重化学工業、鉱業、観光……このように特性化しているので、その産業が低迷すると、その地域は危機を迎えます。慶尚南道で最も代表的な例が馬山です。以前、繊維産業が発達するとき、馬山輸出自由区域がものすごい勢いでした。ですが、それが急に崩壊すると、新しい動力を見つけるのはとても大変です。群山も自動車産業がありましたが、工場が1つなくなってから何もなくなりました。こうなると急速な人口流出が起こります。有機体国家論に立脚した発展論は限界に直面しました。それぞれの地域が小さくても、総合的な能力を備えるべきです。教育と雇用が、人々の移動する最大の理由だとおっしゃいましたが、その問題が解決するためには、結局、文化、サービス業、保険、介護のような力量が、地域で満遍なく発展しているべきです。そうしてこそ、まず人々がそこに暮らすことができます。

鄭埈豪 地域間の格差の核心は、結局、ソウルとソウルでない地域です。ソウルが中心で、残りはみな後背地になっています。これまで経済成長の局面で、首都圏がいわゆる頭脳の機能を果たし、非首都圏にある工場は手足の機能を果たしながら、構想と実行が空間的に分離していました。ですから、地方が特化・発展したのです。事実、マクロな観点から見れば、これまで首都圏と地方の所得格差は、思ったほど大きくありません。蔚山や昌原、馬山などには大企業の工場があって、そこの労働者、特に労働組合に所属している方は、所得水準がかなり高かったと思います。ですが、2010年代に入って、このシステムに亀裂が生じ始めました。2012年に韓国が2%台の低成長に入りますが、たとえば、2019年の2%成長も、約3分の2程度は政府主導の部門が成し遂げたのです。これは、2010年代に入って韓国の製造業がリストラをした点が大きいと思います。韓国は主に輸出主導の経済ですが、2010年代に世界的な金融危機の余波で、世界的に貿易規模が減少しました。そうなると、国内総生産(GDP)で輸出が占める割合が低下し始めます。かつては、蔚山や巨済のようなところで金を儲けて、付加価値が生じれば、首都圏、特にソウルに流入しました。ある地域から他の地域に出ていく所得から入ってくる所得を差し引いた「純所得」は、毎年GDPの4〜6%程度が首都圏に流入しました。ですが、韓国の地域製造業も、結局、グローバルな価値のチェーンにリンクしていて、2012年を前後してその割合が減少します。非首都圏で生産する付加価値の所得が減り始めたのです。生産可能人口自体も2010年代半ばから落ち始め、その時点を前後して、地方の若年層が良質の雇用を求めて首都圏に移動し、地域間の人口移動に占める割合が増え、首都圏と非首都圏の格差が、今、取り返しのつかない程度になったのです。

李官厚 明らかに、国家の発展のために、選択と集中が必要な時期があったと思います。過去のその選択自体が間違っていたわけではありませんが、もうこれ以上、首都圏中心の発展戦略が有効でないということが、いくつかの指標を通じて客観的に示されています。端的にいって、2010年以来、首都圏の出生率が全国最低です。首都圏の付加価値の寄与度も落ちています。

鄭埈豪 ですが、首都圏と非首都圏の格差がもともと昔からあったと考えて、ほとんど今の状況はたいしたことないと受け入れているようです。盧武鉉政権当時、均衡発展の戦略を実行したときと比較しても、次元が異なるレベルの変化があります。最も大きな問題は、格差の問題というよりは集中の問題です。今、首都圏の人口は全体の半数を超えていますから、ソウルの話が全国の話になってしまう状況になっています。地域間の格差は当然存在していたわけですが、構造的に深刻な問題があるという認識があまりできなくなり、問題の状況自体を忘却しているとでもいいましょうか。最近、私たちが当面している地域の問題は、大きく2つの次元があります。1つは農・山・漁村のような後進地域で人口が減り、地方の崩壊が見られるもので、もう1つは既存の成長地域がアメリカのラストベルト(Rust Belt)のように凋落していることです。これがみな構造的だということが、問題の深刻さを倍加しています。

金裕和 地域でも「私たちの地域が崩壊する」という問題意識が、意外とあまり公論化されていません。地域の世論主導層の大半が、地域にいる人々だけでない点にもその理由があるようです。彼らの生活はすでに首都圏中心のため、地域の問題を真剣に考えないのです。もう一方で、地域住民たちも、いつでも機会さえあればソウルに行くべきだと考えているので、地域内で議題化されないようです。私が議員をしているとき、ソウルの「学宿」建設事業が施行されたのですが〔「学宿」はソウルの大学に通う地方出身者のために作られた公共寄宿舎〕、地域の大学が様々な教育受容を支えることができず、卒業後も就職などの困難がある現実において、自分たちの地域だけで大学に通えといえなかったからです。各自治体で先を争ってソウルに「学宿」を作りましたが、考えてみると本当にもどかしいことです。

李南周 1980年代にも地域の問題がかなり議論されましたが、当時は地域不均衡といえば慶尚道と全羅道の格差の話で、それとあわせて地域感情が言及される程度でした。首都圏への集中現象が地域格差の中心問題としてここまで深化したのは、2010年代以降に、韓国社会の発展モデルの転換と製造業の状況変化、首都圏中心の発展政策などが、首都圏集中をあおり、問題の性格を深刻にする要素として作用したと整理できるでしょう。

 

「均衡発展論」以降の均衡発展

 

李南周 問題の解決策は後で議論することにして、その前に、2004年から議論されて施行された「均衡発展論」の話をしてみたいと思います。重要な試みは革新都市の建設と公共機関の移転でした。公共機関の移転は最近ほとんど完了し、2010年ごろ以降に首都圏の人口増加の速度が鈍化したことを、この政策の成果として挙げる評価もあります。ですが、2017年から首都圏の人口集中が再び加速しているのは、その程度の接近法では不十分だという傍証でしょう。これまで韓国は、首都圏がより大きくなってこそグローバル化に適応できるという、均衡発展自体を否定する言説もずいぶん強力に形成されました。このような流れをどのようにお考えですか?

