[対話] 国防改革と韓国社会の大転換 (連続企画「2022大統領選挙、大転換の課題」4) / 申祥喆·李南周·李泰鎬·秋智賢
申祥喆(シン・サンチョル)「真実の道」代表、YouTubeチャンネル「シン・サンチョルTV」運営。前・天安艦民軍合同調査団調査委員。著書に『天安艦は座礁です!』など。
李南周(イ・ナムジュ)聖公会大教授、『創作と批評』編集主幹。著書に『中国市民社会の形成と特徴』『変革的中道論』(共著)、編著に『二重課題論』など。
李泰鎬(イ・テホ)参与連帯政策委員長・平和軍縮センター長。共著に『封印された天安艦の真実』『変革的中道論』など。
秋智賢(チュ・ジヒョン)ソウル大社会学科教授。共著に『マスクが語るもの』『#me tooがある/つなぐ』『能力主義とフェミニズム』など。
李南周 (司会)こんにちは、今号の「対話」は1年間の連続企画「2022大統領選挙、大転換の課題」の最終回で、「国防改革と韓国社会の大転換」をテーマに話し合いたいと思います。南北分断体制の下で、国防問題は韓国社会に大きな影響を与える事案ですが、これに対する議論と決定は、専門性を持つ人々の専有物のように考えられてきました。このような前提が、市民の常識的判断が国防政策に影響を及ぼさない装置として活用されることもありました。国防費の持続的な増加で、軍の影響力は強くなっているのに対し、社会的な発展や合意水準に比べて軍の変化は遅れています。今日は軍の問題と民主主義のつながりを議論し、大転換のもうひとつの方向を模索してみたいと思います。それぞれ自己紹介をお願いします。
申祥喆 私はインターネットメディア「真実の道」を運営しています。韓国海洋大学で航海学を専攻した後、西海五島で海軍将校として勤務して輸送業務を担当し、2002年の大統領選挙の頃からインターネットに政治コラムを連載したりもしました。天安艦事件の当時、民軍合同調査団で民主党推薦の調査委員に選ばれたことをきっかけに、以降、天安艦事件に対する調査を続けています〔「天安艦事件」:2010年3月26日に韓国海軍の哨戒艦「天安」が朝鮮半島西方の北方限界線付近(白翎島西南方)を航行中に沈没した事件。李泰鎬 「天安鑑、まだ引き上げられていない真実」 参考 〕。
李泰鎬 私は参与連帯の平和軍縮センター長を務めています。参与連帯に合流した初期に、不正腐敗分野を担当し、公益情報の提供を支援する役割を務めましたが、国防および武器導入関連の情報提供が非常に多く、その解決が容易ではありませんでした。この分野の透明性と責任性が強化されるべきで、何よりも市民の監視がなければ、問題は本質的に解決されないという思いで活動をしています。
秋智賢 私はジェンダー研究者で、軍・警察などの組織におけるジェンダー暴力の問題を取り上げてきました。ジェンダーが軍事主義、植民主義、資本主義を通じて作動するという問題意識に基づいて、韓国社会が「安全保障」の概念をどう定義して想像するのか、「国防人材」はどんなものとして想定するのかなどについて、批判的観点で見ようとしています。
国防費増額、どう見るべきか
李南周 最初に話すべきことは、文在寅政権の主要政策目標として推進された「朝鮮半島平和プロセス」と国防費増額の関係です。北朝鮮との関係が政権初期にはかなり希望的でしたが、最近2年間は膠着状態にあり、今は不安な兆しがまた見られます。大きな問題の1つは、朝鮮半島の平和プロセスが進行中であっても、着実に進められた国防費の増額だろうと思いますが、これをどう説明すべきでしょうか。
李泰鎬 文在寅政権に入って国防費がかなり増えました。最低年4. 5%、多いときは8.2%まで上がり、GDP増加率よりも当然高いです。朝鮮半島の平和プロセスが進んだ中でも、また最近のコロナ禍による支出の圧迫がかなりひどい状況でも、国防費が増え続けたということです。昨年の国防費総額は52.84兆ウォンで、韓国銀行が推算した北朝鮮のGDP総額の約1.5倍です。よく考えてみると、これまでの20年間で私たちが支出した国防費が、同じ時期の北朝鮮GDPの合計よりも多いことになります。このことが意味深長なのが、2009~10年の六者協議が挫折した後、アメリカの報告書を見ると、北朝鮮が軍備競争で出遅れて、安価で破壊力のある武器、つまり核に執着するという内容が出てきます。にもかかわらず、私たちはその期間に、なんらの交渉もなく国防費を増やしてきました。そして朝鮮半島の平和プロセスが始まりました。平和を定着させ、信頼措置を通じて非核化するという一連の合意を結びました。ですが、文在寅政権は「別途の問題」であるとし、国防費を増やし続けました。だから北朝鮮は、安保および軍事力に対する韓国とアメリカ政府の「他人に厳しく自分に甘い」、その二重基準が問題であると指摘し、ミサイル実験を正当化しているような状況です。
李南周 国防費増額に対する韓国政府の合理化の論理はどのようなものだと思いますか?