鄭埈豪 大都市言説はおそらく継続的に提起されざるを得ないでしょう。OECD諸国、さらには首都圏集中がすでに強いフランス、イギリス、日本の事例を見ても、低成長の時期になると、ほとんど首都圏規制を緩和しています。事実、韓国でもすでにほぼ緩和されています。最後に残っているのが大学や工場の首都圏総量制くらいです。最近、OECD諸国がかなり大都市を成長モメンタムにしています。大都市は多くの人々が集まって、情報技術(IT)やバイオテクノロジー(BT)のような新しい先端産業を迎えるためにかなりいい条件です。高密度開発によってコストも削減できます。このことが実証的に検証されたのがイギリスのロンドンですが、2000年代から2010年代までロンドンの「創造産業」が大幅に成功しました。知識基盤サービス業や金融サービス業が代表的です。なのでロンドンが持っているものを、トリクルダウン効果(trickle-down effect)で周辺地域に広めよう、あるいはロンドンのような大都市を地方に育成しよういうアイデアが、政策の立案部署にかなり見られます。この論理を受けて、人口が5千万人しかいない韓国では、核が1か所あればいいという意見がかなりあります。ですが、「均衡発展」というのは、非首都圏に、政治的であれ経済的であれ、首都圏を牽制するほどのブロックを作るということです。より具体的には、すべての場所が一定レベルの定住条件を備えるべきだということです。どこでも似たようなレベルの生活ができる環境を作ることは、国家の役割であり、憲法にも明記されています。地域ごとに拠点を中心にブロックを作り、一定のレベルの均衡発展を通じて、牽制と均衡を維持することが必要であるにもかかわらず、経済学的な視角からのみ見れば、地域にその程度投資する金があるのなら、首都圏にGTX (広域急行鉄道)でももう1つ作ろうというように、より高密度化しようという主張をしているようです。このような状況に低成長も相俟って、地域の均衡発展論が脅かされているのです。

李南周 そのような発想が生態的にも問題があるようです。コロナ禍の状況だけを見ても、首都圏で発生した患者数は全体の60%を超えており、拡散の初期にはこれよりもはるかに高い数値でした。集中化が生態環境にかなり圧力をかけ、生態の変化に対してかなり脆弱にする面があるようです。

鄭埈豪 今回のコロナ禍の状況でも、危険を多角化する必要があったんですが、首都圏にすでにすべてが集まっているので対応が難しく、完全にブラックホールになってしまったのです。ですから、今後の「ポートフォリオ戦略」のためにも、均衡発展の持つ意味があると思います。投資において「すべての卵を1つのかごに入れてはいけない」というように、国家の成長も一地域に集中していると、分散されている場合よりも、衝撃による打撃が国家全体ではるかに大きいです。経済的な衝撃、感染症などの外部衝撃の遮断膜が、地域別に異なるように作動させる必要があります。そうやってこそ互いを補完することができます。

金裕和 私も首都圏の方が大きくなるべきという考えに同意することは困難です。圏域別の超広域化の推進に関心が集まりますが、圏域別に分けて均衡発展をするためには考えるべき点があります。忠清道や慶尚南道の場合は、産業構造が比較的よく構築されており、発展の可能性が比較的高いといえますが、そもそも産業資源が劣悪な地域は、むしろより不均衡になるのではないかという懸念があります。一例として、最近、全羅南道が産業通商資源部で主管した「二次電池素材部品試験評価センター」の公募事業で落選しました。すでに関連の産業基盤が整った忠清道と競争して負けたのです。政府が均衡発展をするといっても、各中央省庁レベルではその通りうまくいかない局面です。なので、たとえば公募事業選定の評価に「国家均衡発展指数」を入れるべきです。予備妥当性調査を実施するときも同様です。

李南周 私も大学で施行したいろいろな事業に対する評価に参加してみると、これまで金をかなり使ったところが、評価の点数を高く受けざるを得ません。実績が多いですからね。もちろん、行政システムにおける評価というのは、ややもすると政治的に誰かを応援しているかのように見えるので、より厳密に、機械的に適用させる側面はあります。とにかく均衡発展のためには、評価基準の変化もかなり重要だという気がします。

金裕和 盧武鉉政権では、地域の均衡発展の優先順位を、公共機関移転、戦略産業の育成など、自立能力の強化に置きました。文在寅政権は、中央政府の権限を地域に移管する連邦制レベルの自治分権を強調しています。地方自治の立法強化、国税と地方税の割合の調整を通じた地方財政の拡充などの方法を推進しています。また、昨年12月9日には地域自治を強化する方向で地方自治法の改正案が通過しました。文在寅政権が推進する地方分権を通じた国家の均衡発展は、すぐに効果が出るものではありませんが、地域住民の草の根民主主義の参加がさらに拡大され、社会的な資本が豊富になれば、肯定的に評価することになるだろう思います。

李南周 肯定的な面を指摘して下さいましたが、事実、私は今の政権で、均衡発展がきちんと議題化されていないと思うんです。たとえば最近の加徳島の新空港問題も、選挙を目前にして急に出てきたという印象です〔釜山市江西区の加徳島に建設予定の新空港。2024年着工、2029年完成予定〕。これが本当に必要ならば、均衡発展の観点でどのような必要性があるのか、具体的な言説を作るべきですが、言説がかなり不十分な状態でいろいろなことが進められて、過度に政治化され、実行の過程でも手続上の問題があるという議論もまた起きます。なので議論だけが大きくなって、肝心の発展的な討論は行われません。

李官厚 過去に洪準杓(ホン・ジュンピョ)慶尚南道知事が晋州医療院をなくしたために、今回のコロナ禍事態の時、慶尚南道がかなり苦労しました。コロナのためでなくても、晋州、河東、山清、南海、泗川が、事実上の医療の空白状態にあります。そこに公立病院をあらためて立てるためには、少なくとも300病床以上でようやく通常に機能します。この事業が果たして予備妥当性調査を通過できるでしょうか。不可能です。「予備妥当性調査の免除事業」として特典を与えなければ不可能です。つまり、このような事業は議題を政治化しなければならないということです。政治化というのは悪いことではありません。悪い意味での反対は官僚化です。これまで多くの中央の支援事業の選定が官僚化されたり、効率だけを問う形で評価が行われたのです。それを克服するためには政治化すべきです。地域の均衡発展自体も政治化すべき問題です。経済学者たちの論理によれば、地域をみななくしてしまうことになりますが、実際には不可能な話です。もし、釜山、蔚山、昌原、光州がなくなると考えれば、その人口は消えるのでしょうか。ソウルに行くでしょう。その後、巨大な社会的費用が発生するでしょう。その費用はまた誰が出すのでしょうか。イギリスやフランスの首都圏集中率は20%台です。その程度でもあまりに集中していて危機だと、行政システムまで改編して地域に新しい拠点を作っています。私たちは50 %を超えているのにそういうことをしていません。このような集中状態ですべての言説がみな歪められます。加徳島新空港問題に戻ると、この問題も政治化せずにどのように解決できるでしょうか。釜山の金海空港が国内の空港の中で最も大きく黒字を出しているところです。ですが、地域には需要がないという固定観念がすでに強いので、ソウルのマスコミと国会では、「唐辛子を乾かす〔くらいしか利便性がない〕新空港」などと奇妙な話をかなり真剣にしました。またある人は、気候危機のために新空港建設は困難だといいます。仁川空港はすでに滑走路を3本使っていて、2本の追加が確定しています。1本作るごとに利用客が3千万人ずつ増えます。加徳島新空港ができれば1千万人程度を受容するだろうという予想です。飛行機の便数がかなり増え、環境的負担がかなり大きくなる仁川空港の滑走路工事については誰も話をせず、加徳島はダメだというのです。また、釜山、蔚山、慶尚南道から、国際線を利用するために仁川空港を経由する需要が年間約550万人、東南圏の航空利用客の40 %です。彼らの移動だけで年間7千億ウォンくらいかかります。交通費などで実際に個人が使う金だけで3300億ウォン、予備妥当性調査の指針による時間価値換算額が3700億ウォンです。加徳島新空港の建設費は7〜8兆ウォン程度かかるといいますが、その後、この移動費用だけを考えても10年で収支が見合う空港です。その移動で炭素が排出されるので、環境的次元でも新空港の方が優れています。そして何よりも、首都圏の人々は少ないコストと短い時間で飛行機に乗る一方、非首都圏の人々は10万ウォンずつ多く出し、時間ももっとかけて飛行機を乗る、この不公平については、なぜ誰も話をしないのでしょうか。ひたすら他人事だと思っているのです。

李南周 政治化自体を否定する必要はないでしょう。ですが、その内容についての議論よりは、選挙のための地域の発展公約としてのみ認識される場合、これと関連した共感の形成や事業の推進に、否定的な影響を与えうるのもその通りです。この事業も今の政権の初期から話がありましたが、均衡発展などの価値を掲げて必要性を強調する次元の議論は、実際にはあまりなく、選挙で突然議題化されて出てきたという印象がありました。

李官厚 選挙のために注目されたのは確かですが、脈絡がありました。釜山の金海空港の拡張は実現できないということを、朴槿恵政権で適当にごまかして決定を下しました。なので、文在寅政権になって、その決定が正しいかどうかを2年間に検証し、間違った決定であるということを確認しました。昨年10月に結果が出て、その時からあらためて新空港の敷地の議論が始まりましたが、実際には加徳島の他に他の代案となる地域はありません。ある人たちは加徳島にあまりにも拙速に決定されたとおっしゃいますが、手続的にはこの2年間ずっと進められてきました。ですが、なぜ人々は突然決定されたと思うのでしょうか。ソウルの人たちは知らないんです。昨年11月に新空港の敷地の議論が再浮上したとき、私はソウルのマスコミのモニタリングをしていましたが、そのときのニュースは、仁川首都圏埋立地の問題だけを30分報道しました。加徳島のニュースは5分でした。ですから、人々がプロセスをまったく知らずにいて、「あれは何だ、あれは選挙用だ」と言っているのです。

 

統合の議論、どう登場しどこまで来たか

 

李南周 今後もより真摯な議論が必要かと思います。特に地域において地域発展と関連したプロジェクトについて語るとき、それが単に地域の利益のためだけでなく、均衡発展を含めて、韓国社会が求める価値の実現に寄与し得るというコンセンサスを形成することも重要でしょう。加徳島新空港の話が出たついでに、釜山・蔚山・慶尚南道(「釜蔚慶」)の話をもう少ししてみましょう。最近、慶尚南道圏の地域発展戦略として「釜蔚慶メガシティ」関連の議論がかなり進んだ状態だと思います、過去の均衡発展の議論でも、各地域に拠点を作るというアプローチはありましたが、このように積極的に議題化したものとしては初の事例かと思います。ただ、今の議論が特定の地域の発展戦略にとどまるものでなく、均衡発展と関連したものであるという説得が不十分なのは残念です。

李官厚 まず、「メガシティ」の議論がどのように登場したかというと、2004年以来の均衡発展政策によって地域の拠点を作ろうという試みがありました。具体的には、盧武鉉政権の行政首都移転の議論と革新都市事業が代表的ですが、ほとんどの専門家たちは、この政策が首都圏集中を大幅に遅らせたと評価します。以降、李明博政権は「5+2広域経済圏」を推進し、朴槿恵政権のときは行政区域を越えた「地域幸福生活圏」の概念を語りました。この政策を見ると、定住条件を改善するにはさまざまな生活基盤が必要だから、ある程度の規模の経済を維持しつつ、既存の行政区域を越える発展戦略が必要だろうという結論に達したのです。そのようにして多極体制で国土を発展させてこそ均衡発展が可能だろうということです。そして今度は、光州と全羅南道が統合の議論を始めました。大邱と慶尚北道もそうです。「釜蔚慶」は一度に統合させるにはあまりにも大きいので、地方自治法に出ている「特別自治連合」を作ろうという議論が出ました。それが「メガシティ」です。重要なのは、このような話が誰かの指示でやっているものではないということでしょう。これまでの均衡発展の政策は中央政府が作ったのに対し、今、出ている統合の議論は、以前の政策を自治体で検討した結果、地域から自生的に出てきたものです。最近、忠清圏でもメガシティの議論が出るなど、すでに首都圏を除くすべての地域では、統合の議論についてある程度の合意がなされていると思います。私の考えでは、非首都圏のすべての地域が統合の議論を国政課題として同時に要求し、大統領選挙の議題として上げて、国政ビジョンとして推進させるべきではないかと思います。

李南周 いくつかの統合議論の中でも「釜蔚慶メガシティ」が言説として注目されています。他の地域から見るとき、今、提起された方式についてどう思いますか。光州・全羅南道だけでも「釜蔚慶」とは状況が少し違っているのではないかと思います。

金裕和 光州・全羅南道も、ますます巨大化する首都圏に対抗して生き残るためには、規模の経済が必要なことを体得したようです。羅州革新都市に公共機関が移ってきて、第2次移転もあるといいますが、実際に定住環境が整わなければ、家族、共同体が一緒に暮らすことはできず、人が1人だけ来ることになります。企業誘致を通じた良好な雇用や、住宅、教育、文化、医療などの福祉インフラがともに拡充されてこそ、競争力があって持続可能な都市になるでしょうが、このためには一定の規模以上の人口が必要ですから、光州・全羅南道圏の中で、このすべてが解決できるように、互いに連合して規模を大きくすることが必要だと思います。光州・全羅南道が統合されると、人口330万人、地域内総生産(GRDP、2018年基準)115兆2300億ウォンの超広域自治体になります。ただし、光州・全羅南道の統合の議論は、第1回全国同時地方選挙(1995年6月27日)以降、2回議論されましたが、すべて失敗に終わった前例があり、慎重に接近すべきだろうと思います。

李南周 どうしても釜蔚慶の場合には、それでも産業的な基盤がもう少しあって、釜山港の物流ハブ機能もあるので、新しい動力を作るという主張がもう少し説得力を得るように思います。今、光州・全羅南道で、定住条件を作るためには、具体的にどのようなことが急務でしょうか。

金裕和 今、全羅南道は医科大学新設のために努力しています。全羅南道は医師1人当たりの患者数が最も多く、医療の死角地帯である島嶼地域と農漁村に、医療人材が及んでいないのが実情です。各種の労災事故の危険が常に存在する国家産業団地もあります。単に医学部の定員を拡大するからといって、地域の医療福祉にはつながらないので、地域に医科大学が必要であるという立場です。また交通問題もあります。最近、第4次国土鉄道網計画が発表されましたが、光州・全羅南道地域は2件の事業を除いては、要求されたほとんどの路線が、後順位の検討路線にも選ばれませんでした。光州・全羅南道の広域交通網の構築で、市郡間の移動をスムーズにしようというものでしたが残念です。光州と大邱をつなぐ「月光内陸鉄道」が失敗に終わったのも残念です。東西軸の接続を通じて、全羅道と慶尚道の人的・物的交流を活性化し、国家の均衡発展にも寄与できる方法なんです。