李泰鎬 きわめて攻撃的な軍事ドクトリンを採用し、不安を刺激する方法でアプローチしていると思います。たとえば、武器体系において、北朝鮮の核・ミサイル攻撃に備えて、最小限の先制対応能力と圧倒的な報復能力を確保すべきだというものです。また有事の時、北朝鮮地域の安定化のために十分な兵力規模を備えるべきだというものです。事実、軍事力の違いがあまりにも明白であるため、最近は地上戦次元の侵攻の脅威はあまり語らず、「未来の潜在的危険」を完全に除去する、というような、具体的でなく実現不可能な名分を掲げています。
李南周 国防費の増額はそれ自体も問題ですが、増額をめぐって様々な利害集団が登場し、権力と資源分配のメカニズムに影響を及ぼすのも問題だと思います。
申祥喆 国防部と軍の権力集団は、自らの領域と権力を維持するために、国防費を増やす方向で慣性化してきた面があります。文在寅政権時に国防費が増えたといいますが、この問題は、1つの政権に限定してみるよりも、軍当局の意向が作用する形と現象に注目すべきです。増額した予算をどこに使ったかを見てみると、理解できない点があります。たとえばF-35戦闘機の導入過程を見ると、次世代戦闘機の導入計画の当時、空軍パイロットの選好度調査ではユーロファイターが大勢でした。空中戦や山岳地域に適しているからです。砂漠地域に適しているとされるF-35は、私たちの状況に合わず、価格も2倍ほど高いものでした。ですが、後に明らかになったところでは、国防部は最初からF-35を念頭に置いていたようです。結局、当時の金寛鎮国防部長官が、妥当な説明なく職権でF-35を選定しました。こういうことを見ると、戦力改善のようないくつかの口実が挙げられましたが、結局、軍の既得権維持のために軍の意思によって国防費の増額が促されてきた面があります。
秋智賢 安全保障の様相が、情報戦を越えて知能戦を念頭に置いて変化するため、特定の技術開発への支出は必要であり、さらに減少する兵力に代えるために発生する費用であれば甘受すべき場合もあると思います。ですが、現在、国防費は徴兵制維持の方に使われています。事実、国防費の話をすると、徴集が果たして経済的に効率的かという問題も考えざるを得ない状況です。新武器開発などの防衛力改善は予算の30パーセントほどで、残りのほとんどは結局、徴兵制の維持に使われています。しかも、現在の防衛力関連の支出方向を見ても、さきほどおっしゃったように、戦闘中心の軍需産業のために使われ、これが輸出産業として強化されているという点も問題です。
李泰鎬 このことについて議論するには、「適正な軍事力」とは何か、私たちが持つべき武器体系がどんなものであるべきかを考えるべきです。最近、軽航空母艦の導入が議論の対象になりましたが、中国もアメリカも持っているものを、なぜ私たちが持てないのかというような声がかなりありました。ですが、具体的に見てみると、半島国家であえて海の真ん中に基地の役割をする船を別途に持つべきなのか、また、航空母艦は覇権国家が制海権を目指す際に必要な武器体系ですが、私たちがそのような軍事戦略を持っているのかという問題があります。東アジアの覇権国家になるという考えでないならば、代表的な予算浪費事業になることは明らかです。もし米軍の航空母艦の横について追いつくために作るのであれば、韓国軍がいつも叫んでいる「自主国防」のモットーとは合わないものです。しかも、本当に中国が強くなって新冷戦がやってくるとしても、中国の沖合に軽航空母艦を浮かべるのが、軍事的に可能な動きなのかという現実的な問題もあります。そのために、ただ「より強い武器があればいい」という軍の既得権や利害集団の要求が、自家発電のようになってはならず、そのような論理で戦力増強をしてはいけないということです。
申祥喆 軽空母のアイデアがなぜ出てきたのかを逆に追跡してみると、済州海軍基地の問題が見えてきます。日本の鳩山首相が内閣としてスタートしたときの公約が、「沖縄・普天間米軍基地移転」でした。そうなるとアメリカの制海権・制空権が弱まるので、李明博政権のときにあれこれ理由をつけて済州海軍基地を推進したのですが、結局、普天間基地移転は白紙化され、すでに作られていた済州基地の役割は曖昧になりました。なので、この基地に持ってくる船が必要になって、導入しようとしているのではないかという疑いがあります。また、軽空母の戦団が作られると、軍内に高いポストがもう一つできることにもなります。「朝鮮半島全体が空母」という主張もあるだけに、必要性に疑問があります。
李泰鎬 もう一つ考えるべき点は、現実的に「完封勝ち」が可能かということです。今、軍備増強の方向性は、私たちが決意さえすれば先制打撃も可能で、ミサイルが飛んでくれば迎撃し、それでも何らかの攻撃が防御体系を突き抜けて私たちを打撃すれば、より強い武器で相手陣営を壊滅させるという風にです。言葉はいいですが、このような軍事戦略は現実的に可能でしょうか。そのように焦土化した後、米軍がイラクやアフガニスタンに行ったように兵力を導入して安定化させるというのですが、歴史をみると、そのような方法は不可能であることがわかります。米軍も結局失敗し、私たちの朝鮮戦争の経験もそのことを物語っています。「完封勝ち」と占領地の安定化のための武器体系を持つことが現実的なのかを問うべきですが、軍事戦略的な次元の合理的な討論がまったく行われていません。市民たちが「そんなこと本当に可能なのか?」「他の方法を探すべきではないか」と問うことさえ封鎖されている現実です。
安全保障政策に対する市民の距離感と情報公開の問題
李南周 国防費を増やし続ける論理と組織的な動きが強い反面、これを統制する力はほとんど作動しないのが重要な問題だと思われます。国防費の増額現象が持続・強化されることが、意図したかどうかにかかわらず、南北朝鮮の関係や韓国の経済および社会問題に悪影響を及ぼしています。端的な例として、国防部の予算規模は政府18省庁のうち5位で、下位3位の外交部、統一部、女性家族部と比べると途方もない格差があります。にもかかわらず、国防費に対する市民社会の関心や監視がそれに比例していないと思います。国防費に対する市民の一種の受容的な態度、あるいは国防費の問題を自らの問題と関連付けない状況がおかしいと思います。予算が比較できないほど少ない、女性家族部に対する一部のヒステリックな反応と比べるとなおさらそういえます。