李南周 大学教育の問題はどうですか。地方大学の定員割れの事態が深刻化していますが、ちょうど関連の活動もしておられます。どのような代案があるでしょうか。

金裕和 今年、全羅南道地域のほとんどの大学で定員割れになりました。昨日や今日だけの問題ではないのが、2006年に政府の大学構造改革政策に基づいて、全南大と麗水大が統合した後に、麗水キャンパスの定員が続けて削減され、入学者もますます減って、毎年約150億ウォンほどの直接的・間接的な被害があるとされています。この状況を解決するためには、地域で地域の特性に合わせて必要な人材を育てられねばならず、その人材がその地域で就職できる、好循環の構造が準備されるべきです。麗水には国家産業団地があり、光陽湾圏の経済自由区域と隣接していて、先端漁業、観光業や、気候変動モデル都市事業などを担う人材を、地域の大学で育てて、就職につなげるならば、優れた人材が地域の大学で勉強できると思います。地域のビジョンを、自治体、大学、産業界がともに描けるようになるべきですが、協力がうまくできていません。

李南周 地域の企業に就職するとき、その地域の大学を出た人たちに一種の「地域割当制」を運用したりすると聞いています。

金裕和 公企業は、地域の大学の割当制を通じて地域の人材を選抜していますが、一般的な企業では、これをあまり受け入れていない状況です。麗水国家産業団地のいくつかの企業で、地域市民に加点制を適用する形で採用をするんですが、この「地域市民」の基準が地域で6か月以上居住すれば満たされます。6か月というのは、他の地域から住民登録を移してちょっと待てばいい程度でしょう。地域住民のための制度とはいいにくいと思います。就職するために住民登録を移せば、一瞬、地域人口が増える効果があるため、市民が「市長がきちんと仕事をしている」と思うかもしれませんが、長期的な代案がなく、望ましいことでもありません。地域の人材が地域で働けば、続けて暮らすようになり、地域に対する愛情もより深いといいます。最近、入学時から産業体での採用を条件に掲げた、早期就業型契約学科が新設されていますが、地域住民のための実質的な成果を出すためには、よりしっかりした設計が必要だと思います。

李官厚 少し敷衍するならば、地域割当制というのは、今は差別禁止のためにも実施が困難ですが、一般企業には最初から強制できません。究極的には、一般企業であれ公共機関であれ、採用したい人を採用できるようにするべきで、ならば、その企業に必要な人を地域の大学で育てるべきですが、教育部は、地域の大学が地域にどれほど寄与するかについては、何の関心もありません。大学も教育部にだけよく見せられればいいんです。なので、地域の大学が地域の産業とはまったく関連なく、中央から降りてくる事業に合わせて研究しています。地域では、学生たちに地域産業に合ったプログラムも提供し、地域に就職もさせたいのですが、大学では、そのようにすると教育部でいい評価が受けられないというのです。産業部で産学協力の話をしても空念仏です。このような状況を打開するために、慶尚南道で昨年から「自治体―大学協力事業」(RIS)を教育部に要請して初めて作りました。要旨は、教育部と産業部が自治体に権限を一部移譲して、自治体が地域の企業や大学とネットワークを作り、地域社会で必要とされる学科や科目を作るというものです。

 

広域圏構想の意義

 

李南周 最近出ている統合の議論を、既存の広域経済圏のアイデアの不十分な部分を補って、均衡発展の流れに合致するという次元で評価して下さいましたが、具体的に既存の広域経済圏の話とどう違うかについて、もう少し見てみたいと思います。

鄭埈豪 金大中政権以降、中央主導の地方自治体が形成され、17の市・道の市長または知事の体制が確固として定着した状況です。最近議論されている統合のアイデアは、外観だけで見ると、80年代初頭に戻るのではないかという指摘もあります。ですが、重要な違いは、まずトップダウンではなくボトムアップ方式で議論が進められているということです。事実、地域規模の拡大に反対される方も多いです。草の根民主主義運動の方たちの間で、最近「村」単位の話が多いようです。このとき、村を地域のすべてのように考えている場合があります。村の概念が重要だとは思いますが、一方で警戒するのは、村は個人の延長であって、「地域」ではありません。地域はさまざまな個人や村の巨大なネットワークです。一種の小国家です。村単位で問題を解決するというのは、事実上すべてを個人に移譲するということです。このような文脈で、イギリスの保守党は、政府の負担を民間に押し付けるためのコミュニティ基盤の社会的経済を強調しています。極端な場合には、地域にそのように複雑に投資せず、個人に手当を多く与えようという形に議論が流れる場合もあります。ですから、私は「2トラック」で行くべきだと思います。市民民主主義の陣地として村単位の生活はそれとして行い、広域規模の均衡発展は「超広域」単位で進めるのです。韓国のシステムでは、長期的に行政区域の統合が必要だと思います。超広域単位で統合して分権化すれば、中央政府もかなり楽になります。圏域レベルの均衡を維持する方向で、十分に投資して権限を与えればいいんです。もちろん超広域の内部で地域間の格差がまた問題になるでしょう。特に全羅道や江原道には農村・山間地域が多く、その中で格差がかなりあります。今の統合の議論では、その部分に対する考慮が少し不十分ではないかと思います。しかし、すでに大邱と慶尚北道が、「釜蔚慶」が歴史的にも生活的にも共有するところがあるように、地域内の不均衡の問題は、その中で十分に議論し、解決できるようにすればいいだろうと思います。

李官厚 超広域の概念について付言するならば、「釜蔚慶」が最近主張する「メガシティ」構想は、正確には外国における「メガリージョン」(mega region)により近いと思います。近くの市郡地域をすべて含むという主張です。「メガリージョン」という用語は、韓国内ではあまり聞きませんが、概念的に完全に同じではないメガシティとして、現在は議論されているのです。「釜蔚慶」とは違って、大都市がない状態で統合の議論をしているところでは、超広域概念を導入するとき、違った概念でアクセスすべきではないかと思います。 

李南周 1つ気がかりなことがあるのですが、私たちが80年代以降に都市化が進展して広域概念を導入し、地域を分離しましたが、今はまた統合の方向に進んでいるようです。ならば、分離当時の広域市導入の論理はどのようなものだったんでしょうか。

鄭埈豪 それは「欲」だったと思います。人口が増えれば、権限が多く生じ、息も荒くなります。そして、政治家たちにも、地域単位が増えれば就職先が1つできるわけです。今も同じですが、現在は均衡発展委員会で計画を立てれば、その施行権限が市長や道知事にあります。ですが、最近、人口100万人以上の都市に対して「特例市」の話が出てきています。たとえば慶尚南道の場合は、昌原市でこの施行権限を自分たちにも独立的に与えるよう主張しています。慶尚南道では、自らの市の利害関係が十分に貫徹されないと考えるのです。そのように考えると、人口の数でみな押し通すことができるんです。均衡発展の論理とは矛盾する動きです。