秋智賢 2000年代半ば以降の研究が一貫して示しているのは、青年世代が多様性や少数者感受性などで、以前の世代と異なる様相を示しながらも、安保についてはむしろ保守的であるということです。もちろん、北朝鮮との関係を平和協力vs安保という構図で対比することも問題ですが、この世代の中に異なった意見がないのは、青年世代にとっては北朝鮮の問題がもはや自分たちの政治的立場を分ける重要な事案ではないということです。ですが、いざ彼らに国防政策関連の個別情報を提供して意見を聞いてみると、知っていることはほとんどありません。実体的な不安に直面した感覚というよりは、現在の南北分断の状況に慣性的に接近しているという傍証です。危険があるだろうという抽象的な感覚はあっても、それが実際の生活を掌握するほどではないのです。青年世代の関心は、事実上、兵役の義務のみに集中しており、それ以外の制度や状況に対する関心には拡大せずにいます。現在の世代が安保について、聞くことはずいぶん聞いたものの、間接的にも戦争を経験したことのない世代なので、戦争は他人事のようでもあるし、また政治領域では、これまで安保をめぐって理念論争だけを繰り返してきたために、この問題に対して無関心な反応を示すのではないかという気もします。
申祥喆 韓国社会がこれまで、軍が決定した安全保障や国防問題に対して、きちんと異議提起できる雰囲気ではありませんでした。軍隊は「敵」がいてはじめて存在しうる組織であり、軍の影響力を強化するためには、主敵をより強い存在として認識しなければなりません。天安艦事件だけを見ても、李明博大統領や元世勲国家情報院長が、北朝鮮の行動とは考えにくいと判断したときでさえ、ただ金泰栄国防部長官だけが、北朝鮮の行動のように見える、魚雷によるものだ、と強弁しました。結局、軍当局の発表以降、いかなる反論も受け入れられず、現在に至っています。異なる意見に対しては「従北」(対北朝鮮従属)「アカ」(共産主義者)のレッテルを付けて、議論自体を源泉封鎖してしまいました。
李泰鎬 現在の国際関係に対する認識が「強者に適応すべき」方向で強く形成されています。私たちがアメリカに対してそうしていますし、同様に北朝鮮に対しては、私たちが強者だから圧迫を通じて適応させようという風にです。李明博政権のときから国防政策の基調として「北朝鮮の非対称脅威に備えよ」という標語が登場し、国家情報院では金正日の死亡を念頭に「有事事態計画」を準備します。朴槿恵政権では「統一大当たり論」〔南北統一に経済的利益を見る便宜論〕も出ました。このすべてが、北朝鮮は脆弱な存在だから、これを管理すべきだという認識に基づいたものです。ですが、個々の国民の立場では、ただでさえ国民の生活は複雑なのに、果たして北朝鮮の脅威が実感できるのか疑問です。1970年代でさえ北朝鮮を実質的な脅威として感じ、自分の人生に影響を及ぼしうる存在だと考えていましたが、冷戦が終わってから30年もたつ現在はすでにそうではありません。このような安保認識が、天安艦事件でもよく出ていたと思います。現在も当時も政府の発表を完全に信じる人は少なく、ほとんどが「北朝鮮がやったようではあるが、政府の発表は信じない」という中立の立場を選んでいます。これまで北朝鮮問題に関しては、国家が解釈権を独占してきましたが、青年世代の立場ではこの解釈もよく信じられないのです。軍当局や国家の安全保障の方向性と日常的な現実の間で生じるギャップ、そして不信の中で、市民たちは概して政府の脅威の解釈に反対しませんが、信じることもできず、「合理的」な選択肢として「自分の人生/生活には入ってくるな」というような無関心、あるいは慣性を示しているのだと思います。このような状況を認識したうえで、話を始めるべきだと思います。
秋智賢 結局のところ、言説の構図を新たに組むべきなのですが、今は国民一般の認識ともずれた、一部の極右的な声が過大評価されています。そのために、代案となるべき言説が可能な場が必要です。問題は、議論になるためには情報が必要です。ですが、関連の情報はあまり公開されません。私が国防部関連の研究を行う時も一番つらいのが、十分な資料を提供してくれないこと、そして提供された資料さえも活用できないように、すべて秘密にしろということでした。いったい「秘密」の範囲がどこまでなのかについて疑問でした。国防研究院のプロジェクトは政府予算を使っており、他の研究・政策主体によっても多く検討されなければならないため、PRISM(政策研究管理システム)などにも最大限公開すべきですが、これすらうまくいっていないのが実情です。国の予算を使っているのに、使い出があるのかわからず、それに対して批判もできないのです。それでも、最も自由に批判できる位置にいる研究者でさえ、国防政策に関しては障壁が多いという状況です。
李泰鎬 2004~2005年頃に、参与連帯から軍備関連の情報提供を受け、「韓国型ヘリコプター」プロジェクトの監査を要請したことがあります。その結果、プロジェクトを中断すべきという監査の意見が出ました。私たちが監査を請求して問題も明らかになり、そこに必要な資料も私たちがすべて提供したので、監査結果報告書くらいはもらえるだろうと思いました。しかし、報告書の要旨も公開できないというのです。訴訟をして1審・2審ですべて勝訴し、そのとき一部はもらいました。ですが、これが大法院でひっくり返されました。当該文書は「2級機密」なので、国防部がダメだと言えば一切を公開できないというのです。
李南周 そもそも「2級機密」と規定する主体が国防部なんですよね。
李泰鎬 はい、事実上、国防部が勝手に決められる状況です。それが判例になって、いまだF-35やF-15の導入や天安艦事件などについての情報も、まったく公開されていません。
申祥喆 もうひとつの事例を言うと、韓国が開発している武器の中に「黒サンオ重魚雷」〔「サンオ」はサメの意〕があります。「世界最高水準の魚雷」と評価され、2017年に大々的に広報もしました。ですが、この魚雷についての話はあまり聞いたことがないでしょう。私が天安艦事件と関連して裁判をしながら主張したのが、「魚雷を生産するために開発実験が必要ではないか、解体する哨戒艦に迎撃訓練をしてみて、実際にその下で爆発したときに「爆沈された」天安艦のような現象が起きるか見てみよう」というものでした。ですが、そういうことにはなりませんでした。その後、2018年に黒サンオ魚雷を完成し、非公開で哨戒艦の迎撃実験が行われたことを後で知ることとなりました。退役した哨戒艦を見ようと情報公開請求をしましたが、759番の木浦艦の解体過程の情報がなく、おかしいと思って探してみると、2019年に国際海洋防衛産業展(MADEX)の黒サンオ魚雷の広報資料の中に、迎撃実験関連の内容がありました。ですが、ある日から黒サンオ魚雷に対する言及が一切消えます。私が問題提起をした後、国防科学研究所と開発会社のホームページで、既存の公開していた核心資料をすべて削除しました。この迎撃実験の結果が、天安艦で発生した爆発状況と同じかどうかを伏せてしまい、世界最高水準の魚雷を開発しても、対外的に知らせないという状況が現在進んでいます。
李南周 韓国社会が民主化されたといいますが、軍は聖域化されて、軍で発生した問題を社会が解決できず、軍にただ任せてしまう文化が固着化しています。軍に対しては市民も無関心なうえ、外部から介入して監督できるシステムも形成されていないのが、この国の民主主義の限界を示す面ですが、解決の出発点のひとつが情報アクセシビリティの改善ではないかと思いますし、これに対する継続的な努力が必要です。
徴兵制の議論、本質は何か
李南周 国防改革の課題の中で、社会に直接的な影響を大きく及ぼすのが徴兵制の問題です。徴集兵の処遇を改善すべきということは社会的に合意されていますが、これを越えて徴兵制自体を見直すべき状況に直面しています。国防費の問題だけでなく、人権の問題として接近する必要性が高まっています。
秋智賢 徴集か募兵かについての近年の議論は、「どちらの方がましか」にのみ焦点が当てられています。私は、兵力維持の方式に対する現在の議論は、「改革案」ではなく、現実に合わせていく「適応案」に近いと思います。低出生率と青年「男性」が徴集される状況に議論が多いので、何でもやってみようという感じですが、そのような問題設定であれば、さらに募兵制や徴兵制のような特定の兵力募集の形態でなくてもいいんです。最近のアンケート調査では、国民の約80パーセントが募兵制を支持しているという結果まで出ていますが、募兵制といっても、果たして誰がそれを行う資格があるのかという、基準をめぐる問題が残っています。軍の階級構造において、高位層の中心だけで意思決定と情報共有がなされる閉鎖性を監視・統制するには、徴兵制の維持の方が役立つという主張もあります。それぞれの長所と短所がはっきりしているのですが、私たちは二者択一だけで考える傾向があります。いったい何のためにこの議論をするのかという意識が欠けているのです。
李泰鎬 制度だけをめぐって言うならば、現実的には徴兵制と募兵制の混合形態で行くしかないと思います。まず考慮すべきことは、実際に募兵が可能かどうかという問題です。今のように軍の人権状況がめちゃくちゃで、扱いも悪い状態であれば、軍人になろうとする人がいるだろうか。下士官は現在も募兵制ですが、募集率が落ち続けており、入ってきても長期で服務しようとする人が対象者の40パーセントにもならず問題になっています。そのため、当面は徴集を維持すべきですが、現行の構造をそのままにして徴集率を90パーセントにまで引き上げても人材不足は解消できず、誰かが行って誰かは行かないという公平性の問題が先鋭になるでしょう。服務期間を短縮し、経済的補償を拡充しながら、徴集兵の中で希望者は継続的に職業的に勤務できるよう制度を改善すべきです。ヨーロッパの徴兵制の事例を見ると、期間が短くなって報酬が確実であれば、徴集率が30~40パーセントに過ぎないとしても、公平性の問題は起きませんでした。また、募兵制の対象の中では女性の割合を増やして、参加する機会を提供すべきです。
申祥喆 「軍隊に行けば2年腐る」という認識が定着していることも、徴兵制の維持に負担として作用しています。このようなフレームで「腐る」人が男性に限定されるという認識が強まり、ジェンダー間の葛藤につながったり、軍内では男性中心の組織にみられる閉鎖性と、それによる女性メンバーの被害がみられたりします。国防の概念を国土防衛、国家防衛から、国民防衛にまで拡大して考えれば、とにかく最小限の安全を確保するための知識と経験が必要ですから、男女の区分なく、全国民が兵役義務を共有しようという主張にも、耳を傾ける必要があると思います。たとえば、6か月程度のレベルでみなが義務的に教育訓練を受けるんです。それは戦闘訓練だけを意味するわけではありません。軍事訓練は体を張ってやるべきことだという今の認識を切り替えるなら、軍が必要とする力量は少しずつ多様化しているので、本人の専門分野で国防に寄与できる領域を積極的に開発していけるのです。そうなれば、キャリアの断絶も減らすことができます。
秋智賢 1947年以降、男性にのみ兵役が普遍的な義務として想定され、階層、身体的特徴、性同一性、障害の有無などの違いは、「兵役対象である望ましい男性」のモデルを維持するために無視されてきました。これが「公平」にそぐわないという指摘は以前もありました。韓国社会において、兵役義務が男性に対する「逆差別」のフレームで語られ、他の社会的問題の起爆剤として提起され始めたのが1990年代からですが、以前はむしろ、男性たちの内部で、公益勤労、大学生の例外条項、産業予備軍などについて公平性の問題が抬頭しました。このような議論の根本的な理由は、韓国の軍隊がこれまで、男性中心、戦闘モデル中心の単一の軍人像だけを想定してきたからだと思います。国防改革が議論され、いくつかの先端技術が導入される状況でも、「戦闘」と言えば体で戦う武力の争いだけを考えます。「勇士」のステレオタイプなどを維持しながら、このモデルに適合する人間を作り続け、その過程で「非男性」を排除します。このような流れで故・ピョン・ヒス伍長の事件も発生しました〔ピョン・ヒス氏は2017年に志願して韓国軍に入隊、2019年にタイで性適合手術を受けたが、国防省は、男性器がなくなったことを精神的または身体的な障害と判断し、軍の審査委員会が2020年1月に除隊処分を決定した。ピョン氏はこれを不服として記者会見を行い、処分撤回を求めるなどの措置も行ったが、原状回復には至らないことを苦として2020年3月に自殺した〕。このような異性愛、シスジェンダー中心の兵士モデルの指向性が、安全保障に悪影響を及ぼすという研究結果が非常に多く出されています。軍隊は基本的に一糸乱れぬ動きが必要であるとして、「軍規」を画一的な命令下達を通じてのみ獲得可能であると考えますが、その中で構成員の多様性や人権が尊重されなければ、連帯や信頼が著しく弱まり、構成員の職務への集中度や献身度、実際の職務期間などがすべて低下するということです。当然、専門性も高めることはできません。社会的な合意の方向も、「募兵制か、徴兵制か」のレベルではなく、「どのようなモデルが中心であるべきか」に変えて、戦闘中心の男性モデルから脱却する必要があるでしょう。そういう意味で、男性だけを対象とした現行の徴兵制の廃棄や女性の参加増大だけで、問題が解消されるわけではありません。組織理論のレベルでも、組織の成果物がよりいっそう人権親和的で平和指向的な方法で達成されるためには、組織構成自体が多様性を尊重する方向に進むべきだと言われています。現在は、軍人はもちろん、市民に対する避難計画や「乙支訓練」〔行政府の職員らによる有事対応訓練〕などのシナリオだけを見ても、そのような志向はありません。体の違い、社会的弱者の空間の使い方やリスク認知の違いなどがひとつも考慮されていません。多様性の観点から、このような要素を包括する方向に進むことが、平和守護という軍隊本来の目標を遂行することにも有効だと思います。
李泰鎬 性別を越えてすべての国民が軍隊に行こうという意見と同様に、共役制に対するアイデアもあります。兵役でなくても社会服務や消防業務のような共役に就かせるというものです。ですが、このような議論の前に解決すべき重要な問題があります。国家は国民を守る責務の担い手ですが、これまでは国民たちに対して何かをするということもなく、いつも動員して統制するだけでした。国家としての責務を果たす努力は十分でなく、動員の対象を拡大して公平性に合わせるのは解決策ではないと思います。軍隊に行く人々の義務を軽減し、徴集をするならば労働に対して妥当な経済的補償を行い、軍人として働く間も市民として十分に待遇するシステムを定着させ、「軍人」と「市民」の格差を小さくする方法になるべきです。