李官厚 いわゆる「小地域主義」ですね。

鄭埈豪 圏域次元で解決すべき問題をめぐって、特例市がまた出てきて、既存の市長・道知事と権限を同じように持っていくということですが、今、慶尚南道と昌原の関係のような場合には、地域内部で直接権限を調整すべきです。ですが、特例市を主張する側は、これを中央政治に持って来て解決くれといっているのです。「分権にするというなら、地方に単位が多い方がいいではないか」というのです。私はそうではないと思います。とにかく、今、統合の議論をするとき、絶対に80年代の過去の行政システムに戻ろうというものではなく、現在の韓国社会に合わせて、行政システムと定住条件を再構築するという概念で取り組むべきです。1つ付け加えるなら、定住条件を整えるために最も重要なのが交通インフラです。これがきちんとできているということは、圏域に循環型交通網が構築されているということです。ですが、それは首都圏だけが完全に整っています。江原道だけを見てもこれがないので、束草から春川に行くよりソウルに行く方が便利です。ほとんどの地方都市の事情が似ています。ソウルからアクセスしやすい都市が、その地域の中心になっています。このような首都圏中心の状況を打開するためにも、今の均衡発展の軸を異なった設定にすべきです。非首都圏も堂々と付加価値を創出する寄与者として考えるべきであって、単一の核として首都圏からくるトリクルダウン効果をいつまでも主張することはできないでしょう。

李官厚 慶尚南道も「釜蔚慶」メガシティの議論で、地理的に疎外感を表出する、たとえば晋州のような慶尚南道の西部地域はどうするのかという話もあります。ですが、とりあえずメガシティはそれとして規模の経済を企てるものです。慶尚南道西部のメガシティの影響を一定程度享受しながら、同時に全羅南道の光陽・順天・麗水と1つの圏域を形成すると見るのが正しいと思います。そして、さらに西側には木浦・羅州・光州・群山が1つの圏域です。私は公立病院の問題で河東に行っていたんですが、そこの方々に、畑で働いていて怪我をしたらどこに行くのかと聞いたら、光陽に行かれるんだそうです。河東から同じ慶尚南道の晋州までは40分かかりますが、光陽までは20分で済みます。ですが、中央では、公立病院の建設予算を慶尚南道と全羅南道に別途支給します。ですから、その地域にいる方々は、そのお金を合わせて光陽圏に1つ病院を建てたらどうかとおっしゃいます。既存の行政区域にとらわれなければ、全羅道・慶尚道と分ける理由があまりありません。それぞれのメガリージョンを区画して横につなげばいいんです。ですから、少し前に、慶尚南道、全羅南道、慶南研究院、全南研究院が一緒に「南中圏計画」を立てることに合意しました。「釜蔚慶」メガシティ計画も「釜蔚慶」の3つの研究院が1年間研究して作りました。完全にパラダイムが変わっています。市・道の間を分けて境界を作るような、これまでの中央方式は非効率です。予算も中央省庁別に自分たちが作った事業に対して別々に与えるのではなく、地域で作られた計画にまるごと支給すればいいのに、絶対にそうしようとしません。地域の事業をめぐって、計画であれ支援であれ、自分たちの権限だと考えているのです。このような中央政府の非協力と固定観念が、地域の協力的発展に障害として作用していると思います。

 

分権から連邦まで

 

李南周 これまでの広域分権については、「分権」とはいうものの、中央政府で制度を掌握し続け制御しようとすることが問題で、これに対抗して、最近、新しいアイデアが下からの要求によって提起されていると整理できるでしょう。ならば、2007年の大統領選挙で当時の李会昌(イ・フェチャン)無所属候補が語っていた「強小国連邦制」の概念もそれなりに意味ある提案ではなかったかと思います。全国を人口500万〜1千万人規模のいくつかの圏域に分けて、国防・外交を除くすべての権限を各圏域に移譲し、各地方政府を欧州の「強小国」レベルに育成した後、長期的には連邦制レベルの分権国家の構造に転換しようというアイデアです。分権が単に資源をもう少し分配する程度ではなく、自らの地域に対する政治的な意思決定権を独自に持たせる構造まで作るべきだという次元です。

鄭埈豪 イギリスの場合を見ると、ここにも「二重政府」といって、中央政府は国防・外交・産業・経済を担当し、残りの小さなものは地域で担当するという認識がありました。ですが、徐々にこのような認識と制度を変えています。中央政府がすべてをいちいち調整するのが困難なことに、ようやく気付いたんです。韓国も、中央政府が持つ権限の一定レベルを地域に与えることが、行政の密度や市民の参加を検討したとき、適切かつ世界的な流れにも合っています。ある意味で「連邦制」は、その表現のために顧みられない概念ではあります。国家システムに懐疑的だった、フランスの無政府主義者プルードン(P. J. Proudhon)も、国家に準じる機能を果たす、個別の単位が集まって1つの連合体を構成して利得を共有する連邦について語りました。このように、連邦の概念はとても高次元のアイデアで、意味もあるんです。私も長期的には、分権を連邦に準ずるレベルまで行うべきと考えています。圏域単位で連邦制をするといったとき、最も大きな問題点は、結局、中央政府が自らの権限を手放さないところにあります。今、イギリスでもフランスでも経験している問題ですが、これを解消するために、一次的に多く行うのが、まさに「シングルポット」(single pot)といって、中央政府が予算を1つの塊として地域に分け与え、具体的な使途に関与しない方法です。当然、一気に100 %の財政分権化はできないでしょう。韓国のような中央集権制の国では、そのようなことをすれば大混乱状態になるでしょう。ですから、過渡期にこのような方法を使ってみて、その後に財政、立法、課税など、いくつかの権限を分けて行くべきかと思います。

李南周 ひとまず、財政分権のアイデアに対しては、「税収が首都圏で多く生じるが、なぜそれを地方に渡さなければならないのか」という反論がありますが、均衡発展になってこそ、地方だけでなく首都圏も持続可能な生活を営めるのだという言説として説得できそうです。ですが、中央官僚集団や一部の世論では、地域政治に対する不信がかなり高く、地域の「土豪」たちが予算をみな流用するというような考えが広がっています。これを理由として、中央政府から予算の使途を指定して、それがまた中央集権的な行政を強化しています。