軍の役割の変化と民主的統制の必要性
李南周 共同体の安全感や安寧がどのように確保されるか、そのために軍隊がどのような役割を果たすのかについてのパラダイム転換が必要な時かと思います。徴兵制か募兵制かという方式で兵力維持の方式を決めるとしても、きちんとした変化を期待するのは困難だということです。
李泰鎬 過去において、国家が責任を負うべき安全が、伝統的な意味での軍事的安保であったとするならば、セウォル号沈没事件(2014.4)以降から国家が実際の生活の安全の責任を負うべきという認識が明らかになっています。消防隊員が鎮火の最中に命を失い、建設現場で労働者が死亡したりしています。今の時代は、加湿器殺菌剤の被害、産業災害、交通事故など、日常的な安全問題で死んだり負傷したりする確率が、戦争や武力紛争で死亡する確率よりも高いです。軍隊内でも戦闘や訓練のためではなく、むしろ暴力や不合理で負傷したり死んだりすることが発生しつづけています。今、市民が関心を持っているのは、軍事的な意味での安全保障よりも日常の安全問題であるということ、このような議題の変化に注目するべきです。朴槿恵政権でセウォル号事件の初期にあった論争が非常に象徴的です。当時、国家安全保障室長は「(大統領府の)国家安全保障室は災害コントロールタワーではない」と言いました。扱うべきより大きな国家安全保障があるという感じでした。規定(「海洋事故(船舶)危機管理実務マニュアル」海洋水産部)にもある内容を否定し、救助の失敗を免れようとして失敗し、以降、安全保障の概念に対する新たな社会的な合意がなされ、ろうそく集会を通じた政権誕生に最も重要な契機にもなりました。変化する安保観に合わせて、軍の役割はどこまでであり、今、軍がかならずやるべきことと、そうでないものは何かという議論がかならずや必要だと思います。
李南周 ですが、軍は依然として既存の「朝鮮戦争モデル」に合わせた安保概念にとどまっているようです。同時に、徴集を通じた大規模な人材を、安保だけでなく、いろんなことにも動員してきたという点も考えるべきです。道路の整備もしましたからね。たとえば、江原道の寒渓嶺には、道路建設の過程で死亡した100人を超える軍の兵士を追悼する慰霊碑が建てられています。
李泰鎬 最近も、人道的行為が元来の軍の役割であるかのように、災難現場や平和維持活動(PKO)に軍隊が投入されています。もちろん緊急時は軍が行くこともありますが、軍は武器を持った集団であり、救助のための装備や力量は持っていません。救助の現場で軍人2名がする役割を、消防隊員1名でできてしまうのですが、このような力量とインフラが社会全体的に不十分なので、非専門的であっても軍を投入しています。であるならば、軍事装備を減らして消防隊員と装備を増やすことや、国際救難隊を別途に組織して国際PKO活動をさせるような転換を考えるべきです。PKOのためにかならず派遣をしなければならないわけではありません。ですが、このような効率的な転換が行われないのは、軍が既得権のために兵力を維持しようとし、兵士たちをどこにでも使えばいいというような論理で揉み消しているからです。軍の役割を減らすべきです。こうした市民の認識は、保守・中道・進歩の市民社会団体と7大宗教がともに主管し、統一部が後援し、過去4年間(2018~21)進められた「朝鮮半島の平和・統一に関する社会的対話」にも見られました。この対話に参加した市民に対して、毎年、いくつかの質問をするのですが、その中で「朝鮮半島の望ましい未来のために、私たちにとってより必要な力は何か?」という問いの答えで、軍事の力量はだいたい10パーセント前後で最下位を記録します。外交の力量が普通40パーセント内外、経済と民主の力量がそれぞれ25パーセント前後です。市民は軍事力の拡充が必要という声に頷きこそしますが、軍事の力量を韓国社会にとって最も重要で必要なものとは考えていないということです。
秋智賢 軍の役割について議論する際の最初の前提は、今の職務モデルが変わるべきだということですが、ここには専門性の問題もあります。現役の軍人たちの大きな不満は、あちこちで使われるのが一番嫌だそうです。「今、やっていることが、自分にとって一体何の価値があるのか?」ということです。韓国社会において軍人の仕事は「やれと言ったらやれ」くらいにしか認識されていないということ、軍人が専門性のあるいい仕事のように見えないという点で懐疑を持つようです。若い兵士たちは軍での服務が平和維持活動、戦術分析、交渉などの領域で専門性を持ち、自我の実現や達成感を感じられるほどの職業になることを期待しています。なので、兵力維持の方法において、軍人職務の性格、ひいては軍隊の役割についての議論がかならずや必要です。またその過程で、性平等で合理的な組織文化が確立されてこそ、募兵制に転換した時、「行く価値のある軍隊」になりうるでしょう。
李南周 軍に対する民主的統制の問題も重要です。さきほどおっしゃったように「軍隊に行けば2年腐る」「軍隊というのはもともと行く価値はない」というような考えが、長い間、社会に蔓延しました。軍の人権改善がこのように鈍いのは、「軍隊は社会から孤立していて、別に待遇してもいい」という認識の影響もあるのではないかと思います。もちろん、軍組織の規範が他の社会組織と異なることはあるでしょうが、それが過度に強められ、だいたいのことは耐えるべきという認識が通用してきたのは明らかな問題です。これまで数多くの軍隊内の暴力事件だけを見ても、軍があまりにも時代遅れのレベルの対応をしてきました。結局、徴兵制・募兵制などとも関連付けられるのですが、人権侵害的な現実が解決されなければ、報酬をもっと上げても、兵役に対する認識が変わるはずがありません。軍内の事件の調査過程を多く見守られた秋智賢先生のお考えが気になります。
秋智賢 事実、論争になる水準にまで来ただけでもありがたいほどです。青年男性に対して、軍隊が嫌な理由についてアンケートをしてみると、「キャリア断絶、時間の浪費」という回答よりも、「軍隊で事故に遭うか怖い」という回答の方がはるかに高い割合で出ています。この「事故」には過酷な行為や(性)暴力なども含まれます。軍隊内の既成世代は、軍の一糸乱れぬ姿と軍規のために、抑圧的な文化がある程度必要と考え、なので少数者たちはもっと怖く、問題的な状況にジェンダー的な視点で対応することも困難です。軍内に性平等センターのような制度を作りましたが、首脳部はそのような活動に価値を与えません。ですから、誰がそのような場で頑張るでしょうか。一緒に仕事をしてみると、男性兵士であれ女性兵士であれ、担当者も視点がない場合が多いです。年に2度ずつ開かれる委員会が社交化されたり、事案や実情に関する基本的な情報提供がないので、外部委員の具体的なコメントも困難です。軍外で採用された諮問委員たちも、明示された権限に比べて役割が正しく与えられていません。より重要なのは軍事裁判所の問題です。特に国選弁護士を通じて、被告人となった軍人の弁護権を保障することを国防部が広報しています。これは一見そうなのですが、その国選弁護人たちの大多数が軍法務官の出身であり、組織に対する忠誠度と内部のネットワークがそっくり残っている人々であるうえに、被害者の国選弁護も十分になされていない状況において、どのように公平な対応が可能でしょうか。一般の司法機関であれば想像もできないほど、刑事事件の判決をきちんとしていないことが多すぎます。内部の不正を内部で調査してはいけないということ、外部の牽制枠が必要であるというのが一般の認識ですが、国防部はそのような努力をまったくしていません。最近、軍事裁判所法が改正され、2022年7月から、2審は民間の高等裁判所で行い、1審を担当する普通軍事裁判所は国防部傘下に統合・再編されます。ですが、最も重要な1審を、性暴力、死亡事件などを除いては依然として軍で握っており、既存のものとどれほど大きな違いがあるかわかりません。効率性のレベルでも、1審と2審の裁判所を分離して運営するのはよくありません。捜査も複雑になり、被害者は陳述を繰り返さなければなりません。にもかかわらず、平時軍事裁判所を無条件に維持しようと小細工した結果が今回の改正案です。
李泰鎬 軍の指揮官が来て裁判を左右すること、刑量の宣告に指揮官が関与できる制度などが、これまであったということ自体が信じられません。問題の提起だけでも数十年間続きましたが、今ごろになって改善の動きがあるということもです。多くの国で「軍人は制服を着た市民」だといいます。軍隊も韓国社会の構成要素ですが、既存の慣行を踏襲しながら、特別扱いを当然のように考えることが問題です。作戦時でなければ一般の裁判所で裁判を受ければいいんです。このような不合理と不条理が続くのは、軍内に蔓延した事なかれ主義のためであり、無条件の集団主義とともに、内部の既得権を生み出す構造の問題です。将校を必要以上に多く選抜します。ピラミッド式の構造で将軍にまで上り詰めるなか、多くの将校たちが途中で離脱します。彼らは以前の軍部独裁の時代には民間企業にもよく行きましたが、今はそうではありません。軍で学んだことが一般社会ではあまり役に立たないので、選択肢が狭いんです。なので、最終目的地、つまり将軍のポストをいくつか減らすと言えば反発が激しく、「人事措置」にものすごく鋭敏です。何か問題が出てくると「進級に邪魔になる」と考えるので、何もできなくなります。自分たちで処理しても外部にあまり出ないので、そのように伏せてきたんです。
天安艦事件をめぐる真実の攻防
李南周 軍で起きる常識外の驚くべき状況が集約的にみられた事例が、まさに天安艦事件です。いくつかの疑問が提起されたにもかかわらず、合理的な議論自体を阻む機制が働いて、まだ議論が解消されていません。軍の性格のためでもありながら、政治的・社会的にも様々な要因が作動し、事件に対する議論が、韓国社会の民主主義の水準に及んでいない状況です。市民社会では天安艦爆沈説に対する疑問を提起し続けてきましたが、天安艦の沈没原因については、確証的な結論が提示されにくい限界がありました。これについて立場をはっきりと提示してきた申祥喆先生の主張をまず聞いてみます。
申祥喆 私が2010年の天安艦事件の当時、民主党推薦の調査委員として参加することになったのは、海軍や造船所などで働いてきた船舶専門家だったからです。調査委員として働く当時、船を直接見るまでは、軍の発表資料やマスコミ報道などで推定するしかありません。このとき最も注目を集めたのは爆発の有無でした。ですが、最初に排除した仮説もやはり爆発です。爆発は衝撃波と高熱を伴うので、化学的変化と物理的変化を同時に引き起こします。爆発による衝撃波があった場合、被害者と生存者の身体にそれによるダメージが加わり、船体にも化学的変化がみられるはずなのですが、報道内容や状況などを考慮した時、そうではないという結論を下しました。その次の可能性は座礁と衝突です。船が海底の地盤に触れたかどうかを目で確認すれば座礁かどうかがわかります。実際に水上に上がってくる船を見れば、船体の下部に縞模様があるんです。明らかに座礁の証拠です。海図を広げて、この船が運航できる場所とできない場所の区画を分けると、この船が座礁しうるポイントが1か所だけあります。実際の航海当事者がその地点で座礁したと言っています。犠牲者の家族にも同じ話をしています。ですが、軍当局はそれを無視して「ここで座礁したとしても、船が半壊するはずはない」というのです。私もやはり座礁によって船が半壊したわけではないと判断しました。ならば最後に、衝突したかどうかの問題です。船を見て最初に目で確認したのも、衝突の痕跡があるかどうかです。船には、何か丸い物体が来て追突した損傷の兆候があり、その時点で緑色の塗料の兆候が見つかりました。緑色の塗料が塗られた丸い形の何かと衝突したのです。後に裁判の過程で、天安艦の艦尾を引き揚げた業者の副社長が、「軍艦と違う色の塗料を見た」という証言をしています。事実、船が座礁したら、動かずにそのままでいなければなりません。すでに船に損傷が生じた状態で、そのままにしておけば人が傷つくことはありません。航海士の経験不足と判断されます。私が「座礁後の衝突」を主張するので、多くの人たちが、座礁のことだけを話しても十分納得できるのに、なぜ衝突のことまで言って信頼度を落とすのか、と指摘しました。しかし、私のすべての経験と知識を通じて下した結論がそれであり、真実はすべての現象を100%説明できなければならないので、そう主張せざるを得ませんでした。
李南周 申祥喆先生の主張に対して、名誉毀損などの疑いで長い訴訟がありましたが、10年余りの裁判の末、2020年10月6日に控訴審で無罪判決が出ました。どのような点について無罪となったのか、おっしゃってください。
申祥喆 2010年に国防部から告訴されたんです。2016年の1審判決では、私が主張した内容、34項目のうち32項目は「表現の自由」で無罪、2項目に対しては有罪判決が出て、懲役8か月に執行猶予2年を宣告されました。その判決文で裁判部は「天安艦は北朝鮮の仕業」であると結論を下しました。2審では裁判部が3回交代します。2020年10月の控訴審判決では、「1)魚雷にある白色物質は科学的に立証されたとは考えにくい」として、軍当局が言ってきた爆発説に疑問符をつけ、「2)プロペラがS字に曲がったのもやはり科学的に立証されたとは考えにくい」と、私が主張する座礁説についても可能性を開きました。これは再調査しろという意味と同じです。しかし、北朝鮮の仕業と思われるという一審の判決文を援用し、事件に関わるすべての人々に餅を等しく分けた形になってしまいました。遺族であれ軍当局であれ被告人であれ、「このくらいならいいだろう」と考えろということです。