金裕和 おっしゃられた通り、予算の使途がみな決められて降りてくるので、地域に自律性があまりありません。また地域ごとに財政自立度がみな異なるので、できることが決まっています。予算を確保するためには、中央から降りてくる公募事業を行わなければなりませんが、やりたい事業ができないこともあり、やってはいけない事業を抱え込まねばならない状況も発生します。悪循環ですね。同じ現象が道単位でも発生しています。選出職である道知事が変われば、道から地域に執行する予算の内容が変わります。知事の公約事業は、市郡全体に該当する場合に多いですが、自治体ごとにそれぞれの状況が異なるにもかかわらず、一律に補助金事業として執行するのです。最近では、広域―基礎自治団体間の財政の対立を回避するための、財政負担協議・調整機構の必要性が台頭しています。さきほどおっしゃられた「シングルポット」が施行されれば、地域ごとに必要な事業に予算を使えていいと思います。それが信じられないならば、各自治体での状況に合わせて、事業を絞って予算を請求する、ボトムアップの方法も可能でしょう。透明性と関連して、財政執行が以前よりはるかに透明になったのは事実ですが、予算の使用過程で実名制を拡大する必要があると思います。自治体長の最終決裁をしても、予算が正しく使われるように監視するシステムが必要ですが、私は倫理的責任を強化する方向の実名制が、その役割を果たせるのではないかと思います。

李官厚 地域は自ら計画を立てる能力がないとか、予算を無駄に使うだろうという認識や、道知事が変われば予算の使途が変わってしまう現象の根本的な原因は、おっしゃられた中央主導の公募事業にあります。今、公募事業をどうやっているかというと、国土交通部や産業通商資源部のような中央省庁が、ある事業を全国にいくつか選定するといって発表すると、地方政府が競争します。その事業をどこでやるかはあまり関係がなく、適当に配分して3、4の地域を選んで実施します。ですが、地域では、自分たちがどの省庁の何の事業に選定されるか分かりません。ですから、すべてに申し込まなければなりません。そのうち2、3が選ばれたとします。それらの事業の間にまったく関連性がありません。選定された事業をずっと並べて、これらをどう関連させるか、そのときから心配し始めるんです。このように数十年やっているので、地域の公務員たちのところに行って、総合的な道の発展計画を立てようといったら笑われます。「そんなこと何の役に立つんですか、公募事業に選定されれば、そのときからそれが私たちの道の主力事業なんですよ」といった感じです。総合的な発展計画がないので、どこにお金を使うべきか分からないし、政治家が変わるたびに使途が変わりました。そのために、地域で最初に計画を立てて、中央政府に予算を要求する形に変えようと言っているのです。中央政府では計画を検討して、これまで公募事業に使っていた予算をここに与えながら、途中で評価するのです。総合的な計画がすでに立っている場合、道知事や市長、郡守が変わっても、大きな枠組みを維持しながら、二次的に変えていくことができます。力量がないとばかりいうのではなく、力量を発揮する機会が必要なのです。

 

分権の先決課題、地域の政治的力量の強化

 

李南周 分権のアイデアを政治的に貫徹させる力も重要です。首都圏の人口が50 %を超えたというのは、つまり主要政治勢力にとっても、首都圏を狙った議題が一番重要になるということです。首都圏は単一の領域として全体の半分を超えるのに比べて、他の地域ではそれもみな分けられるので、政治的な影響力を持つことが困難になります。地方区の国会議員も人口数で分ける現行制度の通りならば、首都圏の割合がさらに多くならざるを得ません。貫徹すべき均衡発展の議題と改革の課題は、ますます増えているにもかかわらず、非首都圏の政治的発言権が、過去よりもかなり落ちている状況にあります。このように非首都圏が徐々に力を失う状況、特に郡単位の政治的な影響力はほとんど意味がなくなっている今の現実が、分権と連邦制的アプローチの当為を説明する、もう1つの根拠にもなりうると思います。そのような次元で地域の政治的代表性を強化できる方法としては、どのようなものがあるでしょうか。

金裕和 最近、順天市の人口が増えて光陽市の人口が減り、順天の一部と光陽、谷城、求礼を統合して1つの選挙区を作りました。順天市民が選挙区の国会議員に会いに光陽に行かなければならないんです。国会議員を1議席でも逃さないように調整して起こった現象ですが、このように人口が減少するほど、地域の代表を作ることが少しずつ難しくなるという危機感があります。特に状況が困難な地域ほど、選挙区の国会議員が地域の利益をより強く主張しなければなりませんが、選挙のたびにあれこれ切ったり貼ったりしながら、人口比例で国会議員を選んでいるという現行制度は望ましくないと思います。国民の共感を得て国会議員の数を増やすべきだと思います。

李南周 常に議論はありますが、実行されないことの1つが、国会議員定数を増やすことです。端的に郡単位で見ると、以前は郡の2か所で1人を選出しましたが、今は4つの郡で国会議員1人を出すなどして周辺視し、わざと統合して選挙区を作るなど歪んだ構造が生じているんです。これを防ぐためにも議席数を増やし、少なくとも3郡当たり国会議員が1人ずつ出られるように保証するような転換がなければ、国会で地域代表性が保証されるのが困難になると思います。

鄭埈豪 完全に同感です。アメリカを見ると、上院議員は50州が同様に2人ずつ選びます。このように代表を確保するための方法を参考にする必要があるでしょう。江原道についていうと、江原道も人口がかなり減った郡は面積的にかなり広いです。人口数に合わせて3、4郡を統合するので、地域区の国会議員が自分の地域の中で行き来するのも、丸一日かかるんです。憲法裁判所で選挙区の画定について、結局、人口数の比例で解釈しましたが、政治家がこれについてもう少し考えるべきだと思います。この議論は、人口が減少する地域を、私たちが捨てるのか守るのかという問題ともつながります。ほとんどの主流経済学者たちは、そのような地域からは、人々がみな離れればいいと考えます。ですが、世の中はそのように動くでしょうか。人によって事情が違っていて、政府はすべての人々に対して一定程度まで責任を負うべきです。このような問題こそ、経済の論理だけでは計算できない、民主主義の核心だと思います。なので、手遅れになる前に、社会的・政治的な合意が必要だと思います。

金裕和 また一方で、私は女性の政治的代表性について、集中的に見ているんですが、第21代国会に全羅南道を代表する女性国会議員が1人もいません。地域の問題をすべて男性国会議員が解決しているのです。最近、男女同数、女性割当制についての議論がありますが、地域内の性別間の議席差を解消することも重要です。女性が政治に参加することは現時点で簡単ではなく、さらに地域では性的な偏見も競争も激しいです。全国的に女性のシェアは地方自治体長3.5%、広域議員19.4%、基礎議員30.8%です。首都圏を除けばこの数値はさらに低くなりますが、全羅南道の場合も、基礎議会に女性議員が比例代表で1人だけいる市郡が8か所になります。地域分権時代、草の根地域政治の時代に、地域の均衡発展のためにも地域の女性政治家の役割が重要になりました。地方に行くほど男女間の性別格差が激しく、女性の経歴断絶が頻繁で、ジェンダー暴力にさらされる確率も高いです。また、低出生・高齢化、保育と介護、教育、環境など、地域住民の生活の質を向上させる生活政治が必要な時代です。関連議題を作って解決するためには、男性中心の政治文化を解体し、政策決定に参加して影響力を行使できる一定数以上の女性議員が必要です。国家で法で女性の政治参加が高められるように制度的に後押しすることが必要で、各党で党憲党規の改正を通じて、まず導入するべきだと思います。