李南周 天安艦事件は李泰鎬先生も関心を持ってきた問題です。
李泰鎬 天安艦事件の真実と究明過程に対する疑問提起は、先日発表した記事「天安艦、まだ引き揚げられていない真実」(『創作と批評』2021年秋号)にまとめておきました。ただ申し上げたいのは、参与連帯も私も科学的な仮説を提示する形ではなく、軍が発表した内容と調査過程について疑問点を提起しているということです。なぜ犠牲者の家族を調査に参加させないのか、なぜ情報を公開しないのかということから、国際調査団の調査内容についても問題提起をしました。一言で言えば、政府の主張が疑いの余地なく立証されたのかについて疑問を投げかけたのです。ですが、決定的な証拠と言われた魚雷の「1番」表記から魚雷プロペラの設計図まで、北朝鮮のものであることが立証されていません。当時、証拠と言っていた魚雷設計図も、実際の設計図ではなく概念図であることが明らかになり、そのプロペラは様々な国で複製もかなりされていたわけです。さらに、国際調査団は1番魚雷を調査したことがありません。トーマス・エクルス天安艦調査団アメリカ調査団長も、やはり1番魚雷を証拠として認識して分析したのではなく、いくつかのデータだけを見て魚雷に近いという仮説を出したのです。
申祥喆 エクルス団長が「船体下部1~3メートルで非接触爆発したものと思われる」と上官にメールを送ったのが4月15日ですが、この日は艦尾が引き揚げられた日です。艦首はまだ水の中にあり、艦尾だけがちょうど水面上に姿を現した時点ですが、きちんとした調査も始める前に言及した内容が、おかしなことにすべての事故原因分析のガイドラインになってしまいました。
李泰鎬 このように、発表された内容が、立証されていない情報を推論にはめ込んだ結果であると判断して、問題提起をしたんです。なので、参与連帯では国連安全保障理事会に「この事案はまだ十分に調査されていないので、これをもとに制裁など、以降、不可逆的な効果を出しうる行為を控えてほしい、もう少し調査するまで、平和的に管理できるよう、国連が助けてほしい」という内容のメールを送りました。結局、国連安保理議長の声明には、北朝鮮が攻撃主体として明示されていません。そのようななか、国家情報院や軍が、天安艦事件に疑問を提起する市民を査察して心理戦を繰り広げたという記録が、最近、情報公開を通じて明らかになっています。
申祥喆 天安艦事件に対する真実隠蔽の疑惑はそれだけではありません。私が情報提供を受けたところによると、事件が起こった数日後に、軍当局が犠牲者の家族を集めて「天安艦は一次座礁し、その地点から抜け出して移動中に、潜水艦と衝突して半壊し沈没した」と正確に説明し、国民には公開していない衝突の瞬間の映像を、家族たちには見せたそうです。真実を隠そうとしても、過去11年間、家族の方々が周辺に打ち明けた話が多く、私にもずっと情報提供が来ています。
李泰鎬 参与連帯から国連にメールを送った後、アメリカ大使館で会おうと2度訪れました。彼らに会って1番魚雷が証拠だと思うかと聞きましたが、答えがありません。「私が見るところ、あなたたちは1番魚雷を調べていない。エクルス団長もアメリカ調査団側も1番魚雷が証拠だと言ったことはない。ならば、沈没の原因は何だと思うか」と聞きました。この時、アメリカ大使館の書記官が明確に「小型潜水艇に配置された小型魚雷による爆沈だと思う」と言っています。私が再度確認した後、このように聞きました。「ですが、今、言及される魚雷は中魚雷ですが、中魚雷を発射できる最新の潜水艇、いわゆる「ヨノ級」潜水艇が実際にあるのか」と聞いたら「小型潜水艇」だというのです〔「ヨノ」はサケの意〕。韓国政府は、国内では新型「ヨノ級」潜水艇が魚雷を発射したと主張しましたが、国連に報告するときは80トン級潜水艇だと言ったというのです。80トン級ならば旧式小型浸透潜水艇で、中魚雷発射台はないと言われています。これがアメリカ大使館側の陳述と合致するんです。このように見ると、エクルス団長も中魚雷を考慮したのではなく、機雷か小型魚雷を念頭に置いて、可能性を天秤にかけたのです。結局、報告書も機雷である可能性はマル4つで、魚雷である可能性はマル5つだから、魚雷である可能性が高い、と推定によって書かれたに過ぎないのです。
真実が究明できなかった理由とその後の暴風
李南周 天安艦事件の当時、私もある新聞のコラムで(「天安艦沈没の真実が明らかになるには」『京郷新聞』2010年4月7日付)、「政府の調査結果が出れば、真実性に対する議論が明らかになるだろうが、このような類の事件で、すべての事案の因果関係が100パーセント立証されることは難しいため、調査手続自体の信頼度を高めるべき」と書きました。透明な調査過程から出てきた結果物を持って、正常な議論にすべきだったのですが、これまでのところできていません。なので、推論的な性格の結論が出たのです。
李泰鎬 私もそのような観点から天安艦事件を見続けています。私はまだ座礁説であれ爆沈説であれ、どちらにも確信はありませんが、科学的な討論で仮説はいくらでも立てることができ、ある意味では政府の推論を尊重する意思もあります。ですが、政府が認めるべきは、政府の発表も推論に過ぎないということです。そのため、北朝鮮が数回にわたって公式に否認し、中国やロシアも韓国政府の発表を認めておらず、決定的に民軍合同調査団の報告書に対して、国連の中立国監督委員会の諸国が「情報ブリーフィングに参加することは許されなかったばかりか、取捨選択された情報にのみアクセスできた」として、合同調査団と国連軍司令部の秘密情報への接近制限を非難するような参観報告書を出したのです。国連でも結局、何の決議案も採択されていません。このような状況であるにもかかわらず、韓国政府は、まるでこの結論が明確であるかのように国民に語りながら、この推論がいまだ国際社会で立証されていないと事実を前提に議論することを阻んでいます。また、この推論に基づいて施行した後、いまだ解除していない5・24措置も問題です〔「5・24措置」:天安艦事件を受けて韓国政府が2010年に出した対北朝鮮制裁措置〕。現在の北朝鮮の核開発に至る過程で、南北関係の悪化はもちろん、東北アジア全体の軍事的状況に多大な悪影響を及ぼしたからです。証拠もはっきりしない状態で、このような措置を取ったことが果たして望ましいかという問題は、天安艦事件の真実が何かとは別途に、私たちがかならずや評価すべき点だと思います。