鄭埈豪 「あらゆる空間は政治的である」という言葉もありますが、地域はそれ自体として政治的動員の手段であるため、アイデンティティにおいて地域がきわめて重要なんです。ですが、最近、「アイデンティティの政治」というときにかなり出てくるのはジェンダーの問題です。さらにまた地域別に差があります。たとえば重化学工業都市のようなところで、ジェンダーの問題がより深刻です。あまりにも家父長的な文化が強いんです。現実的にソウルのような大都市で、環境問題も、エネルギー問題も、ジェンダーの問題も、より強く発話されていますが、このような問題が地域別に差別的だというのです。また、地域できちんと取り組まれるべきことのアイデンティティを、政治的にも体現できずにいる現実のために、代表性が脆弱になっているのも問題があると思います。

李官厚 2014年に、広域議員の選挙人口の偏差基準(人口が最も多い地域区と最も少ない選挙区の間の人口の割合)に対する憲法裁判所の判決で、3:1は違憲で、2:1に合わせるべきと結論を出したとき、私が判決を批判した論文を書きました(李官厚「韓国代議制研究批判」『議政論叢』第11巻、2016)。その批判の核心は、一括して票の等価性を高めることが、都市と農村の間の格差をむしろより拡大しうるというものでした。こうすれば、現実的に大都市の国会議員は増え、中小都市や農村地域の議員は減少します。農漁村に暮らす国民は、今も教育、医療、文化など様々な分野で、都市に暮らす人々よりも劣悪な環境に置かれていますが、都市が農村よりも多数であるという理由だけで、予算の不平等が続いたり加速化したりするならば、これこそ「多数の暴政」になりうるということです。選挙が特定の住宅地域に住む人々の政治的代表を常により多くするならば、それは民主主義の原則を脅かす問題です。そのような部分を、なぜ政治家、特に進歩政治が考慮しないかを考えてきましたが、韓国の進歩がいくつかの均衡と平等に意識レベルと感受性が高く、実際にそれを確保するにもかなり寄与したのに比べて、「地域認知の感受性」がとても低いようです。私は、韓国の進歩はかなりソウル中心主義的だと思います。制度を変えたり、国家の政策を決定したりする際、地域認知の感受性がありません。必ずしも政治的志向と関係なくても、このような状況がますます悪化しています。私が地域の均衡発展と関連して、ソウルで記者たちと話をする時があったのですが、本当に他の外国の話でも聞いているみたいな様子でした。もしかしたらと思って聞いてみたところ、ことごとくソウル出身なんです。70年代生まれならば40~50代です。ですが、その時以来、出生した人の中で、政策立案者に近い人々、官僚、ジャーナリスト等の多くは、ソウル生まれであるか、あるいは幼いときにソウルに来て育ち、地域は旅行の風景としてのみ記憶しています。首都圏の人口の割合が50%を超えただけに、これからは意識的に強調しなければ、本当に地方は見えなくなるでしょう。一例として、企画財政部が世宗庁舎〔大田郊外にある行政首都庁舎〕にありますが、他の省庁は地域事務所がありません。行政安全部はそれでも昇進するたびに地域に行って数年ずつ勤務してきます。予算を扱う企画財政部の官僚たちも、時折、地域に派遣の発令を出して欲しいです。数年だけでも勤務すれば、地域認知感受性が高くなるのではないかと思います。

 

地域の均衡発展と南北朝鮮の関係

 

李南周 地域の均衡発展と多極化について考えていると、南北朝鮮の関係との連携も考えざるを得ません。均衡発展と南北の関係をどのように接続させられるか、アイデアを出し合ってみたいと思います。私が基礎自治団体と北朝鮮の地方政府間の交流事業をつなげるプログラムを進めることがあって、地域にいくつか行ってみると、いくつかのアイデアがありました。たとえば莞島(全羅南道)は養殖技術を北朝鮮に伝授して協力しようとか、平昌(江原道)は韓国の牛の種を持って行って北朝鮮で牛を育て、現地で屠殺までして、それを南北全域に供給するとかいうものです。いますぐにはいくつかの面で現実的な困難があるでしょうが、とにかく中央で単極的な交流ばかりするのではなく、多極的に努力できる地点があるのではないかと思います。また、そのことが、地域の力量を育てることにも役立つように思います。

鄭埈豪 南北関係がこのように閉塞的な状況では、小さな単位での動きが突破口になりうると思います。江原道の場合は、南北関係によって地域経済が動くところが多いでしょう。古城が代表的です。私の学校でも、統一関連の研究院を置いて、セミナーもかなりやって、さきほどのお話しのようなアイデアを数多く出そうとしています。それぞれの地方政府も厳然たる政府です。中央政府だけが役割を果たせるという考えから離れれば、地方政府から小さな単位の新しい経路を模索することができます。このことを通じて信頼を構築する経験が重なれば、活路が開けて緊張緩和にも影響を与えるのではないかと思います。

李南周 私たち自らが、朝鮮半島を空間的に再構成するというレベルでも意味があります。

鄭埈豪 朝鮮半島の再構成を具体的に考えるならば、新しい軸を連結させることです。どういうことかというと、江原道の場合、位置上、垂直軸にある北側の元山とつなぐように連携しようということです。地域間の交流が活性化されれば、外国とFTAを締結して交流するように、他の地域とつながり、さまざまな機会が考えられる環境が醸成されると思います。このように連携の軸を確保すれば、後に南北が統一したとき、分権された統一韓国の像をあらかじめ描くこともできると思います。今は国家と国家としてのみ交流し、単極的な交流だけがあるので、そのような状況を描くことができないのです。

李南周 私が考えている点が、まさにそのような部分です。南北が今後再び協力的な関係に進むといったとき、今のままならば、別の中心主義、中央政府中心主義が強く作用しないかという心配があるのです。ですから、南北交流も特定の地域に集中する様相ではなく、もう少し地域の均衡発展の趣旨にふさわしい形で進められるアイデアについて考えています。

李官厚 これまでの南北交流は、ソウルと平壌を中心に行われてきました。地域でも自ら「韓国の地域と北朝鮮の地域間の個別の交流が果たして可能か」といって躊躇していたようです。ですが、過去の事例を見ると、小さな手がかりを地域ごとに探すことはやってきました。さきほどおっしゃられた莞島の事例もありますし、慶尚南道はイチゴで多くの成果を出しました。ですが、最近出てきた話ですが、南北間の産業的な時間差があるということです。南では徐々に斜陽産業になっているものが、北ではまだ必要な適正技術であるということです。このような産業がかなりあります。たとえば、釜山・慶尚南道は中小の造船所がかなりあります。造船所は船を作るところですが、船を修理してアップグレードするときにも必要なんです。特に小さな漁船は中小の造船所でそれをやらなければなりません。ですが、北朝鮮の漁船はかなり劣悪な状況です。たまに日本で漂流している場合も報道されています。これらのアップグレードが必要ですが容易ではありません。馬山港や影島の中小の造船所を、斜陽産業であるとしてただ廃業させるのではなく、元山や清津にある北朝鮮の漁船を修理し改良して、技術を伝授するのです。このような交流の可能性についての研究がすでになされており、これを基盤に今から地域同士の交流協力の枠組みが作れると思います。このような部分までソウルと平壌がみな決めないでほしいと思います。

金裕和 実際に南北間の交流について、地域住民の関心が少しずつ高まっています。民間次元を越えて、交流事業を政策的に実施しようという自治体が増えています。互いに共感が持てる接点を見つけ、地域間の交流を実施すれば、理念的な対立も徐々に解消できるでしょう。たとえば、順天の場合は北朝鮮に同名の都市があります〔南は全羅南道・順天、北は平安南道・順川。ともに「スンチョン」で発音は同じ〕。2つの都市が教育と交通の拠点である点でもつながる面があります。一見、些細に見えても、このような理由をあげて親密さを形成するには、小さな地域単位がより有利です。地域住民の間に絆を形成して、北朝鮮に支援・交流事業を図れば、今後の交流でも相乗効果があるだろうと思います。

 

地方崩壊につながる前に

 

李南周 冒頭に述べたように、地域格差の問題をこの時点でテーマに取り上げたのは、来年、大統領選挙を控えているからでもあります。地域の課題を事前に公論化して、選挙の局面でも、新政権になっても、地域の均衡発展の問題を重要に議論してもらいたいということです。今、私たちが、どのような形でこの問題を議論することが問題解決のために効果的かを考えながら、まとめにしたいと思います。

鄭埈豪 非首都圏が崩壊するのは、国家全体が崩壊することと異なるところがない、という思いを徐々に強くします。これまで非首都圏の純所得の4〜6%程度が、継続して首都圏に流入してきました。おおよそ年間70〜100兆ウォン前後ですが、これは首都圏も非首都圏に依存しているところが明らかにあるということです。韓国は伝統的に製造業の国家なので、生産的な付加価値は、製造業の中心地である非首都圏から来たのです。なので、なおさら、韓国を均衡発展の言説に合わせて再構築するべきで、このとき必要な概念が「循環型超広域経済圏」です。既存の広域経済圏とは異なり、超広域圏の中で低出生・高齢化などの人口問題、デジタル変換、エネルギー転換などの未来社会に対応すべきです。今は端的にいって、石炭火力発電所が忠清南道などの特定の地域に集中しています。そこで生産されたエネルギーは、みなソウルに行きます。これからは首都圏にすべての資源を集中することをやめて、一定の圏域の中で解決し循環する形の突破口が必要になります。また、非首都圏地域の製造業を放棄することは、韓国経済を直撃する問題です。非首都圏地域にすでにある製造業の構造を高度化すべきという問題意識を持って、デジタル社会への転換を図るべきです。今、政府では、デジタルに切り替えるというと、単に首都圏で新たに登場するIT、BT産業だけを考えがちです。ですが、韓国がこれまで持ち堪えたのは、非首都圏の製造業が大きな役割を果たしたんです。サムスン電子も、現代自動車も、SKもLGも、主要工場はほとんど非首都圏地域にあります。その下にいくつかの下請業者も密接に関連しています。依然として製造業で相当の富を生産しているだけに、このような産業についても転換が必要でしょう。最後に、さきほどの李官厚先生のご指摘のように、地域認知の感受性を育てるべきです。「地均虫」や「地雑大」のようなヘイト表現が、今、社会の地域認知の感受性を計るものですが、認識の変化が必要です〔「地均虫」は地域の均衡発展やそれにもとづく大学選抜を揶揄した言葉。「地雑大」は地域に所在する雑多な大学という意味〕。

金裕和 国家競争力を強化するには、首都圏集中の問題を解決しなければなりません。そのためには、地方に暮らす人生が幸せでなければなりません。教育や保育の問題、雇用問題など地域での生活の質が向上すれば、あえてソウルに行こうとはしません。多くの市民がコロナ禍の事態を経験して、自分が暮らしている地域の生活と環境が重要で、その分、地域の力量強化が必要だということを痛感したと思います。現在、議論に弾みがついている地域分権を通じて、地域住民が地域の未来を決定し、問題を解決しようとする自治の力量を育てることが重要で、このような地域住民らの力が、地域の均衡発展につながるようにすべきです。

李官厚 首都圏で見られるほとんどすべての問題が、実際に地域と関連しています。端的にいって、最近の不動産問題は最も大きい問題ですが、これは正確には「首都圏の不動産問題」でしょう。地方で「不動産問題」といえば、売れ残りや未分譲のことをまず想起します。このように違うんです。首都圏に不動産問題がなぜ起きるのか、政策の失敗がどこで起こったのか、考えてみたらいいと思います。首都圏に住宅供給が十分かをめぐって多くの議論がありました。ですが、2000年以降の20年間に首都圏に流入した人口が130万人いました。ソウルの出生率が今1人当り0.72人しかいませんが、ソウルの人口は引き続き増加しています。出生率はマイナスでも人口が増える規模がこのような状態なので、首都圏の住宅供給がどの程度が適切かをめぐって、その中だけで話をするのは最初から意味ある議論ではありません。長期的に見れば、首都圏の不動産問題を解決するには、地域の定住性が高まって、地域の人々がソウルに上京しなくても済むようにすべきです。最も重要なのは青年です。地域の大学の状況が困難になるほど、新入生が続けてソウルにやってくるんです。そのような彼らがソウルで仕事を得て、暮らし続けるのです。ソウルの青年問題、不動産問題、雇用問題を、地域の問題解決なくして克服することはできません。ソウルの問題は、ソウルの熱気を下げてこそ解決できる状況であり、そうするためには地域の定住条件をどのように高めるか、特に地域の教育と雇用の問題をどう解決するかをまず見るべきだということです。首都圏を頭、地域を手足と考えていた、既存の国土発展政策のパラダイムを根本的に変える時がきました。今、果敢に変えなければ、本当に機会を逃すでしょう。地域の均衡発展の言説の中で、財政、政策、政治制度、さらには憲法に至るまで、最優先でこの問題に取り組まなければ、国家の持続可能性がすぐに脅かされるだろう思います。

李南周 地域の問題が、これまで上から与えられる発展モデル、分権モデルによって左右されましたが、これからは下からの流れを作って、自律性を強化する方向に進んでこそ、今、私たちが直面している様々な問題を解決できるだろうと思います。同時に、必ずしも連邦制と規定する必要はありませんが、分権を画期的に強化するために、財政、教育、政治の領域で必要な改革についても、いいお話しがたくさんありました。来年の大統領選挙を控えて、これ以上先送りにできない地域の問題の深刻さを、積極的に議題化できるように一層努力すべきでしょう。コロナ禍で困難な時期に、この座談会に参加して下さってありがとうございます。これで終わりにしたいと思います。(2021.4.24/創作と批評社西橋ビル)

 

〔訳=渡辺直紀〕