李南周 実際、当時の政府の調査結果の発表以来、世論調査を見ると、政府発表、特に「北朝鮮の仕業」という結論に対して、十分に信頼できないという回答の割合が非常に高かったです。ですが、このような声が後の議論にまったく反映されないまま、時間が流れているので、当時の政府の推論がただ受け入れられる状況が到来し、これが南北関係を解決するアプローチなどに影響を及ぼしており、懸念しています。また、もしこれまで政府が提示した結論が事実と異なるということが明らかになった場合、社会に及ぼす影響も大きいでしょう。これも天安艦関連の議論を混乱させる原因だと思います。国家があまりに間違って作動していることを立証する事例にもなり得ますし、事件をめぐる他国との関係にも影響を及ぼし得る問題です。
申祥喆 軍が閉鎖的な性格を維持しながら、韓国社会が担うべき負担がそれほど大きくなったのです。合理的議論がされない状況を変える大転換が、軍の閉鎖性を解消する方向の国防改革と軌を一にして起こるべきで、天安艦事件のような場合、合理的議論を通じて、もし政府が提示した主張と異なる結論が出れば、国防だけでなく、言論、司法、学界、教育など社会のさまざまな分野で連鎖的に改革が強制される状況に至るだろうと思います。
李泰鎬 まず真実が完全に明らかにされるべきです。真実が隠されることは往々にしてあります。アメリカもベトナム戦争時のトンキン湾事件、イラク戦の問題、各種軍事犯罪など、多くを隠してきました。ですが、アメリカは結局、それを明らかにする手続きがあるというのが、私たちと異なる点です。いつかは秘密が明らかになり、さらに戦争を繰り広げる渦中にも、軍と国会の間の聴聞会や調査委員会などを通じて、政府の失敗があったという報告書が出てきます。システムがあるから可能なんです。韓国はどうでしょうか。軍事機密は「無期限」です。だから、真実がいかなる方法であれ明らかになっても、軍が口を閉じてしまえば、それ自体としてまた真実の攻防にならざるを得ません。市民がおおよその真実を知っていても、真実の最後までは入れない構造を打開しようという議論がかならずや必要です。そして、天安艦問題については、これが万一歪曲されたとすれば、ある程度、なぜ歪曲されたのかについての調査と改善の議論が確実に進めば、再発防止が可能でしょう。
秋智賢 情報公開の問題等について、補完および議論の根拠を制度的に作るべきです。たんに天安艦事件だけでなく、今でも大小の事について同様の状況が発生し続けています。今日の議論の究極のテーマは、結局のところ「国家、軍組織、国際政治などがひとつに絡んだ問題状況に、国民がどう介入するか」だと思うので、これに対する基礎作業として、情報公開の必要性は切実です。情報の隠蔽に対する問題提起が市民社会の役割でもありますが、軍の組織の透明性を確保する次元で、軍内部でも新たな問題提起の動きを示すことが必要だと思います。
民主社会にふさわしい軍が必要
李南周 最後に、韓国軍が韓国社会の民主主義の発展に歩調を合わせるようにするうえで、重要な課題は何でしょうか。
申祥喆 私は天安艦事件にかかわっているだけに、事件の真実が明らかになるところから改革が始まると思います。十数年が過ぎた今も議論が続き、定期的に政治化される現実の最初の原因の提供者は政府と軍当局です。いかなる理由であれ、思考の原因を特定の結論に結び付け、その過程で科学的・合理的な推論や問題提起を無視して抑圧しました。結局、拙速に結論を出し、信じるよう強要しました。その結果、事件が起きた年の政府の調査結果を信頼する国民が全体の32パーセントにしかなりませんでした。もし真実が明らかになれば、国防と安保という外見の中で閉鎖的・自慰的に結論を出し、国民に一方的に通報してきた文化や認識が改革されるべきで、かならずそうなるだろうと期待します。
李泰鎬 軍が民主的統制を受けるべきです。文民化の話はかなりしますが、もちろん民間人や女性の国防部長官も必要です。しかし、民主的統制において何より重要なのは、国民の安全を脅かす要因が何かについての定義や解釈、それを解決する手段の優先順位を決定するところで、市民の参加や監視が活発に行われるべきということです。この地点で文在寅政権について残念な点は、大統領直属の国防改革委員会の設置を公約しましたが、それができませんでした。軍の改革は軍に任せると諮問委員会を作ると言いましたが、それもうやむやになりました。なので、新政権になったら国防改革のための機構を作って、私たちが直面している脅威が何であり、今後どのような国家戦略と軍のアイデンティティをもって、これを解決していくのかについて、市民たちと話し合うべきです。そこから出てきた話をもとに、軍の役割と規模を現実化し、具体的な改革方向を描くべきです。この過程で、国防改革を行った他の諸国の事例も参考にできます。このとき注目すべき点は、国防改革を遂行した諸国の中で、改革過程で国防費を増やしたところはないということです。国防費を減らし、軍の兵力を減らすべきです。
秋智賢 市民による民主的統制が外部的な改革動力であるとすれば、私は組織内部の変化を指摘したいと思います。軍の役割や軍に対する認識が、過去と違って変わっているということを軍組織が認めるべきです。今の時代に国家の安寧を保全するための最初の手段は、経済と外交です。市民は暴力が怖いですし嫌いです。全世界が戦争を止揚して平和を望んでいる状況で、戦闘中心の訓練を最優先にするのが、はたしてどれだけ効果的かを検討するとことから国防改革が始まると思います。今の基調の下で、軍の多くのメンバーが、自分がやっている仕事の専門性を見出せないと答えています。これはすなわち、軍が自分で何をなすべきかについて反省し、悩むべきだということです。その過程を遂行すれば、長期的には単一化された男性中心の戦闘軍人の像も崩れざるを得ないでしょう。安全保障に必要な各分野の専門性を強化するためには、今よりも組織文化や報道の面で多様性と合理性が確保されるべきですから。いままさに徴集の対象となる青年たちから、彼らが見つめる軍の未来や怖れを積極的に聞くだけでも、望ましい方向性に対するヒントを得られるだろうと思います。
李南周 今日の対話で、国防改革と韓国社会の民主主義との関係がよく確認できたと思います。2つの間にいかなる壁もあってはならないという点が、主な結論だといえるでしょう。このような結論が、政府が推進する国防改革にどれほど反映しうるかについては、いまだ疑問があります。天安艦事件について議論した理由も、この問題の正しい解決が、国防改革、さらには韓国社会の改革を新たな次元に導くことができるからです。読者の方々に特別な関心をお願いしたいと思います。昨年夏号から「2022大統領選挙、大転換の課題」というテーマで4回の対話を行いました。大転換に必要なすべての課題を扱ったわけでもなく、扱われたテーマに対する明確な答えを提示したとは思えません。それでも韓国社会が、重大な転換点で選挙の勝敗を越えて、直視しつづけ解決するために努力すべき問題を扱ったという地平で、この企画を終えたいと思います。これまで対話に参加してくださったみなさん、特に難しいテーマを、今日、ともに議論して下さった参加者のみなさんに感謝したいと思います。(2022.1.27/創批西橋ビル)
訳:渡辺直紀